9-116

四つ葉町の町外れにある小高い丘の上。
太陽の光が全面に降り注ぎ、その中でシロツメクサが咲き乱れる
その草原に立つ少女の姿。

東せつな。

彼女が見下ろすのは、幸せの町、四つ葉町。
半年前、行く場を失った彼女を受け入れてくれた町。
幸せの意味を教えてくれた町。
沢山の幸せを与えてくれて、また、彼女自身も多くの幸せを守った町。

そして―

大切な仲間と、家族と、何よりも大好きなあの娘が住む町。
その町に、彼女は今別れを告げようとしていた。

(……ありがとう)

口には出さずに、心の中で呟く。
そうしないとあっという間にこの気持ちが消え去ってしまうと、そう思ったから。

「……」

名残は惜しいが、このままいつまでも見ていると、決意が揺らいでしまうかもしれない。
だから、踵を返し、丘の上へと歩き出す。
大丈夫、これは自分で決めた事。望まない別れではないからと。
彼女達と共に歩めない事は残念だけど、その代わりに共に歩む事の出来る
新しい、いや、かつての仲間達がいるからと。
そう自分に言い聞かせて、丘の上を見上げる。
そこにあるのは、二つの人影。
サウラーと、ウエスター。
一度は立場を違え、敵となった事もあったが、
今は再び仲間として隣に立つことが出来るようになった友人達。

「さあ、行きましょ」

その彼らに声を掛ける。
自分から言う事で、未練を断ち切るように。
そして彼らを追い抜き、一人先に行こうとするせつな。
その後ろ姿を見て、サウラーとウエスターは顔を見合わせる。
そして。

「あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!忘れてた!!」

唐突にウエスターが大声を上げる。

「な、何?」

先を行っていたせつなが驚いて足を止め、振り向く。
ウエスターの事だから、ドーナツの新作を買い忘れたとでも言うのだろうかと。
その動きを見て取ったウエスターは、何故か彼女に対して背を向けつつ、

「お前の昔使ってた部屋な、あれ、処分されてたんだった!
 一度クラインに寿命切られた時点で死亡扱いだったし、
 その後もプリキュアになったんで裏切り者って事で!」

そう、せつなに告げる。
大声で、しかも声の抑揚が無茶苦茶な棒読みと言っていい喋り方で。

「え?何を」

何を言っているの?と返そうとしたせつなを遮るように
サウラーが後を引き継ぐ。

「ああ、そういえばそうだったね。
 今までのラビリンスは管理国家として完全だっただけに、
 無駄な部屋なんて勿論無い。
 メビウスが無くなった今、国もまだ混乱してるし、
 その中で区画や部屋割りをやり直すとなると相当な時間が必要となるだろうね」

ウエスターとは対照的に、淡々とした話し方。
しかし、そのよどみの無さがそれが事実であると告げている。

「まあ、そういうことだ。
 今のラビリンスにお前の居場所は無い!
 だからお前は当分キュアピーチの家に世話になっていろ!!」
「ええっ?」

ウエスターの言葉に困惑するせつな。
私に、ラブの家に戻れって?どして?
だって私達はラビリンスに戻って、
四つ葉町に負けないくらいに、笑顔でいっぱいの国にするってそう決めた筈じゃないの。
なのに。

「……私は、ラビリンスに必要ないっていうの?」
「あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃなくてな、お前はこっちで……」
「いや、そうじゃない」

俯き、力なく眉尻を下げたせつなの言葉。
それに慌てて返事をしようとしたウエスターを遮って
サウラーが否定の言葉を割り込ませる。

「イース……君がこの半年の間、この町で何を学び、何を得たか。
 それを今の僕は理解しているつもりだ。
 その上で問おう、君にとっての幸せはなんだい?」
「私の幸せ?」

せつなの頭の中に、一瞬一人の少女の顔が浮かぶ。
だが、それを頭を振って否定、言うべきことを選び、言葉を作る。

「ラビリンスを復興させること。
 私達の故郷を幸せでいっぱいの国にする事……その為に頑張る事が私の……幸せよ」
「じゃあ質問を変えようか、君にとって一番大切な人は誰だい?」
「私の大切な……人」

サウラーの二度目の問いかけに、また一人の少女の顔がせつなの頭の中に浮かぶ。
再びそれを頭を振って否定しようとしたせつなだったが。

「……」

そうしようとした動きが止められる。
止めたのは、彼女の心の中にあるより強い気持ち。
彼女の心の中の大部分を占めている、その少女を想う気持ち。
そして、その気持ちに突き動かされるように、せつなの口が自然と動く。

「…………ラブ。桃園ラブ。私の大切な人……大好きな人は、ラブ」

名前を口にした途端、心の中が暖かくなる、
ラブを想う気持ちがその通りだと主張しているかのように、
心の中で熱を帯び、膨らんでいく。

「……ラブ」

もう一度名前を呼び、愛おしそうに自らの体を抱き抱える。
まるで目の前にその少女がいるのを抱き締めるかのように。

「そう、それもまた、君にとっての幸せだ」
「……!」

告げられた内容に、目を見開く。
そしてせつなが見たのは、サウラーとウエスターの笑顔。

「ラビリンスに戻って、一緒に幸せな国を作ろうとしてくれる君の気持ちは嬉しい。
 だけど、それが君自身の幸せを奪う事になるなら……僕はそれは望まない。
 ウエスター、君もそうだろ?」
「おう、勿論だとも!」

サウラーの問いかけに、ウエスターが力強く頷く。

「俺達はお前よりも長い間、過ちを繰り返して来た。
 だからこそ、もう二度と誰かの幸せを奪うような事はしたくない。
 まして……仲間のお前からなんて尚更だ!」
「サウラー……ウエスター……」

彼らの心からの言葉。それをせつなは嬉しく思う。
一度は敵となった彼らと、ここまで心を通わせる事が出来た事を。

「でも……私は、ラビリンスを」

それでも、せつなはためらう。
一度決意した事をそう簡単に覆していいものかと。

「ならこういう事でどうかな。
 君にはラビリンスの復興の為、この世界でもっと多くの事を学んで貰いたい。
 学校とかダンスとか、やり残した事もあるだろうし、
 君がまだ知らないことも沢山あるのだろう?
 それを充分に吸収したと思った時に、ラビリンスに帰ってくればいいさ」
「その通りだ、カオルちゃんのドーナツもこれからどんどん新作が出るだろうからな!
 俺の代わりにそのレシピ、貰っておいてくれ!」
「……」

二人からの提案に、せつなは黙ってしまう。
返事をすぐに返さないと言う事は、まだどちらにも心が揺れていると言う事。
ならばとばかりにウエスターが行動に出る。

「ああーっ!もう、まどろっこしい!お前、どうなんだ?
 キュアピーチの事、好きなんだろ?」
「……え?ええ……好き……よ」

面と向かって問われた事に対して、顔を赤くしてしどろもどろに答えるせつな。

「だったらさっさとそいつの所に行ってやれ、それっ!」
「きゃっ!」

その言葉と共に、ウエスターは文字通りせつなの「背中を押した」
押された事で、丘の上から何歩か下に降りる形になってしまったせつな。
必然的に、その視界に入る四つ葉町が近づく形になる。

(あ、私、四つ葉町に……ラブのいる所に、戻ってる)

そう思った途端、よろめきながら丘を下っていた足が、しっかりとした足取りに変わる。
最初は歩いて、途中からは走って、どんどん下って行く。

(ラブの所に……私は、帰る!!)

体の動きが心に伝わり、せつなの意思を確かなものに変えていく。
大好きなラブ。
大切な家族と、友達。
みんなと一緒にいる事が私の本当の幸せ。
でも、ラビリンスのみんなを幸せにする為には、
その幸せは諦めなければいけないと思ってた。
だけどいいんだ。だって前にラブが言ってたもの。
自分の幸せと、みんなの幸せ、どっちも諦めなくてもいいんだって。
もっと欲張りになってもいいんだって。
それを思い出させてくれたのは……。

ふと足を止め、丘の上を見る。
そこには、精一杯頑張って気持ちを押し殺しそうとしていた少女を見守る、二人の男の姿。
せつなは彼らに向けて手を振り、声をあげる。

「ありがとう……サウラー!ウエスター!」

その声に応えるように小さく手を挙げて見せるサウラー。
そして、

「おーい、ドーナツのレシピ、忘れるなよーーーーっ!」

対照的に大きく手を振りながら、声を張り上げるウエスター。

「勿論よーーーっ!精一杯集めておくから、期待してなさーーーーーいっ!」

もう一度手を大きく振り、大声で応える。
この世界の大切な人達と同じくらいに、かけがえの無い存在となった仲間達へ。
彼らへの感謝の気持ちを乗せた、満面の笑顔を見せながら。






「さて……俺達も行くとするか」

せつなが走り去ったのを見届けて、ウエスターは踵を返す。

「ああ、そうだね。それにしても……」
「何だ?」

途中で言葉を止めたサウラーに、ウエスターは訝しげな顔を見せる。

「最初の棒読み、あれはなんとかならなかったのかい?」
「うるさい。俺に演技を期待したお前が間違ってる」
「……まあそこは僕も悪かった。認めるとしよう。
 でも最後の力押し、あれもあれでどうかと思うけど」
「多少強引な方が女性には丁度いい、だ」
「……なんだかなあ」

苦笑するサウラー。
両手を横に広げてやれやれと肩をすくめてみせる。

「また君と二人だけの華の無い毎日になるのか……」
「そりゃーこっちの台詞だ。お前があいつをこの世界に残してやりたいなんていうから」
「君もそれには諸手を挙げて賛成したじゃないか」
「そりゃそうだが……」

サウラーの指摘に頭を掻きながら、罰が悪そうに応えるウエスター。
しかし、その表情がすぐに真剣なものとなり、小さな声でサウラーに問いかける。

「あいつさ……」
「?」
「これで幸せになれるかな?」
「そうだね。彼女が―キュアピーチがいるなら、きっと大丈夫だろう」
「……そうだな」

サウラーが言い切る。
それは願望でも憶測でも無く、先程せつながラブの名前を呼ぶ時の顔を見て判断したこと。
彼女達ならきっと大丈夫だと、そう思えたからの言葉。
それにはウエスターも頷いてみせる。

「不安かい?」
「い、いや~そんなことは」
「何なら時々、様子を見に来ようか」
「え?!それって、いいのか?」

思わぬサウラーの提案にウエスターは目を見開く。
そこに溢れんばかりの期待が篭っている事に、一寸嫌な予感が頭をよぎるが
一度口にしたからにはと、コホンと一つ咳払いをして続ける。

「一応これから僕らは国を代表する立場になるわけだから、
 そんなに頻繁にってわけにはいかないけどね」
「おおっ!てことはカオルちゃんのドーナツをまた食べられるわけだな。
 んん?だったらあいつにレシピの事頼まなくても自分で……」
「やっぱり君はそれか……」

呆れた顔でウエスターを一瞥すると、サウラーは歩き始める。

「お、おい、待てよサウラー、置いてくなって!」

先に行こうとする彼を慌ててウエスターは追いかける。
が、その途中で足を止め、振り返る。
視線の先には、先ほどせつなが去っていった幸せの町。
そこに向けて、ウエスターは声を掛ける。

「じゃあまたな、イース……幸せになれよ!」






せつなは走る。
四つ葉町へ、大好きなあの娘の元へ。
ちょっぴりバツが悪いけど、そんなのは些細な事。
だってこれからも、ずっと一緒にいられるのだから。
さあ、一刻も早く会いに行こう。
でも、どこへ?
決まってる。
私達が出会った場所、全ての始まりの場所。
あそこに行けばラブに会える。きっとラブがいる。
いつでも繋がっている私達の気持ちに従えば、決して間違いはない。

そして、せつなの視界に見えてくるのは、
クローバータウンストリートの中心にある天使の像。
そこに所在無げに立ち尽くしている、一人の少女。
彼女がふと、何かに気付いたようにこちらを振り向き、
その目が驚きで大きく見開かれたと同時に。

「ラブーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」

せつなは、彼女の胸の中へと飛び込んで行った。
最終更新:2010年03月10日 22:16