避-954

春。
出会いと別れの季節。
そして、新しい始まりの季節。
新しい生活の、人生の起点としてこの季節を意識する人も少なくないだろう。

満開の桜並木の中、学校へと続くこの一本道を歩く少女もその一人だった。
その内気な性格を象徴するかのような、厚いレンズの丸眼鏡を掛けた赤髪の少女。
祖母と一緒に暮らすことになって、この街にやってきた彼女は今日が転校一日目。

(私、変わります!変わって見せます!!)

これを機会に内向的な自分を変えたいと思っている彼女にとって、
大事な大事な始まりの日。
その一日に大成功をもたらす為にと、先程から少女は桜並木の下の花壇の中を見回り、
あるものを探していた。

「!」

やがて目当ての物を見つけると、駆け寄り、しゃがみ込んでそれをじっと見つめる。

「ありました、四葉のクローバーです。花言葉は幸福!」

探していた物は四葉のクローバー。
突然変異種の為に滅多に見つからないそれは、故に幸福のシンボルとされている。

「クローバーさん、私のお願い、叶えてください!」

そして、少女がそれを求めたのも、その言い伝えがあるから。
この幸福の象徴に願えば、きっと、自分は変われると。
願いを込めて、その四つ葉の葉の一片をそっと弾く。






「……え?」





瞬間、世界が一変する。
目の前のクローバーも、桜並木も、行き交う人の姿も消え失せ―。

「丘の……上?」

少女がいたのは、高い丘の上。
辺り一面には日が降り注ぎ、その中で白い花が咲き乱れている。
そして眼下には、遠く広がる町並みが見て取れる。

「どこですか……ここ?」

見覚えの無い場所だ。
この丘も、この景色も、今までの彼女の生きてきた記憶の中に該当するものは無い。

「でも、なんだか……素敵な場所ですね」

太陽の光を一杯に浴びて輝く周囲の花々。
見下ろす街の中を行き交う人々の姿。
知らない場所だが、訪れるものが何者であっても優しく受け入れてくれる、
そう思える場所。
ふと、周囲に咲く花々の姿が少女の目に留まる。
花好きの少女は、すぐにその名前に思い当たる。

「シロツメクサ……クローバーの別名……でもなんで?」

シロツメクサが花をつけるのは5月から9月の間。
桜咲くこの季節には、このように満開になることなど無い筈なのだが。

「それはね、ここが幸せの町だから」

それを疑問に思った少女に、背中から掛けられる声があった。


「!」

声のした方に、振り向く。

「……?」

そこにいたのは、一人の少女。
何処かのアイドルのようなフリフリのついたピンク色の服を着て、
ツインテールで束ねられたその金色の髪を腰まで伸ばしている。
そして特徴的なのは、ツインテールを束ねている大きなハートマークと、
胸元に付けられた四つ葉のクローバーを思わせるアクセサリ。

「あの……貴方、誰ですか?」

知らない人。
だけど、誰かに似ている気がする。
姿格好は違えども、目の前の少女は、
夢の中で戦っていたあの人に雰囲気がなんとなく似ているような。
その思いが少女に声を出させた。
しかし金色の髪の少女は、その問いには答えずに、

「貴方が……次の子なんだね」

柔らかい笑みと共に、そう彼女に告げた。

「次……?」

そう言われた事で、少女はある事実に気付く。
今まで新しい学校の制服を着ていた筈の自分の姿。
それが変化していることに。

(な、なんですか……これ?!)

目の前の金髪の少女と同じく、フリフリの付いた衣装。
自分のは白と赤を基調にしており、体のあちこちに花の形をした飾り。
そして胸元には大きなリボンがあしらわれている。

「コ、コスプレですかーーーっ!」

着替えた覚えも無いのにこんな格好をしている自分に混乱して、戸惑う。
そんな少女の元に、金髪の少女が歩み寄って来た。


「あ、あの……」

間近でじっと顔を見つめられる。
その事で緊張を得た少女の体と心を解きほぐすかのように、
金髪の少女は顔を崩し、笑顔で声を掛けてきた。

「ね、知ってる?四つ葉のクローバーのそれぞれの葉の意味」
「え?えっとぉ……」
「愛、希望、祈り、幸せ、その4つのハートが四葉のそれぞれに込められているんだよ」

少女の回答を待たずして、自分で答えを告げる金髪の少女。
彼女は少女の右手を掴み、体の前に導くと、
自らの右手に持っていたものをその手の平の上に置く。

「これって……」

渡されたものを見る。
それは、今まさに意味を問われた四つ葉のクローバーそのもの。

「あげるよ」
「え、でも、こんな貴重なもの」

受け取れない。
そう言って返そうとした少女の動きが止められる。
金髪の少女の、見るもの全てを包み込むような慈愛の視線によって。

「いいんだよ、これからの貴方には必要だと思うから。
 その代わり、これだけは忘れないで。
 そのクローバーで言うなら、あたしも貴方も、一つの葉に過ぎないと言う事を」
「……」
「一人で頑張ろうとしても、どうしても出来ることには限界がある。
 でも、他の葉と一緒になれば、ハートを一つにすれば、奇跡を起こせる。
 4つのハートを一つにすれば、どんな困難も乗り越えられる」
「4つの、ハート?」
「貴方にもいるんじゃないかな、4つじゃないかもしれないけど……
 ハートを一つに出来る、大事な仲間が」

そう言って金髪の少女は、胸元の四葉のアクセサリにそっと触れる。
それが彼女の大切な人達との絆だと言わんばかりに、愛おしそうに、優しく撫でる。


「仲間、ですか……」

少女は思う。
彼女が何を言いたいのか、その全部は理解出来ない。
でも、大事な事を伝えてくれているという事はわかる。
一人では出来ないこと、仲間がいれば出来ること。
それはきっと、彼女の願い―変わりたいという事―とも無関係では無いだろう。
だから、答えてみせる。
大事なものと、想いを伝えてくれた彼女へと、精一杯の気持ちで。

「はい!今はまだいるかわからないですけど……きっと見つけてみせます!」
「ん、いい返事」

答えに満足げに微笑むと、金髪の少女は再び歩み始める。
すれ違い様、少女の肩をポンと、優しく叩くと

「じゃ、頑張ってね」

そう告げて、少女の脇を通り、彼女に背を向ける方向へと進んでいく。

「あ、あの、待ってください!まだ……」

名前も聞いていないし、クローバーのお礼も言っていない。
そう思って呼び止めようとした少女だったが。

「!」

突然、赤い光が発生する。
その光は金髪の少女を中心に発生し、周囲に広がっていく。
そして光が金髪の少女の姿を覆い、その姿が徐々に見えなくなっていく中で、少女は見た。
赤い光の中からもう一人、光の色と同じ、赤い服を纏った少女が現れ、
金髪の少女に寄り添い、共に歩み去っていくのを。

(あれが、あの人のハートを一つに出来る仲間、なんでしょうか?
 なんだか……うらやましいです)

そう思った瞬間、再び世界が一変する。





「……え?」

ふと気が付くと、そこは通学路の花壇の前。
少女は、先程願いを掛けた四葉のクローバーの前にしゃがみこんでいた。

(な、なんでしょうか……今のは)

思い返しても不思議な光景だった。
明らかに今とは違う場所にいて、妙に現実感があって。
でも、今ここにいるということは、やっぱり現実では無いわけで。

(白昼夢……ってわけじゃないですよね)

だとしたら問題だ。
転校初日から通学路の途中で、しかもこんな姿勢で眠り込んでしまうなんて。
変わりたい、という願いがプレッシャーになっているのだろうか。
そう思って頭を抱え込みそうになった彼女は、あるものに気付く。
右手に握りこまれていた、それに。

「え、嘘……」

開いた手の中にあったのは、四つ葉のクローバー。
先程、丘の上で金髪の少女から渡されたもの。
それがここにあると言う事は。

(夢じゃ……ない?!)

願いを掛けた方のクローバーはちゃんと花壇にある。
周囲に同じ四つ葉のクローバーは無かった筈。
だからこれは、間違いなく彼女に渡されたもの。


「じゃあ、あれは一体?」

ここじゃない場所、知らない人だけどよく知っているような少女。
夢じゃないとすると一体なんなのか。

「……」

考えてみても、今の少女には明確な答えを出せるはずも無い。
だから、彼女の思考はあるものに結び付けての納得を得る事にした。

(……もしかして、クローバーさんに願ったから?)

シロツメクサが一面に生えた場所に、
クローバーのアクセサリを胸に着けた少女。
そして、クローバーに願いを掛けた自分。
それにクローバーが答えてくれたのだろうか。
いや、きっとそうに違いないと。

(だったら、私も頑張らないと)

クローバーが応えてくれたのだから、幸福を味方に付けた様なものだ。
だとしたら後は自分次第で、願いはきっと叶う。
きっと、私は変われる。
そう思った少女は、決意を込めて、すっと立ち上がる。

「よーし、頑張るぞ!オー!!」

気合と共に両手を広げ、声を張り上げる。

(よしっ!!)

心の中で更にガッツポーズ。
幸先の良いスタートを切る事を出来たと、自身に喝采を送る。
しかし。


「……あ」

行き交う人の多いこの場所で、大声で叫ぶ。
それによって否応なしに注目を集めてしまった事に気付く。
同じ制服を着た生徒達の視線が自分に向けられ、時折笑い声も聞こえてくる。

「うう……」

湯沸かし器のように瞬間で赤くなる少女の顔。
この場にいることがいたたまれないとばかりに、そろそろと数歩を歩み出すと、
そこからは勢いをつけて、脱兎の如く学校へと走り去るのだった。





そして、一部始終を見守っていた花壇の四葉のクローバーが
風も無いのに、数度その身を揺らす。
走り去った少女の様子を可笑しいと笑うように。
そして、彼女に頑張れとエールを送るかのように。
最終更新:2010年03月25日 19:37