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願い事Vol.4

箱庭の狂人

樹海の底

そんな常闇とも思える穴の底…
其処に有るのは半球形のドームの様な広く、真っ暗い空間。
その外周部は特に真っ暗だが、沸き上がる歓声やざわめきから大量に人が居る事が解る。
そしてその中心にはボンヤリとした無数の灯りと、嫌に水気を帯びた酷く真っ赤な舞台が見えた。
そんな舞台の上には血塗れな男と一体の黒い龍…そしてゴミの様に転がる多種多様な大量の屍…
きっと此処は腐敗臭が充満しているのだろう。そんな中に居て、歓声をあげる客逹は皆狂っているのだろう。
そんな狂喜に曝される血塗れの男…
彼は見るからに死に掛けで生きているのが不思議な程に傷だらけだった。それでも彼の瞳は真っ直ぐ…客席の中央を睨んでいた。
其処に居るのは蒼いローブを被った男…箱庭の狂人…
血塗れの男は狂人を睨んだ瞬間、その死に体で力強く地を蹴った。迫る黒い龍の牙を右腕の盾で受け流すと、男は一気に客席を駆け上がった。
突然の事態に沸き立つ客席。男は赤い軌跡を描きながら、死ぬほど憎い蒼目掛け左手の剣を降り下ろす。
狂人は怯えるでもなく動揺するでもなく、笑いを浮かべたまま男を見ていた。
そして男の剣が蒼いローブを切り裂こうとした瞬間、狂人の顔に血飛沫が掛かった。
「惜しい…実に惜しい…あと本の数cmで私を殺せたのにな?」
狂人はそう言ってクックッと笑う。
「お前さえ…お前さえ居なければぁ!!」
血を吐きながら叫ぶ男、その腹は黒い棘に貫かれていた。その目を満たしていた憎悪の炎は、彼の魂が燃え尽きる共に呆気なく消え去った。
「実に素晴らしい魂の輝きだったよ。」
屍の山の一部となった男を見ながら狂人は笑う。
その一言で客席の気違い共は狂った様に歓声を上げる。
「さて、次は誰が私を楽しませてくれるのかな?」
狂人は客席に座ったままニヤリと笑う。

そしてそんな狂喜の坩堝からやや離れた地下…
「のぁぁぁああぁ…っと!!」
彼は落ちてきた。嫌見事に着地した。
「…あれ、僕1人だけ?」
3人で地下に落ちてきた筈なのに、気付けばビィズ1人になっていた。途中から何度か壁にぶつかった衝撃があったので、恐らくあの穴が迷路になっていて侵入者を分断させるのだろう。
「どうしようかな?」
コレからやる事を考えると1人の方が都合が良いかも…
『ぁぁ…』
そんな時、頭上の穴から叫び声が聞こえてきた。

落ちてきた人

頭上の穴から叫び声
→つまり誰かが落下中
→叫び声の間抜けさから…
→マミーか?
なら遠慮する事は無いかな
ビィズはそう判断すると腰のハンマーに手を伸ばした。そして穴から人影が出ると共に…
「ハァッ!!」
躊躇い無く振り抜いた。
だが、落下してきた人影はすり抜ける様にその一撃をかわすと、着地と同時に鈍器を構えた。
「何するんだコノヤロー!!」
聞き覚えのある声、ビィズは嫌な予感を感じながら声の主を見た。
小さな体にゴツゴツした岩の様な鎧、色素が抜けた様な金髪、そして白すぎる肌に細い横線みたいな目…
ギルドの少女、カノク・ゴールドがビィズの前に現れた。
「何故、君が此処に居るのかな?」
ビィズは可能な限り冷静な態度で彼女に話し掛けた。だが、彼の冷静な態度は次の一言で吹き飛ぶ事になる。
「おぅ、久しぶりだなチビ!」
「ブッ殺すぞチンチクリンが!!」
「お、ヤンのかチビ!!」
即座に戦闘モードに移行する2人の前に、赤い影が割って入った。
「はいはい、喧嘩は止めましょうね~。」
そう言って赤マントはカノクの首根っこを掴み持ち上げた。
「お久し振りですねビィズさん。」
「アルム・ウィソウト!?」「いや、自分の名前くらい呼ばれなくても分かってますよ。」
そう言ってアルムはヘラヘラ笑う。
「じゃなくて…まぁ良いや。2人は何しにこんな所へ来たのかな?」
ビィズ一度気持ちを落ち着けてからそう尋ねた。
「仕事ですよ。」
「具体的に何をしに?」
「人ゴrムグッ」
盛大に口を滑らせようとするカノクの口をアルムが抑えた。
「ゴミ掃除です。」
その顔には何とかニヘラ顔が取り繕われている。
「大変だね、お兄さん。」
「えぇ、全く…所で貴方こそ何故此処に?しかも1人で。」
「僕は元々此処の奴隷なんだよ。だから落とし前をツケにね。マミー逹とは落ちてくる時にはぐれたんだよ。」
「そうですか。」
彼の背後から『迷子迷子~』と聞こえてくるが、どうにか無視する。
「実は自分逹も此処にくるまでに仲間とはぐれたんですよ。」
そう言って苦笑いをするアルム。
なんでもあの門に辿り着くまでに、数匹の竜に教われたらしく、埒が開かないのでアルムとカノクだけが戦闘から抜け出して来たらしい。
どうもギルドの人間等の喜ばしくない客に対しては刺客が送られるようだ。
つまり…
ギルドの一員である彼らと一緒に居るのは非常に不味いのではないだろうか?

黒い影

彼らと行動を共にするのは色々とまずい。
そう結論を出したビィズは、直ぐにその場を離れようとした。だが、その結論を出すのが少しばかり遅かった。
カッカッ…ジャッジャッ…
すぐ近くの曲がり角から何かが歩いてくる。
…足音から考えて2人か…
それを確認した瞬間、三人は息を殺し武器に手を伸ばした。
ジャッ…カッカッ…
だが、2つの足音は曲がり角の手前でピタリと止まった。そして彼らの居る通路が一斉に灯りが灯った。
『ようこそ箱庭へぃ。ギルドの犬さん逹。』
角の向こうから歪に伸びた影が気だるそうに話し掛けて来る。
『私の主人は好きにさせろって言うんですがねぇ…やっぱり招待してない客には退場して貰わないと…ねぃ、おやっさん?』
歪な影が、聞き覚えのある渾名を呼ぶと、角の向こうからもう1つ歪な影が伸びた。
だが、それは明らかに人には見えなかった。
頭から伸びた二本の角、不気味な翼、そして人の様な形…
向こうに居るのはいったい何だ?
『貴方方には舞台に上がる前に退場して頂きますんで…』
ギャォォォォオ!!
影がそう言うと共に、曲がり角から2つの影が飛び出してきた。
1つは黒いローブを被った男。両手に持ったナイフの様な武器でアルムに襲い掛かる。
アルムもマントの中から細身の長刀を取り出し応戦する。カノクもそれに加勢する。
そしてもう1つがビィズに襲い掛かって来た。
黒い…真っ黒い剣が一直線に心臓に迫る。
「糞がぁ!!」
ビィズは咄嗟に剥ぎ取り様ナイフでそれを弾いた。だが、それと共にナイフが抉られた。まるで黒い剣に喰われたかの様に…
「何だオイ!!」
ビィズはナイフを投げ捨てながら、黒い影を見た。
影の正体、それは黒い龍を模した鎧を纏った人間だった。だが、その鎧は不気味な程生き物じみていて、凄まじい腐敗臭と血腥さを孕んでいた。
鎧の男はハンマーを構えるビィズを見ると、再び黒い剣を突き出してきた。
「誰だテメーは?」
ビィズが叫ぶが、鎧の男は答えない。
「お前も…殺しに来たのか?」
「はぁ?」
男の問いの意味がイマイチ解らない。まぁ狂人を殺しに来たのか?ならYESだが…
「殺しに来たんなら…死ね!!」
鎧の男はそう叫び、再びビィズに襲い掛かる。
またあの剣を受けるのはヤバい…
ビィズは剣が降り下ろされる前に、その柄を掴んだ。
2人の距離が0になった時、ヘルムの向こうに見知った顔が見えた。
「…おやっさん!?」

黒い鎧

黒い龍の鎧の中には、かつて箱庭で共に生活していたオヤッサン…ファルシェ・アコーズが居た。
「何やってんだよオヤッサン!!」
ビィズは言いながら剣を膝で蹴り飛ばし、前蹴りをかまして距離を取った。
「僕だよ、ビィズだよ、オヤッサン!!」
ビィズが叫ぶと、黒い鎧は一瞬此方を見た。
「リュウジ、ゲニーと来て…次はお前か、ビィズ!!」
男は剣を拾うこと無く、再び襲い掛かって来た。瞬間、ただの鎧である筈の奴の籠手が生物の爪の様に鋭利に変化した。
ビィズは迫る化け物に対して、反射的にクックジョージを降り下ろした。
砕ける廊下、舞い上がる粉塵…やり過ぎたか?
「…オヤッサン?」
煙に向かって心配そうに声を掛ける。
「気にするな、お前は悪くない。悪いのは全部私だ。」
その謝罪の言葉はビィズの直ぐ後ろから聞こえてきた。
「なっガァッ!?」
振り向くより早く、痛烈な一撃が脇腹を襲う。地面と水平にぶっ飛び、壁に亀裂を作って漸く一撃を受けた体が止まった。
体の痺れが退くと共に、焼ける様な痛みが全身に駆け登って来た。腹が裂けたか…
ビィズは口から血を吐き捨てながら黒い鎧を睨んだ。
「リュウジとゲニ夫をどうしたんだ?」
「私が殺したんだ。娘を殺すと言うものだからな…」
娘…あの日酔っ払いながら話した嘘話の事か?
あれが本当にしろ、なんでゲニー逹がオヤッサンの娘を殺すんだ?
「お前も娘を殺しに来たんだろう?」
「ち、違う!!」
「だから死ね!!」
ビィズが否定の言葉を述べるが、既に聞く耳を持たない様だ。
三度突進を仕掛けてくる黒い鎧。その両腕の爪は先程より長く鋭利になっていた。
気味の悪い鎧だ…
「死ねぃ!!」
「目ぇ醒ませや!!」
ビィズも再びハンマーを降り下ろす。
先程と同じ様に廊下が砕け、土埃が視界を奪う。だが神経を研ぎ澄ませば奴が何処に居るかは容易に解る。
乱暴に地面を蹴る音、獣の様に乱れた呼吸、それの音源は…背後!
ワンパターンなんじゃボケッ!」
降り下ろした怪鳥の骸骨を背後目掛けて一気に振り抜いた。
ゴシャッ
破砕音と共に、硬い鎧を砕く感触が両腕を這い上がる。竜なら兎も角、人間なら一発で死にかねない一撃だ。
だが、男は鎧にめり込んだハンマーを掴んだまま立ち尽くす。
「あの娘を…殺させは…」
化け物は口から血を吐き、尚もその爪を此方へと伸ばす。
「もう良いよ、オヤッサン。」
ビィズは光るナイフをそっと突き刺した。

黒い

男と対峙するアルムとカノク。黒ローブと赤マントが牽制し合う中、カノクだけが無謀にも突撃を仕掛ける。
「うりゃぁっ!!」
背筋も凍る様な一撃が黒いローブを掠めるが、男は不適な笑みを浮かべていた。
「ウリャリャリャリャァア!!!!」
黒い棍棒が狭い空間を埋め尽くす様に飛び回るが、どの一撃もローブを掠めるだけで一向に肉を捉える事が出来ない。
「愚直ですねぃ。」
「ぁ!?」
男がスッと足を出すと、カノクは大きくバランスを崩した。そしてその首筋に刃が迫る。
「さようなら~。」
だが、次の瞬間血を撒き散らして吹っ飛んだのは男の腕の方だった。
「少し奇妙ですね…カノクは下がっていてください。」
アルムはそう言いながら赤マントの下から、薄っぺらな長刀を抜き出し、構えた。
黒ローブはそんなアルムを無視して、斬り飛ばされた自分の腕を拾った。
「酷い事しますねぃ…と。」
男がそう言って斬られた断面同士を近付けると…
ヴチュァ
嫌な音と共に斬られた腕がくっ着いた。
「奇病も使い用ですねぃ。」
「まぁ、くっ着いた所で無駄ですけどね。」
キンッ
長刀が鞘に収まる音が響くと共に、黒いローブが十字に裂けた。
確実に奴の胴体を切り裂いた感触があった。だが…
「そんなチャチな武器じゃ死ねませんねぃ。」
男は全くの無傷だった。
裂けたローブからは人の体代わりに、爛れた竜の鱗の様なぐちゃぐちゃな何かが見えた。
アルムは黙って再び長刀の柄を掴んだ。
「さぁ、退場してくださぃ。」
黒ローブがナイフ片手に此方へ迫る。アルムはすれ違い様にナイフを弾き飛ばし、黒ローブの頭を斬り飛ばした。だが…
「だからそんなんじゃ死なないんですよぃ。」
男の首が宙を舞いながらケタケタと笑う。アルムはそれを見て、赤マントの中にスッと手を伸ばした。
「なら"コレ"ならどうですか?」
宙を舞う男の顔面を、蒼い太刀が貫いた。
『だ、ガァッ!?』
男の顔は蒼い刃が触れた所から、稲妻の様な赤い火花を散らしドロリと溶けた。
アルムは太刀に着いたヘドロの様な肉を軽く振り払った。しかし、首から下だけになった黒ローブが彼の背後に迫っていた。
「化け物には化け物用の武器を…と!!」
アルムは背後の化け物を真っ二つに切り裂くと、何事も無かったかの様に太刀をマントの中にしまい込んだ。
そんな彼にビィズが声を掛ける。
「お疲れ。」
『え?』
アルムの腹には、ぎらつくナイフが刺さっていた。

落下先

時は少々巻き戻って
ビィズが落ちた所とはまた違う場所。
其処に彼は落ちてきた。
『ぬぁぁぁ…』
真っ暗闇から瞬間的に明るくなった視界の先には、恐らく死ぬほど硬いであろう地面が迫っていた。
「嘗めんなぁっ!!」
マミーは無理矢理体を捻り足から着地…
「ぬぁっ!?」
しようとして盛大にスッ転んだ。
後頭部を激しく強打したマミーの視界には薄暗い土壁の部屋と、その隅に座る蟹男の姿が見えた。
「あんさん、大丈夫か?」
言いながら蟹男が手を伸ばす。
「大丈夫だ…でも、ランダの方が先に落ちてたんだな?」
マミーのその言葉を聞いて蟹男が首を傾げる。
「何故儂の名前を知っとんのじゃ?」
「何故って…何言ってるんだ?」
互いに首を傾げる蟹男と半面の男…
そしてジックリと互いに観察しあって有ることに気が付いた。
『鎧が朱い…』『その気の抜けたお面は…』
『爺さんの方のランダか!?』『マミーか!?』
互いが互いの正体に気が付いた時、
ャァァァ…
頭上の穴から女性の悲鳴が響いてきた。
爺さんランダは素早く穴から離れたが、マミーはウッカリ頭上を見上げてしまった。
『ぁぁぁあ!!』
落下してきたのは青い蟹、落下先は間抜けな男の顔面である。
『メガッパッァ!!?』
マミーの半分だけのお面が音も立てず粉々に砕け散った。そしてそのままネイダの下敷きとなるマミー。
「だ、大丈夫か?」
先程の女の子らしい悲鳴を誤魔化す様に、ネイダがなるべく低い声でマミーの体を抱き起こす。
「お、お面が無ければ即死だったぞ…」
冗談が言えるのでまぁ大丈夫だろう。
そんな時、青い蟹と朱い蟹の目が合った。
「お、お久しぶりです、ランダさん!!」
ネイダが言いながら抱き寄せていたマミーをぶん投げた。
『ヌガッ!?』
壁でワンバウンドしてマミーはピクリとも動かなくなった。
そんな一部始終を見てランダが必死に笑いを堪える。
「何か可笑しいですか?」
「いや、元気になったと思っての。」
そう言いつつランダはクスクスと笑いを漏らす。
「俺は無視なのか?」
そんな2人の間に、顔面血塗れのマミーが割って入る。
「マミー、こっち来て。」
「お、おう?」
ネイダはマミーを引き寄せると、その顔面にグルグルと包帯を巻く。そしてマミーは、ニィムから再び"マミー"に戻った。
「おぉ、マミーに戻ったの!」
そう言ってランダがゲラゲラと笑う。マミーは少々イラッとしながらランダを見た。

闘技場

「いや、スマンスマン。」
ランダが笑いを堪えながら言う。
「にしても…その様子じゃと仲直り出来たみたいじゃの?」
ニヤニヤ顔のランダが2人を見て言うと、スッとネイダがマミーから離れた。
判りやすい反応である。
「しかし、記憶も戻ったしニィム君も生きてた訳じゃからもう私の格好せんでも良いんじゃが?」
「狩りをする時、私はネイダではなくランダで居たいんです。」
ネイダがそう言うとランダは諦める様に溜め息を吐いた。
ニィムは生きていたと言うのに…
まだあの日の事に責任を感じているのか?
それとも私との約束に筋を通す為か?
前者にしろ後者にしろ馬鹿げた事だ。せっかく元通りになった今があるのに、過去に縛られて生きたいのか…
単純に恥ずかしいだけなら可愛らしいんじゃがの。

そんな事を考えながらランダは口の端を緩ませる。
「でも何でランダさんが此処に居るんだ?」
マミーの問でランダは緩んでいた顔を元に戻した。
「かいつまんで言うとじゃな…古龍を追い掛けて樹海に来たら豪勢な扉があってじゃな、呼び鈴を鳴らしたら此処に落ちてきたと言う訳じゃ。」
さらりと大間抜けな事を言うランダを見て、マミーとネイダの動きがピタリと止まった。
2人とも顔は見えないが、きっと『この爺馬鹿じゃないのか?』と言う顔をしているに違いない。
まず興味本位で怪しい物に触るなよ。
「所でじゃが…」
ランダの呼び掛けで漸く2人は我に帰った。
「何です?」
「あんさんらこそ何でこんな所に?あとチッコイのが見当たらんが?」
「そう言えばビィズが落ちて来ないな…」
マミーはやや用心しながら頭上の穴を見上げたが、何かが落ちてくる気配はない。
「何処行ったんだビィズの奴…隙間にでも挟まったか?」
本人が居れば間違いなく制裁を受ける様な台詞を言うマミーだが、それでもやはり反応はない。
何処か違う場所に落ちたんだろうか?
そんな事を考えていると…
ドドドド…
地鳴りの様な音を立て壁の一部がゆっくりと開いた。
その向こうには…
薄暗く血腥い臭いと狂気に満ちた闘技場、顔を隠した気違いの観客達、そしてその中心に鎮座する蒼い影…
箱庭の狂人が其所にいた。
二度と来たくはなかったが…此処は間違いなく狂人の箱庭のようだ。
「ランダさん。」
「なんじゃ?」
「あいつとケリを付ける為に俺は此処に来たんだ。」
マミーの瞳はじっと狂人を睨んでいた。

包帯と蟹と狂人

マミー達三人が闘技場に入ると共に、開いた壁が元通りになった。
つまり、退路が絶たれた訳だ。
それを確認すると、客席に座っていた狂人がローブを翻しながら立ち上がった。
「久しぶり包帯君。後ろの蟹さん達はハジメマシテだね?ようこそ、私の箱庭へ。」
そう言って狂人は歪んだ笑みを見せる。
「もう二度と帰って来るつもりは無かったんだがな。」
マミーがボソリと呟く。
「そう言いつつ帰ってきてるじゃないか?客人まで連れて。」
狂人が言いながら蟹達を見る。
「一人は老人か・・・」
そう呟くと、狂人は客席を見た。
「老いる、それは生物にとっては当然の現象だ。どんな屈強な竜であっても年をとり、やがては死ぬ。しかしその中で、何故人間だけが一際醜く老いていくか、諸君には解かるかな?」
狂人の突然の問に客席が静まり返る。
「私はこう思っている。人間は老人になるまで生きる様に造られていないのだ・・と。元来人間は毎日狩りに赴き、家庭を築き、若くして生涯を終える。そう言う物だ。だから長い時を生きるのに体が堪えきれないのだ。なら、潔く、そして鮮やかに人生に幕を引くのが妥当だと思わないかね?」
狂人のその言葉に、会場の気違い共が一斉に沸き立つ。
「だから、其処の朱い蟹の御老人も生にしがみ付くのはやめて、潔く人生に幕を引いたらどうかね?」
狂人がそう言った瞬間、奴の蒼い
ローブを弾丸が掠めた。
撃ったのは今まで黙っていた朱蟹、ランダ・オルディだった。
「マミー、あんさんらとあそこのクソッタレに何があったは知らんが・・奴をぶん殴るんだったら協力してやるぞぃ。」
そういうランダは凄く不機嫌そうに見えた。
「始めからそのつもりだ。」
マミーはそれに静かに答える。
「其れ位の気概でないと見てる側としても詰らんしな。」
狂人が三人を見て愉しげに笑う。
「そんな君達には特別な相手を用意させてもらったよ。」
そう言った狂人が指を弾いた瞬間・・・
ゴゴゴッゴゴッゴッゴゴゴ
闘技場・・いや、箱庭全体が大きく揺れだした。

あの日の光景

まるで地震の様に激しく揺れる闘技場。更に闘技場の地盤が真っ二つに裂けた。
『うぉっ!?』
マミー達は素早く闘技場の壁にしがみついた。
裂けた地盤はゆっくりと闘技場の客席の下に収納され、変わりに白い地盤がせり上がってきた。更には地下であるにも関わらず、闘技場に雪が舞い始めた。
「どんな仕掛けだよ…」
壁にしがみついて闘技場の変貌を見ていたマミーがぼやく。
だが、白く塗り変わったその光景にマミーは見覚えがあった。
「どうかな、なかなか凝った演出だろう?」
既に舞い散る雪は吹雪となり、此方からは狂人の姿は見えない。だが、奴の声だけはハッキリと聞こえてくる。
「少々金は掛かったが…君の最後に相応しい舞台だろう?」
狂人の笑い声が吹雪に消え去ると共に、分厚い吹雪の幕に巨大な影が浮かび上がった。

白い景色、足元には裂けた氷河、そして目の前の巨大な影…
マミーは今の状況に酷い既視感を感じていた。
それは隣に居たネイダも同じだったらしく、彼女の体は小刻みに震えていた。
「マミー…これって…」
「あぁ…間違いない…」
巨大な影が吹雪の幕を突き破り、彼らの目の前に姿を現した。
腹鱗は砕け、顎はひび割れ、所々に巨大な傷があるが…間違いない。あの日、2人の運命を狂わせた白い化け物が、再び2人の目の前にその姿を現した。

無知と勇気と

『彼の名は古の白き神、崩竜ウカムルバス。かつて君の退屈な日常を劇的に変化させた化け物だ。まぁあの日の主犯は私だが…』
吹雪の向こうから上機嫌な狂人の声が響くが、マミー達の耳には届いていなかった。

此処で話が逸れるが…
人の様にちっぽけな存在が見るからに巨大で、未知の存在である竜に戦いを挑めるのは何故か?
それは何かしら背中を押す物があるからだろう。
それは勇気であったり、はたまたちっぽけな虚栄心であったり、または単純な復讐心である。
だが、未知の相手に策も講じずに挑むのは勇気でもなんでもない。それは無知であるが故の愚行だ。
相手を細かく観察し、幾重にも策を張り巡らせた上で相手に戦いを挑む。この最後の一押しに勇気が必要なのである。
だが、今の彼らはどうだろう?
確かにマミーとネイダは目の前の化け物を知っている。だが、知っているだけなのだ。
彼らの頭にある化け物についての記憶は圧倒的な強さであり、恐怖のイメージでしかない。今の彼らには奴に対する策など何一つ無いのだ。
幾ら彼らの背中を押す物があろうとも目の前の恐怖の象徴と比べると、それは悲しい程にちっぽけな物でしかない。
中途半端な知識は恐怖と言う名の鉛でしか無いのだ。そして彼らのそれは酷く重い。その場から一歩も動けなく成るほどに。
『どうした?目の前に君の退屈な幸せを奪った相手がいるのに何もしないのか?』
狂人の嘲笑う声が聞こえるが、依然2人は動けない。崩竜に見下された彼らに狂人の言葉など聞こえていないのだろう。
『なんなら隣の老い耄れを頼ってみてはどうかな?』
狂人のその一言で客席中から笑い声が聞こえだした。情けない奴等だ。そんな爺にすがるとは…と。
そんな嘲笑の中、数発の銃声が轟いた。
ドゴォッ
キャァァァ!?
続いて爆発音と客の悲鳴が木霊した。
「見えない所からグチグチと五月蝿いのう…」
朱い銃を担ぎながら、ランダは伸びをする。そしてクルリと2人の方を向いた。
「あんさんらは何時、人が老いると思うかの?」
突然の問に2人は答えられない。
「顔に皺が増えた時?白髪が増えた時?それとも誕生ケーキの蝋燭が増えた時?…いや、どれも違う。人は妥協を覚え、闘うのを止めたとき真に心から老いるのじゃと儂は思っとる。」
そう言う彼はとても愉しげで若々しく見えた。
「儂が老い耄れかどうかよく見とけ。」
そう言って朱蟹は化け物に向け銃を構えた。

朱蟹と崩竜

爆発

朱いスコープがその照準の真ん中に崩竜のひび割れた顎を写した。
「まぁ喰らっとけ…」
呟く様な台詞と共に一発の弾丸が放たれた。ランダが全身を使い反動を殺すと同時に、空になった薬莢が吐き出される。
放った弾丸は確かに崩竜の顎に直撃したが、それほどダメージが有るように見えなかった。
「こんな寒い所じゃなんだからちょっと暖めてやるかの。」
ランダがニヤリと笑った瞬間、刺さっていた弾丸が紅蓮と爆ぜひび割れた顎を粉々に砕いた。

崩竜が醜い悲鳴を上げ、前足で顔を抑えのたうちまわる。それを見たランダは、再び同じ弾丸をリロードした。
そして朱いスコープが砕け散った顎の代わりに、前足で覆われた顔の中心を映し出す。
「そうか、熱いのは嫌いかの?じゃあ、もっと熱くしちゃる。」
そう言って引き金を引こうとした瞬間、怒り狂った奴の瞳がスコープ越しに此方を睨んだ。
ランダが奴に睨まれるのと、横に飛び退くのとはほぼ同時だった。
崩竜は顔を抑えたまま、力任せに此方に倒れ込んで来た。
僅かに早く横に跳んだランダはどうにか直撃を避けたが、崩竜の大質量の一撃を受けた闘技場は激しく揺れた。それこそまるで地震か何かの様に…
もう少し揺れたらこの箱庭が崩れるのではないか?
と言う所で漸く揺れが治まった。
瞬間、崩竜を嘲笑うかの様に、奴の右後ろ足が小さな爆発を起こした。
苦痛と怒りに顔を歪めた崩竜は、朱蟹を叩き潰すべく後ろを振り返った。そんな崩竜の視界には馬鹿デカイ樽が映った。
「アホが見~る~♪…っての。」
朱い銃身から空の薬莢が吐き出されると共に、崩竜の視界が大爆発を起こした。一際デカい悲鳴を上げ、爆炎から逃げ出すように崩竜は立ち上がった。
僅かな間で更にボロボロになった顔で此方を睨む崩竜。その顔は純粋な怒りに満ちていた。
そして、大きく息を吸い込み、奴の胸部が膨らんだと思った瞬間…
!!!!!!
闘技場の空気が爆発した。
正確には崩竜が吼えたのだが、それは正に空気の爆発と言うに相応しかった。現に近くに居たランダの体は塵の様に宙に投げ出されていた。
反転する視界には確実に此方を捉えた奴の瞳と、不気味に開かれた真っ暗な口が映っていた。
何かは解らないが、アレを喰らうのは不味い。彼のハンターとしての勘と、生物としての本能が同時に死が迫っている事を警告する。
「ッ!!」
ランダが引き金を引くと共に、白い線が闘技場に走った。

淡々と

崩竜が穿った線が氷河を蹴散らし、割り、砕き真っ直ぐに此方に迫る。
白い線が朱い蟹を真っ二つにする寸前で、先程撃った弾丸の爆薬が弾けた。その爆発が、辛うじて朱蟹を白い線から逃がした。
だが、標的を逃した白い線はそのまま真っ直ぐ、闘技場の空間を切り裂いた。切り裂かれた吹雪の向こうに、一瞬だけ赤い花が咲くのが見えた。
そして裂けた空間を吹雪が白く塗り潰すとともに、客席が悲鳴と逃げ出す客の足音で埋め尽くされた。
他人が死ぬのを見に来たのに、自分達が殺されるとは夢にも思っていなかったのだろう。
そんな中、狂人の愉快そうな笑い声がだけが不気味に響いていた。
少しばかりいい気味だとマミーは思ったが、裂けた客席から夥しい血が鉄砲水の様に吐き出されるのを見た瞬間、全身の血の気が引いていった。
アイツに向かって行けば自分もああなるのではないか?
と…
ますます体が動かなくなったマミーとは反対に、崩竜から十分な距離を取った朱蟹は新しい弾丸をリロードしていた。
崩竜は視界を飛び回る蝿を見るような目でランダを睨むと、再び口から白い線を吐き出した。
「一度見たからの…」
ランダは小さく呟くと、僅かだけ体を横にずらしスコープを覗き込んだ。
自分の僅か横を白い線が駆け抜け、後方からは痛々しい悲鳴が響くが今はどうでもいい。
肝心なのは照準の真ん中に奴を捉える事、そして引き金を引く事だ。
白い線の余波で大小の氷河の破片が宙に舞い、重力に捕まり落下してくる。
小さい物は無視し、頭上の一際大きな物だけをぶち抜いた。砕けた氷塊が飛び散り、頭上の物を一纏めに弾き飛ばした。砕け散った氷の粒が鎧を叩くのを感じながら、朱蟹は引き金を引く。
放たれた弾丸は氷をすり抜け、弾き飛ばし、打ち砕き、それでも勢いが衰える事なく崩竜の顔を抉った。
鱗を砕き、肉を裂く音が雑音の中に僅かに響く。確かに奴を捉えたが一撃では当然足りない。
だから何度も引き金を引き、弾をリロードし、また引き金を引く。奴が何度線を吐こうが関係無い。一度避けれた物が次避けれないなんて事は基本的にありえはしない。
故に朱蟹は淡々と同じ動作を繰り返す。
仕掛けが壊れたのか吹雪いつの間にか止んでおり、客席は大きな傷痕と複数の赤い線と一人の狂人を残して空になっていた。

撃ち込む

気付けば空になった大量の薬莢が、足元に積った雪を溶かし小さな水溜りを作り上げていた。だが、それ以上空の薬莢が増える事はない。
手持ちの貫通弾が尽きたのだ。貫通弾は彼のボウガンの主力であり、それを撃ち切ったと言う事は既に殆ど手が残っていないと言うことである。
しかし、全ての弾丸は命中した。それならば目の前の崩竜は相当な深手を負っている筈である。
だが、目の前の奴は無数の風穴が空き、大量に血を流しているが瀕死には程遠い状態だ。
如何せん相手がでか過ぎる。体の真芯を打ち抜いた積りでも、致命的な部位に届く前に弾の勢いが死んでいる。
手持ちの弾丸は通常弾と徹甲榴弾の余りが一発。爆弾はさっき使ったし、偶々此処に着たので弾の材料も無い。つまり、限りなく此方に分が悪い。
だが、全く持って手が無い訳では無い。しかし、それが上手くいくか・・・
そこでランダは二人の方を振り返った。
「マミー、ネイダ、ワシ今からちょっと無茶をするからの。後始末を頼むぞぉ。」
『えっ?!』
二人が言葉の意味を理解する前にランダは銃創に弾丸を装填する。装填したのは最も効果が有ると思われる徹甲榴弾。
それの装填が終わるとランダは崩竜に向かって駆け出した。
崩竜は懲りずに白い線を吐き出す。ランダは線が氷河を抉る前に一気に奴の顔の下に滑り込んだ。そして線を吐き終わった奴の顔が仰け反った瞬間、滑り込んだ姿勢のまま最後の徹甲榴弾を放った。
ガキッ
鈍い音を立て、僅かに奴の喉に弾丸が突き刺さった。それが爆発する前に通常弾を銃身に送り込み、撃ちまくった。
一発撃ち込む度に、僅かだが徹甲榴弾が奴の内側へと押し込まれる。だが、それでは遅すぎる。
ランダはリロードした通常弾を打ち切った瞬間ボウガンを投げ捨てた。そして・・
『ダリャァァァァ!!!』
朱い鋏で、弾丸を一気に捻じ込んだ。
次の瞬間、彼の眼前で赤い花が弾けた。

崩れる

弾丸に詰まった火薬が爆発した瞬間、奴の口と喉の穴から爆炎の代わりに大量の血が噴き出した。
ネジのイカれた蛇口の様に夥しい血を流しながら、崩竜は断末魔の様な悲鳴を上げるが、大量の出血のせいで悲鳴すら満足にあげられない様だ。
そんな奴の赤い滝の下で朱蟹は、真っ赤に染まりながら上を見上げていた。
弾丸は十分深い所まで撃ち込んだ。威力も十分の筈だ。流石に致命傷だろう。
だが、そんな朱蟹を見て、1人客席に残った狂人が残念そうに溜め息を吐く。
「実に惜しい。老人にしては頑張ったが…所詮は老い耄れだったな。」
狂人がそう呟いた瞬間、もがき苦しんでいた筈の崩竜がグラリと立ち上がった。
奴の顔は自身の血で深紅に染まり、その瞳は既に在らぬ方向を向いていた。しかし、奴の右目だけが不気味に動きランダを捉えた瞬間、真っ赤な口がグニャリと笑った。

最後の賭けは失敗か…。道具もロクに残っていない。序でに言えば足場は奴の血で滅茶苦茶だ。どうあっても奴の巨体から逃れる事は出来ない。
「詰み…じゃな。」
ランダはそう呟くと、酷く老け込んだ自嘲的な笑みを浮かべた。
フラりと立ち上がった崩竜は、朽ち果てた大木が崩れるように、ゆっくりランダ目掛け倒れ出した。

ゆっくりと奴が倒れる。まるで水中に沈みゆく木葉の様に、まるで今だけ時の流れが鈍くなったかのように
ゆっくりと朱い蟹に死が迫る。

崩れる竜

行け

目の前の光景を見て。マミーの思考回路は、今までに無いほど目まぐるしく回り始めた。
距離にして100m程度先には、今正に倒れようとしている白い化け物と、それに押し潰されるであろう朱い蟹男。
マミーの瞳には、その結末が解かり切った光景が酷くゆっくりと写り込んでいた。既に狂ってしまいそうなほど早まっている筈の自身の鼓動すら、遅すぎて聞き取ることが出来ない。
一体今俺は何をしているんだ?
目の前の老人はあと数秒もしない内に確実に押し潰されて死ぬ。
自分はあの日彼に助けられたから今こうして生きていられるのだ。だから今自分はあの人を助けに行くべきだ。
頭ではその事が解かっていても、体が動かない。
目の前のあの日の化け物が彼の体を、精神を束縛する。
行け・・・
いけ!
イケ!!
頭で何度叫んでも体は少しも動きはしない。動けと叫ぶ度に、治った筈の凍傷の後が焼けるように熱を持ち、あの日の死の感触を思い出させる。だから、ピクリとも動けない。
ゆっくりと僅かに崩竜が傾いた瞬間、白い巨体の向こうに蒼い影が見えた。
この距離では見える筈が無いのに、マミーには狂人が酷く蔑んだ目で此方を見ているのがハッキリと見えた。

何故自分は此処に居るのか?
何故自分は此処に来たのか?
何故自分は奴が憎いのか?

決まっている。
奴に会いに来たのだ。
あの日の清算をするためだ。
あの日奴に全てを狂わされたからだ。
なのに今、自分は何をしている?
関係ない爺を戦わせて見殺しにしようとしている。そりゃあ狂人ですら今の自分を見れば興冷めだろう。
今、自分は何をすべきか?
そんな事はもう決まっている。
今すぐ駆け出し、ランダを助けた上で奴の顔面に一発くれてやるのだ。
さぁ、行けあの日の化け物が今目の前に居るからなんだ?
そんな事は今は関係ないだろう?
さぁ、走れ!!
何の為に今自分は此処に居るんだ?
奴に蔑まれた目で見られる為では無い事を今証明しろ!!
さぁ、行け!!

気付けばマミーは叫び声を上げ、駆け出していた。

駆けろ

「あああぁぁぁああぁあ!!!」
マミーが雄叫びを上げ駆け出した瞬間、あれ程までにゆっくりだった世界が元通りに、否恐ろしいほど早く動きだした。
ランダまでの距離はまだ半分以上残っていると言うのに、化け物の体は垂直な状態から既に40度程傾いている。
さっきまでの自分はなんだったのか?
先程のアレは錯覚か?
今の世界は化け物に押し潰され様としている人間を助けるには、時の流れが速すぎる。
「クソッ!!」
マミーが悪態を吐いた時、背後から発砲音が響いた。確認しなくても解かる。引き金を引いたのは後ろに居たネイダだ。
撃たれた弾丸は先程同様、直撃した後僅かな間を置き爆裂した。
マミーとネイダの二人は恐怖に足が竦んで居たが、さっきの戦いを見ていなかった訳ではない。故に奴の弱点は解かっている。
この爆発で奴が怯めばあるいは・・
などと言う儚い願いは一瞬で打ち砕かれた。
やや距離は遠いが狙いは完璧。確実に奴の顔面で徹甲榴弾は爆発した。だが奴は怯むどころか、まるで効いていないかの様に微動だにしない。
奴の瞳はグニャッと蕩けて、崩れた笑みを浮かべているように見えた。
奴は当に気絶しているのかもしれないし、あるいは事切れているのかも知れない。それ故に今の奴はどんな攻撃も意に介さないのだろう。
それを理解した上でも背後からの銃声は決して止まない。彼女はまだ諦めていない。無論彼とてそれは同じだ。
半分以上倒れた奴の体は、粉々に砕け真っ赤に染まった氷河に引っ張られる様に崩壊の速度を増していく。
もっと早く、もっと早く走れ!!
そう叫んでもこれ以上早く走れる訳がない。ただ鼓動の音だけが狂った様に早まり、奴に近づく度に凍傷の痕が焼かれる様な錯覚を覚える。
しかし、これ以上早く走れなくとも、心臓が張り裂けようとも、体が焼かれ様とも今より速度を落とす訳には行かないのだ。
ランダまでの距離は後・・・十数メートル。もう目と鼻の先だ。ほらもう手を伸ばせば届く距離・・・
そんな時、マミーとランダの目が合った。
懸命に手を伸ばすマミーに対して、ランダは何故か煙管を取り出していた。そしてマミーに向かって手を伸ばすでもなく、挨拶をするように「よぅ」っと手を上げた。
何やってんだ爺さん、手を伸ばせば届くだろうに。何煙草の準備してんだよ!?
マミーがそんな言葉を発する前に、その手が届く前に・・・
グシャン
そんな音を発して、彼の視界は化け物の体で埋め尽くされた。

崩落

「ぁ」
そんな言葉を漏らしながら彼の足はゆっくりと減速し、崩竜の数歩手前で動く事をやめた。
視界にはピクリとも動かない白い化け物と、奴の血で染まった赤い氷河。
ただ呆然と足元の赤を眺めて居ると、ツーッっと新しい血が流れてきた。それは事切れた崩竜の血であったのかも知れないが、彼にはそれが押し潰されたランダの血にしか見えなかった。
そしてマミーは一心不乱に崩竜の下の氷河を掘り返し出した。
その光景は傍から見れば酷く滑稽で哀れな物でしかない。そんな事をした所でどうにもならないと言う事が今の彼には解からないのだろう。
そんな彼を見かねた様に、客席の狂人が口を開く。
「何をしようと構わないが・・・君の敵はまだ生きているぞ?」
その言葉の直後、今の今までただの肉塊だと思っていた白がヌッと動いた。そして、傍らに居るマミーを見つけるとゆっくりとその口を開く・・・
「アァァァァアアァァァ!!!!」
闘技場に獣染みた咆哮が木霊する。だが、それは崩竜の物ではなく、マミーが発した物だった。
マミーは間髪入れず背負った太刀を抜き目の前の、あの日の悪夢に斬りかかった。
「・・素晴らしい。」
狂人は酷くご機嫌にそう漏らす。
黒い刃が肉を切り裂く度に、鮮やか過ぎる赤を帯びて再び崩竜に襲い掛かる。マミーは崩竜に張り付くようにして太刀を振るっていた。
今の奴は相当な深手を負っているためか酷く愚鈍だ。故に奴が反撃をして来ようと、今のマミーならそれを軽く避ける事が出来る。
だが、奴の息の根を絶つには黒刀の剣戟だけでは軽すぎる。
早く蹴りを付けなくては、本当に間に合わなくなる。
だが、焦った所で太刀が切れ味を増す訳ではない。今の彼には決定的に決め手が足りない。
そんな時・・・
ジャコッ
弾丸が銃身に飲み込まれる音が、聞こえる筈のないその音が、確かに彼には聞こえた。
正面からマミーを喰い千切ろうとする白い顎を彼は後方に跳んでかわした。そしてそのマミーがしゃがみ込むのと、後方から発砲音が響くのはほぼ同時だった。
乾いた発射音を上げ闘技場の空気を突き抜ける一発は、寸分の狂いも無くマミーの背を掠め、崩竜の瞳に突き刺さった。
マミーは目の前の化け物が醜い悲鳴を上げる前に強く地面を蹴った。そして、構えた太刀を逆手に持ち替え躊躇うことなく弾丸の尻から突き刺した。
醜い音と聞くに堪えない悲鳴を響かせ、ズブズブと弾丸と刀身が奴の目を抉る。そして
ドォン
曇った音と共に奴の脳天で弾丸が爆ぜた。

蟹と包帯

顔に出来た穴と言う穴から、押し出されるように血が噴出した。正に七血噴穴。マミーが一気に赤く染まった太刀を引き抜くと共に、崩竜は今度こそ事切れた。
マミーは崩竜が地に臥せる前に、黒刀の鞘を顎の下へ滑り込ませた。
ギチギチと軋む黒い鞘と赤い氷河、どちらも長く持ちはしない。マミーはネイダが此方に辿り着く前にその身を化け物の下へと滑り込ませた。
「マミー、火ぃ着けてくれんかのぉ?」
マミーに先程と同じ口調で語りかけるランダ。ひょっとしたら軽症で済んだのでは?そう思いつつマミーは声のする方を見た。
          • 其処には真っ赤な事実が横たわっていた。
無残に押し潰された朱色の鎧に嘗ての面影は無く、ただ金型に嵌め込まれた様に氷河に埋まっていた。
グシャグシャになった彼の腕はもう動く事が無いのだろう。だからマミーに火を着けてくれなどと頼んだのだ。マミーは黙って拉げた煙管に火を点し、死に掛けの老人に咥えさせた。
彼の胸が微かに膨らみ、漏れる様に煙が口から立ち昇る。
「最後の一服なのに血の味しかせんの。」
そう言って老人は煙管を吐き捨てた。マミーはただそれを黙って見詰める。もう時間は無いと言うのに、何を言っていいかが全く解からない。
彼の横ではつっかえ棒にされた鞘が小さく断末魔を上げている。
「マミー、朱蟹は死んだ。だからもうその格好はせんでいいと、あの子に伝えてくれ。」
老人はそうとだけ伝えると、動くはずの無い腕でマミーを突き飛ばした。
「ぇ」
不意の出来事に反応できず、口からは情けなく言葉が洩れる。
バキャンッ
限界を迎えた鞘が、弄ばれた爪楊枝のように弾けた。
『あの子の泣き顔は見飽きたからの。今後はなるべく笑顔が見たいのぉ。』
そんな台詞を残し、朱蟹は巨大な白の中へと消え去った。
『朱蟹は死んだ』
彼の最後の台詞がマミーの頭に響き、それが今起きた事実なのだと彼に理解させた。
だから、漸く此処に辿り着いた彼女に躊躇うことなく彼の最後の言葉を伝えた。

一瞬の静寂の後、青い鎧からは小さく嗚咽が聞こえ出した。傍から見ても、彼女が泣いている事は明かだ。

彼女が泣くのはコレで最後だ。今後一切、自分がいる限り彼女を泣かせはしない。老人の遺言が無くとも、これだけは守って見せる。
マミーは自身にそう言い聞かせると刀を構えた。

その為に倒すべき相手がいる。

黒い刀の切っ先は、ぶれる事無く蒼い影に向けられていた。

黒い化け物

黒い牙

静まり返る闘技場にパチパチと渇いた拍手の音が響く。拍手をしている本人は、刀を向けられていると言うのに非常に満足げな表情で拍手をし続ける。
「非常に素晴らしい輝きだった。この年になって、美しい魂は老人になっても決して劣化しないと学んだよ。」
そう言うと狂人は客室から飛び降りた。
「この箱庭は最高に輝く魂を持った彼の墓穴としてプレゼントしよう。」
1人納得した様に頷く狂人の喉元に、黒刀の切っ先が突き当てられる。
「次は君か…君もこの墓穴で眠りたいのかな?」
あと少しマミーが手を動かせ簡単に首が跳ぶと言うのに、狂人は愉しそうにニヤニヤ笑いを浮かべている。
「黙れ。お前は今日俺が倒す。」
「じゃあ君は私を殺してくれるのかな?」
そう言って狂人は一歩足を踏み出した。奴が纏う異様な空気が、重圧が、そして人を殺すと言う事実が、マミーを一歩押し戻した。
『チッ』
せっかくチャンスをやったのに、自身の首がまだ繋がっている事に狂人は舌打ちをする。そして溜め息を吐きマミーを睨んだ。
「君にこの墓穴は豪勢過ぎるな。私の視界から跡形もなく消えてくれ。」
狂人がそう言った瞬間、客席の瓦礫がガラリと崩れた。
だが客席には誰も居らず、全身に絡み付く様な厭な空気だけが充満していた。この時マミーは肝心な事を忘れていた。この客席に何が居たのかを…
ダンッダンッ
背後から複数の銃声が響く
キャァァァア
続けて化け物の様な、少女の様な悲鳴が響いた。
それを聞いてマミーは振り返ったが、其処にはボウガンを構えたネイダの姿しかなかった。
瞬間、ゾクリと背中を何かが駆け抜けた。
「ニィム後ろ!!」
マミーがその声に反応して振り返るのと、黒い何かが襲い掛かって来るのはほぼ同時だった。
眼前に迫る黒を見て、マミーは反射的に黒刀で自身を守った。
ギィィンッ
黒刀の軋む音と火花がマミーの眼前で豪快に飛び散る。彼の目の前には、黒刀に喰らい付く黒い龍の頭があった。
目の前に居るのは見たこともない鱗も、牙も、眼球も、何もかも真っ黒な龍。だが何よりも異様なのは、刃に喰らい付いて自身の口が裂けていくにも関わらず、狂った様にマミーに襲い掛かろうとするその不気味さ…
ダンッダンッダンッ
再び響く銃声が、黒い牙がマミーの首を喰い破る前に龍を後退させた。
「これは災厄の出来損ないだが…君には丁度良いだろう。」
狂人が笑うと共に、黒い龍が再びその牙を剥いた。

蕩ける黒

迫る真っ黒な龍の頭をマミーは一気に切り払った。
キャァァァア
少女の様な悲鳴を上げて黒い首が跳ぶ。それと同時にマミーの腹に丸太で殴られた様な鈍い衝撃が走った。
「グァッ!?」
それが奴の尻尾による一撃だと気付いたのは、呻き声を上げ地面を転げた後だった。
軋み肋を押さえながら、先ほどまで自分の居た場所を見た。其処には鞭の様に黒い尻尾を振るう化け物の姿が有った。
撥ね飛ばした筈の黒い頭は何事も無かったかの様に、黒い牙を光らせていた。

どういう事だ?

首が跳んでいったであろ場所を見ると、黒いヘドロの様な水溜まりが出来ていた。
切った筈の首には新しい頭が生えていて、切り飛ばした筈の頭は黒いヘドロとなっている。
奴はなんだ?
困惑するマミーの隣を一発の弾丸が駆け抜ける。
黒い頭に直撃した弾丸は自身の爆発と共に、黒い頭を文字通り消し飛ばした。
だが、爆発による煙の中からは再び黒い頭が現れた。
確かに肉片を撒き散らして飛び散った筈なのに、無傷とはどういう事だ!?
一歩後退するマミーに、黒い頭は再び襲い掛かる。
「伏せて。」
背後から響く声に反応してマミーは地に伏せる。瞬間、数発の貫通弾が彼の図上を突き抜け、奴の頭を、首を尻尾を、貫き抉り取った。
ィャァァア
三度響く少女じみた悲鳴。それと同時に目の前で起こった出来事に、マミーは驚愕すると共に酷く納得した。
金切り声の様な悲鳴を全身から発しながら、奴の体表がドロリと溶けた。そして抉れた奴の体は元通りに復元された。
つまりはそう言う事だ。
奴の体は斬ろうが爆散しようがああやって元に戻るのだろう。
しかし、手品の種が解ったところで、それを打破する手段が無いのではどうしようもない。
だが、
ダンッダンッダンッ
マミーの背後の彼女は一切手を緩めずに無言で引き金を引き続ける。
ィァァァァア
貫通弾の雨の中、悲鳴を上げ再生を続ける黒い龍。しかし、黒い肉が元の形を再現するより、彼女の弾丸が奴を削り取る方が僅かに早い。
ィャァァアッ…
黒い龍は短い悲鳴を残し、銃撃から逃げるように垂直に跳ねた。そして吸い込まれるように天井の闇に溶け込んだ。そしてそのまま奴は降りて来ない。奴には翼が無かったので、天井に張り付いているのだと思った。
だが、それは違った。
地下にある筈の闘技場に不気味な風が吹く。それが奴が堕ちてこない答えだ。
天井の暗闇にはいつの間にか黒い翼が浮かび上がっていた。

黒い翼

明かりの届かない天蓋の暗闇の中、それは先程まで無かった筈の不気味な翼を広げ、目の無い真っ黒な顔で此方を見下ろしていた。
宙に浮かぶ黒い龍、蜥蜴の様な四肢を持ちその背中には不気味な翼、そして蛇のように長い首・・・
マミーは今まで奴の様な化け物は見た事が無かった。その筈なのに、何故か彼には以前火山で戦った黒い火竜と目の前の化け物が同じ物に見えた。
全身の色、纏った空気、そのどれもが酷く似通っている気がした。
ガチャッ
マミーの後ろでネイダが次弾を装填する。その音に喰らい付く様に奴は天井の暗闇から飛び出してきた。
迎撃する様に弾丸を撃つネイダ。だが、正面からぶち抜いた所で落下してくる黒い塊を止められる筈が無い。

奴は何故前にいたマミーではなく後ろに居たネイダを襲うのか?
その答えは簡単だ。奴には目が無い。そして音を立てたネイダに狙いを付けた。
つまりはそう言う事だ。始めは狂人の命令に従っていたようだが今は違う。確実に今奴は聴覚に頼っている。
なら・・・
「ネイダ、止まれ!!!」
マミーの言葉を聞いた瞬間、彼女はピタリと静止した。そして
「だぁあぁぁああぁあ!!!」
マミーは叫び、駆け出した。銃声と言う標的を見失った黒い龍はネイダの僅か手前でその身を翻し、叫ぶマミーに向って黒い口を開いた。
それを確認したマミーは叫ぶのを止め、黒刀を地面に走らせた。
ガガッガリガッガガ
足元の氷塊を駆ける度に黒刀はその様な音を立てる。黒い牙は迷う事無くその音に喰らい付いた。
刃が奴の口に切り込んだ瞬間、落下の衝撃と奴の全質量が彼の腕に圧し掛かる。両腕の筋肉に痺れが走り、骨はもう砕けると言わんばかりに軋みを上げる。
だが、これは筋力が衰えている彼にとっては好機なのだ。なにせ足りない威力を相手が補ってくれるのだから。
だから、彼は一歩も引かずに黒い刃を振りぬいた。黒刀は主の腕に電流の様な痺れを残し、奴の口から方翼までを切り裂いて見せた。

そのままグチャリと地面に激突した奴の欠片はドロリと解けた。だが、奴本体の方は黒い体表がドロドロと流動を始めていた。
闘技場には先程より鮮明に、そして悲痛な悲鳴が反響する。
それで奴の体は元通りだ。ご丁寧に切断した翼まで復元されている。だが、奴の体積が先程より目に見えて小さくなっていた。
つまりはそう言う事だ。奴の体は何故か復元する。だがその速度には限度があるし、それよりも早く切り裂けば言いだけの事だ。
それにもう奴に対する策はある。さっきと同じ手を使えばどうにかなるだ・・・
そんな時、視界の隅の狂人が化け物に向って何かを投げ付けた。
瞬間、少女の悲鳴は絶叫に変わった。
奴の額には黄色い瞳が植え付けられていた。そのまま有り得ない動きでぎょろりと一回転してから、その瞳はマミーを見つけた。
酷く不気味で、吐き気がするほど残酷で、足が竦む程の怒りを孕んだ視線に射抜かれた瞬間、マミーは理解した。
黒い火竜と目の前の化け物が似ているのではない。
黒い火竜の元が目の前の化け物なのだ、と。

合図

ただ突き刺す様にマミーを睨む黄色い単眼。ただ睨まれただけなのに、額からは滝のように汗が流れ出る。
もう先ほどの手は使えない。今の奴はもう聴覚だけに頼っている訳ではない。目が”付いた”以上、奴は視覚をフルに活用して此方の命を奪いに来るだろう。
つまり、目の前の化け物と真っ向から打ち合うしか手が無いと言う事だ。
睨まれただけで吐き気を催し、目を逸らしたくなる程の化け物。だが、先程の崩竜に比べたら酷く小さいのも事実だ。
第一、今の彼らに逃亡と言う選択肢は無い。
後ろで構えるネイダに目で合図を送ると、マミーは真横に駆け出した。それを追いかける様に化け物の四肢が地を蹴った。
黒い塊が地を這う大蛇の様に、しかしその何倍ものスピードでマミーを追いかける。
刹那、後方から響く銃声。それを合図にマミーはその身を反転させた。
振り返った視界には、右側の足を無くしバランスを崩す化け物の姿あった。マミーは跳ねる様に間合いを詰める。
が、視界が黒一色に覆われた。それは裂けた様に開かれた化け物口だと気付いた時には、既に避けるのは不可能な間合いだった。
黒い死の幕を切り裂く様に太刀を縦に振り下ろす。だが元から裂けている奴の口はそのままマミーに喰らい付・・・
ズガァッ
一発の銃声が響き黒い幕に丸い穴が開いた。
ガガンッ
立て続けに響いた銃声は黒い上顎と下顎を綺麗に消し飛ばした。元に戻った視界には銃口から煙を漏らす青い蟹。
「流石ネイダ。」
「当然。」
二人は互いに呟く。
そしてマミーは黒い柄に力を込めた。黒い化け物は黄色い目を中心に凄まじい勢いで再生していく。だが、この間合と高低差でそんな事は無駄なのだ。
「しゃぁあっ!!」
短い怒声と共に、化け物の黒い首に閃光の様に刃が走った。
頭から真っ二つに切り裂かれた首は、それでもなお再生をしようと蠢く。だが、そんな暇など与えない。
「うらぁっ!!」
横に薙ぎ払われた黒刀は容易く黒い首を切り落とした。
首から上全てと言う大部分の損失、流石の化け物の再生速度も鈍りを見せた。その時
『痛い・・痛いよ・・』
酷く場違いな少女の声が響いた。

本体

『痛い…』
地下の闘技場に響くのは間違いなく少女の声…

一度化け物の首を跳ねた時から疑問だった。何故指令部である頭を無くして再生出来るのか?

『痛いよ…』
少女の悲鳴は化け物の体から漏れ出している。

もし頭に本体と言うべき指令部があるなら、頭を中心に再生する筈だ。だが奴は胴体を中心に再生した。

『痛い…痛いよ』
少女の声は徐々に悲痛さを増していく。

つまりはそう言うことだ。奴の指令部は奴の胴体にある。だから胴体にある本体を叩き斬ればいい。だが…

『何で…』
啜り泣く少女の声。

奴の首の断面から見える叩き斬れるべき本体は…
黒い肉に侵食された年端も行かない少女だった。
振り上げた太刀を振り下ろせば、目の前の少女は容易く両断出来る。しかし…

『…こんな事するの?』
懇願する少女の瞳からは涙の代わりに、黒いヘドロの様な物が流れていた。

それを見た瞬間、マミーは振り上げた太刀を振り下ろす事が出来なくなった。

「つまらないな…」
蔑む様な声が闘技場に響く。

その時、先程斬り飛ばした筈の黄色い瞳が少女の額に張り付いた。
『イ゙ヤ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙』
ゾブリと根を張るように、黒い液体が少女を悲鳴ごと飲み込んだ。

再び黄色い瞳がマミーを睨んだ。反射的に太刀を奴の胴へと突き立て…
瞬間、黒に飲み込まれ未だに悲鳴をあげる少女の姿が頭を過った。
「がぁっ!?」
脇腹を万力で締め上げる様な痛みが襲う。肋がギチギチと音を立て軋む。奴の黒い牙がマミーの脇腹を食い千切ろうとしていた。
発砲音が響くが、奴の首を一撃で消し飛ばす事は出来ない。
「クソッ!!」
マミーは脇腹で唸り声をあげる黒い頭に太刀を振り下ろす。が、
「ぉあ!?」
太刀が肉を裂くより早く天地が逆転し、崖から落下した様な衝撃が背中を襲った。
「カフッ!?」
口内に鉄の味が広がる。数メートル先からは化け物が大口を開け迫ってくる。ネイダはそれを阻止しようとするが…それは無理だろう。
背中にはひび割れた壁、どうやら投げ飛ばされたらしい。口には鉄味の水が溜まっている。これ以上攻撃を受ける訳にはいかない…
「っそぉぉぉお!!」
反射的に黒い首を撥ね飛ばす。
『さぁ、少女を殺せ。そうすれば私の首に手が届くぞ?』
挑発する様な狂人の声。

目の前の黒い涙を流し続ける少女を殺せば容易く蹴りが付く。
それでも、黒い太刀はピクリとも動かなかった。

覚悟

マミーは確かに狂人とこの箱庭に蹴りを付ける為に此処に乗り込んだ。
しかし、具体的にどうするつもりだったのか?
本人の言うとおり狂人を殺すのか?
最悪の場合それも考えていたが、どうにか奴を捕まえて一発殴った後、ギルドに引き渡す程度の考えしかなかった。
要するに彼には覚悟が無いのだ。
狂人を殺す覚悟も、その為に邪魔する者を殺す覚悟も彼には無いのだ。
だから、目の前の少女一人殺す事が出来ないのだ。

ヤァァァァアァ
目の前の少女が再び黒い肉塊に呑み込まれようとした時、
トスッ
何かが少女の肩に刺さった。肩から赤い血を流し、少女と化け物はピタリと動くのを止めた。
目の前で何が起こったのか理解する前に、声が響いた。
「どけ。」
聞き覚えがあるが、何時もとは全く違う殺意の篭った言葉が背後から響いた。マミーは反射的に一歩横へ退いた。
瞬間、彼の眼前で怪鳥の髑髏がニヤリと笑った。
その武器はこの世で一つしかない。だから使える奴も一人だけ・・
眼前には虚ろな目をした少女と、それ目掛けて口を開く怪鳥の髑髏、そしてそれを振るう見知った男の姿。
このままでは男は間違いなく、少女ごと化け物を叩き潰す。だからマミーはそれを止めようと口を開いた。
「待て、ビィ・・」
グチャァア
彼が男の名前を呼ぶ前に、目の前の少女は跡形も無く消え去った。其処に残るのは腐った様な黒い肉塊と、赤い水溜り、そして見知った男の背中だった。
確かに口も性格も悪いが、彼の知る男は悪人ではなかった。
仲間の死を悲しみ、竜に好かれ、彼と共にこの箱庭から脱走した。記憶を無くしていた彼の一番最初の仲間と言うべき男。
だから彼は信じられなかった。
目の前の光景が
目の前の赤い水溜りの意味が
目の前の男がやったことが
だから彼は男の名前を叫んだ。
「ビィズ!!!!!」
彼の叫びを聞いて、目の前の男は・・ビィズは酷く興味を無さ気に此方を振り返った。

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最終更新:2013年02月26日 22:16
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