静かな日常
のどかな、果てしなく広がる草原の一角で、フード付きのコートを着た二人組が草原を埋め尽くさんばかりの青と戦っていた。
眼前の青を真っ二つに斬り裂き、一人が叫ぶ。
「終わったぞ!そっちは!?」
「これでおしまい!」
短い会話の後に鋭い銃声が響く。頭蓋を撃ち抜かれたランポスは衝撃に吹き飛び、地面に叩き付けられ、動かなくなった。
その頭からは小さな火が上がっている。
「占めて五十匹。依頼完了だな、帰るか。」
持っていた血が全く付いていない細身の剣を鞘に収め、フードをどけて後ろの髪を結んだ男が言う。
「うん。えへへ!」
煙を吹き飛ばした銃を収め、フードをどけた少女が応え、微笑む。
「なんだよ、気持ち悪いな」
「私が倒したのは二十六頭、レイは二十四頭。」
「……んで?」
いまいち納得していないレイに少女は腰に手を当て、自慢気に話す。
「私の勝ちってこと!ね、何か奢ってよ!」
「なんで俺……!」
「リオレウスの爪」
「が……あ~」
話に差し込まれた少女の一言に視線を外し、唸るレイ。チラと目を戻すと、少女は上目使いで見つめていた。
「……分かったよ。何がいい?」
歩き出したレイ。表情は苦いものではなく、内心はまんざらでもないようだ。
「レイの手料理!」
「奢るって言わねぇぞ、それ?んじゃにが虫の煮付け」
「却下!私の一番好きなやつ!」
いきなり飛び出したとんでもない料理に首を振って拒絶した少女。その幼い様子にレイは笑っている。
「エリスが好きなのってなんだっけ?」
「あ、ひどい!私が好きなのは……!」
「春夜鯉の照り焼き」
「それそれ!」
にこにこと笑うエリス、優しく微笑むレイ。他愛の無い会話を続けながら、二人は草原を後にした。
遊撃騎士
ものの十数分が経過した位だろうか。昇り切っていた太陽が僅かに傾く事もなく、二人は大きな街に着いた。
いかにも暑苦しい黒のコートを腕に掛けて街に入っていく。
二人が中に着ていたのは、ハンターが使う防具のようにも見えたが、それにしては些か軽装にも感じられた。
入り口の看板には、『風の丘太陽の草原ウィバロ』と記されている。
街の名の通り、ウィバロはなだらかな丘の上にあり、周囲は見渡す限りの草原が続いている。
見晴らしが良すぎるためか、普段草食竜を見かける事もなく、それに伴って肉食竜も見当たらない。
が、そのためか美しい景観を守るためか、街の飛竜や
モンスターに対する対策はあまりにも万全ではなかった。
先程のようなランポスの大群がいきなり村に入り込んだ場合、ハンターズギルドがあっても、ギルドの資質によりけりではあるが、依頼にも出されていないような"無駄な"狩りをハンターが請け負う事は少ないだろう。
そのような突然のモンスターの襲来やギルドの管轄外の地区で狩りを行うのが『遊撃騎士』である。
そして、今二人が入って行くそこそこ大きな二階建ての建物こそ、『遊撃騎士ウィバロ支部』である。
「コルトさんただいま!」
「オワッ……ただいま戻りました。」
元気一杯に扉を押し開け、飛び込むように入って行くエリス。
開けた反動で勢いよく戻ってくる扉を防ぎ、呆れたような顔で苦笑うレイ。
二人が見据える先には、カウンター越しに優しい眼差しを二人に送っている男がいた。
その時
「おかえりなさい。少し、遅かったですね?」
彼の名はコルト・ライアン。長髪に長身でスーツ姿。見た目通り、常は紳士のような振る舞いをしている。
「えぇ、少し不測の……いえ、ミスを起こしまして。」
「今日は私がレイを助けたんだよ!」
少し寂しげな表情で依頼書をカウンターに置くレイを押し退け、エリスが嬉しそうに叫ぶ。
「おぉ、それは良かったです。エリスさんにはお礼をしましたか?レイさん。」
「あとで約束してます。」
「よろしいです。では、その時の話を聞かせてくれますか?エリスさん」
「うん!えっとね、私達がランポスたちのリーダーを見つけた時なんだけど……」
草原と森の境目にそいつはいた。赤いトサカをもつ、一際大きなランポス。
ドスランポスと呼ばれ、区別されるそれはランポスの群れのリーダー的存在である。
リーダーを倒せば統率が崩れ、逃げるだろうと考えた二人は即座にそいつに狙いを定めた。
「エリス、奴に!」
「任せて!」
レイの端的な指示でエリスはドスランポスに銃を向け引き金を引く。
その直前、二人を追ってきていたランポスがエリスに飛びかかってきた。
「きゃっ!」
「後ろにも気をつけろ……よっ!」
回避が間に合わず、小さな悲鳴を上げたエリスとランポスの間に飛び込んできたレイがそれを両断する。
「サンキュ!」
感謝と共に放たれた弾丸はドスランポスの急所を僅かに逸れ、肩を撃ち抜いた。傷口からは火が上がっている。
ドスランポスはその火に驚いたのか、踵を返して一目散に森へ逃げていく。
「ランポスは!?」
「来てるよ!」
「追うぞ、前を走れ!後ろは任せろ!」
「任せた!」
二人を取り巻くランポス達が彼らを追って来ているのを確認すると、レイが飛び掛かるランポスを刃受けつつ、二人はドスランポスを追いかけ、森へと入っていった。
誤算
「いた!」
エリスが銃口を向ける先にドスランポスはいた。体制を低くしてはしるそいつの急所は後ろからは見えない。足で追い付ける訳もないので機動力を削ぐために後ろ足に狙いを定め、引き金を引く。
「ギィャアァァ!」
悲痛な叫び声と共にバランスを崩して前のめりに倒れ込むドスランポスの頭に追撃の銃弾が撃ち込まれる。
一瞬ビクリとのけぞると、そのまま動かなくなった。
「これでほかのランポスたちも森に帰るだろ……。」
しかし、レイのそれは甘かった。統率を失うイコール逃げるとは限らないということだ。残った半数程度のランポス達は少し戸惑ったようだったが、すぐに二人を無視して街の方に駆けていく。
「ね、レイ?……あれ、ヤバくない?」
引き吊った笑いと共にエリスがランポス達を指差して聞く。
「……追うぞ!」
「うん!」
愕然としたまま呆けていたレイだが、ハッと我に帰ると猛然とランポス達の後を追う。
足はエリスの方が速い。レイの前を走るエリスは両手に銃を構え、次々と前方のランポスを撃ち抜いていく。
その時だった。後方からの気配に気付いたレイが振り返ると、枝々をへし折って此方に突っ込んでくる何かがあった。
「ちょっと待てよオイ……。」
悪いことは重なるものである。こちらに滑空してくる影は、大きさからして飛竜。陽光が影の後ろから差し込み、判別がつかない。しかももうかなり近かった。
前方のエリスはランポスに集中していて気付いていない。
「エリス伏せろ!」
「え!?」
突然の指示に戸惑いながらも、その場にしゃがみ込むエリス。後ろを見、事態を把握したエリスの瞳が見開かれる。
レイは自身に制動をかけ、百八十度反転すると、左腕に装着している盾を構えた。
不運
右腕で剣をもったまま左腕を支えるも、それでも受け止め切れない衝撃が盾に激突し、足元の地面を陥没させる。そんな中でもレイは思う。
(力は使わない……!)
だが、姿は確認した。盾で動きを僅かに逸らされ、レイとエリスの頭上を通り抜ける赤く猛々しいその姿。間違いなくリオレウスだと二人は理解した。
「づあっ!」
その直後、レイの苦しげな叫びが上がる。
「レイ!」
レイに駆け寄ったエリスが見たのは、片目を固く閉じしゃがみ込んでうめく彼の姿だった。
毒だ。リオレウスの爪から染み出す毒が運悪くリオレウスの動きを追っていたレイの目にはいったのだ。
「エリス、目ぇつむれ……!」 「う……うん。」
訳も分からずエリスが目を閉じると、瞼の裏の暗闇を強烈な白に埋め尽くされた。
それが光だと理解し、閃光玉だと思った直後、自分達のすぐ脇をリオレウスが叫びをあげながら地面を滑走していった。
突進が外れたのかと思ったが、もがくリオレウスの姿を見て、滑空して追撃をかけようとしたリオレウスが視力を失い、墜落したのだと分かる。
レイはしゃがんだまま、何かを二つリオレウスに投げ付けた。
「逃げるぞエリス、手ぇ貸してくれ。」
「え?あ……うん!」
エリスは右目を押さえしゃがみ込んででいるレイの手を強く引くと、森の外へと駆けた。
直後、えも言えぬ臭いをエリスは嗅いだ。吐き気を催す程のこの臭い。こやし玉だ。
振り返ると、リオレウスが白い煙に包まれて見えない。これはケムリ玉だ。
つまりレイは自分達の臭いを掻き消し、視界を遮ってこれ以上追われないようにしたのだ。
よくもあの状態でここまで出来るものだとエリスはレイを改めて尊敬していた。
侵食
程なくして太陽の光が二人を包んだ。眩しさに一瞬目がくらむ。森から出たらしい。
リオレウスから逃げながらもランポスを攻撃しようとしたエリスを何故かレイは抑えたため、まだランポスは二十頭弱残っている。
二人にとっては脅威ではなくとも、街に入られたら被害は免れないかもしれない。
だがそれでも、レイの目も心配だ。飛竜クラスの猛毒が全身を巡れば普通の人間は死ぬ。
「レイ。目を見せて。」
「……。」
強く右目を抑えるレイの右腕にそっと両の手を添えてどかせる。心配そうに覗き込むエリスの顔に、レイの頬が僅かに赤らむ。
だが、エリスはそんなことに気付かない。問題はレイの右目だ。 リオレウスの猛毒が目という人の体でも弱い部分に入ったにも関わらず、周囲が赤らみ目が充血している程度だった。
レイの琥珀の瞳が縦長の瞳孔がエリスの顔を直視する。不安と恐怖と心配の入り混じった困惑の表情が僅かに覗く。
「……大丈夫だ。この程度"今の"俺には問題ない。」
「……だから心配なんじゃない。」
エリスの不安を取り除こうとしたレイの言葉はエリスには、お前に心配されなくても大丈夫だ。と聞こえたようだ。ボソボソと怒りを込めた愚痴をこぼす。
「ん?」
「何でもない!はい、解毒剤!」
聞き直そうとするレイ。エリスはコートの内側に手を突っ込むと、取り出した解毒薬をレイの胸に勢いよく突き出した。
鳩尾に直撃したレイが軽くうめく。
「何怒ってんだよ……。」
「怒ってない!早くしてよレイ!街に入られたらどうするつもり!?」
受け取った解毒薬の半分を目にかけ、残りの半分を飲み干しレイは思う。女の子は分からない……と。
「あとのランポスは問題なく倒せたんですね?」
「うん!」
微笑むコルトに元気一杯の笑顔で応えるエリス。この子は本当に強いとレイは思う。
「ところでエリスさん。」
「なぁに?」
「どちらかと言うと、助けられたのは貴女の方では?」
指先の合図
笑顔のままエリスの時が凍り付く。
「そういえばそうですね。」
うっかり、とでも言うように手をポンと打つレイ。
「ほ……ほら!本人もそう言ってるんだしさ!」
「レイさん。貴方、時々とんでもなく馬鹿じゃありません?」
「いや……アハハ。」
必死に取り繕おうとするエリスをさらりと無視して、レイをバッサリと斬って捨てるコルト。
レイは笑うしかなかった。
「とりあえず、狩りの際は周囲の警戒を怠らないこと。これは基本です。そして、その時の状況によって優先する敵を選ぶこと。あの場合、ドスランポスは君たち二人を優先的に狙っていたのですから、先に倒してしまうとランポス達の狙いがバラバラになってしまうでしょう?拠点防衛ならば、自分達を囮にする位でいなさい。私達は狩りを生業とするハンターとは違うのです。民を守り抜くことが、仕事なのです。分かりますね?」
優しい表情から一変。厳しい表情で二人を諭すコルト。
叱られた二人は引き締まった表情で、はいとはっきり返事をした。
「よろしい。依頼は完了です。」
言って依頼書に判をおすコルト。判と言っても確認のようなもので、特に深い意味はない。
「んじゃ、エリスは先に帰っててくれ。面倒な報告書は俺が書いとくよ。お前じゃ色々不安だしな。終わったら呼びに行く。」
「ん?何か気に入らないけどまあいいや、よろしくね。じゃあコルトさん、さようなら。」
「お疲れさまです。」
駆け足で出ていくエリスを見送り、しばらくしてコルトに向きなおるレイ。その表情は鋭い。
「さっき、私に合図してましたよね?何か?」
「うん。良く気付いてくれたね。実は君に聞きたい事がある。」 真剣な表情のコルト。エリスを外さないと言えない話。何かあると思ったレイはコルトの眼をまっすぐに捉える。
心境
「君は何故エリス君と組んでいるのかな?」
レイがエリスと組む理由。それは二年前まで遡る。其処から話すべきだと考えたレイが口を開き掛けたとき。
「いや、長くなりそうだからピンポイントに、単刀直入に聞きましょう。君はロリコンなのですか?」
真剣なレイの表情は消え、無機質なものとなり、コルトはニヤニヤしながらレイを見てくる。彼の腹黒い性格が見て取れる。
短い静寂。先に口を開いたのはコルトだった。
「クッ……ハハハハ!図星ですか!」
「何でそうなるんです……。」 整った顔立ちのコルトだが、笑った顔はとても邪悪に見える。それから軽く目を反らしながらレイは呆れたような顔で聞き返す。
「君は表情の起伏が少ない。それでも変化は慣れれば分かるものです。しかし、戸惑ったり焦ったときの貴方には表情が無い。」
「よく部下を観察していらっしゃる。」
レイの語気にほのかな怒りを感じる。にやけ顔を崩さずにコルトは続ける。
「ふふ……誉め言葉として受け取りましょうか。こちらに貴方が来てから、よく話し掛けたのは貴方を知るためだったのですよ。無論、興味が在ったのも本音ですがね。それにしても、本当にエリスさんの事が好きなのですね。」
「……。」
ニヤリと笑うコルト。言葉を無くし、徐々に赤みを帯びるレイ。 「ふふふ、実に可愛らしい。それでこそ私のレイさんです。」
背筋に寒気を覚えたレイは、慌てて頭を下げると、猛ダッシュで部所を出ていった。
しばらくして、室内に静かだが良く通る声が聞こえた。
「悩み、怒り、焦る。確かな感情は保っているようね。安心したわ。」
二階から降りて来たのは一人の女性。蔑むような目でコルとを見ている。
「やぁ、テニアさん。アレで良かったのですかな?」
「もう少し、まともなやり方でお願いしたほうが良かったと後悔しているわ。」
真意
声色からは、真の後悔と失意を感じる。
「ふふ、とは言っても彼の状態を探った上に、本心も聞き出せたのです。ついでに人払いまでしっかりやったのですから、むしろ感謝して頂きたい。」
一言発する毎に彼の表情が緩んだものから、いつもの優しい表情へと戻っていく。
「そうね。……本当、嫌な男だわ。貴方は。」
「……実際、彼はどうなってしまうのですか?まさか"そのもの"になってしまうとは思いませんが……。」
テニアの嫌味を無視して、真剣な話を持ち出すコルト。コロコロと変わる表情で本質が掴みづらいとテニアは思う。
「そうね。そうなる事はないはずだけど、肉体的な変質を見せているのは確か。彼の目を見れば一番良く分かると思う。」
「なるほど、琥珀色だと言う割には明るいと思いました。あれは金色と呼んだ方が良さそうです。そして、縦長の瞳孔。正に……ですね。ところで……」
重たい空気が流れる中、急にコルトが話すのを止める。疑問に思ったテニアが何かと聞き返すと、深刻な表情のコルトが口を開く。 「ところで、レイさんに羽が生えたり、甲殻が出来たり、爪が伸びたりとかは無いのでしょうか?」
依然真剣な表情のコルト。呆気に取られ、開いた口の塞がらないテニア。
テニアは期待した自分が馬鹿だったと言うかの様に大きすぎる溜め息を吐き出す。
「貴方と話すと疲れる。私は準備が出来次第、すぐ次の街に発つわ。実際、あまりのんびりはしてられない。」
「おや?可愛い弟子達の顔を見ておかなくてよろしいので?」
出て行こうとするテニアを意外そうに呼び止めるコルト。
「言ったでしょう?あまり時間は無いの。」
そう言うと、テニアは扉を開けて出ていってしまった。
「……生真面目なヒトですね。もう1年近く会って居ないと言うのに……。」
そう呟くとカウンターの椅子に座り直し、棚から取り出した自分の武器の手入れを始めた。
歩
しばらく闇雲に走り、意味もなく後ろを気にしながら止まる。当たり前だが何もついて来ない。とりあえず、何となく安心して視線を戻す。
「どしたのレイ?」
「ん?ああ……獣に襲われそうな気がしてな。」
背後から突然かけられた言葉。驚いた素振りは見せず、現状を適切な比喩表現で表したレイ。
「なにそれ?とりあえずお家に帰ろ?お腹すいたよ。」
彼女が言う家とは、彼等自身の物ではなく、街や村に作られた遊撃騎士の宿泊施設。調理場まで設けてあり、生活家具は一通り揃っている。ハンターのゲストハウスに近いシステムだが、階級による差は無く、どれも等しく簡素なつくりである。
「そうだな。……お前は俺に飯を奢れと言ったが、いつもの話じゃないのか?」
「いいの!何となく優越感に浸ってるだけだから!……レイ?」
歩き出した二人。
なんとなくエリスにちょっかいを出したレイ。ぷくりと頬を膨らませたエリスが見上げたその顔は、不安げな表情をしていた。
「俺達……平和だな?」
「どこがよ!?」
バカにしたように吹き出しながら聞き返すエリス。
五十匹の肉食竜を狩って、その途中で飛竜に襲われて、毒を浴びて、何とか逃げ切って。
これが平和と呼べるのか。
「今、この国で何が起ころうとしているのが知っていて、その中心に居るのは俺達なのに……平和だなってさ。」
話を理解して少しうつ向くエリスだったが、すぐに顔をあげるとちょっと駆け出してレイの前に出て、くるりと向き直った。
「……でもさ、私は楽しんでるんだよ。レイと一緒にいて、毎日が楽しいんだ。私達二人じゃ大したこと出来ないけど、今はみんなもいるんだしさ。この街でやれることやったら次の街に行って、それを繰り返して、いつか目的に辿り着いてやろうよ。向こうだってまだかなり時間がかかるのは確かなんだしさ。」
照らされる影
国を、いや世界を支配してしまう程の大計画。その計画を潰すのに、気ままにやっていて良いのかと思うレイだったが――。
(ああ、そうか。こいつなりに強がって見せて、励ましてるのかな?)
エリスも出逢ってから変わったと思う。あの憎しみに満ちた瞳が、今は屈託の無い明るさに満ちている。本来の彼女はこちらなのだろう。
村の中で僅かに生き残った者の一人。エリス・バイラル。両親の敵討ちに駆られ、がむしゃらに力をつけた。出逢った時はレイよりも強かった。
そして、真の敵の一人を見つけ、敗れ、記憶を失い死にかけたあの時。
レイの背中に守られ、記憶を取り戻したあの時。
それからエリスは復讐を振り切った。レイと共に、皆を助ける仕事に着いた。
(――凄いな)
それから鼻で笑ったレイは、足早に歩きだすとエリスとすれ違い様に軽く額を小突いた。
「バーカ」
「あいたっ。何すんのよ!」
「家まで競走だ!」
「あっ!ずるい!」
もう日が大分傾いている。夕日を正面に捉えたエリスの顔が美しいとレイは思った。レイにはその幼さと明るさが少し眩し過ぎた。
「ココア~。そこの胡椒とってくれる?」
「はいにゃ。」
「ねぇレイ~。夕飯まだ~?」
キッチンでせわしなく動きまわるレイ。対照的にテーブルに突っ伏したままキッチンを向き、駄々っ子のように足をバタつかせるエリス。
「早く食いたかったら手伝え。ありがとココア。」
「狭いから3人入るの無理じゃん。」
「じゃあ、食器並べといて下さいにゃ。」
「は~い。」
渋々立ち上がり、戸棚から取り出した皿を並べるエリス。これも備え付けだ。
キッチンからは鼻をくすぐるいい香りが流れて来ている。もうすぐ出来上がりの合図。
レイのすぐ脇、エリス側からはキッチンに小さな2つのとんがりが右左に行ったり来たりしているのが見えた。
夜
その二つのとんがりはいきなり跳ね上がると黒い体を引き連れてキッチンの上に降り立った。
つやのある黒毛のアイルー。ランプの光を浴びたその毛色は、美しく輝き、銀色の光を放つ。
「出来上がりにゃ!」
ココアと呼ばれたアイルーは、自分の体の大きさの半分はある大鍋を苦もなく持ち上げ、そのまま机上の食器に盛り付けにかかる。
いつもと何ら代わり映えのない、質素で、暖かくて、とっても美味しい料理。
ココアとレイは調理に使った器材を手早く水に浸け、待ちかねているエリスの元へ急ぐ。
「じゃ、いただきま~す。」
元気なエリスの声が狭い部屋に響く。
「どうですかにゃ?」
「ん~美味しい♪」
いつものやり取り、ココアが尋ね、エリスが応える。エリスが不味いと言ったことは今までに一度も無い。彼女の腕が良さが伺える。
「ごちそうさま」
レイだけはいつも黙したまま淡々と食べ、美味いとも不味いとも言わず、さっさと食器や調理具の片付けをする。
「相っ変わらず早いわね~。噛んでる?」
エリス達の皿にはまだ半分以上残っている。それほどレイは早食いだ。
「当たり前だ。喰って一時間したら組み手やるからな。腹の中のもん消化しとけよ。」
手早く自分の食器と調理具を洗ってしまうと、そのまま言葉だけを残して、二階へと上がってしまった。
「普段からもっと明るければ可愛げもあるのに……。」
「可愛いげが無くて結構!」
レイの姿が見えなくなってから愛想の悪いレイにブツブツ言う。 そんな呟きさえも聞き逃さず、即座に応答し、バタンと二階の扉を閉めるレイ。
ひょっと、首を引っ込めるエリス。まさか聞こえたとは思わなかったらしい。ばつの悪そうな顔でココアを見る。
「……地獄耳だにゃ」
苦笑うようにエリスを見、見たままの感想を述べるココアであった。
感情
二階に上がったレイ明かりを付けると隅に置かれた机の近くに掛けておいたコートから分厚く、そして古い手帳を取り出した。
"騎士手帳"と呼ばれるそれは遊撃騎士ならば誰もが持っているもので、レイもトーメイに居た頃からずっと使っている。
「あっ……。」
何となくその時を懐かしんでいると、不意に手帳が滑り落ちた。 落ちた拍子にページが開く。これは必然なのだろうか?開かれたのは、日付が飛んでいるページ。
レイが手帳を書けなかったその時のページ。
無意識に眉間にシワが集まる。拳を握り締める。怒りが、憎しみが身体を巡る。
「しまった……。」
そこで気付いた。手を掛けた机が半円状に抉れている。
修理費を払うのは何度目か考えるのも嫌になってきた。イライラしたままではまた何か"壊して"しまう。
仕方ないので開けたままの窓からレイは飛び降りた。足元が僅かに陥没する。衝撃ではない。膝のバネを使ってやんわりと着地したはずなのに。
これでは靴は履けない。裸足で歩くしかなさそうだ。
「……さて。」
外からはキッチンは見えない。それでもガシャガシャと食器を洗う音と楽しそうな笑い声が聞こえてくる。ここなら聞こえそうだ。
「散歩行ってくる!」
「あんまり遠くにいかないでよ~!」
いつもの明るい返事が即座に帰ってくる。それ以上返事はしなかった。
騎士の宿泊施設は、街の外側に沿って作られている。モンスターの襲撃に備えた合理的な配置だ。
そのおかげでレイは誰にも見つからずに外へ行ける。
門番の男達は何も言わない。"こんなこと"が今までに何度もあったからだろう。
もう大分暗くなってきたが、レイはとりあえず近くの森に入って気を落ち着ける事にした。
心
涼しげな虫の音が響く。優しい風が吹く。足元に小さな花が一輪咲いていた。
周りの背の高い植物の中で力強く咲いていた。 その場にしゃがみ込んでその花に触れる。
それで、その花の存在は壊れた。
はっとして手を引っ込めるレイ。歯ぎしりの音がはっきりと聞こえた。それに応えるように足元が大きく陥没する。すぐ脇の木が弧状に抉れ、軋みながら倒れる。
自分に怒れば怒る程、その意思に反して壊していく。
自分が恐ろしかった。まるで、あの剣に自分の身体を喰われているようだ。
化け物を殺したいと思った自分が化け物になっていく。
「俺は……何なんだ。……師匠、貴方を恨みます。なんでこんなっ……っ。」
森の木々が突然にざわめく、風……ではない。滲む視界にははっきりと黒い影を捉えた。
こうなってから、この剣は手放した事が無い。手放せないと言った方が良いのだろうか。
剣を鞘から抜く勢いを乗せ、それが着地した木の枝に向けて振り抜く。
だが放たれた波動は、同じく向こうから放たれた幾つもの煌めきに相殺された。
同時に聞こえたのは、猫の雄叫び。
「さすがレイにゃ!風に紛れて奇襲をかけたのにすぐに気付くとはにゃ!もう一時間にゃよ!さぁ始めるにゃ!」
何故だろう。今自分は嬉しいと感じている。気分が高まる。
折れた枝から飛び降りた黒い塊、ココアは両手をに取り付けた三ツ股の黒い爪をレイに振り下ろす。
同時に放たれた凄まじい冷気。レイの周囲の植物が一瞬で凍り付き、砕ける。
守りのイメージ。レイの周囲だけは一切の凍気を通さない。
だが守ったままでは勝てない。そもそもこれは長く持たない。
ココアの爪を弾くように剣を凪ぐ。同じく守りのイメージによって形成された壁に阻まれる。
最終更新:2013年02月19日 14:07