狩人とお嬢様はタノシクイキタイ

少しばかり昔の話

それは少し昔の話……

小さな村に小さな少年が居ました。
彼の家は代々農家で、小さな彼は優しい家族とだだっ広い農園に囲まれて育ちました。

彼は家族も農園も大好きでしたが、それ以上に好きな事がありました。

それは勇ましく戦った狩人達の話を聞くことです。

小さな村へ月に一度ほどやって来る行商人が持ってきてくれるお伽噺の本や、行商人が下手くそながらに語ってくれる各地で起きた騒動の話。

それら全ての話の主役は狩人だった。

畑を荒らす獣を打ち倒すのも

秘境の奥で待ち構える未知の龍を倒すのも

か弱い人々を守るため化け物に立ち向かうのも

皆、皆、狩人だった。

だから少年は憧れた。
諦めず戦う狩人達に……いや、正確に言えば物語の主人公達に。

少年は絵に描いた様な物語の主人公達に

大人達が眉唾物だと笑い飛ばす噂話の狩人達に

何時か自分がそうなる事を、夜空に浮かぶ数え切れない星々に願っていた。
短い短い少年期が終わり、幸せな毎日を退屈だと愚痴りながら、自分にも狩人達と同じ青年期がやって来るのをただ待ち焦がれていた。

何時か自分にも物語の主人公になる日がくる事を信じて……

プロローグ

駆ける少年

小さな村の一角を1人の少年が転げる様に駆けていく。
鎧と呼ぶのも躊躇う様な御粗末な鉄の防具を見に纏い、右腕には凸凹に歪んだ鉛色のちゃちぃ盾、そして腰には余り切れ味のよく無さそうな大振りのナイフ……
駆け出しのハンターを絵に描いた様な少年は、脇目もくれずある場所へ駆けていく。

少年の行く先にあるのは小さな村にしては無駄に大きく、頑丈そうだがボロっちい建物。
そこはこの村唯一の狩人達が集まる場所、ギルドが運営する集会所だ。

先ほどの少年は軋むドアを弾き飛ばす様に集会所の中へと転がり込んだ。
少年は少ない集会所中の視線を一身に集めるが、乱れた息を整えると真っ直ぐにクエストの受注を行うカウンターへと向かった。
そして受付にいたメイドにこう尋ねた。

「この前村を襲った竜が何処にいるか教えてください!!」

少年がそう言った瞬間、受付のメイドは困った表情を浮かべた。
受付のメイドは考える。
確かに先日一頭の竜がこの村に現れたが、元々人も家も少ない村だったので大した被害も出さず竜は帰って行った。
だからギルドは一応の討伐依頼を出したが、被害の規模や竜自体の弱さも相まって大した報酬を用意してはいない。
そんな依頼を進んで受けると言う事は、何かしらの理由があると言う事だ。

具体的には……余程今すぐ金が入り用かなのか、駆け出しのハンターか、竜の被害に有ったかの何れかだ。

そこで改めて受付のメイドは少年を見て、1つの結論を出す。
目の前の少年は先ほど言った理由の内の3つ目の理由でここに来たのだろう。ついでに言うとこの少年はハンターでない可能性すらある。
何故ならメイドは少年の顔にさっぱり見覚えが無かったし、何より少年の見た目の割に装備品に年季が入り過ぎている。
大方村を襲った竜を倒すために何処からか使い古された装備を手に入れて今に至るのだろう。

それが解ったからこそメイドさんは困っていた。

ハンターには誰でもなる事は出来るが、なって早々に竜の討伐に送りだすなんて見殺し同然の事は出来ない。
しかし此処で断ったらこの少年は勝手に竜の所へ行きかねない。

「うーんと……」

メイドさんが困りかねていると、集会所の何処からか分厚い本を閉じる音が聞こえてきた。

「其処のメイドさんと見知らぬ少年、何かお困りのようだね?」

そんな胡散臭い台詞と共に、1人のハンターが受付の方へとやって来た。

胡散臭い男

紅色の鱗を縫い付けた帷子と籠手、黒い金属で出来たレギンス、茶色い毛皮に左半身だけを鉄板で覆われた鎧、そして一際目立つ赤く雄々しいヘルムを被った男は興味深げに少年を見下ろす。
ヘルムで覆われた顔からは彼が何を思っているか伺い知る事は出来ない。
少年はそんな怪しげな男を見て、一瞬だけ躊躇したがすぐに事の経緯を男に話した。

少年の家が件の竜に襲われ倒壊した事、そしてその報復をしたいと言う事を包み隠さずに男に話した。

一部始終の成り行きを聞いた男は僅かに身を震わせる。

「なるほど、それは面白い」

そう言ったあとに、すぐさま、おっとこいつは失敬、と付け足し少年から受付のメイドに目線を移した。

「先日村を襲った竜の討伐依頼、私とこの少年で受けよう。構わんだろう?」

「良いんですか、そんな事勝手に決めて? あとで怒られても知りませんよ?」

「心配無用、今あいつは歩いて1日掛かる隣街に出掛けている。私がこの依頼を済ませる方が早いさ」

男の言葉を聞いてメイドは暫し考えたあと、小さく溜め息を吐く。

「わかりました。ですがくれぐれも無茶はさせない様に」

「解っている。それに竜と言っても所詮はあれだ、私と少年だけで十分釣りがくる」

「……そう言うところが不安なんです」

「こいつは失礼。それでは私は準備に取り掛かる」

男はそう言うと、何とも愉しげに鼻歌を歌いながら、集会所の奥へと消えて行った。

メイドはそれを見て少し大きめに溜め息を吐くと、少しだけ鋭い目で少年を見た。

「今回は彼が依頼を受け、貴方にはその同行者として狩に参加する事を許可します」

メイドがそう言った途端、少年の顔がパァッと明るくなる。

「ですが、その前に貴方にはやって貰うべき事があります」

メイドはそう言うが早いか、少年の前に分厚い紙の束を叩き付けた。

「ハンターになる為の申請書とその他諸々の誓約書と規定事項です」

少年は紙の束の分厚さに目を丸くする。

「貴方は今回幾つかの禁止事項に抵触しているようですが……まだハンターではなく、知らなかったと言う事で多目に見ます。その代わり、今後こんな事が無いようにここの資料にしっかりと目を通してください」

メイドは目を丸くしたままの少年と紙束を小さな部屋にほり込み、そのままガチャリと鍵をかけた。

「狩に行くまでに済ませておいてください」

少年と男

大量の書類やら資料やらをどうにか捌ききった少年は、グッタリとした様子で狩り場に向かう荷車に揺られていた。

「狩りの前からお疲れのようだね、少年?」

そんな少年を見て、男のハンターはヘルムから小さく笑い声を漏らす。

「だ、大丈夫です!!」

男の言葉に、少年は背筋を伸ばしながらハキハキと答える。

「ならばよろしい。さて、我々は間も無く目的の狩り場に到着する。あの村の人間である君には不要かも知れないが、二三説明をさせてもらうよ」

少年が大きく頷いたのを確認してから、男は言葉を続ける。

「我々の住む村は鬱蒼と茂る森の中に、無数にある丘の内の1つにある。今から行く狩場も似たような場所だ」

男は大きく膨らんだ鞄の中身を整理しながら、淡々と話を続ける。

「視界の悪い広い森、一際大きな丘……今回用がある相手は森の何処かにいる筈だ。丘には度々大物が羽を休めにくるから今回は極力近付かない。此処まではよろしいかな?」

少年はブンブンと首を縦に振る。
少年は生まれてから殆ど村の外に出た事がなく、狩り場に入るのは今回が初めてだ。正直、怖くて仕方がないのに、そんな話を聞いて丘に行きたいと言う訳がない。

「よしよし。では次は標的の話だ」

男がそう言った瞬間、少年は大きく身を乗り出した。

「威勢が良いのは非常に良いことだが、そう気張るな。まぁこれでも食べながら聞くといい」

男は小さく笑いながら少年に小さなパンを投げて寄越す。
もむもむとパンを食べる少年を見ながら、男は話を続ける。

「今回、我々が狙うのは大怪鳥イャンクックと言うやつだ。名前こそ大層だが其処まで大した相手じゃあない。序でに言うなら先日街の方で大発生したばかりだ。倒すだけなら私だけでもまぁ事足りるだろう」

男は自身の得物であろう武骨な鉄槌を手入れしつつ、不意に少年を睨んだ。

「しかし、君の様な少年の命なぞ簡単に奪う事の出来る化け物だ。それを理解した上で、君は今回の狩に挑むのかな?」

「はい、勿論です」

男の言葉に少年は一切躊躇う事なくそう答えた。

「実にいい返事だ、少年」
男はご満悦と言った感じで少年に一歩近付く。

「もうすぐ狩り場に着くが、その前に君の名前を聞いておこう」

「僕の名前はビエム・トーラです」

「ビエム、良い名前だ。私はヒロゥ・モビー、宜しくたのむ」

大怪鳥の森

数分後…

2人は狩り場の隅にキャンプへと到着した。
男は大きく伸びをしたあと、キャンプにある青い箱をあさりだした。
そして両手一杯に色々な物を掴んで立ち上がった。

「私はすでに準備が済んでいるからこれは君がもっていなさい」

男は言いながら緑色の液体が詰まった瓶やら、小さな砥石やらを少年の鞄に詰め込んだ。

「では、行くとしようか」
少年が大きく頷いたのを確認すると、男はキャンプを後にする。

木々が鬱蒼と生い茂る森の中を男はズンズンと進んでいく。少年は男の歩く速さに必死に付いていこうとしながらも、近くの草むらや気の枝が揺れる度にビクリッとその身を震わせている。

「そんなに気を張る必要はない。近くに大怪鳥の気配はしないし、この辺りに狂暴な奴はいない」

男の言う通り、見渡す限り緑と茶色のみであの日少年が見た竜の姿は影も形も見当たらない。しかし、大きくない獣すら居ないと断言出来る理由が、少年には解らなかった。

「あの……」

少年がその疑問を口に出そうとしたその時、男が無言で少年の行く手をその手で遮った。

「えっ?」

少年が何かを言おうとすると、男は自分の口に人差し指を当てながら少年に近寄った。

「静かに、どうやら主役のお出ましのようだよ」

小声で喋る男の指差す先には僅かに開けた場所があり、その一点に大きな影が映されていた。
その一点を中心にざわざわと森が揺れ、風が吹く。そして一際大きな風が吹き、青々とした葉や細い枝を散らしながらそれが現れた。

大きく特徴的な嘴にグリグリとした2つの目玉、細く尖った尻尾に、地を掴む鉤爪付きの鶏ガラじみた両足、黄色っぽい翼膜の張った翼、そして畳んだ状態でも十分に大きな事が判る扇状の耳。
2人の十数メートル先に、大怪鳥イャンクックがその姿を現した。

「間違いなくイャンクックだ。イャンクックだが……」

男は現れたイャンクックを見て言葉尻を濁す。何故なら彼が思っていたイャンクックと目の前個体とでは、大きく違う点が有った。
それは……

「全身が薄く青い……イャンクックの亜種か」

全身の色が男の思っていた色と異なっていた。大概のイャンクックはピンク色の鱗を纏っているが、目の前のそれは全身に青い鱗を纏っている。

「これは少々大変な相手だぞ、ビエム」

男がそう言って振り向いた時、少年の姿は影も形も無くなっていた。

現実はどうしようもない

数秒前、少年の視線はイャンクックのある一点に注がれていた。それはイャンクックの嘴の端に詰まった小さな木片。
木の実や苔を啄んだ時に着いたにしては少し大きく、其処らの樹にしては妙に形や表面が整い過ぎている。
酷い緊張と僅かな恐慌状態であった少年の脳はその木片が何か、意図も容易く導きだした。

あれは壊された少年の家の残骸だ。

それを理解した瞬間、色々な物が犇めいていた少年の頭がある思考一色に塗り潰された。

行け、飛び出せ、奴の首筋に腰に提げた刃を突き立てろ。

そして少年は弾ける様に駆け出し、その体は現在、無防備なイャンクックの背後に迫っていた。

「なるほど。こう言う展開も、そう言う性格の主役も嫌いじゃない」

目の前の光景を見た男は一秒もしない内に状況を把握し、愉しげにフフンと笑うが、直ぐにその笑みは消え失せた。

「だがしかし、現実とはどうしようもないくらいに現実でしかないんだよなぁ」
自嘲的な笑いを僅かに漏らし、男は小さく身を屈め駆け出した。

その時少年は既にイャンクックの首筋に斬りかかるところだった。
息を殺し、可能な限り静かにイャンクックに飛び掛かる少年の腕には逆手に構えたハンターナイフが握られていた。
この時、少年の行動力や身の運びは素人にしてはなかなかの物であったが……ハンターとしてはとても褒められた物ではなかった。
切れ味鋭い刃ならまだしも、少年の持つハンターナイフはなまくら同然だ。薄皮削ぐように振るうなら辛うじて肉を切る事も出来ただろうが、竜の首筋に深く突き立てるなんて出来る訳がない。
だから今から起こる事は必然なのだ。

青い首筋に突き立て筈の少年の刃は黄色い火花を散らし、容易く弾き飛ばされ、それを振るった少年自身の体も蹴鞠の様に弾き跳ばされた。
ゴロゴロと地面を転がり、太い樹の根にぶつかり漸く止まった少年の瞳には、巨大な耳を拡げ、今にも自分に襲い掛かろうとする大怪鳥の姿が映っていた。

ただ実際はイャンクックは威嚇のポーズを取っていただけで、少年に襲い掛かるまでには数秒の時間がある。
しかしずぶの素人である少年がそんな事を知る筈もなく、そんな少年が今からとる行動も極々当然のものだ。

「うわぁああぁあ!?!!」

無様な叫び声をあげ少年は左手の剣を振るう事なく、右手の小さな盾に隠れ様と小さく身を丸める。

「やっぱり現実はこんなもんだよなぁ」

パターン

何時のまにかイャンクックのすぐ傍まで駆けて来た男は、酷くがっかりした表情のまま、屈めた体をしならせながら腰のハンマーを振り抜く。
頑丈そうな骨に幾つかの杭で固定された巨大な鉄槌は、イャンクックの嘴を青空向けてぶち抜いた。
骨の軋む音を立て、イャンクックの体が海老反りになる。男はただ淡々と振り抜いたハンマーを反転させ、隙だらけの爪先へと振り下ろす。
先程よりもずっと生々しく、瑞々しい音をたて赤い飛沫が辺りに飛び散った。
イャンクックはあまりの激痛みに身を捩りながらも、開いた嘴を男目掛け繰り出していた。が、

「毎度毎度同じパターンなんだよ、お前らは」

男は心底つまらなさげに、既に振り上げていた鉄槌でイャンクックの頭を地面へと叩き付けた。

「で、これもパターンだ」
男は淡々と振り下ろした鉄槌を僅かにずらし、地面にめり込んだイャンクックの頭目掛け振り抜き、打ち上げた。
弧を描くハンマーの向こうで、イャンクックの頭は砕けた嘴を散らしながら僅かに宙をさ迷った後、地面に吸い込まれる様に落下した。

「味気無く、つまらなく、徹底的に」

男はブツブツ言いながら脳震盪をお越しもがくイャンクックの片脚を執拗に叩き続ける。
イャンクックがその身を大きく振るい立ち上がった頃には、片方の足は見るも無惨な何かに成り果てていた。
イャンクックは片足を引き擦りながら大きく羽ばたき、小さな暴風を巻き起こしながら後退する。
しかし、鉱石の塊とも言えるハンマーを構えた男は、さも当然の様に風の壁を突き抜けイャンクックへと肉薄する。
そしてそのまま構えた鉄槌を振り上げ、大きく垂れ下がるイャンクックの頭部へと狙いを定める。だが、

「少し鈍いか」

男がハンマーを振り下ろすより僅かに速く、イャンクックの体は青空へと吸い込まれた。青い体はそのままフラフラと空を漂い、力無く数十メートル先の森へと墜ちていった。

その一部始終を眺めた男は杖の様にハンマーを地面に立て、ダラリと俯いた。

「あー……」

そのままだらけ切った声を暫く垂れ流したあと、ほったらかしだった少年の方を向き直り、ジットリとした視線で睨んだ。

「あれだ、俺はもう飽きた。だから後はお前がやれ」

先程までと今目の前にいる男との驚く程の変わりようと、余りに予想外の言葉を浴びせられた少年は先程までの恐怖も忘れ、思わずこう漏らした。

「えっ!?」

後悔

予想外すぎた男の台詞に少年は開いた口が塞がらないでいた。
そんな少年を見かねた男はゆっくりと少年に歩み寄り、その肩にポンッと両手を乗せる。

「俺ならあのイャンクックをさっぱりバッサリ簡単に倒す事が出来る。そりゃあもう圧倒的に徹底的に何の面白みもなく」

「じゃ、じゃあ早く倒してくださいよ」

男は少年の台詞を聞いて大きく溜め息を吐いた。

「それじゃあ俺がつまらないんだよ」

「そんな、理不尽な」

「何が理不尽なもんか」

男は鼻で笑うと、今度は真剣な様子で少年を見た。

「俺は別にそれでも良いが……君はそれでいいのかい?」

男は元の口調に戻って、少年にそう訊ねる。

「それは……」

今回少年が狩りに来た理由、それはイャンクックを倒すため……いや、もっと正確に言えば、少年の家を襲ったイャンクックに報復がしたくて彼はこの狩り場に来たのだ。

しかし……今の彼はどうだ?

憎い相手に一太刀浴びせるどころか、無様に悲鳴をあげる始末だ。

「君は、このまま私が大怪鳥を襤褸雑巾みたいになぶり殺しにして、後悔しないのかい?」

「それは!! それは……」

少年は叫ぶが、後の台詞が続かない。

「確かに私が大怪鳥を倒しても、今の君は満足出来るだろう。しかし、まだ君は少年だ。残りの長い長い人生で今日と言う日を後悔しないと言い切れるのかい?」

「……」

男の言葉を受け、少年は黙って俯く。

「私に任して今をやり過ごしても、今日と言う事実は痼となってずっと君の中に残り続ける。今日、死にかけた憎い敵を何処の誰とも知らない私に任せ、戦わずに逃げたと言う事実が君の中に刻まれる。君はそれで本当に後悔しないのかい?」

男の言葉に、少年は何も言い返す事が出来なくなっていた。

「悔しくないのかい?」

「……悔しい」

「奴が憎くないのかい?」

「奴が憎い」

「今のままでいいのかい?」

「良くない」

男は小さな火を徐々に強める様に、少年に言葉を吹き込んでいく。

「ならばどうするんだい?」

「……戦う」

「ん? 声が小さくて聴こえないな?」

「僕が……僕が戦う!! 戦って奴を倒す!!」

少年が叫んだ瞬間、男は鉄仮面のしたで満面の笑みを浮かべたのであろう。

「よく言った。それでこそ男の子だ」

男はくるりとイャンクックが墜ちた方へと向き直る。

「やはり、物語の主役はこうでないとな」

主人公

そして……

小さな村へ向かう荷車が一台。
中には全身青アザと擦り傷まみれで泥の様に眠り続ける少年と、いやにご機嫌の男の姿があった。
男は鼻歌混じりに、分厚い日記の様な物を相手に、1人筆を走らせていた。

……

少年は何度振り上げた剣を弾かれようとも、何度大怪鳥の攻撃を受けようとも、何度泥にまみれようとも、彼の心が折れることは決して無かった。

そして幾度目かの愚直な突撃。

大怪鳥は迫る少年目掛け次々と火の玉を繰り出す。
1つ目の火の玉は運良く少年の脇を通り抜け、2つ目の火の玉は少年の僅か後方で爆ぜた。
少年の体は弾け飛ぶ地面に巻き込まれフワリと浮き上がり、降り注ぐ火の玉の群れ目掛け少年の体は突っ込んで行く。
無数の火の玉、そのどれか1つにでも当たれば少年の体は忽ち黒焦げだ。
ど素人である少年にはその全てが自身に迫る死に見えた筈だ。
足がすくみ、その場で悲鳴をあげて目を逸らしてもおかしくない。

「うおぉぉぉおおぉぉお!!」

しかし、少年の口から発せられたのは惨めで悲痛な悲鳴ではなく、雄々しく勇ましい雄叫びだった。

少年の脚はすくむ事なく、それどころか力強く地を蹴り飛ばす。
小さな少年の体は火の玉の群れの隙間をすり抜け、青い大怪鳥へと迫っていく。
雄叫びをあげる少年を大怪鳥の砕けた嘴が迎え撃つ。
最後の一歩を踏み切った少年の体は大怪鳥の嘴を飛び越え、振り下ろした剣の切っ先はゼラチン質な球体を抉り、その顔面を縦一閃に切り裂いた。

大怪鳥は耳をつんざく様な断末魔をあげ、狂った様に頭を振り上げ、地面に倒れ伏した。
そして暫し、足掻くように痙攣したあと、その瞳から光が消え失せた。

少年はそれを確認したあとゆっくりとその脇に崩れ落ちた。


……

「最後の一歩は脚を滑らしただけだとか、俺がちょくちょく粉塵を使ったとか、多少の脚色はあるが……まぁこんなもんかな」

男はそう呟いたあと、満足げに分厚い本を閉じた。

「いいなぁ、実に羨ましい狩人としての第一歩じゃないか」

男は心底羨ましそうに少年を見たあと、自身も静かに目を閉じた。

男自身は当然知らないが、彼、ヒロゥ・モビーこそがこれから始まる物語の主人公である。

夕暮れの集会所

不機嫌な女

数分後……

荷車は何事もなく村に帰還した。
ヒロゥは未だ眠ったままのビエム少年を老夫婦の営む工房に預け、依頼完了の報告をすべく、集会所の扉を開い瞬間、彼の瞳に1人の女の姿が映った。
女は長身で、整った顔立ちをしており、黒い髪のポニーテールが非常に美しい。
男ならつい声を掛けたくなるような容姿な訳だが……
カウンター席に座る女は、人差し指で組んだ腕をトントンとリズムよく叩きながら、その右足は尋常ではない早さで貧乏揺すりをしている。
明らかに機嫌が悪い。

「ば、馬鹿な、早すぎる」

ヒロゥはその人物を見た瞬間、思わずそう口走ってしまった。
もし黙って扉を閉じていれば運良く逃げ切れたかも知れないが、最早手遅れだ。

「おかえりヒロゥ、遅かったじゃない?」

女は眩しすぎる笑顔をヒロゥに向けたあと、その鋭い瞳をカッと見開いた。

「私の許可無しに何処で油売ってやがった!!」

女は竜の咆哮に顔負けの声で叫び、たったの一足でヒロゥの眼前にその右足を突き出した。
所謂飛び蹴りと言う奴だ。

「ま、待て話を……」

ヒロゥは反射的に両腕を交差させ、防御体勢に入る。
だが彼は経験上、このあとどうなるか解っていた。そしてそれが自分では防げない事も……

「聞く耳ぃ……」

女は強烈な蹴りをヒロゥの腕に浴びせるが、当然彼に大したダメージはない。
だが、あろうことか女の体は蹴りの反動のまま前回りに宙返りをし、その両の踵は刹那の内にヒロゥの頭上へと迫る。

「持たんっ!!」

「南無三」

そんな台詞を残し、ヒロゥの頭は集会所の床にめり込んだ。

女は半ば失神状態にあるヒロゥをズルズルとテーブルに引き摺って運び、椅子に座らせると彼女自身はその対面に腰掛けた。

「さて、言い訳でも聞こうじゃない?」

女は満足げな笑みを浮かべながらヒロゥにそう訊ねる。

「……普通言い訳って言うのは暴力を行使する前に聞くものじゃないか?」

ヒロゥは中身の揺れる頭をブンブンと振るいつつ、女に言う。

「知ったこっちゃないわ」

「そうですか」

「そうなのよ」

ニヤリと笑いながら言う女を見て、ヒロゥは諦めて今日自分が何をしていたかを大人しく女に説明する事にした。

彼女に言われた仕事をほっぽり出して狩に出掛けた事や、その為に必要だった薬などを彼女の家から持ち出した事を包み隠さずに……

ご機嫌な彼女

「ふぅ~ん、そんなくだらない事の為に私がせっせこ作り貯めた薬をばら蒔いたんだ?」

「くだらないとか言うな。俺の唯一の楽しみなんだからさ」

ヒロゥの言葉を聞いて、女は不気味なほどの笑顔で彼を見た。

「貴方の趣味をとやかく言うつもりは無いけど、私の薬を勝手に使ったのは許されないわよ?」

「そ、それはお前が帰ってくる前に補充しようと……」

ヒロゥがそう言い掛けると女は豪快にテーブルを蹴り上げた。

「調合するたびに燃えないゴミを作る超絶ぶきっちょの貴方が、どうやって生命の粉塵なんてハイレベルな物を作る気だったのかしらね?」

彼女が言い終わると共に、三回ほど宙返りをしたテーブルが元の位置に着地した。

「……」

それを見たヒロゥから血の気が退く。下手な言い逃れをしようものなら、次に宙返りをするのは彼自身だと悟ったからだ。

「何か弁明はある?」

「全面的に私が悪うございました」

「解ればよろしい」

女はニカッと笑うと難なくヒロゥを許した。ヒロゥは宙返り一回くらいは覚悟していただけに少々拍子抜けだ。

「なんか機嫌が良いな?」

「あら、悪い?」

「滅相もない」

ヒロゥは少しだけ女の機嫌が良い訳が気になったが、彼女の寒気を覚えるような笑顔を見て大人しく引き下がった。
それでも、彼にはもう1つ腑に落ちない事があった。

「しかし、今日は街に薬を卸す予定だったろうに……なんで直ぐに帰って来たのさ? 」

ヒロゥの計算では、彼女は早くとも明日の昼に帰ってくる筈だった。しかし、何故か彼女は今目の前にいる。

「あら、やっぱり私の機嫌の良い訳が気になるんじゃない?」

「……はい?」

彼女の返答の意味が、ヒロゥにはさっぱり解らない。

「だから、私が機嫌が良いのと、今日帰って来たのは同じ理由なのよ」

「つまり……」

ヒロゥは彼女の言う2つの事柄について共通点を探してみたが、

「どういう事だ?」

さっぱり解らなかった。

「それはねぇ~」

女は悪戯っぽく笑うが、なかなか答えを言おうとはしない。答えが解らず焦れるヒロゥを見て楽しんでいるようだ。

「いい加減教えて……」

「ケミィ・ラッグ様、出発の準備が出来ました」

ヒロゥの声を遮って、女の名を呼ぶメイドの声が響いた。

「なぁケミィ、今から何処へ御出掛けで?」

「くれば解るわよ、無論ヒロゥに拒否権はないけどね」

もう1つのプロローグ

月夜の舞台で彼女は踊る

蒼白い満月が照らす森と丘……

鬱蒼と木々が生い茂る森の中心に切り立った崖の様な高い岩山が1つ。その天辺には大きな洞穴と、小さな舞台の様な平地があった。

その小さな舞台の真ん中に、月光をスポットライト代わりに浴びて踊る白い影が1つ。

少女の様な背格好の彼女は純白のドレスで身を包み、僅かに覗く赤毛を風に靡かせながら1人でクルクルとステップを踏んでいる。

「あぁ、なんて素敵なお月様……私の最後の舞台に相応しいわ」

少女は満天の星空と寒気がする程美しい満月を見上げながら、心底嬉しそうにそう宣った。

此処は無論きらびやかな舞台ではないし、ましてや安全な街の中ですらない。
ここは狩り場のど真ん中だ。そこかしこに死が転がり、気を抜けば有象無象の化け物どもが牙を剥く人外魔境だ。

彼女の様な少女が居て良い場所じゃないし、愉しくダンスを踊る様な場所でもない。
それでも少女は踊り続ける。まるでダンスのパートナーが来る事に備えて、練習でもするみたいに。

少女がそんな事をし続けていると、蒼白いスポットライトが大きな影に遮られた。
空を見上げれば大きな満月をバックに、それ以上に大きく、赤い翼を拡げた雄々しい竜の姿があった。

「ようやくいらっしゃったわね、王様。私、待ちくたびれちゃったわ」

少女は後数秒もしない内に自身に襲い掛かるであろう相手を見て、心底嬉しそうにそう言った。まるで待ち続けたダンスの御相手が漸く現れたみたいに。

「さぁ王様、踊りましょう。私の肉を食い千切って、腸を引き摺り出して、白いドレスが真っ赤に染まり尽くすまで、狂った様に踊りましょう」

少女は両手を拡げ、狂った様に笑みを浮かべながらそう叫んだ。
そんな少女の申し出を快諾する様に、空の王者は大きく羽ばたき、急降下してきた。

目の前に迫る死を、少女は恍惚の表情で迎え入れる。

謂わばこれは狂った彼女の人生を締め括る、最大にして最後の晴れ舞台だったのかもしれない。

「ウオラァッ!!」

しかし、そんな彼女と空の王だけの舞台に、無粋な怒声を響かせながら一人の男が乱入してきた。
片方の鈎爪を鉄槌で振り払い、残りの鈎爪を辛うじて避けるが、被っていたヘルムが弾き跳ばされた。
短い金髪を靡かせ、真っ黒い瞳をギラつかせ、死と隣り合わせの現状を楽しむ様に、男は不敵な笑みを浮かべる。
少女は、そんな男の姿に心を奪われた。

歯車は狂った様に回り出す

時は戻って……

ヒロゥは本日二度目の狩り場行きの荷車に乗っていた。

荷車にはやや不満げなヒロゥと、その正面で黄色い薬が入った瓶を整理するケミィの姿があった。
彼らは村近くの狩り場へと向かっている。
その目的は……

「卵泥棒かぁ~」

やる気なくヒロゥが愚痴る通り、彼らは今から飛竜の卵を頂戴すべく狩り場へと向かっていた。

「泥棒じゃなくて正式な依頼、お仕事よ、オ・シ・ゴ・ト」

そう言うケミィはヒロゥとは対照的にかなりご機嫌だ。
彼女の言う通り卵の奪取も列記としたハンターの仕事だ。世界には美食家を気取る奇人変人が多数いるらしく、入手が難しい竜の卵は存外高価な値で取引される。
運が良ければ強力な竜と戦わずして大金が得れる訳であり、ケミィはこう言った話が大好きだ。

今日街に行かず村に帰ってきたのも、道の途中でとある商人に飛竜が卵を産んだ噂と、それを奪取する依頼の話を聞いたからだ。
彼女、ケミィは竜の相手をするのは苦手だが、対人戦と採取や運搬と言った仕事が得意だ。
こんな美味しい話を見逃す訳がない。

だが、ヒロゥはこう言った地味な仕事が嫌いだ。

「ほら、着いたわよ。きびきび歩く」

「アイアイサー」

だから正直な話丸っきりやる気がない。

ヒロゥには小さな時から1つの夢がある。
それは……

物語の主人公になる事だ。

なんとも漠然としていて、かないっこ無さそうな夢だが、彼は至って大真面目だ。
何時か自分も逸話や噂話でも構わないから、それの主人公になりたい。
だから彼はハンターをしているし、昼間の少年の様な如何にも主人公っぽい境遇の人間には喜んで手をかす。
それ故に卵泥棒なんて情けない仕事はしたくないのだ。

「じゃあ私は卵を運ぶからヒロゥは何時も通り見張りね」

「アイアイ」

だが、悲しい事にヒロゥとケミィのチームではケミィの方に主導権がある。
それでも泥棒なんて真似はゴメンなので、事が終わるまで見張りと称して洞窟の出口で突っ立っているのが彼の仕事だ。

だから今日も何時も通り、星空でも見ながら崖の淵で突っ立っているつもりだった。
今日の出来事をどの様な物語に書き上げようかと胸を弾ませながら、そしてそんな自分が書く話の主役にすら成れない己の人生に溜め息を吐きながら。

しかし、あと数秒で彼の人生の歯車は、悲鳴に似た駆動音を立てながら、狂った様に回り出す。

劇的

見張りをすべく、洞窟の断崖側の出口から出たヒロゥの瞳に、それは映った。

月光を浴び、両手を拡げ、天を仰ぐ白い美少女と、月光を遮り、両翼を拡げ、地を見下す赤い飛竜の姿。
両者は似通っている様に見えて、その立場は対極だ。

襲う側と襲われる側

無論飛竜が襲う側で少女が襲われる側だ。
常日頃から夢見がちな妄想を繰り返しているヒロゥの脳ミソは、今目の前にある光景がなんなのか?
その答えを瞬時に導き出す。

見目麗しい少女が、獰猛で凶悪な飛竜に襲われている。そして、目の前の少女を助けるのは自分の役だ、と。
彼の考えはだいたいあっているが、幾つかおかしな点がある。
しかし、彼の足は矛盾まみれの答えを導き出した瞬間に駆け出していた。

幾らおかしな点があろうが、幾ら決定的な矛盾があろうが、一時でも主人公の役を演じられるのなら、彼はなんの躊躇もなく徒労に走る。

だから目の前の飛竜に勝てる見込みが無かろうが、それが役を降りる理由にはならないのだ。

だから……

「ウオラァッ!!」

思い付く限り、最も勇ましい雄叫びをあげ、少女に襲い掛かる飛竜へと襲い掛かる。
横合いからの鉄槌による一撃は、少女の胸元を抉る前に飛竜の鈎爪の片方を弾き飛ばす。
しかし二振り目の鈎爪は、一度の不意討ちで手一杯になったヒロゥへと向けられた。
振り下ろした大質量の鉄塊はそう簡単に振り上げる事は出来ない。だから破れかぶれで、ヒロゥは首だけで回避する。

人を殺す毒を持った鈎爪は、ヒロゥの顔には僅かに届かず、彼のヘルムだけを弾き飛ばした。

普通の人間なら背筋が凍り付く程の危うすぎるやり取りだ。
それなのに、ヒロゥの口元は独りでに歪んだ笑みを造り上げる。

まるで今の自分は物語の主人公みたいじゃないか

と。

二本しかない脚を振り終えた飛竜はフワリと夜空に舞い上がる。その瞬間、洞窟の反対側から角笛の挑発的な音色が響き渡った。
それに釣られるように、飛竜は洞窟の向こうへと姿を消した。

少し拍子抜けだが、自分にしてはあり得ないほど劇的な一瞬だった。

そんな事を思いながら、ヒロゥは振り返る。少女に主人公らしい言葉を掛ける為に。

「麗しいお嬢さん、お怪我は……」

が、彼が決まりきった台詞を抜かす前に、少女がスッと歩み寄る。
そして……

「貴方はどんな死を迎えるの?」

少女はヒロゥを崖の下へ突き飛ばした。

狩人とお嬢様

助けた少女に、背筋が凍り付くほどの満面の笑みで突き飛ばされたヒロゥの体は二三歩後退し、そのまま大きくバランスを崩した。
バランスを崩した理由は単純明解、彼の足が脆い崖の淵を踏み砕いたからだ。

自分の正面に来た星空を見つめながらヒロゥは考える。

彼は常日頃からあらゆる主人公とヒロインの出逢いをシミュレーションしている。
しかし、今日みたいな事は全くの想定外だ。
何をどうすれば助けた美少女に崖から突き落とされるのだろうか?
しかも満面の笑みで。

そんな事を考えている内に、星空がグングン小さくなっていく。
言うまでも無いが彼の体は落下している。崖の高さから言って結構な速度が出ているし、落下すればかなりの衝撃に襲われる事間違いなしだ。
序でに言うと彼の頭部は今ヘルムがなく剥き出しの状態だ。そして今の彼の姿勢は仰向け……
簡単に言うとかなりヤバい状態だ。三回やれば一回以上は死ぬくらいにはヤバい。

そんな危機的な状況で彼は思考を巡らせる。
しかしそれは助かる為にダメ元で鞄を漁るとか、受け身の姿勢をとるとかの合理的な物では全く無かった。

地面に激突する寸前、ヒロゥは何か閃いたらしくポンッと手を叩く。そして、

「残念、私の物語はここで終わってしまった」

そんな全く何の役にも立たない台詞を吐いて地面に激突した。

地面に落下したヒロゥが動く気配は全く無いが、代わりに崖の上からスルスルと人影が降りてきた。
それは他でもない、ついさっきヒロゥを突き落とした白い少女だった。
少女はヒロゥの命に別状が無いことを確認すると、徐に彼の頭に膝枕をした。

「ごめんなさいね、さっきはつい興奮してしまいましたの」

少女は気絶したヒロゥの頭を撫でながら、独り喋り続ける。

「でも、貴方があんな素敵な闘い方をするからいけないの」

少女は慈しむ様にヒロゥの頭を撫で続ける。

「もう終わりにするつもりだったのだけれど、貴方に興味を持ってしまったの。ねぇ……」

少女は割れ物でも扱うかのように、優しくヒロゥの頭を抱き寄せる。

「貴方は命はどんな風に爆ぜ散るのかしら?」

少女は綺麗な顔を美し過ぎる笑顔で歪ませながら、暫しの間、彼の顔を眺め続けた。

こんな奇妙な出逢いをした2人だが、彼らの願いは似たようなものだった。

月夜に出逢った狩人とお嬢様、2人とも、ただタノシクイキタイのだ。

再び集会所

夢現

少女に突き飛ばされた体がフワリと浮かび、彼女が微笑んだ瞬間に体は物凄くスピードで落下し、悲鳴をあげる間も瞬きをする間もなく、ヒロゥの存在は粉々に砕け散っ……

「ドンドコしょういちっ!!」

なんとも奇っ怪な声をあげ飛び起きたヒロゥは、勢い余って座っていた椅子から転げ落ちた。

「いたたた……ドンドコしょういちって何さ」

「私が知る訳ないでしょうに」

何とも間の抜けた事を抜かすヒロゥの顔を、ヌッとケミィが覗き込む。

「そりゃあごもっとも。所で此処は何処だ?」

「此処は集会所よ。頭大丈夫?」

ケミィに言われて、ヒロゥは先程ぶつけた後頭部を擦ってみる。
……思いの外、大きなたん瘤が出来ていた。
たん瘤の大きさに少し凹みながら、ヒロゥは記憶の整理をしていた。

集会所の椅子で寝ていたのだろうか?
だとしたら美少女を助けて崖から落ちる行は夢だったのか?
いや、もしかしたら留守番を始めた直後から寝ていて、少年の復讐に協力したのも夢だったか?

グルグルと思考を回すが、頭が痛くていまいち集中出来ない。

「何時まで寝てるのかしら、貴方にお客さんよ」

ケミィはそう言うと、集会所の扉を指差す。其処には見覚えのある少年の姿があった。

「君は……ビエム」

ヒロゥが何時ものヘルムを被りながら少年の名を呼ぶと、少年はペコリと頭を下げた。

「昨日は有り難うございました」

「あぁ、君は夢じゃなかったか」

「……夢?」

「いや、此方の話だ」

ヒロゥは適当に言葉濁しながら、思考を巡らせる。
ビエム少年との出来事が夢じゃないとすると……ヒロゥは何時眠ったのか?
やはり記憶が曖昧だし、今の彼にはもっと気になる事が目の前にあった。

「ところで、その格好は?」

ヒロゥが言うように、ビエム少年は昨日のハンター装備ではなく、いかにも村人な感じの服装をしていた。

「僕は農家の子ですから」

「……ハンターには成らないのか?」

「はい。復讐は済みましたし、僕には親の遺してくれた畑がありますから」

「それで……君は後悔しないのか?」

「はい!!」

清々しすぎる返事をされて、ヒロゥはこれ以上何か聞こうと言う気が失せてしまった。

「なら、仕方ない。何か困る事があればここの戸を叩けばいいさ」

「はい!!」

ヒロゥは去っていく少年を見て、小さく溜め息を吐く。

「勿体無い」

「つまらない」

えっ?

「ん……つまらない?」

物語の書き出しとしては上々の滑り出しであったビエム少年を見て、確かにヒロゥは勿体無いと思ったし、そう口から溢したかもしれない。
しかし、彼は人の人生をつまらないと宣えるほど波乱万丈な人生を送ってないし、何より自分の物であれ他人の物であれ、人生と言う物にそれほど期待をしていない。

逆にビエム少年の人生が"良すぎた"だけだ。

だからビエム少年の決断もヒロゥにとっては、仕方無いか、で流せる程度の物だ。
つまりヒロゥは罷り間違っても他人の人生をつまらないと言ったりはしない。

となると、ヒロゥ以外がつまらないと言った事になる訳だが……
客商売のメイドさんがそんな事を言う訳ないし
ケミィは端から話を聞いていないし
集会所の他の面々も各々自分の事で手一杯だ。

「じゃあ……いったい誰が?」

ヒロゥはヘルムを外し、首を傾げながらポリポリと頭を掻く。

「何を独りで遊んでいるの?」

何の気配もなく、何の予兆もなく、白くて冷たくて華奢で綺麗な手がヒロゥの肩を掴んだ。

「ドンドコしょうたろう!?」

本日二度目の奇声を発し、ヒロゥは再び椅子から転げ墜ちた。

「ねぇ貴方、そう言うのが流行ってるの?」

床に倒れたヒロゥに跨がる様にして、夢現だと思いかけていた少女が彼の顔を覗き込んでいた。

「夢じゃ……ない?」

呆気に取られたヒロゥは思わずそう溢した。

「あら、夢みたいな美女だと言いたいの?」

ニコリと笑いながら、少女は更にヒロゥに顔を近付ける。

「!!!?」

予想外過ぎる出来事が現実だと認識した瞬間、ヒロゥは凄まじい速さでズルズルと後ろに下がった。

「きゃっ」

ヒロゥに跨がっていた少女は、その拍子に転んでしまった。

「あ、すまなイッ!?」

ヒロゥが少女に謝る前に、そこそこの速度をもった踵が彼の頭を叩いた。

「貴方……命の恩人に何してんの?」

「いや、それは悪かったけどワザとじゃ……命の恩人?」

素直に謝ろうとしたヒロゥだったが、ケミィの言葉の最後がどうしても気になった。

「命の恩人って……誰が誰のさ?」

「其処の子が、貴方の」

ヒロゥの問に答えて、ケミィが少女とヒロゥを順番に指差した。

それを見たヒロゥは暫し黙ってゆっくりと考えたが……

「……え、どういう事?」

昨日の出来事とさっぱり噛み合わず、すっかり頭がこんがらがってしまった。

恩人?

変な顔してどうしたのかしら……まさか私の踵落とし(弱)で頭がパーに!?」

黙ったまま考え込んでいるヒロゥを見て、ケミィは結構失礼な台詞を口走った。

「そんな訳有るかよ」


「じゃあ何で黙ってるのよ?」

「それは……」

ヒロゥの記憶が正しければ、目の前の少女は昨晩ヒロゥを崖から突き落とした張本人だ。その事を言うべきかどうか暫し迷ったあと、ヒロゥは口を開いた。

「命の恩人じゃなく、昨日殺……」

ヒロゥが全てを言い切る前に、件の少女がヒロゥにすりより、彼の手を包み込む様に握り締めた。

「昨日はご免なさい。竜に襲われて混乱してて、貴方に抱き付くつもりが、貴方を突き落としてしまったの」

少女はそう言うが、ヒロゥの頭はぼんやりと思い出していた。

(突き落とされる寸前に、何かおぞましい台詞を言われたような……)

「本当にご免なさい、本当に……」

大きな瞳を潤ませながら許しを乞う少女の姿に、ヒロゥの昨日の記憶は綺麗にリセットされた。

「いえいえ、全く気にしておりません」

「ありがとう……優しいのね、貴方」

「お気になさらず。それと、気安くヒロゥとお呼びください」

先程とはうってかわって紳士的な態度をとるヒロゥ。
ヒロゥは完璧に目の前の少女にホの字だった。

「判りやすい奴……」

そんなヒロゥを見てケミィは鼻で笑う。

「しかし……命の恩人ってのはどういう意味さ?」

ヒロゥは思い出した様にケミィに訊ねる。

「崖から落ちて気絶してた貴方を、そこの見目麗しいお嬢様が付きっきりで看病してたからよ」

「……その割に椅子の上で目が覚めたんだけど?」

「寝顔のあんたが気持ち悪かったから、私が椅子に放置するように言ったのよ」
「二重三重に酷い事をするな」

ヒロゥの台詞を聞いても、ケミィは悪びれる様子もなくケラケラと笑って見せた。

「そんな事より」

「そんな事って……」

ヒロゥがケミィをジト目で見るが、彼女はお構い無しに話続ける。

「仕事よ、お仕事」

「俺、一応死にかけたんだけどな」

「あんたのせいで昨日の依頼が達成出来なかったのよ? その穴埋めをするのは当然じゃなくて?」

「……解ったよ、少し待て」

ヒロゥは狩の準備をすべく、名残惜しそうに少女の手をほどこうとしたが、更に強く握り締められた。

「私も行きますの」

「……はい?」

24

あー……」

ヒロゥは視線を集会所の中で一週游がせてから、ゆっくりと自身の手を握る少女の顔を見た。

「お嬢さん……今、なんて仰有いました?」

「私も行くと言いましたの」

満面の笑みで言う少女と、物凄く渋い顔をするヒロゥ。

「……何故に?」

「昨日のアレは私のせいですから、私がお手伝いをするのは当然じゃありませんか」

「それはそうだけども……」

言いながらヒロゥは少女の全身を見る。
一言で言うと華奢な体。
防具かどうかも怪しい白いドレスみたいな装備。
しかし腰には高価そうな鞭剣が提げられている。
一見ただの金持ちのお嬢さんに見えるが、一応はハンターなのかもしれない。
しれないが……

「俺に狩に関する決定権は無いのさ」

「それはどういう意味ですの?」

ヒロゥの言葉に少女が首を傾げる。

「受ける依頼、狩の同行者、その日の予定、全部をケミィが決めるからさ」

「何でそんな……まさか2人は男女の仲ですの?」

少しだけ愉しそうに少女が言う。

「違う違う、ちょっとでかい借りがあってさ、簡単に言うと……」

「簡単に言うと主従関係よ」

ケミィがニュッと首を突っ込んできてそんな事を宣った。

「誰と誰が主従か、誰が」

ヒロゥが反論するが、ケミィはガン無視で話を続ける。

「私は効率を最重視するのよ。だから何処の馬の骨とも知れないお子様を連れていく訳には……」

ケミィが話してる途中で、少女が彼女の襟元を掴みギュッと自分の方へ引き寄せる。

「ねぇ、お若いお姉さん、私はこう見えて貴女よりずっとずっと強いの。だからお金なんてせびらないし、足なんてむしろ引っ張られる方なの……あとね、言いたくないけどこう見えて24歳なの」

少女の放つ空気の変わりようと、その発言にケミィはすっかり言葉を失っていた。

「24歳……」

だがヒロゥだけは違う部分で黙って考えていた。

「あら、残念だった? 貴方は18くらいだものね」

少女はクスクス笑いながらヒロゥの顔を覗き込む。

(いや、寧ろアリだな)

ヒロゥは1人納得するように頷くとゆっくり顔を上げた。

「あら、以外と逞しいのね」

「それはお嬢さんは理想的な存在だし……俺、声に出したっけ?」

「喋らなくても顔に書いてあるの」

不思議そうな顔をするヒロゥを見て、少女はニコリと笑った。

キノコ狩り

キャンプ場

使い古された御粗末なテント、焚き火の跡と備蓄された薪、そして薬品やら食糧やらが入ってる青い箱と空っぽの赤い箱……
ヒロゥ達は昨夜の狩り場より、より一層濃い緑で埋め尽くされた狩り場のキャンプへとやって来ていた。
無論"3人"で……

「昨日の場所よりずっと樹が多いですのね。オマケに蒸し暑い……」

胸元をパタパタしながら言う少女とそれを必要以上に鋭い目付きで網膜に焼き付けるヒロゥ、そして踵を振り上げるケミィ。

一秒もしない内に、周辺の木から小鳥たちが飛び立って行った。

「さぁ今日の仕事はキノコ狩よ」

踵落としで地面に埋もれたヒロゥの頭をグリグリと踏みにじりながらケミィが言う。

「キノコ狩……それがハンターの仕事ですの?」

物凄く不満げに言う少女をケミィはキッと睨む。

「そこ、勝手に付いてきたんだから文句言わない。それに大した危険もなく、お金が貰える素敵な仕事じゃない」

ややキツイ口調で言うケミィ。結局彼女は少女に丸め込まれ、同行を許してしまった訳だが、やはり少女の事が気に食わないらしい。

「もっと血沸き肉踊るような仕事を期待してましたのに……興醒めですの」

「私達はハンターとしてペーペーだから大抵こんな仕事が普通なのよ。それに、いやなら帰っても良いのよ?」

「確かに貴女のは虫から造った防具みたいですけど、彼の頭の防具は王様を倒した証でありません事?」

少女は未だに踏まれたままでいるヒロゥの頭を指差しながらケミィに訊ねる。

「それは聞かないでくれ」
ヒロゥは視線だけを少女に向けながら、そう言った。
「どうしてですの?」

「これには思い出すだけで死にたくなる過去が詰まってるのさ」

ヒロゥは言いながらケミィの足から抜け出し、ゆっくりと立ち上がる。

「何時か教えてくださいますの?」

「気が向いたらね……」

「それは残念ですの。是非ともお聞きしたいのに」

「そんな事言うなら俺はお嬢さんの名前が知りたいんだけどな?」

「それは秘密ですの」

「何故に?」

「だって、男性は秘密のある女性に惹かれる物でしょう?」

「それは確かに」

ヒロゥのヘルムに付いた土を払いながら、少女は艶っぽく微笑む。

「あぁもう!! 早く行くわよ!!」

苛々するケミィに急かされ、3人はキャンプを後にした。

貧乏臭い

見渡す限り深い緑に包まれた道を、ヒロゥ達は進んでいた。

「あぁー…地味だ」

本日2群目の最後のイーオスを叩き潰しながら、ヒロゥが項垂れる。

「はいはい、文句言わない」

群が殲滅されたのを確認してから、樹の影からケミィが姿を表す。

「なかなか素敵でしたよ」

ヒロゥの隣に居ながら全く手伝わなかった少女がニコニコしながら言う。

「今のを誉められてもさ」

ヒロゥは首を鳴らしながら納得いかな気に、ハンマーに付いた肉片を払っていく。

「無駄話してないでさっさと仕事する」

「あいあい」

ヒロゥは気だるそうに返事をし、ハンマーを腰に提げ直して渋々ケミィの隣に並んでキノコを採取する。

「貴女は手伝ってくれないのかしら?」

「だって退屈な事は嫌いなんですもの」

苛立つケミィを見て少女はニコッと笑いを返す。

「全く……何しに来たのよ、さっきも見てるだけだし」

キノコ以外の物もブチブチ引き千切りながらケミィが言う。

「私は私が愉しめる事しかしませんの。それに貴女も見ていただけじゃありませんの。腰の二丁斧は飾りでして?」

「私は採取担当だからいいのよ。ヒロゥだけだとドキドキノコばっかり取ってくるし」

「キノコは見分けが付かないのさ。それに、アレが一番旨そうじゃないか?」

ヒロゥは言いながら手当たり次第変な色のキノコを鞄に放り込んでいく。

「ね、この様よ」

ケミィは鼻で笑いながら色と形の整ったキノコだけ探しだし鞄に詰めていく。

「確かに、仰有る通りですけど……」

少女は困った様な笑みを浮かべながらケミィを見る。

「ですけど、何よ?」

「いえ、少し貧乏臭いと思いましたの」

遠慮がちに放たれたその一言でケミィの苛々は臨界点に達した。

「あんたねぇ!!」

ケミィが怒鳴り、跳び跳ねた瞬間、周辺の森から一斉に鳥の群が飛び立った。

「良い身のこなしをしますのね?」

自分の頭のすぐ後ろに居たデカイ蜘蛛を蹴り潰した足を見ながら少女は言う。

「蜘蛛の次は貴女の番かもよ?」

「あらやだ、怖い事を言うのね。でも、後ろに注意した方が宜しくてよ?」

「後ろ?」

言われたケミィが後ろを振り返ると小さな枝や落ち葉を巻き上げながら、浅黒い体表をした竜が舞い降りてくる所だった。

「御姉さんが大声なんてだすから寄ってきたのかしら?」

竜が怖い

悪趣味な鶏冠、グリグリした不気味な目玉、弾力の有りそうなゴム質の皮、歪な嘴に浅黒い膜の張った翼。
毒怪鳥ゲリョスがゆっくりと3人の目の前に降り立った。

「下品な見た目……私の趣味じゃありませんわ」

臭いものが近くにある時のような苦い表情で少女が言う。

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ!!」

「御姉さん、そんな品の無い大声で叫んじゃいけませんことよ。後ろの不細工に興味を持たれてしまいますわよ」

少女に言われてからケミィはしまったと思ったが、その時既に彼女の体は少女の手で突き飛ばされていた。。
少女自身も後ろにゆったりと後退したあと、ケミィと少女の間を、濃い紫色の液体が通りすぎた。

「ひぃっ!?」

小さく悲鳴をあげるケミィの目の前で、毒液を浴びた樹が悲鳴じみた音を鳴らしながら爛れていく所だった。

余談だが、ケミィは人間が相手なら大の男5人程度なら軽くあしらえる技と力を持っている。
が、竜相手では別だ。彼女はただのペーペーハンターだし、何より竜に対して抑えきれない恐怖心を抱いている。
だから彼女は採取系の仕事しかしないし、討伐の殆どをヒロゥに丸投げにしている。

そんな彼女が竜と対峙した時どうするか。

(来ないで来ないで来ないで来ないで)

それはただ自分の方に来ない事を願うのだ。

(ヒロゥ早くヒロゥ早くヒロゥ早く)

そして、ヒロゥに助けを求めるのだ。
ヒロゥはそんな彼女の期待にだいたい応えてきた。しかし、今回は立ち位置が悪かった。
ケミィの瞳には背後からゲリョスに迫るヒロゥの姿が映っていたが、彼のハンマーがゲリョスのアキレス腱を叩くより早く、浅黒い肢体が動き出した。

(来るな!!)

ケミィは頭を抱えその場に小さく踞る。
だが、ケミィが次に聞いたのは彼女の体が蹴り飛ばされる音ではなく、隣の少女のうんざりとした呟きだった。

「あら、私と踊りたいの怪鳥さん?」

少女は腰の鞭剣を抜き出すと、ステップを踏むような足取りで走るゲリョスの隣をすり抜ける。
少女を追って振り返るゲリョスの顔を一瞥し、少女の左手の鞭剣が大きくしなる。

「残念だけど……臭くて下品で不細工な相手とは踊らない主義なの」

刺すような言葉と冷たい嘲笑が放たれた直後、蒼い鞭剣が空を裂きゲリョスの顔を一閃する。

「ごめんなさいね」

飛び散る血肉を華麗にかわし、少女は冷たく微笑んで見せた。

砕ける冠

顔を鞭剣で一閃された毒怪鳥は、血走った眼で少女を睨んだ。
瞬間、少女は侮蔑の瞳で毒怪鳥の見返し、左手の鞭剣をしならせた。

「目も!!」

蒼い剣先は躊躇う事なくゲリョスの目を切り裂き、尚その刀身をしならせる。

「嘴も!! 肌も!! 翼も!! 臭いも!! 風格も!!」

少女が言葉を発する度に、蒼い剣先は毒怪鳥の体を少女の宣言通りの場所を切り刻んでいく。

「総てが下品で醜悪でグロテスクで最低なの」

少女が冷淡にクスリと笑うと、毒怪鳥の体は地面に吸い込まれる様に崩れ落ちた。
毒怪鳥の体は屍の様にピクリともしないが、その鼻先はプカプカと鼻提灯を作っていた。

「貴方には地べたがお似合いなの……でも」

少女の視線は毒怪鳥のある一点を見詰めていた。それはゲリョスの特徴である頭の鶏冠。

「いくら歪でも貴方に冠は不似合いなの」

少女は昏睡状態である毒怪鳥の鶏冠を容赦なく、執拗に、徹底的に、粉微塵になるまで切り刻んだ。

「ほぉら、お似合いな姿になったじゃないですの」

鶏冠をグシャグシャに切り裂かれた毒怪鳥は漸く立ち上がり、カチカチと嘴を打ち鳴らし、翼を大きく広げた。
これは毒怪鳥が頭の鶏冠から目潰しの閃光を放つ為の動作だが、既に光を放つ為の光源は襤褸雑巾だ。
故に爆発的な光は発射されない。

「凄く滑稽……」

少女は嘲笑いながら毒怪鳥を更に刻むべく一歩踏み込む。
しかし、頭の鶏冠を潰されたゲリョスには1つだけ、奥の手が有った。

その事に傲慢で世間知らずな少女は気付いていなかった。

今まさに斬りかかろうとする少女の視界を紫色の煙が包み込んだ。
その靄の正体に気付いた少女は、今の自分にはそれを避ける手はないと悟り、悔しそうに微笑みを歪めるしかなかった。

「えっ?」

しかし、少女の予想とは裏腹に、彼女の体は靄とは反対の方向へと移動する。

「貴方、何をしてるの?」
少女は心底不思議そうに、背に毒霧を浴びながら自分を抱き抱えて走る男に問い掛ける。

「知らないのかな、お嬢さん?」

男、ヒロゥは小さく咳き込みながら少女を優しく地面に降ろす。

「化け物に襲われてる女性を見掛けたら身を呈して助けるのが世界の常識なのさ」

ヒロゥは解毒薬を飲み干した口でニヤリと笑って見せた。

「貴方の言う世界はとても狭いのね」

「君の知る世界が狭いのさ」

そしてヒロゥは武器を構えた。

謝意がない

「助けて貰ってなんなのだけれど、助けるなり加勢するなりはもっと早く出来たんじゃなくて?」

少女が冷ややかな台詞を浴びせるが、ヒロゥは気にする様子もなく鉄槌を振りかぶる。

「相方の精神が弱くてね、避難させてたのさ」

「私を放っておいて?」

「其処は悪いと思ってるが、お嬢さん強そうだったし……助けに入るタイミングってのは大切と思ってさ」
ヒロゥが愉しそうに言うと少女がニコリと笑う。

「貴方の言う事は解らなくはないけれど、そう言う事は黙ってるべきだと思うの」

「仰る通りで!!」

少女が凄まじい怒気を自身に向けるのを感じてか、ヒロゥは素早く駆け出した。
ヒロゥの体は辺りに未だに漂っていた紫の靄を掻き分け、毒怪鳥の体に一気に迫る。
毒怪鳥はそんなヒロゥの頭をねじ切るべく嘴で食らい付くが、カチンッと言う音が虚しく響いた。

「残念……」

毒怪鳥の視界にヒロゥの頭はなく、代わりに鉛色の塊が迫ってきている事だけを認識する事が出来た。

「でしたぁ!!」

グシャリと言う音が響き、視界が歪み、何かが顔面を抉るように皮の上を滑って行った。
それが何かを理解する前に更にヒロゥの声が轟く。

「オマケだぁ!!!」

斜め下から凄まじい衝撃を受け、毒怪鳥の体がくの字に折れ曲がる。
視界の隅に僅かに映ったそれが自身を打ち抜いたハンマーだと気付くと同時に、毒怪鳥の体は再び地面へと崩れ落ちる。
立ち上がろうともがいても両足が地を掴む事はなく、飛び上がろうと羽ばたいても翼が空を掴む事はない。

そうこうしている内に、歪んだ視界に歪な白い人影が映った。

「久しぶり。今の貴方はとっても素敵なの。それはもうなぶり殺したくなるくらいに」

辛辣な台詞と共に鞭剣がしなり、痛みと引き換えに毒怪鳥の肉を削ぎ落としていく。それが何度となく繰り返される内に痛みは消え失せ、肉と一緒にずりずりと意識が削り落とされていく。

「痛め付けるのは趣味じゃないの。だから派手に散ってね」

霞んだ意識に妙に透き通った声が響き、何処か遠くで轟音が轟くのを聞きながら、毒怪鳥の意識はブッツリと途切れた。

「ごめんなさい、少しやり過ぎましたの」

謝意の一切籠められていないその謝罪は、決して毒怪鳥に届く事はなく鬱蒼と生い茂る木々のざわめきに飲み込まれた。

激烈毒テング

「23……24…………25、あ、厳選キノコ」

鬱蒼と茂る木々の陰で1人でブツブツ言いながらキノコを探す人影が1つ。その正体はヒロゥによって退避させられたケミィである。
なぜ彼女は加勢にも行かずこんな所でこんな事をしているかと言うと過去のトラウマとかが関係している訳だがで、心の準備をしていれば彼女も竜と対峙することは出来る。
が、不意に遭遇すると彼女の肝は驚くほど簡単に潰れるのだ。
その場合ケミィはヒロゥが迎えに来るか、心拍数が正常に戻るまで採取に没頭することになる。

「45……46……これは激烈毒天狗」

ケミィが自己主張の激しすぎるキノコを眺めていると、近くの茂みが大きく動いた。ケミィはビクリと肩を揺らしながら、震える手で腰の斧を掴む。
だが彼女のその行動は無駄に終わる。何故なら……

「いやー、終わった終わった」

茂みから出てきたのは他でもないヒロゥだったからだ。しかし、今のヒロゥの状態には1つ問題があった。

「ヒロ……その背に背負ってるのは何かしら?」

ヒロゥの背では先ほどまで大暴れしていた少女がスヤスヤと寝息を立てていた。

「事と場合によってはさっき採取したキノコをその口にぶち込むわよ?」

ケミィの右手にはぎりぎりと締め付けられる激烈毒テングダケの姿があった。

眠れるお嬢さん

弁明

「いやまて、そのキノコは流石に食えない!! まずは言い訳をさ!?」

「あー……言い訳? じゃあ簡潔に判り易く手短に……猶予は3分」

感情をごっそり引き抜いた様な低い声で唸る様にケミィが言った瞬間、ヒロゥの口は激怒した角竜よりも早く回りだす。

……話は毒怪鳥を倒した直後へと遡る。

ヒロゥ(と主に少女)が倒した毒怪鳥を捌こうとしゃがみ込んだ時だった。トンと軽い衝撃が彼の肩に乗っかった。

「ねぇ貴方、少し……肩をかしていただきたいの」

少女は先ほどまで暴れていたとは思えないほどのしおらしさでヒロゥの肩に顎を乗せ、少しだけ喋りにくそうにそう言った。

「私の肩でよければ気が済むまでどうぞ御自由に」

ヒロゥは何故彼女がそんな事を言ったのかがイマイチ判らなかったが、何時ものかっこつけた調子でそう答える。すると少女は躊躇なくその体をヒロゥに預けた。

「ありがとう……優しいのね」

「いえいえ、お気になさらず。女性に肩を貸すのは男の役目であり、役得ですから」

最後を冗談っぽく言い放ちククッとヒロゥは笑うが、背中の少女からはもう返事が返ってこなかった。

……

説明を終えたヒロゥが眠ったままの少女を背負ったままケミィを見据えた。

「……と言う事さ」

「いや、さっぱり判らないから。ところで濃縮液と搾りかす、どっちがいいかしら?」

しかしケミィはヒロゥの言い分に全く納得出来なかったのか、激烈毒テングダケを絞りながらヒロゥを睨んだ。

「……まだ搾りかすの方がましか!?」

キノコの搾りかすにフルフルと手を伸ばすヒロゥを見てケミィがケラケラ笑い出す。

「冗談よ、冗談。とりあえず死骸をばらしてから村に帰りましょ。流石にその時までには目を覚ますでしょ」

ケミィは少女を一瞥すると、興味が失せた様に緑の濃い方へと歩き出した。

「た、助かったのか……?」

ヒロゥは安堵のため息を吐く。吐くが、

「ほら、あんたはその子背負ったまま私の護衛よ!!」

「……はいはい、喜んで護らせていただきますさ」

彼の仕事はまだまだ終わらないらしい。
そして、少女はそんな彼の苦労なんて一切知らずに眠り続ける。
今日も彼女は見飽きた夢を瞼の裏で繰り返す。

寝室

ヒロゥ達は毒怪鳥の死体から素材を剥ぎ取り、必要分の特産キノコを納品し、帰りの荷車に乗り込んだ。
村の集会所に着くころには、日はドップリと暮れ辺りは真っ暗闇……だと言うのに未だに少女は目を覚ましていなかった。

「さて、どうするべきか?」

未だ少女を背中に負ぶったままのヒロゥが首を捻る。
彼の目の前には空になった皿が並んでおり、あとは何時もの日課を済ませて眠るだけな訳だが、背中の少女の扱いをどうすべきか悩んでいた。

「集会所の椅子にでも寝かせとけば良いじゃない。メイドさん辺りが面倒見てくれるわよ」

ケミィは興味無さ気に口の周りを拭いながら言い捨てる。

「流石にそれはあんまりじゃ……」

「所詮赤の他人でしょう? だいたい竜を手玉に取るくらい強いなら寝こみを襲われたって平気でしょうに」

ケミィは寝ている少女の頬をプニプにと突きながらニヤニヤと笑みを浮かべる。
すると不意にケミィの手を少女の手が掴んだ。

「な、なによ、やっぱり起きて……」

「かぁさま……」

不意の出来事に慌てるケミィの予想に反して、少女の口から漏れたのはそんな言葉だった。
そんなある意味不意打ちとも言える少女の寝言を聞いたケミィの顔は見る見る内に真っ赤に染まる。

「わ、私は貴方の母親なんかじゃ!?」

そんな事を言いながらケミィは椅子に深く座り込んだ。

「やっぱりここで寝かせとくのは可哀そうだろう?」

ヒロゥがかみ殺し損ねたようなニヤケ顔でケミィを覗き込むと、

「もうあんたの好きにすれば良いじゃない!!」

と言い放ってテーブルから勢い良く立ち上がった。

「でも泊めるのは貴方の部屋よ。絶対に私の部屋にいれちゃ駄目よ!!」

「あいさっさ」

続いてヒロゥも少女を起こさないようにゆっくりと立ち上がる。
すると思い出したようにケミィがヒロゥを睨んだ。

「あと……寝てるからって変なことするなよ?」

「変な事って何さ?」

ヒロゥは酷く真面目な顔でそう尋ねた。

「いや、今のは私が悪かったわ。おやすみ、朴念仁」

そういってケミィは集会所を後にした。ヒロゥも首を傾げながらそれに続いた。

嫌な夢

聡明で、強くて、狂ったお父様。

可憐で、健気で、愚かなお母様。

勇敢で、気高く、愚直なお兄様。

偉大で、優しく、事の引き金であるお祖父様。

そして……華奢で、貧弱で、救いようのない私。

大きなお家に、沢山の召し使い、幸せな5人の家族。
そう絵に描いたように幸せな家族。だからこそ直ぐに気付いてしまう。

今見てるこれは全部夢。

私の家族は誰一人生きてはいない。

お祖父様は眠りに着いた日から、お父様は脳の隅々まで狂い果てて、とても素敵な人間に生まれ変わったの。
健気なお母様はそんなお父様から私達を守る為に自らに剣を突き立てたの。その生き様は健気で愚か、でもその最後はとてもとても素敵だった。
勇猛果敢なお兄様はそんなお父様を殺す為に剣をとったの。化け物に身を落としてまで食らい付き抗い続け息絶えたその人生は私の誇りなの。

そんな中、弱くて脆くて無様な私はただただ眠り続けたの。
狂いもせず、庇いもせず、抗いもせず、ただただ眠り続けたの。

そして目を覚ました頃には皆皆居なくなっていたの。
死んだと言う事すら人伝で確かめる事すら出来ないの。

だから私は死にたいの。皆死んでいても、誰か生きていても、何処に居ても解るように輝いて死にたいの。
流れ星みたいに弾けて死ねば、きっと何処にいても気付いて貰えて、次にあった時にもきっときっと褒めて貰えるの。

だから私は死にたいの。

戻らない日々を夢見、すがる事は無様で醜悪極まりないの。こんな幸せな頃の夢なんて見たくないの。

夢見続ける人生なんて
眠り続ける人生なんて
屍にも劣る人生なんて

絶対に絶対にごめんなの


だから深く深く眠りに堕ちてしまう前に素敵な舞台を探さなくちゃ……

でも死ぬ前に1つくらい良い思いをしてもいいよね?

だから早く目を覚まさなきゃ…

夜のお嬢様

誰かの部屋

重い瞼がパチリと開き、少女の瞳孔がゆっくりと暗闇のなかへ焦点を合わせていく。
周りに人の気配はなく、辺りは暗闇……
少女が眠りに堕ちてから半日程度の時間が経っていたが、少女は存外に早く目が覚めたと喜びながら辺りを確認すべくベッドから抜け出す。
手近なランプに灯を灯し、見知らぬ部屋に目を凝らす。
一言で言えば殺風景な部屋だった。
ろくに物がなく、ベッドと何冊もの本やメモが積まれた質素な机。まるで小説化を缶詰めにするための部屋の様だ。
そして、部屋の片隅に掛けられた装備を見るに此処はヒロゥの部屋らしい。
その事に気づいた少女は自分の衣服を確認する。
防具や武器などの装備は外されては居たが、衣服自体はサッパリ弄られていない。

ヒロゥが紳士的だったのか、自身に女性らしさが欠如していたのかを一瞬だけ考えたが、虚しくなるだけだと結論付け少女は机へと近付いた。

ザッと背表紙に目を通すとその殆どが手書きであった。
適当に手に取り、サッと目を通す。
……どうやらどの本にもハンターの伝記やら噂話やらが書かれているらしい。
ココットの英雄と言うベタな物から邪龍伝説なんて眉唾物まで。

メモの方には……

蒼い狩人と古龍の闘い
邪龍が生まれ死んだ村
奇妙な狩人と奇形種の闘い
朱蟹と白き山の神
三つの街での闘い

どれも少女は聞いた事のない話ばかりだった。
しかしあるメモを見て少女の手はピタリと止まる。

メモのタイトルは『箱庭の狂人』……


「この話は素敵だけどもう知ってるの」

少女は独り呟くとメモを元に戻した。
そしてある事に気が付いた。

「何故私独りなのかしら」

ここは十中八九ヒロゥの部屋だ。だが、部屋に居るのは少女独りだけ。窓から見える景色の暗さや静けさから言って、出歩く様な時間ではないはずだ。

「介抱してくれたお礼に夜這いでもしようかと思いましたのに」

悪戯っぽく呟く少女の耳に、とある音が聞こえてきた。
大きな何かが空を切る様な音、分かりやすく言えば素振りをする様な音が微かに聞こえてくる。

少女はその音を頼りに、部屋の窓から外へと飛び出した。

飛びだした訳だが、そこで少女はある事に気が付いた。

「地面が有りませんの」

少女が居た部屋はどうやら二階だったらしい。

空から女の子

現状を把握した瞬間、少女の体は思い出した様に引力に捕われ固そうな地面へ誘われる。
正直なところ、ちょっとやそっと程度ではない少女に取ってこの程度の高さから落ちてもかすり傷1つ負いはしない。しないが…

視線の先に有るものを見付けたので、ついつい出来心で可愛らしい悲鳴なんかをあげてみる。

「キャァッ!!」

鳥肌が立つような猫なで声で態とらしい悲鳴が発せられた途端、落下点にある影は有り得ない速度であるポーズをとった。それこそ光に迫る動きで。

「やっぱり貴方は素敵ね」

少女の体は驚くほど柔らかく、落下点にいた影、もといヒロゥにお姫様抱っこの格好でキャッチされた。

「こんな時間に空から舞い降りてくるなんて……一体貴女は何処の天女様で?」

こんな深夜にも関わらず、ヒロゥが条件反射のみで黒猫の毛よりも滑らかにこんな蕁麻疹が出るような台詞を吐けたのは彼の地道なイメージトレーニングの賜物どあるがその事には触れないでおこう。

「あれ……よく見たらお嬢さんじゃないか」

寧ろそれ以外の誰がヒロゥの頭上にある彼の部屋から落ちてくると言うのだろうか?

「ねぇ貴方は無防備な私には目も暮れず、こんな夜更けに何をしていたの?」

少女は必要以上に艶っぽい声で、ヒロゥの首に手を回しながら耳元でそう囁く。
しかしその答えは大方検討がついている。
汗の滲む額に火照った体、そして少女をキャッチするために投げ出されたであろう彼のハンマー。
つまり彼は独りで鍛練をしていたのだろう。
しかしそれを解った上で少女はヒロゥに尋ねる。

「なに、人に言えないような惨めな事さ。それでいて私の様な凡夫には必要不可欠な事さ」

ヒロゥは自嘲気味に笑いながらつらつらとそう言った。

「各言うお嬢さんは何故あんな場所から?」

ヒロゥは自分の部屋を見上げながら首を傾げる。

「決まってるの。暗い部屋にか弱い女性を置き去りにした貴方に夜這いを掛けにきたの」

「よ、夜這い?!」

少女のその一言でヒロゥは何時ものヒロゥへと戻った。

「いやいや女の子が軽々しく……」

その時、盛大に家の扉が開いた。そう、盛大に。

「あー色々言いたい事があるけど……これ何か解る?」

突如現れたケミィは手に持った黄色っぽい生肉を指差した。

「え、シビレ生肉?」

「正解!!」

次の瞬間、シビレ生肉はヒロゥの口に叩き込まれていた。

流れ星

シビレ生肉を口にした事を理解するよりも早く、ヒロゥの瞳が白目を向き、口からブクブクと泡を吐く。
そんな意識があるかどうかも怪しいヒロゥの頭上に、高々とケミィの踵が振り上げられた。

「天誅!!」

降り下ろされた踵は三日月の様な軌跡を残し、ヒロゥの頭頂部を直撃した。

「ハァ……こんな夜中に過激な運動させないでよね」

小さく溜め息を吐き、ケミィは両手を叩きながら地面にめり込んだまま気を失っているヒロゥにそう愚痴った。

「ねぇお姉さん、なんで私でなくてあの人を?」

口元に人差し指を当て、首を傾げながら少女はケミィに訊ねる。

「そんなの……あの状況を見ればああなるでしょう?」

「私の方が彼を誘っていましたのに?」

「わ、私には!?」

少しばかり声を荒らげようとしたケミィの口に、少女の華奢な人差し指が当てられる。

「嘘はいけませんの。御姉さんはそんな勘違いをするような思慮の浅い方じゃないでしょうし、私と彼の話も全部聞いていたのでしょう?」

「わ、私は……」

言い訳を探すようにケミィの瞳はふらふらと泳ぐが、その口は虚しくパクパクと動くだけだった。

「伝えたい事は言葉にしないと駄目なの。他人を理解しきれる人間なんてそうそう居ないし、そうでなくても人の命は短いのに」

冷淡な口調でそんな科白を言いながら、少女はジリジリとケミィに近付いていく。

「あ、あんたが何を言おうとしているか私にはさっぱり解らない!!」

ケミィがそんな少女を突き飛ばしそう言い放つと、少女はクスリと笑う。

「別にそれならいいのだけれど……1つ忠告をしてあげるの」

少女はよりいっそうニンマリと笑うと、地面にめり込んだヒロゥを見ながらゆっくりと口を開く。

「彼は夜空で瞬く小さな星なの。いつか暗闇を裂いて輝く時を待ってるの。でも流れた星は夜空に溶けて消えるの運命……それは私も貴女も同じだけれど、彼が弾ける時に彼の隣に居るのは貴女と私、どちらなのかしら?」

ケミィは少女の言葉に軽い目眩を覚えながらも、一歩少女へと詰め寄った。

「アンタは……アンタはヒロゥをどうする気なのかしら?」

「彼を好きじゃない、好きとも言えない貴女には何一つ関係ないことなの」

「アンタは!!」

ケミィが少女の胸ぐらを掴もうとした瞬間、少女の姿は木々の隙間へと滑りこんで行った。

「さよなら御姉さん、また今度なの」

彼女は何時かの夢を見る

雨が降る

暗闇の中で握り締めたままだった拳をほどき、ポケットの中にしまいこむ。
ケミィは気絶したままのヒロゥを彼の部屋に投げ入れると自身の部屋に戻り鍵を掛けた。

ベットに潜り込み固く目を閉じると先程の少女の言葉がガンガンと頭の中で反響しだす。
それでも彼女は頑なに眠りに瞳を閉じ眠る努力をする。

ケミィの意識が微睡みに堕ちる時、彼女の皺の寄った目蓋には何時かの記憶が夢幻の様に映し出されていた。


時は1年程昔、場所はこの村。しかし村にはケミィ以外の人間は1人も居らず、彼女の家以外の家屋には台風に備えるかの様に幾重にも厳重に分厚い木板が打ち付けられている。

当時、この村は壊滅の危機に瀕していた。

原因は至って簡単、あと数刻もしない内にこの村にモンスターが押し寄せるからだ。

何故モンスターが押し寄せるのか?
何故モンスターが来るのにハンターが居ないのか?

理由は至極明解、この村に一番近い街に古龍が迫っていたからだ。

有象無象のモンスター達は古龍に畏れをなして大挙して逃げ惑い、腕自慢の狩人達は競って街へと集結する。

その結果がこの村のこの現状だ。

古龍の討伐に参加しなかったこの村の狩人共は揃いも揃って玉無しで、村の置かれた状況を理解するや否や、村人が用意したはした金程度の報酬には目もくれず我先にと寂れた村から逃げ出した。
残された村人達も無駄と知りながら自分達の家に可能な限りの防御を施し、安全な場所へと避難してしまった。

狩人1人、村人1人居やしないこの村はあと1日もしない内に逃げ惑うモンスター達の群に、蟻の様に踏み潰されるのだろう。

ではそんな村に何故ケミィ1人だけが残っているのか?
それは彼女は既に家族が居らずこの家だけが彼女に遺された物だからだ。
家業が薬屋である彼女は薬の材料を採取するために何度か狩場に足を運んだ経験があるし、一応は狩人の端くれだ。
だから彼女は周囲の反対も押し切り、1人村に残った。

しかしやらずとも結果は解る。明日には彼女も彼女の家も無惨に其処らに転がっている。それが現実だ。

遠くから地響きの様な足音が聞こえる度に、避けられない現実が彼女に迫る。
最早彼女は敵に立ち向かう事も後に退くことも出来ず、小刻みに震え堪えきれずに涙を流す。
そんな彼女の心を映す様に、空からは大粒の雨が降りだした。

その雨音に混ざり、1つの足音が彼女に近付く。

傘をさす

雨と一緒に現れたのは1人の狩人だった。
腰に巨大な鉄塊の様な鎚をさげ、統一性のない装備の中でも真っ赤な冑が特に似合っていない。
狩人はケミィを見付けると嬉しそうに彼女に近寄ってきた。

「そこのお嬢さん、ちょっとお尋ねしたいことが有るんですが」

少し低めの落ち着いた声で狩人は尋ねるが、ケミィは狩人の方を見るだけで何も言葉を発しない。
暫しの沈黙、雨粒が地面に落ちて弾ける音だけが2人しかいないちっぽけな村を埋め尽くす。
そんな折り、狩人は有ることに気付き、十数秒振りに口を開いた。

「もしかして……泣いているので?」

雨粒とは違う、ケミィの頬を伝う水滴を見て狩人は言う。
それを聞いたケミィは今しがた話し方を思い出したかのように小さく笑う。

「まさか、ただの雨よ」

そう言う彼女の体は微かに震えて見えたが、それが雨に濡れた寒さのせいなのか、それ以外の要因なのか、狩人は聞かずとも理解した。

「何故貴女が1人で雨に濡れているのかは私の知る所では有りませんが……」

狩人は言いながらケミィに近付くと徐に自身の鞄に手を伸ばす。

「雨に濡れる人が居れば傘をさしてあげるのが男の役目と言うものです」

そう言って男が取り出したのは傘ではなく、一枚の布切れで、無駄に手慣れた手つきでケミィにそれを被せた。

「傘じゃないじゃない」

それを見たケミィがクスリと笑う。

「生憎傘は持ち歩いていなくて……それでも、雨は少しはマシになったでしょう?」

「ええ、少しはね」

ケミィは少しだけ笑ったが、またすぐに暗い顔に戻ってしまう。
狩人は困ったように自分の掌を空に向ける。

「この雨は暫くすれば止むのでしょうが……どうしたものか」

その時、雨音に紛れ、確かに近くの茂みがガサリと揺れた。注意深く目を凝らせば灯りではない何かがチラチラと木々の隙間から此方を見ている。
ケミィは慌てて後退りながら、覚束無い手付きで二挺の手斧を構える。
それに応えるように茂みから数頭の青い鳥竜が飛び出して来た。その内の一頭が間髪入れずにケミィへと飛び掛かる。

それはほんの数秒の出来事だった。

青い鳥竜が牙を剥き、震えるケミィの手から構えた手斧が滑り落ち、厭らしく笑う鳥竜を鉛色の塊が叩き潰した。

「何が貴女の頬を濡らすのかは解りませんが、私が貴女の心を覆う雲を晴らして見せましょう」

暴風が吹き荒れる

狩人は構えた鉄槌を体の一部の様に軽々と振り回し、次々と青い鳥竜達を真っ赤な肉塊へと造り代えていく。
そして数頭を叩き潰した所で、茂みの奥から一際体の大きく、特徴的な赤い鶏冠を持つ群のリーダーらしき個体が現れた。
青い鳥竜の群も、狩人もピタリと動きを止めその場に緊張が走る。
ケミィは自身の鼓動が狂った様に早くなるのを感じながら、震える手で武器を構えるが、狩人の腕がゆっくりと彼女の行く手を遮った。

「大丈夫、所詮は鳥竜、私1人で問題ありません」

薬草をかじりながら発せられたその言葉は、何処か狩人自身に言い聞かせている様にも聞こえた。
ジリジリ続く睨み合い、しかし不意に雨音だけが埋め尽くす世界を何かの雄叫びが引き裂いた。
それは狩人の物でも、ましてや青い鳥竜のリーダーの物でもない。その証拠に、それを聞いた鳥竜達は思い出した様に狩人とケミィの脇をすり抜け、深い緑の中へと消えていった。

「いったい何が……」

其処まで言って狩人は有ることに気付き、鳥竜が逃げていった方とは反対側の森を睨んだ。

何かが近付いてくる。

木々を薙ぎ倒し、幕の様な雨を纏った何かが此方へ近付いてくる。
まるで小さな台風の様に、全てを蹴散らし、総てを巻き上げ真っ直ぐ此方へ近付いてくる。

竜巻か何かの様に感じるがそれは違う。確実に彼方の瞳は此方を捉えている。
その証拠にケミィは震える事も忘れ、微塵も動けなくなっていた。
そんな彼女の見る景色にぽっかりと穴が開いた。
正確に言うと膨大な量の暴風の塊が、森の向こうからケミィ目掛け放たれた。

ケミィの頭は目の前の事態を理解するより早く、ある結果を導き出す。

「あ、死ぬ」

暴風の弾丸がケミィの体を粉微塵に消し飛ばす寸前に、酷く必死な叫び声が轟き、彼女の体がフワリと浮かぶ。
しかし、彼女の体は暴風に弾き跳ばされたとは思えない程優しく地面に着地した。

「え?」

ケミィの隣には先程と同一人物とは思えない程に荒々しく呼吸を整える狩人の姿が有った。

「あれは…古龍か」

穴の向こうから現れた錆色の塊を見た狩人の言葉は、絶望していながらもそれ以上に嬉しそうに彼の口から零れ落ちた。

「助けてくれて有難う、もう自分で歩け……」

そう言い掛けたケミィの視界には、錆色の古龍ではなく、2割程が抉られた彼女の家が映っていた。

暴風を突き抜ける

あ、あ、あ……私の、私の」

目の前の現実を見て彼女の口からは言葉な成りきらない何かが漏れる。

彼女、ケミィにとって家とは全てだ。
資産であり、記憶であり、思い出であり、唯一残った形ある家族との絆だ。

それが目の前で大きく抉り取られた。
彼女の口はまともな言葉を発する事を放棄し、代わりに2つの瞳からは雨ではない滴が止めどなく流れ落ちる。
隣にいた狩人は徐に煙玉を破裂させると、静かにケミィを家の陰に置いた。

「雨はこれ以上強くなることなく止みます。ですから雨雲が晴れたら是非とも綺麗な虹を見せて欲しい」

狩人はずぶ濡れのケミィにそうとだけ告げると、深くヘルムを被り直した。

右手をハンマーの柄に掛けたまま、低い姿勢のまま煙幕の中を駆け回る。
白一色の視界の中でも驚くほど簡単に古龍の場所が解った。

「煙幕が渦巻いている……」

ちょっとやそっとの風ではびくともしない煙玉の煙幕が、見て判る程に渦を巻いている。それで判るのは古龍の居場所と、奴の纏う風の強さだ。
文献で読んで多少は知っているが、何処まで宛になるか……奴を倒すには多少の博打を打つ必要がある。

狩人は自分の位置とケミィの位置を確認すると、鞄から取り出した角笛を短く吹き鳴らす。
その音色で青い鳥竜を喰らっていた古龍の意識が狩人を捉えた。
古龍は鬱陶しがる様な視線で人影を一瞥すると、大きく体を反らせた。
白い煙の渦が収束するのと、狩人の体が地を這いずる様に駆け出すのは殆ど同時だった。
収束した暴風の塊は、躊躇う事無く狩人目掛け放たれた。だが、その時既に狩人は古龍まであと一歩の所に迫っていた。

「オォオオォォォ!!!!」

暴風が全てを薙ぎ払う中、確かに狩人の雄叫びが轟いた。
漂っていた煙幕と共に吹き飛ばされる赤いヘルム、しかし吹き飛んだのはそれだけだ。
狩人は全くの無風状態になった古龍の顎下に力強い一歩を踏み込んでいた。
金色の短髪の下で鈍く輝く黒い瞳は次に打ち抜くべき場所を捉えている。

「とった!!」

その一撃は狩人の言う通り完璧なタイミングで完璧な位置から、間違いなく彼の渾身の力を込めて放たれた。
だが響き渡ったのは鈍い金属音、弾かれた相棒につられ大きく体勢を崩す狩人の目の前には、興味無さげな瞳で腕を振り上げる古龍の姿があった。

「どうしようもない現実ってやつか」

舌打ち混じりに狩人はそう呟いた。

彼は叶わぬ夢を見る

狩人彼には足りない物があった。

まず第一に装備、如何に優れた狩人であろうとただの鉄塊で龍を仕止めるのは至難の技だ。

次に経験、無知ゆえに敵と自分の力量差を客観的に考える事が出来ない。だから自殺染みた戦法も容易くとれる。

最後に現実味、危機感とでも言うべきか。
彼は物語の主人公に憧れる。
自身も主人公に成りたがる。
だから目の前に化け物が現れても、死の権化が現れても、嬉々として戦いを挑む。
簡単に言えば狂っているのだ。

だからこんな目に会う事もしばしばだ。

だが、彼が最も恐れるのは、嫌悪するのは、無様に死ぬ事ではない。

あと数分の1秒で自身の首を掻ききるであろう鋼腕の脇、間延びした時間の中で無駄にゆっくりと弾けるそれを見て、狩人は歯軋りをする。

短く轟く爆発音。
爆ぜたのは火薬がたんまり詰まった拡散段。
弾き跳ばされるのは龍の腕と苛立つ狩人。

「大丈夫か? さがってろよ!!」

乱入者は自身の相棒を構えながら高々と叫んだ。
まるで物語の主人公みたいに。

彼が最も嫌うのは正にこの瞬間、彼自身が彼が望む様な主人公ではないと自覚させられる時だ。

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最終更新:2013年02月21日 05:06
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