アカルンを起動したせつなが、祈里を連れて来た場所。
そこは海だった。
優しく打ち寄せる波が、夕焼けに紅く染められていく。水平線には今にも陽が落ちようとしていた。
せつなは心の中で呟く。
美希、疑ぐった上に置き去りにしちゃってごめんなさい。ラブ、私たちのことを考えてくれてあんな嘘を……。ふたりとも、ありがとう。
「ここは……?」
祈里はキョロキョロと廻りを見渡すと、せつなに向き直した。
「覚えてる?一年くらい前に来た場所よ。
私にとって、とてもとても大切なところよ」
せつなは祈里を見つめながら、話し始める。
「あの日、あなたはあたしに優しくしてくれた。笑ってくれた。一緒に踊ってくれた。
あの時から、私の胸の中には……ずっと、あなたがいた」
「せつなちゃん……」
「ほんとうはね、あなたを連れてきて、ここで言うつもりだったの――――私の本心を。さっきの場所じゃなく」
少しでも時間があればここに来て、何度も何度も練習していた言葉。
せつなはそれを頭に思い浮かべる。
ずっと胸に抱いていた思いを、今、余すことなく祈里に伝えたい。
「祈里、あなたがいてくれれば、私どんなことだってできるわ。
逆に、あなたがそばにいなかったら……そう考えるとすごく怖くなる。
それだけ私にはあなたが必要なの。だから……これからも、ずっと一緒にいてほしい」
祈里は喉元に手をあてた。胸が痛いくらいに熱い。
嗚咽が込み上げ、息ができない。何も言えないことが、こんなにももどかしくて、心苦しいなんて。
「わ、わたし……」
しゃくり上げて涙で瞳を濡らしている祈里を見ていれば、せつなには彼女の言いたいことがすぐに理解できた。
「イエスなら、ただうなずいてくれればそれでいいわ」
祈里は慌ててうなずく。真ん丸に見開かれた大きな目に、せつなが映り込んでいる。
せつなは不思議だった。想い出の場所で、祈里の瞳に映る自分をこうして見つめている。
そうして、目の前にいる祈里もまた、せつなの瞳に映る自分を、恥じらいながら見つめていた。
誰もいない波打際で、ふたりの少女の影が、ゆっくりと近づいていき、やがて重なり合った。
初めて触れるくちびるの柔らかさに戸惑いながらも、ふたりはこれ以上ないくらいの幸せに包み込まれていた。
くちびるが離れても、身体は離れることはなく、まだ互いを強く求めるかのように抱きしめ合ったままのふたり。
「嘘みたい……。これって、夢じゃないよね?
わたし、ずっと、せつなちゃんとこうなりたいって願ってた。
あんまり強く望みすぎて、わたし今、夢見てるんじゃないのかな」
今ようやくせつなの心を実感しながらも、やはりどこか信じられない祈里はせつなを見上げた。 その拍子に瞳に溜まっていた涙が、ひとすじこぼれ落ち、それをせつなが細い指で優しくぬぐう。
「まったくもう。私の一世一代の告白を夢にしちゃうなんて、困ったお姫様ね。
いったいどうすれば信じてくれるの?」
「……もう一度……」
「え?」
祈里は消え入りそうな小声で、心の底から欲しいものをねだる。
「もう一度、キスしてく」
最後まで言わせずに、せつなは祈里のくちびるをついばんだ。
甘い口づけを落としながら、祈里の柔らかい身体を、きつくきつく、かき抱く。
そうされていると、どこかに跳んでいってしまいそうな感覚になり、祈里は思わず、せつなの背中に両腕をまわし力を込めた。
「これで信じてくれた?」
熔けそうに熱いくちびるをようやく離すと、せつなは悪戯っ子のような笑顔で言った。
「ああっ!せつなちゃん、信じるから離さないで、お願い……立てないよ」
せつなの背中にしがみつこうとするが、まわした腕に力が入らない。
祈里の身体からは、力がすっかり抜けてしまっている。
よろめきそうになる祈里を、微笑みながら支え直すと、せつなは三度(みたび)、口づけた。
最後のキスは、愛しさを込めてゆっくりと、とろけるように。
「はい、今日の分はこれでおしまい。続きはまた今度ね。
さあ、帰りましょう。私たちの街へ」
「……うん!」
まだ熱をおびたままの祈里の頬を、心地良い潮風が穏やかに冷ましてゆく。
この場所を去ることは寂しいが、またふたりで来ればいい。
それに、例えどこに行こうと、せつなはそばにいてくれる。心からそう感じられる 。
これから待ち受けているであろう、せつなとの数多の日々を思うと、祈里の胸の高鳴りはおさまりそうもなかった。
一方、先程の公園のベンチでは、ラブが美希の膝上に座り、そのほっそりとした美しい首に腕を廻していた。
「美希、重くない?」
「平気よ。ラブだから平気なの」
「嬉しい……」
美希の胸に顔を埋めて、ラブは彼女の香りを胸いっぱいに吸い込む。
爽やかで清々しくて、それでいて、少しだけ頭の芯が痺れるような、彼女だけの香り。
その香りが放つ魔力に惑わされっぱなしのラブに、美希は妖艶に微笑みかける。
「ラブ……こっち向いて……」
胸元の恋人に、何度目になるのかわからないキスを求めようとした矢先、美希の目の前に紅い閃光が現れて、消えた。
光の消えた場所にはせつなと祈里が、満足そうな表情を浮かべて立っている。
だが、せつなはすぐに美希とラブの姿態を見とがめて言った。
「こら!いつまでもいちゃいちゃしてないの。さ、帰るわよラブ」
「えー!帰ってくるの早いよせつなー!お願い、もうちょっとだけ」
「お母さんが心配するから駄目」
「そんなー」
ガックリと肩を落とすラブの頭を、美希の手がいい子いい子と慰めた。
そんな3人を見て、祈里はとても愉快そうに笑った。
ひとしきり笑い終えると、3人にいとまを告げる。
「せつなちゃん、今日はどうもありがとう!――――とっても嬉しかったよ」
「どういたしまして。私も嬉しかったわ」
「美希ちゃんとラブちゃんもありがとう。また、ね!」
ぴょんぴょんと跳ねるように軽やかな足取りで家路につく祈里を、眩しそうに見送っているせつな。
それは、祈里の姿が見えなくなるまで続いた。
そんなせつなをからかうように、美希とラブはニヤニヤしながら矢継ぎ早に質問をする。
「ねぇ、上手くいった?」
「何のこと?」
「キスくらいはしたんでしょ?」
「さあ、どうかしら」
せつなは薄く笑いながら、するりとかわすようにはぐらかしてゆく。
とても言えないわ。もったいなくて。
それに、誰かに話してしまうと、夢になってしまうような気がするから。
あの波打際で口づけた祈里が、泡になって消えてしまうような気がして……。
だから、決めた。誰にも言わない秘密にすると。
胸の一番奥にある鍵のかかる綺麗な箱。
せつなはその中に、海辺での出来事を人知れずしまい込んだ。
その鍵を持っているのは、この世にたったひとり。せつなが愛してやまない少女だけ。
最終更新:2010年08月23日 04:33