み-90

祈里は水にミルクを流し込んだような乳白色に煙る世界に佇んでいた。
ぼんやりと霞む果ての見えない視界は広いのか狭いのかすら分からない。
自分の体の輪郭すら曖昧になりそうな濁りの中。何故こんなところに、と言う疑問すら頭に浮かばない。
その霞の中に自分以外にも誰かいるらしい気配を感じた。

(せつな…ちゃん…?)

何かに追い立てられている。切羽詰まった、青ざめ、怯えた表情。
霧の中から伸びる腕がせつなを絡め取ろうとしていた。
振りほどこうと必死にもがくせつなを抱きすくめる体。
せつなの姿ははっきりと見えるのに、不思議と相手の姿は人だ、と言う事は分かるが
何故かしっかりと像を結んでくれない。
曖昧な輪郭の腕がせつなの肌を露にしていく。
もがき、抵抗する彼女から容赦無く衣服を剥ぎ取っていく。
せつなは引き倒され、影がのし掛かる。
柔らかく震える胸が揉みしだかれ、その形を変える。
泣き叫び、涙を溢れさせるせつなは助けを求めるように
白い肢体をくねらせていた。

(やめて!やめて、せつなちゃんが…!)

助けに飛び出したいのに祈里は金縛りに合ったように指一本動かせない。
すぐ目の前で汚されてゆくせつなをどうしてやる事も出来ない。
すらりと伸びた足を強引に開かされ、その間を煽られている。
せつなは喘ぎ、咽び泣き、だんだん抵抗が弱々しくなっていく。



(やめてやめてやめてやめてやめて……)


祈里の頬を涙が焼いてゆく。


どうして動けないの?声すら出せないの?
やめて、せつなちゃんをこれ以上傷付けないで。
やめて、お願いだからやめて。何でもするからせつなちゃんを助けて。


影はすっかり大人しくなったせつなの腿の間に顔を埋める。
せつなは苦痛に耐えるように顔を歪ませ、何度も体を跳ねさせる。
やがてせつなの背が大きく弓なりに反り、か細く痙攣した。
ぐったりと力を無くした彼女は声もなく、ただ涙を流し続けていた。


(どうして…、せつなちゃん、どうしてこんな……)


祈里は為す術も無く、呆然と立ち竦むしかなかった。

(酷い…。許せない…、誰がこんな…!)


胸を内側から焼き尽くすような怒り。
恋い焦がれる相手を欲しいままに蹂躙された絶望。
そして、自分の手の届かない物を弄んだ見えない者に対する気が狂いそうな…嫉妬。


しつこくせつなの秘所に貪り付いていた影がゆっくりと顔を上げる。
どれほど目を凝らしても見えなかった人影がその輪郭を明確にしていく。
やがて、「それ」は祈里の視線と交差する。


祈里は息を飲み、そして心臓が止まりそうな衝撃に全身を揺さぶられる。


せつなに凌辱の限りを尽くしていた淫猥な影。
肉欲に溺れ切った崩れ果てた表情。
しかしそれは、紛れもなく祈里そのものの顔だった。



(………また、あの夢……)


祈里が目尻に手をやると、そこは現実の涙が幾筋も流れている。
ベッドに接した面は嫌な汗に湿り、背中に張り付いたパジャマが不快だった。
「あの事」があってから繰り返し見る夢。
飽きるほど見てる筈なのにどうして夢の中では気付けないのだろう。

寝返りを打ち、涙を拭う。
忙しなく脈打つ鼓動を収めた乳房を掴み、幼顔には不似合いな自分を嘲る笑みを浮かべる。

何故あんな夢を?本当は分かってる癖に。

忘れたくないから。忘れる気なんてない。忘れられる訳がない。
彼女の肌。彼女の匂い。彼女の味。
焦がれて焦がれて、許されない罪を犯してまで手に入れた記憶だ。
だから繰り返し反芻する。記憶が薄れてしまわないよう。
祈里は下着の中に指を潜り込ませる。
熱くぬかるみ、慰めを求めて疼く場所。ゆっくりと、望む刺激を与えてやる。


(せつな…ちゃん…)


背筋を駆け昇る背徳感を纏った快楽。
いつもの手順だ。夢でせつなを犯す。目覚めた後は己の指で体にその感覚を染み込ませる。
もう二度と触れられない。触れてはいけないから。
だから繰り返し繰り返し、心と体の記憶を上書きしていく。


(せつなちゃん、せつなちゃん、せつなちゃん……)


大きく震え、達した後に襲ってくる途方もない罪悪感と、己への嫌悪感。
自分は何をやっているのだろう。
地の底を這いずり回る虫けらよりも卑しく醜悪な自分。


やめて。
酷い。
許せない。


笑わせてくれる。


夢とは比べ物にならない程の恥辱を実際にせつなに与えたのは誰なのだ。
夢の中で感じた、心身を焼き尽くす苦痛。
それを現実の世界でラブに味わわせたのは誰なのだ。


穢れた快感の余韻に漂う体。
白み始めた空。そこから降り注ぐ朝日も浄化してくれはしない。
いっそ吸血鬼のように灰になってしまえればいいのに。
涙と自分を嘲笑う嗚咽は止まらない。


それでもまだ、離れる事は出来ないだろう。
せつなが親友としての祈里を求めているからではない。
自分自身が追い求めているから。
触れられなくても。嫌悪されても。例え、消えてなくなれと罵られても。


彼女の姿を見ていたい。


偽りの微笑みでも、彼女がそれを欲してくれるなら。
どれほど浅ましい存在に堕ちようとも、しがみつかずにはいられないから。


自分にはもう、神に祈る資格すらないのかも知れない。
それでも祈る。


どうか、今日も微笑みを。

この劣情を覆い隠す微笑みを浮かべる事をお許し下さい、と。





み-100
最終更新:2010年06月21日 22:49