避2-593

「ごちそうさま。今日も美味しかった!」


 山吹家の夕ご飯。
 豪勢なご馳走が、次々と平らげられていく。主に巨漢のお父さんによってだけど……。
 本当に美味しかった。一口食べただけで、自然と笑みがこぼれおちる。
 綺麗で、優しくて、そして、とってもお料理が上手。
 わたしは、そんなお母さんが大好き。

 三人ぽっちの家族だけど、この料理の腕前のおかげか、食卓はいつも賑やかだった。
 何度かダイエットに挑戦してことごとく失敗したお父さんも、お母さんの料理が一番の大敵だと笑っていた。
 好きこそものの上手なれ。
 楽しそうに調理するお母さんを見て育ったわたしは、それ以外のお手伝いで助ける方法を選んだ。
 おかげで裁縫の腕なんかは、見る見る上達していった。

 でも、たまには――――

 食後のお祈りを済ませて、後片付けを手伝おうとする。
 そんなわたしの申し出を、お母さんは優しく断った。


「色々としなきゃいけないことあるんでしょ。ここはまかせなさい」
「うん。ありがとう、おかあさん」


 もう一言言えば、きっとわかってくれる。
 でも、その先を口にするのがなんとなく躊躇われて素直に従った。

 パタパタと階段を駆け上がって自室に戻る。
 大好きなお母さん。唯一欠点があるとすれば――――過保護、なのかな?
 最近は、後片付けどころか、その他の家事もみんな一人でやってしまう。頼りにされていないのが、少し寂しいと思った。
 わたしの夢を応援してくれているから。それがわかるから、口にはできなかった。


 気を取り直して机に向かった。

 朝早く起きて犬のお散歩。勉強の予習。
 学校から帰ったら、みんなと一緒にダンスのレッスン。
 帰ったら動物病院のお手伝い。机の上では学べない、実践的な知識を身に付けるために。
 お風呂に入ってご飯を食べたら、後は勉強の復習。残った時間は、医学書やその他の色んな本を読んで知識を深める。

 少し前からは想像もできないくらい忙しいスケジュールだけど、とても充実していた。
 毎日が楽しくて、自分が活動的に変わっていくのが感じられた。

 宿題と復習は終わり。後は日記を書いてから眠くなるまで読書。そんな時だった。


 くるっぽー、くるっぽー、くるっぽー

 リンクルンの着信音。メールじゃなくて電話だった。
 以前は犬の鳴き声にしていたのだけど――――
 動物病院のお手伝いが増えてからは、鳩やふくろうなんかの声に切り替えた。
 まぎれちゃって、気が付かないことが多かったから……。

 えっ? そもそも動物の声にしなきゃいいって? 好きなんだから仕方ないの……。

 美希ちゃんかな? ラブちゃんかな? 表示されていた名前は、東 せつな。
 せつなちゃんからかけてきてくれることは久しぶりだった。嬉しくなって、急いで通話ボタンを押した。


「こんばんは。うん、大丈夫、まだ起きてたよ。明日? うん空いてる、楽しみにしてるね!」


 おやすみなさい、そう言って電話を切った。珍しく興奮気味なせつなちゃんの様子に、わたしの気持ちも自然と弾む。
 明日は建国記念日で学校はお休み。ラブとクッキーを焼くんだけど、良かったら一緒にやろうって。

 でも、クッキーなんて……。

 学校の家庭科の時間を思い出す。
 香ばしいを通り越して、焦げ臭い香り。クマにしか見えない真っ黒なパンダさん……。

 なんとかなるよね!

 読みかけた本を置いて、さっそく作業に取り掛かる。
 みんなで作るなら、持っている型だけじゃ寂しいと思ったから。
 薄いアルミの板をハサミで切って形を整えていく。次々に新しいデザインの枠が形作られていった。







「ふ~ん、美希ちゃんはラブちゃんから連絡もらったのね」
「そうよ。今日はなんだか楽しそうじゃない? ブッキー」

「だって、せつなちゃんから電話してくれるなんて珍しいし」
「そうなの?」

「えっ?」
「あ、ううん、なんでもない。楽しい一日にしましょう!」


 先に美希ちゃんの家に寄ってから、並んでラブちゃんの家に向かって歩き出した。
 バラバラに押しかけるのは、返って気を使わせると思ったから。


「いらっしゃい! 美希、ブッキー」
「「おじゃましま~す」」


 ノックしたら、すぐにせつなちゃんが扉を開けて出迎えてくれた。
 扉の前で待ってたんじゃないかと思うくらいのタイミングだった。
 せつなちゃんの凛々しい顔立ちがほころぶ。笑顔でやわらかくほどける。
 その嬉しそうな表情は、訪れたわたしたちとって何よりの歓迎だった。


「美希たん、ブッキー、せつな~。材料の準備済んだよ!」
「楽しみね、せつなちゃん」
「ええ、精一杯がんばるわ」
「せつなは頑張りすぎよ。クッキーなんて気楽に焼けばいいの」

「そういう美希が、一番ムキになったりするのよね」
「失礼ね! アタシはお菓子作りくらい簡単に」
「この前、タマネギで泣いてたクセに」

「そう言えば、タマネギをアタシに回したのはせつなだったような」
「美希は澄ました顔より、泣き顔の方が可愛いわよ」
「やっぱり……わざとだったのね!」

「はいはい、喧嘩はそのくらいにして始めようよ」


 ふざけあってる美希ちゃんとせつなちゃんが、ちょっとだけうらやましかった。
 始めはギスギスしていた二人だけど、似たもの同士なのか気が合うらしく、よくじゃれ合っている。
 普段なら混じることができるのに、苦手意識で気後れしてしまう。


 調理が始まった。
 泡立て器を握ったラブちゃんの手が、ボウルの中で軽やかに舞う。
 トロッと溶けた黄色いバターが、鮮やかな手付きで混ぜられてクリーム状になっていく。
 普段はとても器用とは思えないのに、どうしてお料理となるとこんなに人が変わるのだろうと思う。


「ブッキー、卵を割って溶いてくれる?」
「うん、わかった」


 ボウルの角で卵を割る。割れた卵の中身は、ボウルの外に落ちた……。


「ごめんなさい、手が滑っちゃって。次はちゃんとやるね」


 今度は慎重に、ボウルの中の面に叩きつける。ガシャって音と共に、砕けた殻が中身に混ざる……。


「ブッキー、大丈夫?」
「う、うん、すぐに取れるから」


 なんとなく察しているラブちゃんと美希ちゃん。二人にバレてるのはわかってる。今さら恥ずかしいとも思わない。
 でも、せつなちゃんは知らないみたいだった。カッコ悪いところを見られたくなくて、必死で誤魔化した。
 動揺を悟られたくなくて、急いでラブちゃんの泡立てたバターの中に流し込む。


「あぁ! 一気に入れちゃダメ~!」
「えっ? ええっ?」


 止めようとするラブちゃんの手と、自分の手がぶつかり合う。
 バランスを崩して両方のボウルごとひっくり返してしまった。


「ごめんなさい……」
「平気だよ! 材料多目に用意してるし、始めからやり直そう」


 卵とバターでベッチャベチャ。暗澹たる気持ちでお掃除に取りかかった。
 せつなちゃんが手伝いながら問いかけてきた。


「もしかして、ブッキーってお料理苦手なの?」
「そうなの……。黙っててごめんなさい」

「気にしなくていいわ。一つくらい苦手なものがあったほうが付き合いやすいもの」
「そこで、どうしてせつなはアタシを見ながら言うのよ……」

「別に? あっ、美希のお鼻に薄力粉が――――」
「えっ? やだっ!」

「今、付いたわよ」
「クッ、はめたわね。この~~!」


 せつなちゃんが美希ちゃんをからかいだす。また二人の漫才が始まった。今度はラブちゃんも止めなかった。
 気落ちしてるわたしを笑わせようと、みんなで気を使っているんだろう。
 でも、そうやってせつなちゃんとふざけている美希ちゃんの姿すらうらやましく思えて、笑う気にはならなかった。

(料理、ちゃんと教わっておけばよかった。引っ込み思案も、やっぱり直ってないのかも……)

 ラブちゃんが主導で再びクッキー作りを再開する。今度はわたしは手を出そうとしなかった。
 せっかくの楽しい時間を自分の失敗で台無しにするわけにはいかない。わたしは成形で役に立とうと決めた。


「ブッキー、一緒にやりましょう」
「えっ? でも、邪魔になるといけないし……」
「大丈夫、肩に力が入りすぎてるだけよ」


 せつなちゃんがわたしの手の上から自分の手を被せる。
 時々耳にかかる吐息がくすぐったくて、自然に力が抜けていく。

 溶いた卵を、三回に分けてゆっくりと混ぜていく。
 チョコチップ、アーモンド、バニラエッセンスを混ぜていく。
 美希ちゃんがふるいにかけた薄力粉とベーキングパウダーを少しづつ混ぜていく。
 ヘラでボウルの底から掬いあげるようにして、しっかりと馴染ませた。

 全ての作業は、わたしの手で行われた。
 抱きつくようにして、せつなちゃんが上からわたしの両手を握って力加減をコントロールしてくれた。
 苦手意識で体が硬直しているだけ。
 一度感覚を身体に覚え込ませれば、わたしは必ず上達するからって。

 からかうのではなく、呆れるのでもなく、真剣な表情で付き合ってくれたせつなちゃんに感謝した。
 小さなことで気落ちしていた自分が恥ずかしくなる。

 以前は引っ込み思案で、自分から行動することができなかった。
 足りないのは自信。自分を信じること。
 苦手なお料理で、そんな自分の欠点がまた出てきてしまっていた。
 そんな中、せつなちゃんはわたしを信じてくれた。だから、精一杯がんばろうって思った。


 後は型に入れて形を整えて、焼き上げるだけ。
 わたしの本領が発揮できるパートだ。


「わっは~、かわいい! これブッキーが作ったの?」
「凄い、単純な形なのに、ちゃんと何の動物か全部わかるわ」
「さすがブッキーね。こういうの作らせたら完璧ね!」
「このまま焼いてもいいけど、どうせならちゃんと絵も描いたほうが可愛いと思うの」


 型はあくまで縁取り、動物の輪郭に過ぎない。
 千切った生地を棒状に丸めて立体的に仕上げていく。そして、チョコペンを使って絵も入れた。
 今度は、わたしがせつなちゃんに教える番。
 少ない線で動物を描くには、特徴を極端に強調すること。
 飲み込みの早いせつなちゃんは、見事なデザインで作り上げていった。

「ラブちゃんが作ってるのはクマ?」
「犬のつもりなんだけど……」

「美希が作ってるのはブタね!」
「失礼ね! 鳥よ」
「あっ、横から見るのね。羽が鼻に見えちゃった」


 みんなでお腹を抱えて笑った。
 作ってる本人たちも、最初は怒っていたけど、ついには可笑しくなって――――

 上手なものは誇らしくて。
 そうでないものは可笑しくて。
 やっぱり、どれも楽しかった。

 そして、どれも最高に美味しかった。







 お腹も、そして何より、心も。
 満たされた気持ちで帰路に着いた。
 家の中に入ると、ちょうどお母さんが夕飯の支度を始めようとしていたところだった。


「おかえりなさい、祈里。今日は楽しかったみたいね」
「えっ? まだ何も話してないのに」

「嬉しそうな顔を見たらわかるわよ」
「あのね! おかあさん」

「どうしたの? 急に真剣な顔して?」
「わたしも、おかあさんみたいにお料理が上手になりたい!」


 思い切って口にする。お母さんの気持ちはわかってる。
 どんなに忙しい時も、お父さんの食事も、わたしの食事も手を抜くことなく作ってきた。
 それがお母さんの誇りであることもわかっていた。
 でも、わたしもお母さんのような女性になりたいと思ったから――――


「嬉しいわ。じゃあ、今晩から一緒に作りましょうか?」
「うん!」


 お母さんは、少し驚いた表情の後、ニッコリと笑ってそう言った。
 その夜から、山吹家の食卓には不恰好な料理がいくつか並ぶようになった。


 以前にもまして――――弾む会話と共に。
最終更新:2011年02月12日 22:25