願い事Vol.5

狂人と小男

玩具

振り返る小柄な男は確かにビィズだった。だが、容姿以外は全てが何時もの彼と異なっていた。
相方を見て軽口を叩く事も無ければ、何時もの様な性悪な笑みを浮かべる事もない。その瞳はただ道端の石ころでもみる様にマミーに向けられていた。
「ビィズ!!」
そんな彼の肩をマミーは掴んだ。
なんだその顔は?
何であんな事を?
そう問い詰める為に。だが、
「邪魔だ。」
刺す様な一言と共に怪鳥の骸骨がマミーを弾き飛ばした。
「ニィムっキャァ!?」
そんなマミーを止めようとしたネイダ共々、2人は闘技場の壁に叩き付けられた。
2人はそのままズルリと崩れ落ちた。
不意の一撃、だが肉体以上に精神の受けたダメージの方が大きい。だから彼の体は即座に立ち上がる事が出来なかった。
後ろで意識を無くしているネイダを抱き抱えながら、マミーは男を睨んだ。
だが、男の方はマミーの存在など意に介していないかの様に、狂人の方へ歩いて言った。
そして酷く親しみを込めた声でこう言った。
「ただいま、父さん。」
その一言でマミーの思考は完璧に凍結された。
今彼は、奴に向かって、なんと言った?
「お帰り、ビィズ。外は酷く退屈だっただろう?」
「あぁ、欠伸が出るほど平和で退屈だったよ。所で僕が家出した事は怒ってないのかな?」
「愛する息子が帰って来たんだ。怒る理由なぞ何一つ無いだろう。」
何時も通りの口調で狂人と話すビィズ。
そして今まで聞いた事が無い穏やかな声で、楽し気に会話をする狂人。
マミーにはそのどちらも理解出来なかった。ビィズと箱庭の狂人が親子?
困惑するマミーに狂人の視線が向けられる。
「所であれはお前の知り合いか?」
「あれは玩具だよ。」
「そうか…しかし、私にはお前が奴を庇った様に見えたんだが?」
「庇うだって?あれは僕の玩具だ。だから僕のペットで壊したかったんだよ。」
そう言って男は狂人そっくりな笑みを浮かべて指を鳴らした。
パチンと言う音と共に氷河の中心がガラガラと崩れた。その氷河と同様にマミーの中で何かが音を立てて崩れた。
氷河を砕いて現れたのは白銀の体をした一角竜。現れたソイツはマミー達を睨みながら、今か今かと主の命令を待っている。
「だからさ、父さん。あれは僕が壊しても構わないよね?」
「好きにすればいい。」
狂人と男は全く同じ狂った笑みを浮かべた。
「じゃあな、マミー。」
そう言って男はもう一度指を弾いた。

ニヤリと笑う

パチンッ
無情に響く乾いた音が、マミーに最後の時が来たことを告げる。ひび割れた氷河を砕き、白銀の一角竜が此方に迫る。
背後には気絶したネイダ、前方にはマミーの鎧など易々と貫くで有ろう白銀の槍。信じていた相棒に裏切られた今の彼に、現状を打破する力など残っている訳がない。
鋭利な角が地面の氷塊ごとマミーとネイダを空中へと突き上げた。
砕けた氷と共に宙を舞うマミーは、どうにかネイダの手を掴み引き寄せた。だがそれでおしまいだ。その後が彼には残っていない。
眼下の竜を斬り伏せる事も、狂人の面を殴る事も、彼女を連れて逃げる事も、相棒に事の真意を問う事も、何も出来ない。
失意の中、彼の視線が狂人とビィズの方へ向けられていた。
その時、ビィズは笑っていた。
狂人の様な狂った笑みではなく、何時もの彼らしい、悪戯をバラす瞬間の様な笑みを浮かべていた。
それに気付いたのかビィズの口が微かに動いた。
『元気でな、相棒。』
聞こえる筈の無い彼の台詞が、マミーには聞こえた気がした。
ドガァァッ!!
その瞬間、闘技場の天井が…いや箱庭全体が爆発音を轟かせ崩壊を始めた 。
気付けばマミーとネイダの体は跳躍した一角竜の足に掴まれていた。
その瞬間マミーは気付いた。これはあの日、箱庭から脱走した日の焼き直しだ。
あの日と違うのは、ジョージの代わりに一角竜に捕まっていて、夜空では無く天井に飛び出していて、隣に居るのがネイダで、そして肝心の首謀者が隣に居ないと言う事だ。
白銀の体が天井に潜行を開始する。そんな中、包帯の隙間から最後に見えたのは、心底楽し気な笑顔で此方を見上げる首謀者の姿だった。

甘い息子

暗い天井に白銀の竜が消えるのを見届けながら、首謀者は思った。
今日の計画は驚く程巧く行った。最後の驚いたマミーの顔など一生笑い話に出来る程の間抜け面だった。
一つ悔やまれるのはもう二度とこんな悪戯を実行出来ないかもしれないと言う事か…
しかし、今は1人肩を落としている暇はない。まだ、一番肝心な事が残って居るのだから。
ビィズは先程奪って置いた黒い魔剣を抜き出し、自身の父である狂人に向け構えた。
「家出の次は父親を脅迫とは…我が息子ながら反抗期にも程があるのではないかな?」
一部始終を黙って見ていた狂人は、顔色一つ変える事無くビィズを見据える。
「身内の不始末にはケジメを付けるもんだろ。認めたく無いがテメェは俺の父親だからな。」
ビィズは吐き捨てる様に言いながら、一歩狂人に詰め寄る。
「私を殺すだけならあの玩具達にも手伝って貰えば良かっただろうに?」
「彼奴は抜けてるからな、こう言う肝心な仕事は任せられないんだよ。だいたい、奴に人殺しは出来ない。」
「相変わらず甘いな、ビィズよ。」
狂人は1人不快そうな笑みを漏らす。
「箱庭での教育もお前の甘さを直すには至らなかったか。どうせ先の少女も殺せなかったのだろう?」
狂人は息子の考えなど見透かしているかのように、目を細めて怪鳥の骸骨を見た。
「やはり親父は騙せないか。」
ビィズは白状する様に笑うと、ハンマーの柄をガキッと回した。すると…
ガパァッ
物言わぬ骸骨がその口を開き、中から黒い泥にまみれた少女を吐き出した。少女は眠っているのか小さく寝息を立てている。
「見知らぬ女1人殺せぬとはな…本当に私を殺す気があるのか?」
心底呆れた口調で狂人はビィズを見た。
「あぁ、勿論!!」
掛け声と共にビィズは魔剣を一閃したが、蒼いローブは易々とそれをすり抜け彼の首を掴んだ。
「貴様では私を殺せんさ。」
「んな事は解ってる。だ、だから助っ人を呼ぶためにその子の救出が必要だったんだ…よ!!」
言い切ると共にビィズは渾身の力を込めて狂人の胸を蹴った。瞬間…
グォォオォオォ!!
魔獣の咆哮が崩壊を続ける闘技場に轟いた。
「貴様…!?」
狂人がビィズの勝ち誇った笑みの訳に気付いた時にはもう遅い、彼の右腕は既にただの肉片と成り果てていた。
右腕だった物は無様に肉片と血飛沫を撒き散らし地面にぐちゃりと落ちた。
狂人とビィズの間には両手を深紅に染め上げた、黒い魔獣が現れた。

現状に至るまで

ビィズは狂人の息子である。これはどうしようもない事実である。
そんな彼が何故箱庭で奴隷部屋に居ただとかは今は割愛させて頂く。
しかし、そんな彼が父親である狂人を殺す決意をするに至ったかは想像に難しくない。まぁもっと根本的な何かがあるかも知れないが、それも今は割愛させて頂く。

そして彼は狂人の昔話や自慢話などをよく聞かされていた。
奇病に掛かった娘とその父親の話や
火山に住む仙人染みた爺さんに貰った鎧の話や
お伽噺の神と戦うために雪山の村を丸々潰した話やなどなど
どれも胸糞が悪くなる話な上、それらの主犯は全て自分の親父。家出の一つもしたくなると言う物である。
しかしそんな嫌な話であったが、彼はそれらの話を全て覚えていた。なのでそれらの話の被害者も彼には解ってしまった。
そんな被害者達と彼は生活をしてきた。それは楽しい反面、彼の胸を締め付ける物であった。
だから彼は準備をしていた。
悪魔染みた鎧にも、奇病が造り出す化け物にも麻痺や昏睡が効く事を知っていた。だから鞄にはナイフを忍ばせた。
自作のハンマーにあんな仕掛けを施したのは、殺さずに少女を救うため。

だが着々と準備をしていた彼にも予想外のイレギュラー…いや、予想はしていたが思いの外相棒の動きが早かった。
マミーに人が殺せない事は明白だったし、下手をすれば狂人の娯楽となりかねない。だから気を見計らって1人で乗り込むつもりだったのだ。
それもこれもあの道化師のせいだ。
しかし、ギルドの人間と言うイレギュラーのお陰でマミー達を逃がす方法が出来た。
これも道化師の仕業なので±0と言った所か。

まぁ兎に角、運良く彼の手元には理想の状況を造り得るカードが揃った訳だ。

あとはオヤッサンとアルムに麻痺ナイフで失神してもらい。
オヤッサンには娘を助ける変わりに協力してもらう約束を取り付けた。
気絶した上司の側で半泣きになっているカノクには有る事を告げた。
このまま脱出して仲間と合流したあと闘技場を爆破しろ、と。
爆破を頼んだのはマミー達の逃走経路の確保と狂人の気を逸らす為である。

それらの下準備をしたあとは頃合いを見計らって闘技場にボビー(白銀のモノブロス)を放し、親父と時間まで雑談をする。

そんな彼の地道な積み重ねの幾つかの偶然が今と言う状態を造り上げた。
「さぁ、殺してやるよ、父上殿。」

化け物と魔獣

剣を構えたままビィズは父親にそう告げた。
目の前には黒龍の鎧を着て文字通り魔獣と成りつつあるオヤッサン。
その奥には右肩の断面からダバダバと血を垂れ流す狂人。
そして崩落する天井からはボビーが帰って来たようだ。
状況的には圧倒的に此方が有利、崩壊真っ最中の闘技場からは逃げることすら出来ないだろう。
正にチェックメイトと言うに相応しい。だと言うのに・・・
「フフフ・・ハッハッハッ・・ハァーハッハッハッハッ!!!」
事もあろうに狂人は笑い出した、通り名のとおり狂った様に。
「・・・何が可笑しい?」
ビィズが僅かに黒い刀身を狂人の首筋に押し当てた。
「こんな会話をする暇が有るのならさっさと殺せと言うのに・・最後まで甘いなビィズ。」
ギロリとビィズを睨む狂人の右目には黄色い瞳があった。それは間違いなく、さっき化け物に投げつけた物と同じものだった。
「テメぇ!!」
それを確認した瞬間、ビィズは剣を一気に振りぬいた・・筈だった。
「私がこんな面白いものしまって置く訳がないだろう?」
狂人の首は未だに健在、それどころか黒い剣を押し返した。
剣を弾かれ大きくバランスを崩した体に、狂人の化け物染みた左腕が叩き込まれた。
骨を軋ませ、地面と水平にカっ跳ぶビィズと入れ替わりでオヤッサンが狂人に殴りかかった。
黒龍の篭手は既に原型を留めておらず、魔爪と言うに相応しい形状に変化していた。その魔獣の一撃を狂人は易々と受け止める。
拳を掴まれたまま尚狂人に詰め寄る魔獣。だが、そんな魔獣に対して狂人は冷やかな笑みを浮かべる。
「腕一本で良かったのかね?」
「急がなくても今すぐ殺してやる!!」
「いや、遠慮せずもう二、三本持って行け。」
そう言う狂人の右腕には黒い腕が生えていた。
「なっ!?」
一瞬の動揺、その隙に黒い腕が魔獣を殴り飛ばした。
壁に激突した魔獣は尋常ではない破砕音と土埃を巻き上げた。常人なら間違いなく即死、だが魔獣は何事も無かったかの様に立ち上がる。
「化け物が・・」
「君も大概だろう?ところで娘さんが呼んでいるが?」
「なっ・・」
魔獣は即座に娘の寝ていた場所を振り返った。そこに有ったのは・・
「にっ!!?」
再び化け物に成りつつある娘の姿と、自身の胸を貫く黒い棘だった。

おやすみを

魔獣の胸を貫いたのは、再び化け物と化した娘の右腕だった。化け物の腕は容赦なく魔獣の膓をかき回し、その度に赤黒い血が口から吹き出した。
黒龍の鎧を使用し続けた影響で既に死に体だったファルシェの命は間も無く尽きる。だが、目の前の娘の姿が僅かに彼の命を引き留めた。
化け物に体を侵され、醜悪な獣に成りつつ愛娘。その瞳からは絶え間無く黒い涙が流れ落ちる。
娘に既に正気は残っていないのだろう。それでも自身が化け物に成ることを拒む様に、悲鳴を上げ続ける。
死に体の魔獣には胸を貫いた娘の腕が、自分に助けを求める為に伸ばした物に見えた。だから、黒い刺を引き抜く事無く、そのままズルズルと化け物と化した娘を引き寄せた。
胸からは決壊したダムの様に血が溢れ出す。それでも彼は歩みを止めず、大量の血と引き換えに娘の元へと辿り着いた。
魔獣に迫られた化け物は怯える様に身を竦めた。そんな化け物に魔獣は異形と化した腕を伸ばした。
「もう疲れたろう。」
そう言って父親は娘の頬をそっと撫でた。
「お父…さん?」
化け物は長く発していなかった言葉を口にした。
ギャァァァァォォオ!!!!
魔獣はその姿に相応しい咆哮を上げ、娘に絡み付いた黒い肉片を引き千切った。だが、体の大半が黒く変色した少女がそれに絶えきれる訳が無かった。
なのに少女は叫び声一つ上げず、自身が助からないと知っても尚自分を助けようとする父親から黒い腕を引き抜いた。
「おやすみなさい、お父さん。」
「あぁ、おやすみ。」
それがその親子の最後の会話となった。
娘は眠る様に息を引き取り、父親はそれに寄り添うように目を閉じた。

薬の効能

不幸な親子の最後を見届けた後、狂人は惜しみない拍手を送った。
「いや、すばらしい・・お前もそう思うだろ、ビィズ?」
狂人は満面の笑みを浮かべながら、吐血交じりに咳き込むビィズの喉を掴み、持ち上げた。彼の意識は未だ朦朧としているのか焦点の合わない目で狂人を見ている。
「実はな、あの娘の病気は薬では治らないのだよ。」
今更な事を狂人が言う。
もともと、病状の進行を抑える薬を買い続ける為にファルシェはこの箱庭の奴隷となったのだ。治せる薬が有るのなら、ファルシェは当に自由の身となれていただろう。
「そしてもう一つ、あの奇病は実は治せたんだよ。」
『は?』
狂人の一言で、頭の靄が一気に晴れる。いま、目の前の男は何と言った?
「実は初期の状態なら患部を引き千切るだけで治せるのだよ、あの病気は。元よりあの病気に掛かっただけではあそこまでの化け物には成らないのだよ?」
「どう言う事だ?」
ビィズは自身の喉を掴む、狂人の腕にギチギチと力を込めた。しかし狂人は眉一つ動かさずに饒舌に話を続ける。
「つまりだ、目に見える変化は抑えて、宿主にばれない様に体の内から病状進行させる。そんな特別な薬を使わないとあそこまで見事な化け物には成らんと言う事さ。この意味が解かるな?」
その言葉の意味を理解した瞬間、ビィズの瞳は目の前の人の姿をした悪魔を睨んだ。

化け物を殺せるのは

「ボビー!!」
主の号令を受けた一角竜は躊躇う事無く狂人の体を突き刺し、主の体ごと崩れる天蓋へ突き上げた。
ビィズは怒りに身を任せ、瓦礫の雨の中を獣の様に狂人に追い縋った。
「いい顔をしてるな、ん?」
胸に風穴を空けたまま狂人は楽しげに笑う。
「だまれ!!」
ビィズは落下する瓦礫の一つをハンマーで穿ち、狂人に直撃させた。そしてその粉塵が晴れる前に黒い剣で、煙の中の人影を斬り付けた。
だが、そこに既に狂人の姿は無かった。
「残念だったな?」
そんな、言葉と共に彼のわき腹が抉られた。
「ガァッ!?」
赤い飛沫を散らし、地面に叩き付けられる。その彼の眼前では同様に心臓を毟られる一角竜の姿が有った。
「お前の魂の輝きはなかなかだが・・・あそこの魔獣には遠く及ばない。」
言いながら狂人が此方に歩み寄る。ビィズは血を零しながら、黙ってそれを睨み続けた。
「昔から言うだろう?魔法使いを倒せるのはその弟子だけであり、化け物を殺せるのは化け物だけだ。故にお前が幾ら浅知恵を絞った所で私は殺せないんだよ。」
そう高説を垂れる黄色い瞳は酷く・・そう、酷く上機嫌だった。

星空の下

穴と男

ガラガラ崩壊を続ける闘技場の天井は、気付けば眩い星空へと色を変えていた。
「さて、ちょうど出口が出来たことだ。私は最後の舞台へ行かせてもらおうか。」
狂人が丸い星空を見上げながらニヤリと笑う。
「最後の…舞台?」
「いい加減待つだけには飽きて来たからね。まぁ、もう直ぐ死ぬお前には何の関係もない話だよ。」
そう言って狂人はもう化け物のものにしか見えない右腕をスッと振り上げた。ビィズはそれでも狂人を睨む事を止めなかった。
「必ず罪を償わせてやる、糞親父が!!」
「それはそれで楽しそうだがな…残念ながらお前にもう出番はない。なかなかな魂の輝きだったが、私の息子としては少々物足りなかったかな。」
それだけが残念だ。とでも言いたげな顔で狂人は大袈裟に溜め息を吐いた。
「死ぬ、糞野郎…」
「残念、死ぬのはお前だ。」
ザグンッ
肉を叩き斬る音が闘技場内に響き、吹き抜けとなった天井へ吸い込まれて言った。



変わってその場に不釣り合いな程の満点な星空の下…

無数の星達にぼんやりと照らされる樹海の中、彼は1人自分が出てきた穴を見ていた。
隣で気を失ったままの連れ合いや、遠巻きにガサガサと音を立てる茂みに僅かに注意を向けつつ、ただジッと一角竜の消えていった穴を見つめていた。
既に穴は相当な大きさになっており、それ自体の崩壊も増大も殆どおさまっていた。
それなのに、彼の相棒は未だに出てこない。あんな悪質な悪戯をされたのだ。一言文句を言わないと気が済まない。
だと言うのに、肝心の相手が出てこないのだ。早く何時もの軽口を叩きながら出てくれば良いものを…

もう奴は帰って来ない…

1人暗闇を見つめていると、良からぬ事が頭を過る。だから地面に頭を打ち付け、その下らない考えを払拭する。
「早くしろよ、ビィズ…」
だから眼科の暗闇に向かって、そんな台詞を呟いてしまった。無論、穴からの返事はない。
だからポツリポツリと独り言を呟きながら穴を見つめ続けた。
そして、不意に夜の帳より暗い蒼が穴から飛び出してきた。
煌々と輝く月と星を背にする影を見た瞬間、マミーは酷い目眩と喪失感を堪えて黒刀を構えた。
「ビィズをどうした?」
現れた蒼いローブを被った化け物に彼は尋ねた。
「さぁ、どうしたろうな?」
その嘲笑と、奴の顔に張り付いた歪んだ笑いが全てを物語っていた。

狂人と包帯

精神肉体共に状態は最悪。さらに背後には気絶したままのネイダ。目の前には狂った蒼ローブ。
目の前の男はあの状況から丸腰で、崩壊する地下空間から脱出してきた。恐らくビィズを処分した上でだ。
そんな奴がただの人間であるはずが無く、何より先程から嫌な臭いがする。死に掛けた生き物が放つ化膿した肉の様な嫌な臭い。
付け加えて言うと奴のローブの内側には絶えず何かが垂れていた。
血と言うには黒すぎ、粘着質過ぎる何か・・・
だから、マミーは自分から突っ込まず、太刀を構えたまま様子を見ていた。
何も仕掛けてこないマミーを見かねて狂人が口を開いた。
「私を殺さないのかね?」
「焦らなくても直ぐに殺してやる。」
無論今の状態でそれは厳しい。しかし、うろたえる事無くマミーはそう返した。
「・・・君に出来るのかね?」
そんなマミーを見て狂人はせせら笑う。マミーは反論すらせずただ狂人を睨んだ。
ガサガサと樹海の茂みが揺れる。
夜空に浮かんだ星と月だけが奇妙な二人組みを照らし出す。
「今此処で君を殺すのは簡単だが・・・それはツマラナイな。」
狂人は飽きた様にそう言うと、踵を返した。
「まてっ!!」
そう叫ぶが、今の彼では如何する事も出来ないし、正直狂人の気紛れは有り難かった。
「君も私も今は万全ではない。君は箱庭最後の生き残りだ。だから特別に最後の舞台に招待しよう。」
そう言って狂人はマミーに一枚の招待状を投げて寄越した。
「もし君が
この世界が今のままがいいと言うなら
友達が殺された事が憎いなら
故郷を消された事が許せないなら
是非とも参加してくれたまへ。」
狂人はそう言うと、何処からとも無く現れた火竜の背に跨った。
「最後に、さっき私に斬りかかったんなら・・・簡単に殺せたのになぁ?」
そう言い捨てると、蒼いローブが風に靡いた。その隙間から見えた奴の背中はズタズタで、既に両腕は無く、生きているのが不思議なほど傷だらけだった。
「ではまたな、腰抜け。」
そう言い残し、狂人は夜空の彼方へと消え去った。

腰抜け

狂人が夜空の彼方に消え去ってから、マミーは膝から崩れ落ちた。
「あああぁぁあ!!!?」
壊れた様に呻き声を上げ、地を叩く。
気絶したネイダ、万全ではない状態での遭遇、そしてそれ以外のモンスターの存在する可能性…そんな状況に置かれた彼に取って狂人の提案は魅力的だった。
だが、実際の所そんな事は建前だ。
箱庭から這い出てきた化け物に怖じ気づいて、みすみすそれを逃がしたのだ。傷だらけの死に損ないを

その傷を負わせたのは誰か?
その傷を負わせた奴はどうなったのか?

箱庭に残ったのは1人だ。その彼ではなく狂人が出て来たと言うことはそう言う事だ。
箱庭に残ったビィズは自身の命と引き換えに狂人に致命傷に近い傷を負わせたのだ。
それこそあと一太刀で殺せる程の大ケガを…

なのにそれを闘いもせず逃したのだ。

腰抜け

その言葉が彼の頭に反響し続ける。
相棒は自分を逃がす為にあんな芝居を打った。
そんな相棒が殺されたのに彼は自分の命を優先したのだ。

腰抜け

その一言がマミーを押し潰す。
奴を追うことも、地下の箱庭を探す事もせず、彼は呻き声を上げ続ける。

ガザザッ…
かなり近くの茂みが蠢く。それを認識したマミーは即座に太刀の柄を握った。
今の彼は酷く狼狽え、無様な程動揺し、どうしようもなく自分自身に苛ついていた。
だから茂みに居るのがモンスターなのか人なのか確認せずに飛び掛かった。
これは八つ当たりだ。何にでもいいから、この苛立ちをぶつけたかった。
だから組み伏せた段階で、それが人らしいと解ったが手を止めようとは思わなかった。
こんな場所に居るんだ。自分を含めろくな奴ではない。
だから…殺しても良いだろう?
右手に掴んだ太刀を逆手に持ち換えて、左手掴んだ誰かの首筋に振り下ろす。
その瞬間、黒刀の刃が星の光を反射し襲う側と襲われる側を僅かに照らした。
「マミー…さんっ…」
ザシュッと音を立て黒刀が地面に突き刺さる。

反射した光で互いが誰なのか気付き、消え入るようなその言葉で、マミーの頭は冷水を掛けられた様に一気に冷えた。
力なく主の腕から離れた黒刀は、首の僅か横の地面に突き刺さっている。

自分は何をしようとしていたのか?
数秒前の行為を思い返すだけで、どうしようもなく死にたくなった。

「もう…離してくれません…か?」
左手に掴まれたせいで紅潮した顔のニーが、絞り出す様にでそう言った。

吊るし上げ

ニーにそう言われて、マミーは漸く彼女の首から手を離した。
すこし冷静になって、マミーは今の状況が非常に不味い事に気が付いた。
か弱い商人であるニーに馬乗り。さらに首を絞めていたせいで彼女の顔は真っ赤且つ半泣きで、激しく呼吸が乱れている。
もう一度言う、今のこの状況は非常に不味い。
だがマミーがそれに気が付いにニーの上から飛退くのが三秒ばかり遅かった。
ジャコンッ
かなりの至近距離から銃身が弾丸を呑み込む乾いた音が響いた。そして後頭部に押し当てられる硬い突起物・・・
「マッミー・・・何してるの?」
背後から突き刺さるような冷たい一言。マミーの脳髄はコンマ二秒で彼女を鎮める言い訳を紡ぎだす。
「まて、これにはわけg『死っねぇいっ!!!!!!!!』
残念ながらマミーが怒りを鎮める前に、彼女の怒りが爆発した。

満点の星空の下、男の悲鳴と銃声がしばらく響き続けた。

数分後
木に逆さ吊にされた、ピンク色の塗料と悪臭塗れの男と、それからやや離れた位置で焚き火を囲む女性二人。
「ネイダさん、できれば話を聞いて頂きたいのですが・・・」
誤解を解こうとするマミーだが、
「もう直ぐで犯される所でした・・よよよよよ。」
そう言ってランダの胸に顔を埋めるニー。・・・明らかに笑って・・ニヤついている。
そしてその度にランダがゴミでも見る様な目でマミーを睨む。
とまぁ、こんな感じで先程から話が進んでいない。
「話を聞いてくれよぉ~!!」
情けない声をあげながら、ブランブランと揺れる蓑虫。そろそろ泣き出しそうだ。
「もういいかな。」
そう言ってネイダは蓑虫に向けボウガンを構えた。
『はい?』
マミーの声がひっくり返ると共に、彼を吊るしていた蔓が撃ち抜かれた。そのまま頭から真下の池へ落下するマミー。
縛られたまま沈んでいくマミーを引揚げるネイダ。
「実は、目覚めてたの。」
「はい?」
彼女の言葉の意味がイマイチ理解できない。
「だから・・ニィムが取り乱してる辺りから目が覚めてたの。」
「つまり一部始終みてたと?」
「そ、でちょっと頭冷やさせようと思ってね。」
つまり先程の事は芝居だったらしい。余りの事に立ち上がるが、口から言葉が出ない。
「頭冷えた?」
「・・あぁ。」
漸く口から出た言葉はそんな間抜けな物だった。

火山の下から

時は遡って・・・
マミー達が樹海の箱庭に出発した次の日の朝。

部屋の壁は全て天然の岩石に覆われ、その隅で流れるマグマを利用した竈がグラグラと蒸気を噴出している。明かりどころか窓一つなく、流れるマグマだけがこの部屋をぼんやりと赤に染める。
故にこの室内の環境は最悪。人が生活に使う道具は何一つ無く、無骨な鉄槌や火バサミなどが規則正しく並べられている。
だがそれも当然、ここは洞穴の工房の地下室。この空間は鉄屑を武器へと昇華させる為だけの空間なのだ。
そんな空間に老人が一人、無論ここの主だ。
片手には巨大な鉄槌、もう片方にはいつぞやの黒い火竜の翼を巻き付けた、打ち直された斬波刀。
それを竈の中へ突っ込み、ドロドロな赤に変色した後冷めるまで鉄槌で打ち続ける。それを刀身と素材が一体になるまで繰り返した。
そして打ち上がった光など一切反射していないかの様な真っ黒な刀。
これで工程の半分だ。
次に刃となる部分を研ぎ上げる。黒い刀身に白い刃の線を作り上げる。その後刀全体に脈の様に溝を彫る。
そして最終工程。
先日手に入れた封龍剣を竈の中でドロドロに溶かした。液体となった翠と銀色の金属、そこに先程打ち上げた黒い刀の切っ先だけを突っ込んむ。
すると、翠色の金属がまるで生き物の様に刀に彫られた溝を駆け上り、黒い刀身に根を張った。
脈動するように震える刀を冷水の中に突っ込み、鼓動が止まるまで待つ。
そうして形になった黒と白と翠の刀を軽く一振り・・
赤い何かが火花や雷の様に暗い地下室で迸った。
「黒白刃・赤雷、完成じゃ。」
老人は刀を太刀に収めながら一人呟いた。
問題なのはこの剣の主が既に戦地に赴いてしまったと言うことだ。
「どうしたもんかの・・・」
瞬間、頭上から冷たく新鮮な空気が流れ込んできた。
『話は聞かせて貰いまし・・ヒャァン!?!』
そう言って一つの人影が着地・・もとい落下してきた。

そして現在・・
「と言う事で私が刀を運んできたと言う訳ですよ!!」
二人に対して、自慢げに胸を張るニーであった。

星空の下

帰ろう

無い胸を張ってフンと鼻を鳴らすニー、それをやや哀れむ感じでみる二人。
「ニー、悪いんだが既に戦いは終ったんだよ。狂人は地下の箱庭の崩壊に巻き込まれて生きちゃいない筈だ。」
      • 箱庭での戦いが済んだと言うのは本当、しかし狂人が死んだと言うのは嘘だ。ネイダがどの段階で起きていたかは解からないが、なるべく平静を装ってそう告げた。
「え、終っちゃったんですか?」
それを聞いたニーはヘナヘナとその場に崩れ落ちた。
「せっかくモンスター達の縄張り突っ切って来たのに~・・」
どうにも相当急いで来たらしい。
暫しブツブツ文句を垂れてから、ニーは思い出した様に顔を上げた。
「そう言えばビィズ君はどうしたんです?」
「ビィズは俺達を逃がす為に囮になって崩壊に巻き込まれた。」
「えっ?!」
気まずい沈黙がその場を支配する。その言葉の意味を此処に居る全員が理解出来てしまったからだろう。
崩壊に巻き込まれた。そしてこの場に居ない、それはつまり死んだと言う事だ。ニーとネイダはその事実を受け入れきれて居ない様だがマミーは違う。彼は既にビィズの死を否定できないのだ。
箱庭から這い出てきたボロボロの狂人。人外の化け物である奴にそれ程の怪我を負わせる戦いをしたうえで、ビィズは敗れたのだ。だから生きている訳が無い。
それは信じ難い、信じたくない事だが事実なのだ。ビィズは死んだのだ。
「で、でももしかしたら生きてるかも知れないじゃないですか?ね、だから此処で待ってましょうよ。」
ニーが声の震えを抑えながらそう提案する。
「いや、もう決着は着いたんだ。だから工房に帰ろう。」
そう言ったのはマミーだった。二人は信じられないといった顔で彼を見ている。
しかし、モンスターと遭遇する危険がある以上此処には居られないのだ。弾薬も薬も道具も無く、何より心身共に衰弱している。
今の状態では戦うどころか二人を守る事すら出来ない。・・・いや、元から誰かを守ることなんて出来やしなかった。そう痛感した。
だから、早く此処を脱け出さなくては行けない。
「それに生きてればひょっこり工房に帰って来る筈さ。」
その言葉は誰よりも彼自身がそう願ったものだった。

遠い星空

道化師と死に損ない

「あぁ…糞ったれ…」
男が丸い穴から見える高い星空を見上げながらそう呻く。
男は血塗れで片方の脇腹は大きく抉れていた。正に死に体だ。
そんな男に人影が近付く。
「惜しかったね。そっちの人がもう少し動ければ殺せたでしょうに。」
言いながら仮面の道化師は男の隣で息絶えている黒い鎧を指差した。

数分前…
ビィズに狂人が止めを刺そうとした時、ファルシェは息を吹き返したのだ。
そして隙だらけの狂人の腕を切り落とし、自由になったビィズが狂人の体をズタズタに切り裂いたのだ。
だが、其処までだった。
元から死に体だったファルシェは其処で力尽き、狂人は黒い剣を構えたビィズを見て撤退して行ったのだ。
決着は付かず、互いに重傷。しかし化け物と人間ではその後に大きな差が出る。
化け物は傷は当然の様に癒えるだろうし、人間は治療無しでは例外なく死に絶える。

「どうする?今上を彷徨いてるだろうギルドの人間を呼べば…貴方は助かるかも知れないわよ。」
道化師は、仮面の下でクスクス笑う。
「そんな事したらテメェは捕まるんじゃねーのか、狂人の飼い犬さんよ?」
「大丈夫よ、私は妹を守る為に嫌々協力してたんだから。」
「ならニーと一緒にギルドに保護して貰えば良かっただろうが。」
「ギルドも安全とは言えないのよ。何処にでも狂人の息の掛かった人間が居るの…まぁ、私の言う事なんて信じなくても良いけど。」
ビィズの問に道化師はプイッと顔を背ける。
「私の事より、そのままじゃ本当に死ぬわよ?貴方の方こそ早くギルドに保護された方が良いんじゃない?」
「バカ言うな。そんな事したら親父を殺しに行けなくなんだろが。」
ビィズは吐血混じりにケッと笑って見せる。
「貴方正気?そんな様であの化け物を殺せる訳無いじゃない。」
「俺も化け物に成ればどうとでもなる。」
そう言ってビィズは自分の傷口に、少女を蝕んでいた黒い泥を塗り込んだ。泥は僅かに蠢いた後、ビィズの腹部を黒く染めた。

道化師と化け物

「…馬鹿じゃないの?それに体の内側に寄生されたら数年で死ぬのよ!!だいたい、その傷じゃ数日もしない内に寄生虫に喰い殺されるわよ!?」
仮面を外したイチは、酷く動揺した顔で怒鳴った。
「数日もてば良いだろ。てか何でお前が怒るんだ?」
「それで…それで貴方が死んだら私が殺したみたいじゃない!!」
そう言ってイチは泣き出してしまった。
「気にすんなや、悪いのは全部俺と親父だ。」
ビィズは軽くイチの頭を叩くと、黒い鎧の前に立った。
「借りるぞオヤッサン。」
そう言うと、ビィズは黒い鎧を死体から引き剥がした。そして躊躇う事無く、それを身に纏った。
瞬間、誰かの断末魔の様な幻聴が彼の鼓膜にこびりついた。
「眠気覚ましにちょうど良い。」
ビィズは霞んだままの視界を見て、自虐的な笑みを浮かべると再びイチの方を振り返った。彼女は既に仮面をハメ直し、小さく冷笑を浮かべていた。
「じゃあな、道化師さん。」
「はい、化け物殿。」
そんな挨拶を交わすと、ビィズは只の飾りである筈の鎧の翼を当然の様に羽ばたかせ、遠い星空へと飛び立って行った。
「化け物の息子は化け物を殺す為に自身も化け物に…実に笑えない。」
道化師はそれだけ言い残すと、崩れた箱庭を後にした。

半月を背に

朱い女

『次の半月の夜、火山の火口にてとっておきのショーを始める。気が向いたら参加してくれたまへ。』

マミーは狂人から渡された招待状をクシャクシャに丸めて、屑籠へ投げ入れた。
空は既に暗く、半分の月が此方を見下ろしていた。つまり今夜、狂人と決着を付ける訳だ。
背中にはニーから受け取った黒白刃。少々重くなったが、斬波刀が元になっているので非常に手に馴染む。
軽く振るってみたが、思い通りの軌跡を描いて見せた。…だが、やはり重い。筋力が元通りになれば程好いだろうが、それまで待ってもいられない。
防具は親父さんから銀火竜の鎧を借りた。
返せる自信が無いので適当な物を借りようと思ったのだが、何故か工房の一番奥に有ったコレを貸してくれた。
何の説明もしていないのだが、…何処に行く気かバレたのだろうか?

まぁ兎に角、準備は整った。後は誰にも告げずに最後の舞台へ行くだけだ。
居間と入り口付近に人の気配は無い…
なので音を立てない様に一気に狭い入り口から這い出た。
フルフルも真っ青に成る程の完璧な気配の消しっプリ…だと思ったのだが、
「何処に行く?」
どうにも端から気付かれていたらしい。
「何時気付いた?」
何とも気まずいので振り返らずに問い掛けた。
「初めから。」
「なんだ、初めから起きてたのかよ?」
「聞いてなくても、貴方の顔に書いてある。」
ネイダは背後でクスクスと笑う。
…顔に書いてあるって、ずっと包帯巻きっぱなしなんだが。
「今から狂人の所へでも行くんでしょ?」
御名答、全部お見通しな訳ですか。
「私も絶対に行くからね。」
「それはダ…」
彼女を止めようと振り返った瞬間、それが目に映った。
半月をバックに洞穴の入り口の上に立つ、朱い蟹。
その防具は鎌蟹の亜種のものだったが、何時もの物ではなく女性用の防具を彼女は纏っていた。
「ランダ・オルディではなく、ネイダ・ロッタとしてニィム、貴方と一緒に戦うわ。」
彼女は真っ直ぐとそう言い放った。
見た目の変化、それは些細な物でしかない。しかし、彼女の心は大きな変化が有ったのだろう。また、ネイダとして戦う為に…
「ネイダ…良く似合ってる。」
マミーは有無を言わせず彼女を抱き寄せた。
「ちょっと何するの…ッ!?」
彼女は恥ずかしそうに身を捩らせた後、一度だけピクンッと跳ねて動かなくなった。
「ごめん、ネイダ。」
彼の手には小さなナイフが握られていた。

1人の男

マミーが手に持っていたのは睡眠薬がたっぷりと塗られたナイフ。それで軽くネイダの首を撫でたのだ。
そして何かを言おうとしているネイダを居間に寝かせて、洞穴の工房をあとにした。

マミーは先日の箱庭の闘いで理解してしまったのだ。自分には誰も守れないと。たとえ彼女の前に立ち続けても、なんの役にもたたないと言う事を…
だから今夜は初めから1人で行くつもりだったのだ。狂人は怨みや憎しみで動いているのではなく、単なる愉快犯だ。倒せなくともひょっとしたら、自分1人が犠牲になれば済むかもしれない。
要するに今の彼には、自分の身を犠牲にする程度の事しか出来ないのだ。
しかし、どうせ命を掛けるのだから、首の1つでも切り落としてやらねば…まぁその程度で死ぬかどうかは疑問であるが…
そんな事を考えている内に火山の頂上が見えてきた。もう数メートル進めば、招待された場所に着く。
彼処には彼ではどうしようもない様な化け物が待っている。だから…少しだけ弱気になって、村の方を振り返った。
遥か下、火山の麓には僅かに人の生活している灯りが見える。
人が少ない癖に温泉ばかりある僻地の村
年に一度のお祭りの日だけ異様に賑わう変な村
彼女と自分を再会させてくれた不思議な村
もう僅かに視線をずらせば彼女の居る工房が見え…
彼は其処で火山の頂上を向き直った。きっと工房を見れば自分の心は揺らいでしまう。だから、もう村を見るのはヤメだ。
目の前には小さい頃、自分の憧れた男が邪龍と死闘を演じ、打ち勝った場所がある。
何の運命か自分の終着駅も其処な訳だ。まぁ憧れた男と違い、今の自分に勝ちの目は殆ど無いのが残念な所だが、そんな愚痴を垂れても仕方ない。
鞄の中から赤い瓶詰めの液体を取り出し一気に飲み干す。
瓶の中身は鬼人薬、コレで一時的にだが記憶を無くす前位の筋力を得る事が出来る。

コレで準備は整った。
脈拍は正常で心身共に充実、申し分無し。
全身を強固な鎧で包み、背中には魔獣と魔剣、そして愛刀から造り上げた一振りがある。
そして、自身を守ってくれた者と守るべき者の存在が、精神を決して砕けない鋼へと造り換える。
この身に恐怖や後悔は無く、自身の不幸や死を嘆く事はない。ただ大切な者を守る為だけに狂人の望を打ち砕く。
今の自分にはそれ以外は必要なく、それだけで十分だ。

マミーはゆっくりと瞳を開くと火口のある洞窟へと踏み込んだ。

火口の淵で

仄かに赤い光を反射させる火口付近の洞窟。
本来此処は煮えたぎる溶岩の影響でただ息をするだけで、喉が焼けると感じる程の灼熱の空間である。
だが今夜の此処は気を抜けば気を失ってしまいそうな酷い寒気がする。そうな中、彼は臆する事無く歩を進める。
洞窟の奥、火口のすぐ側には蒼い人影。そしてそれ以外の何か、良くない物の存在を感じる。きっとそれの正体は全ての物に等しく死と恐怖を与える何かだ。
それを直感的に理解して尚彼は足を止めない。そしてとうとう火口の淵に腰掛ける狂人の下へと辿り着いた。
「ようこそ最後の舞台へ。てっきり来ないものかと思ったよ、腰抜け。」
狂人は天高く登った半月を見上げながらそう言った。挑発をされたマミーはただ沈黙を続ける。
「楽しくお話をする気分で無いか…なら私が話をするとしよう。」
狂人はマミーの方を向き直ってニヤリと笑う。
「私はこの世界が嫌いだ。人々は当然の様に平和な時を過ごし、歳をとり眠る様に最期を迎える。人々はそれを幸せと言うが私には退屈でしかない。だから私は願った。もっと闘いと混沌に満ちた魂の輝く世界を…」
其処で狂人は大きく溜め息を吐く。
「だが幾ら金を持っていようがその願いは叶わない。箱庭なんて物を造ってみたが、所詮は箱庭だ。玩具でしかない。私が混乱をばら蒔いても結局は一時的な物だった。そんな時私はアレを見付けた。」
狂人は黄色の瞳を爛々と輝かせる。
「考えてみれば当然だ。ここはヴォルボーン、彼が生まれ死んだ場所だ。本体は既にマグマの海の彼方だ。だが、アレはこの荒れ地の片隅に放置されたままだったのさ。」
「アレ?」
マミーが思わず問い掛けると、狂人は嬉しそうに顔を歪めた。
「邪龍の蛻だ。」
狂人の答に愕然とする。お伽噺の化け物の蛻。それは確かに価値のある物だろうが、それが何だと言うのだろうか?
「私はな…それ一杯に黒い肉を詰めたのさ。奇病で死に絶えた怨念まみれの死肉をたっぷりとな…」
「死肉で蛻が動く訳がない。」
マミーは思った事を口にする。
「そう死肉だけではアレは動かない。しかし、此処に死んでないのが居るだろう?黒く黒く染まった取って置きが。」
狂人が狂った様に笑いながらローブを脱ぎ捨てた。其処には真っ黒に爛れたもう人とは呼べない何かが居た。
「私はこの世界を願った形へと造り換える。」
狂人は狂った笑みを浮かべたまま火口へと飛び込んだ。

邪龍

堕ちた。
狂人は何を思ったのか火口の中へと堕ちて行った。
先には足場などなく灼熱の赤だけが待ち構えている。
そこに堕ちると言うことはつまり・・・
「・・・死んだ?」
マミーがそう呟いた瞬間、
ドゥチュアッッ
腐った肉に飛び込むような音が火口から木霊して来た。
そして、何かが火口から這い上がってくる。黒く、長く、不気味で大きな、何か・・・
それと目が合った瞬間、全身に鳥肌が立ち、奥歯は狂った様にガチガチと音を立て、体中から嫌な汗が溢れ出す。
『素晴らしい姿だろう、この姿は?』
それから狂人の声が漏れた。それでマミーはそれが何かを理解した。
御伽噺の世界の正真正銘の化け物
嘗てここで生まれ一人の狩人に敗れた
邪龍ミラボレアス
しかし、目の前のそれは本物のそれには幾分か劣る物だろう。風化した体表は所々から肉が剥き出し、翼はその原型を留めていない。
それでも、それが放つ空気は本物に決して負けていないだろう。
狂気と醜い願望に染まった腐敗臭が、マミーの足を僅かに下がらせる。
『別に逃げても良いんだぞ、腰抜け。私の願い事はもっと魂の輝く世界を創る事だからな。正直気味なんてどうでも良いのさ。』
その提案は、それと対峙した者にとってはどんな物よりも魅力的な一言だ。だがそれに頷く事は出来ない。二度も自分だけが助かっていい筈がない。
マミーは無言で黒白刃を構えた。邪龍を前にした古の魔剣は、唸る様に僅かに振動しキーンと言う音を放つ。
『訂正しようマミー、君は腰抜けなどではない様だ。』
そう言って片方だけの黄色い瞳がグニャリと笑う。
『君の魂は今、最高に輝いている。』
化け物がその言葉を言い切る前に、マミーは駆け出した。

願い事を

マミー

纏わり付く熱風
鼻腔にへばり付く腐敗臭
頭に浮かんで消えない死のイメージ
それらを纏めてぶった切る様に、マミーは黒と白の刃を振り抜いた。
ギィンッ
火花と歪な金属音をぶちまけながら渾身の一振りはあっさりと弾かれる。
瞬間、化け物がその巨躯を反転させ、それにつられ巨木の様な黒い尻尾が鞭の如く撓った。
酷く愚鈍で、いとも容易く避けられる様な鈍間な一撃。だが、刀を弾かれバランスを崩したマミーには、それを避ける事は叶わない。
撓る黒は唸り声を上げマミーの脇腹を直撃した。
銀色の鎧は悲鳴を上げるかの様に軋み、体は鞠の様にその場から吹っ飛んだ。そして地面とぶつかる度に、全身がイカレタ打楽器の様な音色を奏でる。
漸くその勢いが止まった後、マミーは自身の体がグシャグシャになった様を想像しながら目蓋を上げた。
だが、彼の絶望的な予想に対して体の方はあっさりと立ち上がってくれた。腕や足は折れておらず、食道を血が駆け上ってくる、なんて事も無い。
しかし、直撃を受けた脇腹は絶望的だ。骨が折れているとか、死ぬほど痛いとか言う以前に、なにも感じないのだ。そこだけ死んでしまったかの様に。
序でに言うと立ち上がりはしたが、これ以上体が動く気配が無いのだ。自分の体なのに。
そんな彼を残念そうに黄色い隻眼が見下す。それに対抗するように、マミーは精一杯の作り笑いを浮かべた。
「俺の願い事を教えてやるよ。俺の願い事は、雪山の村に戻ってネイダと一緒に店番して、たまに来る軟派野郎を殴り跳ばして、毎日のんびり暮らす事だ。んで、最期はネイダの隣で眠る様に死ぬことだ。」
そう言い切って、マミーは造り笑いのまま黄色い瞳を睨んだ。
『つまらん願い事だな。序でに言うと君の願い事は何一つとして叶わない。』
邪龍は黒い口をマミーに向け開いた。真っ黒な口の其処には、絶望に色を着けたようなねばついた炎が渦巻いていた。
『なかなか楽しかったぞ。最期に盛大に弾けてくれたまへ。』
禍々しい炎をが溢れてくるのを、マミーは造り笑いのまま見詰めていた。

ネイダ

濁った炎が黒い口から溢れ出そうとしたその時、二発の銃声がマミーの耳に響いた。次の瞬間彼の瞳に映ったのは邪龍の顔面を押し退け弾ける二発の弾丸と、降り注ぐ榴弾の雨だった。
「なっ!?」
逃げる間も無く彼の視界は朱色の炎で埋め尽くされた。
狭い洞窟一杯に鼓膜を劈く様な爆音が轟き、それに弾き飛ばされる様にマミーは邪龍の側から吹飛んだ。
ごろごろと地面を転がった後、ふと見上げると先程寝かし付けて来た朱い女がボウガン片手に此方を見下ろしていた。
「久しぶり。」
「ひ、久しぶり。」
予想外の言葉をマミーは鸚鵡返しにする。
「次こんな事をしたら銃口が熔けて無くなるまで拡散弾をぶち込むから。」
そう言ってネイダは二つの大きな銃口を備えた、蟹の鋏を模した朱色のボウガンをマミーの額に押し付けた。
しかし、彼にも彼女を置いて来た理由があるのだ。今からでも帰れと言おうとしたその時・・
「また私を独りにしたら許さないからね、ニィム・・」
少しだけ震えた声でそう言った彼女は深くヘルムを被り直した。
「ネイダ・・」
そんな彼女に何か声を掛けようとした時、
「危ない!!」
ネイダが銃口を僅かに逸らし引き金を引いた。地面とぶつかりブチ撒かれた榴弾が巻き起こす爆発は、近くに居た二人を豪快に吹き飛ばした。
彼女の突然の奇行の訳を理解しかねていると、先程まで二人が居た場所を穢れた炎弾が飲み込んでいた。一瞬で赤い水溜りと化した地面を見て冷や汗が流れる。
あんなものを喰らっては一溜りも無い。だが、
「もっとマシなやり方があるだろう?」
「これで置いてけぼりにした分をチャラにしてあげるから黙って。」
ネイダは此方を見向きもせず新しい弾丸をリロードする。視線の先には再び炎弾を繰り出そうとする邪龍。
「今からでも帰った方が良いぞ?」
「嫌。」
そう言って彼女は古びたスコープを覗き込んだ。
「ニィムは側に居ないと直ぐ何処かに行っちゃうから、私がずっと隣に居なきゃ駄目なの。だから・・」
彼女が引き金を引くと二発の拡散弾が邪龍の顎目掛け疾走する。
「早くアレを倒して帰るわよ。」
彼女が言い放つと同時に朱色の炎が邪龍の顔を包み込んだ。

黒い影

彼女が構えるライトボウガンは試作品だった煌鬼【紅蓮】に改良を加えた、煌鬼【朱炎】。
改良と言っているが、異常な重量やリロードの絶望的な遅さ等は全く改善されていない。
代わりに砦蟹の素材を追加し、弾丸の装填量の増加、そして反動を完璧に打ち消すと言った偏った強化をされた。
結果として取り回しやリロード速度は最悪だが、3発のレベル2拡散弾の速射とその反動を殺しきる高火力な武器となった。

ネイダは邪龍の顔面を包んだ爆炎が消える前に、手早く二回引き金を引いた。合計6発の拡散弾が邪龍の体を朱炎で焼き付くす。
狭い洞窟で乱発された拡散弾の炸裂音がキンキンと反響する耳を抑えるマミーと、黙々と新しい拡散弾を造るネイダ。
新しく造った拡散弾をリロードしようとした時、粘ついた炎弾が朱色の幕を突き破った。
反射的に2手に別れた2人を裂くように、紅蓮の業火が岩盤を焦がす。
ネイダは漸くリロードをし終えると未だ同じ場所にいる邪龍に狙いを定める。そしてありったけの拡散弾を連射した。
6つの朱い花が開く様に邪龍を襲う。そしてその中を突っ切ってマミーが邪龍の頭を射程に捉えた。
喉元狙って振り抜かれた一閃…
だが、ばら蒔かれた爆薬も龍殺しの一振りも邪龍を殺すには至らない。
『何人で来ようと構わないが…もう少し頑張ってくれないかな?』
喉で刃を受け止めたまま、狂人が詰まらなそうにそうぼやいた。
その一言は2人の心に甚大なダメージを負わせる。
本当に目の前の化け物を倒せるのか?
考えるべきでは無い事が2人の動きを鈍らせる。
そんな時、
「何人でも構わないとは…太っ腹だなぁおい!!」
天井の穴から聞き覚えのある声が響いた瞬間、黒い影が雷の様に狭い洞窟内を疾走した。

黒ずんだ血液

黒い影は蝙蝠を連想させる翼を翻し、雷光の如く邪龍に肉薄する。
邪龍の繰り出す豪炎を意図も容易くすり抜け、黒い短剣を黒い甲殻の隙間に突き刺した。短剣が赤い閃光を迸らせると、邪龍の甲殻から泥水の様に黒く濁った血が噴き出した。
ギャァァァアアァァア!!
邪龍と黒い化け物染みた人影が同時に叫んだ。前者は痛みに悶える悲痛な悲鳴、後者は獲物を蹂躙する化け物の雄叫びだった。
肩口に突き刺さった短剣を振り落とそうともがく邪龍を尻目に、黒い化け物はその翼を大きく広げた。
!!!!!!
洞窟を二匹の化け物の叫びが埋め尽くした。
肩から脇腹までを引き裂かれた邪龍は狂った様にその身を捩らせ、腐った血肉を撒き散らす。
黒い化け物は荒くなった呼吸を抑える為か、血飛沫を浴びる前に大きく後退していた。
そのはずなのに、化け物染みた鎧の隙間からは邪龍同様、腐った黒い泥水が漏れてきていた。

マミーは恐る恐るその化け物に近付いた。それが誰かを確める為に…
だが、化け物は近寄るマミーを片手で制した。
「俺の事はほっとけ…それよりサッサとあの糞野郎をブチ殺すぞボケ。」
酷く疲れた、嗄れた声で化け物は唸った。
マミーはそれ以上詮索するのは止め、邪龍の方を向き直った。
切り裂かれた筈の邪龍の腹の肉はウネウネと動き、既に治癒しつつある。だが、まだ治癒しきった訳でわ無い。
「ネイダ!!」
「判ってる!!」
短く合図し合うと、三名は一斉に動き出した。
ネイダは再び拡散弾で弾幕を張り、マミーと化け物が邪龍目掛け斬りかかった。
爆炎を雨霰に受けながら邪龍は黒い尾を二人目掛け振り抜いた。マミーは一歩後退しそれを掻い潜り、化け物は軽くそれを飛び越え邪龍の頭へと迫った。
2人はほぼ同時に斬りかかったが、黒い短剣は邪龍の牙に、黒白刃は邪龍の甲殻に弾き返された。
体事弾き飛ばされた化け物は獣の様に四肢を突いて地面を滑ったあと、再び地を蹴り邪龍目掛け飛び掛かった。
対して体勢を崩したマミーは二度目の尻尾の強襲をくらい吹き飛ばされていた。
いい加減脇腹の痛みが尋常では無くなって来たが、これで準備は整った。黒と白の刃に彫られた溝にはベッタリと黒ずんだ血で充ちていた。
魔剣と掛け合わされた長刀は付着した血を啜る様に脈動を始めた。そしてもっとこれを寄越せとでも言うかの様にカタカタと震えだした。
それに応えるべく、マミーは爆炎の中へ駆け出した。

最後の一振り

爆ぜる朱炎が極限まで膨張し、収束する瞬間を狙ってマミーは邪龍の懐深くへと踏み込んだ。治り掛けた傷口目掛け黒白刃を振り下ろす。
甲殻の隙間から滑り込んだ魔剣は、邪龍の血肉を喰らうようにその身を切り裂いた。その刃の軌跡を追うように赤い雷が弾け、黒い血肉をドロリと溶かす。
元は死肉の塊だ。どういう怨念で動いているのかは知らないが、龍の力を殺せば邪龍の肉体は瞬く間にただの死肉に戻る。
コレならやれる。
赤い雷を纏い尚その力を歪に膨張させる魔剣を見て、マミーはそう確信した。
自身はまだ奴の懐のなか、もう一度この刃を振り抜けば邪龍の腐った体を両断出来る自信があった。
だからマミーは爆炎のなかをさらに踏み込み、振り下ろした刀を振り抜くべくその柄を握り直した。
瞬間、頭上の爆炎の中から黒い口が現れた。限界まで開かれた口に濁った炎が渦を巻き此方を見下げていた。
マミーは気付いてしまった。もうコレは避けれない。
攻撃の体勢に入った体で炎弾を避ける事など出来はしないし、あれを喰らって人の形を保てる訳もない。頭上では拡散弾が次々と炸裂するが邪龍の首はピクリとも動かず、黒い口は彼を捉えて離さない。
後方ではネイダが何かを叫んでいた。
刹那の内に彼の頭は何時かの悪夢を網膜に投影する。
彼は記憶を失い、彼女はその身と心に大きな傷を負った何時かの悪夢を…
それで腹が決まった。
この身はあと数秒も経つ前に消えてなくなる。ならば独りで逝くわけにはいかないだろう。
彼が強く魔剣の柄を握り直すと、黒と白の刃は大きく脈打った。
後ろからは彼女の叫び声
手元には際限なく赤い雷を吐き出す魔剣
頭上には限界まで膨張した死の炎塊
全身は軋みを上げ、砕けた肋は面白い様に音を奏でる。だがあと少しだけ我慢しろ、これが人生最後の一振りなのだから…
剛炎と魔剣の一振りが同時に放たれる。だが、赤い雷が邪龍の体を真っ二つにするより、炎塊が彼を飲み込む方が僅かに早い。
無駄死にか?
そう思った時、視界の隅に黒い影が映った。
『てめぇが死んだら駄目だろうが?』
それは死にかけの老人の様に嗄れた声だったが、彼には確かに良く知った男の声に聞こえた。
黒い影はその翼を翻し、弾丸の様に炎塊へと飛翔した。
頭上で激突する黒と赤
赤に対して小さすぎる黒は後ろにいる相棒を守る様にその翼を広げ、原形の残っていない左手で黒い短剣を振り抜いた。

振り抜け

振り抜かれた短剣はさも当然の様に、巨大な炎塊を真っ二つに両断してみせた。
黒い短剣、それは紛れもなく魔剣の類いだったのだろう。だが、それを扱う主は
そうでは無かった。
例え両断して直撃を免れようが、炎塊が持つ熱量迄を殺せた訳ではないのだ。
黒かった化け物の鎧は赤く変色し、魔剣を振り抜いた左腕は既に原型を留めてお
らず腐り落ちる様にもげた。
そして、化け物の中身は既にもげ落ちた左腕の様な状態なのだろう。だからマミーは化け物の、相棒の名前を叫ぼうと上を見上げた。
『何やってんだマミー、さっさとケリをつけろや。』
死に体の化け物は蕩けた冑を笑うようにグニャリと歪ませ、何時もの口調でそう
言った。
だから彼は叫ぶのを止め、全ての力を両腕に注ぎ込んだ。

黒と白の刃が肉を切り裂く

砕けた肋が悲鳴を上げる

噴き出す赤雷が腐った血肉を喰い散らす

両の腕がもう限界だと訴える

あと少しで邪龍の体が2つに裂ける

喉の奥から鉄臭い何かがせり上がってくる

だから弱音を蹴散らし、この一振りを振り抜く為に彼は叫んだ。
「アアアァァァァ!!!!」
火山の洞窟に爆音と青年の雄叫び、そして邪龍の断末魔が轟いた。

振り抜かれた黒と白の刃
真っ二つに避けた邪龍の体
それだけを確認すると彼は力尽きる様にその場に崩れ落ちた。火山の岩盤がチリ
チリと白い包帯を焦がし彼の体を焼くが、暫く起きる事は出来ないだろう。

邪龍として、生物としての形を維持する為に必要な決定的な何かを失った黒い肉の塊は腐る様にどろどろに融けて流れた。
そして黒い肉の海からは狂人がその姿を現した。体は既にボロボロだったが、ほんの僅かに黒い肉が再生しようと蠢いていた。
マミーは目を覚ます気配は無い。だからネイダが二つの銃口を狂人へ向け構えた。だが、それを化け物の残った右手が止める。
「後は俺がやっておく。あんたは其処の死に損ないを早く連れって行ってくれ。」
死に損ないの化け物はそう言うと、ネイダに緑の玉を手渡した。
彼女はそれを黙って受け取るとマミーを担ぎ、緑の煙幕に包まれてその場から姿を消した。
こうして火山には、化け物と狂人だけが残った。

赤い穴へ

火口に残された2人の化け物。互いに死に体で、体内を蠢く黒い血肉が2人を無様に生き永らえさせている。
鎧の化け物はグズグズに蕩ける体を引き摺りながら狂人に近付いて行く。残った右腕には黒い短剣…
そんな息子を前にして狂人は逃げる素振りも見せず、快楽の余韻に浸る腑抜けた笑みを浮かべながら突っ立っていた。
「ビィズ、お前の親友は最高だな。私の最期に相応しい最高の闘いだったよ。」
そう言って狂人はその場に腰を下ろした。迫る死に抵抗しようとさえしない。
「さぁ、殺すが良いさ。その為だけにお前は生きて来たのだろう?」
狂人は笑ながら頭を下げ、無防備な首を晒した。そんな父親を見て、化け物と成り果てたビィズはギリッと歯軋りをした。
そして、無言で狂人の顔面を蹴り上げた。毬の様に跳ねる頭を更に蹴り上げると黒い肉が蠢く手足を乱暴に切り捨てた。
斬られた断面からは赤い血が流れる事は無く、狂人はにやついたまま文句を垂れる。
「早くしてくれないか?最高の気分のまま逝きたいんだよ。」
ビィズは、そう言う達磨の様になった狂人の首を掴むみ持ち上げた。
『誰が殺してやるか、そんな簡単にテメェの罪から逃げられると思うなよ?』
ビィズは小さくなった父親を睨むと、蕩けた翼を羽ばたかせた。
そのままフラフラと洞窟を浮遊すると真っ赤な火口へと飛び込んだ。

相応しい罰を

「お前も死ぬのか、我が子よ?」
死へと落下しながら狂人がケラケラと笑う。
『誰がテメェなんかと死ぬかよ。』
そう言って溶岩の寸前でフワリと静止した。
そのまま溶岩に落ちる寸前の岩壁に狂人を埋め込むと胸の真ん中に黒い短剣を突き立てた。
「なんの真似だ?」
『此処なら誰も助けに来ないし、それが刺さっていれば再生も出来ない。だが、この程度で死にも出来ないだろ化け物。』
「まさか…貴様!!」
此処で初めて狂人が怯えた声を発した。
『貴様は此処で死んだ様に平和で退屈な永遠を生きるが良いさ。』
ビィズは勝ち誇った様に言い放つと、赤く蕩けた翼で尾を引きながら半月の夜空へと羽ばたいた。
火口からは断末魔の様にビィズの名を呼ぶ声がしたが、それに応える事は無かった。

これで彼の願い事は叶った。

夜空でそう溜め息を吐いた瞬間、右腕と左足がドロリと流れ落ちた。
もうこの体は長くない。元よりあれの息子である自分に幸せに生きる権利などない。

それでも、最期に、1つだけ…

化け物はそうとだけ呟いて、暗い夜空へと消え去った。

報告書

本日の天候 晴れ
自分、アルム・ウィソウトは行方を眩ました箱庭の狂人捜索の為火山付近の集落、ヴォルボーンへと派遣された。
…訳だが、既に事は片付いた後だったのでそれについての報告を本部へと提出する事にする。

狂人は火山の山頂にて、二名のハンターと対峙後、乱入した化け物に殺害された。
との証言を当時者であるハンターの1人から得た。
現地を調査した所狂人の物と思われる切断された腕と脚を発見。だが、狂人の本体は発見する事が出来なかった。
しかし四肢を無くした状態での逃走は不可能、よって証言と照らし合わせ件の化け物が遺体を持ち去ったと断定する。
以上で報告を終了する。
なお狂人の物らしき腕と脚は証拠品として本書類に同封する。

出来上がった報告書+αを超速達猫に手渡す。
ギルドの仕事と旦那方への軽い嫌がらせを同時に済ませ上機嫌な反面、腐敗臭が漂いまくる小包を運ぶ事となった超速達猫が不憫だったので報酬のマタタビを二割増しにしておいた。

コレにて此処ヴォルボーンでの仕事は終了した。次の仕事は特に無いので短い休暇を楽しむ事とする。
この村は温泉が名物だったな…まぁ温泉しか無い訳ですが。
「仕事は終わったか~?」
的屋の景品やら出店のお菓子やらを大量に抱えたカノクが此方へと駆けてくる。
「えぇ終わりましたよ。」笑顔で答えながらカノクの持つ物の値段を計算する。
…この子、さっき渡したお小遣い全部使いきってやがる。と言うか少しオーバーしていないだろうか?
恐る恐る辺りを見回すと息を切らせながら走ってくる男性の姿が目に入った。
食い逃げですか、お嬢さん…
店主の男性に謝罪と多目の支払いをしてどうにか許して貰った。…休暇が終わる前に財布が枯渇しそうだな…
そんな私の気分を無視してカノクが私の手を掴んだ。
「早く温泉に入ろうよご主人様~!!」
そう言ってズルズルと…否、ゴリンゴリンと私の体を引き摺って走り出した。
複数の理由で周りからの視線が酷く冷たいです、カノクさん。あと腕がもげそうです。このまま貴方が成長すると、私が両腕共に義手になる日はそう遠く無いでしょう…
そんな事を考えていると、カノクが此方を振り返った。
「そう言えばヘボは何処に行ったんだ。」
唐突な彼女の問いに、私は此処からは見えない場所を見ながら応える。
「実家に帰るそうですよ。」

雪山にて

独りの彼女

トントントントン…
一定のリズムでトンカチが釘を打つ音が響き続ける。
此処はとある雪山の一角、約一年前に発生した雪崩が原因で消え去った村の跡地。
つい数週間前まではギルドによって封鎖されていたが、最近になって一般人の立ち入りが許可された。
なので辺りの景色は悲しい程に白一色。唯一白く無い物はトンカチを振るう人影と、でき損ないのあばら家の様な木材だけだった。
「ハァ~」
トンカチの音の間に大きな溜め息を吐く音が混じる。
今現在、此処に居るのはとある商人である彼女1人。
彼女は元々この村で商店を営んでいたのだが、ある日仕入れの為にとある街に行っていた。そして仕入れ先の街で自分の村がどうなったのかを知ったのだ。

雪山の村は突如発生した雪崩にて壊滅した。なお一般人の立ち入りは禁ずる。

そんなお知らせが街の掲示板に張ってあったのだ。彼女は我が目を疑った。そして即座に村へと戻った。
そして現実を目の当たりにした。
真っ白になった雪山とそれを調査するギルドの人間。村は文字通り消えて無くなっていた。
その時、彼女にはどうしても確認しなくてはいけない事が有った。
それは預かっていた子供達の安否。形式上は弟と妹だが、血の繋がりは無かった。それでも独身な彼女にとっては本当の子供の様な存在だった。
だから探し回った。村には入れ無かったが、もしかしたら麓の村なんかで保護されて居るかも知れない。そんな淡い希望を持って彼女は雪山付近の村を駆け回った。
だが、結果として彼女は一年近くを棒に振る事となった。
心身ともに疲労しきった時、雪山の封鎖が解けたと言う話を聞いた。
村の有った場所で待っていればその内ひょっこり帰ってくるかも知れない…
疲れきった彼女はそう思い村の跡地へと帰って来たのだ。
だが、こんな僻地に好き好んで来る者は居らず、大量に買い込んだ食べ物と木材を運ぶ業者の人間が帰ってしまうと彼女は1人となった。
そして現在、持っていた特製テントを風に持っていかれた為彼女はどうにか寝床を確保すべく今まで放置していた家造りに励んでいた。
しかし、彼女には商人としての才能は有ったが大工としての才能は0だった。
トントントントン…ガシャァッ
造っていた筈なのに壊れてしまったあばら家を見て彼女はボフッと雪に寝転んだ。
「このままじゃ今晩凍え死にね…あぁさっさと結婚しとくんだったな~」

そんな時、桜色の風が雪山を吹き抜けた。

おかえり

雪山の空を吹き抜ける桜色の風は、白い大地に黒い影を残して行った。
「こんな雪山にリオハート…?」
彼女は突風の主の名を呟いく。桜色の竜なんてリオハートしか居ないが…何故雪山に?
そんな事を考えていると先程は違う、刺す様な冷たい風が彼女を襲った。日は既に傾きつつ有った。
「早くしなきゃ。」
彼女は再びトンカチを手に取った。
トントントントントントントントン…ゴシャッ
再び独りでに崩壊したあばら家を見て、彼女は匙を…もとい、トンカチを投げた。
「あぁ~使える男が欲しい~…」
そう呻きながら雪の上をゴロゴロと転がる。その拍子に近場の木にぶつかり、積もっていた雪が彼女に落下した。
「…ダァ!!」
積もった雪を蹴り飛ばすと、どんよりと曇った空が視界を埋め尽くしていた。
「ハァ…独りってこんなに寂しかったかな?」
暗い空が彼女に弱音を吐かせる。
そんな時、崩れたあばら家の方から人の声が聞こえて来た。
『コレは酷いな…』
『魚の骨の方がまだマシね。』
その声は何やら彼女が造ったあばら家に文句をつけている。しかし、何故かその声は酷く聞き覚えのある声だった。
「寂しすぎて幻聴が聞こえるわ…」
彼女は体をお越しながら苦笑する。二人が都合良く帰って来る訳ないだろう。
『何やってるの?』
『早く家建てないの凍え死ぬぞ?』
此方に歩み寄る二人は、細部は違っていたが確かに彼女の良く知る二人だった。
「幻影…いや、亡霊かしら?」
『いや、足はあるわよ。』
『幻でもないぞ。』
彼女の視界は酷く滲んでいたが、目の前の二人を見間違える訳が無かった。
「まぁ何だっていいわ…おかえり、二人とも。」
『タダイマ』
3人は満面の笑みで再会の言葉を交わした。
「でもネイダ、髪染めたの?…ってニィムはツルッパゲ!?」
「まぁそこら辺はおいおい説明するさ。」
「兎に角今は寝床を確保しなきゃ。」
3人の前には魚の骨の様な木材の残骸達…
「相変わらず絶望的な不器用さだな。」
「こんなだからまだ独身なのね…」
「それは関係ないわよ!!」
そんな会話をしながら彼女は愛しい子供達の肩を掴んだ。
「まぁ3人居ればどうにかなるわよ♪」
そう言って彼女は微笑んだ。

暫くの後、雪山の村は小さいながら復興を遂げる事になる。

黒い影

雪山の山頂にて眼下を眺める黒い影。それは既に人の形を止めて居らず、生物と言えるかどうかも怪しい何かだった。
黒い影は体のどの部分も動かせ無かった。もはや生き物と言うより氷塊に近かった。それでもそれはしぶとく生きていた。
眼下には少しずつ再興する村と、短い間だったが相棒だった男の姿が見えた。
黒い影には何も無かったが、其処から見える景色には彼が願った全てがあったのだ。
平和で退屈で笑顔に満ちた生活が…
「世は事もなし、願わくばこの退屈が永久に続く事を…」
そう言って黒い影は冷たくなった瞼をゆっくりと閉じた。

山頂から雪山を見下ろす黒い影。
その存在を誰も知りはしない。
訪れる者も誰も居ない。
それでも、黒い影は小さな笑みを浮かべながら眼下の退屈を眺め続ける。

終幕

人は願う
自分の幸せを
今回の話では

願い事を叶えた狂人には相応しい罰と結末を

願い事を叶えた青年には望んでいた平穏な生活を

一応だが、両者の願い事は共に叶えられた。
しかし、前者の結末は悲惨で、後者の結末は幸福な物となるだろう。
願い事を叶えた後、幸福が待っているとは限らない。
一人の小男の願い事
父への復讐
コレも確かに叶ったが、それだけでは彼の結末は悲惨で虚無な物だっただろう。
隣にいた青年の願い事が、彼の本当に望んでいた事だったのだろ。
だから彼は彼処を死に場所に選び、満たされた最期を迎える事が出来たのだろう。

人の願い事は多種多様
その幸せもまた千差万別
願い事を叶える事が幸せに直結するとは限らない。
また自身の願い事が常に他者を不幸にする訳でもない。
願わくば誰かの願い事が、他の誰かの幸せを助け、自身もまた幸せにならん事を…

此にて狩人の切れ端の譚は終幕
皆様の願い事が叶い幸せが訪れますように

後書きだよ!!

皆様
オハコンバンチワ
序でにグーテンターク
ヴィーゲーテスイーネン?
(お元気ですか?)
ダメ作者です(^^;
当初100を目処にするはずでしたがずるりずるりと150…
テンポが悪すぎますね!!
そして二部から始めた暴走がこの結末(狂人邪龍化)な訳で…
どう考えてもやり過ぎですね(^^;
こんなグダグダ且つ病気全快な話しを最期まで読んでくれた方々
誠に有り難うございます

皆様の何か印象に残ったり
ちょっとでも驚かせれたり
何か残る物があったなら幸いです
まぁ文句が大半を占めるかもですが(^^;

これにて切れ端の話しはお仕舞いです
村の下部にある図書館から何かコメントなんかを頂けたらめっちゃ喜びます

最期にもう一度
有り難うございました
皆さん愛しt(ry
それでは皆様サヨウナラ~

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最終更新:2013年02月26日 22:53
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