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リィーン、リィーン、リィーン

鈴虫の歌声が耳に心地良い。
日が沈むのが早くなり、空気はひんやり肌を撫でる。

食欲の秋、スポーツの秋、そして、わたしは創作の秋。
さあ、一足早い冬支度。頑張らなくっちゃ!

編み棒を出した矢先に鳴り響くリンクルン。せつなちゃんからだった。



ピンポーン

一夜明けた土曜のお昼過ぎ、せつなちゃんがやってきた。
紺のベストに赤いシャツ。手に持った、大きくふくらんだ赤い紙袋。

「こんにちは、ブッキー。突然お願いしちゃってごめんなさい」
「いらっしゃい、せつなちゃん。さあ、お部屋にどうぞ」

マフラーの編み方を教えてほしいの!
お茶とお話もそこそこに、せつなちゃんが真剣な表情で訴える。
わたしは真似しやすいように、せつなちゃんと肩をくっつけて座った。


糸のかけ方~作り目
鎖編み
わの作り目
細編み
長編み

実演しながら丁寧にコツを教える。
素直に頷き、信じられないくらいの早さで覚えていく。

せつなちゃんの表情は真剣そのもの。
一生懸命で、すごく集中していて、それでいてどこか楽しそうで。

(ラブちゃんや美希ちゃんとなら、おしゃべりばかりでこんなに進まないだろうな)

何にでも一生懸命で、ひたむきなせつなちゃんがまぶしかった。


「本当に何でも出来るようになっちゃうのね、せつなちゃんて。
でも、どうしてわたしに? おばさんのほうが上手なのに」

「ありがとう。ブッキーの教え方がいいからよ。
ラブに内緒で編みたいから。おかあさんに教わるわけにはいかないの」

ちょっと余裕が出てきたのか、おしゃべりの相手もしてくれるようになった。
ラブちゃんに何かお礼をしたい。だけど、そんなにお小遣いもないから、毛糸を買って編み物
をするんだって。

二人きりで静かな部屋の中。普段聞きにくいこともすんなり尋ねられた。
ラブちゃんは、起きている間はずっとせつなちゃんを側から離さないらしい。
だから寝静まってから、少しづつ編むんだって。今から始めないと間に合わないんだって。

まったく、もう。口を尖らせてべったりなラブちゃんを語るせつなちゃん。
でも、その表情は嬉しそうで。幸せそうで。誇らしそうで。とても――うらやましかった。


毎日が楽しくて仕方が無いんだって。目を覚ますたびに、夢じゃないかと疑うくらいに。
だから、この幸せが続く間は頑張りたいんだって。続けられるように精一杯頑張るんだって。
わたしたちには当たり前の日常。それが、せつなちゃんにとっては非日常なんだ。
ずっと――続くなんて、信じていないんだ。それが、少し悲しかった。

神父様が言ってたよ。幸福と不幸は交互に訪れるって。
今まで辛い思いをしたせつなちゃんには、この先ずっと幸せが続くと思うの。そう伝えた。
せつなちゃんは少し驚いた顔をして、そして微笑んだ。精一杯がんばるわって。


勇気、出さなきゃね。わたしも頑張るね、せつなちゃん。

今の幸せに、甘えない。
今年こそ――想いを伝えるの。
わたしの――――大好きな人に……。







冬物の新作を見に行こう。
嬉しそうな美希ちゃんの提案に、もちろんわたしは頷いた。

コート。ジャケット。パンツ。そしてさまざまな小物。
その一品一品に目を輝かせながら組み合わせを楽しむ。

美希ちゃんはとても綺麗。ただ歩いているだけで大勢の人の目をひきつける。
すらりと伸びた手足は、どんな衣装の魅力もあまねく引き出す。
試着を終えるたびに、色んな花を咲かせる美希ちゃんが誇らしかった。

「これなんて、どうかしら? ブッキー」

その言葉には、期待が込められていて。
もちろん美希ちゃんが選んで身につけたもの。似合うに決まってる。
わたしが見るのはお洋服じゃない。美希ちゃんの表情と声の調子。
一番気に入ってるものを見つけて、背中を押すの。

「すごく似合うと思うよ。美希ちゃん、完璧!」


洋服が表現なら、アクセサリーは象徴よ。そう言って今度は小物なんかを探して回る。
イヤリング一つを取っても、絶対に妥協はしない。選ぶ目は厳しく、表情は輝いていて、身に
つけて披露する姿は、自信に満ちていた。

紺のコート。青いシャツ。水色のブラウス。赤いイヤリングに黄色いブローチ。
美希ちゃんは、その名の通り青系統の色を好む。
クール、スマート、人目を引きやすく、集中力を高める色。

わたしは黄色。寒色を癒す柔らかい暖色。主張しすぎず、青を引き立てる色。優しく見える色。
一緒にいて、一番自然な色。
小さな主張として、白地に青のストライプの入ったジャンパーを買った。


「やっぱり、青が好きだね。美希ちゃん」
「そういうブッキーも、黄色がメインじゃない」

「うん、でも、美希ちゃん。この前まで赤い服も着てたよね」
「あれは、まあ……せっかくせつなが選んでくれた服だしね」

「ふ~ん、せつなちゃんの言うことはよく聞くんだ」
「妬いてるの? もちろんブッキーが選んでくれたらどんな色でも着るわよ」

(だから、困るんじゃない……)

心の中で、そっとつぶやいた。



わたしは美希ちゃんのおしゃれに割り込むのが怖い。とても、大切なことだと思うから。
でも――せつなちゃんが選んだ服を、誇らしげに着る美希ちゃんを見て……。

本当は、ちょっとうらやましかったんだ。

せつなちゃんは、美希ちゃんの選んだ服にことごとく首を振ったらしい。
「イマイチね」だって。思い出して笑いそうになる。
その時の美希ちゃんの顔、ちょっと見てみたいな。
そして、その役はわたしがやってみたかったな。――出来るわけ無いけど。
わたしの選んだ服を着てほしかったな。

ふと気がつく。信じられない――わたしはせつなちゃんにも嫉妬してるんだ。
羨むような幸せなんて、何一つ持っていない子なのに。
みんな、せつなちゃんが好き。ラブちゃんはもちろん、美希ちゃんも引き寄せられるように親
しくなってきている。
わたしも――せつなちゃんが大好き。
でも、美希ちゃんの心が、一番近いところにいられる権利が、奪われてしまう気がしてちょっ
と怖かった。







美希ちゃんと別れ、帰宅する。

クローゼットを開く。その奥に隠された秘密の収納ケース。

マフラー、帽子、手袋、ミトン、セーター、カーディガン。青や水色で編まれた手芸品の数々。
中には、もう着られそうにないくらい小さなものもあった。

毎年、この季節になると編み物を始める。全て自分でデザインしたもの。
用意された編み図なんてありはしない。
世界でただ一つ、美希ちゃんのためだけに紡がれる編み物。

何度も製図を書き直して、何度もほどいて、時間をかけて編んでいく。気持ちを込めて編んで
いく。
これがちゃんと素敵な作品に仕上がったら、プレゼントするの。そして告白するの。

「美希ちゃんが好きです」って……。


でも、渡せたことは――いちども無い。
だから――毎年たまっていくの。

渡せない――――贈り物が。
伝えられない――切ない想いが。


渡せばきっと、美希ちゃんは喜んでくれる。それがどんなものであったとしても。
大切な一年の、大切な冬が台無しになってしまうかもしれない。
簡単なことじゃないんだ。美希ちゃんに服をプレゼントするのって――。

ううん。本当はそれは言い訳。
きっと、勇気がないんだ。
友達を、幼馴染を超える勇気が無いんだ。
それを、編み物の出来のせいにして逃げてるんだ。

でも、もう逃げない! せつなちゃんの勇気を見習うんだ。
譲れない。美希ちゃんだけは、たとえせつなちゃんでも。


山と積まれたファッション雑誌をパラパラとめくる。
この目で見てきたばかりの売れ筋と、美希ちゃんの反応を思い出す。
イメージを描き、ノートに滑らせる。

とびきりの笑顔で渡すために。勇気を出して伝えるために。最高の作品を編みあげるんだ。
お互い、精一杯頑張ろうね。せつなちゃん。







そして、一ヶ月後。

「できたっ!」

えへへ、わたし、完璧。
綺麗な水色の毛糸で編んだセーター。模様もサイズも編み方も、思わず笑みがこぼれるほど
の仕上りだ。
丁寧に折りたたんで紙袋に入れる。

――気に入ってくれるかな?
それは大丈夫。うん、わかってる。問題は――その後。

美希ちゃんが一番大切にしている部分に切り込む。それは――ファッション。
そのために始めた裁縫。編み物。
そして想いを伝えるの。十年間の片思いに終止符を打つんだ。
幼馴染から一歩進んで、ただ一人の、特別な存在になるの。
いいよね? だって、わたしにはずっと前から特別な存在だったんだもの。

わたし、信じてる。信じさせてね、美希ちゃん。――大好きだから。







いつもの公園。少し人通りの少なくなった日曜日の夕方。

「どうしたの? ブッキー。こんな時間に呼び出して」
「あのね、美希ちゃんに渡したい物があるの。これ――良かったら着てほしいの」

普段から薄着の美希ちゃん。流石に少し寒そうに身を竦めている。
その体を温かくしてあげたい。早く――着てほしいな。

美希ちゃんが紙袋を開けて中身を取り出す。わたしの心臓が激しく高鳴る。
手編みのセーターを見て目を丸くする。そして、嬉しそうに笑ってくれた。
軽くセーターを抱きしめてから、すぐに着てくれた。

「あたたかいわ。それに、デザインが素敵。サイズもバッチリ。完璧ね。
大事に着るわね。――ありがとう、ブッキー」

「うん、気に入ってもらえてよかった。わたしこそありがとう、美希ちゃん」


そして、深呼吸する。ここからが――本番。

「あのっ、あのねっ、美希ちゃん」
「どうしたの?」


(わたしね、ずっと前から美希ちゃんのことが好きだったの。友達としてじゃなくて……)


「………………………………………」
「どうしたの? なにかあったの?」

体が震える。言葉が全然出てこない。
体が意志とは裏腹に口にすることを拒絶する。
希望が恐怖に塗りつぶされ、自信は失望に取って代わる。

あれほど――ずっと前から決めていた誓いだったのに……。

言葉の代わりに涙が出てきた。美希ちゃんが心配そうに覗き込んでいる。

ダメ――いえない――言えないよ――どうして……。

自分が情けなくなって、悲しくなって、涙が止まらない。

「困ったことがあったなら、話してみて」

話すって何を? 話せないから悲しいのに……。
わたし――今まで何やってたんだろう。編み物って何だろう。
告白する勇気がないのをごまかしていただけ。
先延ばしにしていただけじゃない!

「ごめんね……美希ちゃん。わたし……」

二歩、三歩後ずさりする。そのまま居たたまれなくなって逃げ出そうとした。

「待って!」

美希ちゃんがわたしの手をつかんで引き寄せる。バランスを崩した先には――美希ちゃんの胸
があった。

「話したくないならいいわよ。この服はあったかいんだから……。おすそわけよ」

そう言って抱きしめてくれた。自分で編んだセーターに抱きついて、しばらく泣いた。


引っ込み思案、直ってないな。わたし――全然ダメだ。
信じてるなんて、口ばかり。信じるってことの大変さを思い知る。

(ねえ、せつなちゃん。わたし、せつなちゃんみたいに、なれなかったよ)

「えへへ、何でもない。なんか感傷的になっちゃって。ごめんね美希ちゃん、帰ろう」







遠くから聴きなれた声がした。


「あ、美希た~ん。ブッキー。いたいた~」
「二人に用があったの。電話しようかとも思ったけど、なんだかここに居るような気がして」

ラブちゃんとせつなちゃんが駆けて来る。せつなちゃんの手には二つの紙袋。

「今日編みあがったの。美希とブッキーに、私からの日ごろの感謝の気持ちよ。受け取って!」

美希ちゃんと顔を見合わせて紙袋を開ける。どんな服にも合うようにって、お揃いの真っ白な
マフラー。
よく見たら、ラブちゃんも同じマフラーを首にかけていた。



これを――わたしに? 

わたしの分も、美希ちゃんの分も――編んでいたんだ……。
ラブちゃんへのプレゼントだとばかり思っていた。

だから――あんなに早く編み始めたんだ。
わたしたちのことも――考えていたんだ。

自分が情けなくなる。
せつなちゃんは――みんなを愛していたのに。

マフラーを首にかけた。やわらかくて――あたたかくて。

(あたたかいよ……せつなちゃん)

また――涙が滲んできた。


「もう、さっきからブッキーは泣きすぎよ!」

そう言う美希ちゃんも、プレゼントが続いたためか少し涙声だった。

「ありがとう、せつなちゃん」
「大事にするわね、せつな」

「どういたしまして、これからもよろしくね。美希、ブッキー」

せつなちゃんも本当に嬉しそうだった。
わかるよ。プレゼントって、あげる方ももらう方と同じくらい嬉しいよね。

「せつなはね、おとうさんとおかあさんにも編んでたんだよ。凄いでしょ。
おとうさん達の分には、ありがとう、おとうさん、おかあさんって刺繍してあったの」

二人とも泣いてたんだから、とラブちゃんが自慢げに話してくれた。
せつなちゃんは顔を真っ赤にして、「言わないって約束したじゃない」とぽかぽかラブちゃん
を叩いてる。



せつなちゃんの優しさが身に染みた。

「そう言えば、せつなの分はないの?」

美希ちゃんが尋ねる。マフラーをしていないのはせつなちゃんだけだ。

「私の分は……毛糸が足りなくなっちゃったの。次のおこづかいが出たら作るから平気よ」

自分でもびっくりするくらい言葉が早くでた。

「待って、せつなちゃん。そのマフラーはわたしに編ませて。ちゃんとお揃いで作るから。
お願い!」

「え……でも悪いわ」そう言って断ろうとするせつなちゃんを無理やり説得する。


「良かったね、せつな。それまでは……」

ラブちゃんが、マフラーを半分外してせつなちゃんの首に一緒に巻いた。

「あ~あ~見せつけてくれちゃって、ノロケにきたんじゃないでしょうね」

美希ちゃんが負けじとわたしの手を握ってくれた。温かかった。


うん、これも――幸せ。ううん、これが――幸せ。

満たされた気持ちで帰路につく。

今は幼馴染。大切なお友達。かけがえのない仲間。それでいい。

大事に育てて、大きくして。いつか、伝えるからね。美希ちゃん。



みんな――――大好き。
最終更新:2010年05月23日 21:35