過去を語るは仮面の道化(開幕)
人の過去とは、本人だけの物であり昨日今日知り合ったばかりの他人が知り得る物ではなく、それを知るためには当人と親しくなり直接話を聞く他に無い・・・なんて事はございません。
人の人生とは他者との関りで成り立っている訳でして、本人しか知るはずの無い過去を多くの他人どもが僅かずつですが知っている物です。時間とコネさえあればそんな過去の欠片を掻き集め、他人の半生を組み上げるのはこの道化にとっては存外と容易なものなのでして。
例外としまして、独りきりで何処ぞの秘境で何年も遭難していただとか、裏の世界で奴隷として飼われていた、なんて人間の過去を集めるのは不可能に近いですが・・・そんな特異な人生を歩んでいる輩はそうそう居る訳が有りませんね。
そして幸い、今回お客さんが知りたがっている男は平凡な人生を歩んできております。それはもう吐き気を催す程に平々凡々な人生を・・・
そんな男の過去を探り一つの話として仕立てる、なんて事は暇を持余した道化にとっては造作も無い事でございます。
さて、今宵この道化が語りますはこの最果ての三つの街と、その街で生きて来たラウズ・ダギィと言う男の何処にでもある退屈な半生でございます。
この話はお客様が望む様な物ではなく、非常に退屈な物かもしれませんが・・・どうか欠伸を堪えて最後までお付き合いください。
では三つの街の内、一番古い街の一番新しい話から・・・
時は数年前の防衛戦、場所は勿論ここ、通称『三番目』・・・
まずはラウズ・ダギィとはどう言う人物なのか、という所から話させて頂きます。
ではでは、始まり始まり・・・
『三番目』の話
男について
まずは説明をば…
三番目の街に付いては今更ですので割愛させて頂きます。
そして当時のラウズ・ダギィに付いて…
と言いましても今と大した差は無く、金にがめつく博打や煙草が大好きで簡単に他人を騙す悪人…を装った所謂偽悪者であります。
結局の所、彼はお人好しの善人で有りますがそれを表に出さず、他人と深く関わらずに生きておりました。
友達と呼べるのはせいぜい完全無欠のメイド長、工房の変態店主、そして楽器屋の道化である私くらいな物でした。
他にも付き合いが深い輩は二三居ましたが…彼は心底奴らが嫌いなので割愛致します。
まぁそんな彼ですから防衛戦の際は何時も新米と組んだり、流れのハンターと組んだりしていた訳です。
そして数年前の防衛戦、彼は何時もの如く適当な根無し草達と組んだ訳で有りますが、少々面倒な相手だった訳で…
その年の襲撃は例年並みで、それほど難度の高い物じゃあ有りませんでした。まぁその時までは、でありますが…
時刻は夜明け前、ダギィ達の班は担当場所である渓谷の入り口にて哨戒中…
そして、かくいうダギィは焚き火の番をしていた訳ですが、1人ぼやいていました。
「どう考えてもあの変だろ、あの3人組…」
彼は煙草を吹かしながら夜空を見上げます。
彼が言う3人とは勿論、適当に組んだ根無し草三名の事でして…
その3人が俗に言う三角関係だった訳ですが、なんとも妙な関係でして…
「何で男1人と女2人なのに3人中2人が同じ女を好きなんだ?」
彼はぼやきながら薪をつつきます。
まぁ漸くしますと橙頭の男が褐色の女を好きでして、且つ緑頭の女も褐色の女が好きと言う奇妙な物でした。
ダギィは特に後半部分が理解し難かったらしく、こうして1人でぼやいてた訳で、
「だいたいあんな絶壁の何が良いんだか…」
とか何とか呟いておりました。
どうしましたお客様?
どこか具合でも悪いので?何も無いならそれで良いのですが…フッ
別に私は笑ってなどいませんよ?
えぇ神に誓って笑ってもいませんし嘘も言っておりません…ククックフッ
…いや、失礼、話に戻りましょう。
些細なモヤモヤは有りますが街の防衛は概ね順調、
あとは適当に流して報酬を受け取るだけ…なんて腑抜けた事を彼は考えておりました。
しかしその考えは甘いのです。街を襲うは有象無象の化け物共、守るはちっぽけで矮小な人間達…
余裕なんて何処にも有りはしないのに…
揺めく赤
もうすぐ夜が開ける。そうすれば此方から出向いて、残党を始末してお仕舞いだ。
ただ、ちょっとばかし薪の残りが足りないか。月明かりだけじゃ谷底の視界を維持するのは無理だしなぁ…
仕方無い、拾って来るか。
「よっ。」
そう言って立ち上がった瞬間、テントの方がガサリと動く。
「何処に行くんだ?」
出てきたのは3人組のリーダーであろう褐色、と言うか絶壁。
「焚き火が消えそうなんで薪を探そうかと思ってな。」
「あんたは見張りだろ? 私が行くよ。」
絶壁がそう言った瞬間、テントの中でざわめく。そして緑頭の女と橙頭の男が顔を出した。
「私が代わりに行きますわ。」
「んじゃ俺も行くわ。」
こいつら、俺の時は何も言わないのに絶壁の時は必死だな。
「いや薪拾いは1人で足りるから、ルォヴ行ってきて。」
絶壁の方は2人の事を何とも思っていないのか、別にどっちでも良いらしく先に言った緑頭に薪を拾いに行かせる。
「行ってきますわ。」
そう言って暗闇に消える緑の御下げ、と
「ぐぉぉ…」
酷く項垂れる橙頭。…そんなに絶壁の役に立てないのが悔しいんだろうか?
目が覚めてしまったのか隣に座る絶壁と橙頭。まぁ見張りは多いに越したことは無いんだが…
「良いのか、1人で行かせて?」
「大丈夫だろ、薪を拾ってくるくらい。」
俺の質問に対して能天気な返答を寄越す絶壁…いや、
「ここら辺の地形は新参者には解り難いと思うんだがな?」
「薪拾いだろ、10分もすれば帰ってくるさ。だろう、リケ?」
「えっ!? あ、あぁそうやね。」
余裕綽々な絶壁に対して何処か落ち着かない橙頭、それを見て何故か苛々する絶壁…
まぁそっちが良いって言うのなら俺はどうだって良いわけだが…
何もする事が無いので、ただぼんやりと炎の揺めきを見詰める。
しかし、10分程度経ったのに絶壁の言葉に反して緑頭の帰ってくる気配は無い。
「やっぱり迷ってるんじゃ無いか?」
「大丈夫だろ。」
俺の言葉に対し、先程と同じ返答をする絶壁。
「しかしだな、このままじゃ薪がくる前に焚き火が消える…と言うか夜が明けかねないんだが?」
この言葉を聞いて橙頭が立ち上がる。探しに行く気になったのか?
「なぁ、あれ何やろ?」
だが、橙頭の口から出たのはそんな科白だった。
彼の視線の先には有るのは、ボンヤリと揺らめく赤…
「夜明けか?」
違う、絶壁のその言葉には大きな間違いがある。
「あっちは南だ。」
揺らぐ橙
太陽は南からでも西からでも無く、東から登るものだ。
つまりあれは朝日なんかじゃない。何かが燃えているんだ。
それが何を意味するのか? 答えは簡単だ。
「夜襲だ。此方にも直ぐ来るぞ。」
簡潔に事態の急変を告げ、自分は手早く応戦の準備をする。
「で、でもルォヴがまだ帰ってへんのやけど…」
不安そうに橙頭が言うのを聞き流しながら、双眼鏡を覗き込む。が、レンズの向こうは躍り狂う赤一色だ。
夜明け前が一番油断し易いからな。しかし、あの様子じゃ前の班は既に全滅か…
問題なのは、
それが単なる油断によるものなのか…
イレギュラーによるものなのか…
双眼鏡の先を夜空に向けると、星と月を切り取った様に浮かぶ2つの影…残念ながら答えは後者か。面倒だな。
「敵は2体だ。いま一番肝心な事はここを死守する事だ。」
つまり緑御下げを探しに行く暇はない。
「せやけど…」
なんとも歯切れの悪い橙頭。しかし、そいつの答えを待つまでも無く敵が頭上へと現れる。
夜風を巻き上げ開いするは、闇夜に溶けてしまいそうな蒼色の火竜。リオレウスの亜種とは、また厄介だな。
「俺が隙を作るから、そのあと頭を叩き潰せ。」
そう言って陣形を取ろうとした瞬間、ある事に気が付いた。
「もう一匹は何処だ?」
頭上には星と月しかなく、竜の影は何処にも見当たらない。…何処だ?
俺が見付けるよりも早く、橙頭が叫んだ。
「もう一匹はあっちや!!」
彼の指差す先には、ゆっくりと舞い降りる火竜の影。
彼方は先程、緑御下げが向かった方向に程近く、その場所に火竜が降下する理由は1つしかない。
「ルォヴが見付かったか!!」
絶壁の言う通り、そうとしか考えられない。
3人と1人とでは勝率も生存率もまるで違う。1人ぐらいは彼方に回してやりたいが…目の前のリオソウルは既に戦闘体制。
此処から離脱するのはなかなか難しいだろう。第一、此処を抜かれる訳には行かないんだ。
手持ちの道具をフルに活用すれば、俺1人でも倒せない事は無いが…それは相手が闘いに応じた時だけだ。
相手には翼と空の王と言う2つながある。逃げに徹されると愚鈍な
ランス1人ではどうしようもない。
しかし、2人居れば事足りるか…
「リケ、アンタはルォヴの方へ行きな。」
そう言ったのは俺ではなく、絶壁だった。
「でもそんな事したら姐さんらが…」
それを聞いた瞬間、絶壁が橙頭の胸ぐらを掴んだ。
「黙ってさっさと行け。」
怒る褐色
「しかし、姐さんが…」
絶壁の言葉に食い下がる橙頭。まぁ当然か、緑御下げより絶壁の方が大切なんだろうしな。
しかし、その言葉を聞いて絶壁は怒りの表情を顕にする。何か気に触れたか? だが、
「そっちに行ったぞ!!」
今、そんな暇はない。
暴風の如く地を駆けるリオソウルが2人に迫っている。
絶壁は舌打ち混じりに橙頭をぶん投げ、大剣をリオソウルの鼻先目掛けて振り抜く。
しかし、振り抜かれた大剣の切っ先は蒼い鼻先を僅かに削ぎ落とし、地面を直撃した。
カウンターのつもりか知らないがタイミングが早すぎる。だいたい一撃程度で竜の突進が止まる訳がない。
そして、あの女はぶっ飛ばされる。俺はそう思った。
しかし実際は違った。
絶壁はその体をリオソウルの翼の下に捻り込ませ、蒼い足に強烈な一撃をお見舞いした。
バランスを崩し、呻き声と共に蒼い巨体が地を滑る。
それを確認すると、絶壁は橙頭を睨んだ。
「リケ、私は腑抜けが嫌いなんだよ!!」
突然の怒鳴り声に俺も橙頭も困惑する。
「特に、好きな相手に愛してるの一言も言えない様な奴は死ね!!」
其処まで聞いて橙頭はギクリと動くが、蚊帳の外である俺には何の事だかいまいち解らない。
「解ったらさっさと行け!!」
絶壁がそう言い切ると橙頭は無言で駆け出した。
よく解らないが、コレで此処を防衛する人間は2人になった。
「これでよし…悪いわね、勝手行かせちゃって。」
苦笑しながら謝罪をする絶壁。まぁ元よりその気だったので何ら問題は無いが…
「しかし、彼奴が好きなのはアンタじゃ無かったのか?」
そう訊ねた瞬間、絶壁が大きくため息を吐く。
「他人の好意が自分に向いてるかどうかは解るもんじゃない? 彼奴が好きなのはあの子なの。その証拠に一度も振り返らなかっただろ?」
あぁ確かに。言われてみればそうかもな…まぁ他人の色恋程どうでも良い事は無いがな。
それより今、気になるのは…
隣の女の息遣い、表情、そして立ち方…
「アンタ、さっきの一撃で怪我しただろ?」
「へぇ、そんな事は解るんだ?」
凄く驚いた顔をする絶壁。失礼だな。
「肝心な事は見逃さないさ。」
其処まで酷く無いようだが、それが致命的な隙になる可能性が否めない以上な。
「あっそ。でも私の事を他人のアンタが気にしなくて良いよ。」
強がっちゃってまぁ…
だいたいアンタに死なれると俺が困るんだ。
「仕方が無い、今回だけは特別だ。」
おんぶ
リオソウルが起き上がって此方を向く前に、絶壁の首根っこを掴み持ち上げる。
「な、何しやがる!?」
何か言っているが全て無視だ。手早く大剣を奪った後、有無を言わせずランスの代わりに絶壁をおんぶする。
「なな、な何の真似!?」
余程予想外だったのか声が引っくり返ってるな。
「簡単な事だ。アンタに死なれると俺が困るんだ。」「ハァッ!?」
ますます混乱する絶壁。しかし俺は嘘を吐いてはいない。新参者に大怪我なんてされるとメイド長にぶっ殺されるからな…
それに女性をおんぶすると言うのは役得だしな。背中に意識を集中すれば、其処には天国が…
カツン
背中からは虚しく金属音が響く…訂正、背中に有るのは絶壁だ。
にしても体温高いなこいつ。
「今回は大サービスだ。1000zにしといてやる。」
「…金取るのか?」
一気に冷静になったのか、そんな言葉が帰ってくる。
「冗談だ。ただ、死なれると困るのは本当だ。」
俺の明日が物理的に来なくなるからな。
「う…あ、ありがとう。」
「此方の都合だから気にするな。但し、ちゃんとしがみついとけよ?」
まぁ幾ら強く抱き付かれても背中の虚しさは変わらんか…
「わ、解った。」
了承を得た処で、絶壁の大剣は邪魔なので地面に突き刺しておく。
「さて…」
目の前には強そうなリオソウルが一体。対する俺は背中に重りを背負い、武器を構えたまま戦わなければならない。
「どうするかな?」
良い考えが思い浮かぶ前に、真っ赤な球体が此方に突っ込んでくる。…って
「うぉっ!?」
間一髪、サイドステップで火球の脇をすり抜ける。少し足が焦げたな。
しかし、やっぱり集中出来ないな。
「私が闘った方が良くないか?」
背中の荷物がそんな事を言う。いや、今のは本気じゃないから。だいたいアレが無いから…そうだ。
「悪いが俺の鞄から包みを取ってくれないか?」
「…これか?」
絶壁が俺の眼前に包みを吊るす。そう、それそれ。
「じゃあ中から一本出して火を付けて俺にくわえさせてくれ。」
「はいはい…って煙草かよ!!」
「それ以外の何に見える?」
「いや、煙草吸ってる場合か!?」
と言いつつも、火の着いた煙草を渡してくれる絶壁。なんだ、案外素直だな。
「悪いな、助かる。」
「良いけど、本当に大丈夫か?」
「あぁ、あとはお前が静かにしてくれればな。」
「なっ!?」
さて、会話は終わりだ。後はニコチンの残量と目の前の敵だけ見ていればいい。
玉
背中から何やら文句が聞こえるが、喫煙中の俺には一切聞こえない。うん、聞こえない。
視界には漂う紫煙と蒼い竜。俺は蒼い頭に向けてランスの先端をクルクル回す。
それを見たリオソウルは強烈に地を蹴り、此方に突っ込んで来た。
「来たぞ!!」
「黙ってろ。」
「お前なっ!?」
五月蝿いな、漸く集中してきた所なんだよ。
リオソウルの鼻っ面に突き出したランスをクルクルと回転させながら、サイドステップで身をかわすと共に後方へと引っ込める。すると…
リオソウルはそれに釣られ、突き立てていた大剣の刃に自ら突撃した。
血渋きを撒き散らしながら急停止する蒼い巨体…やはり煙草が入ってると気分も上々だな。
「…凄いわね、あんた。」
「お前の大剣がなまくらじゃなきゃ今ので片付いたんだがな…」
リオソウルの肩口は赤く裂けているが…致命傷と言うには程遠いな。
「一々失礼だな? なら早く止めを刺しに行けよ!!」
「アンタが重いから無理。」
「な゛っ!!」
実際今、何時も通り動くのは不可能だ。しかし、胸の割に本当に重いな。
兎に角、今の状態ではカウンターを狙う他有効な手段は無い…か。
立ち上がったリオソウルはかなりご立腹そうに此方を睨んだ後、烈風を巻き上げ夜空へ飛び上がった。…これなら打つ手があるな。
蒼い顎が真っ赤な炎を吐き出す前に、奴の影へと滑り込んだ。よし準備は出来たな。後は…
「俺の鞄から小さい玉を今すぐ投げてくれ!!」
可能な限り、切羽詰まった演技をしながらそう叫ぶ。すると…
「わ、わかった!」
絶壁が確認もせずに小さい玉をぶん投げる。実に素直で助かる。
「俺は体力が無くてな、早く蹴りを着けたいんだ。」
「…それがどうした?」
「いや、先に謝っておこうと思ってな。あと、目は瞑っとけよ。」
「え?」
絶壁が間抜けな声を発すると共に、先程投げさせた小さい玉が視界を白一色に埋め尽くした。
そうさっき投げさせたのは閃光玉だ。そしてリオソウル(と、序でに絶壁)の視力が奪われる。すると必然的に、バランスを崩したリオソウルが落下してくる。
無論、俺達の真上に。
『きゃぁぁぁあ!!』
ぼやけた視界に落下してくるリオソウルを捉えたのか、絶壁が女っぽい悲鳴をあげる。少し…
「黙れ…」
全身に巨体が墜ちてくる暴風を感じながら、ランスの切っ先で狙いを定める。
狙うは蒼い体に走る赤い亀裂…
「すぐにケリが着く。」
俺はボソリとそう呟いた。
愚痴
頭上に蒼い影が覆い被さると共に右腕に凄まじい衝撃が走る。しかし、角度と狙いは完璧…
赤く生温い液体が全身に飛び散り、聞くに耐えない断末魔が渓谷を埋め尽くす。
それが決着が付いた事を意味している。
穿ったランスは狙い通りリオソウルの胴体を串刺しにし、息の根を止めている。
うむ、完璧だな。
「今、死体の下敷きになってる事以外はな。」
絶壁に聞こえない様にそう愚痴る。
現状をさっくり説明すると…
物言わぬ屍となったリオソウル、血まみれの人間2人、固くて冷たい地面、でサンドイッチ状態になっている訳だ。
これで背中が絶壁じゃなきゃ桃源郷なんだがな…
「はぁ…」
思わず溜め息が漏れる。
「重いし、べちゃべちゃして気持ち悪い…と言うか早くどけ!!」
背中で絶壁が喚く。喚くが…
「それは無理だ。」
のし掛かっているのは人間の数十倍はある肉の塊だ。こんなオッサンが退けられる訳が無い。
「男だろ、頑張れよ!!」
「無理なもんは無理だ。橙頭が戻ってくるまで待つしか無い。」
「マジかよ…」
「マジだよ。」
だいたい元はと言えばお前が怪我なんか…いや、橙頭が単独行動を…じゃなくて緑御下げが…あぁ、めんどくさい。
たまに人に気を使うとコレだ。やっぱり適当に1人でやるんだったか…
愚痴愚痴とそんな事を考えていた時、東から眩い光が射し込んだ。
「朝か…」
「朝ね。」
あぁ…今朝の朝日は無駄に綺麗だな。
まぁ、たまにはこんな朝も良いか…
『姐さ~ん。』
『今戻りましたわ~。』
2人が帰って来たか。これでどうにかな…なんか地響きがするな?
「なぁ、私の目の錯覚かもしれないけどさ…」
「なんだ?」
要件は手短にしてもらいたいんだが。
「あの2人の背後、ピンクっぽくない?」
「何を馬鹿な、朝焼けだからオレンジか赤だろ…いや、ピンクだな。」
確かにピンクっぽい…と言うか正確には桜色。其処で橙と緑御下げが口を開いた。
『助けてくれへんかな!?』
『ですわ!!』
あぁ、つまりあいつらの後ろに居るのはリオハートか…って
「バカか!! 自分でどうにかしろ!!」
「そうだぞ!!」
『無理!!』
超が付くほど即答だな。
あぁ…やっぱり1人の方が良かったな。
過去を語るは仮面の道化(男の今昔)
この後、彼らはどうにか雌火竜を撃退いたしまして、無事に防衛の依頼を全ういたします。
その後、流れのハンターはここ『三番目』を拠点としまして、橙頭と緑御下げは籍を入れる訳ですが…どうでも良い話でございます。
さて、本筋に戻りまして…
これは数年前の話で有りましたが、ラウズ・ダギィのやっている事は今と大差ありません。
興味無さげで適当にやり過ごすつもりが、なんだかんだで厄介事に巻き込まれるのです。
当の本人はメイド長が怖いだとか、仕事だからだとか言ってはいますが…それらが無くても結果は同じでしょう。
彼は何処まで行ってもお人好しで、運の悪い善人なのです。
まぁ人は数年程度で変われる様な簡単な物じゃなく、数年前と今が大差無くても何ら不思議では有りません。
しかし数年前では無く、ずっと昔の事ならどうでしょう?
長い年月は海の藻屑の様な小魚を大海原を股に掛ける大魚へと成長させ…
荒野の苗を広大な樹海へと作り替える物であります。
善人から悪人、その逆もしかり…
彼はもう30年近く生きた、所謂オッサンと呼ばれるに相応しい中年であります。
それだけの時を生きたのであれば…
地を這う芋虫の様に役立たずな時期もあれば
熟す前の果実の様に青臭い時期もあった事でしょう。
と言うか有りました。
次は彼の少年期に付いてお話しましょう。
時は20年以上昔…
場所は場所は3つの街の内で一番新しく、龍達の襲撃で陥落して久しい、最果ての街『一番目』。
この街でラウズ・ダギィは生を受けました。
そして彼を根っからの善人に、人々を守るハンターにさせたのはこの街でのある出会いが切っ掛けなのです。
まぁ前置きはこの程度にして置きましょう。
最後に、1つ注意をば…
少年期とは誰もが懐かしみ、回顧する度に自然と笑いが漏れる物…なんて甘い物では決して御座いません。
少なくとも彼に取っては支えで有っても、決して笑って話せる物じゃ御座いません。
少々長い注意となりましたが、そろそろ始めましょう。
今からお話いたしますは最果ての街で生まれ育ったある少年のお話。
それは僻地故、常に龍による死と別れの恐怖に苛まれた少年期…
しかしこれは特別に不幸な話なんかじゃ御座いません。
この世界の何処にでもある、幸せと不幸のある平凡な人生の一幕に過ぎません。
では大変長く成りましたが、ある男が少年だった頃のお話…
始まり 始まり…
『一番目』の話
少年の産まれた街
ここは最果ての街、通称『一番目』…
数多のハンターと物好きな人間達によって造られた地図の一番端に記された街で御座います。
主な目的としましては地図に無い果てと未知の探索にございまして、富や名声を求める人間が日々集まってきておりました。
しかし、当然ながら集まって来るのは人間だけではない訳であります。
此処は通称『一番目』
地図の一番端に位置し、龍達の領土のど真ん中に人間の探求心と虚栄心によって造られた最果ての砦…
ラウズ・ダギィはこの街の道具屋の長男として生を受けました。
しかし母親は彼を産んで数ヶ月後に病死。その後、彼は父親の手によって育てられ片親ながらに何不自由無い幼年期を過します。
そして少年期…
彼は今からはとても想像がつかない様な純真無垢で、父親想いの少年へと成長していました。
しかし当時、彼の産まれた街は未だかつて無い危機を迎えておりました。
この地を開拓する際に蹴散らした古龍達が、その数を十倍以上に増やしこの地に再び帰って来たのであります。
と言う所から話を始めましょう。
天候は晴天、時刻はお昼を少し廻った所。
ダギィ少年は父に遣いを頼まれ、何時もの様に昼下がりの街を駆けていました。
遣いの内容は見回りの仕事をしていたハンター達に遅めの昼食を届ける事…
行く道は空腹を満たす為に闊歩する人々でごった返していました。
しかし、昼時に腹を空かせるのは何も人間に限った事では御座いません。
変わりまして場所は外門前…
少年はどうにか弁当を無くさずに人混みを潜り抜け、目的の外門の目と鼻の先までやって来ました。
弁当の入った篭から漂う誘惑に負ける前に遣いを完了すべく、少年は門に向かって駆け出しました。
その時、
雲1つ無い晴天の空に、すっぽりと少年を覆い隠す真っ黒な影が現れたのです。
瞬間
高く聳える外壁を易々と飛び越え、街の上空に現れたのは紫色の竜…
それの狙いが少年自身なのか、彼の持つ弁当なのかは定かではないが…その瞳に食糧として映っているのは間違いないだろう。
紫の怪鳥が銀色の鬣を靡かせ、垂直に落下する。
その嘴は容易く少年を、彼の悲鳴ごと飲み込むだろう。
しかし、怪鳥がその嘴を開いた瞬間に街に轟いたのは少年のか細い悲鳴ではなく、野太い男の雄叫びだった。
『ダラッシャァァアッ!!』
怪鳥の咆哮と男の怒号が少年の頭上で交錯する。
人体を容易く食い千切る紫色の嘴と巨大な鉄斧が火花を散らす。
その勝負の軍配は男ではなく、怪鳥に上がった。
豪快に男の体が吹き飛ぶ、しかし彼の放った一撃は怪鳥の嘴を少年から僅にずらす…
地面と平行にカッ飛ぶ男と突如巻き上がる土埃、そして悲鳴。
彼が自分の置かれた状況を理解するより早く土色の煙幕が紫に染まり、歪な獣声が少年の世界を支配した。
少年はまだ自分が置かれた状況を把握しきれない。
分かっているのは自分を守ろうとした屈強なハンターは人形の様に弾き飛ばされ、目の前に現れた紫色の化け物の黄色い瞳には、酷くちっぽけな自分の姿が映っていると言う事だけだった。
体はピクリとも動かず、頭のすぐ近くからガチガチ言う音が聞こえる。その音が自分の奥歯が震えによるものだと気付く前に、紫の嘴が上下に裂けた。
その時、少年は喰われるだとか、殺されるとか思ったのではなく、ただ自分がこのまま死ぬと言う結末だけを理解した。
間近に迫る死を理解した少年の膝は、彼を支えきれずにストンとその場に崩れ落ちた。
刹那、少年の頭上を旋風が突き抜けた。
次の瞬間、少年の目に映ったのは怪鳥の顔面に空いた小さな穴だった。
苦痛に満ちた怪鳥の悲鳴が辺りに響き渡る。それを見て更に困惑する少年にの肩を誰かが掴んだ。
『はい、さがってね。』
声の主を確認する前に、少年の体がフワリと浮いた。そのまま少年の視界が10メートル程後退する。
『私の後ろに居てね。』
そう言って金色の鎧と、弓を構えた女性が少年の前に現れた。
それを見て、少年は漸くさっきの"穴"が矢によってくり貫かれた物だと理解した。
しかし、今の少年にとってそんな事はどうでも良かった。
目の前に颯爽と現れた金色の狩人が少年の恐怖や絶望を全て拭い去ったのだから。
少年、ラウズ・ダギィがハンターに憧れたのは正にこの瞬間である。
憧れ
金色の狩人が構えた弓から次々と放たれた矢の群れは、容易に竜の鱗を蹴散らし瞬く間に紫の怪鳥体を赤く染め上げる。
それを合図に更に2人のハンターが怪鳥の前へと躍り出た。
二振りの短剣を構えた女が暴風の様に怪鳥の体を切り裂き、男は構えた槍の先端から炎塊を浴びせた。
先程まで少年を喰い殺そうとしていた化け物は、瞬く間に襤褸布の様な有り様となった。
しかし、それでも怪鳥は倒れず、尻尾で群がるハンター達を薙ぎ払い少年目掛けて駆け出した。
地を揺るがし紫の怪鳥が少年に迫る。途中、鉄斧を構えた男が再び飛び出したが、怪鳥は易々とそれを蹴散らした。
金色の狩人が雨霰に矢を放っても怪鳥の足は決して緩まない。
既に立ち上がる事が出来ない少年は迫る化け物を見て、悲鳴をあげるしかなかった。そんな少年の頭にポンッと狩人の手が置かれた。
『大丈夫、お姉さん強いからさ。』
そう言って金色の狩人はニコッと微笑んだ後、化け物の方を振り返った。
その笑みに、その後ろ姿に、少年はどうしようもなく憧れたのだ。
狩人は一本だけ矢を握ると、自ら怪鳥に向かって駆け出した。紫の嘴が狩人の細い首を喰い千切ろうと開いた瞬間、彼女の体が一気に沈んだ。
怪鳥の嘴が空を切った瞬間、黄色い瞳に矢を握った拳が叩き込まれた。
その後は正に一瞬、狩人はその一撃で怪鳥を地面に叩き付け、間髪入れずに至近距離からありったけの矢を穿った。
針山の様な姿になった怪鳥は首を僅に上げ小さく呻いた後、地に伏せ動かなくなった。
狩人は弓をしまうと少年の方に歩みよって来た。
『大丈夫だったかな?』
狩人の言葉に少年は答えられない。本当は沢山言いたい事があったのだが、それが言葉となって口から出てこなかった。
狩人はそんな少年を困った様に見た後、彼の持ち物に気が付いた。
『君、弁当を持ってきてくれたのかな?』
狩人の言葉に少年はコクンと頷く。
『皆、ご飯だよー!!』
狩人は弁当の入ったバスケットを受け取ると、3人のハンターの方へと歩いて行く。
何も言えずにショボくれる少年に再び狩人が振り返った。
『お弁当、ありがとうね。』
そう言って狩人はほんわりと微笑んだ。それを見た少年は、地面に座り込んだまま彼女達の後ろ姿を見送った。
戦う後ろ姿に憧れたのか、彼女の笑顔に見惚れたのかは少年には解らなかったが…
少年はこの日、生まれて初めてハンターになりたいと思ったのだ。
憧れと現状
少年は確かにハンターに憧れた。
しかし、夢や憧れと言う物は一握りの人間にとっては現状の延長線にあるものかもしれないが…その他大勢にとっては現状の対極にただあるだけの物だ。
無論これは少年だったラウズ・ダギィに取っても例外ではなかった。
父親は道具屋の店主であり、再婚する気配は無く息子は自分だけ…つまり少年はハンターには成らず道具屋を継ぐ事になる。
第一、自分から化け物に挑むなんて考えただけで震えが止まらない。
だから少年の未来はハンターではなく道具屋の店主であり、憧れは憧れのままとなる…筈だった。
運命は少年の考えうる限り最悪の形で、彼の憧れを実現させる。いや、実現しなくてはならない状況へと追い込む。
怪鳥の襲撃から数日後…
街の戦況は一向に良くならず、外壁を乗り越えてくる竜の数は日に日に増えていく。
竜達の襲撃を防ぎきるのが難しいと判断したギルドは、住民への被害を抑えるためある決断をする。それは街の住民達を此処『一番目』から『二番目』へと避難させる事。
『二番目』は3つの街の内で最も防衛機能が整っている為、避難するにはうってつけ。
しかし、このギルドの決断には重大な問題があった。
それは一番目の街の周りに古龍達がいる事、そして圧倒的に街の戦力が不足している事。
ギルドは街を捨てる気は毛頭なく、このまま防衛戦を続けるつもりである。
しかし今、街にいるハンターは防衛に必要な最低限の人数より僅に多い程度であり、避難する大量の住民に十分な護衛を付ける事が不可能な状態だった。
それでもギルドはこの決断をせざるをえなかった。
今は水際で防ぐ事が出来ているが、何時か防衛線が破綻するのは目に見えていた。
だからギルドは住民の避難を決行したのだ。
そして住民が避難をする日…
少年は街を守るハンター達に、あの狩人に最後の弁当を届けに行った。
金色の狩人は何時もの様に弁当を受け取ると、沈んだ顔をする少年の頭を優しく撫でた。
『大丈夫、この街は私達が守るからさ。』
狩人はそう言ってニコッと笑う。少年は無言で狩人の顔を見上げ、小さく息を吸い込んだ。
『またね、お姉さん!!』
少年がそう叫ぶと、
『うん、またね。』
狩人は優しくそう返した。
本当はもっと別に言いたい事が有ったのに少年が口に出来たのはそれだけだった。
でも少年は信じていた。
彼女が街を守ってくれる事を
また彼女に会える事を
動く砂丘
大量の人を乗せた荷車の群が、外門から次々と吐き出されていく。
門を出た荷車は皆、散り散りに街を離れていく。
避難する荷車達がバラバラに離れていくのには訳が有る。
野生の捕食される側の生物は基本的に群で移動する。それは自分が狙われる確率を下げる為であり、一匹が狙われている内に逃げる為である。
しかし、それは捕食者が捕食する事だけが目的であり、捕食される側のそれぞれが単体で逃げきれるだけの能力がある事が条件となる。
捕食者が龍達であり、捕食される側が人間である以上その前提が成り立つ訳がない。
一纏まりで移動すれば全滅させられる可能性が高い故に、ギルドはこの苦肉の策を取ったのだ。
その上、各荷車に付いた護衛のハンターの数は1人のみ…
実質、龍に遭遇したら諦めろ、と言う事である。
しかし、当時の少年はそんな事も知らず、無事に『二番目』に辿り着けると思っていた。
少年の荷車には彼の父とその並びに住む住民達、そして護衛にいつぞやの鉄斧を持ったハンターが乗っていた。
長い旅路は不気味な程順調、龍の影すら見る事なく『二番目』付近の砂漠地帯まで辿り着いた。
微かに見える外壁を見て人々は安堵の溜め息を漏らす。
砂の海を行く荷車の中、少年は初めて見る自分の街ではない街を興奮気味に眺めた。
しかし、少年に取っての楽しい旅路は此処で終着となる。
砂漠の中腹付近で護衛のハンターがある事に気付いた。
『砂山が動いた…!?』
ハンターがそれの意味を理解し警笛を鳴らすのと、砂山が正体を表すのはほぼ同時だった。
聞き慣れない警笛の音で少年が荷車の窓から顔を出すと、其処には一匹の竜とそれを牽制するハンターの姿が有った。
砂色の体表、鋭い爪と牙を有した竜は、明らかに護衛のハンターより強そうに見えた。
それでもハンターは怯む事なく竜に突撃を仕掛けて行く。少年はその姿に見入っていた。
『キャァァァァァア!!?』
不意に反対側の窓を覗いた女性が悲鳴を上げる。
少年が振り返ると其処に有ったのは風穴が空いた荷車の壁、そして砂色と赤の混じった竜の顔…
竜の顎が上下する度に何かが砕ける音と、小さな呻き声だけが車内に響いた。
その時味わった不気味な静寂を少年は一生忘れる事はないだろう。
次に竜が口を開いた瞬間、車内は阿鼻叫喚の地獄絵図と化す。
我先にと出口に殺到する人達、そんな中へと少年の体は後ろから強く押し込まれた。
逃がす
一刻も早く逃げなければ次に死ぬのは自分かもしれない。
そんな状況下で足手まといにしかならない子供を、優先的に逃がそうとするのはいったい誰か?
その答えは考えるまでもない。
『…父さん?』
少年が人混みの中から僅かに見たのは父の顔だった。
『先に逃げなさい』
少年の父はそうとだけ言うと少年を一気に車外へと押し出した。
車外に押し出され、砂海を転げた瞬間、車内を断末魔が埋め尽くした。
その声は見知った隣人であり、常連客の叔父さんであり…彼の父親の物であった。
少年が顔に付いた砂を払い見上げた車内は、真っ赤に塗り替えられていて中にい
るのは真っ赤な涎と太い糸屑の様な何かを垂らす竜の顔だけだった。
車外へ逃げ出せたのは少年と数人の大人達だけで、その何処にも父親の姿は無かった。
その意味を少年が理解しきる前に、
『嫌だぁ!!!』
大人の内の1人が悲鳴をあげ駆け出した。
少年には何故、彼が逃げ出したか理解出来なかった。だが、理解するのに必要な
時間はたったの数秒だ。
真っ先に叫び逃げ出した男は、未だ空腹の竜の目に止まる事となる。
そう、事はたったの数秒。
男の脚を赤い牙が抉り、そのまま宙に投げ上げ、一飲みにする。
簡単に言えばたったそれだけ。しかし、その僅か数秒の間に少年は一生分の悲鳴を聞く事になる。
たった数秒で砂漠の一角は恐慌状態になる。大人達は方々へ逃げだし、悲鳴の大きい順に竜の口へと消えて行く。
それを見た少年は理解した。
自分は今日、此処で死ぬんだ。
大人達と同じ様に…
道具屋の店主にも、ましてやハンターになる事も無く…
今、死ぬんだ。
少年は叫ぶ事も無く、ただ竜が此方に迫って来るのを見ていた。
そして、血と肉のカスで埋め尽くされた口が開こうとした…その時、場にそぐわ
ない高らかな音色が響いた。
竜は少年を食べるのを一時中断し、首を上げて音色の方を見る。少年も一緒にそ
ちらを見た。
音色の主は角笛片手に鉄斧でもう一匹の竜の相手をするハンターだった。
ハンターは暢気に此方を見る少年を見て叫んだ。
『今すぐ逃げろ!! 街まで走れ!!』
ハンターが叫んだ瞬間、竜の興味は少年からハンターへ映った。
ハンターが叫んだ言葉が如何に困難か、少年は理解していた。しかし、少年は解っていた。
あの二匹の竜を同時に相手にするのは不可能だと言う事を
そして
それを理解した上でハンターが角笛を吹き、叫んだ訳を
宿命
だから、少年は駆け出した。
彼方に見える外壁に向かって…
少年の足では到底辿り着ける筈のない街目指して…
それを確認したハンターは再び角笛を吹き鳴らした。挑発された二匹の竜は迷う事なくハンター目掛け地を蹴った。
駆ける少年の背に、ハンターの雄叫びと化け物の咆哮が追い縋る。それが彼の断末魔に変わり果ててしまう前に、少年はその場から逃げ出した。
決して振り返る事なく、何も聞くこともなく、蜃気楼の様に揺らぐ高い壁だけを見つめて…
…結果から述べると、『一番目』の街は壊滅した。
高い外壁の中に竜を含め生存者は独りとして居らず、言わば相討ち。しかし、生活を営む者が居なくなった街が甦る事はないのだ。
そしてそれは逃げた者達も同様、『二番目』に辿り着いた荷車は数えるほどしか居なかった。
その中には奇跡的にも砂漠に放り出された少年の姿も有った。
人々は少年が街に辿り着いた事を奇跡と言ったが…それは違う。
この日、少年のハンターに成りたいという憧れは、成さなければならない宿命へと決定付けられたのだ。
少年を救ったハンターはとても優秀なハンターだった。しかし、少年を助けたが為に彼は帰って来なかった。
何十何百の人間を救う筈だったハンターが、少年1人を救うためだけに命を散らしたのだ。
それは救われる筈だった何十何百の人間の未来を少年が奪ったのと同じなのだ。
これは大袈裟な言い方かも知れないが、少年はそう理解したのだ。
だから、少年はハンターに成らなければいけなくなったのだ。彼が救う筈だった人間達の未来を代わりに救う為に。
つまり…だ。
幼い少年が長い砂漠を独りで走破し街に辿り着き、生き残ったのは、決して奇跡や偶然なんかではなく…必然なのだ。
少年が砂漠の途中で無様に死ぬことなんて許されなかったのだ。
誰の命も助けずに、何人もの命に助けられた自分の命を無駄に散らす事が許される訳がなかったのだ。
少年は死ねないのだ。
少年に許されたのはハンターに成り、何十何百の人々を救う事だけなのだから…
この日、少年は独り空を見上げ誓ったのだ。
もうあの断末魔を聞かない事を…
もう決して逃げ出さない事を…
救える命を全て救う事を…
過去を語るは仮面の道化(過去から今へ)
この後、少年は青年へと成長し、幸か不幸か望み通りにハンターとなった訳でございます。が…
当時は今の様な強さも無く、呼吸する様に煙草も吸わず、暇さえあればイカサマまみれの博打三昧…なんて事も有りませんでした。
金持ちからの依頼だけを受ける事もせず、依頼人に大金を吹っ掛ける事もせず、目に付く依頼に片っ端に手を出す有り様。
序でに言いますと当時、彼が担いで居たのは頑強な突撃槍ではなく、俊敏かつ華麗に穿つ弓でありました。
戦い方も今の様に自身を囮にするのではなく、頭を使って論理的に戦う…が信条でありました。まぁ腕は全く伴っておりませんでしたが。
端的に言いまして実力の伴わない、頭でっかちな彼は当時の『二番目』では浮きがちで、常に独りで日々死にかけながら狩りをしていました。
そして当時の彼は、あの日見た狩人と自身を、理想と現実を比べては焦燥感を覚える毎日でした。
しかし、憧れの狩人に一歩でも近付くために日夜、弓の鍛練を行い、不器用ながらも依頼をこなしていました。
今からはとても想像が出来ない様な人間が、当時の彼でした。
そんな彼の今と昔の最も大きな違いを上げるのならば、嘗ての彼は理想に焦がれて居ましたが、今の彼は幻想にすがっていると言う事です。
更に言えば当時の彼にとって、弓とは憧れの象徴と言うに相応しい物だった訳ですが…今の彼の扱う武器はランスだけであります。
何故、彼は憧れである弓からランスに持ち変えたのか?
人の心は日々移ろう物…と言ってしまえばそれまでなのですが、これにもちゃんと理由があるのです。
人の人生とは出会いと別れの積み重ねでありまして、大小様々な出来事と共に人はその生を歩みます。
彼も例外ではなく、ある出会いが彼にランスを握らせ、駆け出しの役立たずから一端のハンターへと成長させたのです。
そしてそれが彼が堕落する理由の最たる引き金でもあった訳ですが…
…さて、私のお喋りはこの辺にしまして、そろそろ始めましょうか。
時は数年前、場所は最も堅牢な砦と謳われながらも今や化け物共の巣窟と化した街、通称『二番目』…
この街で過ごした時間こそが彼の人生の絶頂であり…奈落でもありました。
この街での出会いと闘いこそが今の彼を造り上げたのです。
では、まずは良い方の話から行きましょうか…
男の『二番目』での出会いと成長、そして人生の絶頂への話…
はじまり…はじまり…
『二番目』の話
鴨
ある日の夕刻…
ラウズ・ダギィ青年は何時もの様にボロボロの格好で、『二番目』の集会所へと帰って来た。
因みにその日の相手は大怪鳥イャンクック。最弱との呼び名高い相手を数度目の挑戦で漸く仕留めたところだった。
彼の頭の中には怪鳥の動きと、それに対する完璧な戦略が入っているのだが、それが実行出来た試しがない。
今日の怪鳥を倒せたのも幸運としか言いようが無かった。
夢見た理想とそれに追い付かない現実を比べては溜め息を吐く毎日…
夢も理想も有るが実力が伴わない、それが当時の彼だった。
だから怪鳥を討伐出来たその日は少しだけ上機嫌で集会所のドアを開いた。
ギィィッ
日夜屈強なハンター達を迎え入れる古びた扉は、軋みながら彼を迎えた。
夕食時となった集会所は腹を透かした狩人達でごった返し、カウンターに辿り着く事すら一苦労だ。
彼はそんな肉壁をどうにかすり抜け、カウンターで本日の成果の報告と、一番安い定食を頼んだ。
この街に逃げついたその後、砂漠に置き去りにした父親の遺品と財産だけはギルドが回収してくれたのだが…
今の狩りの腕では使いきるのは時間の問題だ。だから彼は毎日貧乏定食を食べている。
そして何時もの様に貧乏定食片手に空いた席を探している時だった。
集会所の片隅のテーブルに人だかり…と言うかテーブルを囲む様に人の壁が出来ていた。
因に、この街のハンターのもっぱらの娯楽は酒に煙草、それとギャンブルである。
そして中には新人を鴨にする悪どい連中が何人か存在する訳で…
その人壁を何と無くキナ臭く感じたラウズ青年は貧乏定食をカウンターに置いたまま、人壁の中へ身を捩じ込んだ。
人壁の中では、想像通りの光景が繰り広げられていた。
テーブルには2人のハンターが居たが、その有り様は酷く対照的。
女ハンターの前には虚しく萎みきった財布…
反対に、ふんぞりかえっている男のハンターの前には女ハンターから奪い取ったであろう金が無造作に積み上げられていた。
あぁ鴨られてるな…
と彼はそう思った。
女ハンターの顔はヘルムで見えないが、その姿はあまりにも見覚えがない…恐らく新参者だろう。
そして男の方はここの古株で、何も知らない新参者からイカサマで金を巻き上げる所謂ゲス野郎である。
困っている人を助けるのが当時の彼の決まり事。だから迷わず女ハンターの肩を叩いてこう言った。
『やぁ姉さん、久しぶり。』
葱
『姉さんだぁ?』
男のハンターが訝しげな表情でラウズを見た。
無論、女ハンターはラウズの姉でも無ければ血縁者でもない。当の女ハンター本人も不思議そうな顔でラウズを見上げている。
『貴方、何言っ…』
『あぁもう姉さん、下手な癖にギャンブルに手を出して…ほら、代わって代わって。』
『ちょ、ちょっと…』
余計な事を言う前に即行で女ハンターを立たせ、代わりにテーブルに着いた。
『お前が相手してくれんのかぁ、青二才?』
男ハンターが厭らしい笑みを浮かべながらラウズを見た。ラウズは一瞬だけ歯軋りをして、またニヤケ顔に戻った。
『あぁそうさ。今のところ僕が少し負け越してるしね。序でに姉さんの仇を討とう思ってさ。』
因にラウズはたまに集会所の輩と賭けをするが、勝率はだいたい五分五分である。それはこの男に対しても同様だ。
『別に俺は誰が相手でも構わねぇがな…そちらさんが幾ら負けたか解ってんのか?』
男の言う通り、テーブルの上は正に天国と地獄と言うに相応しい状況…しかし、ラウズは密かに笑いを噛み殺す。
『僕は良いよ。まぁそっちが嫌なら逃げても良いけど。』
ラウズは挑発的なその言葉は、男に取っては効果覿面だった。
『良いだろう青二才が…ゲームはブラックジャック五回勝負、賭け金は…』
『姉さんの負け分、二倍でどうかな?』
嫌なら逃げても良いよ? と付け足すと
『良い度胸だ糞餓鬼が!!』
男は二つ返事で勝負を受けた。
『あ、カードはメイドさんに配らせてね。イカサマされたら敵わないから。』
『イカサマぁ!?』
ラウズの言葉に女ハンターが過敏に反応する。が、
『イカサマは気付かない方が悪いんだよ。』
『青二才の癖に解ってんじゃないか。』
ラウズと男の台詞に丸め込まれた。
『そう、気付かない方が悪いのさ。』
ラウズは小さくに呟いた。
テーブルではメイドさんが黙々とゲームの準備を始めている。その時、女ハンターがラウズの袖を引っ張った。
『…えぇっと、ラウズ君?』
『君なんか付けないでよ。で、何かな姉さん?』
『助けてくれるのは嬉しいんだけど…勝てるの?』
『姉さん、今日の僕は大怪鳥に勝てる程調子が良いんだよ?』
ラウズがそう言った瞬間、テーブルを囲む男達が一斉に笑い出した。
『本当に大丈夫なの?』
凄く不安そうに女ハンターが訊ねてくる。
『大丈夫だよ、それに…』
『それに?』
『たまにはストレスの発散をしないとね。』
ブラックジャック
ブラックジャック五回勝負…結果から言うとラウズ青年の圧勝だった。しかも五回連続、スペードのAとJのブラックジャック。
こんな事は有り得る訳が無いし、相手のハンターも当然納得する訳が無かった。
『イカサマだぁ!!』
役無しの手札をクシャクシャにしながら男が怒声を発した。それを見たラウズは悪びれる様子もなくニヤリと笑う。
『あぁ、イカサマだとも…で、それが何か?』
『ざけやがってぇ!!』
男はラウズの胸元を掴んで一気に持ち上げるが、ラウズは男に冷たい視線を投げ掛ける。
『イカサマは騙される方が悪いんだろ?』
ラウズがクスリと笑った瞬間、男の額にくっきりと青筋が浮き上がった。間違い無く穏便に済みそうも無い。
『青二才がぁ!!!』
男が怒鳴るのを他人事の様に聞き流しながら、ラウズは受け身の体勢をとる。
(どう考えても悪いのは男の方だし、ギルド勤めのメイドさんと言う素晴らしい証人が居る訳で…一発殴らせた後にギルドの人にしょっぴいて貰えば良いや)
なんて暢気な事をラウズ本人は思って居たが、男の腕を誰かが掴んだ。
『暴力はダメよ…ね?』
男の腕を掴んだのは女ハンターだった。本人は男の腕を掴んで威圧している様だが、そんな細腕じゃ…
と思っていたラウズの体が、スッと床に下ろされた。
それを確認すると女ハンターは手を離した。呻きながら踞るハンター、見ると男の腕にはクッキリと手形が付いていた。
『…マジかよ?』
一同が困惑する中、女ハンターだけがテーブルの金をせっせと集めていく…
『ほら、あと半分、早く払ってくれる?』
確かにテーブルの上の金では半分程足りないが…この女性は鬼か何かなのだろうか?
『…ねぇよ』
『ん? 聞こえないよ?』
『だからもうねぇんだよ…』
観念した様に男が言った途端、女ハンターの目がギラリと光ったのをラウズは見逃さなかった。
『まぁ姉さん、許してあげよ、ね!』
『え、ちょっと!?』
ラウズが無理やり女ハンターの背を押してその場を離れると、大きなため息が集会所に木霊した。
ラウズは集会所の端に行くべく、グングンと女ハンターの背を押すが、
『もう良いよ。えーっと…』
『ラウズ、ラウズ・ダギィだよ、危ないお姉さん。』
ラウズは若干草臥れた様子で空いているテーブルに腰掛けると、女ハンターはその対面に腰掛けた。
『うん、助かったよラウ。ありがとう』
席に着いた彼女が始めに放ったのはそんな言葉だった。
過ぎる夜
『…いきなりフレンドリーな呼び方をするね?』
あるいみ意表を突かれたラウズが苦笑い気味に言う。
『だって私は姉さんなんでしょ?』
『いや、その嘘はあいつらもとっくに気付いてると思うよ。だいたいラウって…』
『ラウって呼ばれるの…嫌?』
『嫌じゃ無いけど…』
心臓に悪い…とラウズは思ったが、口には出さないでおいた。
『じゃラウで決まりね。』
満足気に言う女ハンターだが…女性らしい可愛い声と厳ついヘルムと言いギャップに、ラウズは少し目眩を覚えた。
『ところで、お姉さんの名前は? あと今から晩御飯を食べる身としてはその厳ついヘルムを外して欲しいんだけど。』
『あぁ、ごめんね。今はずすから…』
そう言って女ハンターは厳めしいヘルムを脱ぎ去り、頭を軽く振るった。
セミロングの朱色の髪が肩に掛かる瞬間、むさ苦しい集会所に爽やかな風が吹いた…と周りのハンター達は語る。
『私の名前はテディ・ディ。呼び方はテディでもディでも…なんならお姉さんでも良いわよ?』
そう言って青い瞳で微笑む彼女の肌は雪の様に白く、朱い髪がよく映える透き通った色だった。
『…聞いてるの、ラウ?』
暫し彼女に見惚れていたラウズはその言葉で我に帰った。
『姉さんは遠慮しとくよ。よろしくディさん』
『呼び捨てで良いよ』
『じゃあ…よろしく、ディ』
『よろしく、ラウ』
そう言う彼女は嫌に嬉しそうに見えた。
『ところで夕食は食べた?』
その言葉でラウズは置きっぱなしの貧乏定食の事を思い出した。
『…まだだよね?』
しかし、彼女のその言葉と表情で貧乏定食の存在は抹消された。
(まぁ…もう冷めてるだろうし、メイドさんが片付けちゃってるだろうな。)
『まだだよ。』
『なら私が奢るよ、さっきのお礼に』
『え、それは…』
『メイドさーん!』
ラウズが口を挟む間も無く、二人分の夕食を注文するテディ。
『そんなつもりじゃなかったんだけどな?』
『良いの良いの、受けた恩は返せる内に返さないとさ』
彼女はニコニコしながらそう答えた。
(貸しを作ったままの方が話す口実になったんだけど…まぁ仕方無いか。元より人助けは無償で行うものだしね)
そんな事を考えながら彼は溜め息を吐いた。
『…さっきのイカサマ、どうやったの?』
『企業秘密』
『えーっ、教えてよ』
『ディが僕に勝ったら教えても良いよ?』
『ケチ』
そんな会話をしながら、初めて出会った夜は過ぎて行った。
陰鬱な朝
次の朝、目を覚ましたラウズの気持ちは酷く陰鬱な物だった。
昨日出会った女性、テディ・ディは彼にとってとても魅力的な異性だった。仮に同性だったとしても是非友好を持ちたいと思える程に素敵な人間だった。
少なくともラウズはそう思った。
…しかし、昨日のあれは微睡みの狭間に見た夢の様な物だ。
偶々あんな状況だったから彼にも出番があった物が、逆を言えばあんな状況で無ければ彼に出番は無かったのだ。
彼と彼女との接点と言えば互いがハンターである事ぐらいしかない。しかもこの街には彼より腕の立つハンターが掃いて捨てる程いるのだ。
ハンターとしては未熟過ぎる彼に彼女が声を掛けてくれる可能性はきっと0だ。
部屋の扉を開ける寸前まで彼はそう思っていた。
沈んだ気持ちのまま扉を開けると、朝日よりも明るい朱が彼の目に飛び込んできた。
『おはよう、ラウ。お寝坊さんだね?』
『お、おはよう。』
ラウズは彼女の言葉をおうむ返しにする。
(いや、確かに今日はちょっと寝過ぎたけど…え、なんで今ディが…え?)
彼は今の状況が全く理解出来ずに混乱している。
『ねぇ、ラウ?』
『はい何でしょうか?』
混乱するラウズは変な口調で返事をする。
『もし暇ならで良いんだけどさ、街を案内してくれないかな?』
『はい、全然構いませんども』
彼が冷静さを取り戻した時、彼は彼女と一緒に街の往来を歩いていた。
『えっ!?』
『どうしたのラウ?』
冷静さを取り戻したが、結局現状が理解出来ずに奇声を発するラウズを不思議そうな顔でディが見詰める。
とりあえず現在一番の疑問点を聞く事にする。
『ディは何で僕に案内を頼んだのかな?』
『私は昨日この街に来たばかりだし、それに…』
『それに?』
『昨日ちょっと暴れたじゃない? そのせいで避けられてるみたいでさ。』
ディは言いながら苦笑いをする。
彼女の"暴れた"と言うのは昨日、男ハンターの籠手を変形させた事だろう。
確かに客観的にそんな状況を見れば近寄ろうとは思わないだろう。
『だから昨日助けてくれた心優しきラウ君に案内して貰おうって訳』
『なるほど』
大変解り易く、納得のいく理由であったが…彼女程の美人であれば危険を冒してでも声を掛ける輩が居そうな物だが…
『まずは工房に案内して欲しいかな。』
『御安い御用で。じゃあ次の十字路を右に…』
考えても解る訳が無いので、ラウズは街の案内に専念する事にした。
訳あり工房
此処『二番目』の街は陸の孤島とも言える『一番目』と、未知に対する盾の役割を担う『三番目』を繋ぐ中継点としての役割を持っている。
この『二番目』が陥落すれば『一番目』に物資の補給が無くなり、『三番目』への未知に対する情報の伝達が非常に困難となる。
なので『二番目』の街は他2つの街より格段に高度な防衛機能を誇っている。
『一番目』が陥落した現在ではどうにかして街の奪回を謀るのと同時に、街の防衛設備の増加も続けられている。
そして今、ラウズとディが向かっている工房の主と言うのがその防衛設備の開発・設置に深く関わっている人間である。
『へぇ~、凄い人みたいね?』
『凄い人だよ…色んな意味でね』
死んだ魚の様な瞳で答えるラウズ。
『何か問題でもあるの?』
『問題…まぁ会えば解るよ』
『変なの』
ラウズは今朝以上に沈んだ顔のまま案内を続けた。
歩く事十数分…
街道にデカデカと掲げられた『工房』と書かれた看板が2人を出迎えた。
『うわぁ…大きな看板だね。凄く料金が高かったりしないよね?』
『その点は大丈夫、料金は格安だし加工の腕もピカ一だよ…』
『凄いじゃない』
その言葉を聞いて爛々と目を輝かせるディとは対照的に、死んだ魚の様な目をするラウズ。
『どうしたの?』
『実はさ…ここの店主が苦手なんだよね』
デカい看板を見上げながデカい溜め息を吐くラウズ。そして意を決した様にディの顔を見た。
『ディ!!』
『何かな?』
意を決したラウズだったが、その言葉を言うのが余りに遅すぎた。
『僕は外で待ってるから1人で言ってきてくれな…』
バタンッ
彼の言葉を遮って勢い良く扉が開かれた。そして工房の中からゴーグルをした、油まみれの服を着た中性的な体つきの人物が現れた。
『話し声がすると思ったら、ラウズじゃないかね』
工房から出てきた人物がそう言った瞬間、ラウズは素早く工房から距離をとった。
『久しぶりルルメさん。今日は此方の彼女が工房に用があるとの事で案内した次第です。では自分はコレで!!』
矢継ぎ早にそう言い放ち逃げ去ろうとしたラウズの肩を、油臭い腕がガッチリと掴んだ。
『ラウズ君、そう連れない事を言う物じゃないと思うがね。君が案内したんであらば最後まで面倒を見たまへ』
そう言いながらも油臭い腕は、肩から腰へと移動していた。
『…解りました』
ラウズは観念したのだろう、青ざめた顔でぼそりとそう答えた。
ルルメ・ジェント
ルルメは工房の居間に2人を案内すると、
『お茶を用意してくるから寛いでいたまへ』
との言葉を残し奥の部屋へと消えていった。それを確認した後、ラウズは椅子の上に崩れ落ちた。
『ア゙ァァァアァ…逃げ損なったぁ…』
周りだけ照明が無いかの様に、異常なまでに落ち込むラウズ。
『どうしてそんなに凹むのかな? 私には結構綺麗な人に見えたけどな。それにラウズに好意があるみたいだし』
ディがニヤニヤ顔でラウズを眺めと、長く歯切れの悪い溜め息が居間に響き渡った。
『ディ、君は何も解ってないね』
『…どう言う事?』
『ハァ…今からルルメに付いて解り易く説明してあげるよ』
テーブルの上に顎を乗せたままラウズは語りだした。
街一番の工房の店主、本名ルルメ・ジェント。
誰に対しても少々偉そうに振る舞うが性格自体は至って真面目。
鍛冶や加工の技術は非常に高く若くして工房を構えるが、利益や出世に興味がなく格安で仕事を請けるため客は日々増加している。
更にその頭脳と財力を使って『二番目』の防衛設備強化に無償で協力している。
『…凄く良い人じゃない。ラウ君は何が不満なのかな?』
『ディ、此処からが本番なんだよ』
益々ニヤニヤするディを見て、ラウズは死人の様な顔で話を続ける。
ここまでだとパーフェクトに善人であるルルメ・ジェントだが、誰にでも欠点が有るように彼にも致命的な欠点がある。それは…
『あの人は小さな男の子が好きなんだよ。所謂ショタコンって奴なのさ。工房の人間は全員童顔だし』
『なるほど』
それを聞いたディが凄く納得した様子で手を叩き、ラウズの顔をマジマジと見てニヤリと笑った。
『ラウ君は童顔だもんねぇ』
『そうなんだよ、未だに髭も生えないしね』
それを聞いたラウズは1人黄昏る。
『でも別に良くない? 綺麗だし、お金持ちだし…ラウ君ってば逆玉だね』
ディがそう言った瞬間、ラウズの顔が引きつった。
『あの人、性別不詳なんだよ…』
『へぇ…男なの!?』
『男かも知れないし女かも知れない…』
言いながらラウズの顔がずんずんと沈んでいく。
『でもさラウ君…二分の一って結構高い確率だと思うよ?』
『冗談でもやめてくれないかな。その賭けは余りにリスキーだし、僕は根本的にあの人が苦手なんだよ』
『良い賭けだと思うけどなぁ…』
『単に君が楽しみたいだけだよね?』
『あ、バレた?』
クスクス笑うディを見てラウズは苦笑いをした。
何時でも
『お茶を持ってきた訳だが…お邪魔だったかね?』
何時戻ってきたのか、居間の入り口にお茶を持ったルルメが立っていた。
『いえ、そんな事はありません!!』
それを見たラウズが慌てて姿勢を正すのをディはニヤニヤしながら眺めていた。
ラウズは先程の話が何処まで聞かれたのかが不安で仕方なかったが、ルルメは何事も無かったかの様にテーブルの上にお茶とお菓子を並べ椅子に腰掛けた。
『で、そちらの方は今日はどう言ったご用件かね?』
カップに入った茶を飲みながらルルメが言うと、ディは大きな包みを取り出した。
『コレの修復をお願いしたいんですが出来ますかしら? 材料も此方に…』
そう言ってディが包みを開くと中からは大量の鉱石と、酷く風化した棒っぽい物が出てきた。
『ほう…これは素晴らしい』
『これは…何?』
ルルメは魅力された様にその棒に見入っていたが、ラウズにはただのガラクタにしか見えなかった。
『これは君がお目にかかるには10年早いお宝だよ…しかし、強いて言うなら過去からの贈り物と言う奴かね』
そう言いながらもルルメは恍惚の笑みを浮かべ、完璧に自分の世界に入っていた。
『で…受けて貰えるのかしら?』
『あぁ勿論…こんなお宝を前にして依頼を受けない鍛冶屋は存在しないね』
『では値段の方は…』
『お宝を持って来てくれた相手から金を取ったら罰が下るという物だよ。無料でお受けするよ』
『それはどうも有り難う』
ディが礼を告げた途端、ルルメは風化した棒を持って立ち上がった。
『さて今から私は仕事に掛かるから帰ってくれるかね?』
そして早く棒を弄りたくて堪らない、と言った様子でそう言い放った。
『いきなりなのね?』
『何時もの事だよ。じゃ頼むよルルメさん』
『君に言われるまでもないがね』
そう言ってラウズとディも席を立った。
『明日の朝には出来上がっているから取りに来たまへ。あとラウズ…』
工房を後にしようとしたラウズの肩をルルメがむんずと掴んだ。
『な、何でしょうかルルメさん?』
『私の秘密が知りたいなら夜に工房の扉を叩くといいさ。君なら何時でも相手をしてあげるよ』
嫌に妖艶な顔と口調でそう言われた瞬間、ラウズは全身に鳥肌を立てながらその場から走り去った。
『何時でも好きな時にきたまへよ』
ルルメは最後にそう言うと、工房の扉を閉めた。
今日という1日
街道の隅、真っ青な顔で呼吸を整えるラウズとそれを見てお腹を抱えて笑うディ。
『すっ…ごく面白い人ね、あのルルメって人!!』
必死に笑いを堪えながらディが発した言葉がそれだった。
『…それはどう言う意味かな?』
『色んな意味で、よ』
『そうですか』
『はい、そうです』
そんな不毛な会話をしながら2人はブラブラと街を散策し続ける。
『これからは絶対夜に工房に行かないようにしないと…』
『ねぇラウ、今晩工房に遊びに行かないかな?』
『断じて御断りします!!』
『えぇ、ツマンナイなぁ』
と言いつつも、ディは終始クスクスと笑い続けていた。ラウズはそんな彼女を見て小さく溜め息を吐いた。
そして夕刻…
適当に夕食を済ませ2人はそれぞれの部屋へと戻っていく。
『じゃあね、ラウ』
『じゃあね、ディ』
その言葉のやり取りで、ラウズは少し寂しい気分になった。
『また明日ね』
しかし、そう言って笑う彼女をラウズはとても安心した気持ちになった。
『あぁ!! また明日!!』
そう言って2人は各々の部屋へと戻って行った。
その日は彼にとって忘れられない1日となった。
当時の彼は、砂漠から逃げ延びてから常に独りだった。
眠る時も、ご飯を食べる時も、狩りに行く時でさえ彼は独りだった。
誰かと組んで狩りに行く事は有っても彼は独りだった。
あの襲撃の生き残りと言うだけで扱いに困る。その上、彼は愚直な程に正義感が強くどうにもならない石頭で役立たずと来たもんだ。
正直な話、意地汚いハンターが多い『二番目』で彼は嫌われ者とまではいかないが酷く浮いた存在だった。
そんな中、彼は今まで独りで生きてきた。精神を磨り減らし、あの日見た理想にすがりながら…
そんな彼に今日、あの日別れた父以来であろう、彼女が与えた物は形容し難い程に大きく、かけがえの無い物だったのだろう。
ゆっくりと摩耗していくだったラウズ・ダギィと言う人間はこの日再び動き出したのだ。
この出会いが良い意味でも悪い意味でも、今の彼を作る大きな切っ掛けとなる。
人の人生は出逢いと別れであり、この出逢いにも何時か別れがる。
この出逢いが彼を理想へと近付け…この別れが彼の積み上げた全てを崩す現況となる。
しかし、当時の彼がそんな事を知る訳もない。
ただ、今日と言う夢の様な1日に確信が持てないまま、彼の意識は微睡みへと溶けていった。
嫌な予感
久方ぶりの他人との触れ合いは、ラウズ青年に久々に愉快な夢を魅せた。しかし、今の彼にそれは必要の無いことだ。
ベッドに潜って目を閉じずとも、その代わりに部屋の扉を開けば愉快な現実が待っているのだから。
『おはよう、ラウ』
扉を開くと昨日と同じ様にディが彼を待っていた。しかし、その格好は昨日と大きく違っていた。
『おはようディ…で、その格好は?』
ラウズが指摘した通り、今朝の彼女は昨日の様な私服姿ではなく、初めて会った時と同じ鎧姿だった。
『昨日頼んだ物の試し切り…いや、試し突きをしようと思ってさ』
そう言う彼女は端から見て解る程にウキウキしていた。昨日渡した物を受け取るのがよっぽど楽しみらしい。
『ほら、早くディも支度してして!』
そう言ってディはラウズを急かす。既に試し突きの面子に彼もカウントされているらしい。
『別に付いていくのは良いんだけど…朝御飯は?』
『そんなのあとあと!』
彼の意見はウキウキな彼女の前に即刻却下された。
ラウズは彼女に振り回されていると感じながらも、この状況を少し楽しいと感じていた。
『まぁ…朝御飯くらいはルルメが出してくれるかなぁ』
そんな事を考えながら、彼はチャッチャッと狩りの支度を済ませた。
『御待たせ』
『遅いよラウ君! ほら早く早く~』
彼女にグイグイと背中を押されながら彼はルルメの待つ工房へと向かった。
『おはよう、朝御飯は食べたかね?』
ルルメが開口一番に言ったのはそんな言葉だった。
『いえ』
『まだです』
『じゃあ食べていきたまへ』
そう言ってルルメは奥へと引っ込んで行った。
『…』
『ラウ君、どうかしたのかな?』
ルルメの言葉を聞いて奇妙な表情になっているラウズを見て、ディが声を掛ける。
『いや、ちょっとね』
今朝適当にぼやいた事が実際に起こった事と、その相手がルルメだった事が何と無く彼に嫌な予感を感じさせた。
具体的に言うと後から凄い面倒な事を押し付けられそうな、そんな予感。
『? 変なラウ』
だが、当然ディにそんな事が解る筈もなくただ首を傾げるだけだった。
そして数分後…
『御待たせしたね、君らの舌に合うかどうかは知らんが、食べていってくれたまへ』
そう言ってテーブルの上に並べられた朝飯は、朝飯とは思えない程に恐ろしく豪華で、ラウズが毎晩食べている貧乏定食の数千倍は豪華な物だった。
それがラウズの嫌な予感を更に加速させる。
ヤバい予感
『ささ、遠慮せずに食べたまへ』
何処と無く妖しい笑みを浮かべながら、テーブルに並んだ豪華絢爛な朝食を勧めてくるルルメ。
『いただきまぁす』
悩むラウズの隣で元気良く手を合わせるディ。それを見てラウズは諦めが付いた。
何か嫌な予感がするがディを置いて逃げる訳にはいかないし、目の前の食事を食べようが食べまいが結果は同じだろうと判断した。
『頂きます』
なので手を合わせ、食べれるだけ胃袋に詰め込む事にした。
瞬く間に皿を綺麗にしていく2人をルルメは愉しげに眺めていた。
そして数分後…
テーブルの上に有ったご馳走達はスッカリ2人の胃袋に収まり、大量の皿を残すだけとなった。
『あ~…ごちそうさまでしたぁ』
『(あぁ…全部食べちまった)ごちそう…さまでした』
満足げな表情と冷や汗ダラダラな顔で2人は手を合わせた。
『さて…綺麗に平らげたね?』
ルルメのその笑みと一言でラウズの背筋にゾクリと寒気が走る。
『では私の仕事の腕を見てもらうとするかね』
ルルメがそう言うと奥の部屋から男のハンターが一本の槍を持ってきた。
彼が持っている槍は昨日のガラクタからは想像も付かない姿となっていた。
薄い金色の塔を模したその槍はシンプルな造りながらも、異様な魅力を放っていた。ガンナーであるラウズですらそれを手にしたいと思う程に…
『素晴らしい出来ですねルルメさん』
ディはご満悦な表情でそれを受けとると、刃の部分を展開させてみせた。
金属の摩れ合う独特な音を響かせながら飛び出した刃は、天を貫くかの様な錯覚を覚えさせた。
『最高の出来です。ありがとうルルメさん』
ディは満面の笑みでルルメにそう言った。それはお世辞なんかではなく彼女の本心から出た事が容易に見てとれた。
『そう言ってもらえると私も幸せと言うものだよ。』
そう言いつつも、ルルメはまだ何か言いたげだった。
『どうかなさいましたか?』
それを見たディが尋ねるとルルメは小さくため息を吐いた。
『昨日ああ言った手前、少し言い辛いんだがね…』
『お金ですか? それなら是非払わせてく…』
『いや、違うのだよ。料金はタダで構わないんだが…1つ頼まれてくれないかな?』
それを聞いた瞬間、ラウズは嫌な予感の正体がコレだと確信した。彼女がこの事に対してYESと言う前に止めなくては…
『なんでもお請け致しますわ』
彼女が満面の笑みで答えた瞬間、ラウズはガックリと膝をついた。
頼み事
ガックリと膝をついたラウズをチラリと横目で見た後、ルルメは口を開いた。
『何、頼みと言っても実に簡単でね、そこのラウズに一晩相手をして欲しいんだがね…』
その言葉を聞いたラウズの顔が真っ青になるのを確認して、ルルメはニヤリと笑う。
『と言うのは冗談だがね、頼みと言うのはコイツを暫く狩に連れていって欲しいのだよ』
そう言ってルルメは先程ランスを持ってきたハンターを、安堵の溜め息を漏らすラウズとニヤニヤするディの前に出させた。
『さ、2人に自己紹介したまへ』
ルルメが背中をつつくと男は慌てて会釈した。
『自分はバイエ・ゴードと言います!!』
勢い良く頭を下げるバイエにつられて2人もお辞儀を返す。
バイエは短い黒髪で非常に整った顔立ちをしていたが…
『失礼だけど…何歳?』
『自分は24歳です』
『え…同い年?』
かなり幼い顔立ちをしていた。
『ラウ君以上の童顔…やっぱり私が一番年上だったんだぁ…』
『いや、前半の言葉は僕に対しても彼に対しても失礼だから』
そんな他愛無い会話をする2人を見て、ルルメが聞こえる様に咳払いをした。
『本題に戻らせて貰って構わんかね?』
『はい、申し訳ありません』
『私は暇人でね、仕事以外でも武器やらの作成をしてるんだが…材料がたりなくてね。買うと余りにも割高だから専属のハンターが欲しくてね』
『で、彼にハンターのノウハウを教えて欲しい、と言う訳ですか?』
『その通り』
『でも…何故私達に?』
ディが当然の疑問を投げ掛けると、ルルメは彼女に渡したランスを指差した。
『そのランスは並のハンターが手に入れるのは不可能だからだよ。それとラウズはハンターとしての腕はいまいちだが、人柄はよく理解しているつもりなのでね。そんな2人がタイミングよく現れたのは何かのお示しだと思ってね』
そう言ってルルメは上機嫌に笑うが、話を聞いたディは黙ってルルメとバイエの顔を見ている。
『そんなに難しい顔をしないでくれたまへ。それにどうしても足手纏いだと感じたなら返品してくれていいし、その間中装備の整備をタダでしてあげようと思うが…いかがかね?』
ルルメがそう言った瞬間、ディががっちりとルルメの手を掴んだ。
『喜んでお受けしますわ!!』
『…意外と現実的なんだね?』
『何か言ったかな、ラウ君?』
『いえ、なにも』
兎も角、此から暫くは3人で行動する事が決定された。
『それじゃあ宜しく頼むがね』
腕試し
そして三名は互いのハンターとしての腕前を確認すべく、街の外の砂漠へとやって来ていた。
標的は砂竜から剥ぎ取れる珍味『魚竜のキモ』。
これは砂漠の街の裏名物であり、常に定価よりやや高い値段で売買する事が出来る。
更に砂竜ガレオスは砂漠に大量に生息しており、強さはそこそこだが、名の通り砂の海を自在に泳げるという厄介な特技を持っている。
なのでちょっとした腕前を見るには丁度良い相手なのだ。
『じゃあ2人とも頑張ってね』
そう言ってにこりと笑い、日陰から手を振るディ。
『ディは行かないのかい?』
『私が出たら腕試しにならないじゃない? 大丈夫、危なくなったら助けてあげるよ』
ディはクーラードリンクをチビチビ飲みながらも、一切日陰から出てくる気配がない。
『まぁ砂竜くらいならどうにかなるか…』
『張り切って行きましょう!!』
何とも対極に見える男2人はザッザッと砂の海へと踏み込んで行く。そしてすぐに、数十メートル先を泳ぐ砂竜の背鰭を確認した。
『…バイエ君』
『呼び捨てでいいですよ』
『じゃあ…バイエ、君の今までに討伐した相手はどんな感じかな?』
『自分は訓練所出たばかりですから。ドスゲネポスがせいぜいです』
言いながらバイエが苦笑いをする。
どうやら彼は相当な"駆け出し"の様だ。防具も安っぽいプレート染みた物だが、背負っているのは
ガンランス。
鈍重な動きしかできないガンランスでドスゲネポスを討伐出来た…と言う点は評価出来るだろう。
それにラウズ自身も他人にどうこう言える程強くは無いので、程よいバランスと言えるだろう。
『じゃあ今から燻り出すから前衛を頼むよ、バイエ』
『わかりました』
簡単に確認を取ると、ラウズは鞄から音爆弾を取り出し、バイエは背中のガンランスを素早く組み上げる。
『そらよっ!!』
軽い掛け声と共に投げられた音爆弾は、無限に広がる砂海の一角を隅々まで染み渡り一体の砂竜を灼熱の空へ弾き出した。
不意に砂の中から弾き出され砂竜は、混乱しているのかビチビチと跳ね回る。
『うわっ!?』
そして跳ねる砂竜の動きを捉えかね、とりあえず砲撃を放つバイエ。機械槍から吐き出される炎は砂竜の鱗を焦がすが、どうにも芯を捉えきれていない。
『なぜバイエが、ビビってんの…さ!!』
やや後方から狙いを定めて放たれた一撃は、砂竜の横腹と言う微妙な場所を貫いた。
『2人とも…想像以上かな、無論駄目な意味で…』
ぶちギレディさん
チクチクと矢を刺され、チリチリと炎浴び続ける砂竜…1つ確認しておくが2人が戦っているのは"普通"の砂竜であり、ランポスと似たり寄ったりな強さだ。
それ一匹相手にこれだけ時間が掛かるのは2人の腕に問題があるとしか言えない。砂竜にしてみても一思いに殺って欲しいと思っているだろう。
『…しょっ!!』
十数発目に放たれた矢が砂竜の脳天を撃ち抜き、漸く息の根を止める事が出来た。
『やりましたね!!』
『まずまずかな』
しかし当の本人らは満足気である。そして暢気に素材を剥ぎ取り出した。
此処は狩り場のど真ん中、砂竜どもが縦横無尽に闊歩する砂の海だと言うのに…
そうしている間に、背後に刃の様に鋭い背鰭が現れた事に、能天気に剥ぎ取りをしている2人は全く気付かない。
それを見たディは一瞬だけ笑顔をひきつらせた後、深くヘルムを被り直した。
研ぎ澄まされた背鰭が隙だらけな2人を切り裂く前に、鋭い金属音が響き渡り一体の魚影が空に飛び上がった。
『2人ともぉ!!』
2人の背後に現れたディは明らかに苛ついた声と共に砂に沈んだ槍を引き抜き、頭上から降ってくる砂竜に狙いを定める。
『有り得ないかな!?』
そして怒声を発しながら一突きで砂竜の喉笛をぶち抜いた。素晴らしく無駄の無い精練された動きだが端から見ると八つ当たりにしか見えない。
そして息絶えた砂竜を槍から投げ捨て、返り血を浴びたまま2人に歩み寄る。
そんな鬼気迫る彼女を見て役立たずな男2人は気付けば後退りしていた。
『バイエ君!!』
『は、はい!?』
ディに怒鳴られたバイエは素早く正座をしていた。
『砲撃に頼りすぎだし、槍を扱うならもっと腰をいれなきゃ駄目だと思うな、私は!!』
『はい、解りました!!』
素晴らしく綺麗な姿勢で返事をするバイエ。
『まだ言いたい事は有るけど駆け出しだから多目に見るとしても…ラウ君!!』
『は、はい』
『何かなあの狙いの雑さは? あれじゃランゴスタ一匹殺せないよ!!だいたい君はもう駆け出しとは言えないくらいハンターやってる筈だよね!?』
『…返す言葉もありません』
みるみる縮こまっていくラウズを一瞥し、バイエを見るディ。
『バイエ君』
『はい!!』
『もう今日は帰ってくれるかな? ちょっとラウ君とお話がしたいからさ』
『解りました!!』
素晴らしく良い返事を残し脱兎のごとく街へと帰還するバイエ。そして苛々状態のディの前にラウズは1人取り残されてしまった。
向いてない
ディがジリジリと近付く度にラウズの姿勢がぐんぐん小さくなっていく。
『ラウ君』
『…はい』
ラウズが返事をするとディは殴られたら非常に痛そうな拳をおもむろに振り上げる。ラウズは轟竜に追い詰められたポポの様に、ギュッと目を瞑った。
しかし、
『ちょっと彼処のサボテンを狙ってくれるかな?』
次に彼女が放ったのはそんな言葉だった。
ヘルムに隠れた彼女の顔からはその言葉の真意を窺う事は出来ないが、ラウズは出来うる限り素早く弓を構え、不恰好なサボテンに素早く狙いを付ける。
ザスッ
だが、焦りで狙いが甘かったのか放たれた矢はサボテンにかする事すらなく砂に埋もれた。
『…』
ラウズは恐る恐るディの顔を盗み見るが、鉄仮面からは感情は読み取れない。ただ、笑っていない事だけは彼女の纏う空気で理解できた。
『もう一度、今度はもっと良く狙って』
何時もの彼女からは想像できない程に冷たい声がラウズに浴びせられる。
ラウズは小さく深呼吸をし、ヘルムに付属されているスコープを装着した。
ゆっくりと矢を構え、すぐ近くに見えるサボテンにじっくりと狙いを定める。
そして彼の手から離れた矢は微かに舞い上がる砂塵を切り裂き飛翔する。しかし、
『あ゚』
勢い良く飛んでいった矢は、不恰好なサボテンに付いた花を僅かに揺して砂中に埋もれた。
ザスッ
虚しい砂の音が響くと共に、長く重い溜め息が砂漠に木霊した。
『ラウ…1つ言って良いかな?』
『…なんでしょうか?』
『君に弓は向いてないよ。竜達は的が大きいからどうにか当たるけど、その内酷い目に遇うよ』
彼女の言葉はラウズを思っての事だろうが…もう彼の耳には届いて居なかった。
彼が弓を選んだ理由は至ってシンプルだ。
あの日、憧れた狩人が弓を構えた姿が忘れられないからだ。
その狩人の代わりに人々を守る事だけが彼の生きる理由なのだ。
だから毎日、弓を構え鍛練を積んできた。
いつかあの姿に追い付くために…
さっきの言葉は彼が積み上げてきた物を崩すには十分過ぎる事を彼女が知るよしもない。
だから彼女は、今に暴れだしてもおかしくない彼の肩を、躊躇うことなく両の手で掴んだ。
急接近した鉄仮面を見て冷静さを取り戻したラウズに、彼女はヘルムを外してこう言った。
『たがらさ…私と同じランサーに転向してみないかな?』
不意に発せられたその言葉に彼女の笑顔に、彼の頭は一瞬その全機能を停止させた。
前門の砂弾 後門の彼女
『ラウにはきっとランスの方があってるよ、ね?』
ディは、言うが早いかラウズからスルリと弓矢を奪い取り、その代わりに自分のランスを装備させる。
『え…え!?』
ラウズが気付いた時には彼の両手には、彼の胴ほどもあるランスと城壁染みた盾が装備されていた。
『うん、凄く似合ってるよ』
ディはそう言って満足そうに笑みを浮かべるが、装備された本人はそうではなかった。
『いや、僕はランスとか使った事ないんだけど…』
『大丈夫、簡単だよ。私が教えてあげるし』
『だいたい今僕は防御力ペラペラのガンナー装備なんだけど…』
『盾があるから大丈夫だよ。それじゃあ早速練習しよ~』
ディは会話が噛み合う前に、ラウズの鞄から音爆弾を抜き取った。
『いや、何をす…』
ディはラウズが言い切る前に、砂海を泳ぐ一際大きくドス黒い背鰭目掛け音爆弾を投げ付けた。
キィィィンッ
不快、その一言につきる快音が無数の砂粒に染み渡った瞬間、ドス黒い魚影が砂塵と共に灼熱の空へと舞い上がった。
『ドスガレオス!?』
ラウズが叫んだ通り、2人の前に姿を晒したのは砂竜ドスガレオス。
砂竜ガレオス達のボスであり、黒く巨大な体を持ちガレオス達とは段違いの強さを誇る。
ラウズ・ダギィ青年の当時の戦績は2勝5敗と分が悪い相手である。更に…
『ディさん、なんか彼奴デカくないですか?』
今彼の目の前でビチビチと跳ねるドスガレオスは、今まで彼が見たどの個体よりも巨大だった。
『この位普通じゃないかな?』
冷や汗を垂らすラウズに、ディはシレッとそう言い放つ。
『さ、くるよ』
彼女の言う通り、一頻り跳ね回ったドスガレオスは起き上がり、大きく身を振るいラウズを睨み付けた。
『…本当にやるのですか?』
『やるのです。あ、私はラウ君の後ろに立ってるから急に避けたりしちゃ嫌だよ?』
そう言いながら、ディはニコニコ顔のままラウズの後ろに立った。無論彼女は丸腰であり、ラウズが逃げ出したりすればドスガレオスの攻撃をモロにくらう事になる。
『え、何でそんな事を?』
『ラウ君、前見て、前!!』
『え?』
ラウズがディに言われ、正面を振り返るとドスガレオスの赤い口が開かれる所だった。
その真っ赤な口が全開になった瞬間、砂の塊が弾丸の如くラウズに襲い掛かってきた。
前には幾度も血ヘドを吐かされた砂の弾丸、後ろには丸腰のディ。両手には使ったことのない武器…
『いやどうするのさこれ…』
快感と決心
背後にディが居る以上ラウズは砂弾を避ける事が出来ない。しかし、使ったことなど一度もないランスでどうすれば良いか解らない。
『盾、構えて!!』
だからディに言われるまま、ラウズは盾を砂弾に向け構えた。
『くっ…?』
砂弾は見事に盾に的中し、豪快な音と共に弾け飛んだが、盾を持つ腕はダメージを受けるどころか痺れすらしない。
その事実にラウズは今までにない驚きを覚えた。
盾を下げるとドスガレオスがギザギザな牙を剥き襲い掛かってくるところだ。
だからラウズは先程と同じ様に盾を構えようとする。が、
『はい、バックステップ』
ラウズの体は彼女に命じられるまま、後方へ飛び跳ねる。そしてラウズの目と鼻の先で黄ばんだ牙がガチンッと空を噛み砕いた。
額をタラリと冷や汗が流れ落ちるが、今のラウズに沸き上がったのは恐怖とは全く違う感情だった。
今まであれほどまでに恐ろしく、遠方からしか攻撃する事が出来なかった竜のその牙が、自分の目の前で空振ったのだ。
完全に竜の動きを見切ったと言うその事実が、ラウズ・ダギィ青年に言い知れぬ快感を与えたのだ。
『今、貫いて!!』
ディが叫ぶより早く、ラウズの腕は強くランスの柄を握り締めていた。
『ぅっしゃぁあ!!』
ラウズが一撃と共に発した雄叫びは、彼がハンターとして新生する産声と言うに相応しい物だった。
突き出された突撃槍は、その切っ先で深くドスガレオスの喉笛を抉っていた。
真鍮色の刀身に、黒く濁った血が筋となって流れ落ちる。
それを見たラウズ・ダギィ青年は確信した。
彼女の言った事は正しかった。
自分に弓は向いていなかった。
しかし、ランスなら竜と対等に渡り合う事が出来る。
これならあの日の憧れた背中に一歩でも近付く事が出来る。
これなら自分の宿業を全うする事が出来る。
彼のその考えは確かに正しい。しかし…
『くぁっ!?』
呻き声と共にランスを掴む力が緩み、ズルリとドスガレオスの喉笛から抜け落ちると共に砂に埋もれた。
そしてラウズ自身もその場で膝を付いた。
…当時の彼がランスを扱うにはあまりにも全身の筋力が足りなすぎた。
『明日は筋肉痛ね、ラウ』
ディは素早くランスを広い、ドスガレオスとラウズの間に割って入りそれを構えた。
『でも、さっきの君はなかなか…かっこ良かったよ』
そう言ってディは優しく微笑んだ。
この日を境に、ラウズ・ダギィ青年はランサーになる決心した。
仇敵
ラウズがガンナーからランサーに転向してからの数ヵ月は瞬く間に過ぎ去った。
その短期間でラウズ・ダギィ青年は、ハンターとして劇的に成長した。
それこそ地べたを這いつくばっていた醜い青虫が、優雅に宙を舞う美しい蝶になるように…劇的に。
その要因として、ラウズの戦法がランサーに相応しい物だった…と言う事もあるが、最も大きな要因はテディ・ディの存在だ。
彼女は指導者としも優秀だったが、何よりその存在が彼にとって一番肝心な事だったのだろう。
兎も角、彼はハンターとして劇的に成長した。
その力はディには及ばない物の、共に狩り場に繰り出すには十分な程に…
そしてこの日は、彼にとって大きな節目となる。
その日、集会所のクエストボードに一枚の依頼書が貼られた。
依頼主は、とあるハンター、標的は二頭の轟竜ティガレックス…
それを目にしたラウズには、即座にあの日の記憶が蘇った。
破られた荷車の壁…
現れた竜の牙…
そして断末魔と共に消え去った彼の父親…
彼はハンターを1人残し其処から逃げ出した。
その事実は当時の彼がハンターをする1つの理由であった。
小さな少年が独り生きていには理想や宿業だけでは少々足りないのだ。
復讐、その二文字が独りだった少年を青年へと造り変えたと言っても過言ではない。
だからラウズ青年はその依頼書を見た瞬間に直感した。
これは奴らだ、と。
この砂漠には腐るほど竜が居るだろう、と言われればそれは事実であるが、それが依頼を請けない理由にはならなかった。
その事をディとバイエに相談すると…
『良いよ、請けよう!!』
『自分もお手伝いします!!』
と、2つ返事で了承してくれた。
(因みにバイエはラウズと肩を並べる程の腕前となっていた。2人とも師匠が同じなので、当然と言えば当然である)
依頼主は濁った青色の髪を束ねた中老のハンター。
彼は元『一番目』の住人であり、脱出のさいに轟竜に襲われたあの荷車に知人が乗っていたらしい…無論その知人は生きてはいない。
そしてその仇敵が最近砂漠に戻ってきた。それが、彼が依頼を出した理由だ。
依頼の内容は轟竜二頭の内の一頭を足止めする事。その間に彼がもう一頭を殺す、との事だ。
だがそんな小賢しい事はラウズにとってはどうでも良かった。
最も肝心なのはあの日の復讐だ。
それを果す事で、彼はあの日、逃げ出した自分自身を許す事が出来るのだろう。
深呼吸
ラウズ達3人と依頼主の男は、轟竜二頭が別れたと言う報告を受け、打合せも済ませずに砂漠へ、別々に飛び出した。
その日、灼熱の大地は昼間だと言うのに酷く冷えきっていた。眩し過ぎる砂丘はその姿を消し、永遠と黒ずんだ景色が広がっていた。
そう、砂漠には珍しく雨が降っていた。
『雨、降るんだね…でもって凄く寒い』
辺りを警戒しながら砂漠を進んでいると、ディが肩を震わせながらそんな事を言った。
『今は雨季だからね。だいたい年中雨が降らなきゃ此処は死の大地だよ。はい、コレ』
そう言ってラウズは薄手のローブとホットドリンクを差し出した。
『有難う。でも、2人は着ないのかな?』
『僕らは現地人だからドリンクだけで平気さ。ね、バイエ?』
『勿論ですとも』
ディは2人の言葉を聞いて納得したのか、黙ってホットドリンクとローブを受け取った。
そのまま砂丘を2つ程越え、ホットドリンクの効果が切れ掛けて来たときだ。バイエの双眼鏡に有るものが写り込んだ。
黄土色の体表、所々に青い小さな斑点…本来砂漠に溶け込む筈のその体は、今日に限っては酷く目立つ物だった。
『2人共、見付けましたよ』
バイエは可能な限り気配を殺して、後ろの2人にそう伝えた。
『本当か!?』
急いでバイエから双眼鏡を奪おうとするラウズの腕をディが阻んだ。
『慌てない慌てない、ハイ深呼吸』
場にそぐわないニコニコ顔でディが言ったその言葉は、仇を前にしたラウズには無理な注文の筈だったが、この数ヵ月の生活が彼に彼女の言葉を実行させた。
深く長い深呼吸と鎧の隙間から染み込んで来た雨粒が、彼の沸騰しかけた頭を冷ましていく。
『どうラウ、落ち着いた?』
『あぁ、有難う』
ディはその言葉を確認すると、ラウズに双眼鏡を手渡した。
ラウズはそれをゆっくりと覗き込む。
『…』
間違いなくアレは自分の仇だ、そう確信した彼の心は酷く冷静だった。
それも当然か…今日の彼は、あの日逃げ出した少年とは何もかも違うのだから…
『じゃあ、何時も通りでいくよ』
『解った』
『了解です』
そう言って3人はバラバラに雨の降る砂漠へと消えて行った。
そしてゆっくりと、轟竜の正面に1つの影が近付いていく。
始めに現れたその人影はずぶ濡れのローブを羽織り、口から白い息を吐き出していた。
『さぁて…今日は、張り切っちゃうよ』
そんな言葉と共に、鋭い金属音を響かせ一本の突撃槍が砂漠に現れた。
咆哮
轟竜の真正面に現れたのはテディ.ディただ一人。
それに気付いたのか、轟竜がその頭を天に向け高々と咆哮を上げる。
雨粒が吹き飛び、湿った砂が舞い上がり、大気が震える。
それを見てもディは眉一つ動かさず、それどころかその口をニヤリと歪ませる。
「・.馬鹿よね」
彼女がそう呟いた瞬間、轟竜のすぐ傍に青白い閃光が迸る…落雷だ。
さらに落雷は収まる事を知らず、立て続けに轟竜の体に降り注ぎ、黄土色の体表
にその存在を刻み付ける。
「備えあれば・・ってとこかな」
そう言って爆雷針を仕掛け終えたラウズが轟竜の傍から離れた。
しかし、それを轟竜が見逃す訳がなく、血走った瞳でラウズを追うべくその身を
反転させる。
「はい、止まってください」
そんな気の抜けた声と共に、轟竜の顔は爆炎に包まれた。
「おぉ…作戦通りですね!!」
顔尾を炎に包まれ、悲鳴をあげのたうつ轟竜を尻目に、感心するようにバイエが
そう洩らした。
「本当に驚きだね・・・まぁ本番はこれからだけど」
止まれない
轟竜は両足で湿った砂地を掴み、火達磨になった頭を振り上げる。そして、開いた口が纏った炎ごと空気を吸い込んだ。
『盾、構え』
『了解です』
男2人はそれを見て盾を前に出し、重心を低く構え直しす。
刹那、不気味な静寂の中、雨音だけ妙に大きく聞こえた。
それは膨大な何かが爆発する寸前の、無限にも感じるたった数秒の静寂…
その静寂を突き破った轟竜の咆哮は最早、音という領域をはみ出し衝撃波に近いエネルギーの塊と化し、炎を消滅させ、雨の幕を弾き飛ばし、2人の男を突き飛ばした。
予め盾を構えて尚、湿った砂漠をずるずると押し戻された。
それどころか砂地に足を取られ、2人はバランスを崩してしまった。
そんな2人に、腕部と顔面を紅蓮に染めた轟竜が襲い掛かる。
それを見たラウズは少しだけ口元を歪めた。
『いや、吃驚する程に計画通りだね』
轟竜の滑った牙が2人に食らい付く前に、その頬を真鍮色の突撃槍が貫いた。
『スラァァァッシュ!!』
ディの腕はその一撃で止まる事なく、肉屑と鮮血を撒き散らし轟竜の側頭部を蜂の巣へと造り変える。
『ほら、早く立つ!!』
さっさと立ち上がらない2人を見て、血塗れの鉄仮面が怒号を飛ばす。
『自分達、必要ない感じですね?』
1人で轟竜を圧倒するディを見て、バイエがそんな事を言いながら立ち上がる。
『まぁ実際ディ1人でも問題無いかもね…まぁ、それじゃ俺の気が治まらないがな…』
微かに歯軋りをしながら、ラウズも立ち上がった。
彼の瞳に映るのは、あの日の仇と、見惚れてしまう程に美しく戦う彼女の背中…
それはずっと眺めていたい程に精練された攻防…しかし、今回に限って、それは絶対に許されない。
奴に最後の一撃を入れるのは自分でなければならないのだ。
その為には今の自分には色々と足りない物が多すぎる。
武器も、鎧も、狩人としての腕も、何もかもが足りない。
有るのは偏屈と名高いこの頭、そして決して消える事の無い憎悪の炎…
さぁ考えろ、彼女に依存せず圧倒的な差を埋める方法を…
この非力な腕で復讐を果たせる確実な策を…
ここは見渡す限りの砂の海、今日の天気は視界が霞む程の豪雨、敵は巨体な竜、そして鞄にはアレがある…
『ディには後で謝ろう…』
ラウズは小さく呟いて、ランスの先端を轟竜の脇腹向け構えた。
『まずは腹を抉ってやる…』
噛み砕く様にそう呟き、ラウズは湿った砂を蹴り、駆け出した。
最終更新:2013年02月28日 02:16