決着
見飽きた
そして時は戻り……場所は先程と同じく火山の一角。
既に溶岩竜ヴォルガノスの小さい方は赤い大河から引き揚げられ、無惨な死に様をさらしていた。そして残りの一頭も既に虫の息だった。
分厚い面の殻をカチ割られ、体に付着している筈の粘膜も消え失せていた。
体躯を捩ろうと群がる人間を振り払う事は出来ず、自身の領域である灼熱の中へ逃げ込もうと無数に放たれる弾丸がヴォルガノスを陸へと押し出した。
しかし、それでもヴォルガノスは攻撃する事を止めない。
赤い岩石を吐き出すが4人の狩人は容易くそれをかわし、その内の2人の銃口がお返しとばかりに弾丸を撒き散らし、残りの2人が弾幕の死角から一気に間合いを詰めてくる。
ヴォルガノスは思った。
これは何度も見た光景だ。
相方はこの連携を凌ぎきれずに無様に狩られた。
しかし自分は違う。自分は相方よりも遥かに巨大で屈強な躯を持っている。そして自分は何度も同じ攻撃を喰らう程間抜けではない。
ヴォルガノスは間の抜けた瞳を不気味に光らせ、裂けた口をグニャリと歪ませた。
迫る2人の人間が蒼と桜の大剣に手を伸ばした瞬間、ヴォルガノスは短く図太い両脚に全身の力を込めた。
一瞬の静寂の後、溶岩竜の周囲が僅に陥没し、灰色の巨躯が跡形もなく消え去った。
黒く図太い影が伸び、顔を出した太陽が空に浮かび上がった溶岩竜を照らし出す。
これはヴォルガノスの奥の手だ。二本の巨木じみた脚は想像を絶する跳躍力を生み出し、唖然とする人間共を容易く圧殺する。
溶岩竜は挽き肉になる人間を思い浮かべながらニヤリと頬を歪ませ、数秒後に押し潰されるであろ人間共を見下ろした。
だが、彼の眼下には2人の狩人の影すら見当たらなかった。
ヴォルガノスの巨体は、彼がその事実に困惑している内に地面へと叩き付けられた。
「この動きは見飽きましたわね」
「何年もハンターやっとうからね」
『あぁ無様』
4人のハンターは口々にそう言うと、一斉に武器を構えた。
「ほな、さいなら」
「お疲れ様ですわ」
『退場願おう』
その言葉を最後に二丁のヘビィボウガンは無数の弾丸で竜の身を抉り取り、蒼と桜の大剣が交差すると共に憐れな竜の生涯に幕を引いた。
「あぁ…しんど」
「でもまだ仕事が残ってますわ」
『……誰が行く?』
数秒後、火山の一角にジャンケンの掛け声が響き渡った。
「……うそやん」
効率的
場所は代わり……再び二番目の一角。
ズリズリと足を引き摺りながらも、雌火竜は愚直に此方へ向かってくる。
既に鱗はボロボロで、身体中の甲殻は皹だらけ……正直こう言うのはあんまり好きじゃないんだけど、此方も時間が惜しいのよね。
だから……
「ラストぉ!!」
一切の躊躇なく、皹だらけの眉間を叩き斬った。
馬鹿みたいに大量な血を噴き出しながら、力なく倒れた。
……やっぱり良い気分じゃないなぁ。
「お見事」
黄猫君がそんな事を言うから、私は苦笑いで返す。
さっきの戦いで、私は殆ど何もしていない。と言うかする間もなく、黄猫君が雌火竜をズタズタにした。
それな瀕死の竜に止めを刺すなんて気分が良い訳がないじゃない。
この猫君はわざとそんな事を言ってきたのかな…
「さ、早く合流しましょう」
そう言う黄猫君は何故か嬉しげに見えたり……性格悪いな、この猫君。
あぁ…一刻も早く彼に合流しなきゃ。
そう思いつつダギィ達が落ちたらしい方向の脇道へ入ると……目の前にはすっごく見覚えのある竜が二頭。
どのくらい見覚えが有るかと言うと、細部まで寸分違わず思い出せるくらい。
と言うよりほんの数十秒前に見たような……
「あれ、リオレイアよね?」
「その様で」
「さっきの奴の子供かな?」
「そうですな。少々体躯も小柄ですし」
あぁー、やっぱり小さいよね、あれ。と言うかまた雌だよ。もう私はウンザリだよ!!
狭い通路に雌火竜が二頭。気付かれてないから戦いは避けたいんだけど、この道を通らないと駄目みたいだしなぁ…
「どうする?」
「早々にご退場して頂きましょう」
黄猫君は即答すると、私の鞄からスルリと携帯竜撃砲を二本抜き取りガチンと引き金を引く。
そして青い炎を噴き出す二本を太刀を使って雌火竜達の上部へと打ち出す。
一呼吸置いて、二本の鉄針は赤の奔流をへと姿を変え、両側の建物を粉々に吹き飛ばした。
その爆発を見上げた雌火竜達の目に映ったのは瓦礫の雨だったに違いない。
今、脇道を埋め尽くすのは大量の砂ぼこり……
「エグい真似するね」
「効率的と言ってください」
「まぁそれは良いんだけど……」
今脇道を埋め尽くすのは大量の瓦礫。所謂、通行止めよね……
「これ、どうするの?」
「……回り道しましょう」
「どこが効率的なんだか」
彼と合流するのはまだまだ時間が掛かりそうかな。
低い勝率
目の前の化け物と戦い始めて何分経ったか……
数分か?
はたまた数時間か?
気付けば手持ちの武器の残数はあと三本で、心臓は狂ったかの様に脈打ち、身体中がギシギシと軋みをあげる。
あれだ、満身創痍の一歩手前って奴だ。
それだけの労力を払って解った事は目の前の黒い轟竜が、どうしようもない化け物であると言う事。
確信した事は目の前の奴が幾ら化け物で有ろうが斬れば傷付き、死ぬと言うこと。
そしてもう一つはコイツが確実にバイエを殺した奴と言うことだ。
コレはどうしようも無く勝目が無いギャンブルみたいな物だ。
手持ちの札はカスに等しいのに、相手は明らかに此方より良い手役が揃っている。
無論カードの交換は無し。日頃の俺なら受けもしない勝負だ。
しかし配当がデカイ。僅かでもあの日の精算が出来るならどんな勝負でも受けてやろう。
それに、始めから逃げていたんじゃ先が思いやられるしな。
さぁ、思考を巡らせ作戦を組み立てろ。コイツを殺すにはあらゆる技と道具とイカサマを駆使し、容赦無く徹底的に叩き潰す必要がある。
回復薬を3つ程飲み干し、空になった瓶を投げ捨てると共に煙玉を破裂させる。
「さぁ、勝負だ」
小さく呟いたの聞き付けてか、前方の煙塊が大きく動く。
手にとる様に動きが解るな。
二三歩横に動くと、煙を突き破って白い牙が現れる……が、其処に俺は居ない。
そのまま轟竜は俺の代わりに現れた建物に突っ込んだ。確か……
「其処は薬屋だったな」
轟竜が体制を立て直す前に携帯竜撃砲の引き金を引き、壊れた建物へと投げ入れた。
爆発した竜撃砲は赤い炎ではなく、奇妙な色の煙と共に爆散した。
彼処は変な薬も取り扱ってたからな。何かに引火すれば儲け物だ。
煙から姿を表した轟竜の皮膚は大きく爛れ、自慢の牙も三割程が溶けている。
おぉ、ラッキーだな。
なんて思ったのも束の間、轟竜が前碗を地面に突き立て、胸の形状が変わる程に大きく息を吸い込んだ。
糞が、早々に切り札を切って来やがったか……
俺は盾を構えたが、颶に拐われる木の葉の様に容易く吹き飛ばされた。
「……糞が」
現状把握
目の前轟竜は通常の個体と大きく異なる点がある。
第一に、これは見ると一目瞭然だが、体の半分程が墨でも塗りたくったかの様に異様に黒い。
まぁこれは別に大した問題ではないな。
そして第二に、筋肉が凄まじく発達している。先程ガードして死にかけた事からそれが解った。
まぁこれも避ければ済む事なのでどうとでもなる。
そして第三に……これが一番の問題だ……咆哮の威力と射程が殺人的な物になっている。
轟竜の咆哮は他の飛竜に比べ強力で物理的破壊力を持っている訳だが、その射程は狭く、威力もそこそこだ。
しかし、目の前の奴は格が違い過ぎる。
少なくとも通常の轟竜の咆哮では数メートル離れた人間をガードの上から弾き飛ばしたりは出来ない。
本来、ろくな飛び道具を持たない轟竜と戦う時の基本は、適度な距離を保ち、確実な隙をついて攻撃をする事だ。
此処で言う適度な距離と言うのは、相手の射程外であり、此方が容易く攻撃に移れる距離を言う。
しかし、目の前の化け物にこの考えは通じない。
コイツの射程外に逃げれば此方の攻撃も確実に間に合わなくなる。かと言って近くに居れば咆哮の餌食だ。
素早く起き上がり、全身に着いた土埃を軽く払う……さて、
「どうするか」
煙玉の効果は間も無く切れる。だと言うのに妙案は思い付かない。
こう言う場合、保身を考えて闘うのは愚策だ。既に安全圏なんて物は存在しない。
「ダディ!! 僕も闘うよ!!」
さっきも言ったが当然却下、不確定要素は可能な限り排除しないとな。
……となると、やはり相手の懐に入るしか活路は無いな。
なに、何時もやってる事と何も代わりはしない。
煙幕が晴れると共に鞄から閃光玉を取り出し、投げ付ける。
「反撃といくか」
腐った腸
閃光玉が視界を黒と白だけに塗り潰した瞬間、轟竜が無様な悲鳴をあげる声が聞こえた。
閃光玉の効果は有るようだな。
「目がぁ、目が見えないよ!?」
……あれは無視だ。
晴れた煙幕の向こうでは轟竜がのたうっている。こうなればやることは通常の個体の時と一緒だ。
当てずっぽうで繰り出される攻撃の隙を突き懐に飛び込み、無防備な腹をぐちゃぐちゃに切り裂いてやればいい。
例え見た目と中身が化け物だろうが、戦法ってのは変わらない。
振りかざされる豪腕を掻い潜り、携帯竜撃砲を脇腹に突き立て一気に引き裂く。
飛び散る血肉は真っ赤で通常の物と一切違いはない。だが、その臭いだけは酷く堪え難い腐敗臭……まるで死体が動いてるみたいだ。
まぁそれでも手を緩める事はしないが。
振り回される両腕を紙一重でしのぎつつ、更に突き刺し、一気に腸を掻き出してやる。
より一層強まる腐敗臭、足下は腐った腸と出血で血深泥だ。だと言うのに、何故少しも動きが鈍らない?
そうこうしている内に閃光の効果が切れやがった。
深追いは厳禁だ。携帯竜撃砲を一気に突き刺し、撃鉄を落とし一気に離脱する。
咆哮の構えを取る轟竜。だが、奴の口から轟音が爆裂するよりも早く、奴の腸が紅蓮に爆ぜた。
よし、妨害成功。この隙に回復薬と強走薬を飲み干し、呼吸を整える。
さて……
奴の腹の中身は既に空っぽの筈だが、奴自身は元気その物。口から吐血混じりの涎をダラダラ垂らしている。
肉食っても入る場所が無いだろうに。
対する此方は既に武器の残数があと一発……
もうあれだ、腹が駄目なら頭を狙うしかないな。
芸が無くて悪いが、もう一発閃光玉を投げ一気に駆け出す。
再び白黒に染まる視界を抜け、武器を構えた瞬間……
視力を失っている筈の轟竜が、攻撃の姿勢を取った。
命と復讐
「糞がっ!!」
口では悪態を吐き、内心では舌打ちをする。
大きく開いた血塗れの口、その下には破裂寸前の風船の如く膨らんだ黒い胸部。
奴は切り札を切る気だ。
これがコイツを殺す為の一番大きな障害であり、数少ない勝機だ。
目の前の化け物の咆哮は物理的破壊力を持っている上、殺人的な効果範囲を持っている。その上弾数は無限、まさに必殺技だな。
だが、その反面予備動作がでかく発射されるタイミングも容易く読める。
まぁ読めたところで防ぎようが無いから、賭けにでるしかない訳だが……
掛け金は俺の命、報酬はあの日の復讐。
案外割りの良い賭けじゃねぇか。
俺は勝負に出る。
一歩踏み込む、
轟竜の口から轟音が衝撃波となって吐き出される。
更にもう一歩踏み込む、
衝撃波が地面を砕き俺に迫ってくる。
焦るな、まだ行ける……
間近に迫る衝撃波が大気を揺らし、俺の体をビリビリと駆け抜ける。
今だ、跳べ。
跳躍と共に加速した体は衝撃波の壁をすり抜け、血深泥の地面を転げる。
見上げれば間抜けに開いたままの真っ赤な口が有った。
「この勝負は……俺の勝ちだな」
人差し指で撃鉄を落とし、赤い口が閉じきる前に上顎の内側へ竜撃砲を捩じ込む。
しかし、念には念を、だ。手繰り寄せた好機を逃しはしない。
叫びながら左手の剥ぎ取り用ナイフで轟竜の下顎を切り開き、右手を構えた。
風切り音が耳元を駆け抜け、右手に軽い衝撃。見れば赤髷の片手剣が握られていた。
切り裂いた下顎から赤髷の片手剣を突き刺し、二度と化け物の口が開かない様に叩き込んだ。
「詰みだ、化け物が」
くぐもった爆音の直後、生々しい破裂音を響かせ、化け物の脳天が飛散する。
血深泥の地面で
一服
音とは空気やら物体やらの振動であり、全方向に散らばるそれを避ける事は不可能に近い。
が、巨大な竜や獣達の咆哮は音としての常識を逸脱する程の力を持ち、それはもはや音と呼べる代物ではない。
そんな巨大な破壊力を持つせいか飛竜達の咆哮は避ける事が出来る。
まぁ針に糸を通す様な精度と絶妙なタイミングでの回避が出来るなら、だが。
盾の上から全身を軋ませる様な破壊力だ。至近距離で喰らおうものなら体が粉々になっても不思議ではい。
何れにせよ……
「危ない賭けだった」
頭上の化け物は脳天からドバドバと腐った赤色を垂れ流しながら絶命している。
俺は身体中の緊張を解き、血深泥の地面にドカッと腰を下ろす。
……まずは一服だ。
口から紫煙を吸引しながら今の自分の有り様を確認する。
煙草を持つ手はずっしりと重く、脈は早いままで汗も一向に止まらない。何より情けないのは、腐った血溜まりから立ち上がる事すら困難な程疲労したって事か…
「ったく、情けない」
まだまだ序盤だと言うのに、何だこの体たらくは?
まぁ、幾ら悪態をつこうと体の疲労が取れる訳でなし……もう少し休憩するか。
「ダディ!!」
……あぁ、アイツの事を忘れていた。磔にしたままだったな。
「もう少し待て、すぐに下ろして」
「ダディ、上っ!!」
上? 上に何が……
上を見た瞬間、俺は自分の間抜けさを呪った。
数年振りに二番目に帰って来て気でも緩んだか?
それとも単純にこの数年で腑抜けたか?
ここはもう人々の行き交う街ではなく、化け物共が闊歩する奴らの狩場だ。
そんな場所のど真ん中で気を抜くなんて、餓鬼でもしない様なミスを……
「糞が!!」
構えた盾の向こう、轟竜の背後には、鉤爪を振り回し降下してくる赤い飛竜……リオレウスか、糞が。
俺は満身創痍の身体で盾を構え、攻撃に備えた。
足掻き
降下してくるリオレウスはあと数秒もしない内に轟竜の屍を蹴散らし、俺へと襲い掛かってくるだろう。
対する俺の体力は殆ど残っていない上に足場は最悪、両足は老人の様にカタカタ震え、盾を構える腕にはロクに力が入らない。
正に絶対絶命と言うやつだ。
どうする?
この際どい場所から絶賛急降下中の飛竜さんに駄目元で閃光玉でも投げてみるか?
それとも御迎えが来そうな爺さん以上にガタガタな体と根性だけで防ぎきるか?
もしくは蛙以下の跳躍しか出来なさそうな両脚で跳び跳ねてみるか?
無理だ。どの策も糞ほども使えない。
そんな事を考えている内にリオレウスの鉤爪が轟竜の腐った脳ミソを撒き散らし、黄色い双眼が俺を睨んだ。
あぁ……今の俺に出来る事のは幸運を祈る事くらいか。このどうしようもない状況から無傷で助かる様な都合の良すぎる幸運を……
轟竜を握り潰した鉤爪が俺に向け振り上げられる。
幸運も祈るが、悪足掻きもしないとな…
「糞が!!」
残った力を全て防御に集中させる。
降り下ろされた一撃は人の努力を嘲笑うかの様に、意図も容易く防御姿勢を崩させた。
だが、こうなる事は百も承知だ。俺の右手には既に最後の悪足掻きが握られている。
跪く格好になりながら、リオレウスの鼻先目掛けある物を投げ付ける。
「喰らえ」
破裂した茶色い玉は茶色い煙幕と"あれ"の臭いをぶちまける。
強烈な刺激臭から逃れる様にリオレウスがジタバタと飛び退く。
今投げ付けたのはコヤシ玉、茶色い煙幕と共にあれの臭いを撒き散らす優れ物だ。
最後の足掻きと言うか、最後っぺと言う方が相応しいか……まぁ兎に角目先の危機は脱したか。
そう思った瞬間、糞色の煙幕を突き破って再びリオレウスが現れた。
あぁ、これはどうしようもない。元から運任せの愚策だったしな。
もう策がない。再び振り上げられた鉤爪は、間違いなく俺の脳天をカチ割るだろう。
あぁ、俺は結局、こんなところでくたばるのか……
「……糞が」
諦めそう呟いた瞬間だった。
視界の隅で、小さくだが確かに、濁った青色の閃光が弾けた。
濁った青色
俺の前に1つの人影が躍り出た。
その人影は手入れの行き届いていない草臥れた鎧をまとい、両手で赤黒く変色し、所々が激しく変形したボロボロな鉄槌を構え、リオレウス目掛け回転しながら跳び跳ねた。
閃光に見えた濁った青色は、ヘルムに納まりきらずにだらしなく伸びたクシャクシャの長髪……濁った青と黒ずんだ赤が螺旋を描きリオレウスへと襲い掛かる。
「脚ぃ」
気だるそうな声と共に、鋭い金属音と鈍い破砕音が混じり合い、響き渡る。
俺を切り裂く筈だった二対の鉤爪は強靭な脚ごとへし折られ、その拍子にバランスを崩した火竜の頭が螺旋の軌道まで落ちてきた。
「頭ぁ」
再び響く男の声、そして先程よりもずっと鈍く水っぽさを含んだ音と共に、リオレウスの巨体は不様に地に堕ちる。
それでも尚、濁った青と黒ずんだ赤の螺旋は止まらずに回り続ける。
「オマケだ」
少しだけ愉しげな顔で、そして先程よりずっと面倒そうな声色で、人影は止めの一撃を無防備なリオレウスの側頭部に叩き込んだ。
骨が砕け飛び散る音に混ざって僅かに、プチトマトの弾ける様な音も混ざっていた様な気がした。
腐った赤から新鮮な赤色へと塗り変わった地面の上、人影は自分が潰したリオレウスの頭を見て溜め息を付くと此方を振り返った。
「騒がしいと思ったが……とうとう人間が!?」
人影の正体は……男か。まぁ武器や見た目から言って彼女じゃないことは解っていたが……それでも、少しがっかり来るな。
「助けたのに落胆されるなんて始めての経験……ここ数年でそう言うのが流行りに?」
あぁ、いかんな。どうやら露骨にがっかりした顔をしていたらしい。
「いや、助かった。この顔は元からだから気にしないでくれ」
「なら……いいか。所で煙草くれないか? 」
「あぁ、それは構わんが……あんたは一体誰だ?」
「ん、儂か? 儂は……」
男が口を開き掛けた時だった。
「ダディ!! 早く下ろして!!」
あぁ……最近どうにも物忘れが酷いな。
「……お子さん?」
「いや、赤の他人だ。ちょっと待っててくれ」
自己紹介はあの餓鬼を下ろしてからだな。
隠れ家
聞きたい事
思いの外深く突き刺さった
ランスと、それに予想以上に複雑に絡み付いた赤髷の髷を傷付けない様に取り外そうと格闘すること約半刻……
「取れたー」
暫く振りの自由を満喫する様にピョンピョン跳ねる赤髷。代わりに此方は死にそうな訳だが……
「ハンターなのに体力無いのな」
「ほっといてくれ」
飛竜とデスマッチしたあと、磔になった赤髷を壁ごと下ろした上で、その壁をコツコツと砕き続ければ誰だってこうなる。
断じてニコチンの取りすぎが原因ではない。
「とりあえず移動な、此処は目立ち過ぎ」
確かに、さっきみたいに連戦となると今度こそ死にかねんしな。
「隠れる場所があるのか?」
「此処は数年前に棄てられた街さ、空き家なら腐る程有る」
そう言って男は狭い路地へと入って行く。
「それもそうか」
俺は未だ跳ね続けていた赤髷を掴み、男の後に続いた。
当然の事だが、見慣れていた筈の街並みは所々が大きく様変わりしていた。
具体的に言うと狭い道が大通りに成っていたり、知らない行き止まりが出来ていたり、行き付けの店が跡形もなく無くなっていたり……まぁ色々だ。
そんな曾ての住人ですら戸惑うような道を男はスイスイと進んでいく。やっぱりコイツがあの焚き火跡を作ったんだろうか?
………
「なぁ、ちょっと良いか?」
どうしても気になって俺は口を開いた。
「何な? 隠れ家はもう少しだけど?」
「いや、そうじゃなくてだな……此処の生存者はお前だけなのか?」
「……」
僅かの沈黙が異様に気まずく無性に長い。男が考える為に目を瞑ったのはたったの数秒の筈……しかしその数秒が俺には此処を逃げ出した数年より遥か長く感じる。
それもそうか、この答え次第で俺が生きてきた意味が綺麗サッパリ無くなる訳だからな。
短く長い沈黙の後、男は閉じていた瞳を開いた。
「知らんな」
「……はぁ!?」
知らないってなんだ!?
そんな訳ないだろう!?
お前ここの住人だろう!?
言いたい事は多々あるが肩透かしを食らったせいで、口はパクパク動くだけで言葉が出ていかない。
いや、お前…
「何で知らないんだよ!?」
既視感
赤髷が吃驚した表情で此方を見ている。男の方は何故か苦笑い。
……
感情に任せて叫んでしまうとか、馬鹿か、俺は。
「…すまん」
とりあえず謝るが、適当な言葉が思い浮かばすなんとも歯切れが悪い。
「気にしなくていい。久々の人との会話だから何を言われても馬鹿みたいに嬉しいしな」
あぁ…そうだな。この男にも色々ある筈だ。何せこの街に置き去りにされた訳だしな。
きっとコイツの方が聞きたい事や言いたい事がある筈だ。なのに俺は、彼女の事ばかり…
「もう一度言わせてくれ、すまなかった」
「気にしない気にしない。でも叫ぶのは無しな?」
クスクスと笑いながら言う男の頭上には何やら怪しい影が飛び交っている。
「そ、それもそうだな」
俺は本当に冷静さを欠いているな。
「さ、積もる話は隠れ家に入ってからな」
そう言って男は脇道から大通りに出て、一軒の店を指差した。
その建物は、なんと言うか……その、酷く見覚えがある。と言うか冷静に考えると道の途中から何か既視感を覚えた筈だ。
「これは、工房じゃないか?」
「そう工房、ここら一体で一番頑丈で一番大きな建物。隠れ家には打ってつ……あれ? ドアが開いてる……鳥竜っ!?」
男が武器を構えようとするが、とりあえず止めておく。恐らく中に居るのは……
「おぉ、ダギィ殿」
「お!! 遅いじゃねぇかダギィ」
「いや、やはり我が家は良いねダギィ……ところでお隣さんは誰かね」
ほら、やっぱりこいつらだ。
「激しく人が居るな!!」
それぞれがそれぞれの反応をして騒ぎ出す。
あぁ……面倒だ。
「とりあえず茶を淹れてくれ、ルルメ」
何か飲めば多少は落ち着くだろう。
「年代物だが構わんかね?」
「あぁ、何でも構わん」
何でも良いからとにかく今は落ち着きたい。
感傷
年代物の茶……と言うよりも完璧に賞味期限が逝ってしまってる茶が注がれたティーカップをテーブルの隅に移動しつつ、実に数年振りの工房の中を見渡す。
あぁ、実に感慨深いな。
よく此処に入り浸って気づけば背後にいるルルメに戦慄したりしてたな。
懐かしい、ほんの数年前、でもあの日の3人はもう俺1人だけで……
何馬鹿馬鹿しい事を考えているんだ、俺は。
何の為にこの街へ帰って来た?
その為にすることは思い出に浸る事じゃ無いだろうに……
「兎に角、現状を整理するか」
自己紹介
現状で最も優先して行う事、それは街の現状や何故全員が此処に居るか、などと言う事ではない。
いや、それもかなり重要な事だが今の面子で、人間としてやるべき事がある。
「とりあえず自己紹介だな」
話をするにも名前を知らなきゃどうにもならない。
と言うわけで、此方から順番に自己紹だ。
「私はルルメ・ジェント、ここの主だがね」
言いたい事は解るが威圧するな、話が円滑に進まなくなる。
「俺はリィナ・シュウだ」
絶壁がルルメの視線に割って入り自己紹介をする。いい心配りだな、絶壁の癖に。
「小生はジュウベェと申します」
黄猫君がそれに続くとルルメは大人しく椅子に座り直した。そのまま大人しくしていてくれ。
「……」
そして、何故か残りの1人が黙ったまま……何故か男の方を真っ黒い瞳で、じぃーっと見詰めて、いや睨んでいる。
「ミーユ、お前の番なんだが」
声を掛けると赤髷の目の黄色と黒の割合が元に戻った。そして、
「え、何ダディ?」
そんな事を宣う。
……この餓鬼は話を聞いていなかったのだろうか?
「自己紹介だ、自己紹介」
分かりやすい様にゆっくりと言うと、赤髷は俺の後ろに引っ込みながら男を見た。
「僕、ミーユ・ロッタ」
何時もの元気は何処へやら。そうとだけ言うと赤髷は完璧に俺の後ろに隠れてしまった。
何が気に入らないのかは知らないが……今はどうでもいいか。
「俺はラウズ・ダギィだ」
これで此方の自己紹介はおしまいで、男の方に自己紹介してもらわないといけない訳だが……
「……」
何故か無言、その視線は赤髷に向けられているように見える。コイツは……変態か?
「アンタの名前は?」
絶壁が代わりに言うと、男は我に帰った様に此方に向き直り、ずっと被っていたヘルムを外した。
それと共に、カラカラに乾いた血糊やら埃やらが宙を舞った。
「失礼な」
男が言いながら濁った青色の髪を振るい、かきあげると、だらしなく伸びた髪の下からは何故か見覚えのある顔が現れた。
「儂の名前はアドマン・ビーな」
何故だろうか、その名前にも微妙に聞き覚えがある。
コイツと俺が知り合いである可能性は有るには有る。俺もこの街に居た訳だしな。
しかし、あの2人意外で俺と一緒に狩に行ったハンター……
記憶の糸を手繰ると、何故か思い浮かぶ轟竜の姿……あ、そうか。
「お前、あの時のハンターか?」
現状把握
「んな?」
俺の台詞を聞いたアドマンが変な声と共に俺の顔を凝変な表情で凝視する事数秒……
「君みたいなオッサンとは初対面な筈な」
この反応も当然と言えば当然か。ここ数年で童顔から一気に親父顔になったのは自覚していしな。
恐らく、と言うか間違いなくコイツは轟竜討伐依頼の時のハンターだが、今その事を思い出させる事に時間を割く必要は……ないか。
「まぁいいか。本題に戻ろう……二三質問をしたいが構わんか?」
「構ない。今の儂は上機嫌だからな」
ニヤニヤしながらアドマン言う。んじゃま遠慮無く……
「お前さんはずっとこの街に居たのか?」
「そう。脱出に間に合わなかったのな。その日以降ずっと助けを来るのを待ち続けていた訳な」
心底嬉しそうに答える辺りどうやら本当みたいだな。確かにあの轟竜討伐の時以降コイツには会った覚えがないし……
「次、ちょっと前に焚き火をしたか?」
「したな。珍しく街が静かだったから気晴らしにな」
「……そうか」
あの焚き火跡の主はやはりコイツか……かなりガッカリだ。
まぁまだ可能性がゼロになった訳じゃないか。
「最後に、この街の他の生存者が居るかどうか知らないのは何故だ?」
これが一番肝心だ。二三日なら兎も角、数年も独りでいたのに街の現状を把握していないと言うのは少々おかしい。
「それは穴のせいな」
「……穴?」
穴と言うとこの街が陥落する原因となった、砂漠の主が現れた時に出来た穴の事だろうか?
「穴は其処ら中にあるのな。下手に動くと角竜に出会し兼ねないし、今や大半の穴は鳥竜種の巣穴なのな」
……つまり、下手に歩き回ると地下からわんさかと竜どもが湧き出てくるから頑丈そうな此処に引き込もっていた訳か。
今日出てきたのは助けが来たと思って賭けに出たって所か。
「つまり生存者がまだ居る可能性もある訳だな?」
「その可能性も有るな」
あぁ……その一言が聞ければ俺は十分だ。
残る問題は……
「何故お前らも此処に居るんだ?」
「自分の家に居るのに理由が居るのかね?」
「いや、そうじゃなくてだな……」
ルルメ達は機関部に潜る手筈だったろうに。
「地下に行かなかった理由は彼が言った理由と同じだがね」
あぁ、そう言う事か。
「機関部も竜の巣に?」
「ご名答、何処もかしこも蜥蜴まみれだがね」
となると作戦を改める必要が有るな。
気に入らない
本来は地下に潜り、機関部を修理するグループと生存者探索兼竜討伐のグループに分けたかったが、今の話を聞くにこの作戦は駄目だな。
何処に居ようと竜に嗅ぎ付けられるんじゃ話しにならないな。
圧倒的に頭数が足りなすぎるし、手持ちの道具もロクに残っていない。
……仕方無い。
「一度本隊に合流するか」
本隊の役目は陽動だが、メイド長の所なら既に殲滅し終わっているだろう。
あと、
「勿論あんたも付いて来いよ、アドマンさん」
「言われなくても勝手に付いて行くのな」
では一度門の所まで戻るか……
懐かしの工房の扉を開くとヘルムを被り直したアドマンがスルリと先陣に立った。
「道案内は任せてな、ある程度なら竜にバレずに移動出来るからな」
それもそうだな。
「んじゃよろしく」
「あいな~」
変な初老のオッサンだと思ったが、これはこれで使えるみたいだな。
スイスイと瓦礫まみれの道進んでいくアドマンに付いていっている訳だが……
「睨みすぎだろ、ルルメ」
ルルメは店を出てからずっと前を行くアドマンを睨み続けている、様に見える。
「勝手に店に住まれてたのがそんなに嫌だったのか?」
「それも有るんだがね……どうも気に入らないんだがね」
そりゃルルメの趣味からはかけ離れた外見だが、今じゃ俺も似たような外見なんだがな。
「まぁただ虫が好かないだけだがね」
「なら我慢してくれ」
そんな事でギクシャクしても良い事なんざ1つもない。
そんな時、クイッと袖が引っ張られた。視線を移すと何故か元気の無い赤髷が俺の腕を掴んでいた。
「どうした?」
さっきの茶で腹でも下したのか? 残念な事に何処に有るか分からないトイレを探す暇はないんだが。
「僕も……あの人嫌だ」
へぇ、この餓鬼も人見知りなんて物をするのか。
「何が嫌なんだ? 顔か?」
「顔はアンタも似たようなもんだろう」
チャチャを入れるな、絶壁が。そんな事は自覚しているんだよ。
「ダディもオジサン顔だもんね」
赤髷がクスクスと笑いながらそう言うが……腕を掴む力はちっとも緩まないし、俺の前へ出ようともしない。常にそうしてれば子供らしくて可愛いんだがな。
「嫌ならそうしてればいい、別に仲良くする必要も無いしな」
そう言ってやると少しだけ掴む力が緩んだ。
「なんだかんだで子供に甘いよな、お前」
……黙れ絶壁が。
一時撤退
門へ
蟻の巣の如く細かに張り巡らされた脇道を右へ左へ、抜き足刺し足で歩き回る事数刻……
当初は案内人が居るのでサラリとメイド長の元まで辿り着けると思っていたのだが、その期待はサラッと裏切られ二度ほど鳥竜の群に遭遇した上に、道まで目指す門を間違えていたと言うおまけ付き。
そんな危険度の高い道程を走破した頃には西の空が紅に染まっていた。
「いや、素晴らしい案内だったよ」
可能な限り黒い笑顔でそう言ってやると、
「そんな事言われたら照れるな」
アドマンは満面の笑みでそう返して来やがった。
……皮肉で言ってんだよこの野郎。
まぁどうにか目的地に着いたからよしとするか。
崩れた街門を潜った途端に視界に広がる死屍累々。大小様々な竜の死骸が転がっているが、その中に人が混じって居ないのは流石と言うべきだな。
そしてその屍の山の端で竜の肉を捌き、愉しげに晩御飯の用意をしているメイド長御一行……予想していたが、余裕だなメイド長殿。
兎に角現状報告だな。
「おーいメイド長!!」
そう呼び掛けると金髪がサラリと揺れ、細い目が此方を捉え、メギョッと開いた。
いや、俺を見ただけで睨むのはどうかと思うんだが……
「どうしたのダギィ、手ぶらな上にいやに早いお帰りじゃない?」
手厳しいなメイド長、しかし手ぶらと言うのは間違いだぞ。
「色々と問題があってな、それを話す為に一回戻って来たんだよ」
さて、作戦の練り直しだ。
部屋割り
大の大人が集まって話し合った結果、決まった作戦は結局同じ物だった。
囮組が街の外周付近で
モンスター達を誘き寄せ、その隙に別のグループが防衛設備を修復し、一網打尽にすると言うものだ。
これが一番妥当とは言え、何とも芸がない。
因みに別のグループと言うのは元の潜入組に唯一土地勘のあるアドマンが追加されているが………正直、アドマンが役に立つ気はあまりしない。
そしてもう1つ決まった事は今日はもう行動しないと言う事だ。
満天の星空の下ならまだしも、廃墟に近い二番目の夜は到底人間が活動出来る様な物ではない。松明等は目立ち過ぎるので当然却下だ。
なので作戦の開始は翌日の早朝となった。
二番目に今日まで住んでいたアドマン曰く街の外周付近の窓の無い家なら、鳥竜が侵入してくる事はないと言う事なので、各自割り振られた空き家で休む事になった。
訳なんだが……
「何故貴様らと相部屋なんだ?」
「照れんなよダギィ!!」
俺の居るベッドの隣のベッドでゲラゲラと笑う紫毬。
「黙れ、ふざけた事言ってると尻の穴を増やすぞ」
「それは勘弁!!」
またしてもゲラゲラ笑う紫毬……あぁめんどくせぇ。
俺が割り当てられた空き家には他にも数名のハンターが居るが、俺の隣とその隣がブローとライなのはなんの嫌がらせなのか?
……メイド長の嫌がらせに決まっているか。
「しかし、お前らもこの作戦に参加していたんだな?」
正直意外だ。今回の仕事は明らかに危険度が高いし、報酬は微妙だ。そんな依頼をコイツらが受けたと言う事が不思議で仕方無い。
「それはだな……」
ブローの向こう側のライがむくりと起き上がり、何時になく真剣な……と言うより思い詰めた表情で語り出す。
「これは俺達なりの罪滅ぼしなんだ。あの日、この街が滅びる一因は間違いなく俺達にある」
そんな事は言われんでも知っている。
「だから今回の作戦で少しでも犠牲になった人達に報いたいんだ」
「……それは本気で言っているのか?」
「あぁ本気だ」
真顔でそんな事を言う奴を始めてみたが、どうしようもなく胸糞悪いな。
「とんだ自己満足だな」
「それは、理解している」
あぁ、駄目だ。そんな面でそんな事を言われると笑いが止まらない。
元から屑だと思っていたが此処まで屑だとどうしようもないな、全く。
「嘘だな、貴様らはちっとも理解なんてしちゃいない」
黒い
あぁ、苛々する。
腹の中の黒い物が口から勝手に溢れ出す。
「貴様らは屑だ。闘えるくせに闘わなかった、人一人救えなかったどうしようもない屑だ」
「……」
俺の暴言を聞いてもライは何も言い返して来ない。
あぁ、俺は今酷い事を言っているな。もう、この辺で止めておくべきだ。
だが、黒いうねりがちっとも止まらない。
「どうしようもない屑のくせに今更になって罪滅ぼしだ? そんな面白い冗談は止めてくれ、笑いが止まらなくなる」
「じょ、冗談なんかじゃねぇ!!」
「流石に言い過ぎだと思うぞ」
漸く言い返して来たか、毛玉が。
こうなればもうただの口喧嘩だ。この黒い物を全部吐き出してやる。
「黙れ、貴様らはただあの日犯した罪から逃げたいだけだろうが」
「そ、それは……」
ほれ見ろ、直ぐに言葉を濁してるじゃねぇか。
「だから今回だけ上手いことやって、あの日の罪を許してもらった事にしたいんだろ? 何、きっと誰も文句は言わないさ、死人に口は無いからな」
『……』
ほら2人とも簡単に黙りやがった。所詮こいつらなんてこんなもんだ。
「良かったな屑ども、明日さえ上手く凌げば楽しい糞みたいな日々が待ってるぞ」
「ダギィぃ!!」
とうとう耐えきれなくなったのか、ブローが拳を振り上げ飛び掛かってくる。
五月蝿いぞ糞が、人の名前を勝手に叫ぶんじゃねぇよ。
寂れた空き家に鈍い音が響く。
「気は済んだか、ブロー? 済んだならさっさと手を退けろ、気色悪い」
「………悪い」
「自分が納得する為だけの謝罪なんざしてくれるなよ。貴様の自己満足を聞くために俺の耳は付いてるんじゃないんだよ」
ブローの体を突飛ばし、鞄と装備を掴み空き家の扉に手を掛ける。
「……何処に行くんだ?」
「煙草だよ、煙草でも吸わなきゃこんな黴臭い部屋で寝れる訳がないだろう」
そんな捨て台詞を残し、空き家を後にする。
そして、適当な建物の屋上に登り、煙草に火をつけ肺の中を臭い煙で充満させる。
逃げたい現実
ただの自己満足
自分が納得したいだけ
……糞が、どれもこれも俺の事じゃないか。
「屑が、どうしようもない屑野郎が」
夜の街
………
夜の帳が降りた街の一角で火を消し忘れられた煙草がフラフラと紫煙を立ち上らせる。
誰も居ない建物の屋上、紫煙だけが風に揺られてフラフラゆらゆら……
その時、街を包んでいたのは狩人達の怒号でも、竜の咆哮でもなく、払い様のない暗闇と不気味な静寂……
他にあげるとすれば何かが寝返りをうつ音と、地鳴りじみた化け物の鼾くらいな物だ。
そう、狩人が踏み入ろうが竜の巣窟の夜は何一つ変わらないし、静寂が壊される事もない……筈だった。
夜の静寂を壊したのは誰かの足音。
散らかったままの瓦礫を蹴散らし進む誰かの足音。
足音は狩人達が寝入っている空き家の前でピタリと止まり、誰にも気付かれる事なく、厳重に閉じられた重い扉をゆっくりと開いた。
そしてパシャパシャと半透明の液体を撒き散らすと、街の暗闇へと消えていった。
その足音と入れ替わる様に、何処からともなく小刻みで素早い足音が群を成して現れた。
足音の群は迷う事なく撒き散らされた液体の臭いを嗅ぎ付け空き家の前に集まった後、躊躇う事なく寝入った狩人達の元へ向かった。
そして夜の静寂は容易く終わりを迎えた。
暗闇に響くのは狩人達の悲鳴であり、鳥竜どもが肉を引き裂く音であり、何処かの誰かの噛み殺した笑い声だった。
大量の血を撒き散らし、肉を喰い散らし、骨をしゃぶり尽くした足音の群がさり、街は漸く元の静寂を取り戻す。
紫煙を垂れ流し続けていた煙草の火は何時の間にか消え、空の暗闇に浮かぶのは無数の星と裂けた口の様な三日月だけになった。
狩人を迎えた街の夜は何時もと全く変わらない。
強者に弱者が狩られる事など此処での日常なのだから……
ほの暗い空
寝起き
『……し、も……』
……地味に背中が痛い。あぁ、そういや昨日は適当な空き家の屋上で一服した後、そのまま眠ってしまったんだったか。
しかし、眠いな、もう少し寝るか。
『……しもーし』
……駄目だ、鼻の奥が血腥くて眠れない。寝起きでアレだが、とりあえず一服するか。
煙草と火は……
手探りで煙草とマッチを掴み、目を閉じたまま口にくわえて火を灯す。
……鼻先を冷たい風が吹き抜ける。
『もしもーし、もう完璧に起きてますよね?』
聞き覚えのある声と共に何かが顔に落ちた……って、
「アッヅ!?」
反射的に顔の表面を払うと、火の付いた煙草の先端がコロンと転がった。何故くわえた煙草の先端が落ちてくるんだか。
と言うか視界の隅が妙に赤い様な……
「流石の自分もそろそろ怒りますが?」
何故か仁王立ちで此方を見下ろす赤マント。少々ご立腹に見えるし、物騒な物まで構えてらっしゃる。
「寝起きだから大目に見てくれ。しかし、こんな朝から何の用だ?」
「それは自分の胸に聞いてみてください」
作戦の開始時刻に遅刻……にしては辺りはまだ薄暗いし、時間的にまだ余裕があると思うんだが。
「さっぱりだ。皆目見当もつかないな」
「そうですか、それでは一先ず付いてきて頂きましょう」
そう言うと赤マントは刃を納め、早々と階段を降りていった。
何がなんだか……兎に角付いていくか。
埃っぽい階段を降りながら、こびり着いた血腥さから逃れる為に五分の一程になった煙草に火を付ける。
肺一杯に煙を流し込むが、どうにも血腥さい。気を紛らわす為に適当な会話でもするか。
「そう言えば何時二番目に来たんだ?」
昨日は居なかったと思うが。
「半刻程前ですよ。追加の人員、燃料と一緒に。やはり現場で指揮をとりませんと」
ふーん。燃料が来たと言うことはリケ達は上手いことやったみたいだな。
「じゃあもう1つ、よく俺が寝てる場所が解ったな?」
「それはミーユさんに協力して貰いまして……彼女は色々と並外れてますからね」
あぁ、確かに。あの餓鬼の察知能力や身体能力は獣だしな。っと!!
「どうしたんです? いきなり背中を掻きむしったりして?」
「いや、背中にミーユが貼り付いてるんじゃないかと思ってな」
まぁ俺の背中には誰も居なかった訳だが。
「彼女は街の外の本陣に居ますよ、自分が其処に居るように頼んだんです」
赤い部屋
「……何故またそんな?」
起き抜けからあの餓鬼の顔を見ないで済むのは大変良いことだが、指示をした赤マントの意図がさっぱり解らない。
赤マントは頭を掻きながら苦笑する。
「今から行く場所は子供には少しショッキング過ぎますからね」
ガキとは言えハンターである赤髷にさえ見せたく無いような物を俺に見せる……ますます訳が解らない。
「いったい何を見せてくれるんだ?」
「それはご自分の胸に聞いてください」
全く身に覚えがないから聞いてるんだがな。
しかし、今朝はあの日の夢を見た訳でも無いのにどうしようもなく血腥い。
鼻腔どころか喉にまで血の臭いが絡み付いる様にすら感じる。
あぁ、気持ち悪い……
「着きましたよ」
そう言う赤マントの前には見覚えのある空き家……昨日俺が寝る筈だった場所だな。
「……此処がどうかしたのか?」
俺がそう尋ねると赤マントは僅かに肩を竦めて、
「見れば解りますよ」
とだけ言った。
何が何だかさっぱり解らないし、血の臭いもさっぱり薄まらない。全く、朝から何だって言うんだ。
そんな鬱憤を晴らすべく、少し強めの力で扉を開いた。
その瞬間、吐き気を催す臭いと共に、赤だけで塗り潰された光景が俺の目に飛び込んで来た。
何だ?
この光景は?
鼻だけじゃなく目までイカれたか?
それともまだ夢でも見てるのか?
目の前の光景を一言言うと……
「……悪夢だな」
何故あの日の様に食い散らかされた人間が其処ら中に転がってるんだ?
「どうも昨晩鳥竜に襲撃を受けた様です」
いや、それはおかしい。
俺も確認したが、この空き家は街の外周部に有るため扉以外からは簡単に侵入出来なくなっている。
例え鳥竜が群で来ようがこの空き家に侵入するのは不可能な筈だ。
「……何処から入られたんだ?」
「玄関からですね」
「……は?」
「正確に言うと誰かが開けっぱなしにした扉からです」
いや、誰がそんな自殺行為を……俺が出た時は扉はキチンと閉めた筈だ。
「どうにも、鈍いですね」
「……どう言う意味だ?」
「"誰か"がこの空き家にいたハンター達を殺す為に扉を開けっぱなしにしたって言ってるんです。表には撒き餌の痕まで有りましたし」
つまり事故じゃなく殺人だと……
いったい、
「誰がそんな……」
「……」
赤マントは無言で俺を見ている。
よせよ、悪い冗談だ。
疑い
「あんたは俺がやったって言いたいのか?」
「この空き家に居たハンターは全滅です。貴方一人を除いてです。その上、貴方には中に居た人間を殺す動機も有ります」
それはライとブローの事を言っているんだろう。が、あんな屑野郎殺して人生を無駄にしたくはないし、やるならやるでもっと早くに、もっと上手くやっているさ。
「証拠が無いだろうに」
「そうですが……昨晩何処に居ました?」
「さっきの廃墟だ」
「お独りで?」
「あぁ」
残念ながら俺の無罪を証明する事は出来ない訳だ。
「で、どうする? 俺を牢屋にでもぶちこむか?」
そう言った瞬間、赤マントがヘラヘラと笑い出す。
……俺、今何か変な事言ったか?
「牢屋にぶち込むなんて無駄な事しませんよ」
「……何故?」
自分で言うのも何だが、俺を牢屋にぶち込むには十分な材料が揃っていると思うんだが。
「貴方を疑うには十分ですが、それだけで捕まえてたんじゃキリが有りません。あの街は犯罪者ばかりですし」
「あぁ、それは言えてる」
叩けば埃がでる輩ばかりだからな。しかし、
「殺人じゃ罪のレベルが違い過ぎるだろう?」
「自白してくれるんなら何時でも牢屋にぶち込んで差し上げますが?」
「そうか」
まぁ、やってもいない事を自白する気はサラサラないがな。
「大事な作戦の戦力をこれ以上減らす訳にはいきませんしね」
それはごもっともだな。
「それに作戦中に死んでくれれば、貴方が犯人だった時の手間も省けますしね」
あぁ、そっちが本音か。ヘラヘラ顔が何時に増して黒いな。
「さて、準備が済み次第門の所に集まってくださいね。作戦の確認をしますので」
「わかった」
赤マントめ、言うだけ言ってさっさと帰りやがった。
残りの問題は……
「道具を空き家に置きっぱなしだったんだよな」
街門前キャンプ
場所は変わって街門付近の外、ギルドが設営したキャンプ。そのテント中にはメイド長とリィナの2人が居た。
………
今、私は苛々気味のメイド長と仲良くテーブルに付いている訳で……
何で私がこんな針の蓆に居るかと言うと、昨晩あった事件に付いて話をする為なんだけど、当の本人が来ない訳で……
折角私が弁護してあげようって言うのに何で来ないのさ!!
ミーユちゃんをこんな血腥い席には呼べないし、黄猫君はミーユちゃん見てないと行けないし、ルルメさんは何処にも居ないし……
あぁ、何でさ……
その時、不機嫌だったメイド長がパッと明るい顔になり、テントの入り口へと向き直った。
「戻りました」
パサリとテントの入り口が開く音と一緒に、ダギィを探しに行っていた赤マントが帰って来た。
んだけど……
「何で1人なんだ?」
ダギィを探しに行くって言って私を此処に放置した癖に、帰って来たのは赤マント1人だけ。
「ダギィさんとは会って話をしましたよ。したんですが、呼ぶ必要も無いかと思いまして」
「……へ?」
じゃあ私が受けた気まずさやストレスはどう処理すればいいのかな?
いや、落ち着け私、今は自分の受けた被害は捨て置こう。
小さく咳払い……
「つまり、ダギィは無罪放免って事か?」
「今のところそうなりますね。ま、端から彼が犯人だとは思っちゃいませんでしたが」
ヘラヘラと笑う赤マント。
いやいやいや、じゃあ私は何のために此処に来たのさ。
それに、
「じゃあ何でダギィの所へ行ったんだ?」
「念のためですよ。これが仕事ですし」
「ダギィには無実を証明する事は出来ないでしょうけど、それは他の人間にも言える事だしね」
メイド長が赤マントに続いて言う。
確かに、昨晩ずっとアリバイがある人間の方が少なそうよね。
「それに、奴はやっと夢から覚めようとしてるのよ。そんな余計な事する余裕なんか持ち合わせて無い筈よ」
それは確かに、でも余計な事って言うのは死んだ人達に人達に失礼だよ、メイド長さん。
まぁ内2人には当然の報いだけど。
「さぁて、そろそろ時間ですし持ち場に付いてください」
そう言って立ち上がる赤マントとメイド長。
「2人も作戦に参加するのか?」
「いえいえ、自分達は別の獲物を狩る用が有るんですよ」
にへら顔でそう言うと2人はテントを出ていった。
「よし俺も行くか」
作戦開始
作戦開始時刻
二番目の街、外周部
どうにか時間以内に血深泥の中から道具を見付け出し、街門へと戻って来ることが出来た。
……まぁ鞄が血腥いのは何時ものように、煙草を吸って誤魔化すとしよう。
辺りを見渡すと昨日よりやや少なくなったハンター達が爆薬の準備をしている。俺達が出発した後に爆裂させ、モンスター達の気を引くと言う算段だ。
まぁ囮に何れ程の効果が有ろうが、俺達が頑張らなくては何の意味も無い訳だが。
かく言う俺達潜入組はと言うと昨日と同じ面々(何故かルルメは油汚れが倍ほどになっているが)と興奮気味なアドマン。
そして、
『さぁ行きましょう姐さん』
「……なんでアリー達が居るのさ?」
「いや、俺に聞くな」
何故か、当然の様に居るアリー姉妹。
『燃料の採取が早く終わったから手伝いに来た、無論姐さんを』
なるほど、あと後半部分は言わなくていい。
しかし、採取に行ったのはお前らだけじゃなかった筈だ。
「馬鹿夫婦はどうした?」
……まさか、火山の竜にやられたのか?
『リケの馬鹿が最後の火薬岩を運んでる時スッ転んだ』
……なるほど、彼奴らしいミスと言うか不運っぷりだな。
『で、ルォヴは看病。因みにリケは軽い火傷と捻挫』
「だからお前達だけが来た訳か」
『そう、姐さんの為に』
もうその台詞は要らないんだが。
兎に角、コレで全員揃った訳だが、……頭数が多いな。
「ねぇダディ」
間違った呼び名と共に、袖がクイッと引っ張られる。
「俺はダディじゃなくダギィだ。……で、何だ?」
「狩りって4人より多い人数で行って良いの?」
子供にしちゃいい質問だな。確かに4人より多いと連携が取り辛いし、何より縁起が悪い。悪いのだが……
「今回は問題ない」
「何で?」
「此処は本来狩り場じゃなく人間の領域だからな。ジンクスを気にする必要も無いだろう」
「それって屁理屈だよね?」
……餓鬼の癖に難しい言葉を知ってるんだな。
「まぁ、いざとなったら二班に分ければいいさ」
そうすれば4人ずつになるしな。
「じゃあ僕はダディと一緒の班!!」
「ならば小生も」
「じゃあ儂もな」
また餓鬼の御守りか……まぁ良いか、好きにしろ。
『じゃあ姐さんは私達とですね』
「よろしく頼むがね」
「……そうだね」
……絶壁の班に比べれば此方の班の方がずっとマシだろうしな。
穴
到着
街門から出発して四分の一刻くらいだろうか?
街の外周部では盛大な爆炎が上がり、それに釣られる複数の竜が頭上を飛び越して行く。まるで灯りに群がる蛾みたいだな。
そしてそんなカラフルな蛾の中に黒い蛾は混ざってはいない様だな。
……昨日の一頭だけなら良いんだがな。
「……行ったか」
かく言う俺達は万が一にも気付かれない様に空き家に潜んでいた訳だ。
「ねぇダディ」
「……何だ?」
「あんなに竜を集めて大丈夫なの?」
「あぁ、それは大丈夫だ」
彼方は此方と違って頭数も道具も有るし、街門には多少錆び付いているだろうがバリスタなんかも有る。それに、
「危なくなればメイド長が処理するさ」
「それもそうだね!!」
素晴らしく良い返事だ。その気持ちは良く解るがな。
「さ、此方もさっさと行くぞ」
「はいな~」
道を知っている(らしい)アドマンを先頭にして街の中央への進行を再開する。
崩れ掛けた空き家を何軒か通り抜け、道を塞ぐ瓦礫を踏み砕き、最早砂利と等しくなった廃墟を蹴散らし進み続けた。
家屋の被害が大きくなる程に、街の中心へと近付いているのが解るのが何とも不愉快だな。
そして遂に、崩れた瓦礫ばかりだった景色に変化が現れた。
「……穴?」
街の往来に突如現れた黒い、真っ黒い丸。その余りの不気味さにそれが穴であると気付くのに数秒の時を要した。
「穴な。あの日二番目が崩壊する切っ掛けとなった、砂漠の主が浸入して来た穴」
苦虫を噛み潰した様な苦々しい顔でアドマンが呟く。
なるほど、あれがあの日の原因の一角か
「そして、機関部への入口だがね」
今まで隊列の真ん中に居たルルメがスッと前に出てきた。
「何でそんな事を知ってるんだ?」
「昨日工房から機関部へ繋がる隠し通路を見たんだがね、煉瓦造りだった筈が只の洞穴になっていてね」
「つまり機関部への通路を上塗りする様にあの穴が掘られた訳か」
「そうだがね」
……そいつは面倒だな。
「どうした、早く行こうぜ?」
絶壁、お前は胸どころか頭も詰まってないのか……
「因みにあの中も鳥竜がウジャウジャだったがね」
「そんな中に飛び込むなんて、自殺願望でもあるんな?」
良い突っ込みだ、変人2人。もっと言ってやれ。
「そ、それじゃあどうすんだよ!?」
喚くなみっともない。
まぁとりあえず……
「胆振だしてみるか」
希望と現実
幸いな事に此方には散弾馬鹿が二人もいる。だから中に安全に降りることさえ出来れば、簡単に一層出来るはずだ。何せ穴の中に逃げ場なんて無いだろうからな。
「今からあの穴にコヤシ玉を投げ込む。それで飛び出してきた雑魚を俺達が掃討するから、リィナ達はルルメを連れて先に穴に進入してくれ」
「雑魚以外が出てきたら如何するんだ?」
絶壁の言う様な事態は出来れば勘弁願いたいが、常に最悪の状況を想定しないとな。まぁ作戦は変わらんが。
「その場合は足止めをしとくからさっさと機関部に行け。防衛設備さえ動けば簡単に方が着く」
動かなかった場合は自力で頑張るしかない訳だがな。
「兎に角、この作戦で構わないか?」
そう訊ねると一同は首肯で返してくれた。
さて、やるとしますか。俺は一刻も早く彼女を探しに行きたいんでね。
「じゃ、投げろ」
「わかった!!」
コヤシ玉を手渡すと、赤髷は元気な返事と共にそれを受け取り。スコープを装着し投擲の構えを取る。
短い掛け声と共に投げ出された汚い玉は綺麗な放物線を描き穴に吸い込まれる。
砂漠の主はこの前の襲撃の時に討伐した。そして、新しい住人が住み着く程の時間は経過していない。だからあの穴に今居るのは恐らく鳥竜だけの筈だ。
まぁこの考えは砂漠の主が気紛れで三番目を襲撃した事が条件となる訳だ。もし、そうでなければ、いまこの穴には砂漠の主以上にヤバイ化け物が潜んでいる事になる。
数秒後、穴の中からギャアギャアと甲高い悲鳴を響かせ、茶色い煙が姿を現した。
…聞こえる悲鳴は全部鳥竜か。これなら簡単に蹴りがつくか。
そんな時、足元から地を揺らすような唸り声が木霊してきた。
やはりそう簡単には行かないか。
「いいか、俺、ミーユ、ジュウベェ君、アドマンが出てきた奴の相手をするからな」
最後の確認をし、武器を構えようとしたその時、隣に居た赤髷が俺の腕を強く後ろへ引っ張った。
「ダディ」
「どうした? 便所なら我慢しろよ」
「さがって」
次の瞬間俺の体は有り得ない程の力で後へ引っ張られた。
どうしようもなく絶望的
後ろに引っ張られながらグルグルと思考を巡らせる。
現状は考えていた中でも最悪の状況だ。
今あの穴に居るのは、砂漠を我が物顔で闊歩し、数多のハンターを蹂躙してきた砂漠の主を容易く追い払える程の化け物だ。
そう、それは解っている。だが、解らないのはこの砂漠に角竜ディアブロスより強いモンスターが居たのかと言う事だ。
少なくとも俺はそんな化け物に遭遇した経験は無い。
魚竜は論外、火竜で有ろうと砂漠で角竜に敵う訳がない。
いったいあの穴に潜んでいるのは何だ?
そんな時、凝視していた穴から、微かに煌めく粉塵の様な物が漏れ出した。
……なんだ、あれは?
「皆伏せて!!」
俺がその答えを出すよりも早くそう叫んだのは他でもない赤髷だった。
「ダディも早く!!」
「ヌガッ!?」
……赤髷は引っ張る勢いそのままに俺の体を地面に叩き付けた。
何だ、何か俺に恨みでもあるのか、この餓鬼は?
そう思った次の瞬間、大音量の爆発音それに混じった断末魔と共に目に見える一帯が大きく弾んだ。
「……何だ?」
やや混乱している頭を上げると、目の前には数秒前とは変わり果てた街の姿が有った。
崩れ掛けていた家屋は軒並み倒壊し、先程より二回り程大きくなった穴からはコヤシ玉の煙幕の代わりに真っ黒な煙が立ち込めていた。
……今のは粉塵が爆発したのか?
そんな真似が出来るのは……
「古龍、しかも炎龍が居るのか……」
考えていた以上に最悪の事態だな。何故こんな所に古龍なんて化け物が……
「ダディ、あれは只の古龍じゃないよ」
それはどう言う意味だ?
そう尋ねようと赤髷の方を向いたが、その顔を見て俺は言葉を発する事を躊躇った。
俺の目には確かに何時も通りの餓鬼の姿が映っている。
しかし、纏う空気が、荒々しい息遣いが、そして何より煙の向こうにいるであろ獲物を見詰める黄色い瞳が、人とは到底思えない物へと成り果てていた。
これは襲撃の晩と同じ現象か?
つまりあの穴から這い出ようとしているのは……
「侵入組は走れ!! 奴が穴から出たら直ぐに穴に入れ!!」
「ど、どうした!?」
いちいち聞き返すな、今そんな暇は無いんだよ。
「良いから黙って行け!!」
「わ、解ったから怒鳴るな」
現状が如何にまずいかを理解しているのは俺と赤髷、あとは黄猫ぐらいな物か……
糞が、現状は予想していた最悪より遥かに絶望的じゃねぇか。
プレゼント
穴から這い出してきた炎龍の黄色い瞳がゆらりと揺れた。煙幕の向こう側からでも解る程、不気味に、妖しく……
今すぐこの場から逃げ出せ
あれには絶対敵わない
無様に、呆気なく、惨たらしく殺されてしまう
だからその前に
早くハヤクはやく
逃げ出せ
初めて相対する化け物を前に、全身の細胞が、本能が、理性が、今すぐ逃げ出せと告げている。
だが………それらの意見は全ては却下だ。
今日までずっと逃げ続けて来たんだ。いい加減前に進まんとな。
「お前ら、作戦どおりにやれよ!!」
「ヘマするなよ、ダギィ」
『するなよ』
……貴様らに心配されても微塵も嬉しくないんだよ。
「黙ってさっさと行け」
二度急かして漸く足音は走りだす。
鈍い奴等だ、此方には見送りをしてる暇なんか無いんだからな。
さて、
「足止め組は化け物が穴から出てき次第仕掛けるぞ」
「わかった」
赤髷はその場で小刻みに跳躍をしながら、真っ赤な長髪を上下に揺らし続け、
「御意に」
黄猫君は舌嘗めずりをしながら紫の刃をクルクルと回し、
「はいな」
アドマンは軽く屈伸運動をしている。
どいつも緊張こそすれど、その表情から恐怖の色は一切見られない。
どんな精神してるのかね、此方は既に一杯一杯だと言うのに。いや、切羽詰まってるのは何時もの事か……
「ダギィ、ちょっと良いかね」
そんな時、聞こえるべきでない人物の声が聞こえた。
「……ルルメ、何故まだ此処にいる?」
お前は侵入組だろうが。
「いやなに、他三名とは違い切羽詰まってるであろう君にプレゼントを、と思ってね」
そう言ってルルメは前の物より一回り程大きな携帯竜撃砲を三本取り出した。
「……これは?」
「昨晩工房に行って夜なべして造ったんだがね。君の事だから昨日渡した分は使いきったのだろう?」
……通りで油汚れが増していた訳だ。
そして昨日貰ったのを使いきったのも図星だが、
「代金は?」
「サービスだがね」
「有難く貰っておく」
受け取った三本を素早く盾の裏側に収納する。
「最後に1つアドバイスだ」
「なんだ?」
「切り札は最後まで取っておく物だがね」
そんな余裕が有るならはなから苦労はしないんだがな。まぁ心の隅に留めておこう。
「解ったからさっさと行け。あと無理はするなよ」
「可能な限り善処するがね」
……一般人が死ぬなよ。
*
最終更新:2013年02月28日 09:33