辺り一面見渡しても霧の向こうにうっすらと木々の陰が見えるだけ、迂闊に足を踏み入れれば迷って二度と出てこれない、最初に抱いた印象がそれだった。
狩りの出発点のなるベースキャンプは森の中にあり、霧のせいもあってか薄暗い。
何かの物音がすると[[モンスター]]が飛び出してきそうで身構えてしまう。
流れてくる風は生暖かかったが、霧に体温を奪われるのかどこか冷やっとしたものを感じていた。
『ふふ、沼地に来るのは初めてかい?』
何かの鳴き声が聞こえた気がして辺りを見渡しているとフェルディナンドが笑いながら近寄ってきた。
『うん…、こんな場所もあるのか……』
自分の周りに人がいるとわかっていても不安は消せそうになかった、それは未知の物に対する恐怖なのだろうが、実際視界が悪いというのが恐怖心を更に煽っている気がする。
『そうだね、ここは気候のせいで年間を通して霧が晴れることはまずない。そして上空には常にある雲が陽の光を遮るから湿気も凄いんだ。油断してると………わっ!!』
いきなりフェルディナンドが叫んだ。
恐らくルインを驚かそうとしたのだろうが、それは後ろで道具を整理していたリシェスに効果があったようだ。
持っていた道具を取り落として辺りをキョロキョロと見渡している。
『ははは、やっぱり君は驚かせないか』
それだけ言うとフェルディナンドは支給品ボックスの青い箱に歩いていく。
何がしたかったのか理解出来ないままルインはため息をつく。
レフツェンブルグの街から出発したのは約半日前、その馬車の中は最悪の雰囲気だった。
出発前から続いていたリシェスとドナの喧嘩は依然として続いており、どちらかが口を開けばすぐに口論といった具合だった。
その中でもフェルディナンドは涼しい顔をしながら御者と呑気に話などしていた。
しかし間に挟まれるルインはそういう訳にもいかず、お互いの主張を愛想笑いをしながら聞いていた。
『飛竜と戦うより疲れた……』
『何か言った?』
ついつい口に出したのをリシェスに聞かれてしまったが、笑って誤魔化す。
実際には飛竜と戦う方が何倍も疲れるので、ルインが言ったのは大袈裟だが精神“だけ”が疲れるのは耐え難いものがある。
ひょっとしたらまだ身体が動かしている分、飛竜との戦いの方が気持ちの良い疲れかもしれなかった。
『じゃあ作戦を決めようか』
フェルディナンドが支給品ボックスから地図を取り出し広げる。
『ドナ、ゲリョスは何処にいると思う?』
不意にリシェスと睨み合っているドナにフェルディナンドが声をかける。
『森の中━━━エリア4ってとこだろうね』
ドナは一歩前に出ると地図を指差した。
リシェスと喧嘩していたさっきまでとは違い、その目は真剣そのものだ。
気持ちを瞬時に切り換えれるというのはハンターにとって大事な事だ、それが出来なければ仲間が1人倒れれば後はなし崩し的に全滅する。
『そうだね、できれば沼では戦いたくないから』
フェルディナンドは笑いながら頷く。
『どうして?』
何故沼地を避けたいのか分からないのかリシェスが聞き返す。
『小娘は黙ってな』
すかさずドナが睨み付けた、その視線は鋭く飛竜と対峙した時の様な恐怖感すら覚える。
『まぁまぁ、彼女達はゲリョスと戦うのは初めてだって言うし知らないのも無理はないよ。ドナだって最初から全てを知ってたわけじゃないだろ?』
リシェスが反論する前にフェルディナンドが言う、髪をかき上げながら。
『そうかい、ならフェルあんたが説明してやりな』
鼻を鳴らし腕を組むドナにフェルディナンドは仰せのままに、と冗談っぽくお辞儀をしてみせる。
その様子は主人に仕える使用人みたいでどこか滑稽に見えた。
『じゃあ説明させてもらうよ』 こちらに向き直ったフェルディナンドは髪をかき上げてから地図を指差した。
『まずはこのキャンプから出たエリアを左に行くと森が続いているんだ、ゲリョスは多分この森にいると思う。そして真っ直ぐ進むと湿地帯が続いている』 フェルディナンドが指差した場所はエリア5と書かれていた。
『この湿地帯にもゲリョスが来る可能性はあるけど出来ればここでの戦闘は避けたい、何故だと思う?』
いきなり何故かと問われても分かるはずもなくリシェスは首を傾げる。
『足場が悪いから?』
出発前にウォーレンが言っていた事を思い出した。
ぬかるむ湿地帯では足に力が入らず大剣の様な重い武器は真価を発揮できない、と。
リシェスも思い出したのか横で頷く。
『そうだね、確かに彼女の大剣やドナの[[ランス]]は戦いにくい。でも理由はもう一つあるんだよ』
『もう一つの理由?』
聞き返すとフェルディナンドは珍しく真剣な眼差しを返してきた。
『そう、湿地帯であるエリア5や10にはゲネポスやイーオスがいる事が多いんだ、ゲリョスと戦いながらこいつらの相手をするのは危険だろ?』
飛竜と戦う時には状況に注意しなければならない、飛竜自体が危険な相手なのは言うまでもない事だが、猟場にはそれ以外にも危険が潜んでいる。
フェルディナンドの言ったゲネポスとイーオスもその一つだ。
爪と牙に弛緩性の毒を持つゲネポス、毒液を吐き出すイーオス、どちらもランポスと似通った姿をしているが、体力・危険性共にどちらも段違いだ。
ただ飛びかかってくるだけのランポスですら猟場では邪魔なのにさらに毒を持つとならばなおさらの事だった。
『ゲネポスとイーオス……』
ルインが唸るのを聞いてフェルディナンドが笑う。
『君はゲネポスとイーオスを知ってるみたいだね』
『話くらいは聞いた事があるよ、ゲネポスの麻痺毒は掠めただけでも身体の自由を奪う、ランゴスタとは比べものにないって』
そんな話を聞いてリシェスは2人の顔を交互に見つめる。
彼女はフライダムの村から出て狩りをしたことはないと言っていたので二頭について知らないのも無理はない。
ゲネポスは砂漠地帯、イーオスは火山地帯などの劣悪な環境に対応した鳥竜種だ。
フライダムの村からそれらの猟場に行くには少し遠すぎた。
『そう、そしてイーオスの吐く毒はゲリョスには及ばないもののそれでも人を殺すには十分だ』
二頭の恐ろしさが分かってきたのかリシェスも頻りに頷く。
『だからこそゲリョスとは森で戦いたいのさ』
いつもの様に髪をかき上げてフェルディナンドは地図を丸める。
『今回は4人一緒に行動するよ、お互いの戦い方を見ておきたいからね』
霧の立ちこめる薄暗がりの中辺りを警戒しながら歩く影が4つ。
先頭を歩くのはやや大柄な背中に柱の様な物を担いでいる。
その後を順についていく。
森と深い霧のせいか今が朝なのか、それとももう日が暮れてしまっているのかも分からない。
霧の中で仲間とはぐれないように歩いているせいか自然と間隔が短くなり前の人間が急に止まったりすると、ぶつかる。
不意に先頭を歩いていた者が右腕を水平に上げる、“止まれ”という事だろう。
ベースキャンプからは随分歩いた気がする、もちろん警戒しながら歩いていたので距離としてはそんなに無いのかもしれないが。
『ファンゴだ……』
目を凝らして見ると霧の中を動く影が見える。
ファンゴ━━━ブルファンゴと呼ばれる丸く大きな毛皮に覆われたモンスターで、ハンターを見かけると辺り構わず突進してくる。
丸く大きなと言えば聞こえはいいが、実際にブルファンゴを見れば“可愛い”などと思わない、むしろ恐怖感を覚えるだろう。
その巨躯から繰り出される突進はハンターの防具といえども軽くへこませる。
熟練のハンターといえども多数のブルファンゴに囲まれれば命を落とす事もあるという。
『数は?』
フェルディナンドが囁くように問う。
『さあね?2、3匹はいるじゃないか?』
いくら目を凝らしてみても、この霧ではエリアを見渡す事もできない。
ドナもブルファンゴの数を把握しようと努めているが難しいようだった。
『俺が…』
ルインが剣を抜こうとするのをフェルディナンドが止める。
『焦ってもいい事はないよ、ブルファンゴの数が分からないのに突っ込むのは得策じゃない』
別段焦っているというわけでは無いのだが、確かにあの霧の向こうにどれだけのブルファンゴがいるのか分からない事には不安があった。
1匹もいないのかもしれないし、多数の群でいるかもしれない。
『僕と君が行こう。で、まだブルファンゴがいるようなら彼女に頑張ってもらうって事で』
フェルディナンドはルインを指さしてから次にリシェスを指差して笑う。
『理由は?』
作戦には概ね賛成だったが、“なぜそうなのか”を聞いておきたかった。
何を思って決めたのかが分からないと連携が上手くいかない、手順が同じであっても目的が違えば連携に“ズレ”が生じてくる。
『僕と君の武器ならブルファンゴが多少いたってかわせるだろ?でもドナのランスや彼女の大剣じゃそうはいかない、違うかい?』
ルインは黙って頷き腰のアサシンカリンガの柄に手をかけた。
フェルディナンドも背中にある2本の剣━━━本人はサイクロンと呼んでいた物に手を伸ばす。
『確認したのは3匹、先に1匹倒した方が3匹目に向かう。霧の向こうにまたブルファンゴがいるなら君も出てきて』
フェルディナンドの説明にリシェスは黙って頷く横でドナが鼻を鳴らした。
リシェスは聞こえない振りをしたのか反応を見せなかった、その反応を見て安心したのかフェルディナンドは髪をかき上げながら霧の中動く影へと視線移す。
『さぁ、行こうか』
言うや否やルインが飛び出した、霧を切り裂くかの様に。
『はっ!速いじゃないか!!』
ドナが感嘆の声を漏らす。
一方フェルディナンドも走ってはいるが、ルインとは違い全力で走っていないのは誰の目から見ても明らかだった。
辺り一面を覆い尽くす霧の中を動く影に向かって駆ける。
白い霧はルインの通った道をすぐに覆いなおし、彼の姿も次第に確認しづらくなっていく。
(速く、もっと速く…!)
心の中で呪文の様に唱えながら走る、ブルファンゴはこちらに気づいたのかゆっくりと振り返った。
森の中はただでさえ足場が悪い、その上この霧では思うように走れない。
途中で落ちた木の枝や朽ち木などに足をとられない様にすれば自然とスピードが落ちた。
かといって気にせず踏めば捻挫ということもある、ブルファンゴの前で転倒など笑うに笑えない。
それでもブルファンゴがこちらに“向き直る前”に距離を詰めなければ。
しかし、こちらに気付いたブルファンゴは大きな前脚で地面を掻く。
別に地面を掘っているわけではない、今から突進をするという合図だ。
(ちっ…)
間に合わない事に舌打ちをして大きく横に移動する。
猪突猛進と言う言葉があるようにブルファンゴは走りだしたら止まらない。
だからこそ気付かれる前に近付きたかったのだが。
直進するのを止め、ブルファンゴを迂回するように大きく横に回る。
しかしブルファンゴは地面を掻く動作は止めず器用に体の向きだけをルインの方へと向けた。
ブルファンゴは豚の様な大きな鼻で鳴くと地面を蹴り駆け出した。
(速いな…!)
まだ距離はかなりあると思っていたのだが、ブルファンゴはあっという間に目の前まで迫っていた、霧のせいで距離を見誤っていたのかもしれない。
息を吐き横に飛んで転がる。
ルインのいた場所を通り過ぎてもブルファンゴは止まる事無くその巨体が霧に隠れるまで走り続けた。
ひょっとして止まらないじゃなくて止まれないのだろうか?などと考えながら立ち上がり、体についた木の葉を払う。
確かにあの巨体のあのスピードでは制動をかけるのも難しいかもしれない。
飛竜も突進で勢いを殺し損ね、そのまま滑り込む事もある。
いずれにしてもこのままブルファンゴを走らせたままでは手を出せない。
(何とかしないとな…)
耳を澄ませると遠くで豚の鳴き声の様なものが聞こえる。
フェルディナンドも苦戦しているのだろう、ルインも彼も持っている武器は軽い。
体重負けしている以上、突進の最中に攻撃を仕掛ける事も出来ないし、しても武器が壊れるだけだ。
リシェスの大剣なら可能かもしれないが、どの道腕を痛めるだけだろう。
動きを止め、尚且つその時に近づかねばならなかった。
こんな時ガンナーがいれば、とも思うが無いものねだりしても仕方ない。
再び突進してくるブルファンゴを避けエリアの端へと向かう。
いくらスピードがあるといっても“直線”ならば避けるのは難しい事ではない、ブルファンゴの姿を確認して横に2、3歩動けばブルファンゴは横を通り過ぎるだけだ。
エリアの端を確認して振り返ると今まさにブルファンゴも走り出した瞬間だった。
腰のアサシンカリンガを抜き、静かに横に移動する。
そしてブルファンゴは通り過ぎる━━━はずだった、ルインの後ろに“壁がなければ”。
凄まじい勢いで壁にぶつかったブルファンゴの牙は折れ、気絶したのか倒れ込んだ。
ルインがアサシンカリンガを一閃すると硬い感触が剣を通して伝わってくる。
これだけの毛皮と筋肉に覆われていれば、当然硬い。
何回か斬りつければそれだけで刃こぼれしそうだった。
幸いブルファンゴは転倒し、柔らかい腹をさらけ出していのでそこを狙ったが、それでも十分硬かった。
ブルファンゴは最後に痙攣し、力無く鳴くとそれきり動かなくなった。
フェルディナンドの方へと視線を向けるとまだブルファンゴと戦っているのか、何かが走る音が聞こえてくる。
3匹目がいた場所からは影が消えていたので、フェルディナンドは2匹を相手にしているのかもしれない。
アサシンカリンガを腰のフックに吊り下げ急いで彼の下へと走る。
フェルディナンドの姿を確認できるまで近づくと、彼はちょうどブルファンゴを倒したところだった。
『やぁ、意外に時間がかかったね』
フェルディナンドは剣についた血を払う為か、大きく剣を振り背中にかけると笑った。
『ごめん…』
『はは、責めているわけじゃないよ。ここは初めてだったんだろ?それだけの事さ』
髪をかき上げながら笑う彼の足元にはブルファンゴの死体が2つ転がっていた。
確かに沼地で狩りをするのは初めてだったが、理由はそれだけではないだろう。
彼の持つ双剣━━━どんな戦い方なのかは離れていたので見れなかったが、この“差”には武器の性能も関係あるはずだ。
『速いじゃないか、感心したよ!さすが私のルーだ』
いきなり腕を掴まれ、そのまま引き寄せられる。
相手は言わずとも知れたドナだ、いつの間に近寄ってきたのかリシェスもいる。
『そう、君は速いね。僕も驚かされたよ、この霧の中をあの速さで走るんだから』
フェルディナンドは腕を組み何度も頷く。
この霧の中、限りなく視界が無いこの中を全力で駆けるなどただの馬鹿だろう、普通ならば。
目の前にこなければ何が転がっているのかも分からない、そしてそれに躓けば間違いなく転倒する。
しかしルインは速さを落とす事なくブルファンゴに接近した、それは間違いなく彼の能力だ。
フェルディナンドも馬鹿にしているわけではく、自分には出来ないからこそ驚いているのだろう。
『ゲリョスは?』
ドナの腕を振りほどきながらフェルディナンドに尋ねる。
彼女は低く唸ったが、再び手を掴む事はなかった。
リシェスはというと意外にも少し離れた場所で何かを採取している、ドナの行動にはなるべく関わらないといった感じなのかもしれない。
『そうだね、ここで待つとしよう』
『待つ?』
フェルディナンドは倒れていた朽ち木まで歩いていき、その上に腰を降ろした。
水場などで待つならまだ分かるのだが、このエリア4はそういった類の場所ではない。
湧き水があるわけでも無く、餌となる草食竜がいるわけでもない、といってもゲリョスが何を食するのかは知らないのだが。
『そう、待つ。ゲリョスは沼地のエリアを適当に移動してるのさ。待っていればその内に現れるよ』
ルインの問い掛けに髪をかき上げながらフェルディナンドは言う。
完全に気を抜いているところを見ると本当に移動する気はなさそうだ。
『ゲリョスが来るまでその辺りで採取してみたらどうだい?“ここ”は珍しい植物やキノコがあるらしいしね、マンドラゴラは無いだろうけど何か良いものが見つかるかもしれないよ』
確かに待つだけならばリシェスの様に何かを集めていた方が得策だろう。
この湿気と日当たりならば、キノコもたくさん生えていそうだったし、他の猟場には生えない植物もありそうだった。
『フェルディナンドは?』
当然の質問だった。
ドナでさえ辺りを探しているというのにフェルディナンドだけは座ったままだ。
いくら討伐が目的とはいえ、彼もハンターならば必要な素材はあるだろう。
例えば回復薬を作るためのアオキノコや薬草などは買うよりも集めておく方がいい。
『僕はいいよ、ちょっと疲れたし休ませて欲しいんだ』
『どこか怪我でも?』
2体のブルファンゴを相手にしていたのだから、怪我でもしたのかと思ったが、フェルディナンドは首を横に振り笑う。
『違うよ。双剣はね思った以上に疲れる、そういうことさ』
髪をかき上げながら笑うフェルディナンドを見て安心する、少なくとも強がっていっている風には見えなかった。
『さ、早くしないとゲリョスが来ちゃうよ。それと僕の事はフェルって呼んでくれて構わないよ』
ルインは頷いて微笑みを返すと少し頭を下げ、フェルディナンドに背を向けた。
『何か見つかった?』
『あ、ルー』
声をかけるとリシェスがゆっくりと振り返った。
ポーチの中から何かを取り出して見せてくれる。
『ツタの葉が採れるみたい』
彼女の手の平には合わさった様な形の草が乗っていた。
これはツタの葉と呼ばれる階層樹科の草で、ネバネバとした樹液を分泌する。
強力な接着剤となるツタの葉はハンターのみならず、街や村での生活にも使われる。
『ツタの葉か……』
現状は特に必要なわけでは無いが集めておけば色々と役に立つ。
例えばこのツタの葉と猟場で採れるクモの巣を合わせる事によって【ネット】と呼ばれるアイテムを調合することができる。
このネットにギルドから販売されている【トラップツール】を使う事によって落とし穴を作れるし、竜骨などに取り付ければ簡単な虫あみにもなる。
また燃やす事によって大量の煙が発生するので、モンスターの目を眩ます【ケムリ玉】を作る事も出来る。
『ルーも集めておいたら?』
リシェスの提案に素直に頷き、ルインも彼女の隣にしゃがみ込んだ。
霧のせいか、少し湿っている草をかき分けながらツタの葉を探し採取する。
あまり採取しすぎて枯らしてしまっては元も子もないのでルインは3つほどポーチにしまい込むと立ち上がった。
『?』
その様子を不思議そうにリシェスは見ていたが、ルインの考えを思い出したのか採取したツタの葉を後ろに隠すと照れくさそうに笑う。
『少し向こうの方に行ってみるよ』
ルインはうっすらと見える木々の方を指差し微笑みを返す。
彼の考え━━━それはルインだけに限った事ではないが、ハンターとして自然に感謝する事。
採取できるからといって、採取できるだけの量を摘み取ってしまえばそこに生えていた植物は無くなってしまうのではないか、というものだ。
植物とはいえ、種を飛ばし同種と交わる事ができなければ枯れるだけ。
もちろんリシェス1人がいくら頑張ったところで一つの種を絶滅に追い込む事はできない。
しかしここは幾多のハンターが訪れる猟場だ、来る者全てが根こそぎに奪っていけばこの“森”すらも消える事になるかもしれない。
森を覆う木々、その合間にひっそりと生える草花、さらにその草花を宿にする小さな虫達。
そのどれが欠けても森は森でなくなる、故にハンターである自分達は自然のサイクルを極力崩さぬように、必要な素材を必要なだけ集める、というのがハンター達の考え方だった。
しかし中には持ち帰れない程の素材を集める者もいると聞く。
その者達はそれは自分で使うわけではなく、他のハンターに売るらしい。
『これは……』
木々の合間のある物が目に止まった、それはクモの巣。
先ほどのツタの葉と合わせる事でネットを作る事ができる。
羽虫を捕らえるためか、木と木の間に大きく広げられたクモの巣。
巣の主は━━━どこかに隠れているのだろう、見つからない。
『ごめんな』
聞こえるかどうか、いやよしんば聞こえたとしても理解できないだろうが、ルインは落ちていた木の枝を拾うとクモの巣を巻き付ける。
後でこれとツタの葉を混ぜ合わせ、伸ばして編んだ物がネットとなる。
クモの巣は全部取ったとしても主が生きてさえいれば再び張ってくれるだろうが、この“巣”自体が餌を捕るための道具なので、ひょっとしたらこの巣の主は再び巣を張る事ができずに死ぬ事もあるだろう。
ルインはそういう意味で謝ったのかもしれない。
と、言っても相手に伝わらなければただの自己満足なのだが、それは言われなくとも分かっているに違いない。
“彼等”は他者の命を貰う事で生きているハンターなのだから。
絡めとったクモの巣を他の道具に付かない様に気をつけながらポーチに入れる、ツタの葉と合わせなくてもクモの巣だけでかなりの粘着性を持つからだ。
適当な葉を毟りクモの巣との間に挟む、瞬間静まり返った森に鳥達の羽音が響いた。
『来たよ!』
フェルディナンドが叫ぶと羽音が聞こえてきた、先ほどの鳥達のものではない、そんな小さなものではなく、霧が羽音から生み出された風で流されているのが分かる。
『ルイン!まずは僕と君が奴を“振る”よ!』
未だゲリョスは地に降りてはいなかったが、フェルディナンドは背中の2本の剣を抜きながら駆け出す。
『ドナ!タイミングを合わせてくれよ』
『分かってるよ、それより小娘!足を引っ張んじゃないよ!』
ドナもランスの柄を握り盾を構える、只でさえ大きなランスが彼女が握った瞬間、金属が擦れた様な音をさせさらに“伸びた”。
『大きい……』
隣にいたリシェスも驚いたのか目を見張る。
ドナの持つランス━━━ランパートはかなりの大きさだった。
間合いは全近接武器の中では最長かも知れない。
大量の鉱石から造られたその武器は見る者を圧倒する。
『ぼーっとしてんじゃないよ、死にたいのかい!』
ドナに一喝され、我に返ったリシェスが拗ねた様な顔をしながらも背中のアギトに手を伸ばす。
霧の中から黒い影がゆっくりと降りてくる、火竜ほど大きいわけではないが、決して小さいわけでもない。
ゲリョスが着地した瞬間霧が流れる。
白い世界に降り立つ影、着地の風圧で流れた霧の中からゲリョスが姿を現した。
『こいつが…』
姿を現したゲリョスは何というか、そう“独創的”な生き物だとルインは思った。
同じ鳥竜種であるイャンクックとは似ても似つかない風貌、体皮は黒いのか霧の中では真っ黒に見える。
頭には特徴のあるトサカを持ち、クチバシの中に不規則に並んだ歯が印象的だった。
ゲリョスもこちらに気が付いたのか翼をばたつかせ飛び上がる。
フェルディナンドが飛び出し、一瞬で股下に潜り込んだ。
ルインもアサシンカリンガに手をかけ、ゲリョス周りを走り出す。
すでにフェルディナンドはゲリョスの“下”にいるのだ、放っておけば踏みつぶされてしまうかもしれない。
『いくよ小娘!』
ルインが動きだしたのを合図に、ドナはランスの大盾を構えゲリョスに向かって駆け出す。
速さこそは無かったが、一直線に向かってくるドナの槍はとてつもなく恐ろしい様に思えた。
ゲリョスも“そう”感じたのか、その場から離れようと脚を上げる。
『残念だけど逃がさないよ。…さぁ、踊ろうか!』
股下で屈んでいたフェルディナンドは立ち上がりながら器用に剣を抜く。
いや、それだけではなく、抜きながらゲリョスの足に斬りつけている。
(速い…!)
狭いゲリョスの足を踏まれない様にすり抜けながら無数の剣撃を見舞う。
動く速さにはルインも自信はあったが、フェルディナンドの速さは剣のスピード。
つまりは二刀による剣撃の嵐。
一刀のルインには到底及びもつかない二刀での攻撃がフェルディナンドの“速さ”だった。
思えば同じ鉤状の剣とはいえ、フェルディナンドのサイクロンの方がルインのアサシンカリンガに比べやや小振りの様な気がする。
盾を捨て、もう一振りを持つ理由が今は分かる。
出会った時フェルディナンドは『自分はアタッカーもこなせる』と言った。
それがこの速さなのだろう、空を裂き、肉を斬る。
彼が剣を振る度に彼の周りの霧が薄くなっていく、ゲリョスの足の鱗が硬いのか時折火花が散るのが霧を隔ていてもはっきりと分かる。
(でも…)
だがそんな動きがいつまでも続くわけがない、剣にしてもあれだけの火花を散らせば切れ味も随分と下がっているに違いない。
スタミナが無くなれば攻撃のスピードも落ちるだろうし、何よりゲリョスから離れれなくなる。
彼もハンターで【双剣使い】と自負するのなら、動けなくなるまで剣を振るなどと馬鹿げた事はしないだろうが、彼の持つサイクロンの切れ味の低下もスタミナ減少に拍車をかける。
速さの落ちた剣、切れ味の落ちた剣、どちらの状態でも斬るには体力を使う。
そしてさらに速さは下がり、刃は欠け、切れ味を落とす。
しかしフェルディナンドが攻撃を止めないかぎり近付けない。
息の合う仲間ならともかく、昨日今日会ったばかりの“あの状態”のフェルディナンドに近付くには躊躇いがあった。
彼に斬られる、という事はさすがに無いだろうが、それでも近付く事によって彼の速さを殺す事になりかねない。
ならば自分は自分の“速さ”を生かし、フェルディナンドの攻撃の合間を見つけるしかないとルインは自分に言い聞かせた。
足に伝わる痛みに耐えかねたのかゲリョスが飛び上がる。
さすがにフェルディナンドも手を止め、慌てて前に転がる。
鳥竜種の飛竜とはいえ踏まれれば無事ではいられない。
もっとも“あんな物”が真上から降りてくれば誰であろうと避けるだろうが。
地についたゲリョスの風圧で先ほどより勢いよく霧が流れた。
思わず目を覆い、動きを止めてしまう。
その中を一つの影がゲリョスに向かって突き進む。
フェルディナンド━━━ではない、彼も風圧に当てられたのかゲリョスの向こうでうずくまっている。
霧の中から現れた鈍い光を放つ棒。
ドナはゲリョスをも吹き飛ばすほどの勢いで突っ込んでいく。
フェルディナンドに散々斬りつけられた足にドナの突進を受け、不気味な鳴き声を上げながらゲリョスが転倒する。
『今だよ!小娘!!』
ドナが叫んだ瞬間、霧を割ってリシェスのアギトが振り降ろされる。
『えっ!?』
しかし振り降ろされたアギトは見事に弾き返された。
大剣の反動と重さを支えきれずにリシェスがアギトに引きずられながら転倒する、その顔には驚きの色がはっきりと見える。
ルインも信じられなかった、いくら彼女の大剣は骨系の物であるといってもアギト程になれば切れ味は鋭い。
それがまさか弾き返されるとは思ってもみなかった。
『ゲリョスの体皮はゴム質の特殊な皮で覆われてるんだ!狙うなら頭を!』
フェルディナンドが剣を研ぎながら叫ぶ、恐らく先ほどの一合目で切れ味がかなり落ちたのだろう。
ゲリョスが倒れている今、砥石を使わなければ次に研ぐ機会がいつあるか分からない。
『分かった、頭ね!』
リシェスが立ち上がりアギトを構えなおす。
『次はヘマすんじゃないよ!』 ドナの声がいつの間に離れたのか少し遠くから聞こえた。
【中距離からの突撃】それが彼女のスタイルなのかもしれない。
『分かってるわよ!』
リシェスは怒りまじりの返事を返すとアギトを背負い走りだす。
もがいていたゲリョスもゆっくりと起き上がり、辺りを見回す。
口の周りから煙り混じりの息が出ているのが分かる、飛竜特有の怒りを示す状態だ。
他の飛竜などにも見られる状態で、火竜などは火炎混じりの息を吐く。
『!?』
何を思ったのかゲリョスがいきなり不可解な行動をし始めた。
首を何度も振り、その度に石と石とを叩きつた様な音が響く。
リシェスも気付いたのか足を止めゲリョスを凝視している。
『ダメだ!見るな!!』
フェルディナンドが叫んだ瞬間辺り一面を白光が包み込む。
(バカな、これは閃光玉ッ…!?)
急に辺りが静かになった気がした。
ゲリョスが翼を広げた瞬間、辺り一面の霧すらも飲み込む程の光が発せられる。
その光量は凄まじく、視界に広がる“白いモヤ”が霧か、それとも光で目を灼かれてできたものか判別を迷う程だった。
『くそっ……』
直視はしなかったものの、若干は視力に影響が出ているようだ。
霧とは違う、白い物が視界を妨げる。
ゲリョスが放った“それ”はハンターが使う【閃光玉】と呼ばれる物と酷似していた。
閃光玉とは絶命時に強烈な閃光を放つ光蟲を素材に使った道具の事で、その名の通り強烈な閃光を放つ。
眼前で閃光玉を炸裂させる事により、飛竜の行動を一定時間封ずる事ができる。
しかし、目が眩んだからといって飛竜が大人しくしてくれているわけもなく、大抵の飛竜は闇雲に暴れたりする。
それでも飛竜の動きを止めるには十分なので、多くのハンターに愛用されている品だ。
『みんなは……?』
辺りを見渡すが見つからない、動く影はゲリョスの大きな影だけだった。
『何やってんだい!死にたいのかい!?』
『ご、ごめんなさい…』
『ったく、自分の身体くらい自分で守んな!』
ドナの怒声と微かなリシェスの声が聴こえる、恐らくドナがあの“大盾”でリシェスを庇ったのだろう。
普段いがみ合っていても狩猟時にはちゃんと各々の役割を果たす、そういった点ではドナは優秀なハンターだ。
気に入らないからといって見放せば、それは狩りの失敗として自分に返ってくる。
『フェル?!』
リシェスの声を聴き、ルインは安堵の息をついた。
そして思い出す、もう1人の仲間、フェルディナンドの存在を。
彼はルインよりゲリョスに近い場所にいた。
さらに彼の武器は双剣、ルインやドナの盾の様に身を守る物は持っていない。
とっさに盾で目を庇ったルインですら視力に影響がでているのだ、恐らくフェルディナンドは、あの閃光の直撃を受けたに違いない。
ルインは目を擦り━━━擦ったところで視力がすぐに戻るわけではないが、それでも懸命にフェルディナンドの姿を探した。
『くっ!』
いた。
ゲリョスの真向かいに。
手に持つ双剣を取り落とし、立っている━━━いや、立つのも精一杯なのか、体のバランスを取ろうとフラついている。
ゲリョスの瞳はフェルディナンドを捉えている、状況を理解する間もなくルインは駆け出した。
ゲリョスの挙動がやけにゆっくりに見える。
自分の鼓動の音が激しくなるのが分かる。
(後一歩、後一歩だっ…!)
ゲリョスがこのまま体当たりを仕掛けてくれば、2人とも巻き込まれる可能性があった。
それでもルインは走った。
何をするか、どうしてフェルディナンドを守るのか、そんな事は頭に浮かんでこなかったが、ただ夢中に走った。
ゲリョスが一歩踏み出し、何かを“吐き出した”、何かよく分からない液状のものを。
“当たる”。
直感的にそう思った。
吐き出された液状の物体は、鼻をつく様な臭いを振りまきながら、放物線を描いてフェルディナンドへと落ちていく。
『フェルッ!』
自分でも何が起こったのかよく分からなかった。
背中に焼けるような痛みが走る。
『はは、まさか男に押し倒されるとは思ってもみなかったよ。君ってそういう趣味?』
『冗談を言っている場合じゃないだろっ!』
軽口を叩くフェルディナンドを下敷きにしてルインが叫ぶ。
『そうだね、助かったよ。……ルイン?』
起き上がろうとするが、上に覆い被さるルインがどこうとしない。
『まさか毒を受けたのか!?』
ルインの様子がおかしい事に気がついたのか、フェルディナンドが珍しく声を荒げる。
血の気の引いた顔に脂汗、短く肩で息をしている。
あの瞬間、間に合わないと判断したルインはフェルディナンドに飛びかかった。
ゲリョスの吐き出した毒の直撃を受ける事はなかったにせよ、掠めた毒液はルインの防具の隙間から入り込み、彼の皮膚を侵した。
微量であるにせよ毒が体内に入り込んだに違いなかった。
『ルー!』
『坊や!』
霧の向こうから飛び出してきたリシェスが、倒れているルインを見て驚く。
後に続くドナも同じく動揺の色を浮かべる。
離れた位置にいた彼女達には、先ほどの瞬間に起こった事は見えていなかったのだろう。
『小娘!坊やはフェルに任せて、私達はゲリョスをやるよ!』
言うが早いか、ドナは背負ったランパートの柄を掴むと、走ったままの勢いでゲリョスに向かって突き出した。
ランスの鋭い切っ先がゲリョスの足に突き立ち、肉を抉る。
我に返ったのかリシェスもアギトに手をかけるが、どこを斬りつけるか迷っているようだった。
彼女の大剣はついさっき弾かれたばかりだ、多少なりとも恐怖が生まれたに違いない。
もし同じく弾かれ、転倒すれば次は命は無いかもしれない━━━そんな思いが彼女に攻撃を躊躇わせる。
『小娘!やる気あるのかい?!』
『でも……!』
そんなリシェスの気持ちを知ってか知らずか、ドナが怒声を上げる。
『大剣使いが細かい事を悩むんじゃないよ!弾かれるかどうかなんてやってみなきゃ分かんないだろ!?弾かれたら私が守ってやるから本気でいきな!!』『えっ?』
『私が守るって言ってるだろ!ぼぅっとするんじゃないよ、小娘が!』
ゲリョスを睨み付けながら、ドナが言う。
毒怪鳥の死角、死角へと器用に移動しながら、先ほど抉った足を重点的に攻撃する。
ゲリョスも振り返り、暴れながらドナに攻撃を仕掛けるが、彼女の大盾に阻まれドナに攻撃が届く事はなかった。
しかし、彼女の顔には余裕はない、それは彼女の言葉尻にも表れている。
懸命に大盾で守り、僅かな隙をついてランスを突き出す。
いくら強固な盾を持つといっても、飛竜に張り付き続けるのは精神的にも厳しい。
攻撃を盾で受ける度に、体力を消耗する。
次の攻撃を“受けきれる”という確証はどこにもないのだ。
『うん!!』
リシェスは大きく頷くと、大剣を振り下ろす。
“弾かれるかもしれない”
そんな気持ちで斬りかかっても、振り切れるわけがない。
自信の無さは人から力を奪う、同じ様に踏み込んだつもりであっても、及ばない事がある。
無意識に恐怖で躊躇ったのだろうが、そのせいで仕留め損なうなどという事はよくある。
ただでさえ扱いが難しい大剣だが、自分の中での勝負に負けていれば、飛竜に勝つなど無理な話である。
『やぁぁ!』
振り下ろしたアギトが、ちょうど振り返ったゲリョスの首を捉える。
ゴム質の微妙な感触がアギトを通じてリシェスの手に伝わる。
弾かれた。
踏み込んだつもりだった、近付きすぎず、離れすぎず。
アギトの自重で加速がかかり、一番効果的な瞬間にヒットした━━━つもりだった。
『あ………』
ゲリョスと目が合った。
怒りで血走った瞳がリシェスを睨んでいる。
しかし、次の瞬間ゲリョスは転倒した。
リシェスは何が起こったのか分からず、アギトを構え直すのも忘れる。
『やればできるじゃないか』
倒れ込んだゲリョスの陰からドナが出てきた。
『私が……?』
『小娘以外の大剣使いが“ここにいたんなら”きっとそいつがやったのさ。でもそうじゃない、分かるだろ?』
ドナがため息をつきながらランスを背負う、金属の擦れる音がしたが、すぐに霧に飲み込まれた。
『うん……』
『何て顔してんだい、それでも私のライバルかい?』
先ほどのため息とは違い、呆れたようなため息をつき、やれやれといった感じで両手をあげる。
『ライバル?』
女同士のハンター━━という意味だろうか?
リシェスは彼女の意図を読みかね首を傾げる。
『とぼけんじゃないよ、生娘ってわけじゃないんだろ?ルーは小娘にゃ渡さないって事さ』
『なっ!?』
反応してからしまったと思った。
その表情すらも“予想通り”といった感じでドナは満足そうに笑顔を浮かべている。
『まぁ、小娘は小娘なりに頑張るんだね。私相手にゃ小娘じゃ荷が重いだろうけどさ』
そう言うと彼女は大笑いしながらゲリョスの下へと歩み寄る。
腰に差した剥ぎ取り用のナイフを抜き出しながら。
『うっ……』
『気が付いたかい?』
目を開けるとフェルディナンドがいた、いつもの様に髪をかき上げ、いつもの様に笑っている。
体を支配していた熱と嘔吐感はない、とは言えなかったが、随分と楽になっていた。
『全く、僕を庇ってくれるなんて思いもしなかったよ』
そう言って珍しく優しく微笑んだ彼の顔を見て、少しずつ思い出した。
ゲリョスの閃光を受け、目が眩んだフェルディナンドを助ける為に飛びかかったのはいいが、ゲリョスの毒液を避けきれず、毒に侵され倒れたのだ。
『………』
倒れる間際に彼がつまらない冗談を言っていたのを思い出した。
後一歩ルインが遠ければ、彼は毒液をまともに浴びていた。
そうなれば助かる保証などは無いのに、彼はいつもの様に軽口を叩いていたのだ。
『ゲリョスは?』
『ん?あぁ、ゲリョスは君の“彼女”が倒したみたいだね』
“彼女”とはリシェスの事だろうか、恐らく彼は自分とリシェスが恋人だとでも思っているのだろう、否定しようと口を開いたが、出たのは苦痛に耐えきれずに吐いた息だった。
『あ、肩はあまり動かさない方がいいよ。ゲリョスの毒で皮膚が爛れているみたいだからね、街に戻ったらちゃんと手当てしよう』
幸い剣を振る方━━━左肩ではなかったので次の狩りに行くことはできるだろうが、“今まで”の様に動く事は出来ないかもしれない。
右肩を少し動かしただけで、鈍い痛みが襲ってくる。
この状態で走ればどうなるか、考えただけで鳥肌が立った。
『剥ぎ取りは?』
『僕はいいよ、君を“こんな”にしちゃったしね。君がゲリョスの素材が欲しいのなら代わりに剥ぎ取ってくるけど?』
痛みに口元を歪めながら問いかけると、フェルディナンドは軽く笑った。
先ほどの採取をしていた時もそうだが、彼は本当にハンターなのだろうか?と疑ってしまう。
鳥竜種といえどもゲリョスとて立派な飛竜だ、その素材をみすみす逃すなど考えられない。
ハンターの中には、自らのこだわりを表す飛竜の防具しか身に着けない者もいると聞いた事があるが、彼はそんな感じにも見えない。
そうでなくとも飛竜の素材は高値でギルドが買い取ってくれるので、剥ぎ取って売れば金になる、新しい武具を揃えるのに必要なはずだ。
『俺の…』
『「俺の事はいいから剥ぎ取ってこい」かい?僕だってプライドがある、命を救ってくれた君が剥ぎ取らないのに、僕だけが剥ぎ取りすると思うのかな?君が逆の立場ならどうする?』
『……わかった』
軽い笑いを浮かべながら、フェルディナンドが真剣な声で言う。
ルインもそれ以上は何も言わずに倒れたゲリョスを見つめた。
少し離れた場所に倒れているゲリョス、今まさに剥ぎ取ろうと影が近付く。
離れているので姿は見えにくかったが、影の形からしてドナだろう。
背中から伸びる塔の様な物がとても特徴的だ。
『………』
折角倒したのに剥ぎ取り出来ないというのは、正直残念だった。
火急としてゲリョスの素材が必要なわけではないが、ハンターを続けていればいつか必要になるかもしれない。
それを差し置いても初めて見るゲリョスの素材には興味があった。
どんな物かは帰ってリシェスに見せてもらえば分かるが、“それ”は彼の物になることはない。
ルインがどんなに欲しても、リシェスがどんなに譲ると言っても、ギルドがそれを許さない。
そう思うとさらに後悔が深まった気がした。
『また狩る事もあるさ』
そんな気持ちを読んだわけではないがフェルディナンドが言う、彼もまた同じ気持ちなのかもしれない。
『……?』
『どうかしたのかい?』
漏らした唸り声が聞こえたのか、フェルディナンドが聞き返してくる。
『……あれ、本当に死んでるの?』
確かにゲリョスは倒れて動かない。
しかし、その姿を見ていると何か“嫌な感じ”がした。
例えば、何者かに見られているような。
例えば、後ろから尾けられているかのような。
胸騒ぎ、というのだろうか。
気になりフェルディナンドを見やる
彼はいつもと同じ様に髪をかき上げようとしが、何か思い当たったのか手を止めた。
『ゲリョスは倒れて……?━━━ドナ!!』
フェルディナンドが叫んだ瞬間、大きな影が宙を舞った。
大きく弧を描いて飛ぶ陰はやがて地に落ち、鈍い音をさせる。
『っ!?』
リシェスも信じられないのか、ただ立ち尽くしている。
彼女の目の前にはゲリョスの姿があった━━━先ほどまで倒れていた、ドナが今まさに剥ぎ取ろうとしていたゲリョスの姿が。
『ドナッ!!』
『どうして!?痛……!』
フェルディナンドが双剣を抜き、駆け出す。
ルインも立ち上がり、アサシンカリンガに手を伸ばそうとしたが、右肩に走る痛みに阻まれた。
地に落ちた影は動かない、完全に不意打ちだった。
彼女は心底油断していた事だろう。
しかしそれが、“それこそ”がゲリョスの狙いだった。
自らが倒れたと油断し、近寄ってきた者に渾身の一撃を放つ。
まさに必殺の一撃だったに違いない。
『ドナッ!どこだ!?何処にいるんだ!返事をしなよ!』
フェルディナンドが声を荒げて叫ぶ、“どこだ”と聞かれても影が落ちた辺りにいるとしか思えない。
それ以前に、あの“鉄の塊”を宙に浮かばせるだけの攻撃を受けて無事だとは考えにくい。
『“死んだふり”か…、私もヤキがまわったもんだね』
声は検討違いの場所から聞こえてきた。
それは立ち上がったゲリョスのすぐ近く、宙に舞った影が落ちた場所から少し離れている。
『どうしたんだい?』
3人の視線が集まる中、ドナがゲリョスに向かってランスを構える。
『どうしたの?って……』
『ドナ……』
『無事……なの?』
ゲリョスが何やら暴れているのを横目に、3人が揃って聞き返す。
何故だか時間の流れが酷くゆっくりに感じる。
『当たり前だろ、私があんな攻撃でやられるもんかね。とっさにガードしたのはいいけど、盾が飛ばされちまった。小娘、拾ってきておくれ』
『何で私が!?』
言いながらも拾いに行くリシェスは彼女が怪我をしたのかと、気を使っているのかもしれない。
『坊やは怪我してるし、フェルは持つ気がないみたいだしね。なら小娘しかいないじゃないか』
『自分で行きなさいよ!』
『私より小娘のが近いだろ?ほらさっさと持っておいで!』
確かに怪我をしたルインではあの重さの盾を持つのは辛いだろう。
動かしただけで爛れた皮膚が裂けるような痛みが走るのだ。
フェルディナンドはというとゲリョスの足元で双剣を振るっている。
毒怪鳥の注意を盾のないドナに向けまいとしているのかもしれない。
と、なれば後はリシェスに拾わせるか、“自分で拾い”に行くかだが、ドナは動こうとはせずにリシェスに文句ばかりを言っている。
リシェスも口では反抗しているが、素直に盾のところまで行くと地面に刺さっていた《鉄の板》を引き抜いた。
『早くしなよ、小娘!』
『わかってるわよ━━━ってこれってこんなに重たいの…?』
両手にかかる重さに驚く、これをドナは片手で持っているのだ。
“慣れ”や持ち方といったものもあるのだろうが、一朝一夕で扱えるものではない。
『これは……』
ふと盾の内側にあるものに気が付いた。
それは━━━
『何やってんだい!』
ドナもリシェスの方へと歩み寄っていたのだろう、いきなり盾を奪い取られバランスを崩す。
『貴女もしかして……』
『……坊や達に言うんじゃないよ』
口を開こうとしたリシェスをドナが睨みつける。
何か言おうと思うが、うまく言葉をまとめる事が出来そうになかったのでリシェスは俯き、小さく頷いた。
『ルイン、怪我の方はどう?』『ましになった……と思う』
肩には鈍い痛みが残っていたが、剣を振るえないというほどでもない。
『なら手伝って欲しいんだけどな』
『分かってる』
フェルディナンドが肩で息をしながら言う。
彼は双剣の扱いには体力を使うと言っていた。
事実、体温が上がっているのか顔は紅潮し、前髪を伝って汗が滴っている。
『ゲリョスの尻尾は“伸びる”よ、間合いに気を付けて』
そう言うとフェルディナンドはサイクロンを背に収め、転がりながらゲリョスと距離をおく。
よほど消耗したのだろう、彼の表情にいつもの余裕がない。
ゲリョスに近付こうとしたするが、必死の抵抗なのか暴れているために、片手の間合いまで踏み込めない。
フェルディナンドの言う通り、ゲリョスの尻尾が振り回されている度に長さが変わっている。
これも“ゴム質の体皮”のなせる技なのだろうか。
身をかがめ、宙を切る尻尾をかわす。
火竜のものとは違い、鞭の様な鋭い風切り音が頭の上から聞こえる。
火竜の尻尾のように重量はないが、その一撃を受ければただでは済まないのはどの飛竜でも同じ事だろう。
リシェスが目に付いたのか、足元にいるルインに背を向けゲリョスが足を止める。
腰のフックからアサシンカリンガを外し、尻尾の付け根辺りを斬りつけると、ゲリョスはたまらず不気味な鳴き声と共に仰け反った。
大きく翼を広げ、鳴くゲリョス、しかし次の瞬間にそのまま動かなくなる。
その瞬間を待っていたかの如く、ゲリョスの胸にはドナのランパートが深々と突き刺さっていた。
血走ったゲリョスの目からも生気が失われ、やがて瞳から光も消えた。
『やったね、ドナ』
フェルディナンドが額の汗を拭いながら歩み寄る。
死に真似ではなく、今度こそ本当にゲリョスを狩ったのだ。
『まぁ、私にかかればこんなもんだろ』
『不意打ちを受けたのは誰だったか……おっと』
胸を張って大きな声で笑うドナに、フェルディナンドが冷静に突っ込みを入れるが、睨み返され彼は慌てて口を塞いだ。
『ふん、まぁいいさ。ほらさっさと剥ぎ取って帰るよ』
彼女が鼻を鳴らしナイフを抜くと、他の3人も同様のナイフを腰から抜いた。
あれほどこちらの攻撃を拒んでいたゲリョスの皮にも、信じられない切れ味を誇るナイフ。
これを“武器にできないものか”と思うハンターもいるが、これはあくまで剥ぎ取り用。
動かぬものを切るからこその“この切れ味”だろう。
激しい戦闘の最中にこのナイフで斬りかかれば、簡単に折れるに違いない。
よしんば折れる事はなくとも、剥ぎ取り時のような切れ味は期待できない。
【切れ味=攻撃力】ではないのだ、竜人族の武器は。
仮に、剥ぎ取り時の切れ味があったとして飛竜に効果的なダメージを与えられるとは限らない、そういう事だ。
『さて街へ戻ろうかね』
『僕も今回は疲れたよ』
ドナとフェルディナンドが口々に文句を言い合っている。
『リシェス、怪我はない?』
『あ、うん』
その後ろをルインとリシェスが歩いている。
問いかけると彼女はいつもの優しい笑顔を返してくれた。
『それよりルーの怪我は…?』
毒が掠めた━━━右肩の辺りをリシェスが心配そうに見つめる。
『痛みも引いてきたし大丈夫だよ。フェルがくれた解毒薬のお陰かな?』
多少の痛みはあったが、彼女に心配はかけたくないので、少し無理をして笑う。
腕をあげた瞬間痛みが走ったので、多少は顔に出てしまったかもしれない。
しかしリシェスは、気づかなかったのか、気づかないふりをしてくれたのか、優しい笑顔を返してくれた。
『ありがとう、ルー』
『?』
何に対する礼なのかは分からなかったが、彼女は何も言わなかった。
ルインもリシェスが言わないのなら、聞く必要もないと黙ってベースキャンプへと歩く。
この先のエリア2を抜けるとベースキャンプだ。
来るときにはケルビという草食動物しかいなかったし、帰り際になって何かに襲われるという事もないだろう。
もっとも“そんな考え”が人を殺すのだろうが。
狩場に出ればいつも緊張しろとは言わないが、気を張っておく必要がある、何が起こるかわからないからだ。
ひょっとすると、彼らがゲリョスと戦っている間に、エリア2にいたケルビを捕食しようと肉食竜が来ているかもしれない。
だが彼は忘れていた、そんな事ではなく、この沼地にくる前の出来事を。
正確には街を出て、沼地に到着するまでの間に起きた出来事を。
“それ”に帰りも付き合わされる事になると、彼はアプトノスが引く車の中で思い出した。
最終更新:2013年02月21日 06:25