8-741

 チラっと時計を見た。
 約束の時間まで後二十分。ちょっと早く着きすぎたかなと思う。
 公園の噴水前。温かい昼下がり。カップルや家族友人たちが語り合ってる。
 楽しそうな声、嬉しそうな笑顔を横目に見ながら、親友の訪れを待つ時間も悪くない。

「おまたせ、せつなちゃん、一人でこんなとこに呼び出してごめんなさい」

 ううん、と言って横に座るように促す。
 本当にぴったり寄り添うようにくっついて座ってくる。
 大人しい外見に似合わず、ブッキーもスキンシップは多めだ。

 ブッキーは何か話したそうにして、また黙り込む。そしてしばらく沈黙が続く。
 気まずいとは思わない。心が通じてるから。これも楽しい時間。

 美希は会話つまると困った顔するのよね。少し思い出して笑いそうになる。

「あのね」

 意を決したような真剣な表情で話しかけてきた。
 なんだろう、今日はいつもと様子が違う。

「せつなちゃんに、会って欲しい人が居るの」

 ブッキーは申し訳無さそうにぽつぽつ話し始めた。

 預かっている犬の散歩をしている途中で、知り合いのお母さんに偶然出会ったこと。
 その子は一度大きな手術をして、それ以後は退院して元気に過ごしていたこと。
 それが先日、また急に容態が悪くなり、再入院したこと。
 その手術が成功すればまた元気になるらしいこと。
 でも恐がって手術に協力的ではないらしいこと。

「それで、私はその子に会ってどうすればいいの?」

「会って、お話して元気付けてあげてほしいの。
 だいぶ神経質になっているから、本当はこんなお願いするのは気がひけるのだけど」

 どうして私に相談してきたのかはわからない。
 でもブッキーの真剣な頼みを断るなんて選択肢は私にはなかった。





 コンコン。軽くノックしてから少しだけドアを開いて声をかける。

「千香ちゃん。祈里よ。今日はわたしのお友達も一緒なんだ」

 返事はない。私たちはそっと中に入った。以前、見舞いに来た経緯も途中で聞いた。
 プリキュアに憧れていると語った少女は、とても明るい子だったらしい。



 裏向けて飾られているプリキュアの色紙。
 ひっくり返されているアクセサリーの道具。
 それらが今の彼女の精神状態を悲しく物語っていた。


「私の名前は東せつな。よろしくね、千香ちゃん」
 少女は黙って俯いたままだった。

「せつなちゃんはね、キュアパッションのお友達なんだよ。
 お願いしたら会いに着てくれるかも」

『いらないっ!』

 激しい苛立ちをぶつけるかのように、初めて少女は口を開いた。

「この間だって、応援に来てくれたのに、だから頑張れたのに
 結局何にもならなかった。また同じことになっちゃった。
 きっと、もう……もう、何したって治らないんだもん!」

 その後もブッキーが色々話しかけてたが、少女の顔が上げられることは無かった。


 伝わってくる悲しみ。絶望。幸せってなんだろうと思う。
 ラビリンスなんか居なくても、不幸は必ず幸福の側にあり、脅かし続ける。

 そっと手を握りに行って……拒まれた。


「出て行って。お願いだから出ていって!」

 申し訳無さそうに何度も頭を下げるお母さんに挨拶して、今日は帰ることにした。





「ごめんね、せつなちゃん……」

「ううん、力になれなくてごめんなさい。でも、どうして私に声をかけてくれたの?」
 気になっていたことを口にした。


「あのね……占い……占いをして、勇気付けてあげてほしかったの」

 思いがけない言葉に驚く。
 確かに占い師をしていたことはある。でもラビリンスを抜けてからは一度も占ったことはない。
 道具もこの間のフリーマーケットで売ってしまった。

「ブッキー、私はもう占いはしないわ。運命は占いに従うものじゃなくて、自分で切り開くものだって。
 そう教えてくれたのは、あなたたちのはずよ」

 それに……懺悔の気持ちを込めて話す。

「私の占いはほとんど出鱈目よ。未来なんてほんの一瞬、たまに見えてしまうことがある程度よ。
 手術が上手くいくかどうかなんて、当てられるとは思えないわ」


 祈里は苦笑した。ほんの少し見えてしまうことがあるって時点で普通じゃない。
 そして話す、自分の考える占いの意味を。



「せつなちゃん、本物の占い師に説教するわけじゃないんだけど、
 わたしは占いは、当てたり頼ったりするためのものじゃないと思うの。
 わたしの口ぐせ、名前に込められた願い。占いもそこから生まれたような気がするの」

 そう言って小さな包みを私に手渡した。

「タロットカード、せつなちゃんにあげる。千香ちゃんの説得はわたしが明日も続けるから、
 占いのこと、考えてみて欲しいの」


 ブッキーと別れ、しばらくそこで佇んだ。

 信じること、祈ること。
 何も出来ないからこそ、どうしようもないからこそ、放っては置けない。
 私が千香ちゃんにしてあげられる精一杯のこと。

 私は踵を返して、再び病院に走った。





「おばさま。私に千香ちゃんと二人きりで話しをさせてもらえませんか。
 私が呼ぶまで、何があっても信じてまかせていただけませんか」

 お母さんは遠慮して止めようとした。今日が初対面だ、無理もないと思う。
 誠意を込めてお願いする。これ以上、後悔する人生なんてまっぴらだ。


「せつなよ。入るわね」
「…………」

「ご飯、食べていないそうね」
「…………」

「夜も眠れていないようね」
「…………」

「あなたもあなたを傷つけるの?自分の体を傷つけるの?」

「今、あなたの体は懸命に病気と戦おうとしてる。
 お母様もお医者様も共に戦おうとしてる。
 あなたは戦わないの?」


「っ…………何もわからないクセに…………わからないクセにぃぃぃーーー!!!」

 千香は手元にあった花瓶を投げつけた。

 ――パァァァァァァーーーーン――

 紙一重で避けて、そのまま歩み寄る。

 ここは退かない。ラブがそうだったように、私も。


(パァーーン)
 せつなが千香の頬を叩いた。



 呆然と見上げる千香ちゃんを私はしばし無言で見つめる。


「あなたこそ私の何がわかるの。お母様の気持ちの何がわかるの。
 不幸なのが自分だけだなんて思わないで」

 心の中で語りかける。
 信じていたものに裏切られる気持ち。
 誰もが持っているものが手に入らない焦燥感。
 わかるわ、それでも、それでもね……。
 幸運も幸せも、掴もうと努力する人の元にしか訪れないのよ。


 千香の身が竦んだ。渦巻いていた感情が吸い取られる。
 深い深い悲しみを湛えた瞳。こんな目は見たことがない。
 一体どんな経験を経て人はこんな風になれるんだろう。


「嘆くのはやれることを全部やった後でいいでしょう。
 あなたにはまだできる事、しなくちゃいけないことがある。
 ――――私がそれを教えてあげる」


「えっえっ…………」

「わぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーん」
 千香はせつなにすがり付いて泣き出した。


「うん、怖いわよね。わかるわ。よくわかる。ごめんなさい」

 泣き止むまでの間、せつなは千香の頭を、背中をそっと撫で続けた。


 それから千香はせつなに語った。自分の夢、憧れていること。
 元気になったらやってみたかったこと。
 病気が治ったと聞いた時、どれほど嬉しかったのか。


「ね、わたし治るよね?きっと良くなるよね?こわい、こわいの……」

 言った!自分から、自分の口から。それは希望の言葉。
 それを信じる力に変えなくてはならない。
 そのために私が出来ることは。


「私が占ってあげる」

 私は力強く語り、そして優しく微笑みかけた。


「お姉ちゃんはね、占い師なの。何でも当ててみせるわ、手術の結果だってね」
「………それで、ダメって出たら?」

「上手くいくために必要なことを占って探してあげる。見つけてあげる。
 占いはね、生きているの。その人の行動によって変化していくものなの」


「アカルン!!美希の部屋に」
 準備をしてくるから、そういい残して病室の死角から美希の元へ跳んだ。



 しばらくして、赤い光とともに占い師の正装をしたせつなが現れた。
 突然の変わり様に驚いた。それ以上に纏った空気に威圧される。
 神秘的な雰囲気と美しさ、感情を一切感じさせない表情。
 フードから覗く紅玉の瞳には、魂まで見透かされそうで。


「これから、あなたの手術の行方を占うわ」
 低く、そして透き通った抑揚のない声、まるで神託のように聞こえた。

 タロットを裏向けに置き、両手を交差させるように混ぜていく。
 滑らかに静かに動く指と、意志があるかのように動くカード。

 大と小のアルカナ。スプレッドはケルト十字法。大十字架占い。
 七十八枚のタロットから悪魔の十カードが選ばれる。

I   逆位置 悪魔      
II  正位置 月       
III  正位置 愚者      
IV   逆位置 棒の七     
V   逆位置 太陽      
VI   正位置 運命の輪    
VII  正位置 剣のナイト   
VIII 正位置 正義      
IX   逆位置 審判      
X   正位置 硬貨のクイーン 

 占いが終わった。
 せつなの表情が徐々に戻ってくる。柔らかく、温かく。
 フードを下ろして微笑みかける。


「大丈夫よ、きっと手術は成功するわ」

「ほんと!」
 千香ちゃんの顔に期待と希望が生まれる。

 ゆっくりと話す。

 自分を信じて、私を、お母さんやお医者様を信じて。
 そして自分の体を大切にするの。
 最高の状態で手術を迎えるの。
 そうしたら必ず何もかも上手くいくから。


 話し終えた後、せつなは占い師の正装を解いて私服に戻った。

「凄い、お姉ちゃんすごい!」
 千香ちゃんの目が輝いた。もう、その目に恐怖はなかった。

「だから言ったじゃない、これでも凄腕なのよ」
 せつなは手を腰に当ててえっへんと胸を張った。そして一緒に笑った。


 心配させたこと、ちゃんと謝るのよ。そう約束してからお母さんを呼びに行く。
 何度もお礼を言いながら、娘を抱きしめる母親を見つめる。
(これでいいのよね、ブッキー)

 後は信じよう。そして祈るんだ。
 精一杯頑張ってね、千香ちゃん。
 きっと何もかも上手くいくって、私も信じているわ。



『おめでと~~~』
 術後の容態が落ち着いたので今回は四人で見舞いに来た。
 退院の日も近いそうだ。

「ありがとう、お姉ちゃんたち」
 シフォンを抱きしめて嬉しそうに笑う千香ちゃん。本当によかった。
 美希は色紙に新しくパッションを加えた写真を貼り付けていた。
 うん、この構図完璧!とか言ってる。ありがとう。


「ね、ブッキー、私の占いはこの世界の悩み、不幸を効率よく聞きだすために始めたものなの。
 だから嫌いだった。でも違うってやっとわかったわ。
 占いもまた、幸せになりたいって人の願いから生まれたものなのね」

「うん、信じるが口ぐせのわたしが一番難しかったことがね、自分を信じることだったの。
 占いは、その背中を押してくれるものなんじゃないかな」

 それにね、と心の中で続ける。
 せつなちゃんの言葉だから、まっすぐに届いたんだと思うよ。
 占いも、辛い過去も、わたしは何一つ無駄になるものじゃないと思う。
 そして覚えておいて欲しいの。
 あの子の笑顔は、せつなちゃんが自分の手で掴んだ幸せだってこと。


「ブッキーの家は、動物……病院だったわね。きっとこんな想いを繰り返してきたのね」

「そう……どんなに手を尽くしても、どうにもならない事もあるの。
 だからわたしは祈るの、そして信じるの。その想いは力になってきっと届くから」

「あなたに祈ってもらえる人は幸せね、ブッキー。私も、自分なりのやり方で精一杯頑張るわ」

 そして再び自分の手に戻ってきたタロットカードを見つめる。
 きっとこれも、私の精一杯の一つ。一つ一つやり直していこう。


「みんな~ちょっと庭でお散歩しようよ、すっごくいいお天気だよ」
 ラブが車椅子を押して駆け出した。美希が走らないの!って注意してる。

「せつなお姉ちゃん、祈里お姉ちゃん、置いてくよ~」

 私もブッキーの手を取って追いかける。
 皆の幸せを祝うかのように、空はどこまでも澄み切っていた。
最終更新:2010年01月14日 22:34