はじまりはじまり
どんな物語にも始まりがあって終わりがある。
しかし一旦終わりを迎えようと、その世界は誰にも知れずひっそりと続く。そうひっそりと‥
そして運が良ければ遥か先の未来か、はたまた僅か昔が新たな物語として描かれる。
そして今回‥
此処では今の物語と前の物語、その間の約10年に有ったことを少しだけお話しましょう。
コレは"前"にとっては知る由もない未来であり、"今"にとっては現在の自分を作った過去の話。
そんな間の話に興味のある方は期待せずに聞いて行ってくださいな。
ではでは‥
欲望と切れ端を繋ぐ間の話‥はじまりはじまり‥
ある男の"間"
死の大地
男は倒れていた。死の大地、火山で大量の岩や石ころの下で1人。
男の片腕は二の腕から先が焼け落ちていた。が酷い火傷のお陰で出血も少なく、どうにか生きている。
「あっつい‥」
ただ、彼がここに放置され間も無く丸一日が経つ。灼熱のマグマの河は徐々にその幅を広げ、今にも男を飲み込む勢いだった。
「悪い事ばっかりして来ましたが‥ここで死ぬんですかね?」
男は誰に言うでもなく1人呟く。
「どうだろうな?」
突如、中年のオッサンが男の前に現れる。
「‥旦那、どうせならもっと早く助けて下さいよ‥」
「病院を抜け出すのに時間を喰ってな‥ほら帰るぞ。」
オッサンは素早く男を引っ張り出すと、緑の煙幕と共に死の大地から消え去った。
病室
男が火山から運び出されて数週間後‥
都市の片隅にある病院の一室に男は居た。
跡形も無く消し飛んだ男の片腕には痛々しい手術の跡と、見た目だけ腕の形をした金属がくっ付いていた。
試しに動かして見たが所詮は見た目だけの義手、物を掴ませる事程度の事は出来るが、殆どくっ付いているだけだ。
「まぁ、コレでも今の仕事なら余裕でお釣りが来ますがね。」
男は不格好な義手を眺めながら1人愚痴る。
そんな時、病室の扉がガラリと開いた。其処から中年のオッサンが顔を出す。
「相変わらず元気そうだな?」
「それは嫌みですか、旦那?」
オッサンの言葉に男は苦笑いをする。
「軽い冗談だ。‥近々アイツらの結婚式があるんだが‥」
「へぇ、それはめでたいですね。」
「お前は見に来るのか?」
オッサンがそう言うと男は鼻をクスリと鳴らした。
「この前死亡届けを出して漸く本職に精を出せる、って所なんですよ?今更生きてるなんてカッコ悪いじゃないですか。」
男はケラケラと笑いながら言う。
「ふむ‥今なら怪我を理由に退職させてやる事も出来るんだぞ?」
「自分は今の仕事しか出来ないんですよ。辞めるなんて‥無理ですよ。」
男はヘラヘラとした顔で笑う。
「じゃあ結婚式にも来ないんだな?」
「えぇ、死人ですし。」ヘラヘラ笑う男の顔を見てオッサンは1人溜め息を吐く。
「じゃあ仕事だ。」
「え、自分病み上がりなんですが‥」
「その紙に仕事の内容が書いてある。」
「旦那の鬼、鬼畜、一生独身。」
ゴッ
鈍い音と共に男の頭がベッドにめり込む。
「そんだけ口が回れば大丈夫だろう?」
『‥ふぁい。』
オッサンは半ば無理矢理男に仕事を承諾させると部屋のドアに手を掛ける。
「因みに儂はハンターは引退して集会所のマスターをする事にした。だから今度呑みに来い。」
「え‥あの村は顔が割れて‥」
「呑みに来い。じゃあな。」
オッサンはそれだけ言うと、さっさと部屋から去って行った。
「自分酒は苦手なんですがね‥」
そう言いつつも男の顔は笑っていた。
手紙
宛名の無い手軽、差出人は無論無記入だが、なんの手軽かは分かっている。
男は手早く片手で封を切ると、すっと中身に目を通す。
《この度は御愁傷様。死んでいる所悪いが次の仕事に行って貰う。今後の名前は[アルム・ウィソウト]を使用の事。では、健闘を祈る。》
おおよそギルドの暗部からとは思えない、軽い内容の手紙を見て男は1つ溜め息を吐く。
「相変わらずネーミングセンスの無い‥てか嫌みですよねコレは‥」
愚痴愚痴言いながら男、基アルムは手紙に指令の部分に目を通す。
《沼地の薬屋が酷く臭う、至急掃除をよろしく。因みに番犬に注意すること。》
「番犬付きとは病み上がりに嫌な仕事回してくれますね‥まぁやりますけど。」
アルムは読み終わった手紙に火を着けると灰皿に投げ捨てた。そして、患者服を脱ぎ捨てると、サッサと支度をし始めた。
とりあえず手近な袋に荷物を詰める。数日分の食料、ナイフ各種、番犬が居るから罠の支度もしておくか‥ついでに旦那が見舞いに置い行った飴玉も‥
そんな感じで1人荷物を詰めていると、俄かに部屋が暗く成った。
雲でも出て来たのか?
そう思い窓の外を眺めると、何か奇妙な物体が宙を舞っていた。
鳥か?竜か?‥いやアレは‥
「猫!?」
アルムが異物の正体に気付いた時には既に遅かった。
『ソォォクゥタァァツゥニャァァァァア!!』
宙を舞う‥基、空から飛来してきたアイルーはドップラー効果バリバリの悲鳴を上げながら、病室の窓を突き破った。そして‥
「ヌバラァ!!?」
アルムに直撃した。
一瞬意識がぶっ飛んだアルムだったが、アイルーから荷物を受け取ると苛立ちに任せ窓からアイルーをブン投げた。
『マタノゴリヨウヲァァァ‥』
徐々に低くなる猫の声を無視して荷物を開けると、中には小さな手近と赤いマント、そして蒼い太刀が入っていた。
《コレは儂からの餞別だ。追伸:早く傷を治す様に》
「今旦那のせいで傷が悪化しましたがね‥」
アルムは手紙をビリビリに破り捨てると、鎧を身に纏い、袋を背負う。
そして少しだけ眺めた後、太刀を背負いマントを羽織った。
「さて、一仕事行きますか。」
彼は1人そう呟くと、誰にも気付かれずに病院を後にした。
沼地の番犬
1人夜の沼地に足を踏み入れるアルム。
この沼地付近の村には何やら胡散臭い研究所があり、その研究所の秘密の実験施設がこの沼地の何処かにある。
‥と言う事らしい。こう言った胡散臭い噂は研究所等の怪しい施設には付き物だが、ギルドがあると言うのだから実在するのだろう。
アルムは、とりあえず如何にも怪しい人の足跡を辿ってみる事にした。
因みにだが先日燃やした手紙に書かれていた《薬屋》とは研究所の事であり、《臭う》とは何かマズい実験をしている、と言う意味である。
更に今回は"酷く"と書かれているので、かなりヤバい実験をしているらしい。
《至急掃除をよろしく》とは無論、その秘密施設を一切合切跡形も無く処分しろ、と言う意味である。
そして《番犬》とは‥
「これは大層な番犬ですね。」
突如、足跡を辿って来たアルムの前に巨大な‥否、歪なババコンガが現れた。
‥つまり番犬とはこう言う意味である。施設の付近に研究所が何かを番犬代わりに放している事を意味する。
そしてその番犬が目の前に居る訳だ。
「しかし‥気持ち悪いですね。」
アルムは目の前のババコンガを見て鼻を噤む。
本来のババコンガはピンクの毛並みで、巨大な猿の様な
モンスターな訳だが‥目の前のババコンガは本来のそれと大きく異なっている。
先ず第一に右腕だけが異常にデカい。その上尻尾が通常の倍近く太くて長い。更には体の各部位に縫った跡が見て取れる。
「全く‥何の実験してるんですかね?」
ボヤキながら太刀に手を掛けるアルムを見て、番犬は異常に発達した右腕を振り上げる。
「おっと‥」
ターンと後ろに跳ねたアルムの眼前で、怪腕が炸裂した。アルム自身に直撃はしていないものの、八方に弾けた砂利や石礫が彼に襲い掛かる。
「っと!!」
アルムはバサリとマントを翻し石の雨を全て叩き落とした。
捌けないレベルではないが、こう無差別攻撃だと奴に接近するのは難しい。
くるくる思考を回すアルムなど無視して、番犬は次々に石雨を繰り出す。
「さぁ、どうしますかね‥」
アルムはマントを翻しながら、そう呟いた。
番犬‥?
アルムはババコンガから更に距離を取ると、鞄の中から取り出した白い玉を破裂させた。それと同時に辺り一面を白い靄が覆い隠した。
彼が使ったのは煙玉、一時的だが大量の煙を発生させる事が出来る。そしてその隙にアルムは岩陰へと身を隠す。
「さてどうしますかね‥」
彼は霧の中暴れ回るババコンガを観察しながらそう呟く。
本来モンスターの類は人には懐かない。一部にはモンスターを調教出来る者もいるらしいが、それでも完璧に奴らを操るなど不可能だ。
なので、今暴れているババコンガなどの番犬も実際は飼い主の言う事など聞きはしない。
実際、番犬とは名ばかりで野生のモンスターと大差はない。つまり番犬の縄張りの中にバレない様に守らせたい施設を作っただけで、奴らに番犬としての意識は無い。よって奴をまいたとしても追い掛けられるなんて事はない。
よって目の前のババコンガを無理に倒す必要は無いのだ。
今のアルムの所持品は旦那からの贈り物である太刀以外は、人斬り包丁と対人用の道具程度である。まぁババコンガ程度倒せない事はないが、そんな事をしている内に標的に逃げられたりしたら本末転倒である。
よって此処でのベストな選択はババコンガに追跡されない様に逃げる事、である。
‥自慢ではないが逃げる事に関しては達人級である。
「それで行きますか‥とぉ?!」
アルムの呟きに反応してか、隠れていた岩がババコンガの一撃によって砕かれた。
地面をゴロゴロと転がりながらもアルムは鞄の中に手を伸ばす。そして小瓶を掴むと躊躇わずにブン投げた。
刹那、小瓶から眩い光が炸裂した。
目を抑えのた打つババコンガの横を素通りするアルム。しかし、このままだと後で追われる可能性が有るのでもう一工夫しておく。
‥
閃光玉の影響から漸く解放されたババコンガは、無論アルムの姿を探す。が、そんな奴の視界に有るものが映る。白い骨が突き刺さった旨そうな塊‥それは生肉。
ババコンガは即座に生肉にかぶりつき、その場にぶっ倒れた。
「馬鹿を撒くのは楽ですね。」
アルムは鼻歌混じりにそう呟いた。
生温い
アルムは足跡を辿り洞窟の中程までやって来た訳だが、其処で足跡は途絶えていた。
「そこまで甘くは有りませんか‥ん?」
其処で彼は有る事に気が付いた。
「‥生温い?」
そう洞窟の内部が妙に生温い。
沼地の各地に存在する洞窟は本来凍える程に寒い。それは一日中日が射さない事や、洞窟の地面に常に水が溜まっている等の理由なのだが‥
ともかく、そんな洞窟内が生温いなど本来有り得ない。そしてその生温い理由は大凡の検討が付いている。
アルムは洞窟の生温い空気をより暖かい方へ辿って行く。そして直ぐにその生温さの源へと辿り着いた。
其処はパッと見は洞窟の壁と何ら変わりない。だが、触ってみるとその不自然さが理解出来る。
「此処だけ質感が違いますね。」
アルムはそう呟くと2、3度、壁を叩いて見た。するとカコンと言う音と共に突起が凹み、壁の一部が横にスライドし始めた。それを見てアルムはニヘラと笑う。
「ヤバい商売してる割に危機意識が低いですね。足跡も残ってますし、仕掛けも安いし‥」
アルムが1人ニヤニヤしている内に、仕掛け扉が完璧に開いた。
しかし、扉の向こうから現れたのは舗装された通路ではなく、無数の銃口だった。
「あぁ、罠ですか‥まぁ予想はしていましたが‥」
苦笑いを浮かべるアルム目掛け無数の弾丸が放たれた。そして、開いた扉からは大量のランポスが飛び出して来た。
研究資料
ギャァァァア
生温い洞窟に断末魔が響き渡る。
そして赤く染まった水溜まりには、1つの影だけが残っていた。
「フッ‥この程度の罠じゃ
オトモアイルー一匹殺せやしませんよ。」
アルムは鼻で笑うと、太刀を一度振るってから鞘に納めた。が、そんな言葉とは裏腹に額は冷や汗でビショビショになっている。
兎も角、アルムはマントを羽織直し顔を隠してから、扉の中へと歩を進めた。
「ホッ!!‥何も無いですね‥」
罠を喰らったせいで曲がり角の度に身構えるアルムだが、罠どころか人影1つ見当たらない。
「‥妙ですね。」
そんな施設の様子に首を傾げるアルム。あんな罠がある以上ここがマズい施設であるのは明白であり、そんな秘密の施設に誰も居ないのは妙としか言いようが無い。
その奇妙さに付いての答えが出る前に、アルムの目の前に2つの扉が表れた。
「迷ったら左‥と言いますから右にしますか。」
言いながら、右の扉をソッと開けて中に入った。そこはそこそこに広い部屋、壁一面には本棚と研究資料やレポートの様な物で埋め尽くされていた。
その中から一番古そうな物に手を延ばしてみる。
《一時的に力を増強する鬼人薬の調合方法》
どうやら調合の参考資料らしい。
次は一番新しそうなファイルに手を延ばしてみる。
《鬼人薬等の増強剤の効果をより強力且つ永続的に得る為の実験》
アルムはそのまま二枚三枚とファイルに目を通す。そのファイルには永遠その実験の内容が書かれていた。
実験の対象は小型モンスターから始まり、人間、竜へと移っていく。この薬品は外見が著しく変化すると言う副作用があるものの、殆ど完成しているらしい。
その成果として、薬を服用したモンスターが壊滅させた村などが記されいた。
つまりこの施設では薬物により生物兵器を作り出す研究がされているらしい。先ほどの番犬も研究の産物だろう。
「なるほど。」
アルムはそう言ってファイルをパタンと閉じた。
生物兵器なんてベタな物が創れれば、物好きな金持ちから危険な思想家まで、幾らでも買い手がいるだろう。
そして、そんな物が出回れば色々とマズい事になる。
「ま、どうなろうと自分には関係ないですがね。」
アルムは笑いながらそう言い放つとファイルを後ろにほり投げた。そして、入って来た扉を蹴破ると反対側の扉をバラバラに切り刻んだ。
「どうせこの施設は今日消えてなくなるんですから。」
彼はそう言いながらニヘラと笑った。
被検体
文字通り切り開いた扉の向こうは、またも長い廊下だった。しかし、先程と違いその廊下からは僅かだが鉄錆の臭いが漂っていた。
「‥何事ですかね?」
アルムは首を傾げる。今回の仕事は自分1人の筈であり、先客がいる筈は無いのだが‥
この施設で何が起こっているのかは解らないが、用心するに越したことはない。
アルムは何時でも刀を抜けるように構えたまま、足音1つ立てずに奥へと進んで行く。
暫く進んで行くと廊下の壁の一部が破壊されていた。そしてその壁の対面には無理やりこじ開けられた鉄の扉‥その元扉の上には実験室》と書かれていた。
中を覗いたアルムは思わず鼻を摘んだ。実験室の中には原型留めていない元研究者達、空っぽの鉄折り、そして不気味なオブジェと化した3つの鉄塊があった。
そして各々のプレートには被検体1、2、3、4と書かれていた内一体を先程のババコンガだとしても‥この施設には最低でも3体の化け物が徘徊している事になる。
「自分達で作った化け物に殺されてるんじゃ世話無いですね‥全く。」
アルムは溜め息を吐きながら室内を調べる。
鉄塊のサイズから考えて大型が一体‥これは先程のババコンガだろう‥ドスファンゴサイズが一体、そしてランポスサイズが二体と言った所か‥
ガサガサ‥
廊下の方から明らかに人ではない足音が近付いてくる。それも、血生臭い臭いと一緒に。
「自分は人専門なんですがね。」
アルムはヤレヤレと首を振ると蒼い太刀を構えながら後ろを振り返った。
後ろに迫った化け物を見た瞬間、アルムは今回の仕事を辞めずに来たことを少し後悔した。
其処に居たのはカンタロスと呼ばれる虫のモンスター。甲虫の様な外見と堅い殻、そして鋭い角を持つ巨大な虫‥が巨大と言ってもせいぜい籠手程度なのだが‥
目の前のそれは軽くランポス程度なら軽く引き裂ける位のサイズだった。
巨大過ぎるカンタロスの角にベッタリと血糊が付着しているのを見て、アルムは大きく後退りをする。
手持ちの太刀は龍属性、虫には全く効果を持たない。それでも本来のサイズのカンタロスならば何ら問題無いのだが、如何せん目の前の奴はデカすぎる。
「なんて化け物作ってるんですか‥」
突っ込んで来る巨大過ぎるカンタロスを見ながら、アルムはそう愚痴った。
硬い
眼前に迫る血深泥になった角。アルムは小さくしゃがみ込みそれを避けると、立ち上がる勢いに乗せて太刀振るった。
ギィン
しかし、振り抜かれた太刀は、切っ先から血飛沫の代わりに火花を散らしながら弾き返された。
大きく体制を崩したアルムに対して、巨大なカンタロスは振り向き様に角の一撃を繰り出す。
アルムは寸での所で角を弾くと大きく後ろへ飛び退いた。そんな彼の目の前をハラリとマントの切れ端が舞う。
「クッ‥」
微かに切り裂かれたマントを見てアルムは舌打ちをする。
奴の殻は想像以上に硬い。無理やり斬ろうにも片腕では力が足りなさすぎる。これなら石でも投げた方がマシかも知れない。
アルムがそんな事を考えていると再び角が迫って来た。
彼が横に跳ねそれをかわすと、カンタロスは勢い余って歪んだ鉄扉に突っ込んで行った。
パキッ
刹那、何かが割れる様な音が室内に響いた。が、そんな事お構い無しにアルムに振り返るカンタロス。だが、振り返った奴の角には大きな亀裂が走っていた。
流石に鉄製の扉には適わなかったか?しかし、それにしたって簡単に亀裂が入ったな、あんなに硬い甲殻なのに‥
其処まで考えてアルムは有る事を閃いた。
「なるほど、硬すぎる訳ですか。」
彼はそう言うとニヤリと笑みを浮かべた。
笑うアルム目掛け三度突撃を繰り出すカンタロス。
そんなカンタロスを見て、アルムは何を思ったか太刀を納め背を向けた。そして角が肉を抉る寸前にマントを大きく広げた。
ズバァッ
爽快な音を立て引き裂かれる薄っぺらなマント‥だが、その向こうにアルムの姿は無く部屋の壁が迫っていた。
ドゴォ
轟音と土埃を上げ壁にめり込むカンタロス。その背中にアルムがスッと飛び乗った。その手には蒼い太刀ではなく、人斬り包丁が握られていた。
「知ってますか虫螻さん。硬いって事は脆いって事なんですよ?」
アルムはニヤニヤしながらそう言うと、天井目掛け刀を振り抜いた。
彼が刀を納めた瞬間、鏃型に切り抜かれた天井の一部がカンタロス目掛け落下を始めた。
頭上に迫る死を察知してか激しくもがくカンタロス。だが、深く突き刺さった角は簡単には抜けなかった。
アルムはそんな虫螻の背中からタンと飛び降りた。
「おやすみ虫螻さん。せいぜい良い夢を‥」
パキャア
彼がそう言い終わると共に、不気味な音と共に何かが飛び散った。
白衣の男
壁にめり込んだ角から、大きく裂かれたマントを回収する。
「‥ま、まだ大丈夫ですね。」
ズタボロになったマントの傷は余り見ないようにして、そのまま羽織り直す。
天井の一部に頭部をグチャグチャに潰されたカンタロスは、ビクビクと不規則に肢体を震わせている。
何故こうもあっさり甲殻が砕けたのか?
それは先程アルムが言ったとおり、硬いは脆い、と言う事だ。一見矛盾している様に思えるがこの言葉は間違っていない。
ダイヤモンドの様に高い硬度を誇る物質は確かに頑丈だが、衝撃が加わってもその硬さ故に変形出来ず破壊エネルギーを逃がす事が出来ない。
なので強い衝撃が加わると存外簡単に砕けるのだ。
今回は腕力だけでは足りないので天井を利用した訳だ。
「さて‥コイツがデカい奴と考えても後二匹ですか‥」
アルムは言いながら頭を掻く。
目の前の死骸より小さいにしても‥あと二匹の化け物がこの施設の中にいる。アルムにとって、根本的にモンスターは専門外である。
‥そして何より、既に施設内の人間が全員死んでいる可能性がある。そうなるとアルムが今している事は完全に無駄なうえ、化け物退治と言う無駄骨付き‥
「むぅ‥帰ろうかな?」
アルムが冗談半分でそう言った時だった。
ウワァァァァア!!!?
廊下の奥の方から男の悲鳴が響いてきた。
「まだ生きた人が居たみたいですね。」
アルムは小さく溜め息を吐くと、悲鳴の聞こえた方へ走り出した。
狭い廊下に飛び出し、1つ角を曲がると次の突き当たりに扉が現れた。それを確認すると走る勢いのまま飛び跳ね、扉を蹴破った。
ギャッ
吹っ飛んだ扉の向こうから何かの悲鳴が聞こえた気がしたが、まぁどうでも良い。
部屋の中は先程同様死体まみれ‥そんな中で先程悲鳴を上げた思われる白衣の男がガタガタと震えていた。
アルムはお構いなしに男に問い掛ける。
「生き残りは貴方だけですか?」
男はビクッと震えた後、首を縦に振った。
「じゃあ名簿とか有りますか?」
男は一瞬不審そうな顔をした後、首を縦に振った。
「それは何処に?」
男はスッと部屋の奥の壊れた扉の1つを指差す。「はいどうも~。ではおやすみなさい。」
アルムはそれだけ聞くと、スッと扉の方へ歩き出した。
助けが来たと思った男は自分から離れて行くアルムを見て、急いで立ち上がった。助けて貰う為に‥
だが次の瞬間、男の首はストンと地面に落ちた。背後で赤い噴水と化した男には目もくれず、アルムは扉に手を掛けた。
少女が1人
壊れ掛けた扉をこじ開けると、ある物がアルムの目に飛び込んで来た。それは小さな少女とその背後で涎を垂らす青い影‥
アルムはランポスが此方を振り向く前に渾身の力で地面を蹴った。マントを靡かせ宙を舞うアルムに気付いて、ランポスが此方を振り向く。
薬品のせいかその牙と爪は異様に長く鋭い、そして全身の筋肉が異様に発達している。まともにやり合えば苦戦を強いられそうだが、残念ながら既に奴は既に刀の届く範囲に入っていた。
赤く汚れた牙を剥き、威嚇の姿勢をとるランポス。だが、それらの行為は全て遅すぎた。
「おやすみ蜥蜴君。」
アルムが空中で刀を抜きながら一回転すると、ランポスの上顎と下顎が上下に泣き別れた。
アルムはランポスの血が少女に降りかかる前に、少女をマントの内側に隠した。
マントにビチャビチャと血が降りかかる音を聞いては漸くアルムの存在に気付いたのか、少女はグリンと首を上に向けた。
髪は金髪‥と言うより色素が抜けた様なイメージに近いく、それと同様に肌の色も妙に白い。
そんな少女の細い目が数秒アルムを見上げメキョッと開いた。開いた白金色の瞳がジーッと此方を見つめる。そして‥
グ~ッ
間抜けな音が響いた。少女は空っぽの缶詰めをカラカラと振ってから口を開いた。
「お腹空いた。」
アルムはそんな少女を見て、彼女が何者かを考える前にマントの内側へ手を突っ込んだ。そしてある物を差し出す。
それは病室でお見舞いに貰った飴玉達。少女の視線はそれに釘付けになった。
「これ、食べますか?」
「食べる!!」
アルムは少女に飴玉を手渡すと近くの椅子に座らせた。少女が一心不乱に飴を舐めている隙に、アルムは散乱した紙切れを漁り、お目当ての物を探し出した。
「さてさっさと確認して帰りますか。」
そう言うアルムの手には一冊の名簿が握られていた。
アルムが部屋を出るとそれに続いて飴を頬張った少女も部屋を後にした。
この子は誰?
アルムは研究員の名簿とそこら辺に食い散らかされている元人間達を照らし合わせていく。
「んー、全員死んでますね。」
名簿の最後の1人にペケ印を付けると、グッと伸びをする。後ろに付いて来ていた少女も真似をして伸びをする。
アルムは180°回転して少女の視線まで腰を落とす。先程名簿に目を通した訳だが、少女の写真は無かった。第一なんでこんな物騒な所に少女が独りで居るんだろうか?
研究員の娘?
はたまた迷子?
拉致誘拐?
アルムはあれこれ考える前に、本人に聞いてみる事にした。
「ちょっと良いかなお嬢さん?」
アルムがそう言うと少女は飴を舐めるのを止めて此方を見た。
「お嬢さんのお名前は?」
少女はクイっと首を傾げる。
「じゃあお母さんは?」
少女は又も首を傾げながら飴を舐め尽くした。
「‥それじゃ名前は?」
「解んない!!」
「うむ‥じゃあ年は?」
「4か5!!」
少女は曖昧な答えを元気ハツラツに言い放つ。
アルムはそんな少女を見て頭を掻いた。
今回の仕事は既に終了済だし、まだ被検体が一体残っている可能性がある。なのでさっさと此処を出たい訳だが、少女独り置いていくのは気が引ける。
とりあえず本人に聞いてみるか‥
「お嬢さん、自分と一緒に来ますか?」
「行く!!」
アルムの問いに少女が即答する。
本人の承諾も得たのでさっさと此処を出るとしますか‥
アルムがスッと手を差し出すと、少女はパァッと笑いながらその手を握った。
アルムは少女の手を取ると、鉄錆の臭いの代わりに腐敗臭が充満しだした施設を後にした。
No.4
施設を出てから、アルムはずっと考えていた。今手を繋いでいる少女もの事もそうだが、始末していない被検体の残りについて‥
被検体と闘った感想を言うとかなり個体差があるらしい。巨大カンタロスはなかなかのホラーだったが、筋肉ランポスは切ない程に弱かった。
残りの一体も筋肉ランポス程度ならほっといても問題無い訳だが、巨大カンタロス以上の物となると沼地の生態が崩れる可能性がある。
「やっぱり‥始末するべきでしたかね?」
1人呟くアルムの腕がクイクイ引っ張られる。無論引っ張っているのはさっき拾った少女。
「何ですか?」
アルムは腰を屈めて少女に問う。
「お腹空いた!」
少女が自慢気に言う。先程大量の飴を平らげた少女を見ながら、アルムはマントの中身を弄ってみる。だが、残念ながら指に触れるのは布の感触だけだった。
「さっきの飴が最後だったみたいですね。」
アルムが苦笑いしつつ言うと、少女はプクッと頬を膨らます。
「いや、そんな顔されましても…あ、出口ですよ。」
少女の気を逸らすべく洞窟の出口を指差すアルム。が、不意に洞窟の出口が真っ暗になった。そして、出口の光の代わりに不気味な地響きが近付いてくる。
「あぁ‥忘れてましたね。」
暗闇から近付いてくる者が何か、気付いたアルムは大きく溜め息を吐いた。そして刀に手を伸ばそうとして、有る事に気が付いた。
「太刀がない!?」
そう何故だか太刀が二振りとも無い、序でに少女も居ない。
「お嬢さん、どこ行きました!?」
慌てるアルムの眼前にババコンガの怪腕が迫る。だが、振り上げられた歪な腕はアルムの頭を砕かずに明後日の方向へと消え去った。
そして1コマ遅れて奴の腕から血飛沫が舞う。苦痛の叫びを上げるババコンガ。
「りゃぁぁぁぁあ!!」
そんな叫びを掻き消して、アルムのではない雄叫びが轟いた。
ズバァ
爽快な音と共に奴の体に一組の平行線が走った。そして‥
ギャァァァァアァ!!!
悲痛な断末魔と共にババコンガの体がバラバラに崩れた。その向こうからは、自身の身長の倍近い太刀を2振り同時に構える少女の姿が有った。
粗末な服から覗く彼女の肩口には《sampleーNo.4》と書かれていた。
「貴女が最後の一匹だったんですか‥」
1人納得するアルムを余所に、少女はババコンガの死体に近寄って行った。
良い所?
少女は徐にババコンガの死骸に近付くと、カパっと口を開けた。どう考えても食べる気なんだろう。
「ちょっ?!誰かさんじゃあるまいし、そんな物生で食べたら腹こわしますよ!!?」
急いで少女を取り押さえるアルム。が、予想以上に豪快なアッパーが彼を襲った。
「ぬがぁ?!」
「お腹空いたー!!」
少女はポカポカとアルムをぶん殴った。‥文にすると軽々しいが、実際は一発事に凄まじい音が響いている。
そして数発目の剛拳がアルムの義手を直撃した。
パキョォーン
奇っ怪な音を立て吹っ飛んだ腕を見て少女は目を丸くする。そして‥
「ウワァァァァァアヴデガー!!」
大声を上げて泣き出した。どうにも腕が飛んだ事に驚いたらしい。
「いや、あれは義手ですから。ね、泣かないでください?!」
アルムが必死に宥めると漸く少女は泣き止んだ。しかし、今尚頬を膨らましている。
「お腹空いた‥」
少女はジッとババコンガを眺める。
「いやアレは駄目だって‥そうだ、良い所に行きましょう。」
「良い‥所?」
アルムは半べそな少女を見てニコッと笑った。
カノク・ゴールド
場所は変わって鬱蒼と木々が生い茂る何処かの密林‥
そこら中を子供が駆け回っている村の奥には質素な集会所があり、そこのカウンターに少女と赤いマントの男、そしてオッサンのマスターがいた。
「で、儂の所に来た訳か、ただ飯食べに‥」
「奢ってくださいよ旦那、今自分無一文ですし。」
「しかし‥あれは食い過ぎだろ?」
オッサンの指差す先には十数皿目を食べる少女の姿が有った。
「だから無一文なんですよ‥」
アルムはグッタリと頭を擡げた。少女は更にお代わりを頼む。
「まぁツケにしといてやる。‥しかしなんだその格好は?」
「コレなら逆にバレないかと思いまして。」
アルムはヒラヒラと真っ赤なマントを降って見せる。
「相変わらず変装の才能が無いな‥まぁ今奴らは外出中だから良いが。」
オッサンは小さく溜め息を吐く。
「所でそのお嬢さんはどうするんだ?なんなら村長に頼むが‥」
「いえ、この子は自分が預かります。」
「‥お前、ロリコンだったのか?」
「違いますよ!!」
アルムがダンとカウンターに乗り出す。
「冗談だ。ムキになるな。」
オッサンはそんなアルムを見てクックッと笑う。
「しかし何でそんな事を?」
「仕事柄結婚出来そうに無いんで、せめて子育てだけでもしてみようかと‥まぁ旦那のマネがしたくなったんですよ。」
「そうか‥所で名前はどうするんだ?」
「そうですね‥カノク・ゴールドにします。」
「変わった名前だな?」
「殴られた仕返しですよ。」
アルムはケラケラと笑うとグラスの酒を飲み干した。
「じゃあ自分はこれで。」
「ちゃんとツケ払いに来いよ?」
「分かってますよ。カノク、行きますよ?」
「はい、ご主人様!!」
少女の一言で場の空気が凍り付いた。
「お‥お前‥」
「ま、また来ます…!!」
気まずくなったアルムはカノクを脇に抱えるとダッシュで集会所を後にした。
『ご馳走様ー!!』
扉の向こうから微かに聞こえる少女の声を聞いて、オッサンはクスリと笑う。
「大変だぞ、ガキを育てるってのは…」
オッサンはクスクス笑いながら食器の片付けを始めた。
ある村の"間"
僻地の村
此処は火山の麓‥所謂僻地にある村。
人口はボチボチ、特産物は特には無いが各所に温泉が湧いている。因みに赤銅色。
数年前まで名前すら無かった訳だが、近年では名前が付いた日に祭なんかもやっている。
表向きは村の誕生祝いの祭と言われて居るが、一部の人間には別の名で呼ばれている。
『絶龍祭』‥と
まぁ飽くまでも噂なのだが、そんな噂の真偽を知る為か、それとも単なる野次馬か‥祭は毎年異様に賑わう。
その村の名は『ヴォルボーン』災厄の龍が生まれ、そして死んだ村。
だが、この村で起こった真実を知る者は極僅かで噂程度に止まっている。
そんな噂のせいかこの村には、時折おかしな来客がやって来る。
三回目の祭が終わった位には竜人族と人間の爺さんのコンビがやって来て、今では火山の洞穴に住み着いている。
竜人の爺さんはかなりの変わり者だが、人間の爺さんは何でも『朱蟹』と呼ばれるガンナーで、過疎気味な村としてはかなり助かっている。
なので村としては2人が火山の洞穴‥龍の墓穴で何をしていようと気にも止めて居なかった。
そして5回目の祭が終わって大分たった頃、ある男が村を訪れた。顔まで蒼いローブで覆った見るからに怪しい男‥その顔は何故か笑っている様に見えた。
男は村の入り口に一番近い旅館に入ると男は、番頭を捕まえてこう尋ねた。
『ミラボレアスって龍を知ってるかい?』
番頭はその言葉に首を振る。男は困った様に首を傾げ暫し考えた後、何か思い出した様にニヤッと笑った。
『じゃあ竜人族の爺さんを知らないか?かなり偏屈な。』
番頭はその言葉を聞いて、直ぐに洞穴の爺さんの事だと分かった。番頭は簡単な地図を書くとそれを男に手渡した。
『ありがとう。』
男は番頭に少しばかりのお礼を渡すと、スキップ混じりに旅館を後にした。
その後ろ姿は凄く愉しげで、酷く不気味で、寒気を感じさせる何かを放っていた。
クシュン
番頭は小さく嚔をすると、鼻を垂らしたまま旅館の仕事へと戻って行った。
黒い鎧
火山の洞穴に造られた工房。この工房は主の趣味でこんな場所に造られた訳だが、それには幾つかの理由がある。
まず、火山の内部、マグマ溜まり付近に工房を造る事によって竈が簡単に高温にする事が出来る。
次に鉱石やら太古からの贈り物が取れたりする。
更に、工房の主は人混みが嫌い。
そして最後に、この火山に災厄の化身が眠っている事。この場所に工房を造った決定的な理由はコレだ。
と言っても始めは主もただの噂だと思っていたし、ほんの暇潰しのつもりで此処に住み着いた。だが、偶然それを見付けてしまったのだ。
それを見付けた工房の主は何かにとり憑かれた様に、ある鎧を造り上げた。
悪魔を模した翼が付いた、全身が闇すら飲み込む程の黒で彩られた禍々しい鎧。
コレを造った当初、工房の主は誰かにコレを売る積もりは無かった。確かにコレは彼の生涯で一、二を争う出来だったが、造った本人が躊躇う程不気味な出来でも有った。
災厄の化身が其処にいると錯覚する程に‥
だがある日、主はあろう事かその鎧をフラッと現れた男に譲ってしまった。蒼いローブを纏った不気味な男に‥
そんな主に雇われの老ハンターが尋ねる。
『良いのか、あげちまって?』
『構わんよ、鎧が奴を選んだんじゃから。』
『しかし、あんなもんを世に出しちまって良かったのか?』
『知らん。』
『えらく無責任な台詞だなオイ。』
『儂はただ造るだけじゃ、気の向くままにな。売った武器が何処で何に使われようと儂の知った事じゃあないのぉ。』
『まぁあんさんがそう言うんなら別に構わんがな‥』
『さて‥次の仕事じゃが古龍の玉でも取ってきてくれ。』
『老体に無茶なご注文をしなさるな?』
『儂より若いじゃろ?』
『あんさんと比べんでくれ‥』
老ハンターは髭を掻きながら部屋へと帰って行った。
因みにこの日から、村の子供達の間でこんな噂が流れた。
『夕暮れ時に現れる蒼いマントを羽織った悪魔』
‥この噂の真偽は未だ定かではない。
上手に焼けました~
此処はとある密林の村。
村人は数える程しか住んでおらず物流もボチボチ。来客は月に一度が良い所だが‥何故だか異様に子供が多い。
その辺りは村長の趣味に関係してくるのだが‥まぁ今回は面倒なので割愛させて頂く。
そしてそんな村の外れで数少ない村人の1人が、鼻歌混じりに肉を焼いていた。
だが、その男に両腕は無く、彼は片足で器用に肉を回していた。
『上手に焼けました~♪』
高らかにそう叫ぶと彼は天高く肉を掲げた。(無論脚で)
その時、彼の背後の茂みが蠢く。
『ゲドさん!!またこんがり肉焼いてたんですか!?』
茂みから女性の声が響くと、男はビクッと立ち上がり即座に土下座のポーズを取った。
「ゴメン、ルディ‥お腹が空いてつい…?」
男は其処で少々おかしな点に気付いた。
目の前の女性が彼の知っている人物なら、彼が間食をしているのを発見すると血の制裁+説教+泣き落としのフルコースを喰らう訳だが‥先程から何故か笑い声が聞こえる。
しかも先程と声が違う事に気が付いた男は、苦笑いと共にその顔を上げた。
「そういう悪戯は勘弁して欲しいな、ネイダ?」
「私の声色、似てたでしょ?」
目の前の少女は無邪気に笑う。
彼女の名前はネイダ・ロッタ、この村の村長の三世代目の養女であり、ハンター見習い。
「しかし‥バレたらまたルディ姉に怒られるぞ、ゲド兄?」
茂みから更に少年が出て来た。
彼の名前はニィム・ロッタ、ネイダと同じく村長の養子でありハンター見習い。
「どんな恐怖も空腹には適わないんだよ、ニィム。」
男は開き直りながら1人頷いた。
「ただ単にルディ姉の飯が食べたくないんだろ?」
「実を言うと‥ね。」
男は苦笑いをしながら少年の言葉に同意した。
『へぇ~そうなんですか、ゲドさん?』
するとまた先程の声が聞こえて来た。
「ネイダ‥二回目は流石に利かないよ。」
男が溜め息混じりに言うが、少女はキョトンとした顔をしていた。
「今の私じゃないよ?」
少女の言葉を聞いて、男の額にダラダラと冷や汗が流れた。
「ルディ‥迎えに来てくれたのn『誤魔化さないで下さい!!』
彼の背後から現れた黒髪の女性が怒鳴り立てる。「ゲドさん‥此処で"何"をしてたのか‥あとさっきの"言葉"の意味が私凄く気になります。」
「いや‥それは、その‥」
男の言い訳を聞く間中、女性の顔には凍える様な笑みが張り付いていた。
‥
結局男はこのあと嫌になる程フルコースを喰らう羽目となった。
見送り
そんな日常から数ヶ月後‥
村の入り口には例の男と女、そしてニィムとネイダの姿が有った。更に言うとニィムとネイダは背中にかなりの荷物を背負っている。
「支度はちゃんと出来たかい?」
「忘れ物は無い?」
男と女が代わる代わる問い掛ける。
「ないない‥2人とも心配し過ぎだよ。」
「遠足に行くんじゃないんだからさ‥」
ニィムとネイダがウンザリしながら言い返す。
何故こんなやり取りをしているかと言うと‥
ニィムとネイダの2人はある程度ハンターとしての修行を積んだので、この村を出て行くのだ。
まぁ出て行くと言っても違う村にいる義兄弟の世話になるのだが‥
ある程度の年齢になったら村を出るのがこの村の風習であり、村長の教育方針(例外も存在するが‥)な訳だが、今回は本人らの強い希望もあってかなり早い巣立ちとなった。
「でもこんな日くらい母さんも帰って来れば良いのに‥」
「集会所も珍しく繁盛してるしね。」
2人が残念そうな顔をする。
この村にはあと数名の村人が居る訳だが、今手が空いているのはこの2人のみ。なので見送りも2人だけ。
「気にしないで‥」
「皆忙しいのさ‥」
言葉ではそう言うが2人の顔は明らかに拗ねている。
「そ‥そうだ、2人に渡す物があるんだ。」
重い空気を払拭すべく女が話題を変える。そして持っていた袋の中身を2人に差し出した。
それはボウガンのスコープと太刀を提げるための紐。どちらもシンプルな造りながら、不思議な魅力を放っている。
「知り合いのお爺さんに造って貰ったの。ちょっと地味なプレゼントだけど良かったら持っていって。」
女は満面の笑みを浮かべながら2人にそれを手渡した。
狩りの行方を大きく左右する物ではないが、ちょっとしと時に2人の支えになる‥これはそんなプレゼント。
「有難うルディ姉!」
2人は受け取った物を直ぐに身に付けた。
身に付けたプレゼントを暫し眺めた後、ニィムが思い出した様に顔を上げた。
「ゲド兄からは何か無いのか?」
約束
不意にニィムから投げ掛けられた言葉に、男はギクッとした。
「いや‥一応ルディと一緒に選んだんだけど‥な?」
やや嘘臭い言い訳を言う男をニィムとネイダの2人がジト目で見つめる。それを見た男は観念した様に溜め息を吐いた。
「今日は用意してないんだよ。次村に帰って来たときに何かプレゼントするから勘弁してくれないかな?」
男が申し訳なさそうにそう言うと、ネイダがクスリと吹き出した。
「初めからゲド兄には期待してないよ?」
笑いながら無邪気に言うが、その言葉は確実に男の心を抉った。
自業自得ながら片膝を突く男にニィムが近付く。
「次帰って来た時は何でもくれるんだな?」
「可能な限り努力するよ‥何か欲しい物でもあるのかい?」
深刻な面持ちのニィムを見て男が問い掛ける。ニィムは暫し躊躇したが、意を決した様に顔を上げた。
「ゲド兄の‥双剣が欲しいんだ!!」
「‥へぇ。」
決心した少年の顔を見て男は僅かに微笑む。
ニィムの言う双剣とは男が嘗て扱っていた龍殺しの魔剣。それは男の相棒であり、戦友であり‥彼の欲望の写し身。
そしてへし折れた欲望と一緒に村の何処かにしまい込んだ過去の異物。少年はそれを知ってか知らずか、その剣をくれと言ってきた。
男は少年の顔を見て暫し考えるフリをした後、ゆっくりと口を開いた。
「ニィムが立派な男になれたらあげるよ。」
「男?‥ハンターじゃなくて?」
「あぁ。」
予想外の条件に困惑気味なニィムを見て男はニヤニヤと笑う。
「さぁそろそろ出発の時間だよ。」
混乱気味の少年を放置して男は2人を送り出す。
「ちゃんとネイダちゃんを守ってあげてね?」
「ニィムじゃ頼りないよ。」
クスクス笑う女性2人。
「約束は絶対だな?」
「勿論♪」
約束の確認をする男2人。
そんな手短な別れを済ませるとニィムとネイダは移動用の荷車に乗り込んだ。
『行ってらっしゃーい』
『行って来まーす』
荷車が見えなくなるまで2人は手を振り続けた。
「良いんですか、あんな約束しちゃって?」
「良いんだよ。もう俺には必要ないしね。」
「でも‥」
「立派な男にはそれに見当たった武器が必要なんだよ。」
「後でリリーさんに怒られても知りませんよ?」
悪戯っぽく笑う女性を見て男は小さく苦笑いを浮かべた。
ある爺の"間"(青い砂漠)
此処は日の落ちた砂漠‥
暗い空に浮かぶ満月だけが大地を青く照らしだし、そこに動く物は何もない。ただ静寂と極寒だけがその世界を支配していた。
ドォン
そんな世界を一発の銃声が撃ち壊す。それを皮切りに、夜の静寂を魔物の雄叫びと無数の銃声が侵していく。
砂塵を巻き上げ血飛沫を撒き散らすその闘いは、赤い砂嵐の様に砂漠を蹂躙していった。
そして青い世界が橙の世界へと代わり始めた頃‥
五百発目に迫る弾丸が魔物の赤く染め上げた頃、男は最後の弾丸を弾倉に送り込む。
そして動く魔物に狙いを定め、重い引き金を一気に引き抜いた。
直撃した弾丸は四方飛び散り‥爆散した。悲痛の叫び声を上げのた打つ魔物。
‥やったか?
だが、魔物は再び起き上がり怒りの炎をその目に湛えたまま橙の空へと飛び去って行った。
‥逃がしちまったか
男は心の中で悪態を吐く。唯でさえ目撃例の少ない古龍の玉を採ってこいと言われた訳だが、未だに一つも見つかっていない。
漸く古龍を見付けたと言うのにこの様だ。
先程切り落とした魔物の尻尾を捌いて見たが、お目当ての品は見付からない。やはり逃げた奴を追う必要がある。
奴が何処に逃げたか?そんなのは決まっている。
錆び付いた体を捨て去り、新しい体へと生まれ変わる場所‥
『雪山か‥』
男は1人呟く。
最近寒い場所ばかりな上移動してばかり‥そろそろ食料も弾の材料も限界か?
とりあえず近くの街で色々と補給してから雪山へ向かうとするか‥
あそこは魚竜の肝が旨かったな。
男はそんな事を考えながら馬鹿でかい城門が聳え建つ街へと入って行った。
彼は通称朱蟹
1人で狩りに赴く、孤独で寂しい独りの老人。
少年と少女の"間"
雪山の村
雪山の麓にひっそりと存在する村。村人は数十人で数軒の民家と雑貨屋、小さな工房、そして宿を兼ねた集会所がある。
大量のポポを家畜として飼っており、月に一度商人が売買に来る。売上はなかなかなのでソコソコに栄えていると言える。
この村の雑貨屋にニィムとネイダは世話になっていた。因みに此処の店主が村長の養女である‥
と言っても年齢は二十歳を回っており、5年以上前に自立してこの村にやって来た。
非常に面倒見が良く2人を実の子供の様に接しているが、雑貨屋の商品の調達の為に2人を馬車馬の如く扱ったりする。
調達と言うのは薬草の採取から竜の臓物まで幅広いが、彼女はあくまでも2人の力量に見合った物だけ採りに行かせている。
なので2人のハンターとしての腕はここ数年でかなりの成長を遂げている。
チラホラと雪が降る村に、ニィムとネイダが帰って来た。雑貨屋に帰り着いた2人は今回の依頼主である彼女の前に座ると、グッタリとした表情で今回の狩りの内容を話し出した。
「2人とも、陸の女王はどうだった?」
「‥死ぬかと思った。」店主の問い掛けにニィムは虚ろな瞳で答える。
「私は楽しかったよ?」
「ネイダは後衛だからよ。ニィムが頑張ってるおかげよ?」
「そんな事ない、私の実力だよ!!」
無い胸を精一杯張り出すネイダを見て店主はクスリと微笑む。
店主は2人の姿をそっと見比べる。鎧の傷付き具合、疲労の度合い、そして二人の今の状態。どれを取ってもニィムの方が酷い事になっている。
しかし、それはニィムの方がハンターとして劣っているという訳ではない。
狩りでの役割はニィムが近接攻撃であり、ネイダが後方支援。
この時前衛であるニィムに求められる事は敵を迅速に倒す事‥だけではない。
ハンターの鎧とは前衛の物はそれなりの強度を誇るが、後衛のそれは前衛と比べると紙切れ程度の強度しか持たない。
その為、前衛で狩りをする者には敵の意識を後衛からそらし、守る能力が必要となる。
ニィムは未熟ながらもそれを忠実に実行しているのだ。
「女を守るのが男の役目だもんね。」
店主はニィムの頭をワシャワシャと何故留が、ニィムはそれをとっさに拒んだ。
「もう少し可愛げがあった方が好かれるわよ?」
「あだ?!」
店主は言いながらニィムにデコピンを噛ました。
そして2人が持ち帰った素材を確認すると優しく微笑みながらこう言った。
「さぁ、ご飯にしようか?」
『はぁーい』
暇な店番
雪山の村でのとある1日、店主が仕入れに行くとの事で2人は店番を任されていた。
と言っても小さな村なので客はだいたい知り合いな上、それほど物を売り買いする訳ではない。
こう言った雑貨屋ではハンターの客が来るとかなりの収入になるのだが、村のサイズなので数は限られているし、今日は全員出払っているらしい。
なので2人は非常に暇な時を過ごしていた。
工房のアイルーと遊んだり、雪達磨を作ったり、店の売り物を少々摘んだり‥
本来こんな事をすれば血の制裁を受ける訳だが、今日はその当人が居ないのでやりたい放題。鬼の居ぬ間になんとやら‥だ。
店番にも大分飽きてきた2人は店の軒先でゴロゴロと雪山を眺めていた。
空高く浮かんだ雲の群‥何時も呑気な彼らだが、今日は妙に忙しない様に見える。
山頂を埋め尽くす白い雲、そして体を嘗めるような気持ちの悪い風‥
なんだか胸の奥がザワツく‥それは店番をサボっているからとかではなく、もっと違う嫌な気配を感じる。
すると不吉な風が頭上を駆け抜けた。ふっと空を見上げると、山頂を覆っていた雲にポッカリと穴が開いていた。
穴の向こう側を見ようと必死に目を凝らしていると、店の前に誰かが駆け込んで来‥否、ド派手に店頭に突っ込んで来た。
ドンガラガッシャーン
店の商品を豪快に吹き飛ばし漸く止まったお客(?)にネイダが駆け寄った。
「だ、大丈夫?」
言いながらそっと人影を抱き起こす。よく見るとその人影は、この村の村長の子供だった。
「どうしたんだ?そんなに慌てて‥」
ニィムが後ろから顔を出しつつ尋ねる。晩御飯の買い出しにしてはまだ早いし何より慌てすぎ、少年があれほど慌てる用事の内容‥
「便所の紙がキレたのか?」
「そんな訳ないでしょ!!」
ニィムの言葉にネイダが突っ込む。ニィムとしては比較的真面目に考えた上で答えたつもりだったのだが、軽く一蹴され少し凹んだ。
「結構真面目に答えたんだけどな‥」
「どう考えてもふざけてるでしょ!!」
アーダコーダと揉める2人ねの間に起き上がった少年無理やり割り込んできた。
「2人とも‥兎に角集会所に来てくれよ!!」
少年は息を切らせながらそう言い放った。
2人は少年のその言葉を聞くと手早く店仕舞いをし、集会所へと向かった。
日常と非日常
少年に連れられ集会所の前までやって来た2人だが、集会所の入り口の前には多くの人が立ち尽くしていた。しかも皆青ざめており、酷く陰気な空気が漂っている。
人山を掻き分けて集会所に入ろうとすると、少年が集会所の店員に引き留められた。
そして少年に小さく何かを伝えると、ニィムとネイダの方を振り向いて口を開いた。
「まだ子供である君達に中の状況は見せたくない。でも君達は一端のハンターだ、見るか見ないかは自分で決めてくれ。」
店員はそれだけ伝えると、少年を連れて集会所から離れて行った。
2人はその言葉を十分に理解した上で、集会所の中へと足を踏み入れた。
カランと安い音を立てて開く扉‥その時ニィムは、酷く不自然にネイダの前に割って入った。
その事に対して彼女が文句を言う前に、鼻を突く様な死臭が2人を襲った。
目の前に広がる光景を目の当たりにした時、ニィムは酷く後悔すると共に、ネイダにこの光景が見えていないと言う事実に少しホッとした。
彼の目の前に広がるのは干からび掛けた赤い海。そして2人‥いや人3人文の肉の塊。バラバラに引き千切られ、食い散らされ、弄ばれたもう人は呼べない何か‥
1人は辛うじて生きている様だが、もう長くは無いだろ。何故なら彼はもう人の形をしていない。あれなら一思いに死んでしまった方がマシだと思ってしまえる程に彼の体はメチャクチャだった。
「ニィム‥どうなってるの?」
後ろから首を伸ばし、中の状況を確認しようとするネイダをニィムが制する。
「邪魔しないで『ネイダは見なくていい!!』
日頃からは考えられない様な大声で叫ぶニィムを目の当たりにして、ネイダは大人しく引き下がった。
ネイダが下がったのを確認すると、ニィムは詳しい事情を聞くために集会所のマスターの元へと向かった。
咆哮と山彦
死体が別室に移されるのを横目で見ながら、マスターから事の詳細を確認するニィム。
今物言わぬ肉片となった彼らは、少し前街から遣って来た金持ちのボンボンとその取り巻きの3人組。
ハンターとしては下の上程度な上、街育ちのせいか態度が非常に悪く村では厄介者扱いされていた。
ニィム自身も、ネイダにちょっかいを掛けて居るのを見て一発ぶん殴った事がある。
ともかく、そんな彼らは昨晩雪山に向かい、あの有様で帰ってきた。
狩りにいった標的は雪獅子ドドブランゴ・・・
雪山の白に溶け込むような色をした巨大な猿の様な容姿をした牙獣種。攻撃パターンは力任せな物もあるが・・雪を利用したトリッキーな物が多い。
確かに強力なモンスターだが、街出身の彼らでもどうにか狩れるレベルだし、彼らも自分の力を誤るほど馬鹿ではない。
なら何故やられたのか?
ドドブランゴは小型の同種、ブランゴ引き連れた群れで生活しており、それらに囲まれたと考えるのが普通だが・・・それにしたって全滅とは酷すぎる。他に何かイレギュラーがあった可能性がある。
それは一体何か?
ニィムが無い頭を必死に捻って居るとネイダが此方へ近寄ってきた。
「何かわかった?」
「死んだのがこの前のナンパ野郎って事は分かった。でも狩りの標的がドドブランゴだったらしい・・」
それを聞いたネイダも首を傾げる。彼女もニィムと同じ様に現在の結果を不信に思ったらしいが、それが何かは解からないようだ。
無言で考え込む2人に、マスターが熱いミルクを持ってきた。
「今日は冷える。これはサービスだ。」
髭もじゃなマスターはそうとだけ言うと換気のために開け放っていた窓を閉める為に、窓際へと歩いて行く。
そして窓を閉めようとした瞬間・・
山頂の方から獣の咆哮が響いてきた。声の主は恐らくドドブランゴか・・・
そんな事を考えながら小さく消えつつある山彦に耳を澄ます面々。声の大きさから考えてかなりの距離がある・・
そう思った時だった。
グオォォォォオオオ!!!
再び轟く咆哮。それはさっきの山彦でもなければ、遥か山頂から木霊して来た物でもない。
それは村の酷く近くから鮮明に聞こえてきた。
だが、これで1つはっきりした事がある。
「雪獅子が二匹いる・・・」
危機的状況
先程聞こえた遠吠えから判断して少なくとも2頭の雪獅子が居る事が解った。一頭は山頂付近、そしてもう一頭は‥
屍の血に誘われたか?
それとも増えすぎた群を維持する為か?
‥理由は解らないが村のかなり近くだ。
本来同種であっても2頭のモンスターが行動を共にするのは稀な訳だが、コレで合点が行った。
彼等程度のハンターでは2頭の雪獅子を相手にする所か、逃げ出す事すら出来なかったのだろう。
そして更に、今村が非常に危うい状況である事が判明した。
「マスター‥今村に居るハンターは何人だったか?」
「生きてるのは君達2人だけさ。」
マスターは自分の言う言葉の意味を十分理解した上で、何時も通りの顔でニィムにそう言った。
つまりそれはどういう事か?
まず、村の近くまで降りてきた雪獅子を村に入る前に始末する必要がある。だが、基本的に雪獅子は群で行動するためどう頑張っても2対多数と言う事になる。
更に言うと山頂付近にいるもう一頭が更に群を引き連れてやって来ないとも解らない。
つまり何時敵に囲まれるとも解らない状況で、村を守りつつ闘わなければならない。
この時、ハンターが背負うストレスは通常の狩りとは比較に成らないだろう。
だが、それを理解した上でマスターは村を守る者として、ニィムとネイダの2人に言わねばならなかった。
「雪獅子ドドブランゴ倒して来てくれないか?」
マスターは可能な限り何時もの表情のままそう言った。その言葉は、この村の命運を年端も行かない少年と少女に託す事を意味する。
ニィムはどう答えるか決めかねていた。
2頭の雪獅子‥
一頭ずつやるなら何ら問題はないが、二頭同時となるとかなり微妙な所だ‥
それにニィムの経験だけでは勝てるかどうかの判断が付かない。こう言った判断は何時も店主に任せていたから尚更だ。
第一‥勝てるかどうかも解らない狩りにネイダを連れて行きたくなかった。
だから、彼は躊躇っていた。他に選択肢など無いのに‥
その時だった。
「良いわ。私達がドドブランゴを倒しに行く!!」
ニィムを押し退けてネイダがそう言い放った。そんなネイダをニィムが止めようとしたその時。
「でもネイダ‥ッ!!?」
スパァァン
鋭い音が集会所に木霊した。
少年の役目
静まり返る集会所、そこでは平手を振り抜いたネイダと尻餅を突くニィムの姿があった。
「イテッ‥て、何するんだ!?」
困惑気味に叫ぶニィムの胸ぐらをネイダが掴んだ。
「ニィム、表に居るドドブランゴは"私達"が倒さなきゃいけないのよ?なのになんで躊躇ってるの?」
「そ、それは‥」
ネイダに問い詰められるニィムの目が泳ぐ。彼が依頼を受けるのを躊躇う理由‥そんな物は聞かなくても彼女は解っている。だが、敢えてそれを口に出して問う。
「"私"に危険が及ぶから‥とか言ったらその口に風穴開けてやるからね。」
彼女はそう言い切るとニィムをダンと突き放した。その顔は微かに紅潮し、瞳は酷く潤んでいた。
ガン
「クッ‥」
集会所の壁に後頭部を強く打ち付けたニィムは無言で俯く。
そんな彼を無視して、ネイダは着々と狩りの準備をしだした。
「マスター、今日は弾丸位サービスしてよね?」
「あぁ、可能な限りの準備はさせてもらう。」
周りの大人達もそれを止める事は無く、彼女の準備を手伝い出す。
それも当然か‥
彼女が村を守らなければ村が滅びかねないからだ。
‥でも、そうなると誰が彼女を守るんだ?
ニィムは知っていた。ネイダが前衛の‥加えて言えば年下である自分に守られるのを嫌っている事を‥
だが、幾ら拒まれようとニィムは彼女の前に立ち、闘い続けた。彼女を守る事が自分の役目だと心に決めていたからだ。
だがら、文句を言われても、蹴り飛ばされようと、例え嫌われても彼女の前で闘い続けると決めていた。
そんな彼女が1人、勝機の薄い闘いに臨もうとしている。このまま放っておけば彼女、先程の奴らの様に肉団子になるのも時間の問題だ。
そんな時に自分は何をしている?
こんな所で尻餅を突いている場合か?
何をすべきかはもう決まっているだろう?
「‥全く、ネイダは俺の言う事なんてちっとも聞いてくれない。」
「お互い様でしょう?」
彼の言葉に彼女がベッと舌を出した。
少年はゆっくりと立ち上がるとマスターの方を向き直った。
「マスター、俺にも狩りの道具を準備してくれないか?」
「あぁ、分かった。」
少女が行くと言うのなら、それよりも前に出て剣を振るう。それが少年‥男である彼の役目だ。
「さぁ、行くかネイダ!!」
「準備が遅いのよ。」
互いにそう言い合うと、少年と少女は魔物が待ち受ける白銀の世界へと足を踏み入れて行った。
開戦
生物の気配すら感じ取る事が出来ない極寒の世界を少年と少女は進んで行く。
聞こえるのは吹雪の音と雪を踏みしだく足音、見えるのは視界一杯の白のみ‥要するには何も聞こえないし、何も見えない‥
そんな状態だが、2人は何か嫌な気配を感じ取っていた。それが雪獅子かどうかは解らないが、確実に近くに何かが居る。
ズシャズシャ‥
刹那、何かが雪を蹴飛ばし迫って来る音が響いてきた。足音から考えてかなりのデカい‥ドドブランゴか?
2人は考えるより早く武器を構えた。吹雪の向こうから迫ってくる足音に向けて、ネイダはスコープを覗き込み照準を定める。
ジャ ジャ ジャ ‥
(7、8、9‥)
近付く足音と経験を頼りに、敵との距離を測る。(4、3、2、1‥)
カウントと同時に、目の前の雪の幕が真っ二つに裂けた。
「ドンピシャ!!!」
そう言いながらネイダは引き金を引き抜いた。発射された弾丸は飛び出してきた敵を撃ち抜いた。
確かに撃ち抜いた。だが‥
弾丸が直撃して無様に転がる小さな何か‥
「チッ、ドドブランゴじゃない!!」
ネイダは舌打ち混じりに弾丸をリロードし直した。雪原に転がったのはドドブランゴではなく、ブランゴだった。
面倒な事になった。ある程度予想していたが奴らは群で山を降りてきたらしい。
「クソッ!!」
次から次に飛び出してくるブランゴの群、2人は片っ端にそれに攻撃を仕掛けた。だが、直ぐに奇妙な点に気付いた。
ブランゴ達は2人に見向きもしないのだ。その上、村に向かう訳でも無く真っ直ぐに山を降りていく。まるで何かから逃げる様に‥
「何が起こってるんだ?」
ニィムが言いながら雪山の山頂を見上げた。が、当然吹雪のせいで何も見えやしないが‥
其処から特徴的な赤い顔が飛び出してきた。
「って、ドドブランゴ!!」
ニィムは飛び出して来た雪獅子の顔面に一太刀浴びせると、ピョンと後方に退いた。
迸る雷光と血飛沫に顔をしかめる雪獅子。流石にコイツはブランゴの様に逃げ出しはしなかった。
威嚇をする雪獅子から距離を取るニィムとネイダ。
「行くよニィム!!びびらないでよ?」
「解ってる!!」
2人は短く言葉を交わすと雪獅子目掛けて駆け出した。
山頂の老人(開戦)
村の付近の倍近い勢いの吹雪が吹き荒れる場所‥ここは雪山の山頂。
其処の頂にコッソリと開いた小さな横穴に、白髪髭モジャの老人が1人。
「全く‥無駄な弾を使っちまったよ。」
老人は言いながら自身の鞄を漁る。弾丸はまだそこそこ残っているが、コレから来る奴を相手にするには少々心許ない。
「まぁ成るようにならぁな‥とりあえず~♪」
老人は楽天的なようで、鼻歌混じりに更に鞄を漁り、煙管と煙草を取り出した。そして煙草に火を着けようとするのだが‥吹雪のせいか、はたまた先程のイレギュラーのせいかマッチに火が着かない。
「だぁ!!全部貴様のせいじゃこの猿が!!」
そう言いながら老人は吹雪に埋もれつつある何かに、マッチ箱を投げ付けた。
冷たい雪の中、氷の様に横たわる何か‥それは体中に風穴の開いた雪獅子だった。
「まぁ良い‥火を着ける方法なんざ腐る程ある。」
老人はそう言うと、弾を装填せずにボウガンの銃口を煙草に向けた。
ドォン
銃声が響くと共に火が着いた煙草を老人は手早く煙管に詰めた。
そしてゆっくりと煙を吸い込み、口の中でくゆらせた後、大きな輪っかに変えて口から吐き出した。
プカプカと穴の中を漂う煙の輪、それはフラフラと漂いながら穴から抜け出し山頂へと消えて行った。形を崩す事なく‥
「風がやんだって事は‥」
老人は吸いかけの煙草をサッサと処分すると、朱い兜を被りボウガンを背負った。
そして老人が横穴から這い出すと共に、再び激しい吹雪が吹き始めた。
そんな老人の眼下には不気味な黒い影、雪山の山頂から舞い降りるは白銀へと生まれ変わった暴風を纏う古の龍。
「脱皮ご苦労さん。どうせ今からズタボロにされるってのにな。」
老人は言いながらニヤッと笑うと、龍の角目掛け弾丸を見舞った。しかしその弾丸は殻を砕くでも貫くでもなく勝手に二つに割け、中から異臭を放つ何かを垂れ流した。
放たれた弾丸‥それはペイント弾。
「どうだ、イラっと来たか?それならサッサと掛かってこい。」
老人が右手で挑発すると、龍はそれに応える様に天高く吼えた。
「そう来ないとな‥」
老人は手早く弾丸をリロードすると、再び引き金を引く。
響き渡る銃声と砲吼が山頂での開戦を告げた。
駆ける少年少女
少年と少女は山頂目指し吹雪の中を駆けていた。
先程の雪獅子は後一歩の所まで追い詰めた‥追い詰めたのだが、奴は逃げ出した。
だが、奴はニィムとネイダから逃げる為ではなく、もっと違う何かを畏れる様に走り出し‥崖下へと消え去った。
崖下から響く砕ける骨の音と断末魔だけが雪獅子の死を告げていた。
そして2人は残りの一匹が居る筈の山頂を目指して、ひたすらに走っていた。
何故2人は走っているのか?
一刻も早く雪獅子を討伐したいと言うのも確かに有ったが、彼らが走る理由はそれだけではない。
何かが彼らを走らせるのだ。嫌な胸騒ぎ、腸を駆け巡る不快な何か、訳もなく体を縛る言い知れない恐怖‥
何かは解らないが、そんな何かから逃れる為に2人は走った。
雪山を支配する嫌な何か‥何かは解らないが確かに感じる不快感、彼らは互いにその事に気付いていたが、2人ともその事を口には出さない。それを口に出すと嫌な何かが起こってしまう気がしたから、2人は何も喋らなかった。
2人は無言のまま走り続ける。もう間も無く山頂に辿り着く。そう思った時だった。
蒼と黒と赤
雪山の山頂より低く中腹より高い場所‥
其処には無数の爆弾と大小3つの影があった。黒いローブと蒼いローブ、そして赤い竜‥
その内の黒が蒼に話し掛ける。
「‥本当にやるんですかぃ?」
「あぁ、勿論だとも。」
神妙な面持ちで尋ねる黒に蒼が笑いながら答える。
「しかし、この規模の爆薬だと確実に雪山の形が変わりますよ、劇的に。その上神話だかなんだか知りませんがそれを確かめる為だけにこんな事をするのは‥」
黒は、足が突くだの恨みを買うなどと愚痴愚痴と文句を言う。蒼は黒が言い終わるのを待ってから一つ溜め息を吐いた。
「そんな理由で私が止めると思ってないだろう?」
「それはまぁ‥長年部下をやってますからねぇ。」
「それに‥"その程度"の事じゃあ暇潰しにもならないじゃないか。」
「‥そうですねぃ。」
今度は黒が諦めた様に溜め息を吐いた。
蒼はそれを見てニヤリと笑うと黒共々、竜の背中に跨った。粉雪を巻き上げて厚い吹雪の中舞い上がる赤い竜。
その背中から蒼の視界にチラリと雪山の村が映った。蒼は蔑む様な憐れむ様な瞳でそれを一瞥した後、ニヤリと笑う。
「退屈で平和な毎日など死んでいるのと変わらんだろう…だから私の暇潰しの為に消えてくれ。」
蒼い男は笑う。酷く醜く、酷く邪悪に…
竜の口から吐き出された炎弾は爆弾を炸裂させ、紅蓮の牙となり雪山を大きく抉り取る。そして…
ゴゴゴゴ…
腹に風穴を開けられた白山は悲鳴の様な地鳴りを上げ、雪を、少年少女を、村を、平穏を巻き込んで一気に崩れだす。
崩れ行く平穏を見て男は呟く。
「どうだい、少しはマシな1日になっただろう?」
男は笑う、不気味に顔を歪ませ、それでいて酷く愉快そうに…
白い山と黒い穴
滅びの声を上げ崩れ行く白き山・・・流血の様に山肌から噴き出る白い津波は、袂の村を、人の命を、平穏という名の退屈を、全て飲み込み尚収まらずに暴れ続ける。
大量の白い血を吐き出し漸く崩壊が止まったかと思った時だった。もう爆発など起こって居ないのに、再び山が震えだす・・・
そして、断末魔の様な地鳴りを上げ、雪山のどてっ腹が瞬く間に陥没した。そこには深く黒く暗い穴が開いていた。
其の穴は寒気がするほど深く当然底など見えはしない。そんな死が口を開けた様な大穴に蒼い陰が飛び降りていった。
「さぁ、少しは楽しませてくれよ?」
そう言い残し陰は穴へと消え去った。
一人り竜の背中に残されたくろはグルッと辺りを見渡した。山頂で微かに動く生きた鋼、土色へと姿を変えた雪山、そして白一色となった雪山の下界。
それは比喩とか形容ではなく純粋に白一色の景色だった。木も、魔物も、村も、人影すらも見当たらない戦慄を覚える白。
人々の断末魔も、嘆きの叫びも全てその下にあるかと思うとゾクリとする。
未だに轟々と降り続ける吹雪が、悲劇の起こった痕跡である風穴すら白く塗り潰そうとしていた。
そして数刻後・・・
雪山の風穴が、頭上に浮かぶ不気味なまでに白い三日月と似た様な形になった頃だった。
蒼い陰が緑色の煙幕と共に地表に現れた。其の肩には襤褸切れの様な物が乗っていた。
「それは何ですかぃ?」
「拾い物さ、生きてるか死んでるかは解からないがな。」
黒は襤褸切れを興味無さ気に見た後、上機嫌な蒼を見て解かり切っている質問をした。
「楽しめましたかぃ?」
それなりにな。半殺しにしてきたからまた今度遊んでもらうよ。」
そう言いながら蒼は笑う。
「下界の景色が一変しましたがどう思いますかぃ?」
「何をいっている。雪山には元から何もなかっただろう?」
黒は其の言葉が、冗談なのか本気なのか一瞬戸惑ったが、恐らく後者であろう。この蒼には退屈で平穏な村など始めから無いような物なのだろう。
まぁそんな事を平然言うこの蒼色は狂っているのだろうが・・・それを傍から見ているのが堪らなく楽しいと感じている黒も相当狂っているのだろう。
そんな会話をしている内に、吹き荒れる吹雪が雪山を再び白へと塗り潰した。
「さぁ此処にはもう何も無い。帰るとしよう。」
蒼はそう言い残すと、赤い竜は翼を広げ月夜へと消えていった。
朱い蟹と青い蟹
冷たい世界
何故だか体が動かない
何かがのし掛かっているのか?
それに体が異様に冷たい‥
そして…
何故だか無性に苛々する。
「く…ぬっ!!!」
少々力を入れてみるが体はちっとも動かない。
『爺を舐めんなぁ!!!』
雄叫びを上げ朱い鋏を振るいのし掛かって居た何かを振り払う。だが全てを振り払う事は出来ず、僅かに穴が空いただけだった。
その穴から差し込む光が、今の彼の現状を照らし出す。
此処は冷たい雪の中…
そうだ、先程の地震で起きた雪崩に巻き込まれたせいで古龍に逃げられたのだ。
兎も角、此処から抜け出さねば‥
幸運にも愛銃は手元にある。更に装填指定た弾丸は丁度良く"アノ"弾だ。
「老体にちぃっとばかし堪えるが…しゃぁないの。」
彼はそう言いながら僅かに動く指先でトリガーを引いた。射出された弾丸は完璧に銃口から飛び出す前に、雪に阻まれ爆裂した。
爆音が響いた瞬間、朱い鎧の男が雪と共に宙に舞い上がった。そして…
「どぅあ??!…こ、腰が…」
受け身をしくじり激しく腰を強打した。
そんな状態からどうにから体を起こし、今の状況を確認する。
鞄の中身は…大丈夫。
身体も腰以外は特に問題は無い。
しかし‥
「ここは何処かのぉ?」
彼は結構老年なハンターで、無論雪山にも何度も足を運んで来た訳だがこんな場所は見たことが無かった。
見渡す限り白い景色、そして凍り付いた大河に何か巨大な物が這いずった様な赤い跡‥
こんな場所は見たことが無い。
そんな時だった。
『う‥ぁ‥‥ぃむ‥』
何かが足元で呻いていた。
冷たい少女
屈み込んで足下を見てみた。細かく砕けた氷の中にうっすらと鎧らしき物が見えた。
老人は鋏で大まかな氷塊を払い、もう一方の腕でそれを一気に引き上げた。
其処から出て来たのは女性のハンターだった。顔の一部が凍傷に成りかけている上、全身に酷い打撲の跡がある。が、どうにか息はある様だ。
しかし‥このままではこの少女は確実に息絶えるだろう。
「たしか麓に村があったような‥兎にも角にも行ってみますかな。」
老人は少女を担ぐと、鞄から緑の玉を取り出しそれを炸裂させた。緑の煙幕が2人を包み、村のある場所へと移動させる。
奇妙な浮遊感から解放され、移動が完了したと思った老人だったが、目の前の光景に我が目を疑った。
そこは先程の場所とは殆ど変わらない、ただっ広い雪原だった。
「まさかさっきの雪崩が‥」
彼は自分の足下に何があるかを想像して、直ぐに吐き気を催した。
彼は山頂に居たにも関わらず、雪崩に巻き込まれたのだ。麓にあった村など一溜まりも無かっただろう。
しかし、この村から他の人里までは結構な距離がある上、まともな足が無い以上長距離の移動など不可能だ。
「仕方無い後で怒らんでくれよお嬢さん。」
老人は無言の少女にそう言うと、小さなテントを張りその中へ入って行った。
そして徐に少女の鎧を脱がし始めた。
殺すか生かすか
鎧を取り外し、衣服を脱がし老人は少女の傷の具合を調べ出した。
胸部には痛々しい巨大な痣、肋の殆どに罅が入っている様だが幸い折れてはいないらしい。
腕や脚も折れてはいないが他にもっと不味い問題がある。
少女の全身、特に上半身から顔にかけての皮が寒さのせいかずる向けていた。片目に至っては白く変色している。
この傷は綺麗に消える事は無いだろう。男ならまだ良かったのだが、不幸にもこの子は女だ。
「可能な限り処置をするが、生きていてもこの傷じゃあの‥」
老人は暫し考えた。
今殺してしまった方がこの少女に取って良いのではないか?それに第一、手持ちの荷物もギリギリだ。生きる気力の無い人間を連れて山を降りるには少々無理がある。
そう考えていた時だった。
『ニィム‥ニィム!!!』
意識の無い少女が何かを掴む様にその手を伸ばし、呻き始めた。
ニィム‥?
この子の名前か?
いや、それにしては男っぽい感じがする。
第一、夢で魘されて自分の名前を叫ぶか?
つまりその"ニィム"と言うのは‥
「想い人か!!」
老人はそう閃いた途端ニヤリと笑った。
雪崩に巻き込まれた上遭難したから気が滅入っていたか?
はたまた仕事をシクジったせいで後ろ向きに成っていたか?
兎に角、危うく要らない事をする所だった。あんな事を考えるとは‥年は取りたくないものだ。
老人は鞄をひっくり返し、更には自身の愛銃を分解しだした。
「恋する乙女を見殺しにしたとあっちゃオチオチ死ぬ事も出来んわな。」
そして火が着きそうな物は片っ端に薪として扱い、その他の物で応急処置の準備を整えた。
「さぁお嬢さん、例え三途の川を渡っていようと絶対連れ戻してやるからのぉ‥」
老人はそう呟くと、静かに傷の処置を開始した。
イタイ
混沌とした意識の中、真っ先に戻ったのは聴覚。
パチパチと焚き火の弾ける音‥
やや遠くで聞こえる風の音‥
誰かの鼾‥
次に戻って来たのは触覚。
焚き火のせいか仄かに暖かい‥
そして全身を何かに包まれている気がする。
ボンヤリとした触覚は覚醒と共に、感度と鋭さを取り戻していく。そして‥
「ア゙ァ゙ッ!!?」
全身を襲う異常な痛みで、微睡んだ意識が一気に覚醒を果たした。
「ゥ゙ア゙ッ…」
全身の皮膚を剥ぎ、撫で回される様な激痛に堪えきれず、少女は悶え苦しむ。
そんな気が振れた様な呻き声を聞いて老人が跳ね起きた。
「大丈夫かお嬢さん!?」
「イタイいたい痛いイタイイ゙ダイ゙イダイ゙??!!」
老人の問い掛けも激痛で獣の様にもがく少女に聴こえはしない。
少女は自分を宥めようとする老人を振り払い尚暴れる。
全神経が狂っ様に少女の頭に痛みの信号を送り続ける。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
体が引き裂かれ、灼かれ、捻切られる様に錯覚する。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
何でこんな目に!?
何が有ったんだ?!
何が…
刹那、激痛の隙間に白と赤が広がる景色が駆け抜けて行く。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
あぁ…少女は思い出した。何が有ったかを。
イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ
加速する痛みとフラッシュバックし続ける赤と白が少女の精神を侵して行く。
こんな‥こんな思いをするならいっそ…そう、いっそ
「殺シテョォォオ!!!!!!」
狭いテントを埋め尽くす少女の絶叫。老人はそれを見て、半壊した銃を構え引き金を引いた。
ダンッ
短く響く発砲音、そして‥
「ァァッ‥」
消え去る少女の絶叫。
役目を終えたボウガンは音を立てバラバラに崩れた。
最後の薪
パタリと倒れる少女を見て、老人は煙管を口にくわえた。そして、大きく煙を吸い込み、輪っかにして吹き出した。
「薬が切れたんかのぉ?」
彼は手に余った弾を見ながらそう呟く。彼の手に有ったのは捕獲用麻酔弾。
弱ったモンスターを眠り‥と言うよりは昏睡状態にする事が出来る弾丸。
ダメージは皆無だが、巨大な竜ですら二発程度で黙らせる事が出来る弾丸を小さな少女にぶち込んだのだ。幾ら激痛に襲われようと暫くは目を覚まさないだろう。
「さて‥今の内に処置をせんとな…」
痛みで暴れ出すと言う事は、全身の感覚が戻ったと言う事か‥
しかし、それで発狂してるんじゃ全く持って意味がない。
鞄の残りは麻酔薬が二瓶、ハチミツと回復薬が一瓶とアオキノコと薬草が少々‥
雪崩が起きた後の雪山じゃ採取出来る様な状態ではないし、第一吹雪が止まないことにはテントから出られない。
「まぁどうにか成るかの。」
吹き荒ぶ吹雪の中、雪に埋もれつつあるテントの中で老人はコツコツと処置を進める。
アオキノコと薬草をすり潰し、コトコトと小鍋で煮込み其処へ余りの回復薬とハチミツをぶち込む。
ドロドロに混ざったそれを冷ました後、足跡で造った包帯を浸し少女に巻き直した。
「さて‥コレで無理ならどうにも成らんなぁ‥ついでに言えば吹雪が止まんと凍え死にじゃの。」
弱々しく成ってきた焚き火を見ながら溜め息を吐く。傷の度合いや今の置かれている状態から考えてこの少女は相当運が良くないと助からないな‥
「…いんや、こんな事になってる段階で今日の運は最悪じゃの。この子も…儂も」
老人は自虐的な笑いを浮かべた後、年相応な老け込んだ顔をして溜め息を吐いた。そして最後の薪を焚き火に放り込み寝袋に入った。
面では未だに白い雪が降り続いている。
嘘
真っ白月が昇り、そして沈んだ頃漸く吹雪は止んだ。
そして、幸運な事にあの少女も意識を取り戻した。それは彼女にとっては幸運な事であり、それ以上に不幸で残酷な現実の始まりだった。
老人から"何が起こった"のかを一通り説明を受けた後、少女は1人ボンヤリと白い景色を眺めていた。
老人が狼煙を上げている横で、少女は老人から聞いた話を思い出していた。
(昨日大きな地震が引き金となって雪崩が起きた)
‥嘘だ。
(その雪崩は全てを呑み込んだ。家も人も村の命も何もかも。)
嘘だ
(ちょうど今立っている下に村が埋まっている。)
嘘だ嘘だ嘘だ
(そんな中、偶々お嬢さんだけを見つけた。)
嘘だ‥そんな嘘聴きたくない!!
(生き残ったのはお嬢さんだけだ。)
「絶対に嘘だ!!」
気付けば少女は叫んでいた。
その頬を伝う涙は全身の痛さから来るものなのか、今の自分の境遇を嘆いての物なのかすら彼女には解らなかった。
ただ、今の彼女に涙を止める術など有りはしなかった。
暗い顔
少女は死んだ魚のような暗い瞳で虚空を眺めたままボロボロと涙を流し続ける。声も上げず、身動き一つせずただ泣き続ける。
そんな少女を見かねて、老人は少女にヘルムを被せた。
「こんな所で泣いてると凍死しちまうぞ、お嬢さん?」
「…」
老人の問い掛けに対して少女は応えない。
「儂はランダ・オルディって言うんじゃ。お嬢さんの名前は何かね?」
「…」
その問に対しても少女は答えない。
「ん~、じゃあニィムって誰じゃね?」
"ニィム"その単語に少女はピクリと反応した。
「ニィム‥ニィムを知ってるの!?」
「やっとマトモな反応をしなさった。てっきりもうクタバってんのかと思ったよ。」
「良いから早く教えてよ!!」
少女はヘラヘラ笑う老人の肩をブンブン揺する。老人は意識が跳んでしまう前に事の次第を説明した。
少女が何度もその名前を呼んでいた事
残念ながらニィムらしき人物は見当たらなかった事‥
それを聞いた少女はガックリと肩を落としたが、同時に冷静さを取り戻した様に見えた。
そんな時、老人の狼煙のお陰か救出の人員が来たようだ。老人が何やら人員と話している間、少女は考えていた。
この白い雪原の何処かに冷たくなった彼が眠っているのではないかと‥
そんな暗い事を考えていると老人が声を掛けてきた。どうやら下山の準備が出来たらしい。少女は黙ってその後に着いて行く。
終始無言で暗い顔をしている少女を見かねて老人は口を開いた。
「ニィム‥とやらが気になるのか?」
「‥うん」
「儂は確かにそいつは見ていない。しかしじゃ、そいつが死んだとは限らんじゃろう?」
その台詞を聞いて少女は真っ青になった。
下山
彼女の記憶に残る最後の彼‥ニィムは彼女を庇って真っ赤に染まったのだ。
直ぐに治療したんならまだしも彼はあのまま彼処に居るのだ。それなのに‥
「生きてる訳‥ないじゃない。」
少女は再び目を潤ませながら、諦めたようにそう呟く。
「しかしじゃな‥あの場所に他に人影は無かったんじゃがな。死体が勝手に動く訳なかろう?」
「でも彼は私のせいで‥」
そう、彼女を庇ったから彼は死んだのだ。その事実が彼女の心を犯していく。
「ひょっとしたら雪崩に巻き込まれてもっと下の方に居るのかも知れんし、先に目を覚ましてお嬢さんを探しとるのかも知れんぞ?」
自責の念に駆られる少女を無視して老人は言葉を続けるが、僅かな希望を抱く度、残酷な現実がそれを叩き潰していく。
「‥要するに儂が言いたいのはな。」
老人は言葉を続けようとするが、彼女の心にはそれを聞ける程の隙間はもう無かった。
「彼は死んだんだ!!ニィムは‥私を庇って‥死んだんだ‥‥私が殺したんだ!!!」
何かが切れたように少女は叫ぶ、その瞳から大粒の涙を流しながら‥
それを見た老人は少女の両肩を掴んだ。
「大丈夫じゃ‥彼はきっと生きてる。」
老人は、目を反らそうとする少女の肩を更に強く掴んだ。
「こんな可愛いお嬢さんを待たしとるんじゃ。男なら絶対に生きて迎えにくる。賭けても良い。」
老人の言葉を聞いて少女は黙り込んでしまう。
「なぁに、ゆっくり待てばいい。それまで家で面倒見てやるから、の。」
その言葉を聞いても少女は無反応。彼女の心には相当深い傷が出来てしまったらしい。
「まぁとりあえずは山を降りるかの?」
その問い掛けに少女は漸く頷いた。
そして2人は雪山を後にした。
悪夢と平静
老人は少女に一つ頼み事をした。それは自分が村に居ない間は少女が村で"ランダ"を演じると言う事だった。
何故そんな事をするのかと聞くと、村にはハンターが少ないからと言う事と、アリバイが欲しいから…と言う事らしい。
少女はすんなりと首を縦に振った。と言うか何も考えて無かったのだろう。
少女の頭の中では永遠と、現実と願望が口論を続けていた。彼女はそれから逃れたかったのだろう。
だから彼女は言われるままに青い蟹のヘルムを被った。これを被っている間、私はネイダではなくランダなのだと暗示を掛けながら…
ランダでいる時だけ、彼女は自分を忘れていられた。だが、ランダと言う仮面を脱ぎ眠る時は永遠とあの日の記憶が彼女を苦しめた。
お前を庇ったから彼は死んだ。
お前のせいで彼は死んだのだ…と。
毎夜見る夢は徐々に少女の記憶を、人格を、歪ませていった。
悪夢に耐えかねた少女は遂に自分の記憶を大きく歪ませた。
少女は常に自分の前に立つ少年が大嫌いだった。何度言っても少年は少女の前に立った。
だからあの日、少女は少年を殺したのだ。そして少女自身も化け物に殺されたのだ。
自分は偶々その現場に出会したランダと言う老人なのだ。
少女は自身を全く別の老人と思い込む事で、自己の平静を保つ事にした。
その日から朱蟹は朱と青の2人となった。1人は老人、1人は老人のフリをする少女。朱と青、2人で1人の老狩人。
その事を知っているのは本人らと雇い主の偏屈爺ただ三人。
少女は平静を保つ為に老人を演じ続けた。しかし、その反面で待っていたのかも知れない。誰かが平静を壊してくれる事を…
眠る男
アルコール臭が充満する粗末な造りの部屋に男が1人居た。
小汚い部屋とは不釣り合いな整頓された白いベッドの上で男は眠っている。頭から爪先まで包帯を巻かれ、何本も点滴の管を刺された状態で微かな寝息を立て続ける。
包帯の隙間からは、不気味なまでに白い肌とフランケンシュタインの様な継ぎ接ぎが覗いていた。それは端からはボロボロになった死体を無理矢理修理した様に見えた。
永遠と続く小さな寝息だけが、彼が生きている事の証明だった。
そしてある時間になると、2人の女性が点滴と包帯を取り替える為に入って来た。
男の包帯を巻き直している若い方の女性がふと口を開いた。
『先輩‥これ、生きてるんですか?』
『脈が有るし、呼吸もしてるし‥これで生きてないって言う方が不思議だわ。』
先輩と呼ばれた方が、点滴を取り替えながら答える。
『でも‥もう何年もこのままなんですよね!?』
若い方が幽霊に出会した様に震えながら言う。
『そうよ。‥まぁ、現状から見ても、発見された時の有り様から見ても、生きてる事が不思議なのは確かだけど‥』
先輩はちゃっちゃと点滴を取り替えると、部屋の整理を始めた。それに後輩も続く。
『何でこんな‥半死人の看病しなきゃいけないんですか?』
後輩が気味悪げに男を見ながら言う。どうにも彼女は怖がりらしい。
『主の趣味でしょ‥それに日に日に回復してるから、そろそろ目を覚ますかも‥そうなったら悪口言ってた貴方は襲われるわね。』
笑いながら言う先輩に後輩、やめてくださいよ、と文句を言う。
『ハイお終いです!!』
仕事を済ませた後輩はソソクサと部屋を出て行った。それとは対照的に男に近付く先輩。
『私は気になるわね‥何が彼の魂をこの世界に繋ぎ止めているのかを‥』
そろ言いながら男を見つめる。
『先輩早く出ましょうよ!!』
『はいはい。』
そう言いながら2人は小汚い部屋を後にした。
男の魂はずっと待っている。自分の死に体がまた動く日を‥
しかし長い間眠っている内に彼の魂はすり減っていく。
何故自分は死ねないのか?
何が彼を繋ぎ止めるのか?
全てを忘れて尚男は目覚めを待ち続ける。
上昇する体温、強く脈打つ心臓…
彼が目覚める日は近いが、その時彼に記憶の一欠片でも残っているのだろうか?
もし何も残っていなかったら…
彼は何を思って生きるのだろうか?
幕間の終わり
皆様、少しは楽しんで頂けたかな?
彼が目を覚ますと共に、この陳腐な幕間はお終いとなる訳だ‥。
彼が目を覚ました後は前述した通り、狂人の箱庭から逃げ出し、奇形の化け物達と死闘を演じた訳だ。
そして‥顔の継ぎ接ぎが剥げた男は隻眼の白髪女に銃口を向けられる。
この時、彼の噛み合いだした記憶の歯車は、目の前に居る女性が誰なのか気付こうとしていた。
だが、錯乱する女は引き金に掛けた指を一気に引いてしまった。
互いに再会を望んでいた筈の少年と少女の運命の歯車は、回り始めた途端一発の弾丸によって再びぶち壊された。
その後-
この話がどうなったか?
それは全くの白紙、何一つ決まっては居ない。
この物語の顛末は今後、彼らがどのような行動をするかによって決まるのだろう。
記憶の壊れた継ぎ接ぎ男
青い蟹を演じる白髪女
そんな彼らの周りにいる人々
そして‥彼らを狂わした全ての元凶である箱庭の狂人
彼らが望むのは
夢の中の少女との再会?
平静の崩壊?
欲ぼ‥抹さ…い行‥‥うの維……ね…かま…
最高に輝く死に様か?
それらは全てコレから決まる。
誰も知らない…だが、彼らが今から知る事となるこの物語の結末。
其処にあるのは光か闇か…
陳腐な幕間は間も無くお終い。
さぁさぁ、気になった方だけ聞いてくれ。もう直ぐ最後の幕が開く。
中書き的な何か
こんな駄文を読んでくれる物好き且つ慈悲深い皆様
オハヨウコンニチコンバンワ~
馬鹿野郎です(-"-;)
まず
話延びすぎですね!!
30程度で締めるつもりだったのにグッダグダと延びまくりました‥
しかも何書いてるか解らないし(´・ω・`)
もう一部書いてこの切れ端もお終いとする訳ですが、もう少し読みやすくサクサクとした話に成るように努力いたします
現段階で話見たけど分かんねー!!
とかの突っ込みがある方は図書館の板にて教えて頂きたいです
ではでは次の話で~
最終更新:2013年02月26日 17:41