震える風~第2幕クエスト☆

『ねぇ!ルー、起きて。もう朝よ!』
 明るい声と共にドアが開かれる。
 勢い良く開けられたドアが壁にぶつかった。
『ルーってば!』
『ん……』
 声の主に毛布を剥ぎ取られると眩しい陽の光が目に入ってくる。
 目に入ってくるといっても目は閉じたままなのだが、それでも眩しい。
『いつからそんなお寝坊さんになったの?』
 目を擦りながら欠伸をすると声の主が呆れた様に笑った。
『お・は・よ・う!』
 顔を捕まえ耳の近くでわざと大きな声を出す。
『うわ!…おはよう、リシェス』
 リシェスと呼ばれた目の前の女性。
 目に鮮やかなピンク色の鎧━━━クックシリーズと言われる装備を身につけている。
 年の頃は二十歳手前といったところだろうか、柔らかな笑顔が印象的だ。
 耳を押さえながら苦笑いをしている彼の名はルイン。
 つい最近彼女、リシェス達と行動を共にするようになった。
 年はリシェスより2つ下で彼女達のパーティーでは一番年下だ。
『広場の方が騒がしいの、何かあったのかな?』
 言って彼女が窓を外を覗く。
 確かに遠くからは喧騒が聞こえてくる。
『ねぇルー、行ってみよう?』
 彼女が目を輝かせながらルインの手を引いた。
『うん、準備するからちょっと待って』
 リシェスに手を引かれるままにベッドから起き上がり、部屋の端にある大きな箱の方へと歩いていく。
 この箱は【アイテムボックス】と呼ばれるその名の通りハンター達が狩りの道具や、狩りで手に入れた素材・鉱石などを入れておくものだ。
 見た目より沢山物を入れる事ができ、部屋の大きさによってアイテムボックスの大きさも変わる。
 しかしそれほど大きな部屋に泊まれるのはランクの高いハンターでルイン達の部屋にあるのはボックスの中では標準の物だが、ボックスの中では一番小さい。
 ボックスの中に放り込んであった彼の防具【ハンターシリーズ】と言われる装備を取り出し、慣れた手つきで身に着ける。
『武器は……いいか』
 ふと壁に立てかけてあった片手剣が目に付いたが、触れずにリシェスの方へ向き直る。
『お待たせ』
 そう言うと彼女は嬉しそうに笑いドアの外へと向かって行った。

 ここはフライダムの村から南東に2週間ほどの街《レフツェンブルグ》。
 街の歴史自体は浅く、ミナガルデや山を越えた先にあるドンドルマに比べても小さい街だ。
 ハンター達が扱う武器を製造する街として栄え、各地から色んな者が訪ねてくる。
 特徴的なのは街を囲む大きな壁だ、その高い壁はモンスターの襲撃に備えているといわれる。
 しかし外壁はあれど王都などに見られる大砲やバリスタのような兵器は設置されておらず、ただモンスターを街に入れさせない為だけの役割しかない。
 歴史は浅いといってもこの街にモンスターが襲撃したという記録はなく、実際は外壁だけで十分といったところなのかもしれない。
 街の中でも目を引くのは中心街にあるギルドと“武器工房”だろう。
 ギルドは言わずともしれるハンター達を取り仕切る組織だ。
 この街はハンターの扱う武器を造る事で栄えた街、自然にハンター達の数は増え、それを取り仕切るギルドも大きくなるっといった具合だった。
 武器工房と言われる大きな建物の中は機械仕掛けの“炉”などがあり、本来は竜人族にしか扱えないとされてきた飛竜の素材を使った武器を製造する事ができる。
 東に栄えるドンドルマにある工房を真似た物で、時折ふらりと街に立ち寄る竜人族の鍛冶職人などからアドバイスなども受けながら試行錯誤を繰り返し改良が加えられている。
 ルインとリシェス、彼らがこの街に到着したのは昨日の事で、着いた時には日も暮れておりその日はギルドでの登録だけして眠りについた。
 ハンターはその街や村で狩りをする際にはその地域を取り仕切るギルドに登録を願い出なければならない。
 そうしなければゲストハウスと呼ばれる宿舎に泊まる事はおろか、買い物すらできない。
 基本的にハンター達は現金を持ち歩く事はなく、ギルドが管理しているからだ。
 そうしなければ狩りに出ている間に宿舎から盗まれたり、また狩り場に持っていって無くしてしまったりする者が多く、ハンターは新しい街や村に着いたら以前のギルドでの経歴などをその地域のギルドに報告する。
『エレノア……元気かな』
 宿舎の廊下を歩いているとリシェスはぽつりと呟いた。
『そうだね…』
 彼らのいたフライダムの村からこのレフツェンブルグまでは約2週間。
 仲の良かった友人と離れ気が沈んでいるのだろう。
『きっと元気だよ、帰った時にそんな暗い顔してたら怒られるよ?』
 そう言って彼はリシェスに微笑みかける。
 彼の微笑みに笑顔を返し、村を出る時の事を思い出す。
『お前達、街に行く気はないか?』
 酒場で食事をしていると目の前に座った男が皿に乗ったステーキにナイフを入れながら聞いてくる。
 男の名はウォーレン、最近知り合ったハンターで年は三十くらいだと言っていた。
 静かな男だが、狩りでは手に持つハンマーで果敢に飛竜に挑んでいく。
 また経験も豊富なようでその知識には何度も助けられた。
『街?』
 隣に座っていたルインがナイフを止め聞き返す。
 彼の前には魚を使った料理がある、ちなみにリシェスは魚の小骨を取るのが苦手なのであまり魚料理を頼む事は無かったが、ルインは好きなのかよく頼んでいた。
『街っていうとミナガルデ?』
 彼女もルインの後に続き聞いてみるがウォーレンは何かを考えたまま黙っている。
 ミナガルデは西シュレイドに栄える街でハンター達があつまる大きな街だ。
 リシェスの両親も何度か足を運んでおり、また彼女自身も親に連れられ行った事がある。
『いや、この村の南東にレフツェンブルグという街がある。武具の製造で栄える街だ』
 彼は麦酒を飲みほし続きを話し出す。
『武具の街……、そこで何かあるの?』
 確かにウォーレンから見ればルインやリシェスが身に着けている防具は頼りないものだろう。
 彼はそこで武具を揃えて来いと言っているのだろうか。
 ウォーレンの意図を計りかねリシェスが聞き返した。
『確かに俺達の武器や防具は頼りないと思うけど…』
 ルインの言葉をウォーレンが手で遮る。
『待て、何もお前達に装備を整えてこいと言っているわけではない』
 言葉を否定されさらに困惑の表情を浮かべる。
『だったら何を?』
 豪快な狩りの戦い方とは裏腹に普段の彼はゆったりとしている。
 すぐに答えが返ってこないとみるとルインは再び皿の魚に手をつける。
 リシェスもウォーレンを見ていたが、考え込む彼を見ているのが飽きたのか料理に視線を戻した。
『レフツェンブルグの辺りには“沼地”と呼ばれる場所があってな』
 魚を半分ほど平らげた頃だろうか、不意にウォーレンが口を開く。
『沼地?』
 リシェスとルインは揃って聞き返す。
『そうだ、霧に覆われた湿地帯の事だ。視界は悪く、また湿地帯では足を取られやすい為狩りは難しい…』
 聞いた瞬間、考えていたのはその事かと理解した。彼はルインやリシェスの腕や経験では沼地での狩りは難しいと考えているのだろう。
『そんなのやってみないと分からないじゃない』
 リシェスも彼の考えが分かって腹が立ったのかやや不満げに口をとがらす。
『いや、私も一度行った事があるが思いの外苦戦した。特に“踏ん張る”事が必要な大剣使いや、ハンマー使いには厳しい場所だ。ガンナーも深い霧で狙撃は難しい』
『だったら何を?』
 行く気はないかと聞いてみたり、行けば苦戦すると言ってみたり益々ウォーレンの意図が読めない。
『うむ…、そこには珍しい植物があってな、【マンドラゴラ】と呼ばれる植物が生えているという』
『マンドラゴラ…』
 聞いた事がない名前を言われリシェスがルインの方を見るが、彼も知らないといった風に首を振った。
『マンドラゴラは薬に使われるキノコの一種でその薬はどんな怪我や病にも効くと言われている…』
『それじゃあそれがあればエレノアも!?』
 ウォーレンの言葉にリシェスがテーブルから身を乗り出す。
『ああ、治るかもしれん。しかし調合は工程が長く複雑だと聞く』
 エレノアは先の火竜のと戦いで重傷を負った。
 幸い命に別状は無かったが、大きな怪我を負ったためハンターとして復帰するにはかなりの時間が必要との事だった。
 もっとも怪我が治ったからといって復帰できるかどうかは別問題だろうが。
『エレノアの傷は放っておいても治る、しかしそれでは時間がかかりすぎるからな。お前達がその気ならと思っただけだ』
 そう言うと彼は追加の麦酒を注文した。
『でも調合できるかな、俺達に…』
 高度な技術を要する薬、珍しい素材を使う物はとりわけ調合が難しい。
 この村に来た行商人が【調合書】という物を売っていたが、どれも高価だった。
 何でもこの調合書はマニュアルの様な物で、これがあれば大抵の調合は上手くいくという、しかし高度な本になれば手も出せないような金額だった。
『大丈夫だ、街には調合屋というものがあってなそこに素材と金を渡せば薬などを作ってくれる』
 ルインの不安を払うようにウォーレンが言う。
『だからお前達は素材を探すだけでいい』
 それを聞いたリシェスの顔にも笑顔が戻る。
『だったらすぐに探しに行こう!』
 興奮を押さえ切れないといったような表情でリシェスが立ち上がる。
『だが…、だが私は一緒には行けない…』
 そう言った彼の表情は暗かった。
『どうして…?』
 リシェスが不安げに聞き返す。
『うむ、実はな王都にいる仲間からの呼び出しがあってな。王都に戻らねばならない』
 彼の言葉を聞き、先ほど考えていた事は“これ”かと理解する。
 つまりは新しい場所の情報は与えるが、自分はそれに同行する事はできない。
 新しい場所に、しかも足場の悪い場所にルインやリシェスを送る事への不安といったところだろうか。
『火竜を狩ったといってもまだお前達は一人前でない。沼地は先に言ったとおり視界も足場も悪く熟練ハンターでさえ手を焼く狩場だ、エレノアの傷は時間さえかければ治る…、無理をする必要はないぞ』
 確かにウォーレンの言うとおりエレノアの傷を癒やす薬を取りに行って自分達が怪我をすれば本末転倒だ。
 アドバイスをしてくれるハンターと組めればいいが、街で仲間を募集しているハンターは大抵長期間組めるメンバーを探しており、一度や二度のクエストの同行者を募集しているパーティーは少ない。
『でも、それでエレノアの傷が治るなら行ってみよう。無理かどうかは向こうで判断すればいいし』
 俯いていたルインが口を開いた。
 食べ終わった皿の横に静かにナイフとフォークを置き目を閉じる。
『確かに時間が経てばエレノアの傷は治るけど、でももっと早く治してあげれるなら頑張ってみよう』
 瀕死の傷でも時間が経てば傷は塞がり、多少の後遺症は残るかもしれないが元に戻る。
 しかしその間に外に出れないエレノアは、ベッドからろくに動けないエレノアの筋力は著しく下がるだろう。
 狩りに出れない時間が長くなればなるほど彼女の勘は鈍り、いざ実戦に戻ったとしても、すぐに昔の様に戦う事はできないだろう。
 ならば、少しでも狩りに出れない期間を短くしようというのがルインの考えらしい。
『お前ならそう言うと思っていた。沼地には雌の火竜もいるという…、決して無茶はするなよ』
 そう言うとウォーレンは立ち上がりテーブルを後にした。
『ルー…』
 火竜と言う言葉に何かが引っかかったのかリシェスが不安げに見つめる。
『大丈夫だよ、俺達は【マンドラゴラ】を見つけに行くだけ。大きなクエストを受ける事もないよ』
 ルインは微笑みながら彼女の手を取る。
『エレノアにしばらく出かけるって言いに行かないと。俺は街の場所をウォーレンに詳しくきいておくからリシェス、頼める?』
『そうですか、そんな遠くに……』
 ゲストハウスにあるエレノアの自室だ。
 酒場での話を伝えると彼女は少し寂しそうな顔をする。
 薬を探しにいくという事はエレノアが気を遣うだろうという事でウォーレンに口止めをされており、ただ彼女の傷が治るまでの間他の街を見に行くという理由にしてある。
『うん、ちょっとの間会えなくなるね…』
 寂しそうなエレノアを見ているとつられて空虚な気持ちに襲われる。
 考えてみれば幼い頃からずっと一緒に育ってきたのだ。
 一日や二日ほどなら顔を合わせない事もあったが、月をまたいで会わないなどという事は今回が初めてだ。
 お互いの両親が共に狩りにいくほどの仲で、自然に彼女達も姉妹の様に育ってきた。
『私はまだ動けませんし、それもいいでしょう。気をつけて行ってきて下さい』
 エレノアは笑ってみせるが顔色はよくない、それは怪我のせいだけではないだろう。
『ごめんねエレノア…、すぐに帰ってくるから』
 そう言って彼女の部屋を後にする。

『“すぐに帰ってくる”、ですか…。ウォーレンに何を吹き込まれたんでしょうね…』
 リシェスが出ていったドアを見つめる。
 彼女━━━リシェスは昔からそうだ。
 素直、というのだろうか、リシェスが何かを隠していてもその表情や仕草ですぐに分かる。
 本人は気付いているのかいないのか、彼女は嘘をつく時に視線を泳がせる。
 もっとも他にも色々とあるのだが、それが分かるのは幼い頃から共に過ごしてきたエレノアだからこそなのかもしれない。
 窓の外を見ると青い空が何処までも続いている。
 幼い頃リシェスと2人であの先に何があるのかという話をしていた事を思い出す。
 今リシェスはあの空の向こうへと行ってしまうのだろうか。
 大きな雲塊から離れていく雲に自分の姿を重ねる。
 自分はもうあの塊に戻ることはできないのかと自身に問い掛けてはため息をつく。
 そんな事を考えていても仕方がない。
 リシェスは元よりルインも仲間だと言ってくれている、怪我をして動けなくなったからと言って“仲間ではない”と言うような人間ではない。
 それは分かっている、分かっているのだが心にうっすらと靄がかかっていく。
 猜疑、いやそれは“焦り”からくる疑心暗鬼なのだろうか。
『少し眠りますか……』
 まだ陽は高く、眠りについたところで良い夢など見れそうになかったが、これ以上リシェスを疑いたくなかった。
 目を閉じても浮かんでくる風景。
 遠い街でルインと2人笑いながら語らう親友。
 いや、その周りには新しい仲間も出来るだろう。
 そして自分が怪我から治った時にはもうリシェスの周りに自分が入り込む隙間はない。
 目に涙が滲む、自分達の友情はそんなにも薄い物だったのかと問い掛ける。
 不意に彼女を暗闇から呼び戻したのはドアの開く音だった。
『ウォーレン……』
 毛布で急いで涙を拭い、部屋の入り口に視線を向けるとそこには手に果物の入ったカゴを持った無愛想な男が立っていた。
『何度かノックしたのだが、返事が無かったのでな勝手に入らせてもらった』
 そう言ってウォーレンは頭を下げる。
『いえ、構いません。どうかしたのですか?』
 いつもなら女性の部屋に勝手に入るななどと小言をこぼすところだが、今は気も沈んでいるせいかそんな事を言うつもりもなかった。
『あぁ、リシェスから聞いたと思うが私は王都に、ルイン達は南の街へと行く』
 またその話かと内心うんざりとする。
 その話を聞いて自分がどんな思いをしているかこの男は分かっているのだろうか。
『ええ、“私の怪我が治るまで”の間に行かれるのでしょう?リシェスは“すぐに帰って”きてくれるそうですけれど』
 そう言うと彼は珍しく苦笑いを浮かべる。
『……お前には敵わんな、さすがはガンナーと言うことか』
 何故か嬉しそうに笑うと首を横に振る。
 全てのガンナーがそうだと限らないが、ボウガンを握るハンター達は大抵洞察力に優れる。
 それは飛竜の弱点を的確に判断し、その部位に弾を撃ち込む事を常に考えているからだろうか。
 狩場では標的は止まってくれているわけではない、常に動き回る標的に如何に効果的な弾を効果的な距離で撃ち込むか、一種のパズルの様な彼等ガンナーの狩り。
 狩場では障害物がある、仲間のハンター達も時には障害となり得るのだ。
 そんな中飛竜や仲間の行動を予測しているのだ、元々思慮深い性格でなければガンナーは務まらないのかもしれない。
『そうだ、あいつらが街に行くことを勧めたのは私だ。お前の傷を治す薬が手に入るかもしれん、とな』
 彼の言葉を聞き、やはりなと思った。
『街に出ればここでは手に入らないような物もある、それを探しに行くのもいいだろうと思ってな』
 エレノアの気持ちを知ってか知らずかウォーレンは目をそらした。
 確かにこのフライダムは小さな村で大きな事件もない。
 火竜が現れたのも何十年かぶりな事で大変珍しい事だった。
 辺境の村だから仕方がないといえば仕方のないことなのだが、幼い頃はずいぶん退屈だと思っていたものだ。
 当然ハンターが受けるようなクエストも少なく、あっても採取などしかなく時折ランポスやランゴスタの駆除があるくらいだった。
 自然とハンターの数も減り、回ってくるクエストも少なくなっていく。
 怪我をしている自分はいいが、その自分が回復するのを待っているルイン達は退屈だろう。
 それは分かっているが、どうしても“おいて行かれる”という思いが彼女の心を波立たせる。
『そうですね、ここで私と一緒に勘が鈍るよりその方がいいでしょう』
 そうこぼした瞬間ウォーレンに手を掴まれた、あまりに強い力にこのまま骨を折られるのかと思い振り解こうとしたが彼の力がそれを許さない。
『そんな言い方をするな、あいつらはお前の事を考えているんだぞ!』
『そんな事…!』
『エレノアッ!』
『そんな事…、そんな事言われなくても分かっています!』
 普段の彼女とは思えないほどの声量にウォーレンも驚く。
『お前…』
『分かって…いるんです……』
 そう言って俯いた彼女の頬に涙が伝うのが見えた。
 エレノアは俯いたまま毛布の端を強く握りしめる。
『ならばいい、…私はもう行くぞ』
 しばらくエレノアの様子を見ていたがウォーレンはかける言葉が見つからないのか無言のままだ。
 彼女からも返事はなく彼はため息をつくと立ち上がった。
 ドアの前でふと足を止め振り返る。
『エレノア、私がまたこの村に戻ったらもう一度4人で狩りに行こう』
 そう言って彼は静かにドアを締めた。

 心の中でウォーレンの言葉を繰り返す、4人でというのは自分とウォーレン、リシェスとルインの事だろう。
 彼もまた不器用な男なのだろうかと思うと笑みがこぼれた。
『ウォーレン…、ありがとうございます……』
 彼女が言った礼の言葉は彼に聞こえる事はないだろうが、それはいつか再び会えた時に行動で示せばいい。
 彼が持ってきたカゴを見ると、青色の瓶がぽつりと果物の陰に隠れていた。
 窓の外を見ると空はどこまでも青かった。
 先ほどまで見えていた雲はいつの間にかなくなり、青い空が地平の彼方へと続いていた。
『この栄養剤、ウォーレンが調合してくれたのでしょうか…』
 瓶を手に取ると中の液体が揺れる、そう言えばルインがリオレウスに大怪我を負わされた時もウォーレンは栄養剤を差し入れに来てくれていた。
 あの大柄な男が、狩場ではハンマーという重量武器を振り回す彼が自室で調合という細かい作業をしているところは想像できない。
 ギャップが激しすぎるのだ、あの大きな指では細かい作業は難しいだろう。
 それとも見かけによらず、細かい作業が得意だったりするのだろうか。
『ウォーレン……』
 彼が自室で小さな器具に悪戦苦闘しながら調合しているのを想像すると笑ってしまう。
 飲んでしまおうかと思ったが、エレノアは瓶を胸元に持ってくると両手で包みもう一度彼に小さく礼を言うとベッドの脇にある棚に置いた。
 何が変わったわけではないが、今日はゆっくりと眠れそうな感じがする。
 溜め込んでいた鬱憤を彼にぶつけたせいだろうか。
 思えば彼にはずいぶんと助けられた、いつかはちゃんとした形で礼をしなければならない。
 それは一人前のハンターになる事だろうか、それとも彼に珍しい素材を渡す事だろうか。
 何にせよ今は体を休め、傷を癒さなければ。
 考えているうちに彼女の意識はいつの間にか深い眠りへと沈んでいった。

『じゃあルインくん、気をつけて行ってくるのよ。リシェスも無理してルインくんを困らせたらダメよ?』
 そう言って微笑んだのはクリスだ。
 この村の酒場を運営する女性でギルドの手伝いもする。
 彼女がウォーレンの知り合いという事を聞いた時には驚いたものだ。
 何でも昔は一緒に狩りに出た事もあるらしい。
 その先の話は2人が濁してしまったので聞けなかったが、言わない以上深入りする事でもない。
 ハンター達は仲間の過去を詮索するのを良しとしないからだ。
 例えどんな過去を背負っていても、今を必死に生きている。 それがハンターなのだとどこかで聞いた事がある。
 クリスに手を握られはにかむルインの脇をリシェスが肘でつつく。
『分かってる、馬車が来たみたいだから行こう、ルー!』
 何を急いでいるのかと呆気に取られるルインをおいてリシェスは荷台に乗り込む。
 リシェスに急かされながらもクリスに頭を下げ彼も馬車へと乗り込んだ。
『ルー、どうしたの?』
 不意にかけられた声に驚き辺りを見渡す。
 すると目の前でリシェスがこちらの顔を覗き込んでいる。
『ちょっと考え事してたみたい、ごめん』
『エレノアの事?』
 考えていた事を見透かされたのだろうか。
 ひょっとしたら口に出していたのかもしれない。
 どちらにせよ今の表情で図星だったのはバレただろう。
『うん、元気にしてるかなって思って』
 図星だった事を誤魔化そうと笑ってみせるがきっと無駄だろう。
『きっと元気だよ、エレノアは大丈夫、うん!』
 そう言って笑うと彼女は走り出す。
『それより早く行こう!』
 目前には大きな広場があり、人が集まっている。
 右奥に見える大きな建物がギルドで、酒場と一体になった造りはどの街にも共通していると言える。
 そしてその反対側、左奥にあれ建物がこの街の中心である武具工房だ。
 建物の屋根からは煙が立ち上っており、その上の空は少し濁っているようにも感じられた。
 その建物の前には大きな広場があり、その広場の中心を南北に抜けるように大通りがある。 そしてそれを囲むように居住区、倉庫区となっている。
 広場には露店などが立ち並び行き交う人々で賑わっていた。
 そして今は噴水の周りに人が集まっている。
 武器を背にしたハンターや買った品物を両手にした女性などが口々に何かを言い合っていた。
 揉めている、というわけではないようだが少なくとも集まって何かを祝っているという様な感じではなかった。
『何かあったんですか?』
 ちょうど輪から離れていく女性にリシェスが声をかける。
 女性は一緒驚いた様な表情をしたが、リシェスの笑顔に気を許したのか笑みを返し輪の中心を指差した。
『あんたらはあそこに掲示板があるのは知ってるかい?』
 リシェスは黙って首を横に振る。
『そうかい、ならこの街に来たばっかりなんだね。あそこの掲示板にはギルドやらお偉いさんやらからの通達が貼ってあってね、みんなそれを見て騒いでいるのさ』
 《掲示板》
 村や街、特にハンターが居るような街に設けられている物で、大きな木の板で出来ている。
 ハンター達がクエストの募集を張り出す《クエストボード》の様な物で、内容は街に住む人々に向けたものが張り出される。
 クエストに出かけ街にいることが少ないハンター達に街やギルドからの通達を“確実”に伝えるにはこの方法が労力もコストも低くすむので採用されているらしい。
 これにより伝えなければならいものが“見ていなければならない”ものになり、“知らなかった”では通用しない。
 かなり重要な知らせも張り出されたりするので、この掲示板を見る事は街に住む人の日課になっている。
『何が書いてあるんですか?』
 リシェスの問いに女性は少し困った様な顔をする。
『気になるなら自分で読んでみなよ、あんまり気持ちのいい話じゃないけどね』
 そう言って女性は苦笑うと、簡単に別れの挨拶を言い居住区へと歩いていった。
『…?何があったのかな?』
 彼女はルインと顔を見合わせ首を傾げると人混みを掻き分け掲示板へと進んでいく。
 ルインも着いて進もうとするが思うように入っていけない、仕方がないので輪の外でリシェスを待つ事にする。
 しばらくして人が1人、2人と散り、掲示板の周りが疎らになってくるとリシェスが戻ってきた。
『おかえり、どうだった?』
『あ、うん…』
 戻って来たリシェスはどことなく元気がない様子だ。
『?』
『えっとね…、何でも倉庫区の方で亡くなった人がいるんだって。その人はハンターで、狩りで受けた傷が原因なんじゃないかって書いてあったの』
 そう言うと彼女は俯いてしまった、大方エレノアの事を考えているのだろう。
 リオレウス討伐の際エレノアが負った傷、それはかなり深刻なものだった。
 それはリオレウスの足爪の鋭さもあるが、問題は傷口から入り込んだ【毒】だ。
 火竜の足爪に仕込まれているという毒、それがエレノアを死の淵に立たせた。
 幸いウォーレンが解毒薬を調合し飲ませた事でエレノアは大事には至らなかったが、もし彼がいなければ彼女も今この世にいないだろう。
 それは誰かに限った事ではなく、狩場に出るハンター達全てに言える事である。
 せっかくの強敵を倒しても、帰路の途中に戦いの際受けた傷が原因で亡くなるハンターも少なくない。
『リシェス…』
『ルー…、私お腹空いちゃった』
 彼女の肩に手を伸ばそうとした瞬間、顔を上げ照れくさそう笑うと彼女はそう言った。
『そうだね、酒場に行って何か食べようか』
 伸ばした行き場のない手をそっと引っ込め、ルインは酒場の方へと歩き出す。
(……勘違いだったかな)
 リシェスは後ろで鼻歌を歌いながらついてきている。
 彼女がエレノアに姿を重ね、気を沈ましていると思ったのだが。
 ならあの元気の無さはなんだったのだろうか?
 気にしても仕方がない、リシェスが元気ならそれでいいとルインは思った。
 何かあれば向こうから話してくれるだろう、藪蛇という言葉もある余計に詮索しない方がリシェスにとってもいいだろう。
 先ほどの掲示板の前から歩数にして約数十歩、2人はギルドの入り口の前に立った。
 入り口といってもドアがあるわけではなく、開けっ放しになっている。
 中はギルドの受付と酒場を兼用しているためか薄暗く、入り口を潜ると酒の匂いに咽びそうになる。
『大丈夫?』
 顔をしかめたルインを心配してかリシェスが言う。
 彼は元々酒に強い方ではなく、村に居たときから酒場の匂いは好きではないと言っていた。
『うん、大丈夫だよ』
 言って笑ってみせるが、この匂いにはまだまだ慣れそうになかった。
 2人は酒場を見渡し奥の方に空いている席を見つけるとそこに座る、それを見ていたのかメイド服の女性が注文を聞きにやってくる。
 このメイド服はギルドから支給されるもので酒場などで働く女性達が着ている。
 フライダムの村でこの服を着ていたのはクリスだけだったが、これほど大きな街になると当然1人では店を回せないのだろう。
 両手に麦酒の入ったジョッキを持ちながら狭いテーブルの間を忙しそうにすり抜けていく。
 まだ昼にもなっていないのに酒場にはハンター達が溢れ、酒を呷っては思い思いの話をしている。
 今帰ってきたばかりなのかまだ顔に土が付いているハンターや、昨日から呑んでいるのかすっかり潰れてしまっているハンターもいる。
 ハンター達にとっては“今”が大切なのだ。
 それは明日には自分はもうこの世にいないかもしれない、ということを分かっているからなのだろうか。
 だからこそ今できる事を一生懸命にやっているのかもしれない。
『ルーって魚好きなの?』
『え?』
 不意にリシェスがそんな事を聞いてくる。
『そうだね、好き…かな?』
 笑いながらいうとリシェスは私はダメという風に顔の前で手をパタパタと振ってみせる。
 そんな彼女が頼んだ物はチーズを卵で挟んだ物だ、付け合わせで固いパンが出てくる。
『とりあえずどうしようか?どこかのパーティーに入らなくても採取だけなら2人でも大丈夫だと思うんだけど』
 2人がこの街に来たのは【秘薬】と言われる薬を手に入れる為だ。
 その為には“マンドラゴラ”と呼ばれるキノコを探さなければならない。
 といっても2人はマンドラゴラを見た事もないし、どこに生えているのかも知らなかった。
『何にせよまずは情報を集めないとね』
 姿形を知らないのはまだいいとして、採取できる場所が分からないというのは致命的だった。
 他のハンターに聞き、連れて行ってもらうという方法もあるが、世の中そう上手くいくわけでもない。
 相手が駆け出しと見るや騙そうとするハンター達も残念ながら少なくない。
 度が過ぎればギルドも目を付けるが、基本的にタブーを犯さない限りギルドが介入してくる事はない。
 つまりは人の命を奪ったりといった様な事がない限り、だ。
 それでも今は他のハンターに頼る他はないと思えた。
 マンドラゴラについてはギルドの受付嬢や街にいる道具屋などに聞けば分かるだろうが、採取できる場所となるとやはりハンターに聞くしかない。
『うん、でもまずはしっかり食べなきゃ。ね?ルー』
 運ばれてきた料理を前にリシェスは顔を輝かせる。
 2人の前に焼けたチーズの香りと魚の香ばしい匂いが広がる、それだけでお腹は活発に動き空腹感を訴えかけてくる。
『そうだね』
 ルインも笑顔で返しナイフとフォークを手に取った。
魚が逃げないようにフォークで押さえながら腹にナイフを入れると魚の脂がジワッと染み出してくる。
 ナイフとフォークを使い器用に小骨を取り口に運ぶ。
『…?どうしたの?』
 その様子をリシェスが観察するように見つめている。
『ルーって器用ね、私そういうの苦手だから』
 そう言うと彼女は苦笑いをし卵を口に放り込んだ。
『じゃあ今度教えてあげるよ、慣れたら簡単にできるようになるよ』
 確かに小骨を取るのは細かい作業なので大剣使いのリシェスには向かないのかもしれない。
 世間一般の大剣使いの印象は大雑把な者が“多い”。
 生真面目な者が多いとされるガンナーと比べてもその差は著しい、らしい。
 それは大剣が重量武器で当たりさえすれば何とかなるといったイメージからなかのかもしれない。
 実際大剣の攻撃力は凄まじく、何とかなったりする。
『あ、ルーが小骨を取って私に食べさせてくれたらいいんじゃない?』
『それじゃ俺が食べれないよ…』
 そんな事を言い笑い合っていると視界の端に人影が映る。
 誰か新しく酒場に入ってきたのだろうかと思っていると、煩雑な酒場が急に静寂に包まれる。
『あ、あ…《攻性の星》…!』

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最終更新:2013年02月21日 05:41
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