「これでいいかしら」
「そうそう。上手よ、せっちゃん」
お母さんの言葉に、私は良かった、と笑みを返す。隣では、お父さんが肉じゃがを、ラブがハンバーグを作っていて。
「全部テーブルに乗り切るかしら?」
そう笑いながら、お母さんも腕を振るう。心配そうな表情とは裏腹に、豪勢な食事を作ろうと張り切っているのがわかって。
私は、泣きそうになるのをこらえながら、お母さんに習った通りに、コロッケを手でこねる。
こうして四人で――――家族でご飯を作れる、その幸せを噛みしめながら。
明日、私はラビリンスに旅立つ。
Happiness Alive 6 ――――せつなの旅立ち前夜――――
「もう、お腹いっぱいー」
ソファに座ったラブがお腹をさすりながら言うのを見て、せつなは苦笑する。
「ラブ、女の子がはしたないわよ」
「うー。そうかもしれないけどさ。でもあんなにいっぱいあって、どれも美味しいんだもん。全部、食べちゃうよ」
ぼやくようなその言い草に、まぁね、と彼女は頷いた。
せつなのコロッケ。圭太郎の肉じゃが。ラブのハンバーグ。そしてあゆみのラザニア。メインディッシュが四つ、しかも皆、
張り切って作ったものだから量も多かった。本音を言えば、せつなだってお腹がはちきれそうなのだ。
「じゃあ、デザートはまた後の方がいいかしらね」
そう言ったのは、洗い物を終えて出て来たあゆみだった。布巾で手を拭きながら、だらしなく伸びるラブに、からかうように言って。
「デザート!! 食べたい!! ……けど、お腹が……」
ガバッ、と跳ね起きながらも、満腹なことを思い出したのか、しおしおとなる彼女の姿を見て、三人の笑い声が響いた。
「先に、お風呂に入ってきなさい。デザートはその後。いいわね?」
「はーい。そうしまーす」
あゆみに促され、ラブは部屋を出て行く。残った三人は、顔を見合わせて笑う。
だが。
「お父さん。お母さん」
かしこまったせつなの声に、あゆみと圭太郎の表情が引きしまった。視線をかわしあい、彼女に向かい合うように、椅子に腰を下ろす。
そして、息を整えるように一つ、吐きだした後、
「なぁに、せっちゃん」
あゆみは言って、微かに俯く娘の顔を見た。
「お父さん。お母さん」
もう一度、せつなはそう言った。圭太郎は、無言のまま、続きを待っている。
せつなは迷う。唇が、軽く開いて、また閉じて。
言いたいことはたくさんあるのに。言葉にしきれないほどに、たくさんあるのに。
何から言えば、いいんだろう。
どう言えばいいんだろう。
「ゆっくりでいいのよ、せっちゃん」
その言葉は、あゆみの口から発せられたものだった。顔を上げると、穏やかで、暖かくて――――いつか、彼女を救ってくれた時と同じ、
優しい目があって。
「お父さん、お母さん――――ありがとう」
自然と、言葉がこぼれた。そして、涙も。
私を受け入れてくれて、ありがとう。
一緒に暮らしてくれて、ありがとう。
学校に通わせてくれて、ありがとう。
ご飯を作ってくれて、ありがとう。
料理を教えてくれて、ありがとう。
一緒に食べてくれて、ありがとう。
数え切れない程の思い出、その一つ一つに、ありがとう。
私に、幸せをくれて――――
「――――本当に、本当に、ありがとう」
泣きじゃくりながら、せつなは、ありがとうの言葉を重ねる。何度も。何度も。
「せっちゃん――――」
それを見守る圭太郎とあゆみの目にも、涙が浮かんでいる。
「私、私――――お父さんと、お母さんと出会えて――――一緒に暮らせて――――!! 本当に良かった――――!!」
あゆみが立ち上がり、せつなの隣に座った。圭太郎に立ち上がり、その逆に座って。
彼女は、両親に挟まれる。そして、双方からそっと肩に手をまわされて。
「私達も、同じよ」
「せっちゃんに会えて、幸せだった」
その言葉に、せつなはまた、涙が止まらなくなる。
自然と溢れる雫を、流れるに任せたまま。
彼女は、二人に抱きしめられたその体に、親のぬくもりを刻みつけるのだった。
「――――ラブ」
せつながリビングを出ると、廊下にはお風呂に入った筈のラブの姿があった。壁を背に立っていた彼女は、せつなの姿を見て、
小さく笑う。
「せつな。お風呂、一緒に入らない?」
「――――ええ、いいわ」
頷いて、せつなも笑みを返した。
「ねぇ、せつな」
「なぁに、ラブ」
体を泡まみれにするせつなに、浴槽に身を沈めたラブが、ぼんやりと天井を見上げながらそう声をかけた。
が、その続きの言葉は無い。
せつなも、問い返さない。
きっと、彼女は聞いていたのだろう。リビングでの、せつなの言葉を。
二人に告げた、別れの台詞を。
「せつな」
「…………」
名前を呼ばれる度に。
せつなは胸が苦しくなる。顔を見れなくなる。
ラブはいつだって笑顔だ。ラビリンスに戻ると告げたその日から、いつだって笑顔で、せつなの決断を後押ししてくれる。
けれど――――けれど。
例えば二人きりの時、その瞳に浮かぶ光は。せつなに向けられる視線は。
彼女を、留めようとするもの。
行かないで。そう告げているかのようで。
「せつな」
「ラブ」
今も、きっとラブはそんな目をしている。
それがわかっているから、彼女は天井に目を向けている。こちらを見ようとしない。
それがわかっているから、せつなは彼女を見ない。ただ名前を呼ぶことしかしない。
「せつな」
「ラブ」
幾度も、名前を呼び交わし合う。
もしも、一度でも、ラブが想いを口に出したら――――側にいて欲しいと言ったら。
私は、どうするだろうか。
いや、そもそも、私はそう言って、引きとめて欲しいのだろうか?
ラビリンスを、クローバータウンのような笑顔溢れる場所にしたい。その気持ちは、強くある。
けれど、皆と別れることは、辛くて――――苦しくて。
中でも、ラブ――――私の生き方を変えた彼女との別離は。
「せつな」
「ラブ」
――――きっと。
ラブにも、わかっている。だから気持ちを押し殺している。
もし引き留めてしまえば、余計にせつなを苦しめるだけだとわかっているから。
「せつな」
「ラブ」
脱衣所で、不意に後ろから抱きしめられる。ギュッと。
重なり合う、肌と肌。伝わるぬくもり。肩に落ちた雫が冷たいのは、きっとそれが涙だったから。
「せつな」
「ラブ」
今日、何度目か。呼び合う二人。
抱きしめられたのは、ほんの一瞬。振り返った時には、ラブは、いつもの桃園ラブだった。
「さ、せつな。デザートを食べたら、アタシの部屋でお喋りしよっ!!」
「ええ。いつも通りにね」
その宣言通り、二人はラブの部屋で夜がふけるまでお喋りをし。
最後に、一つのベッドで手を繋ぎながら、眠ったのだった。
クローバータウンを見渡せる、小高い丘の上。
せつなはそこで、家族で撮った写真を眺めながら、風を感じていた。
最後の別れはもう、済ませてきた。
涙は無かった。昨日、たくさん流したから。美希や祈里は、泣きっぱなしだったけれど。
ラブは二人が帰った頃になって、泣いているんじゃないだろうか。本当は、ずっと我慢してたのよね。
側にいてあげたいけれど――――きっと、お父さんお母さんが付いているから。
いつかと同じ風景。孤独にさいなまれながら、絶望と共に見た風景が、今はとても暖かい。
大切な出会いがあったこの街。その全てを、心に記す。
そして彼女は、呟く。
「――――――――」
その言葉は、ひときわ強く吹いた風にかき消されて、近くにいたサウラー、ウエスターの耳にも聞こえなかった。
だが、言い終えた彼女は、その言葉が届いているという確信に満ちた顔をしていて。
強い眼差しに、彼らは何も言わず、仲間を迎え入れ、そして。
ラビリンスへと、帰っていったのだった。
「――――!!」
リビングで、父と母に抱きしめられていたラブは、不意に顔を上げる。その唐突な行動に、しかし、あゆみも圭太郎も驚かなかった。
ただ、目を見合わせて、頷き合うだけ。
それを見てラブは、確信する。
二人にも、聞こえていたのだ。あの声は。
せつなの、言葉は。
だから。
嗚呼。だからラブは。
涙にぬれた瞳をぬぐい、精一杯の笑顔で言ったのだった。
「行ってらっしゃい。せつな――――!!」
最終更新:2010年02月25日 23:48