その日、少年は失った。
多くの者を、多くの物を、一度に失った。
父を。母を。家を。友を。街を。故郷を。幸せを。
全てを失った。
だが、一つだけ残った。たった一つだけ。
天を覆い、太陽を隠し、その触手にて、その光にて、その歯にて、その身体にて、少年から全てを奪った存在。
その姿が、まるで焼印のように記憶に刻まれた。
少年に残ったもの、それは、
「憎しみだ」
目の前の男はそう言って剣を鞘に収めた。
長身で髪も長く、その色は漆黒。両眼もまた漆黒の色であり、額には白い布を巻いており、その服装はどことなく東方風であった。
「それが主の敗因だ」
目の前の景色が段々と闇に沈んでいく。
「剣は憎しみで斬るのではない。憎しみを斬るのだ」
全身から力が抜けていく。
「主では己に勝つことは出来ん」
胸が熱い。激痛が走っている。斬られていた。
「すぐに治療すれば間に合う・・・」
そう言って男は背を向けて歩き出した。
「なっ・・・!」
それを見た少年の意識は一気に晴れていった。傷口を押さえて、すぐさま叫ぶ。
「まぁ・・・、待てぇぇっ!!」
男は立ち止まり、ゆっくりと振り返った。
「・・・まだ、やるのか?」
その声は少年を見下している、というより悲観的な物であった。
「もう充分な筈だ」
「まだ・・・っ、負けちゃいねぇ!!」
「負けたのだ」
少年の叫びに、男は静かに即答した。
「主の太刀筋は全て見切った。これ以上やっても、」
「黙れぇぇぇぇぇぇ!!!」
少年は得物を構えると走り出した。
少年の得物は、巨大な剣、大剣であった。
モンスターの骨を利用して作られた物のようであったが、刃先に近づくにつれて今まで斬ってきた者たちの返り血でどす黒く染まっていった。
「何故・・・、分からんのだ・・・」
男は悲しげな顔で呟くように言った。
「どぉりゃぁっ!!」
気合と共に少年が振り被った一撃は、男が左手に持った大剣からの半分以下の大きさの剣、たった一本によって受け止められていた。
「っ・・・!」
少年は目だけ、男の右手に目を走らせた。右手に握られている得物は、やはり剣だった。男の獲物は、二振りの剣、双剣であった。
先に述べた通り剣自体はさほど大きくは無い。多くのハンターが愛用している
片手剣とほぼ同じ大きさである。という事は、それほど強度は強いわけではなく、重量も無いと言うことで威力も大剣と比べれば大幅に落ちている筈だ。
だが、この男はその剣一本で持って、少年の大剣を軽々と受け止めていた。しかも左手で。左利き、という可能性は、今までの斬撃はどれも右手の剣が主体だったため、考えられなかった。
「少年よ、何度でも言おう。主では己には勝てん」
「だっ・・・、黙れぇぇぇぇ!!!」
少年は更に力を込めて押し込もうとするが、大剣は全く動かなかった。
男は無言で少年を見ていた。少年は何度も、何度も踏み込もうとするが、どれも成功しなかった。だが少年は、諦めようとはしなかった。
「・・・何故だ・・・?」
ボソッと男が呟いた。
「何故主は・・・、そうまでして闘いの道を選ぶ・・・?」
「んなの・・・、決まってるだろ・・・っ!!!」
少年は顔を上げると、強く男を睨みつけ、吼えた。
「強くなるためだ!!!どんな手を使っても、どんな道を歩んでも!!」
「強くなり、そうしてどうする?何と戦う?」
「仇と!!俺は皆の仇を取るっ!!!」
「その為に・・・。悲しいな・・・」
「っるせぇ!!」
少年は吼えた。
「俺が強けりゃ、護れたんだ、護れる物だったんだっ!!!」
ふと、男は違和感を覚えた。
僅かだが、大剣の刃が動いたのだ。
(・・・何・・・?)
「俺は強くなる、強くならなくちゃいけねぇっ!!!」
再び、今度は大きく刃が動き出す。
「む・・・っ?」
男は顔を顰めると、更に力を込めて押し戻した。
だが、次の瞬間、
「誰よりも、何よりも、俺は強くならなくちゃいけねぇんだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
均整は一気に崩れ、男の脳天目掛けて大剣が振り下ろされた。
「何とっ!?」
終始冷静だった男の表情に、初めて驚きと焦りが浮かんだ。目を大きく見開き、漆黒色の瞳で少年を捉えつつ、今まで遊ばせておいた右の剣も大剣の刃を防ぐために
「まさかっ・・・!?」
男は目を細めて、改めて少年を見た。その頬を、冷たい汗が伝う。
「おおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
少年は更に力を込めて踏み込んでくる。
その力に、男は顔を顰める一方、その口元には笑みを浮かばせていた。
(と、なれば・・・!)
男は笑みを浮かべたまま、徐に姿勢を落とした。
男の姿勢が崩れた事で、ただでさえ押していた少年の大剣が一気に下ろされて行く。
「とっっったぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
少年の雄叫びと共に、加速を得た大剣は、やすやすと双剣の薄い刃を砕き、得物を失った男をその脳天の旋毛から股間まで一気に引き裂いていった。
筈だった。
だが、その実、男は引き裂かれる事は無く、振り下ろされる直前に少年の死角、懐に姿勢を低くして入り込んでいたのだった。そしてそれに少年が気付いた時、少年の鳩尾には男の拳が減り込んでいた。
目を剥き、絶叫せんと口を開いた少年だったが、
「が・・・ぁ・・・っ・・・!・・・」
その衝撃には悶絶する他無かった。
「ち・・・く・・・・・・しょ・・・・・・・・」
意識が途切れ、ぐらりと崩れ落ちた少年の身体を、男は片手で受け止めた。
「・・・すまぬ・・・」
男がポツリと呟いた。
小鳥の囀りに促され、少年は目を覚ました。
うっすらと瞼を開け、まず目に入ったのは木造の天井だった。
(・・・何処だ?ここ・・・)
それからゆっくりと首を動かす。
どうやらドアらしいものが目に入った。だが、それもどうやら木造で押して開ける、というよりは床と天井に設けられたレールに沿って滑らせて開かせるもののようだった。それがおかれている床もまた、草か何かを編んだカーペットものような物が敷かれていた。ドアには窓のような物がつけられていたが、それもどうやら紙で作れているようだった。薄い紙の窓からは穏やかな日差しが室内に入り込んでいた。
(・・・朝か・・・?)
そんな事を考えながら、首を戻す。
そうして、ようやく少年は声を発した。
「・・・何処だ、ここ・・・」
明らかに、ただの家ではない。
まるで、話に聞く東方の雰囲気が、ここには漂っている。
「・・・・・・ん?」
視線を自分の身体に向けると、床に直に敷かれた布団の上で寝ていた、否、寝かせられていたようだ。
(誰に・・・?)
決まっている。
おそらくは、自分を打ち倒したあの男。
「・・・・・・・・・っ!」
あの男に負けたという事実。
そして、その男に助けられたと言う事実。
情けをかけられたという事実。
それらが、一気に少年の心を苛立たせた。
「野郎ぉ・・・!」
ここがあの男の住処だとすれば、きっとまだここの何処かにいるはずだ。見つけ出して、今度こそ倒す。そう思い、少年は起き上がろうとして、
「ぐっ!?・・・つぅ・・・っ!」
激痛に襲われた。
(そういやぁ、野郎にぶった斬られてたっけな・・・!)
顔を顰めて痛みに耐えつつ、少年は何とか立ち上がった。
立ち上がってから、ふと傷の具合が気になり、着せられていた東洋風の服の胸元引っ張ってみてみた。
真新しい包帯が巻かれており、出血は既に止まっているようだった。
「・・・・・・・・・?」
首をかしげながら、改めて部屋を見回す。得物にしていた大剣は、ここには無いようだ。
(まっ、元々ハンターからぶん盗ったもんだからいいけどな・・・)
まずはこの部屋から出よう。そう少年が決めたと同時に、床が軋む音が聞こえた。
「っ・・・!」
断続的に聞こえてくる。こちらに、“誰か”がやってきている。
(野郎か・・・っ)
少年は殺気と気配を何とか殺しながら、戸の死角に回りこんだ。戸が開らいたと同時に、ぶん殴りに行く。
足音は止まることなく近づいてくる。
やがて、足音は部屋の前で止まり、静かに戸が開いた。
同時に少年は動いた。静かに開いた戸ごと破壊する勢いで右の拳を突き出そうとして、目を大きく開いた。
「な・・・っ!?」
そこにいたのは、あの男ではなかった。そもそも、“男”ではなかった。
驚きながらも、そこにいた“少女”目掛けて振り下ろされた拳を、とっさに止めた。
「・・・っ・・・・・・」
突然にして一瞬の出来事に、少女は腰を抜かし、その場にへたり込んでしまった。ただ呆然と少年を見上げている。
一方の少年は予想外の相手を前にして、すっかり戸惑っていた。あの男かと思いきや、目の前にいるのは栗色の長髪と白い肌が特に目を引く、少年よりもやや年下と見える少女だったのだから。
「あっ、たっ、そ、その・・・」
少年は髪をたくし上げながら言葉を捜した。素直に「悪かった」と言えば良かったのかもしれないが、そんな事がこの少年ことが思いつく余裕など無い。
ようやく浮かび上がってきた言葉は、
「こ・・・、ここは何処だ?お前は誰だ?」
少女はポカンと口を開けていた。
そんな少女に、少年は少し苛立ち、声を荒げた。
「答えろ!ここはどこだ!?」
「己の家だが」
聞き知った声に少年が声のした方を向くと、そこにはあの黒髪の男がいた。
「目が覚めたか」
「テメェ・・・!」
ギリッと奥歯を噛み、両の拳を構える。
男はそれを見て、少し呆れたように肩を竦め、
「どうやら、傷は大分良くなったようだな・・・」
そう言うと腰を抜かしている少女の方に目を向けた。
「大丈夫か、イゾルデ?」
「は・・・はい・・・。一寸、驚いただけです・・・」
男の言葉に少女は照れ笑いを浮かべて答えた。
男は「そうか」と微笑を浮かべて答えると少年に向き直った。顔には怒り、と思いきや、呆れの表情が浮かんでいた。
「主も武器を振るう者ならば相手を選べ・・・。そうでなければ獣と変わらんぞ」
「うっせぇ!説教たれんじゃねぇ!!」
男の見下すかのような言葉に少年は怒声で答えると同時に殴りかかった。
「落ち着け」
しかし、少年の拳は男が静かに突き出した掌によって受け止められてしまった。
「傷がひらくぞ?」
男の言葉を肯定するように、少年の腹部がじわりと痛み出した。
「ちっ・・・」
少年は渋々と拳を戻した。それを見て男も掌を下げる。
「縫ったのは己だが・・・、薬草を調合して出血を止めたのはイゾルデだ。感謝しておくのだ」
言って、男は少女の肩をポンと叩いた。
男の横柄な言動にまた怒鳴り返そうとして、ふと気付いた。
「・・・おい」
「む?」
「何で、俺を助けた?」
あの時、少年は刺し違えてでも倒すつもりだった。しかし、結局は男に敗れてしまった。
では、何故、この男は、敵であった少年、つまり自分を助けたのか。
男はしばしの沈黙のうち、こう答えた。
「・・・主に、興味がわいた」
男の言葉に、少年は一瞬で顔面蒼白となり股を両手で隠した。
「・・・そういう意味では無い・・・」
男は冷笑を浮かべ、少女は何のことか分からずキョトンとしていた。
男は溜息を吐くと、改めて言った。
「己の興味をそそったのは・・・、主の才だ」
「・・・才・・・?」
少年は真顔になると、
「どういう事だ」
「そのままの意味だ。主には才がある。・・・剣の才がな」
「・・・気持ち悪ぃな、いきなり褒めだしやがって・・・」
少年は静かに半歩退いた。
「ふむ。だが、無論、荒削りだ。このままでは堕落してしまうのは見えている」
「・・・褒めた後に、貶すな」
男は少年の言葉をすっかり無視して、
「故に、だ」
そこで男は一呼吸置くと、少年は見据え、
「己の弟子となれ」
「・・・は?」
聞き返すと、男は表情を変えることなくもう一度言った。
「だから、己の弟子となれ」
少年はしばらく意味が分からずポカンとしていたが、やがて、
「・・・なんで!?」
「ふむ?何故、とな?それが一番の手だと思うのだが?」
「だぁから!何でこの俺が!お前の弟子にならなきゃなんねぇだ!?あぁっ!?」
「・・・己が、弱い、とでも?」
「そうじゃねぇ!」
「ふむ。ならば良いではないか」
「だっ・・・!あぁー!!わかんねーかな!?」
髪を掻き毟って、半ばヒステリックのように叫ぶが男は「わからんな」とでも言いたげに腕を組んでいる。
「強く・・・なりたいのだろう?」
男が、呟くように言った。
「っ・・・」
少年はその言葉を聞いて我に返る。
男の言うことは無茶苦茶だ。それは間違いない。
だが、これは自分自身にとってのチャンスでもある。
「・・・・・・・・・」
少年は腕を組んで、考え出した。
(どうする?どうする・・・?)
その様子を男も、男に寄り添う少女も黙って見ている。
(さぁ、どうする?どうでる?)
「・・・・・・よし」
考えがまとまったのか、少年が組んでいた腕を戻した。
そして、男の顔を見据えると、
「いいぜ。あんたの弟子になってやる」
その言葉を聞いた男は組んでいた腕をすっと解くと、「うむ」と一度頷いてから、
「では、早速修行に入ろうか」
くるっと後ろを向けて歩き出した。少女もまたそんな男に連れ添うようにパタパタと追いかけていく。
ただ少年だけは、ポカンとしていた。
「・・・・・・・・・」
廊下の中腹まで来たところで少年が付いてこないことに気付いたのか、男はようやく振り向くと、
「・・・どうした?」
「・・・どうしたじゃねぇよ!何でお前は・・・!」
「お前ではない」
男は毅然とした態度で言い放った。
「師、そう師匠と呼んでもらおうか」
「・・・そういうことじゃねぇ・・・」
もう怒鳴りつかれた。ぜぇぜぇと息を切らしながら男の隣の少女に目を向け、
「おい・・・。こいつはいつもこんな調子なのか?」
少女はおずおずとした調子で、
「え、うん・・・」
と答えた。
その言葉に、少年はすっかり疲れてきってしまい、
「・・・もういい・・・。わぁった、わぁったよ・・・。だが、こいつだけは答えろ」
「・・・なんだ?」
「名前だ」
男は「そういえば、まだ名乗っておらなんだな」と呟くと、
「イゾルデだ」
「・・・は?」
男はポンと少女の肩を叩くと、
「イゾルデだ。彼女は薬品調合の才能がある。お前もこれから、ずいぶんと世話になるだろう」
「・・・・・・違くて・・・」
もう泣きたい。そんな少年の心境を察したか、少女――イゾルデが少年の言葉を補足した。
「多分・・・、アーサーさんの事じゃ・・・?」
「己の名か?・・・別に知っても意味は無いぞ?」
「・・・いいから、教えろ・・・」
ひょっとしたらその時、少年はもう泣いていたのかもしれない。
「そうか。己は・・・アーサーだ。アーサー・カリブルヌス」
ようやく名乗った男――アーサーを見上げると、少年は、
「アーサーに、イゾルデ・・・ね。分かったよ・・・」
「主は?」
今度はアーサーから言葉をかけてきた。
「名乗らんのか?」
そう言えば、こちらもまだ名乗っていなかった。
少年は溜息をつき、やれやれと首を振ると、
「しょうがねぇな・・・。俺の名前は・・・」
アーサーとイゾルデを見据えて自らの名を言い放った。
「レイバーだ!レイバー・トリスタン!!忘れるなよ!?」