「遅れましたっ」
4時間目が始まった頃だろうか。難解な数式が黒板を埋めつくし出したとき、そんな声が教室に響いた。
「蒼乃さん。今日は普通に登校できるはずじゃなかった?」
「ごめんなさい」
「座りなさい。授業は始まってます」
目つきのキツイ女教師に注意され、蒼い髪の少女は一礼して自分の席に向かった。
「おはよう、美希」
身体を斜めにして後ろの席の彼女に挨拶すれば、溜息をついておはようと返してくれた。
続きに何か口を開こうとした美希だったが、教室の前、つまり女教師をちらりと見てあとでと呟いた。
「遅刻の原因は?」
授業後担任からも軽くお説教をもらった彼女。教室に戻ってくると思った以上に元気がなく、私が購買で買ってきたサラダを無言で開けはじめた。パンやおにぎりには目もくれない。
「朝食べてないんでしょ?サラダだけじゃ駄目よ」
手近にあったメロンパンを開けて一口分ちぎって口の前に差し出すと、不服そうにしながらもパクっと食べてくれた。
「ペットみたい」
「ん……お腹は別に空いてないのよ」
私が首を傾げると、
ネムイ
そう言った。
遅刻しておいて何を贅沢な
と思ったが、よくよく考えてみるとああそうかと思い至る。
「昨日というか、今日は朝方まで撮影だったんだっけ?」
「ちょっと、仮眠するつもりが気づいたら学校始まってる時間で……」
眠気はとれないし、怒られるし最悪
と彼女はまた溜息をついた。もう一度私がメロンパンを与えると、太ると口にしながらもゆっくりと咀嚼してくれた。
「午後はおじいちゃんの授業よね。お昼寝しよっと」
「板書はどうするの?」
「せつなちゃん、愛してる」
ジト目で非難してもへにゃと笑い返される。今度は私が溜息をついて一言釘をさす。
「いびきかいちゃ駄目よ」
「あたしはそんな寝方しないわよ!」
クスクスと笑うと、よほど心外だったらしくキュッと鼻を摘まれた。
午後一の国語の授業。皆から『おじいちゃん』と呼ばれている先生が長い物語を音読する。
催眠術の才能があるのではないかというぐらいそれは効果抜群。
宣言通り夢の中にいる美希の他にも、クラスの三分の一は意識を飛ばしている。
一番前で机に突っ伏して寝ているラブには、ある意味尊敬の念さえ抱く。
その隣に座っているブッキーは小さく欠伸。それでも決して寝ないところが真面目な彼女らしい。
音読が終われば長ったらしい板書が始まる。この時を待ってましたとばかりに、起きている者の三分の一が近くの人とこそこそと話し始めた。
よっぽど煩くならない限りおじいちゃんは注意しない。
一通り板書をして、私はペンを置いた。
身体ごと後ろを向くと、目当ての人物は気持ちよさそうに頬杖をついて眠っている。
まったく
何度ノートをとったり
宿題を手伝ったりしたことか……
私はゆっくりと彼女の頬に手をそえた。
「タダじゃないから……」
しっかりと周りを確かめてから、顔を近づける。上手い具合に私の周りはお昼寝組ばかり。
それでも蒼い髪を指に絡めて、『瞬間』が見えないように。
ふわりと
さわやかな甘い匂いが鼻についた。
ちゅ
顔を離すと、名残惜しくなって人差し指で彼女のピンク色の唇をなぞる。少し乱れたリップを元にもどすように。
そして、何事もなかったかのように、平然と私は前を向く。
美希が知ったら驚くだろうな
先ほど置いたペンを持って、板書の続きを始めた。
ぱちんっ
「ふあっ、いったぁ……なに?授業終わった?」
「ええ」
「でこぴんで起こさなくても……」
「どう起こして欲しいの?」
「例えば白雪姫みたいにキスとか」
「絶対いや」
呆れた顔で断ると、意地悪と美希がおでこをさすりながら言った。
寝ていたのが三分の一で、起きていた中の三分の一がお喋り。
残りが全員真面目に授業を受けていたか。
否
「ブッキー、いいもの撮れた?」
「まあまあかな。画質が悪いんだよね」
彼女は珍しくにやりと笑って、携帯を振った。
「特殊な趣味ね」
「せつなちゃんこそ大胆過ぎるよ」
一番前にいて後ろの状況までどう把握していたのだろう。私は少しだけ身震い。
「ブッキー、せつなー帰ろう」
「置いてくわよ」
教室のドアからラブと美希が私達を呼ぶ。
「帰ろっか」
「そうね」
彼女たちには見えないように共犯者の笑みを一瞬交わして、私たちは二人のもとへ。
「ドーナツカフェ行こっ。あたしお腹空いちゃった」
「ちょっ、ラブちゃん走らないでよ」
ブッキーの手を握ったラブは元気いっぱいに走り出した。引っ張られているブッキーも困った顔をしながらもとても幸せそうで。
「うーん……」
「どうしたの美希」
ふと美希を見ればあごに指をあて考えごとをしている。
「あたし寝た後いつもリップグロスがだいぶ落ちてるのよね」
「……嘗めてるんじゃない?」
「なっ!失礼ね!そんなこと……してるのかしら」
行儀が悪いと思ってショックを受けたらしく、盛大に落ち込み始めた美希。
「私たちもドーナツカフェに行きましょ」
美希の手を取って私もラブのように駆け出した。私らしくない行動に呆気にとられる美希だったが、声を出して笑って私の手を握り返してくれた。
「美希は探偵にはなれないわね」
「え?」
走りながら、私は彼女の顔を見ずに語りかける。
私の唇に残ったリップグロス。
犯人は証拠をこんなにも残しているのだから。
END
最終更新:2011年05月29日 21:39