時の止まったかの様な酒場の中で誰かが静かにに零した。
《アサルト・シュテルン》と呼ばれたのは3人の男達、それぞれに違う武器を背負って静まり返った酒場をまるでつまらないものを見る様な様子で見ている。
酒場には入り口が2つある、通常の街から入るための入り口とクエストから戻ってくる時に使う入り口だ。
クエストに出発する際にギルドが用意した馬車に乗って出発する、当然戻ってくるのもこの発着所だ。
彼が立っているのはその発着所からの入り口だ、クエストから帰ってきたのだろう。
真ん中の男は長身で背には大剣の様な物を背負っている、“様な”物というのはその形状のせいだった。
大剣ほどの長さを持ちながら幅は狭く、とても攻撃を受けるような事はできそうにない。
向かって左の男はやや小柄でその背には不釣り合いな大剣があった。
大剣の大きさのせいで彼がより小さく見えるのが印象的だった。
右側の男は同じく長身だったがやや細身で眼鏡をかけている。
背には折り畳まれたボウガンがある、形からして
ヘヴィボウガンだろう。
真ん中の男が鼻をならし歩きだすと、後の2人もそれに続く。
『お疲れ様でした。確かに確認しました』
彼等はカウンターにあるギルドの受付のメイドの元に行き、何かを話している。
恐らくクエストの報告をして、報奨金の精算をするのだろう。
『ふん、問題ない。ドスガレオスなど相手にならないからな』
真ん中の男が言う。
高圧的な態度が気に障ったようだが、受付の女は慎重に言葉を選んでいる。
それだけ彼等が腕が立つという事なのかもしれない。
彼の発言を皮切りに酒場がざわめき始める。
【ドスガレオス】
《砂竜》と呼ばれる砂漠に生息する魚竜種ガレオスのリーダー格のの飛竜で、高速で砂の中を泳ぐと言われている。
相手の周りを群れで囲み、砂中を移動する際に飲み込んだ砂を標的に吐きかけ弱らしてから砂の中に引きずり込んで食するという。
慣れないハンターならば、相手の姿を確認する前に砂中に引きずり込まれてしまう。
それを彼等は“相手にならない”と言ったのだ、酒場の酔っ払い達がざわつくのも無理はないように思えた。
それはここにいる大半のハンター達は狩れない事はないにせよ苦戦する、もしくは苦戦した経験があるのだろう。
『ルー、どこにいくの?』
彼は立ち上がり笑ってみせる。
『おかわりを貰おうと思って』 彼は空になったグラスを見せ、カウンターの方へと歩いていく。
自然と酒場にいる者達の視線はルインに集まる。
この雰囲気の中動いているのは《攻性の星》と呼ばれた3人とルインだけなのだからそれも仕方がない事なのかもしれない。
『何?』
カウンターの前に立つと向こう側に立っていたメイド服の女がぶっきらぼうに聞いてくる。
年は三十かそれより少し上くらいだろう。
『ミルクを下さい』
一瞬静まり返ると酒場は堰を切ったかのような大笑いに包まれた。
『あのガキ、ミルクだってよ!』
『ここは酒場だぜ!?』
『ガキは帰って寝てろ!』
笑いの中にはルインを馬鹿にするような野次まで飛び交っている。
それでも彼は気にしないのか空になったグラスをカウンターに置いた。
『ボク、ここは酒場よ?ミルクは無いわ。一晩私に付き合ってくれるなら私のミルクを飲ませてあげてもいいわよ』
そう言うと前の女も高笑いを始めた。
『聞いたか小僧?ここはてめぇみたいなひよっ子が来るところじゃねぇんだよ』
いつの間にか背後には大男が立っており、馬鹿にするかの様な薄笑いを浮かべている。
男とルインの身長差はかなり開いており、男はルインを見下ろす様に威嚇している。
『どうして?俺だってハンターだよ、ここはハンター達の酒場ですよね』
彼は男の目から視線を外さずに負けじと答える。
瞬間酒場に響いた鈍い音。
男がルインを殴ったのだ、彼は吹き飛びカウンターに叩きつけられた。
『イラつかせるんじゃねぇよ、てめぇみたいなガキがハンター面するんじゃねぇ!』
『ルー!!』
テーブルからリシェスが飛び出してくるのが見えた。
この場面に出てきても事態を悪化させるだけなのだが。
『おいおい、このガキ女連れかよ。狩りは遊びじゃねぇんだ、さっさと帰んな』
男が笑うと酒場の酔っ払い達もつられて笑う。
完全に悪い方向へと場面が流れていっている、とルインは思った。
『何でそんな事言うのよ!私達だってちゃんと狩れるわ!』
リシェスの言葉を聞いて男が笑うのを止める。
口元は笑っていたが、視線は明らかに怒りを映していた。
『小娘、俺をイラつかせるなよ。女を殴れないと思った間違いだ……なんだ小僧、やる気か?』
言葉の節々に怒気を込めながら男が言う。
ルインは男を睨みながら立ち上がりリシェスの前に立った。
『勝てると思っているのか?小僧、今ならまだ許してやる。その小娘を置いて酒場から出ていけ』
男は両の拳を前に持ってくると力を込める。
出ていかなければ殴る、ということだろう。
先ほどのパンチでさえ彼は吹き飛ばされる程の威力があったのだ、どう贔屓目に見てもルインが男に勝てるとは思えなかった。
『リシェス、今のうちに逃げて』
『え?』
そう言って彼が飛び出そうとした瞬間、横にいた男達の言葉に遮られた。
『俺もミルクを貰おうか』
『おい!フィール何言うとんねん!?』
カウンターにそう言ったのは真ん中の男。
フィールと呼ばれた彼は睨む様な視線をメイド服の女に向けている。
小柄な男が止めるのも無視し、彼はルインの前にいた男の方を向く。
『俺には言わないのか?』
『な、何をだよ?』
完全に彼の視線に射竦めらているのか男はどもりながら答えた。
男を睨む彼は目は女を見ていた時より鋭く、飛竜でさえ震え上がらせるのではないかという程の目をしている。
『わしは知らんぞ、勝手にやれ』
もう一人の細身の男はそういうと出口の方へと歩いていった。
『“出ていけ”と言わないのかと聞いているんだがな?』
彼は先ほど大男がミルクを注文したルインに言った事を自分には言わないのか、とそう“喧嘩”を売っているのだ。
『どうした?お前は“ハンター”なんだろ?お前が普段狩っているのはこの少年の様な飛竜なのか?』
そう言って彼はルインを指差す。
彼より弱いのは言われなくとも分かっているが、それでもこうはっきりと言われると腹が立つ。
『てめぇ、黙ってると思っていい気になるなよ』
さすがに大男も腹が立ったのか、低い声で唸った。
『いいぞー!やっちまえ!』
『そうだ!やっちまえ!』
今まで黙っていた野次馬達が喧嘩になりそうだと分かるとこぞってはやし立てる。
彼らにとってはそれも良い酒肴なのだろう。
ハンター達の酒場はどこもだいたいこんな様な感じだ。
ちょっとした事ですぐに喧嘩を始める者がいる、それを面白がって煽るものがいる。
ハンターに血気盛んな者が多いので仕方がないと言えば仕方ないのだろうが。
『おい、今言った奴出てこい』
そんな彼らに向かってフィールは言う。
煽るならお前達も“こちら側”に来いと。
しかしそんな事を言われたからといって前に出る者は無く、野次馬達は冷えた鉄の様に静かになった。
『煽るしかできないのか。どうせ狩りに出ても遠くから茶々を入れるくらしか出来ない腰抜けばかりなんだろうな』
彼はこの酒場で乱闘でもしようというのだろうか。
メイド服の女達は怯えた様子で奥に固まっている。
巨大な飛竜をも狩る男達が一触即発の状態になっているのだ。
それは女でなくても普通の人間からすれば恐ろしいものだろう。
『てめぇ!!』
大男が怒りに肩を震わせ拳を振り上げる。
その腕はまるで
ハンマーの様に太く、大きい。
リシェスは思わず目を瞑った。
あんな腕で殴られるのを見るのは例え他人であっても気持ちの良いものではない。
なまじ痛みを予想できるだけに反射的に目を閉じてしまう。
『そんな突きではランゴスタさえ殺せない』
耳に入ってきたフィールの声を聞き、恐る恐る目を開けてみるとそこには目を閉じる前と同じ格好をした大男がいた。
『………ッ!』
声にならないといった様子で苦痛に顔を歪めている。
脂汗が吹き出し焦点の合っていない目が徐々に上へと向っていく。
やがて白目をむいた大男は大きな音をたて床に倒れた。
『飛竜の一撃に比べたら軽いとは思うんだがな?』
そう言って彼は自分の拳を見る。
とは言っても彼が殴ったのは鳩尾、人体の急所ともいうべき場所を大男が拳を振り上げた瞬間に踏み込んで殴ったのだ。
確かに飛竜の攻撃は重く、凶悪だ。
しかし彼らは知性ある人とは違いただその強大な力で“暴れている”だけだ。
暴れているというと語弊があるかもしれないが、そう形容するのが一番近いだろう。
大きな力でも当たらなければ意味はないし、小さな力でも弱点を正確につくことができればそれは相手を倒しうる力となかる。
『もう終わりか?お前たちは?』
野次馬の方に視線を向けるが彼らは揃って首を横に振る。
フィールは小さくため息をつくと空いたテーブルにへと歩いていく。
その途中で壁に張り付いていたメイド服の女に注文をしたのだろう。
彼女は壊れた振り子の様に何度も頷くと厨房へと走っていった。
彼が椅子に腰掛けると野次馬の連中もそれぞれのテーブルに戻り、酒場はまたいつもの雰囲気に戻った。
『ルー…大丈夫?』
赤く腫れ上がった彼の頬に手を伸ばす。
そっと触れると彼は少し痛がったようだったが、大丈夫だよと笑ってみせた。
『お前ら大丈夫か?』
振り向くとそこにはフィールといた小柄な男が笑いかけていきた。
『あなたは…』
その男は殴られ腫上がったルインの頬を痛そうに見ている。
『あぁ、あいつ無茶して悪かったな』
発音に独特のイントネーションがあり、やや早口だ。
あまりこの辺りでは聞かない言葉使いで、早いためか聞き取りにくい。
あいつとはフィールだろう、連れの非礼を彼が詫びているのは筋違いな気もするがそれでも声だけは、と思ったのかもしれない。
『いえ、こっちこそ助けてもってありがとうございます』
頭を下げようとすると男が手でそれを止める。
『気にせんでええて、助けたわけじゃないし。“たまたま”結果がそうなっただけや』
男は大笑いをし腕を組み、満足そうに頷く。
『じゃ、気ぃつけてな』
それだけ言うと男は片手で挨拶し、フィールのいる席へと向かった。
何だか一方的に喋られた気がするが、それは彼の雰囲気が悪いせいではないからだろうか。
『あの人達…いい人達ね』
リシェスが横でふとため息をこぼした。
『そうだね……』
何だか胸の奥に何かが詰まった気がする。
それは焦りだろうか、それとも悔しさだろうか、どちらにせよ“それ”はすぐには晴れそうにはなかった。
もし彼等が、フィールがいなければリシェスを守れなかったかもしれない。
ならばあの時守ると誓ったのは何だったのか、そんな思いが彼の心を捕らえる。
人を1人守るというのは容易な事ではない、それは分かっているがどこかで油断していたのかもしれない。
《空の王者》を狩った事で驕っていたのかもしれない、ルインは握った拳に力を込めた。
その後酒場のメイド達やハンター達に【マンドラゴラ】の事を聞いてみたが、誰もろくに話もしてくれない。
“あんな事”があった後なので仕方がないと言えば仕方がないのだが。
メイド達には知らない者もいるだろうが、ハンター達が答えてくれないのは嫌がらせをしている、という風にしか見えなかった。
この街のハンター達にとってはどうやら《攻性の星》自体が鬼門らしい。
話したハンター達は暗に彼等と関わるのは避けたいという思いを言葉の節々に漂わせていた。
つまりルイン達は《攻性の星》と関わりがあるのではないかと疑われているのだろう。
初対面だと説明してもそれを鵜呑みにする者はいないだろうし、証明する事もできない。
それから商人や住人達にも声をかけてみたが、だれもが同じ様に言葉を濁した。
得られた事と言えばマンドラゴラはかなり珍しい素材であるという事と、《攻性の星》についての噂くらいだった。
それは大きく分けて二つあるのだが、どちらもあまり良いものとはいえない。
一つは彼等は主に3人でパーティーを組み、狩りに出ているという。
その戦績は素晴らしく、こと“討伐”を目的としたクエストでは失敗は無いといっても過言ではないらしい。
当然彼等に回る依頼は増え、この街にいる他のハンターへの依頼は干されていくことになる。
つまりはただのやっかみで街の者達は彼等を煙たがっているのだ。
しかし狩りの依頼がこなければハンターとしては生きていけないのでそれも当然かもしれない。
実力をつけろ、といっても“実力を発揮する場所”━━━つまりはクエストが無ければ実力を示す事もできない。
そしてもう一つの噂が、彼等の狩りに同行した者は生きて帰ってこれないといったものだった。
世界には有名なハンターチームはいくつも存在する、彼等《攻性の星》もその一つだ。
そしてその彼等の下で修行を積もうと訪ねてくる者は少なくない。
大抵多くのチームは新参者を嫌がる、それは狩りにおけるチームワークが乱れるからだ。
どんな腕をしていようと、どんな武器をもっていようと新しい人間が入ればこれまでと同じように連携が取れなくなるのは必至だ。
凄腕と呼ばれるハンターなら相手に合わせた行動を取れるかもしれないが、それでも連携に狂いを与えていく。
ましてや新参者となれば初心者同然の者達が多く、指示を出してもその通りにすら動けない者すらいる。
そんな者を加えて狩りに行くわけにはいかない、それは当然だ。
有名になったといっても彼等は自分達の食い扶持を狩りによって賄わなければならない。
“足手まとい”を仲間に入れ、狩りに失敗するわけにはいかないのだ。
しかし《攻性の星》は誰が入ると言っても断らないという。
無論気まぐれや、新しいチームメンバーを探しているチームもある。
一度きりのクエストの仲間を募集するハンターも少ないわけではない。
しかし彼等はそういったわけではなく誰でも同行を許すらしい、それが“街に来たばかりの駆け出し”であっても。
そして大抵の場合彼等に同行したハンターは帰ってこないという。
帰ってきてもそこには冷たくなった鎧を着た肉が転がっているだけだ。
故に彼等の悪評が囁かれる事になった。
《死神》《冷徹者》《疫病神》、街ではある事ない事様々な噂が吹聴された。
それもそうだろう、彼等が狩りに新しい仲間を加えて出かければその度に街に新しい墓標が増えたのだから。
『あいつらは仲間を見殺しにするのさ』
『仲間を囮に使うのかも…』
そういった類の噂が街に氾濫し、ギルドまでが出る程の騒動になったという。
結局はそれまでの件は狩りの最中の事故により死亡、という形で騒動は治められたらしいが誰も納得してはいないのだろう。
だからこそ《攻性の星》に関わりになる事を避けたいのだ。 彼等は優秀なハンターだ、だからこそ彼等に回る依頼は危険な物が多い。
危険故に報奨金の額も増え、それに目が眩んだ者が分不相応なクエストにも拘わらず出かけたのかもしれない。
彼等と狩りに出たハンター達は思っただろう、“自分は何もしなくても彼等が何とかするだろう”と。
クエストに出かけてからの行動はギルドも知り及ぶところではない、彼等が噂の様に囮にしたのかそれとも見殺しにしたのかそれは分からない。
しかしどちらにしても自業自得だったのかもしれない、自分を知らなければ生きてはいけないのだから。
『ルー、どうしたの?』
名を呼ばれ振り向くと部屋にはいつの間にかリシェスの姿があった。
湯浴みでもしてきたのか髪がまだ少し湿っている。
この街ほどのゲストハウスになると大浴場がある。
狩りで疲れた身体を癒やせるようにとギルド側の配慮だ。
『うん…、マンドラゴラ見つかるかなって』
ため息をついて少し後悔した、リシェスの事を思うなら今は暗い話をするべきではない。
彼女が親友であるエレノアを気にかけているのは言うまでもない、不安にさせるような事は避けるべきだ。
『そうね、見つかるといいわね』
しかし彼女は落ち込む素振りを見せるどころか微笑みかけながらルインの隣へと歩く。
『それなんだけどあの人達に聞けば何か分かるんじゃないかしら?』
腕を組みながらリシェスが言う。
あの人達とは今日酒場で出会った彼等の事だろう。
『《攻性の星》…?』
『そう!あの人達ならきっと知ってると思うの』
呟いたルインを見てリシェスが嬉しそうに言う。
確かに彼等くらいのハンターならば珍しい素材について知っているかもしれない。
だが、今の街の噂を聞く限りでは彼等に関わるのは得策とは言い難い。
『そうだね、明日酒場に行ってみよう』
できれば彼等と関わり合いになるのは避けたいが、街の状況を見ればこのまま聞き込みを続けても得られるものは少ないだろう。
『うん』
微笑みかけると彼女もまた笑顔を返してくれる。
別れの挨拶を交わしその日はベッドに潜り込んだ。
彼等とて素直に教えてくれるかどうか分からないが、今は彼等に聞いてみるしかないだろう。
胸の奥に湧き上がる何かを感じたが、今は眠ってしまおうと目を閉じた。
『ルー!起きて、ねぇルーってば!』
威勢のよい声が聞こえたかと思うと枕を引き抜かれた。
『うわっ!?』
『目が覚めた?』
驚いて起き上がると満面の笑みを浮かべたリシェスがいる。
『おはよう』
照れを隠すように頭をかきながら立ち上がる。
結局あの後も色々と考えてしまい眠れたのは夜もずいぶんと更けた頃だった。
『早く酒場に行こう?』
そう言いながら彼女は急かしてくる。
『うん、すぐに準備するよ』
彼はアイテムボックスにある自分の装備を取り出して身に着ける。
『あの人達いるかしら?』
『いるといいんだけど…』
昨日酒場に行ったときに彼等はちょうどクエストから帰ってきたところだ。
いくら彼等が凄腕だろうと昨日今日で次のクエストに出発したとは思えない。
疲れがたまれば狩りにも影響が出るし、最悪命を落とす事にもなりかねない。
特に急な依頼が無い場合は何日かの休息を挟むのが普通だ。
もっとも彼等ほどのチームならば休む暇すら無いほどに依頼がくるのかもしれないが。
『きっと大丈夫だよ』
酒場の入り口を潜ると酒の匂いが鼻をつく。
何度来てもこの匂いには慣れれそうにはなかった。
入り口の近くにいたハンターがこちらを見てきたが、すぐに視線を外しテーブルに向きなおる。
酒場は一日中開いており、朝だからといって閉まる事はない。
ギルドの受付も兼ねているのでそれも当然かもしれないが、朝から酔いつぶれているのは何だかみっともない気もした。
しかし大物を狩った話や、珍しい素材を手に入れた話を仲間と語り合う時間は彼等にとってこの上ない喜びなのだろう。
『何?』
カウンターに近付くと女は不機嫌そうに睨みつける。
『《攻性の星》はまだ街にいますか?』
リシェスの言葉に片眉を一瞬ピクリと動かし、鼻を鳴らすと女は奥のテーブルを指差した。
『あんたら、死にたくないならあんまり関わらない方がいいよ』
指差された酒場の奥には昨日のフィールと呼ばれた男がひっそりと座っていた。
有名なチームとはとても思えない。
女はそれだけ言うと料理が出来たのか奥の厨房へと歩いていく。
『どうも』
女に聞こえたかどうかはわからないが、小さく礼を言う。
彼の周りを見るとどのテーブルも空いている、恐らく満席になるまで彼等の周りの席が埋まる事はないのだろう。
彼のテーブルに近付く度に心拍が速くなる気がした。
近付く影に気付いたのか彼は顔を上げた。
『何のつもりだ?』
ふとルインがテーブルの上にグラスを置いた、中身は白い液体が注がれている。
『昨日貴方が注文していたのに結局飲めなかったから…』
『……本気で言ってるのか?』
ルインの言葉に彼は怪訝そうな表情を浮かべる。
彼くらいのハンターならばミルクの一杯くらいどうという事はないだろう。
ルインは静かに頷いてみせる。
『そうか…』
彼は何かを考えていたがグラスに口をつけた。
『待たせて悪かったな、ん?お前等は昨日の……』
不意に後ろから声をかけられ、飛び上がりそうになる。
『遅かったな』
『やる事がいっぱいあんねん』
彼は笑いながらそう言うとフィールの隣に腰掛けた。
装備を外していたので気付くのが遅れたが、彼は昨日の大剣使いだ。
武器を背負っていないところを見ると今日は狩りに出ないのだろう。
『君らも座ったら?』
男に言われるままルインとリシェスも腰を下ろす。
『どうした?来たからには話があるんだろ?わざわざ“これ”を持ってきたわけじゃないだろうしな』
空気に飲まれたのか口を開くタイミングを掴めずにいるとフィールがミルクの注がれたグラスを指差しながら言う。
『珍しいもん飲んでる思たらそういう事か』
隣の男が何かを納得した様に頷いた、そしてまたさっきまでの笑顔に戻る。
『はい…、教えて欲しい事があるんです』
リシェスが視線を下げながらゆっくりと口を開く。
それに合わせて男も笑うのを止め、リシェスを見る。
『何をだ?』
『実は【マンドラゴラ】という素材を探しているんですが、どこで採取できるか知りませんか?』
フィールは静かに目を閉じると腕を組む、その表情は“つまらない”といった様な感じだ。隣の男も笑わずにいるが、答えるつもりは無いようだった。 ゆっくりと時間が流れるのが分かる。
酒場で騒いでいる者達の声がやけに遠くにあるような気がした。
『友人の怪我を治すための薬を作るのに必よ…』
『何故俺達だ?』
『え……?』
言葉を遮られリシェスは困惑した表情を浮かべる。
『何故俺達なんだ?この街にハンターはいくらでもいるだろう。俺達に関わるとロクな事が無いと聞かなかったのか?』
『それは…えっと、その……』
フィールに睨まれリシェスは口ごもる。
確かに良くない噂も聞いたがそれは彼等と出会った後だ、そんな事を言った所で意味はないし、今この状況で“貴方達とは関わるなと言われました”等とは言えるわけがない。
リシェス達にとって今は彼等が最後の希望なのだ、ここで機嫌を損ねるのは得策ではない。
『欲しい素材があるならギルドに依頼を出せばいい、誰かが持って来るだろう。その分金はかかるだろうがな』
『でも…』
確かにギルドに依頼を出せば自分達で探すよりは早く手に入れる事ができるかもしれない。
だがその代わりに“誰かが依頼を受けてくれるだけの報奨金”を用意しなくてはならない。
当然珍しい物などを頼む時には額を上げなければならなかった。
しかしそれよりも自分達がハンターであるというのに他のハンターに依頼するというのが引っかかった。
『それでも自分達の手で見つけて友人に渡したい、か?そんな物、お前等が手に入れようが、他のハンターが持ってこようが最後に友人に渡すのはお前等だ。途中経過は関係ないだろう』
『………』
言われリシェスは力無く俯く。
確かに最終的にエレノアに薬を渡すのはリシェスだろう。
エレノアにしてみれば“それ”はリシェスが苦労して手に入れてきた物に変わりない、どんな方法であれ違法性がなければエレノアは喜ぶだろう、フィールが言ってる事は正論だ。
『それにその程度の事なら街にいるハンターならほとんどが知っている、俺達に…』
『それはお前のせいだ』
4人が一斉に振り返る、後ろからフィールの言葉を遮ったのは《攻性の星》のもう1人のメンバー、ヘヴィボウガンを背負った細身の男だった。
『どういう事だ?』
細身の男は黙って椅子に腰を下ろすとフィールを睨む。
『お前、昨日酒場で暴れたろう?あの一件でこいつ等にもとばっちりがいってるんだ。あの後こいつ等は街で聞き込みをしていた様だが、誰一人としてロクな答えをしてやらん』
細身の男は小さく息を吐くとフィールの右隣に腰掛けた。
最初酒場に入って来たときも彼は右側にいた、立ち位置が決まっているのではと疑ってしまう。
『恐らくわし等の関係だと思われてるんだろうな』
自分達の噂だというのに彼は人事の様に言う。
年の頃はまだフィールや隣の小柄な男と変わらないようにも見えるがずいぶんと落ち着いた雰囲気がある。
一人称を“わし”と言っているせいかもしれなかったが。
『そうか…』
男に言われフィールを考え込む様に腕を組む、そして彼が口を開こうとする前に細身の男が口を開いた。
『だからお前が責任を取ってやれ、街に来ていきなり“これ”ではこいつらが可哀想だろう』『む…』
どうやら彼は自分達の味方についてくれているのだとリシェスは安堵のため息をつく。
ここで彼等にまで見捨てられてしまえば文字通りお手上げだ。
フィールは困った表情を浮かべていたが、リシェスの方へと向き直ると目を細めた。
『マンドラゴラ…だったか?どうしてこの街にあると知った?』
彼の表情を見ているとどうも萎縮してしまう、怒っている━━━というわけではないようだが、鋭い視線に射抜かれたような感覚に囚われるのだ。
『この街で入手できる、と噂で…』
フィールの視線に射竦められているとルインが横から呟いた。
『……噂か』
その言葉に細身の男は短く息を吐き出しながら頷いた。
『残念だったな、その噂は“デマ”だ』
次の瞬間フィールが口にした言葉を理解するのに時間が必要だった。
『そんな……!』
リシェスも言葉を無くし愕然としている。
彼の言葉が本当だとするならばこの街に来た事自体に意味がなくなる。
ウォーレンも噂で聞いたと言っていただけなので事の正誤までは知らなかったのだろう。
それはよくある事だった。
森を歩いていたら見たこともないような飛竜に襲われた。
深い霧に包まれたと思えば珍しい植物が群生する場所に出た。
など半ば夢物語の様な話から現実味を帯びた話まで様々だが、割とよくある話だ。
『正確には“マンドラゴラを餌”に詐欺まがいな事をしていた奴がいてな。恐らくマンドラゴラの話だけが広まったんだろう』
細身の男がフィールの言葉に付け加える。
彼等の話によればその男はマンドラゴラと偽って森にあるようなキノコを売っていたらしい。
森に生えていたキノコをマンドラゴラと偽り販売していた、“安くはないが、決して高くない”金額で。
当然ハンターの中には真贋を見極められる者もいるが、街にはそんな者だけがいるわけではない。
その男がいる時にルイン達もこの街に来ていれば見事に騙されたかもしれない。
マンドラゴラなど見た事がないのだからそれも無理はない。
男はそれを逆手に取り荒稼ぎしていたという。
結果、男の愚行はギルドの知るところなり制裁を受ける事になる。
男がどうなったかまでは彼等は言わなかったが、恐らくは重い代償を支払う事となったのだろう。
『そもそもこの街付近でマンドラゴラが自生している所は少ない。美味しい話には裏があるという事だ』
細身の男が嘲るように言う。
『じゃあマンドラゴラは……』
リシェスが力無く問い掛けるが、彼等は揃って首を振る。
『諦めろとは言わないが、お前達で手に入れるのは難しいかもしれんな』
彼等の言葉が少しずつ彼女の希望を削ぎ落としていく。
他人の話を鵜呑みにするわけではないが、彼等がここで嘘をつく理由もない、恐らくは事実なのだろう。
話が本当ならこの街に来るまで約二週間、戻る日数を含めればひと月以上を無駄にしたことになる。
最後に狩りに出たのは随分と前だ、筋力も落ちているだろうし何よりも勘が鈍るのが痛かった。
ひょっとする読み間違いで致命傷を負うのが飛竜との戦いだ。
ルインも思わず深いため息をつく。
『だが、だが手だてが無いわけではないぞ』
フィールが静かに、ゆっくりという。
『さっきも言っただろう、お前達が依頼を出せばいい。マンドラゴラは珍しい物だが、滅多に手に入らないという物ではない。自分のアイテムボックスに持っているハンターもいるかもしれない』
ハンターが自分達で素材を集めるのが困難な時はギルドに依頼を出すことが少なからずある。
これにより受け渡しが禁止されている素材も受け渡しできるようになる、もっとも全ての素材というわけではないが。
『時間も惜しいのだろ?これが一番早く手に入ると思うがな』 心の内を見透かされたかの感覚に陥る。
知らず知らずのうちに表情に出ていたのかもしれない。
『そうですか…、ありがとうございましたフィールさん』
静かに立ち上がった彼等に向かって礼を言う、これ以上話す事はないという事だろう。
ふとフィールが立ち止まり振り返った。
『お前、
片手剣使いだろう』
内心驚いた、今日も昨日もルインは酒場には武器を持ってきていない。
この街に来た時には当然携えていたが、彼等が街に戻って来たのは昨日━━━ルインが片手剣を差しているのを見ているはずがない。
『どうして…?』
リシェスが不思議そうな顔をして聞き返す。
『その装備、軽装の割に左半分だけ傷が多い。恐らく片手剣の盾で攻撃を捌いているからだろう?』
言われてルインを見ると確かに左半身に擦り傷などが集中している。
彼が話をしている際に特にルインを見ていたと言うわけではない。
一緒にいたリシェスでさえ言われるまで気が付かなかった事を彼は会って数十分で見抜いたのだ。
『ふん、だったら街では剣を抜くな。その女を守りたかったらなおさらな』
『…っ!?』
思わず声を上げてしまう、その様子見てフィールは目を細めた。
『昨日あの男に殴られた時、腰に手を持っていったろう、恐らくは無意識だろうがな。…もし剣があればお前は抜いたのか?』
そう言うと彼は身を翻し仲間の下へと歩いていった。
ルインは彼の後ろ姿をただ見つめていた。
『なんだ?』
仲間のところに戻ると小柄な男が薄笑いを浮かべている。
『珍しい事をしたと思ったらそういう事か』
怪訝な表情をするが彼は気にも止めず身を翻す。
『だから何がだ?』
『べっつに~』
何の事か分からずに問い詰めようと思ったが細身の男がそれを遮った。
『次の目的地は“火山”だ、準備できしだい出発するぞ』
火山━━━灼熱の炎と熱風が支配する生命が生きていくには過酷な場所。
一瞬心に何かが引っかかったが、次の瞬間には忘れてクエストの打ち合わせを始めていた。
『ルー、大丈夫?』
名前を呼ばれてはっとする。
どれくらい考えこんでいたのだろう、目の前の彼女が心配そうにこちらを見ている。
『ルーまた怖い顔してた……』
特に表情を強ばらせていたつもりはないが、いつの間にやら顔に出ていたのだろう。
『ごめん……』
それは守れなかった事への謝罪。
それは心配させた事への謝罪。
どちらの意味も含ませた言葉だが、リシェスはどちらの意味で受け取ったのだろうか。
『ううん、いいの。私は大丈夫だから』
そう言うと彼女は手を重ねて力を込めた。
『ありがとう…』
ため息混じりに礼を言い、目を閉じる。
あの時、自分は彼が言うように剣に手を伸ばしていた。
もし腰に自分の剣があれば抜いていたのだろうか?
そして抜いていたとしたらあの程度の騒ぎで済んではいないだろう。
ハンターにとって対飛竜用の竜人族の武器を人に向けると事は禁忌とされている、最悪ギルドまでが介入する事になっていたかもしれない。
かといってあの時自分にはリシェスを守る手段は“それしか”無かったとも思えた。
いくら酒場で腐っているといっても相手はそれなりに場数を踏んだハンターだろう。
素手で勝てたかどうかと問われれば大半の人間が無理だろうと言うに違いない。
そんな中、武器に手を伸ばすのはある意味本能的な事だったかもしれない。
人は弱い、だからこそ武器を取る。
飛竜を狩れるのも竜人族の武器を持っているからこそだ。
しかし剣を抜いても、抜かなかったとしても彼一人では彼女を守れなかった。
胸にかけた“紅い石”がいつもより冷たい気がした。
『やぁ、ちょっと座らせてもらうよ』
場違いな声が不意に耳に飛び込んでくる、気が沈んでいる今、神経が逆撫でられる様な感じの声だ。
事実、ルインは彼の声に少し苛つきを覚えた。
男にしては高く気の抜けた様な声、そんな感じの声だ。
年はルインより少し下くらいだろうか、青年というよりは少年という感じがする。
『なんですか?』
リシェスが微笑みながら声をかけると彼は髪をかき上げる仕草をしてみせる。
ストレートの金髪がふわりと揺れ、また元の様に戻る。
『悪いと思ったんだけどね、話は聞かせてもらったよ。【マンドラゴラ】を探してるんだろ?』
彼は“全然悪いと思っていない”様な顔をしてルインを見る。
彼の思惑が分からないので即答は避け、視線を外す。
『聞かせてもらったっていったろ?君達の事は昨日から見てたんだよ』
彼は信用されていない事はお見通しといった感じでおどけてみせ、話を続ける。
『そこでだ、僕の狩りを手伝ってくれないかい?』
『どうして?』
すかさずルインが聞き返す。
《攻性の星》の話によればこの辺りでマンドラゴラが採れる場所はないという。
なら“話を聞いていた”という彼は《攻性の星》さえ知らない場所を知っているというのだろうか?
彼からはお調子者といった印象を受ける。
どこか気の抜けた喋り方、そしてその“風貌”だ。
金髪自体は珍しいわけではないのだが、彼の髪は“綺麗すぎる”。
狩場に何日もいる事になるハンターは当然風呂になど入れるわけはない。
少し前にエレノア達も髪がもつれると怒っていた。
そして睡眠も十分にとれない事も多く髪が荒れるのは避けられない、にも拘わらず彼の髪は真っ直ぐに整っている、直前に湯を浴びたと言われればそれまでだが、理由は二つ考えられる。
一つはあまり狩りに出ないハンター、時折小さなクエストに出ては小銭を稼いでいるようなハンターだ。
そしてもう一つ、それは彼が“貴族”の出ではないかという事だ。
金髪は確かに珍しいわけではない、それは王都に行けばわりと見かけるからだ、しかしその大半は貴族の者である。
稀にいるのだ“娯楽”のつもりで狩りに参加する貴族達が。
彼等はろくに経験もない上に何故か指図をしたがる、そして思った通りに事が運ばないと仲間に当たるという、そんな者を仲間に入れても迷惑以外の何者でもない。
綺麗な金髪、整った顔立ち黙って立っていれば女の方から声がかかりそうだ。
しかしどこか軽薄そうな笑みが彼の印象を悪くさせている。
『そう言わずに仲良くしようよ、そっちの君も』
言って彼はリシェスに向かって片目を閉じる、ウインクのつもりだろう。
『僕はフェルディナンド、《フェル》って呼んでくれればいいよ』
そう言うとフェルディナンドはリシェスの手を取り甲に口付ける仕草をしてみせる。
『マンドラゴラが生えている場所を知ってるんですか?』
リシェスが頬を染めながらフェルディナンドに聞くと彼はゆっくりと首を横に振った。
『それは僕にも分からない、でも僕はマンドラゴラを持っている。この意味が分かるかい?』
『………』
彼の言葉にルインが目を細める。
マンドラゴラは珍しい植物だが、それは受け渡しを禁止はされていないという。
つまりはルイン達が彼の狩りを手伝えば報酬としてマンドラゴラを渡すと言っているのだ。
『もちろん僕が持っている数で君達の必要な数が揃うかどうかは分からない……。でも悪い話じゃないだろ?』
確かに行き詰まったルイン達にとってこれほど有り難い話はない、しかし“おいしすぎる”。
甘い話にほど裏があると、ウォーレンが言っていたのを思い出す、街に行く機会があれば気をつけろと。
『どうして俺達に?』
問うルインからおどける様に視線を外し、彼は両手を持ち上げる。
『僕も2人でチームを組んでいてね、新しい依頼を受けたんだけど僕ともう1人ではどうも、ね。そんな時に君達を見つけたってわけさ』
つまりは狩りの一時的な仲間を探していたという事らしい。
彼の話によると一度2人で狩りに出たのはいいが、2人で手に負える相手ではなく断念し街に戻ってきた。
しかし、依頼は遂行したいらしく狩りを手伝ってくれる者を探している時に昨日の騒動に出くわしたらしい。
『依頼の相手は?』
ルインが言うと彼は指を口の前で振り、ニヤリと笑った。
『そこから先の話は君達が“受ける”と言ってからだ』
『………』
ますます怪しい。
仲間の募集をかける時は形式の違いはあれどターゲットとなる飛竜を告げるものだ。
でなければ参加する者はいない、とは言わないが少ないだろう。
募集しておいて狩場に行き、相手が【イャンクック】の下級飛竜ならば高ランクのハンターは憤慨するだろう。
そして“その逆”もある。
つまりは強大すぎる相手の可能性もあるのだ。
名を出して募集すれば誰もが尻込みして参加しない様な飛竜に挑もうとしているのかもしれない。
彼の装備を見ると上から下までランポスシリーズで揃えてある。
ランポスシリーズはその名の通り鳥竜種ランポスの鱗をランポスの皮などで繋いだ防具で、軽くその上防御力もある。
この装備でクエストに出発するかどうかは別問題だが、少なくともこの装備のハンターが“火竜討伐”などを持ち出してくるとは思えなかった。
ランポスの鎧は軽くて丈夫だが、飛竜を相手にするとなると少し物足りない。
この装備は比較的容易に揃えられる、つまりは初級ハンターが持つような装備だ。
もっとも彼が最初に危惧した通り貴族の世間知らずならばその限りではないだろうが。
場合によっては犯罪に巻き込まれる可能性もあるのだ。
わざと軽装で新人ハンター達を油断させ近づき、犯罪の片棒を担がせる。
割と良く聞く手段だ。
『……話だけでも聞いてみようよ、ルー?』
リシェスが言うとフェルディナンドが満足そうに笑い両手を広げる。
『さすが美しいお嬢さんは話が早い。そっちの君はどうする?』
フェルディナンドがルインを煽るように微笑みかける。
内心彼女はきっと“そう”言うだろうと思っていた。
リシェスを見ると彼女は静かに頷いた。
『……分かった』
ルインは目を閉じ息を吐くとゆっくり了承の返事を返した。
フェルディナンドに連れられてやって来たのはゲストハウスにある【ビショップ】と呼ばれる部屋だ。
中級ランクのハンターに用意される部屋でルイン達が宿泊している【ルーク】から見ればその差は歴然だ。
部屋に入るとその広さに驚いた、自分達が宿泊している部屋が2つくらいは入りそうである。
『ドナ、ドナいるかい?助っ人を連れてきたよ』
フェルディナンドが呼びかけるとベッドに横たわっていた塊がゆったりと起き上がる。
『…な!』
『……!?』
毛布の下から顔を出したのは女、それもインナーだけしか着ていない女だった。
ルインは慌てて振り返り、リシェスは呆気にとられた表情をしている。
インナーは下着ではないので見られたからといって恥ずかしいものではない、といってもそれは本人の主観に左右される。
インナーを下着同然と思っている者もいれば、採取などの簡単なクエストならインナーのまま出発する者もいる。
『ドナ、いきなりそれじゃせっかくの助っ人もひいちゃうよ』
『いいじゃないか、減るもんじゃなし。今準備するからちょっと待っとくれよ』
フェルディナンドはいつも事のように諦めた口調でいう。
ドナと呼ばれた女は大きく伸びをすると欠伸をし、ベッドから降りた。
『ふーん…なかなか可愛い子を連れてきたじゃないか』
ドナはルインの顔を舐めるように見てウインクをする。
『話は後でいいから早く着替えなよ。彼も困ってるみたいだしさ』
小さく舌打ちするとドナはおぼつかない足取りでアイテムボックスへと歩いていく。
ひょっとしたら彼女は夕べ遅くまで酒を飲んでいたのかもしれない。
アイテムボックスはルイン達の部屋にあるものと変わらないように思えたが、中からは何に使うのかも分からない様な物が幾つか覗いていた。
無論、ルインに使い道が分からないだけでドナにとっては大切な物なのだろう、ただ単に彼女が整理が苦手、という可能性も無くはないが。
『これでよし、と。でフェル、どこまで話したんだい?』
彼女の装備を見てリシェスの目がより大きく見開かれる。
ドナがアイテムボックスから取り出したのは“ボーン装備”と呼ばれる物だ。
竜骨や
モンスターの骨、ケルビの皮なので作られた物だ。
軽く動きやすいのだが、若干というか露出が大きい、よってドナの様な女性が着ると目のやり場に困る。
『おや、照れてるのかい?可愛い坊やだね』
ドナは俯くルインを見て笑うと不満そうな視線でリシェスを見る。
『それでこの小娘は何なんだい?』
『こ…っ!?』
リシェスは呆気にとられた様に口を開き、言葉を失う。
ドナの物言いがよほど気に食わなかったのだろう、彼女の言い方はリシェスを小馬鹿にしているような感じなのでそれも当然かもしれない。
ルインには媚びを売るように喋るのでそれも気に入らないのかもしれないが。
『仕方ないだろ、彼等は2人チームみたいだし』
間に入ったフェルディナンドがやれやれとため息をつく。
『彼等にはまだ“手伝って”って事しか言ってないよ。ドナ説明よろしく頼むよ』
フェルディナンドは手をひらひらとさせ窓の横にもたれかかった。
『そうかい、まずは自己紹介からだ。私はドナ、武器は
ランス…』
そう言ってアイテムボックスの横を指差す。
そこには“鉄の棒”があった、誇張ではなく鉄の棒としか言いようがない。
太く長い鉄棒、そしてその傍らには人が隠れてしまえそうな“鉄の板”がある。
恐らくこれが盾、そして棒が武器、一対でランスなのだろう。
『“これ”を見るのは初めてかい?』
ランスを食い入るように見ているとドナが大笑いしながらいう。
『ランスの立ち回りは攻守一体、…まぁ詳しくは狩りに出てからにしようかね。さ、次は坊やの番だ』
ドナが言うとフェルディナンドがキザったらしく髪をかき上げる。
邪魔なら髪を切ればいいと思うのだが、本人は邪魔だと思っていないのかもしれない。
『僕のフェルディナンド、さっきも言ったけどフェルって呼んでくれて構わないよ。武器は“双剣”、遊撃が僕の役目さ』
またしてもフェルディナンドは髪をかき上げた。
しかしそれ以上に気になったのは彼が言った武器━━━双剣だった。
ランスも聞きなれない武器だったが、双剣などと言う武器は聞いた事がなかった。
『そうだね、双剣は片手剣を2つ持っている様な武器だよ』
こちらの反応の見てかフェルディナンドが笑いながらいう。『片手剣を2つ……、じゃあ盾は?』
ルインの口から出たのは当然の質問だろう、飛竜やモンスターの攻撃は強大だ、中には盾を持ってしても防ぎきれない事もある。
それを盾を持っていないなどと死にに行くような物だ。
ウォーレンの様にハンマー使い達は盾を持ってはいないが、ハンマーには“それ”を補って有り余る攻撃力がある。
彼が言うようにもし片手剣を2つ持っている“だけ”ならばふざけているとしか思えない。
片手剣自体は鋭く、切れ味もあるが威力という点では他の武器には遠く及ばない。
それを命を守る盾を捨ててまで2本目を持つ理由が分からなかった。
彼は“片手剣の様な”と言っただけなので片手剣より大きいのかもしれないが、その可能性も少ない。
武器が大きくなるということはそれだけ重量が増す、重くなれば動きも鈍る。
そして動きが鈍るということは身を守る術がない者にとって致命的ともいえる、何よりも人の手一本で持てる重さなどたかが知れている。
ルインの持つ片手剣も決して軽いわけではない。
『ふふ、疑ってるね。僕を信じられないって顔に書いてあるよ』
フェルディナンドは再び壁に体を預けながら悪戯っぽく笑う。
『そ、そんな事は……』
慌てて弁解しようとしたがどもってしまった、これでは図星だと白状しているようなものだ。
しかし彼は気を悪くした様子は無く、ドナと顔を見合わせて笑う。
『双剣を初めて見た人はみんな疑うからね、でも狩りに出れば分かるよ。双剣━━━いや僕の強さがね』
またしても彼は髪をかき上げ、窓の外に遠い目を向けた。
『さて、次はあんたらだ』
言ってドナはルインを指差した。
『俺の名前はルインです、武器は片手剣を使います』
相棒のアサシンカリンガは部屋に置いてきたのを腰に伸ばし思い出す。
疑われる、という事はないだろうが使う武器を見せておく事も重要だ。
どんな武器を持って狩りにでるのか、チームを組んで日が浅い者達の狩りが成功するかどうかは事前の打ち合わせが大切だ。
ただ単に威力の高い武器を持ち寄っただけでは勝てない、そんな場面はいくらでもある。
仲間の持つ武器の特徴や性能、その全てを生かさねば狩れない相手もいるのだ。
武器を持っていない、という点ではフェルディナンドも同じだが“チームを組んでもらう”のはこちら側だ、立場は全く同じというわけではない。
彼が持つ双剣を見て見たかったが、それは今言っても仕方のないことだろう。
『片手剣か…、フェルと役割がダブっちまうね』
ドナが腕を組み唸る、その様子を見てフェルディナンドは笑うと髪をかき上げる。
『大丈夫さドナ、僕はアタッカーもこなせるからね』
彼の言葉をそのまま受け取るなら双剣は“片手剣並みの機動力を持ち、尚且つ攻撃の要となる威力をも持ち合わせる”事になる。
それはにわかには信じ難かった。
片手剣の機動力に大剣の破壊力、その2つが合わさればハンターの理想に限りなく近付ける。
即ち“攻撃を受ける事無く、相手を倒す”。
ボウガンの遠距離武器ならそれは可能だが、ボウガンにはボウガンの弱点がある。
複数の相手に囲まれた場合、相手の接近を許した場合。
いずれにしても一人で狩りに出かけるガンナーは気狂いの類だろう。
しかしそう言ったガンナーは少ないわけではなく、一人で狩りに出て成果をあげる者は多く、そしてまた帰ってこない者も同じ様に少ないわけではない。
1対1ならまだいいだろう、しかし猟場でそういう状況を作り出すのは至極難しい。
だからこそ彼の言葉を信じ難かった。
『やっぱり信じられないよね、片手剣を使う君の事だきっと疑うと思ったよ。でも自分の知っている事だけが世界の全てじゃないよ』
フェルディナンドは相変わらず軽い笑顔を浮かべて言う。
確かに彼の言う通り、世界には時として信じられない事が起こる。
どんな時でも自分の思い描いた通りに事が運ぶ事はない。
彼の言葉に納得させられた様で不本意だったが、ルインは頷いてみせた。
『ふふ、君は素直だね。さぁ次は━━━』
『なんだい、この小娘も一緒に来るのかい?』
フェルディナンドがリシェスを指差そうとした瞬間にドナが不機嫌そうに言う。
『彼と彼女は元々仲間だしね、僕は人数は多い方がいいと思うよ?』
フェルディナンドは表情を崩す事無くドナに言う。
彼女はリシェスの頭からつま先までをしげしげと眺めるとそっぽを向いた。
『ごめんね、ドナは君の若さに嫉妬してるんだよ』
『フェルッ!』
ドナに怒鳴られフェルディナンドは苦笑いを浮かべる、彼女は本当にリシェスに興味がないのかそっぽを向いたまま壁に向かって何やらブツブツと呟いている。
『……私はリシェス、武器は大剣です』
彼女にしては珍しく不機嫌さを言葉に詰め込んで喋る。
考えてみればリシェスと出会ってから彼女が怒っている所を見るのはこれが初めてかもしれない。
普段はエレノアに怒られたりしていても常ににこやかな表情を浮かべていた。
リシェスも当然感情の起伏はあるだろうが、自分といる時はいつも笑っていた気がする。
『へぇ、それは頼もしいね。ドナ聞いたかい?大剣使いだってさ。“これなら”十分じゃないかな』
『どうかね、大方坊やに守ってもらいながら戦ってたんじゃないの?こんな小娘が役に立つもんかね』
ドナの言葉にリシェスの顔は真っ赤に染まり、肩を震わせながら前に出た。
『り、リシェス……』
もはやルインの言葉も届いていないのかそのままドナの前へと歩く、その様子をフェルディナンドはまるで何かの出し物を見るかの様に笑みを浮かべている。
『小娘、小娘言わないで!私だってちゃんとハンターです!』
リシェスの声に驚いたのかドナは呆気にとられた様な顔をしていたが、すぐに瞳に闘争の火を灯し立ち上がる。
『はッ!言うじゃないか、小娘。口上だけは一人前みたいだねぇ』
ドナは馬鹿にしたような口振りだが、その目はリシェスから逸らしてはいない。
『だから小娘って言わないで!貴女こそその年でよく“そんなの”着れるわね、恥ずかしくないの?!』
リシェスも必死にドナの目を睨み返し、彼女の着ているボーンメイルを指差す。
『言ったね、小娘が!……まぁ、あんたみたいな小娘には無理だろうね。だからって僻むのは止めな!』
さすがに癪だったのか、ドナの方も顔を紅潮させてきている。
彼女は自分の身体によほど自信があるのだろう、だからこそ“この”装備をしているに違いない。
ハンターである以上は“体が資本”だ、軟弱な体では強靭な飛竜に太刀打ちはできない。
自分の体を誇りとする者は多い、恐らくドナもその1人なのだろう。
『そんなの私にだって出来るわ!!』
ドナが一歩進めばリシェスもまた負けじと言い返しながら一歩進む。
『あんたみたいな薄い身体に誰が喜ぶもんか、どうせ坊やもロクに満足させてやれないんだろ?』
『えッ!?』
『なッ!?』
このままでは掴み合いの喧嘩になってしまう、何とか収める方法はないかと考えているといきなり火の粉がこちらに降ってきた。
ドナはリシェスの前を平然と横切り、ルインの隣に立つと肩に腕をまわし息を吹きかけてくる。
それだけで鳥肌がたったが迂闊な事は喋れない、ここで騒ぎを大きくするわけにはいかないからだ。
『ははは。ドナ、彼が嫌がってるじゃないか』
『黙ってなフェル!』
一瞬助け舟が来たかと思ったがそれはドナの一喝であっさりと沈んでしまった。
フェルディナンドはやれやれと言った具合で手をあげた。
『ふふふ、可愛い坊や。今日からは私が一緒にいたげるよ』
『え!?いや、俺は…』
そんな様子をリシェスが黙って見ているはずもなく、彼女は茹で上がったタコにも負けず劣らずの顔色をしてこちらに歩み寄ってくる。
リシェスが一歩進むごとにゲストハウスが揺れている、そんな感覚に襲われる。
『ちょっと!何してるの!?ルーも嫌なら嫌って言わなきゃダメでしょ!』
無論嫌と言いたいのだが、そんな事を言い出せない雰囲気を作っているのは彼女達だ。
『小娘は黙ってな!坊やはルーって言うのかい、可愛い名前だねぇ』
『ちょッ…』
ドナの手を振り解こうと思ったが彼女の力は凄まじく、後ろを取られている事もあり上手くいかない。
『気安くルーって呼ばないで!』
『なんだい、良いだろ。今日から私とルーはパートナーなんだから。小娘は家に帰って寝てな』
もはや論点は完全にずれている、この“子供の喧嘩”が早く終わる事を祈りながらドナの手を解こうと悪戦苦闘するが、彼女に息をかけられる度に力が抜ける。
重量のある武器を使うハンターに男女の筋力の差はそれほど現れない。
むしろ片手剣を扱うルインとランスを持つドナとでは彼女の方が筋力があるかもしれない。
それはルインの体が未だ成熟していない事もあるが、やはり普段から重量のある物を持っていると筋力もそれに比例してついていくものである。
そういう意味ではリシェスもかなりの力があるかもしれない。
そんな事を考えていると突如部屋に乾いた音が響く。
音のした方を見るとフェルディナンドが手を叩いたというのが分かった。
『もうそれぐらいにしてクエストの話をしようよ。ドナもからかうのはそれぐらいにしといてさ』
彼は相変わらず笑っていたが、言葉には微かな怒気が混じっていた。
ひょっとしたら彼も怒っているのかも知れない。
『私はまだ……』
『ドナ!』
彼女は何かを言いかけたがフェルディナンドに阻まれ舌打ちしながらベッドの方へと戻っていく。
『さて、話は随分それちゃったけどとりあえずは宜しくって事で』
フェルディナンドは笑みを浮かべながらルインとリシェスの手を順に取り、握手を交わす。
『でもいきなり僕達の仕事を手伝ってもらうわけにはいかないからまずは簡単なクエストにでも行くとしよう』
『……どうして?』
怒りが収まらないのかリシェスが不機嫌そうに聞き返す、これではフェルディナンドに八つ当たりをしているだけなのだが彼女はその事に気付いていないのだろう。
もっともすぐに感情を切り返せる人間の方が少ない、口論をした後ならば尚更だ。
『まず君達の戦い方を見せてもらわないとね、それは君達にしたって同じだろう?バラバラに戦ってたら勝てない相手もいる、そういう事さ』
そう言うと彼はまた前髪をかきあげた。
狩りにおいてもっとも必要なのはチームワーク━━━即ち仲間との連携だ。
これなくして勝てる飛竜はいないと言っても過言ではないだろう。
中にはリオレウスの様な火竜をも単身で狩る者がいると聞くがそんなハンターはごく僅かだ。
先のリオレウスとの戦いを思い出してもルイン、リシェス、ウォーレンの3人の連携が上手く取れたからこそ万に一つの勝利をモノに出来たのだ。
『そうだね、俺も双剣っていうのに凄く興味あるし……』
ルインが言うとフェルディナンドは悪戯っぽい表情を浮かべてみせる、それは垂らした釣り糸に獲物がかかった時の様にも見えた。
にこやかな笑顔を浮かべていると思えば、愛想笑いの様な軽薄さに見える時もある。
今し方の笑顔もただ嬉しがっているだけなのかもしれない。
何にせよ彼の意図が読みづらい事には変わりなかった。
『嫌なら小娘はここでお留守番でもしてなよ』
『ドナ!』
リシェスが反応する前にフェルディナンドが彼女を注意する。
このメンバーで上手く連携が取れるのか心配だったが、その為に先に簡単なクエストに行こうというのだ。
『相手は?』
ルインが聞くとフェルディナンドは腰のポーチから一枚の紙を取り出した。
それは酒場にあるクエストボードに貼られた紙で、ハンターに依頼されたクエストが書いてある。
ギルドの受付嬢が貼ったり、ハンターが仲間を募集する為に貼ってある物で、煩雑に貼られた依頼用紙の紙の山から望みの依頼を探すのは困難だったりする。
『相手はゲリョス、場所は沼地さ。……聞いた事ないかい?』
告げられた名前に戸惑っているとフェルディナンドが聞き返してくる。
ここで嘘をついても自らの寿命を縮めるだけなので素直に知らないと答える。
『ゲリョスはイャンクックと同じく鳥竜種に属する飛竜さ、イャンクックに比べても手強さは段違い。
ゴム質の皮に覆われた体はハンマー等の打撃武器の効果を薄れさせ、そして何よりも恐ろしいのは奴の口から吐き出される“毒液”さ。吸い込めばあっという間にあの世行きだからね』
言ってフェルディナンドは自分の首を絞め、息が詰まるといった表情をしながらまるで他人事の様に笑う。
モンスターにはその鋭い爪や牙、強大な力の他に恐ろしい能力を持つ者がいる。
それは“麻痺”であったり、フェルディナンドが言った“毒”であったりする。
ランポス種の別個体であるゲネポスというモンスターがいるが、彼らの爪や牙には麻痺毒が仕込まれておりその毒が入り込んだ標的は体の自由を奪われる。
昆虫型のモンスターであるランゴスタも同じ様に麻痺毒を使うが、ゲネポス種と戦闘している時の方が窮地に陥りやすい。
ゲネポス種はランポス同様に集団で狩りをしているため、その中で身体の自由を奪われれば生きたまま肉を啄まれる事となる。
もう一つの毒は火竜の足爪や、雌火竜の尻尾に仕込まれているのが代表的だ。
徐々に相手の体力を奪い、動きが鈍ったところを仕留める為の補助的なものだが、当然致死量というものがある。
また“それ”が気化したものを吸い込めば肺が腐る、とも言われている。
いずれにせよ【解毒薬】があれば事なきを得られるが、いつも手元にあるとは限らない。
げどく草とアオキノコと呼ばれる猟場で比較的よく見かける植物を使う事で解毒薬を調合できるがそんな隙があるわけもない。
そんな恐るべき能力を備えたモンスターを識っておくことは生き延びる為の条件でハンターとしてのステータスだ。
他にも対象を昏睡させる毒を持つ者もいるらしいが、いずれも当たらない事が何よりの対処だろう。
『毒……』
リシェスがポツリと言葉をこぼした、“あの時”の事を思い出しているのかもしれない。
4人で火竜討伐に出かけ彼女の親友が足爪の毒にやられた時の事を。
先ほどの紅潮していた顔と違いやや青い気がした。
『リシェス…?』
『ビビったんなら素直にやめときなよ、小娘にはちょっと荷が重いかしらね?』
そんな彼女をドナが煽る様にいう、“小娘”という単語にやたらとアクセントを付け強調している様子を見るとどうやらリシェスを怒らせたい様だった。
何故そんな事をするのか分からなかったが、知ってか知らずかリシェスはその挑発に乗っている。
肩を震わし、先ほどまで青かった表情に再び紅が映ると大きく目を見開いた。
『何よ!ゲリョスくらい狩れるわ!いいわよ、やってあげるわ!!』
彼女は大きく鼻を鳴らし仰け反る、それを見たフェルディナンドは嬉しそうに笑うと頷いた。
(言っちゃったよ…)
内心複雑だったが、ここでリシェスだけを彼らに加えるわけにもいかず、結果ルインも同行する事が決まった。
『は!口だけじゃないとこを見せて貰おうかね』
『何ですって!?』
睨み合う彼女達の間に割って入り、苦笑いを浮かべる。
『出発はいつから?』
フェルディナンドも呆れた様な笑いを浮かべながら腕を組む。
『そうだね、善は急げっていうし明日の朝出発しようよ。待ち合わせは日が昇る前に酒場で、準備があるなら早めにね』
彼は今にも飛びかかりそうなドナを引き離すと手を振った、“喧嘩になる前に出ていけ”という事だろう。
『ちょっとフェル!どこ触ってんだい!?それに私の話はまだ終わってないよ!』
『事故だよドナ…あ、それと解毒薬は街でも売っているから買っておくといいよ』
ドナが抗議の声を上げていたがフェルディナンドは緩やかに交わしながら苦笑う、これ以上付き合うのも疲れるのでルインはフェルディナンドに頭を下げると同じ様にリシェスを引きずる様にして部屋を出る。
ゆっくりどドアが閉まり2人の足音も次第に遠のいていった。
『いつまで触ってんだい!』
ドナの平手打ちをさっとかわし、フェルディナンドは笑う。
『で、どうかな?』
あっさりと空を切った手を見て片眉を釣り上げながらドナは唸る。
『あのルインっていう坊やは使えそうだけど、小娘の方はどうかね』
フェルディナンドの涼しそうな顔が余計に怒りを煽るのかドナは舌打ちしながら答える。
『やたら彼女に突っかかってたし、やはり“若い”のは敵かい?』
『フェルッ!』
飛びかかってきた彼女をまたもや“スルリ”とかわすとフェルディナンドもまたドアの前へと立った。
『ふふ、じゃあ僕も明日の準備をするよ。ドナも怒り過ぎはお肌に悪いから気をつけてね』
不意に飛んできた枕をドアの影に隠れながら避け、隙間から手だけをだし別れの挨拶をする。
ドアの向こうからは彼女の怒りの重圧が伝わってきており、今また部屋に戻れば間違いなくタコ殴りにされるだろう。
『女性のヒステリーは感心しないなぁ…』
扉の前でため息をついていると何かかがぶつかった音がした、ふとドアを見るとそこからはみ出しいたのは銀色をした金属。
恐らく彼女が向こうから投げたのだろう、“フォークやナイフ”と言った食器を。
という事は先ほどの独り言を聞かれたのか、それとも未だドアの前から消えない気配に向かって投げたのか、危うく“地獄耳”と言いかけたのを慌てて飲み込む。
『明日は一発くらいは覚悟しないといけないね…』
フェルディナンドは苦笑いを浮かべながらやや早足気味に自分の部屋へと向かった。
『ねぇ、ルー……』
『どうしたの、リシェス?』
明日の準備をしようとゲストハウスから出て、再び街の中心へとやってきた。
空を見ると西の方は段々と茜色に染まりつつある。
フェルディナンドの情報通りなら【解毒薬】も幾つか必要になるだろうし、その他の道具もあるに越したことはない。
出費は痛かったが、準備不足の変わりに自分の命で支払う事はなるのは御免なので多少多めに用意しておく。
道具屋の店主はあまりいい顔をしなかったが、商売となれば話は別なようで金さえ払えば物は売ってくれた。
出発は明日なので今から集めるわけにはいかない、本来ならばげどく草とアオキノコくらいならばすぐに見つかるので買うという事をしたくない。
自分で集めれる物を他人から買うというのに嫌悪感を覚えるハンターは多い。
それは長い間ギルドが飛竜の素材の受け渡しを禁止してきた事によるハンターとしての“血”なのかもしれない。
『??』
聞き返してみても彼女が何かを言う素振りは無い。
ゲストハウスを出た時からずっと俯いたままだ、しかしそれでもルインの腕を掴んだままのところを見ると何か聞いて欲しい事があるのだろう。
『ルー…、ごめんなさい…』
彼女の方に向き直り急かしても仕方がないので黙って見つめているとリシェスがポツリ、ポツリと話だした。
『私、その…勝手な事ばかりして……』
先ほどのフェルディナンドの依頼を受けた事だろう、確かに受けたと言えば聞こえはいいが、実際は売り言葉に買い言葉で引き受けたような物だ。
リシェスが引き受けたのは正直意外だったが、それよりも驚いたのはドナと“やり合っている”彼女の姿だった。
『大丈夫だよ、俺にしたって結局受けるしかなかったと思ってるしね』
心配そうに顔をあげた彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて笑ってみせる。
父が母を怒らせた時いつもこの方法で謝っていた、手の付けられない母が途端に大人しくなるのを見て、幼い頃は父が魔法を使っているのではと本気で考えたものだった。
父が言うには『目を見てから微笑んで見せれば大抵はうまくいく』らしい。
父から狩りの事は何一つ学ばなかったが、変わりに父は色んな事を教えてくれた。
『でも……』
『それよりもう怒りは収まった?』
すると今度は彼女の顔が赤く染まる。
怒っているわけではない━━━そう、照れているのだ。
仲間しかいなかったとはいえあれほどの口喧嘩をやってみせたのだ。
『あ、あれは…その……』
上手く説明出来ないのだろう、といっても口喧嘩しましたとしか言いようがないのだが。
『リシェス、元気になって良かった。ずっと静かだから心配してたんだ』
『それじゃあ、私は“ああしてる方”が良いって事…?』
それは黙っている彼女を見ているよりはいいに決まっているのだが、リシェスは口を尖らせながら呟く。
『リシェスは笑っている方がいいよ。怒るのはエレノアに任せて、ね?』
拗ねた様な顔をするリシェスの手を引き歩く。
『エレノアが聞いたら怒るわ』
彼につられてリシェスも悪戯っぽい笑顔を浮かべる。
ルインはそれは困ったと仕草で示し、2人は笑いながら歩く。
『やっぱりリシェスは笑っている方がいいよ』
そう言うと彼女は慌てて顔を隠した。
目の前にはもうゲストハウスが見えている、いよいよ明日は沼地に行くと思うと自然に気持ちが高ぶるのが分かる。
ゲリョスという飛竜は初めて聞く名だったが、それもどんな飛竜なのか気になっていた。
《毒怪鳥》と呼ばれるからには当然毒を持つ危険な相手なのだろうが、それでも興味はあった。
『リシェス、明日は早いから今日はもう休もう』
『うん、ルーも緊張して寝れなくならないようにね。また寝坊したら許さないから』
彼女はからかう様に言う、それを頭をかきながらルインは自信なさげに返事した。
彼女の部屋の前まで付いて行き、軽く別れの挨拶を交わし別れた。
リシェスの部屋からそう離れていない自分の部屋に戻ると、テーブルの上にさっき買った品物を広げる。
回復薬に砥石、それとフェルディナンドが言っていた解毒薬。回復薬は何個かストックがあったが、少し心許なかったのでいくつか買っておいた。本来なら薬草とアオキノコで調合すれば事足りるのだが今は仕方がない。
沼地は植物やキノコなどが採れるという話なので明日行った時に余裕があれば集めておきたかった。
ハンターは金を使わなければならない物がある、それは“武器と防具”。
強大な飛竜を狩るために武器や防具は出来るだけ強化しておきたい、自ら調合できる物に金をかけるのは愚か者のする事だ。
ポーチに道具を詰め込み、アイテムボックスの横に立てかけてあったアサシンカリンガに手を伸ばす。
リオレウスを討伐した後に村の鍛冶屋の勧めで強化した片手剣で、ハンターナイフより更に鋭い切れ味を有している。
鉤爪の様な刃に少し抵抗があったが、それも慣れれば使いやすかった。
強化するのに鉄鉱石や大地の結晶が幾らか必要になったが、リシェスと2人で採集などのついでに集めていたので特に困る事もなかった。
同じ様にリシェスの大剣もボーンブレイド改からアギト改にまで強化できたが、問題はその先だ。
リュウノアギトと呼ばれる大剣に強化するには【魚竜の牙】と呼ばれる素材が必要になるらしく、現段階では強化する事が出来なかった。
しかしそれでも彼女の大剣の破壊力は増している。
この先の強化でリュウノアギトから火属性を持つ大剣に強化できると聞いて彼女が嬉しそうに笑っていたのを思い出す。
何でも幼い頃から憧れた大剣らしい。
しかしそれに強化するには火竜の素材がまだまだ必要になるので道のりは遠い。
この先ハンターとして生きていれば火竜と対峙することは幾らでもあるだろう、急ぐ事はない、ゆっくりと経験を重ねていけばいいのだ。
行き急ぐ者に待っているのは“死”だけなのだから。
考えを巡らせているといつまでも眠れない気がしたのでルインは軽く頭を振るとベッドに飛び込んだ。
埃が舞い上がったがルインは気にする事もなく目を閉じる。
自分の鼓動がいつもより早いのが分かる、明日は久しぶりに飛竜と戦う事になる。
ふと狩場で“あの2人”が喧嘩をしないかと心配になったが、今からそれ言っても仕方がない。
新しくチームを組んで揉め事かない方がよっぽど珍しい。
恐らく喧嘩をするだろうとルインは苦笑いを浮かべ目を閉じた。
早く眠らなければ、明日もし寝坊すればそれこそリシェスに大目玉をくらう。
目を閉じ意識が深みに落ちるのにルインは身を任せた。
『ルー、ルー…。朝だよ、起きて。ルー』
耳元で名前を呼ばれるのを感じながら微睡んでいると、激しくドアが開かれる音が飛び込んできた。
ドアはかなりの勢いで開けられたのか、壁にぶつかると鈍い音を立てた。
ひょっとしたら壁に“ノブ”が刺さったのかもしれない。
『ちょっと貴女!何してるのよ!?』
次に部屋に響いた怒声はリシェスの声だと分かった。
(リシェスが今入ってきて……?)
寝返りをうつと顔の目の前に鮮やかな薄氷色の瞳が嬉しそうに揺れていた。
『おはよう、ルー』
『うわっ!?』
瞳の色とは対照的な紅色の唇が微笑みとルインは目を見開きベッドから飛び起きた。
『なんだい、逃げなくてもいいじゃないか』
ドナはつまらなさそうに唸ると彼女もベッドから立ち上がった。
『何でルーの部屋にいるのよ!?』
無視されて更に怒りが増したのか半ば金切り声になりながらリシェスが喚いている。
『別におかしい事じゃないよ、私とルーは《恋人》なんだから』
『ルー!?』
ルインは信じられないといった表情で激しく首を振り否定する。
しかしドナはルインの方に歩いてくると彼の腕を取り満足そうに笑う。
『おやおや、冷たいねぇ…。夕べはあんなに情熱的だったのに』
『…っ!!』
それを聞いてリシェスの顔が更に怒りに染まる。
ルインも何か言おうと思ったがまだ頭が目覚めていないのかいい言葉が浮かんでこない。
『ははは、朝から元気だね』
不意にドアの方から笑い声が響いた。
この状況には不釣り合いだったので3人の視線は一気に声の主に集まった。
そこにいたのはフェルディナンド、昨日と同じ様に髪をかき上げながら壁にもたれ掛かっている。
『起きてるなら酒場に来て欲しいなぁ、1人で待ってる僕が馬鹿みたいじゃないか』
顔は笑っていたが、少し怒っているのかもしれない。
彼の言葉に冷たいものを感じながらルインはドナの腕から抜け出しアイテムボックスに駆け寄った。
『そうだね!ごめん、すぐ準備するよ』
わざと大声で言い、ボックスから防具を取り出し身に着ける。
後ろではドナとリシェスが睨み合っているのか無言の重圧がのし掛かってきていた。
(勘弁してよ……)
心の中で状況を嘆きながらルインは手荷物をまとめた。
武器、防具、ポーチの中身をざっと確認し、後ろを振り返らずにフェルディナンドの下へと急いだ。
最終更新:2013年02月21日 06:17