「あ……」
耳に飛び込んできた今年最初の蝉の声に、ラブはふと、顔を上げる。
青い空が、頭の上に広がっている。
どこまでも続く、この蒼の下に、けれど彼女はいない。
You, and.....
「夕方6時に、あの場所でね」
母のあゆみとそう約束を交わして、ラブは外に出た。眩い太陽の日差しに、目を細める。
今年も、暑さは厳しそうだ。
一人、ラブは商店街を歩く。
かけられる声に元気よく答え、服屋を覗き、小物屋で迷い、駄菓子屋でおばあちゃんとお話をした。
「今日は、一人なのかい?」
「うーん。まぁ、ね。皆、忙しいみたいだから」
蕎麦屋のお兄さんの問いかけに、ラブは笑って答える。ほら、もう皆、中三だから、と。
「そっか。受験前の夏ってわけだな――――けどそれなら、ラブちゃんはいいのかい?」
「アタシだって頑張ってるよ。けど今日はお休みの日!! たまにはのんびりしないとね」
「はは。ま、ほどほどにな」
そう言ってカブを走らせ行く彼に手を振り、見送った後、
「はぁ……」
ラブは一つ、溜息をついて目を伏せる。
熱く焼けたアスファルトの上を、蟻が列を作って歩いていた。何となくその先を眺めると、
「あらら」
彼女がこぼした駄菓子の粉に群がっている。そういえばよく、もうちょっと綺麗に食べなさい、って言われてたっけ。思い出した後、ポリポリと頬をかいて、
「えい」
ラブは、蟻の列を飛び越した。
ジャンプ!!
公園へと向かったラブは、カオルちゃんのドーナツカフェに顔を出した。
「おう、ラブちゃん!! 新作ドーナツ、試食してくかい?」
「うん!! ありがと、カオルちゃん」
思い切りかじりついたそのドーナツは、甘さの中にほろ苦さが混じっていて。
「これは?」
「コーヒー味」
正確にはコーヒー牛乳っぽい味。おどける彼に、ラブはもう、と笑って見せる。
「うん。美味しいと思うよ。美希たんが好きそうな、大人の味って感じで」
「そりゃ良かった。どうだい、もう一個、食べてくかい?」
「うーん、今日はやめとく」
「お代はいらないよ?」
「あはは、そうじゃなくって」
今日はこの後、家族みんなで食事会だからね。お腹いっぱいにしたらもったいないから。
そう言うと、なるほどね、とカオルちゃんは頷いた後、椅子を引いて彼女に向き合う位置に腰を下ろす。
「で? どうしたのさ」
「なんのこと?」
「元気、ないじゃない」
ぴん、とおでこを指でつつかれて、ラブは苦笑する。
「わかっちゃうんだ、カオルちゃんには」
「多分、みんな、わかってるんじゃない? ラブちゃん、わかりやすいもんね~」
「……そうかな?」
首を傾げて見せるが、カオルちゃんはただ笑うばかり。サングラスの向こうの瞳は、しかしとても優しいものだとわかって。
「美希ちゃんや祈里ちゃんにも言えないことなんでしょ」
「お見通しかぁ」
小さく苦笑して、ラブは視線を公園のステージに向ける。去年の今頃、ラブと美希、祈里の三人が、ダンスを教わっていたそこには、誰もいない。ミユキの姿も。
一応は、高校受験に向けて、ダンスはいったんお休みということになっている。なっているのだが――――
「美希たんもブッキーも、高校はエスカレーターだから。アタシだけなんだ、受験するのはさ」
「へぇ」
「一番ダンスをやりたいって思って、皆を誘ったのは、アタシなのにね」
言ってから、ラブはテーブルに突っ伏す。
美希タンはモデルのお仕事って言ってたかな。ブッキーは家で、お父さんお母さんのお手伝いしてそう。
けど二人とも、声をかければ、来てくれるだろうな。ミユキさんだって、たまにだけど、レッスンを付けてくれるし。
だから、会えないとか、ダンスが出来ないとかが辛いじゃなくて――――
「ねぇ、カオルちゃん。聞いてくれる?」
「なんだい?」
「あのね、アタシね――――」
ラブがふと時計を見ると、約束の時間が押し迫っていた。
思っていたよりも、話しこんでしまっていたようだ。
「アタシ、そろそろ行かないと」
立ちあがるラブに、カオルちゃんは優しい目で問いかける。
「吐き出して、少しは楽になったかい」
「うん。ありがと、カオルちゃん、聞いてくれて」
「いいってことよん。また今度、ドーナツ買ってってね」
もちろん。そう頷いて立ち去る彼女の背を見つめながら、彼は小さく呟いた。
「青春だねぇ」
グリル・クローバー。
青々とクローバーの緑が広がる小高い丘の上に、そのレストランはある。
坂道を歩くラブの足は、しかし、重い。
どうしても、思い出してしまうから。
一年前。笑顔と共に、ラブは彼女とこの坂を駆け下りた。
「ゆうごはん♪ ゆうごはん♪ みんなでおうちでゆうごはん♪」
あの時と同じ歌を、小さく口ずさんでみる。いや、歌なんてたいそれたものじゃない。ただの節だ。それでも、あの時は最高にいい歌だと思ったのだけれど――――今は。
「はぁ……」
わかって、いるのだ。
自分の今の元気は、空元気で。
本当は、少し落ち込んでいるのだということを。
こんな風になるなんて、ね。
心の中で、一人、呟く。
キュン、と心臓が締め付けられて痛い。
その症状が出るようになってから、どれぐらいが経つだろう。もう、わからない程、前からだろう。
空を見上げる。
綺麗な夕焼けが見えた。
赤。
彼女の好きな色。
けれどこの空の下に、彼女は――――せつなはいない。
元気に送り出そうと思った。
ラビリンスに幸せを広める。そう言うせつなを、止める理由なんて無かった。
笑顔で、行ってらっしゃい。
きっとまた、会えるから。
アタシはこの街で――――クローバータウンで、せつなを信じて待っているよ。
そう思っていたけれど。
ねぇ、せつな。
時々、お父さん、ケーキのお土産を、四つ買ってきちゃうんだよ。
お母さんはね、せつなの部屋を今でも毎日、掃除してる。勉強道具だって、本だって、そのまま。
アタシはね、アタシは――――
ありふれた言葉だけれど。
いなくなって初めて、せつながアタシをすごく支えてくれてたんだってわかったよ。
せつなに笑顔をもらってたって、わかったよ。
ポトン、と土の地面に雫が落ちた。
それは、ラブの瞳から溢れた――――
会いたい。
会いたいよ、せつな。
会えないのがこんなに辛いなんて、知らなかった。
信じて待ってるのが、こんなに苦しいなんて、知らなかった。
知ってたら、知ってたらせつなを――――!!
ううん。多分、無理だったろうな。
せつなが、自分で選んだ道だもの。自分で決めたことだもの。止められるわけがない。
――――ああ、お母さんも、こんな気持ちだったのかな。アタシ達が、ラビリンスに行くと決めた時。アタシ達が決めたことを尊重してくれたけれど――――本当は、すごく辛かったんだね。
痛む胸を抑えるようにして、ラブはその場にしゃがみこむ。
涙はボロボロと溢れて、こぼれて。
せつな。せつな。
痛いよ、心が。
せつなが足りなくなってるよ。
今日はね、せつなが家に来ることになってから、ちょうど一年目の日なんだよ。
お父さんもお母さんも、それを覚えてる。忘れてない。だから、今日、皆でお食事をしようって。あのレストランで、桃園家恒例の外食をしようって。
だからかな。すごく、ここにせつながいないことが、辛い。
でもね、平気だよ、せつな。
本当はね、本当は――――こんな風に、何度も泣いちゃったことがあるんだ。
けれどね、その度に、せつなの笑顔を思い出すの。きっと、今も、笑顔だって信じてる。
その笑顔に励まされて、アタシは頑張ってる。頑張れる。
だから――――平気だよ、せつな。
泣くのは、ほんのちょっと――――ほんのちょっとの間だけだから――――
「ラブ?」
不意に聞こえてきた声は、ラブを驚かせるのに十分なものだった。
「ラブ――――泣いてるの?」
心配そうにする少女。彼女は、ゆっくりと振り向いた。
真っ赤な太陽を背に受けて、その姿はシルエットで――――けれど、すぐに目が慣れていく。
そこにいたのは――――夕日と同じ、赤の服を身にまとっていたのは。
「せつ、な――――?」
東せつな、その人だった。
この数か月で、ラビリンスの復興もだいぶ進んでね。といっても、つい最近までバタバタしてて、こっちに来れる余裕なんて無かったんだけど。ようやくちょっと落ち着いたから、久しぶりにこっちに来てみようかな、って――――
「って、ラブ!?」
彼女が、何か色々と説明していたような気がした。したが、ラブには聞こえていなかった。
ただ、せつなの存在しか、その心の中にはなかったから。
ようやく、彼女が本物だとわかった以上――――次にすることは、決まっている、それは。
抱きしめること。
「せつなぁ」
ギュッ、と強くしがみついてくる彼女に、最初は戸惑っていたせつなも、やがてその顔に笑みを浮かべ、
「はいはい。相変わらず、泣き虫ね」
そっと彼女の髪を撫でたのだった。
「せつな、また、戻っちゃうの?」
「うん。けど、一週間ぐらいはこっちにいようかな、って思ってる」
「そっか、良かった!!」
「で、ラブがここにいるってことは、今日はあの日なんでしょ?」
「うん!! 桃園家恒例の外食デーだよ!!」
「ね、ラブ」
「なぁに、せつな?」
「私――――まだ、桃園家の一員、よね?」
「あったりまえじゃない!! せつなは、アタシ達の家族だよっ!!」
「家族――――嬉しい」
「うん、アタシも嬉しい!! えへへ、せぇつな!!」
「なによ、ラブ」
「お父さんよりも、お母さんよりも先に……一番に、言っちゃうね!!」
お帰りなさい!!
最終更新:2010年02月08日 21:46