穴の上
獣と化け物
最後の足音が走り去ると共に、立ち込めていた煙が爆発と共に四散する。
「さぁて……化け物のお出ましだ」
煙を吹き飛ばし現れたのは悪魔の様な翼と二本の角を携えた黒い獅子……細部の微妙な違いと色以外は炎王龍に見えなくもないか。
まぁ何れにせよ、化け物である事には違いない。
そして化け物だろうがやる事は何時もと変わらん。
「俺が正面から行く、貴様らは側面から隙を見て攻撃しろ」
「御意に」
「わかったな」
俺が囮役、何時だろうとこの作戦に変更はない。
無いんだが……返事が一人分足りない。
「どうした、ミー……」
振り返って、俺は自分の迂闊さを呪った。
そうだ、忘れていた。
今の赤髷は化け物を前にして酷い興奮状態だっただろうが……
「待てミーユ、落ちつ……」
ボアァァアアアァアア!!!!!!
黒い獅子の咆哮が俺の言葉を掻き消し、
「ああああぁあぁぁあ!!!!」
それに呼応する様に小さな獣が吼え、赤い閃光が弾けた。
赤い閃光は一秒と掛からず十数メートル離れた黒い獅子へと肉薄し、その額目掛け跳び跳ねた。
「糞がっ、全員あの餓鬼のサポートに回れ!!」
そんな事を叫んでいる間に飛び掛かる火の粉を払うべく、黒い腕が唸りをあげる。
「やらせん!!」
何時駆け出したのか、黄色い影の操る紫の刃が黒い獅子の一撃を切り落とした。
流石は黄猫君。しかし、黒い獅子の攻撃はその程度では止まらないか……
剥き出しになった黒い牙が赤い閃光に向けられるが、餓鬼は決して怯まずに高々と奇剣を振り上げる。
退くことをしないその姿は正に獣か……しかし、その小さな体も獣並みに強靭とはいかないよな。
「悪いなルルメ」
さっき言われたばかりだが、早速切り札を切らせて貰うぞ。
盾の裏の切り札を引き抜き、撃鉄を落とし、無防備にさらけ出された喉元目掛けて投擲する。
それに続き、追撃を入れるべく一気に駆け出す。
喉元に的中した携帯竜撃砲が爆裂し、狙いを逸らされた黒い牙が空を切る。
「ぁぁあああ!!!!」
「隙あり!!」
其処へ間髪入れず、上下から紫色の一撃が叩き込まれた。
血飛沫を散らし、呻き声をあげる黒い獅子。その振り乱される頭の動きを予想し、
ランスを展開しつつ狙いを定める。
「ドンピシャだな」
真鍮色の鉄針が吸い込まれる様に黒い獅子の顔面に突き刺さり、赤色を撒き散らす。
さて、このまま押し込めればいいが
穴の中
苛々
穴の中に鳥竜は殆ど残っていなかった。多分、先程の爆発に巻き込まれたみたい。
そして先陣をきって走るアリー達と私の横に並んで走るルルメさん。
そして当然だけど面子はコレだけ。さっきから断続的に地響きがするから上でドンパチやってるんだろうな……
あぁ、また別々かぁ……
後方から、微かに砂利を蹴る音。
『姐さん!!』
そしてアリー達の叫ぶ声……あぁ、まったく。
「鬱陶しい!!」
反射的に降り下ろした大剣が蜥蜴っぽい何かを叩き潰す。
ギャッとか言う奇声と一緒に飛び散る肉片がちょっとだけ顔に着いたりして……あぁ、苛々するなぁ。
そんな時、アリー達がピタッと立ち止まり、ルルメさんがポンッと私の肩を叩く。
「旦那と離れて不機嫌なのは君だけじゃないようだがね」
「だ、誰が誰の旦那だって!!?」
いきなり何言い出すのこの人!?
「そら、照れてる暇はないようだがね」
「何も照れてなんか……」
『姐さん、前っ!! 前っ!!』
瞬間、真っ暗な筈の洞窟が炎が灯ったみたいに明るくなって……
格好つけ
「炎っ!?」
いつの間にか眼前に極太の火柱が迫っている訳で、回避は……ルルメさんが居るから無理!!
「俺の後ろに下がれ!!」
「言われずともそうするがね」
この人、既に私の後ろに居るし……まぁその方がやり易いから良いけどさ!!
大剣の腹で、迫る炎柱を、受け……止める!!
「……あっつい」
炎柱は分厚い大剣などお構い無しに私の身をチリチリと焦がす。
「大丈夫かね?」
後ろで盾を構えたルルメさんが涼しそうな顔でそんな事を聞いてくるんだけど……
「ちょっと無理かな?」
「それは大変だがね」
ルルメさんって何時も余裕だよね。まぁ私もそうだけどさ。
「勿論嘘だけどな!!」
炎柱を吐き続ける何かの両側に陣取ったアリー達の銃口が同時に火を吹き、爆薬タップリの弾丸が次々に爆裂する。
「いい連携だがね」
「連携じゃなくてあの子達が勝手に合わせてくれるのさ」
実に楽で良いんだけどさ、私は一人の方が楽なのよね。だから……
鞄の中から閃光玉をぶん投げて、一時的に化け物の視力を奪う。っと、さて……
「アリー」
『はい?』
「ルルメさんを連れて先に行きな」
『そ、それは!?』
「良いのかね、独りで?」
「俺は平気だけど上の奴らは長く持たないと思ってさ。それに、俺は今誰かに八つ当たりしたい気分なんだよ」
今凄くむしゃくしゃしてるの。もうどうしようもなく。
「損をする性格だがね」
クスクス笑うルルメさん。ふんっ、好きなだけ笑うが良いさ。
「大きなお世話だ。アリー、さっさと連れてけ!!」
『解りました』
「ま、死なんようにな」
「それも大きなお世話だ」
一般人にそんな事言われちゃお仕舞いさ。
遠退いていく足音を聞きつつ、意識は目の前でのたうち回る化け物に集中させる。
上に居たのが炎龍の雄だろうから此方はそれの雌、だよね。
つまり此処はあいつらの愛の巣な訳で……
ちょっと格好つけちゃったかなって思ったけど、1人でやれる気がしてきたな。
漸く視力を取り戻し、此方を振り返った炎龍の顔は、上に居たのよりずっとずっと真っ黒で、ずっとずっと泥々だった。
さっきの自分を叱咤したい気持ちを抑えつつ、顔だけは不敵な笑みを浮かばせる。
だって1人で弱音なんか吐いたら格好悪いじゃない。だから、
「その化粧、悪趣味だな」
何時だって口から出るのは自信満々で挑発的な言葉なのさ。
穴の上
現状
あぁ、現状………まず死ぬほど熱い。
戦況、化け物一頭に獣が一匹、それの動きに合わせサポートに徹する猫一匹、そしてただのオッサンが2人。
狩りと言うより人間が化け物同士の縄張り争いに巻き込まれた、と言った方がしっくりくる様な状況だな。
そして傍目には獣の方が優勢に見えるが、悲しいかな火力が違いすぎる。
今は早さで翻弄していようが体力は有限だ。幾らあの餓鬼が並外れていようが龍より長く走れる訳がない。
じゃああの餓鬼はあとどれだけ走れる?
半刻も持続すれば上出来だろうが、実際はもっと少ない筈だ。
時間がくればあの餓鬼は容易く捕まり、防具の相性も最悪なので一発貰えば一瞬で人型の消し炭が出来上がる事だろう。
………そうなる前に蹴りをつける必要があるな。
黒い腕を掻い潜った赤い閃光が跳び上がり、紫と赤の螺旋と化す。
「ああぁぁぁ!!!!」
雄叫びをあげ飛来する螺旋。黒い獅子はそれを引き裂くべく腕を振り上げるが、振り抜かれた紫刃が後ろ足を切り裂き、黒い巨体がグラリと揺れる。
そして必然的に黒い腕が赤い螺旋を引き裂くより早く、紫の奇剣が黒い顔を毒液と赤色で塗りつぶした。
そのまま素早く後退する閃光を黒い獅子が追おうとするか、そうはいかない。
「余所見すんなよ」
側面からがら空きの顔面に三度程突き立てる。
俺を睨む獅子の瞳が怒りに染まると共に黒い腕が真っ赤に燃え上がる。
あぁ、ただでさえ熱いのにそれを喰らうのは遠慮したいな。しかし化け物、さっきも言ったが……
「余所見すんなよ」
「そいなぁ!!」
珍妙な掛け声と骨と肉の砕ける音と共に黒い巨体が僅かに浮き上がる。
ハンマーの一撃で怯んだ所にもう一度鉄針を突き立て、一旦間合いを離れる。
良い調子と言いたいが、じり貧だな。
イマイチあの黒い体にダメージが蓄積している様に思えない。
そして奴はまだ本気ではない……
赤い空気
その時、奴の放つ空気が激変した。
さっきまでは陽炎の様に揺らめいていたのに、丸で水に赤い絵具を垂らしたかの様に、うっすらと赤に染まった。
そして黒い顔に埋もれていた2つの目が極限まで開かれ、真っ黒い瞳孔が針の様に細く引き絞られた。
これの意味する所は?
考えるまでもない。こっからが本番と言う事だ。
「退け!!」
ダメ元で注意を呼び掛け、自身は盾の後ろへと身を隠す。
ボァァアッ!!
短く切る様な咆哮。それは先程の威嚇の様な長ったるい見せかけだけの物ではない。
これは怒りの爆発だ。今から俺達をブチ殺すと言う宣誓に違いない。
全く………律儀な化け物だな。
そしてそんな宣誓に応える様に背後から雄叫びをがあがる。
「ああああああああああああああああああああ!!!!」
赤い狩人はまるで言葉を忘れた獣の様に、化け物とは対照的に長い長い咆哮の後、再び赤い閃光と化し、弾けた。
眼前に迫る獣に呼応する様に黒い獅子の放つ赤い空気が、微かに、だが確実に揺らめいた。
それを見た赤い閃光は、薄い赤が自身を絡めとる寸前に直角に跳ねる。
避けるタイミングとしては申し分ない、しかし長い赤髪が僅かに逃げ遅れた。
その結果、少女の毛先はチリチリと音を立て焼け焦げた。
マジか………洒落にならんな。
今のを見る限り近寄ったら数秒で焼け死ねるんじゃないか?
打開策としては強烈な一撃噛まして頭を揺さぶればあれは止む……筈だ。
しかし、黄猫君とアドマンは化け物に接近しきるまで身を守る盾がない。
そして赤髷じゃ火力が足りないし、何よりあの防具じゃ一瞬で火だるまに成りかねない。そして何より今の彼奴が話に応じるのかが謎だ。
やはり、こういう時は自分で行くべきだな。
何、案外やれるもんだろ………多分。
様子を見る様に化け物の周りを駆け回る赤髷と黄猫君。それを追い回す黒い獅子……全身がうっすらと燃えてる様に見えるのは気のせいじゃないんだろうな。
そして小陰に隠れるオッサン2人。
さて、新しい煙草もくわえたし、行くとするか。
赤髷を追い掛ける黒い獅子が勢い余って廃墟に突っ込む。その隙に、一気に間合いを詰める。
しかし接近のし過ぎは禁物、丸焼きは趣味じゃないしな。
「此方向け」
ランスがギリギリ届く位置から隙だらけの側頭部を一刺しし、ランスをしまい両手で盾を構え、一気に詰め寄る。
独りでに煙草に火が着きやがった。
爆
松明の様に燃え盛る煙草を吐き捨て、熱せられ過ぎた盾をしっかりと構え直す。
そして黒い鬣が蠢き、奴の全身が方向転換を始める。奴の真っ黒い瞳が俺を捉えるより早く、俺の右手は盾の裏から切り札を抜き撃鉄を撃ち落とす。
ガチンッ
微かに金属音が響くと共に、奴の双眼が此方を捉える。
剥き出しになった黒い牙に喰い千切られるより早く、黒いコメカミ携帯竜撃砲を突き立て、盾を前にして後ろに跳ねる。
盾の外側の景色が赤く染まり、鼓膜を突き破る様な爆音と共に体が後方へと吹き飛ばされる。
そのまま俺の体は瓦礫の山に突っ込んだ。
……何、想定の範囲内だ。
全身が軋むが骨は折れていない様だし、両手の火傷もこの前の時に比べれば可愛い物だ。
まぁ俺の体はどうでもいいのだ。肝心なのは今ので如何程のダメージがあるかだ。
切り札は残り1つだが、これで効果が無いようならほぼ手詰まりだ。
瓦礫を払いのけ立ち上がると、
「あああぁぁあぁ!!」
獣が獅子に襲い掛かる所だった。
いや、待て。盾を構えた状態で火傷を負うんだぞ!?
もし今のが効いていなかったら……
即座に視線をずらすと黒い獅子は体勢を崩し、忌々しげに迫る獣を睨んでいた。
そして奴を取り巻いていた赤色は只の陽炎へと成り果てていた。
よし、これなら……
「やれ!!」
「ぁぁぁああっ!!」
会心の一撃が黒い肉を削ぎ落とし、腐った赤黒い血が獣に降り掛かる。
しかし獣はそんな事お構い無しに降り下ろした剣を即座に振り上げよう一歩踏み込む。
その時、黒い獅子の全身から煌めく粉塵が飛び出した。あれは……
「さがれミーユ!!」
俺が叫ぶより早く、獣は地を蹴り後方へ跳び跳ね、その直後に煌めく粉塵が紅蓮の炎へと姿を変える。
しかし紅蓮の一撃は獣を捉える事なく四方へ爆散する。
その爆発が治まりきる前に、獣は赤い閃光へと姿を変え、がら空きになった正面から突っ込んだ。
獅子はまだ体勢を崩したまま、タイミングは完璧だ。
「ああぁぁあぁああ!!!!」
獣が咆哮をあげ、斬りかかった瞬間、黒い獅子が黒い粉塵を吐き出した。
蛇
先程の物とは異なる、黒く、絡み付く様な粉塵。
煌めく粉塵と黒い粉塵、その2つにどういった差が有るのかは解らないが、あれが爆発を起こすには黒い獅子が牙を打ち鳴らし起爆する必要がある。
しかし、奴がその動作を仕切る前に赤い閃光は容易く一撃をいれ離脱する事が出来る筈だ。
だから何も心配する事はない。だと言うのに、嫌な汗が額を流れる。
「まずいっ!!」
そう言って飛び出したのは俺ではなく、今まで小陰で機を疑っていたアドマンだった。
「さっがっれぇぇぇえ!!!」
彼は黒い粉塵が赤髷に絡み付く前に、片腕で自身の相棒をぶん投げた。
赤髷は反射的に後ろに跳ね、投げられた剛槌は黒い獅子の顔を僅かに抉り取り、粉塵を絡め取り廃墟に突き刺さった。
ハンマーに絡め取られた黒い粉塵だか、何も起こらない。
……と言うかアドマンはいったい何がしたかったんだ?
下手をすれば赤髷の頭が消し飛ぶところだぞ?
赤髷ですら足を止め此方を睨んでいる。
黒い獅子は顔から赤黒い液体を滴ながらもその隙に、もう一度黒い粉塵を吐きだした。
さっきのやり取りで俺はあの粉塵が唯の粉塵であると推測する。普通はそう推測するだろう。
だと言うのに……
「ちょっと待てぃ!!」
赤髷の体を突き飛ばし黒い粉塵を浴びながら黒い獅子の前に滑り込んだ。
「馬鹿が!?」
その黒い粉塵を浴びるより其処に滑り込む方が何倍も危ないと理解できないのか!?
黒い獅子の口元が怪しく煌めき、陽炎の様に揺らめく。何やらヤバそうだな。
黄猫君は赤髷の方へ向かっている。そしてアドマンはまだ立ち上がれていない。
まぁ、つまりはそう言う事だ。
「糞ったれがぁ!!」
黒い獅子とアドマンとの直線上に割って入り、両手で盾を構えた。
瞬間、黒い口から真っ赤な炎噴き出した。
灼熱の塊は盾に阻まれ四散する。
が、その時、理解できない事が起こった。
四散した炎が消える事なく、まるで巨大な蛇の様に蠢き、アドマンに襲い掛かり爆発した。
「ナボァッ!?」
炎に包まれ弾き飛ぶアドマン、そしてワンテンポ遅れて再び爆音が轟き、アドマンのハンマーが炎に包まれ落ちてきた。
まてまてまて、落ち着け。
煙玉を破裂させ、先程までの情報を整理する。
…………これは、
「大分まずいな」
笑う
つまりアレか、奴の炎は黒い粉塵を追尾し、爆発する訳か……なんて厄介な。
奴の能力を防ぐ為には奴に常時脳震盪気味であって貰わなくてはいけない。
だと言うのに正面から行けばあの黒い粉塵を喰らってボカンと言う訳だ。
いったいどう対処するか……まぁその前にだ。
倒れたアドマンのダメージは結構な物らしく、未だに起き上がれない。
そして盾の向こうの化け物は再び炎を吐こうと大きく息を吸い込んでいる真っ最中……
流石にもう一度あの火炎放射を防ぎきる自信はないな。と言うわけでだ。
「悪いな、アドマン」
聞いちゃいないだろうが一応謝っておく。
武器の構えを解き、両足にあらんかぎりの力を籠める。
「ちょっとすっこんどけ!!!!」
「ナブコフッ!?」
渾身の蹴りは横たわるアドマンの脇腹を捉え、そのまま彼を瓦礫の向こうへと蹴りとばす。
うむ、我ながら素晴らしい蹴りだな。と、そんな事を考えている暇はない。
繰り出される火炎放射を横っ飛びで回避し、黒い獅子の側面へと回り込む。そのままランスを展開させ脇腹に3発穿ち込む。
が、ダメージはいまいちか。
奴が此方を振り向くより早く素早く後方へ飛び退く。
瞬間、俺の隣を3本のナイフが突き抜け、黒い獅子の顔面に突き刺さった。
投げたのは……考えるまでもなくあの餓鬼か。
「ぁあぁぁぁああ!!!」
案の定、入れ換わりで赤い閃光が俺の隣を駆け抜ける。
黒い獅子はクシャリと口元を歪ませ黒い粉塵を吹き出す。
アドマンであれなのだからあの餓鬼が喰らえば一たまりもない。
「避けろよ、ミーユ!!」
だから俺はそう叫んだ。
だと言うのに、あの餓鬼は躊躇わず黒い粉塵を盾で受け止め、毒液まみれの鉈を黒い獅子の顔面に突き立てた。
あの餓鬼は馬鹿なのか?
もしくは人語を解せなくなったか?
今あの爆発を防ぐ手立ては何1つないんだぞ!?
顔中から血を滴ながら黒い獅子はニヤリと笑う。そして当然の如く化け物は火炎を放射する。
瞬間、赤い閃光が勝ち誇った笑みを浮かべた。
餓鬼とは思えない速度で後退する獣を焼き殺すべく、真紅の炎が蛇の如くうねり、追い縋る。
あと数秒で黒い粉塵と炎が少女の体を粉微塵に爆砕する。そのタイミングで獣は右手の盾を外し、ブーメランの様に投擲した。
少女を追い掛けていた炎は必然的に黒い粉塵を撒き散らす盾を追尾し、小さな盾を粉微塵に爆砕した。
二振りの奇剣
其所に居た全員が、俺も黄猫君も、黒い獅子でさえ爆散する盾に視線を奪われた。ただ1人を除いては……
爆ぜる盾を両断し、赤い閃光が迸る。その場の誰よりも早く宙を駆け抜け、爆散した盾の代わりに構えたナイフと左手の鉈を黒い眉間に突き立てる。
多量の返り血を浴びながら獣は獅子の眉間を左右に切り開いた。
その瞬間、不可解な現象が起こった。
まず、黒い獅子の動きが金縛りにあったかのようにピタリと止まった。
恐らく、赤髷が使っていたナイフに神経毒でもぬってあったのだろう。
そして最も不可解な事は赤髷の右手にバチバチと弾ける朧の様に淡く赤黒い短剣が握られている事だ。
何時奴はナイフから短剣に持ち換えた?
何処にあんな物を?
いったいあの不気味な短剣は何だ?
「お嬢様!!」
それを見た黄猫君が血相を変えて駆け出した。あれは何かまずい物なのか?
しかし赤髷は黄猫君の制止を一切聞かず、二振りの奇剣を高々と掲げた。
「あー……ぁぁぁあああ!!!」
振り回される奇剣達、一振りは毒液を撒き散らし、もう一振りは赤い稲妻じみたものを撒き散らす。
黄猫君が止めるまでのたったの数秒で、獅子の角は砕け、額は割れ、赤黒い血と肉片がそこかしこに撒き散らされた。
残ったのは真っ暗な水溜まりとそれに沈んだ黒い獅子、そして黄猫君に制止させられる赤髷の姿。
まさに圧倒的と言うに相応しい。だと言うのに、何故か少女の体から大切な何かが漏れ出てしまった様に思えるのは……
「ぁぁ……」
「お嬢様!?」
気のせいではなかった様だ。
黄猫君に抱き抱えられる赤髷は魂が抜け落ちたかの様にピクリとも動かない。
右手から赤い奇剣は消え去り、代わりに翠色の腕輪から夥しい両の血が流れていた。
今この餓鬼について尋ねたい事は色々ある。だが、
「ジュウベェ君、ミーユは大丈夫なのか!?」
始めに聞くのはこれ以外ない。
「……大丈夫です。何処かで暫し休めば」
黄猫君が赤髷を担ぎ直した、瞬間、
真っ暗な水溜まりが静かに波打った。
それが何を意味するか……考えるまでもない。
「ジュウベェ君、ここは任せて走れ」
その一言で黄猫君は駆け出してくれた。理解が早くて助かる。
ボァァァァアアアア!!!
全身から絞り出す様な咆哮が全身を縛り付ける。死に損ないとは思えないな、おい。
振り返ると僅かに頭蓋を覗かせた化け物が此方を見下していた。
穴の奥
機関室
穴の奥、鳥竜の巣の奥の奥にその部屋は有った。
二番目の防衛設備、その機関室。
行く手を塞いでいた鳥竜達を散弾の雨で殲滅し目的の部屋に辿り着いたルルメは、即座にアリー達をリィナの元へ向かわせた。
既に穴の中に残っているのは彼女らと青い化け物だけだ。なのでルルメは自分の護衛ではなくリィナの援護に向かわせた。
ここから先は狩人ではなく職人の領域だ。だからここから先の仕事はルルメ1人で事足りる。
「さて、あの日し損なった仕事の仕上げをするとするかね」
錆び付いた扉を抉じ開け、数年振りに自身の造り上げた部屋へと足を踏み入れる。
タイルはひび割れ、天井には亀裂が走り、床板は砕けていたが、ほぼあの日のまま機関室は残っていた。
ただあの日炉の運転をしていたであろう人間の白骨が転がり、防衛設備の心臓とも呼べる動力炉は所々腐食し、何故か大きな穴まで空いていた。
ルルメにはこの部屋に来るまで1つの疑問があった。
あの日、防衛設備が起動しなくなったのは角竜の掘った穴が、街の地下に張り巡らせた蒸気の供給管が破壊したと推測していた。
しかし穴の中に破損したパイプなんて何処にも無かった。
つまりあの日、供給管が壊された訳ではなかったのだ。
では何故防衛設備が動かなかった?
その答えは目の前の穴だ。
あの日壊れたのは血管である供給管ではなく、心臓である動力だったのだ。
では何故動力炉に穴が?
当時の機関室は作りたてであり、動力炉は腐食などある筈もなく、ましてや勝手に穴があく訳がない。
つまりこの穴は……
『ウワァァア!?』『チクショウ!!』『イヤダァ…』『タスケ…ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!!?』
この部屋に繋がれた連絡用のパイプ、その全てから狩人達の悲鳴が響いて来た。
上は相当酷い事になっているらしい。
考察はやめだ。
今は一刻も早くこの心臓を修復しなくてはならない。
外周部(戦況)
二番目外周部 囮部隊
序盤は個人個人の経験と圧倒的頭数と物量で優勢に立っていた囮部隊だったが、ある時を境に形勢は逆転した。
大量に群がってくる鳥竜や飛竜達を粗方倒した後、それらは現れた。
姿形は本来の個体とは殆ど違わないが、その色と纏う空気が真っ黒だった。
結果囮部隊は大打撃を受け、その大半は外壁へと避難、残りの少数が外周部の路地で外壁の援護を受け、どうにか奮戦していた。
絶え間無く降り注ぐ鉄の雨、それを受けて黒い火竜は止まらない。
そんな文字通り化け物である相手と対峙する3人のハンター。
「やばいね、これは」
「ぶっちゃけて無理だよね」
「俺……胴体真っ二つにされた奴見たぜ」
『……マジかよ』
距離を測りつつも飛び込めないでいる彼等はそんな会話を交わす。明らかに諦めムード。
そんな彼等目掛け、黒い火竜は長く鋭い尾を鞭の様にしならせた。
瓦礫を弾き飛ばし、風を切り黒い鞭が彼等に襲い掛かるが、彼等は絶妙な反射神経でそれをかわす。
すると、後ろの建物が大きく擦れ、そのまま崩れ落ちた。
「こりゃ死ねるな」
「ハハッ、マジ無理だ」
「これはバリスタ隊に頑張って貰わないと……」
そんな弱音を吐いていると、後方から瓦礫の崩れる音が大音量で響いた。
振り返ると外壁に黒い岩石じみた竜が体当たりを繰り返していた。
「グラビモスか!?」
「いや、見た目的にバサルモスじゃないか?」
「いや、そんな事より前見ろよ前」
今バリスタ隊の攻撃は全て黒いバサルモスに向けられている。つまり黒い火竜は今自由に動けるのだ。
「やっばい!!」
1人が叫ぶが時既に遅し、黒い火竜は漆黒の翼で力強く大気を掴み、外壁目掛け舞い上がった。
「しまった!!」
黒い火竜はバリスタに狙いを付けられるより早く外壁に組み付き、バリスタ隊の2割を一息で焼き払った。
「バリスタが!?」
「くそっ、このままじゃ総崩れだ」
「こんな時にメイド長が居ないなんて……」
黒い火竜が再び火球を吐こうとしたその時、外壁に一番近い建物が外壁に向かって倒れ出した。
そして、その倒れ行く建物の側面を1つの人影が駆け上がっていく。
そして黒い火竜より高く跳び跳ねると真っ黒なハンマーを振りかぶり、一撃で火竜を叩き落とした。
『反撃だ腑抜けども!!』
『メイド長ぉ!!』
彼女の参戦にて、戦況はどうにか五分にと戻った。
穴の奥
確信
再び、穴の奥の奥……
床には先程と変わって大量の工具と大小様々な鉄片が転がっていた。
絶え間無く化け物の咆哮と狩人達の悲鳴が響くこの部屋で、ルルメは黙々と作業をし続けた。
その結果、大穴の空いていた街の心臓は継ぎ接ぎ付きではあるが、すっかり修復が完了していた。
「我ながら素晴らしい仕事だがね」
そう呟きながらルルメは溜め息を吐く。
そして加工された火薬岩を少量動力炉へ投げ入れ、数年振りにその機械を起動させる。
暫しの沈黙の後、大きな起動音と共に機械仕掛けの心臓は力強く脈打った。
しかし、数秒もしない内に機械仕掛けの心臓は力無い音と共にただの鉄屑に戻った。
理由は明白だ。心臓から送り出される筈の血液が漏れ出しているのだ。
「穴だらけだがね……」
ルルメの言う通り、機関室の動力炉から伸びるパイプ、その全てに目に見えない程の小さな穴が空いていて水蒸気が十分な気圧に達する前に漏れ出ているのだ。
しかし、そんな状況を前にしてルルメは全く動揺していなかった。
数年前から放置されていたとは言え、そう易々と穴が空くように造った訳ではない。そんなパイプに穴が空いている。
その事実が先程の疑問を確信へと変える。
「やはりそうなるかね……となるとトロトロ修理をしている暇はないがね」
動力炉から伸びるパイプはそれこそ無数、その全てを修復する事は不可能ではないが、時間が掛かりすぎる。
そして現状から推理するに、時間を掛ける事はこの戦いの戦況が絶望的になるとルルメは直感していた。
「しかし、この勝負は我々の勝ちだがね」
ルルメは誰もいない部屋で不敵に笑う。
「君の敗因は此処を造ったのが私であるという事と今日修復に来たのが私という事だがね」
部屋は漏れ出た水蒸気で灼熱地獄と成っていた。そんな部屋でルルメは陽炎の様にゆらりと立ち上がり、動力炉に残りの燃料を突っ込んだ。
「良くて茹で死に、悪くて人間シチューってところかね? 」
ルルメは額の汗を拭いながら自嘲的に笑う。
「ま、自分の機械の不備を詫びて死ねるのだから本望と言う物だがね」
そう言って通話用のパイプに手を掛けた。
「さてお別れの挨拶といくかね」
穴の上
死なない化け物
黒い獅子が真っ黒い口を開き、大量の黒い粉塵を吐き出す。
俺は小樽爆弾を投げつけ、盾の影からランスを使い化け物の黒い顔面で起爆させる。
黒い粉塵は俺に絡み付く前に紅蓮へと姿を変え、化け物の顔面で爆裂する。
あぁ、自分でも溜め息が出る程素晴らしい対処の仕方だ。
……問題なのはこのやり取りが何回目かと言う事だ。
生身の人間なら一発で御陀仏間違いなし、竜だろうが無傷じゃ済まない程の爆発。
それを数発喰らって尚、この死に損ないはくたばらない。
さっき血ヘドを吐いて血に伏せた癖に何事も無かったかの様にピンピンしてやがる。
ゾンビか何かか?
「糞ったれめ」
振り下ろされる黒色をバックステップでかわし一端距離を取る。
さて、どうするか……
『あーテス、テスだがね』
何か今凄く聞き覚えのある声が……いや、気のせいだ。奴は今穴の奥に……
『数年前は可愛い童顔だったラウズ・ダギィ、居たら返事をするがね』
……確実にあの変態野郎だな。
しかし何の用だ?
「この忙しい時に!!」
飛び掛かってくる黒い巨体を盾で受け流し、振り返り様に閃光玉と煙玉を炸裂させ、影にある通話用のパイプのある場所へと走る。
「何の用だルルメ?」
『おぉ、居たかねダギィ、返事が遅いから死んだかと思ったがね』
「俺が死んでる訳がないだろう」
数分後は死んでるかも解らないがな。
『大丈夫なら問題無いがね。さて、業務連絡だがね。防衛設備の修理が完了した』
「流石に早いな」
コレでどうにかなるか。
『しかし動かせるのは一度きりだがね。更に、起動は次の放送が終わって10秒後だがね』
「……どう言う意味だ?」
何か問題でも有ったのか?
『切羽詰まっているであろう君が気にする事じゃないがね』
「お前……何か隠してるだろう?」
『何、馬鹿が罪滅ぼしをするだけだがね』
馬鹿はルルメとして、罪滅ぼし……まさか、
「お前、死ぬ気か?」
『気にするなと言ったがね。工房の仕事はショーンに仕込んである、君が困る事は何も無いがね』
コイツは本気で言ってるみたいだな。
「落ち着けルルメ、防衛設備なんざ動かなくてもどうとでもなる。だから其処で大人しくしていろ」
『相変わらず嘘が下手だがね、君の後ろで化け物が唸ってるがね』
ルルメが言うと共に、背後から唸り声が咆哮に代わり、急接近してきやがった。
「チィッ」
死ぬ人間
振り向き様、煙幕を突き抜けた黒い腕に並んだ黒い爪が俺の頬を掠め、通話用のパイプを粉々に粉砕する。
「糞が!! おいルルメ、早まるんじゃねぇぞ!!」
幾ら叫ぼうが砕けたパイプから返事がある筈もない。
糞、こうなったら目の前の死に損ないにさっさとトドメを刺して地下にいる奴を直接止めるしかない。
だから……
「さっさと!!!!」
雄叫びを上げ、振り向き様に黒い顔面に渾身の一撃を突き立てる。そして、両足に残った力の全てを籠める。
「死ねぇぇぇぇぇえ!!!!」
突き立てた槍で脳髄をかき混ぜるべく、一歩一歩全身する。
肉を裂き、骨を砕く度もがく様に黒い腕が振るわれるが俺には決して届かない。
さぁ、このまま、一気に……
そう思った瞬間、目の前にぼんやりとした炎が迫る。
……馬鹿が。
「うぁあ!?」
油断した俺は無様に身を焼かれ、弾き跳ばされ、地を転げる。
手離してしまったランスは奴の顔に刺さったまま。
……馬鹿が、俺は何をしている。
目の前の化け物は勝ちを確信できる様な温い相手じゃなかっただろうが。
身を焼かれ武器を手離すなんて……今こんな事をしてる暇は、
『『あぁ~、諸君聞こえるかね?』』
街中に響き渡るのはアイツの声……待て、もう少し待て。こんな化け物は直ぐに倒すから、
『『この放送の10秒後に街の全ての撃龍槍を起動するがね』』
今すぐ其処に行ってぶん殴ってでも止めてやるから、だから……
『『訳有って撃てるのは一度きりだが、諸君らなら上手くやれると信じているがね』』
俺みたいな人間より先に、勝手に死なないでくれ……
『『では健闘を祈るがね、さらばだ諸君』』
ルルメの声が切れると共に爆発音と大量の水蒸気が街の至る所から噴き出した。
きっと機関室に居る彼奴はただじゃ済まない。全身を熱せられた水蒸気に焼かれ、今まさに死のうとしている筈だ。
なのに、だと言うのに……噴射される蒸気に混ざって聞こえるのは悲痛な断末魔じゃなく、勝利を確信した聞き覚えのある高笑いだった。
数年前に動きを止めた巨大な平気が、創造主の命と引き換えに再び動き出す。
街中の地下を水蒸気が駆け巡り、想像も付かない数の歯車が動き出す。
その異変を察知してか、化け物は黒い翼を広げ、空を仰ぐ。
行かせるか……
黒い翼が大きく羽ばたく。
奴がくれた勝機を無駄にする訳にはいかないんだよ。だから……
新生する街
「――行かせるか!!」
形振り構わず、焼け焦げた体で駆け出し、飛び立とうとする化け物の顔に刺さったままのランスにしがみ付く。
――街全体が身震いする様に振動し、至る所から白い蒸気が噴出される――
幾ら刺さったランスを押し込もうと化け物は怯みすらしない。此処で逃げられてはもう勝機は無い。
だから俺は一度ランスを引き抜き、収縮する。
――あの日守り損ない廃墟と化した街を自ら粉砕し、鉄の牙が街の至る所からその姿を現す――
もう時間が無い。顔は無駄だ。狙うは翼……
「堕ちろ」
ランスの先端が肉を抉った瞬間、一気にランスを展開させる。
逝け、ぶち抜け、この化け物を地面に……
「叩き落とせ!!!!」
鋭く響く金属音、展開したランスは確かに、黒い翼を貫いた。
黒い獅子の体がぐらりと傾き、吸い込まれる様に地に落ちる。
それを待っていましたと言わんばかりに、四方八方から巨大な鉄槍が食らい付いた。
――その日、二番目の街は無数の鉄槍で埋め尽くされた。荒廃し、竜の巣窟と化していた街は跡形もなく排除された。この瞬間、この街は生まれ変わったのだ――
穴の中
馬鹿め
――その日、二番目の街は震えた。古くなった表皮やまとわりつく寄生虫を振るい落とすかの様に、ただ聳えるだけの廃墟を粉砕し、巣食う竜達を串刺しにした。それを見た狩人達は勝鬨の声を挙げ攻勢にでる――
――そんな事は全く知らず、彼女らは街の地下で呆けていた――
視界は靄で真っ白け、頭上は揺れて大地震……
あぁ、きっと世界は終わってしまったんだ。まだ想いを伝えてすらいないのに…うぅ、私のノロマめ。
『姐さん、しっかり』
アリー達の声が私を現実へと引き戻す。
2人が生きていると言う事は幸運な事に世界はまだ終わってない様だ。
あぅ、落ち着け、私。とにもかくにも現状を把握しないと。
私の背後には途中から援護に来てくれたアリー達。そして私の目の前にはさっきまで戦っていた黒く爛れた炎妃龍……身体中がドロドロに融けてて、既に事切れてるみたい。
何故こうなったかと言うと……
「ヒィッ!?」
『姐さん!?』
「いや、大丈夫だ」
変な声出したからアリー達に訝しい顔で見られてしまった。
でも、しっかりと思い出せた。
アリー達が援護に来て暫くたった後、この穴の奥から爆発音が響いたんだ。
その時私は穴の奥から白い何かが押し寄せて来るのを見て、咄嗟に炎妃龍に大剣を突き立てその影に隠れる様に指示したんだ。
白い何かの正体は高温の水蒸気か何かで、それが通り過ぎた直後に頭上で大地震が起きたんだ。
改めて炎妃龍の死骸を確認する。
全身が爛れていて、黒い顔は原型が残らない程にドロドロに融けてる。
本来火に強い炎龍がこんなになるなんて……咄嗟に隠れてなきゃどうなっていたのか。
それにしても顔だけ融けすぎだよね、と言うより腐り落ちたみたいな……
なんだろう、凄く触って……
『姐さん』
アリー達の声を聞いてハッと我に帰る。私は何でこんな物を触ろうと思ったんだろう。
「どうした?」
気を取り直して2人の方へ向き直る。
『今の爆発は穴の奥からでしたよね?』
そうだね。もし近くで爆発が起こってたらヤバかったなぁ。
……ちょっと待て、私。
私は何故こんな所で戦ってたのさ。
この奥には誰が居たのさ。
「走るぞ!!」
『はい、姐さん!!』
私の馬鹿め、もしあの人に何か有ったら、彼奴になんて言えば良いのさ!?
穴の上
串刺しの街
「ハァ……ハァ……」
どうしようもなく息が荒く、全身の筋肉が引き千切れそうに痛い。しかし、まだ死んではいない様だ。
つまり……また、俺以外が死んで、俺は生き残った訳だ。
「糞ったれが」
先程俺を弾き飛ばした鉄槍に捕まりながら、無理やり体を立ち上がらせる。
街は数秒前とは全く違う姿になっていた。
其処ら中に散乱していた瓦礫や僅かに残っていた廃墟は残らず粉砕され、跡形もなくなっていた。
その変わりに、数年振りに姿を現した無表情な鉄槍達が辺りを埋め尽くしていた。
先程までの光景も酷く殺伐としていたが、此方も大概だな。
そして、その真ん中でしぶとく蠢く黒い影……
「まだ生きてやがったか」
全身を図太い槍で串刺しにされ、ドクドクと血を垂れ流してなお、目の前の化け物は死んでいない。
と言っても虫の息だが。
「まぁ、虫の息なのは此方も同じだがな」
ぼやきながらランスを引き抜き、確実に殺すべくゆっくりと構え直す。
「……死ね、化け物が」
残った力を振り絞り、化け物の脳髄を突き潰そうとした瞬間、黒い頭が一人でにブチりと千切れ、有り得ない速度で此方に飛び掛かってきた。
「糞が!!」
俺は反射的に化け物の頭を貫いた。
詰み
後の力で放った一撃は間違いなく首だけになった化け物の眼球を抉り、頭蓋を砕き、グチャグチャに脳髄を貫いた。
だと言うのに、黒い獅子の頭は牙を打ち鳴らし、俺の腸を喰い千切ろうと迫ってくる。
なんだ、これは?
幾ら化け物と言ってもこれは有り得ないだろ!?
どうすればコイツは死ぬんだ?
しかし、仮にコイツの息の根を止める術が有ったとして、今の俺にそれを殺りきる体力が残っているのか?
あぁ、糞ったれ……頭に浮かぶ問、その全てにろくな答えが思い浮かばない。
即ち……
「これで詰みか」
腕にはろくに力が入らないし、脚はガクガクで立っているのがやっとの状態だ。逃げるどころか走る事すら出来そうにない。
当然、ズルズルと此方に迫ってくる化け物の頭を止める手立ても有りはしない。
全くどうしようもないな、俺は。
せっかくルルメが機会を作ってくれたのに、何も出来ずに死ぬしかないとはな。情けない。
腐った血の混ざった赤黒い涎を垂らしながら、ズリズリと黒い頭が迫ってくる。
どうしようもなくった俺は、最後の一服をする事にした。
ランスは構えたまま、残った手で煙草をくわえ火を灯す。
荒い呼吸のまま、肺一杯に臭い煙を吸い込み、空に向かって吐き出した。
……何やってんだ、俺は。
「化け物を目の前にして一服するなんて随分と余裕ですね?」
聞き覚えのある声がそんな台詞を吐いた瞬間、視界に蒼い光が走った。
蒼と赤
光に見えたのは蒼い刀身。化け物の頭を貫いた一振りがバチバチと赤い火花を散らし、黒い肉塊をドロドロに溶かしていく。
その様はまるで花火に炙られる蝋燭の様に見えた。
「おやすみなさい」
赤マントはそう言い、太刀の柄を捻り、引き抜いた。
すると化け物の頭は原型を残さない程にドロドロに溶けて、流れ落ちた。
そして黒い水溜まりの中に、何故か一人分の人骨が浮かんでいた。
赤マントはそれを一瞥したあと、此方を振り向いた。
「すまない、助かった」
「いえいえ、お気になさらず」
赤マントは太刀に着いたヘドロを振り払い、蒼い刃を鞘に納める。
「助けてもらっておいてあれだが、幾つか質問がある」
「なんですか?」
「何故此処にいるんだ?」
「貴方の見張りですよ。途中までカノクも居たんですが、戦況が思わしくないので外壁へ戻って貰いました」
もう勝負は着いたでしょうが、と付け足しながら赤マントはヘラヘラ笑う。
さらりと酷い事を言ってくれるな。まぁどうでもいいが。
「この化け物が何か解るか?」
「邪龍の呪いを受けた炎龍ですかね」
「……邪龍の呪い?」
なんだそれは?
「そう言う通称で呼ばれる奇病みたいな物ですよ。体が黒くドロドロに変色して、寿命と引き換えに死に難くなるんですよ」
目の前の化け物が居なきゃ絶対に信じられない話だな。
「じゃあ何故人骨が?」
「恐らく、ですが炎龍の前の宿主でしょう。宿主が死ぬと近場の生き物に寄生するんですよ」
「……じゃあ何か、この化け物は元人間って事か?」
「そう言えなくもないですね。でも化け物である事には変わり無いですし、殺したのは私ですから貴方が気にする事はないですよ」
つまり前の襲撃の時のあれも人間だった可能性があるのか……しかし、コイツに気を使われるとは思わなかったな。
「でも変ですね、数年前に駆逐仕切ったと思ったんですが。なぜこの街に……」
赤マントが首を傾げた瞬間、
「ウニャァア!?!!」
何処からかそんな悲鳴が響いた。
黒い化け物
壁にめり込む
明らかに獣人っぽい悲鳴、それが該当するのは考えるまでもなく1人だけだ。
赤マントと共に駆け出し、戦闘の被害が及んでいない建物の影へと駆け込む。
するとそこには、
「ジュウベェ君!?」
壁にめり込んだ黄猫君が居た。いや、これはいったいどう言う状況だ!?
「大丈夫かジュウベェ君」
とにかく黄猫君を壁から引っ張りだそうとするが、びくともしない。どんな力で押し込めばこんな事になるんだ?
そんな時、赤マントがポンッと俺の肩を叩く。
「なんだ?」
「あー、ちょっと失礼」
「いや、何が……」
赤マントは俺の問を丸っきり無視して背中の刀を掴む。
いや、ちょっと待て……
「うぉうっ!?」
振り抜かれる刃を紙一重で回避し、受け身も取れずに地面へと滑り込む。
「い、いきなり何を」
しやがる!! そう言おうとする俺の背後で何かがバラバラと崩れ落ちた。
振り返ると先程まで黄猫君が埋まっていた壁が綺麗にくり貫かれていた。
「この方が早いでしょう?」
赤マントはニヘラッと笑うと黄猫君を介抱に向かう。
いや、早いけど何か一言ぐらい……まぁどうでもいいか。
「いったい何があったジュウベェ君?」
回復薬を飲ませながら、ゆっくりと訊ねると、黄猫君もまたゆっくりと口を開く。
「黒い化け物が、お嬢様を……小生が付いて居ながら」
「つまり……ミーユが連れていかれたんだな?」
「……はい」
黄猫君は砕けんばかりに奥歯を噛むが、その動作すら力なく頼りない。
「小生は大丈夫です故、お嬢様を……」
「あぁ、任せろ」
正直全く大丈夫に見えないが、こう答えないと這ってでもあの餓鬼を探しに行きそうだからな。
此方も大分キツい状態だが、行くしかないか。世話の焼ける餓鬼め。
「なら私も行きましょう。子供を助けるのも仕事の内ですし」
「それは助かる」
正直俺はもう限界だしな。
俺は残った回復薬を飲み干し、赤マントと一緒に地面に付着した黒い染みの跡を辿り事にした。
地下倉庫
黒い跡を追っていくと、元々は家があったであろう場所の中心へと辿り着いた。俺の記憶が正しければ此処はあの薬屋の親戚の店だったか……
しかしだ。
「……最近の化け物はえらく器用なんだな」
そうぼやく俺の視線の先には地下倉庫と思わしき物の入り口とその戸で途切れた黒い染みがあった。
竜は小物を捕まえると巣に持ち帰る習慣があるが……流石にこれは可笑しいだろう。
「ご丁寧に鍵まで掛けてありますね」
地面に付いた戸を軽く引っ張った後、赤マントがやれやれと首を振った。
「なぁ、マスターよ」
「なんですか?」
「さっきの邪龍の呪いだかは人に寄生するとどうなるんだ?」
「場合によりますかね。発狂したり、大して変わらなかったり。どちらにせよ寿命は劇的に縮みますが」
寿命が縮む、か……となると化け物人間が居る可能性は低いか。
「でも薬を使えば案外長生き出来るとも聞きますがね」
そう言って赤マントは何時ものニヘラ顔を浮かべる。
なら確定だな。この中には赤髷と邪龍の呪いと上手にお付き合いしている人間がいやがる。
問題なのは何故あの餓鬼をさらったのか、そして犯人は誰か……
どちらもいまいち心当たりがないな。
「兎に角行きますよ」
赤マントがそう言い終わる頃には地下倉庫への入り口は細切れになっていた。
「まぁ行けば解るか」
黒い倉庫
薄暗い倉庫の底へ続く粗末な造りの梯子を慎重に、しかし可能な限り素早く降りていく。
倉庫の中は砂漠のど真ん中にある街とは思えない程ジットリと湿っていて、喉に絡み付くような淀んだ空気が充満していた。
さて、もうすぐか……
「よっと」
滑らない様細心の注意を払って梯子から両足を降ろす。
途端に足の裏からグニャリと言うなんとも艶かしい感触が這い上がってきた。
「……なんだこれは?」
足下に目を凝らすが暗すぎてさっぱり解らない。
試しに足で掻き分けてみると僅かに腐った肉の様な臭いが立ち込め、白い小さな虫がウジウジと大量に這い出して来た。
「あまり見ない方がいいですよ」
……その台詞を言うのはあまりに遅すぎやしないか。
まぁ今そんな事はどうでも良い。
一刻も早くあの餓鬼を連れ戻してこの胸糞悪い場所から出たいところだな。
道は奥へ続く地下とは思えない程大きな道が一本。微かに灯りが付いている所を見るに、この奥に何かがいる事は間違いないな。
しかし、今も昔もこんな地下で何をしてるんだか……
「どうせろくでもない事だろうがな」
「でしょうね」
赤マントとそんな軽口を叩きながら、明らかに不愉快な音を立てる足下を無視して奥に進んで行く。
「ところでダギィさん」
「なんだ?」
「奥にはまた化け物がいる様ですし、今度は元人間です。ですから引き返すなら今の内ですよ。」
……此処まで来てからそんな事を言わないでくれないか。
まぁそう言ってくれるならお言葉に甘えるか。
「じゃあ俺は餓鬼だけ連れて先に逃げる事にする」
「どうぞご自由に」
と、そんな会話をしている内に扉に着いたか。
「では先陣は私が」
言いながら赤マントは扉に手を掛ける。
「あぁ、よろしく」
さて、扉の向こうは何があるやら………
暗い部屋
赤マントが扉を押すと、ギィィッと言ういかにもな音を立てながら動き出す。
暗い部屋はまるで巨大な生き物の様に大量の空気を吸吸い込み、扉が止まると共に大量の空気を噴き出した。
生温い空気が体を舐めるように流れた瞬間、
「ぅっ……」
空っぽの胃袋が吐瀉物代わりの胃酸を食道へと押し上げる。
この臭いは……血だ。それも夥しい量の腐った物から新鮮な物までごちゃ混ぜになった血だ。
その癖部屋の中は真っ暗で何も見えやしない。
目を凝らそうとしても気持ち悪さが邪魔して集中しきれない。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だ」
全くもって大丈夫じゃないが、お前に心配されたところで体調が優れる訳じゃないからそう答えておく。
しかし、もう限界だ。
部屋の中を確認するため、そして何よりこの血腥さから逃れる為に、俺は煙草をくわえ火を灯す。
目と鼻の先に小さな灯りが点ると共に、可能な限り肺一杯に臭い煙を吸い込み、ゆっくりと吐き出す。
そしてゆっくりと、恐慌状態だった脳が正常な状態に戻っていく。
そしてある事に気が付いた。
「なんだ、暗くて見えなかったんじゃなくて部屋が真っ黒だったのか」
そんな間の抜けた台詞を吐きながら、俺はなんとなしに部屋の壁に手を伸ばした。
すると、黒一色の壁の一部が、ずるりと滑り落ちた。
黒い靄
生々しい音を立て落下した壁の一部、それが腐った肉片だと気付くのに一秒も掛からなかった。
「なんだ、これは……」
好奇心、と言うよりは未知の恐怖から逃れたい為だけに、煙草の火を腐り落ちた肉片に近付けた。
煙草の微かな光が真っ黒に染まった骸骨を照らし出した瞬間、グニャリと蠢き、まるで光に群がる羽虫の様に煙草を持つ俺の腕へと飛び付いて来た。
馬鹿俺は、こんな何があるか解らない部屋で灯りを持った上、訳の解らない物に近付くなんて……
糞が、今更そんな事に気付いてもどうしようもない。この間合いじゃ迎撃が間に合う訳が……
「失礼しますよ」
断りの言葉と共に、俺の体が首根っこを中心に後方へと引っ張られる。仰向けに倒れる俺の目と鼻の先を蒼い刃が駆け抜ける。
そして、視界の隅で赤い稲妻が迸った。
「不注意ですね。それとも化け物になりたいんで?」
刃にこびり着いた黒い泥々を振り払いながら、赤マントがヘラヘラ笑う。
「すまん、返す言葉も無い」
幾ら気が動転していようがさっきのは間抜け過ぎだ。
そう言えばこの黒いのは寄生するんだったな……危うく化け物になるところだった。
「兎に角、安全の為に刻んでおきますか」
一通り泥々を払い終えた赤マントはポツリと言うと、蒼い太刀の柄を強く握り直した。
「おやすみなさい、元人間さん」
ニヘラ顔には似合わない、沈んだトーンの台詞と共に振り抜かれた蒼い刃は黒い部屋を賽の目に切り刻み、迸る赤い稲妻がそれを焼き付くした。
暗い倉庫は立ち込める煙と共に、本来の姿を晒しだす。
『龍殺しの武器か……出来損ないの肉塊じゃ足止めにもならんな』
黒い靄の向こうから、俺でも赤マントでもない声が響く。
「黒幕の登場ですか」
赤マントは何処か嬉しそうに靄の向こうを睨み付けた。
刹那、声がした方とは全く検討違いの方向の靄が弾け、黒い何かが赤マント目掛け飛び掛かる。
「不意討ちですか!!」
音もなく現れた影に当然の様に反応した赤マントは、閃光の様に蒼い刃を走らせた。
しかし、黒い影は蛇の様なしなやかさで一の太刀を掻い潜り、赤マントの腕を掴んだ。
そして、まるで胡瓜でもへし折るかの様に、赤マントの片腕をもぎ取った。
黒い男
黒い影は引き千切った赤マントの腕を掴んだまま、再び黒い靄の中へと消え去った。
「凄い力ですね」
赤マントは他人事の様に千切れた腕を見てそう述べた。嫌に冷静だな、咄嗟の出来事に頭が追い付いていないのか……
「腕千切れてるぞ?」
「元から義手なんで問題ありません」
え……義手だったのかあれ?
「しかしこのままじゃなぶり殺しですね……っと」
呑気にそう言いながら、赤マントは大樽爆弾を取り出し、間髪入れずに斬りさがりでぶった切った。
でかいだけの薄汚い樽は爆炎へと姿を変え、黒い靄と近くにいた俺を纏めて吹き飛ば……
「しぃた!!?」
全身を倉庫の壁にしこたま強打し、何とも間抜けな声が口から零れた。
……糞マントめ、一言もかけず起爆しやがった。今すぐぶん殴ってやりたい所だが……そうも言ってられないみたいだな。
樽爆弾の爆発によって靄の晴れた地下倉庫は、昼間よりずっと暗く、曇天の夜より僅かに明るい程度の灯りが灯されていた。
そしてそんな倉庫の奥、見覚えのある人影が2つあった。
1つは拉致された赤髷。
気を失っている様でベッドの上に寝かされている。目立った外傷はないが……体に刺された赤色の管と赤い液体の溜まった瓶が気になる所だな。
そしてその隣、てっきりのびたままだと思っていたんだが、何時移動したんだか……まぁ兎に角だ。
「児童誘拐はいかんぞアドマン、ロリコンは犯罪だぞ」
何故貴様が其処にいる、アドマン。
「この子に興味があるのは確かだが、私は別に小児愛好者じゃないんだがな」
口元を歪ませながらアドマンが笑いを噛み殺す。
間違いなくアドマンの様だが……纏った空気、言葉に宿る威圧感、先程とはまるで別人だな。
何より笑いを堪える口元が黒く染まっている。つまりはそう言う事なんだろう。
「いやににやついてるなアドマン、もしかして今からその餓鬼と"お楽しみ"だったのか?」
可能な限りふざけた口調でそう訊ねると、
「当たらずとも遠からず、と言ったところかな。しかし今の君にふざけてる暇があるのかな?」
妙に上機嫌な口調でそう返してくれた。
無論、今の俺にふざけてる暇などない。しかし、こうしてアドマンと会話をする事には大きな意味がある。
「暇は無いが、必要はあるのさ。あとアドマン背中がお留守だぞ?」
黒い腕
俺のその言葉で漸くアドマンはその事に気付いたらしい。
靄の晴れた地下倉庫にはロクに隠れる場所などありはしない。だと言うのに今の奴の視界には俺しかいない訳だ。
アドマンは僅かに焦りの色を浮かべながら後ろを振り返った。が、残念、お前の後ろは壁だ。
「馬鹿ですね、上ですよ」
アドマンの頭上で赤いマントが不気味に揺れる。
当然の様に天井から現れた赤マントは愉快そうな笑みと共に蒼い太刀を降り下ろす。
「ギルドの犬め」
異常な大きさの歯軋りが倉庫に響響き渡る。しかしそれは歯軋りではなく、骨が生える音だったらしい。
「正に化け物ですね」
アドマンの背中からは真っ黒な腕が飛び出し、赤マントの太刀を白刃取りにした。
「お誉めに預かり光栄だな」
アドマンは歪んだ口から白い歯を覗かせた後、ボールか何かの様に赤マントを床へと投げ付けた。
ボロキレと成り果てた赤色が動く気配は微塵もない。
まぁ、なんだ、これでアドマンがただの人間でないと証明された訳だ。つまり……
「手加減は要らないって事だな」
アドマンが此方を振り向く前に、一気に間合いを詰め盾を構えぶちかます。
「なぁダギィ」
吹き飛びながら奴が何かを言おうとするが、聞く耳持たんな。このまま腕の二三本貫いてやる。
「君に面白い物を見せてやろう」
黒い顔に白い歯が不気味に浮かび上がった瞬間、ランスの切っ先が何かに掴まれた。
アドマンが赤マントの存在を失念していた様に、俺も1つ肝心な事を忘れていた。
「そうか、もう一匹居たんだったな」
今さら気付いても遅いと言うに……
腹部に強烈な衝撃が走った瞬間、俺の体は数メートル後ろにあった筈の壁に叩きつけられていた。
「化け物が」
今の俺には、そんな悪態と僅かに赤い血を口から溢すのが精一杯だった。
そう、もう限界だ。正直反撃どころか立ち上がる事すら難しい。
だと言うのに目の前の化け物は俺を殺しに来やしない。
「化け物とは酷い言いぐさだな」
アドマンは自ら俺を殺しにくるでもなく、化け物をけしかけるでもなく、そんな事を言ってきた。コイツはいったい何がしたいんだ?
それに……黒い肌に痩せこけた上半身に蛇のような下半身……
「化け物に化け物と言って何が可笑しい?」
俺がそう答えるとアドマンは狂った様に笑いだした。腹を抱え、膝をつき、可笑しくて仕方がないと言うかの様に。
黒い姿
「君は実に薄情な奴だな、ダギィ」
腹を抱え、笑い転げるアドマンがやっと口にしたのはそんな台詞だった。
俺が薄情? それに関する心当たりは腐る程あるが、今改めて言われる理由が解らない。
まるで解らない、と言う顔をしている俺を見て、アドマンは一頻り笑った後呆れた様に溜め息を吐いた。
「ダギィ、解るように言ってやろう」
アドマンは一拍の間を置いて、形容のし難い、最低に厭らしくどうしようもなく下品な笑みを浮かべ、口を開く。
「恋人の顔を忘れるなんて実に薄情な奴だな」
黒く染まりきった顔にポッカリと空いた穴からは、そんな言葉が聞こえてきた。
まて、
意味が解らない
いみがわからない
イミガワカラナイ
今目の前の糞野郎はいったいなんて言ったんだ!?
「なんだ、聞こえなかったかダギィ? ならもう一度言ってやろう」
奴の黒い肌に浮かんだ白い歯が、先程と同じ様に不気味に踊り出す。
よせ、やめろ、それ以上、言うな。
「お前の目の前に居る醜い化け物がお前の彼女だって言ったんだよ」
そんな事を、言わないでくれ……
「そんな訳が!!」
「ならよく見てみな。ひょっとしたら何処かに面影が残ってるかもしれないぞ?」
アドマンがそう言うと黒い化け物がズルリと蛇のような体で此方に這い寄ってきた。
目の前の化け物は髪は無く、両目は潰れ、肌は黒く爛れ、何処を見ても黒一色だ。
風に靡く朱い髪も
雪の様に白い肌も
青空の様に澄んだ瞳も
何一つ残っていない。目の前のそれは黒、黒、黒、黒一色だ。
でもそんな黒の中に、唯一黒くない物を見付けた。見付けてしまった。
化け物の潰れた耳でくすんだ光を放つ片方だけの小さなピアス……
それは昔彼女の髪と共に揺れていた……
それは今俺の耳にぶら下がっている……
彼女のくれた御守りだ。
「そんな……ディ、嘘だ」
「嘘じゃないさ、ダギィ」
やめろ、お前に言われなくてもそんな事は解っている。ただ、認めたくないんだ。
俺を救ってくれた彼女が
俺が救い損なった彼女が
何年も想い続けた彼女が
やっと救いに来たのに
やっと救える筈だったのに
何故彼女がこんな姿になっているんだ!?
「1つ……答えろ、アドマン」
「何かな?」
「彼女をこんなにしたのはお前か?」
「あぁ、その通りだが、それがどうかしたか?」
そうか、お前が、彼女をこんな姿に変えたのか……
黒い夢
目の前の彼女は糸が切れた木偶の様に微動だにしない。潰れた瞳はただ漠然と虚空を眺めている。
「何故彼女にこんな真似をした?」
こんな奴と話すだけ無駄だと言う事は解っている。なのに口からはそんな言葉が漏れ出していた。
「実験だよ実験」
「……実験?」
目の前の糞野郎は嬉しそうに語り出す。
「俺には夢があってな。あの日二番目に取り残された人間には全員そのための礎になってもらったのさ」
糞野郎は愉しげな表情から一転し、急に沈んだ表情になる。
「しかしな、どうにも巧くいかなくてな。寄生させても片っ端に腐り落ちていくんだ。生憎薬は俺の分しかなかったからな」
やれやれと頭を振った後、沈んだ顔がまたニヤニヤと笑い出す。
「だから仕方なく醜い醜い肉塊になってもらった訳だ。私の夢の実現の為にな」
何が夢だ。様はただの人体実験じゃないか。
しかし、その台詞が口から出るより早く、奴は言葉を続ける。
「そんな中、そこの女だけが腐り切らずに変化を続けた。邪龍の呪いに抗い続けたのさ。ほら、こう言うのを愛の力とか言うのかな、ダギィ?」
奴は彼女を汚い物でも見るような目で一瞥したあと、ベッドに横たわる赤髷に目を移す。
「まぁ今となってはそんな化け物は用済みな訳だがな。全くもって無駄な実験だった訳だ」
糞野郎が……
奴を殴ろうにも、全身には骨が砕けているかの様に激痛が走り、手足は先が消えてなくなったかの様に全く感覚がない。
しかしそんな事が今動かない理由にはなり得ない。奴を殴らない理由になりはしない。
「糞野郎が!!」
身体中が壊れていくのを感じながらも脚は駆け出し、右拳は奴の顔面へと伸びていく。
今、今すぐ、貴様を殺してやる。
「調子に乗るなよダギィ?」
突如視界が暗転し、腹部に衝撃が走ると共に腸から大量の血がせり上がり口から噴き出す。
気付けば俺は仰向けに倒れていた。
「なぁダギィ、彼女が化け物になったのは元よりお前が彼女を守り切れなかったからだろう?」
……黙れ
「お前がもっと強ければ、お前がもっと頼りになれば、お前がもっと早く助けに来ていれば……」
黙れ
「彼女は化け物になっていなかった。違うか、ダギィ?」
「黙れアドマン!!」
「お、まだ立ち上がるか? ならお前が助けられなかった女に相手をしてもらいな」
俺の目の前に、黒い彼女が立ちはだかった。
黒い彼女
立ちはだかる彼女はまるで影が浮かび上がったかの様に真っ黒で、陽炎か何かの様に酷くぼやけて見える。
次にアドマンが指示を出せば彼女は数秒と掛からず満身創痍の俺を八つ裂きにでもするのだろう。
しかし、それはそれで仕方無い。彼女をこんな姿にしたのは俺なんだ。なら、彼女に殺されても文句は言えない。
いや、むしろ丁度いいか……元より、彼女を助けられないなら俺が生きている意味なんて欠片もないんだ。
「どうしたダギィ? もう諦めたのか?」
諦めた俺を見てアドマンが嘲笑と共にそう言ってくるが、実際にそうなのだから言い返す気にもならない。
「潔いなダギィ、ならそんなお前に冥土の土産をくれてやろう」
聞いてもいないのに、奴はペラペラ語り出す。
「一番目の街と二番目の街が龍どもに敗れた理由わな、俺なんだな。一番目の時は龍の群れを街に誘い、二番目の時は機関室に細工をして角竜を街の中心に誘導したのさ」
そこで奴は一息吐き、畜生と言うに相応しい厭らしい笑みを浮かべる。
「つまり俺が2つの街を滅ぼしたんだよ」
奴は自慢気に胸をはるが……そんな事はどうでもいい。俺にとっては彼女を助ける事が全てだったんだ。
だから彼女と戦う事なんて出来る訳がない。
全く反応しない俺を見て、奴はあからさまに溜め息を吐く。
「……つまらん、なら望み通り愛しい彼女に殺してもらいな」
アドマンが指示を出した瞬間、彼女の黒い手がヌッと俺の首に伸び、巻き付く。
「ディ、ごめんな」
今さら過ぎる言葉を吐いて、俺は目を閉じた。
蛇に似た黒く長い腕が這う様に首に巻き付いてくる。
それなのに、彼女の腕はちっとも俺の動脈を締め上げようとしない。
そしてそのまま黒くざらついた手が俺の顔を両側から掴み、何かを探すように俺の顔を撫でまわし始めた。
「……ディ?」
目を開くとすぐ傍に彼女の顔があった。
真っ黒い顔に裂け目の様に開いた口が何か言いたげにモソモソと動いている。
きっと怨み言か何かだろう。
一緒に闘う事も出来ず、助けにも来なかった俺を殺したいに決まってる。そうに違いない。
だから、早く俺を罵倒するなり殺すなりしてくれ。
君に会わせる顔なんて俺にはないんだから……
「……ゥ」
彼女の口が漸く話し方を思い出したかの様に大きく動く。
「ラウ……くん、ごめん……ね」
彼女の口から信じられない言葉が聞こえた気がした。
俺は彼女から色んな物を貰った。なのに俺は何一つ彼女に恩を返せていないんだ。なのに何で君が謝るんだ。
「ディ、君が謝る事なんて……」
なに一つありはしないのに。
そう言い掛けた俺の頬を、彼女の黒く崩れ掛けた手が、優しく撫でた。
「デ……トいけ…なくてごめ……ね」
彼女は覚束無い口調で、苦しそうに、本当に申し訳なさそうに、そんな事を言った。
そんな事謝らなくて良いのに……君はなんで、そんな事で、そんな顔をするんだ!?
謝らなくちゃいけないのは俺の方なのに、
俺が君をこんな姿にしたのに、
なんで君がそんな顔で謝らなくちゃいけないんだ。
「ディ!!」
君に言いたい事がたくさんあって
君に謝りたい事がたくさんあって
君に伝えたい事がたくさんあって
君の手を掴んだのに
「ラウく…ん」
なんで君の手はこんなに簡単に崩れてしまうんだ。
「ごめんね」
黒い顔
彼女の黒い手が崩れていく。
消し炭みたいにボロボロと砕け落ち、泥水みたいにドロリとながれ、彼女の腕が跡形もなくなっていく。
最後にごめんねと言った彼女の口は火傷の様に爛れ、もう二度と言葉を発する事はないだろう。
それなのに、なんで君は、そんな申し訳なさそうな笑顔のまま俺を見るんだ?
「このタイミングで限界が来たか。よくもった方だが……やはり失敗か、糞の役にもたたんな」
耳障りな言葉が木霊した刹那、彼女の崩れ掛けた体が真っ二つにへし折られる。
「失敗作は破棄せんとな」
折られた彼女の下半身に穢い足が踏み潰そうとした。だから、その穢い足を貫いた。
黒い足からは腐った泥水が溢れだす。
足には綺麗な風穴が空いた。
「おぉ? 怒ったか、ダギィ!!」
だが奴は呻くどころか、嬉々とした表情でそう返してくる。
今すぐ何も喋れなくしてやる。
「アドマン」
「なんだダギィ?」
「その穢い足をどけろ」
足から鉄針を引き抜き、奴の体を薙ぎ払う。
「ハッハァッ!! いいぞダギィ!!」
「黙れ」
貴様と話す事なぞ何もない。
「つれないな?」
「黙れ」
開いた口に鉄針を突き刺す。
「そんなに俺と話すのが嫌か、ダギィ?」
「黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ。黙れ」
鉄針を引き抜き突き刺し引き抜き突き刺し引き抜き突き刺し引き抜き突き刺し引き抜き突き刺し引き抜き突き刺し引き抜き
「死ね」
頭を叩き潰そうとした瞬間、グチャグチャになった黒い肉塊が愉しげに笑った。
「残念、お前じゃ無理だ、ダギィ」
口から温い血が溢れ出す。視線を下ろすと黒い腕が俺の腹に刺さっていた。
俺の意に反して、俺の体は奴の隣に無様に崩れ落ちる。
「殺す殺す殺す殺す殺す」
そんな言葉と血だけが口から漏れ続けるが、もう立ち上がる事すら出来ない。
「幾ら憎しみを燃やそうが感情だけじゃ人間の体は動かんな、ダギィ」
耳障りな高笑いのあと、腹を蹴りあげられる。
「やはり人間は不完全だな。俺の理想には程遠い」
黒い腕が俺を掴みあげる。
「久々の会話は楽しかったな。楽しかったが、もういいな。死ねダギィ」
黒い棘
俺を掴む黒い腕が枝分かれしズルズルと首を締め上げる。
動脈が絞まる、頭に血が回らない、意識が、霞む……
視界に黒い棘が造り上げられる。
「折角だ。最期に何か言い残す事は有るか、ダギィ?」
霞む意識の中、そんなふざけた科白が聞こえてきたから、
「お前は……殺す」
間髪入れずにそう答えてやった。
「残念ながらそれは無理だな、ダギィ」
奴の顔がニヤリと歪み、黒い棘が真っ直ぐに此方へ伸びる。
畜生……数年間妄想に逃げ続けた挙げ句、その最期がこれか、畜生が……
「もう少しまともな遺言を残すんだったな、ダギィ」
霞む視界が黒一色に塗り替わり、次の瞬間深紅に代わった。
そして俺の目が正常なら、目の前の深紅は燃え盛る炎の様に揺らめいた。
「全くですね、せめて自分で出来る事を言うべきです」
視界で深紅のマントが踊ると共に、俺の体が冷たい床に落下する。
「貴様!? まだ生きて!!」
「ええ、勿論」
翻る深紅の向こうでは体を袈裟斬りにされたアドマンがのた打っている。
「人が、頑張ってる間死に真似して……最期に不意打ちか、良い趣味だな」
呼吸を整えながら、精一杯の皮肉を赤マントに投げ掛けた。
「死に真似じゃなく殺られたふりですよ。貴方に花を持たせようとしたんです」
「嘘を吐け、さっきよりマントが赤いじゃないか」
「イメチェンですよ。それに不意打ちは気付かない方が悪いんです」
赤マントはニヘラ顔で言い放つと、アドマンに刃を向けた。
「さて、貴方には腐るほど罪が有るようでギルドに連行したいところですが……元から死人扱いですし、殺ってしまっても問題ないでしょう」
赤マントがニヘラ顔のまま蒼刃を振り上げ、当然の様にアドマンの首元へと振り下ろす。
「なめるな、人狩りが」
そんな科白を垂らしながら、奴の首が転げ落ちた。
黒い龍
そう、間違いなく奴の首は胴から泣き別れた。しかし赤マントが漏らしたのは小さな舌打ちと何時もからは想像も付かない苦々しい表情だった。
赤マントの刃は空を切る。
アドマンの首は切り落とされたのではなく、独りでに転げ落ちたのだ。
「全くもって予想外だな、意外と危なかったぞ」
首だけのアドマンは何食わぬ顔でそう言いながらゴロゴロと転がり続ける。
「貴方にだけは言われたくないですね。生首になってまで生きていたいですか?」
ニヘラ顔に戻った赤マントは転がる生首に追撃の太刀を振り下ろす。
「今はまだ生きていたいな。何せ漸く貴重な手掛かりを手に入れたんだからな」
太刀を避け跳び跳ねる生首はケタケタ笑いながら赤髷のベッドに飛び乗った。
しかし奴が赤髷に何かをする前に、蒼い刃が閃光の如く弾けた。
「本当は其処なお嬢ちゃんも連れていきたかったが、今回はこれで我慢するかな」
跳ねる生首は紙一重で蒼刃を避け、口にくわえた赤い液体の入った小瓶を噛み砕いた。
「逃がす訳がないでしょう」
赤マントは一切の躊躇なく、笑う生首を両断した。
……筈だった。
残念だったな、ギルドの犬め」
蒼い刃は、突如現れた小さな、丁度人の頭程の大きさの黒い龍の牙に受け止められていた。
いや、あの龍は突然現れたんじゃない。奴の生首から……羽化した様に見えた。
「全く……どこまで化け物なんですか!!」
赤マントは龍の絡み付いた刃を力強くで振り下ろす。
床石が砕け、小さな礫が宙を舞う。その隙間を易々とすり抜け黒い龍はふわりと舞い上がる。
「これでもまだ不完全さ」
ケタケタと笑いながら黒い龍はふわふわと宙を泳いだ後、
「じゃあな、ダギィ。気が向いたら一番目にくるといいさ」
そう言い残して、暗い天井に風穴を残して跡形もなく消え去った。
そして薄暗い地下倉庫に残ったのは、
無表情の赤マントと
血塗れの役立たずと
ゆっくりと溶けていく黒い彼女……
さよならを
「無理なら私が殺りましょうか?」
既に両手に収まる大きさになった彼女を見て立ち尽くす俺を見て、赤マントはそんな事を言ってきた。
その科白にはいらない世話と……目の逸らしようの無い事実が含まれている。
「どうやっても……助けられないのか?」
自分でも馬鹿な事だと解っていながら、そんな事を聞いてしまう。
「無理ですね。治療法は無いですし、仮に治せるとしてもその体じゃ生きていけない」
馬鹿が……もっと早く助けに来ていれば、彼女はこんな目にあわなかっただろうが……
「簡潔に言いましょう。何もしなくても溶けて死にますし、何かしても結局死にます」
何をしても彼女は死ぬ。
全部俺のせいだ。
俺のせいで彼女は死ぬんだ。
結局俺は何も出来ない。
あの日から、何一つ変わっちゃいなかったんだ。
「で、どうしますか?」
「……今さら俺に何をしろって言うんだ?」
「彼女は放って置くと、このままゆっくりと、苦しみながら、溶けて死にます。骨の1つも残さずに」
「何が言いたい?」
……いや、何が言いたいかは解っている。でもそれを俺の口から言わせないでくれ。
「人の手で殺してあげるのが優しさってものですよ。今ならまだ形が残りますし、丁度龍殺しの武器もあります」
差し出された蒼い太刀は不思議な空気を放ち、龍で無くても簡単に殺せるであろう刃は重苦しく光を反射する。
……
「良いのか、人殺しを幇助したりして?」
「私だって血も涙も流す人間ですからね。それに今の貴方に冗談を言ったりしませんよ……勿論、無理なら私がやりますが」
俺は奪い取る様に太刀を手に取り、躊躇う事無く彼女に刃を振り上げる。
「駄目ですよ、勢いに任せちゃ」
そんな俺を赤マントが制止する。
「目を逸ず見つめてください。目の前の現実を、今から自分が何をするのかを」
そう言われた瞬間、ボロボロと涙が溢れてきた。
「大丈夫ですか?」
「大……丈夫だ」
もう逃げはしない。今逃げたら、二度と取り返しがつかなくなる。
「ならもう少し下です。其処を刺せば楽に殺せます」
「あぁ、わかった」
そう返事をすると赤マントは眠ったままの赤髷を連れて姿を消した。
薄暗い倉庫には俺と彼女が2人きり……俺はゆっくりと柄を握り締める。
「ディ、言いたい事がたくさん有った筈なんだけど……忘れちゃったから、また今度言いに行くよ」
彼女の口からはヒュウヒュウと空気が漏れるだけ。
「だから一番言いたい事だけ言っておくよ」
彼女の口はただの穴ボコで、もう二度と言葉が紡がれはしない。
「……ずっと君を愛してる」
『私もラウ君を愛してる』
彼女の口は穴ボコで、空気がヒュウヒュウ漏れるだけ。だからきっと、今聞こえたのは都合のいい幻聴だ。
だって俺にそんな事を言われる資格はないんだから。
「さようなら、ディ」
両手に力を込めて、一気に突き刺した。
頬に温い黒色がべったりとへばりついた。
『ありがとう、ラウ君』
お願いだから、そんな事を言わないでくれ……
ある男に幕を
二番目の街の方々から歓喜の雄叫びが挙がる。
それは長い闘いの終わりと、二番目の街が漸く人の手に戻った事を意味している。
そして現実から目を逸らし、逃げ続けた男の戦いも終わりを迎えた。
その終わりは男が想像していた以上に残酷で、どうしようもない結末だった。
更に言えばこの悲劇は回避できた結末だ。
少なくとも男自身はそう思い込んでいる。
それでも男はさよならを告げて、地下倉庫をあとにした。
そして男は地下倉庫に松明を投げ入れ、炎を放つ。
「燃やしちゃうんですか?」
「あんな姿を見られたら彼女が不憫だ。それにこれなら火葬と土葬が一辺で済むだろう」
男は蒼い太刀を赤マントに手渡しつつ、淡々と答える。
「まぁ貴方が良いなら別に構いませんが」
赤マントは太刀を研ぎ直し、鞘に納める。
「所でランスはどうしたんですか?」
「置いてきた」
「大事な物だったのでしょう? 価値的にも思い出的にも」
「墓標の代わりだ。それにあれは元々彼女の物だ。俺が持っている資格なんてない」
男は虚ろな瞳で徐々に大きくなる炎を眺め続ける。
「その代わり、彼女のお守りを貰ってきた」
男の耳には数年振りに番になったピアスが風に揺られていた。
「そのお守り、役にたつんですか?」
「別に俺なんかを守ってくれなくていいんだ」
淡々と虚ろな瞳で語る男の目に、一際大きな火柱と共に天に昇る黒い煙が映った。
「俺なんか守ってくれなくていいんだ」
淡々とした言葉と虚ろな瞳で男は言う。
ただその瞳からは永遠と涙が流れ続けた。
中書き的な何か
皆様コンバンワ
もしくはグーテンターク
これにて一時小休止です
僅かでも楽しんで頂けたでしょうか(^^; ?
なんだか最近色々と酷い有り様ですが笑って許してください
とにかく色々な物にケリをつけるべく後ちょっとだけ続きます
よろしければお付き合い願います
最終更新:2013年02月28日 10:17