狂人の箱庭Vol.2

箱庭の主

蒼いローブ

素晴らしい…実に素晴らしい』
肉が焼け焦げた臭いが充満した闘技場に男の声が響く。
次の瞬間、蒼いローブが闘技場に飛び降りた。そして男は金獅子と倒れた2人を見比べると、倒れている一人に近寄り翠の槍を拾い上げた。
『今日の舞台の幕は私が引こう。そこで倒れている彼らはもう自由だ。手厚く介護してやってくれたまえ。』
男がそう言うと共に、門から兵士達が現れ消し炭と血を垂らす鎧を闘技場から運び出した。
男は槍をクルクルと回し、その先端を金獅子に向け口を開いた。
『さぁ金獅子君、出来うる限り私を楽しませてくれよ?』
蒼い男はそう言い放つとニヤリと笑った。
以前ビィズに聞いたがここの化け物達は武器を構えた者だけを襲う様に躾られているそうだ。
つまり武器を構えた瞬間、箱庭の主も金の為に命を散らす奴隷も同様に扱われるのだ。
そして今、金獅子に槍を向けた男は蒼いローブを纏っているだけで殆ど丸腰だ。先程の闘いを見ていながらそんな格好で金獅子に挑むなんて狂っているとしか思えない。
だが俺は闘技場に立つ男の顔を見て気付いた。
その男は明確な死を前にして笑っている。まるで長年待ち続けた恋人と再会を果たしたかの如く笑っている。その光景を見た俺の背中にムシズが走った。
‥今更だが奴は狂っている。俺が思っていたよりもずっとずっと狂っている。俺には最早奴が死に焦がれているとしか思えなかった。
‥そして金獅子が月に向け吠えた瞬間、蒼のローブが月夜に弾けた。

爆ぜる金色

ジャキン
蒼い影が月夜に爆ぜた瞬間、鋭い音が闘技場に響いた。
次の瞬間、金獅子の脇腹から噴き出した水柱が瞬く間に赤に変わった。
ギャァァァァ
歪な獣の悲鳴が闇夜に轟いた。
ズシャっと崩れ落ち、腹から血を垂れ流し地面をのた打ち回る金獅子。
無様な悲鳴をあげる金獅子を見る狂人は酷く不機嫌そうな表情を浮かべた。
『獣の癖に赤子の様に泣き叫ぶとは無様極まりないな。獣なんだか獣らしく吠えてみせろよ?』
狂人はそう吐き捨てると金獅子の顔面を蹴り飛ばした。
その時、暗闇の中で何かがパチリと弾けた。何時の間に金獅子から離れたのか蒼いローブはニヤリと笑う。
『やはり獣はそうでないといかんな。』
上機嫌な狂人の目の前で金獅子はその姿を更に変化させる。極限まで逆立った金色の毛はパチパチと光を放ち、振り上げられた両腕は見て解る程の雷を放ちだした。
月に向かい吠える様は正しく野獣そのもだった。
『さぁ、本番と行こうか、獣君。』
言うと共に蒼いローブが再び闇に弾けた。狂人の動きは俺の目で追えるスピードではなかった。それは金獅子も同じだったらしくピクリとも動かない。
ジャキン
鋭い音と共に二本目の赤い水柱が天に伸びた。瞬間、獣は厭らしい笑いを浮かべた。
尻尾を振り上げた金獅子はどうゆう理屈か理解出来ないほどの勢いで360°回転して見せた。
全身から発せられる雷が閃光となり暗闇に円を描いた。
その円に弾き出される様に、闘技場に蒼い影が姿を現した。今の一撃を避け損なったらしく、自慢のローブが3分の1程焼け焦げていた。
『獣らしいなかなか良い攻撃だ。おかげでお気に入りの一張羅が台無しだ。』
狂人はパタパタとローブに着いた火を払っていた。怒れる金獅子を前にしてもその表情に焦りや恐怖は一切なく未だにニヤニヤと笑っていた。
『しかしその代償がコレとはね。』
狂人は笑いながら槍に刺さった有るものを金獅子に突き付けた。
槍に刺さった金色と黒が混じり合った塊はグチャグチャな断面から赤い血を垂れ流していた。
それは‥紛れも無い‥金獅子の右腕だった。
俺の食道を熱い異物が駆け上った瞬間、闘技場からは聞くに耐えない悲鳴が響いた。
『ノロすぎる‥攻撃も、反応も、痛みを感じることも‥何もかもがノロすぎるのさ獣君。』
客席の隅で突っ伏しながら聞いたその声は、酷く愉しげで酷く冷たい物に思えた。

弾ける花火

闘技場に響く悲鳴が、雄叫びに変わった瞬間、金獅子が動いた。
自身の腕を掲げた狂人目掛け雷を纏った腕を振り上げた。そして狂人目掛け金と黒の剛腕が振り下ろされた。
肉の飛び散る音がした瞬間、闘技場の床が破砕音と共に砕け散った。
砕けた地面に咲いた赤い花を見た瞬間、俺は‥奴は、狂人は死んだと思った。だがそんな俺の淡い希望は数秒と持たず砕け散った。
『ハッハッハッハッ!!流石獣!!』
闘技場に木霊する笑い声、その源に蒼い影が有った。
『自分の腕と私の見分けも付かないんだな?』
愉しげに笑う狂人。‥どうやらさっき飛び散ったのは金獅子の腕だったらしい。
そんな狂人を見て更に怒る金獅子だが、その体から放たれる雷は確実に弱まり、精気が失せつつ有った。
それでも尚、金獅子は残った腕で地面を掴み口を大きく開いた。先程と同じく、喉の奥が眩く煌めいた。
『なかなか楽しい時間だったが…興醒めだな。』
ため息混じりに酷くツマラナそうな声が響く。
金獅子の口が極限まで輝き、球体を吐き出そうとした瞬間‥
『お前、もう要らないや』
ジャキン
子供じみた口調の声と共に鋭い音が響いた。
その時俺の視界には金獅子の頭から飛び出した赤い水柱が見えた。
刹那、口が塞がれ行き場を失った雷の塊が金獅子自身の頭を吹き飛ばした。
闇に弾けた真紅と金色が、月光を浴び花火の様に散っていく。…なんとも悪趣味な花火だ。
『さて諸君、今日の花火はコレにて打ち止めだ。出来れば明日も一瞬でも構わないから胸踊る時を過ごしたいものだ。…ではまた次の夜に…』
闘技場の蒼い影はそう言い残すと、闇に弾け消え去った。
焼け焦げた肉と充満する血の臭いに酔った俺の意識はソコでブッツリと途切れた。

夜中に2人

赤い花火

視界一杯に打ち上げられる大量の花火‥
どれも大きく美しかったが、1つ不思議な点があった。
「何で全部赤なんだ?」
そんな疑問はお構い無しに空に咲いた花火は、長い軌跡を残しながら闇に散って行く。
その内の1つが此方に向け真っ直ぐに落ちてくる。
「‥花火って火で出来てるんだっけ?じゃあ此処に居たら危な‥」
ビチャ
水が弾ける様な音と共に、全身を嫌な感覚が包んだ。
体にヘバり着く赤い水、嗅ぎ覚えのある臭い‥コレは…
「血だ。」
それを理解した瞬間、足元がグラリと揺れた。
今まで自分が立って居た場所には、首から上が弾けた大量の死骸があった。
あぁ…コレは夢か

「だぁぁぁあ!!?」
俺は悲鳴を上げ悪夢から逃げ出した。布団を蹴飛ばしベッドから跳ね起きた瞬間‥
『ウォォア!!!?』
俺の悲鳴の倍近い大きい悲鳴と共に何かが顔面にめり込んだ。
「ノパッ!!?」
顔面を襲う激痛と共に俺は起き上がったばかりのベッドに叩き付けられた。
鼻をサスりながら暗闇に目を凝らすと左手を胸に当て、呼吸を整えているビィズが居た。彼の右手は固く握られて居た。‥さっきの痛みはあんたの拳か‥
『い、いきなり叫んでんじゃねぇ!!』
やっと落ち着いたのかビィズが叫ぶ。‥俺の悲鳴にビックリしたらしい。
「でも殴らなくても良いでしょう。」
『それは悪かったよ。‥じゃあ、お詫びに良いもの見せてあげるよ。』
俺が恨めしそうにそう言うとビィズは何時もの口調に戻ってそう言った。
ニコッと笑う少年(24歳)の言葉とは裏腹に、俺は嫌な予感を感じずには居られなかった。

悪趣味な闘技場

暗い廊下をドンドン進んでいくビィズ、俺はその後を黙って付いて行く。
今は夜遅くな様で、悪趣味な装飾が施されているこの廊下は昼間以上に不気味な気配を醸し出している。…意味も無く背後が気になる。
『ここだよ。』
そう言ってビィズは壁に掛けてある髑髏を模したランプを鷲掴みにした。…そんな事をすると罰が当たるぞ。
「そんな物掴んでどうするんですか?」
『こうするの…さ!』
ニヤッと笑うとビィズは髑髏をグイッと引っ張った。
ボキッ
「折れた!!?」
俺は生っぽい音を立てて無惨にへし折れた髑髏を見て叫んだ。…え、何やってんのこの子!?こんな事したら借金が増え…
メギャ、グギャ、ポキッ
そんな俺の思考を遮って壁から生々しい音が響き、一本の通路が現れた。
『行くよ、マミー。』
ニヤニヤしながらその通路に入って行くビィズ。…隠し扉に至るまで趣味が悪い仕掛けなんだな、ここ。
『マミー、早く来なよ。』
俺はビィズの声に従い、不気味な通路に歩を進めた。…なんか壁がヌメヌメしているが気のせいだろう、てか気のせいであってくれ。
不気味過ぎる通路をビクビクしながら進んでいくと開けた空間に出た。
ボンヤリと明るい部屋、結構な広さらしく端の方暗くて見えない。…何故か呻き声と言うか呻り声的な物が聞こえてくる。
『そんな所いないでコッチ来なよ?』
やや遠くから聞こえるビィズの声…出来ればココから一歩も動きたくない、と言うより早く部屋に逃げたいのだが…
『早くしなよ。』
若干ご機嫌斜めに成りつつあるビィズの声を聞き、俺は仕方なく部屋の隅へ向け歩き出した。
暗闇に微かに見える鉄格子とギラ付く複数の瞳…どうやらこの部屋は闘技場で使う化け物を調教する場所らしい。
ふと目が合ったランポスの瞳が4つ、と言うか首が2つ有った気がするが気のせいに違いない。
恐怖に打ち拉がれそうな俺の頭が1つの不可解な点に気が付いた。
ビィズはこんな所で何をしているんだ?その前に何で隠し通路なんて知っているんだ?
『コッチだよ。』
先程よりずっと近くで響く声。とりあえず聞きたい事を聞こうとした瞬間…
「ビィズさ…ん??!」
俺の些細な疑問を吹き飛ばす様な化け物が姿を表した。

目の前にあるのは見えるだけでも相当な大きさの檻があった。
檻のデカさも去ることなから、問題なのはその中身だ。
パット見で5メートル四方はある巨大な鉄檻に窮屈そうにピンクの生き物が詰められていたからだ。
俺はつい最近コレと同じ物を見た筈なんだが、どうしても記憶のソレと目の前のコレが同じ物に見えなかった。…あまりにもサイズが違いすぎる。
「ビィズさん、コレは…いったい?」
『イャンクックだよ。』
ビィズがニコッとしながら答える。
彼の言葉を信じるなら目の前の翼を広げれば軽く20メートルは有りそうな化け物はイャンクックなんだそうだ。…俺がこの前見たのは雛か何かだったのか?
『ただし突然変異した‥だけどな。だから異常にデカいんだよ。』
ビィズが付け足す。
突然変異?…つまりこの前のアレが正常で目の前のコレが異常と言う事らしい。…それにしてもデカいな。
此処に来て俺は忘れかけていた疑問を思い出した。
「ビィズさんはここで何を…てか何でこんな場所を知ってるですか?」
『知りたいかい?』
俺の質問に対してビィズはニヤリと笑った。…何となく挑発されている気がするが、聞かない理由もないので聞いてみる事にする。
「はい。」
俺の返事を聞くとビィズはイタズラな笑みを消し、口を開いた。
『僕はさ、借金の形に親に売られたのさ、小さい時にね。そしてここの狂人に化け物達の調教を任された訳だよ、あと借金の返済もね。』
言いながらビィズはバカデカいイャンクックに餌をやり、嘴を撫でた。
『だからここの建物には少しだけ詳しいし、ここで見せ物にされる彼らの癖なんかも知ってる訳さ。』
…そう言えば化け物達の癖なんかはビィズから聞いた気がする。しかし自分で育てて、自分で殺す…そんな事を強要される生活を送るのはどんな気持ち何だろうか?たとえ見た目が化け物だろうと、世話をしていれば愛着なんかが湧いたりしないのだろうか?
『そうなんだよ、正直ここの生活はキツいんだよ、精神的にね。』
普通に心を読まれた訳だが、何時もとは違う影のある笑みに対し、俺は言葉を返す事が出来なかった。
『で、ココからが本題何だけど聞いてくれるかな?』
ビィズがケロッと表情を変えて言う。その笑顔は何時も通り…嫌、何時も以上に愉しげでイタズラを思い付いた子供の様な顔だった。

本題

ビィズは俺の耳のすぐ側まで来て、ヒソヒソ声でこう言った。
『近々脱走しようと考えてるんだ。』
なるほど脱走…ん!?
「脱走!?」
俺は思わず叫んだ。
『声がデケェぞボケ!!』
そしてブン殴られた。あんたの声も十分デカいぞビィズ。
だいたいオヤッサンの話では脱走に成功した者は1人も居ないらしい。しかも脱走すれば生きて帰る事すら出来ないとか…
『その通りさマミー。脱走してしくじった奴らは処分されたり、此処で竜達の餌にされたりね。』
そう言ってニヤリと笑うビィズ。人の心を読んだうえ怖い事を言わないで欲しい。
『でもさ、脱走した奴は大抵丸腰な上、ろくな準備もしてないからアッサリ捕まるんだよ。だからシッカリと準備をすれば十分逃げ切れる筈さ!!』
ビィズが自信満々に言う。
…しかし、準備しようにも此処での生活でそれは不可能だろ。せいぜい食事を貯めておく程度しか出来ない。
この闘技場が何処にあるかすら解らない以上、1日2日程度の食料では飢え死にしかねない。
『まぁそこらへんは考えがあるから大丈夫だよ。』
ナチュラルに人の心と会話しないで欲しい。
「今更ですが1つ聞いて良いですか?」
『良いよ。』
「なんで俺なんかにそんな話を?」
本当に今更ながら聞いてみた。
『それはマミーも一緒に脱走して貰うからさ。1人じゃ寂しいからね。』
あぁなるほど…って!??
「えぇっ?!しかも寂しいからって!!?」
『だからうるせぇ!!』
今宵2度目の鉄拳が俺の水月を捉えた。…まじ手加減しろよビィズ…
第一脱走に誘うならオヤッサンなりゲニーさんなり頼りになる奴がいるだろうに。
『ゲニーは嫌いだから却下、オヤッサンはちゃんと借金を返すから良いって聞かないのさ。あとリュウジは何となくパス。だから残りはマミー、お前だけなんだよ。』
選ばれた理由消去法かよ。てか心を読むなよ。
そんな会話をしている内に窓から明かりが射してきた。…どうやら夜が明けたらしい。
『もうこんな時間か…まぁこの件の返事はまた後日聞くから考えててね。』
そう言うとビィズは先にもと来た道を返って行ってしまった。
かく言う俺は先程の鉄拳が効いていて動けない訳で…
『マミー、早く来ないと道閉めちゃうよ?』
ビィズの声を聞いた瞬間、不意に周りから唸り声が聞こえだした。こんな所に置き去りは絶対に嫌だ。
俺は無理矢理体を起こし隠し通路目掛け駆け出した。

今宵の月:やや足りない半月

趣味

さっき登った筈の太陽が、あっと言う間に沈む。
夜中心のここの生活ではどうしても、昼が短い様に感じてしまう。
まぁ私としては月を隠す太陽など早々に沈んで貰って構わない訳だが。
そして初めの内は闘い、死ぬように眠る生活だったが、私くらい長くここに居ればどうしても暇つぶしがしたくなる。
だが、こんな箱庭では道楽の類など殆どない。一応夜に化け物と死闘を演じる訳だが当然あれは道楽にカウントされない。
なので私はコッソリと有るものを造って居るのだ。夜空を見上げると半月よりやや足りない月が浮かんでいた。…そろそろ頃合いだな。
私は自分のベッドの下に手を突っ込み有るものを探す。ひんやりとした硬い何かが指に触れた。私はそれを丁寧に引っ張りだした。
右手に掴んだそれを月明かりに翳すと、キラキラと薄紫の光を反射させた。私は飲み頃になったソレを見てニヤリと笑う。
『何を1人でニヤニヤしているのだ、オヤッサン?』
背後から不意に響いた声に思わず手を滑らせそうになったが、どうにか踏ん張った。
「ゲニー、ノックぐらいしろ。」
心臓に悪いから。
『オヤッサンさんが気付かなかったんだろう。して、その右手の瓶は何なんだ?』
ゲニーが私の右手の瓶を指差して言う。
「これは自作の酒だ。」
『酒?酒なら支給されるだろう?』
ゲニーの言う通りこの箱庭は食料などはバッチリ支給される。無論お酒も。
だが、そんな中敢えて自分で造ると言うことに楽しみがあるのだ。何より自分で造った酒の味は格別だしな。
「これは私の趣味みたいなもんさ。そろそろ飲み頃だから今日の一幕が終わったら一緒に飲むか?」
『飲める代物なのか?』
私の言葉にゲニーがニヤリと笑う。失敬な奴め、コレでも結構旨くなってきているんだがな。
「まぁそこは飲んでからのお楽しみだ。」
『オ酒ダイスキデース!!』
どこからともなく目を輝かせたリュウジが現れた。本当に彼はどこに居たのか?
まぁ酒は大勢で飲んだ方が旨いので構わないがな。
「じゃあ今日のショウが終わったら一緒に飲むか?」
『まぁ良いだろう。』
ゲニー…可愛げのない奴め…
『UHHE-I!!!』
リュウジ、お前は喜び過ぎだ。
さて今日の飲み会も決まった所でそろそろ夕食の時間だな。
「じゃあ飯に行くか。」
『そうだな。』
『ワカリマーシタ。』
そして私たちは部屋を後にした。
だが、残念な事に今宵約束された飲み会が行われる事は無いようだ。

不安

今夜の夕食も順当に終了し、チームの割り振りも完了した訳だが…今回の割り振りには若干の不安が残る。
私とビィズは1人あたり金貨3枚、つまり金貨6枚分の化け物と闘う事になる。
まぁ私とビィズなら金貨6枚程度なら何ら問題無いのだが…問題は残りの奴らだ。
ゲニーとリュウジとマミーの三人がチームとなっている。
マミー以外の2人は元々ハンターなので個人の能力になんら不安はない。
問題なのは三人の性格だ。
ゲニーは口が宜しく無いし、あまり人の言うことを聞かない。
リュウジは根本的に会話が成立しているかどうかが判らない時がある。
残るはマミーな訳だが、性格に問題は無いし、コミュニケーションも取れる。だが、記憶喪失な上ハンターとしてはイマイチの彼の言う事を2人が聞くとは思えない。
更に彼らの報酬が金貨15枚と異様に高い所も気になる。
ゲニー辺りが無茶をしなければ良いのだが…
「はぁ…」
私は深くため息を付いた。
『オヤッサンの番だよ?』
ビィズが言いながらサイコロを差し出した。私は適当にサイコロを掴み、ほり投げた。
カラコロと無機質な音を響かせサイコロが転がり、ある目で止まった。
「お、6か。」
今日の私はなかなかにツいているらしい。
『僕も6だったよ、オヤッサン。』
ビィズが笑いながら言う。此方のチームはかなり運が良いらしいが、こうなると残りの三人が不安になる。
『オヤッサン、早くしなきゃ門が開くよ?』
既に魚っぽい鎧を装備し、手には蒼い角を模した片手剣を持ったビィズが言う。
門の前では既に兵士が仏頂面で此方を睨んでいた。
…そうだな。今は他人の心配では無く、自分の心配をしないとな。
私は支給された赤い、蟹の甲羅っぽい鎧を身に纏った。武器は…見た目が気に入ったので拳骨を模したハンマーを選んだ。
「さぁ行きますか。」
『行きますか。』
準備が整うと共に仏頂面の兵士が門を開いた。
門が開かれると何時もと変わらない狂気と狂喜の入り混じった嫌な空気と、青い蟹の化け物が私達を出迎えた。

包帯

青い蟹の化け物…ビィズの話だと将軍ギザミとかなんとか…は思いの外アッサリとケリが付いた。
将軍は背中に背負った髑髏が自慢だったらしいが、私が選んだ拳骨ハンマーとの相性が良かったらしく簡単に砕け散った。
だが、あまり簡単に倒すと客の顰蹙を買い、最悪の場合狂人の目に止まり兼ねないので、少しピンチを演じたうえで圧勝…の筈だったんだが…
今現在、私は鉄檻の特等席で腕に包帯を巻いて闘技場を見ていた。
『マミーの事笑えないね、オヤッサン。』
俺の隣でケタケタとビィズが笑う。
私は瀕死の将軍ギザミの最後の足掻きを捌き損ない、腕をサックリ切り裂かれた。今回は防具もあったので5針で済んだ訳だが…まぁ死ななかったので良しとしよう。
『さぁ諸君、次が今宵最後の舞台だ。最近樹海で発見された新種の竜が最後を飾ってくれるそうだ。』
客席の中心に居る狂人が高らかに言う。…奴の上機嫌ブリを見るに、なかなか凶悪な竜を仕入れたらしい。
「新種の竜か…何か知ってるかビィズ?」
『ちょっと解らないな。僕が全部の竜を調教してる訳じゃないからね。』
ビィズに解らないなら元一般人である私に解る筈もないな。とりあえず双眼鏡を手に取り、竜が居るであろう檻を覗いてみた。
暗闇にボンヤリと浮かぶ赤い二つの光が、獲物を探してギョロギョロと蠢いていた。檻の闇から生態系の頂点に君臨する物が放つ独特の重圧で満ちている様に見えた。
コレはかなり宜しく無いな…
間も無く今夜を締めくくる闘いが始まる。闘技場を照らす月灯りは嫌に赤みがかっている様に思えた。

赤い刀

闘技場の控え室…
間も無く俺達の番がくるのだが、今現在の部屋の空気は最悪だった。
なぜ最悪かと言うと…奇跡的に全員が1の目を出したからな訳で。…全くもって無駄な所に無意味な奇跡を使ってしまった。その上地味に報酬が高いので今日の俺の生存率は極めて低い…昨日脱走の話をしたばかりなのに、ついてない。
『早くしろ、マミー。』
ゲニーが呆然としている俺を急かす。ゲニーは足に青い防具をして、背中にも青い大剣を背負っている。
『ハヤクシマッショ!今日ハコノアトニオ楽シミガアルンデスカラネ!』
イヤにやる気且つハイテンションなリュウジ…とりあえずお前は鏡で裸同然の自分の防具を見てこい。リュウジの腕には黒い数珠の様な物が巻かれていて、腰には小ジンマリとした刀が提げられていた。
俺はふと自分に支給された防具を見た。黒くゴツゴツしたかなり頑強そうな防具…だが、足の分しか無いのではどうにもならないだろ…
俺は深くため息を付いた。…さっきから物凄く兵士が睨んで来るので、俺は渋々防具をハメ、武器を選ぶ事にした。
『貴様には片手剣を勧めるぞ。一番扱い易いからな。』
ゲニーが珍しくアドバイスをくれた。…確かに小振りな剣の方が扱い易いし、いざとなったら盾で身を守る事が出来る。
…安全重視だな、片手剣にしよう。
俺はそう思い、黒い鈍器の様な片手剣に手を伸ばした…
瞬間、俺の視界の隅に赤い太刀が映った。
人の身長程ある細身の刀、その細さ故に攻撃を去なす事は出来ないし、長い刀身は素人には到底扱える物では無い。
その筈なんだが…何故か俺の右腕はその刀を掴んでいた。
『おいマミー、お前に太刀が使える訳なかろう!?早く片手剣を…』
『もう時間だ。』
焦るゲニーの言葉を遮って、兵士が門を開いた。
小さな控え室一杯に嫌な歓声が充満していく。
『…それを選んだのは貴様自身だ。解っているな?』
若干ご立腹気味なゲニーの声が響く。
「…すいません。」
俺はとりあえず謝っておく。
『まぁ良い。我が早々にケリを付ける故、せいぜい死なんようにな。』
「…はぁ。」
その台詞は彼なりの気遣いなのかも知れな…
『我の邪魔をしたら貴様ごとブった斬るからな。』
ニヤリとゲニーが笑う。…前言撤回、とりあえず今回は邪魔にならない様に努めよう。
『サアイキマショウ!!』
先陣を切って飛び出すリュウジ…あまりハシャぐとゲニーに斬られるぞ。
そんな事を考えながら、俺は門を潜った。

悪い予感

赤みがかった月光に照らされる狂人の箱庭。客席は何時通り満席で、その中心には蒼い影が陣取っている。
ガシャン
正面の鉄格子が音を立てて開いた。が…一向に肝心の中身が出て来ない。リュウジとゲニーの2人もイマイチ状況が把握出来ていないらしい。
ジャリ
何かが砂を引っ掻く音と共にジトッとした空気が背後から迫るのを感じた。刹那…
『あうち??!』
リュウジが地面と水平に吹っ飛んだ。赤い点々を残し地を転げるリュウジ、止まった後も彼はピクリとも動かない。客席一杯に歓声が響いた…いったい何が起こった!?
『マミー、貴様は下がっていろ。今日の相手はなかなかヤバそうだ。』
ゲニーの嫌に真剣な声が響く。俺はその声にツられユックリと後ろを振り返った。背後に居たソレを見た瞬間、俺の心臓が全身に冷え切った血を流し出した。
視界に映ったのは闇夜に溶けてしまいそうな漆黒の体、刃の様に尖った翼、先端に巨大な棘が生えた尻尾…全身が闇に溶け込んでいるのに対して、赤い耳と黄色い瞳だけが不気味に此方を見つめていた。
俺は今にも狂い出しそうな鼓動を抑えつつ、ビィズの言葉を思い出していた。
(武器を構えた相手を襲う様に躾てある。)
この言葉を信じるなら、今俺が取るべき行動は武器には手を伸ばさずにユックリ且つ迅速にリュウジの安否を確認する事だ。
俺はユックリと後退りを始めた。が、ある事が引っ掛かった。…さっき奴は武器を構えていない筈のリュウジを攻撃しなかったか?
俺はもう一度奴を見た。奴は正面で武器を構えているゲニーそっち退けで、キョロキョロと客席を埋め尽くす観客を見ていた。その姿は初めて大量の人を見て酷く興奮している様に見えた。
…ひょっとしたらコイツはキチンとした調教をされてないのではないか?
この闘技場の客席は間近で人が死ぬ様を見るためか、酷く低い場所にある気がする。
奴の巨大なら易々と客席に飛び込む事が出来るのでは?
もしコイツが調教されてなかったら…赤一面に染まる客席…そんな光景が脳裏を過ぎった。
世の中、悪い予感と言う物は嫌な程当たるものだ。
次の瞬間…俺の目に写ったのは、闘技場の低い壁を駆け上がる奴の姿だった。

鋭い爪を突き立て、猫の様にしなやかに闘技場の壁を駆け上る黒い影。
奴が月光を遮り、闇夜に舞い上がった瞬間、絹を裂く様な悲鳴が客席から響いた。
あと数秒もしない内に客席は血に染まる。俺はそう思い、強く目を閉じた。
『…躾のなってない猫だな?』
そんな俺の耳に響いたのは、酷く不機嫌そうな男の声だった。
ガチャン…
小さく金属同士の接触音が響き、俺の体を嫌な物が駆け抜けた。
刹那、形容しがたい程に禍々しく、怒りに満ちたホウコウに近い何かが闘技場に轟いた。
ギャン!!?
悲鳴につられ開かれた俺の目に写ったのは、顔面から紅蓮を噴き出し仰け反る奴の姿だった。
空中で完全にバランスを崩した奴だったが、落下する前に大きく体を捻り綺麗に着地した。
一部始終を見終わった後ゲニーが舌打ちをした。
『1人くらい死んだ方が世の中のためになったろうに。』
憎々しげに彼は言った。
未だに観客を伺う奴をみて、客席から酷く不機嫌そうな狂人が黒い銃口と共に顔を出した。
『ナルガクルガ…お前が飼い猫以下の躾しかされていないなら、私が今すぐ調教しなおしてやるぞ?』
ナルガクルガ…恐らく奴の名前だろう…
丁寧な言葉使いとは裏腹に、明らかに殺意の籠もった一言。鋭い眼光と共に此方に向けられた黒い銃口は、重苦しく、冷たく、心を壊してしまいそうな何かを放っていた。…俺の役立たずな頭が、あの銃が酷く良くない何かだと告げている。
竜である奴…ナルガクルガでさえ、その黒い銃を恐れている様に見えた。
『よしよし、良い子だ。次は何をするか解るな?』
狂人はニヤリと笑うと黒い銃から二発の弾丸を放った。その弾丸が地面で弾けたのを引き金に、ナルガクルガがゆっくりと此方を振り向いた。
どうやら完全に俺達に狙いを絞ったらしい。
死の恐怖から逃れる為、俺達を殺す為、黄色い瞳が此方を捉えた。
純粋な恐怖と殺意が入り混じったその瞳を見た瞬間、壊れていた俺の中の、今蘇るべきではない何かが、蘇ってしまったらしい。
『我が合図したら、リュウジの安否を確認しに行け。良いな?』
だからゲニーのこの言葉も、俺の耳には届いていなかった。
ナルガクルガが吠えたその瞬間、俺は奴に背を向け逃げ出していた。

蹴り

頭の奥で見たことの無い光景がチカチカと蘇る。ただ、その光景にも今のナルガクルガと同じ瞳が俺を見ていた。
その記憶が完全に蘇る前に、俺はその瞳から逃げ出した。
『マミー、止まれ!!』
俺はそんなゲニーの言葉を無視して、ナルガクルガから逃げ出した。
その直後、後方から微かに聞こえる砂利を引っ掻く音、それに伴い突風が俺の頭上を吹き抜けた。
ドシャ
砂粒が飛び散る音が響いた瞬間、俺は自分の目を疑った。
俺の眼前に黄色く混濁した瞳が迫っていたからだ。何故奴が俺の目の前に!?
俺はさっき奴から、奴の目から逃げ出した筈なのに!!
何故ナゼなぜ?!
俺の思考は其処で完璧にストップした。だからナルガクルガが刃の様な翼を振り上げている事にも一切気付かなかった。
『しゃがめ莫迦者が!!』
響く怒声と共に背中に鈍い衝撃が走った。
「ダッ??!」
俺は背中を蹴られ、思いっ切り自分の顎を地面にぶつけた。俺の背中を踏みつける力が増した瞬間…
『ヌゥゥァア!!!』
俺の頭上で火花が散った。
大剣での一撃をナルガクルガの翼に弾かれたゲニーは大きくバランスを崩した。其処へ、ナルガクルガが逆の翼わ振り上げた。
「ゲニーさん、危な…」
『貴様は退いておれ!!』
俺の言葉を遮り、ゲニーが痛烈なミドルキックを放った。
「どふぅっ!!?」
呻き声を上げ、地面を転がる俺の視界には、ナルガクルガの攻撃を大剣で弾き返すゲニーの姿が見えた。
激しく火花を散らし弾かれる青い大剣…だがゲニーはその大剣を無理矢理ナルガクルガの顔面に叩き込んだ。
赤い血が月光に煌めくと共に、客席から歓声が上がった。

黒い影

ゲニーの一撃に大きく左目を抉られ、仰け反るナルガクルガ。隻眼になったその瞳は、よりいっそ恐怖と殺意を増していく様に見えた。
そんな奴の姿にどこかデジャブの様な物を感じる。…俺はどこかで、似たような物を見たのか?
俺は地面に這いつくばったままそんな事を考えていた。
『耳を塞げマミー!!』
不意にゲニーが怒鳴る。ゲニーの背後では、ナルガクルガの残った瞳が赤い光を放った。
ギャァァァア
「…っ!!?」
瞬間、俺の耳を何かが貫いた。あまりの痛みに俺は両耳を抑えた。…一体俺は何をされたんだ?
視界に写ったのは大きく口を開いたナルガクルガの姿だった。…俺はふと自分の右手を見たが、一滴も血が付いていない。更にビリビリと空気が振動しているのが分かった。…どうやら先程の痛みの正体は奴の叫び声だったらしい。
だが、今更そんな事似気付いても遅すぎた。目の前ではナルガクルガが此方に跳び掛かろうとしているのに、俺の体はサッパリ動かない。
宙を舞う黒い巨体が、俺の視界を埋め尽くそうとした瞬間、奴ではない黒い何かがナルガクルガに突っ込んだ。
『welalalaaa!!』
空気を裂く音を響かせ、白刃がナルガクルガを叩き落とした。そして黒い人影が此方を振り向いた。
『私ヲホッテオイテタノシソウナ事シテルジャナイデスカ?』
「リュウジ…」
俺の目の前には血まみれのリュウジが立っていた。彼の足元には既に小さな赤い水溜まりが出来ていた。
「大丈夫なのかリュウジ?」
『大丈夫デースヨマミーさん。』
いや口から血を流しながら言っても説得力ゼロだぞ。
『伏せろ貴様ら!!』
ゲニーの声に機敏に反応して伏せるリュウジ…まぁ俺は端から伏せてる訳だが…
そしてリュウジが伏せた瞬間、青い大剣が俺たちの頭上を通り過ぎた。
ナルガクルガは大きく後ろに跳び、それを避けた。
大剣は虚しく空を切った。
間合いを取ったナルガクルガは此方を睨んだまま動かない。
『行くぞリュウジ』
『オーケーデース』
2人は短く言い合うと同時に駆け出した。
…あれ、俺は無視?

笑う

ナルガクルガ目掛け駆け出す2人…とりあえず俺は無視されたので、ゆっくりと後退する事にする。
奴は2人が接近するのを見て大きく尻尾を降る。その尻尾を2回、3回と速さを増しながら回転させる。
その回転が4回転目に差し掛かった瞬間、複数の黒い棘の様な物が奴の尻尾から飛び出した。
反射的に大剣の影に隠れるゲニー、それとは反対にリュウジは奴目掛け更に加速した。
無数に降り注ぐ棘の雨、その隙間を一気に駆ける。しかし完璧に避ける事は出来ず彼の体は幾つかの棘が彼の体を抉って行く。
それでもなお、彼は加速する。走った後に赤い軌跡を残しながら、彼は一気に間合いを詰めた。
その時、ナルガクルガの尻尾が僅かに振られた。
瞬間、迫るリュウジ目掛けその尻尾が大きくシナった。
『Nalaralalalaa!!!』
尻尾が迫っても尚、リュウジは退く事無く大きく踏み込んだ。
極限まで体を下げ、ナルガクルガの一撃を潜り、縮まった全身のバネを使い一気に刀を振り抜いた。
振り抜かれた刀がナルガクルガの肩口を大きく切り裂き、赤い弧を描いた。刹那…
ズバァァァ
鋭い斬撃の音が闘技場に木霊した。
リュウジの動きに客席は大きく沸き立った。
『ヌゥラッ!!』
其処へ間髪入れず、ゲニーが大剣を叩き込んだ。鈍い音を立てナルガクルガの左翼が砕けた。
呻き声を上げ、大きく後方に跳ねるナルガクルガ。そして先ほどと同じ様に尻尾を回転させる。
『同じ手が…』
『二度ツカエルワケガナイデーショ!!』
そう叫び駆け出す2人、ナルガクルガが再び無数の棘を降らすが、難なくそれをかわして見せた。
2人の武器が奴を捉えるまで後数歩、それなのにナルガクルガ無防備な格好のまま尻尾を振っていた。
2人はこの動きをきっと隙だと思ったのだろう。しかし、俺の目にはナルガクルガの顔が酷く笑って居る様に見えた。
ナルガクルガを間合いに捉えた2人は躊躇う事無く剣を振り抜いた。
刹那、2人の視界からナルガクルガが消え去った。

悲鳴

一人、地面に這いつくばっていた俺にはナルガクルガの動きが、コマ送りの様にユックリに見えた。
2人の攻撃が届く前に、ナルガクルガは体を大きくしならせ、月夜に跳ねた。
暗闇に溶けた体をゆっくりと捻った。月光がナルガクルガの体を照らし出した時、奴の尻尾は無数の棘を生やした凶器に変貌していた。
そのまま、真っ直ぐに2人向け振り下ろされる棘の塊を見て俺は思った。
生身の2人があの一撃を受ければ間違い無く…助からない。奴を見失っている2人は頭上から迫る死に気付いていない。
早く2人に言わないと…
『奴は‥
だが俺が口を開いた瞬間、世界は元通りに動き出した。
上にい‥』
ズシャァァァア
俺の言葉は2人に届く前に、響き渡る破砕音と微かに混じった肉を裂く音に掻き消された。
闘技場が狂気に震える。
俺の目に映ったのは‥
赤い水溜まり
それに浮かび僅かに痙攣をする2人の姿
そして地面から尻尾を引き抜くナルガクルガ
その尻尾には赤く、細い、何かが、絡みついていた。
「アァァアァアアァア!!?」
無様な悲鳴は客席からの奇声に溶けてなくなった。
ナルガクルガはピクピクと動く2人を、猫が毛糸にジャレツク様にツツきだした。
『良いぞ、もっとやれ!!』
目の前に広がる惨状と客席の一角から響いたその一言が、俺の中の何かを弾けさせた。
「アアァァァァァア!!」
叫びながら俺は駆け出していた。
その声に気付いてかナルガクルガを此方を向いた。‥そうだ俺を見ろ‥
ナルガクルガは牙を剥き此方に迫って来た。

…頭に血が上って駆けだしたが、俺には何も出来ることがなかった。

予想以上の速さで此方に迫るナルガクルガ、その牙が後コンマ数秒で俺の喉を食い破ろうとした時、俺の右手は背中の太刀を掴んでいた。
俺は…俺の体はそれを掴んだ瞬間、反射的に赤い太刀を振り下ろしていた。
爆ぜる紅蓮と奴の悲鳴が闘技場に木霊した。

俺と俺

赤い太刀を振り下ろした瞬間、俺は確信した。俺はコレの使い方を知っている。
苦痛に顔を歪めたナルガクルガが、再び俺に牙を剥いた。俺は太刀を水平に払い、奴を薙払う。
今の俺には太刀のどの部分をどう叩き込めば、奴を効率良く斬り避けるのかが手に取る様に分かった。
赤い刃は派手に炎を噴き出し、奴の顔を一文字に斬り裂いた。俺の体はその勢いのまま後退し、奴から距離を取る。
ナルガクルガは僅かに仰け反った後、憎々しげに俺を睨み付けた。
客席からは狂った様に野次や歓声が響いていたが、太刀を握った俺の頭は異常に冷静だった。
目の前には血と涎をダラダラ垂らしながら此方を睨む化け物が居る。
本来なら心臓がハチキレた上で小便チビってもおかしくない状況だ。それなのに俺の頭は冷静で、心臓は冷え切った血液を全身に送り続ける。
まるで俺の体では無いように…いや、今の俺が俺じゃないのか‥
…今はそんな事はどうでも良い。今は一刻も早く奴を倒して、2人を手当てする必要がある。
俺は大きく息を吸い込み、大きく後ろに下がった。ナルガクルガは俺を追って此方に跳んできた。‥それで良い、まずは2人から距離を取るんだ。
しかし、ナルガクルガの迫る勢いは、太刀を構えたまま後退する俺の数倍上だった。
三度目の跳躍でナルガクルガは易々と俺を射程圏に捉えた。鋭い牙が、鋭利な翼が俺に迫る。
自然と太刀を握る両手に力が入る。奴の漆黒の体に入った一筋の亀裂、2人が奴に負わせた傷‥早急に奴を殺す為に狙うべきは其処だ。
真っ直ぐ此方に跳んでくる漆黒の体、その体の赤く裂けた傷口に狙いを定める。
奴の体が太刀の間合いに入った瞬間、俺は赤い裂け目目掛け太刀を突き立てた。
‥筈だった。
俺の手には有る筈の肉を抉る感触は無く、赤い刃は虚しく天を向いていた。
予想外の出来事に、冷静だった俺の頭はメマグルシく動き出し、冷たかった血液はみるみる温度を上げていく。別人だった体があっという間にもとに戻っていく。
役立たずで、足手纏いで、満足に武器も扱えない"今の俺"に‥

奴は‥ナルガクルガは何処だ!!?

ジャリッ‥
壊れかけた俺の頭だが、背後から聞こえたソレが砂利を引っ掻く音だと気付くのには一秒も掛からなかった。
柄を握り直した瞬間、俺の心臓は大きく脈打った。

突き刺す

鼓動一回分の冷たい血液が混乱しかけた頭を一瞬だけ冷静に保った。
微かに聞こえた砂利の音が奴の居場所を‥
乱れた風の音が奴までの距離を‥
俺に教える。

振り向いてその情報を確認する時間は既に無い。腹を決めろ奴はきっと‥否、間違い無く其処にいる!!

俺は歯を食いしばり、渾身の力を込めて、振り向きざまに鞘から赤い太刀を振り抜いた。
‥180゚回転した俺の目に映ったのは、目と鼻の先まで近付いていた奴の黒い爪だった。
攻撃の体勢に入った体でソレを完璧に避ける事は不可能だ。だが、このまま直撃を喰らう訳にはいかない。
「ウラァァァァア!!」
腹の底から雄叫びを上げ、無理やり体を爪の内側へねじ込んだ。
奴の爪が、包帯の上から皮膚を抉っていくのがチラリと見えた。刹那、頬に灼き付く様な激痛が走り、視界の隅が赤に染まる。
だが、俺は目の前に迫る赤い裂け目を斬り裂く事だけを考えていた。
振り抜いた太刀とドンぴしゃな位置に迫る赤い裂け目‥両腕に走る肉を裂く感触、それだけを頼りに太刀を振り下ろした。
ズパァ
紅蓮の炎を散らし、赤い刃がナルガクルガの肩を突き抜けた。
俺の背後からは断末魔に近い奴の悲鳴が聞こえる。それに伴い客席は異様な盛り上がりを見せている。
俺がゆっくりと振り返ると方翼を失いのた打つナルガクルガの姿が有った。焼け焦げた断面からは夥しい血が噴き出していた。もう奴に戦える力は残って無い様に見える。
それでも狂人は黙ったままで、観客はトドメを刺せとはやし立てる。
俺は早くこのショーを終わらせる為に刀を構えた。ナルガクルガはそんな俺から逃げる様にズルズルと後退る。
死が迫る奴の瞳が見る見る内に恐怖に染まって行くのが分かった。
もうコイツは闘えない‥それが分かっていたが、俺は躊躇い無く切っ先を奴の額に向け‥一息に突き刺した。
赤い何かを噴き出し絶命するナルガクルガ。狂気の歓声が反響する闘技場で、酷く冷静なままの自分を見て俺は有ることに気付く‥
「俺は‥昔も‥こんな事をしてたんだな。」
ポツリと漏れたその言葉は、本来の俺がハンターで有った事を語っていた。

退場

『なかなか素晴らしい輝きだったよ包帯君。そこの2人には早急に手当てをしてあげよう。』
客席からややご機嫌な狂人の声が響く。
俺はその声を聞いて倒れたままの2人を見た。赤い水溜まりは大きさを増し、小刻みに痙攣していた2人の体は既に全く動いていなかった。
こんな事は言いたく無いが、2人がまだ生きている様には見えなかった。
「2人は助かるのか?」
俺は思わず狂人に問い掛けた。すると狂人はニヤリと笑いこう言った。
『その2人にはまだ命爆ぜる様を見せて貰ってないからね。仮に壊れていても、また動く様になって貰うさ。』
まるで壊れた玩具を直す様な狂人の言葉。
『大丈夫だ。この程度の怪我なら死にはしない。ただし治るまではかなり掛かる。』
2人を運びに来た兵士がぼそりと言う。とりあえず2人は大丈夫…その言葉を聞いて、俺の中で緊張の糸がプツリと切れた。
太刀を手放し俺はその場にへたり込んだ。すると右頬の灼かれる様な痛みも蘇って来た。
「いっ‥っ!!」
元々継ぎ接ぎだらけだった俺の顔面は、予想以上に深く切り裂かれていたらしい。巻いていた包帯は何時の間にか真っ赤に染まり、顔にヘバり着いていた。
兎に角血でボトボトになった包帯を剥ぎ取る事にする。
「いっ!!?‥つつつ‥」
痛みを堪え一気に包帯引き剥がした。その時、客席がざわつき始めた。
『なんだ、あの顔は!?』
『化け物が居るわ!!』
聞こえるのは俺の顔に対する感想らしい。
『キャァァア!!?』
ついでに悲鳴なんかも聞こえる。
‥日頃、人が死ぬ瞬間を娯楽として見ている様な奴らが、俺の顔程度で騒いでいるのを見て…酷く怒りが込み上げてきた。
俺はリュウジが落とした小さな刀を手に取り…
「そんなに俺の顔が珍しいんならもっと見せてやるよ。」
…僅かにくっ着いているだけの白い皮を切り取った。

瞬間、客席を悲鳴が埋めてくした。どうやら今の俺の顔は相当酷いものらしい。
…だが、俺は自分の顔を客席に晒し続けた。…人の死を見て笑っている様な奴らの顔より、確実に俺の顔の方が幾分かマシに思えたから…
『包帯君、なかなか面白い見せ物だか‥あまり感心はしないな。』
狂人の声が響くと共に、誰かが俺の腕を掴んだ。
『…お前も治療室に来い。』
先ほどの兵士がそう言った。それを聞いた途端、スッと意識が遠のいた。
赤く染まる自分の体…どうやら血を‥流…し過ぎ…
『諸君、今宵の見せ物は此処までだ。また次の月夜に…』

1人…半月の夜に

私は、1人自室で綺麗に半分になった月を眺めながら酒を飲んでいた。
そして、ボーっと昨日の事を思い出していた。

ゲニーとリュウジの生死は不明…生きているにしても全快までには相当な時間がかかるだろう。…結局三人で呑もうと言っていた取って置きも1人で飲み干してしまった
マミーの方は自分で引き裂いた顔面以外は比較的軽傷で済んだ。
ただ、顔面にはもう一度フルフルの皮を貼り直すらしい。…しかも今回の顔の傷はマミーが勝手にやった事だから自己負担になる。また奴の借金が増えるな、お気の毒に。

私は空に成った瓶を濯ぎ、適当な果実を詰める事にした。…次はリンゴの酒でも造るか?
そんな事を考えながら、水瓶に溜まった水を汲む。…ふと波紋で乱れた水面に自分の顔が映った。
その酷く歪んだ顔を見て、マミーの顔を思い出した。
客席から僅かに見ただけだったが、奴の顔は酷い有り様だった。
顔の骨格等は普通だったが、皮膚の殆どが酷い火傷の痕の様になっていて、顔が全く解らなかった。
奴は火山の狩り場で行き倒れていたんだろうか?
兎に角、あの顔では運良く元の奴を知る人物に出会えても、気付かれずに終わってしまうだろう。
…こんな所に居る以上奴の記憶が元通りに成ることは有り得ないだろう。
その上借金が増えるとは不憫な奴だ。
「さて…と。」
リンゴを瓶に詰め終えたのでキツく栓をする。
が、軽い痛みが腕に走った。…そう言えば怪我をしていたんだった。
まぁこの怪我のおかげで暫くは狂人の玩具にされないで済む訳だがな。

私は瓶詰めにしたリンゴをいつもの場所にしまい、ベッドに寝ころんだ。
明日になればマミーも目を覚ますだろう。そしたらビィズも呼んで酒でも呑ませるか…
そんな囁かな楽しみを考えながら、私は眠りに落ちていった。

目が覚めて

病室

『と、言う訳でマミー、メデタくお前の借金が金貨300枚になった。』
「えぇっ!!?」
病室らしき部屋のベッドの上で、起き抜けに聞かされたその言葉に俺は驚いた。
てか全然メデタく無い!!
一体全体どういう訳で借金が3倍になったんだ!?
いやまぁ傷の治療費って事らしいけど3倍はオカシイだろ!!そこは同じ治療の筈だから2倍だろ!!
『多分罰金だと思うよ。あんな事したんだからね。』
俺の後ろでビィズがクスクス笑う。ほんとナチュラルに人の心を読むんだな。
『褒めるなよ。』
「褒めてません。まず言葉を発してません。」
俺は冷静にツッコミを入れた。
しかし…あんな事?
俺はその一言であの日の事を思い出した。
頭に血が上っていたとはいえ、よくあんな事をしたな、俺。
其処まで考えて俺は1つの事を思い出した。
「今、俺の顔どうなってます?」
自分で顔に着いていたフルフルだかなんだかの皮を剥ぎ取ったのをすっかり忘れていた。
『まぁ‥それはだな…』
オヤッサンが俺の顔を見て、あからさまに言葉を濁した。…え、そんな酷い顔になってるの?
そっと触れた俺の顔に包帯は無く、代わりに嫌にブヨブヨな感触あった。
『新しい皮は縫い付けたから包帯は要らないんだって。とりあえず…見てみる?』
ニヤニヤしながら手鏡を取り出すビィズ。彼の必要以上にニヤニヤした顔を見て、俺は嫌な予感しかしなかった。
ビィズからされた鏡を手に、俺は大きく深呼吸をした。そして意を決して鏡に自分の顔を映した。
「…?!!」
小さな円形のガラスの向こう側には有る筈の俺の顔は無く、代わりに真っ赤な顔をした化け物が此方を見ていた。
『化け物じゃなくてお前の顔だけどね。』
さらりと言うビィズ。…なるほど、これは俺の顔‥って?!!
「な、なんじゃこりゃぁぁぁあ!!!?」
俺の叫びが病室に木霊した。

自室

現在、大部屋にて俺はウナダレていた。
顔面真っ赤っかな化け物に整形された上借金3倍とか有り得ない。
『しょうがないよ。フルフルの亜種の皮しか残って無かったんだから。』
俺の隣でビィズが言う。そんな事はわかっている。
「でも赤はあんまりでしょ。」
『じゃあコレをあげよう。』
ウナダレる俺にビィズは有るものを取り出した。それは綺麗に巻かれた白い布‥包帯だった。
『もう巻く必要はないらしいけど赤よりはマシだよね。』
そう言ってビィズが俺の顔にグルグルと包帯を巻きだした。
数分後‥
鏡の中には初めて見た時と同じ姿になった俺の顔があった。
『こっちの方が"マミー"って感じがするよ。』
包帯を巻き終えたビィズは嫌に御満悦だった。
「前々から疑問なんですが…マミーってどういう意味ですか?」
『世の中には知らない方が良いことが多々あるんだよ。』
何故誤魔化す?
てか目が泳ぎ過ぎですよビィズさん?
色々とツッコミたいところだが、自分自身の現状を思い出した俺は深く溜息を付いた。
借りた覚えが無いのに3倍に増えた借金…どうしよう…
『まぁ近々"遠出"するから良いじゃないか。』
彼が言う"遠出"とはこの前話した脱走の事である。…まぁ脱走出来れば借金はチャラなんだが‥脱走ね。
「…本当にオヤッサンは誘わないんですか?」
ふと思い出したので聞いてみる。
『前にも言ったけどどうしても行けない訳が有るんだってさ。』
「訳って?」
『さぁ?』
どうにもビィズもその訳に付いては知らないらしい。
『聞きたいんなら話してやろうか?』
ドアを開きオヤッサンが部屋に入って来た。
「いいんですか?」
普通そう言う事は話したがらない物だと思っていたが…
『どうせ私とマミーが負傷中でやる事がないんだ。暇潰し程度にはなるだろう?』
…なるほど、暇潰しですか。
「じゃあお願いします。」
『まぁあんまり面白い話しじゃないがな。』
オヤッサンは苦笑いをすると小さく息を吐いた。

四角い枠にボンヤリと浮かぶ月を背景に、オヤッサンはゆっくりと口を開いた。

月の見える村の話

小高い台地にある小さな集落があった。
周りは深い森に囲まれていてるので村を訪れる者は少ない。その上数える程しか建物が無い小さな村。
でも夜に見える月どこよりも美しい‥少なくとも男はそう思っていた。
男は小さなこの村で唯一の酒場を営んでいた。
小さな村のチッポナ酒場、それでも毎日それなりの村人で賑わっていた。
男は早くに嫁を無くしていたが、その代わりに小さな娘が1人いた。
仕事を終えて、娘と2人で月を眺める事が彼の幸せだった。
毎日同じ事の繰り返し、このままゆっくりと朽ちていく人生‥彼はそんな人生で良いと思っていた。
でもそんな生活も長くは続かなかった。


その日は男の誕生日、彼の娘は酒場が賑わう夕方頃にコッソリと店を抜け出し森へと入って行った。森の奥で採れる男の好物である木の実を採るために‥

しかし、彼女のその行動が男の、そして彼女自身の人生を大きく狂わせる事になる。

彼女が森に入ってから十数分、既に辺りは暗くなってきていた。でも木の実が採れる場所まで後少し、少女は脇目もくれずに森の中を進んで行く。
もう少しで木の実が採れる。もう少しで父の喜ぶ顔が見れる。
少女の頭はそんな事で一杯だった。
だから彼女は異形の化け物に着けられている事に微塵も気付いていなかった。

彼女が木の実の採れる場所に着くまで後少し‥
彼女の運命の歯車が狂うまで後少し‥
すっかり日も沈み、賑わいも一段落した酒場…
テーブルに散乱したグラスを片付けながら男は有る事に気付いた。
いつも片付けを手伝ってくれる娘の姿が見当たらない。
トイレ…にしては長すぎる。とりあえず半日酒場にいた常連に聞いてみた。
「娘が何処に行ったかしらないか?」
『嬢ちゃんなら夕方森に入って行ったぞ。なんでもお父さんのプレゼントを採ってくるとか…』
幸せもんだな!!と言う客を無視して男は表を見た。
外は既に真っ暗、木の実を採りに行ったにしては時間が掛かりすぎた。
…それに嫌な胸騒ぎがする。
「店番頼む。」
『なんで俺が?』
「お前のツケをチャラにしてやるから、頼んだぞ!!」
後ろで常連が何かを言っているが、男は無視して酒場を出た。
今宵の月は酷く青白く、不気味に見えた。

木の実の採れる場所まで子供の足なら約20分、大人なら15分、走れば10分弱で着く事が出来る。
僅かに月光が射す森の中、娘の名前を呼びながら一目散に駆けていく。

‥森に入って5分程度経った時、男の呼び掛けに返事があった。でもその返事は、悲鳴に近かった。そしてその悲鳴は間違いなく男の娘の声だった。
男は声のした茂みに突っ込んだ。其処には手から血を流す男の娘と、青い化け物がいた。
小柄な青い体、赤い鶏冠に黄色い嘴‥その化け物のだいたいの特徴はこの村にも度々出没するランポスと一致していた。
だが、1つだけ違う点があった。体表がドロドロに溶けている上、酷い腐敗臭を放っていた。
『助けてお父さん!!』
だが今の男にそんな事を考えている暇は無かった。
化け物の牙が娘の肩に食い込むより早く、男は果物ナイフを投げつけた。
頭にナイフが直撃した化け物は娘に覆い被さる様に絶命した。その瞬間、化け物の体がドロドロに溶けて無くなった。
骨だけになった化け物を振り払い、金切り声で泣き叫ぶ娘を男は抱き締めた。
もう大丈夫だから
泣くんじゃない
と‥
男はそのまま娘を抱きかかえて酒場へと戻った。
娘の怪我も命に関わる様な物ではない。傷が治ればまたいつも通りの生活に戻れる。
と、男は思っていた。

だがこの時、既に娘の運命は大きく狂いだしていた。
翌日、男は娘を医者に連れて行った。
娘の右肩は大きな傷が出来ていたが、医者の話だと特に問題なく完治するものらしい。
肩に痛々しく包帯を巻いた娘を慰めながら男は帰路に付いた。

‥しかし、何日経っても娘の傷は治らず寧ろ大きくなってきていた。
それでも娘は以前と同じように店の手伝いをし、普段通り振る舞っていた。

でもそれは、小さな少女の強がりで、事態はどんどん悪い方へ進んでいた。

ある満月の深夜、男は獣の様な呻き声を聞き目を覚ました。
家のどこかから聞こえて来る呻き声を辿って行くと、娘の部屋に行き着いた。

まさか、娘の部屋に獣が!?

男は即座にナイフを構え部屋に飛び込んだ。
だが、その部屋で呻き声をあげて居たのは獣では無く、男の娘だった。
娘は小刻みに体を震わせ、必死に包帯の巻かれた右肩を抑えていた。
どうしたんだ!?
言いながら駆け寄る男を見る娘の瞳は、何時もの黒ではなく黄色に変わっていた。
男が包帯をとって傷口を見ようとすると、娘はフルフルと首を振って後ずさる。男は無理やり娘を捕まえて包帯を剥ぎ取った。
‥そしてその傷を見て言葉を失った。
『ごめんなさいごめんなさい‥』
そんな父を見て娘は謝り続けた。
包帯の下‥少女の右肩には傷口ではなく、あの時の化け物にソックリな青い爛れた鱗がビッシリと生えていた。
何故こんなことに?
医者は大丈夫だと言っていたはずなのに‥
もっとちゃんとした医者に見せていれば‥
あの時もっと早く駆け付けていれば‥
…何故この子がこんな目に

後悔に暮れる男だが、大きく狂ってしまった歯車はもう戻せはしないのだ。

小さな少女の小さな部屋には、少女の謝る声だけが永遠に響き続けた。
娘はあの日以降、部屋から出る事を頑なに拒む続けた。
男は何人もの医者を家に招いたが、誰一人として少女の病気を治す事が出来なかった。
小さな少女はとうとう、誰も部屋に入れなくなった。
男は部屋の外で1人途方に暮れ続けた。

数日後…
森の中の集落に1人の旅人が訪ねてきた。全身を蒼いローブで隠した明らかに怪しい旅人。
旅人は村に着くと、会う村人全てに同じ質問をした。
『最近、この近くで化け物を見なかったか?』
と…
それを聞いた村人は皆、その質問に心当たりがなかった。ただ1人を除いては…
男は旅人の質問に即座に食い付いた。そして事の一部始終を話した。
男の話を聞いたあと、旅人はゆっくりと口を開いた。
『あの化け物は寄生虫に寄生されていた。恐らく娘さんは化け物の代わりに寄生されたのだ。』
と…
それ聞いた男は藁にも縋る思いで旅人に尋ねた。
「どうにかして治せないのか!?」
と。すると旅人は小さな小瓶を取り出し男に手渡した。
『コレを飲ませれば寄生虫の活動を弱める事が出来ますよ。本当は高価な薬ですが…とりあえず効くかどうか試してください。』
旅人はそう言い、ニッコリと笑った。
男は薬を受け取ると礼を言うのも忘れて駆け出した。そして、どうにか娘を説得して薬を飲ませた。
すると、見る見る内に青く爛れた鱗は消え去り、娘の体は右肩の傷以外全て元通りになった。
親子は揃って喜んだ。コレで全てが元通りになる、と。
でも、一度狂った歯車は簡単に元に戻ったりはしない。少なくともこの親子の歯車は狂ったまま回り続けていた。

酒場のドアをノックする音が、狂喜乱舞する男を現実に引き戻した。
娘を部屋に戻して酒場に出る男。酒場のカウンターには先程の旅人が1人立っていた。
男は言い忘れたお礼を言うべく旅人に駆け寄った。
でも男はその時気付いて居なかった。その旅人は狂った歯車を直すのではなく、よりいっそう狂わせる元凶だと言う事に…
カウンターで男を待つ旅人の顔には、口が裂けた様な笑みが張り付いていた。
「ありがとう、あんたのおかげで助かった。」
男は旅人に真っ先に礼を言った。
『良いんですよ…それにあれは一時的な薬ですから。』
男は旅人の言った意味をイマイチ理解出来なかった。一時的な薬?
そんな男の顔を見て旅人が口を開く。
『あの薬は一時的にしか寄生虫の活動を止めれないんです。』
それはつまり…
「薬がキレればまた娘はあの姿に?」
『その通り、また化け物に逆戻り。』
旅人は淡々と男が聞きたくなかった台詞を言う。
「じゃあまた薬が必要に?」
『はい、しかし、さっきも言いましたがあの薬は非常に高価なんです。』
「金なら…ちゃんと払う!!だから…」
男のその言葉を聞くと旅人は酒場の中をクルリと見回した。年季の入った店内、夕時にはそこそこの賑わいを見せるが‥客は小さな村の住人のみでお世辞にも儲かっているとは言えない。
『残念ですが今の貴方の私産では無理かと…』
「なら店を売り払っても良い!!娘の為ならなんだってしてみせる!!」
『本当に?』
「本当だ!!」
旅人は男の台詞を聞いてニヤリと厭らしい笑みを浮かべた。
『なら1つ取り引きをしませんか?もし、取り引きに応じて貰えるなら娘さんの治療の環境なども全て私が提供しますよ。』
旅人が饒舌に語る。が、その言葉は明らかに怪しい。
だが、男が娘を救うにはその取り引きを飲むしか無かった。
「娘には不自由無い暮らしをさせてくれるのか?」
『えぇ、勿論。』
「わかった。その取り引き…受けよう。」
男の返事を聞いて旅人はよりいっそ、口を歪ませた。
『ではこの書類にサインを』
「しかし、私は何をすれば良い?内臓でも売るのか?」
書類にサインしながら男は尋ねた。
『そんな事はしなくて結構ですよ。ただ‥私の箱庭の住人になってもらうだけですよ。』
旅人は書類を受け取ると酒場の扉を開いた。
其処にはこの村には不釣り合い過ぎる程豪華な馬車が待っていた。
『では行きましょうか。心配せずとも娘さんも直ぐに来ますよ。』
男は黙って馬車に乗り込んだ。
そしてその扉が閉じると共に彼の人生の歯車は、音を立てて大きく歪んでしまった。
それでも彼はいつもと同じように、青い月を眺めていた。

話の後に

長い話を終え、一息付くオヤッサン。
『‥と、言う話だったら良いな。』
そう言ってゲラゲラ笑う。‥って!??
「だったら良いなって!?」
『あんだけ長い話しときながら全部嘘か!!!?』
予想外の言葉に揃ってツッコミを入れる‥地が出かけているよ、ビィズ。
『私は独身のただのオッサンだぞ?娘どころか嫁さんすら居たことないわ!!』
開き直った様に言い放つオヤッサン。‥俺はその時オヤッサンの足下に転がっている酒瓶に気が付いた。
「オヤッサン‥酔っ払ってるんですか?」
『酔ってなどひない!!』
『完全に酔ってるね‥』
なんだか先ほどの話が何だったのか本当に解らなくなってきた。
「じゃあ何で此処を出ようと思わないんですか?」
『何だかんだ言って此処の生活は楽だからな。出ようとも思わないのさ。』
さらりと言い放つオヤッサン。その言葉を聞いて俺は何故かとてもガッカリした気分になった。
『ちょっと飲み過ぎたな‥私はもう寝る。』
「あ、オヤッサ‥」
『おやすみ。』
オヤッサンはそれだけ言うと扉をバタンと閉めてしまった。そして、直ぐに鼾が響き出した。
「さっきの話‥嘘なんですかね?」
『さぁ?』
「さぁって‥ビィズさん、心読めるじゃないですか。」
『マミー、心が読める人間なんて居るわけないじゃないか。』
‥酷く棒読みに聞こえるぞ、馬鹿ビィズ。
『誰が馬鹿じゃボケが!!』
怒るビィズの右拳が俺の下顎を打ち抜いた。‥やっぱり心読めるんじゃん。
俺はそのまま床にぶっ倒れた。
『とりあえず遠出は僕とマミーで行くから休みの内に色々と準備しときなよ?じゃあおやすみ~。』
ビィズはそう言うと自分の部屋に帰って行った。
…しかし、さっきのオッサンの話は本当に嘘だったんだろうか?凄く真剣な顔で話をしていたんだが…
……だが、幾ら考えた所で俺にオッサンの話の真偽が判る訳もない。
俺は考えるのを止めて寝ることにした…が、此処である事に気が付いた。
「う‥動けねぇ。」
体がピクリとも動かない、どんだけ的確に急所ぶち抜いてんだよ、ビィズ。
俺はその後、十数分の間、動かない体との死闘を繰り広げた後‥結局床で寝る羽目になった。

今宵の月:満月よりほんの少し足りない(決起)

…何もしない時間と言うのは案外早く進むらしく、怪我を治療する為の休暇はあっという間に終わりを迎えた。
俺の顔に着けられたフルフルの皮は悲しい事に綺麗に貼りつき、俺はめでたく赤い顔の化け物へと進化した。
だが、オヤッサンは傷の治りが少し遅く、もう一日ほど休むらしい。
そして満月に限りなく近い月が浮かぶ夜、俺とビィズには例のコインが入った食事が配られた。
『では、いただきます』
「いただきます。」
既にコインが入っていると分かっているので、先に食事をバラバラにする事にした。
チャリーンと言う安っぽい音と共に、次々と金貨が出て来た。その枚数4枚。
小さくなったパンを見た俺は、流石にもうコインは入って無いだろうと思い小さなパン切れを口の中に放り込んだ。
結果、ガキンと言う音が俺の口内に響いた。…奥歯欠けたんじゃないか?
俺はイラつきながら口の中の金貨を吐き出した。
再びチャリーンと言う音が響いた。コレで俺の皿には金貨が5枚。
『計10枚だね。』
ビィズが自分の金貨を確認しながら言う。
そして暫し考えた後、口を開いた。
『今日、出発しようか。』
「出発…遠出の事ですか?」
『それ以外に何があるのさ?』
俺の間抜けな質問に対して、ビィズが若干イラつきながら答えた。
『細かい内容はこの前話したよね?』
「えぇ大丈夫です。」
脱走の方法などは休暇中に打ち合わせ済みだ。あとは今日それを実行するだけ…
ドンドン
不意に部屋の扉が乱暴に叩かれた。
『出番だ。出て来い。』
相変わらずの口調が外から聞こえて来た。
「じゃあオヤッサン、行ってきます。」
『行ってくるよ。』
この"行ってきます"は脱走をすると言うサインである。
『あぁ気を付けてな。』
それでもオヤッサンはいつも通り、俺達を送り出した。
ゆっくりと閉められるドアを振り返るとオヤッサンが小さく口を動かした。
(元気でな)
俺の目にはオヤッサンがそう言っている様に見えた。

月夜に飛ぶ

最後の舞台

闘技場の控え室で準備をする俺とビィズ。
ビィズのサイコロの出目は2、支給された防具は藍色の手甲と膝当て、腰には青色の片手剣が提げられている。
対して俺の出目は5、支給された防具はド派手な虹色、そして武器は斧の様な一対の双剣。…正直俺は太刀以外使える気がしないので今回の武器はハズレだ。
些細な事だが、今回の2人の出目は足すと7、なんとなく脱走が上手く行きそうな気がする。
『じゃあ行くよ、マミー。』
「はい。」
俺とビィズが門の前に立つと、無愛想な兵士がゆっくりと門を開いた。
視界にボンヤリと浮かび上がる松明の光、そして狂気に様観客の顔が見える。…今日で最後と思うとこの光景にも感慨深いものが…
『はやく死ねぇ!!』
不意に客席から罵声が響く。
…訂正、一刻も早くこの箱庭から逃げ出したい。
『では始めようか。』
客席のド真ん中で狂人がパチンと指を鳴らすと、俺達の正面の門が、ゆっくりと開いた。
『さぁ、最後の舞台だよ。』
「誰もこんな舞台に望んで立ちませんがね。」
ビィズの言葉に冗談で返す。…正直、冗談の1つでも言わないと精神の均衡を保てない。
開かれた門からは、いつか隠し部屋で見た馬鹿でかいイャンクックが現れた。
俺の横でビィズが大きく息を吸い込む…俺は直ぐに自分の耳を塞いだ。
『かかって来いやぁぁぁあ!!!!!』
俺の隣で雄叫びを上げるビィズ、塞いでいるはずの耳の奥がビリビリと振動する。…叫ぶにしても限度と言うのを弁えて欲しい。
ガンッ
不意に俺の隣から鈍い金属音が響いた。振り向くと其処にビィズの影はなく、ピンク色の巨大な影が通り過ぎるところだった。
客席からは俄かに歓声が巻き起こった。
次に俺がイャンクックを見た時、奴の足にはグッタリとしたビィズが掴まれていた。彼の肩からは夥しい量の赤い…赤い何かが流れ出ていた。
俺の額を一筋の汗が流れた。
次の瞬間、ビィズを掴んだままのイャンクックが此方に向け低空飛行で突っ込んで来た。
宙を舞い迫り来る大怪鳥…俺は咄嗟に両腕を前に構えた。

飛翔

巨大な怪鳥が此方に向け一直線に飛来する。大きく開かれた鉤爪は俺の胴体をアッサリと握りつぶせるだろう。
怪鳥の足が俺の胴体を鷲掴みにした。客席からは闘技場を揺るがす程の歓声が巻き起こった。
…その瞬間、俺は思わず顔をニヤリと歪めた。
俺とビィズを掴んだまま月夜に舞い上がる大怪鳥、バカみたいな奇声を発していた客席も漸く異変に気付き出す。
そう、ビィズと俺がアッサリ捕まったのは全部芝居。俺達を優しくホールドする大怪鳥は、ビィズが丹精込めて飼育した取って置きらしい。
初めにビィズが叫んだのはこの大怪鳥に対する合図だったのだ。…しかしどうやって竜を飼育したんだか…
ゆっくりと高度を増していく大怪鳥は悲鳴を上げる観客達の頭を掠め闘技場の高い塀を乗り越える。高い塀の向こうに見えた夜の景色は、殆ど見えないはずなのに酷く幻想的で美しく見えた。
もう少し…もう少しであの景色に手が届く…
そう思った刹那、俺のすぐ上を何かが掠めた。
瞬間、真っ赤な血が頭上から垂れてきた。微かに呻く大怪鳥
『ジョージ、どうした!?』
このイャンクック、そんな名前だったのか…とそんな事を言っている場合じゃない!!
俺が客席を振り向くと、いつか見た黒い銃を構えた狂人がいた。
『この箱庭から逃げる方法は死しかないんだよ…餓鬼共。』
距離的に考えて聞こえる筈のない台詞が、真っ直ぐに向けられた黒い銃口が俺の体を凍り付かせる。
奴からは逃げられない。
客席の真ん中で引き金を引く狂人の姿が酷くスローに見えた。
紅蓮の炎と共に放たれた弾丸が闇夜を突き抜け此方に迫る。
俺の隣ではビィズが懸命にジョージに指示をしているが、間に合いそうにない。…俺は自分が何者かも判らないまま死ぬのか…そんな諦めが頭を過ぎる。
その時、空を裂く弾丸の弾道を遮り、何かが煌めいた。…あれは、酒瓶?
瞬間、弾丸が弾け黄色い閃光が夜空に小さな太陽を造り上げた。客席中から網膜を灼かれた観客の悲鳴が響いた。…いい気味だ。
『トばせジョージ!!』
クァァア!!
その隙に俺達は夜の帳に消え去る事に成功した。
みるみるうちに小さく成っていく箱庭…
『もう二度と戻りたくないね』
「全くです。」
俺達は見事箱庭からの脱走に成功した。

主犯

「まさか灯り様に貯めていた光る虫が役に立つとはな。」
私は視界を灼き尽くす様な閃光から目をそらしながら呟いた。
しかし見事に弾丸に直撃した物だ。我ながらナイスコントロール。
2人を掴んだ怪鳥の影は完全に暗闇に溶け込んでいた。…問題はあの狂人が私にどんな罰を与えるかが問題な訳で…
漸く閃光が収まった闘技場の客席に目をやると、狂人が何時もの席に鎮座していた。先程の黒い銃は何処にも見当たらない。…この場で即射殺、と言う事はない様だ。さて次に奴がなんと言うか…
少し間を置いて狂人はスッと立ち上がった。
『諸君、残念ながら今日の舞台はコレでお仕舞いだ。』
だが、奴の口からは予想外の言葉が発せられた。その言葉を聞いた観客共が俄かに騒ぎ出す。…まぁあんなトラブル(主犯は私だが)があったうえ、何の謝罪もなく帰れと言われれば怒りもするだろう。
狂人の周りを取り囲む様に集まる観客とそれを宥める兵士達、ちょっとした暴動になりつつある。…いいぞ、もっとやれ。
ギリィ‥
何かを擦り付ける様な嫌な音が闘技場に響いた。瞬間的に暴徒達は静まり返り、代わりに小さな溜め息が聞こえた。。
『諸君‥聞こえなかったようなのでもう一度言おう。私の箱庭から出て行け、今すぐに‥』
誰にでも聞き取れる様にゆっくりと殺気と共に発せられたその言葉は、刹那の内に観客を凍り付かせた。
そして客席はあっという間に空っぽになった。
そして無理矢理客席に詰められていた奴隷達も部屋へと収容されていく。
気が付くと私の後ろの扉も既に開かれていた。‥何のお咎めも無しか?確実に私がやったとバレたと思ったのだが。まぁバレてないならそれで良い‥
私が扉を潜るとすぐ隣に、蒼い影が立っていた。
それの存在を認識した瞬間、私の体中から嫌な汗が噴き出した。‥やはりバレていたか…
『明日を楽しみにしていろよ?』
私が声の方を振り向くが蒼い影は無く、代わりに奴の笑い声が暗い廊下に木霊していた。

誰も居ない部屋

昨晩の騒動から約一日、今宵の空には満月が浮かんでいる筈なのだが曇っていてサッパリ見えない。
今日も何時もと変わらず豪華な食事がテーブルを占拠する…が、明らかに量が多い。全く持って地味な嫌がらせをしてくれる。
私はパンを一口大に千切って口に運んだ。…うん旨い。パンをもう一口に運ぼうとしたとき、黒い何かがパンの中でキラリと光った。
私は徐にパンからそれを取り出した。
それは黒く、妖しく、美しい光を放つ宝石を付けられた指輪。魔力的な光に魅せられた私はその宝石を深く覗き込んだ。
黒い光の中にはもっと黒く禍々しい何かが渦巻いていて…その中には…見てはいけない…見るべきではない何かが映っていた。
「…ぅ」
私は反射的にそれから目を逸らした。
私が目を逸らした時、料理は既に冷え切っていた。気付かなかったが相当な時間、宝石を見続けていたらしい。…恐ろしい石だ…
私は即座に宝石を箱にしまい込んだ。
テーブルを埋め尽くす冷え切った料理を今更食べる気にも成れない。私そのままベッドに潜り込んだ。
月も星も映らない真っ暗な空は思いの外快適な眠りを私に提供してくれた。…久しぶりに良い夢を見れそうだ。


(森の中を走る男、彼の正面には化け物に襲われる少女が1人…男は懸命に走るがあと一歩間に合わない。…そして少女は醜い化け物へと姿を変えられてしまった。…そんな彼らの後ろでは蒼い影が1人笑い声を上げていた。)

ドンドン‥
乱暴に扉を叩く音が、私の意識を悪夢から引きずり出す。‥さっき見ていたのは悪夢だったのか?少し懐かしい様な、それでいて決して思い出したくない何かだった様な気がする‥‥十分に悪夢だな。
ドンドン‥
再び扉を叩く音が響く、そんなに急かさなくても今開ける。
『ファルシェ・アコーズ、主がお呼びだ。』
何時もの仏頂面で兵士が言う。‥表は私が寝る前よりずっと暗く静かになっている。こんな時間に狂人直々の呼び出しと言う事は‥つまりはそう言う事なのだろう。
私はもう誰も居なくなってしまうであろう部屋を見た。
「まぁ‥そこそこに楽しい生活だったよ。」
そして私は部屋の扉を閉めた。
兵士の後ろに付いて歩く暗く悪趣味な廊下は、酷く長い物に思えた。

最後の舞台

何時もと同じ様に闘技場への門を潜ったが、其処に広がる景色はいつもとは全く違っていた。
客席に気違いな貴族達は1人も居らず、闘技場を埋め尽している筈の野次はちっとも聞こえない。
ただ…不気味な静寂だけがこの箱庭を支配していた。
そして客席にただ1人いる観客がゆっくりと立ち上がった。
『良い月夜だなアコーズ君。』
どこが良い月夜だ?未だに空を覆う雲を見て私はそう思った。
「主、そんな話は結構だ。それより、要件を手短に教えて頂きたい。」
まぁ要件は聞かなくても解る。昨日の件で私に処分を下すのだろう。
そんな私の顔を見て狂人がクスクス笑う。
『そんな連れない態度を取らなくても良いだろう、アコーズ君?今夜は君の為だけに、この箱庭最後の舞台を用意したのだから。』
「最後の舞台?私を処分するんじゃないのか?」『処分?さて、なんの事かな。』
狂人が口から更に笑い声が漏れる。
『関係無い話だが昨日の脱走者のせいで、ここの存在がバレないとも限らない。だから今夜がこの箱庭最後の舞台なのだよ。』
「そんな最後の舞台に何故私が?」
『君はなかなか素晴らしい役者だ。君のギリギリな戦いを見て客は狂喜していた。‥が私は違うのだよ。』
其処で狂人の表情から笑みが消え去った。
『君は素晴らしい役者だ。だからこそ気に食わない!!何時だって君は本気ではない。私が見たいのは、そんな子供騙しの紛い物な光ではなく、真に弾ける魂の輝きなのだよ!!』
狂人はそうまくし立てると小さく息を吐いた。
『だから今夜は此処とおさらばする記念として君の本気を見せて欲しいのだよ。』
またニヤ付いた顔に戻って狂人が言う。
『今宵の客は私1人だ。君の衣装もダンスの相手も最高の物を用意してある。‥だから今夜こそは君の命が輝く様を見せてくれよ。』
最高の物‥ね。どうやら私の命運は今日尽きるらしい。
『もうすぐで取って置きの衣装が届くよ、アコーズ君。』
狂人の言葉通り、私の後ろの門からは僅かに台車を転がす音が聞こえる。
『所でアコーズ君、君は御伽噺の黒龍を知っているかい?』
黒龍‥古い御伽噺なんかに出て来る災厄の象徴、全ての物に死を齎すとか言われる龍。‥勿論昔の人が創った空想の生き物だ。
「知っている。空想の化け物だろう?」
『そう人の恐怖が創り出した空想の化け物さ。』
私の答えを聞いて狂人はニヤリと笑う。
『だが奴は御伽噺の中ではなく、この現実に存在したんだよ。』
愉しげに語る狂人‥本気でこんな事を言っているのか?
訝しげな私の顔を見て狂人は更に続ける。
『私も信じていなかったさ。しかし数年前、ある噂が広がった‥火山に黒龍が現れた‥とね。この噂が流れたのは極僅かな間だけだ、それに君は僻地に住んでいたから知らなくとも無理はないがね。』
クックッと狂人が笑う。「だがそれは噂だろ?」
『そう、それは誰もが気にもとめない些細な戯れ言だ。‥しかし私には時間と金が捨てる程あったからね。』
ゴロゴロ‥
次第に台車の音が迫ってくる。
『そして私は見つけたのさ!!火口で朽ち果てた黒龍の屍を!!』
狂人が叫ぶと共に背後の門が勢い良く開かれた。振り返った瞬間、視界を埋め尽くす黒に私は恐怖を覚えた。
そこに有るのは只の黒い鎧‥だがその鎧が放つ異様な空気が、そこに一匹の龍が居るように錯覚させる。
『見る者に死を彷彿とさせる黒‥まさに最高の衣装だろう?』
見るだけで吐き気を催す黒を見て、酷く上機嫌に狂人は笑う。
『さぁ、もうすぐ君のパートナーがやってくる。なぁに君もきっと気に入るさ。…だから早く衣装の準備をするんだ、アコーズ君。』
狂人は必死に笑いを噛み殺しながら言う。
…佇む黒の鎧はただ黙って私が身に纏うを待っていた。
黒い鎧を付けた途端酷い幻聴が頭に響き出し、心臓を握り潰す様な圧迫感が私を襲った。
『最高だろう?』
そんな私の姿を見て、狂人がニヤリと笑う。
「あぁ…最高だとも。」私は吐き捨てる様に言った。
そして黒い片手剣を腰に携え準備が完了した。
『衣装を着るだけで随分と時間が係ったな?扉の向こうでは既にレディーがお待ちかねだぞ。』
狂人がまた笑う。
『ではこの箱庭最後の舞台の開幕だ。』
狂人がパチンと指を鳴らすと共に私の正面の門が開いた。其処には火竜よりは小さいが、ランポスよりは大きい何かが居た。
月が隠れているせいでそれが何かは解らないが私は兎に角剣を構えた。黒い剣を見て怯える影…私はそれを見た瞬間、何かデジャビュの様な物に捕らわれた。
『さぁ早く始めなよ。』
「解っている。」
私がそう応えた瞬間、狂人が必死に笑いを噛み殺している様に見えたが、無視して影に斬り付けた。
黒い剣は僅かに影を切り裂いた。
キャァァァ
瞬間、女の様な悲鳴が響いた。刹那、雲の隙間から月光が差し込み、影を照らし出した。私はそれを見た瞬間、黒い剣を取り落とした。
『…たい‥よ、…とう‥ん‥』
影が聞き覚えのある声で小さく呻いた。

この晩、箱庭には狂人の笑い声が響き続けた。

後書き

皆様コンバンワ~もしくはサヨウナラ(笑)
えぇ~大変中途半端ですが、これで一区切りです
何だか書くほど劣化していくこの駄文を読んで頂き有難う御座います(^^ゞ
こっからは作者の脳内設定にターボが入りますのでご注意ください

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最終更新:2013年02月26日 15:08
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