殺眼の魔剣 紫陽の花Vol.2

クエスト☆☆☆

 気が付けばそこは薄暗い平地だった。
 空には分厚い雲が掛かっており、青空を覗かせることはない。
 時折身体を揺する振動が、遠くに見えている火の山のモノであるのは何となく感じ取っていた。
 とすれば、この空に掛かっているは雲ではなく、あの山から吹き上がっている煙なのかもしれない。
『くそ……どうしてこんな事に……』
 自分が立っている場所は開けた平地だが、生き物の気配はない。
 耳を澄ましてみても聞こえるのは、自分と吐息と遠くの地鳴りのような音だけだ。
 自分以外に動く者は誰もいない。
 そんな感覚に囚われる。
 つい数時間前までいた仲間達はどこにいったのだろう。
 いくら考えても仲間の安否を知ることはできないが、それでも考えは浮かんでくる。
 ━━━暗い考えが。
 無事かどうかは分からない、自分も無事だったのだから。
 恐らく仲間達も無事だろう。
 そう信じたい。
 いや、“そう信じている”のに、浮かんでくる考えは不吉なものばかりだった。

『……とりあえず、この状況を何とかしないと』
 薄暗い雲がそんな気持ちにさせるのだろうか。
 纏わり付いてくる黒い考えを振り切る様に首を振る。
 身体は動く。
 腕に若干の痛みがあるが、暫くすれば消えるだろう。
 骨折しているわけではないようだ。
 武器もある。
 腰に携えた片手剣の柄を握る。
 道具は━━━これも大丈夫そうだ。
 幾つかの回復薬とペイントボール、後は砥石が入っている。
 落としたりしてはいないようだった。
『まずは合流するのが先だな……』
 仲間と合流する、そうしなければ話にならない。
 合流しなければ今回の目的である飛竜を狩ることはできない。

 ベースキャンプに戻るのが先だろうか。
 それとも他の仲間が自分のように散らばっているならば、このまま狩り場を探す方がいいのだろうか。
 どちらにしても一人で行動している間は危険が付きまとう。
 狩り場を探していて飛竜と鉢合わせでもしたらそれこそ命はない。
 それはベースキャンプに戻る時でも同じことではある。
 しかし唯狩り場をうろつくのと、ベースキャンプに戻るのとでは危険の度合いが違う。
 今回の狩り場に来るのは初めてだし、下手をすれば迷うこともありえる。
 それに目標である飛竜以外にどんなモンスターがいるのかも知らなかった。
 そういった点でもベースキャンプに戻る方が得策だと彼は判断した。 
 キャンプに戻れば休憩するためのベッドもあるし、何よりキャンプは安全だ。
 はぐれた仲間達も“そう”思いキャンプに帰ってくる可能性もある。
 上手くいけばキャンプに戻る手前で合流できる可能性だってあるのだ。
『まずは安全地帯を確保しよう……』
 辺りを警戒しながら歩き出す。
 卵の腐ったような臭いが嗅覚を麻痺させる。
 慎重に行動しなければ、あっという間にモンスターに殺されてしまうかもしれない。
『━━━それにしても、これが火山か……』
 遠くに吹き上がる火柱に息を漏らしながら彼はそっと呟いた。

『見つかりそうか……?』
 鋭い目つきをした男が問う。
『あかんな、この辺はイーオス達がおるからな。あいつだってイーオスがおる場所にいつまでもおらんやろ』
 手を水平に上げ、呆れ顔で男が言う。
『…………』
『そ、そんな暗い顔すんなや。あいつだってハンターやし何とかするやろ』
 少女が力なく俯いているのに気が付いたのか男が慌てて取り繕う。
『ハイド』
『ん?……あぁ』
 名を呼ばれ、男が小さく頷く。
 この状況でどんな言葉をかけても、少女の気持ちは晴れることはないだろう。
 それができるのは、はぐれた彼女の仲間だけだ。
 その仲間が生きて彼女の前に戻って、初めて彼女の気が晴れる。
 逆に言えば、それ以外に少女の気持ちを落ち着かせる手段はない。
(ルー……。どうか無事で……)
 無駄だとは分かっている。
 分かっているが、それでも祈らずにはいられなかった。

 何度祈ったことだろう。
 その度に彼は帰ってきてくれた。
 しかし今回も“そう”であるとは限らない。
 初めての狩り場、初めての相手。
 そんな状況に彼は一人で放り出されたのだ。
 ハンターとは常に苦難に立たされるモノだが、今回はいつもにもまして凶悪な状況のように思えた。
『それで?どうするフィール?』
『そうだな……まずはベースキャンプに戻る』
 男が深く息を吐きながら立ち上がる。
『そうやな、いつまでもここにおるわけにもいかんしな』
 男が岩にもたれさせていた大剣を担ぐ。
 小さな身体に大きな大剣、それが酷く不釣合いに見えた。
『どうした嬢ちゃん?おいていくで?』
 男が笑いながら手を差し伸べてくる。
『……ありがとう』
 小さく礼を言い、リシェスはその手を取った。

 ━━━どうしてこうなったのだろう。
 そんな考えが頭をよぎる。
 いつもなら、そう“いつも通り”なら、こうやって自分の手を取ってくれるのはあの少年だ。
 最近は少なくなったが、時折寂しそうな表情を浮かべる少年。
 彼には重たい過去があった。
 その過去を振り払ったとはいえ、その苦しみは未だ彼を囚われている。
 それでも最近はよく笑うようになった。
 エレノアと冗談で喧嘩する事もあったし、自分もよくからかわれた。
 彼は年下ではあったが、よく物事をしっていた。
 年の割には落ち着いている、というのだろうか。
 しかし、そういった態度が彼の憂い顔をより引き立たせていたのかもしれない。
 狩りの腕前も、ハンターとしても彼には叶わなかった。
 それもそうだろう、年は下でも彼のほうがハンターとしての経験は長かったのだから。
 だが彼はよく“こういった”事態に陥る。
 それは背伸びをしている代償なのだろうか。
 それとも━━━
『ルー……』
 彼女の声は重い黒煙に阻まれ、空には届きそうにはなかった。

 空に掛かる雲は重く、彼女を押しつぶしそうとしているようにも感じる。
 どこかこの空の下、彼はいるに違いない。
 ━━━自分とは違い“一人”で。
 自分ならどうだろうか、とリシェスは思う。
 もし放り出されたのが彼ではなく、自分ならと。
(きっと、こんな場所に一人にされたら、何もできない……)
 “そんな状況になったと考えるだけ”でぞっとする。
 森やジャングルのように木々が茂っているわけではない。
 故に方向を見失って迷うと、ということはないだろう。
 だが、火山運動で隆起したのかあちらこちらには無骨な岩山が見える。
 あの山を越えても、見える景色はそう大差ないだろう。
 考えようによっては森やジャングルの方がましかもしれない。 
 森で迷っても食料には困らない。
 しかし“ここ”はどうだろう。
 草木はおろか、昆虫でさえも見当たらない。
 自分以外の生命など存在していないかのような錯覚にさえ陥る。
(どうしてこうなったのだろう……?)
 少女は前を歩く男達を見つめながら自分に問いかけた━━━

 暗い階段を男を先頭にして登っていく。
 ドンドルマの広場の中心に位置する階段だ。
 広くはないが、狭いわけでもない。
 そんな印象を受ける階段だった。
 この階段を“自分達の力で登れるようになったのなら”ば違う印象を受けるのかもしれないが。
 自分の後ろを歩く彼女達も複雑そうな顔をしていた。
 ━━━考えていることは同じなのかもしれない。
 この階段は“上位と認められたハンターしか登ることはできない”とされている。
 事実、入り口には門番がおり、入れる資格を持つ者とそうで無い者を監視していた。
 自分達だけならば、まず入れなかった。
 ここはそんな場所だ。
 ハンターに階級はないが、腕の立つ者とそうでない者を分けるのがこの階段だった。
 言い換えればこの先にあるのは“一流ハンターでしか為しえないクエストが回ってくる”場所と言うこと。
 そして━━━
(そして、俺達にそのクエストを成功させる能力はないってこと……)
 階段の終わりが近づいてきた時、ルイン頭にふとそんな考えがよぎった。

『ここが大老殿……』
 階段が薄暗かったせいか、抜けた途端光に目を奪われる。
 そこは建物というより、その名の通り宮殿といった感じのつくりだった
 美しい彫刻、煌びやかな装飾に目を奪われる。
 そして何よりも━━━
『ねぇ、ルー……』
 彼女も驚いているのか、そっと指差す。
『う、うん』
 頷くことしかできなかった。
 自分も驚いているのがはっきりと分かる。
 目の前で起こっている事は間違いなく現実だ、夢などでは決してない。
 ウォーレンですら呆然と立ち尽くしている。
『り、リシェス!失礼ですよ……!』
 エレノアも冷静さを装ってはいるが、内心は荒れているのか声が僅かに震えている。

『そんなに驚かなくてもいいわ』
 声をかけられ、飛び上がりそうになる。
『ふふ。ここに来るのは……初めて?』
 何が面白いのかは分からなかったが、女が笑いながら言う。
 スラリとした肢体に、夜明け前の朝日を思い出すような青みがかった赤色の美しい髪。
 憂いを帯びた目が彼女をどこか神秘的に魅せていた。
『は、はい……』
 彼女に見つめられただけで、鼓動が早くなる。
 美しい女だと思った。
 特徴に疑問を抱かなければ、一瞬で心を奪われていたかもしれない。
 それは━━━
『ふふ…“これ”?この耳が気になるのかしら、坊や?』
 言って彼女は自らの耳を撫でる。
 人のモノとは明らかに違った“耳”、それは大きく尖っていた。
『━━━彼女は竜人族だからな』

『竜人族……?』
 不意に耳に飛び込んできた言葉にリシェスが首を傾げる。
 ━━━竜人族。
 ルインやリシェス、またその他のハンターである人とは違った文化を持つ人種である。
 曰く、人里離れた山奥に居を構え、自然と共に暮らしているなどの噂がある。
 また彼等独自の技術はハンター達の武具に使用され、竜を狩る武器となる。
 その技術は長年に渡り彼等が口伝にて伝えてきたもので、彼等竜人族以外には扱えないとされている。
 また彼らは人とは違った外見を持つ。
 見れば一目で人との区別が付くほどだ。
 それが彼女の“耳”であったり、また他の者で言えば“鼻”であったりする。
『知らないか?ココットの英雄やこの街のギルドマスターがそうだ。
お前もハンターなら武具職人くらいみたことあるだろう、もっとも“この街は別だがな”』
 眼鏡の男に言われ、リシェスが何度も首を縦に振る。
 ━━━どうやら何かを思い当たったらしい。

 竜人族はかなり珍しい種族である。
 それは彼等の人数が少ない、というわけではない。
 人と比べればその絶対数は間違いなく少ないが、それでも彼等竜人族は色んな街で見かけることが出来る。
 また意欲的に新しい村を興している者もいるほどだ。
 ならばなぜ珍しいのか。
 それは“彼等についての情報があまりにも少ない”からだ。
 竜人族の多くは各地を放浪していると言われる。
 もちろんある場所に定住する者もいる。
 しかしその多くは各地を流離い、旅して歩いている。
 ━━━彼等は何故旅をするのだろうか。
 その問いかけを彼等にしたところで、答えが返ってくることはない。
 それは“彼等が彼等である以上”旅をするのが当然、という事なのかもしれない。
 多くの者が戦闘を好まないが、“ココットの英雄”が竜人族であると言うことは有名すぎる事実である。

『この街は別……?』
『ふむ、まだ知らないのか……。それならいい、後ですぐに分かるだろう』
 男が何の話をしているのかルインには分からなかった。
 当然、男達の方がこの街にいる時間は長いに決まっている。
 それにくらべ、自分達はこの街に到着したばかりだ。
 この街で過ごしている者にとっては当たり前の事も、今のルイン達には分からないことは数多くある。
 彼はきっとそんな話をしているのだと、ルインは思うことにした。
『気になるなら“武具工房”に行ってみるといい』
 声の主に女の目が“すっと”細くなる。
『あら、フィール……もう身体はいいのかしら』
 男が言った事について聞きたかったが、それより先に竜人族の女が言葉を発した
 訝しんでいるわけではない、その様子はどこか嬉しそうにも見える。
 柔らかな物腰の女だが、微笑むとさらに儚げに感じる。
『アーレミリス、お前に頼みがある』
 フィールはアーレミリスと呼ばれた女の問いに頷いて答え、一歩前へと出た。
『ふふ、何かしら?今晩のお相手、と言うことなら嬉しいんだけど、“その”お嬢ちゃんがいるって事は違うのよね……?』

 女がオルタンシアを見て微笑む。
 それを見てオルタンシアは何を感じ取ったのか、複雑そうな表情を浮かべる。
『今はそんな気分じゃない。それとこいつをあんまりからかうな』
 フィールが溜息交じりに言う。
 それを見て今度はアーレミリスが複雑そうな表情を浮かべた。
『あら残念……。それで頼みごとって言うのは何かしら?』
 彼女の表情は本当に残念がっているように見える。
 しかし同時に、“そうでない様”にも見えた。
 それは彼女の持つ独特の雰囲気がそう見させるのか、それとも“それ”が彼女の本質なのか。
 そのどちらにしても意図の掴みがたい人物であるに違いない。
 竜人族は人より知能の高い種だといわれる。
 故に人は彼等の考えを理解しかねる時がある。
 彼女の考えが読めない、というのもそれと同じことなのかもしれない。
『難しい事ではない、こいつら━━━正確にはこの小僧を、“上位クエスト”に出発させろ』

『なッ……!?』
 最初に声を上げたのはウォーレン。
 それがこの男がどれだけ無謀な事を言っているのかを物語っていた。
 初心者、それもまだ経験の浅いハンターを上位クエストに行かせろとこの男は言う。
 それはその者に“死ににいけ”と言っているのと同じことである。
 ウォーレンはそれが分かっているのだろう。
 彼はこの地方では名は通ってはいないが、それでも王都に戻ればそれなりの経歴を持っているのだろう。
 そうでなくても、長年ハンターをやっていれば“そういった情報”も耳に入ってくる。
『ら、ラーズフェルト様、本気ですかッ!?』
『………】
 オルタンシアの問いに彼は、答えない。
 ただ黙ってアーレミリスを見つめるだけだ。
(上位クエスト……)
 不安が混じる重たい空気の中、ルインは考えていた。

 ハンターにはハンターランクという格付けがある。
 これはハンター達の階級を表すものではなく、ハンター達の腕前を示すものだとされている。
 本来ハンター同士に身分はなく、誰であっても“同じハンターである”というのがギルドの見解らしい。
 もっとも、実際は高ランクのハンターは低ランクのハンターを見下すといった風潮がないわけではないが。
 では、何故ランクなどと言ったものをつけたのだろうか。
 それは“どのクエストにどのハンターを回すのか”を決めるためであると言える。
 困難な依頼を初心者に回したところで完遂できるかどうかは疑わしい。
 ならばどのハンターに回すのか。
 それを決める一つの指針として設けられているのが、このハンターランクである。
 このドンドルマでもそれは同じこと。
 ハンターランクによって細かく受けられるクエストを制限しているのだ。
 それはギルドの信頼を守ると同時にハンターの命を守っているともいえる。
 辺境の村の依頼とは異なり、街に送られてくる依頼は困難を極めるものが多い。
 それは辺境のハンターでは処理しきれなかったモノが回ってくるなどの理由がある。
 尚且つ人が集まる場所で鎬を削ったモンスターは“人と同様に成長する”のだ。
 同じランポス種であったとしても、その個体の能力は辺境の“それ”とは比べ物にならない。

 辺境から出てきた者が幾人も命を落としている理由はそれだ。
 つまり彼等は油断してしまった、“同じランポスだろう”と。
 そういった初級クエストですら命を落とす者は少なくないと言うのに、これが上級のクエストならばどうなるだろうか。
 結果は目に見えている。
 それはそのハンターを“殺すために送り出している様なもの”だ。
 多くの者が、自分には出来る。
 自分にはそれくらいの能力がある、と出発していった。
 だが、無事帰ってきた者はどれほどなのだろうか。
 数えるくらい━━━、それも片手で足りるほどかもしれない。
 ひょっとすれば無事に帰ってきた者はいない、ということもある。
 万に一つ、その敵を倒せたとしても、無事に帰れるだろうか。
 “狩り場にいる敵は一人ではない”のだから。
 出会った一匹に勝てたとしても、その狩り場にいる敵はどれも同じほどの能力を持っている。
 故に狩り場の一匹に勝てる事に意味は無い。
 それはランポスなどの種は単独で行動しているこがほとんどないからだ。
 一匹一匹に勝てるとしても、囲まれれば負けてしまう事など子供でも分かる。

 だが、狩り場でほとんどの状況において一対多数である。
 狩り場にいる人間を除くほとんどの生物がハンターの敵であると言っても過言ではない。
 しかもそのほとんどの生物がハンターを倒しうる能力を有しているのだ。
 そんな場所に狩りに不慣れな者を送り出したところで、クエストの成功は望めない。
 初心者でなくとも、中級者、あるいは上級者であっても苦戦する。
 それが“上位クエスト”である。
 故にハンターギルドはランクを設け、彼等ハンターとギルドを守っているのだ。
(そんなクエストに俺が行ったって……)
 心の中で呟き、腰に差した剣の柄を握る。
 アサシンカリンガと呼ばれる、鉤爪のような特殊な形をした剣だ。
 鉄鉱石などの大量の鉱石を研磨して作られたこの剣の切れ味は鋭い。
 頑強とされる飛竜の鱗であっても、よほど硬くなければ弾かれることはまずない。
 そんな切れ味の剣だが━━━
(……上位クエストのモンスターに通用するだろうか?)

 通用はするかもしれない。
 彼の持つ片手剣は切れ味に特化した剣だ。
 大剣などの超重量を以って相手を叩き斬るのではなく、唯々剣の切れ味のみを以って相手を切り伏せる。
 片手剣とはそういったものだ。
 大剣の様に威力はないが、素早い動きで相手を攪乱し、その隙を衝く。
 派手さはないが、他の武器とは違い確実に相手を追い込んでいく、そういった武器だ。
 故に上位のモンスターであっても、彼の刃が通ることはあり得る。
 しかしそれで“倒せるかどうかは別”だ。
 アサシンカリンガの切れ味、そして彼の俊足。
 その二つがあるならば、上位のモンスターであってもあるいは攻撃を当てていけるかもしれない。
 だが上位の敵は体力も桁違いとされる。
 ハンターとの戦いに生き残ったのが、上位のモンスター達だ。
 その潜在的な能力は下位のモンスターとは比べるまでもない。
 不意打ち、といってもそう簡単には急所も狙えないだろう。
 そればかりか、油断していればこちらが即あの世行き、ということもありえるのだ。

 そんなクエストに望むなどまだ経験も実力も足りない気がした。
 狩りは下位であろうと、上位であろうと命をかけて挑むものだ。
 そうしなければ、飛竜はおろかランポスなどのモンスターにさえ勝てはしない。
 今までの狩りでも真剣に戦ってきたつもりだ。
 自分の剣と、自分の力を以って倒すべき飛竜に敬意を払ってきたつもりだ。
(でも……)
 未だ自分は上位に挑めるようなハンターではない。
 それは誰に言われるまでもなく、自分で分かっている。
 いくら奥歯を噛み締めたところで、時間の差分を埋めることはできない。
 彼等は先に生まれた以上、時間で彼らを追い抜くことはできない。
 先天的に飛びぬけた実力があれば、彼より少ない時間で“登って”いく事はできるだろう。
 しかしその実力も彼等の方に分がありそうだった。
(でも、どうして俺を……?)
 それが分からなかった。
 自分が実力不足なのは分かっている。
 それは当然彼等にも伝わっているだろう。
 ━━━ならば何故自分を誘うのだろうか。
 ここで自分のような実力も経験も半端な者を連れて行けば、それこそ足手まといにしかならない。
 それどころか もし自分が命を落とせば、彼等の経歴にさらに傷を付けることとなる。
『……本気なの、フィール?』

 彼女が、アーレミリスが感情のない声で言う。
 その声に、違和感を覚えた。
 さきほどの柔らかな物腰の彼女とは違う、どこか機械的な印象を受ける。
 駆け出しのハンターを上位のクエストに出発させるなど、誰であっても止めるだろう。
 彼女もまた例外ではない。
 “そんな無謀な事”をさせようとする彼に怒りを覚えるのも当然だと言える。
 彼女はギルド側の人間。
 優秀なハンターを育て、またそうする事でギルド及びハンターの利潤を確保するのが彼女の務めだろう。
 上位のクエストに出発させて、“優秀なハンターに成り得る”若者をみすみす危険に晒す必要などない。
 個人としての意見と、集団との意見の両方で反対する理由が彼女にはある。
『━━━こんな所で冗談を言うつもりはないが』
『ラーズフェルト様ッ!!』
 オルタンシアが悲痛な叫びを上げるも、彼は取り合おうとはしない。
 ただ目の前の竜人族の女と見詰め合っているだけである。

 だがそこに恋人達の逢瀬のような甘い想いはない。
 無謀ともいえる我侭と、それを否定する意思があるだけだった。
(そもそも……)
 ━━━そもそも、彼が自分を上位に連れて行く理由は何なのだろうか。
 彼等《攻性の星》は優秀なチームだ。
 そのチームの中に自分が入ったところで、“足手まとい以外にはならない”だろう。
 それに、彼等は彼等だけで狩猟を確立しているハンターだ。
 ルインをメンバーに入れるメリットなどありはしない。
 まだ経験が少ない分、将来的じ自分達との連携を取りやすいように育てる事は可能かもしれないが、そういった事が目的とは思えない。
(だったら……)
 ならば何が目的なのだろうか。
 戦力にもならず、彼等のサポートもできない自分が彼等の役に立てる事。
 それは━━━
『俺を囮にするのか……?』
『ルー……』
 リシェスの声を聞いて“はっ”とする。
 思わず声が漏れていた、どこから喋っていたのかは分からないが、今のは確実にこの場にいる皆に聞こえただろう。
『ルイン様…それは……』
 オルタンシアが哀しそうな表情を浮かべる。 
 その表情は“言いたい事があるが言えない”といった感じなのは直ぐに分かった。
 もっともその言いたい事が何なのかは分からなかったが。

『囮……?』
 フィールが不思議そうな視線をこちらに飛ばしてくる。
 気付けばアーレミリスも同じ表情をしている。
『ち、違うんですか……?』
 その表情に気を取られ、思わず間抜けな声をだしてしまったとルインは思った。
 辺りが静寂に包まれる。
 誰も話そうともしないし、動こうともしない。
 ただ、“誰もが誰かが喋るのを待っている”といった状況だ。
 とは言っても何をどう喋っていいのか分からない。
 不用意な事を言っても意味はないし、馬鹿にされるだけの可能性もある。
 ここは彼、フィールが発言するのを待つのが得策なのだが━━━
 静寂は突然の笑い声に壊された。
 大老殿に響く笑い声、それは本当に楽しそうに笑っている。
『いやぁ~、笑わせてもらったわ。中々おもろい事言うやん、自分』
 笑っていたのは男、それも見覚えがあった。
 小柄な身体に、大きな剣、独特なイントネーションの言葉、そしてそのにこやかな顔。
 レフツェンブルグでフィールといた男だった。
『な、何が面白いの…?』

 いくらお男の声が愉快そうに笑っていても、このタイミングならば馬鹿にされていると感じる。
 いや、“愉快そうだからこそ”だろうか。
 リシェスが目を細め、自分達の後ろ側に座っている男を見据える。
 男は立ち上がろうともせず笑っている。
 ルインが言った事がそんなに面白かったのだろうか?
『何とか言いなさ…いよ……?』
 笑い続ける男にリシェスが歩み寄ろうとした瞬間、彼の視線がリシェスを射止める。
『あんな、お嬢ちゃん?フィールが、いや俺等が挑んでるのは上位のクエストやで?』
『わ、わかってるわよ……』
 男の目に射止められたのか、リシェスにいつもの覇気はない。
 語尾を濁しながら、ぼそぼそと喋る彼女はどこか幼い少女の様に見えた。
『いいや、分かってへん。分かってたら何で俺が笑ったか分かるやろ?』
『………』
 先ほどのにこやかな笑顔はどこへやったのか、男がリシェスを見る目にさらに力を込める。
『ひょっとしたら自分等は下位のハンター中でも優秀なんかもしれんけどな。
自分等如きの力では“囮役にすらなられへん”、自分等ちょっと上位をなめすぎやと思うで?』
 自分の考えは甘いのだろうか。
 とは言っても上位のモンスターなど戦ったことはないし、見たこともない。

 倒せるかもしれない、と言う考えは甘いのだろうが、ひょっとすれば何とかなるかもしれない。
 この世界に“絶対”はない。
 それはつまり、絶対勝てるという事もなければ“絶対負けるという事もない”と同じことだ。
 負けない、というだけでは勝てるという事にはなり得ないが、それでも可能性はある。
 希望的観測に過ぎないが、やってみなければ何事も分からないだろうと、ルインは思った。
『だったら何故俺なんですか……?』
 当然の質問だ。
 戦力にもなり得ない、そればかりか囮にすらもならないと言われたのだ。 
 何故自分をそんな上位のクエストに連れて行こうとするのか検討もつかない。
 せめてどうゆう理由なのかは教えてくれてもいいはずだ。
 彼等は上位で戦うだけの実力がある、けれどもルインにはそれがない。
 ひょっとすれば次の彼等に同行した狩りで命を落とすかもしれない。
 その前に“どうして自分を誘ったのか”といった理由が知りたかった。
『………』
 しかし、男からの返事はルインが期待したモノではなかった。
『そんなん知らん、俺にはフィールが何考えてるか分からんしな』
 眩暈がしそうだった。
 彼等の目的は何なのだろう。
 考えれば考えるほど分からない、その意図も目的も掴めず暗闇に取り残されたような気分だ。

『何て無責任な……』
 彼等━━━《攻性の星》のメンバー以外は恐らくこう考えているだろう。
 分不相応なクエストへの出発を要求しておいて、その理由も語らないとは何という無責任さなのだろう、と。
 彼女、エレノアもその一人だ。
 彼の言葉に呆れ、思わず考えていた言葉が漏れてしまったのだろう。
『何やて……?』
 何と言うことはない、思わず口が滑っただけだ。
 別に彼等を悪く言うつもりなど彼女にはない。
 誰もが一度くらいは経験があるだろう、驚いたとき、呆れたとき、思わず言葉が漏れてしまったりした事が。
 そしてそのせいで、場の雰囲気が悪くなったりしたことが。
 ━━━今がまさにその瞬間なのだが。
 彼女の言葉は些細なモノだったはずだ、しかし彼は聞き逃さなかった。
『俺等が無責任やて……?』
 彼女の言葉は、初対面の相手を睨みつけるほど彼を怒らせるものだったのだろうか。
 いや━━━“初対面の相手に言われたからこそ”彼は怒っているのかもしれないが。
 そのどちらにしても、彼が彼女の言葉に反応して怒っているのは間違いない。

『“あの街”で俺等の噂は聞いたんやろ?なら俺等の事は分かってるんちゃうん?
それをのこのこ付いて来て、俺等が無責任扱いかい。自分等ちょっと頭おかしいんちゃうんか?』
 怒鳴っているわけではない。
 しかし“彼が怒っている”のは伝わってくる。
 独特なイントネーションと、やや早口に飛び出してくる言葉がそれをさらに強調させていた。
 あの街で、というのは聞くまでもなくレフツェンブルグでの事だ。
 そこでの彼等《攻性の星》の噂を聞いた。
 凄腕チームに対する“やっかみ”もあるのだろう。
 その噂はどれも良く無いものばかりだった。
 いくら噂とは言え、そんな彼等に言われるがまま黙ってついてきてしまったのだ。
 それでは確かにこちらの不注意を言えなくはない。
 だが、それにしても理由も聞かされず死地に赴かされる事には納得できない。
 理由があろうとなかろうと、それは些細な事なのかもしれない。
 だが、何故自分達が選ばれたのかを聞いておきたかった。
『その辺にしておけ、ハイド』
 何の感情もなくフィールが言う。
 その言葉に男は一瞬眉を顰めたが、すぐにさっきまでの表情に戻っていた。

『どうした?』
『え!?』
 声をかけられてふと我に返る。
 気が付くと男が二人、こちらを訝しげに見ている。
『あいつが心配なんもわかるけどな、まずは俺達自身を何とかせなあかん。
“今回みたい”な事はしょっちゅう起こるわけちゃうけど、それでも起きたもんは仕方ないやん?
まずはしっかりと俺等が足場を固めな、あいつを探す前に俺等がやられてまう』
『それは━━━分かってます……けど』
 どれくらい考え込んでいたのだろうか。
 このクエストに出発する前の事を思い出していた。
 時間にすれば僅か数分といったところかもしれないが、それでも前を歩く男達が気付くのに十分であった。
『………』
 俯くリシェスを見て小柄な男がため息をつく。
 小柄な男が言ったように“今回の様な事”は滅多に起きることではない。
 しかしそれは起こり得ないことでもないのだ。
 実際の問題として、ルインが一人この狩り場に放り出されている。
 もしもそれが自分だったら、と思うと胸が締め付けられる。

 もし、一人取り残されたのが自分だったら━━━
 とっくに命は無い、という可能性もある。
 いや、それは可能性ではなく、確かにそこにある未来だ。
 駆け出しの自分とは違い、ルインは一人で狩りをしてきたハンターだ。
 その期間がどれだけのモノかは知らないが、彼は一人でも戦える。
 大剣の自分と、片手剣のルイン。
 武器の違いはあるだろうが、二人における何よりの違いは“経験”だ。
 どんな武器、防具を身に着けていようと、経験がなければ飛竜はおろかモンスターには敵わない。
 目まぐるしく動き回るモンスターと状況、それに対応するには経験しかない。
 どうやって攻撃をかわすのか。
 どうすれば生き残れるのかを、その場その場で判断していては“間に合わない”。
 無論、知識と理性を以って状況を判断することは大切な事だ。
 だがここぞという一瞬、その刹那を判断するのは経験によるところが多い。

 見たことも綯い飛竜、戦ったことのないモンスター。
 それらに立ち向かうハンターの命運はそれまでの経験がモノを言う、と言って過言ではない。
 “考える前に身体が動いてしまった”という経験はないだろうか。
 耐え難い恐怖に直面した時、思わず叫んでしまった、などがそうである。
 どんな状況であろうとも身体は、また本能は“生きる事”望む。
 経験による身体の反応。
 生き残ろうとする本能がもたらす反射。
 そればかりでは駄目だが、それが無くても駄目なのである。
 場合によっては、その反射が“無かったほうが”良かったという事もある。
 だがそれは僅かな事だろう。
 ハンターとして培われてきた経験、それがハンターを生かすのは間違いない。
 まだ若いリシェスや、ルインにそれを望むのは酷だが、狩り場に一度出てしまえばそこに違いはない。
 死を恐れるのならば、最初から“そこに出なければ良い”のだ。
 『……む?』
 前を行くフィールが低く唸る。

 小さな洞窟に入ろうとした瞬間の事だ。
 中の様子は噴煙を撒き散らす火山のせいか、昼だと言うのに暗い。
 それでも彼は中の様子に気が付いたのだろう。
『どうしたん?』
 ハイドが独特のイントネーションで彼に問いかける。
 彼の生まれはどこなのだろう。
 フライダムの村は辺境にあったが、それなりに旅の商人なのがやってきていた。
 しかし、彼のような喋り方の人間を見たことがない。
 この狩りが無事に終わったら聞いてみるのもいいかもしれない。
『━━━イーオスだ』
『ふむ……』
 彼の言葉に今度はハイドが唸る。
(イーオスっていうと……)
 記憶にあるその名前を探る。
 確か赤いランポスのようなものだ、以前沼地と呼ばれる狩り場にルインと出かけた時に彼が教えてくれた。
 同じランポス種でありながら、イーオスは独特の【毒袋】と呼ばれる器官を持っており、そこで作られた毒を獲物に向かって吐き出す。

 毒を受ければ皮膚が爛れ、身体を侵される。
 自然動きは鈍くなり、後は彼等に狩られるのを待つだけになるだろう。
 ベテランハンターと言えどもイーオス達との乱戦を避けたがる。
 その理由は言うまでもない。
 ランポスと同種でありながら、体力はそれらを遥かに凌ぐ。
 また同種らしく、彼等が個体で行動する事は無く、常に何匹かの群れで行動している。
 つまり一匹を相手にするのなら、ランポスと同じく“その”群れと戦わねばならないのだ。
 イーオスの武器はその毒ではない。
 毒は相手の動きを止めるためのものに過ぎない。
 鋭い爪、鋭い牙が彼等の武器である。
 それらを警戒しつつ、また吐き出す毒を食らってはならない。
 そんな戦いを強いられるのだ。
 これでは初心者でなくとも避けたがるのは当然だと言える。
『どうするん?』
 しかし、ハイドは顔色を変えることなくフィールに問う。

 どうするも何も、今の状況を考えれば戦いは避けるべきだ。
 今はもう一人の仲間であるルインと合流するのが先だと彼等は言っていた。
 彼女もそれには賛成だった。
 彼が心配だという気持ちもあるが、何より仲間は多いほうがいいに決まっている。
 彼等二人なら何の問題も無く狩れるのかもしれないが、今この場には彼女━━━リシェスがいる。
 軽快に飛び回るランポス種であるイーオスに彼女の大剣ほど相性の悪い武器はない。
 今飛び出していけば当然彼女も後に続いて出てくるに違いない。
 しかし、彼女の攻撃は恐らくイーオスに掠りもしないだろう。
 武器の相性もだが、彼女にイーオス達と立ち回れるほどの腕があるとは思えない。
 彼等も無論そんな事は承知の上だ。
 だからこそ“どうするのか”と聞いている。
『………』
 フィールは答えない。
 ただ不安げな表情を浮かべている少女を見つめているだけだ

 しかし、そう長く考えている暇もない。
 今彼女達がいるのは【火山】である。
 噴煙と溶岩が支配する、枯れ果てた灼熱の荒野である。
 鈍い生き物である溶岩は、自らがこの地の支配者であるかのようにゆったりと蠢いている。
 千数度の赤き流れる岩に足を踏み外そうものなら命はおろか、そこに存在していたという事実さえ消されてしまう。
 ━━━文字通り、消えてなくなるのだ。
 岩をも溶かすほどの━━━いや、岩が溶けているのだから人間などが耐えられるわけもない。
 その驚異は何もそれ自身に限ったことではない。
 息が詰まりそうなほどの“気温”。
 それがこの地を訪れるハンター達を苦しめている。
 加えて咽かえるような硫黄の匂い━━━
 まるでこの地に命の根絶させるかの様な環境。
 この火山では“そこにいるだけで命を奪われるかの様”なのだ。

 それが彼女達の今目の前にある問題である。
 灼熱の気温は彼女達から潤いを奪い、体力を疲弊させる。
 いくら暑さ対策にクーラードリンクを持ってきているとは言っても、効果が続くわけではない。
 空から降る粉塵は目を疲労させ彼女達の視力を奪うし、硫黄の臭いには嫌悪感を覚える。
 もし仮に暑さが無くなったとしても、それ以外にも人であるハンターを縛る要素はいくらでもある。
 この地にある全てがハンターの、いや全ての生命の敵であるかのような錯覚を覚える。
『で、どうするん?このままじっとしててもいずれイーオス共に気付かれるで?
“俺が行くのか、お前が行くのか、それとも引き返すのか”とっとと決めやんと』
『………?』
 言ったハイドの言葉に疑問を感じる。
 今この男は何と言ったのか。
 俺が行くか、お前が行くかと言ったのだろうか。

 何故そんな事をするのだろう。
 イーオス達は群れで行動している、今洞窟の中にいるイーオス達も恐らくそうであるに違いない。
 ならば、何故。
 何故彼らは“自分達のどちらかが行く”という話をしているのか。
 それは足手まといである自分に気を遣ってくれているのだろうか。
 自分が彼等と一緒に飛び出したところで、何の役にも立たない事は彼女にも分かっている。
 しかし彼女は役に立たないのなら立たないなりに自分の身くらいは自分で守ろうという思いがあった。
 正直に言えば、どちらかが自分を守ってくれるなら心強い。
 彼等のどちらかが傍にいてくれるだけで、生存率は段違いだろう。
 しかし同時に腹立たしさも覚える。
 彼等が言っているのは、“お前一人では自分の身も守れないだろう”と言うことに他ならない。
 戦う事はできずとも、そのくらは一人で出来ると思っていた。
 しかし、それも出来ないと言われればやはり悔しい。

 このクエストが上位のクエストで、モンスターの強さは段違いだと言われた。
 だがそれで納得できるかと言われれば、答えは無理である。
 ハンターの中でも限られた者にしか紹介していないクエストであるのは理解できる。
 それを受けられるハンターが優秀だということも。
 だが、そこにいるモンスターはどうなのだろう。
 ランポスにしても、飛竜にしても、普段自分達が狩っているモンスターとどこまで違うのだろう。
 そういった疑問が浮かぶのは当然である。
 いくら初心者と言えども、彼女とてハンターである。
 少ないながらにでも飛竜を、あの火竜リオレウスを狩った事もある。
 結果だけみれば諸手を揚げて喜ぶ事はできはしないが、それでも火竜を狩ったというのは彼女の自信だった。
 それを、お前には自分の身を守ることもできない、言われれば頭にくるのも当然だ。
 だが━━━
『……引き返す』
 フィールが口にしたのは驚くべき言葉だった。

『なッ…?お前……』
 彼の仲間であるハイドですら、開いた口がふさがらない様子である。
『どうして……?』
 彼は《攻性の星》のリーダーである、その彼が臆病風に吹かれたということは万に一つもないだろう。
 《攻性の星》とは彼等のチームの名前である。
 討伐に関しては失敗なし、少数ながら優れたチームというのが彼等の評判だ。
 討伐に関して失敗が無い、ということはそれは彼等の戦闘能力、殲滅力の高さを示している。
 数人でチームを組む以上やはりチーム毎の特色というものが出てくる。
 メンバーのそれぞれの武器、性格、体力など。
 それらを加味してチームとしての猟法を決めるのだ。
 大剣、ハンマーなどの重量武器を持つハンターが集まれば、短期決戦を主軸に置いたチームが。
 片手剣、ライトボウガンを持つハンターがが集まれば、討伐ではなく捕獲を念頭に置いたチームが。
 ランス、片手剣、へヴィボウガンを持つハンターが集まれば、長期にかけての狩りを行なうチームが。
 それぞれの特色を生かした狩りをする。
 それがチームである。

 ハイドの言葉をそのまま取るのならば、彼━━━フィールとハイドは単身でもあのイーオス達を狩れるのだろう。
 それを引き下がると言った理由は何なのか。
 このまま洞窟でイーオスの群れと戦闘し、殲滅ないし逃げ切ってあの洞窟を抜ける事に不満があるのだろうか。
 ふと頭によぎったのは“自分の存在”。
 もし自分がこの場にいなければ、彼等は立ち止まることなく進んだのだろうか。
 そんな考えを浮かべリシェスが口を開く。
『私なら━━━』
『いるのか?』
 ハイドの言葉が彼女の言葉を遮る。
 いつもの飄々とした態度ではなく、その目は真剣そのものである。
『……あぁ、恐らく間違いないだろう。このまま“アイツ”と戦うには危険すぎる。
まずはあいつを見つけてからだ、それからでも遅くはないだろう』
 言い返す彼の目もまた真剣である。
 普段が飄々としている彼等であるから、真剣になったその眼差しに戦慄を覚える。

 アイツとは言うまでも無く今回の狩りのターゲットである。
 その飛竜がこの向こう、洞窟の中にいるということだろう。
 彼の気配を感知する能力が人並み外れているのか、それとも彼等くらいになればそれくらいは分かるものなのか。
 どちらにせよ、彼等はこのまま進む心算はないようだった。
(心配……してくれてるのかしら…?)
 後に言った“あいつ”とはもしかしなくてもルインの事だろう。
 彼とて自ら誘った人間が死ぬのは心苦しいのかもしれない。
 それとも━━━
 それとも、ルインがいなければ彼の立てた作戦でも成り立たないのだろうか。
 だが、狩りより優先してルインを探すと言う彼の言葉は嬉しかった。
 役に立たないこの身だが、彼がいなければ集中すらできない。
 彼がいるといないでは出来る事と出来ない事が多すぎる。
 そればかりか、彼いなければ“出来る事でも出来ないかも”しれない。

 狩りにおいて必要なモノは経験である。
 そして戦いにおいても必要なものがある。
 瞬間、瞬間を即座に理解する判断力、そして次の行動に移す決断力。
 それは今までの経験によって培われてくるものだ。
 だが、その判断、決断を下すにしても“集中”していなければならない。
 冷静に物事を判断し、次の行動を慎重に選んでいかなければ待っているのは死だけだ。
 人とモンスター、飛竜の能力の差は歴然としている。
 言うまでもなく人は、人の力は飛竜はおろかモンスターにすら敵いはしない。
 経験もなく、作戦もなければ、いくら竜殺しの武器を持ったとしても勝てないだろう。
 だからこそ人は竜を狩るために、作戦を練り、時には罠をも使う。 
 飛竜との戦いにおいて必要なのは膂力ではなく、知性である。
 故に適正な罠を最高のタイミングで仕掛けるための作戦が必要なるのである。
 では、どうすればそうできるのか。
 それは“常に冷静になる”事だろう。
 感情が昂れば、些細な事を見失う。 
 それがどんなものになるかは分からない。
 ひょっとすれば飛竜を倒しきれるほどの勢いに乗れるかもしれない。
 だが大抵の場合はハンターが命を落とす結果となるだろう。

 そして仲間が倒れれば、他の仲間に焦りや恐怖といった感情が生まれ、結果チームは全滅という結果になる。
 今の彼女の場合がまさに“それ”である。
 初めての相手、初めての地形にリシェスは不安を覚えているだろう。
 ましてや今回組んでいるメンバーは、初見ではないにしろ“仲間ではない”。
 そんな中唯一心を許せるルインが一人はぐれてしまった。
 今、彼女の心の中は不安や恐怖、焦りで乱れているに違いない。
 グラス一杯に張った水の様なものである、あと少しでも“何か”があればそれはきっと溢れ出す。
 ━━━そう、見知った形をした“剣の様なモノ”でも落ちていれば。
 彼女は必死に押し留めているに違いない、 自らの恐怖、絶望といった感情を。
 「ルインは無事だ、きっとどこかで、きっとキャンプで自分達を待っている」
 彼が無事であると、自らに言い聞かせることによって。
 だが、そんな事を考えている者が冷静な判断を下せるだろうか。
 戦闘になれば彼女は戦えるだろうか。
 仲間を思う気持ちは大切である、それが大きな力となることもあるだろう。
 何かを想う気持ちはとても大きな力を生む。 
 それは彼女達は知っているし、今までもその力で乗り切ってきたといっても過言ではない。

 ━━━だが。
 “彼女が一人で抱えている不安や恐怖”といったモノはどうなのだろう。
 理性を持っているといっても人とて生物である。
 その根底にあるのは“生への渇望”なのだ。
 ハンターは絶えず死の恐怖と戦いながら狩りに赴いている。
 ある者は信念で。
 ある者は仲間達との絆で。
 またある者は自らの欲望といったもので、その恐怖を塗りつぶしている。
 人が、ハンターは“生きている物”である限り、死の恐怖を消すことはできない。
 皆、何か━━━己を賭けるに値するモノで“それ”を一時的に忘れているだけなのだ。
 しかし、今の彼女にそれはできないだろう。
 彼女の心はすでに一杯なのだ、後少し何かが入ってくれば溢れてしまう。
 と、いうのに“どこに恐怖という感情を押し込めればいいのか”。
 彼女を支える彼の笑顔も、彼女を助ける彼の手も、今はない。
 本来彼女を支えている彼への想いは、今は不安に置き換えられている。
 この状態で戦いになればきっと彼女は━━━

『んじゃ、向こうから行くか』
『……あぁ、多少遠回りになるが、仕方ないな』
 話がついたのか、彼等が振り返る。
 それを待っていたはずなのに、思わず面食らってしまった。
『どうした?』
『あ、いえ……なんでも、ないです…』
 理由など無いというのに、つい視線を逸らしてしまう。
 そんな事をすればどう思われるか分かっているというに。
『……あの火山の火口付近通り迂回する。ここより温度は高くなるから気をつけろ』
 だというのに、彼はそんな事などお構いなしに説明を始めた。
 彼が指差したのはちょうど自分達が歩いてきた方角だった。
 つまり今まで進んできた道を戻り、さらに遠回りをすると彼は言う。
『温度が……?』
『そうや、活動中の火山の洞窟に潜るんやからな、ここより温度が高くなるのは当然やろ?
あ、でもクーラードリンクは飲まんほうがええで。
体力使うやろうけど、今からドリンク飲んでたら狩りが終わるまで持てへんかもしれん。
ちょっときついけど、戦闘もしやんから頑張って行こか』
 彼に聞き返したつもりだったのだが、ハイドが代わりに答える。
 彼等が指差した方角にある山は噴煙を巻き上げており、時折火柱のようなものが見える。
 つまりは現在も活動中なのだろう。
 その中の洞窟を進もうと言うのだから、厳しいのは当然である。
 だがそう言ったハイドの表情は相も変わらずにこやかに笑っていた。

『………はぁ』
 思わずため息が漏れてしまう、この場にいるのが自分だけならば今すぐこのランポスシリーズと呼ばれる
鎧など脱いでしまいたい。
 何故こんな暑さの中にいるのかと思うと、馬鹿らしくなってくる。
 じっとしているだけでも汗が噴出し、汗で湿った鎧がさらに蒸し暑くなる。
 これではただの悪循環なのだが、それでも狩り場において鎧を脱ぐ事は許されない。
 飛竜の爪や牙は易々とハンターの鎧を切り裂くのだ。
 しかし、その鎧が有ると無いとでは雲泥の差だろう。
 例え飛竜にとって紙の如き鎧であっても、彼等ハンターにすれば命を守る鎧である。
 しかし、ここからまだ暑くなると言われれば、気が滅入らないわけはない。
 今でさえ我慢の限界が近づいてきているのだ、今以上に暑くなれば思わず叫んでしまうかもしれない。
 ━━━ふと、彼等の表情に気が付いた。
『……何だ?』
 見つめられているのに気が付いたのか、フィールが視線を向ける。
『あの……暑くないんですか……?』
 先ほどから気になっていたのだ。
 確かに彼等は汗も掻いているし、呼吸も荒くなっている。
 だが彼等は別段それを苦ともしていない様に見えるのだ。
 ひょっとしたら彼等は何か特別なモノでも持っているのではないだろうか。

『………』
 フィールは何も答えない、ただ黙って彼女を見つめ返しているだけである。
 ━━━馬鹿な質問だったのだろうか。
 この灼熱の地で暑くないなどと言うのなら、きっとその者は頭がおかしいのであろう。
 水に沈んでいるものに、「苦しくないのですか?」と聞くようなものだ。
 そんな当たり前の事を聞いたのだ、訝しがられても仕方が無い。
 呆気に取られた様な表情をする彼等に、自らの愚かしさを反省する。
 顔が紅くなっているのは、溶岩の熱のせいだけではないだろう。
 しかし、次の瞬間笑い声が響く。
 その声に恥ずかしさも忘れ、呆然としてしまう。
『嬢ちゃん!何を言うかと思ったらそんな事か。俺等だって暑いに決まってるやろ。
ただ俺もこいつも男や、嬢ちゃんの前でみっともないこと言われへんやろ?
嬢ちゃんの恋人だってそうちゃうん?いつも強がったりしてへん?』
『る、ルーは恋人じゃな……!』
 思いがけない事を言われてつい言葉が荒くなる。
 確かにいつも一緒にいれば、“そういう風”に見られるのかもしれないが、自分とルインは恋仲という
わけではない。
 恋人という言葉に反応するところを見れば、自分でも多少なりとも意識しているのは分かるのだが、彼
から告白されたわけでも、ましてや自分から告白したわけでもない。

 ━━━彼は自分の前で強がっているのだろうか、ふとそんな考えが浮かんだ。
 好意を寄せる相手に良く想われたい、というのは男女とも同じ事であろう。
 ならば、ルインが自分に好意を寄せてくれているとして、彼は自分の前で無理をしているのだろうか。
 今ハイドは自分の前だから、暑いといった弱音を吐かないのだと言った。
 つまり彼等にとって自分は“女性”であると言う事だ。
 女性達はあまり意識しない事だが、男性が持つ“プライド”と言うものだろうか。
 男は女を守るもの、そんな古い考えなど今の世の中には通用しない。
 事実、ハンターの中には男性よりも強い女性も数多くいる。
 ━━━なのだが、それでも男達は“女は守るもの”だと、勝手に息巻いている。
 女性にすればいい迷惑なのだが、それを笠に着る者もいるので男だけが悪い、というわけでもない。
(ルーはどう想ってるんだろう……)
 自分は、彼の役に立ちたいと思っている。
 だからこそこうして、無理なクエストにも付いて来ているのだ。
 役に立っているのかどうかは別問題として、自分の知らないところで彼がいなくなるのだけは嫌だった。

 それは彼女の両親が“そう”だったからかもしれない。
 彼女の両親は狩りに出かけ━━━戻っては来なかった。
 幼い時は何故両親が戻ってこなかったのか理解できなかった。
 ただ何処かへ出かけ、忙しくて戻って来れないのだと。
 “ただそれだけ”なのだとずっと自分に言い聞かせてきた。
 だが今なら分かる。
 両親が戻ってこないのは死んだからなのだという事が。
 幼い頃は理解できなったが、今ではただ漠然とその事実を受け入れている。
 両親の死体を見なかったことも原因の一つかもしれない。
 遺体は村に帰ってきたのだが、あまりにも凄惨だということで見せてはもらえなかった。
 ただ、泣いている村人達の声を聞きながら、両親の帰りが遅いななどと考えていたのだ。
 そしてそれはいずれ諦めにも似た形で受け入れてしまった。
 帰ってこないものは仕方ないのだと。
 あの時村の者達が泣いていたのはもう戻ってこない人が居たからなのだと、何年も経って初めて気が
付いたのだ。

 自分の知らないところで、大切な人を失うという事。
 その空虚にも似た気持ちを彼女は忘れることは無いだろう。
 いくら泣いたところで、その人物はもうこの世には居ない。
 ━━━それは悲しい事なのか。
 ならば何が悲しいのだろうか。
 その人物が亡くなった事なのだろうか。
 それとも助けてやれなかった事、なのだろうか。
 人が死ぬのは悲しい、近しい人物であれば尚の事である。
 だが、その場面に居ない人間は何に泣けばいいのだろう。
 ハンターとは命を懸けた狩りに臨む者達である。
 それを帰ってこない、などと泣いていいのだろうか。
 強大な飛竜を相手にしているのだ、帰って来れないほうが当然ではないのか。
 狩りに出たものが戻って来れない理由など簡単に想像がつく。
 だが、━━━だがその場に居ない者に何を泣けというのだろうか。
 自分もハンター、彼もハンターだ。 
 だからこそ彼女はこうして、この狩り場にいる。
 彼の死を、諦めにも似た感覚で受け止めたくはないから。
 必死に戦って、諦めずに戦って、それでも力が及ばない事もこの先にあるかもしれない。
 しかしそれでも、自分は彼と一緒に狩りに出ようと思っている。

 ━━━けれど、ルインはどうなのだろう。
 もし自分が独りで狩りに出ると言ったなら、彼はどうするのだろう。
 今までは一緒に狩りをしてきた。
 それは誰が言い出したことでもなく、ただ“そういう成り行き”でそうなっているだけだ。
 新米である自分と、少し先に進んでいる彼。
 その彼に助けてもらって、その後はただ一緒に組んで狩りを行っているだけだ。
 ━━━それを彼はどう思っているのだろう。
 どんな人間でもたまには一人になりたい事もある。
 自分達とチームを組む事を煩わしいと思ったりしているのだろうか。
『……ちゃん、…嬢ちゃん!』
 ふと、自分を呼ぶ声に我に返る。
 目の前には相変わらずのにこやかな笑顔と、無愛想な男の顔があった。
『何か変な事言ってもうたみたいやな、気にせんといてくれ』
 全くである。
 ハイドはにこやかな笑顔を浮かべてはいるが、こちらはそんな顔を出来そうにもなかった。
 リシェスは大丈夫です、と小さく呟くと、先頭を行く男に視線を投げかけた。
『………なんだ?』

 男は特に気にした様子もなさそうだったが、それでも何かを思ったのか聞き返してくる。
 彼の場合はどうなのだろう。
 彼を想うオルタンシアをどう思っているのだろうか。
 煩わしい、というわけではなさそうだ。
 それならば街で一緒に食事を摂ったりはしないだろう。
 ならば何故彼は彼女に答えてやらないのだろう。
 余計な世話なのだろうが、自分も一人の女として気にはなる。
 ━━━オルタンシアは美人だ。
 それは同性の自分から見ても間違いはない。
 そんな彼女にあれだけ想われて、男なら悪い気はしないだろう━━━と思う。
 ひょっとして想いは通じていて、皆の前だけはああいった態度を取っているのだろうか。
『い、いえ……なんでも……っ!?』
 瞬間背筋が凍りつく、言いかけた言葉も飲み込み全身の毛が一気に逆立つのを感じる。
 灼熱の地において尚、極寒の感覚に囚われる。
 それは自分を見る彼の目に殺気がこもったからだ。
『嬢ちゃん!!逃げぇ!!!』
 ハイドが叫ぶ。
 次の瞬間、フィールは背中に差していた剣を一息で抜き放つと躊躇無く振り抜いた。

クエスト☆☆☆<Side Eleanor>

『━━━……?』
 突然名前を呼ばれた様な気がして顔を上げる。
 目の前には眼鏡をかけた若い男と、無骨な顔をした壮年の男が居る。
 そのどちらもこれからの狩りに向けての準備に余念が無い。
 眼鏡の男は持って行く弾の種類を、壮年の男は回復薬などのチェックをしている。
『……どうかしたか?』
 こちらの手が止まっているのに気が付いたのか、眼鏡の男が顔を上げた。
『いえ、なんでもありません。気にせず続けてください』
 言って自分の作業に視線を戻す。
 今の自分の作業は持って行く“予備の弾”の準備だ。
 通常弾や貫通弾、散弾などはかさ張らないにしても、持っていける数には限りがある。
 だからいざと言う時のために弾を調合できるように予備の素材を持っていくのが定石である。
 狩り場では満足な道具は無いが、弾の調合くらいできなければガンナーとは呼べない。
 何十、何百と繰り返してきた作業だが、未だにちゃんと撃てるのかと心配は残る。
 火薬の量が少なければ威力は出ないだろう、火薬の量が多ければ暴発するかもしれない。
 彼━━━眼鏡の男ならば、そんな心配など当の昔に払拭しているのかもしれないが。

 眼鏡の男━━━名前はガラフと言う。
 痩躯の長身で、その眼鏡が特徴的だ。
 高名なチーム,《攻性の星》の一員であるらしいが、それを鼻にかけたりはしない。
 話してみると意外にも気さくな冗談を言ったりもする。
 ━━━ただ、時折冷たい言葉で返されることもあるが。
 ガラフはこちらに話をする意思が無いと感じたのか、自分の作業に戻っている。 
 やや無愛想な返答だっただろうか、これから彼に教えを乞う立場としてはもう少し愛想良くすれば良かったと唇を噛む。
 この程度で気を悪くするような男ではないと感じたが、人間何が逆鱗に触れるか分からない。
 軽い言葉のつもりでも、相手を激高させるような場面もあるのだ。
 眼鏡の男は慣れた手つきで弾をチェックしていく。
 彼等ほどになれば最早それは狩りの前の習慣でしかないのかもしれない。
 持って行く弾は決まっている。
 余計な物は持っては行かないし、必要な物を忘れることも無い。
 ただ“今までそうしてきたからそうするだけなのだ”。
 彼にも駆け出しの頃があっただろう、その時は何かを忘れる事もあったかもしれない。
 そしてそれが彼を、仲間を窮地に立たせる原因になった事もあるかもしれない。

 しかしそれを乗り越えてきたからこそ、彼はここにいるのだ。
 必要なものがあれば特に意識せずとも用意する、必要無い物には手を伸ばさない。
 何十、何百の狩りを越えてきた経験が必要な物を教えてくれる。
 もっとも、いくら彼でも初めて戦う相手にはそういう風にはいかないだろうが。
『あいつ等の事なら心配ないと思うぞ』
『え?』
 不意に言葉をかけられ顔を上げる。
 しかしガラフは自分の作業を続けながら、続きを言おうとはしない。
 ウォーレンも驚いたのか手を止め、彼を見ている。
『それはどういう……?』
 数分、時間にしては一分も経っていないかもしれない。
 存外に長い沈黙に耐えられずエレノアが続きをと口を開く。
『……あいつ等の事なら心配はない、と言ったんだ』
 だが返ってきたのは先ほどと同じ答え。 
 “あいつ等”とは誰の事なのか、自分の仲間達の事か、それともルイン達の事なのか。
『ルイン達は無事に戻ってくるという事か?無理を推して上位のクエストに出発させておきながら』
 何を怒っているのかは分からないが、ウォーレンの言葉には怒気が混じっていた。

 ウォーレンはハンターとしては長い部類に入る。
 彼ほどの腕になるには、かなりの時間が必要だっただろう。
 彼の身体に刻まれている歴戦の《勲章》がそれを物語っている。
 その中には若さ故の慢心で受けたものもあれば、誉となる傷もあるに違いない。
 数え切れない戦いの中で、命と精神を削りながら生きてきたのだ。
 扱う武器は違うにしろ、それは十分に尊敬できる事であった。
 知識、経験、何一つ彼に敵うモノはない。
 だがハンターという同じ道を歩く者として彼の事を尊敬していた。
 彼が怒っているのは、彼が“そういった者”なのだからかもしれない。
 苦しい時間を過ごしてきたのだろう。
 時には割りに合わない狩りもあったかもしれない。
 それでも人はゆっくりとしてか歩いていけないのだ。
 若いハンターは火竜などの飛竜との戦いに憧れる。
 それらと戦うためにハンターになる者もいるという。
 だがいきなり飛竜と戦えるわけが無い。
 ━━━駆け出しの者には覚悟が足りない。
 それは命を失うといった覚悟、“命を奪う”という覚悟。
 モンスター達は本能でハンターと戦う。
 彼等モンスターにとって、ハンターは自らの生命を脅かす外敵に過ぎない。
 それらと戦うのに躊躇は無い。
 だが人はどうだろう。
 戦いになれば、理性を切り離して戦えるだろうか。

 ━━━答えは言うまでもないだろう。
 老練のハンターであっても、飛竜の咆哮には足が竦むという。
 飛竜は“人が敵う相手ではない”のだ。
 筋力、体力、生命力。
 その全てで人が飛竜に敵うものなどありはしない。
 人が飛竜に挑むという時点で、そもそも選択を間違っているのだ。
 ━━━だが人は手にした。
 強固なる飛竜の鱗を割り、甲殻を貫く武器を。
 そして飛竜を罠にはめる狡猾な知恵を。
 筋力で負けるならば、正面から挑まなければいい。
 体力で負けるのならば、相手を疲弊させればいい。
 生命力で負けるのならば、人を集め絶え間なく攻撃すればいい。
 如何に回復力に優れるといっても飛竜とて生き物である、休息を得られなければ衰弱するだろう。
 “それら”を体験し、自らの知識として初めて人は飛竜を狩れるのだ。
 そして、それらを知るのが下位のクエストである。
 言わば下位のクエストはハンターとしての下積みである。
 この土台がしっかりとしていなければ、上位に上がったところで直ぐに命を落とすだろう。
 つまり、ウォーレンが怒っているのはそういった事だと思われる。
 ハンターとして真っ直ぐ生きてきたのだろう、それは彼を見ていればよく分かる。
 だからこそ“彼等のした事”が許せないのだ。

『それは知らん』
 だがガラフの答えは予想を裏切るものだった。
 視線を上げる事も無く、ただポツリとそう呟いた。
『何だとッ貴様……!』
 ウォーレンが顔を紅潮させ立ち上がる、その表情は鬼の形相とも言える程だ。
 彼を止めようと慌てて立ち上がるが間に合わない。
 彼は焚き火を踏み散らし、火の粉が舞い上がるのも物ともせずガラフに掴みかかる。
『……そればかりはわしにも分からん。当然だろう?』
『貴様ッ……!!』
『ウォーレン!!』
 激昂した男に掴み上げられながらも、彼の表情が変わることは無い。
 “それ”が当たり前だと言う様に淡々と言葉を続ける。
 爪先で立たなければならないほど胸ぐらを掴まれているというのに眉を顰める事もしない。
『あいつらが生き延びたいというのならば“何もしなければいい”、そうだろう?
フィールとハイド、上位のハンターが二人もいるんだ下位のハンターがやる事などあるものか。
だがあの二人がどんな奴なのかはわしには分からん。
黙ってフィールの指示に従うのか、それとも急いて自滅するのか、な』

 言ってガラフが笑う。
 まるで“それ”が当たり前かの様に。
『…………』
 そんな彼をウォーレンを睨みつける。
 奥歯を噛み締める音が聞こえる。
 彼も分かっているのだ、ガラフの言うことが“正しい”のだと言うことが。
『お前ぐらいのハンターなら分かっているだろう?
わしらは強い、強いが━━━狩場で勝手にウロウロする奴を助けてやれるほどではない。
だが━━━』
 言いかけて彼は視線を伏せた。
 その先は聞かずとも分かる、狩場で勝手な行動をする者を助ける事はできない。
 それは上位だろうと下位だろうと、都会だろうと辺境であろうと関係はない。
 どんな場所にいようと、どんな仲間がいようと、好き勝手する者に居場所はない。
 彼が言いたい事は“そんな当然”の事ではないだろう。
 恐らく彼は、いや彼等《攻性の星》は数多くのハンターと組んだのだろう。
 その中には自分やルイン達の様な駆け出しもいたのかもしれない。
 そして、その多くが━━━
 言うまでもない、《攻性の星》の良からぬ噂が彼等がどうなったかを教えてくれる。
  ガラフが言いたいのは“そこから先”だ。 

『━━━だが、あいつ等の言うことを大人しく聞くなら生き残れるだろう』
『え………?』
 彼が視線を伏せたまま言う。
 それは誰に言ったものか、目の前のウォーレンかそれとも、フィール達と行動するルイン達に向けたものなのか。
 そのどちらでもあったのかも知れないし、どちらでもなかったのかも知れない。
 ただ、そう言った彼の目には色濃い影が映っていた。
『お前……悔やんでいるのか?』
 不意にウォーレンが呟いた。
 その言葉は彼にとっても意外だったのか、伏せていた視線を上げる。
 瞳に映ったウォーレンからはすでに怒りの気配は消えていた。
 先程まで爆発寸前かの様な表情をしていたというのに、今はその気配は微塵もない。
 それどころか━━━
『何がだ?』
『今まで組んだハンターを死なせた事を後悔しているのか、と聞いている』
 それどころか彼はガラフを憐れむような眼差しを向けている。
『………人が死んで気持ちが良い訳がないだろう』
 ウォーレンの目を見て彼はゆっくりと息を吐きながら言う。
『では……何故あんな事を……?』
 それは酒場での騒動、あの時相手側の男は叫んだ。
 “お前達があいつを殺したんだ”と。

 ━━━例えそれがどんな狩りであったとしても、同行を希望すれば連れて行く。
 ━━━例えそれがどんな初心者だろうと希望すれば同行させる。
 結果それが彼等と狩りに出て無事に戻って来る者がいない、とまで噂される事となっている。
『わし等とて好きで死なせている訳がないだろう』
『………』
 ならば最初から連れて行かなければいいのだ。
 見知らぬ者、経験の浅い者。
 そう言った者達でさえ彼等は連れて行くと言う、今回のルイン達にしてもそうだ。
 ある程度の腕を持ったハンターならば、見知らぬチームに入っても行動はできるだろう。
 だが彼等が挑むのは“上位クラス”の狩りである。
 ハンター1人の力でどうなるものではない。
 彼は少し怒ったかの様な表情をした。
 “好きで死なせている訳ではない”━━━
 その言葉が本当ならば、何故初心者までも連れて行くのだろうか。
 彼には守るつもりがあっても、残りの2人には無いのだろうか。
『………狩場での指示は難しい、と言う事か』
『え……?』
 ウォーレンが言う。
 その言葉にガラフはすっと目を細めた。
『わしは口が悪いからな、思いの外上手くいかん』

 そう言った彼はどこか笑っている様な感じがした。
 ━━━それは楽しくて笑っているわけではない、ましてや嬉しいわけでもない。
 嘲笑、自らの悪癖を嘲笑っているのだろうか。
『そうだな、お前達の言い方では敵も出来やすいだろう。気を付ける事だ』
『ほっとけ、わし等はわし等だ』
 ウォーレンの言う通り彼の言葉は悪い。
 不快、と言うわけではないがどこか“偉そうな”印象を受ける。
 実際彼等は自分達よりも格上のハンターであるので偉そうにされても文句は言えない。
 それは彼だけではなく、フィールやハイドからも感じられる。
 彼等が“それ”を意識してやっているのかどうかは分からないが、気持ちが良くないのは確かだった。
(確かにあまり口は良く無いようですけど……)
 そっとガラフとウォーレンを見る。
 気持ちはもう切り替わったのか、狩りの算段を話している。
(先程までのは何だったのでしょうか……)
 その様子を見で心で溜め息をつく。
 すぐに仲直りをするなら、初めから喧嘩などしないで欲しい。
 只でさえ狩りの前には気が立っているというのに。
(勝手に喧嘩して、勝手に仲直りをして、これだから男の人は━━━)

 “狩場での指示は難しいと言う事か”と言ったウォーレンの言葉が頭をよぎった。
(そしてその後………)
 そしてその後彼は、ガラフは何と言っただろうか。
 確か━━━
『……どうかしたか?』
『あ、いえ……』
 ふと声をかけられ、2人の視線がこちらに向いている事に気が付く。
『傷が痛むのか?』
『いえ、そう言うわけではありません。気になさらないで下さい』
 早口に言いながら立ち上がり、振り返る。
 少し不自然だったので何か誤解されたかも知れないが、男達は何も言ってはこなかった。
(恐らく彼等は仲間を殺したのではない筈……
私が考えた通りなら、恐らく仲間を見殺しにしたのでもない) ならば何なのか。
 彼等の持っている実力、それは人一人が役に立たないからと言って誰かを犠牲にしなければならないと言った小さなモノではない。
 彼等は本来彼等だけで飛竜をも狩れるのだ、そこに“誰がいようと大した問題ではない”。 ならば何故彼等と組んだ人間は死ぬのだろう。
 彼等とて自ら死地に足を踏み入れた者を守りながら戦う、と言った事はしないはずだ。
 ガラフも“生きるか死ぬかは本人達次第”という様な事を言っていた。

 狩り場においての責任は全て自分にある。
 勝てないと思ったら素直に引くべきだし、そもそも背伸びをして挑む事自体が間違っているのだ。
 そこに“お前のせいで”や“お前がああしていたら”という事などない。
 狩り場に出た時点でその全ての責任を“他人のせいなどにはできない”のだ。
 恐らく彼が言っている事はそういう事なのだろう。
 ならば、ここでガラフにいくらルイン達に同行したあの男達の事を聞いても無駄である。
 生き残る“だけ”ならば、大人しくキャンプで震えていればいい。
 しかしリシェスはともかく、ルインはきっとそうはしないだろう。
 何か出来る事はないか、自分にもできる事はないかと走りまわるに違いない。
 ━━━恐らく、“きっと”。
 ルインと共に狩りに出たのはそう多くは無いが、彼はそういう人間だった。
 どんな状況でも常に動きまわり、自分のするべき事を探している。
 それが片手剣使いの役割だと言われてしまえばそれまでなのだが、それでも彼は動き回る。
 持ち前の俊足もそれを助長しているのだろう。
 (ルイン、どうかリシェスを……)  
 空を見上げると小さな鳥が飛んでいた。
 青く澄み渡る空に、大きく翼を広げゆるやかに飛んでいる。
 (………)
 ただ、その小さな鳥にとってこの空はあまりにも広いように感じた。

クエスト☆☆☆☆

 凄まじい程の風切りの音と激しくなる自分の心音を聞く。
 轟音とも呼べるほどのその音とは裏腹に、迫り来る刃はひどく緩やかに感じられた。
 瞬間、身体が地面に吸い寄せられる。
 逆らうことは出来ない、何しろ一瞬の事だ。
 “それは”自らが意識して行った回避行動ではない、故に逆らう事はできなかった。
『何してるんッ!!死にたいんか!?』
『え?あ………え?』
 男に叫ばれ、少女は目を白黒とさせる。
 恐らく彼が自分を助けてくれたのだ、しかしそれを理解するには時間が足りなかった。 
 彼女が地に伏せると同時に叫び声が上がる。
 少女の物ではない、助けてくれた者の物でもなく、ましてや刃を振るった男の物でもなかった。
『━━━え?』
 何が起こったのか理解できない。
 地に伏せた時に口の中を切ったのか、鉄の味が広がるがそんな事はどうでもいい。
 問題なのは剣を持つ男の前に立つ、赤いモンスターの姿だった。
『イーオス………』
 少女が呟く。
 以前仲間と沼地と呼ばれる場所に狩りに行った時、その名が上がった。
 しかし当時は自らの無知のせいで、どんなモンスターかは分からなかった。
 赤い鱗に、金色の目。
 自然界における“危険色”を見事に備えたそのモンスターは間違いなく図鑑で見たあのモンスターだった。
『ちゃう………あれはそんなもんじゃない』
 男が微かに緊張を含んだ声で言う。
 少女には何が違うのか分からなかったが、この男が“そう言うならきっとそうなのだろう”。
 息を飲み、少女はゆっくりと視線をモンスターの方へと向けた。

『━━━あれはドスイーオスや、嬢ちゃんもドスランポスくらいは見たことあるやろ?
つまりあいつはイーオスの群れを統べるリーダーっちゅーわけやな』
 そう言った彼の言葉に緊張を感じる。
 この状況が良くない、というのは雰囲気で感じ取れた。
 自分は明らかに戦力外、まともに戦えるのは彼等二人だけだろう。
 しかし今回の目的はこのドスイーオスと呼ばれたモンスターではない。
 こちらの状態が万全でない以上、こんなところで不用意に戦闘を始めるわけにはいかないのだ。
 ドスランポス━━━彼が言った名のモンスターは確かに知っている。
 初めてルインと出会った時に、彼があっと言う間に倒したモンスターだ。
 それは彼がドスランポス達の不意をついただけであって、まともに戦えばそうはいかなかっただろうが。
 だが、今目の前にいるドスイーオスはドスランポスとは似ても似つかない風貌をしている。
 一番の特徴はその色だろうか。
 真っ赤に燃える赤━━━というよりは毒々しいとさえ言える赤。
 イーオスは毒を吐く、と言うがまさに文字通りなのだ。

 頭にある鶏冠はリーダーの証なのだろうか、紫がかったその鶏冠には嫌悪感を覚える。
 そして何よりも不気味なのはその目。
 輝く黄金の様で、曇った黄金色にも見えるその目は直視する事を躊躇わせる。
 体内に持つというその毒で、今までに何体もの獲物の命を奪ってきたのだろう。
 その中にはハンターもいたのかもしれない。
 この火山に、彼等のテリトリーに踏み込んだ者の命を幾度と無く奪ってきたに違いない。
 その風貌は最早“赤い死神”と呼んでもいい位だ。
 一人で居るときに狩り場で出会えば、とても戦おうという気にはならない。
 ━━━しかし、その死神の目の前にいる男は違う。
 細身の長剣をやや水平より下げて構え、ドスイーオスを正面に捕らえる。
 骨系の武器だろうか。
 その刃は片手剣の様に鋭く、大剣のように大きい。
 だがその一撃を受けてもドスイーオスには大して効いていないようだ。
 恐らく大剣の様に一撃の威力で攻めるのではなく、ある程度の手数を必要とするのだろう。
 彼の持つ武器は骨刀と呼ばれる“太刀”。
 シュレイド地方ではあまり広まっていないが、ここドンドルマでは頻繁に見かける事ができる。
 大剣の威力と、片手剣のスピードを併せ持つと言うのがコンセプトで、その性能は高水準で纏まっている。
 だが反面問題となるのは、太刀を扱うハンターの腕である。
 片手剣に迫る機動性を持つが、その長身の刃ゆえに小回りが利かない。
 大剣に迫る威力を持つが、その細身の刃ゆえに攻撃を受ける事ができない。
 一撃が命に関わる狩りでガードが出来ないのはデメリット以外の何でもない。
 その分大剣より軽く、速く動けるわけだが使いやすいかと言えば疑問が残る。
 男が手に握ってるいるのはそんな武器である。

 ドスイーオスが低く唸る。
『………』
 対して彼は無言、ドスイーオスが唸ろうが叫ぼうが反応する事はない。
 ただ、動くのならばその瞬間に切り捨てるだけだと刃をドスイーオスへと返す。
 彼の持つ太刀━━━名を骨刀【竜牙】という。
 竜骨を強化し、魚竜の素材や飛竜の牙を用いた武器である。
 そのリーチは2メートルをゆうに超える、何しろそれを扱う彼の身長より大きいのだ。
 如何にジャンプを得意とする鳥竜種のドスイーオスであってもこの距離を無事に越える事は難しい。
 事実一度目のジャンプは彼の一閃によって阻まれているのだ。
 いくらもモンスターと言えども一度痛い目を見れば学習する。
 ドスイーオスも分かっている、目の前の男を倒さなければ彼の後ろには行けないと。
 最もドスイーオスにとって彼の後ろ、つまりはリシェスを先に狙う意味などない。
 ドスイーオスの目的はテリトリーを侵した者を排除する事だ。
 ここにいるハンター“全員”を殺すつもりなのだ、この赤い死神は。
 故に目の前にいる男だろうと、後ろにいる女だろうとドスイーオスにとっては関係ない。
 男を殺してから、後ろにいる者達を殺せばいいのだから。
『………行け』
 不意に男が呟いた。
『え?』
『ええんやな?』
 リシェスにはその言葉の意味が理解できなかったが、彼の仲間はその意図を理解したらしい。
『でも………えッ!?』
 瞬間、男の持つ太刀が動いた、大きな孤を描きながら一直線にドスイーオスに斬りかかる。
 それと同時に後ろに引かれる、傍らに居た男が自分の襟を掴み走りだしたのだ。

『え?なっ……ちょっ!?』
 自らの身に起きている事が理解できない。
 足を動かしているわけでもないのに、移動している。
 これは一体どういう事なのだろう。
 自分は女だが小柄な方ではない、幾度かエレノアの容姿に憧れた事があるくらいだ。
 彼女ほどの身長ならば自分もう少し愛らしくなれたかもしれない。
 ━━━いや、今はそんな事を気にしている場合ではない。
 問題なのはこの男が自分を“掴んで走っている”と言うことだ。
 男の武器は大剣、その巨大な剣を振るには相応の筋力が必要となる。
 それはリシェスにも分かる、彼女も同じ大剣を使っているのだから。
 しかしいくら筋力があろうと、人一人を抱えて走るなど信じれない。
 実際に起こっているのだから信じるしかないのだが、それでも彼女は状況を飲み込めずうろたえる。
 女とは言え50キロはある、鎧を着ているので実際はもっと重たいはずだ。
 そんな彼女を掴んで走っているのだ、この男は。
 こんな状況を見れば、誰であっても混乱するに違いない。
『ちょっと黙っとき、舌噛むで!!』
『………!!』
 男に言われた時はすでに遅く、彼女は目に涙を溜めていた。
 言うならもう少し早くと心で悪態をついたが、それは彼に言っても仕方がないことだ。

『━━━掴む……』
(え……?)
 誰かの呟きを聞く。
 それは誰かに聞かせるために言った言葉ではない。
 その言葉の主は自分を掴んでいる男ではなく、ドスイーオスと戦う為に残った男。
 恐らく“それは”自らに言い聞かせる暗示の様なモノなのだろう。
 狩りの前に自らを奮い立たせる為に特別な事をする者は意外と多い。
 祈りであったり、歌を歌ってみったり、はたまた体操をしてみたりと。
 それはどんなものであってもいい。
 狩りに勝つ為に自らを落ち着かせる、鼓舞するのが目的なのだから。
 男が放った言葉も恐らくそういった類のモノだろう。
『………の魔剣━━━』
『は……ぅっ……!?』
 瞬間、ざわめきの様なモノが胸を掴む。
 息苦しいまでの重圧、それが彼女を息苦しくさせていた。
 それは殺気と呼べるモノではない。
 目の前にいる相手を憎み、命を奪う怨嗟の声。
 その気迫を受け、ドスイーオスも心なしか後ずさりしているようにも見える。
 男に引かれ洞窟へと入っていく瞬間、ちらりと見えた男の横顔はとてつものなく恐ろしい物に見えた。

クエスト☆☆☆☆<Side Eleanor>

『魔剣………ですか?』
 男が言い出した言葉に聞きなれない言葉があったので、聞きなおしてみる。
『殺眼の魔剣、だな』
 問い返された男は、片手で眼鏡を直しながらそう言った。
 魔剣━━━と呼ばれる曰くつきの武器は、度々見かける事ができる。
 その多くは詐欺師まがいの者が“本物に似せて”作ったものなのだろうが、実際に存在する物もあるのだ。
 曰く、それは多くの飛竜を狩った武器で、一度手にすれば何かに取り憑かれたかの様に狩りを始める。
 曰く、その武器を最初に手にしたハンターは狩り場で非業の死を遂げ、その武器は他者の命を吸う。
 曰く、その武器には伝説の龍の怨念が渦巻いており、手にした瞬間に発狂する。
 そんな御伽噺にしか存在しないような物が魔剣と呼ばれる。
 どんな辺境の村でも年寄りに話しを聞けば、大抵一つはこういった逸話が出てくる。
 その全てが本当というわけではないだろうが、その全てが嘘というわけではない。
『あの人達はそんな武器を持っているんですか………?』
 しかし自分はそんな噂話の様な物を聞きたいわけではない。
 確か自分はリシェスと共に行動する彼の仲間について訊ねたはずだが━━━ 
『いや、いくらわし等でもそんな武器は持っていない、《殺眼の魔剣》はフィール自身の力だな。
無論他の誰かが真似しようと思ってもできるわけじゃない。あれは“あいつだけ”の力だ』

 眼鏡の男は首を振ると静かにそう言った。
『その魔剣は一体どういった……?』
 それが気にならないわけは無かった。
 魔剣と銘打つならば、それなりの曰くがあるに違いない。
 本人だけが言っているのならばそれは虚言や戯言で済むが、他人が認めているのならば嘘ではない。
 勝手に称号や通り名を自称する者は多いが、彼の場合はそんなモノではないような気がした。
『まさか、仲間をどうこうするモノではないだろうな?』
 先頭を歩いていたウォーレンが問う。
 話を聞いていないのかと思っていたが、しっかりと聞いていたようだ。
 それもそうだろう、彼は眼鏡の男━━━ガラフを含め、《攻性の星》の事をあまり良く思っていない。
 彼等の事に関してならば聞き耳を立てたりもするだろう。
『仲間達を不幸のどん底に突き落とす……とかか?』
 ウォーレンは何も答えない。
 その背中は、問うているのはこちらだと言っている様にも見える。
『ふっ、そんなモノあるものか。それならばとっくにわし達は“あいつの傍から消えてる”。
フィールの魔剣はそんなものじゃない。どちらかというとあいつの優れた“能力”だな』
 何が可笑しいのか分からなかったが、彼は笑いながらそう言った。
 確かにその魔剣とやらが、仲間を巻き込んで不幸にするのならば彼には仲間など出来ないだろう。
 しかし彼等はチームを組んで長いと言っていた。
 つまりは“そういったモノ”ではないのだ。

『能力……?』
『うむ、それは━━━おっと、着いたぞ。無駄話はこれまでにして集中しろ』
 気が付くとそこは丘陵の中腹。
 地図で見れば《エリア3》と《エリア4》の境目だ。
 今回彼等と来た狩場は森と丘。
 豊かな森林と、広大な丘陵が特徴的な場所だ。
 《森と丘》自体は彼女の故郷であるフライダムの周辺も森と丘に指定されているので珍しい事は無い。
 ただそこから見える風景、生えている草、生息している昆虫などはそれとは全く違う。
 フライダムの森と丘、そしてこのドンドルマの森と丘は名前こそ同じであれ全く別の物だった。
 各地には色々な街や村があり、その地方により狩場は違う。
 当然同じ森であっても場所が違えば全く違う森になる、
 しかし大抵どこの狩場に入っても、他の狩場と違和感無く狩りを行う事ができる。
 それはハンターが狩りに集中できるように、ギルドが“似たような地形”を指定して狩場にしているらしい。
 時にはギルドが手を入れ地形まで変えているという噂もあるが、如何にギルドであろうとも自然にまでは手を加えれれない。
 出来たとしても邪魔な岩を移動させてみたり、多少の木々を伐採するくらいだろう。
 場合によっては植林をしたりするのかもしれないが。
 だがそれだけで十分なのである。
 狩場を標準化する事によって、森の奥深くへ迷い込むハンターを減らすこともできるし、狩りにおける効率も上げる事ができる。
 その為に自然に手を加えるのはどうか、という意見も王都ではあるようだが、それはまた別の話だ。
『待って下さい、話を最後まで━━━』
 言いかけた言葉を飲み込む、言い止まったわけではない。
 振り返った彼の目に射竦められ、言えなかったのだ。
『これは上位のクエストだぞ、楽しくお喋りしながら勝てると思うな』
 そう言った彼の目は間違いなくハンターのモノだった。

『う………』
 眼鏡の奥から覗く冷たい目で睨まれる度に、背筋に冷たいモノが走るのを感じる。
 怒っている目だとか、睨まれている目といった程度のモノではない。
 それは“確実なる殺気”。
 いくつもの命を奪ってきた者だからこそ持ち得る目だ。
 数え切れないほどのモンスターと戦い、その手に余るほどの命を奪い、また同じだけ死地に立たされてきたのだろう。
 彼に覚える恐怖は、以前ウォーレンから受けたモノとはあまりに違いすぎる。
 ウォーレンから受けたのは恐怖だった。
 だが今、彼から感じるモノは恐怖ではない、どちらかといえば“戦慄”である。
 それは狩場で飛竜に遭遇した時に感じるモノと似ている。
 一際鼓動が大きくなり、全身の毛が逆立つ様な感じ。
 彼から感じる恐怖はまさしく“それ”だった。
 つまり彼の殺意は飛竜と同じくであるという事。
 己が生きる為に、命を奪う。
 それは即ち純粋なる殺意に他ならなかった。
『待て。途中まで話をしたんだ、最後まで話してくれてもいいだろう。
続きが気になって狩りに集中できない、という事はないが、知らぬよりは知っている方がいい』
 エレノアが喋れなくなったのに気が付いたのか、彼女を庇うようにしてウォーレンが前に出る。
 しかし彼もガラフの殺意には困惑しているらしく、彼の言葉尻にいつもの覇気が感じられなかった 
『…………』

 彼も恐れているのだろうか。
 目の前にいる男は年齢こそ自分より下だが、ハンターとしての腕は男の方が上だ。
 戦いに関しての知識や経験で明らかにウォーレンの方が劣っている。
 もし男と争うことにでもなれば、勝敗は火を見るより明らかだった。
 彼がハンマー使い、そして男がガンナーである事を考慮してもそれは変わらない。
 戦いは腕力だけで決まるものではないのだ。
 如何に力自慢のウォーレンであっても、彼を“掴めなければ”意味は無い。
 万に一つもそんな事はないだろうが、男が自分達を殺そうと思えば男は離れた場所からでもそれを成し得る。
 先にも言った様に男はガンナー。
 大砲の如き威力を持つボウガンを手に飛竜を狩るハンターだ。
 主に遠距離からの狙撃を目的としたへヴィボウガンと呼ばれる武器である。
 威力を得る代償に重量という枷を背負っているという点では、ガラフとエレノアは同じである。
 しかし、動きまで同じだろうか。
 そして同じスピードでボウガンを組み立てられたからと言って、彼女に男を撃つ事はできるだろうか。
 男と争うにしても、今のままでは状況が悪すぎる。
 ━━━否、男と争うべきでないのだ。
 ここで争っても、自分たちが得る物はない。
 そればかりか“失う物はいくらでもある”という状況。
 ならば素直に男に従う方が利口である。
 男は依然として黙ったままである、だが殺気は先ほどと変わらず発し続けている。
 その重圧に耐えているウォーレンが息を飲む。
『……話したくないと言うのなら、構いません。ウォーレンもそれでいいでしょう?』

 このままここで無駄な言い争いをしていても仕方がない。
 狩りの時間とて無限ではないのだし、何よりも男の心象を損ねても得な事なの何一つとしてないのだ。
『むぅ………』
 ウォーレンもそれは分かっているのだろうが、納得できないようだった。
 やはり彼くらいの年の人間ならば、年下に偉そうにされるのは納得がいかないのだろうか。
 とは言ってもハンターの世界は実力がすべての世界である。
 年も性別も家柄も関係ない。
 どんな人物であっても、飛竜を狩れるのならば英雄と呼ばれる。
 人格的に問題がある場合は別だが。
『…………』
 対して男は無言。
 眼鏡の奥で、不気味な眼光を光らせているだけである。
 やはり機嫌を損ねてしまったのだろうかと、エレノアは下唇を噛んだ。
 ベースキャンプでもそうだったが、男とウォーレンは相性があまり良くないらしい。
 一直線なウォーレンと、どこか斜に構えた感じのするガラフ。
 よく考えなくとも相性が良くないことは分かる。
『お前達は何しに来たんだ?』
 誰もが何も言えないような雰囲気の中で、ガラフがふと呟いた。

『え……?』
 エレノアとウォーレン、二人の声が見事に調和した。
 驚く二人を前にガラフだけが、不愉快そうな表情を浮かべている。
 やはり気を悪くしたのだろうか。
『お前達は何しに来たんだ?』
 その問いが何を意図したものかを分かりかねていると、男はもう一度同じ言葉を吐いた。
 聞こえなかったわけではない、答えなかったのはそれがどういった意図で質問しているのか分からなかっただけだ。
 だが、答えないのがさらに気に入らないのか、男はさらに表情を曇らせた。
 睨んでいる━━━といってもいいその瞳には先ほどまでの殺意ではなく、明らかな苛立ちが感じられる。
『私達は………』
『わしにガンナーとしての“戦い方を教えて欲しかったんだろう?”だったら何故フィール達の事を気にするんだ?
集中しなければ命を落とすのは下位でも上位でも同じだ。
それはお前達にも分かっているだろう、それなのに何故他の事を気にする?』
 言いかけた言葉を遮るかの様に男が口を開いた、“その答えは違う”と言うかの様に。
 その言葉の節々には刺々しいほどの怒気が混じっている。
 男の言葉を聞き、エレノアはようやく男が何に怒っているのかを理解した。
 あれはルインとリシェス達が火山と呼ばれる狩場に出発してすぐの事だった。
 ウォーレンと二人取り残された彼女は、手持ち無沙汰だったのだろう。
 目に前にいる上位のハンターに興味が沸かないはずはない。
 明らかに自分の数歩━━━いや、数十歩先に進んでいる者が目の前にいるのだ。
 知識を己が武器とするガンナーにとって、これほど興味深い物はない。
 故にエレノアが男に話しかけるのは自然な流れだった。

『じゃあ行って来るね、エレノア』
『えぇ、気をつけて言ってきてください。あまりルインに無理をさせてはいけませんよ』
『わ、分かってるわよ!』
 ギルドの大老殿にある出発口から、出て行く友人を見守る。
 長い階段を降りていけばその先にはアプトノスの引く馬車が待っている。
 今度の狩場は火山だと行っていた。
 見送る彼女も、出発するリシェスも行った事はおろか聞いた事もない場所だった。
 ウォーレンだけは知っているようで、随分苦い顔をしていたが、止める事はなかった。
 彼等━━━《攻性の星》が指定したのはルインだけだったのだが、それをリシェスが黙って許すわけがない。
 彼女が着いていく、と言い出すのは当然だと思っていたし、止めれる訳がないこともエレノアは分かっていた。
『行ってしまうな……』
『えぇ……』
 いつの間にか横に立っていたウォーレンがため息と共に漏らした。
 内心置いてかれた様な感じがある。
 上位のクエストと言えば、今の自分達では参加できない。
 いや、この先フライダムに居ればいつまでたっても上位のクエストに参加する事はないだろう。
 そこでは未だ見たこともない素材やアイテムも手に入る。
 それらがあれば、今よりも格段に強い装備が整えれるだろう。
 そんな上位のクエストに、ルールを無視しているとは行っても“連れて行ってもらえる”のだ。
 これが羨ましくないわけはない。
 だが同時に恐ろしくもあった。
 より強い、より珍しい素材を入手する為にはそれに見合った危険が付きまとう。
 それはどんな世界でも同じ、危険を冒した者だけがそれに見合った対価を手に入れれるのだ。
 今より強い武器や防具を手に入れれるという事は、今より強いモンスターと戦うと言うこと。
 彼女等ハンターが持つ装備は、その殆どがモンスターの素材から作られている。
 装備の元となる素材を入手する為にはそのモンスターを倒さなければならない。
 倒すことができなければその素材を手に入れることはできない、それは子供でも知っている常識だ。
(リシェス……)

 いつもと同じ笑顔を浮かべながら階段を降りていくリシェス。
 その様子はこれから上位クエストという危険な狩りに挑むとは思えないものだった。
 上位のクエストがどれほど危険なのか彼女は分かっているのだろうか。
 ━━━分かっている、恐らく彼女も分かっている。
 下位のクエスト、それも小型の飛竜に手古摺る様な自分達が挑んでいい様なクエストではない事も。
 そしてこの別れが“最後”になるかもしれないという事。
 分かっていて彼女は尚笑っているのだ。
(それは……)
 それは彼女の隣に彼がいるから。
 どんなクエストであっても、どんな辛い事があっても笑っていられる。
 彼が傍にいるから、彼が隣でリシェスを支える事ができるから。
 事実彼は本当に自分達を助けてくれた。
 彼が居なければ今の自分はとうに冷たい土の中にいる可能性だってあった。
 だからこそリシェスは彼を頼り、彼はまたリシェスに応えるだけの力があった。
 そんな彼にリシェスが惹かれていくのは当然だと思った。
 彼の話をする時、リシェスは本当に嬉しそうに話していた。 
 今まで自分と話をしている時にあのような笑顔を見せてくれた事があっただろうか。
 ━━━恐らくあったのだろう。
 あったのだろうが、今では思い出せない。
 彼に、ルインにどこか自分の居場所を奪われたかの様な錯覚を覚える。
『どうしたの、エレノア?顔色が悪いみたいだけど……?』 

 思わず飛び上がりそうになるのを寸前のところで抑える。
 声をかけてきたのはルイン、てっきりもう“彼等”と一緒に発着場へと降りて行ったと思っていたのだが。
『い、いえ……なんでもありません』
 驚いたせいか早くなる鼓動を必死に抑えながら言う。
 その様子が何でもなくはないと告げているのだが、他に言い様もなかった。
 当然彼がそんな態度を見逃すはずもないのだが、予想に反して彼は遠慮じみた問いかけを投げかけてきただけだった。
『そう……?』
『ええ、大丈夫です。ルイン、今は余計な事を気にかけている場合ではありませんよ?』
 心配する事など何も無い、という様に彼の問いに即答で返す。
 少々素っ気無い感じもしたのだが、今更この程度で心象を悪くする間柄でもない。
 思えば彼にはずっとこんな感じで接して来た様な気がする。
 彼が自分に対して少し遠慮気味なのは恐らくそのせいだ。
 自分もリシェスと同じ様に彼と仲良くなる時間はあった。
 だがそうならなかったのは、彼が近づけない様にと無意識に言葉で阻んでいたからかもしれない。
 そう思えば思うほど自分が嫌になり、ますます彼に対して溝ができていった。
『━━━そうだね、今はこのクエストの事だけ考えるよ。油断したら命が無いっていうのは、どのクエストでも当たり前だしね』

 そう言うと彼は少しさびしそうな顔をした。
 まただ、またやってしまったと心の中で毒づく。
 どうして自分はリシェスの様に振舞えないのか。
 もう少し可愛げのある笑顔でも振りまけたのなら状況も少しは変わっていたかもしれない。
 いくら彼が優しくとも、相手が突っぱね続けるのならいずれ愛想も尽かされる。
 分かってはいるのだが━━━
『えぇ、気をつけて。リシェスもいるのですから、あまり無茶をしないでください』
 分かってはいるのだが、出てくる言葉は相変わらず他人行儀なモノだった。
『うん、そうだね……』
 彼は少し困った様な顔をしながら苦笑いを浮かべ、階段へと向かった。
 ひょっとしたら彼も不安なのかもしれない。
 ルインが強いといってもそれは“自分達から見れば”の話で、他のハンターからみれば普通と大差は無い。
 素質はある、とウォーレンは言っていたが、今はまだ経験も浅くその戦い方は危うい場面もある。
 つまり彼は少し強いルーキーなだけなのだ。
 決して上位に通用するハンターなどではない。
 彼ほどの年齢で上位のクエストを請け負えるハンターなどいるほうがおかしいのだ。
 今から挑むクエストに彼が不安を覚えるのも当然だと言える気がした。
(あ……)
 ひょっとして、彼は自分に“何か”を言って欲しかったのではないだろうか。
 運が悪ければこれで会えるのは最後になる可能性もある。
 そんなクエストに出発しようとしているのだ、彼とて何か言葉をかけてもらいたいのかもしれない。
『る、ルイン!!』
『……?』
 気が付くと彼の名前を呼んでいた、余程大きな声だったのだろう隣に居るウォーレンが目を丸くしている。
 ルインはこちらを振り返り、不思議そうに自分を見つめている。
 彼を呼んだのは自分なのだが、こういう状況に慣れていないせいか身体の温度が上がるのが分かる。
 慣れない事をするものではないと心の中で呟く。
『そ、その……気をつけて』

 自分でも顔が紅潮しているのが分かる。
 こんな台詞を言うのに、何故こんなにも恥ずかしいのか。
 仲間の間でならこれくらい当然だ、恥ずかしがる理由など何一つ無いと言うのに。
 彼も恐らく呆れているだろう。
 わざわざ呼び止めて、掛けられた言葉が“その、気をつけて”。
 恥ずかしい。
 他にもっといい言葉は無かったのか、いやあった筈だ。
『……エレノア』
 彼の言葉を聞き、咄嗟に伏せていた顔を恐る恐る上げる。
 顔を上げればそこにはきっと呆れたルインの顔が━━━
 違った。
 いつの間に戻ってきたのか、目の前にあった彼の顔はとても嬉しそうに笑っていた。
(この笑顔は……)
 この笑顔はいつも彼がリシェスに見せていた表情だ。
 いつも一線を置いていた自分には向けられなかった顔。
 それが今目の前にある。
『な、何ですか……?』
 恐る恐る問いかけてみると、彼は少し戸惑いながらも手を差し出してきた。
『………?』
『ありがとう、エレノア。俺も……その、リシェスもきっと無事に帰ってくる。きっと帰ってくるから!』
 ルインは照れた様な微笑みを浮かべながら手を差し出している。
 一瞬どうすればいいのか分からなかった。
 “彼の手を取り、握り返せばいい”というただそれだけなのだが。
 すぐに“それ”に気付き、彼女は慌ててルインの手を握った。
 ハンターアームの手甲越しだったが、彼の手はとても暖かい気がした。
『えぇ、二人とも無事に帰ってきてください。私もウォーレンも待っていますから』
 ルインも考えていたのは同じだろうか。
 彼にも自分の手は暖かいと思ってもらえただろうか。
 そっと彼の顔を見ると、彼は微笑んでくれた。
 考えが伝わったわけではないだろうが、それでもエレノアは嬉しかった。
 近くて遠い存在だった彼との距離が縮まった気がした。

『じゃあ行ってくるよ』
 ルインはそう言うと再び階段へと向き直った。
 ちらりと見えたその横顔は、何だか照れくさそうな表情をしていた。
『ん?もう出発したのか』
 不意に誰かが呟いた。ウォーレンではない、振り返るとそこには眼鏡をかけた男が立っていた。
 仲間を見送るわけでもなく、ただそこに立っている。
 これが今生の別れになるかもしれないというのに、男からはそんな気配は全くと言っていいほど感じられない。
 よほど仲間を信じているのだろうか━━━
『あらガラフ、もうフィール達は出発したわよ?』
 男の問いに答えたのは、凛とした女の声。
 この大老院のギルドカウンターを受け持つ竜人族の女性で名をアーレミリス。
 彼女達竜人族は人間と比べて遥かに長い寿命を持つと言われている。
 しかし彼女は“それよりも”大人びた感じを漂わせている。
 神秘的というのだろうか、竜人族の者にはそういった印象を受けるのだが、彼女からは一際強く感じる様な気がした。
『そうか。━━━火山だったか、今回の狩場は?』
『えぇ、そうよ。鎧竜が引き続き貴方達《攻性の星》の目標ね。前回は……』
『前回は組んだ奴が悪かったんだ。伝説の封龍剣を持っているからと期待したのに“あの様”だ』
 今回の狩場と言うのは、先ほどルインが出発した場所の事だろう。
 男は眼鏡を直しながら奥のテーブルへと歩いていく。
『まぁ確かに彼が“あの手合いの者”って事は分かっていたんだけど……』
『━━━分かっていたのなら何とかしとけ。それがお前達の仕事だろう』
『…………』

 困った様な微笑みを浮かべるアーレミリスにガラフは冷たく言い放つ。
 いくらギルドが登録されているハンターを管理していると言っても、それは完全ではない。
 このドンドルマの街だけでも毎日三十人近くの人間がハンターとして登録しにくるのだ。
 各街や村で登録されているハンターの数にいたってはギルドもその総数を把握できかねているのだ。
 また、同じ様に“消えていくハンターも少なくない”。
 命を賭した狩りに敗れた者。
 また不慮の事故によって行方が分からなくなる者も多い。
 中にはクエストに出発する最中にいなくなる者もいると聞く。
 その者が事故にあったのか、それとも途中で恐ろしくなって逃げ出したのかはわからないが。
 日々多くの者が登録にやってきてはそれと同じくらいの人間が居なくなる。
 故に訳の分からない人間がハンターとして潜り込む事もある。
 それは犯罪者であったり、気が触れた者であったりする。
 ギルドも何とかしようと対策を講じているようではあるが、その効果のほどは言うまでもない。
 そういった手合いの者は“抜け穴”を探すのに長けている。
 入り込む前に探し出す事の方が難しいとも言えるのだ。
 故にギルド側はその殆どを“見逃している”とも言える。
 見逃している、と言えば語弊があるかもしれないが、実際は対策が後手に回っているのが現状だ。
 ギルド側の対応を見れば“泳がせている”と言った方が適切かもしれない。
 即ち、その者がハンターとして問題を起こすまでは過去に何をしていても不問とする。
 それが現状のギルドの対応だ。
 ガラフが言っているのはそう言った者と組まされた事なのかもしれない。 
『まぁお前さんに言っても仕方のないことだがな』
『そう言って貰えると助かるわ』

 彼女はゆっくりと息を吐くと、元の笑みに戻った。
 ふと彼女がこちらを振り向いた、その瞬間視線がぶつかる。
 見つめているのに気付かれたのだろうかと、一瞬心臓が跳ねる。
『それで貴女達はどうするの?お友達はフィール達と行ってしまったものね?』
 優しく微笑みながらアーレミリスが問いかけてくる。
 思えば自分達が“ここに居る事自体が異常”なのだ。
 いくら《攻性の星》に連れて来られたといっても、本来自分達が立ち入れる場所ではない。
 そんな場所にいつまでも居る事を彼女達が許すだろうか。
 この場所に連れて来られるのは、恐らくルインだけだったはず。
 そこにあつかましくも同席していたのだ。
 この大老院の中を見物できただけでも良かったのかもしれない。
 自分達の実力でこの院の中を見物できるのはまだずっと先の事だ。
 ━━━いや、もしかしたらそれは叶わないかもしれない。
『まぁそう邪険にしてやるな、ここに連れて来たのはわし等だからな。
勝手に連れて来られてさぜ迷惑している事だろう』
『え?いいえ、そんな!そんな事はないです!』
 思わぬところから助け舟が出た。
 しかしその事に驚き、つい声が大きくなってしまった。
『あら?じゃあこちらのお嬢さん達は貴方のお客さんなの?』
 驚いたのは彼女も同じなのか、目を細めながら男に問う。
『ん?あぁ、そんなもんだな。まぁ安心しろ、わしはフィールみたいに無茶は言わん』
『ふふ……そうかしら?』
 酒を飲み干すと彼が言う。

 そんな彼にアーレミリスは悪戯っぽく微笑むと院の奥へと戻っていく。
 そこにはこの院の、いやドンドルマの長である大長老と大臣がいる。
 これまでの経緯を報告しているのかもしれない。
 彼女がいくらギルドマネージャーであったとしても、不許可で下位のハンターを上位クエストに出発させる事はできない。
 その許可を出せるのはギルドマスター、即ち大長老なのだ。
 この街の全てを取り仕切る大長老は、かつてこのドンドルマの街を切り開いた者の末裔である。
 特徴的なのはその体躯。
 この大老院に入った瞬間ルイン達が言葉を失った程に、大長老は巨大である。
 その体躯からみて人間種族ではないと思われるが、詳しい事は教えてはくれなかった。
 また大長老自体が優秀なハンターであるらしく、その背に携えた刀で老山龍の頭を一刀両断にした、という逸話まである。
 最も、老山龍の存在自体が眉唾モノなのでどこまでが本当なのかは分からないが。
 それでもその巨大な身体から繰り出される攻撃は、巨龍ですら怯むかもしれない。
 何せ大長老が使う“脇差”が、ハンター達が一般に使うとされている太刀ほどの大きさを持つのだ。
 大長老が背にしている刀など、普通のハンターは構えることさえできないだろう。
 それほどまでに大長老は巨大だった。
 そしてその横にいるのが大臣、竜人族である大臣は小柄である。
 人間種族の一般男性の身長よりも遥かに小さい。
 ココットの村長や、ミナガルデギルドマスターも小柄との噂だ。 
 ひょっとすれば竜人族の男性は皆、身長が低いのかもしれない。
 隣に大長老がいるせいか、大臣がさらに小さく見えるのだ。
 しかしこの大臣はドンドルマでも屈指の頭脳を誇り、大長老の右腕としてその知識を生かしている。
 また飛竜の生態観測にも詳しく、この街に古龍観測所を設けたのも大臣だとされている。

 この二人無くして、今のドンドルマは存在しない。
 街を支えるのはハンターであるが、それを纏める者が彼等であり、ギルドなのである。
『あら、まだおられたのですか?』
 春風の様に優しい声が耳を撫でる。
 その声に誘われ視線を向けると、そこにはオルタンシアが立っていた。
『ええ。お邪魔なのは分かっていますが、まだ“居させて頂いています”』
『━━━失礼したしました。その様な心算で言ったわけではなかったのですが……』
 エレノアの返答にオルタンシアは少し困った顔をしたが、姿勢を正すと深く頭を下げた。
 そうすると今度はエレノアが困る。
 嫌味に聞こえる様な事を言われたとは言え、それに嫌味で返せば同類である。
 ましてや相手の方に先に頭を下げられれば気まずい事この上ない。
『い、いえ構いません、お邪魔なのは事実でしょうし……』
『そんな事はないと思いますが』
 エレノアが慌てて言う。
 オルタンシアは微笑みでエレノアの危惧を否定するが、彼女の思いは勘違いなどではない。
 いくら大臣の許可を貰ったと言っても、下位のハンターが上位クエストに出発するなどというイレギュラーが許される訳がない。
 ましてやその行為を行ったのが“あの”《攻性の星》だというのだから一際である。
 事実この場所にいる彼女とウォーレンを見る周囲の目はやや冷たい様に感じていた。
『あいつらはもう出発したのか?』
 一瞬の沈黙の後、口を開いたのは眼鏡の男。
 すでに酒が回っているのか、頬がやや朱に染まっている。
『はい。ルイン様の準備も終わったようですので、先ほど出発されました』
 淡々とオルタンシアが応える。
 その受け答えを見ているとギルドの受付嬢の様に思えた。
 もっともギルドの受付嬢達は彼女の様に武器を背負って狩りには行かない━━━だろうが。
 ふとガラフの視線がこちらを向いているのに気が付いた。
『で?お前達はどうするんだ?』
『………?』

 どうする、と言われても困る。
 いきなりこんな場所に連れてこられて、しかも仲間であるルインとリシェスと連れて行かれたのだ。
 初めての街でいきなり放り出されても困るのは当然である。
 本来なら仲間であるルイン達と一緒にどのクエストに行くのか話あったりしているはずである。
 それが今はこんな場所にウォーレンと二人きり。
 ハンマー使いであるウォーレンとガンナーであるエレノア。
 組み合わせ的にはあまり好ましいものではない。
 ガンナーの中でも火力重視だと言われているへヴィボウガンを彼女は使う。
 火力よりも機動力を持つライトボウガンとは違い、へヴィボウガンは火力を最重視している。
 故に自由に動き回る事はできず、狩場では危険に晒される事も多い。
 へヴィボウガンの立ち回りは幾つかあるのだが、大まかに分けて三つ。
 一つは“完全に安全な位置”からの狙撃。
 一発の火力が大きいへヴィボウガンだからこそできる戦い方である。
 一つは仲間がモンスター達を攪乱、あるいは引き付けその瞬間を狙い攻撃を行うという方法。
 自身はなるべく動かず、的確にモンスターを撃ち抜いていく腕が求められる。
 一つは完全に自分の力でのみ戦う事。
 敵の動作に合わせるのでなく、豊富な弾種の全てを十分に発揮し“モンスターを思い通りに動かす”戦い方。
 危険は伴うが、モンスターに近づけばその分弾の威力が増す。
 至近距離で放たれた弾は飛竜の鱗といえども貫ける。
 また一人だからこそ使える散弾という弾も存在する。
 それらを使って戦うのだ。
 ━━━だが。
 初めての土地で安全な場所を見つける事は容易ではない。
 敵の注意を引き付けてくれる仲間も居ない。
 ウォーレンが使う武器はハンマーで敵を引き付けるのには向かない、どちらかと言えば片手剣使いであるルインの方がまだ向いている。
 また一人で戦えるだけの実力が彼女には無かった。
 考えは同じなのか、横にいるウォーレンも苦い表情を浮かべていた。
『何も予定はないのか?』

 男の言葉に俯く。
 何の予定も立てれない様にしたのは、自分達だと言うのに。
 しかしこの男に責任があるわけではない。
 それは分かっている、だからこそ俯くしか出来なかった。
『そうか、無いのか……』
 男はそれだけ言うと、腕を組み何かを考えているような仕草をした。
『どうかしたのですか、ガラフ様?』
『………』
 その様子を疑問に思ったのか、オルタンシアが問いかけてみるがガラフは答えない。
 この男も装備を見ればガンナーだ。
 一度考え込むと長いのかもしれない。
(ガンナー……、そうかこの人はガンナーなのですね)
 じっと考え込む男を見て、エレノアの頭に何かが思い浮かんだ。
『あの……』
『………』
 息を飲み、意を決して男に話しかける。 
 だが男は先ほどと同じく無言、いきなり出鼻を挫かれてしまった。
 親しくは無いだけに最初の質問から無視されてしまうとどうも話しかけ難い。
 しかしここで会話が出来ずに時間だけ過ぎても後悔するだけだ。
『あの……』
 先ほどと同じ言葉をもう一度繰り返す。
『さっきから何だ?聞こえているから早く言え』

 聞いているなら返事をしろ、と心の中で愚痴る。
 間違っても声に出してはいけない。
 もし声に出そうものなら。ここから先の話に良い返事は期待できない。
『あの、その貴方はガンナーなのですか?』
 エレノアの問いに男は一瞬呆気に取られた様な顔をした。
『お前もガンナーだろう、装備を見て分からないのか?』
 返ってきたのは予想通りだった。
 もちろん装備を見て、この男がガンナーだと言うのは分かっている。
 同じ飛竜の素材を使った装備であっても、剣士とガンナーでは形状が違う。
 戦い方が異なるのだからそれは当然だ。
 この男が装備している防具は初めて見る物だったが、それでもこの装備はガンナーの物であると分かった。
『いえ、私が聞きたいのはヘヴィかライトか、という事です』
 この様な問い方をすれば男は必ず“そう”返してくるのは何となく分かった。
 男が意識しているのかどうかは分からないが、多少人を見下すところがある。
 それは彼が余程の自信家なのか、それもともただ単に“そういう性格”なのかは分からないが。
『ん?見て分からないのか?』
『え……?』
 見たところ男はボウガンを背負っていない。
 それでどうして男がヘヴィボウガンかライトボウガンかと見分けろというのか。

『分からないのか……』
 男は残念そうに息を吐くとこちらに向き直った。
『ライトボウガンとヘヴィボウガンはどちらもボウガンだが、その違いは防具に出てくる』
 じっとこちらを見つめた後、男はそう言った。
『防具に?』
『そう防具だ。同じガンナーであっても、ライトとヘヴィのボウガンでは戦い方が違う。
わしの肩を見てみろ』
 言うと男は自分の肩をこちらに向けてみせる。
『……?』
 だが男が何が言いたいのか分からなかった。
 所々擦って出来た様な傷が付いているが、それ以外は何の変哲も無い装備だった。
 男が装備していたのはバトルシリーズと呼ばれる防具。
 その動き易く、汎用性の高い性能は初心者から上級者まで愛されている。
 ただそれだけの防具だ。
 特に珍しい素材を使うというわけでもない。
『擦り傷か』
 不意に横にいたウォーレンが口を開いた。
 彼の言葉に満足したのか、男はゆっくりと口元を緩めた。
『そう、この擦り傷こそがわしがどちらのガンナーなのかを物語っている』

 物語っている━━━などと言われても、防具はこちらに喋りかけてくるわけではない。
 防具に付いた傷や、汚れが何を意味するのかが分かる様になるには経験がいる。
 武器や防具が語りかけてくる、などと虚言染みた事を言う者がいるが、全てが“そう”なわけではない。
 長い年月を経て、培われた経験が“道具の声を聞く”のだ。
 大剣の達人は、他の者の刃を見て、その者がどんな戦い方をするのかが分かるという。
 扱う年月が長くなればなるほど、使用者の癖が道具に染み付く。
 それは一朝一夕で身につくモノでもないし、見分けれるものでもない。
 つまり今のエレノアに、男がどちらのハンターかを見分ける事はできなかった。
『分からないのか?』
 それを見透かしたかの様に男が言う。
 その目は蔑みでも怒りでもなく、どちらかと言えば驚いている様にも感じた。
『すみません、教えて頂けますか?』
 エレノアは男から視線を外し、少し頭を下げた。
 何故そんな問答の様な事をするのか、素直に教えてくれればいいではないかと言った言葉が頭をよぎる。
 だがそれを口にしたところで男が素直に教えてくれる理由も無い。
 ならばここは素直に教えを乞う方が利口だ。
『うむ。ガンナーにはライトとヘヴィがあるな、そのどちらかで言えばわしはヘヴィガンナーだ。
ヘヴィボウガンはライトボウガンとは違い、弾を撃つには銃を組み立てねばならん。それは分かるな?』
『ええ』
 ガラフの問いに一言で答える。
 それは言われなくても分かっている。
 駆け出しだが自分もヘヴィボウガンを扱うのだ、そうでなくても大抵のハンターならばその位は知っている。

『だったら分かるだろう』
『えっと……』
 男は何が言いたいのだろう。
 男の意図が全く読めない。
 “分かるだろう”と言われても困る。
 男の言葉はまるで謎かけだ、こちらが困るのを楽しんでいるかの様に見える。
 一度に教えてくれればいいものを、少しずつヒントを与えこちらが困惑するのを楽しんでいるのだろうか。
 もしそうならば━━━
(なんて趣味の悪い……)
 心の中で悪態を付く。
 上位のハンターであるガラフと、下位のそれもまだ初心者に近いエレノアでは条件が違う。
 同じヒント、同じ状況下であっても辿りつける場所が違うのだ。
 故に男が彼女に謎かけの様な事をしても意味は無い。
 ガラフが知っていて当然な事もエレノアにとっては“知らなくて当然”な事もある。
 自分が知っている事は、他人も知っているなどと勘違いも甚だしい。
 エレノアの心の中を読んだ、というわけではないだろうが男の眉がピクリと動く。
 ひょっとしたら多少は表情に出ていたかもしれない。
 何か言わなくては、と思った瞬間。
『エレノア様は狙撃をメインに戦われるのですか?』
 そんな問いが向けられてきた。
『狙撃?』

 言葉の主はオルタンシア、ガラフの態度に困惑するエレノアを見かねて助け舟を出したといったところだろう。
 それに対し男は怒る━━━わけでもなく、目を伏せ彼女の言葉を待っている。
『はい。ガラフ様のお言葉にその……実感が湧かないようでしたので』
『………』
 実感が湧かないのではない。
 この男が何を言っているのか分からなかっただけだ。
 エレノアとこの男達ではハンターとしての経験に差がありすぎる。
 同ランクのハンターの心算で話をされても、こちらには理解できない事が多すぎるのだ。
(駆け出しだからと馬鹿にして……)
 恐らくそんな心算はオルタンシアにはないだろう。
 男の方はどうかわからないが、彼女はそんなタイプの人間には見えない。
 経験とは過ごしてきた時間。
 自分より先に生まれた者がいるのなら、自分より経験を持つ者がいるのは道理である。
 偉大なる先人達が気の遠くなる様な道程の果てに辿り着いたのが、この武器であり防具であり道具だ。
 多くの血を流し、多くの命を失い、また多くの命を奪って。
 紆余曲折の果てに人は狩りの方法を確立した。
 多くのハンターは先人達の知識を基に、“歴史をなぞっているだけ”だ。
 故に知らないのを恥じる事もないし、他のハンターに劣等感を抱く必要も無い。
 頭では分かっているが、そういった感情はどうしても生まれる。

 目の前にいる相手が高名であればあるほど劣等感は強くなる。
 誰もが通ってきた途、そう言う者もいるがそれは違う。
 “誰もが通ってきた途”など存在しない。
 大多数の人間は駆け出しの頃に多くを経験し、その後に実力へと昇華させる。
 だがそれはあくまで“多くの人間”が通ってきた途であるだけで、誰もがではない。
 偉大なる先達を前にした劣等感は、経験した者にしか分からない。
 目の前にいる男はひょっとしてそういった事を経験したことがないのだろうか、とエレノアは思ってみる。
『そうですね、ガラフ……さんの言われている事は良く分かりません』
 思わず呼び捨てにしてしまいそうになったので、ぎこちない返事になってしまった。
 男は呼び捨てにされたくらいでは怒りはしない━━━だろうが、下手に出ておくに越したことは無い。
『………』
 対して男は無言。
 怒気は感じられないので怒っているわけではないようだ。
 ━━━とは言っても、楽しいわけでもなさそうだったが。
『わかりました。では私がガラフ様の代わりに説明いたします』
 言ってオルタンシアは横のガラフに視線を向ける。
『わしは構わんぞ、説明してやれ』
『はい』

 彼女はそう言うと小さく頭を下げ、一歩前に出た。
 恐らくお辞儀は自分より高ランクのハンターであるガラフに向けてものだろう。
 彼の手前で説明役を買って出たのだから、気を遣ったのかもしれない。
 もっとも男はそんな事を気にした様子も無く、近くの竜人族の女性に注文をしている。
『それでは始めさせて頂きますが、その前に質問をよろしいですか?』
『私で答えられる事でしたら構いません』
 嫌味で言ったわけではないのだが、オルタンシアが少し困った様な表情を浮かべた。
 しかし逐一訂正していたのでは話が先に進まない。
 エレノアは小声でどうぞ、と彼女を促した。
『エレノア様は狩場でどういった戦い方をされているのですか?』
『えっと……』
 彼女の質問に面食らう。
 どういったと言われても、質問の幅が広すぎて説明しづらい。
 そもそもガンナーである以上は中ないし遠距離での攻撃がメインとなる。
 そんな事は彼女もハンターならば知っているはずだ。
 つまり彼女の質問は“そういった事を聞いているわけではない”のだろう。
 ならば何を聞かれているのかと、エレノアは心で自問を繰り返す。
 その様子を男が運ばれてきた果実酒に口を付けながら眺めている。
 男の表情からは何も読み取れなかったが、それが逆に不気味だった。
 こちらを見下しているわけでもない。
 回答に期待しているわけでもない。
 ただ見ているだけ。
 男はただ“そうしている”だけだった。

『そうですね、では聞き方を変えますね。エレノア様はルイン様とチームを組んでおられるのでしょう?』
 そんな男とは違い、オルタンシアが依然笑顔を崩さずに問いかけてくる。
『ええ。村ではここに居るウォーレンとルイン、あとルインに付いて行ったリシェスと組んで狩りを行っていました』
 自分達が四人で狩りをしている事を言わなくても彼女は知っているだろう。
 だが彼女が質問をしているのなら答えねばならない。
 分かりきった質問をしている時は、こちらに“何かを分からそう”としているからだ。
 彼女が何が言いたいのかはまだ分からないが、考えを一度白紙に戻した方がいいのかもしれない。
 彼女ははい、と小さく頷くと次の質問を口にした。
『ではその時の各々役割を教えて頂けますか?』
『………』
 彼女の口から飛び出したのは、またも“意味の無い質問”。
 片手剣使いと大剣使い、ハンマーとヘヴィボウガンのチームで各々役割等説明するまでも無い。
 からかわれているのだろうか、内心エレノアは悪態をつく。
 オルタンシアの表情は変わらず笑顔のまま、逆にそれが腹立たしく思えてくる。
 横にいるウォーレンは何も言わない、静かに目を伏せているだけだ。
 前にいる男も同じである。
 自分だけが取り残されている様な感覚に陥る。

『四人で狩りをするときでいいのでしょうか?』
『はい、構いません』
 しかしこれではいけないと、心で自分に言い聞かせる。
 分からないのは仕方の無い事だと、ならば分かるまで教えて貰えばいいのだと言い聞かせた。
 村にいては彼女達の様な高ランクのハンターと話をする機会などまずない。
 ならば恥を棄て、聞けるモノは聞いて置いた方が自分の為になる。
 その為にはまずは疑問に思った事は言っておかなければ。
 折角話を聞いても、違う解釈をしていては意味は無い。
『戦う相手と状況は━━━』
『そんなモノはどうでもいい。大体お前達は相手や状況によって戦い方を変えれる程器用じゃないだろう』
 こちらが何を言うのかを分かっていたのか、エレノアの言葉を遮りガラフが言う。
 男の言い方に少し腹が立ったが、実際そうなので反論はせずに黙っておく。
 その瞬間の状況に応じて、戦い方を変えるというのは難しい。
 最初から決めていた作戦通りに事が運ぶのさえ難しいのだ。
 そんな事が出来るのは余程長い間チームを組んでいた者同士か、恐ろしく機転が利き、それに伴う実力を持つ者だけである。
 無論エレノアやルイン達にそんな実力は無い。
 故に男の言葉には反論できなかった。

『ガラフ様……』
 オルタンシアに言われ、男は小さく唸った後目を伏せた。
 そして彼女は視線をこちらへ戻すと、どうぞと微笑んだ。
『では……
まず狩場では片手剣使いであるルインが相手をこちらに有利な場所まで連れてきます。
その間に私達は罠等を設置しておきます。
相手が罠に掛かったら大剣使いのリシェスと、このウォーレンとで戦います』
『ですが罠の効果がある内に飛竜を倒せる事はできませんよね?その後はどうされるのですか?』
『その後は、ルインが可能な限りに接近し隙を見計らってリシェスとウォーレンが攻撃をします』
『えっと……』
『その時お前は何をしているんだ?』
 オルタンシアが少し考えた瞬間、恐らく次の質問をする為に考えた瞬間。
 その僅かな隙に男が口を開いた。
『え……?』
 その質問に思わず聞き返してしまう。
『だからお前は何をしているんだ?中距離で攻撃に参加しているのか?それとも後ろで罠でも仕掛けているのか?』
 男の質問に戸惑う。
 その様な質問が来るとは思ってもいなかったからだ。
 近接武器が三人もいるなかで、ガンナーの出来ることなど限られている。
 後ろから仲間を撃つわけにはいかないのだ。
 出来る事等限られているはずだ。

『私は━━━』
 言いかけて思いとどまる。
 考えてみれば自分は何をしていたのだろう。
 命を懸けて飛竜と戦っていたのはいつもリシェス達だ。 
 自分はその時何をしていたのだろう。
 命を刈り取る死神の鎌が届かない所でのうのうとしていただけではないのか。
 自分は━━━━━━
『エレノア様。思う事もあるでしょうが、今私がお伺いしているのは“それ”ではありません。
ガラフ様も。もう少し私に任せて頂けませんか?』
 そう言うと彼女はエレノアの手を取り、優しく力を込める。
『エレノア様、その考えはガンナーたる者は一度は抱くモノです。
気にしないで下さいとは言えませんが、今は胸の奥にしまっておいて下さいませ』
 微笑み、握る手にほんの少しだけ力を入れる。
 その表情にエレノアは胸が熱くなるのを感じた。
 同性であっても魅入らせる微笑み、これならルインが戸惑うのも無理は無い。
 心でそう思いながらも彼女から視線を外せなかった。
 隣にいるウォーレンも同じなのか、小さく息を漏らした。
『ですが私は……』
 ウォーレンに横目で抗議の視線を投げかけながら、言おうとするのを彼女が首を振って止める。
 ウォーレンの小さな咳払いがやけに大きく聞こえた。

『私もガンナーですので、エレノア様のお気持ちは十分に承知しております。
ですが今は……』
 静かに目を閉じた彼女を見て、小さく息を吐く。
 言われてみればそうだ、今はこの眼鏡の男がどちらのガンナーなのかを知りたいのだ。
 それが気が付いてみれば、どこまで話が逸れているのか。
 こんな調子だからこそ、男の話についていけないのかもしれない。
 自分がどんなガンナーなのかは彼女達にも今の話にも関係ない。
 ならば何故自分達の戦い方を聞いたのか。
 それは恐らく“分かりやすく”する為だろう。
 ただ話しをしても、相手に理解させるのは難しい。
 だが、相手が経験した事を交えて話せば、理解してもらえる確立は上がる。
 彼女がエレノアの戦い方を聞いた理由はそれ以上でも以下でもない。
『すみません、答えを急ぎすぎていたようです』
 エレノアの言葉を聞き、彼女が微笑む。
『急ぎすぎても良い事はないぞ。先を急ぐ者はただ死ぬだけだ』
 微笑む彼女の後ろから男が冷たく言い放つ。
 男の言葉に、ウォーレンが複雑な表情を浮かべたのが印象的だった。

タグ:

+ タグ編集
  • タグ:
最終更新:2013年02月28日 10:33
|新しいページ |検索 |ページ一覧 |RSS |@ウィキご利用ガイド |管理者にお問合せ
|ログイン|