酒-566

1・ラブせつ編

「はい、ラブ。紅茶出来たわよ」

 窓から穏やかな春の日差しが差し込む桃園家のリビング。
 ソファに腰掛け、雑誌を読んでいるラブの前に、作ったばかりの紅茶を置く。

「ん……」

 けど、ラブは紅茶のカップには目もくれずに、なにやら雑誌に真剣な様子。
 全く…なにをそんなに夢中になってるんだか。
 今日は朝からずっと彼女はそんな感じだ。私が何か言っても、返ってくるのは気の無い返事ばかり。
 そして時折り手にした赤いペンで、雑誌に何やら書き込んでいる。

「ほら、冷めちゃうわよ、早く飲まないと」
「ん……」
「あ、そうだ、昨日お母さんが買ってきたケーキがあったっけ。ラブも食べない?」
「んー…」
「あのケーキ、ラブも好きだったわよね。ほら、駅前のケーキ屋さんの―――」
「んん……」

 もう!!
 何を言っても上の空なラブに腹をたて、ケーキを出そうと私は冷蔵庫に向かった。
 一体何なのかしら?そんなに私よりその雑誌が大事だっていうの!?
 ケーキを取り出し、バタン!と苛立ち混じりに少し強く冷蔵庫のドアを閉める。

「……?」

 ふと背後から視線を感じて振り向くと、ラブが雑誌から顔を上げて私を見つめている。
 や、やだ、私が拗ねてるのに気がついたのかしら?
 けど、その視線は……私の気持ちを察して、なんてものじゃなくて、なにやら邪なもののような……。

「うふ…うふふ……」
「……??」

 背筋に怖気のようなものを感じながら、私は二人分のケーキをトレイに載せ、ラブの元に戻った。
 すでにそのときには彼女の目は再び手元の雑誌に戻されている。
 おかしいわ……よーし、こうなったら……。

「ねえ、ラブ……」
「んん?」
「今日はお母さん達もいなくて……その……二人きりだし……」
「んん」
「よ、良かったらそ、その……ね?」

 出来る限りの甘い声を出して、私は誘惑の言葉を口にした。恥ずかしさで頬に熱を感じつつ、思わず私はうつ向いてしまう。
 ……いつものラブならこれに飛びつかないわけがないわ!
 けど…無情にも、勝利を確信した私の耳に届いたのは……。


「んん……」


 という素っ気無い返事だけだった。

 ぷつん、と頭の中でなにかが切れた音がしたと同時に、私はラブの手から雑誌を奪い取った。

「あ、せ、せつなな、何を―――!?」
「何を、じゃないでしょ!そんなにこの雑誌が大事なの!?私よりも!?」
「そ、そんな事あるわけないでしょ!い、いいからか、返して―――!」
「返しません!一体何をそんなに真剣にチェックしてたって―――……」

 と、雑誌の開いていたページをみた私の目は……一瞬で点になった。

 な、何これ……あ、アダルトなランジェリー特集って……。

 今月の特集なのだろうか?パラパラとめくると、何ページにも渡って、大事な部分が透けていたり、布地が小さな布であったり、その…ひ、紐だったりするい、いやらしい下着類が掲載されている。
 しかもご丁寧な事に、その破廉恥なランジェリーの写真の横には赤ペンで……。

「…『赤はパッションカラーだからせつなに合いそう』……『あまり過激なのは最初はNGで』……『少しずつ慣れさせていけばこれくらいいけるかな?』……『あ、むしろピンクにしてあたし色に染めるとか?』……『わはー、幸せGETだよ』……」
「あ、あはははは、ち、ちがうの、せつな、それはね、ほ、ホラ、記念日!せ、せつなと初めてあったのは―――あれは冬だし、一緒に住むようになったのは―――し、初夏だけど、その、なんというか記念日のプレゼントを―――」

 パタン、と雑誌を閉じ、ラブの手に戻すと、私は部屋を出た。
 ラブが後ろから呼びかけていたような気もしたけど、きっと気のせいだわ。
 玄関を出て、春の日差しを浴びながら軽く背伸び。はあ、気持ちいいわね。
 そんな私の目に、塀の上で仲良くじゃれ合うつがいの猫達が映る。そうよね、春ってそういう季節ですもの。いいわね。微笑ましい。
 あ、そうか。きっとラブもそうなんだわ。……まあ彼女の場合、いつもって気もするけど……。
 にっこりと笑うと、私は開いたままの玄関から、リビングでおろおろしているであろうラブに向けて叫んだ。


「ラブの発情期ーーーーーっ!!!」



2・美希ブキ編

「はい、ブッキー、ドーナツ買ってきたわよ」

 うららかな春の日差しを浴びながら、あたしはブッキーの待つテーブルへと戻った。
 今日は日曜。あたし達は二人きりで…で、デートって言ってもいいわね…ドーナツカフェへと来ていたんだけど……。

「うん…」

 と返事をしたまま、彼女はドーナツに手を伸ばすことさえしない。
 その視線は手元の―――さっき立ち寄った本屋で買った、動物系の雑誌に落とされたままだ。

「……でね、今度のモデルの仕事なんだけど……」
「うん……」
「もし上手く行けば、海外にロケに行くことになるかもしれないのよ!」
「うん……」
「そうなったら、ブッキーにもお土産買ってくるわね!何がいいかしら…?」
「うん……」

 ……埒が明かない、とはこういう事ね。
 あたしがさっきから何を言ったところで、彼女の返事は「うん」だけ。とてもあたしの話を聞いているとは思えない。
 おかしいわ……いつものブッキーならこんな事有り得ないのに……そんなに興味深い本だっていうのかしら?その……あたしより?
 と、そこまで考えて邪念を振り払うように軽く頭を振る。
 いけない、いけない……ブッキーには獣医さんになる夢があるんだもの……その事に真剣になっても仕方のないことじゃない。
 あたしもその…か、彼女のこ、こ、恋人としては興味を持って、その夢を応援してあげなきゃ!
 あたしはひとつ軽く咳払いをすると、テーブルの上に組んだ手に顎を乗せ、ブッキーに優しく語りかけた。

「あ、あのね、ブッキー、その本……そんなに面白いの?」
「うん……」
「も、もし良かったらどんな内容か話してくれないかしら?」
「うん……」
「ほ、ほら、あたしにはそういう知識ないけど、聞くだけなら、ね?」
「うん……」

 ダメだ……。
 やはりここは黙って彼女が本を読み終えるのを待つしかないのかしら……。
 ドーナツをひとつ頬張り、ちょっとだけ落ち込んだ気分で公園を行き来する人たちを眺める。
 家族連れやカップル……暖かな春の陽気のせいか、道行く人々の顔も明るいように思える……あたし以外はね。あ、卑屈だわ……。
 と、大きな犬を散歩させている女性の姿が目に入った。
 犬か……せめてあたしもペットでも飼ってればブッキーと動物の話でも出来たかしら。

「犬かあ……いいわね……」
「え!?美希ちゃん!!今なんて!?」

 溜め息混じりのあたしの言葉に、さっきまで生返事を繰り返すばかりだったブッキーが前のめりになって飛びついてきた。
 その変貌に少し鼻白みながら、あたしはもう一度口にする。

「え?い、いや。い、犬っていいなあ、って思って」
「本当!?美希ちゃんもそう思ってたんだ!嬉しい!」

 あたしが動物に興味があるのがそんなに嬉しいのかしら?
 若干の疑問は感じたものの、やっと掴んだ彼女との会話の糸口を途切れさせるのは得策じゃないわよね。
 あたしは多少面食らいつつも、ブッキーに話を合わせて、思いつく限りの犬の美点を口にする。

「その……ホラ、忠実で主人の言う事は何でも聞くし……じゃれて来て可愛いし……それに何よりこういう日に一緒に散歩なんかしたら楽しそうじゃない」
「うんうん、そうよね……でも躾とか、大変だったりもするのよ?」

 様子を窺うようなブッキー。
 けど、あたしもここまで来て話を終わらせるわけにはいかないと必死だ。

「そ、それくらいは何でもないわよ!多少厳しく躾するくらいがちょうどいいんじゃないかしら?」
「良かった……美希ちゃんが分かってくれる人で……」
「な、何よ。あたしだって興味はあるつもりよ?」

 ブッキーの将来の夢には、ね。
 えへん、と軽く胸を張る。あたしこれでも理解あるんだから!と言わんばかりに。

「うふふ……じゃあ…」

 らしくもない妖しい含み笑いを漏らすと、彼女は開いたままの雑誌をあたしへと差し出した。

「……美希ちゃんはこの中ならどれがいいと思う?わたし、プレゼントするから……」

 彼女の差し出した雑誌を見て、あたしの頭に複数のクエスチョンマークが浮かぶ。

「これなんか可愛いわよね……あ、でもやっぱりイメージカラーの青の方が嬉しい?でも…あえて黄色にするっていうのも……わたし的にはありなんだけどね!」
「え…?あ、あのブッキー……プレゼントとかイメージカラーとか……何言って……」

 あたし、犬なんて飼ってないんだけど…?


「愛犬にお薦め!大型犬用首輪特集」と書かれたそのページを、あたしは呆然と見つめ続けたのだった。
最終更新:2011年03月01日 01:15