暗闇に浮かぶ
外道の餓鬼について
それから数刻後・・
大きく傾いていていた太陽も完璧に沈み、どっぷりと日の暮れたロッタ村。暗闇と静寂だけが今のこの村を支配する。
そんな村の集会所の裏側で、一人月を見上げる包帯男が一人。無論そんな不審な人物はマミーな訳だが、何故彼が一人でこんな所に居るかと言うと・・・
今回の目的の物の持ち主であるゲドが目を覚ますのを待っていたのだが、彼が目を覚ました直後ルディのお説教フルコースが始まった上、目も当てられなくなって来たため外へ逃げて来たのだ。
そしていつまで経っても説教が終わらないので、ビィズはマミーを残して先に就寝してしまった訳だ。
そんなこんなでマミーは一人、夜の村で星空を見上げて呆けている。
彼は周りの景色を見て軽い頭痛のような、浮遊感の様な奇妙な感覚を感じていた。
何と無く見覚えのある村の景色
ゲド言う男とルディと言う女・・・
カラカラと空回りを繰り返すお頭の歯車が酷く五月蝿くなってきたので彼は今回の仕事に付いて考えることにした。
今回の目的は太古の魔剣、封龍剣の入手。手段は問わないとか・・
そして一番の問題なのがその持ち主である男、ゲド・・・
イチから聞いた(噂)話だと、通称は外道の餓鬼。酷い寄食家で竜を狩りながら食したとか何とか・・
他の噂も、鬼の様な狩人だとか、人食いだとか、御伽噺の邪龍を殺したとか、胡散臭く且つ恐ろしい物が多数・・
そして記録上10年近く前に死んだとされる人間。
だが、現に彼はこの村で楽しそう(?)な生活を送っているし、とてもイチの話の人物と同じ人間とは思えない。
そして何より、彼はそんな酷い人間ではないと、マミーは確信していた。いや・・確信と言うより知っていたと言うほうが正しいか・・
初対面の人間に対して”知っている”と言うのは変な話だが、そう感じるのだから仕方ない。
「俺の頭はどうなってんだかな~」
マミーは見覚えのある星空を眺めながらそう呟いた。
そんな時・・
カロン・・・
集会所の扉が開いて、赤髪の男が出てきた。こってり絞られたのか、少しぐったりした表情になっている。
「ちょっといいですか?」
とりあえずマミーが声を掛けるとゲドは此方を振り向いた。そして
「やぁ、久しぶり。」
そう言ってニッコリと笑った。
あの日のプレゼント
要件を言う前にゲドに付いてこいと言われたマミーは、黙って彼に付いていく事にした。
真っ暗闇の中、中身が無い袖がプラプラ揺れるのを見詰めながらマミーは考えていた。
(久しぶり)
目の前を歩く男は包帯を巻いた、初対面の筈であるマミーに対して確かにそう言った。
これはどう言う事か?
単純に他人と勘違いしているのか?
それとも過去のマミーを知っていて且つ、包帯の上からそれを見抜いたと言う事なのだろうか?
前者ならば笑い話なのだが、仮に後者だとしたら…
それはつまりマミーが誰かを知っていると言う事である。
だが考えていても解りはしない。やはり、本人に聞くのが手っ取り早いか…マミーは意を決して聞いてみる事にした。
「あ…」
「ちょっと待っててね。」
だがミーが言葉を言い切る前に、ゲドは目の前の家に入って行ってしまった。
御預けを喰らったマミーの耳には彼が部屋を漁る音だけが聞こえてくる。
ガサ…ゴソ……ドンガラガッシャァァア!!
家から何かが崩れる音と共に大量の埃が噴き出した。
そう言えば両腕が無い体でどうやって物を探してるんだろうか?
「ゴホッゴホッ…あったよ、コレを貰いに来たんだよね?」
そう言ってゲドは右足に引っ掛けたある物を掲げた。
それは一本の剣、古びた刀身に翠の筋がまるで血管のように張り巡らされた奇妙な剣。マミーはその剣が何なのかを知っていた。
「封龍剣…」
彼の口からは勝手にその言葉が漏れた。
「そう封龍剣。でも約束が果たせてないからあげられないね。」
そう言ってゲドは封龍剣を家へ投げ込んだ、無論足で。
「約・・束?」
マミーはその言葉に覚えがなかった。だが、何かが…引っ掛かる。
「少なくともネイダを怒らせてるようじゃあげれないな。」
「ネイダ!?」
「惚けたって駄目だよ。あの蟹男、ネイダだよね?」
ゲドはさらりとヘルムの中身を当てる。
「とりあえずコレをあげるから仲直りしておいでよ"ニィム"。」
そう言ってゲドはある物を取り出した。それはボロボロになった紐が巻かれた斬波刀とひび割れたスコープ。
それを見た瞬間、マミーの頭の全ての歯車が噛み合い回りだした。
「あの日渡せなかったプレゼントの代わりだよ。」
マミーは無言でそれを受け取ると、一気に駆け出した。
「ありがとうゲド兄!!」
駆けていくマミーの後ろ姿を見てゲドはニコリと笑う。
「ちょっと見ない間に大きくなったね。」
ボロボロ
パチリと目を覚ますと其処には見覚えのある天井があった。重たい体を起き上がらせると、再びすっ倒れた。
酷くバランスが悪いと思ったらどうやらベッドの上に寝かされていた様らしい。
グルッと辺りを見回すと其処にはあの日と変わっていない宿舎の室内があった。昔、彼と遊び回った集会所の一室・・・
「何も変わってない・・・」
そう呟きながら、自分の顔を触ろうとしたら、軽い金属音が響いた。その音が彼女を今の彼へと引き戻す。
この村は何も変わっていない。変わったのは自分だ。あの日から何もかも変わった。性格も、見た目も、自分と言う存在も、隣にいた彼も、何もかも・・・
だからこの村に今の自分の居場所なんて無いのだ。
「工房に帰ろう・・」
ランダはそう呟くと、手早く身支度を始める。ニーが見当たらないが・・放っておいても大丈夫だろう。仮にも商人だし・・
外は真っ暗だが、帰る方法なんて幾らでもある。放牧しているアプトノスを拝借してもいいし、ジュリアナもどうにかすれば近くの村までは乗せて行ってくれるかもしれない。最悪歩いて帰ればいい・・・
彼女はこの村に帰ってきて改めて実感したのだろう。今の自分にこの村に居る資格なんて無いことを・・・
全ての荷物を鞄に詰め、ボウガンを背負ったランダはコッソリと集会所の裏口から外へと出た。
外は真っ暗闇、人の気配は一切無い。ただ、後ろには自分が良く知った景色が広がっている。
だから振り返りはしない、ここは自分には全く関係ない偏狭の村なのだから・・・
村の出口へと向かう彼の背後から、一陣の風が吹き抜ける。故郷の風が彼の頬を撫でた瞬間、何故か彼の瞳から大粒の涙が零れた。
「・・・っぅ」
ランダ・・いやネイダ・ロッタ一言だけ小さく泣いた。
今の彼女の心はボロボロだ。今まで必死になって演じていたランダと言う自分が音を立てて崩れていくのが解かった。
だから、一刻も早く此処から離れたかった。このままでは継ぎ接ぎだらけの自分の心が壊れてしまう。
でも、何故だかその足は一歩も動かない。今すぐ駆け出してしまいたいのに、二本の脚は故郷に縋り付く様に動かなかった。
進むことも戻ることも出来ないから、彼女はその場に蹲った。そして、誰にも聞き取れないような小さな声で泣き続けた。
彼女の心はもうボロボロだ。だから、無数の黄色い目玉が彼女を狙っている事に気付く事なんて出来るはずが無かった。
化け物達
1人踞る彼女の回りの暗闇に無数に浮かぶ黄色い瞳…
木々の隙間から差し込む月光が、闇に潜む何かを不気味に照らし出す。
それは歪な紫の鶏冠
それは不気味な碧色の牙
それは白と青が混ざった奇妙な体
それが何なのか…彼女は身をもって知る事となる。
ただ小さく踞る彼女の正面の茂みが微かに動いた。瞬間、彼女は朱蟹へと切り替わる。
茂みから飛び出した何かがボンヤリと月明かりに照らされる。暗闇に浮かんだその頭は間違いなくイーオスの物だった。
ランダは地面を転げ、その奇襲をかわすと背中のボウガンを手にとった。
カートリッジに残っている弾丸は拡散弾のみ。小型の敵には向かないが、みすみす奴らを故郷に入れてやる訳には行かない。
拡散弾を一気に弾装まで送り込むと、暗闇に向け銃を構えた。
ザッザッ…ガガガ…
足音は複数、回りをグルグルと回っているようらしい。
さっきチラリと見えたのはイーオスの頭。小型の奴では厄介な方だが、口から吐き出す毒液にさえ注意していればそれほど問題ではない。
ザッザッ…ザザザ…
足音の1つが近付いてくる。だが、本能に任せ走る奴の居場所は暗闇の中でも簡単に解る。
ザザ…ザガッ
暗闇の中で奴が跳ねる。角度、方向、全ては完璧だ。あとは引き金を引くだけ…
そして、暗闇から奴が飛び出した。
それはイーオスの頭と、ゲネポスの牙と、ランポスとギアノスの体を持った奇妙な化け物だった。
普段の"ランダ"であれば構いもせずに引き金を引いた筈だが、今の"彼女"は、一瞬だけ動揺してしまった。
その一瞬が全てだった。
ランダの懐に一気に飛び込んだ化け物は、鎧の隙間にその牙を滑り込ませる。その牙は皮を裂き、肉を抉り、彼女の体に神経毒を流し込んだ。
ランダの体は一度だけ、ビクンとしなるとその場に力無く倒れこんだ。
それを見た他の化け物がワラワラと暗闇から涌き出してくる。しかし、化け物達は彼女に襲い掛からず、代わる代わる氷結液を吐き出て行った。そして彼女の体半分が凍り付いた時、奥の茂みが大きく動いた。
そして暗闇から巨大な化け物が這い出して来た。見た目はランポスに似ているがその体表は暗闇の様にドス黒く、両脇には血管が張り巡らされた様な翼が生えていた。そして何より、その体は飛竜の様に巨大だった。
そして、現れた化け物はその瞳でランダを睨むと、その口を開いた。
壊れた仮面
醜悪な化け物の口が死臭漂わせながら近付いてくる。黄ばみ、微かに赤が混じった牙が間近に迫ってもランダは諦めてはいなかった。
体の半身が凍り付き、神経毒で指先が微かにしか動かなくてもランダはただ打開策を考えていた。
指先は微かに動く、幸いボウガンは手から離れていない。装填されている弾丸は爆薬のたっぷり詰まった拡散・・・
化け物の汚れた牙が蟹のヘルムに食い込む・・・やるなら今しかない。
「弾けろ・・」
消え入りそうな声でそう言うと、彼は痺れる指で引き金を引いた。
撃ち出された二発の拡散弾が、地面にぶつかり中の爆薬を撒き散らした。
紅蓮に染まる視界、耳に響くのは化け物共の悲鳴・・・やったか?
だが、ランダがそう思った瞬間、彼のヘルムが大きく軋んだ。化け物はまだヘルムに喰らい付いている。それどころか地面に凍りついたランダの体を無理やり引き剥がし、無茶苦茶に振り回した。
「くぁぁぁああぁぁあ!!?」
頭を中心にブンブンと振り回されるランダの体はそのまま密林の木々に向け投げ出された。
壁の様にビッシリと生えた密林の木々を何本もへし折り、彼の体は漸く止まった。クラクラする頭を起こしながら、ランダは考える。
何故あの化け物は自分を離したのか?奴の大きさなら易々と首を喰いちぎれた筈なのに・・
ゴトッ・・
そんな時彼の視界の先、化け物の足元に何かが転がった。それは、青い蟹のヘルム・・つまり奴はランダを離したのではなく、偶々ヘルムが外れて吹っ飛んだだけなのだ。
ランダは・・いや、彼女は遥か先に落ちたヘルムに手を伸ばす。
あれは彼女にとっての仮面だ。あれがあるから彼女は”朱蟹”という他人でいられるのだ。だが・・
ゴシャンッ
彼女の歪んだ仮面は、あっさりと化け物に踏み潰された。
「あ・・」
彼女の口から力なく声が洩れると共に、全身から力が抜け落ちた。
あれが無くてはダメなのだ。あれが無くては”朱蟹”ではなく彼女に戻ってしまう。そんな事は今の彼女には耐えられない。抑えていた記憶が濁流のように溢れ出す・・・
眼前からは子分従えた化け物が迫る。そんな状況で”朱蟹”ではない今の彼女に何が出来る?
「いや・・いや・・いや・・・いやぁぁぁぁあ!!!」
ただ、彼女は叫ぶ。眼前に迫る死も、今の自分も、あの日のことも・・全てを否定する様に・・
そんな彼女の暗闇を一筋の雷光が引き裂いた。
暗闇を切り裂いて
包帯男は全てを思い出した。
自分が誰なのかを
あの女性が誰なのかを
そして自分が何のために狩人に成ったのかを
そして今、彼女が泣いている。
背負う太刀は何の為に造ったのか?
そんな物は決まっている。
柄を握る手に緊張や動揺は一切無い。この刀は彼女に集る暗闇を切り裂く為だけの物なのだから・・・
「ぅらぁぁぁああぁあ!!」
駆ける勢いのまま、鞘から引き抜かれた斬波刀は切り裂いた暗闇に雷光を刻み付ける。
雷光と共に現れた乱入者に化け物の群れは僅かに後退する。その隙間に、彼女と化け物の間で彼は立ち止まり刀を構えた。
そう此処が、彼女と竜との間が彼の居場所だ。
そんな彼を見て後ろの彼女は呆然としたままだ。だが、彼が声を掛ける前に化け物ども次々に二人に襲い掛かる。
飛び掛ってくる変種達。だが今の彼は先ほどまでの彼とは違うのだ。その手には使い慣れた一振りが、その記憶には相棒を使いこなす知識が蘇っている。
だから飛び掛ってくる化け物が見たことも無い”化け物”であってもなんら問題は無い。
飛び掛って来た一匹目の喉笛に一気に刀の切っ先を突き刺した。血飛沫と雷撃が化け物の後頭部で混ざり合うなか、続いて飛び掛る二匹目を一匹目が刺さったままの刀で薙ぎ払う。
雷撃と血飛沫の中で真っ二つにされる仲間を見て、他の化け物ト共が飛び掛るのを止めた。
微かに乱れる呼吸、たった三回
太刀を振るっただけで倦怠感を覚える両腕・・・記憶は戻っても、肉体はかつての動きを再現しきれない。しかし、そんな事は退く理由にはならない。
一度太刀を鞘に戻し何時でも振り抜ける姿勢のまま呼吸を整える。がどうにも息がし辛い・・
そうか、包帯が邪魔なのだ。
「マミー・・何を?」
くるくると包帯を外すのを見て彼女が尋ねる。
もともとこの包帯は今の顔を隠す為の物だ。そして傷が治り、全部思い出した以上顔を隠し続ける必要は無い。
彼は包帯を解くと、顔に張り付いているフルフルの皮を一気に剥ぎ取った。
今まで隠れていた皮膚が、夜の風を受けてピリピリと痺れる。顔には僅かな痛みが残るが、これで彼は元通りになった。
そして彼は振り返り、後ろにいる彼女にずっと言いたかった台詞を言う。
「ただいま、ネイダ。」
ニィム・ロッタはランダ・ロッタにずっとずっと言うべきだった台詞を告げた。
おかえり
集る化け物を切り裂くのは彼が使っていた刀が放つ一筋の雷。
その刀を携えるのは見知った包帯男、そして中からはよく知った、もう二度と会えない筈の男の顔が現れた。
そして、あの日自分で突き飛ばして何処かへ行った癖に、タダイマなんて言いやがる。
何故彼が前に居るのか?
今まで何処に居たのか?
何故またそうやって人の前に立つのか?
聞きたいことは山ほどあった。
でもきっと今目の前に居る彼は幻だ。久々に故郷に帰ってきて、耐え切れず逃げようとして、勝手死に掛けている自分が創り出した幻想なのだ。
だから、素直に返事をしてやろう。
「おかえり、ニィム。」
だから、そう言ってニッコリと笑ってやった。・・人の笑顔見て赤くなってやがる。そう言う所は変わってないな。
- 毒のせいか、疲労のせいか、それとも安堵感からか・・
彼女の意識はそこでプッツリと途絶えた。
「ネイダ!?・・・」
それを見て一瞬焦るマミー、もといニィムだが・・
スゥー・・スゥー・・
彼女のたてる寝息を聞いてすぐに前を向き直した。
とりあえず彼女に再会早々眉間をぶち抜かれると言う事態は回避できたが、今の彼の置かれた状況は絶望的である。
目の前には化け物の群れ+その親玉。そして背後には寝息をたてるよく知った女性が1人・・・
辺りを見回してもやはり状況は絶望的。だが、彼の頭にはこの村を出る日の事を思い出していた。
(「ニィムが立派な男になれたらあげるよ。」)
それを思い出してニィムは冷や汗混じりにニヤリと笑う。
「そんな物くれなくても、約束が無くても、守って見せるさ・・・」
構えた彼の刃には、背後で眠る彼女がボンヤリと写っていた。
戦闘態勢に入るニィムを見て、小さな化け物達が代わる代わる威嚇の叫びを上げる。だが彼は一歩もさがらない。今いる場所が彼の居場所だから・・
「さぁ、掛かって来い!!」
ニィムが唸る様に言うと、痺れを切らしたように前列の化け物達が飛び跳ねた。
ザワツク密林
夜風でザワザワと揺れる密林の木々…
だが、何故か今夜は何時もよりも騒がしく感じる。
そんな事を思って赤い猫は村の火の見櫓に駆け上った。夜風でザワツク密林の中、数ヵ所の木々の揺れが奇妙に列を成していた。
備え付けの望遠鏡を覗くと暗い緑の隙間から、チラチラと毒々しい色が見えた。
赤に黄色に白に青…正に選り取りみどりだ。
餌を求めてやって来たのか、それとも縄張り拡張の為かは知らないが…
ちょうど良い、そろそろ新しいメニューを作ろうかと思っていた所だ。
そして赤猫はスルリと櫓から降り、集会所に戻るとエプロンを脱ぎ捨て赤い衣装に袖を通した。
「何してるんですか、ムサシさん?」
集会所に残っていたルディが不思議そうに尋ねる。
「鴨が葱背負って大群できたから全部捌いてやるのニャ。」
着替えを終えた赤猫はそう言ってニヤリと笑う。それを聞いたルディも慌ただしく準備を始める。
「使えそうな奴は叩き起こせニャ。場所6北東と南南西と真東ニャ。」
「解りました。」
準備を終えたルディが答える。
赤猫は壁に懸けてある金ぴかの大剣の下辺りの床を強く蹴った。すると…
ガタンッ
音を立てて落下した大剣がスルリと赤猫の手に納まった。
「ニャァは1人で東に行くからその他を頼むのニャ。」
「解りました。気を付けてくださいね?」
「嬢ちゃんこそ明日の晩御飯を"楽しみ"にしていろニャ。」
そう言って真っ赤な猫と金ぴかの大剣はニヤリと笑った。
暗闇を切り裂いて
今の体
マミーは一人化け物相手に一人で戦っていた。化け物どもは見た目こそ奇怪だが、その基本はランポスなどと同じ・・異種交配でもしたのだろうか?
とにかく、見た目や能力は異常そのものだが、根本の動きは変わっていない。故に経験さえあれば幾ら数が揃っていようが十分に対処できる相手なのだ。
だが此処で一つ問題がある・・・
「うらぁぁぁぁああぁぁあ!!」
十数匹目の化け物が雷光と共に真っ二つに裂けた。飛び散る鮮血と臓物、そして奇妙な液体が刀身に絡みつき、刀の輝きを奪っていく。
既に彼の背後には大量の肉塊が転がっている。それゆえに刀の切れ味もその威力も目に見えて落ちてきている。
目の前には未だに大量の化け物が列をなして二人を囲んでいる。
今の彼が抱える最大の問題、それは体力と筋力だ。
幾ら敵の動きの予想が付き、どう対処すべきか知っていようが体が付いて来ないのでは意味が無い。
今のマミーの狩人としての能力は、目が覚めた当初より幾分かマシになっている。だが”ニィム”だった頃には遠く及ばない。
今彼がどうにか死なずに居れるのは辛うじてだが記憶通りの動きが出来ているからだ。だが既に呼吸は乱れだし、脈拍は上昇し、切れ味の落ちた刀がそれに拍車をかける。
「ゼラァィッ!!」
それでも彼は刀を振るう。飛び掛る敵を下を潜り背後を取り脳漿を掻っ捌き切り捨てる。汗と疲労でにじむ視界には先程より多くの化け物が映った気がする。
砕ける
だがそんな事は退く理由にはならないのだ。また彼女から離れる事など決してありえてはならないのだ。
だが、乱れた呼吸のまま刀を構える彼を見て、奥に潜む化け物の親玉が下卑た笑いを浮かべた。
グォォオォォオオ!!!
「・・っ!!?」
暗闇に響く低い咆哮が、僅かに彼の体を硬直させる。それを合図に化け物共が一斉に飛び出した。
だからマミーは不十分な体勢からその一振りを放った。
一匹二匹と切り裂く度に刀が重くなっていく。そして・・
ゴキッ
四匹目の化け物の脊椎が刀の侵食を拒んだ。だが、それでも彼は・・
「どけぇっ!!」
痺れる両手を無理やり振り抜いた。その刹那、
ゴキンッ
鈍い音が響いた。マミーはその音が化け物の骨が砕ける音だと思ったのだが、それは違っていた。
次の瞬間、斬波刀の切っ先から夥しい量の雷が噴出し、目の前の化け物どもを瞬く間に消し炭に変えた。
そして、雷が収まった時彼は気付いた。先程まで切っ先だと思っていた場所は切っ先では無く刀の七分程の所だった。そして枯渇した雷・・・
それはつまり、斬波刀が死んだ事を意味する。
詰み
ハンター達が扱う属性を持った武器。一撃と共に噴き出す炎や雷は一見、無尽蔵の様に見える。だがそれは間違いだ。
竜達から取り出した臓器と、武器に施された特殊な加工や仕掛けがあってこそ狩人の武器は半永久的にその効果を発揮するのだ。
此処で1つ問おう。
手入れも録にされず、氷点下の世界に放置され続けた太刀の刃が砕けたとして…その太刀はその能力を維持出来るのか?
…考えるまでもなく答えは否だ。恐らく先程の放電で斬波刀の雷は全て漏れ出てしまったのだろう。
つまり今の彼の手にあるのは刃零れして、切っ先がへし折れた、雷も残っていないただのなまくらと成り下がった訳だ。
そして眼前には未だに無数の化け物どもが涎を垂らして此方を見ている。その上手持ちの道具など一切ない。
だが、彼はそれでも刀を構えた。
次々と飛び掛かってくる化け物どもを手にしたなまくらで斬り伏せる。
ザシュッ…ザッ…
だが、なまくらが肉を裂く音は明らかに鈍い物へと変わっていく。そして、殆ど刀で叩いているのと変わらない状況となっていた。
そして彼の体力は既に限界で、何時喉元に牙が抉り込んでも可笑しくない状態だった。
そんな彼を支えるのは後ろの彼女の存在か…
だが、気力だけでどうにかなるような状況ではなかったのだ。
彼が刀を振るい、僅かにバランスを崩した瞬間、化け物の内の一匹が彼のの脇をすり抜けた。その汚れた牙は、躊躇うことなく眠る彼女に向けられた。
「クソォ!?」
動揺して振り返った瞬間、彼の腕にも化け物の牙が食い込んだ。左腕を痺れが駆け上がってくるが、彼の瞳は彼女だけを見ていた。
「ネイダに触るな!!」
彼は痺れが全身に回るより早く、右手でなまくらをぶん投げた。
回転するなまくらは化け物の首を一撃で吹っ飛ばし、木に突き刺さった。確かに彼女を襲う化け物は倒した。だが…これで詰みだ。
全身を毒が駆け巡り、手元には武器すらない。
もう手の打ちようがない。
これでお仕舞いか…
せっかく全部思い出したのに…
せっかく、彼女を思い出したのに…
彼女がすぐ側にいるのに…守る事が出来ないなんて…
彼の頭の中が後悔と諦めに侵されていく…
その時だった。
化け物どもの親玉の首がズルリとズレた。
『楽しそうニャ事やってるのニャ?』
飛び散る血飛沫をバックに、真っ赤な小人と金ぴかの大剣が不敵に笑っていた。
真っ赤っ赤
降り注ぐ墳血が赤い小人も金ぴかの大剣も同じ色に変えていく。そんな中、裂けた様に笑う口と白い歯が酷く目についた。
見えない筈のその面がマミーの背中に悪寒を走らせる。
「む、ムサシさん!?」
マミーが痺れた口でそう発するが、その言葉は周りで騒ぐ化け物どもの鳴き声に掻き消された。
化け物達は群れのリーダーを失い、乱れた統率のままムサシに襲い掛かろうとしていたが、当の本人は一切気にも留めていなかった。
そして一人で首無しのまま立ち尽くす化け物の親玉の大きさを測っていた。そんな事をしてる間に、化け物の群れがムサシ目掛け駆け出した。
「ちょいとデカいニャ…三枚にオロスかニャ。」
赤猫はそう呟くと、手に持った大剣を軽く二回振った。すると…
ズパァッ
化け物は背骨を中心に三当分されて崩れ落ちた。
それを見た瞬間、化け物達は一切に踵を返した。が、その瞬間、赤猫が閃光の様に跳び跳ねた。
「お前達の行き先は明日の食卓と決まっているのニャ。」
そう言って赤猫が大剣に着いた血を払うと、群れの前列に居た奴等の首がストンと落ちた。
化け物達はそれを見て、逃げられないと悟ったのか狂った様にその牙を剥き赤猫に襲い掛かった。
「生きが良い奴から捌いてやるニャ。」
そう言って赤猫はニヤッと笑った。
その後の光景は正に赤一色だった。飛び跳ねた者から順番に…文字通り真っ二つにされて行った。
噴き出す血やら、飛び散る肉片やら、ぶちまけられる腸なんかを見ている内にマミーは酷い目眩と吐き気を覚えたのでそのまま気絶した。と言うか、気絶する事にした。
街1つ潰すレベルの竜ならともかく、頭を失い烏合の衆と成り果てた小さな化け物ではあの赤猫の相手に成るわけがない。
だから此処は任せて気絶するとしよう。第一、これ以上この惨状を見ていると明日の飯が食べれなくなる。
マミーは最後に後ろで眠る女性を確認した後、ブッツリと意識を断った。
一夜明けて
ハンバーグ
飛び跳ねる度に次々と肉片に変えられていく化け物達…
そしてそこら辺に飛び散った肉片を集め、更に細かく磨り潰す赤猫…
必要以上に真っ赤な挽き肉をコネ回し、肉団子を造り、熱々のフライパンで一気に焼き上げた。
辺りに漂う良い臭いに反して、あっと言う間に食欲が失せていった。
そして、とうとう目の前に"特製"ハンバーグが置かれた時にはスッカリ食欲が失せていた。
そして赤猫が此方を見て…ニヤリと笑った。
『残すニャよ?』
バチっと開いた視線の先には木造の天井があった。
「朝っぱらから凄くリアルな悪夢だな…」
マミーはさっき見たリアリティー溢れ過ぎな悪夢を思い出しながらそう呟いた。「もうお昼だけどね?」
声のした方を振り向くと、ベッドの端でビィズが林檎をかじっていた。
「おはようビィズ、結局昨日はどうなったんだ?」
「昨日は竜達の襲撃があったらしいけど、村に入る前に皆駆逐したんだってさ。この村のハンターは化け物だね。」
そう返すとビィズはケラケラと笑う。
「ビィズは何してたんだ?」
「僕は今朝までずっと寝てたよ。」
そう答えてビィズは再び笑う。
「でも…そんな顔だったんだね?」
ビィズがマミーの…いや、ニィムの顔を見て言う。
「何で皮剥いだのか聞かないのか?」
「聞かなくてもだいたい判るよ。とりあえず…はい。」
ビィズは言いながら新品の包帯を取り出した。
「傷は治ったのに、何でまた包帯なんか…」
「だって、頭禿げてるよ?」
マミーはそう言われて初めて頭部の異変に気が付いた。
「うわぁ…ツルツルだ。」
酷く落ち込みながらマミーが言う。
「だから包帯巻いときなって。それに…」
「それに?」
「包帯巻いてなきゃマミーじゃないからね。」
そう言って笑いながらビィズはマミーの頭に包帯を巻いた。
結局、マミーの頭は傷が治る以前と同じになった。暫し不服そうな顔をした後、マミーはビィズを向き直った。
「一応言っておくが…記憶が戻った。俺はやっぱりニィム・ロッタみたいだ。」
「そんな事言わなくてもだいたい解ってるよ、"マミー"」
「…名前はニィムなんだが。」
「今更呼び名を変えるのも面倒だろう?そんな事より昼御飯を食べに行こう。」
「そんな事って…昼のメニューは?」
「ハンバーグみたいだけど?」
マミーはそれを聞いた瞬間、すぅっと食欲が失せた。
お面
「俺は用事があるから先に行っててくれないか?」
マミーはベッドから立ち上がりながらそう言った。
「そうか、なら仕方無い。」
ビィズはそれだけ言うと、部屋のドアに手を掛けた。
「所でビィズ。」
「なんだい?」
「ニーさんとネイ…いや、ランダの部屋知らないか?」
「この右隣がニーさんでもう1つ隣がランダさんだよ。」
「わかった、ありがとう。」
それを確認するとマミーもベッドから腰を上げた。そんなマミーを見てビィズがニヤリと笑う。
「こんな時間から夜這いかい?」
「だ、断じて違う!!」
マミーが怒鳴るとビィズは笑い声だけを残して部屋から出ていった。
「ったく…とりあえずニーさんの所に行くか。」
マミーは手早く身形を整えるとニーの居る部屋に向かった。
コンコン
『はぁ~ぃ』
部屋のドアをノックすると中から頗る眠そうな声が聞こえて来た。そしてガチャリとドアが開く。
「誰ですか?」
部屋からは、明らかに起き抜けで、髪も服装も乱れまくっているニーが出てきた。マミーはなるべく目を反らしながら要件を告げる。
「おはよう、ニーさん。」
「…おはようございます。」
ニーは訝しげな顔のまま挨拶を返す。
「この前貰ったお面ってまだあるか?」
「…有りますけど?」
「一枚貰えないかな?」
マミーがそう言うとニーは部屋の中に戻り、一枚のお面を持って戻って来た。
はい、どうぞ。」
差し出されたお面には少々気の抜けた顔が描かれている。まぁコレくらいがちょうどいいだろう。
「ありがとうニーさん。代金は後で払うよ。」
「まいどあり~。」
ニーは言いながらドアを閉めると、再びベッドに飛び込んだ。
「しかし…今の人、誰なんでしょう?」
そんな疑問を抱えながら、彼女は再び夢の世界へ旅立った。
「さて…と。」
マミーは手に持ったお面と目の前にある扉を確認すると、大きく深呼吸をした。そして短く二回、ノックをする。
コンコンッ
…暫く待っても返事がない。だが中からは明らかに人の居る気配がする。
コンコンコンッ
仕方無いのでもう一度ノックをする。
…が、やはり返事がない。
マミーはそれに少々イラッと来た。
コンコンコンッコンコンコンッコンコココンッ
右手で可能な限り小刻みにノックをする…と
バッ…ガンッ
物凄い勢いで、ほんの少しだけ扉が開いた。マミーは強打された右手を抑え悶絶しつつ扉を見ると、僅かに彼女の顔が見えた。
扉を挟んで
「何の用…」
ドアから微かに見える瞳がマミーを睨む。
「伝えたい事が有るんだ。俺は…俺はマミーじゃなくてニィム・ロッタなんだよネイダ。」
マミーは伝えるべき言葉を伝えると、ドアから覗く瞳が微かに揺れた。そして…
バタンッ
ほんの少しだけ開いていたドアは閉じられてしまった。
マミーはドア越しに何かを言おうとしたが、諦めてその場に座り込んだ。
「本当は薄々気付いてた…」
沈黙の後、ドアの向こうから独り言の様に声が聞こえて来た。マミーは黙って彼女の言葉に耳を澄ます。
「…ニィムが私を庇って死んだ事が、私には耐えられなかった。私のせいで貴方が死んだなんて…」
マミーには彼女の口調が何時もの調子から、弱々しくなるのが手に取るように解った。
「だから私が自分で殺した事にしたの…なのにあの晩、貴方が現れて…私は、私は…」
「あれはネイダのせいじゃない。あれは事故みたいなもんだよ。それに俺はちゃんと生きて…」
『じゃあ!なんで…すぐに…会いに来てくれなかったのよ?その上変な変装までして顔を隠して…』
扉の向こうの声が徐々に弱々しく、泣き声が混ざった物に変わっていく。
彼がマミーで居たのには色々な訳が有るのだが、結局それらは言い訳でしかない。
勝手に守ると決めて、勝手に庇って、勝手に居なくなった事を弁解する事なんて出来る訳がないのだ。
「ごめん、ネイダ。」
だから、彼はただ謝るしかなかった。
そして暫しの間、彼女の泣き声だけが細い廊下を支配する。
これ以上待っても彼女を泣かせるだけか…そう思い、彼は其処から立ち去る事にした。
その際に、先程ニーに貰った仮面を半分に折って、左側を彼女の部屋に滑り込ませた。
『…コレは?』
「ネイダに厳つい鉄仮面なんて似合わないから…代わりにと思って…」
本当は彼女の顔の火傷の事を考えてだが、そこには触れないでおく。
『…何で半分なの?』
「半分だけでもネイダの…ネイダの顔を見たいからさ。」
言った瞬間自分で顔が赤くなるのが解った。だから矢継ぎ早に言葉を続ける。
「もう半分は俺が付けとくからネイダも恥ずかしくないだろ!?」
『余計恥ずかしいわよ…馬鹿』
彼女の声は少しだけ明るくなっていた。
『有り難う、ニィム。』
「お、おう!!俺は先に食堂に行ってるからな。」
そう言って彼は彼女の部屋を後にした。
彼の仮面の半分だけ見える顔は酷くにやけてて、とても嬉しそうだった。
食堂にて
集会所の食堂に入ると食事が終わっているらしく、子供達の姿も、大量にあったであろう昼食も姿を消していた。
マミーはそれを見てホッと胸を撫で下ろす。
「はい、マミーの分だよ。」
そんなマミーにビィズがハンバーグを持って来てくれた。…要らぬお節介を。
「別に取っておいてくれなくても良かったんだが…」
「あの赤い猫さんが特製だってさ。」
それはつまり食わねば殺すと言う事なのだろう。
マミーは黙って席に着き、特製ハンバーグにナイフを入れてみた。
ブチュッ…
あの猫、目ん玉入れてやがる。
マミーはなるべく反応しないように、目玉を避けて肉を口に入れた。
…ブチチュ
マミーが渋い顔をした途端、厨房から笑い声が聞こえて来た。
何個目玉入れてんだよ…
マミーはその後、ハンバーグを細かに切り分け目玉を避けながら、どうにか完食した。
そしてマミーはグルっと食堂を見回した。
今居るのは2人を除くと、猫二匹だけだった。
マミーは皿の隅に目玉を残したまま、ビィズの方を見た。
「他の人は何してるんだ?」
「イチさんは表で子供相手に芸を見せてるよ。他は知らない。」
そう言えば先程から、表から子供達の歓声が聞こえる。意外と子供が好きなんだろうか?
とりあえず、今回の仕事を遂行しますか…
「ゲドさんが何処に居るか知らないか?」
「ミーユちゃんと一緒に出てったよ。」
また肉焼いてるのか、あの人。
「その後ルディさんが追い掛けて行ったからそろそろ…」
カラン…
ビィズが言い切る前に集会所の扉が開いた。そして…
「ご飯にしましょう~♪」
『ハァ~…ィ』
1人上機嫌なルディと、死んだ魚の様な目をした赤髪親子が食卓に着いた。
「そんな嫌そうな顔しなくても…今日はハンバーグですよ?」
『ヤッターィ!!』
ハンバーグの乗った皿が出てきた瞬間、2人のテンションがはね上がった。
「では…」
『イタダキマース♪』
3人がハンバーグを頬張った瞬間、同時にぶっ倒れた。
「なんだ!?」
マミーが3人の側に駆けよる。…何故か3人とも麻痺の症状が出ている。
「なんで?」
「大方嬢ちゃんが麻痺袋を捌き損ニャったんだろうニャ。」
何時の間に隣に来たのか、ムサシが3人を見て言う。
しかし、昨日と言い今日と言い…
「毎日食事の度に気絶してるのか?」
「だいたい毎日ニャ。」
ムサシは言いながら厨房へと戻って言った。
しかし、これでは話が出来ないな。
雑談
「まぁ座って待ってようか?」
1人呆けるマミーにビィズが声を掛ける。仕方ないのでマミーもそれに同意して席に着く。
「今更なんだけどさ、何で半分だけお面してるの?」
彼はその質問をされ、少しギクッとなった。自分で言った事なのだが、どう考えても恥ずかし過ぎる。
それに恐らくビィズはだいたい何が有ったか理解しているのだろうから質が悪い。
「それは…その…」
思っいきり言葉を濁すマミーを、ビィズがニヤニヤしながら眺めていると…
カラン…
宿舎側の扉が開き、半分だけのお面をしたネイダが現れた。
「お、おはよう。」
「…おはよう。」
面と向かって話すのは、あの晩以来…更に言えば、2人が本来の2人として出会うのは数年振りとなる。
そのせいか、2人の挨拶はかなりギコチ無かった。
『若いって良いね(ニャ)~』
何時の間にかニヤニヤした視線が2つになっていた。「うぉあ!?」
「御無沙汰してますムサシさん。」
そんなムサシに驚くマミーと冷静に挨拶するネイダ。「久しぶりニャ。あと教育に悪いからイチャイチャすんニャよ?」
『なっ!?』
2人の焦った顔だけ見るとムサシは笑い声だけを残し厨房へと去って行った。
「ムサシさん…私達の事、始めから気付いてたのかな?」
「多分な。あとゲド兄も気付いてたみたいだ。なんか勘違いしてたし…」
厨房であと片付けをしている赤猫を見ながら2人が呟く。すると…
カラン…
再び宿舎側の扉が開いた。
「おはよう御座います。」
其処からはまだ少し眠そうなニーが現れた。
『おはよう。』
3人が返事を返すと、ニーは訝しげな顔をした。
「どちら様?」
マミーは手短に事の経緯を説明した。
「そうだったんですか。」
意外に薄いリアクションが返ってきた。
「驚かないんだな?」
「マミーさんには驚いてますよ。ただ、ラン…ネイダさんはそんな気はしてたんですよ。お爺さんぽかったり女性ぽかったりする時が有りましたから。」
茶を飲みながら淡々と語るニー。…抜けてる様で勘が鋭いんだな。
「…今失礼な事考えませんでした?」
鋭い一言にマミーは苦笑いをして誤魔化す。
「でもランダさんは女だったんだ…」
ニーがネイダを見ながら独り言の様に呟く。
思い返せばニーはランダ(ネイダ)に好意を抱いて居たのかも知れない。その相手が女だと知ってショックだったのだろう。
(まぁ、女でも良いけど…)
マミーはその一言は聞かなかった事にした。
足
4人がグダグダと時間を潰していると、俄に集会所が揺れた。
「なんだ!?」
「地震ですか!?」
「なんだろうね?」
「外?」
皆が動揺する中、ネイダが集会所の扉を指差した。
指差す先には開閉を繰り返す扉…まるで突風でも吹き抜けたかの様にギッタンバッタンと音を立てる。その扉の向こうに、桜色の影が見えた。
『タダイマ~。』
そして、ロードら4人が集会所に入って来た。そんな彼らとマミー達の目が合った。
『誰?』
当然の質問が投げ掛けられたので、マミー達は手短に事の経緯を説明する。
「そんな事があるんですね。」
「…へぇ。」
「ロマンチックだな。」
「そう言えば何処となく面影が有るような…」
疑いも驚きもせずに、口々に感想を述べる四名。
「…驚かないんだね?」
率直な疑問を述べるビィズ。
「たまにそんな兄弟もいるからな。」
そう言ってロードが笑う。
「ところで何処に行ってたんですか?」
ニーが彼らに尋ねる。
「食事をしに行ったまま帰って来ないジュリアナを探しに。」
正直、1週間くらい放置していても大丈夫な気がするが。でかいし、強そうだし…
「別にほっといても平気なんじゃないのかな?」
「…火山に帰る足を探しにこの村に来たんだよな?」
ハルがネイダとニーを見ながら言う。
「もう準備は出来てるから何時でも飛べますよ?」
表でバサバサと翼を広げるジュリアナを見ながらパルが言う。
確かに村に帰る足は必要なのだが、マミー達はまだ用事が済んでいない。
「私達は先に帰る。2人はまた後で…」
そう言ってネイダがスッと立ち上がった。そして荷物を纏めニーと一緒に集会所を出るネイダ。
マミーとビィズはその後ろから着いて行く。正直、マミーはネイダと一緒に居たかったのだが、まだ此処を離れる事が出来ない。
そして2人を乗せたジュリアナがフワリと宙に浮いた時だった。
「折角仲直りしたのにまた離れるのは良くないな~。」
背後から聞こえた声の主はゲドだった。
「ゲド兄。」
「昨日はなかなか良い男っぷりだったよ、ニィム。ほいプレゼント♪」
そう言ってゲドは封龍剣の片割れを蹴って寄越した。
「また何時でも帰ってきなよ?」
「おう!!」
マミーはしっかりと封龍剣を掴むと、力強く返事をした。
「ジュリアナ~、後は宜しく~♪」
ゲドがそう言った瞬間、マミーとビィズの背後に飛び上がった筈のジュリアナの両足が迫っていた。
「…またかよ。」
あの日の悪夢
どうにか意識を保ったまま工房まで帰り着いた一向は、ニィムとネイダの蟠りが解けた事を話すと依頼の品を渡した。
「ご苦労さん。」
親父さんはそうとだけ言うと封龍剣と、ついでにマミーの折れた斬波刀を手に工房へと潜って行った。
因みに、爺さんの方のランダは再び仕事に出ているらしく居なかった。
そして、どうにか仕事を終えたマミーは気絶するように眠りに着いた。
コレで全部元通りだ。
明日からネイダと何を話そうか?
一度、雪山にも様子を見に行かなくちゃ…
プッツリと途切れた意識は、ゆっくりと微睡みの底へと堕ちていく。
そして記憶の底まで沈み込んだ彼の頭はあの日記憶を、瞼の裏に映し出す。
既に数度目の悪夢…
流石のマミーも慣れたのか慌てる様子もない。
何時も通り腹をぶち抜かれ、彼女を撥ね飛ばされ、裂けた氷河へと消えていく。
…何時も通りの悪夢だ。
今生きているから良い様な物の…やはりこの夢はいい気分はしない。
しかし、記憶が戻った今、何故またこの夢を見るのだろうか…
真っ二つに裂けた氷河の底に落ちた体…
記憶が戻ったが、此処から箱庭で目覚めるまでの記憶はない。まぁ意識不明だったのだから当然だが…
そう言えばまだ夢から醒めないな…
この悪夢は過去に有った記憶の追憶のはず。だからもう夢から覚める筈なんだが…
未だに夢は覚めず、視界は真っ暗だ。この先の記憶など無いのだからこの夢に続きなど…
そう思っていた時だった。
『…』
何者かの声が聞こえる。
…何処かで聞いた事の有るような、酷く思い出したくない様なそんな声…
この声は誰だ?
そして少し体が揺れ、不思議な浮遊感にに包まれた。
『楽しめましたかぃ?』
…先ほどとは違う男の声、結構最近聞いた気がする。そのまま、2つの声が何かを話して居るがよく聞き取れない…
『さぁ此処にはもう何もない。帰るとしよう。』
酷く聞き覚えのある声、僅かに開いた視界には青い…いや、蒼いローブが翻るのが見えた瞬間…
マミーの頭の中で全てが繋がった。
何故マミーが箱庭で目覚めたのか
何故あの日雪山が崩れ、大穴に飲み込まれたのか
何故、ニィムとネイダが離れ離れになったのか
全ては、そう全ては…
―箱庭の狂人―
『奴のした事だったのか…』
今朝の目覚めはきっと最悪だ。
二度寝を決め込んで全てを忘れてしまいたい…だが
今は確める事がある。
寝室にて(青の行方)
マミーは悪夢から覚めると、夢で見たことを忘れる前に体を起こした。
「おはよう、マミー。何だか気分が悪そうだね?」
「おはよう、ビィズ。今日の寝覚めは最悪だ。」
マミーは軽い皮肉を言うと、ビィズに有る事を尋ねた。
「イチさんって今何処にいる?」
聞きたい事、それはイチの所在。情報屋の彼女なら、狂人に付いて何か知っているに違いない。
だが、その言葉を聞いてビィは気不味そうな顔をする。
「マミーは覚えてないのかな?イチさんはロッタの村に置いて来ちゃったんだけど。」
その言葉を聞いたマミーの頭に、遂数刻前の事がフラッシュバックした。
ロッタ村から飛び去るジュリアナ、その背にはネイダとニー、その足にはマミーとビィズ。そしてイチは村の広場に…
「そうだった…」
その事を思い出した彼は酷く項垂れた。
「何か用が有ったのかい?」
「ちょっとな…まぁ居ないんならしょうがない。」
マミーはそう言いながら、居間へ続く扉を開いた。
居間にて
不機嫌な青
何時も通りの居間、其処には金虎と銀虎の猫が二匹、と半面の女が1人。そして対面して座る不機嫌そうな暗い青と、同じく不機嫌そうな明るい青の2人が居た。
『おはよう。』
部屋に居る5名がマミーとビィズに挨拶をするが、内二人はやはり不機嫌だ。
確か…ニーは一緒に此処に帰って来て、そのまま泊まったのだが、何でイチが居るのだろうか?
「おはよう…所で、なんでイチさんが居るんだ?」
マミーが放ったその一言で、イチは怒りで崩れかけた顔を隠すように深く道化師の仮面を被った。
「なぜ、何で、何故に私が此処に居るか聞きましたかね?」
「あ、あぁ。」
捲し立てる様に言葉を発するイチに狼狽えながら返事をするマミー。先に居間に居た面々は残念そうな目でマミーを見る。
彼は地雷を踏んだらしい。
「何故私が此処に居るかと申しますと、何処かの誰か様が私を辺境に置いて帰ったからに他なりません!!なので私は村の方々に頭を下げこの村に送って頂いたしだいなのですよ。」
此処まで来て、マミーも自分が不味い事を言った事に気が付いた。
「悪かっ…」
「更にです!!」
マミーが謝意を述べようとするが、イチがそれを遮り更に捲し立てる。
「私を送ると言う事は、彼方の方にしてみれば二度手間でしかありません。貴重な移動手段を私1人の為に使うんですから!何故1人だけ置いてかれたの?と思ったはずです、そうに違いありません!!もう私は顔から火が出るかと思いました。いや、出てたに違い有りません!!」
其処まで言って、イチは漸く仮面を外した。
「そんなこんなで此処に来たわけよ。解ったかしら?」
「すいませんでした!!」
彼女に睨まれた瞬間、マミーは反射的に土下座をしていた。
腹を決めろ
その後、土下座をするマミーを数分詰った後イチは椅子に座り直した。
それを見てマミーも恐る恐る空いた席に腰掛けた。
「所でイチさん、少し聞きたい事があるんだが…」
「…何かしら?」
「箱庭の狂人についてだ。」
マミーがその言葉を発した瞬間、イチとビィズがピクリと動いた。
「マミー…何で今更そんな話をするのかな?」
ビィズが苛立ち混じりに言う。彼に取って箱庭の狂人は思い出したくもない記憶なのだろう。
「それは奴が俺とネイダの人生をぶち壊したからだ。」
「それはどう言う意味だ?」
「私も聞きたい。」
マミーの一言にビィズとネイダが食い付いた。
だからマミーは思い出した事を全て話した。
箱庭の狂人が如何にして2人の運命を壊したのかを…
「…そんな奴が。」
ネイダは何時もの抑揚の無い口調でそう言うが、お面からはみ出た顔は明らかに怒りを孕んでいた。
「で、でもさそれは昔の話だよね?」
ビィズは自分が不謹慎な事を言っていると理解した上で、その台詞を吐いた。其ほどまでに彼は箱庭と関わりたく無いらしい。
「あぁ、確かに昔の事だ。俺とネイダは運良く再開できた。でも、箱庭の狂人は今尚同じ事を繰り返してるんだろう、イチさん?」
「えぇ、そうよ。狂人は今現在も化け物達に村や街を襲わせているって噂よ。」
「だから、教えてくれないかイチさん。箱庭の狂人が何処に居るのかを。」
「別に良いけど…聞いてどおするの?」
「奴がこれ以上、俺達みたいな人間を造る前に…奴を止める。」
マミーの瞳に迷いは無く、ただ真っ直ぐと前を見詰めていた。
「私も手伝う。」
ネイダもそれに続く。だが、1人だけがそれに反論する。
「どうにか出来ると思ってるのかい?」
そう言うビィズを蔑むでも憐れむでもなく、2人はただ真っ直ぐと見た。
「誰かがやらなきゃいけない事なんだよ。」
「ケジメは付けさせる。」
そう言う2人を見て、ビィズは諦めた様に椅子に座り込んだ。それを確認すると、マミーはイチの方を向き直った。
「イチさん、箱庭の狂人について…解る範囲で良いから教えてくれるか?」
「解る範囲って…私は情報屋よ?悪のアジトどころか今朝のイャンクックの嚔の回数まで知ってるわよ。」
そう言ってイチはニンマリと笑う。
「じゃあ話してくれるか?」
「えぇ、良いわよ。」
イチはニヤニヤ笑いを引っ込めると、道化師の面を被った。
「では、お話しましょう。」
古びた集会所にて(腹を決めろ)
此処はどこぞの街の片隅にあるとある通り…
人気が異様に少なく、宜しくない仕事をしている人達ですら近寄らないと言う不気味な通り…そんな通りの一角にひっそりと既に使われていない集会所が有った。
何時もは野良犬程度しか寄り付かないその場所に、今日は何故だか奇妙な人影がチラホラ…
皆深々とローブを被っていたり、フードを被っていたり、マントをしていたりで顔を隠していた。
その面々は非常に重苦しく、緊張した空気を放っていた。ただし、一名を除いては…
ガツガツガツ…
一人の少女だけが、ただ黙々と食事を食べて…いや、貪っていた。
「…ちょっとそのガキを黙らせてくれないか?」
テーブルの上座に座る初老の男が苛立ち気味に、少女の隣にいる赤マントの男に言う。
「スイマセン。ほら、カノク、これを食べてなさい。」
「解った!!」
赤マントはそう言って特大の棒付キャンディを少女に手渡した。
ペロペロペロ…
再び集会所の空気に相応しくない音が響くが、先程より幾分かマシなので良しとする。
「…ちゃんと飯食わせてるのか?」
「お言葉ですが旦那、自分の給料の9割はコイツの食費に消えるんですが…」
赤マントが諦め気味に言う。それを見た男は、諦めた様に溜め息を吐くと小さく咳払いをした。
「とりあえず、本題に入るか。」
男がそう言った瞬間、場の空気がより一層重苦しくなった。
「諸君も知っていると思うが、最近化け物の襲撃が多発している。しかも人為的な襲撃がだ。そして先日、その首謀者と潜伏先が解った。」
男の言葉に集会所の面々が微かにざわつく。
「首謀者は以前取り逃がした【箱庭の狂人】、潜伏先は樹海の奥地だ。だが、どうも奴は自分からこの情報をバラ撒いているらしい。よほどの自信が有るのか…はたまた罠か…。まぁ前者にしろ後者にしろ今回の山はかなり危険だ。だからこの仕事をするかしないかは諸君に任せよう。」
男がそう言うと、集会所の面々は俄にざわめき、鎮まり帰った。誰一人口を開こうとしない。
そんな中、
ガタンッ
赤マントが背の赤を翻しながら立ち上がった。
「直ぐ其所に悪の親玉が居るならやることは決まってるでしょう?」
「ぶっつぶす!!」
バリッ
赤マントの言葉に少女が飴を噛み砕きながら答えた。
その一言で集会所の全員が一斉に立ち上がった。
「決まりだな。」
それを見て男が小さく笑う。
「ではゴミ掃除を頼むぞ、諸君。」
青い姉妹
その晩、マミー達は工房の爺さんに適当な嘘話をした、樹海へと向かうために。爺さんは、止めるでも疑うでもなくそれを送り出した。
そして、ドップリと日の暮れた洞穴の工房…
その一室には青髪の姉妹が眠っていた。
無論それはイチとニーな訳で、ハンターではない彼女らは工房に泊まって三名を待つ事にしていた。
別々のベッドで寝息をたてる2人…だが、ある時片方の寝息が止まり、カタリと物音たてた。そして暗闇の中、一人分の足音がゆっくりと出口へと向かって行く。
「何処に行くの、姉さん?」
「…おトイレよ、兄さん♪」
ニーの言葉に、扉付近に居たイチが笑いながら答える。だが、彼女の服装は非常に整っていて、とてもトイレに行く格好には見えなかった。
「嘘…何処に行くつもり?」
「そんなに私の夜の秘密が知りたいの?」
「ふざけないで!!」
何時と同じ、ふざけた調子の彼女を見てニーが怒鳴る。
「…最近の姉さんが変な事くらい私にだってわかる。いったい何をしてるの?」
「…」
ニーの問にイチは答えない。
「それに今日の事だって…ネイダさんから情報料を取らなかったでしょう?」
「私だってたまにはサービスするわよ♪」
「嘘…本当は違う理由が有るんでしょ。」
「気紛れよ♪」
「もし、ネイダさん達を危険な目に会わせたら…私は姉さんを許さない。」
妹の真っ直ぐな瞳で睨まれた瞬間、姉は何も言えなくなった。
暫しの沈黙の後、イチは小さく、小さく溜め息を吐く。そして、徐に道化師の仮面を付けた。
「舞台の上で何があるのか…それを知ることは観客にも出来ます。しかし、舞台の上で何が起ころうとも観客にはどうにも出来ないのです。」
「姉さん、いきなり何言ってるの?」
「たとえ!!如何様な惨劇が起きようと!!舞台に上がれない貴女にはどうする事も出来ないのです。ただ黙って、物語の結末を見守って頂きたい。」
ニーは、その言葉の意味を直感的に理解した。
「なら、私が皆を止めに…」
「残念ながら観客が舞台に上がる事は許されておりません…」
「そんなの関係無…ぁ」
瞬間、彼女の腹部に鈍い衝撃が走った。
「貴女は眠ってなさい…目が覚めたら全部終わってるわ。」
イチは自分の仮面をニーに被せると、ゆっくりとベッドに寝かせた。そして、そのまま出口の扉へと手を掛ける。
「じゃあね、兄さん♪」
バタリと扉が閉まる。
「私のたった一人の妹ちゃん…」
派手な門
僻地の村から俊足が売りの荷車で1日半、その村から樹海の入り口まで歩いて1日、そこから更に歩いて半日の計3日の旅の末一向は目的の箱庭の入り口へと辿り着いた。
だが1つ、不思議な事に樹海の奥地に着くまでに大型の竜に一度も遭遇しなかった。
ただ運が良かったのか?
それとも人為的な物か?
その答は後者であると、目の前の門が物語っていた。
「派手な門だな…」
マミーが思わず溢す。
3人の目の前には樹海の風景に一切溶け込む気配の無いド派手な装飾をされた門と、【ようこそ箱庭へ】と書かれた札が有った。
そして
【人数分、鳴らしてください。】
と書かれた呼鈴が有った。
「いよいよ…だな。」
「そうだね。」
「そうね。」
3人は短く言葉をかわす。
「別に無理に来なくても良かったんだが?」
「今さらそんな事は言いっこなしだよ。僕とマミーは一蓮托生だろ?」
「そうだな。」
そう言って2人は笑う。
「それに何時かは落とし前をつけなきゃならん事だしな…」
ビィズがボソリと付け足す。
「なんか言ったか?」
「何も言ってないよ?」
マミーは首を傾げつつ反対側のネイダ…いや、蟹男を見た。
「相変わらずその格好なんだな?」
「狩りの時、私はランダだ。あとお前の事もマミーとしか呼ばない。」
そう言いながらネイダはそっぽを向いた。まだ、彼女の中で割り切れていない何かがあるのだろう。
「あと…次勝手に居なくなったら許さない…」
ネイダが更にそっぽを向きながら付け足す。
「あぁ大丈夫だ。それに…絶対また逢って見せるさ。」
「そうじゃないと困る…」
既にそれ以上無いくらいそっぽを向きながら、ネイダがボソリと言う。
そんな2人を見て、ほったらかしにされたビィズが咳払いをする。
「もう良いかな?」
『は、はい!?』
2人はビクンとなりながら、門に向き直った。
「じゃあ行くぞ?」
その言葉に2人は黙って頷く。それを確認したマミーはゆっくりと呼鈴を掴んだ。
リーン…
リーン…
リーン…
呼鈴の細く高い音が、微かに門を揺らした。
瞬間、パカリと箱庭への道が開けた。
但し3人の足下に…
『…え?』
奈落の底へと繋がる縦穴は、何が起こったかを把握する前に3人をその暗闇へと呑み込んだ。
最終更新:2013年02月26日 21:49