序章
『はぁ…!はぁッ……!!』
暗い山道を一人駆けていく。
目指す場所も、ここがどこなのかさえも分からない。
『痛ッ……!?』
転んだ。
もう何度地面から張り出した木の根に躓いたのか分からない。
痛みに蹲りそうになったが、“逃げ出したい”という一心で堪える。
顔を上げ、涙を拭う。
そんな事をしてみても、暗い山道が視えるわけでもない。
しかし、それでも震える脚に喝を入れ、走りだす。
とうに体力など尽きている。
一度休憩を取ったほうが、効率よく動けるだろう。
だが、少年の頭にそんな考えは浮かんでこなかった。
ただ逃げたいだけだった。
誰でも良かった、自分をこの闇の中から救い出してくれるなら。
誰でも良かった、自分の愛しい《姉》を救い出してくれるなら。
『━━━姉……、ベル姉ッ……!』
いくら名前を呼んでも、《姉》がここに居るわけはない。
彼女の声も聞こえないし。
自分の声が、彼女に聞こえる事もないだろう。
ついさっきまで傍にいてくれた。
優しい声で頭を撫でてくれた《姉》は今はいない。
もう傍にいてくれる事もない。
もう優しい声も聞けない。
《姉》の微笑む顔を見ることもできない。
何故なら━━━
『……ベル姉ぇ…』
(あの子は無事に逃げれたかしら…)
愛銃に次の弾を装填しながら、《弟》の事を想う。
だがそれも一瞬の事、次の瞬間には眩い爆炎が彼女を襲う。
今は他の事を考えている場合ではない。
分かっている、それは分かっていた。
幾度ともなく狩り場を通ってきた彼女にはそれは“よく分かっている”。
しかし、敵に弾を撃ち込むことよりも。
敵の攻撃を見極め、避けることよりも。
先に逃がした《弟》の事が気になって仕方がなかった。
(…ラーズ、どうか無事で━━━)
《弟》はまだ幼い。
ハンターの真似事などをしてはいるが、ろくに剣を振れはしない。
そんな《弟》が独りこの山道を抜け、村に辿りつく可能性は極めて低い。
途中でランポスにでも出くわせば、《弟》は満足に戦う事もできずにやられるだろう。
ならば、離れるべきではなかった。
逃げるにしても一緒に逃げる方が良かった。
━━━否。
そんな事を思っていたのは、この敵と“出会った瞬間”だけだ。
戦闘を続けている時間が長くなればなるほど、この敵の恐ろしさが伝わってくる。
自分もいつまでも戦っているわけにはいかない。
このまま戦闘を続けていても、勝てる見込みは限りなく少なかった。
それはハンターを続けてきた彼女の“勘”。
今までの飛竜に対しても、幾度となくそう思ってきたが、この敵は違いすぎる。
「逃げろ」
本能がそう訴えてくる。
この敵は危険すぎると。
この敵は自分の力が及ぶモノではないのだと。
この敵は自分一人の力では━━━
『……ッ!?』
『どうした?』
ふと気が付くと目の前には眼鏡をかけた男が座っている。
いつの間にやら寝てしまっていたらしい。
嫌な汗をかいていたが、理由は“夢”のせいだけではないようだ。
周囲を見渡せば、無骨な岩が取り囲んでおり、上空には暗い雲が立ち込めている。
遥か彼方には噴煙を巻き上げる山々があり、上流から流れてくる風は熱い。
『いや、何でもない』
額に浮いた汗を拭うと男はそう答えた。
『また寝とったんやろ、ホンマお前は……』
小柄な男が呆れ顔で笑う。
気が付かれていた、という事はそれなりの時間を寝ていたのかもしれない。
『━━━疲れてるのか?』
『いや、問題はない』
眼鏡の男が気遣ったような言葉をかけてくるが、即答で否定する。
それは男なりに彼を心配させないようにと思っての事だ。
『な、なぁ!それより早く行こうぜ。さ、作戦とかあるんだろう…?』
そのやり取りを見ていた男が、おずおずと口を挟んでくる。
痩せ型の体型に、緩んだ視線。
およそハンターらしからぬ風貌の男だ。
細身、という点では眼鏡の男もそうだが、彼はとこの男は違いすぎた。
『作戦?そんなモノは“近付いて斬る”くらいでいいだろう』
『なっ……!?』
男の言葉に痩せた男が絶句する。
『わしらが作戦を立てて狩りをすると思っていたのか?
“そんな事”を考えている暇があるなら、自分の攻撃をどう当てるかを考えろ』
『…………』
眼鏡の男の言葉には、言葉もでない様だった。
それもそのはず。
通常狩りにでる前には作戦を決める。
つまり、誰がどう動きどのタイミングで攻撃を仕掛けるのかを、あらかじめ決めておくのだ。
それがチームで行なう狩りの定石ともいえる。
ガンナーが周囲の
モンスターを殲滅し、大剣使いが飛竜に攻撃をする。
ランスを手に持つ者が攻撃を受け、
片手剣のハンターが撹乱する。
こういったほぼそれぞれの武器の特性に合った役割というのが、常識として存在する。
それを彼らは、“必要が無い”と言ったのだ。
痩せた男でなくとも、そんな事を言われれば大抵の者が呆れる。
『狩りは“ノリ”や、何とか攻撃してたらそのうちに倒せるからな』
小柄な男が似合わない大笑いをしながら言う。
『そんな心配よりお前は、その“伝説の封龍剣”の使い方でも心配した方がいいんじゃないのか?』
『う、あ………』
男の眼光に、痩せた男が思わず後ずさる。
睨み殺されるかというほどの、鋭い視線だった。
『あ、あぁ……!心配するな、少し驚いただけだ。
まさか、作戦も持たずに飛竜に挑む、蛮勇な者がいるとは思わなかったからな…
だが、この俺の封龍剣があれば飛竜など恐るるに足らず。
“竜殺しのスレイン”の力をお前らにみせてやるぜ』
痩せた男は笑いながら言うが、その笑顔は引きつっている。
『ふん……』
その様子を男はつまらなさそうに見ていた。
クエスト☆
『わぁ……大きい……』
少女が目の前に広がる光景に息を漏らす。
その仕草がおかしかったのか、少女の目の前を通る何人かが、微笑んだ。
『……コホン。リシェス、あまり恥ずかしい真似はやめてください』
リシェスと呼ばれた少女の隣にいた、もう一人の少女が咳払いをしながら言う。
笑われているのが自分達だと分かっているのだろう。
頬が少し紅潮している。
『そんな事いってるけど、エレノアだってリシェスと同じ顔してたよ』
『なッ!?』
少年の指摘にエレノアが驚き、後ずさる。
『そ、そんなはずはありません!』
声を荒げ、必死に否定しているが、それは肯定している事と同意だ。
『ふむ……、まぁ大きな街だからな、珍しいのも当然だろう』
後ろに居た男が笑いながら言う。
彼だけは随分と年をとっているようで、彼女達よりは年齢が離れているように見える。
実際少年一人、少女二人とその保護者、といった感じに近い。
彼らが今居るのは、“ドンドルマ”と呼ばれる街の玄関口。
切り立った山の谷に築かれた街。
モンスターの侵入を拒む城壁ではなく、迎撃する為の区画などが整備されいる。
また山間の地形を利用し、そこに吹く風を動力とする風車がある。
この風車の力をもって、水を街へと運ぶのだ。
『ここがドンドルマ……』
少年が息を呑む。
目の前を通り過ぎる者達のほとんどはハンターだ。
皆、思い思いの武器を背負い、装備で身を固めている。
中には見たこともない様な、武具を持つ者もいた。
それもそのはず、このドンドルマには“武具工房”と呼ばれる施設がある。
ハンター達が持つ【竜殺しの武器】は、竜人族の口伝でのみ伝えられ、またその技術を学んだ
ところで人間には扱えないとされてきた。
しかし、それを覆したのがこの武具工房。
長い年月をかけ、施設の改良し、次の世代へと受継いでいく。
その過程でついには、竜人族ですら知り得ない技術を完成させた。
だが、その武具は未だ改良の余地があり、実戦で使えるほどにはなっていないという。
━━━見たことの無い武器。
それにはもう一つの理由がある。
このドンドルマの地方では、シュレイド地方には見られないモンスターが数多く生息する。
当然、この地方特有の武具が存在するのだ。
そしてこの地方には………
『まずはギルドに行かんとな、話はそれからでもいいだろう』
男が言う。
確かに新しい街に来たからにはそこを管理するギルドに届出をしなければならない。
でなければ、狩りにでることも泊まる宿もない。
『あの坂を登るのか……』
見上げれば、遥か彼方に住居や風車が見える。
そしてそこから降りてくる、一筋の道。
かなりの勾配がついた階段だ。
この階段を登り、街に着く頃にはへとへとになっているかもしれない。
『………』
『?どうしたの、エレノア?』
階段を見つめたまま動こうとしないエレノア。
その様子はどこかおかしい。
『傷が痛むのか……?』
男が眉を顰めながら聞くと、少女は小さく首を振った。
『いえ、この階段……』
少女が視線を坂に這わせながら、街を見る。
それにつられて、少年達も階段を見る。
ふいに少女が呟いた。
『登ると脚が太くなりそうですね……』
その瞬間、彼女を除いた三人の視線が点になった。
『お前達、街に行く気は無いか?』
穏やかな昼下がり、今日は狩りの予定もなく朝からただ“ぼ~”っとしていだけだった。
しかし、それでもやはり昼になれば腹も減る。
狩りの予定が無いということは収入が無いということだ。
いくら空腹を満たすためとはいえ、出費は心苦しい。
贅沢な料理を頼むわけではないので、それほどまでに深刻な問題ではないのだが。
『……』
男━━━中年くらいの白髪が混じった男がそんな事言ってきたのは、笑顔が印象的な酒場の女主人に料理を注文した時だった。
『……“また”?』
『むぅ……』
彼が座った左側にいた少女が問う。
その問いかけに彼は小さく唸った。
彼女の威圧された、というわけでもないだろうが彼はそのまま黙り込む。
彼の名はウォーレン、
ハンマーという超重量武器を扱うハンターで、今この村にいるハンターの中では年長者にあたる。
狩り場ではハンマーを手に果敢にモンスターに攻撃をしかけにいく。
しかし街や村にいるときは大人しく、大きな手に似合わず調合などをしたりする。
また年ゆえか寡黙で思慮深いところがあり、時折深く考え込んだりする。
そして、彼が考え込んだときには━━━
『言い難いこと?』
少女の前に座っていた少年が問う。
目の前に置かれた皿には綺麗に魚の骨が残っている。
ウォーレンは少年のほうを横目で見、そのまま目を閉じる。
彼は寡黙だが、言い難い事であっても必要とあればはっきりという。
こういった感じで彼が黙りこむのは気を使っているからだろう。
『いや、そうではないのだが……』
『あらウォーレン、どうしたの?そんなに難しい顔してたら余計に老けて見えるわよ?』
そんな事を言ってきたのはこの酒場の女主人、クリスだった。
手には少女が注文した「チーズのオムレツ」を持っている。
『むぅ……』
クリスは冗談で言ったのだろうが、ウォーレンは本気で受け止めたのか再び黙り込んでしまった。
『はいリシェス、お待ちどうさま』
『ありがとう!』
オムレツの乗った皿を少女の前に差し出すと、彼女は嬉しそうに受けとった。
付け合せのパンをちぎって口の中に放り込み、ナイフをオムレツに入れる。
切り口からチーズの香ばしい匂いが溢れ、それがさらに食欲をそそる。
『それで?何のお話をしてたのかしら?』
クリスは少年の前にあった皿を取り、厨房へと戻っていく━━━と思ったのだが、意外にも近くにあった椅子を引き寄せ腰掛ける。
その位置が少年の近くであったため、リシェスが一瞬オムレツを口に運ぶ手を止めたが、またすぐに動き出した。
『君も聞くのか?』
『聞いてはいけないの?』
『そんな事は無いが』
『じゃあ聞こうかしら』
言って彼女は嬉しそうに笑みを浮かべた。
この酒場にいるのは主人であるクリスだけだが、今のところこの村にいるハンターは彼らのパーティだけだ。
温厚な気候に恵まれたこの村だが、ハンター向けの依頼はほとんど無い。
最近彼らが受けたクエストと言えば、農場に迷い込んだランポスの討伐やキノコの採取といった簡単なものばかりだった。
それでも近くにある山には怪鳥と呼ばれる飛竜や、火竜リオレウスがやってくることもある。
彼ら以外にハンターが居ないという事は、つまり“そういう”事だ。
大きな依頼ばかりではないにしても、小さな依頼ですらたまにしか来ないという場所にハンターは居座らない。
飛竜を倒す者、それがハンターである。
もちろん、何故飛竜を倒すのかは各々の理由があるだろうが。
ただ単に力を試したい者。
その飛竜を模した装備を手に入れたい者。
貴族あるいは村人達からの依頼を受けた者。
果ては危険の中に身を置きたい者まで様々だ。
故に飛竜が居ない場所にはハンターは居ない。
クリスが一人で酒場を切り盛りできるのも、相手にするハンターが居ないからかもしれない。
最近の彼女の仕事と言えば彼らに朝昼晩の食事と作ったり、話し相手になるくらいだ。
もっともこの酒場はギルドが運営するものであり、いくらハンターがいなくなったとしても潰れることは無い。
『おはようございます……』
一人の少女が酒場の入り口を潜ってくる。
年の頃はオムレツをつついているリシェスと同じか、少し下だろう。
その表情は具合でも悪いのか、暗い元気はない。
『エレノア……調子、悪いの?』
『いえ…心配はありません』
心配するな、と言われても“そんな”様子では心配しない方が難しい。
彼女━━━エレノアは生真面目な性格をしている。
その彼女が最近は昼過ぎくらいに目を覚ますのだ。
今までそんな事も一度もなかったと、リシェスが言ってもエレノアは「心配ありません」の一点張りだった。
幼い頃から共に育ってきたリシェスが言うのだから、余程の事なのだろう。
『そうよエレノア、最近の貴女少しおかしいわよ?』
『おかしい…?私がですか……?』
そう言うと彼女は反論するわけでもなく、ただ表情を曇らせた。
『顔色も良くないみたいだし、ちゃんと寝れてる?』
意地っ張りな性格━━━というわけではないのだが、エレノアは元々他人に心配をかけまいとする娘だった。
クリスの質問に表情でだけ答え、彼女はリシェスの隣に腰掛けた。
『大きな怪我だったからな、身体がまだ本調子ではないのかもしれん』
エレノアは先の狩りで火竜リオレウスの空襲を受け、怪我を負った。
一命は取り留めたものの傷は軽くはなく、暫く自室で暮らさなければならなかった。
半ば引きこもりの様な生活を送っていたので、気が滅入っているのかもしれない。
何もする事もなく、ただベッドの上で毎日を送る。
考えただけでも気が滅入りそうだった。
そんな日常を彼女は過ごしてきたのである。
怪我をしたのだから仕方が無い、そう思うのも当然だが、それでも耐え難いモノであったはずだ。
仲の良かった友人は遠くの街へ行き、話し相手もろくにいない。
そんな毎日を彼女は何を思って過ごしてきたのだろうか。
『……そうかもしれませんね』
ウォーレンの言葉に彼女は苦笑いを浮かべながら“そう”同意した。
それは彼女が本調子ではないと、認めたという事だ。
『身体を動かさんと、感覚も戻りづらかろう。━━━話というのはそれだ』
急に真剣な顔に戻ってウォーレンが言う。
『……それ?』
リシェスが聞き返すのを見て彼がため息をつく。
『エレノアを連れて街にいくって事?』
彼が口を開く前にルインが言う。
このまま黙っていたら、ウォーレンとリシェスはまた口喧嘩をしていただろう。
━━━彼と彼女は仲が悪い、というわけでもない。
だが良く口喧嘩をするのだ。
それはどちらかと言えば「喧嘩するほど仲が良い」といった類のものなのかもしれないが。
それでもやはり見ている者は面白くない。
一緒に居る以上は誰だって仲良くしたいと思うものだし、して欲しいものだ。
『私を……?』
エレノアが不安気に問う。
『ああ。この村ではクエストがあまり無いからな、気晴らしを兼ねて街に行こうと思う』
ウォーレンが目を閉じ、息を吐きながら静かに言う。
『で、でも……』
『無論、今回は私も一緒に行こう。
前回はお前達ばかりに苦労をかけさせたからな、街に行けば私の知り合いもいる。
それぞれの武器にあった話も聞けるだろう』
ルインの言葉を遮るようにしてウォーレンは話を続ける。
大きな街に行けば、人が集まる。
そして人が集まる所には情報も集まる。
例えばこの村では知り得なかった武器の情報も手に入る。
ルインの片手剣、リシェスの大剣は武具屋に行けばある程度は次の強化への指針を教えてもらえる。
しかし、エレノアのボウガンは別だ。
順に強化していく剣とは違い、ボウガンは新しく生産していく。
その素材は今まで聞いたことのない飛竜の物かも知れないし、そうでないのかも知れない。
それは色々な素材を手に入れてみなければ分からないということだ。
勿論“作った事”のある武具職人なら教えてくれるだろうが、生憎とこの村にはそんな職人は居ない。
小さな村なので仕方の無い事なのだが。
『レフツェンブルグに?』
『いや、今回はドンドルマという街に行くつもりだ』
ウォーレンが聞きなれない名の街を口にする。
それと同時に少しクリスの表情が曇った。
一瞬の事だったので、気付いた者がいたのかは分からないが。
階段を登ると開けた場所に着いた。
様々な武具を背負ったハンターが闊歩しているのは街の入り口でも同じことだが、色々な露店が並んでいる。
そこにはハンター以外の者もいるように見える。
露店にはハンターが使う道具や、見たこともないような食材が並んでいる。
時折、道具屋の店主が客の目を盗んで何やらつまみ食いしているようだが。
レフツェンブルグの街でもそうだが、やはり街を警備する者が目に留まる。
揃いの制服を着て、仰々しい武器を携えている。
『あの上の宮殿は何?』
リシェスが指差す方、ここよりまだ高い場所にある白い建物が見える。
ここからまだ階段を登らねばならないのかと思うと気が滅入るが、その手前にいる衛兵が簡単には通してくれないといった雰囲気を出していた。
『あれは【大老殿】と言ってな、この街を治める長老の宮殿だ。
お前達がこの街で功績を立てればいずれは招かれるだろう』
ある程度の知名度があるハンターでなければ入れない、というのがウォーレンの説明だった。
なんでも通常より難易度の高い依頼が回ってくるので、上位のハンターでしか受けれないらしい。
『ウォーレンは入れるのですか?』
エレノアの問いに彼が頬をかきながら、照れた様な笑いを浮かべる。
『いや、私も入れん。だからどんな場所なのかはお前達に説明してやれんのだ、すまんな』
彼は元々この地方のハンターではない。
王都に拠点をおくハンターだとクリスは言っていた。
地方間においてハンターランクがどういう扱いなるのかは詳しくは決められてはいないが、全く同じというわけでもない。
いくら王都で功績を遺した高ランクのハンターであっても、このドンドルマに来ればルーキーと大差はないのかも知れない。
もっとも、ギルドに深く知れ渡るほどのハンターになれば別だろうが。
しかし、そんなハンターがおいそれといるわけはない。
『気にしないでください、それよりもギルドの酒場は━━━』
広場を見渡すと、奥の建物に人だかりが出来ている。
その様子からして建物に入ろうというわけではないようだ。
『ふむ…、あそこが確か酒場だ。何かあったのだろうか?』
『とりあえず行ってみよう』
歩き出したルインとウォーレンの後をエレノアのリシェスがついて来る。
恐らく酒場で誰かが喧嘩でもしているのだろう。
しかしそれは日常的なもので、人だかりを作るほどのモノではない。
だとすれば、何か事件でもあったのだろうか━━━
クエスト☆☆
酒場の入り口にまでやって来ると、かなりの人だかりができていた。
その様子から、中ではかなりの出来事が起きていると想像できる。
誰も中には入ろうとせず、ただ入り口から中で起こっている様子を傍観するのみらしい。
覗いている者は、その格好からハンターであったり、またただの街人だったり様々だ。
入り口付近に来れば酒場の独特の匂いが鼻をつく。
咽かえるような酒の匂い。
しかし、この酒場からは別のに臭いが漂ってきていた。
『誰かが戦ってる……?』
ルインがふとそんな事を漏らした。
酒に混じるその嫌悪感を抱くような臭いは埃の臭い。
━━━そして、血の臭いだった。
背筋に何か冷たいモノが通った気がした。
それを追うかの様に全身の毛が総毛立っていく。
ここは酒場だ。
酒を飲み、料理を食べ、仲間とあるいは知人達と語り合い、笑い合う場所だ。
誰かが戦うような━━━まして血が流れるような場所ではない。
『どうする?━━━中に入るか?』
ウォーレンがそんな事を言ってきた。
どうする、と問われても出来れば避けたい。
それは誰しも同じ事だ、だからこそ皆こうして入り口で見ているのだろう。
二人の少女達を見れば、リシェスは困ったような顔をしており、エレノアは最初から問題外だとその表情が告げていた。
実際ルインも同意見だった。
いざこざに巻き込まれても面白くない。
それはレフツェンブルグの街での経験からだった。
ここは一度時間を置き、避けるべきだ。
それ以外の選択肢は無いはずだった。
━━━そう、“あの声”が聞こえるまでは。
気が付けば、怒鳴られるのもかまわず酒場に飛び込んでいた。
ルインは男にしてはやや小柄な方だ。
多少無理をすれば人混みを抜けるのは容易い。
『……ッ!?』
酒場の中の光景を見て絶句する。
それは誰もが目を塞ぎたくなるような光景だった。
蹲り呻いている者、気絶してるのか全く動かない者。
その誰もが血を流しているのが異様だった。
『ルインッ!何を考えている……なっ!?』
彼の後を追ってきたウォーレンに腕を掴まれる。
だが、彼も酒場の惨状を見て思考が停止してしまったようだった。
そこには楽しく陽気な酒場の面影は何一つなかった。
ただ、そうただ“竜をも殺せる者達がお互いを殴り合っている”だけだ。
カウンターの裏でメイド服を着た女達が抱き合って震えている。
それは自分達にその拳が向けられないかと脅えているのだろうか。
それとも誰かが死なないかと怯えているのだろうか。
ひょっとすると、そのどちらもなのかもしれない。
『ルー……』
リシェスが脅えた様な表情で、彼の袖を引く。
「早くここから出よう」という意思表示だ。
それは正しい。
こんな場所にいればいつ巻き添えを食ってもおかしくはない。
何故なら━━━“争いはまだ終わっていない”のだから。
動き続ける者の数はおよそ十数名。
ただお互いを乱雑に殴り合っているように見えるが、そうではないようだ。
一人ひとりが敵というわけではなく、どちらかと言えば“団体での抗争”といえる。
すでにやられてしまったのか、片方のグループは二名少々。
もう片方のグループが多数いる。
その二名も頑張ってはいるようだが、数に押されればそれも時間の問題だ。
『ルイン、ここは危険です。気付かれる前に出ましょう』
ウォーレンの影隠れるようにしてエレノアが言う。
しかし、まだ出る気は無かった。
あの声の主を確かめるまでは。
一度しか会ったことのない人物だが、その声ははっきりと覚えている。
優しい声だった。
だが、ただ優しいだけではなく、その優しさの中には凛とした強さもあった。
その声の主は━━━
『いた……!』
『えっ!?』
声の主の姿を確認した瞬間、走り出していた。
放っておいても問題はないのかもしれない。
だが、それは出来なかった。
“あの時”もそうやって助けたのだ。
今更「臆病風に吹かれました」といって助けない、ということはできない。
酒場の中央に向かって走るルインに何人かが気付いたようだ。
よく聞き取れない罵声を飛ばしながら掴みかかろうとしてくるが、それに捕まるルインではない。
彼の俊足、それはこの酒場でも影を落とすことは無い。
『オルタンシアさんッ!!』
『……ルイン様!?』
名を呼ばれた少女は驚きの声を上げる。
しかし、それは致命的だ。
動きを止めた彼女を目掛け、男が腕を振るう。
いくら目を見開いて見ても、男の動きが止まるわけではない。
心で舌打つ。
声をかけるべきではなかった。
そう思ってももう遅い。
彼女が殴られる、そう見えた瞬間吹き飛んだのは男の方。
男は何が起こったのか分からない風だった。
それはルインにしても同じ、また彼女にしても同じだった。
『……気をつけろ、オルタンシア』
吹き飛んだ男の変わりに立っていたのは、男。
そしてその姿を見て言葉を失う。
『お前は……』
『あなたは……』
男も自分を覚えているようで、こちらを見つめてくる。
鋭い眼光に脚が竦みそうだった。
見つめるとは名ばかりで、睨みつけられているかのような感覚に囚われる。
何か言おうと思うが、何をどう言っていいのか分からない。
それは男も同じなのか、ただこちらを見るだけだ。
『お知り合いなのですか?』
『む?いや、知っている……気がする』
彼女の問いに対する答えに一気に気が抜けた。
知っている“気がする”とはどういうことなのか。
あれほど自分達に迷惑をかけておきながら、その事を全く覚えていないというのだろうか。
『ぼぅっとするな、フィール!わしがしんどいだろ!!』
後ろから眼鏡をかけた男が叫ぶ。
彼の周りには男がざっと三人。
彼はその三人を素早い動きで裁きながらこちらに怒声を飛ばしてきている。
『話は後だオルタンシア、まずはこいつらを片付けよう』
『……はい』
『どうしてあんなことに……?』
未だ割れたグラスや皿が散らばっている酒場で、なんとか座れる椅子とテーブルを探して腰掛けた。
彼が片付けると言った後、その後は呆気ないものだった。
相手側の人数が一人減り、そしてまた一人となし崩し的に倒れていった。
元々ルインが飛び込んだ時には決着が付きかけていたのだろう。
ちなみに彼らはほとんど怪我をしておらず、衛兵達の厄介になったのは相手側の人間ばかりだった。
その者達はゲストハウスに運び込まれ、手当てを受けている頃だろう。
『待て、その前にお前は誰だ?』
『フィール、本気で言ってるのか?』
『む…?』
眼鏡をかけた男が呆れ顔で言う。
この男にも見覚えがあった。
レフツェンブルグでフィールと一緒にいた男だ。
何に呆れられているのか分からないといった様子でフィールが首を傾げる。
『お前……』
『待て、その反応からしてこいつと会った事があるのか?』
彼の中からは自分達は完全に忘れられていた。
それはどうやら嘘ではないようだった。
“あれほど”自分達を厄介ごとに巻き込んだというのに、何て無責任なのだろうとルインは思った。
もっとも、出会った者を一々覚えていないだけなのかもしれない。
それは仕方が無いといえば仕方の無いことだ。
毎日のように狩りに出かけ、その度に新しい仲間と組む者もいるという。
それはいわば一度きりの仲間だ。
偶然気が合う者と出会えればそのまま狩りを続けるのだろうが、そんな事は稀だ。
大抵は一度きりで終わる。
命を賭けた狩り、命を賭けた状況では人の本性を垣間見る。
それはどんな人間でも変わらないだろう。
その状況で相手を信用するに足る人物と判断するのか、否か。
ハンターとしての繋がりというのは、きっとそういったものだ。
しかし、信用するに値するとは中々巡り合えない。
彼らのような高ランクのハンターになれば尚更かもしれない。
ハンターは高名になればなるほど“余計なモノ”が付いて回る。
それはプライドであったり、人々の噂であったりするモノ。
数多くの狩り場で狩りを続け、幾多の死線を潜り抜ける。
そうしたうちに人はいつしか思うようになる。
“俺は強い”
“俺に狩れない飛竜はいない”
と、一種の思い上がりの様な思いに駆られるのだという。
そういった者達ほど相手を見下し、自分達が優位だと主張する。
狩り場において、いや街にいたとしてもハンターに順列はない。
ハンターランクは依頼を回す目安としてギルドが便宜上設定しているだけであって、これはハンターの格付けではない。
しかし実際はこのランクだけで相手を判断する者は多い。
彼らも今までそういった者達と多く出会ってきただろう。
━━━いや、彼ら自体もそういった人物なのかもしれない。
事実、自分達を覚えていないというのも「格下のハンターなど興味はない」という事なのだろうか。
そう思われても仕方は無い。
自分達は彼らと狩りにすらでていないのだから。
ただ街で、街の酒場で酔っ払いに絡まれているのを助けられただけだ。
それを“覚えてもらっている”と勘違いしているのはこちら側かもしれない。
駆け出しにせよ、半人前にせよ、自分を主張できるのは狩り場でのみだ。
街にあって雄弁に語るのはハンターにあらず。
ハンターとは狩り場にいてこそハンターなのだ。
つまり相手に覚えて貰おうと思えば狩り場で力を示さねばならない。
だが上位になればなるほどそれは難しいのだ。
『レフツェンブルグで会ったな、覚えてないのか?お前が喧嘩に巻き込んだだろう』
眼鏡の男が言葉にフィールはただ首を傾げる。
『まぁ、もっとも会っていない奴もいるしな』
そう言うと男はエレノアとウォーレンを見る。
ルイン達がレフツェンブルグに行った時にはエレノアは村にいたし、ウォーレンは王都に戻っていた。
彼等からすればお互いは知らない者同士だ。
『はじめまして、エレノアといいます』
『ウォーレンだ』
『わしはガラフ。…こいつは人を覚えるのが苦手でな、あんまり気を悪くしないでやってくれ』
ガラフと名乗った眼鏡の男はそっとフィールのフォローをする。
冷たいような雰囲気を漂わせているが、意外と細かいところに気が付くのかもしれない。
言われてフィールは頭をかきながら、苦笑いを浮かべている。
『そちらの女性は?ルインと知り合いなのでしょうか?』
エレノアがフィールの横に腰掛けている少女に視線を向ける。
思えばルインは彼女の名前を呼びながら酒場に入っていったのだ、それで知り合いでないわけが無い。
『そうなのか、オルタンシア?』
『はい、以前にルイン様に助けていただきましたので。申し遅れました、私はオルタンシアと申します、お見知りおきください』
フィールの問いに彼女は微笑みながら答える。
彼女の笑顔はとても優しく美しい。
ルインやウォーレンだけでなく、リシェスやエレノアといった同性すらも見惚れてしまう。
『お久しぶりですね、ルイン様。お変わりないようで……』
『オルタンシアさんこそ。また会えるとは思ってもいませんでした』
変わりはあったと言えばあったのだが。
彼女と別れた後、あの街でいろんな事があった。
フェルディナンドに殺されかけたし、ドナを失った。
思えばあの街に行って経験したのは辛い事ばかりだったのかもしれない。
『……どうかされましたか?』
つい考え込んでしまったらしく、皆の視線が集まっていることに気が付いた。
慌てて首を振り否定しても、何かを思っていたという事は否定しきれないだろう。
『そういえば、オルタンシアさんの探している人は見つかったの?』
何とか話題を変えようかと思っていると、リシェスがそんな事を言い出した。
以前に会ったときに彼女は確か人を探していると言っていた。
その為に色んな街や村を旅していると。
すると彼女は顔を赤らめながら横目でフィールを見る。
それは━━━
『え?でも確か名前はラーズフェルトって……?』
確かそのような名前を言っていた。
そんな珍しい名前を聞き間違えるはずはない。
第一、フィールと言われていればあの時、知らないなどと答えてはいない。
彼女は少し考えた後、ゆっくりと口を開いた。
『━━━はい、今は違う名前を名乗っておられるようですけど、この方がラーズフェルト様です』
彼女の言葉に驚いた、それはリシェスも同じの様だった。
名前を変えるハンターというのは少ない。
何故なら、功績を立て名前を売って依頼を貰うハンターにとって名前を変えることはデメリットでしかない。
そんな事をしても、自分の知名度を下げるだけだ。
━━━だが、そんな事をする必要のあるハンターも存在する。
それは━━━
『心配しなくても、こいつはそんな奴じゃない』
こちらの考えを見透かしたのかガラフが言う。
思っていたことを指摘されぎょっとする。
それは、彼が犯罪者ではないのかということ。
名前を変えることのメリットは、“以前の自分とは違う”ことにある。
つまり、名前を変えて全く新しい自分として生きるということだ。
それは罪を犯した者が、よく使う手段である。
故郷で人を殺し、名前を変え違う土地に紛れ生活する、といった事は良く聞く。
逆に言えば“そういった使い方”しかないのかもしれない。
故に名前を変えるという事は、何かしらから逃げているとう誤解が生まれる。
実際には誤解でない事の方がほとんどなのだが。
『名前を変えたのはもう随分前の話だ。わしが出会ったときにはもう“フィール”だったからな』
この男とフィールがどれほどの付き合いなのかは知らないが、《攻性の星》は有名なチームだ。
会って数ヶ月、というわけでもないだろう。
仲間同士で庇っている、という可能性もないわけではないが、そんな事まで疑っていても仕方が無い。
相手を信用するかどうかは別として、相手の全てを疑っても良い事など何も無いのだ。
そればかりか、相手からも疑われるようになる。
相手からの信用を受けようと思えば、まず最初にこちらが相手を信用してやらねばならない。
向こうの方が格上ならば尚更だ。
『そうなんですか。でも……会えて良かったですね』
『はい、ありがとうございますルイン様』
納得は出来なかったが、それでも彼女は想い人に会えたのだと無理やり自分に言い聞かせた。
オルタンシアもルインのその気持ちに気付いたのかは分からないが、静かに頷いた。
『それで、さっきはどうしてあんな事に……?』
ずっと気になっていた。
彼等は高名なハンターのチームだ。
如何にドンドルマの街が大きく、数多くのハンターが集まるといっても彼等が有名だということは変わらないだろう。
そんな彼等に喧嘩を売る者がいるとは考え難い。
もっとも彼等よりも高名なハンターがいないわけでもないので、そういった事がないわけではないだろうが。
『ん?あぁ、それはまぁいつもの事だ』
リシェスの問い掛けにガラフが“つまらない事”とでも言いたげに答える。
実際他人の喧嘩などつまらない事なのかもしれない。
侮辱、羨望、あるいは虫の居場所が悪かっただけ。
喧嘩の理由は数あれど、面白い事など何も無い。
ハンターは飛竜を狩る者だ、その相手は人間ではない。
いくら喧嘩で勝ったとしても、飛竜を狩れなければ名は立たない。
狩りにでず、喧嘩ばかりをしているようではそれは街にいるゴロツキと変わらないだろう。
喧嘩など、“そういうつまらないものだ”と彼も思っているのだろう。
『あれは私が……』
『お前は気にしなくていい』
オルタンシアが何かを言いかけたが、フィールがそれを止める。
彼女は複雑そうな顔をしたが、頷くと再び口を閉ざした。
今の状況から見れば、彼女が揉め事の起因なのだろう。
しかし、彼女は他人を不快にさせるようなことは━━━
『あ……』
『まぁ、お前が考えているような事だな』
確かに彼女は他人を不快にさせるような事はしない。
けれども、彼女の行動を不快だと感じるかどうかは相手次第なのだ。
例えば、彼女に声をかけ断られた。
すれば相手はどう感じるだろうか。
酒が入っていれば尚更まともな判断はできないだろう。
思えば、レフツェンブルグでも彼女は酔っ払いに絡まれていた。
『そしてこいつが怒って、“ああなった”だけだ。全く、わしらの事も気にしろ』
言ってガラフがフィールを睨む。
その表情は仲間に向けるものとはいえ厳しい。
『む……』
睨まれた事に動じたわけではないだろうが、フィールが低く唸る。
それはどちらかといえば“反省”している、といった様な感じだった。
彼もまた責任を感じているのかもしれない。
『こいつは普段は冷静なんだが、怒ると周りが見えなくなるタイプで━━━』
ふと彼が言葉を止める。
彼が視線を向けた先に、そこには男が立っていた。
全身に纏った鎧は蒼く、“それ”自身が武器になるほど鋭利だった。
武器は持っていないようだったが、鎧の肩口などの傷から見ればおそらく大剣使いなのだろう。
大柄な男で、ウォーレンですら見上げなければならないほどの身長だ。
体重にいたっては、ルインの2~3倍はありそうだ。
そんな男がじっとこちらを見ているのだ、これで気にならないわけがない。
しかし蒼い鎧の男は黙ったまま、ただ立っているだけだった。
『━━━何か用か?』
フィールが言う。
何気ない一言だったに違いない。
ただこちらを見ている男がいるから、自分に用があるのかと聞いただけだ。
しかし、その言葉には僅かながら怒気が混じっていた。
(なんだ……?)
その様子を見てルインは首を傾げた。
彼の言葉には確かに怒気を感じた。
けれども彼等自身が怒っているかというとそうでもない。
ガラフを見ても、蒼鎧の男をじっと見つめているが、睨んでいるわけではない。
━━━ただ、ただオルタンシア一人が俯いていたが。
『用がないなら━━━』
フィールがそう言いかけたとき、おもむろに蒼鎧の男が頭を下げた。
彼がばかりか、酒場にいた全員が驚き動きを止める。
男は何も言わず、唯頭を下げただけ。
それだけなのだが、その場にいた全員が驚いている。
『気にするな、わし等に怪我はなかったしな。そういう意味ではわし等の方こそ詫びねばならん』
ガラフが言うと蒼鎧の男は頭を上げ、手でガラフに“待った”という。
『そうか?まぁ、悪かったな。こちらもこいつには反省させておこう』
彼の返事を聞き、蒼鎧の男は再度頭を下げ、ゆっくりと背を向けた。
誰もが彼の後姿を追う。
その後姿はとてもゆっくりに見えた。
彼が酒場の出口から姿を消した瞬間、またいつも通りの酒場の喧噪が戻ってくる。
『あの人は……?』
リシェスが不思議そうに問う、誰に聞いたわけでもなく、ただの独り言だったのかも知れない。
『あいつは《蒼の竜心》のリーダーだ』
『えっ!?』
答えが返ってくるとは思っていなかったのだろう、ただの独り言だったのだから。
当てのないない答えが返ってきてリシェスが戸惑う。
『知っているのか?』
それをどう受け取ったのか、ガラフが問う。
『えっ!?あの…ちがっ……』
『違う?何が違うんだ?』
ガラフに見つめられ、リシェスの動揺がさらに高まる。
ただ「知り合いではない」と言えばいいだけなのだが、彼女の頭の中は最早何が何だか分からない感じになっているのだろう。
『それくらいにしろ、そいつはお前が反応したから驚いただけだ』
リシェスが答えあぐねていると、助け舟は不意にやってきた。
『そうなのか?』
『……はい』
フィールの言葉を聞きガラフが問う、その問いにリシェスは俯きながら答えた。
『そうか……、まぁそれはいい。話の続きだが、わし等が殴り合っていただろう?あれが《蒼の竜心》の奴等だ』
リシェスが俯いたのを見て、ガラフが一瞬怪訝そうな表情をしたが、すぐに切り替える。
『なっ……!?』
入れ替わりに驚いたのはウォーレン、皆の視線が一斉に彼に集まる。
『《蒼の竜心》と揉めただと……』
驚き━━━驚愕と言っていいのかもしれない。
彼の表情を見ればそれがどれほどの事か分かる。
『……それがどうかしたか?』
ウォーレンが驚くのも無理はないのかもしれない。
《蒼の竜心》━━━ブルーハートとも呼ばれるチームはつい最近このドンドルマにやってきたチームだ。
だからと言って小さなチームというわけでもない。
その活動の拠点は西にあるミナガルデ。
リーダーであるサティ・コーニャを中心としたグループで、《攻性の星》と同じく討伐を主体としたチームである。
特筆すべきはチーム内の“人数”である。
通常チームと言われれば少数である。
多くてもクエストを受けれる上限の4人まで。
フィール達《攻性の星》も例外ではない。
だが、この《蒼の竜心》のメンバーは多い、数十人いるのではと噂されるほどだ。
その人数でチームとして機能するかどうか怪しいものだが、内部抗争などは確認されていない。
と言っても、狩りに出れるのは四人まで。
それはどんな大きなチームであっても変わらない。
それは彼等がハンターである限り違えられない。
違えてしまえば、ハンターの時代を切り拓いた“ココットの英雄”に不敬を示すと言うことだ。
誇りを胸に生きているハンターにとってそれは許されることではない。
ならば彼等のチームはどうしているのだろうか。
答えは簡単だ、チームをさらに細かく別けているのである。
リーダーのサティ以下の何人かをサブリーダーとし、その下でチームを作る。
いわば“猟団”の様なものだ。
例え同じ猟団だあったとしても、武器防具・素材などの受け渡しは許されていない。
しかし、狩りに必要な人員・情報などを共有できるという点では心強い。
狩りを続けていれば、足りない所というのはどうしても出てきてしまう。
それを補うために他のハンターに手助けを依頼するのだが、時として“それでは間に合わない”時がある。
例えば、近距離戦で挑んできたチームが遠距離からの手助けが必要な時だ。
これは先日のレフツェンブルグでの狩りでもそうだった。
水竜ガノトトス━━━この飛竜はその名の通り水の中に生息する。
それ故、近距離を挑むハンターばかりが集まっても苦戦するのがオチだ。
通常はそうならない為にも前々から準備をしておく。
しかし、世の中には“思いもしない”出来事が起こる。
緊急で飛び込んできた依頼。
いつどんな形で依頼が飛び込んでくるか、それは誰にも分からない。
依頼主は村人かギルドか、はたまたどこかの貴族、王族かもしれない。
そういった依頼は危険なモノが多く、準備する期間も少ない。
それ故の“緊急クエスト”なのだ。
だが、もしもその依頼を達成する事ができたのなら、報酬は通常のクエストと比べられない程のモノとなる。
しかも王族、とまではいかなくても、地方領主やギルドからの依頼であれば、“報酬とは別の報酬”を貰えるかもしれない。
それは知名度であったり、追加の報酬であったりする。
貴族の覚えがよければ、割の良い依頼を回してくれるかもしれないし、指名されることもあるかもしれない。
召抱えて貰えば、危険なクエストをこなすよりも楽に生活できるだろう。
つまり猟団を組むというのはそういう事だ。
依頼を受け、それを達成できるであろうハンター達に出発させる。
その間他のメンバーは別の依頼をこなしていけばいい。
大きな依頼を無理に受ける必要ない。
少しずつ、少しずつクエストを成功させていけば、チームの名は自然に広まっていく。
それが彼等《青の竜心》のスタイルだ。
彼等のうち一人を敵に回せば、他の者達をも敵に回すという事。
その権威を笠に着る者も中にはいるだろうが、無論そうで無い者もいる。
ウォーレンが驚いているのはそういった理由があるからだろう。
まして彼は王都のハンターだ。
フィール達《攻性の星》よりは《蒼の竜心》の方が印象が強いのかもしれない。
現にフィール達に会ったときもさほど驚いてはいなかった。
『確かに《蒼の竜心》は大きなチームだな。しかし今回はわし等に非はない。心配する必要はないぞ』
ウォーレンの心情をさっしたのかガラフがいう。
『む……』
思っている事を読まれたのか、ウォーレンが小さく唸った。
そんな事は全く気にしていないのか、彼は話を続ける。
『先に言った様にちょっかいをかけてきたのは向こうだ。……もっともそれ以外の理由もあるようだがな』
『それ以外の……?』
後半彼の表情が少し曇った気がした。
日中であっても酒場は薄暗い、これはどこの酒場であっても同じことだろうが、彼の表情が暗くなったのはそのせいではないだろう。
そう言ったきり、彼が続きを話す事はなかった。
━━━ただグラスに注がれた果実酒が揺れるのを見つめている。
その顔を見れば、何か良くない事があったのは分かるが、それがどういった事なのかまでは分からない。
不意にフィールの眉がつり上がる。
その理由はすぐに分かった。
『━━━んだってよ』
『━━━病神め……』
フィールの後ろ、ルイン達から見れば丁度正面に座っている男達がこちらを見ながら何やら話をしている。
聞こえない、と思っているのだろうか。
それとも“聞こえる”様に言っているのか、男達は少しも悪びれた様子がない。
先ほどの騒ぎのせいか人は少なかったが、酒場特有の煩雑さはあった。
他のテーブルに座っている者達の話など聞き取れない。
通常の人間ならばそうだろう。
しかし彼等はそうではない、彼等はハンターなのだから。
狩り場ではどんな情報であっても逃せない。
それが例え小動物が草木をわける音であってもだ。
そういった僅かな音でさえ聞き分ける事ができる耳をハンターは持っている。
これくらいの規模の酒場なら、自分の悪口をいっている相手くらい少し良い耳を持つ者なら簡単に聞き分けるだろう。
それがハンターだ。
男達もハンターである以上それは当然分かっているはずだが。
『やめておけ』
ガラフが目を閉じたまま言う。
それは誰に向けての言葉なのか。
『ラーズフェルト様……』
オルタンシアも不安気に言う。
こちらの会話も相手は当然聞き取っているだろうが、二人が言葉を向けたのはフィールにだ。
彼がまた暴れると思っての事だろう。
今日は一度ここで騒ぎを起こしている。
これ以上は彼等にとっても面白くないに違いない。
いくら相手からふっかけて来られようと、暴れてしまえば両成敗だ。
『ふ……、……しが…』
男が笑いながら何か言ったのと、フィールが立ち上がったのは同時だった気がする。
『ラーズフェルト様ッ!?』
オルタンシアが彼を掴もうと腕を伸ばすが、一歩届かない。
ガラフを見ると、目を閉じため息をついている。
彼が向かったのは他でもない、こちらを見ていた男達のテーブルだ。
何に驚いたのかは分からないが、男達がうろたえる。
まさか、フィールが自分達の席に来たことを驚いているわけではないだろう。
喧嘩を売ったのは彼等だ。
買われたのを驚いていたのでは話にならない。
『な、何だ……うッ!?』
男が口を開いた瞬間、彼の身体が宙に浮いた。
フィールが殴ったわけでない。
男の身体は文字通り宙に浮いている。
大柄ではないにしろ、ハンターの装備を纏った人間一人を持ち上げているのだ。
それも“片手”で。
『なっ……!?てめッ…は…な……ッ』
男の顔が見る見るうちに紅潮していく。
フィールが掴んでいるのは胸ぐらだが、窒息しているのかも知れない。
『何だ?はっきり言え』
こんな状態の者にはっきり言えと、と言ったところで無駄なのだが、それを承知で彼は言っている。
自分の体重が恐らく彼に掴まれている部分に集中しているだろう。
布が首筋に食い込み、血管を圧迫する。
彼の手から逃れようと必死に脚をバタつかせているが、効果の程はないようだ。
そればかりか、暴れれば暴れるほど自分を追い詰めていくことになる。
『てめえ!!』
一瞬の事に呆気に取られていた隣の男が、我に返ったのかフィールに掴みかかる。
それを横目で見た彼は、腕で掴んでいた男を向かってくる男の足元に投げ飛ばす。
足を取られた男は、タイミングを計ったかのように見事に転んだ。
そしてそれを、その瞬間を彼が逃すはずがない。
『うッ!?』
うつ伏せに転んだ男の背中をフィールが踏みつける。
踏む、とは言ってもその勢いは何かを踏み潰さんばかりの勢いだ。
『と、止めないんですか……?』
顔を蒼くしたエレノアがガラフに言うが、彼はそっと首を振る。
『あぁなったら無駄だ、止めたかったらお前が行け。……もっとも怪我をしてもしらんがな』
『む?あいつはお前の仲間だろう』
暴走する仲間を知らない、と言った風な彼の発言にウォーレンが言う。
微かに怒気が混じっているのはこの場の雰囲気のせいではないはずだ。
自分を睨みつけるウォーレンを彼は少し見た後、視線をフィールに戻す。
『何とか言ったらどうなんだ』
それを無視されたととったのか、ウォーレンが語気を強めて問いかける。
『仲間だからな……』
『何……?』
彼が何かを呟いた。
独り言だったのか、それともウォーレンに向けて言ったのかは分からなかったが。
『……止めても無駄だ、それはよく分かっている。わし等は“仲間”だからな。そっと当事者間で片付けさせるのが一番早い。
それはまぁ、今までの経験だ。いつもお前の様な奴が首を突っ込むから話が長くなり、最後には全体を巻き込むんだ』
『……何だと?』
ウォーレンが立ち上がる。
その表情を見れば、今にもガラフに掴みかかりそうな勢いだ。
彼は壮年のハンターである、しかしその気性は大人しいとは言えない。
普段は年相応の落ち着きを見せてはいるが、一度気持ちが昂ると抑えきれないところがある。
そういった根本的なところで“勝気”が無いとハンターには向かないのかもしれないが。
『お前の様な首を突っ込むから話がややこしくなる、と言ったんだ』
立ち上がったウォーレンの身体が震える。
何が癪に障ったのかは知らないが、余程怒っているのだろう。
『う、ウォーレンッ……』
エレノアが名を呼ぶが、それは彼に届いているのだろうか。
彼はじっと目の前の眼鏡をかけた男を睨みつけている。
『それでどうする。わしを殴るのか?』
『……誰がそんな事を言った?』
淡々と言うガラフに、ウォーレンは重く言葉を返す。
ウォーレンは“そう”言ったが、彼が隙あらば掴みかかろうとしているのは見れば分かる。
それは目の前の男も例外ではないだろう。
彼はウォーレンが恐ろしくないのだろうか。
もちろん、彼のハンターであるから飛竜と戦っているだろう。
人間と飛竜の恐ろしさなど比べるにも値しないが、それでも目の前の男は“恐ろしいモノ”の部類に入ろう。
そんな人間が自分に向かって、荒々しい感情を向けているというのに、何故この男はこうも平然としているのだろう。
ウォーレンの隣にはフィールがいた。
しかしその彼も今は後ろで別の男達と争っている。
ウォーレンが一歩踏み出せば、彼の豪腕はガラフを容易に捕らえるだろう。
━━━そんな事は分かっている。
彼は分かっていて尚“立ち上がらない”のだ。
『ここでお前がわしを殴る、それで気が済むのか?それで“あいつ”の問題は解決するのか?
そしてどうする?言う事を聞かせる為に、今度はあいつを殴るのか?』
『誰もそんな事は言っていないッ!』
この男は自分を殴らない、そう高をくくっているのだろうか。
それとも、殴ってきたところで鈍重そうな一撃など楽に避けれると思っているのだろうか。
どんな理由は分からないが、彼には“自分は絶対に殴られない”といった自信があるように見えた。
『どうした?殴らないのか?』
彼がそう言った瞬間、ウォーレンが動いた。
『ウォーレンッ……!?』
ルインが慌てて叫び、彼を押さえる━━━が、動かない。
ガラフは勿論、ウォーレンも動いてはいない。
あの一瞬、確かに彼がガラフに向かって突進したように思ったのだが。
二人の距離は縮まるどころか、少しも変わってはいなかった。
『分かっているなら無駄な話をさせるな』
『…………』
静かに言うガラフにウォーレンはふんっと鼻を鳴らし、視線を外した。
『ど、どういう事……ですか…?』
彼の言う意味が分からず、エレノアが二人の顔を交互に見比べる。
そんな事をしても彼等は何も言うつもりはないようだったが。
『ふざけんなよ!この人殺しがッ!!』
不意に飛び込んできた怒声。
それは一言だったが、酒場を沈めさせるには十分な言葉だった。
それまで彼等の乱闘を囃し立てていた者達も気まずそうな表情を浮かべている。
『人…殺し……?』
彼が何の事を言っているのかまるで理解ができなかった。
周りの冷ややかな視線は気のせいだろうか。
その視線を一身に受けながらフィールが何かを叫んでいる男を見下ろしている。
そんな彼を見つめるオルタンシアの表情がとても辛そうだった。
『狩りに失敗して、仲間を殺して…!持ち帰ったのがあいつの剣だけ……?
はっ!笑わせんな、お前それでもハンターかッ……!!』
彼に背中を踏まれているせいか、苦しそうに息を吐きながら男が言う。
男が何かを叫ぶ度に、酒場の静けさが増していく気がした。
男がどんな意図で“その言葉”をさけんでいるのかは分からない。
しかし、男を見下ろすフィールの姿がどこか寂し気に見える。
『狩りに失敗したって……』
レフツェンブルグの街で彼らの事を尋ねた時、街の住人達は口を揃えて言っていた。
「彼等は強い」と。
討伐においての彼等の戦績はほぼ失敗は無し。
どんな強大な飛竜ですら狩ってみせる。
それが彼等の評判だった。
『それに人殺しって……?』
しかし彼等とて無敗というわけでもないだろう。
強大な飛竜相手に全戦全勝など有り得ない。
それは彼等が人である以上仕方の無いことだし、それはどのハンターであっても同じ事だ。
誰も失敗した彼等を責める事はしないだろう。
だがこの異様な雰囲気は男の言った「仲間を殺し」のせいだろう。
それは間違いない。
あの街で聞いた彼等の噂。
ルインもリシェスもはっきりと覚えている。
彼等の素晴らしい戦績の影に隠れた、黒い噂。
「彼等と組んで狩りに出かけた者は、生きて返ってこない」
そんな事は有り得ない、有り得ないはずだ。
狩りに出かけ命を落とす者など、それこそ星の数ほどいるだろう。
“たまたま”彼等と組んだ者が、彼等と“たまたま”息が合わず命を落としただけ、唯それだけのはずだ。
初見の者同士で連携が取れないことなど当然だし、それは誰もが知っている。
━━━しかし“彼等”にはそれを、自らに囁かれる黒い噂を否定しきれない“何か”があった。
そんなモノは憶測だ。
実際彼等と狩りに出かけた者はいない。
唯噂を聞き、“そうである”と思い込んでいるだけに違いない。
(そう、ただそれだけのはずだ……けど━━━)
何故か違和感がルインの胸をよぎった。
そんな噂など、ただの狂言かもしれない。
自らの目で見た以外の事を信じるのは愚かしい事だ。
“そう”思う。
確かに“そう”思うが、自分の勘が何かを訴えてくる。
何が原因でそう思うのかは分からなかったが、“それ”が嫌な感じであるのは間違いない。
悪い予感がする、 そういった類のモノだ。
『━━━うだ…』
『え?』
眼鏡をかけた男が何かを呟いた。
その視線は最早フィール達を見ていない。
それはあるいは独り言のようなモノだったのかもしれない。
誰に聞かせるわけでもなく、唯呟いただけのモノ。
『そうだ、わし等は“アイツ”を狩れず、“あいつ”の仲間を殺したんだ……』
そう言った彼のの眼が眼鏡の奥で冷たく揺れていた━━━
最終更新:2013年02月28日 10:25