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み-674

一際甲高い二つの声が薄暗い部屋に響き、蒼い髪が宙を舞った。

「!?……声が」

身体を投げ出していた蒼い髪の少女がゆるゆると動いて、テーブルの上のペットボトルに手を伸ばす。ぬるいのを我慢して喉に流し込むと、カラカラだった口の中が一気に潤う。

暫くは余韻からじゃれあっていた二人だが、朝から何も食べていないことを思い出し外に食べに行こうということになった。

シャッと勢いよくカーテンを開けると、太陽の光が部屋の中に入り込んだ。
シャワーを浴び、服を着て、化粧をして。
せつながふと時計を見ると、ちょうど午後1時になろうとしていた。

「中途半端に寝たせいでねむいわ」
「今日はちゃんと寝ないとね」

行こうかと美希が立ち上がり二人は並んで家を出た。

――――――


もう夜の七時をまわってるというのに家の中は真っ暗だった。
視界はまだ闇に慣れていないが美希は迷うことなくリビングに向かう。
電気をつけて、部屋を見るとテーブルの上にお札が一枚置いてあった。
置き手紙がなくても美希は瞬時に理解する。
またか、と。
鞄をソファーに投げるように置くと、ぐしゃっと五千円札を手に取る。
そしてもう一度今来た道を戻った。

「ありがとうございましたー」

コンビニを出ると携帯が鳴った。開くとラブからのメールで今何してる?というたわいないものだった。

(相変わらず勘がいいというか……)

ラブからこういったメールがくるのは、ほとんど美希が独りのときだった。
少し悩んでから、何もせず携帯を閉じて歩き出す。

広いリビングで美希は一人ご飯を食べる。
今は昔のようにいつ帰るかわからない母親を待つようなことはしない。

美希がまだ小さい頃は、この空間には幸せが溢れていた。
家族四人でテーブルを囲んで、とても楽しかった日々。



両親が離婚してからは、二人になり、そして……一人になった。
出ていくものと残されるもの。
残されるものには、全く変わらない住居環境がある。新しい気持ちに切り替えるのは難しかった。
家の至る所に思い出がある。
母親は時折癇癪を起こし、思い出を消すように物を壊した。
そんな時、美希はそっと母親に寄り添う。
泣きだしたい気持ちを抑えて、自分がしっかりしていなければいけないと思ったから。

それから数年がたって、母親は母親ではなくなった。元々フットワークが軽い人ではあったが、父親がいなくなってから『女』としての道を選んだのだ。
派手な化粧、服装で家を出る。たまに美希と会うと、にこりと笑ってお金を渡す。

「美希はいい子だから一人でお留守番できるわよね」

笑顔に、香水の匂いに、真っ赤な唇に、美希は気持ち悪さを覚えた。

「ママ」

それでも、美希にとっては母親で、唯一すがれる存在で。
だから服を掴んだ。
行かないで、独りにしないでと。

「美希は大丈夫よ」

無理矢理服から手をはがされる。
玄関が閉まる。
がちゃりと音がして鍵がまわる。
家の中にいるのに、美希は外に閉めだされたような感覚になった。そして、考えを改め直す。
自分は閉じ込められた、と。
物理的には出ることはできる、だが心理的に独りで『家』に閉じ込められたのだ。

翌朝玄関で美希が母親を出迎えると、それまで笑顔だった母が一瞬にして汚いものを見るような目になったのを今でも美希は忘れることができない。

今だからわかるが、あれは美希に対してだけに向けられたものではなく、この家と美希に対して向けられたものだった。
過去への現実に引き戻す美希とこの家に。

美希はテレビのリモコンを手に取った。
そして眉を寄せ、チャンネルを変える。
家族の団欒を映すチャンネルからバラエティーへ。
そして、また黙々とご飯を食べる。

夜はこうしてコンビニで済ますことが多かった。
ご飯と言っても夜はサラダを中心にしか食べないから、バラエティーに富むコンビニサラダが手軽で気に入っている。

「ごちそうさまでした」

袋にゴミを詰め、ゴミ箱に捨てる。
そして明日の朝ご飯の下拵えをすます。

お風呂に入って部屋に行くと、ようやく落ち着いた気持ちになった。ここだけは苦しくはない場所だから。
今も昔も自分だけの変わらない場所だから。



携帯を開いて、溜まったメールを読み、返信する。
学校の友達、仕事で知り合った子。
年頃だけあってメールのやり取りは頻繁に行われる。
そつなく数人と数回やり取りして、ラブのメールを開く。

『ごめんね
メール気づかなかった
遅いしもうねなきゃ肌荒れが(笑)
おやすみね~』

付き合いが長いからこそこういったメールで一方的に切っても喧嘩は起こらない。
送信ボタンを押して少したって、メールが来た。
ラブからではなく祈里から。

『今日一人?』

メールを見て美希は溜息をつく。意外とラブより祈里の方がストレートに聞いてくる。
ラブと祈里に話したことはなくても、二人はなんとなく気づいている。

美希は何も返信しなかった。
いや、できなかった。

ラブが羨ましい。
祈里が羨ましい。

両親がいて、暖かい『家』があって。
比べることは意味がないことだとわかっている。
それでも比べてしまう。

そんな自分がすごく嫌いで……………惨めになる。

二人の前で弱音は吐けない。
吐けば吐くほど、違いを知るのはわかりきったことだから。
だから、お姉さんを演じる。

心配してあげる
助けてあげる
泣く胸を貸してあげる

あたしは余裕があるから大丈夫

だからあたしに入ってこないで

あたしの『普通』を壊すような幻想を見せないで

そう。
美希にとって家族がいる穏やかな日々は、夢のような幻に近いものになりつつあった。
戻ることがないとわかっているからこそ、今を壊すことは美希にとっての居場所が消えることを意味する。

ベッドへ仰向けに倒れる。
腕を目の上に置いて、視界を遮る。

「あたしは強い……あたしは強い……あたしは」
「ほんとに?」

譫言のように繰り返していた言葉を遮ったのは、少し低い、澄んだ声だった。
ゆっくり腕を退かすと、思った通りの人物がそこに立っている。

「アカルンって、便利よね」

悪戯っ子のように、にやりと笑う彼女に美希は状況を理解して眉を寄せる。



「勝手に入ってくるなんて失礼よ」
「ごめんなさい」

本当に申し訳なさそうな声色で言われ、美希は少したじろいだ。
せつなは苦笑してベッドへ腰掛ける。

「何しにきたの」
「元気ないから……」

美希にとってラブより祈里より厄介な存在は、せつなだった。
彼女は美希の家の事情をよく知らない。少なくとも美希はそう思っている。

「普通よ」
「ラブとブッキーはね」

今までもせつなは美希に何か言いたそうな視線を向けていたことがあった。
美希はわかっていて一切を無視した。気づかないフリをして。

「話があるの」
「明日じゃ駄目なの?」
「二人の方がいいから」

美希は帰るよう促す。
今は特に誰とも接したくなかった。
しかし、せつなは動かない。せつなは強い意志を持ってここへ来た。
鋭い眼差しが美希をとらえる。
美希はもう帰れとは言わなかった。

「美希は今幸せ?」
「……さぁ」
「私にはそうは思えない」
「何がわかるの?」
「わからないから、知りたい」
「関係ないでしょ」

美希の声は冷たかった。
瞳は暗く、深い海のようで。
せつなは思った―――

「寂しそうだから」

瞬間唇をきつく結ぶ。
身体中の血液がドクドクと脈打ち手に足に力がこもる。

「あんたに関係ないでしょっ!!」

自分でも驚くほどの声が出る。
せつなもびくっと身体を震わせたが、美希を見て目を見開く。

彼女は、泣いていた。

「何が知りたいのよ!言ったら助けてくれる?ママが家にいてパパと和希がいた頃に戻してくれる?なんにもできないくせに、あたしの今を壊そうとしないで!!!」

寂しいなんて言うな
惨めにさせないで
普通じゃないと思わせないで
中途半端な優しさであたしを傷つけないで

「美希……」

ぽたぽたとシーツに染みができる。
美希を刺激しないようにゆっくりと、だが力強くせつなは抱きしめた。



「あんたに……ひく、何が……っ」
「うん」

せつなは美希の背中をさする。
何度も何度も。
そして美希の少ない言葉から、美希の置かれている状況をせつななりに考える。

美希の家が離婚をして家族が離れ離れなのは本人から聞いて知っていた。
でもいるはずの母親がこの家にはいない。たまたま出掛けているのかもしれない。
でも、普段の美希の様子、先ほどの言葉を思い出すと……。

今のせつなには血縁関係がないとはいえ母親も父親もいる。
特にせつなにとって、あゆみお母さんはとても大きな存在だった。

「美希……」

きっと美希にとってはレミさんが、せつな以上に、一人しかいない両親そして『母親』として、とても大きな大きな存在だったはずだ。彼女はいくつの夜を独りで迎えたのだろう。
今の自分がラブと両親から見捨てられたら……考えただけでも恐ろしい。

暫くして美希はようやく顔を上げ一言呟いた。

ごめん

と。

「ねぇ、美希……」

せつなは美希を解放した。
そして視線を合わせる。

「家族って大切なものなのね」

私はこの町に来て、初めて家族が出来た
暖かくて、安心できる、私の初めての居場所

「私には家族がいなかったから」

美希とは逆だった。
無かったものを得ることができた者と有ったものを失った者。
前者には光が差し込み、後者には影が堕ちる。
それでも美希は必死で戦ってきた。
新しい環境に慣れるように、独りが平気になるように。
だが一度知ってしまった温もり全てを消すのは難しい。
どんなに今に合わせても違いを感じてしまうのは、誰でもない美希自身だから。

「私は美希の家の事情はよくわからないし、戻すこともできない」
「………」
「でもね、」

せつなは思う。

今の私にできることは、私だからできることは

「美希の居場所は私が作ってあげる」



狭くてもいいでしょ
こんなに広い部屋でも独りだったら意味がないから
私の腕の中に
美希の美希だけの特別を作ってあげるから

せつなはもう一度美希を抱きしめる。

「だから、独りで平気なんて思わないで」

笑って母の帰りを待っていた
あたしは強いから、大丈夫だから

泣きたいのを我慢して

本当は怖くてたまらなくて


幸せを求めて、せつなは手に入れることができた。
だから美希も大丈夫。
もう一度だけ信じて欲しい。

「希望を捨てないで」

どんな日でも明日はくる。
今日は悲しくても、明日笑えたら。

美希はひとりじゃないよ――――

――――――


冬の冷たい風が二人に襲い掛かる。
せつながはぁと手に息を吹き掛け暖をとっていると、すっと美希が手を差し出した。

絡めた指から熱が伝わる。

根本的な所は何も変わっていないかもしれない。
相変わらず家にいない母親、戻らない家族。

それでも、美希にはこの温もりがある。
それはどんなものよりかけがえのない大切なもので。

「幸せ……なのかな」
「そうなんじゃない」


「ねぇ、東さん」
「なんでしょう蒼乃さん」

「ありがとう」

ちゃかしあって、ようやく言えた言葉。
あの時、救ってくれてありがとう。

「どういたしまして」

過去に囚われた二人だから、今を生きる意味を考える。

美希の答えはまだ出そうにない。


だからこそ

希望を捨てない

幸せを願う

この笑顔の隣で




END
最終更新:2011年02月06日 16:28