広い平野に煩雑に生えた草木。
ジャングルのように背の高い木々は無かったが、膝丈くらいの草木は十分に鬱陶しかった。
突如響く金属音、薄い金属を擦り合わせたかの様な音が響く。
『何をしてるんだ、フェル……!!』
『意外と早かったね、ルイン』
『坊や……』
振り下ろされた鉤剣をルインの小剣が受け止める。
『あの辺りにはイーオス達もいると思ったのに……』
フェルディナンドは全く悪びれた様子もなく、自分を睨むルインを見返す。
『……知っていて行かせたのか!?』
剣に力を込めてくるフェルディナンドに半ば叫ぶようにルインが吼える。
『あぁ、知っていたよ。“リオレイアがいない”事もね。
仕事の前にその位は調べておくのは常識だよ?』
剣にさらに力を込めながらフェルディナンドが笑う。
『ハンターを殺して金を貰うのが君の仕事かッ!?』
フェルディナンドの鉤剣━━━サイクロンをはじき返しルインが叫ぶ。
同時にドナが立ち上がりルインの後ろに隠れた。
その様子を見て、フェルディナンドは呆気にとられたのか動きを止めた。
そして、一拍の呼吸のあと笑い出す。
『ふっははは!人を殺して金を貰うのが僕の仕事?』
ハンターの中には一緒に狩りにでかけた仲間の武器や防具、または道具を奪うために殺人を犯す者もいるという。
狩り場では限られた人数しか居ない上、危険な場所であるために命を落とすことも珍しいことではない。
そういった環境に目をつけ、悪事を働く者が少なからずいるというのだ。
『中々面白い意見だけど、ハズレだよ。……半分は正解だけどね』
そう言った瞬間、フェルディナンドに瞳に冷たい光が宿る。
いつも飄々としている彼がどことなく恐ろしく見えた。
『半分は正解……?』
彼の言った言葉の意味が理解できずにルインが聞き返す。
半分は正解━━━どういう意味だろうか?
思慮を巡らせてみても彼の言葉の意図するところが全くわからない。
人は殺すが、金は貰わないということだろうか。
それもと殺すつもりはないが、金目の物はもらうということだろうか。
どちらにしても、先ほど受け止めた剣には“確実なる殺意”が宿っていたように感じた。
ならば、彼はドナを殺すつもりだったのだろうか。
『確かに僕はハンターを殺すよ』
フェルディナンドが、淡々とした口調で口を開く。
いつも笑っていた彼の声とはまったく別人のように感じる。
『でもそれは金なんかの為じゃない、もっと大事なモノのためさ』
後ろでドナが舌打ちするのが聞こえたが、気にしてはいられなかった。
少しでも気を抜けば彼の剣が襲ってくる、そんな気がしていた。
現に彼はサイクロンを納めるどころか、逆に力を込めている。
隙を見せれば彼は話すことを止め、即座に襲ってくるだろう。
しかしそれも容易なことではない、常に気を張り巡らせているのも極度に精神を疲労させる。
もっとも、それが彼の狙いなのかも知れないが。
『…んだ?』
『何だい、ルイン?』
『人の生命より大事な“モノ”って何だ!?』
緊張のせいか、声が掠れている気がする。
いや、気のせいではないのだろう、フェルディナンドが聞きなおしてきた事がそれを証明する。
『ふふ、ルイン。君は若いね、“そんなモノ”より大事なモノは沢山あるんだよ』
若さで言えばフェルディナンドの方がルインより年下だ。
そんか彼に若造扱いされるのは納得できなかったが、彼が言っているのは年齢の事ではない。
年齢に対する経験、それをとって“若い”と言っているのだろう。
『そんな“モノ”…!!』
『それがさ、あるんだよ。少なくとも君の後ろの彼女は“それ”を知っているみたいだけど?ねぇ、ドナ?』
ルインの言葉を遮り、フェルディナンドが言う。
『……?』
『私は……』
横目で彼女を見るが、困惑しているようだった。
分からないといった顔ではない、答えようかどうか迷っている顔だ。
それくらいはルインでも理解できた。
『答えるつもりがないならいいさ。でも僕は君を殺すよ……
邪魔をするならルイン……君もね』
そう言うとフェルディナンドは半歩右足を引き、サイクロンを体の前で構える。
『フェルッ…!!』
ハンターが人に竜殺しの武器を向けるのは犯罪だ、それはギルドの取り決めでもある。
そんな事を知らないフェルディナンドではないだろう。
ここで、ドナを人身御供に差し出したとしても、殺す瞬間を見ているルインを彼が逃がすとは思えない。
かと言って戦えば、人に竜殺しの武器を向けたとしてギルドの粛清を受ける可能性もある。
『あぁ、安心していいよ。僕はギルドナイトなんだ。そして彼女━━━ドナは“粛清されるべき犯罪者”。
彼女を守っても何もいいことはないし、寧ろそれはギルドを敵に回すことになるからね、よく考えるといいよ』
フェルディナンドの言葉に息を呑む。
もし彼の言葉が本当ならば、こうして彼の行動を妨げていることはギルドへの反逆に他ならない。
こんな自分と変わらない年齢の少年がギルドナイトということも信用し難かったが、
彼が臆することなく武器を構えているところをみると“それ”も嘘とは言いがたい。
もっともルインの騙すための嘘という可能性もあるが。
『まだ退かない気かい?なら話してあげるよ』
『……?』
構えの姿勢を崩さないままフェルディナンドがため息をつく。
そして大きく息を吸うと静かに唇をひらいた。
『彼女━━━ドナはね、密猟者なんだよ。そして今回もリオレイアの卵を盗むという計画を僕に持ちかけてきた。
「ルインが帰ってきたらリオレイアの巣を見に行こう」と、僕がギルドナイトとも知らずに……ね』
ドナが気まずそうに俯いているのが分かる。
『そういった密猟者達が好き勝手にすれば生態系を狂わすことになる、だから“僕達”がいるのさ』
飛竜の卵は栄養価も高く、また美味であることから王族や、貴族の間では頻繁に食されているという。
しかし、一度の産卵期に生む一個体あたりの卵の個数は少なく、また確実に孵化するとも限らないため卵採取の依頼は少ない。
それでも貴族からの依頼は続き、ギルドも手を焼いているという。
それゆえに飛竜の卵は高値で取引されているのだ。
そこに目をつけた一部のハンターが“依頼ついで”に飛竜の巣から卵を盗み闇に横流ししているのだ。
「需要と供給」だと開き直る者もいるが、個体数を調査、管理しているギルドや王立古生物書士隊が面白いわけがない。
当然、密猟に関しては厳罰を科せられることとなった。
しかしその高額な報酬ゆえか、密猟に手を染めるハンターは多い。
中には子飼いのハンターを狩り場に忍ばせ卵を盗んでこさせる貴族もいるらしい。
『そういった“犯罪者達”は駆逐せねばならない、じゃないと君達ハンターも狩りができなくなるだろ?』
フェルディナンドの言葉は正しい。
貴族の欲のまま卵や飛竜が乱獲されればいずれは絶滅という結果も有り得る。
それは誰であっても容易に想像できる事だ。
如何に強大な力を持つ飛竜であっても、新たなる生命が生まれてこなければ“後が続かない”。
また孵化しても天敵がいないわけでもなく、親である飛竜をハンターに狩られてしまえばその生命も終わる。
そういった事態を防ぐためにギルドがあり、またクエストがあるのだ。
『だから彼女を殺すのか…?』
『そう、言っても聞かない連中だからね。こうするしかないだろう?』
ルインが視線を下げ、唸るように問う。
フェルディナンドもまた声を低くし、答える。
『話合えばきっと……』
『君らしいね、でもそれは“もう終わったんだよ”。僕達が生まれてくる何年も前にね。
それでも密猟者は減らない。寧ろ増えてるんじゃないかな?
彼らは「誰も見てなければいい、自分ひとりがやったところで」って言うんだよ。
誰も見ていないことはない……“いつも自分自身が見ている”のにね』
ルインの言葉を遮りフェルディナンドが言う。
彼の言葉通り、この問答は幾度と無く繰り返されてきただろう。
「話し合えばきっと」「ちゃんと理解すればきっと」と。
ギルドの人間達も大昔にはそう思っただろう。
しかし、“そう”はならなかった。
そうならないばかりか、味を占めたハンターは繰り返し密猟を行なった。
故に彼らは“こうする”しかなかったのだ。
罪を犯すハンターを狩るハンターを創り上げるしか。
『でも彼女が“そう”とは限らないだろ!!』
気が付けば叫んでいた、自分では何故かは分からなかったが無性に腹が立っていた。
確かに彼女が繰り返し密猟をしないという確証はない。
だが、同じように密猟をするという確証もないのだ。
そんな考えが浮かんでは消え、ルインの頭の中を駆け巡る。
『ふっ……はは、はははははは!』
何がおかしいのかは分からなかったが、予想に反してフェルディナンドが笑う。
自分が青臭い事を言っているのは分かっている。
だがそんなに大笑いをされるようなことでも無いはずだ。
『ルイン、君は僕がいつからドナとパーティーを組んでると思っているんだ?』
肩を震わせながら笑うフェルディナンド、その表情とは裏腹に目は笑っていない。
『「彼女がそうとは限らない」?確かにそうだね。
でもね、ルイン。僕達は“ずっと”見てきたんだよ、彼女とパーティーを組んで。
いや……彼女とパーティーを組む前からも、ね』
いかにギルドが制裁を加える機関だといっても調査をしないわけではない。
それは当然だ、無調査で制裁を与えていればそれは【無法者の組織】と変わらない。
然るべき調査をし、その者の近辺にギルドナイトを派遣して判断を下す。
つまり、制裁を加えるのか否かを。
『でも……っ!?』
フェルディナンドが一歩踏み出す。
その表情にさっきまでの笑みはない。
『話すべき時間は過ぎた。ルイン……そこをどけ』
恐ろしい目だった。
青く透き通った綺麗な瞳に冷たく黒い光が灯っている。
人がこんな目をするとは思いもしなかった。
モンスターを狩るハンターですらこんな目を持ち得ない。
その眼に今まで見てきたどんなものより恐怖感を感じる。
それほどまでにフェルディナンドの瞳は恐ろしい目をしていた。
『それでも……それでも、俺の目の前で“仲間”は殺させない……!』
肩の力を抜き、左手の盾を構え右手の剣をゆっくりと下ろす。
彼の双剣の“速さ”は知っている。
恐らく対人戦闘の経験のないルインでは一合すらまともに打ち合えないだろう。
『そっか、君もギルドの敵になるんだね……じゃああの娘、リシェスはどうなのかな?』
『ッ!?』
急な展開に驚いていたのか、今まで思いもしなかったがもう一人仲間がいるのだ。
その仲間恐らくもう少し、彼女に何もなければ数分でこのエリアに来るだろう。
いや、ルインとの距離を考えてこのエリアに“来ていない事のほうがおかしい”。
早くなる鼓動を抑えようと息を呑む。
『ふふ……まだ彼女はここには来ていないけど、ね。
彼女はどうするのかな?君の仲間につくかな?それとも……』
自分より先に到着したリシェスはすでにフェルディナンドに殺されたのかと頭を過ぎったが、
彼の口ぶりからしてそうではないらしい。
周囲を目だけで見回して見ても幸い彼女の死体らしきものは見つからない。
リシェスが身に着けていたのはクックメイル。
草が茂っているとはいえ、あれほど鮮やかなピンク色なら目立つはずだ。
もっとも、殺されて奥に見えている川に投げ捨てられている、という可能性もなくはなかったが。
『3人で協力して僕を殺すかい?それは名案とは言えないね。
ここを逃げ切れるだけさ、すぐに別のナイトから追われることになるよ。
3人で一生隠れながら過ごすかい?いつまで生きれるか分からない一生をねッ!!』
『!?』
言うが早いか、フェルディナンドが飛び出してくる。
そのスピードは恐ろしく速く思えた。
左側から水平に凪ぐフェルディナンドの右剣をアサシンカリンガで受け止め、下方から突き出される
左剣を盾で外側に弾く。
お互いの力は同程度なのか、弾かれた剣を落とすこともなく止まる。
『今ならまだ君の行動に目を瞑ろう。そこをどけ、ルインッ!』
奥歯をかみ締めながら一歩を踏み出す。
フェルディンドは舌打ちをし、両方の剣にさらに力を込めた。
『な、何してるの!?ルー!!』
フェルディナンドの後ろ、その向こうにピンク色の鎧を身に着けた娘が驚愕の表情を浮かべ立ち尽くしている。
状況を理解できないのだろう、その瞳には困惑の色が濃く浮かんでいる。
それはルインも同じだった。
自身も完全に状況を把握しているとは言い難い。
突然剣と盾に掛かっていた力がなくなり、ルインは前のめりに倒れそうになる。
『なっ!?』
あろうことかフェルディナンドが身を翻し、リシェスに向かって駆け出したのだ。
『フェルディナンドッ!!』
彼女はまだ状況を把握していない。
フェルディナンドがギルドナイトで、ドナが密猟者だということすらも知らない。
そんな彼女を殺そうというのか。
足が千切れそうなほど、力を込めてフェルディナンドを追いかける。
『!?』
彼に、フェルディナンドに後少しで手が届くというところで“彼の姿が消えた”。
正確には彼は身を屈めたのだ。
猛スピードで走っていたルインにとっては突然彼が消えたように見えたのだろう。
ルインが驚いた瞬間、その一瞬の隙にフェルディナンドは再度身を翻し、ドナへと駆け出す。
ルインは理解した。
フェルディナンドがリシェスに向かって走り出したのは彼に対する罠だったのだと。
ルインならば何も知らないリシェスを守ろうと“必ず追いかけてくる”と考えたのだ。
そして実際彼はフェルディナンドを追った。
そこで彼は知らず知らずのうちに選択させられた━━━いや、選択したのだ。
「ドナの命より、リシェスの命」という選択を。
もし仮に、リシェスには手を出さないだろうと、フェルディナントを追わなかったとしても
“彼がリシェスを殺さない”理由はないのだ。
ルインが自分の敵だと言うならば、きっとリシェスも自分の敵に回るだろう。
フェルディナンドは“そう”判断したはずだ。
ならば敵は一人でも少ない方がいい。
例え何も知らない、娘であったとしても。
すでにフェルディナンドはドナの目の前にまで迫っている。
如何にルインが俊足とはいえ、スピードを失ったこの状態で追いつけるわけが無い。
ドナも驚いているのか、あるいは恐怖にひきつっているのか、抵抗する様子は見られない。
目を見開き、迫りくるフェルディナンドの剣を、姿を見つめている。
『フェルっ!!』
フェルディナンドが剣を振り上げる。
もう駄目だと思った瞬間、ルインはわけも分からずフェルディナンドの名を呼んだ。
呼んだところでどうなるわけでもないのだが、それでも何故かフェルディナンドの名を叫んだ。
瞬間、巨大な水柱が大河に上がり、打ち上げられた水が雨の様に降り注ぐ。
全員の動きが止まり、水柱に視線を向ける。
『なっ…!?ガノトトス!?』
フェルディナンドが動揺の叫びを上げた。
水面に立ち上がった姿、太陽光を浴びその美しい鱗が虹色に反射する。
器用に水面に立ち上がりその巨躯で見下ろす。
間違いなく水竜ガノトトスであった。
『!?……リシェスっ!!』
『みんな伏せろっ!!』
フェルディナンドが叫んだ瞬間、ガノトトスが首を振る。
そして一拍遅れて凄まじい勢いの“水の鞭”が打ち付けられる。
ガノトトスを中心として扇状に吐き出された水は地面を抉り、草木をなぎ倒す。
フェルディナントはいつの間にか背中にサイクロンを戻し、川辺から距離を取っている。
ルインも咄嗟に押し倒したリシェスを立ち上がらせ、同じく川辺から離れる。
動機が激しくなり、胸を締め付ける。
ガノトトスの吐き出す水は超圧縮され、いわば刀のような切れ味を持つ。
人の身体など簡単に切り裂けるほどの威力があるのだ。
運が悪ければさっきの一瞬でここに居た全員が真っ二つにされていた可能性もある。
ガノトトスが飛び上がった位置がもう少し近ければ“そうなって”いただろう。
水中に戻ったガノトトスは背ビレだけを出し、大河を泳いでいる。
つまり戦闘は続いているのだ。
そんな状況にルインは舌打ちする。
フェルディナンドだけでも2人を守れないのに、そこに水竜が現れたのなれば自身の身も危うい。
このままでは殺されてしまうだけのように思えた。
ただ、自分を殺す相手がフェルディナンドかガノトトスかの違いだけだった。
『フェル……』
『なんだい、ドナ?』
震えた声でドナがフェルディナンドの名を呼ぶ。
彼も水竜の登場に肝を抜かれたのか引きつった笑顔で答える。
さすがに彼もこのタイミングでガノトトスが現れるとは想定していなかったのだろう。
彼の中ではガノトトスが現れる前にこの件に決着をつけるつもりだったに違いない。
『……ガノトトスを狩ろう』
『……何だって?』
ドナの提案が信じられないのか、フェルディナンドが聞き返す。
『君は自分の置かれてる状況が分かっているのかい?僕は君を殺そうとしているんだよ?』
『……』
フェルディナンドがいつのも軽薄そうな笑みを浮かべて言う。
確かにこの状況でガノトトスを狩るという提案は意味がないように思える。
このクエストが終了する前に彼女はフェルディナンドに殺されてしまうだろう。
ガノトトスを狩ったところで、水竜の素材を彼女が手にする事はない。
ルインとリシェスにしろ、無事に見逃してくれるとは到底思えなかった。
だからこそ、そんな提案に意味はないとフェルディナンドは思った。
『ふふ、ガノトトスに僕が殺されるんじゃないかと期待してるのかい?それなら━━━』
『フェルッ!!』
ドナが叫ぶ、その声にフェルディナンドばかりかルイン達も驚く。
それほど大きな声だった。
『いいかい?よく聞きな。私はもう逃げも隠れもしない、このクエストが終われば好きにすればいい。
……でも坊やと小娘は見逃してやるんだ。だってこの件には何の関係もないだろう?
だからこのクエストをちゃんと成功させてやっておくれよ、頼むよ…』
『で、でもっ!』
『小娘は黙ってな。フェル、あんただって関係ない奴を殺したりはしたくないだろう?』
彼女の薄氷色の瞳が真っ直ぐにフェルディナンドを見つめる。
静かな、しかし重たい空気がゆっくりと流れる。
その間にもガノトトスが水飛沫をあげながら泳ぐ音が聞こえてくる。
ガノトトスのような巨体を持つ者が泳げる場所などそうそうない。
場所でいうならこのエリアと、リシェスが通ってきた隣のエリアくらいだろう。
水飛沫がやんだと思うと、水柱が上がり再びガノトトスが姿を現す。
そして身体を震わすと水は吐き出した。
先ほどとは違い、真っ直ぐ、直線状に。
『…わかったよ、ドナ。まずはガノトトスを倒そう』
真っ直ぐに飛んでくる水の後から波にも似た衝撃が追いかけてくる。
いったいどれほどの水が圧縮され、どんなスピードで吐き出されているのだろうか。
一直線に迫ってくる水は左右に飛んでかわす。
『クエスト中に逃げようと思っても無駄だからね』
そう言いながらフェルディナンドは川辺へと走っていく。
ポーチから何かを取り出しながらフェルディナンドが叫ぶ。
『音爆弾を投げるよ!!』
ポーチから取り出した“それ”を川に向かって投げる。
音爆弾はゆっくりと放物線を描きガノトトスへと落ちていく。
爆発する前に水中に落ちたらどうなるのだろう?と疑問が浮かんだが、それは無用の心配だった。
水面に落ちるその瞬間、音爆弾が破裂した。
聞いたこともない様な高音が響き渡り、ガノトトスが飛び上がる。
その比喩ではない、水竜が文字通りに飛び上がったのだ。
ガノトトスは予想より遥かに巨大だった。
飛び上がった水竜が重力に引かれ、川へと落下すると水面が激しく揺れた。
あの重量の物体が水中に入ればそれも当然だろう。
川の水が溢れ、近くにいたフェルディナンドの足を濡らす。
『ガノトトスの一撃は重いよ!食らったらまず立てないから気をつけ…ッ!?』
彼が叫ぶや否や、水中から巨大な影が飛び出した。
その光景をにわかには信じられず、言葉を失う。
まさかあの巨体で“空を飛ぶ”など。
実際には空を飛んだわけではなく、水中から陸へと飛び上がっただけなのだろうが。
ガノトトスの身体から飛び散る水飛沫に日の光が反射して虹色に光る。
『あ……』
立ち上がったガノトトスの姿を見て、リシェスが言葉を失う。
それほどに水竜は巨大だった。
彼女の大剣を以ってしてもガノトトスの腹に届くかどうかは怪しかった。
それはドナの
ランスでも同じだろう。
水竜の背丈はゆうに人の3倍はあろう、天高く立ち上がった背ビレを合わせれば10mを超えるかもしれない。
そんな生物を眼前にして怖気づかない人間の方が異質なのだ。
口元から霧状の息を吐き出しながら、目だけで辺りを見渡す。
といってもガノトトスの視力がどれくらいなのかは分からないが。
水中を高速で泳ぐ以上、視力が優れているというわけではないだろう。
それでも、リシェス達を確認すると鰭を大きく広げ威嚇する。
『ルイン!まずはガノトトスと僕達で転ばすんだ、じゃないとドナ達の攻撃が届かない!!』
『分かった!』
フェルディナンドが剣を抜きながら駆けて来る。
ルインは大きく息を吸い込み、呼吸を止める。
ガノトトスは巨大だ、巨大ゆえに接近さえすれば何とかなる、と自分に言い聞かせ一歩を踏み出す。
『ドナ、タイミングは任せるよ』
『……』
彼女は無言で頷くと背にしたランスを抜き、構える。
ルインとフェルディナンドでガノトトスの足を攻撃し、転倒させる。
さらにその瞬間にドナがランスによる突進でガノトトスの急所である腹部を突こうというのが彼の作戦らしい。
彼らが近づくとガノトトスは大きく身を捻り、尾鰭を振る。
それだけで、風が起こり彼達の頬の撫でた。
『ちっ…!』
近づけばいいとは言ったものの、簡単には近づかせてくれない。
その尾鰭に当たるだけで致命傷を受ける可能性もあるのだ。
尾鰭の回転自体に速さはない、だがしなやかに撓る鞭のようなその尾鰭に当たって無事なわけがない。
フェルディナンドも近づこうとしているが、同じように尾鰭に阻まれ近づけないようだった。
悪戯に時間だけが過ぎていく。
ガノトトスの腹下に潜り込もうと周囲を回るが、尾鰭に阻まれる。
『ルイン!何とか……ッ!?』
『分かってる!!』
とは言ったもののどうすることもできなかった。
ガノトトスはその巨体に似合わず俊敏な動きを見せる。
振り回される尾鰭には、文字通り一撃必殺の威力を持っているだろう。
当たれば人など簡単に吹き飛ばされる。
しかし、何とかしなければ。
ガノトトスの尻尾を掻い潜れる機動力を持っているのは
片手剣のルインと双剣のフェルディナンドだ。
大剣のリシェス、ランスのドナでは接近は難しい。
納刀状態のリシェスならば彼達と同じように近づくことは可能かもしれないが、その後が続かないだろう。
万に一つ近づき、攻撃をする事ができたとしても、大剣を持った状態ではガノトトスの攻撃を回避できない。
必殺の威力を持つ飛竜に張り付き続ける事ほど危険な事はないのだから。
だからこそルインが、フェルディナンドが、何とかしなければならなかった。
分かっている。
それは分かっていたが、どうすることもできなかった。
あの尻尾に当たり、吹き飛び、自分が命を落とす場面は簡単に予測できた。
だからこそ近づくことができなかった。
(くそッ…どうする……?)
ガノトトスの最大の難点は“陸に揚げる”事だと思っていた。
陸に揚げさえすれば、他の飛竜のように何とかなると思っていた。
だが実際は、近づく事すらできない。
焦燥感に胸を焼かれ、息が苦しくなる。
走り続けている事もあるが、理由はそれだけではない。
ガノトトスを狩り終わった後、フェルディナンドはどうするのだろうか?
今考えても仕方の無いことだが、それでも考えずにはいられなかった。
ドナの命は奪うだろう。
だが、自分は?リシェスはどうするつもりだろうか?
こういった場合、口を封じる為に見た者全てを殺す事は当たり前と思える。
ならば、ガノトトスを狩った後、フェルディナンドを“何とか”しなければならない。
『ルイン!何してるんだッ、集中しろ!!』
名を呼ばれ、我に返る。
目の前にガノトトスの尾鰭が迫ってきていた。
『ッ!?』
考えるよりも先に体が動く。
横に、ガノトトスから離れるように地面を転がる。
そのままの勢いで立ち上がり、口の中に鉄錆びの味が広がるのを感じた。
慌てていたのか、着地の瞬間に唇を切ったのかもしれない。
『ルーッ!!』
『ごめん、大丈夫だ!!』
口では強がってみせるが、余裕などなかった。
火竜リオレウスにだってもう少し簡単に近づく事ができた。
それは火竜について色々と調べていたからかもしれないが、それでももっと果敢に攻めれていたと思う。
ガノトトスがどんな攻撃方法を取るのか、そしてどんな行動をとるのか。
ちゃんと調べてから来るべきだったと後悔しても、もう遅い。
ここは狩り場で、水竜は目の前にいるのだから。
“それ”は自分の目で見、自分の目で判断しなければならない。
しかし、それは同時に“帰ってこれない”者達の狩り方だ。
知識もなく飛竜に挑むなど愚の骨頂でしかない。
街にや村には先人達がいくらでもいるのだ。
レフツェンブルグほどの街なら、水竜を狩った者とはいかなくても交戦経験のあるものくらいはいただろう。
それにギルドの道具屋では、モンスターの生態について書かれた本なども販売されている。
つまり倒すべき敵の情報などいくらでも手に入れることができるのだ。
そういった情報を持たず、“何とかなる”などと行って狩りにでれば、いつか必ず失敗する。
失敗するだけで済めばまだ良い方だろう。
中には情報を高い金で売る者もいるが、それでも自らの命で支払うよりはマシなはずだ。
飛竜は強大な敵だ、単純な力比べでは人など足元にも及ばない。
金で、たった少しの金でそんな敵を倒せる活路を見出せるなら、金など惜しむべきでない。
だが惜しむ者は少なくない。
事実、初心者の登竜門であるとされるイャンクックなどはそういった情報など無く倒す者がほとんどだ。
ドスランポス、イャンクック、中にはゲリョスまですら情報を持たず倒す者までいるらしい。
“何事も経験”、確かにそうだろう。
本の中の知識がそのまま当てはまる状況など少ない。
自分が経験したことが、この世界でもっとも頼りになるモノに違いは無い。
だが、それが通用するのは初心者、駆け出しといった頃だけだ。
少し名が売れて回ってくる依頼の中に砂竜ガレオスという飛竜がいる。
この竜は砂中に潜り、獲物を狩る事で知られている。
そしてこの種の竜は大きな音に弱い。
音爆弾と呼ばれる道具で砂中から引きずり出してから狩るのだ。
しかし、“そんな情報”がなければ、どうしていいのかも分からず砂中に引きずり込まれてしまうだろう。
ゲリョスにしてもそうだ。
毒を吐く事を知らなければ、解毒薬を用意などしない。
そしてそのまま帰ってこないのだ。
人に━━━特に情報屋などに情報を“売ってもらう”場合、確かに高額になることが多い。
そして、その値段の価値があるかどうかも怪しい。
かと言って、行き交う人々に聞いたところで正確な情報かも分からない。
そんな理由からか、情報収集を疎かにする者達が少なからずいるのだ。
今までの経験、自身の能力、咄嗟の判断力。
そういったモノで生き残ってきたハンターは確かにいる。
だが、そんなハンターなど相対的にみればごく僅かだ。
にもかかわらず、「自分にはできる。何とかなる」と言い狩りに出るものは後を絶たない。
“彼等”は狩り場に出て気が付くだろう。
自分の無知、自分の能力の無さ。
そして、今までの成功は偶然の上に積み重なってきたモノだと。
しかし今そんな事を言っていても始まらない。
(何とか…何とかしないと……!)
唇を噛み、ガノトトスを見る。
水竜はフェルディナンドを近づけまいと必死に尾鰭を振り回す。
振り回すといっても、身体ごと回転させている。
ガノトトスが身を捩る度に、水滴が飛び散り日の光を受け反射する。
尾鰭の下を潜れないかと思うが、恐怖がそれを躊躇わせる。
恐らく、人一人ぶんくらいの隙間はあるとは思えたが、“もし無かったら?”と想像してしまうのだ。
(だけどこのままじゃ……)
このままガノトトスの周りを回っていても水竜を倒せるわけではない。
名の通りガノトトスが魚ならば、陸に留め続ければ弱って死ぬかもしれないが、ガノトトスは肺呼吸だと本には書かれていた。
肺呼吸ならば陸上でも生活できる。
つまりこのままでもガノトトスは戦い続けられるのだ。
『ルインッ!』
意を決し、ガノトトスに駆け出したルインをフェルディナンドが制止する。
折角覚悟を決めたと言うのに、台無しになってしまった。
こんな勇気を出したのは久しぶりだというのに。
『何を……ッ!?』
そんな事をしている場合でないのは分かっているのだが、フェルディナンドに文句を言おうと思った瞬間。
ガノトトスが足を止めた。
フェルディナンドが、ましてや後ろのリシェス達が何かしたわけではない。
エラなのかどうかは分からないが、顔の横にある鰭を動かし一点を見つめている。
ルインでもなく、フェルディナンドでもない。
ガノトトスが見ているのは━━━
『……川!?ルインッ!!』
『分かっ…!?』
ルイン達が駆け出した瞬間、ガノトトスも同時に動く。
大きな巨体を揺らしながら川を目掛け一直線にガノトトスが走る。
それは凄まじい速さだった。
その巨体故、一歩の差が大きすぎるというのだろう。
如何に俊足を誇るルインであっても、瞬く間に引き離されていく。
ルインが離されるという事は、他の者にとってもそうであるという事。
フェルディナンドも速度を緩め、ドナとリシェスに至ってはその場から動こうともしていない。
川に飛び込むガノトトスを見つめながら、荒立った息を整える。
否、それしかできなかった。
走り出したガノトトス。
その疾走を妨げる事など誰にできようか。
少なくとも今、彼等にそれを可能にする術は無かった。
『ルイン……』
水中に戻ったガノトトスをどうする事も出来ず、呼吸を整えているとフェルディナンドが声をかけてくる。
返事はせずに、視線だけ返す。
さっきまでの出来事を無かったものにはできない。
それはフェルディナンドにも分かっているのか、それ以上は何も言ってはこなかった。
ガノトトスは大河を所狭しと泳ぎ回っている。
水上に背ビレを立て、泳ぎ回るその様はまるでここが自分の縄張りだと主張しているようにも思えた。
実際ガノトトスは水中に潜る事も無く、泳ぎ続けている。
それはつまり、水竜にしてもこの戦いが終わっていないつもりという事だった。
先ほどの戦い。
いや、それは戦いと呼べるものですらなかった。
水上に上がったガノトトスに、彼らは攻撃はおろか一度も接近する事すらできなかったのだから。
自分達の想像を上回る水竜の巨躯に怯え、近づく事さえままならない。
不用意に近づけば、その尾鰭の一撃をもってあの世行きだ。
目の前で巻き起こる死の旋風。
それを突破する事も、突破にいたる隙も彼らは見つける事ができなかった。
“それ”が出来ない限り、彼らはこの水竜を狩ることはできない。
フェルディナンドの持つ音爆弾を使えば、ガノトトスを再び地上に揚げる事はできるだろう。
しかし、その後が続かない。
彼らの前に敵がいたとしても、彼らにはその敵を攻撃することが出来ないのだから、それは結局倒せないということだ。
時間が経てば、いずれはギルドの指定した期日を過ぎてしまう。
そうなればクエストは失敗。
同時に彼らの命運も尽きることとなる。
そればかりか、このまま緊張を維持し続けることも難しい。
緊張を維持し続けるということは神経をすり減らし続けるという事。
常に気を張り巡らし、敵の動きを、一挙手一投足を見つめる。
そうでなければ、隙など見つけれるわけはないし、何よりもガノトトスの攻撃を避ける事ができない。
恐ろしいはまでの巨躯の一撃は確実な死を与えてくれるはずだ。
間違ってもあの尾鰭に当たってはいけない。
それは自らの本能が告げる警告であるのかもしれない。
当たれば、その先にあるのは死だ。
それは間違いない。
水竜の尾鰭は直撃しなくても、触れただけで人の命など簡単にもっていきそうな気がした。
あんなモノに勝とうと思うなら、それこそすぐ隣にある死を覚悟しなければならない。
まっとうな神経ではあの暴風の中に潜り込めない。
少し触れるだけで、こちらの命を簡単に奪っていきそうなモノだ。
普通の神経ならば、近づく事でさえ躊躇うだろう。
『で?どうする、ルイン?』
フェルディナンドが聞いてくる。
どうする?と問われたところで、具体的な作戦など思いつくわけもない。
しかし、自分がどうにかするしかないとは確かだった。
歩の遅いリシェスにあの暴風を潜ることは叶わない。
ドナをランスによる突進をもってしてもそれは不可能だろう。
たしかに彼女の突進は目を見張るものがある。
盾を構え、巨大なランスを前に突進をしかけるのだ。
飛竜に臆する事無く突進するドナの姿には驚かされる。
だが如何に盾が巨大だろうと、強固だろうと飛竜に近づくなど愚か者のする事だ。
近づいた次の瞬間には死んでいる、という事態も珍しくない。
飛竜は強大。
その力も体力も、全てにおいて人のそれを凌駕する。
唯一まさるとすれば知力━━━即ち知恵だ。
しかしその知恵ですら、戦う事を拒否するだろう。
対峙した時に身体は強張り、恐怖で自由を無くす。
動かずにいれば死ぬと分かっていても指一本すら動かない。
そもそも、最強の生物である
飛竜種の前に脆弱な人が立ち塞がる事自体が間違いなのだ。
彼等は生物の頂点として自然界に君臨していると言っても過言ではない。
そんな者達に人間が勝てるわけが無い。
しかしそれはそう、人が竜人族の武器を手にするまでの話。
通常の武器では飛竜の硬い鱗や甲殻に阻まれ、ダメージを与えることは叶わない。
だが竜人族の鍛えた、特殊な製法で打たれた武器ならば話は違ってくる。
それがハンターが持つ武器なのだ。
飛竜の持つ強固な鱗を貫けるのなら、貫いて飛竜にダメージを与えられるのなら。
絶対に飛竜に勝てないという事もなくなる。
万に一つの勝利を手にする事もあるという事だ。
しかしとて、その勝率など僅かなモノ。
飛竜にダメージを与える為に何度も攻撃しないといけないのに対し、飛竜はその一撃を持って人を即死足らしめる。
こちら側が必死になって攻撃したところで飛竜に然したるダメージは与えられない。
だが飛竜の攻撃を一度でも受ければそこで勝敗は決まってしまう。
何たる不条理。
今までその不条理を呪って死んでいった者達は何人いるだろう。
本来戦うべきで無いモノと戦っているのだ、それを不条理と嘆くのは見当違いである。
(なら攻撃をさせる事なく、攻撃すればいいんだけど……)
それも難しい。
落とし穴といった道具を用いればそれも可能だが、今回は落とし穴を持ってきてはいない。
仮に持ってきていたとしても、落とし穴の効果は僅か数分。
その数分でガノトトスを狩れるとは思えない。
落とし穴は本来狩りの補助である道具だ。
落とし穴を仕掛け、爆弾を仕掛ける。
そこへ獲物を落とし、爆弾を一気に爆破させ飛竜に大ダメージを与える。
いくら落とし穴に落としたところで人が攻撃するだけではダメージは微々たるものだ。
落とし穴と爆弾に寄る瞬間火力の実現こそがこれらの道具の本分なのだから。
後は━━━
(後は……死ぬしか、無い)
無論死ぬつもりは無い。
それは覚悟の話だ。
どうという事はない、“死んだつもり”で挑むのだ。
否、死んでいなければあの暴風になど入り込めない。
生を望めば望むほど、恐怖で身体は硬化し、瞬時に命を奪われるだろう。
また決死の覚悟で望んだとしても、水竜の命に届くかどうかは疑わしい。
だがそうしなければ勝ち目はない。
『で、どうするんだい?』
いつの間にやらドナとリシェスが近づいてきている。
その表情にも焦りの色が濃く浮かんでいるのが見て取れる。
『ルー…、大丈夫?』
リシェスが心配そうな顔をしたかと思うとこちらに手を伸ばしてきた。
『?』
『ルー、顔に血が付いてたから……』
伸びてきたリシェスの手は口元を優しく拭ってくれる。
先ほど転んでガノトトスを尻尾の避けた時に唇を切ったのだろう。
口の中に広がった鉄錆びの味を思い出す。
『いや、これはちょっと唇を切っただけっていうか!その、大丈夫だからっ!』
身体が熱くなるのを感じながら思わず飛び退く。
フェルディナンドや、ドナが見ているから余計に恥ずかしく感じたのだろう。
リシェスは不思議そうな顔して見つめてくる。
フェルディナンドはつまらないモノを見るように一瞥した後、ドナに向き直る。
『どうするっていっても、今の僕達の腕じゃ厳しいよね。
水竜に近づく事もできないし、攻撃なんてもってのほか。
どうだい?ここで潔く僕に殺されちゃうってのは?』
『ふざけるなっ!そんな事できるわけないだろ!!』
あっけらかんと言うフェルディナンドに怒りを隠す事無くぶつける。
分かりきっていた事だが、腹が立った。
何でそんな事を簡単に口にできるのかと。
しかし、ルインにとって非日常だとしても、彼にとっては日常なのだろう。
殺す者相手に一々感慨など抱いていられない。
殺す事を悩めば次第に心が壊されていく。
だからこそ彼は、“そんな事”を一々悩まないのだろう
『じゃあどうするのさ、君はあの水竜を倒せる?
さっきだって一度も攻撃できなかっただろ?
それでどうするのさ。このまま戦えばいづれはやられるよ?
だったら僕の手に掛かる方が楽じゃないかな』
フェルディナンドが言うとおりこのまま戦えばいずれは倒される。
焦り。
怒り。
絶望し。
悔やみ。
そして心身共に疲弊し、膝を付く。
そうなった時がこの狩りの終わりの時だ。
近づけぬ苛立ちは焦りを生み。
怒りを覚え判断を誤らせる。
そういった感情は、時にとんでもないミスを犯させる。
やがてそのミスは絶望を生み、自分の愚かさを呪うだろう。
戦闘が長引けば長引くほど彼らの勝機は薄くなる。
実力が拮抗した者同士でも戦闘になれば神経をすり減らす。
しかし今の彼らは実力が拮抗した者同士ではない。
水竜と彼らの間には埋めがたい実力の差があるのだから。
故に彼らが水竜と向かい合っている時のダメージは“すり減らされている”どころの話ではない。
ガノトトスが一挙動する度に、目に見えない何かを削り取られていく。
そして削り取れなくなった時が死ぬ時だという事も分かっていた。
『フェル……あんた手を抜いてただろ』
ドナがフェルディナンドを睨みながら唸る。
先ほどの戦闘でフェルディナンドはルインと同じ様にガノトトスの周りを回っていた。
普通ならば同じ様に消耗していてもいいはずである。
━━━そう、普通ならば。
ルインと同じ様に戦ってなお、彼には余裕があった。
それは彼と目指している場所が違うからだ。
ルインはガノトトスを倒し、フェルディナンドを止めるという目的がある。
それに対しフェルディナンドは彼らがガノトトスを倒そうが倒すまいがどちらでもいい。
ただ彼はドナを、その障害となるルインを消したいだけなのだから。
それ故に彼が本気になって水竜と戦うなど“あり得ない”。
彼にとって水竜と戦う事自体が馬鹿らしい筈だし、こうして戦っている振りをしている事が不思議である。
最初はガノトトスとの戦闘の最中にこちらの隙を見てドナを殺すのかと思ったのだが、そうでもないらしい。
彼の行動を見ていると攻撃しないというより、どちらかと言えば“攻撃しあぐねている”といった感じだ。
彼の思惑がさっぱりだった。
『手を抜いた……だって?
そんなの当然じゃないか、ルインですら攻めれない水竜の攻撃の中に僕が入っていくとでも思ったのかい?
僕の目的を忘れたわけじゃないだろうね。
僕はドナ、君を殺す為にここにいるんだよ?
なのに必死にガノトトスと戦うわけないじゃないか』
ぎりっ、と奥歯を噛み締める。
彼の言っている事は正論だ、彼が水竜と戦う理由などないのだから。
『━━━フェル、あんた……!』
『おっと、勘違いしないでくれよ。
確かに君の意見を尊重してガノトトスと戦っているけど、それはあくまで僕の気まぐれによるものだ。
僕がその気になれば、君達はここで全員死ぬんだよ?』
フェルディナンドは笑いながら━━━しかし冷めた目で見つめてくる。
その様子を見て、リシェスが静かに視線を落とした。
不安、なのだろう。
彼女の目的を考えればそれは当然だ。
彼女には救いたい仲間がいる。
その仲間がいるからこそ、リシェスは遠いこのレフツェンブルグまでやってきたのだ。
それが何を間違ったのか、水竜と戦い、挙句の果てギルドナイトに剣を向けられている。
━━━笑い話にもならない。
いや、もし仮にこの場を』無事に切り抜けれたのなら武勇伝にでもなるのだろうが。
『━━━━━━━━━』
場に重たい空気が流れる。
フェルディナンドが殺気を放っている、というわけではない。
事実彼は“笑っていない”だけで、自分達を殺そうとしているわけではない。
『それで…どうするのさ?』
フェルディナンドがやれやれ、っといった感じで手を上げる。
『このまま戦っても、水竜に勝てないのはわかっただろう?』
『………』
彼の言うことはもっともだったが、それでも頷くわけにはいかなかった。
頷いてしまえば、それは負けを認めるということ。
この場で彼に殺されるのを良し、とするという事だ。
それだけはできない、とルインは胸にかけたペンダントを握る。
手甲の上からでも不思議と暖かい石を握り締めながら決意を固める。
彼女━━━リシェスだけでも村に帰さなければ。
この石を受け取った時に彼女を守ると約束した。
マンドラゴラはこの際どうなってもいい。
無事に彼女をフライダムの村に帰さなければ、あの時に交わした約束は嘘になってしまう。
理由はわからなかったが、それだけはどうしても嫌だった。
『フェル……もう一度音爆弾を使ってくれ』
静かに言う。
一瞬にして辺りの音が止んだような感覚に襲われる。
皆、驚いているのだろう。
『本気かい?
さっきまでの戦いを見る限りじゃあ勝算はないよ。
それは君も分かっているだろう?』
奥歯を噛み締める。
鈍い痛みが走るのを感じて、歯が欠けたと知る。
『……ああ、それでもガノトトスは狩る』
低く、腹の底から搾り出すように唸る。
『ふふ。水竜を狩るだって?
ついさっきまで近づく事もできなかった君が!?
ふふ…ふはははは!
ハンターなら相手との実力くらいは分かるだろう?
まったく君って奴は笑わせてくれるね……!!』
睨むようにフェルディナンドを見つめる。
実際はようにではなく、睨んでいたのだろうが。
それに全く動じることも無くフェルディナンドは笑う。
横目で川を見ればガノトトスはまだ泳いでいる。
もう一度水竜を陸に揚げれば戦えるのか?と聞かれれば自信はない。
あの水竜を狩るための方法なんて何も思いつかなかった。
陸に揚げたところで、また悪戯に時間を消費するだけ、というのも分かっていた。
しかし、今は水竜と戦わなければこの目の前にいる男を敵にまわす事になる。
それはどうあっても避けたい。
ルインにとって水竜と戦う事より、同年代の少年と戦う事の方が難しいように思えた。
ギルドナイトであるフェルディナンドは対人戦のスペシャリストだろう。
それは“人を殺す覚悟”を背負っているということ。
何を以ってその道を進むプロかというのは、諸説あると思うが。
一番分かりやすいのは覚悟を持つ者の事だろう。
ハンターとてまた然り。
ハンターは対飛竜戦のスペシャリストではない。
当然、ハンター達の中にはほぼ常勝を誇る者達がいるのだが、それはまた違う。
ハンターとして成人するのはだいだい十五になるくらいだ。
そんな幼い者達が対飛竜戦の技能を有しているわけが無い。
それでも彼らを━━━例え駆け出しであってもハンターと呼ぶ。
それは彼らがハンターとしての覚悟を決めているからだろう
【飛竜を殺し、時には飛竜に殺される】
それはハンターとして生きていくには当然の心構えであり、無くてはならないものだ。
覚悟がなれければ、飛竜━━━いや、どんな生物であろうと殺せはしないだろう。
命を賭して戦う者は、命を奪う恐怖とも戦わなければならないのだから。
━━━つまり、フェルディナンドはギルドナイトとして、対人戦のプロとしての覚悟を持っている。
だが、ルイン達にはそんな覚悟などない。
戦うだけならば、先ほどの様にある程度は戦える。
だが、いずれフェルディナンドの命を奪う瞬間がやってくる。
そうしなければ、次に殺されるのは彼らなのだから手を抜くことはできない。
だが、覚悟のないルインは一瞬躊躇するだろう。
その一瞬はフェルディナンドにとっても一瞬なのか、それとも度し難い隙になるのかは明白だ。
『確かにさっきの戦いで俺は……近づく事もできなかった。
━━━正直、次だってどうなるかわからない……』
言いながら唇を噛む。
出来ない事をできる、などと言えるわけは無い。
足りない実力。
それは誰の目から見ても明らかだった。
水竜を打ち倒す武器が無い。
水竜の攻撃から身を守る鎧が無い。
そういった不足を補うのが、作戦であり、罠であるというのなら、そういったモノも無い。
だが、だからと言って簡単に諦めるわけにもいかない。
『でも次は攻撃してみせる』
『勝てる自信があるのかい?』
自信、そんなものなど無かった。
“何とかなるかもしれない”という気持ちは初めてガノトトスを見た時に消えてしまっている。
『…………』
『そんなモノ、あるわけ無いよね。
水竜ガノトトスは熟練ハンターですら手を焼く相手だ。
それに「勝てる自信があります」なんて言ったら顰蹙ものさ』
彼の言っている事は正しい。
水竜など自分達の様な駆け出しが狩っていい相手ではない。
そんな事は今更言われなくても分かっていた。
ルインは静かに拳を握り、力を込める。
そして彼の手が動く前にフェルディナンドの言葉に遮られた。
『でもその顔……知ってるよ。
それはハンターの顔だ、どんな時でも諦めないってやつかい?
駆け出しでもハンターとしての心構えはしっかりしてるって事か』
驚いた。
ルインだけでなく、リシェスやドナも同じ様に驚いている。
フェルディナンドがそんな事を言うなんて思いもしなかったからだろう。
大きく口を開け、呆けた表情で彼を見つめている。
『どうしたのさ、戦うんだろう?
ならぼーっとしてないでさっさと準備しなよ』
そんな彼女達を気にかけていないのか、フェルディナンドはポーチに手を入れながら川へと向かって行く。
中に入った音爆弾を使うのだろう。
ゆっくりとした足取りで歩いていく彼を見つめながら、何かに違和感を感じた。
『………?』
『どうしたの、ルー?』
こちらの様子に気がついたのかリシェスが問いかけてくる。
それにあぁ、とだけ答え感じている違和感の原因を探す。
リシェスやドナがおかしいわけでもない。
自分のでもない、急激に疲れが出たわけでもないし、ランゴスタの神経毒のようなものを受けたわけでもない。
第一ランゴスタなどが飛び回っていれば嫌でも気がつく。
それにもし刺されたなら、違和感などで済む問題でもないはずだ。
となれば、後はフェルディナンドなのだが━━━
そこに行く前に何かを忘れている気がしてならない。
確かにフェルディナンドの様子が変わったような気もしたのだが、そんな事ではないはずだ。
もっと重要な、もっと大切な何かを見落としている気がする。
(何だ?いったい何を……?)
フェルディナンドとの会話。
彼の行動、自分の行動。
思い返して見ても何も思いつかない。
(とても大事な事の気がする……)
考えている間にもフェルディナンドは川へと歩いて行く。
その一歩一歩が酷くゆっくりに感じられた。
もうすぐ彼は手に持った音爆弾を投げ、ガノトトスを陸へと揚げるだろう。
そうなれば、こうして考えている暇など無くなる。
あの脅威の暴風を抜け、水竜に攻撃をするには“死んでいなければならない”。
その為にも一切の思考を棄て、水竜に臨まなければならない。
だと言うのに、頭は思考を繰り返している。
お前は何かを忘れている、このままでは取り返しが付かなくなる。
と、でも言いたいのか“何か”を必死に訴えてきていた。
(…………)
リシェスやドナに異常は無い。
彼女達は傍から見てもピンピンとしている。
先ほどの戦闘では参加していなかったのだ、当たり前だろう。
リシェスの鎧が泥で汚れているが、そんな事は些末事だ。
ドナにしても、顔色が優れないようだがこれといった異常はない。
「この戦いが終わったら殺す」という死刑宣告を受けているのだから、顔色を良くしろといってもそれは無理な相談だ。
━━━それに、その件については今は考えたくなかった。
この戦いを無事に乗り切ったとしても、“それ”は避けられない事としてやってくる。
それは問題の先延ばしだと分かっているのだが、今は考えたくなかった。
やはり引っ掛かるのは彼、フェルディナンドだ。
彼の事を考えたときに一番胸騒ぎが大きくなる気がした。
彼はこのまま川辺へと歩いて行き、音爆弾を投げる。
ただそれだけだ、それだけのはずだ。
なのにこの不思議な違和感はなんなのだと、自分の胸に問いかける。
このまま川辺に歩いて━━━ナニニ、ムカッテ?
音爆弾を投げつける━━━ナニニ、ムカッテ、ナゲル?
(……!?)
違和感の正体に気が付いた。
それと同時に川へと視線を向ける。
もう、間に合わない事は分かっている、それでも叫ばずにはいられなかった。
『フェルッ!!!』
こちらの声に気を取られたのか、フェルディナンドが振り返る。
その様子が何故かゆっくりに見えてどことなく可笑しかった。
瞬間、彼の背後で水柱が上がる。
ゆっくりと振り返る彼の後ろで、猛烈な勢いで川の濁った水が噴き上げられた。
中々振り返らないフェルディナンドと、凄まじい勢いで天を衝く水だが、それ自体に違和感は感じられなかった。
もう、一度フェルディナンドは振り返っていたのかもしれない。
吹き上げられた水は太陽の光を反射し、七色の輝きを放つ。
それは最初にガノトトスを見た瞬間の巻き返しの様にも思える。
違うのは、巨大な水柱から現れるのが水竜だと知っている事。
そして━━━次の瞬間にフェルディナンドが……という事。
走っても間に合わない。
ガノトトスが体内で圧縮した水をフェルディナンドに吐き出す方が速い。
(━━━それに……)
それに、一瞬思ってしまった。
ここでもし、フェルディナンドが水竜に殺されてしまえば、“無事に帰れる”のではないのか、と。
この場面にいるギルドナイトはフェルディナンドだけだ。
つまり彼さえいなければ、自分達がギルドナイトに狙われることは無くなる。
彼女自身を目標として派遣されている為、ドナはどうやっても助ける事はできないだろう。
しかし、自分達だけならまだ助かるのでないかという、悪魔の囁きにもにた考えを聞いてしまった。
━━━このままなら奴を殺せる。
━━━奴はお前たちを殺そうとしているんだぞ。
━━━そんな奴を助ける必要なんて無い。
そんな考えがいくつも浮かんできた。
しかし、それは決して悪魔の囁きなどではない。
ルインの、彼自身の本音といってもいい。
こんな所で、しかも他人の罪を処罰する為に巻き込まれる何て馬鹿げている。
誰もがそう思うだろう。
それはルインとて例外ではない。
両親の復讐という目的を果たしたとはいえ、彼にはまだやりたい事もある。
もっとハンターとして色々な敵と戦ってみたいとも思っていたし、リシェスと共に居たいとも思っている。
そうしていつかハンターとして彼の父親の様になりたいと願っていた。
それがこんな場所でどうして死ねようか。
誰もが思うだろう。
“こんな事など無かったことになればいいのに”と。
だが━━━
(俺はッ……)
それでも身体は動いていた。
余計な事を考えてしまったせいで、一瞬遅れてしまったが彼目掛けて走り出していた。
川の上ではガノトトスが水を吐き出そうと予備動作に入っている。
フェルディナンドは咄嗟の事に動けないのか、立ち止まったままだ。
このままフェルディナンドのところまで走り、彼を突き飛ばせばいい。
最悪、自分が彼の代わりに水射を浴びる事になるが━━━
(仲間を見捨てるよりは全然良い……!)
今は自分達に刃を向けているといっても、彼は共に戦った仲間なのだ。
一度、たった一度しか戦った事は無かったが、それでもルインの中では仲間と呼ぶに値するものだったのだ。
高い水竜のモノと思われる鳴き声。
空を切る水の音。
轟音にも似た音が過ぎ去っていく。
目の前が━━━朱に染まっていた。
吹き上がる鮮血に目を奪われながら、崩れゆく身体を掴もうと“彼”が腕を伸ばす。
それでも身体は支えきれずに、血を吐き出しながら崩れていく。
『な……何をしてるんだよ…。僕は君を殺そうとして……』
フェルディナンドが呟くように言う。
戸惑っているのか、視線が泳いでいる。
『……仕方ないだろ、助けちまったモンは……さ』
苦しそうに息を吐くと、血が喉に詰まるのか咳をする。
咳をする度に血が霧となって彼の服を染めた。
『は…はは……馬鹿だな、そんな格好してるから、やられちゃうんだよ…』
『そうだねぇ……次に生まれたら考えてみるよ…
でも、無理かも…しれないね』
苦しそうに咳をしながら笑う。
自分を殺すといっていた相手を助けた自分が可笑しいのか、それとも━━━
『どうしてだよ…?ちゃんとした装備をしなっていつも言ったじゃないか……』
フェルディナンドの言葉に微かに怒気が篭る。
しかしそれは、怒りではなく軽装を許していた事への後悔かもしれない。
『……ふふ、この装備を止めたら…私が私じゃなくなる……からさ…』
堪えきれなくなったのかリシェスが膝を付いて嗚咽を上げている。
ルインはただ立ち尽くし、奥歯が砕けるほど噛み締めながらその様子を見ていることしか出来なかった。
『…ねぇフェル……今ならまだあんたに殺されてあげられるけど……?』
言うと大きく咳をすると“何か”を吐き出した。
それは、黒い塊━━━彼女の血だった。
『あ…あたりまえだ…!君は僕が殺すんだから、勝手に死ぬな!』
言ってフェルディナンドはサイクロンを抜き放ち、振り上げる。
ルインは動けなかった。
この期に及んで、まだ殺すだの何だの言っている彼を止めることができなかった。
しかし、それは━━━
高い、金属の擦れあう様な音をさせた彼の剣は空中に止まったまま振り下ろされる事は無い。
止める必要などない、という事。
ルインが止めに入るまでもなくフェルディナンドが彼女を殺す事はないだろう。
理由は分からなかったが、彼がドナを今殺す、とはとても思えなかったのだ。
『…どうしたんだい……?早くしないと手柄を…持って行かれるだろ……』
フェルディナンドは件を振り上げたまま動こうとはしない。
そこに先ほどまでの殺気はなく、ただ呆然とした彼がいるだけだった。
『……めない。こんなの、僕は認めない…!
だからドナッ!傷を治せ……!そうしたら…そうしたら僕が殺してやるッ!』
『…ふ…何言ってんだい……。どうせ殺すんだからいつでも一緒だろう…?
…どうせ私は助かりはしないよ……さぁ…早く頼むよ……』
ドナが苦しそうに息を吐く。
彼女の言うとおり、この場を退いたところで一命を取り留めるのは不可能だ。
軽装、の名の通り彼女の装備はボーンシリーズ。
動物の骨や竜骨で作られた装備で、胸などの急所をを僅かに隠しているだけで、腹部などの急所はがら空きだ。
━━━しかし、そんな事はどうでもいい。
例え強固な鎧であったとしても水竜の一撃は易々と切裂く。
どんな装備でも関係など無い。
水竜の吐き出す水射を受けた時点で運命はきまっているのだから。
『…………』
彼の、フェルディナンドが歯を噛み締める音が聞こえる。
悔しい、のだろうか。
肩の震えが、剣にまで届いている。
そう思った瞬間彼はサイクロンを離し、振り返る。
『……駄目だ、こんな事では死なせない…。ルイン、手伝ってくれよ……
ドナを…キャンプまで運ぶんだ……!』
彼女を起こそうとしたのか、フェルディナンドが手を回す。
しかし、それが傷に触れたのかドナが呻く。
『フェル……』
彼の名前を呼び、ルインは静かに首を振った。
━━━恐らくこの状況を理解していない者はいない。
ルインもリシェスも、フェルディナンドも━━━そしてドナ本人も分かっているだろう。
もう、どんな事をしても彼女を助けることはできない。
それができるとしたら、それは“空の彼方にいるかもしれない神様”だけだ。
そんな奇跡など起きるわけがなかった。
『……ルイン、ドナを見捨てるのか……?!』
自分達を殺そうとしていた者が何を言うのかと思うが、彼は本気で怒っていた。
先ほどまでの消沈具合はどこにいったのか、フェルディナンドの瞳には本気で怒りが灯っている。
つまり、フェルディナンドは“本気で”彼女を救おうと思っているのだ。
それでも、ルインは頷けなかった。
いや、頷くことができなかったという方が正しいのかもしれない。
どんなに願っても、叶わない事がある。
それは“あの惨状”を見てきたルインには嫌というほど分かっている。
願うだけで望みが叶うのなら、この空の果てにいる神が叶えてくれるのなら、“彼”はここにいないのだから。
『ルイン!彼女を……ッ!?』
叫ぶフェルディナンドの腕をドナが掴む。
彼女の顔は土気色に変わり、瞼が独りでに閉じるのを懸命に耐えている。
『ドナ、もう少し我慢するんだ……そうすればきっと…!』
『フェル…もういいんだよ……』
彼女の言葉にフェルディナンドの顔から血の気が引いていく。
周りの人間がどんなに救いの手を差し伸べようと、本人にその気が無ければ助からない。
もっとも、彼女の傷はどんな人間がいようと救えないほどの傷だったのだが。
『もういい、ってどういう事だよ…ドナ……?』
『…………』
彼女は答えない。
呼吸を乱しながら、それでも息を整えようとしているのかゆっくりと息を吐く。
『━━━私はさ、分かってたんだよ……』
『傷の事か!?そんなのものッ……!』
フェルディナンドの言葉にゆっくりと首を振る。
『違う、その事じゃないよ……。
フェルがね、私に近付いて来た理由、さ』
フェルディナンドの動きが止まる、驚いているのだろうか。
『━━━どう、して…?』
『あんたみたいないい男がこんな年増に寄ってくるわけないだろ……?
だからの、あんたが来たとき思ったのさ、「あぁ。とうとう“ツケ”を払う時がきた」んだったね……』
彼女の言うツケとは、フェルディナンドが派遣されてきた“理由”の事だろう。
自分は法に触れる行為をしているという事を、そしていつかはそれを償わなければならない時が来るということを
知っていたのかもしれない。
『でも…あんたはいつまで経っても“その事”を言う素振りはみせなかったし、私の無茶も随分聞いてくれたね……』
ルイン達にはドナとフェルディナンドがどのくらいの期間パーティを組んでいたのかは知らない。
しかし酒場でのやり取りなどを聞いているかぎり、それなりの期間は組んでいたはずだ。
恐らく3~4ヶ月、ひょっとすると半年近くは組んでいたのではないだろうか?
通常ギルドナイトが派遣された時点で、死刑が確定しているようなモノだ。
彼がドナとパーティを組んだ時はまだ、宣告はされていなかったという可能性もある。
ルインとリシェスがレフツェンブルグの街に来た時に掲示板に貼り出されていた文書。
街の倉庫区で死んでいた男のハンター。
恐らく“あれ”はギルドナイトによって処刑されたハンターの死体だ。
つまり、フェルディナンドがこの街に来た目的はその男ハンターを処罰するためだったのではないだろうか。
そしてドナと出逢い、次の任務までの待機期間の間彼女と共に過ごしていた、と。
だが、それにしても不可解な点が多い。
ギルドナイトのような“闇を持つ者”をギルドはそこらの街で遊ばせておくのだろうか。
それも考え難い事である。
と、なればフェルディナンドはやはりドナを殺すために街にやってきた、と考える方が正しい。
しかし“なんらかの理由”で彼女を殺せなかったのだ。
理由は何でもいい。
街に新しい犯罪者がいる、そう例えば倉庫区で殺された男のようなものがいる。
とでも報告すれば、迂闊な行動をギルドはしないだろう。
ドナを殺す事によって、他の犯罪者に逃げられても意味がないからだ。
『そう…分かっていても、私は楽しかったんだよ……。新しい坊やもできて、小娘も増えたって言うのに……。
“これから”って時にこうなるとはねぇ……。
こんな事ならもう少し真面目に生きときゃ良かったよ……』
『………』
フェルディナンドは何も言わない、ただ震えている。
怒りか、悲しみか、あるいはその両方にか、ただ黙って彼女の言葉を聴いている。
『坊や……』
もう視力も薄いのか虚ろな目でこちらを見る。
ルインは目を閉じたまま返事をした。
『小娘は……焼きもち屋だからね、心配かけずにしっかりと守ってやりなよ……』
『はい……』
彼女の言葉をしっかりと胸に刻みこむように、心の中で復唱する。
恐らく彼女と会話ができるのはこれで最後だ。
文字通り、最後の言葉を受け止めねばならない。
『小娘は……?』
『ここに、いま…す……』
泣くのを必死に堪えながらリシェスが答える。
『ルーは…いい男になるからしっかり捕まえときなよ……
あんまり怒ってばかりいると、坊やに愛想尽かされるから…他の女にちょっかいだされても怒るのはほどほどにしときな……
小娘はせっかく可愛い顔…してんだからさ……』
ドナの言葉に大粒の涙を流しながら、何度も頷く。
それは今の彼女には見えないだろうが、雰囲気で察したのかドナは笑いを浮かべる。
『それとフェル……』
『僕は聞かないよ……!』
『いいから黙って聞きなよ…これで最後なんだからさ……』
彼女の言葉で、フェルディナンドが立ち上がり叫ぶ。
それは今までの彼からは想像もできないほどの怒りだった。
『駄目だッ!僕は聞かない!!だって……
それを聞いたら“本当に最後に”なるじゃないかッ!?』
凄まじい剣幕でドナを怒鳴りつける。
その様子は怒っているというよりもどこか━━━
『なんでそんなに簡単に諦めるんだ!?
ハンターなんだろっ!もっと、もっと必死に頑張ってみろよッ!!?』
どこか何かを認めたくなくて、必死に抵抗してる子供のようだった。
『……フェル』
そんな彼にドナは優しく微笑む。
もう痛みすら感じなくなってきたのだろうか。
苦痛に歪んだ今までの顔とは違う表情を見せた。
『…………』
『あんたはいい子だからね……今まで楽しかったよ…
無茶もさせたし…嫌な事もしたかもしれないけど…文句一つ言わずに一緒にいてくれたね……
これからもあんたは“あんたのまま”でいるんだよ……
今までありがとね…フェル……』
彼の手を掴もうとしたのか、伸ばした彼女の手がゆっくりと崩れていく。
『ドナ…?ドナッ!?』
彼女からの返事はない。
いつの間にか瞳は閉ざされ、もう開く事はないように思える。
『………ッ!!』
奥歯を噛み締め、腰に差したアサシンカリンガを引き抜く。
そして一直線に駆け出す。
いつの間にか陸に上がってきていたガノトトスに向かって。
憎かった。
彼女の命を奪った水竜も、彼女を守れなかった自分の力の無さも。
そして、こんな風に彼女と彼を廻り合わせた運命も。
水竜の尾鰭も今は怖くない。
寧ろその動きはとても緩慢に見えた。
水竜がどんなにルインを拒もうと尻尾を振っても、彼が肉迫するのを防げない。
何故なら、彼には水竜が“止まって見えるのだから”。
止まっている者が攻撃したところで、動く者に当たる理由は無い。
ここに来て、ルインは今までにない速さを見せる。
━━━人が、速く動けないのには理由がある。
一つは身体としての能力、動くには筋力を使う。
しかし、人が使える力は本来の二割に満たないモノだと言われている。
それはそれ以上の力を使えば、自らの身体が持たないからだ。
人は無意識下で自らの身体に制限をかけていると言う。
そしてもう一つ。
それは“見えない”からだ。
いくら速く動けたとしても、周りを見えなければ意味は無い。
視覚野に入ってくる情報を処理できなければ、それは見えないのと変わらないからだ。
動くスピードが速くなればなるほど、視覚野が処理しなければならいない情報は増え、
追いつかなくなれば、次第に“流されていく”。
故に人は見えなくなることを恐れ、自身の処理能力が追いつかなくなる以上のスピードで動く事を
無意識の内に拒む。
それが、その二つの理由が今のルインには無い。
前者は怒りによって吹き飛び、後者は天性の才によって振り払われている。
ルインは動き続けるだろう。
限界を超え、自らの力で自らの身体が壊れるまで。
それが早いのか、それともそれより先にガノトトスが倒れるのか、今彼がしているのは“そういう”戦いだ。
『う……?』
『━━━!?ドナっ!』
一瞬、ドナが呻きを上げた。
か細く、注意して聞いていなければ聞き逃しそうな声だ。
彼女はゆっくりとフェルディナンドの顔に手を伸ばし━━━
『ただいま……私の《坊や》、いい子にしてたかい……?』
『ウィル……?』
聞きなれない名に、フェルディナンドが戸惑う。
『おやおや……遅くなったから怒ってるのかい?仕方ないねぇ……今日は《坊や》の好物でも作ろうかね…』
そういうと彼女の手はフェルディナンドの頬から離れ、地にゆっくりと落ちた。
リシェスは何も出来なかった。
水竜に立ち向かうルインを援護する事も、消沈するフェルディナンドを励ますこともできない。
いつもそうだ、村で火竜と戦った時もそうだった。
何度この悔しさを胸に抱いたら、強くなれるのだろう。
心でいくら想ってみても身体は動かない。
そんな自分がとても嫌いになりそうだった。
『リシェス……』
不意に名を呼ばれ“はっ”っとする。
思えば彼に名を呼ばれた事は、数えるほどしかない。
驚いたのも、それが理由かも知れなかった。
ゆっくりと、恐る恐る彼の方へと振り返る。
『僕をキャンプに戻らせてくれないか……?』
正直耳を疑った。
彼が何を言っているのか理解できなかった。
こうしている間にもルインは水竜と戦っている。
彼の為にもすぐに戦列へと加わるべきだ。
『な、何を言っているの……?━━━ルーをあのまま、一人で戦わせる気……?』
フェルディナンドは敵だ、味方ではないと分かっていたが、出てきた言葉はそれだった。
彼の目的はドナの処罰、水竜との戦いなど興味すらないはずだ。
しかしそれでも、“ルインを助けて”と問うしかなかった。
彼女にはルインを援護するだけの力はないのだから。
ドナが倒れた以上、ガノトトスと戦えるのはルインと彼だけだろう。
自分では、足手まといにしかならない。
分かっている、分かっているからこそ、フェルディナンドを戻らせたくなかった。
『━━━彼女を……ドナをこのままにしてをおけない。
このまま放っておいて、虫に喰われるなんて許せないだろ?
だから、僕をキャンプに戻らせてくれないか……?』
彼の言うとおり、この場所に“彼女”を放置しておけば、虫や雑菌などに蝕まれる。
そればかりか、水竜の攻撃で傷つけられる恐れもある。
彼女を思うのならば、彼の言うとおりキャンプに運ぶのが賢明だろう。
しかし━━━
『だったら私が……』
しかし、彼が戻ってくるという保証はどこにもない。
彼女の遺体を確保し、キャンプに待機している他のギルドナイトに報告。
そしてこの狩り場から撤退する、という可能性もあるのだ。
“彼に水竜と戦う理由が無い”という事実がリシェスをより不安にさせる。
ならば、ここは足手まといな自分が“彼女”を連れて行ったほうがいい。
だが、彼は静かに首を横に振った。
『頼むよ…、僕に行かせてくれ……』
『フェル……』
彼が“彼女”をキャンプに送り届けたいという想いは本物だろう。
しかしそれすらも演技かもしれない。
ギルドナイトならば、これくらいの演技は造作も無いことだろう。
『………』
音が聞こえる。
大河を流れる水の音。
そして零れ落ちる水の音。
大きな尾鰭が空を切る音。
ルインが息を乱しながら、地を蹴る音。
彼の剣が硬い鱗に弾かれる音。
そんな音を聞きながらも、周りはやけに静かだった。
『戻ってきて…くれるの……?』
迷っている時間はない。
そうしている間にも、ルインの体力は消耗していく。
『……約束しよう』
彼女の小さな問いかけに、彼もまた小さく答えた。
“彼女”の顔を見つめながら、ゆっくりと抱き上げる。
ドナは女にしてはやや大柄だった。
それを小柄なフェルディナンドが簡単に抱き上げたことに、軽い違和感を感じる。
気を失った人間は存外に重たい。
それを、いとも簡単に彼は抱き上げたのだ。
『━━━…ディナンドッ!!』
ルインの声が響く。
慌てて彼の方へと振り返れば、依然として彼はガノトトスに張り付いている。
喋る余裕などあるわけがない。
だが、彼は叫んだ。
『“彼女”を頼むッ……!!』
こちらの会話が聞こえていたはずは無い。
仮にこちらの声が届いていたとしても、彼が聞いている筈が無い。
フェルディナンドは呆気に取られたように彼の方を見た後、大きく頷き駆け出した。
速い。
人一人を抱えているとはとても思えない速さだ。
フェルディナンドの後姿がみるみるうちに小さくなっていく。
彼が向かったのは《エリア3》。
そこから《エリア1》か《エリア2》を抜ければベースキャンプだ。
あのスピードなら、戻ってくるのに半時とかからないだろう。
そう、“戻ってくるのなら”━━━