『二番目』の話
博打
一歩前進する度に湿りきった砂粒が両足に重く絡み付く。しかし、そんな事で彼の速度が落ちる事は決してない。
仇の腹に近付く度に、口から洩れそうになる叫び声を全て飲み干し、それを両脚へと注ぎ込む。
ランスの切っ先が轟竜の脇腹を抉る寸前に、ディがラウズの行動に気付いたが彼は躊躇う事なくその腕を突き出した。
幾ら彼女が強かろうが…
幾ら彼女が大切な仲間だろうが…
最後の一撃だけは譲れないのだ。
『ダァァァアアァッ!!』
最後の最後で叫んだのは今にも恐怖に囚われそうな自分を誤魔化し、殺意に火を灯す為だ。
それと、彼女の声を聞かない為…今にも逃げ出しそうなのに、彼女の声まで聞いてしまっては仇なんざとれる訳がない。
ランスは予想以上に深く突き刺さり、轟竜の腸を僅かに掻き出した。
轟竜は赤い吐息を吐きながら、真っ赤に充血した瞳がラウズを捉えた。
コレでお膳立ては完璧だ。後は走れ、ただ走れ、それでこの策は完成する。
足が震えて動かなくなる前に、ラウズは180゚回転、轟竜に背を向けて走り出した。
それを見てその場にいた誰もが唖然としただろう。しかし、彼は逃げ出した訳では無いのだ。
『さぁ…追って来い!!』
そう言ってラウズは角笛をくわえたまま駆け出した。
呼吸をする度に不規則な音色が響き渡り、それに釣られる様に轟竜が後を追う。
それは自身の身を掛けた大博打。
掛け金は無論この命
報酬は奴の命
さぁ
走れはしれハシレ
背に迫るはあの日の悪魔
湿った砂を蹴り上げるのは死の権化
あの不気味なまでに白い牙に捕まれば、この身は容易く食い千切られるぞ
降る雨は激しさを増し彼から視界と音を奪いさる。
もう自分の勘だけが頼りだ。
全速力で駆けながら寸分の狂いなくその距離を測れ。
チャンスは一度きり、しくじれば彼女に謝る間も無く死ぬだけだ。
(3…2…)
もう少しで目的の場所と言う所で彼の右足は、あろうことか湿りきった砂丘の一部を踏み抜いた。
『いっ!?』
完全に虚を付かれ見事にラウズの体は回転する。
その時、彼の鞄から爆雷針が溢れ落ちたのは偶然か、それとも命を掛けた彼に対する必然なのか…
落ちた爆雷針は暗雲を轢き裂く蒼白い稲妻を呼び寄せる。
炸裂する雷は轟竜の鼻先を掠め湿った地面を直撃した。
それはほんの刹那の出来事だ。瞬きよりも短い、正に一瞬の出来事で勝敗は決した。
『勝った』
そう彼は勝ったのだ。
落
突然だが、この砂漠には何ヵ所か流砂の発生する場所がある。
流砂の発生する原因としては、その地下に水脈や空洞があり、そこに砂が流れ落ち巨大な蟻地獄染みた流砂が発生するのだ。
そして今、雷が落ちたのは流砂の発生するポイントであり、水を大量に吸った砂丘の下には伽藍洞が存在する。
其処に膨大なエネルギーをもった雷が直撃したら…どうなるか?
答えは簡単だ。
眼前で爆ぜた雷に一瞬だけ怯んだ轟竜は、湿った砂ごと伽藍洞に肩口まで引きずりこまれた。
砂に埋もれた轟竜は頭と右前足だけでそこから逃れようともがく。轟竜の筋力なら数十秒あれば容易く逃れられるだろうが、仇を前にした彼がそれを待つ訳がない。
ラウズは右足の届かない方へと回り込み、ランスの先端をゆっくりと轟竜のこめかみに突き立てた。
そして、そのままゆっくりと轟竜の頭をくり貫いていく。
幾ら轟竜が叫ぼうが
桃色の肉片が飛び散ろうが
決した仕損じない様にゆっくりとくり貫いていく
『くたばれ、糞野郎』
最後にそう吐き捨てて、一気に轟竜の脳髄をかき混ぜてやると、轟竜は狂ったような悲鳴を垂れ流しながら、一度だけビクリと跳ねて動かなくなった。
それを確認して、ラウズはその場にへたり込んだ。
その足はもう震える事はなく、見上げたそらは僅かに晴れ間が覗いている。
『終わった…』
そう、これで彼の復讐は終わった。
これで彼はあの日の役立たずだの少年だった自分を許す事が出来たのだ。
『あぁ…疲れた』
そう言って彼はそのまま目を閉じた。
過去と今
時は変わって翌日の昼頃
場所はギルドの救護棟の一室
其処ではディがムッツリとした顔で、ベッドの上で正座をするラウズを睨んでいた。
まずは依頼の顛末から話そう。
結果から言って依頼は、ラウズ達の狩りは成功したが、男の方の復讐は失敗に終わった。
依頼をだした男は轟竜を取り逃がしたらしく、手ぶらで帰ってきた。
しかしラウズ達はきちんと自分達の仕事をこなしたので、報酬の方は男が支払ってくれる事になった。
そして現在、狩り場で意識を失ったラウズの代わりに、ディとバイエが後処理をし、気絶しっぱなしのラウズを運んで帰ってきた。
と言う訳だ。
だが、それで一件落着…とは当然いかない訳で…
打ち合わせを無視して無茶な行動に出たラウズに対し、ディは酷くご立腹である。
そしてラウズが目を覚ましてからの数分間、ディは無言で彼を睨み続けていた。
ラウズはとりあえず正座をしている訳だが、この場の空気をどうにかする方法を考えていた。
『お、おはようディ』
『もう昼だよ』
試しに一言、言ってみたがこの有り様である。
それでも諦める訳にはいかないので、彼は再び口を開く。
『お昼ご飯はなんでしょうか?』
彼の放ったその一言は、虚しく部屋に消えていった。
そして暫しの沈黙の後、ディが口を開いた。
『ラウ君、始めに何か…言うことがあるんじゃないかな?』
それを聞いた瞬間、
『すいませんでした!!』
ラウズは光の早さで土下座をしていた。(部屋の外から見ていたバイエ談)
しかし、それしきの事で彼女の怒りは納まらない。
『安全な策が有ったのにあんな真似して…ラウは自分が死んだらどうする気だったのさ!!』
堰が切れたようにディがラウズをまくし立てる。
『下手したら簡単に死ぬんだよ、ハンターって人種はさ!!仇討ちだか何か知らないけどくだらない事をして!!』
『くだらない事』その一言に今まで黙っていたラウズもカチンと来た。
『仇討ちはくだらない事なんかじゃない!! 奴に止めをささなきゃ俺は餓鬼のままなんだよ!!』
『それは過去の事だろ! 今の方が大事じゃないのかな!?』
『過去とのケジメの方が大事だ!!』
それは彼にとっては当然の事なのだろう。しかし、彼以外にとってはそうではないのだ。
『死んだらどうするのさ…私と居る今は…大事じゃないのかよぉ…』
ディは小さく、そう言い残して部屋から飛び出して行った。
『俺は…いや、僕は、馬鹿だ…』
仮面の道化師
救護棟の外、小さな脇道で1人しゃがみこむ彼女の瞳からは、透明な雫が流れていた。
彼女は何を嘆くのか?
彼の言った言葉が悲しくてか…
彼に言った言葉を後悔してか…
不謹慎な話だが、1人涙を流す女性は汚れた人間の瞳には、酷く美しく映ったりする物だ。
だから、その道化師はディに声を掛ける。
『何が悲しくて泣いているアルか、麗しいお嬢さん?』
インチキ臭い片言の言葉を吐くは、青い長髪で仮面を付けた如何にも東方人ですよ、な格好した道化師。
『別に…何も…』
当然、そんな怪しい相手と話をする気になれる訳も無く、ディは涙を拭って顔を逸らした。
それでも道化師はしつこく彼女の顔を覗き込む。
『話してごらんヨ、お嬢さん。話せば楽になるかもアル、人間は案外単純な造りをしてるものアルよ?』
奇妙な音楽と共に、滑らかな片言を吐く道化師を見て、ディはくすりと笑った。
『そうそう、美人には笑顔が一番ネ』
『聞いてくれるかな、道化師さん?』
『ええ、勿論ヨ』
ディは淀んだ空気を吐き出す様に、何があったかを道化師に話した。
『あぁー、それは仕方無い事アル』
『えぇっ!?』
話を聞いてもらってなんだが、予想外の言葉にディはそんな反応をしてしまった。
『もう少し慰めて貰えるかと思ったのに…』
『それは別途に料金が発生するアル』
『お金…とるのかな?』
『大丈夫今はまだ無料アル』
ケラケラ笑う道化師とそれを見て呆れるディ。
『でも仕方無いって…どういう事かな?』
『人間ってのは様々な生き方をしてる物ネ。だから意見が食い違うって事はザラアル。それぞれの人間の背景も知らずに、良い悪いを決めるのは浅はかな事アルよ』
道化師はサラリとそんな事を言うが、やっぱりディは納得できなかった。
『それでも…命を掛けるなんて馬鹿げてるよ』
そんな彼女を見て、道化師は小さく溜め息を吐いた。
『じゃあ特別サービスアルよ…私が貴女の愛しい人の背景って奴を語ってあげるわ』
そう言って仮面の道化師はニヤリと笑う。
『普通に喋れるじゃない…だいたい背景って?』
『ちょっと訳ありなの。背景…過去を教えてあげるのは趣味よ。本当は凄く高いんだけど、貴女は綺麗だからサービスしてあげる』
道化師はスラスラとそう言うと、ディの肩に手を置いた。
『さぁ貴女を泣かせた男の名前は何かしら?』
『…ラウズ・ダギィ』
『じゃあ教えてあげる…ラウズ・ダギィの半生を…』
平穏は
仮面の道化師はサラリとラウズ・ダギィの過去を語りあげた。
その内容はディが想像していた物と何れ程、異なっていたかはその表情から見てとれる。
『それは…本当の話?』
『ええ勿論、まぁ私みたいな胡散臭い奴の話を信じるかどうかは貴女の自由だけど』
道化師が艶やかな笑みでそう答えると、ディは黙って俯いてしまった。
それを見て道化師は小さく溜め息を吐き、仮面を外し、その代わりに長い前髪でその顔を隠した。
『昨日は平和だった。今日も平穏だ。だから明日も何時も通り…なんて考えは酷く滑稽だと思わない?』
道化師の言葉にディが眉をひそめる。
『どう言う意味かな?』
『今日やれる事は今日やれって意味アルよ、麗しいお嬢さん』
道化師は、それだけ言うと荷物を纏めて立ち上がった。
『それではまた、縁が有ればお会いしましょうアル』
そう告げて道化師は去っていったが、ディはその間、終始無言だった。
場所は変わって病室…
其処にはベッドで横になるラウズと、そんな彼に林檎を剥いて食べさせているバイエの姿があった。
『何が嬉しくて美少年に林檎剥いて貰ってるんだろ…』
林檎をシャクシャクさせながらラウズが愚痴る。
『体温の低下でぶっ倒れたのと、ディさんと喧嘩したからだと自分は思います!』
林檎をスルスル剥きながらバイエが元気良く応えた。
『そうでした…あと病室では静かにね』
『了解です』
そして無言になる2人。病室には林檎を食べる音と、林檎の皮を剥く音だけが響き続ける。
『あ、ルルメ様でも呼びましょうか?』
『全力で拒否する』
『そうですか…』
鬼の形相で拒否するラウズを見て、ションボリ顔になるバイエ。
『ルルメ様なら看病と称して、懇切丁寧に体の隅々までお世話をしてくれるのに…』
『それ…すっごく聞きたくなかったな』
病室には再び、シャクシャクだかシャリシャリだかの音が埋め尽くす。
そしてラウズが最後の林檎を食べようとしたその時、
バンッ
病室の扉が勢い良く開いた。そして其処から現れたのは一刻ほど前に此処を飛び出したディだった。
それを確認した瞬間、バイエは音も無く病室から出ていった。
『ちょっとバイエさん!?』
ラウズが叫んだ時には、バイエは影も形も無くなっていた。
そしてバイエの代わりにベッドの隣にディが腰掛ける。
俯き気味の顔からは、彼女の感情を読み取る事は出来ない。
続かない
ラウズが場の空気に堪えきれず、何か喋ろうとしたその時だった。
ディがベッドの端を叩き、勢い良く立ち上がりラウズを見た。
『ラウ君!!』
『は、はい』
瞬間、ラウズの身体から嫌な汗が溢れ出す。
しかしディの表情には怒りや、苛立ちの色は一切なく、彼女は小さく俯いて口を開いた。
『さっきは…ごめんね』
その予想外の台詞で、ラウズも冷静さを取り戻した。
『いやさっきの事はディが正しくて僕が悪かったよ。ごめん』
その台詞を聞いてディが顔を上げラウズの目を見た。
『私の方が悪いよ。ラウの事、何も知らないのにあんな事…』
『いや、あれは僕の私怨だからディが気にする事じゃないさ』
『でも!!』
仲直りするのかと思ったら再びヒートアップし出した2人の間に、何時戻って来たのか、バイエが割って入った。
『仲直りするんですか? 喧嘩するんですか?』
『な、仲直りを…』
バイエの問に2人がボソッと答える。
『なら自分は席を外します。あと喧嘩する暇があるならチュウの1つでもしてください』
『バイエッ!!』
バイエの言葉に、ダンッと立ち上がる2人だったが、彼の姿は影も形も無くなっていた。
2人は恥ずかしそうに顔を見合わせた後、一緒にクスクスと笑いだした。
『さっきはごめんね』
『僕の方こそ、ごめん』
2人は互いにそう言うと、再びクスクスと笑い出す。
そして一頻り笑い終えた後、ディが有る物をラウズに手渡した。
『これは…ピアス?』
ディが手渡したのは簡単な造りをしたピアスだった、しかも片方だけの。
『そうピアス。ラウはたまに無茶するみたいだから、御守りにと思ってさ』
『ありがとう、でも何で片方だけ?』
ラウズがそう言うと、ディは恥ずかしそうにハニカンむ。
その彼女の耳には手渡した物と同じピアスが、片方だけ付けてあった。
『1つしかないから半分こにしようと思って…私のお古だけど効果は抜群だよ? 』
ディは顔を真っ赤にしながらそう言った。
『ありがとう…』
ラウズも顔を真っ赤にしながら受け取ったピアスを耳に填めた。
『似合わない、かな?』
『ううん似合ってるよ』
そんなやり取りをして、また笑い出す2人。
…きっとこの時が彼にとって最も幸せな一時だったのだろ。
昨日は平和だった。今日も平穏だ。だから明日も何時も通り…
そんな事がありはしないと他でもない彼が一番良く知っていた筈なのに…彼は信じていた。
こんな毎日が永遠と続く事を…
過去を語るは仮面の道化(悲劇へと…)
此処までがラウズ・ダギィが槍を持つに至った経緯…
そして、彼にとっての人生の絶頂、最も幸せだったであろう頃のお話…
…こんな話、甘ったるすぎて聞くだけで虫唾が走りますね。勿論語っている私めも鳥肌物でございます。
当の本人に、こんな話をすれば真っ赤な顔をして殴りかかってくるやも知れませんし、ひっそりとその頬を濡らすのかも知れません。
いや、どちらも有りませんか。今の彼なら適当に相槌を打ってお終いでしょうな…実にツマラナイ。
さて本題に戻りまして…
話はいよいよ大詰め。しかし、始めに申しました様にこの物語は微笑ましい結末なんざ迎えません。
だってこれは何処かの誰かが考えた虚構ではなく、一人の男の半生なのですから…
さぁこの話はもうすぐ悲劇的な結末を迎えます。
それは彼が煙草を吸う事になった原因であり…
独りを好む様になった理由であり…
彼の夢やら希望やらを腐らせた根源であります…
退席をするなら今の内に。
これを聞いて彼の事を真直ぐ見れなくなっても
夜1人でトイレに行けなくなっても
狩人を辞めたくなっても私は一切の責任を負いかねますのであしからず…
ではでは、拙い話ですが最後の幕を開けましょう。
これはラウズ・ダギィ、彼が奈落へと転げ落ちるお話です。
それでは
はじまり…はじまり…
奈落の底へ
変化
轟竜の討伐から数ヶ月後…
その日、ラウズ・ダギィは集会所で昼食をとっていた。
因みに、その数ヶ月の間に特にこれと言った変化は無かった。
強いて挙げるならラウズの防具が仇である轟竜の素材を使った物に変わった事(轟竜の防具を装備したのは、彼なりのケジメだとか)
そしてもう1つ変わった事がある…
『御代わりを頼んで良いアルか?』
食事の面子に似非東方人が加わった事である。
似非東方人は、ラウズとディが仲直りしたあの日から、朝・昼・夕方の何れかの食事を毎日ラウズに集りに来ている。
『アインさん、御代わりは一回までって言ってるでしょうが…だいたい、それもう3杯目だよね?』
『ラウズはケチアルな、誰のお陰で其処なお嬢さんと仲直り出来たと思ってるネ?』
そう言いながら東方人、もといアインはプーッと頬を膨らませる。
アインは毎日そんな理由でラウズに飯を集っている。
ラウズにしてみればサッパリ意味が解らないのだが、ディ本人が肯定するので、御代わりは一杯だけ、と言う条件でアインに食事を奢っている。(基本的に3杯以上は喰われる訳だが…)
その上
『なら私が奢ろうかな?』
『やっぱりこの辺で止めとくアル。綺麗な女性に飯を集るのは良くないからネ』
そう言ってアインは食器を片付け出す。
こんな感じでアインはラウズにだけ飯を集るのだ。
まぁ当時の彼は狩の成果も安定していたし、守銭奴でも無かったので何だかんだで飯を奢っていた。
しかし、その日はそのアインの様子が何時もと違っていた。
『今日は何だか荷物が多いね、アイン?』
そう、無駄に背負っている荷物が多い、引っ越しでもするかの様に多い。
『夜逃げでもするのか?』
からかう様な口調でラウズが言うが、アインは彼の言葉にうんと頷いた。
『当たりアル、ダギィ。』
『え、アイン引っ越しちゃうのかな?』
その言葉を聞いたディが寂しそうな表情を浮かべる。
『いや、違うアル。2人はもうすぐあの時期なのは知ってるアルな?』
アインの言うあの時期、とは乾期に伴う
モンスター達の襲撃である。
ラウズは何度も経験しているし、ディも話に聞いていたので、うんと頷いた。
『その襲撃がキナ臭いアル、怪しい噂もチラホラ…だから暫く三番目に避難するのネ』
そう言いながらアインは大量の荷物と一緒に、よいしょと立ち上がった。
『じゃ私は行くネ、2人も気を付けるアルよ?』
そう言ってアインは集会所を後にした。
召集
山の様な荷物を背負ったアインを見送った後、徐にラウズが口を開く。
『ディはアインの言った事…どう思う?』
『ん~…私にはよく解らないけど、アインが言うならそうなんじゃないかな?』
ディは少し考えた後、そう答えた。
アインはあんななりと性格であるが、彼女の言う事はだいたいが真実である。(何処から仕入れているのかは不明だが…)
『…キナ臭いねぇ』
ラウズが虚空を眺めながらそう呟いた時、集会所の入り口辺りが不意に騒がしくなりだした。
何事かとその方向を見ると、表に出ていたと思われるハンター達が一斉に帰って来る所だった。
『何で皆一斉に帰って来てるのかな?』
言いながら首を傾げるディ。
この集会所には夕食以降は街の殆どのハンターが集まるが、昼頃はその5分の1程度の数しかいない。
残りの5分の4は狩に出ていたり、各々好きな所で寛いでいたりする。
そんなハンター達がこの時間帯に、コレだけの数が集まるのは非常に珍しい。
『あ、バイエだ。お~いバイエ~!!』
そんな人の群の中に見知った顔を見付けたラウズは、声を掛け自分達の席へと呼び寄せた。
『2人ともコンニチワっす』
『コンニチワ、バイエがこの時間に此処に居るなんて珍しいね?』
ディが挨拶を返しながらそんな事言う。
あの工房の面子は皆、揃って昼飯を食べる決まりなのでこの時間にバイエが此処に居るのはかなり珍しい。
『それがですね、街にいるハンター皆に召集が掛かっているんですよ』
ディの問に答えながらバイエが席に着く。
しかし、彼の言葉には少々疑問が残る。
まだ襲撃の警報は出ていないし、ハンターを集めて会議をするにしても夕方から行う筈だ。
バイエ本人も、腑に落ちない、と言いたげな表情で椅子に腰掛けていた。
そして、この街の殆どのハンターが集会所に集まって数分後…
バタンッ
徐に集会所の奥の扉が大きな音と共に開かれた。
其処から現れたのは真っ赤なマントと被りをした男と、全体的に色素が薄い白い少女の2人だった。
ラウズは長くこの『二番目』に居るが、その2人に全く見覚えが無かった。無論、ディとバイエも同様である。
それは他のハンター達も同様らしく、集会所には妙なざわめきが広がっていた。
そんな空気の中、赤マントの男は集会所の中心へと無言で移動する。そしてマントを翻し、ヘラヘラした笑顔の張り付いた顔で、こう告げた。
『どうも皆さん、今日は悪い報せが有ります』
険悪
見知らぬ男が放ったその一言は、集会所に集められた狩人達を動揺させるには十分過ぎた。
『あ、皆さん静粛に…』
一気に騒がしくなった集会所にヒョロイ男の声が通る訳はなく、とても話が出来る様な状況ではない。
『静粛に、静粛…あー面倒ですね、カノク』
赤マントは諦めた様に溜め息を漏らすと、隣の白い少女の肩をポンッと叩いた。
少女はコクりと頷くと、大きく右足を振り上げた。
『りゃっ!!』
短く可愛らしい発声と共に右足が降り下ろされた、瞬間
ズゥンッ
凄まじい地響きと共に、集会所の狩人達の体が一瞬だが確かに浮遊した。
予想外過ぎる出来事に唖然とする一同を他所に、白い少女はサラリと告げる。
『静かにしろよ、てめーら』
白い少女のその一言で、集会所の鎮圧は完了した。
そんな中、彼女に指示を出した赤マントだけが何事も無かった様に一歩前へ出る。
『では改めて…皆さん、悪い報せです。もうすぐ化け物共の襲撃の時期ですが、今回三番目、そしてギルドからの援軍は殆どありません』
その言葉に再びざわめき立つ集会所だが、少女が一歩前に出ただけであっさりと静まり返った。
『どうもカノク。さて、皆さんの記憶にも新しいと思いますが、数ヶ月前から各地に出没している奇形の事はご存知ですね?』
集会所の面々は各々にそれを肯定する。
(因みに赤マントの言う奇形とは、数ヶ月前から各地の街や村を襲撃している異形の化け物達の事である。奇形の大半には、明らかに人為的に弄られた跡があり首謀者が居ると言われているが、噂では数ヶ月前に首謀者は殺されたらしい…)
『ギルドはそれの残党の対応に追われている訳で、簡潔に言うと人手不足です。なので今回の防衛は貴殿方だけで完遂して頂きたい訳で』
ヘラヘラした顔のままサラリと深刻な事を告げる赤マント。
通常、襲撃の時期になるとギルドや『三番目』の街から一時的な援軍がやってくる。それは戦力だけでなく、物質の補給も含まれている。
ただでさえ砂漠のど真ん中にある『二番目』に取って、その事実は致命的と言える。
その絶望的な事実を伝えられた集会所の狩人達は、一様に動揺しだす。
それを見た赤マントは、呆れた様に溜め息を吐いた。
『いい大人が狼狽えないでくださいよ…情けない』
その一言で集会所内の空気が一気に険悪になった。
あと一度でも赤マントが口を滑らせれば、確実に収拾がつかなくなる。そんな空気が場を支配する。
茶
『ギルドも出来る限りの援助をします。それに…貴殿方は歴戦の狩人なんでしょう? なら化け物の相手なんかお手の物でしょうに、そうでしょう?』
赤マントが挑発的な笑みを浮かべ、そう言い放つと、それに釣られ複数の狩人達が声を荒らげた。
『あぁ、やってやるぞ!!』
『楽勝に決まってらぁ!!』
売り言葉に買い言葉と言うか、何とも単純な輩だ。しかし、その単純な輩と同様に他の狩人達も声を上げ始める。
それを確認した赤マントはゆっくりと席に着いた。その口と顔が何となく"馬鹿で助かった"と言っている様に見えた。
『観測局の予報じゃ襲撃のピークは三日後からだそうです。なので皆さんは、それぞれ準備をしておいてください』
赤マントはそう言うと、聞こえたかどうかを確認もせずに集会所の奥へ、白い少女と一緒に引っ込んで行った。
そして集会所には喧騒だけが残った。
そんな中、バイエがスッと立ち上がった。
『ラウズ、ディさん、自分は工房の方で仕事があるんで失礼するっす』
『わかった』
『うん、またね』
『では、また』
バイエはそう言って騒がし過ぎる集会所から脱け出していった。
『さて…私達も移動しないかな?』
『あぁ、そうだね』
今の此処は会話するには騒がし過ぎる。
そして結局…
『…思いの外、早い再開になりましたね?』
バイエが茶を運びながら苦笑いをする。
「「面目ない」」
そう言いながらニヤニヤ顔で茶を受け取る2人。
結局2人はルルメの工房へとやって来ていた。無論茶を集りに。
「ルルメ様が喜ぶから別に良いですが…他に行くところないんですか?」
自分の茶を啜りながらバイエがそう尋ねる。
「だって…近いし、お茶はタダだし、何よりルルメさんは面白いし」
そう言って、ディはニヤニヤ顔でラウズを見る。
「いや、単純にディがまだ街に馴染めないからだよ。と言うか話をすると、背後に音もなく現れそうだから止めてくれるかな?」
少し引きつった顔で、ラウズが言う。
ディはそれを見て一頻りニヤニヤした後、小さく咳払いをする。
「さて、そろそろ本題に入ろうかな。本当はバイエとも相談したくて此処に来たんだよ。あ、御代わりくれるかな?」
真剣な面持ちで茶の催促をするディに、バイエは苦笑い気味に二杯目の茶を注ぐ。
「ありがと」
「いえいえ。で何ですか、本題って?」
「それは勿論、襲撃の対策についてだよ」
そう言って彼女は二杯目の茶を飲み干した。
茶をシバく
ディが襲撃の対策をすると言って数分後…
ディは1人で3つ目のティーポットを空にする所だった。
「もう完璧に…茶をシバキに来ただけですよね?」
「あ、バレた?」
苦笑しっぱなしのバイエの言葉に、ディは悪びれる様子もなくそう返した。
「だってさ、対策も何も私は襲撃の経験なんてないからさ…もう少しアインに詳しく聞いておくんだったなぁ」
そう愚痴りながら、十数杯目の茶を飲み干すディ。
「いや、襲撃の経験者なら目の前に2人も居るんだけどな」
ラウズそう突っ込むが、
「ちょっと前までぺーぺーだった2人の話を聞いても…ねぇ?」
ディは訝しげな表情で御代わりの催促をする
「…ディってたまに酷い事言うよね?」
ラウズはそう言いつつも、空のカップに御代わりを注ぐ。
「でも…図星だよね?」
「図星だけどさ!!」
痛いところを突かれたラウズは半ばヤケクソに気味に叫ぶが、ディの興味は既に目の前に新しいお茶へと移っていた。
「とりあえず茶を飲むだけなのもアレですし、襲撃に付いての説明でもしましょうか」
「うん、お願いバイエ」
そう言いつつもディは新しい茶を注いでいた。
「と、とりあえず始めようか」
「そうですね」
色々と釈然としない中、とりあえずラウズとバイエの2人は襲撃についての説明をし出した。
此処は砂漠のど真ん中にある街、通称『二番目』。砂漠の外側は渓谷やら荒野であり、砂漠のモンスター達はそこら辺から食料を得ている。
しかし、乾期になると外側に住むモンスター達は激減。つまり砂漠のモンスター達にとっての食料も激減する訳で…
大体のモンスターは、砂漠の外へと食料を求めて襲撃を掛けるのだが、一部のモンスターがここ『二番目』へと襲撃をかけてくるのだ。
その際のハンター達の仕事は街周辺の哨戒、及び発見したモンスター達の討伐である。
「まぁ僕は今まで雑務しかした事無いけどね」
「自分も似たような物ですよ」
元ぺーぺーの2人は一緒に溜め息を吐いた。
「殆ど参考にならないかな?」
『面目ない』
ディの一言がトドメとなり2人はグッタリと項垂れた。
「ぶっつけ本番で行くしかないかな」
ディがそうぼやいた時、工房の奥の扉がガチャリと開いた。
「そんな心配はせずとも、今回君らの仕事は無いと思うがね?」
現れたのは何時も以上油まみれのルルメだった。
「あ、ルルメさん」
「っルルメさん!?」
「ルルメ様」
3人は各々の反応をする。
震える街
「どうしたかね、そんなに驚いて?」
ラウズの反応を見て愉快そうな笑みを浮かべるルルメ。そしてツカツカと彼へと歩み寄る。
「ぼ、僕らの仕事が無いってどう言う意味でしょう?」
ラウズはルルメが近付く前に、反射的に話題を元に戻した。
ルルメは小声で連れないな、と呟き言葉を続ける。
「私の造っていた防衛設備がもうすぐ完成するのだよ」
そう語るルルメは非常に嬉しそうで、明日に誕生日を控えた子供の様な有り様である。
「でも襲撃までに間に合うんですか?」
お茶を飲むのを一時中断したディが、真面目そうな顔でルルメに訪ねる。
「なに、今晩徹夜でもすれば完成するさね。微調整をする間がないのが心残りだがね」
そう言って苦笑するルルメの目には、油に紛れてくっきりと隈が浮き上がっていた。
「無理は禁物ですよ、ルルメさん」
隈を見て、そう言ってしまった後、ラウズは酷く後悔した。
だが時既に遅し、ラウズの肩にルルメの手が回されると共に彼の全身から冷や汗が溢れ出す。
「嬉しいじゃないかね、君が心配してくれるなんて」
ラウズの額からタラタラと冷や汗が流れ落ちるのを楽しんでから、ルルメはすっと彼から離れた。
「しかしだね、これは私にとっての夢なのだよ、命に代えても完遂させるべきね」
「ルルメさんの…夢?」
「そう夢…まぁ君のに比べれば私のなどちっぽけな物だがね」
ルルメは何時もより少しだけ低いトーンでそう言うと、工房の出口へ向き歩き出した。
「さてバイエ、最後の仕上げに行こうかね?」
「解りました。では2人さま、また後程」
そう言ってバイエもルルメの後に続く。
「いい加減、君らもそれを飲み終えたら準備をしたまへよ。家の茶も無限ではないのでね」
ルルメは笑いながらそう言って、工房を後にした。
「遠巻きに茶の飲み過ぎって言われたね?」
「き、気のせいよ!?」
ラウズそう突っ込まれたディは少しだけ恥ずかしそうにそう返した後、席を立つ。
「兎も角、可能な限りの準備をしようかな?」
「僕もそれが良いと思うね」
短い会話を交わし、2人も工房を後にした。
襲撃を目前に控えた『二番目』は肌で感じる程に殺気だっていて、通りで狩人とすれ違う度に首筋がピリピリと痺れる錯覚すら覚える。
砂塵を巻き上げ、吹き荒れ、外壁に砂漠の風が打ち付けられる度に街の全体が微かに震える。
まるで街そのもの何かに怯えているかの様に…
2日後
そして2日後…
モンスター達は次々と街の周辺に出没し、『二番目』内の空気は目に見えて悪化していた。
物資の支給がほぼ無いに等しいせいで小さな傷がチクチクと蓄積し、僅かなミスでリタイアする物が相次いだ。
その結果として哨戒任務の時間が増え、休憩時間が減ると言う悪循環。
そんな中、未だに街に侵入を許していないのには2つの大きな理由がある。
それはルルメが設計した防衛設備が、絶大な効力を発揮していること。
そしてギルドから来た人間…と言うより白い少女が規格外の戦闘力を持っていたこと。
この2つの理由によって街の防衛線は、どうにか保たれている。
しかし問題なのは…
「明日からがピークなんだよなぁ」
三食連続となるこんがり肉を貪りながらラウズが愚痴る。
そう襲撃が最も激しくなるのは明朝からと予測されている。
だと言うに彼らが哨戒に出されたのはこれで四回目であり、目に見えて疲労が溜まっていた。
「既に、何匹…倒しましたかね?」
目の下に馬鹿でかい隈を作ったバイエが、死人みたいな顔で言う。
「十から先は覚えて…ない!!と言うかバイエ君は寝た方が良くないかな?」
ディが食べ終わった肉の骨をぶん投げながらディが言う。
バイエは朝と昼は狩人として哨戒、夜は工房の一員として設備の整備を行っている。つまり殆ど寝ていない。
「いえ、ルルメ様は一睡もせずに作業してますし、何よりお二人に悪い…」
バイエは虚な瞳で、空中を旋回する骨を眺めながらそう返した。
「気にせずバイエは休むべきだよ、あの防衛設備、凄い威力だし…ね!!」
そう言ってラウズも骨をぶん投げた。
因みにルルメの作った防衛設備とは激龍槍を簡易化したものであり、スイッチ1つで大人2人分程の鉄針が複数飛び出し、モンスターを四方八方から串刺しにするというシンプルな物である。
それが街の至る所に設置されているのだから、それの成果とルルメの仕事量は計り知れない。
「でもそんな事言ったら例の"白い少女"も同じくらい成果を上げてますよね?」
「まぁ…あれは例外だよ」
そんな会話を交わしながら弧を描く骨を眺める3人。そしてバイエ以外の2人が有ることに気付き声をあげる。
「「あっ!」」
「どうしベラッ!?」
そしてバイエの側頭部をブーメランの如く旋回してきた骨が直撃した。
バイエが力尽きました。
暫し唖然とした2人だったが、
「「まぁ丁度良いか」」
と同じ結論に達した。
侵入者
ラウズとディはバイエを木陰へ運び、2人で哨戒を続ける事にした。
そして日が高く昇った正午頃、事件は起こった。
最初にそれに気付いたのは、街に住む少年だった。
「母さん、窓の外にトカゲさんがいるよぉ」
それを聞いた少年の母親は、小さな体の蜥蜴を連想しつつ、窓の方を振り向き…凍り付いた。
少年の指差す先に居たのは可愛らしい蜥蜴なんかじゃなく、鋭い牙と黄色い鱗を纏う砂漠の鳥竜種だった。
平穏な街の一角が、女性の金切り声と共に惨劇の舞台へと姿を変える。
女性の悲鳴に反応したゲネポスが窓硝子を突き破るのと、母親が少年に覆い被さるのは同時だった。
少年の瞳に映るのは、降り注ぐ硝子と血の雨だった。
母親は少年を抱き抱えたまま、背肉を切り裂く激痛と痺れを振り払い家の扉から飛び出した。
「誰か、誰か助けてください!!」
街道を行く人々の目に映るのは、血塗れで叫ぶ女とそれに飛び掛かるゲネポスの姿。
その凶爪が親子を切り裂く、その寸前に鉛色の閃光がゲネポスの顔面を捉えた。
グチュァッ
嫌な音と液体を撒き散らし、ゲネポスの体が街道の真ん中にある柱に叩き付けられる。
「スイッチ!!」
「はい!!」
血糊の着いたスパナを持った人物が叫ぶと共に、傍に居た美青年がゲネポスの叩き付けられた柱の、隣の柱のデッパリを蹴り付けた。
ジャゴンッ
次の瞬間、軽快な起動音と大量の蒸気と共に柱は針山へと姿を変えていた。
無論傍に居たゲネポスも醜い肉塊へと姿を変えて居る。
「流石は私、完璧だがね」
スパナに着いた血糊を拭き取りながら人物、もといルルメが満足げな感想を漏らすと共に血塗れの母親を見た後、街道に居た狩人や街人を睨んだ。
「呆けてないでさっさと救護班を呼んばんかね!! ハンター共は周りの警戒だ!!」
ルルメの怒声に従う様に、野次馬達は一斉に動き出した。
「全く、役に立たん大人どもだ」
そう言いながらルルメは倒れた親子を介抱する。
「ふむ、傷は浅いか…むむ、君はナカナカ可愛いね?」
ルルメが少年を見て悪い病気を発揮する前に美青年、もといルルメの助手がルルメを止める。
「先生、妙ですよ」
「何がかね、今良いとこなんだが?」
「ギルドからはモンスターの侵入を許したなんて報告はされてません」
「…つまり?」
「奴は何処から入ったんでしょうか?」
そう言って助手が肉塊と化したゲネポスを指差した…その時、路地裏から狩人達の声が響いた。
侵入経路
「ゲネポスの群だ!!」
「一般人は避難しろ!!」
聞こえてきたその言葉は、街の1日を惨劇に変えるには十分過ぎる物だった。
街の人々がその言葉の意味を理解しきる前に、脇道から2人のハンターを血達磨に変えた黄色い津波が溢れ出す。
街の人々は悲鳴を上げ、泣き叫び、その身を引き裂かれながら散り散りに逃げ出す。しかし、それは余りに遅すぎた。
「なんだね、これは…」
ルルメは目の前で繰り広げられる殺戮ショーを見て、ただ呆然と立ち尽くした。
そんな中、飛び掛かって来た一匹の頭をスパナで反射的に叩き潰し、大きく息を深呼吸をした。
そして冷静に現状を分析する。
敵は脇道から際限なく溢れ出すゲネポス共
街の中心部にいるハンター達は前線に回されない役立たず達
しかし勝機はある。此処には自信作の防衛設備が張り巡らされている。そして大半の人間が地を這うように逃げ惑っている。
これなら設備を起動して、ゲネポスの頭だけを串刺しにする事が出来る。
「スイッチ、上半分だ!!」
「はい!!」
ルルメの号令で、助手が集るゲネポスを掻い潜り、目的のスイッチを押し込んだ。
が、
ズゥゥン…
防衛設備は起動せず、申し訳程度の水蒸気と地響きが起こるだけだった。
「な、何故…蒸気圧の不足、設計ミス、連続起動には強度がたりなかった…いや私はそんなミスなんて…」
ズンッ
困惑するルルメの思考を遮って、再び地面が揺れる。しかも先程より強く、大きい。
「地響き…そうか判ったがね」
ズドォッ
起動しなかった原因に気付いたルルメの足元が、地響きと共に大きく湾曲する。
「壊れたのは地下の配管か…そこは盲点だったがね」
ルルメが諦めた様に呟いた瞬間、その足元に二本の角が出現した。
「せ、先生!!」
その角がルルメの体を突き刺す寸前に、助手がルルメの体を突き飛ばした。
それでもルルメの体は辺りの瓦礫諸とも、二本の角に突き上げられ、地面に叩き付けられる。
「まさか…地下の配管用の空洞を通ってくるとは…」
口の端から僅に血を垂らしながら、ルルメは目の前に現れた竜を見上げる。
砂色の体表、赤を垂れ流す二本の捻れた角、その尖端にはルルメの身代りになった助手の姿があった。
「角竜ディアブロス、コイツを引き入れたのは…私か」
そう懺悔するルルメの傍らに、胴の半分以上を無くした助手の体が落ちてきた。真っ赤になったそれが動く事はもう二度とない。
「くそっ…畜生が…」
揺らぐ赤
街中に出たせいか、酷く興奮した様子のディアブロスは目の前で立ち尽くすルルメ目掛け鎚の様な尻尾を振りかざした。
地獄絵図と化す街の一角にまた1つ血飛沫が舞う。
しかし、ルルメは依然として立ち尽くしたままで、代わりにディアブロスが悲痛な呻き声を上げていた。
そしてルルメを捉えた筈の鉄槌じみた尻尾が、肉片となって落下する。
「大丈夫ですか? ルルメ・ジェントさん」
そんな言葉と共に、ルルメの視界に真っ赤なマントが現れた。
「君は、ギルドの…」
「アルムと言います」
そう言ってニヘラと笑う男の腕には蒼い太刀が握られていた。
「先程集会所の方にも此の黒いのが現れましてね、とりあえずは街の人々には三番目側の門まで避難して貰おうかと…どうかしました?」
終始無言のルルメを見て赤マント、もといアルムが尋ねる。
「あれが街に侵入したのは私のミスだ…」
「そうですか。ま、そんな事より今は逃げる事を考えましょう。何分自分は本職じゃないんで」
アルムは興味無さげに答えると、飛び掛かって来たゲネポス二匹を切り裂いた。
「雑魚だけなら兎も角、砂漠の悪魔が相手じゃ分が悪すぎます。近くにもう一頭いますし。貴方は走れそうですが…そちらは駄目そうですね?」
アルムは太刀を構え直しながら、ルルメが介抱していた親子を見る。
子供は無傷だが、母親は走るどころか立つことすら儘ならない様子だ。
「どうします、此処で援軍が来ることに賭けて皆殺しにされます? それともお子さんだけ逃がします?」
余りにも不謹慎な言い方に、呆然としていたルルメも不快感を顕にするが、母親はただすがる様に呟いた。
「この子だけでも助けて…」
「素晴らしいですね、正に母親の鏡です。で、どうします、ルルメさん?」
懇願する母親を見て尚、アルムはそう宣った。その言葉がルルメの逆鱗に触れた。
「君はふざけて居るのかね!?」
「自分は至って真面目ですよ」
怒るルルメを酷く冷淡にアルムはあしらう。
嘆き駆ける
「こう見えて私は片方義手でしてね、そんな私が子供抱いて貴方を守りながら、魔物達から逃げ切れる訳がないでしょう? 母親見捨てた上で皆一緒にくたばりたいなら別ですが」
そう言うアルムのニヘラ顔は酷く冷たい物に見えた。
「どうします? 早くしないと自分だけ逃げてしまいますが?」
アルムのその言葉で、ルルメは意を決する様に母親から息子を奪いとる。
「ありがとうございます」
「…本当にすまない」
母親の言葉にルルメはそう返す事しか出来なかった。
そのやり取りを確認したアルムは閃光玉を頭上へと投げ上げた。
「さて逃げますか…速さは合わせてあげますが、決して速度を落とさない様に。あと背後には気を配らなくていいですので」
早口でそう告げられ、ルルメは駆け出した。そんな彼らの背後で閃光玉が膨大な光と共に爆裂する。
「ねぇお母さんは?」
モロに閃光を直視し一時的に視力を失った子供が、自分を抱くルルメにそう訊ねた。
きっと一度に沢山の事が起こったせいでこの子は現状を理解出来ていないのだろう。
もう二度と母親に会えない事も
自分から母親を奪った一因が自分を抱く人間にある事も
だからルルメはその問に答える事が出来なかった。
「すまない」
「ねぇ、なんで謝るの?」
だからただ謝罪を繰り返し
「すまない…」
「ねぇ、なんで泣いてるの?」
その子を決して手離さぬ様、強く抱き締めるしか出来なかった。
「すまない…すまない…」
後悔と自責の念そして他人の子を抱き、無意味で不公平な謝罪を続けながら走る工房の主の背後では、赤い布切れが陽炎の様に揺めき蒼刃を深紅に染め上げる。
工房の主を責め立てる様に路傍に横たわる屍の列と決して目を合わせない様に、彼らは赤い街道を駆け抜けた。
確定
時を同じくして『三番目』とは対極の場所に位置する街門。其処を守るのはそこそこに腕の立つ3人の狩人。
簡潔に彼らについて述べるなら、茶髪のモジャ髭とふざけた紫色の坊主頭と禿げの3人組と言うこと。
そしてこいつらが、どうしようもない屑だと言うことだ。
街の内部に化け物が侵入した事を知った彼らが第一にとった行動は、街の人を逃がすとか化け物と戦うなんて事じゃなく、自分達の身を守ることだった。
それは当然と言えば当然の行為だが、それでも彼らは屑としか言い様がない屑である。
「急げ急げ!!」
「早く!!」
「今やっている!!」
彼らは迫る化け物達の足音を聞いて、あろうことか街門の扉を開いたのだ。自分達が逃げる為だけに…
しかしそれは少し考えれば解る最低の愚策だ。
何故、街の外が安全だと思ったのか…
「よし開いた」
「逃げろ逃げろ!!」
これで助かる」
何故それしきの事で助かると思ったのか非常に理解に苦しむ。
「「「あ…」」」
3人の間抜けな声が重なり、それが開いた扉から顔を覗かせる。
哨戒に出ていた狩人を葬ったであろう牙は形容しがたい臭いを放ち、だらしなく垂れ落ちる涎は赤く濁っている。
現れた轟竜が無言で語る、街の外は既に血の海だ。
「あぁぁ…
ザグンッ
断末魔をあげる間もなく、禿の上半身がこの世から消え去り、腸と大量の血をブチマケながら下半身が倒れた。
轟竜の口からは金属を噛み砕く音と肉を引きちぎる音が無気味に響く。
残った2人は轟竜の興味が自分達に移る前に、仲間の死に背を向けそこから逃げ出した。
決して武器に手を伸ばす事なく、自分達が開いた門を締める事なく、ただ、今死にたくないが為に無様に逃げ出した。
この街に二頭の角竜とゲネポスの群が侵入した事、これは確かに大きなミスだ。しかし、致命的ではない。
腐っても此処は砂漠のど真ん中なんてふざけた場所に造られた要塞なのだ。
どれだけ被害が出ようが、たかが二頭とその他大勢の化け物に滅ぼされる程脆くはない。
だが、敵が際限なく現れるなら話は別だ。幾ら熟練の狩人が徒党を組もうが、無数に現れる竜に勝てる訳がない。
その上、襲撃のピークは今からやってくる。これではどうあっても街門が機能していない街が勝てる見込みはない。
実質、この屑3人が門を開いた段階で、『二番目』が壊滅する事は確定したのだ。
本音
変わって『二番目』に一番近い街門、此処にこの街の生存者の半数以上が集まっていた。
「反対側の門が!? そうですか」
アルムは猫の伝令を受け、諦めの表情を浮かべる。
「ギルドは現時刻を持ってここ二番目を破棄します」
彼の放った言葉に辺りにいる人々がざわつく。しかし、アルムは気にせずに言葉を続ける。
「ハンターでない人は早急にギルドの用意した車に乗ってください。その間にハンターの半分は道にいる敵を蹴散らしてください。もう半分は車の護衛を、殿はギルドが請け負いましょう」
彼が言い終わると共にギルドの人間が問答無用で街の人を荷車へと詰め込み出した。
そんな人混みを掻き分けて1人のハンターが手をあげる。
「はい、質問」
「なんですか?」
「まだ街には人が残ってるんじゃないですか?」
そんな疑問を投げ掛けたのは他でもないテディ・ディだった。
「えぇ、しかしそれらを助ける余裕は今の我々にも貴方方にも無いでしょう?」
アルムはヘラヘラとした冷たい笑顔のまま、そう応える。
「まぁ勝手に助けに行くぶんには構いませんが」
「…因みに殿は何時まで此処で粘るのかな?」
「きっかり一刻です」
それを聞いたディは俯いて1人でブツブツと言ったあと、再びアルムを見た。
「教えてくれて有り難う」
「いえいえ、では我々は足止めをしてきますので」
アルムはニヘラ顔でそう言うと、白い少女と一緒に街の中心へと消えて行った。
「よし、行こうか」
「自分も付き合いますよ」
武器を構えたラウズとバイエがディに続くが、彼女がそれに待ったを掛ける。
「2人は荷車の護衛に回ってくれるかな?」
「「何故!?」」
予想外の台詞に2人の声が重なる。
「残ってるハンター達は皆疲れ気味だしさ、ラウ君達は戦えない人達に付いてて欲しいのさ」
「ならディさんもも一緒に」
「いや、そしたら街に取り残された人達が助けられないじゃない?」
「だから僕達も一緒に…」
ラウズがそう言った瞬間、ディは酷く冷めた表情でため息を吐いた。
「私はさ人助けがしたいが為にハンターになってこの街に来たのさ。なんだけど…どうにも君達が弱すぎてずっと君達の世話にかまけっぱなしだったの。で、折角の機会だから足手まとい無しで正義の味方ゴッコがしたいのよ」
ディは、解るかな? と付け足して蔑む様な目で2人を見た。
「簡潔に言うと、君達に私の背中は預けられないのさ」
ディはそう吐き捨てた。
建前
ディの言葉は、とても一年近くパーティーを組んできた相手に言う台詞ではない。
それを聞いたバイエは口を押さえて俯き、ラウズは彼女の肩を掴んだ。
「ディ」
「何かなラウ君、本当の事を聞いて怒ったのかな?」
ラウズは、嘲る様に笑うディを両手で掴み、引き寄せ、その頬にキスをした。
「へ?」
「コレが終わったらデートをしよう。三番目の外壁の上で待ってるよ」
不意打ちを受けたディが状況を把握する前に、ラウズはそう告げてディから離れた。
「え、今…え、ラウ君?」
「じゃあ、先に行ってるよ」
ラウズはディの言葉を無視してバイエと共にその場を離れる。
そしてディから十分離れてから、バイエは口を押さえいた手を外し、クスクスと笑いだした。
「すっ…ごく棒読みでしたね、無理してるのバレバレと言いますか」
「そうだね…芝居が下手なんだから普通に言えば良いのに」
クスクス笑うバイエとは対照的に、ラウズは硬く拳を握り締め、外壁を殴り付けた。
「俺達が足手まといなんて事はずっと前から解ってるのに…改めて言われるどうしようもなく自分が嫌になるね」
そう言ってラウズは奥歯を噛み締める。
「でも護衛を任されたのも事実です。今はそっちに集中しましょう」
バイエが咳払いをしながら装備の確認をする。
「そうだね、今はあの日を繰り返さない事が大切だ」
「…あの日?」
「いや、此方の話だ」
ラウズはそう返し自分のランスを見上げる。
そう、今日と言う日をあの日の焼き回しにする訳にはいかない。
少年だったあの時とは違う。
彼女の隣に立つことは叶わなかったが、この手には鍛え上げた槍と盾がある。
そして仲間が居る。
あの日とは違う、何もかも。
もう自分は何も出来ない少年ではない。
自分はもう一端の狩人だ。
あの日守れなかった物…優しい狩人、父親、街の人々、それらを守るためだけに狩人になったのだ。
先発隊が出て十数分後、大量の荷車が街人を詰め込み、門の前に並んでいた。そしてゆっくりと、重々しい街門が開かれた。
それに続くように、忙しく荷車の群が動き出す。
「よし行きますか」
「えぇ、取り敢えず死なないでくださいよっと」
そう言って荷車の後ろに飛び乗るバイエ
「冗談を言うなよバイエ、此方はデートを控えてんだからっさ」
そう返しながらラウズも荷車の後ろに飛び乗った。
荷車の群は、ゆっくりと赤く染まる砂の海へと繰り出していく。
砂色の矢
街の一角で砂漠の暴君と対峙する赤マントと白い少女。
彼らの後ろには、彼らが処理したゲネポスの群とその群に襲われていた街人達。
「いやぁ…不味いですね」
赤マントが前後を見比べながら愚痴る。
ディアボロスの主な攻撃は巨躯と二本の角に任せた突撃。それは鎧を纏った狩人ですら容易く打ち砕く。
無論、一般人が食らえばひとたまりも無い。
しかしディアボロスと彼らと街人達は直線上に位置している上、狭い街道では避けることすらままならない。
良い案は浮かばないが、相手は待ってはくれない。
「どうにかして私があれを転かせますから、カノクはそれに続いてください」
「解った!!」
苦々しい表情で言う赤マントにカノクが元気に答える。
「さて…どこまでやれるか」
赤マントが風に流される様に低空を滑空し、それに左肩を回しながらカノクが続く。それを見たディアボロスも両脚で地を蹴った。
ディアボロスにギリギリまで接近し、二本の鋭い角が目と鼻の先に迫った瞬間に、赤マントが翻る。
ビリィッ
赤マントは容易く八つ裂きにされるが、中身は既にもぬけの殻。視界を奪われたディアボロスは無意味にその角を突き上げるが当然当たる訳がない。
「結構高いんですよ、そのマント」
赤マント、もといアルムはディアボロスの足元に滑り込みながらそう呟き、姿勢を低くし蒼刃を水平に構える。
「せぃやっ!!!!」
力強い発声に合わせアルムの体が独楽の如く回転し、蒼刃が赤い火花を散らしディアボロスの腱をズタズタに切り裂く。
よろめく砂色の巨体、が、その巨体は倒れる事無く大地を踏み締める。
破れたマントの隙間から覗く双眼は足元にいる2人ではなく、動けないで居る街人達を捉えていた。
その気配を察知したアルムが追撃を繰り出すべく、その体をバネの様に捻りあげる。
が、それよりも早くディアボロスの胸部が膨張した。そして…
「しまっぁ!!?」
ディアボロスが吼えた。その咆哮は地を揺らし、容易く人体を竦み上がらせる。
そしてアルム達の体が束縛から逃れるより早く、砂色の巨躯が矢の如く地を駆ける。
「ッ」
完璧に出し抜かれた、この距離では決して追い付けない、数秒後には街の一角がトマトスープをぶち撒けたより酷い有り様になる。
アルムがそう諦めた瞬間、脇道から1つの影が飛び出した。
ディアボロスを砂色の矢と言うなら、その影は真鍮色の弾丸と言うに相応しい速さと鋭さを持っていた。
真鍮色の弾丸
真鍮色の弾丸はアルムが切り裂いた腱に狙いを定め、踏み切りと共に右手に構えたランスを突き出した。
「ハァッ!!」
気合いと共に穿たれた一撃は全てのエネルギーを尖端に集約し、ディアボロスのアキレス腱で爆裂する。
鮮やかな赤が飛び散り、悲鳴と共にディアボロスの上体が大きく傾く。それを見たディは一歩後退し、柄を強く握り直す。
「もぉ一っ発!!!」
怒声を上げ、ディアボロスの剥き出しになったアキレス腱をランスで薙ぎ払った。
ギャァァァア
一際大きな悲鳴を上げ、ディアボロスの巨体が脇の民家にめり込んだ。
その倒れる体を追うように白い小さな影が疾走し、高々と弾けた。
「ぬりゃりゃりゃりゃぁ!!」
ディアボロスの頭部を往復する黒い棍棒はたったの二撃で堅牢な双角をへし折り、民家を跡形も無く粉砕し、三撃目で右目ごとディアボロスの頭部を抉り取った。
ディアボロスは脳髄を垂らしながら立ち上がるが、断末魔と言うには弱々し過ぎる声と共に瓦礫の中へと埋もれた。
ディアボロスが息絶えたのを確認して、ディはため息を吐きながらランスを収納した。
「ふぅ、どうにかなったかな」
「貴女も物好きですね?」
そんな彼女に苦笑気味にアルムが話し掛ける。
「人助けが趣味なのさ」
その一言を聞き、アルムは益々苦笑する。
「それは酔狂な趣味をお持ちですね?」
「貴方も似たような事してるじゃない?」
「自分のは趣味じゃなくて仕事です。仕事じゃなきゃ人助けなんかしませんよ、私は」
アルムはへらへらと笑うと、破れたマントを羽織直して再びディを見る。
「さて勇敢な狩人さん、私は其処な方々を連れて門まで戻りますが、貴女はどうします?」
「私は時間ギリギリまで人を探すよ」
アルムの問い掛けに、ディは狂走薬を飲み干しながら答えた。
「それは酔狂な事で」
「何とでも好きに言えば良いさ」
「しかし貴女みたく優秀な方に死なれるとギルドにとって大きな損失ですからね…」
アルムは言いながら、カノクに手招きをする。
「そんな貴女にこの子をお貸ししましょう」
「…え?」
「時間を過ぎたら2人共置いていきますので…ちゃんと返してくださいよ?」
「つまり、この子は私が無茶をし過ぎない為の枷って事かな?」
「そんなところです。でも、実力は折紙付きですので…」
アルムはそう行って街人の方へ踵を返す。最後に、
「時間厳守ですよ?」
とだけ付け足して、赤マントは去っていった。
怨敵
場所は変わって
赤い斑点が群れを為すとある砂丘
「らぁっ!!」
怒声と共に穿たれたラウズの一撃が盾蟹の脚を粉砕し、
「よいしょっ!!」
炸裂する竜撃砲がその甲殻を脳天ごと爆散させる。
華麗な連携から放たれた必殺の一撃に為す術なく息絶える砂漠の大名を見てラウズが溜め息を吐く。
「バイエ、これで何匹目だった?」
「さぁ? 砂竜が3匹に雌火竜が1匹、小さな角竜が1匹、盾蟹は…3か4じゃないかと」
「うん、もうどうでもいいや」
諦めつつ言いながらラウズが刃こぼれしたランスを研ぎ直す。
脱出組の一行は既にかなりの量の敵と遭遇していた。
砂竜に蟹、果ては飛竜、数え出すとキリがない。
先行した狩人はとうに荷車の積み荷と化し、護衛の任務を受けた狩人達も闘える物はラウズ達を含めあと僅かだ。
「とりあえず休憩するか?」
「ですね…」
特にバイエは連日の徹夜が響き、いつ倒れても可笑しくない状態だった。
だから彼らは残った狩人達と交代し、少々血腥い荷車で仮眠を取ることにした。
そんな満身創痍とも言うべき荷車を狙うのは、剛爪を砕かれ隻眼になり尚狂暴さと残忍さを失わない一頭の轟竜。
彼らを…いや、ラウズを積む荷車の前にかの仇が現れたのは、皮肉と言う他ないのだろうか。
手負いの轟竜が自身の視界を横切る人間共を積んだ荷車を逃す筈がなく、白い牙が並ぶ顎を限界まで開き、その名に違わぬ咆哮を轟かせる。
そこからの出来事は正に電光石火だった。
疲労困憊の狩人なんぞが轟竜の名を欲しいままにする化け物相手に足止めなんて出来る筈もなく、哀れな人間は気の違った様な断末魔だけを残し、この世から肉片1つ残さず消え去った。
それを聞き荷車から降りたラウズの眼前には、口から夥しい"赤"を垂れ流すかの日の怨敵…
それを見た瞬間ラウズは悟った。これはあの日の焼き回しであり、目の前で死を撒き散らすのは決して逃れる事のない自身の宿命だと。
ならばと、かつての少年は顔を歪ませる。
あの一匹で、既に私怨は断ち切った事にしておいたが、貴様がまた道を塞ぐのあらば話しは別だ。
もう自分は役立たずの糞餓鬼ではない。
貴様の喉笛を切り裂き、自慢の豪腕を貫き、父を飲み込んだ腸を掻き出して血水泥の底に沈めてやる。
荷車から飛び出すラウズの姿は、とても疲労困憊の人間の物ではなく、まるで鬼に憑かれたかの様に、禍々しく鋭く、濁った空気を孕んでいた。
必然
轟竜を前にしたラウズの精気は今までに無いほどに充実し、その動きはかつてない程に冴え渡っていた。
ランス捌き、ステップを織り混ぜた足運び、驚異的な集中力、どれをとっても最上級と言うに相応しくディと変わらない程の物だった。
しかし、その強さは完璧ではなかった。
幼い頃から彼には狩人としての才はなく、ただがむしゃらに鍛練を積んできた。
端から見ればまるっきり無駄に見えたそれも決して無意味ではなく、それは確実に積み上げられていたのだろう。
誰かが引き金をすればその力は炸裂する、そんな状態まで彼の努力は積み上げられていた。
だから今の彼の強さは必然なのだ。
しかし、問題なのはその引き金を引いたのが怨敵、轟竜ティガレックスだった事だ。
地を掻き迫るティガレックス、その剛腕が伸びきった刹那の瞬間にラウズは脇をステップで潜り抜けた。
そしてスレ違い様にランスの切っ先が轟竜の脇腹を抉り取る。
正に圧倒的、今の彼が手負いの轟竜に負ける可能性なぞ一分もなく、その瞳は揺らぐことなく轟竜を捉えていた。
あぁ、だからこそ彼は完璧ではなかった。
彼の瞳は轟竜を捉えると同時に、轟竜に囚われている。
だからこそ彼に敗北は無く
だからこそ彼はその悲劇を避ける事が出来なかった。
彼の視界には手負いの轟竜、もう数分としない内に彼に駆逐されるであろうかつての怨敵。
そして彼の視界の外には一人の狩人。
彼の友であり、仲間である狩人は連日の作業で疲労困憊でありなが、彼と共に戦っていた。
その事実を彼の濁った瞳が写すことはなく、その時がくるのもまた必然だった。
幾度目かの轟竜の突撃、ラウズはそれを容易くかわしたが、バイエはその一撃を正面から受け止めた。
遠すぎる
金属の破壊音と良く知った人間の呻き声で、ラウズは漸くその事実に気付いた。
咄嗟に振り返り盾ごと首筋に食らいつかれているバイエを見て、彼が叫ぶ
「バイエ何故ッ!!」
何故避けなかった!! と彼は言いたかったのだろう。しかし、視界に映った光景が彼にその言葉を言わせなかった。
バイエはあと少しで食い千切られると言う状況でなお、一歩もひかなかい。何故なら彼の数メートル後ろには荷車の群が有ったから。
彼はそれを見て自分が如何に愚かか気付いただろう。
如何に強さを、その才を開花させようが、何故それが必要だったかを忘れているんでは何の意味も無い。
あの日の彼は何を誓いハンターになったのか?
その答が皮肉にも彼の目の前にあった。本来は自分が彼処に立っているべきだったのに…それに気付くのはあまりにも遅すぎた。
ラウズがバイエを助けるには、その数メートルはあまりにも遠すぎる。
彼が走り出した時には既に最後の攻防が行われようとしていた。
ティガレックスはバイエを一飲みにすべく、バイエの体を上へと放り投げた。
真っ赤な口が底無し沼の様に開かれた瞬間、バイエのポーチから少量の爆薬が零れ、ティガレックスの口に流れ落ちた。
それを見たバイエは苦痛の混じった表情で確かに微笑み、
ガンランスの引き金に指を掛けた。
そして、駆け寄って来るラウズを見て僅かに口を動かす。
『ルルメ様を頼みますね、ラウズ』
ラウズには確かにそう聞こえた。そう聞こえてしまった。だから、バイエが何をするのかが解ってしまった。
「待てバイエ!!」
そんな彼の言葉を無視して、バイエが最後の雄叫びをあげる。
「ア゙ア゙ア゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ァ゙ア゙!!!」
バイエの握るガンランスの先端からはある攻撃の予備動作である蒼白い炎が噴き出していた。
バイエは自身の腕なんて容易く食い千切るであろうティガレックスの顎に自ら、ガンランスごと腕を捩じ込む。
そしてバイエの腕が胸ごと食い千切られ、バイエの最後の一撃が彼の思惑通り炸裂する。
爆薬を巻き込み爆裂した竜撃砲は人の肉片を撒き散らし、ティガレックスの片方の眼球を弾き出した。
しかしそれでもなおティガレックスは死なず、ラウズが辿り着くより早く砂漠の空へと姿を消した。
そして…ラウズが辿り着いた時には、砂漠には小さな赤い水溜まりが出来上がっていた。
追い付かない
ラウズの目の前には赤い水溜まりに浮かぶバイエの姿。
その腕と体の四分の一程がごっそりと無くなっていて、其所から湧々と赤が流れ続ける。
渇いた砂丘に水を垂らしても直ぐに干からびてしまう筈なのに、その水溜まりは干からびる所か徐々に大きくなっていく。
「…バイエ」
ラウズの口から漸く出たのはそんな言葉だった。
「ラウ、ヴッ」
バイエの口からは言葉の代わりに、夥しい量の血が噴き出す。
「喋るな、今すぐ車に積んでやる」
ラウズは手持ちの回復薬を全てバイエに使ったのちに、彼を担いだ。
「…ック」
体に大量の血が掛かるが、バイエの軽さにラウズは驚愕した。
腕一本と大量の出血で人は此処まで軽くなるものなのか、と。
ラウズは荷車の扉を開き、ざわめく街人達を無視してバイエをそっと降ろした。せめてもの救いはその荷車にルルメが居なかった事か…
「こいつを頼む」
ラウズは医者らしき人物にそう告げて荷車から降りた。
でも彼は気付いていた。
治療したところでバイエの腕は戻らないし、元より助かる訳が無いことを…
しかし、そう言って事実から目を逸らさなければ、彼は平静を保てなかった。
1人荷車から降りたラウズに医者らしき人物が近寄り、
「解った…が、もう戦える者が君しか居ないんだ」
申し訳なさそうにそう言う。
それを聞いたラウズは黙ってランスを研ぎ直し、深くヘルムを被り直す。
「俺独りで大丈夫だ、俺独りでどうにかする…してみせる」
そう告げると彼は荷車の扉を閉じた。
砂丘に有った水溜まりは、根源を失ったせいでとっくに枯れ果て、その代わりに嫌な臭いが立ち込めていた。そしてそれと同じ臭いがラウズの背中からも漂っていた。
そして…そんな臭いを嗅ぎ付けてか、荷車の外には大量の肉食竜が姿を現していた。
ラウズは無言で閃光玉を投げ上げ、ランスを構え駆け出した。
破裂した閃光玉は灼熱の太陽が霞む程の烈光を撒き散らし、色とりどりの化け物共が黒く長い影へと成り果てる。
それは刹那だけの黒と白だけの世界。そんな世界を独り駆ける彼は、ボソリと呟いた。
「くそ…畜生ぅ…」
元の色を取り戻した世界を彼は赤く染め上げる。
何が何頭来ようが、彼は全部真っ赤に真っ赤に塗り潰す。
その強さは圧倒的であり、何者も荷車に触れる事はない。
しかし、もう彼は彼の憧れに追い付く事はない。
何故なら彼は結局、肝心な物は1つも守れなかったのだから。
ゲス2人と狩人2人
今や化け物の檻となった『二番目』…
何処へ行こうと化け物との遭遇は免れないその場所を2人の狩人が駆け抜ける。いや、逃げ回ると言った方が正しいか…
その2人こそ、この壊滅的な状況を造り出した張本人だった。
2人の狩人は助けを求める人を払い退け、蹴散らし、自分達が助かりたいが為だけに疾走を続けていた。
しかし因果応報とでも言うべきか、最短距離を駆け抜けようとした彼らは憐れに砂漠の主である黒い角竜に見付かってしまった。
故に彼らの後ろには、家屋を蹴散らし、彼らが見捨てた人達を踏み潰しながら黒い角が迫っていた。
幾ら細い道を行こうが角竜は決して2人を逃すことなく追い続ける。あと数分もすれば2人の体力は尽き、容易く黒い角に串刺しにされる。
そんな時だった。
いっそ死んだ方が世のためになる2人の視界にある者が映った。映ってしまった。
それは赤く塗り潰した様なランスを担いだ女と、身体中に赤い斑がこびりついた白い少女、そして彼女らに救助されるところだった1人の街人。
それを見た彼らに下卑た考えが浮かんだのは当然の事だろう。
2人のゲス野郎は躊躇う事無く彼女らの後ろを通り過ぎ、小さな脇道にその身を消した。
「何だ、あいつら?」
少女の疑問の答えが、破砕音と共に向こうから姿を現した。
「砂漠の主!?」
不測の事態に動揺するディ。だが、即座に打開策を考えるべく鞄に手を入れた、その時だった。
『イヤァァアッ!!!!』
街人が悲鳴をあげたのだ。一般人が竜を見れば悲鳴をあげる。それは当然の事だが、その時に悲鳴をあげる事は最悪と言う他無かった。
街人の金切り声は意図も簡単にディアブロスの怒りを買った。
即座に臨戦態勢を取るカノクだが、既に刻限が迫っていた。
そして時間までに砂漠の主を倒す事は不可能であるし、かと言ってこのまま逃げても確実に主は着いてくる。
少女の頭を諦めが過った時、赤茶色に成り果てた弾丸が黒い腹を一閃し主の背後に陣取った。
「時間を稼ぐから行って!!」
「でもアンタが…」
「直ぐ追い付くから、ね?」
その笑顔と一言で、少女は街人を担いで駆け出した。
「君は此処で足止めかな!!」
それを確認したディは道具屋の残骸から閃光玉を拾い、炸裂させた。
視力を失い地団駄を踏む主の脇を駆け抜けようとした時、それは降ってきた。
「轟竜かぁ…デートはちょっと延期になりそうかな?」
そんな台詞が少女の耳には聞こえたらしい。
三番目の街
襲撃のピークが過ぎた次の日…
三番目の街の周辺では未だに哨戒の狩人達が彷徨いていたが、周りにこれと言って竜の姿は見当たらない。
そんな三番目の街門の側に、ラウズは独り座り込んでいた。
…結果から言って、彼は残った道程に現れた化け物を全て駆逐し、見事に荷車を護衛してみせた。
しかし、三番目に辿り着きラウズ荷車の扉を開いた時には既にバイエは息絶えていた。
鮮やかな赤を垂れ流していたバイエの肌は驚く程に白くなっており、その体は酷く冷たくなっていただろう。
それがただの屍だと解ってしまう程に…
だから彼は友の死を理解してしまう前にその場から逃げ出した。
途中、見知らぬ子供を連れたルルメとぶつかったが、彼は何も言わず逃げ続けた。
しかし、逃げると言っても此処は全く知らない街だ。
何処へ行く当ても無く、何処へ行っても狂ってしまいそうな気を鎮める事は出来なかった。
誰か知っている人に会いたかった。でも今ルルメに会うことは出来ない。出来る訳が無い。
だから彼は彼女を待つ事にした。
独り街門の下に座り込み、永遠と待ち続けた。自分の名を呼んでくれる彼女が来るのを…
そして数刻後…
彼の目は待ち続けた物を写し出す。
長い影を引き此方に向かってくるのは間違いなく二番目の街で見た荷車だった。
彼は迷うこと無く荷車に駆け寄り、その扉を開いた。
が、其処に彼女の姿は無かった。
代わりに必死に涙を堪えている少女と赤マントの男が彼の方にやってきた。
「申し訳ありません」
男の第一声はそんな謝罪の言葉だった。そして街人達が街に入って行くなか、男は彼女に何があったかを彼に伝えた。
その間中、ラウズの思考は止まったままだった。
最後に彼女が足止めに残る男達が吊し上げられているのを見たが、彼は何の感情も抱かなかった。
彼が思った事は1つだけ…
「ディを助けに行かないと…」
荷車に繋がれていたアプトノスに飛び乗ろうとするラウズを赤マントの男が止める。
「行っても無駄です」
「黙れ、彼女はまだ生きてる!!」
ラウズはその言葉を否定する様に声を荒らげ、男の腕を振り払う。
そんな彼に憐れみの目向けながら言葉を付け足す。
「無駄ですよ、だいたい貴方1人じゃ犬死にも良いところですよ?」
それだけ言うと赤マントは白い少女の手を引き、三番目の街へと消えていった。
確かに彼1人では二番目に辿り着けるかすら怪しい。
彼1人だけでは…
理想を崩す現実
ラウズは三番目の集会所に来ていた。
自分1人で無理なら誰かに助けて貰えばいい。丁度良い事にこの街には腐る程ハンターが居る。
何人かは手助けをしてくれるかもしれない…
彼はそう思って集会所の扉を開いた。だが、
『今から二番目に行くって!?』
『断る、まだ死にたくないし』
『彼女が取り残された? それはお気の毒に…しかし助けは別の奴に頼んでな』
現実は簡単には行かなかった。
皆、口を揃えて死にたくないと言い、二言目にはある男の名前を挙げた。
化け物の巣窟と化した二番目でまともに戦えるのはソイツだけだと。
だからラウズは頭を下げ、その男に懇願した。彼女を助けてくれ、と。
すると男はラウズの肩に手を置き、優しく微笑みこう言った。
『別に構わんが…いくら出す?』
ラウズはその言葉に自身の耳を疑ったに違いない。
その一言で言葉を失ったラウズに、捲し立てる様に男は続ける。
『聞こえなかったか? 金だよ金。俺はこの街で指折りのハンターだからな、小遣い程度の金じゃ動かんぞ』
言いながら男は厭らしい笑みを浮かべる。
目の前の男を見てラウズは思っただろう。
目の前の男は本当にハンターなのかと
あの日、自分が憧れた背中とは対極であるこの男がハンターなのかと
困惑するラウズの顔に男が煙草の吹き掛けながら、言葉を続ける。
『なぁ若いの、ハンターは慈善事業じゃないんだ。お前がどんな理想を持ってハンターになったかは知らんが、ここの奴らは皆金が第一だ。金がなきゃ泣いて頼まれようが指一本動かしゃしないんだよ。此処は屑の掃き溜め三番目だ。解ったら金を払うか諦めるかしな』
その言葉で彼の中の、彼にとって最も大事な物が音を立てて崩れてしまった。
あの日少年が憧れた
不器用な青年を支え続けた
彼がずっと追い求め続けた
憧れであり、支えであり、夢であった狩人と言う存在が、どうしようもない現実を前にして…バラバラに壊れてしまった。
だから彼は逃げる様に煙たい集会所から飛び出した。背後からは嘲笑が聞こえ、彼の心はもう崩壊寸前だ。
そんな彼に唯一残ったのは
彼女がまだ生きていて、自分の助けを待っているかもしれない
そんな願望に近い物だけだった。
だから彼は壊れてしまいそうな心と体を無理矢理奮い起たせ、彼女を助ける為に駆け出した。
そんな彼の視界の隅には、ギルドの所有する竜監視用の気球が浮かんでいた。
空飛ぶ気球
排煙やら、蒸気やらが埋め尽くす三番目の街の空にポツリと浮かぶ気球。
これはモンスターの襲撃を事前に察知する為の物である。日頃は街の上空を飛び、数人のギルド員がモンスター達の動向を監視、記録している。
しかし今は襲撃直後な上、複数のハンターが哨戒に出ているので気球が飛び回る必要が無い。
そのため街の外壁にロープで繋がれ、低い場所をフヨフヨと行ったり来たりしているだけだった。
それを見たラウズその行動をとったのは至極当然だった。
見張りの目を盗み外壁をの上に出て、気球に結ばれたロープを使い気球に乗り込んだ。
しかし、誰も居ない筈の気球には意外な先客がいた。
「こんな所に何の御用ですか?」
気球の隅には見覚えのある赤色が鎮座していた。ラウズはその事実に言葉を失う。
目の前の男はギルドの人間だ。自分が何をしようとしているか知れば確実に只では済まない。
どうやって誤魔化す?
見て解る程に挙動不審なラウズに男はへらへら顔で話し掛ける。
「ひょっとして二番目に行く気でしたか? ギルドの所有物であるこの気球を奪って…」
男の顔は笑っていたが、目は刺す様にラウズを見ていて、背中の太刀を掴む腕は何時でもラウズを両断出来る様に構えられていた。
ラウズは焦った。
この男には全てバレている。
ならどうする?
…障害は排除するしかない。
目の前の男は只の人間だが、邪魔をするなら容赦はしない。
彼女まで失ってしまったら、もう自分を保って居られない。
ラウズの瞳に殺意が宿りかけたその時、男が三度口を開いた。
「所で…自分は今からこの気球で二番目に行くんですよ」
「…は?」
ラウズは男の言葉の意味を理解出来なかった。
「いやですね、この子が二番目に置いてきた忘れ物を取りに行くと聞かないもんですから」
そう言う男の脇からは白い少女が出てきた。その赤く腫れた目は、ラウズと目を合わせる事を拒んでいる様に見えた。
「貴方に気球を盗まれる訳には行きませんが…私達に付いてくるならどうぞご自由に」
そう言って男はニヘラと笑った。
其処で漸くラウズは理解した。目の前の男はラウズが罪に問われない様に手を貸すと言っている事に。
ならば、当然彼の答えは決まっている。
「お願いします!!」
そう答える彼の瞳からは、先程までの澱みが一切消え去っていた。
「では行きましょう」
彼らを乗せた気球は、フワリと空に舞い上がった。
何の誰の
気球は風に乗り、あっという間に二番目の街へと飛んできた。
後は街の一番高い塔に気球を着けて、彼女を探し出せばいい。
「しかし、まさか本当に来るとは思いませんでした。カノクが彼女を助けに行くとゴネるので、君が来れば二番目に行くと言う賭けをしてたんですよねぇ」
ヘラヘラ笑いながら言う男の口調は少々不機嫌であり、嬉しそうでもあった。
しかしラウズは男の言葉を聞く気は全く無い様で、双眼鏡片手にじっと街に生えた建物の隙間を見詰めていた。
「こんな極地に貴方みたいなハンターが居るとは少し驚きです…って聞いてませんか?」
男は呆れたながら言うと、気球の高度を調整しだす。
やることが無いカノクはラウズとは反対側から顔を出し、双眼鏡を覗き込んだ。
瞬間、
「あっ」
彼女の全身に鳥肌が立った。
「どうした!!」
ラウズは反射的にカノクの隣へ移動し、双眼鏡を構え直した。
そんな彼のレンズに映ったのは食事中の一頭の轟竜。それは先日の個体とは違い小さく弱そうな轟竜だったが、問題はそこではない。
奴が居るのは、つい先日まで多くの人々が行き来していた街の往来。そして街のど真ん中。
そんな場所に化け物達の餌である草食竜がいる筈が無い。
じゃあ奴は何を喰っているのか?
ラウズは自身の鼓動が速くなるのを感じながら、双眼鏡のツマミを絞り、ピントを轟竜の口元へと合わせる。
規則的に並んだ白い牙が引き千切るのは、酷く良く知った形をしていた。そう、少し目線をずらせばあれと全く同じ物が自分にも生えている。
あれは人の腕だ。
じゃあ、あれは誰の腕だ?
「2人とも、あまり乗り出すと落っこちますよ?」
赤マントが気の抜けた台詞を言った直後、ラウズが気球から飛び出した。
「何やって!?」
言った端から豪快に気球からダイブするラウズを見て慌てて身を乗り出した赤マントの眼前に、黒い蛇の頭が顔を出した。
赤マントは反射的に抜刀し、現れたガブラスを切り捨てる。しかし、
「ご主人様!!」
即座に数頭のガブラスが気球を取り囲んだ。
「卑しい化け物が、屍を貪っていれば良いものを…そんなに新鮮な血肉がお好きですか?」
男がそう言い切るまでに、少なくとも五回は蒼刃が煌めいた。
「なら好きなだけどうぞ」
太刀が鞘に納まると同時に、ガブラス達は全身から血を撒き散らしながら力なく地に堕ちていった。
「ただし、私の血は一滴もあげませんがね」
堕ちる赤
「ねぇご主人様」
余韻に浸る赤マントの腕をカノクがちょいちょいと引っ張る。
「どうかしましたか?」
「あれ」
そう言って彼女が指差した先には、パックリと裂けた気球の腹があった。
「あ゚」
そして気球がグラリと傾いた。
「あたいは何もしてないよ!!」
「そうですね…とりあえず脱出しますか」
そう言うが早いか、カノクを抱き抱えた男は赤マントを翻し、墜落する気球から飛び降りた。
「また減俸だね、ご主人様」
「そんな事ばかり覚えないでください」
堕ちる彼
落ちる
堕ちる
まっ逆さまに落下する
風を切り落ちる様は正に弾丸。だが、彼の体は鉛ではなく只の肉塊で、中には火薬の代わりに腸が詰まっている。
故にこのまま落下すれば運良く轟竜の頭を貫こうが、彼の体は叩き付けられたトマトの様に体中の赤をぶちまける事になる。
目標である轟竜は丁度真下、建物の隙間で未だに誰かを貪っている。
減速するために
轟竜を貫くために
彼はランスを構えた。
彼の考えた策は到底うまく行くとは言えない物だ。
しかし、出来る出来ないの問題ではない。
彼女を助けられない事が一番の問題だ。
どうせすぐに此方の存在は轟竜にバレるのだ。
なら何処かに居る彼女に聞こえる様に叫べ、知らせてやれ、今自分が迎えに来た事を。
『ああぁぁぁあぁ!!!!』
雄叫びを上げラウズは落下する。
構えた盾とランスの先端で建物を削りながら瓦礫を散らし、螺旋を描き、減速しつつ最低限の速度を保ったまま轟竜に狙いを定める。
当然それに気付いた轟竜は、威嚇の構えを取り大きく息を吸い込む。
それは落下する彼に比べて、余りにも遅過ぎた。
大きく開かれ咆哮が爆裂する寸前の轟竜の口に、凄まじい速度で鉄槍を捩じ込まれる。
『鈍い!!』
ラウズはそのまま螺旋を描ききり轟竜の頭部を瓦礫の上に串刺しにした。
轟竜は咆哮の代わりにゴボガボと赤い泡を散らし、そのまま動かなくなった。
ラウズは轟竜が死んだ事と自分が生きている事を確認し、大きく深呼吸をする。
そして、轟竜が食べていたのが誰かを確認すべく轟竜の食道から腹にかけてを切り開いた。
…結果として中からは3人分の肉塊が出てきたが、1つは成人の男性、残りの2つは子供の物でどれも彼女の物ではなかった。
それを確認したラウズは血塗れになった体を拭う事なく立ち上がった。
先程の落下の影響で盾の下半分は大きく削れ、ランスは少し曲がっているが問題はない。
彼女はまだ死んでいない。
自分もまだ死んでいない。
それだけを頭の中で繰り返しながら、彼は彼女を捜すため轟竜と人の屍を放置して歩き出した。
赤い御守り
そして彼は
ひたすらに街を駆け回り
ひたすらに竜を殺した
邪魔をする鳥竜共は漏らすことなく皆殺し
飛竜の姿を見れば片っ端にその腹を裂き腸を引きずり出した
彼がそんな凶行に走ったのは言うまでもなく轟竜が人を食べているのを見てしまったからだ。
彼は彼女を探しに来たのであって、竜を虐殺しに来たのではない。
しかし、もし彼女が既に死んでいて化け物の胃袋に収まっていたら?
彼の崩れかけた心をそんな不安が掻き立てる。
だから彼は引き裂いて、掻き出して、殺しまくった。彼女がまだ死んでいない事を確認するためだけに…
そして幸か不幸か竜達の腹からは彼女ではない死肉が次々と出てきた。
…しかし、この大量の肉片の中に彼女が居なかったかは断言出来ない。単に彼が彼女だと認識出来なかっただけで本当はとうに彼女に会っていたのかも知れない。
だが、彼はそんな事なんて考えない。
そんな事なんて信じない。
だから彼の記憶に有る彼女に出会うまで、片っ端に殺しまくった。
そしてランスがくの字に折れ曲がり、体が真っ赤に染まりきり、すっかり腹を裂き死体を掻き出す行為に慣れてしまった頃…
彼は見付けてしまった。
道端の血溜まりで鈍い光を放つ見覚えのある小さな金属片。
真っ赤に染まり僅かに肉片の付いたそれは間違いなく彼女の物だった。
何故ならそのピアスの片割れは、血深泥になった彼の方耳で揺れているのだから…
だから彼は絶句した。
彼女が身に付けていた御守りが、赤い水溜まりに沈んでいた理由…そんな事は考えなくても解る。
彼女は此処で死に、役目を果たせなかった御守りと血溜まりだけを残して食い尽殺されたのだ。
それに気付いてしまった彼の精神は麻薬が切れた中毒者の様にバラバラに崩れていく。
血糊で半分近く視界が塞がっていたヘルムを投げ捨て、近くの水場で必死に血の染み付いた体を洗う…
しかし広がった視界にはさっきまで無心に掻き出していた肉の像が焼き付き、鼻腔に染み付いた血の臭いは決して消えなかった。
それに耐えきれなくなったか、彼はピアスの破片を身に付け、その場に踞ってしまった。
彼女のランスだけを回収できた赤マント達が彼を見付けた時、既にラウズは壊れていた。
もう彼に先程までの強さも戦う気力はなく、その姿は見るに堪えない物だった。
此処で何が起きたか理解した赤マントは何も言わず彼を三番目へ連れ帰った。
腐った男
三番目の街に戻って丸一日…
ラウズは彼女の形見であるピアスの欠片とランスを抱え、ヤニ臭い部屋の片隅で虚空を眺めていた。
どうしようもない程に赤が焼き付いた網膜は、目を開こうが閉じようがあの街の惨状を彼に見せ続け、血の臭いがこびり着いた粘膜は呼吸をする度にあの場所の血腥さを思い出させる。
だから彼はただ茫然とランプの灯りを見続け、肺の中を煙草の煙で満たし続ける。
彼は帰ってきてから
何も口にせず
一睡もせず
まるで死体の様に
ただその行為を続けた。
それは他人から見れば酷く滑稽な物だが、知人が見れば見るに耐えない姿だった。
だが彼のその姿を嘆き叱咤する仲間はもう居ない。
もし彼が強い人間なら、その事実を受け入れた上で立ち直る事が出来ただろう。
しかし、彼は弱い独りの人間だ。所詮道具屋の息子でしかない彼は何日掛けようが決して1人で立ち上がる事はない。
そんな彼を見かねて、少女は声を掛けた。
…いや、掛けてしまった。
コンコンと白い少女が彼の部屋をノックする。
しかし部屋から返事はなく、少女がダメ元でドアノブを回すと部屋の扉は容易く開いた。
少女は澱んだ煙の奔流に咳き込みながら中を覗くと、死体の様な男が腰掛けていた。
男は少女が部屋に入って来たのに、全く反応せずランプを眺め煙草を吹かし続ける。
少女は男の変わりように酷く動揺しながらも、勇気を振り絞って口を開いた。
「アタイとご主人様が二番目の中を探索したけど見つかったのはそのランスだけだったんだ。」
少女の言葉を聞いても男はピクリとも動かない。だが少女は構わず続ける。
「何処を探してもディさんは見付からなかったんだ。だから生きていると断言する事も出来ないし、死んでるとも言い切れないんだ」
その言葉で男の瞳が少女の方を見た。もう少しで男は立ち上がる、そう信じて言葉を続けた。
「だから、もしかしたらディさんは生きてて助けを待ってるかも知れないんだ。だから…座ってないで、立って探しに行けよ!!」
少女はそう叫んで部屋から逃げ出して行った。
彼女は解っていた。自分が如何に馬鹿馬鹿しい事を言ったのかを。
無責任な言葉で彼を立ち直らせようとしたのだ。
自分は彼の傷を抉っただけだ。
そんな罪悪感に堪えきれなくなって少女は逃げ出したのだ。
しかし、その言葉で、馬鹿げた幻想にすがって、彼は立ち上がった。
立ち上がったてしまったのだ。
男はただ夢を見る
彼女はまだ生きている
生きて助けを待っている
そんな都合の良い幻想にすがり男は立ち上がる。
そして彼は考える。
彼女を助けるには何が必要か?
簡単に言えば戦力、二番目に巣くう化け物達を一掃出来るだけの圧倒的な数の暴力。
しかしここの狩人達は義理や情では動かない。
ここの屑どもを動かすには金が必要だ。だから頭数を揃えるには大量の金を集める必要がある。
だから金を集めないと…
そう考え彼は狩に出る。
…しかし、その考えが根本的に破綻している事に彼は気付いている。
モンスター全てを殺す必要がない以上、頭数なんか集めなくとも十分な準備をしていけば二番目を数日探索する事位は出来るのだ。
つまり今すぐにでも二番目に乗り込む事くらいは簡単に出来るのだ。
なら何故それをしないのか?
答えは簡単だ。
彼は解っているのだ。
彼女が生きているなんて少女が自分を励ます為にいった戯言だ。
本当は彼女が死んでいるかもしれないと言う事は理解している。
だからこそ助けに行けないのだ。
もし彼女を探しに行って、彼女の死体を見付けてしまったら、どうしようもない現実に出逢ってしまったら…
そんな考えが彼の精神を狂わせる。
だから彼は彼女を助ける準備をし続けるが、決して彼女を助けに行くことは出来ないのだ。
1人で待ち合わせ場所に赴き彼女の居る街に向け花束を投げる事、そんな事が彼に出来る唯一の事だった。
彼はただ腐って行く。
其処にある現実を決して直視せず
都合の良い夢を見ながら
ただ腐って行く…
過去を語るは仮面の道化(幕引きとお願い)
これにて彼のお話はお仕舞いで御座います。
如何でしたか?
夢を見失い
大切な人を無くし
砕けた心を都合の良い幻想でどうにか繋ぎ止める男の話しは…
この後、彼は決して二番目の街を訪れる事は無く、磨き上げた体と技を腐らせながらのうのうと生きて来ました。
彼女を助ける為と称してただ金だけを集める毎日…
そんな毎日は彼にとってただの苦痛でしかありません。
彼の網膜からあの日の悪夢が消える事はなく
その鼻腔から血の臭いが消える事は有りません
彼はどうしようもなく腐ってしまったので御座います。
もう決して自分からは動けなくなるまでに腐ってしまったのです。
しかし、そんな彼を嫌ったり軽蔑したりしないであげてくださいませ。
本来この話を知るのは彼と僅かな人間だけな訳ですし、彼は運が悪かっただけなのです。
彼は逃げ出したあの日から闘い続けたのに、待っていたのはこんな結末だったのです。
壊れてしまわなかった事は称賛にすら値すると私は思います。
しかし、結局今の彼を繋ぎ止めているのは空虚で幼稚な幻想…ただの都合の良い夢なのです。
だから幕を引く前に…最後にお願いです。
ラウズ・ダギィ、彼のすがっている夢すら腐り落ちてしまう前に
誰か彼の目を醒まさせてあげてくださいませ
彼がどうしようもなく壊れてしまうその前に…
中書き的な何か
皆様コンバンワ~
もしくはオハコングーテンターク
へたれ作者です(^^;
当初60話くらいで切り上げるつもりだったのですが
ダラダラと長引きこの有り様です(-"-;)
えぇグッダグダです
しかもちゃんと綺麗に纏まったのかすら謎です
解りにくい駄文でしたがどうにか読めるレベルだったでしょうか?
僅か一瞬でもクスッときたり暇潰しになったのなら恐悦至極に御座います
良ければ最後までお付き合いをば
ではまた次の幕間に
最終更新:2013年02月28日 02:59