み-232

 アカルンを起動したせつなが、祈里を連れて来た場所。
 そこは海だった。
 優しく打ち寄せる波が、夕焼けに紅く染められていく。水平線には今にも陽が落ちようとしていた。
 せつなは心の中で呟く。
 美希、疑ぐった上に置き去りにしちゃってごめんなさい。ラブ、私たちのことを考えてくれてあんな嘘を……。ふたりとも、ありがとう。

「ここは……?」

 祈里はキョロキョロと廻りを見渡すと、せつなに向き直した。

「覚えてる?一年くらい前に来た場所よ。
 私にとって、とてもとても大切なところよ」

 せつなは祈里を見つめながら、話し始める。

「あの日、あなたはあたしに優しくしてくれた。笑ってくれた。一緒に踊ってくれた。
 あの時から、私の胸の中には……ずっと、あなたがいた」
「せつなちゃん……」
「ほんとうはね、あなたを連れてきて、ここで言うつもりだったの――――私の本心を。さっきの場所じゃなく」

 少しでも時間があればここに来て、何度も何度も練習していた言葉。
 せつなはそれを頭に思い浮かべる。
 ずっと胸に抱いていた思いを、今、余すことなく祈里に伝えたい。

「祈里、あなたがいてくれれば、私どんなことだってできるわ。
 逆に、あなたがそばにいなかったら……そう考えるとすごく怖くなる。
 それだけ私にはあなたが必要なの。だから……これからも、ずっと一緒にいてほしい」

 祈里は喉元に手をあてた。胸が痛いくらいに熱い。
 嗚咽が込み上げ、息ができない。何も言えないことが、こんなにももどかしくて、心苦しいなんて。

「わ、わたし……」

 しゃくり上げて涙で瞳を濡らしている祈里を見ていれば、せつなには彼女の言いたいことがすぐに理解できた。

「イエスなら、ただうなずいてくれればそれでいいわ」

 祈里は慌ててうなずく。真ん丸に見開かれた大きな目に、せつなが映り込んでいる。



 せつなは不思議だった。想い出の場所で、祈里の瞳に映る自分をこうして見つめている。
 そうして、目の前にいる祈里もまた、せつなの瞳に映る自分を、恥じらいながら見つめていた。

 誰もいない波打際で、ふたりの少女の影が、ゆっくりと近づいていき、やがて重なり合った。
 初めて触れるくちびるの柔らかさに戸惑いながらも、ふたりはこれ以上ないくらいの幸せに包み込まれていた。



 くちびるが離れても、身体は離れることはなく、まだ互いを強く求めるかのように抱きしめ合ったままのふたり。

「嘘みたい……。これって、夢じゃないよね?
 わたし、ずっと、せつなちゃんとこうなりたいって願ってた。
 あんまり強く望みすぎて、わたし今、夢見てるんじゃないのかな」

 今ようやくせつなの心を実感しながらも、やはりどこか信じられない祈里はせつなを見上げた。 その拍子に瞳に溜まっていた涙が、ひとすじこぼれ落ち、それをせつなが細い指で優しくぬぐう。

「まったくもう。私の一世一代の告白を夢にしちゃうなんて、困ったお姫様ね。
 いったいどうすれば信じてくれるの?」
「……もう一度……」
「え?」

 祈里は消え入りそうな小声で、心の底から欲しいものをねだる。

「もう一度、キスしてく」

 最後まで言わせずに、せつなは祈里のくちびるをついばんだ。
 甘い口づけを落としながら、祈里の柔らかい身体を、きつくきつく、かき抱く。
 そうされていると、どこかに跳んでいってしまいそうな感覚になり、祈里は思わず、せつなの背中に両腕をまわし力を込めた。

「これで信じてくれた?」

 熔けそうに熱いくちびるをようやく離すと、せつなは悪戯っ子のような笑顔で言った。

「ああっ!せつなちゃん、信じるから離さないで、お願い……立てないよ」

 せつなの背中にしがみつこうとするが、まわした腕に力が入らない。
 祈里の身体からは、力がすっかり抜けてしまっている。
 よろめきそうになる祈里を、微笑みながら支え直すと、せつなは三度(みたび)、口づけた。
 最後のキスは、愛しさを込めてゆっくりと、とろけるように。

「はい、今日の分はこれでおしまい。続きはまた今度ね。
 さあ、帰りましょう。私たちの街へ」
「……うん!」

 まだ熱をおびたままの祈里の頬を、心地良い潮風が穏やかに冷ましてゆく。
 この場所を去ることは寂しいが、またふたりで来ればいい。
 それに、例えどこに行こうと、せつなはそばにいてくれる。心からそう感じられる 。
 これから待ち受けているであろう、せつなとの数多の日々を思うと、祈里の胸の高鳴りはおさまりそうもなかった。



 一方、先程の公園のベンチでは、ラブが美希の膝上に座り、そのほっそりとした美しい首に腕を廻していた。

「美希、重くない?」
「平気よ。ラブだから平気なの」
「嬉しい……」

 美希の胸に顔を埋めて、ラブは彼女の香りを胸いっぱいに吸い込む。
 爽やかで清々しくて、それでいて、少しだけ頭の芯が痺れるような、彼女だけの香り。
 その香りが放つ魔力に惑わされっぱなしのラブに、美希は妖艶に微笑みかける。

「ラブ……こっち向いて……」

 胸元の恋人に、何度目になるのかわからないキスを求めようとした矢先、美希の目の前に紅い閃光が現れて、消えた。
 光の消えた場所にはせつなと祈里が、満足そうな表情を浮かべて立っている。
 だが、せつなはすぐに美希とラブの姿態を見とがめて言った。

「こら!いつまでもいちゃいちゃしてないの。さ、帰るわよラブ」
「えー!帰ってくるの早いよせつなー!お願い、もうちょっとだけ」
「お母さんが心配するから駄目」
「そんなー」

 ガックリと肩を落とすラブの頭を、美希の手がいい子いい子と慰めた。
 そんな3人を見て、祈里はとても愉快そうに笑った。
 ひとしきり笑い終えると、3人にいとまを告げる。

「せつなちゃん、今日はどうもありがとう!――――とっても嬉しかったよ」
「どういたしまして。私も嬉しかったわ」
「美希ちゃんとラブちゃんもありがとう。また、ね!」

 ぴょんぴょんと跳ねるように軽やかな足取りで家路につく祈里を、眩しそうに見送っているせつな。
 それは、祈里の姿が見えなくなるまで続いた。
 そんなせつなをからかうように、美希とラブはニヤニヤしながら矢継ぎ早に質問をする。

「ねぇ、上手くいった?」
「何のこと?」
「キスくらいはしたんでしょ?」
「さあ、どうかしら」

 せつなは薄く笑いながら、するりとかわすようにはぐらかしてゆく。
 とても言えないわ。もったいなくて。
 それに、誰かに話してしまうと、夢になってしまうような気がするから。
 あの波打際で口づけた祈里が、泡になって消えてしまうような気がして……。
 だから、決めた。誰にも言わない秘密にすると。
 胸の一番奥にある鍵のかかる綺麗な箱。
 せつなはその中に、海辺での出来事を人知れずしまい込んだ。


 その鍵を持っているのは、この世にたったひとり。せつなが愛してやまない少女だけ。
最終更新:2010年08月23日 04:33