「こんばんは」
凛とした声が静かな店内に響く。携帯を操作していた手を止め、そちらに目を向けると蒼い瞳と目が合った。
「お久しぶりです。ミユキさん」
「久しぶり。とりあえず座ってよ」
店内には二人以外に店主と常連らしき人が一人しかおらず、静かで落ち着いた雰囲気である。
美希がジュースを注文したところでミユキが口を開いた。
「最近すごく忙しいでしょ?ごめんね、急に呼び出して」
「それはミユキさんもですよね。あたしも会いたかったですし、嬉しかったです」
にこりと笑ってほんとに嬉しそうな美希を見てミユキは安堵する。
あれから三年。高校生になった美希はモデルの仕事を順調にこなし、雑誌の専属モデルにも抜擢され最近ではティーンの子達の憧れにもなっている。
美希はモデルらしく仕草の一つ一つが洗練されていて、不覚にもミユキは見惚れてしまった。
「相変わらず美希ちゃんは綺麗ね。ミユキさんもですよとか言わないでよ。容姿に関してはレベルが違うのはわかってるから」
美希は言おうとしていたことを先回りされ苦笑した。
ありがとうございますと控えめに言って、少し考えてから、あたしはミユキさんは可愛いと思いますと告げる。
変わってないなとミユキは思った。
人の気持ちを読み取るのが上手い子だから、空気も読める。
なのにあえて読まないこともある。
自分の信念を貫き通そうとするところが。
可愛いと言われたことに思った以上に動揺している自分を隠すため、ミユキはぐいっとお酒を喉に流し込んだ。
「ねぇ、美希ちゃんは好きな人いる?」
「います」
「恋人?」
「いいえ、片思いです」
美希は笑って答える。
それは自虐的なものではなく純粋なものでミユキは眉を寄せる。
「片思いなのに楽しそうね」
少し嫌味っぽく言ってしまったことに後悔するが、美希は気にする風でもなくミユキに笑顔を見せた。
「まぁ、楽しい気持ちではいれないこともありますけどね」
薄暗い店内でも美希の表情がはっきりとわかる。
こんな美少女の気持ちを掴んでいる相手は誰なのだろう。
どす黒い嫉妬の渦がミユキの心を覆っていく。
震える指を握りしめ美希を見る。
「そうなんだ。私の知ってる人だったりする?」
「はい」
誰、とまでは聞くことができなかった。
予想はだいたいつく。
あの頃ダンスを教えていた三人の内誰か……。
名前を聞いてしまったら、きっと思い出の中の彼女達にさえ嫉妬してしまう。
「ミユキさんは……いえ、少しお腹空いたので何か頼んでいいですか?」
「うん。私もお腹空いちゃった」
簡単につまめるモノをいくつかと、新しいお酒を頼む。
サラダがでてきて、美希が食べ始めたのを確認してからミユキは話しかけるた
「さっき、聞こうとしたのあのことでしょ」
「………はい」
美希は少し目を伏せた。
数日前に報道されたミユキと俳優の関係。
どちらも人気者とあって報道は過熱する一方だった。
そんな時に呼び出されたとあって、美希自身避けるべき話題だと思い直したのだ。
「あれ嘘だよ。友達として仲良くしてるけど、向こうは彼女いるし。だからこそ略奪愛とかまで書かれたわけだけど」
「そうだったんですか」
「美希ちゃんも気をつけなよー。あることないこと書かれたりもするから」
「あたしなんて報道されるぐらい、ミユキさんみたいに有名人じゃないですよ」
彼女となら、嘘でも恋仲だと書かれたら嬉しいかもしれない、とミユキは思った。
例えそれがイメージダウンに繋がったとしても、きっと自分は喜んでしまう。
「私ね、ほんとは好きな人がちゃんといるの」
「そうなんですか?」
「誰だと思う?」
美希は紙ナプキンで口元を拭くと、うーんと唸り考え始めた。
「聞くってことは、あたしの知ってる人ですか?」
「さあねぇ」
ヒントの少なさに美希が不満げな顔をする。
それでも一生懸命考えている美希を見てミユキの中に悪戯心が芽生えた。
「ねぇ、美希ちゃん。勝負しない?」
「勝負、ですか?」
「そう。私の答えを賭けてね。私が負けたら好きな人教えてあげる。勝ったら……私の願いを一つ聞いてくれる?」
「わかりました。勝負方法は?」
面白そうだと思ったのか美希はコクりと頷いた。
賭けの内容ばかり考えていたせいで勝負方法を考えていなかったミユキだが、視界に入ったグラスを見てにやりと笑う。
「コレでどう」
「飲み比べですか」
「イケる口だったよね。のる?」
妖しい笑みを隠そうともせずミユキは美希の目の前にグラスを掲げる。
「私は二杯飲んでるからハンデにはなるでしょう。嫌?」
「……わかりました」
ずるい聞き方をしたと思う。
芸能界に足を踏み入れているから、こういう時の対応を美希は心得ている。だからこそそこにつけこんだ。
「よーし、じゃあ決まりね。無理はしないでね。マスター」
二人の前にショットグラスが置かれた。
「テキーラでいいよね。細かいことは気にしないで好きに飲んでいいよ」
美希は一瞬たじろいだが、覚悟を決めたらしく顔の前に持ち上げ笑顔を作り、いただきますとにこりと笑った。
くいっと一気に飲み干し、ミユキを見る。
ミユキも満足そうに笑うとグラスに手をつけた。
二杯、三杯と続き美希の目はだんだんと熱をおびてくる。
それでもミユキが話しかければ相槌をうち、自らも話題を提供する。
「頬っぺた真っ赤だよ」
「んー……まだまだ。ミユキさんは余裕ですか?」
「……そうでもないかもね」
(やばいな……)
いつもならまだ余裕なはずが、美希と飲めている嬉しさがミユキの感覚をおかしくさせていた。
「あつ……」
身体がほてったのか、美希が上着を一枚脱いだ。
隠れていた胸元の肌の白さにどきりとする。
「胸、あんまり変わってないね」
「もー、ミユキさん!」
お酒の影響で染まっていた頬がますます朱くなる。
笑いながらごめんと謝ると、ぷいっと顔を逸らされてしまった。
「ごめん、可愛いって」
「この勝負、絶対負けたくない」
美希の闘志に火をつけてしまったらしくミユキは苦笑した。
二人の話はだんだんと盛り上がっていく。
酔いに任せて美希に触れると、お返しとばかりに身体を触られぞくぞくとした感覚が駆け巡った。
ミユキにとって幸せな時間が流れる。
美希は次の一杯に塩とライムをつけてもらった。
「へぇー、どこで覚えたの?」
「うちのママ酒豪なんですよね」
くすくすと笑う美希はやはり少し酔いがまわっているようで、言葉がいつものように滑らかではない。
ちろっと朱い舌で塩を嘗め、ライムにかぶりつきテキーラを流し込む。
ライムで濡れた唇を舌で嘗めとる仕草からミユキは目が離せなかった。
妖艶にさえ見えるそれは、ミユキじゃなくても目を奪われていただろう。
あの頃には見られなかった変化にミユキは戸惑い心が高鳴る。
「ミユキさんはギブします?」
「冗談。平気よ」
身体が熱く、思考がうまくまとまらない。
次を頼む時に美希が深呼吸したのを見てミユキは笑う。
「きついんじゃない?」
「そう……ですね。でも、負けず嫌いなんですあたし」
「ふふ、楽しめるわね」
ミユキも気分を変えようとソーダを追加する。
コンッとカウンターに当てると急いで口に持っていき、グラスのテキーラをまた飲み干した。
がんっと音がして勝負がついた。カウンターに突っ伏したミユキを見て慌てて美希が声をかける。
「ミユキさん!」
「大丈夫……意識はあるわ。でも、もう無理……私の負けね」
ほっと胸を撫で下ろし美希はチェイサーを頼む。
「凄いですね。七杯いきましたか」
「ハンデがなければあたしが負けてました」
店内には二人と店主以外誰もいない。
「ここのサラダ気に入っちゃいました。お昼はカフェとして営業してるんですよね。また来ます」
「ええ、その時はあなたに合ったスムージーでも用意しますよ」
にやりと笑ったマスターに、笑いながらごめんなさいと美希は謝り、楽しみにしていますと言った。
「ありがとう、マスター」
楽しい時間を用意してくれたことに感謝をして、ミユキはマスターにチェックを頼んだ。
「さて、ミユキさん、約束は守ってもらいますよ」
美希がにぱっと顔を輝かせた。
それを見てミユキは微笑を浮かべ、今だ朱い美希の頬を手で挟む。
「ミユキ……さん?」
きょとんとした美希に顔を近づけていき―――
ちゅ
「え!?あの、えっと」
「そういうこと」
タイミングよく入口のドアが開く。
「お迎え呼んどいたから。楽しかったよ。じゃあね」
真っ赤な顔でぽかんとしている美希を残し席を立つ。
少しフラフラするがタクシーを呼べば問題ない。
入口まで来たとき、ミユキはその人物と対面する。
「ごめんね。飲ませ過ぎたかも。後よろしくね」
せつなちゃん―――
カチャリと音を立て扉が閉まる。外に出ると冷たい夜風がミユキを包み込んだ。
あの時
五杯目に手をかけた時
朦朧とする意識の中
無意識だろう美希が小さな声で名前を呼んだ
せつな、と
その瞬間ミユキの意識が覚醒する
さあっと血が体中に巡り
今まで感じたことがないほど気持ちが悪くなった
それなのに頭は妙に冴えていて
お手洗いと嘘をつき携帯を手にする。
震える指で作った文章は場所と一言添えた簡単なモノ。
来ないならもらう、と
返信はなかったが来るだろうなと思った。
「失恋かぁ」
温かいモノが頬を伝う。
「おでこかよ。意気地なし」
ミユキは踏み切ることができなかった。
もしも
勝てていたら
その時の願いは……
いや
私は最後に逃げたのだ。
勝負を放棄した者に勝利の女神は微笑まない。
「幸せに……なってよね」
自分の幸せではなく美希の幸せを。
あなたへの恋心
大事にしたい
この酔いがさめるまでは―――
END
最終更新:2011年01月21日 20:41