Prologue...
ガタンゴトン……
車輪は回る。
黄色い砂の上を、屋根の付いた車がアプトノスに牽かれて進んでゆく。
車の中には男たちが肩を並べ、堅い防具に身を包み、手には一振りの剣や
ハンマーといった武器を持っている。
その中に紛れて、潤んだ瞳の少年がどこか寂しそうに膝を抱えて座っていた……
急にアプトノスの声がした。
どうしたのだろう?
怯えているようだ……
少年は目を丸くして外の方を眺めた。
どこからか地響きがする。
「竜だ!竜が出たぞ!」
車の中に馬方の男が顔を出して叫んだ。
すると、男たちは立ち上がり、馬方と話しを始める……
『どんな竜が出たんだ?』
『相手は何体だ?』
そんな会話が少年の耳まで届いてくる。
「おい!そこの……」
急に後ろから声がした。
少年は自分の事が呼ばれたのだと気づき、後ろを振り向いた。
「あんた……見た目は若いがハンターか?」
少年はふるふると首を振った。
「じゃあ、あんたの持っているその包みは何だ?」
目の前に立ったハンターらしき男は少年の抱えた包みを指差した。
「俺の知るところ、そいつは竜殺しの武器だよな?」
「これは父の形見です……。」
「あんたはそいつを使えないんだな?」
少年はうなずいた。
「ッチ。今は少しでも戦える奴が要るっていうのに……」
男は舌打ちして「そこで大人しくしていろ」と言い残すと車を飛び出した。
少年は彼の後ろ姿を見送った後、再び外を眺めた……
「砂竜?…いや違う!」
車の小さな窓から砂塵を巻き上げて地中を進む巨大な影が見えた。
それは、決して小さなものではなく、かなりの大きさと重量を備えたものだった。
アプトノスが怯えた声で鳴いてそれから逃げようとする。
車はずるずると引きずられてひっくり返った。
「うわぁ!」
少年は横に倒れながら車の外へと放り出された。
砂を飲みながら、なんとか少年は体を起こした。
目の前でハンター達が空に吹き飛ばされたのが見えた。
「!!」
そこに現れたのは漆黒の外殻を有する2本の角……
それが少年の目の前で、凄まじい咆哮を上げたのだ。
『どさっ―!』
音を立てて吹き飛ばされたハンターが少年の目の前に落ちた。
真っ白い目を剥いて、口から血を流している。
(逃げなきゃ…早く逃げなきゃ!)
少年は慌てた。
意思は体に必死に逃げる事を要求しているのに、体はすくんでしまって言う事を聞かない……
飛竜は砂に潜ろうとしている。
逃げるなら今しかない!
そこで少年は、はっとした。
「父さんの!!」
(父さんにもらった大事な……)
少年は急に不安げに瞳を潤ませて、きょろきょろと辺りを見回した。
「……あった!」
そして、求めているものが倒れた車のそばに落ちているのを見つけた。
ずるずると体を這わせて、なんとかそこにたどり着くと、少年はそれを抱き抱えて立ち上がろうとした。
しかし、ずんと殴られたような重い衝撃が体を突き抜けて、少年は空へと打ち上げられていた……
(うそ…だ……)
少年の体と一緒に、破壊されて粉々に砕けた車の残骸が宙に浮いている…。
そして、その後ろから今にも少年の体を貫こうと巨大な角が、迫ってきていた。
(とお……さん……)
少年は薄れる意識の中で、自分より少し上に浮いた包みを見上げた。
瞳から涙があふれる。
そして、少年の意識は…消し飛んだ……
第1章「出会い」
「旅の始まり」
「はぁ…はぁ……」
荒い息を吐き出して彼は走った。
時折、後ろを気にしながら、まるで何かから逃げるように……
身にまとうのは獣の皮と硬い鉱石を加工した鎧。
手には巨大な銃。
赤いマントを翻(ひるがえ)して、彼は走る。
鎧の肩に輝くのは黄金の竜の紋章……
彼の後ろをいくつもの影が、追うようにして迫っていた……
「この…しつこい奴らだ。」
彼は不意に体を反転させ、銃を手に取ると、一発だけトリガーを引いた。
瞬間、ぱっと稲妻のような光が走った。
すると影たちは、まるで苦しむような悲鳴を上げはじめた。
「よし!フレアは有効だ。」
彼は満足そうに頷くと、さっと身を翻して、また走り出す。
時間稼ぎをしている間に一刻も早く遠くへ逃げなければ……。
しばらく走ると、彼は大人一人がすっぽり隠れられそうな茂みを見つけてそこへと飛び込んだ。
「はぁ…はぁ……」
彼のすぐ側を小さな影たちが、通り過ぎていったのを確認して小さく溜め息を吐いた。
ポーチの中をあさると、薬草と数発の弾薬が出てきた。
「後、8発か……」
小さく溜め息を漏らす。
茂みからそっと顔を出すと、自分の頭の上を巨大な影が……
鋼より硬い翼を持った飛竜がバサバサと音を立てて飛んでいた。
彼は慌てて、茂みに顔を隠した。
そっと、手にしたボウガンに弾を込める。
「くそっ…私としたことが……少し遊びすぎたのか?」
舌打ちすると、悔しそうに顔をゆがめた。
そして、さっと立ち上がると茂みから抜け出して一気に走り出す。
もっと遠くへ…もっと遠くへ逃げなければ……
時折、後ろに向かって威嚇射撃をしながら、彼はひたすら走った。
だがもう、これ以上は疲れて走れない。
そんなとき、彼は大きな岩があるのを見つけてそこへと逃れた。
「はぁ…はぁ……ふぅー……」
岩陰に隠れて目を閉じると、深呼吸して息を整えた。
ボウガンの一部をガシャリと外すとそこから弾が数発宙に飛び出した。
彼はそれを空中でキャッチする。
「あと、3発……」
もうこれ以上はない。
彼は深く溜め息を吐いた。
「ねぇ、お兄さんハンター?」
そんなとき、急に頭の上の方から声がした。
驚いて顔を上げると、そこには、青い優しい光を持つ瞳を輝かせた16~7歳の少年が立っていた。
「き…君は…どうしてこんな所に!?」
少年は上下薄い服を着て、彼の前に立っていた。
手には小さなかごとナイフを持っている。
「きのこ狩りです。今の時期はこの地方の特産キノコがたくさん生えるので。」
少年はそういって、かごの中に入ったキノコを彼に見せた。
「危ないじゃないか!ここは狩猟区域だぞ。そんな格好で……武器も持たずに……」
彼は驚いて注意した。
「大丈夫。慣れてますから。」
しかし、少年はけろっとした態度で、茂みに生えたキノコを採り始めた。
彼は呆気にとられてそれを眺めた。
『グォオ!グォオ!』
その時、周囲に大きな獣の声が響いた。
「!!」
彼は驚いて身構えした。
「この声、ドスランポスですね……。」
きのこを手にした少年がのっそりと立ち上がって言った。
ランポスは青い鮮やかな鱗と、黄色いくちばしに赤いとさかを持った小型の肉食
モンスターである。
ドスランポスとは群れを統括しているリーダー格の大きなモンスターだ。
「……!?どうしてわかる?」
驚いて聞き返すと、少年はやはり、けろっとした態度で微笑んだ。
「慣れてますから。」
「かなり近い。岩の向こうかも。」
「隠れていろ。私が注意を引くから、その間に逃げなさい。」
彼はそう言って、岩陰から顔を出して周囲の様子をうかがった。
すると少年の言う通り……
そこには、ドスランポスがきょろきょろと、その大きな目を動かして獲物を探していた。
「まずいな…。探してる。」
彼は溜め息混ざりにつぶやいて、岩の影に身を退いた。
すると、もうとっくに逃げたと思ったのに、そこにはまだ、少年が立っていた。
「何をしている?早く逃げろと言ったはずだ!」
「……俺は大丈夫です。」
少年はかごと、ナイフをそこに置いて言った。
逃げるつもりはないらしい……
(くそっ…いくら慣れているからと言っても邪魔になる……)
彼は内心舌打ちしながら、もう一度、そっと岩から身を乗り出して様子をうかがった。
「うわッ!!」
そして、彼は驚いた。
顔を出したすぐそこにドスランポスの顔があったのだ!
目と目が合った瞬間、あまりの突然の出来事に驚いて、思わず彼は“しりもち”をついてしまった。
少年の目の前だというのに…恥ずかしい……
「こ、このッ!!」
彼は恥ずかしさもを怒りに変えて、転げたまま、ドスランポスに向けてボウガンを構えた。
しかし、トリガーに指をかけたところで、彼ははっとした。
(しまった!!3発じゃあ、こいつを倒せない!)
ぎらりと妖しくドスランポスの眼が輝き、黄色いくちばしからよだれがたれる。
彼は顔の前に両手をかざして守りの体勢になった。
「ぎゃああああああ!」
彼の右腕にドスランポスが噛み付いた。
その鋭い牙が、肉を貫き、骨まで達していた。
悲鳴をあげてから、彼はキッとドスランポスを睨んで、それを振り払った。
「くっ…!」
ずぶりと音を立てて、腕から牙が抜けた。
腕に丸くあいた穴から、だらりと血があふれる。
「ぐわぁぁあああ……くぅ。」
彼はぐっと歯を食いしばって痛みをこらえた。
左手で、右腕をぎゅっと押さえて止血する。
だが、そんな暇を敵が与えてくれないということを、彼が一番良く知っていた。
後ろを振り返って彼は叫んだ。
「早く逃げなさい!!」
彼は少年に向かって叫んだつもりだったが、すでに少年はどこかへと姿を消していた。
(逃げたのか……)
彼は少し安心して前を向いた。
「!!」
すると、そこには大きなドスランポスの口がぱくりと開かれていた。
もう防御する暇はない。
このまま頭を噛み砕かれて終わりだろう。
彼はもうだめだと思った。
(やられる!!)
瞬間、ドスランポスの悲鳴が響いた。
「!!?」
驚いて顔をあげると、目の前でドスランポスが倒れていた。
「なにっ!!?」
「お兄さん。逃げますよ!」
彼の前に立っていたのはさっきの少年だった。
手には一振りの短剣……
盾はなく、ずいぶんと古びた剣だった。
「君がやったのか!?」
倒れたドスランポスと少年を見比べて彼は尋ねた。
「まだ死んでない。早く!」
少年に手を引かれるまま立ち上がると、ボウガンを拾うことも忘れて、彼は我先に走り出した。
(まさか、少年に助けられるとはな……)
彼は苦い表情を浮かべて、後ろを振り返った。
そこでは少年が、剣を構えてドスランポスに対峙していた。
再びドスランポスが立ち上がる。
それを確認すると少年は短剣をドスランポスに投げつけた。
剣はドスランポスの首根っこに突き刺さった。
その攻撃に驚いたドスランポスは一瞬だけひるむ。
その一瞬の隙をついて少年は駆け出し、落ちたボウガンを拾ってその場に背を向けた。
(なんて素早さだ…!)
彼は少年の手慣れた身のこなしに驚いた。
ちゃっかりしたことに、少年はボウガンと一緒にキノコの入ったかごもちゃんと手にしている。
「お兄さん、ボウガン拾ってきました。」
少年は男と肩を並べて走りながら言った。
「ありがとう……。しばらく持っていてくれないかな?」
彼は苦く笑って、血で真っ赤に染まった腕を見せた。
少年は顔を強張らせた後、痛々しくほほ笑んで頷いた。
「不味いな…追ってきている。」
彼は後ろを振り返って舌打ちした。
小型の肉食獣の足は速い。
その小柄な体を生かした俊敏な動きは人間の走る速さを容易に超える。
このままでは追いつかれてしまう。
「俺が何とかします。お兄さんは逃げてください!」
少年は急に走る足を止めて、砂埃をあげながらキュッとターンした。
「ちょ…!君!何とかするって、どうするんだ!?」
彼は驚いて尋ねた。
すると、少年はこちらを振り向いて微笑んだ。
「大丈夫。何とかします。」
(なっ!!)
少年は彼の持っていたボウガンを使おうとしているのだ。
分解されて二つに折られたヘビィ・ボウガンを組み立てると、それをドスランポスへ向ける。
「君に使える代物じゃあない!やめろ!君まで怪我したいのか!?」
彼は大声で叫んだ。
それなのに少年は微動だにせず、ただ、じっと狙いを定めていた。
ドスランポスは草木を荒々しく掻き分け突進してくる。
まるで牛に轢(ひ)かれたって止まるものか!といった勢いだ。
一方、少年はそれに動じる気配も見せず、じっとボウガンを構えている。
「!!…」
(…なんて凄い集中力なんだ……)
彼は逃げることも忘れて立ち尽くした。
凄まじい早さでドスランポスと少年の距離が縮まる。
彼はその様子を固唾を呑んで見守った。
少年の額にすっと汗が流れる。
―ダァアンッ!!
ほんの一瞬の出来事だった。
ボウガンの銃口から真っ赤な火が噴いた。
その瞬間に「ぎゃあ」という悲痛な叫び声が辺り一面に響いたのだ……
少年の撃った弾はドスランポスに当たっていた。
しかも、その黄金の眼を片方潰していたのだ!
(まさか…当てたと言うのか!?)
彼は驚いて少年の背中を見つめた。
―ズドン!!
二発目の銃声―
再び響くドスランポスの悲鳴。
両目のあったところから、だらだらと真っ赤な血を流してドスランポスがよたついた。
(まさか……あの少年がたった二発の弾でドスランポスの動きを封じただと!?)
彼は呆気にとられてその様子を、ただただ眺めていた。
少年はボウガンを下ろすと、さっと身を翻してその場を後にした。
そこでは視力を失ったドスランポスが、いつまでも悲痛な叫び声を上げていた。
「今のうちに逃げましょう。近くに村があります!」
少年はそう言って彼の手を引いた。
「あ、あぁ……。」
彼は曖昧な返事をして、少年の手に引かれるままに走った。
(この少年は…いや、彼は何者なんだ……?)
「はぁ…はぁ…ふぅー。」
2人は膝に手を当てて、ぜいぜいと荒い息を吐き出した。
「ここまで逃げてくれば…もう…大丈夫です。村は…すぐそこですから。」
少年は荒い息を吐き出しながら、とぎれとぎれに言って、にこりと笑った。
「ああ……助かった。」
そういって彼も下を向いたまま肩で息を吐き出した。
「あの……これ……」
一息ついたところで、少年はすまなそうに彼の顔をのぞき込んで、さっとボウガンを差し出した。
彼は差し出されたそれと、少年の顔をじっと凝視した。
「勝手に使ってすみませんでした。」
少年はそういって頭を下げた。
「いや…いいんだ。運んできてくれて、ありがとう。」
差し出されたボウガンを左手だけで受け取った。
「それと………」
ボウガンを手渡すと、少年はポケットに手を入れて、さらに何かを差し出してきた。
「一発余りました。」
それは、硬いカラの実に包まれた一発のボウガンの弾だった。
彼はそれを受け取って、丸い目で余った弾と少年をじっと見比べた。
「……変な質問をするかもしれないが、君は一体、何者なんだ?ハンターなのか?」
彼は、じっと少年の目を見て尋ねた。
「いいえ。ただの男の子ですよ。」
少年はそういって笑った。
彼はやや険しい顔で少年を見つめてから、ふっと笑った。
「いや、君が何者か問うのはやめよう。」
彼は咳払いすると、笑って言った。
「私はデビット。…デビット・ジャックだ。君の名前は?」
デビットはそういって少年に手を差し出した。
「ハルです。」
少年その手を取って、にこりと笑った。
さわさわと風が草木をやさしく揺らした……
第2章「旅立ちの日」
行き交う人々の顔には皆、笑顔。
くだものや野菜の入ったかごを手に歩く女性。
にぎやかに並んだ商店……
「ここが俺の村です。」
ハルがデビットの手を引いて村の中へと足を踏み入れた。
「小さいが、活気のあるいい村だな。」
デビットが言うと、ハルはにこりと笑った。
「怪我の治療をした方がいいですよね?」
ハルは、ある一件の家の前まで来ると、デビットの顔をのぞき込んで言った。
「あぁ。」
彼は苦く笑いながら頷いた。
「ここで待っててください。今、村長を呼んできます。」
ハルはにこりと笑って、家の中へと入って行った。
なるほど、ここが村長の家らしい。
「メルばあちゃん!ただいま帰ったよ。」
ハルは玄関で大きな声で叫んだ。
返事はない。
「いないのかな……」
ハルはつぶやくと、勝手に家の中へと足を踏み入れた。
「メルばあちゃん!キノコ取ってきましたよ!」
そっと、テーブルの上にかごを置いた。
「はいはい…。なんです?居ますよ。騒々しい……」
すると初老の白銀の髪の女性がゆっくりと姿を現した。
尖った耳に、鮮やかな瞳……どうやら彼女は竜人族の女性のようだ。
「メルばあちゃん、お客さん。」
ハルが玄関前に立ったデビットの方を向いた。
「あら……」
すると、女性はデビットに向かって軽く頭を下げた。
デビットも、軽く会釈をした……
「立ち話もなんです。家の中へどうぞ。」
老婆は家の中へ入るようにと、手招きして微笑んだ。
「メルばあちゃん、この人、怪我してるんだ。」
ハルはデビットの右腕を彼女に見せて言った。
「それは大変ね…。今、奥から薬草を取ってくるから、そこに座って。」
「はい。」
老婆は、デビットにイスを勧めて、部屋の奥へと入っていった。
デビットは勧められるままに、イスに座った。
老婆は部屋の奥から出て来ると、机の上に置かれたかごの中身を確かめた。
かごの中にはハルが摘んできた特産キノコがある。
「キノコ10個……。確かに受け取ったわ。ハルごくろうさん。」
彼女は微笑んで、ハルにわずかなお金を手渡した。
ハルはお金を受け取って、わずかに頬を染めた。
「あら……?」
すると、老婆は、あることに気づいたらしい。
急にハルの方を向いて頬をふくらませた。
「あなた、私の渡した短剣はどうしたの?」
ハルは、それを聞いて『しまった』という顔をした。
老婆は呆れたように、ため息を吐いた。
「ドスランポスが襲ってきたからさ……」
「言い訳は無用です。剣をなくしたのは、あなたの実力不足。」
彼女はそういって、懐から小さな剣を取り出して、ハルに与えた。
「外で練習してきなさい。」
「はい……。」
ハルは小さくなって外へと出て行った。
「さて、さて……」
老婆は小さな箱を抱えて、デビットの前のイスに腰掛けた。
「あなた、名前は?」
「デビットです。」
彼はそういって、右腕を差し出した。
「深いわね。」
彼女は、箱の中から薬ビンを取り出して、傷口に塗り付けた。
瞬間、デビットの腕がびくんと跳ねた。
「ちょっとしみるわよ。」
「く……。」
デビットは痛みをこらえて、治療が進むのを見つめた。
老婆は、最後に薬草の汁が染みた葉を、腕に巻き付けてくれた。
「はい。これでお終い。」
「すみません。助かりました。」
デビットは深く頭を下げて、お礼を述べた。
「いいえ。とんでもない。困っている人は助けなきゃ。」
老婆はそういって微笑んだ。
「ドスランポスに襲われたんですってね。」
薬箱を棚に戻しながら、彼女は、急に遠い目で外の方をながめた。
「え、えぇ……」
デビットも彼女の視線の先を追うように、外を眺める。
そこでは、少年が手にした短剣を一生懸命に振るっていた。
「あの子が助けたのね……?」
彼女はまるで、自分の子供を心配する母親のように、深い溜め息を吐いた。
「ええ。」
デビットは頷いた。
「そして、あなたは今、私に聞きたいことがある。違うかしらね?」
彼女は、デビットの顔を見て言った。
デビットは一瞬、驚いた顔をして、ふっと笑った。
「…ええ。そうです。何故分かったんです?」
「年寄りの“感”よ…。長く生きれば、あなたの顔を見ただけで自然と分かることもあるわ。」
老婆は、ぎいと小さくイスを揺らして、デビットの方を見た。
「二つ……。聞きたいことがあります。」
デビットはじっと彼女の目を見て言った。
「まず一つ…。あなたがここの村の村長?」
「ええ。そう……。女性が長を務めてはいけない?」
「いえ。」
デビットは首を横に振った。
「本当はね。ここの村の村長は男だったわ。でも8年も昔に彼は死んだ…。それからはずっと私が、ここの長……」
彼女は遠い目をして言った。
「そうですか…。」
「私はメラニー。ここの村長よ。よろしくしてちょうだい。」
彼女はそういって軽く頭を下げた。
「まだ、聞きたいことがあるのね?そっちの方が重要な話しになりそうだわ。」
メラニー村長は、そういって椅子に深く腰掛けた。
すると、デビットは2人の間を挟む机の上に『どしん』と自分のボウガンを置いた。
「これは…?」
メラニー村長は不思議そうに、そのヘビィ・ボウガンを眺めた。
それは、折りたたまれずに、真っ直ぐ組み立てられたままだった。
「これを、彼が使いました。」
デビットは横目で、外で剣を振るう少年を眺めて言った。
メラニー村長は、驚いたように目を丸く見開いた。
「そうですか……。」
「彼は、組み立て方は知っているのに、分解の仕方を知らなかった…。モンスターに終われた時は動きやすいように折りたたむのが常識です。」
「でも、彼はこれを、このまま持って走りました。」
「彼は、これに触るのが初めてですね?」
その問い掛けに、メラニー村長は、小さく頷いた。
「えぇ…。そうよ。私はあの子にボウガンを触らせたことは無いわ。」
彼女はやたら下の方を見つめて言った。
すると、デビットはポケットから何かを取り出して、そっと机の上に置いた。
―カラン…
机の上に乾いた音を立てて転がったのは、1発のボウガンの弾だった。
「私は飛竜に追われていました。」
その1発の弾を、不思議そうに眺めるメラニー村長に向かって、デビットは口を開いた。
「少年とドスランポスに遭遇したとき、あいにく、私の手元には、この1発を含めた3発の弾しか持っていなかったのです。」
「私は腕を噛み砕かれ、ボウガンはにぎれず、代わりにあの少年がドスランポスを撃ちました。」
デビットの説明を聞きながら、メラニー村長は机の上からパイプを引き寄せて、そっと火をつけた。
「つまり、あの子が、たった2発の弾でドスランポスを倒したとでも?」
―ふぅぅうう
パイプの先から、紫色の煙がふわりと浮いた。
「そうです…。」
デビットはじっと彼女の顔を眺めて頷いた。
「彼は、一体何者ですか?」
デビットは、目をすっと細めて彼女を見つめた。
メラニー村長は、またパイプを深く吸い込んで、吐き出した。
「ただの男の子よ。」
「でも、彼はあなたの子供ではありませんよね?」
デビットの声は低く澄んでいた。
「あなたは竜人族。彼は普通の人間……」
「そして、彼の本名は《ハル》ではないですね?私が知る限り《ハル》とは《伝説のガンナー》の名前ですよね?」
―ふぅぅうう
まるで彼女がため息をはき出すかのように、パイプの煙が天井へと上がった。
静かな時間が2人の間に流れた。
煙に隠されて、メラニー村長の表情がよく分からない。
まるで、彼女の顔の曇りを隠すように、煙だけがふぅと立ち上がった。
「……拾ったのよ。」
そして、彼女の口から小さく声がした。
「拾った?」
デビットは不思議そうに眉を潜めた。
「ええ…もう6年も前にね……。」
老婆は小さく頷いて、パイプをふかした。
「その時の話し…詳しくお聞かせしていただけませんか?」
「ええ…。いいでしょう……。」
メラニー村長はパイプを口から離すと、ゆっくりと口を開いた。
「6年前、この近くをよく『街』へと向かう車が通ってね…。その車が、砂漠の真ん中で角竜に襲われる事件が起きたの。」
「角竜……というとディアブロスですね?」
「ええ。そうよ。」
ディアブロスとは、砂漠に生息する大型の《飛竜》だ。
頑丈な甲殻は、業物と呼ばれる大剣や、鉄鎚(てっつい)の中の鉄鎚と呼ばれるハンマーすらも全く受け付けないことから、熟練ハンターですら畏れる存在だ。
非常に発達した『2本の角』を持つことから、別名《ツノリュウ》とも呼ばれている。
「事件に巻き込まれた車に乗っていたのは、ほとんどがハンターズギルドの街へ向かうハンターだったわ。」
「でも、彼らはディアブロス相手に全滅……」
「私たちは、その話を聞いて、慌てて現場に向かったの………」
天に高く昇った太陽が、ぎらぎらと輝いている。
暑い真昼の日差しの中……
そこには散々たる光景が広がっていたわ……
「こいつは…ヒドい…」
私の隣りに立った、一人の村の男がつぶやいた。
「そうね……。」
破壊された車の木くずや車輪の残骸が、黄色い砂に埋もれている……
それらはまるで、助けを求める手のように天に向かってまっすぐに伸びている…
「村長、ダメです!死んでいます!」
村の男が地面に倒れているハンターを抱えて起こした。
彼の側へ私が行くと、彼はそっとハンターの鎧の面を外した。
「うっ……」
私は、ハンターの顔をのぞき込んで、思わず目を伏せた。
「他のハンターも皆、同じね……?」
口に手を当て、なるべく死んだハンターの顔を見ないようにして、私は言った。
「ねぇ…おばぁちゃん……」
そのとき、急に私の服の端っこを引っ張る者がいた。
「リサ…見ちゃダメですよ…。」
私は自分の孫娘(まごむすめ)の目を手でそっとふさいだ。
「生存者はいないんだね……?」
私は通りかかった村人に尋ねた。
「はい。ハンター達は皆……」
「そう……。じゃあ、ハンター達からは鎧を脱がせてあげて、花を添えて埋葬(まいそう)してあげてちょうだい……。」
「わかりました…。」
彼は私に一礼すると、さっとその場を離れてゆく……
「ねぇねぇ、おばぁちゃん。」
その時、不意にリサが私の手を引いた。
「どうしたの?」
私が問うと、リサは、車の残骸を指差した。
「あそこに男の子が寝てるよ。」
「その時に見つけたのが、あの子……」
メラニー村長は、じっと外で剣を振るう少年を眺めた。
「なるほど……。」
デビットが静かに頷いた。
「あの子ね…拾った時から名前が無いの……。自分の生まれた村の名前すら知らない…かわいそうな子……」
「記憶喪失……ですか?」
デビットは尋ねた。
メラニー村長が、パイプの火をそっと消しながら頷くのが見えた。
「デビットさん…。あなたは、私に“彼は何者か”と尋ねたわね?」
「ええ…。」
「残念だけど、私にも彼が何者なのか答えられないのよ…。」
「そうですか……。」
デビットは、大きな溜め息を吐き出した。
「残念そうね……。」
老婆は、彼の顔を見つめて言った。
「ええ…。最初にあのボウガンの手捌(てさば)きを見たとき……私は彼に天才的な才能があるように見えました。」
「名前を聞いたとき、彼が伝説のガンナー《ハロルド・シアン》の息子ではないかと思ったんです。」
「デビットさん…。あなたに聞きたいことがあるの……。」
残念そうにうなだれたデビットを見つめて、老婆が言った。
「何でしょうか……?」
「あなたは、伝説のガンナーの息子に会いたいようですが、もし、会ったらどうするんです?」
メラニー村長は、まるで心配事を抱えた母親のような瞳でデビットをじっと見つめた。
それを見て、デビットはふっと笑った。
「どうもしませんよ。」
「どうもしない?なら、どうしてあの子の正体を知りたかったのです?」
「ちょっとした好奇心です。取って食おうなんて考えてませんよ。」
デビットは笑いながら言った。
「同じ《ヘビィ・ボウガン》を扱う者として、伝説のガンナーの話を聞きたかっただけです。ハロルド・シアンの思想や、彼がどうして“行方不明”になったのか真相を聞きたかっただけです。」
デビットは寂しそうに笑った。
それを見て、メラニー村長は急に思い詰めたような顔をした。
「では、私はもう、用事が済んだので。」
デビットはそう言って立ち上がった。
「この村に長居は無用です。」
彼は、机の上に置かれたヘビィ・ボウガンを手に取ると、折りたたんで背中に背負った。
メラニー村長は、何も言わず彼の顔を見つめていた。
「できれば、この村でボウガンの弾を売っている場所を教えていただけますか?もう、一発しかないので…。」
デビットはそういって、机の上に乗った一発の弾を手に取った。
「それに……コイツは、記念にしまっておきます。」
彼はそれをポケットの中に入れた。
そして、哀愁漂う笑みを浮かべ、彼女に背を向けた。
「デビットさん…。」
すると、メラニー村長はかすれた声で彼を呼び止めた。
「あなたにお願いしたい事があるの…。ちょっと来てもらえないかしら……?」
彼女は、そう言うと、奥の部屋へと入っていった。
「………」
デビットは、しばらく老婆の背中を眺めていたが、ふぅと溜め息を吐いて、彼女の後ろをついて行った。
(やれやれ、何をお願いされるのか……)
黙って彼女の後ろをついて行くと、メラニー村長は大きな棚の前で止まった。
さっき、薬を取り出した大きな棚だ。
彼女は棚から、かなり大きな木製の古びたケースを取り出した。
それを、彼の目の前に差し出す。
「これは……?」
デビットが尋ねると、老婆は黙ったままそれを、ぐい、と彼に押しつけた。
“開けてみろ”と言っているらしい。
デビットは、溜め息混ざりにそれを受け取ると、地面にどしんと置いた。
しゃがんでケースを眺める。
ほこりまみれの汚いケースだ。
彼は、ほこりを払って、そっとケースのふたを開けた。
中から出て来たのは、立派な鉄の芸術だった。
「これは…《ヘビィ・ボウガン》!?」
それは、マカライト鉱石がおりなす蒼のフレームに、真紅に輝く装飾をほどこした見事なヘビィ・ボウガンだった。
「凄い…。こんなの初めて見る……。」
デビットは感動を隠せない様子で、メラニー村長の顔を見た。
「どうしてこれを私に?」
彼が問うと、彼女は、なぜか寂しそうな顔をして「出してみて」と言った。
「………。」
デビットは言われた通りに、それを取り出した。
「これは……構造自体はアルバレストにちょっと手を加えただけですね。でも…これが一体どうしたんですか?」
デビットはメラニー村長が、どうしてこれを自分に見せたのだろうと思った。
「そうね……。でも、ここを見てみて。」
彼女は、そう言って、さっさとフレームの裏側を指差した。
デビットは、彼女が自分に何かを伝えようとしているのだと悟った。
「……これは…!文字が彫ってある!」
エス ペ ラン ト ハル シアン
「Es…pe…ran…to…。Hal・Cyan……」
デビットは、そこに彫られた名前を読み上げた。
そして、がばっと顔を上げると、メラニー村長を凝視した。
「これは…!!?」
デビットは目を丸く見開いて、村長の顔を見た。
「6年前…ハルを拾った時に“あの子”が持っていたものよ。」
「そんな!まさか!!」
デビットは驚愕と疑いの表情をメラニーに向けた。
「疑ってるのね。無理もないわ…。」
「あの子は、ディアブロスに破壊された車の側で、眠るように横たわっていたのよ。それを大事そうに抱えて、ね……」
「その名前が彫られているのを見つけたのは孫娘のリサよ。」
「リサが、絶対名前は“ハル”なんだと言ってきかないものだったから……。だって…あの子はいくら名前を聞いても答えないのだもの……」
彼女はどこか懐かしく、悲しむように言った。
「そのボウガンは、ハロルド・シアンが《ラオシャンロン》との決闘の時に使ったものらしいわね……。」
メラニー村長が静かに言った。
「ご存じだったのですか?」
デビットは尋ねた。
「あなたこそ。よくそんなものを知っていたわね。」
「ええ…。古い友人が詳しかったもので…。」
「………」
それっきり、2人の会話が途絶えた。
デビットはヘビィ・ボウガンを見つめたまま、何かを考え込み、メラニー村長もまた、デビットの背中を見つめたまま、何かを考えているようだった。
「彼と話しがしたい……」
デビットは、外の方を眺めて言った。
メラニー村長も、外で剣を振るう少年の姿を見つめた。
すうっと目を細める。
「そうね……。話がしたいでしょうね……。」
彼女は、ふうっと溜め息をもらしながら言った。
「でもね…あの子は何も覚えてないの。今が幸せなのよ。あの子は、この村の子として生きてきたわ。少なくてもこの6年はね……」
「……」
デビットは黙ったまま、少年の姿を眺めた。
「でもね…そろそろこの話をしなくちゃならないのかもね…ハルももう16よ…」
彼女は、どこか、寂しげに空を見上げた。
「6年なんて月日は早いわね…。あの子も旅立ちの時なのかも……」
そして、彼女は、そっとデビットの背中を押した。
“行きなさい”と言っているのだ。
「………」
デビットは、決意を胸にすっと立ち上がった。
ゆっくりと、メラニー村長の家を出る。
まぶしい日差しが、急に彼を襲った。
「暑いな…」
後ろを向くと、玄関の前で腕を抱えたメラニー村長が、心配そうに見つめていた。
(……)
デビットは、深呼吸してから、前へと歩き出した。
少し前に、剣を振るう少年がいる。
彼は、少年のすぐ側で、しばらくそれを眺めた。
「ハルくん。少し聞きたいことがあるんだが……今、いいかな?」
デビットの姿を横目で確認して、ハルは、にこりと笑った。
「なんですか?」
ハルは、そういったものの、剣を振るう手を休めるつもりはないらしい。
デビットの耳に「シュッ」という、風を切る音が聞こえてきた。
「………6年前…何があったか教えてくれないかな…?」
瞬間、凍り付いたようにハルの手が止まった。
ハルの冷えたような虚ろな目が、宙を泳いでいた……
「………」
しばらく、時が止まったように2人の会話が途絶えた。
『ジーワ、ジーワ……』
どこかで虫が鳴いていた。
「さぁ?知らない。」
そう言ってから、少年は困ったように、にかっと笑った。
(……ハルくん…君はまさか……)
「あー!こんなところにいたんだぁ!!」
急に彼らの背中から、黄色い声が響いてきた。
「げっ…」
その声を聞いた瞬間、ハルはぎくりと体を強張らせた。
後ろを向くと、そこには栗色の髪を肩まで伸ばした少女が立っていた。
年は16歳くらいだ。
ハルの姿を見るなり、彼女は愛らしく頬を膨らませて、こちらにやってきた。
「また狩猟区に入ったんでしょ!あれほど危ないからやめなさいって言ったのに!」
「り、リサ……だってよぉ!」
「だってよじゃないわよ!」
ハルの言葉をぴしゃりと押さえて少女が口を尖らせた。
「ろくな装備もないんだから…もしモンスターに襲われたらどうするつもりなの!?」
(…ガールフレンド?)
デビットは、少女とハルを見比べた。
瞬間、ハルの青い目とデビットの目が合った。
「デビットさん!悪いんだけど、この話はあとで…」
そう言ったハルは、だっと走り出した。
「あ!こらぁ!また、そうやってあたしから逃げる気!?」
少女は頬をふくらませてハルを追った。
「………」
一人取り残されたデビットは、ただ呆気にとられて2人の背中を見つめていた。
「わかっただろ?あの子は過去なんて関係ないのさ……」
後ろから不意に声をかけられてデビットは振り返った。
「…メラニー村長……」
「過去にあったものなんか、今のハルにはないの。“ハル”は“ハル”なのよ……」
デビットの側に歩み寄ったメラニー村長は、そう言って空を見上げた。
「………」
彼は何も言わずに、同じように空を見上げた。
紺碧の空の中に、一筋の真っ白い雲が流れていった……
第3章「目覚め」
彼女は、いつものように村の前で山菜を集めていた。
がさがさがさ……
今日は風が強いわけではないのに、急に木々が大きく揺れた。
「だ、だれかいるの…?」
彼女は視線を感じて、おそるおそる声を上げた。
がさがさがさ……
木々が揺れる。
「な、何よぉ…誰かいるんでしょ!?」
彼女の声は次第に大きくなる。
瞬間、木々を掻き分けて大きな顔が現れた。
人の頭よりも大きな眼が、ぎょろりと彼女を捕らえた。
「きゃぁぁぁああああああ!」
―ざぁぁぁあああ…
木々がいっそう強く揺れた。
流れる雲を、ただ見つめていた。
真っ青に広がる空を、ゆっくりと白い綿雲が流れてゆく…。
「もう、ハルってばぁ!どこ行ったのよぉ!」
下の方から声が聞こえたが、誰が呼んだって、彼はろくに返事もしなかった。
彼の隣りに、布でくるんだ短剣がある。
屋根の上に寝そべって眺める空は、どこまでも果てしない。
「ハンターかぁ……」
ハルは、ぽつりとつぶやいた。
「よう。ハル!やっぱりここかぁ!」
すると、急に頭の方から声がした。
ハルは上半身だけ起こして、声のする方を見た。
そこには、ハルと大して年の変わらない少年が、さわやかともいえる笑みを浮かべて立っていた。
「シド…。」
「どうしたんだよ?そんな顔して。」
「…な、なんでもないよ。」
ハルはそう言って、そっと剣を引き寄せて、彼が横になるスペースを作った。
すると、少年2人は、横になって空を見つめた。
「また狩猟区に入ったんだってな。」
シドが笑いながら言った。
「う、うるさいな。リサみたいなこと言うなよ。」
「はは。おまえはリサに気に入られてるからなー。昔っからだよ。…そう…おまえが、この村に来たときから…。」
『ジーワ、ジーワ…』
どこかでセミが鳴いている。
「もう6年も経つんだな……」
「ああ。」
ハルは、遠くを見つめて相づちを打った。
隣りに寝そべった少年…
シドこと、シドニーとは古くからの友人だ。いわば幼馴染みというヤツだ。
「おっきい雲だなぁ。」
シドニーが、ぽつりと言った。
「ああ。」
見ると、遠くに大きな入道雲が見えた。
「でっかいな…」
ハルは返事をして、空に浮かぶ巨大な白を眺めた。
それはまるで、青い大気を丸ごと包んで消してしまうほど大きな白だった。
(この世界で人はどれだけ大きくなれるんだろう?)
この時代…
人日との生活は、全てにおいて飛竜の存在が関わっている。
ワイバーン〈飛竜〉とドラゴン〈龍〉は、太古から災いや悪魔と畏れられ、人々とはそれらから身を守ることで生きてきた。
人々は村や街を形成し、それらを高い壁や砦、または天然の要害によって保護し、飛竜たちの襲撃をまのがれてきた。
ハルの生まれる50年も100年前は、人は飛竜に対抗する術(すべ)を持たなかった。
それより太古になると、ドラゴンを自在に操り、支配していた時代もあったのだが、それは既に滅びて、今では伝説となってしまった。
結果、人は自然界の中で、最も貧弱な生き物だったのだ…
しかし、ある時。
その定義を覆(くつがえ)す者が現れた。
一人の若い男が小さな剣と盾で、これまで人々が恐れとしてきた〈飛竜〉を倒したのだ。
《ココットの英雄》の登場だ。
まるで、革命ともいえる出来事のせいで、ハンターという職業が定着したのは、彼の活躍があったからこそかもしれない…
(ココットの英雄…。あの人は、ハンターを職として作り上げたから、でっかい人間になったんだ…。)
ハルは、すっと手を空に伸ばしてみた。
自分の指の隙間から、真っ白に天高く昇った入道雲が見えた。
(だったら俺は、どこまででかくなれるんだろう。)
ハルは、もくもくと昇る雲をしばらく見つめていた。
隣りに寝そべったシドニーは、そんなハルを隣りから黙って見ていた。
「俺さ……」
急に、ハルが声を出した。
「?」
その声のうわずった感じや、いつもとは違う声のトーンを聞き分けたのか、シドニーはハルの顔を不思議そうに見つめた。
「俺さ、ハンターになりたいんだ。」
(……!)
シドニーは、驚いたような表情でハルの顔を見た。
ハルは、満足そうに高い空を眺めている。
「ふぅん。そうか…。」
彼はぶっきらぼうに答えた。
どうしたことか、シドニーは残念そうに、あきらめの笑みを浮かべているようだった。
「な、なんだよ。なにか文句でもあるのかよー?」
ハルが問うと。シドニーは、急に寂しそうな目でハルを見た。
「……別に。」
その素っ気ない言い方が、妙に腹立たしくてハルは身を乗り出した。
「なんだよ。その言い方!文句があるならちゃんと言えよなー?」
―ゴウゥ
「…!」
刹那、ハルの頭の上を何かが通り過ぎた。
半身を乗り出してシドニーの方を向いていたハルの横顔が急に日陰に入った。
そして、大きな翼を持った何かが空を飛んでいくのが見えたのだ。
「……今の…!」
ハルは、その姿に見覚えがあった。
間違いない。
村の北の方に飛んでいった。
ハルは突然、剣を手にすると立ち上がった。
そのまま、何も考えずに屋根から飛び下りる。
「ちょ…待てよハル!どうしたんだよ!」
それを見たシドニーも、慌てて屋根を飛び下りた。
―タンッ!
足に衝撃が駆け抜ける。
屋根から地面までは2~3mはある。
その分の衝撃が、ビリビリと両足にかかった。
「くっ。」
ハルはぐっと歯を食いしばって走り出した。
「!!」
その様子を、少し離れたところから見ていたデビットは、何か異変が起きているということを瞬時に悟った。
「ハルくん、どこに…」
デビットはハルを追って走り出そうと、前屈みに体勢を崩した。
「待ちなさい。」
しかし、彼の手をメラニー村長がしっかりと掴んでいたので、彼は走り出すことができなかった。
「やれやれね……。」
メラニー村長は、幼い子供を諭すようにして、首を横に振った。
「状況を把握してからでも遅くはないでしょ?」
彼女は、デビットが背中のボウガンに手をかけているのを、しっかりと見ていたのだ。
これが意味することはハンターじゃなくても、たいてい理解できる。
「……しかし…」
「わかってるわ。」
焦るデビットを押さえて、メラニー村長は静かに言った。
「…あの子は大丈夫よ。」
「―村長!」
瞬間、後ろから男が走ってきた。
「北の森に飛竜が……。もう村の目の前にヤツが来てるんだ…!」
ぜいぜいと荒い息を吐きだして、男が言った。
「被害は?」
メラニー村長は、全く焦る様子を見せずに尋ねた。
「女が一人、襲われた。」
「うちの村の者ね?」
「そうです。南に住んでるエルシーが…」
村の男は、ようやく息を整えて言った。
「ああ…。よく山菜を集めているあの娘ね。気の毒に…」
「村長!このままヤツを村に入れるわけには…」
「わかってるわ。あなたはこれから少し私のお手伝いをして。」
「はい。わかりました。」
「まず、できるだけ安全なところに逃げるように皆に…。そして、戦える者をここに集めて。」
「わかりました!今すぐ……」
男はそう言うと、さっとどこかへと走っていった。
そして、ようやく、彼女はデビットの方を向いた。
デビットは、やや不機嫌に騒がしくなる村の様子を眺めていた。
「あなたも、戦うのね?」
黙ったまま頷く。
「あなたに好き勝手動かれるのも困るのよ。」
メラニー村長はそう言って、小さな袋をデビットに差し出した。
おそらく、彼女の言葉は「外者は手を出すな」という意味なのだろう。デビットは不満を隠しきれない表情で、差し出した袋を見つめた。
「勘違いしないで。あなにも手伝ってもうつもりなの。人手不足でね。邪魔者扱いしているわけじゃないわ。」
彼女はそう言って、彼にそれを手渡した。
「弾が何発か入ってる。村の西に見張り用の高台があるわ。」
「…ありがとう。」
デビットは、メラニー村長から少し目を逸らしてお礼を述べた。
そして、袋を受け取ると走り出した。
「どけ!どいてくれ!」
ハルは、逃げまとう村人たちを掻き分けて前に進んだ。
何人かの村人が、簡易的な防具を身に着け、手には小剣や、弓を手にしてハルの前を走って行くのが見えた。
(村のハンターだ…!)
「さっきの飛竜……」
この騒ぎだ。
村の中で何かが起きている。
きっとそうに違いない…
ハルはぎゅっと手にした剣を握りしめた。
―ゴォォオッ!!
・・・
瞬間、ハルの隣りにあった家が沈んだ。
「!!」
「ああぁぁぁぁ……」
目の前に、赤い肉塊となった女性が転がっていた。
彼女は、血を口からだらだらと流しながら、こちらを見ている。
「あ……」
あごが、がくがくと震えるたび女性の口から赤い液体があふれてくる。
何が起きたのか、ようやく理解した。
真っ赤な炎が、空から“降ってきた”のだ。
―ひたり……
女性の真っ赤な手が、ハルの足に触れた。
ハルは、しばらく焦点の合わない目で、足下の肉塊を見つめていた。
「あうぅ…」
それは、ぶるぶると震えて、やがて言葉を失った。
「くッ!」
ハルは何も考えずに走り出した。
(何だよ…なんだよ。これは……)
―なんなんだよ!
「アレか!」
デビットは、村の西に見える大きな“見張り台”に向かって走った。
地上から数メートルも木を組んで作った高台の上に、小屋がある。
小屋まで上ると、備え付けの小さなボウガンがあり、どうやらこれで村に近づく飛竜を追い払っているらしい。
デビットは小屋の上から、村全体を見渡した。
(竜が出たのは北の森か…)
デビットは、メラニー村長と村人の会話を思い出して、背中から巨大なボウガンをすっと下ろした。
慣れた手つきで、ボウガンから《スコープ》を取り外す。
それを望遠鏡代わりに使うのだ。
ボウガンに使用される《可変倍率スコープ》は、この時代の望遠技術の結晶だと言える。
ライトクリスタルよりも純度の高い、透き通ったノヴァクリスタルを凹凸状に削り出し、職人がきれいに磨いているため、かなり遠くまで見ることができる。
デビットは木々の間を縫うようにして森を眺めた。
既に倍率は最大望遠だ。
「!!」
刹那、デビットの目に赤い炎が飛び込んできた。
驚いてスコープから目を離した。
「飛竜のブレスか!」
村の一角が、炎の海に包まれていた。
「……ちっ。」
デビットは舌打ちして、赤く染まる木々の間にスコープを向けた。
(見つけた!)
スコープの中に、飛竜独特の赤い鱗が飛び込んできた。
「コイツは…」
鳥のような細い足に、黄色いくちばし…
それに、えりまき状の大きな耳……
「《イャンクック》か!」
デビットは、その飛竜をよく知っていた。
イャンクックと言えば、森と丘、ジャングルを中心に生息する小型の飛竜で、《怪鳥》と呼ばれている。
小柄な体で、体力や持久力はあまりない。
ハンターたちの間では、イャンクックを狩れて初めてハンターとして認められるほどなのだから“ハンターにとって”は朝飯前ぐらいの丁度良い相手だ。
だが、こうして村や小さな集落に攻めて入られると、飛竜に対抗する術のない村人たちにとってはイャンクックですら脅威と化す。
村は悲鳴と混乱に満ちていた。
(どうしてこんな村の近くまでイャンクックが……?)
イャンクックは、普段大人しい。
なわばりを荒らすハンターには好戦的に攻撃をしてくるが、こちらが害を与えないと分かると、人の側で虫を食べたりもする姿も稀に見られる。
自身が危機にさらされると、すぐに逃げ出そうとする気の弱い飛竜で、人が集まる集落を襲うことは滅多にない。
「ダメだ!野郎…完全にイっちまってる……。」
デビットは、イャンクックの目を見て言った。
イャンクックの目は、光を失って怒りの炎を燃やしていた。
(なんでだ?どうしてだ?)
デビットは、何故イャンクックがあんなに怒っているのかを突き止めようとした。
(まさか、村のすぐ近くで狩りをしたヤツがいるのか?いや……)
「!!」
スコープから目を離したデビットは、北の森の上空を舞う2つの影を見た。
一方は蒼い鱗に、巨大な翼……
そして、もう一方は淡い朱の大きな火竜。
(アイツだ…!アイツらが来たからだ!)
デビットは、ボウガンを背負うと、慌てて見張り台を駆け下りた…。
―ザッ…
ハルは走っていた足を急に止めた。
「待ってくれよォ。ハルぅ…、置いてくなよ…」
シドニーが、ぜいぜいと息を弾ませて、ハルの肩に手を置いた。
そのまま、下を向いて呼吸を整える。
「どうしたんだよ、そんに急いで…。」
彼は、弱々しい笑みを浮かべながら、ハルの顔を覗き込んだ。
「うっ……」
そして、言葉を失った。
シドニーが、今まで一度も見たことがない、ハルの目……
険しい目。冷えた目…
いつもは、わずかに紅潮している柔らかそうな頬―
今は凍り付いたような固い色。
見た者の心臓を、貫くような冷えて尖った視線―
それを見たとたん、シドニーは蛇に睨まれたように黙り込んだ。
「ど、どうしたんだよぉ……?」
今のハルが、まるで別人に見える。
「そんなおっかない顔して…」
震えた声。
何か悪いことが起きている。
そんな事は誰に聞かなくても、ハルの目を見れば分かる。
それなのに、ハルに尋ねるのは心の動揺か?怯えか…
いや…たぶん、目の前の現実を受け止めたくないだけだ。
世界が、紅蓮の劫火に包まれていた。
子供の頃からの遊び場だった村の大木が…。いつも心を和ませてくれるあの桃色の花が、ちりちりと火の粉を上げて燃えてゆく。
すべてが燃えてゆく…
お気に入りだった葉っぱの日陰。虫を取った草むら。秘密の隠れ家…
あの日の思い出が、6年間ハルと過ごした日々が、走馬灯のように駆け巡っては紅蓮の炎に掻き消された。
「…ハルぅ…」
シドニーは、今にも泣き出しそうな声を出した。
ひたりひたりと、大きな足が、一歩ずつこちらに迫っていた。
「《イャンクック》……」
ハルは、ぽつりとつぶやいた。
『クオッ、クワッ、クワッ!』
空気をびりびりと震わせる声が、燃える世界の中で響いた。
ソイツの口から、こうこうと赤い炎が吹き出していた。
「あ…ああ…」
シドニーは、がくがくと膝を震わせて後退りした。
『フッ…フッ、フッ…』
口から炎が息のように吹き出している。
イャンクックは、焦点の合わない白く濁った眼をこちらに向けている。
「………」
ハルは、イャンクックを睨み付けて、すっと、右に持った剣に手をかけた。
「…シド。“お前は”逃げろ。」
剣をくるんだ布をぱらぱらと解いてハルは言った。
布の中から、鋭い剣が姿を現した。
「え…?なんで…」
どうしてよいのか分からずに、シドニーはおどおどと体を動かした。
「あいつをこのまま、村に入れるワケにはいかない。」
ハルの目は、どこか冷えきっていて冷たい。
「炎に囲まれた逃げ道もなくなる…。行け。」
「でも……」
シドニーは、家に一人で留守番をするように頼まれた子供のように、不安げな瞳をハルに向けた。
「逃げろ。いいな?」
ハルは、そんなシドニーを押し退けるように、強い口調で言った。
(そんな…ハル…お前はどうするんだよぉ…)
目の前の友人は、自分を逃がすためか…
それとも別の目的の為なのか。
ハルの思考に、「自分と一緒に逃げる」という選択肢はないのだろうか…?
「何でだよ…」
シドニーは喉の奥でつっかえていた声を、ようやく絞り出した。
最初は、蚊の泣くような声だったシドニーの声は、気持ちの高揚と同時に大きなものとなってあふれてきた。
「どうして、ハンターなんだよっ!」
燃え盛る炎の中に声は響いて、虚しく消えていった。
パチパチと草木が燃えてはじけた。
「………」
ハルは黙ったまま、シドニーに背を向けている。
手には、メラニー村長から授かった、少年には少し大きな剣。
最初は小さく見えたのに、ハルの小さな背と比べると今は大きく見える。
「性能を…」
ハルは、こちらを振り向いて困ったように悪戯な笑みを浮かべた。
「“性能を、試されているのかもしれないな。”」
張り詰めた空気が、わずかに緩やかなものになった。
ハルの顔に再び少年らしさが取り戻されて、シドニーは、この一瞬だけ“いつものハルに出会えた”ような気がした。
―ゴォォオオオオッ
地響きのような唸り声と、炎が2人の間を遮(さえぎ)ると、ハルは再びあの冷たい目でシドニーの前に立っていた。
「お前は逃げるんだ。シド。」
「ハル…」
シドニーは、心の中の焦りが、どんどん大きくなっていくのを感じた。
居ても立ってもいられないような苛々。
それなのに、自分は何も出来ない。
ハルの手には、燃えるどす黒い炎を映して、静かに光る剣がある。
「くっ…!」
シドニーは、空の手をぎゅっと握りしめて、ハルに背を向けた。
走り出してから、彼は、後ろを振り返ることはなかった…。
「ちくしょォ!」
シドニーは泣き叫ぶように、裏返った声を上げて走った。
(ハル…なんでハンターになるんだよ!?)
この村で、ハルとシドニーは色々な点で“幼馴染み”だった。
同じ年に村に来て、同じ遊びをして…
危険だと知りながらも一緒に狩猟区にだって入った。
(それなのに…どうして…)
「ちっくしょォォオオ!」
シドニーは、声の出る限り大きな声で叫んだ。
『“なんだって一緒だったのに、どうしてアイツに“引け目”を感じなきゃならないんだよ!!?”』
心の奥から響いてくる、世界を揺るがすほどの大きな声が、シドニーの頭の中でぐるぐると反響した。
いくつもの絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜ合わせたような、どこか嫌な、不自然な気持ちがする。
早く忘れたいのに、ハルの言葉は鮮明に頭に蘇ってくる。
『“性能を……、試されているのかもしれないな…”』
「バカやろぉぉおおおおお!!」
世界に響き渡る声で、シドニーは泣いた。
『“ハンターになるなんて、命を捨てるようなものよ…”』
昔、母親から言われた言葉を思い出した。
「僕、大きくなったらハンターになるんだ。」
幼い頃は、男の子なら誰でも一度は“ハンター”に憧れるものだ。
シドニーが、自分の大きな夢を母親に明かすと、母親は何を言っても「うん」とは頷いてくれなかった。
やたらと視線を落として、影を帯びた表情で、“あの”台詞を言うのだ。
「どうしてハンターはダメなの?」
暗い表情をした母親に向かって、シドニーは幼心に尋ねたことがある。 すると、彼女は暗い顔をして口を開いた。
「ハンターはね…。一度狩りに出たら二度と帰ってこないの…。」
幼かったシドニーには、その言葉の意味が分からなかった。
どうして狩りに出たら帰ってこれないのだろう?
シドニーは、その疑問を長い間、胸の内に秘めていた。
だが、今は母の言葉の意味が痛いほど理解できる。
ハルの冷たい目。
黒く鈍い光沢を放っていた剣。
そして、防具も身につけずに炎の中に立つハルは、まるで―
得体の知れない塊が、終始、胸の奥を押しつけてくる。
いくら走っても走っても、まとわりついてくる不安と焦燥を取り除けない。
このまま、誰ともぶつかることがなければ、シドニーは永遠に走り続けたかもしれない。
「うわぁ!」
ドンッと大きな声を立てて、シドニーは転んだ。
しりもちをついて、地面に転がったシドニーの目の前にすっと手が差し出された。
「君、大丈夫かい?」
シドニーの前に立った男の背には巨大なボウガン…
それを見た瞬間、シドニーは瞳に涙を浮かべて男にすがりついた。
「ハルを―。ハルを助けてください!」
「ハルを助けて下さい。ハルを助けて下さい!」
デビットは、大きく目を見開いて、泣き泣き頭を下げるシドニーを見つめた。
「ハルは死ぬ気なんだ!助けて下さい!」
シドニーは祈るような気持ちで頭を下げ続けた。
前に立った男は、腕と頭にこそ防具はなかったが、腰下と胴には、鈍い光沢を放つ鋼の鎧が静かに燃える炎を映していた。
村のハンターたちだってボウガンは持っていたが、男の持つそれは、今までシドニーが見た事もないほど立派で大きかった。
「お願いしますっ。俺の友達が…ハンターでもないのにイャンクックと戦っているんだ。お願いします!」
シドニーの言葉を機器ながら、男は黙ったまま遠くの方を眺めていた。
「“ハル”って“あのハル”か?」
しばらくして男の声がした。
「え?」
デビットの言葉に思わずシドニーは聞き返した。
知らない顔、知らない声、こちらの名前も知らないはずなのに、確かに目の前のハンターは“ハルについて尋ねてきた”気がした。
「ハル、いや、“その子”はどこにいる?」
その言葉が男の回答だと知るのに数秒かかった。
シドニーは、目の前に立つ男が、まるで救世主のように見えた。
「む、向こうです!」
すると男は、背中のボウガンに手をかけて、シドニーの指した方をすっと目を細めて見つめた。
「………」
そして、すぐに後ろを向いた。
「?」
男は、じっと後ろの方を眺めている。
不思議に思ったシドニーは、デビットの視線の先を追って後ろを振り向いた。
耳を澄ますとかすかに足音が聞こえる。
始めは蜃気楼のようにぼんやりと見えた人影たちが、だんだんとはっきりしてきた。
それらは、みな大きな剣や槍を手にしている。
「村の『自警団』だ。」
シドニーがつぶやいた。
こちらに向かって来る自警団のハンターたちの中央に知っている顔があった。
デビットは、その顔をじっと瞳に映して見ている。
白と灰の簡易的な鎧を身に着けた自警団のハンターたちは、デビットとシドニーの前までやって来て足を止めた。
「メラニー村長…。」
デビットは、ハンターたちの中央にいる、赤い鮮やかな竜鱗の鎧を身に着けた老女の名を口にした。
すると、二つ漆黒の剣を背負ったメラニー村長が、すっとデビットの前に出た。
「どうでした?」
彼女はデビットに向かって尋ねた。
それに対して、デビットは、まず飛竜のことを話した。
「村に侵入してきたのは《イャンクック》です。」
「イャンクック?どうして村の中までイャンクックが入り込んだんです?」
メラニーは、眉を潜めて尋ねた。
「《リオレウス》と《リオレイア》が来ているからです…。」
「火竜が?」
メラニーは驚いた様子で言った。
この村の付近は長い間至って平和だった。
小柄なイャンクックや毒怪鳥と呼ばれるゲリョスの目撃情報はあったものの、大型のリオレウスやリオレイアの生息はほとんど確認されていなかった。
というのも、飛竜が好んで『巣』を作れるほどの大きな洞窟や断崖絶壁がなかったためだ。
たいてい、大型の《火竜》と呼ばれるリオレウス・リオレイアは、卵を生み、子を育てるために安全な洞窟や、人や小肉食動物の侵入しづらい断崖絶壁に巣を作のだ。
しかし、この辺りは平坦な森が広がるばかりで、火竜の子育てに適していなかった。
なので、この村は昔から飛竜による害の少ない『安息の地』として密かに栄えてきたのだ。
「恐らく、突然現れた火竜に縄張りを奪われたイャンクックが行き場を失って村に入ってきたのでしょう。」
飛竜たちの世界は厳しい。正に弱肉強食の世界だ。
自分の縄張りに、自分よりも強い相手がやって来たら、戦って死ぬか、尻尾を巻いて逃げだすかのどちらかしかない。
リオレウスほどの飛竜がやって来れば、イャンクックのよなうな弱小飛竜は、縄張りを譲り渡すしかないのだ。
「そう…。でも何故だろうね。繁殖期でもないのに、どうしてこんな辺境の土地まで火竜が?」
メラニーが尋ねると、さすがにそこまでは察しがつかないのだろうか。
デビットは、急に口をつぐんで黙り込んだ。
その様子を黙って見ていたシドニーは、思い出したように声を上げた。
「ハルがイャンクックと戦っているんだ!!」
最終更新:2013年02月21日 15:03