☆☆☆☆☆☆-side Eleanor
先程まで高かった日も、西に傾きかけてきていた。暑いわけではなかったが、雲ひとつ無い
日差しの下に居れば自然と喉が渇く。だが不幸にも渇きを潤す水は持ってきていなかったので
、唾を飲み込み渇きを訴え続ける喉を誤魔化す。
遠くでランゴスタのものらしき羽音が聞こえてきていたが、こちらに気が付いていないのか
その音が近寄ってくることは無かった。
ポーチを開け、残っている弾を確認する。先程の戦いで随分と弾を撃った。
狙い通り当った弾もあるし、そうでなかった弾もある。八割━━━そう、八割くらい当る様
になれば、もう少し弾の消費を抑えれるのかもしれない。
だが今の自分の腕では当って六割、狙った場所に当る弾など四割にも満たなかった。
『…………』
ふと隣で自分と同じ様に弾を確かめている男を見る。この男ならどれほど自分の思っている
場所に撃ち込む事ができるのだろうか。
ガンナーと呼ばれるボウガンを扱うハンターの多くは、自分達で使う弾を調合する。街や村
の道具屋で買える弾もあるにはあるのだが、同じ素材同じ手順で作られた物なので自身で調合
した物とさほど変わりはない。
カラの実と呼ばれる植物の種に火薬を詰め、ハリの実と呼ばれる種を挟み込み作られるのが
通常弾と呼ばれる弾である。
その名の通り全てのボウガンで扱える弾であり、ガンナーの基本となる弾である。
だが天然の素材を利用して作っているが故に“ブレ”も大きく、場合よっては大きく反れる
事もある。これが狙った場所に当らない原因の一つでもある。
どんな弾であっても真っ直ぐに飛ぶことは少ない。
ある程度予想して撃つのだが、その予想が当るのは極めて稀な事である。
だが先程この男は火竜の前に立つウォーレンに惑う事無く引き金を引き続けていた。それは
自分が“目の前の男に当てずに火竜にだけを撃つ”という自信があったからに他ならない。
どれほどの訓練を積めばそんな自信が付くのだろうか。男にその“コツ”を教えて欲しかっ
た。
『どうした?』
自分では一瞬のつもりであったのだが、思いの外長い間男を見ていたようである。男が自分
に向けられた視線に気が付くのも当然であった。
『あ、いえ……そのボウガンは何と言う名なのですか?』
見ていた事を誤魔化そうかと思ったのだが、そんな事をすればまた嫌味な事を言われるだけ
だと、この狩りが始まった時の事が頭によぎった。
男にとって「聞きたいことは迷わず聞け、聞かぬなら話しかけるな」といった感じなのかも
しれない。
『これはデュエルキャスト改と呼ばれる銃だな。角竜と呼ばれる飛竜の素材を使ったボウガン
だ』
『角竜……』
『砂漠に住む飛竜だ。……お前達にはまだ敵わんだろうがな』
角竜。そんな名の飛竜が居る事など聞いたことも無かった。自分の知らぬ
モンスターがどれ
ほどいるのかなど考えたことも無かったが、世界にはまだ人が見たことも無いモンスターが数
多くいるのかもしれない。
『お前達は“暴君”を狩れるのか?』
次に口を開いたのはウォーレン。黙っていたのはガラフとの無用な争いを避ける為でったの
かもしれない。それでも口を挟んだのはその角竜が気になったのだろう。
『あぁ狩れる。━━━とは言ってもわし等三人でギリギリなんとか、といったところだがな。
さすがのわし等でも角竜ディアブロス相手に余裕、というわけにはいかんよ』
そう言うとガラフはわざとらしく溜息をついてみせた。
角竜ディアブロス━━━砂漠に生息する
飛竜種である。その名の示す通り、特徴的なのはそ
の角である。頭に二本の巨大な角を有し、見る者を圧倒する。またその性格は凶暴で知られ、
暴君などという不名誉な名でも呼ばれる。
自身の持つテリトリーに入った侵入者は例え同族でも見逃さず、執拗な攻撃を仕掛けてくる
。いつの間にか棲み付いたディアブロスのテリトリーに、うっかり足を踏み入れた商隊が全滅
したという話はよくあるものだ。
危険度の高い飛竜であるため、ディアブロスが確認されればギルドへすぐに依頼としてやっ
てくる。
━━━やってくるのではあるが、倒せるハンターが少ないというのも事実であった。
砂漠という凶悪な環境、そこに棲む絶大なる力を持つ暴君。
勝てる方がおかしいというものである。
自慢の武器や防具、万端過ぎるとも言えるほどの道具を持ち、意気揚々と出発したハンター
が何も語らぬ無残な肉塊になって戻ってくることも少なくない。
角竜ディアブロスとはそんな飛竜なのである。
ガラフは“ギリギリなんとか”と言ったが、それは彼等の力が並のハンターを超えていると
いう事だ。普通のハンターならばギリギリどころか勝負にすらなり得ない。
『…………』
ガラフの返答に何を思ったのか、ウォーレンはそのまま黙り込んでしまった。
自分から見てウォーレンは立派すぎるハンターだ。そのウォーレンから見て彼等はどう映る
のだろうか。
ウォーレンも王都ヴェルドに戻れば、羨望を集めるハンターの一人なのかもしれない。だが
彼等《攻性の星》はそんなウォーレンの凌駕している様に思えた。
自分と彼等は実力が離れすぎている為、その違いというものは酷く漠然としてものでしかな
い。だが、“それに至るまでの過程と労力を知っている者”から見ればそれは途方の無いもの
だという事が分かる。
『エリー、お前のボウガンの特徴を言ってみろ』
『え?』
そんな事を考えていると、ガラフが唐突に問いかけてきた。
『え?じゃない。お前のボウガンの特徴を言ってみろと言っている』
質問の内容はそう難しいわけではなかった。何しろ自分の相棒の事を話せといわれているの
だから。
ガンナーたるもの━━━いや、ガンナーでなくとも自分の相棒の事を説明できなければ笑わ
れる。“それ”ができない者は初心者レベルのハンターだけだ。
『私の持つアルバレストは豊富な弾種が特徴のボウガンです。高レベルの弾と火炎弾以外の属
性弾が扱えません。工房で比較的容易に作れるボウガンですが、扱いやすさという点では高い
レベルでまとまっていると思います』
それ以上ガラフは何も言わなかったので、エレノアは息を大きく吸い込むと、自らのボウガ
ンについて知っていることを挙げる。
アルバレストと言えば、初心者のガンナーならば誰でも扱ったことがあるボウガンである。
ガラフがいくら高名のハンターであると言っても、初心者の事は必ずあった筈である。その
原点がある以上、今更彼女が彼にそのボウガンの説明をする事に意味は無い。
それはエレノアも分かっている。彼女の説明など男にとっては不要、それでも敢えて彼女に
それを言わせるのは、エレノアがどれほど自分の持つボウガンを知っているのかを聞きたいの
であろう。
試されている、といった感情がエレノアの心に湧いてくる。
『弾を薬室に送り込む手間が少しかかりますので、リロードはそんなに早くない……です』
エレノアが少し俯きながら言う。それもその筈、リロードが遅いかどうかなど彼女に分かる
訳がないからだ。彼女が最後の付け足したこの台詞は武具屋の受け売りだった。
エレノアはこのアルバレストと呼ばれるボウガンしか手にした事が無い。
その彼女が他のボウガンとのリロードの差など分かるわけが無かった。
『…………』
無論そんな態度を見逃すガラフではない、ではないのだが━━━
予想に反して彼は何も言ってはこない。 そんなガラフを見てエレノアは静かに胸を撫で下
ろした。
自分の答えは彼が期待したものでなかったのかもしれないが、返答としては十分であったの
かもしれない。
ガラフはそれ以上何も聞かず、エレノアも答えることは無い。ただ静かな時間が過ぎていく
だけであった。そんな事をしている間にはリオレウスを追いかけようとウォーレンが言いたげ
であったが、今回の目的はそもそもエレノアの為に来ている。彼女がボウガンを扱うにあたっ
ての助言を彼に求めたからこそ、今この狩りがあるのだ。
その助言を聞く前にリオレウスを倒してしまっては意味が無い。火竜を追おうなどと言えば
、それこそガラフに「本末転倒だな」などと皮肉を言われかねない。
『それだけか?』
不意にガラフが口を開く。その言葉の意味を理解した瞬間、心臓が飛び出すかと言う程に脈
打つ。男は彼女の返答に満足などしていなかったのだ。“あの返答で十分”であった等と思い
上がりも甚だしい。
『……え?』
次に彼が口を開く前に何か返答をしなければ、そう思うのだが口から出たのはそんな言葉だ
った。
『それだけかと聞いている』
ガラフが怒っている様に見えるのは気のせいなどではないだろう。先程の自分の返答が気に
入らなかったのだろうという事は、誰の目から見ても明らかであった。
『…………はい』
しかし、これ以上自分の持つアルバレストについて知らないのも事実であったので、素直に
それだけであると答える。本当ならばリロード速度についても正確には知らないことであった
が、これ以上の事は“嘘しか言えない”。目の前の男もそんな返答は望んではいないだろう。
ガラフが目を細めながらエレノアを見つめる。
(……睨まれている、のでしょうか?)
唯でさえ眼光の鋭い男である。睨まれているわけではないのかもしれなかったが、その目を
見返すことはできなかった。
背中に嫌な汗が流れるのが分かる。まるで飛竜と相対した時の感じそのものであった。
何とかしなければと思うが、考えが堂々巡りになってしまっており何も思いつかない。
こんな状態で口を開けば墓穴を掘るだけだと分かっていたので、エレノアは口を開かずに待
つことにした。
それはウォーレンも同じであったのか、口の端を噛みながらじっとガラフを見つめている。
彼はボウガン使いではない為、さらに口出ししづらいのだろう。
『そうか、ならいい』
彼の口から予想もしない言葉を聞くのはこれで何度目だろうと考えてみる。
彼の言葉は常に自分驚かせてくるものばかりである。こちらをからかうつもりなのだろうか
。
ガラフの考えている事が何一つ分からず、エレノアは怪訝そうな目をガラフに向けた。
そしてそんな視線を向けられている当の本人は、気にしていないのか涼しそうな表情をして
いた。気が付いていないという可能性もあるが、この男に限ってそんな事はないだろう。
『ならば、わしの持つこのデュエルキャスト改。これの性能を言ってみろ』
『……はい?』
今の自分の表情を想像する事は容易かった。自分がいつも友人を怒る時、その直前に友人が
している様な表情をしているに違いなかった。
考えるべきはそんな事ではなく、男の問いの答えなのだが頭に浮かんでくるのは全く関係の
無い事ばかりであった。
(ダメだ……この人の考えに全くついていけない……)
自分よりも遥か格下のハンターであるエレノアに、自分が持つ武器の特徴など答えられる訳
がない。それはつまり男の問いは“それ以外のモノ”となるのだが━━━
分からない。男の質問に対する答えが、いやそれ以前に男の質問の意味が分からない。
問われている意味が分からないのに答えが出るはずも無い。
いくら考えても、出てくる答えは「あんなボウガンを持ったことが無い」という事だけであ
る。
『エリー、わしがさっきの戦闘で撃っていたのは通常弾だ』
ヒントのつもりなのだろうか。
こちらが答えに詰まっているとガラフが口を出した。
そんな事は言われなくても分かる。
前に立つウォーレンをまるで気にせず撃ち込み、火竜の鱗を弾き飛ばしていたのは通常弾と
呼ばれる弾だ。
そんな事は言われなくても分かっているのだ。
どれほど強力なボウガンでも扱う弾が違うわけではない。発射機構の違いによる弾の初速と
銃身の性質による扱える弾が違うだけである。
それに通常弾はどのボウガンでも普通は扱える弾である、それを撃っていたなどと言われて
も━━━
『わからんか?』
そう問いかける男の眼は真剣そのものだ。そこに“からかうつもりや謎かけ遊びの様な気持
ちは一切入ってはいない”。
彼は真剣に、エレノアに初めて見るボウガンの特徴を答えろと言っているのだ。
『……すみません。私には分かりません』
エレノアは目を伏せ、静かに息を吐きながら言う。そこには明らかな落胆の色が色濃く映っ
ていた。
『……そうか』
それはガラフも同じであったようで、彼も表情を曇らせていた。
だがその表情はエレノアのように落胆ではなく、ただ“つまらない”といった感じの、失望
にも似た表情であった。
(そんな顔をされても……。私は予言者ではありませんから……)
初めて見る物の特性など分からない。それが
片手剣や大剣、
ハンマーといった、見かけに如
実に表れるものなら初見であっても見分けるのは難しくない。
特にモンスターの素材を使ったものであれば尚の事である。
ゲネポスの素材の特徴が出ていれば、麻痺させるのだろうとか。
イーオス、ゲリョスの素材の特徴が出ていれば、毒を使った攻撃が出来るのだろうとか。
そういった大まかな予想をする事ができる。
だが、ボウガンに至っては外見からその性能を判別する事は極めて難しい。
せいぜい火竜を使ったボウガンであるなら火炎弾が撃てるのだろうな、とかその程度の事で
しかない。
だが、彼の持つボウガンはデュエルキャスト改。
角竜ディアブロスの素材を使ったそのボウガンの特性は全く以って未知数であった。
ディアブロスがどんな飛竜なのかも知らないこともあったが、知っていたとしても答える事
はできなかったであろう。
火竜リオレウスや毒怪鳥ゲリョスとは違い、角竜ディアブロスは特筆すべき特徴が無い。
無論強大である事には違いないのだが、その名が示す通りディアブロスの特徴は“角”であ
る。
火竜のように火を吐くわけでもなく、毒怪鳥のように毒を持つわけでもない。
角竜は頭に双角を冠した、ただ“強いだけ”の飛竜なのだから。
それ故にディアブロスに対抗するための対策が無いわけなのであるが。
『ハンターをやっていれば、見知らぬモンスターを相手にしなければならん時もある。そんな
時に“分からん”とか言っていれば命を落とすだけだぞ』
『…………』
男の言うことはもっともであるが、分からないものは分からない。無い袖は振れないのだ。
どれだけ思考を繰り返しても、ガラフの持つデュエルキャスト改の特徴など思いつきもしな
かった。
分かっている事はデュエルキャスト改は角竜ディアブロスの素材を使ったボウガンであると
いうこと。そして先程の戦闘でガラフが撃っていたのは通常弾であるということだけだ。
特徴を推測するにしても、判断する材料が少なすぎる。
考え付く答えは“分からない”という結論だけであった。
にも拘らずガラフはこちらの返答を待っている。答えなど出せないのは分かっているだろう
に。
(嫌味な人ですね……。それとも私が“分からないと言うのを待っている”のでしょうか?)
そう思うとどこか腹立たしくも思えた。これではまるで臣下に無茶な事を言って、狼狽する
様子を見て楽しんでいる暗君ではないか。
『エリー、お前は見知らぬモンスターを相手にした時、そうやって悲運を嘆くだけなのか?』
『……え?』
心中で悪態をついていたのを表情から読み取られたのだろうか。
『諦めるのか?』
そう言った彼の視線は非常に鋭いものであった。明らかな敵意を、いや憎悪を向けられてい
ると言っても過言ではないほどであった。
これにはウォーレンも驚き、呆気に取られている。“分からないことを分からないと言う”
事がいけない事なのだろうか。
緊張により噴出した汗がゆっくりと頬を伝う。発汗で体内の水分が失われていくのか、口内
が異様に乾いていく気がした。
『分からない。知らない。そんな事を言っていたら生き残れない時がある。そんな時に自分の
命を守るのは仲間でも武器でも防具でもない、自分の“予測”だけだ。
どんなものにでも観察し、予測する。それがわしらガンナーの戦い方だ。
観察すれば何かが分かるだろう。例えそれがどんなものであっても、分かりさえすれば予測は
できる。
予測すれば後は対策をするだけ。そしてそれが間違っていたらまた違う予測を始める。
それができないガンナーはいつまで経っても半人前だぞ』
『…………』
一息の呼吸を以ってガラフに捲くし立てられる。
『エリー、お前は今どうしようとした?諦めようとしたな?そんなガンナーに狩れる飛竜など
いるものか。
相手を観察し、予測し、相手の行動の先を行く。それが真のガンナーだ。堅い鎧に包まれた近
節武器を持つハンターならば相手の行動に合わせて動けば良い。だがわしらガンナーはそれじ
ぁダメだ。
飛竜の行動に合わせていれば、機動力と体力の差でこちらが詰むのは時間の問題だ。
相手を観察し、予測し、“相手をこちらの動きに合わせさせろ”。
対応が遅いなら、予測で更にその先を行け。そうすればわしらに“狩れない飛竜はいない”』
ガラフの言葉に息を飲む。
『何を馬鹿な……』
ウォーレンに至っては飽きれ顔でガラフを見ている。
それもそうであろう、彼の言った事はあまりにも現実離れしすぎている。
相手の動きを予測し、モンスターの動きをこちらが制御する。
彼の言う通り“それ”が出来れば狩れないモンスターなどいないだろう。
どんなに強大で、恐ろしくともこちらの思い通りに動くなら、それは文字通り敵ではない。
エレノア達ガンナーにしてみれば、ただの的に成り果てるだろう。
『馬鹿な事だと思うか?お前はどうだ、エリー?』
『私は……』
正直、答えに迷った。
ガラフの言葉はとても魅力的だ。━━━ただし、それが体現できるのであれば。
相手の行動を予測し、先を行き、こちらの行動に合わせさせる。それはもう予測ではなく、
予知の範囲である。
未来を識るなどと人の身で行える筈も無く、彼がしていることは飽くまで予測。彼がどれほ
ど堪が良かろうと、それは確実なものではない。針の穴に糸を通すような危うい賭けに、たま
たま勝ち続けているだけだ。そんな勝負に人がいつまでも勝ち続けられるわけがなかった。
ウォーレンが呆れるのも分かる。彼女も同じ気持ちであった。
しかし、ならばなぜこの男はこんなにも自信に満ち溢れているのだろう。
勝てる確立の極めて低い賭け、そんな賭けに勝ち続けている事がこの男に自信を与えている
のだろうか。薄氷の上を渡る━━━いや、踏めば割れる氷の上を走るような賭けだ。それも全
速力で。そんな賭けに勝ち続けれるならばそれは確かに気持ちの良いのであろう。
『“それ”をすれば勝てるのですか……?』
『エレノア!?』
『あぁ、勝てる。ただ問題は━━━』
『……私に出来るかどうか、ですね?』
驚くウォーレンを一先ず置いておき、ガラフに視線を送る。彼には心の中で詫びておけば問
題はないだろう。
それより今はこの男の猟法だ。どれほど難しい賭けであろうとも、勝てるのなら、勝ち続け
れるのならば問題はない。
それが十割に満たない可能性であったとしても、九割、いや八割の可能性でも勝てるのなら
、それは“必勝の猟法”である。
『……できるようになるだろう、さすがにわしの様にはいかんだろうがな。どんな状況におい
ても“ほぼ確実に”有効な行動を取れるようになれば負けは無い。分かるか?』
『……はい』
『避けるべきは致命的な状況に陥る行動。それに至る“当たり”さえ引かなければいい』
ガラフの言葉にウォーレンが溜息をつく。その内心は容易に想像できる。
『そんな事ができるならば、現存するハンター達は苦労していない。未来を予知するなど馬鹿
げている。エレノア、今のお前に足りないのは経験だ。経験を積むことが強きハンターへの道
だ』
彼はきっとそうなのであろう。そうやってハンターとして育ってきたのだ。
だからこそガラフの言う言葉が馬鹿らしく聞こえる。
どんなモンスターも自分の思うとおりに動かす、それは子供の頃に誰もがベッドの中で想像
する夢物語。誰もがベッドの中、いや夢の中では無敵なのである。
ガラフが言ったのはそんな夢物語。子供が言ったのなら愛嬌ですまされるのだろうが、ガラ
フの様な男が言えば現実を見ていない者の戯言だ。
この世界に思い通りに動くモノは、“自分以外に何一つ無い”のだから。
だからこそ誰もが自身を鍛え、経験を積む。
『ですがウォーレン……』
『いいかエレノア、誰もがすぐに急成長なんて出来ない。それが世の理だ。生まれながらにし
て才を与えられる人間も存在するかもしれん。だがな、そんな人さえ鍛錬を怠れば飛竜に勝て
はしないんだ』
ウォーレンが早口にまくし立てる。それは怒りを隠す為と、ガラフに口を挟ませない為であ
る。
ドンドルマの街でも高名であるとされる《攻性の星》、そのメンバーの一人であるガラフが
どんなものだと彼も期待していたに違いない。
数知れない狩りから得た知識、徹底的に完成された理論。
そんな様なモノをもっていると、期待していたはずなのだ。
でなければこんな若輩がドンドルマという街で名を馳せれる訳が無い、そう考えた。
『お前が年の近いこの男の言葉に惹かれるのは分かる。だが焦ってはいけない。焦れば命を落
とすだけだぞ』
自分より年の離れた者が卓越した技術を持っていても人は関心するだけである。だが、自分
と同じ年、それに近い年の者が“そう”であった場合、何を思うだろうか。
大抵の人間が焦燥感や羨望を抱くだろう。
そして年が近い故か、その者達の言葉は後を追う者の心に響きやすい。焦燥感から近道を求
め、羨望から憧れを抱くからだ。
あの人に出来ているのだから自分も。
あの人に追いつくために自分も。
そういった想いが彼等の言葉をより一層魅力的にする。
『口を挟むのはやめろ。これはエリーとわしの問題だ。近接には近接の、そしてわし等ガンナ
ーにはガンナーの特有の問題と課題がある。その解はそれぞれの者にしか分からんだろうし、
それぞれが答えを出すしかない。ヒントくらいはその武器を持ったことが無い者でも出せるか
もしれんがな。
ただこれはわし等ガンナーの問題だ。意識すべき戦い方が、“ハンマーを持つお前とは根本的
に違う”からな。
わしの言葉に呆れるのは勝手だが、わしの言葉に意味が無いかどうかを決めるのはエリーだぞ
』
ウォーレンの呼吸の合間を縫ってガラフが言う。先ほどとは打って変り、今度はガラフがウ
ォーレンをまくし立てる。
『確かにお前の言うとおりにお前は行動できるのかもしれん。それならばその若さで大老殿に
招かれているのも納得ができる。
━━━だが彼女はどうだ?エレノアがお前の様に行動できるのか?お前のような才をエレノア
も持っていると言い切れるのかッ!?』
言葉に怒りが混じる。
『待って下さいウォーレン、私は……』
このまま黙っていては殴り合いにでもなりそうな雰囲気だ。そうなってしまえば火竜と戦う
どころではない。万全の状態でも勝つか負けるかという勝負なのに、勝負の前から体力を消耗
して得な事は何も無いはずだ。
『エリー、わしの戦い方を教えて欲しいならこのまま黙ってろ』
言うが早いかガラフはエリーを押し退け、ウォーレンの前に立つ。
ガラフも背は高い方ではあるが、ウォーレンには及ばない。睨みあう形で向かい合っても、
ウォーレンは見下ろし、ガラフが見上げる形になる。
『才能で狩りができるものか、わしが教えるのは戦い方のヒントにすぎん。それを活かすか殺
すかはエリー次第だろう。わしらガンナーにとって選べる方法は一つでも多い方がいい。それ
自体がわしらの武器になるからな。エリーがそれを得る機会をお前は奪うのか?』
『ならばお前が先ほど言った戦い方は誰でも出来るとでも言うのか!今彼女に必要なのは基礎
を積み上げる修練だ。飛竜を狩る礎があってこそ進むべき方向性が決まる!』
烈火の如く吼えるウォーレンとその言葉を飄々と受け流すガラフ。彼の言葉の端にも怒りが
感じ取れるが、それはどちらかと言えば苛立ちである。
『そうは言っていない、わしと同じ立ち回りが出来るかどうかはエリー次第だ━━━』
『だからそんなモノをエレノアに教えてどうなるというのだ!!』
『━━━いいから落ち着け!』
ガラフの言葉を遮り、ウォーレンが叫んだ瞬間。響いた重い打音にエレノアは目を背けた。
それはガラフがウォーレンの顔を殴った音。まさに電光石火の一撃、不意を衝かれたウォー
レンは避けることすら儘ならなかったであろう。
いくら身長差があるとはいえ、ガラフも長身の男。体重もそれなりにあるためその打突の威
力は馬鹿にできない。
『貴様ッ!!』
そうなればウォーレンも黙っているわけがない。大木の様な腕を振り上げガラフに殴りかか
る。
振り上げられた腕に殴打され、ガラフが吹き飛ぶのは容易に想像できた。そしてそこから掴
み合いの喧嘩になり、両者が疲弊して共倒れ。火竜を狩るどころではなくなるだろう。
そしてガラフからボウガンの扱い方を享受する事も難しくなる。
体格を見れば圧倒的にウォーレンが有利ではあるが、戦いは体格だけで決まるものではない
。それは人が飛竜に勝てる事で証明されている。
『なッ……!?』
だが予想に反して、吹き飛んだのはウォーレン。驚きの声を上げたのはエレノアか、ウォー
レン本人か。吹き飛ぶ男を見ながら、地面を転がり土煙を上げながら両者とも驚愕の表情を浮
かべる。
ウォーレンが腕を振り上げた瞬間、ガラフは彼の懐に入り込み突き出された腕を掴んで投げ
飛ばしたのだ。如何に体格差があろうと、相手の力を利用すれば十分に可能な事である。
『くッ!!』
奥歯を噛み締め、ウォーレンが立ち上がろうとする。
━━━立ち上がろうとするのだが、軋む様な金属音がそうはさせまいと彼の行動を阻む。
顔を上げたウォーレンの前にはデュエルキャスト改の銃口。
ウォーレンを投げ飛ばした次の動作でガラフはデュエルキャスト改を組み立てていたのだ。
弾が装填されているのは分かっている。さすがのウォーレンも言葉を失っている。目の前の
男がもしトリガーを引けば自分の命がない事は火を見るよりも明らかである。
『少しは落ち着いたか?』
『…………』
先ほどとは逆に今度はガラフがウォーレンを見下ろす形となる。その目には殺意ではないが
、何か冷たいモノが映っている様に見える。
『殴り合いではわしはお前に勝てん。だがな、“次の行動が分かっているならこれくらい”は
容易い。エリーにこれが出来る様になるかは知らんがな、それでも知っていると知らないので
は違う。それを今から教えるんだ』
『……それが彼女の為になるのか?』
ガラフの言うとおり、殴り合いではウォーレンには勝てなかったのだろう。でなければ彼が
ボウガンを持ち出すはずがない。ハンターの武器を人に向けるのは御法度、それはどれほど高
名になろうとも変わりはしない。
その禁忌を犯してでも、あの様な行動を取ったのには殴り合いに持ち込みたくなかったとい
う意味合いがあったのかもしれない。
『それは知らん。何度も言わせるな』
『…………』
『━━━だがわしを信じるなら見せてやろう。このわしの力《無限計算》をな』
『インフィ……?』
男の言葉は淡々としたもので、先に見せた怒りはいつの間にか何処かへと消えている様であ
った。
デュエルキャスト改を畳み、こちら側に背を向ける彼の言葉を反射的に聞き返す。
無限計算。それは今まで聞いた事の無い言葉だった。
『フィールが“魔剣士”なら、わしは“計算者”。ただそれだけの事だ』
言いながらガラフは暗い口を開ける洞窟へと入っていく。その表情は自ら達についた名を大
袈裟と嗤っている様にも見えた。
クエスト☆☆☆☆☆☆
『眠れないか?』
『……え?』
まさか声をかけられるとは思ってもいなかった。
適度に寝返りをうっていたとはいえ、起きているとい分かる行動を取ったつもりは無かった
。
焚き火を見つめている男は、話しかけた相手が寝ているという前提で話しかけたのかもしれ
なかったが、眠れないのは事実だったので、起き上がり男と話しをする事にした。
『はい。……なかなか寝付けなくて』
『そうか……』
暑い火山を歩き回ったせいで、体力を消耗しているのは確かであったが、素直に寝付けない
のは不安で胸が締め付けられていたせいだ。
独りはぐれた自分の仲間、自分の大切な仲間。
彼の事を思うと不安で身を捩りたくなる。彼は今も猛烈な暑さの中、一刻も早く合流しよう
と歩き回っているのだろうか。
『心配しなくても俺はお前に襲い掛かったりはしない。日が昇ったらまた火山の中に入るんだ
、今の内にゆっくり━━━どうした?』
不安そうな表情を浮かべていたからだろうか、何を勘違いしたのか男の言葉に思考が停止す
る。
『え?』
『いや、だからな。俺はお前を襲ったりはしないという事をだな……』
向こうも聞き返されたのが意外だったのか、困った様な表情を浮かべる。
何を言っているのだろうと、男の言葉を反芻し━━━
そして男の言葉の意味に気が付いて赤面する。
状況は焚き火を見つめている男と自分、そしてもう一人寝ている男がいる。
人気の無い場所で男二人の中に女である自分が独りでいる。そんな状況の中「不安で寝れな
い」などと言えば、何を不安がっているかは想像するに易い。
『あ、あの私!そんな事を気にしているんじゃなくてっ!!』
慌てて否定するが、言葉が上手く纏まらない。これでは図星ですと言っている様なものだ。
『……そうか余計な心配だったか。不要な事を言って逆に意識させてしまった。すまなかった
な』
『い、いえ!フィールさんにはオルタンシアさんがいるじゃないですか!わ、私なんて……』
言いながら考えがさらにこんがらがっていくので、言葉が上手く続かなかった。混乱する頭
の端で、彼の傍にいた女性のハンターを思い出す。
彼女の名は遠いシキの国に咲く紫の花という意味らしい。その名から想像するイメージ通り
可憐な少女であった。
自分も村で「美人か?」と聞けば、十人中七人はそうであると答えてくれる自覚はあるが、
それでも可憐という点ではオルタンシアという少女には及ばない。
そんな少女に好かれているのだから、自分には見向きもしてくれないだろうというフォロー
であったのだが、効果の程はイマイチである。
人は得てして手に入れた物より逃げる物の方に興味を抱く。自分を好いてくれている者が傍
にいるというのはフォローには成り得ない。彼もまた彼女の事を好いているのなら話は別であ
ろうが。
しかし、彼女の名は話題を変えるには十分だったようだ。
『オルタンシア……か』
それは彼の雰囲気で分かる。深く影を落とした瞳。その瞳に揺れる焚き火の炎は、どこまで
も続く闇から逃れようと懸命に身を捩っているようにも見えた。
話題を変えるには十分であったが、それが良い方向に変わったのかと言われればそうではな
い。まだ彼が話してくれていただけさっきの方がマシであったかもしれない。
重くのしかかってくるような静寂の中、炎に焼かれた木片が小さく爆ぜる音だけが響いてい
る。最初こそは戸惑いはしたものの、その雰囲気は嫌なものではなく、時間が経つにつれ落ち
着きさえ感じられるように思えた。
遠くから聞こえてきていた地鳴りももう聞こえない。この火山が活性化するのは夜だけだと
言うことなので、活動が緩やかになってきているのかもしれない。
東の空は依然と暗くはあったが、もう程なくすれば白んでくるに違いなかった。
『フィールさんはオルタンシアさんの事どう思ってるんですか……?』
その言葉に彼がゆっくりと顔を上げる。その瞳に映る色にリシェスは自らの発言を呪った。
意図して発した言葉ではない。ましてや彼が彼女をどう思っているか知りたかったわけでは
ない。
ただ、想い人を訪ねて歩く少女と。
その少女を置いて次の街に行く男。
少女の心情を思い描いた時に、不意に口から滑り出しただけの言葉であった。
『あいつには辛い思いをさせている……』
そう呟いた彼の方が辛そうに見えた。
瞳に映った色は困惑。或いは悲愴と呼べるものであったのかもしれない。
彼女の名を出すたびに刃で身を裂かれるようなそんなイメージが浮かんでくる。彼に何があ
ったのか、彼女の想いに応えない理由は何なのか。
それを知る術は無いが、出来ることなら二人の想いを知り、解決してやりたいと思ってしま
った。
これだから自分はお節介なのだと、いつも自分を叱ってくれる友人が頭に浮かびリシェスは
苦笑う。けれでもこれが自分なのだと、勇気をだして言葉を続ける。
『フィールさんはオルタンシアさんの事嫌いなんですか?』
『…………』
質問に男は静かに首を振った。彼女の事が嫌い、というわけではないようだ。しかし彼女を
好きと言うわけにもいかない。
『ひょっとしたらオルタンシアさんに嫌われないといけない……とか?』
何故そう思ったのかは分からないが、頭に浮かんできた疑問を彼にぶつけてみた。
言葉は刃となり男を突き刺す。それは図星であるという証明。リシェスの言葉に彼の呼吸は
完全に停止していた。息を呑むというのはこの瞬間の事だろう。
『どうして……?』
世の中には好きや嫌いといった感情だけではどうにもならない事がある。
旅の詩人が詠う物語の中にはそういった悲壮感を詠うものがある。むしろ詩人からすれば、
そういった物語は詩とするには格好の題材なのかもしれない。
生き別れた兄弟が再び出会うもすでに敵同士、互いに兄弟とは知らずに殺しあう物語。
血を分けた兄妹とはしらずに愛し合う男女の物語。
どれほど想い想われても、世界がそれを許さないことが多々ある。
幼い頃、村にやってきた詩人も同じ様な詩を詠っていた。それを聞いてひどく落ち込み、夜
も眠れなかったのを思い出した。
想い続ければいつか叶う、信じていればそれに見合う答えがきっと返ってくる。幼心にそう
信じていた。
『━━━それがあいつの為だ』
『そんなの!!』
嘘です。馬鹿な事を言わないでと。
相手に憎まれるのが相手の為になる等とそんな馬鹿な事があるはずが無いと。
そう言いたかったが、言えなかった。
『そんなの……』
何も知らない小娘が口を出せるわけが無かった。
焚き火を映しているはずの男の瞳は、夜明け前の闇よりも暗い気がした。
そんな男に自分の言葉が届くわけが無いと、無意識に感じてしまったのだ。
『愛する人を失う悲しみは深く辛いものだ……。ましてや自分の手で愛する人を殺める事にな
れば耐えられるものではないからな。
━━━あいつにはそんな思いをしてほしくない』
『だったら……』
貴方が彼女の手をとってあげればいいのに。
そう思うのはきっと自分が成り行きを知らないからだ。
知らない自分には彼を説得できる言葉もないし、彼と彼女を救う事もできない。
見ず知らずの他人を救うなど、驕りも甚だしいのだが、詩人の詩で悲運の主人公達にもいつ
か幸せになってほしい。そう願い続けた。
誰だって幸せになりたいから生きているのだ。
『…………ッ!?』
言葉に詰まり、思考を巡らす。彼に届く言葉は無いのかと、必死に自分の頭を回転させた。
その思考を停止させたのは風切り音。
自らの喉元に突きつけられた刃に息を呑む。
『今の話はオルタンシアにはするな。あいつに余計な心配はさせたくない』
彼はいつ動いた。
焚き火を前にずっと座っていただけだったはずだ。
背にはずっと武器を背負っていたような気がするが、それでも一瞬でこの長い長刀を抜いた
とは考え難かった。
自分の相槌が悪かったのだろうか、何か彼を不快にさせるような事を言ったのだろうか。
状況が飲み込めず、リシェスは目を白黒させる。
『何や、起きてみたらえらい事になっとんな?』
『……起きたのか』
緊迫した状況とはまったく無縁な気の抜けた声。目の前に刃を喉元に突きつけられた女がい
るというのに、声を掛けてきた男は頭を掻きながら、欠伸をしたりしている。
『アホ、ごっつ殺気を出しとる奴がおるのに、暢気に寝てられるか』
いや、十分に暢気です。
などと突っ込みたいところではあったが、今はそれどころではない。
喉元に突きつけられている刃を下ろしてもらわなければ、呼吸も満足にできない。
嫌な汗を掻き、頬を伝う雫に嫌悪感を抱きながら、それでもリシェスは必死に頭を回転させ
る。結果、一つの答えを導き出した。
『は、ハイドさん、助けてくださぃ……』
それはこの暢気な男に助けを求めること。それが一番有効な方法だと━━━否、どれほど考
えを廻らせても、その一点しか思いつかなかった。
『……だそうやけど?』
『む……。俺は彼女に“お願い”をしているだけなんだがな。彼女が頷いてくれるまでは“剣
を下ろすことは出来ない”』
『…………』
これがお願いの方法かと声を上げて抗議したかったが、問題はそこではない。
自分が頷くまで、剣を下げるつもりは無いとフィールは言った。それは自分がもしも頷かな
ければ、このまま斬り捨てるつもりであるということ。
その言葉を聞き、心拍数が一気に跳ね上がる。
『……まぁ、色々ツッコミたいこともあるけど、それはええわ。嬢ちゃん、何をお願いされた
んかは知らんけど、聞かれへん頼みとちゃうかったら大人しく頷いとき』
ハイドの言葉にリシェスは首を縦に振る。何度も何度も壊れた振り子のように頷いた。
フィールの願いとは先ほどまでの話をオルタンシアにしないという事。それを言わないのは
心に靄が残る気がしたが、命を懸けてまで伝えるべきことでもない。
ただほんの少し、お節介な自分を我慢すればいいだけである。
『ほら、嬢ちゃんは約束してくれるみたいやで。お前もさっさと剣を下ろしぃや』
鍔鳴りをさせ、フィールが剣を背に差した鞘に納める。身の丈ほどの長刀を座りながらにし
て、一瞬で納めるその動作は見事と言う他なかった。
その動作に見惚れていると、ふと彼と視線が合う。怒っているわけでも、悲しんでいるわけ
でもないその瞳。彼はその目を伏せ、静かに頭を下げた。
『…………』
『ん~!!もうすぐ夜明けやな。━━━小僧は帰ってきてへんか、しゃぁないなとりあえず出
発するしかないやろ。クエストの期限だって無限にあるわけやないからな』
再びハイドが背伸びをしながら言う。
夜のうちにひょっとしたらルインが戻ってくるのではないかと期待していた。この暑さの中
休む場所はキャンプであるこの場所しかない。
人は一日の間で行動できる時間が決まっている。時に夜を徹して狩りを行ったりする事もあ
るが、少しは睡眠時間を取らなければならない。そうしなければ体力が低下するし、何よりも
集中力が続かない。
一瞬の判断が生死を別ける飛竜との戦闘において、集中力を欠くのは問題だ。
ルインも当然その例外ではなく、休息を取りに帰ってくるものだと思っていたのだが。
『嬢ちゃん、支給品ボックスの中身を適当に持って行きや。応急薬とかはちょっと余分目に持
っていってもええからな』
戻ってこないと言うのは理由があるはずだ。
上位の狩場。見たことも、戦ったことも無い敵。
戻ってこないのではなく、戻ってこれな━━━
『嬢ちゃん?』
『きゃあッ!!』
気が付くと目の前にあったハイドの顔に驚き、尻餅をつく。
『小僧が心配なんも分かるけどな。こっからは狩りに集中や』
『…………でも』
ハイドが笑顔で手を差し出してくる。それを渋い顔で受けながら立ち上がった。
どれだけ自分に言い聞かせても、ルインの事を想うのは止められない。
自分はまだ《攻性の星》の彼等と共にいるので、身の危険はそれほど感じない。だが、この
狩場で一人でいるルインはどうなのだろう。
見たこともない敵に囲まれ、絶体絶命の窮地に立たされているかもしれない。
悪い方向には考えないでおこうと思っても、中々止められるものではなかった。
『仲間を信じたれや。あの小僧は嬢ちゃんを一人ほっといてくたばるような奴ちゃうやろ?』
『ハイドさん……』
勝つか負けるか分からない狩場で、不安になることは多々ある。一人逸れた者が愛しい者で
あるなら、その不安は更に大きなものとなるだろう。
しかしどれほど不安を抱いても。どれほど無事を願っても。
それは自分を落ち着かせるものであり、孤立した仲間を支えるものではない。
暗い洞窟の中で、ハイドが語った言葉を思い出す。
『信じてんのなら心配することなんて何もあれへん。あの小僧は無事に合流する。合流した時
にどうするのかだけ考えとったらええねん』
白い歯を見せ、ハイドが笑う。それはきっと彼もそうなのだろう。
彼らも幾度と無くこの様な状況に置かれたに違いない。時には三人が三人ともバラバラにな
ることもあったのかもしれない。
そんな中、他人の心配をしている暇は無い。まずは自分の無事を確立しなければならないか
らだ。
仲間を心配するならば、自分の安全の確保が最優先である。そうしなければ誰かを守る、助
けると言ったところで叶うわけがない。
『よっしゃ、じゃあ出発するか!』
ルインと合流したければ、まずは自分が無事でいろ。彼が言いたい事は何となくであったが
理解できた。最も本当に“それ”を言いたかったのかは分からないが、意図する事は同じであ
ろう。
リシェスの表情の変化に気が付いたのか、ハイドはそこで話を切り上げ“伸び”した。背中
のアッパーブレイズがそれに応えたのか、ガチャリと音をさせた。
『フィール、まずはどうするん?』
『……エリア7を目指す』
エリア7とは最初にグラビモスを目撃した場所だ。そしてそこには━━━
『ドスイーオスはどうするん?』
イーオスの群れの長である、ドスイーオスがいた場所でもある。
あの時はベースキャンプに戻るのを優先させたため、フィールが囮になり無事に逃げる事が
できたが、グラビモスと戦っている最中にドスイーオスが現れれば状況は悪化する。
ドスイーオス自体が飛竜に匹敵するほどのモンスターであるのに、グラビモスと同時に戦え
るわけがないのだ。
熟練のハンターチームが飛竜との戦闘中に、迷い込んできた一匹のドスランポスのせいで全
滅した、という話は珍しいわけでもない。
飛竜との戦いにおいては“飛竜にのみ専念しなければ”ならない。
『途中で見かければその時に倒す』
『……出会えるとも限れへんやろ』
『その時はその時……だな』
フィールの言葉に思わず耳を疑った。
『え……?それでもしグラビモスと戦っている時に、ドスイーオスが現れたらどうするの……
?』
飛竜やドスイーオス等の大型のモンスターは狩場を徘徊している。それは自らの縄張りを見
回っているためだ。故に一度でも出会った場所でモンスターを待ち伏せていれば、その内に向
こうからやってくる可能性は高い。
モンスターもハンターを危険視しているので、一度ハンターと出会った場所は覚えているで
あろう。
『その時はその時だ』
『で、でもッ!!』
狩場は広い、一匹のモンスターに再び出会える確立はそう高くは無い。いくらモンスターが
狩場を徘徊しているとはいっても、一度目がたまたま偶然通りかかっただけと言う可能性もあ
る。
しかしそれは“高くないというだけで、可能性が無い”というのとは違う。
グラビモスとの戦闘中に、幸運にもドスイーオスと出会わない可能性が無いわけではない。
ひょっとしたらこの狩りの間、二度とドスイーオスに出会わない可能性だってあるのだ。
リシェスの抗議にフィールは何の感情もなく応える。
『グラビモスとの戦闘中にドスイーオスが来るかもしれない……。だが来ないかもしれない。
そんな“もしも”などと臆病風に吹かれていては飛竜は狩れないぞ』
『わ、私が言っているのはそうじゃなくてッ!!』
彼の言うとおり、絶対にドスイーオスが狩場に現れるわけではない。“かもしれない”とい
う恐怖感からチャンスを逃す事も多々ある。
だがしかし、それとこれは話が違う。
ドスイーオスが現れた時点で、為す術も無く全滅する可能性だってあるのだ。普通の考えの
ハンターならば、まずは先にドスイーオスを仕留めておくのが定石だ。
『まぁまぁ嬢ちゃん。俺等の目的はグラビモスや、その他のモンスターはどうでもええねん』
フィールとの間にハイドが割って入る。
それはこちらも同じである、何もドスイーオスの素材が欲しいわけでこんな事を言っている
わけではない。
『こいつの言い方も悪いけどな~』
『む……』
『グラビモスはめっちゃ強い飛竜や、俺等が本気だしても勝てるかどうかわからへん』
『だったら……』
だとしたら余計にドスイーオスを先に何とかしておくべきである。
『ちゃうちゃう、そこが嬢ちゃんの勘違いしてる場所や』
『え……?』
言いかけた言葉を手を振る仕草で遮られる。
『俺等が勝てるかどうかわかれへんっていうのは、グラビモスの体力的なもんやねん。グラビ
モスとの戦闘中に余裕がないっていうのとは話がちゃう。クエストには期限があるやろ?“そ
れまでに倒しきれるかどうか”っちゅう話やねん』
『グラビモスと戦いながらドスイーオスを相手にできるっていうこと……?』
自信が表れた笑顔でそう言い切るハイドの言葉はにわかには信じ難かった。
自分達が優れたハンターでない事は、リシェス達自身が一番良く分かっている。
世の中には自分の知らないモンスターも多数いるだろうし、それを倒せるハンターも星の数
ほどいるだろう。
中にはどんな飛竜にも負けないハンターがいたとしても不思議ではない。
しかし、勝ち続けるハンターというものを“見たことが無い”。
特に彼女の場合、父を失うという形で“人は竜に倒される”という現実を知っている。
どれだけ装備を揃え、仲間を集め、力を鍛えても、一匹の飛竜に負ける事が多々あるのだ。
一匹の竜に負けるというのに、その竜を相手にしながら他のモンスターと戦えるなど、到底
信じることができなかった。
『アホ。さすがの俺らでもそんな器用な真似はできひんわ』
『じゃあ……?』
二匹を同時に相手にしても勝てる。
そう言うと思ったのだが、ハイドの答えにリシェスは呆気に取られる。
『俺らは最悪“自分一人でもクエストを成功させる”気持ちでいてる。それはどんな飛竜が相
手でも一人で勝つっちゅーことや。
ドスイーオスが現れたら現れたらそれでええ。俺かフィールのどっちかが相手すればええだけ
やねんから。
そん時嬢ちゃんはいけると思ったほうに参加したらええよ』
『いけると思ったらって言われても……』
そんな事を言われても困る。それが正直な反応だった。
飛竜相手に一人で勝つという事は、仲間を必要としないという事。どんな戦い方をするのか
全く想像もできなかったが、自分がいても足手まといだという事ははっきりとしている。
広い世界には一人で竜を狩るハンターも少なからずいる。
そういったハンターは大抵協調性を欠き、チームから外れた者達だ。
全てのハンターがそうだと言うわけではないだろうが、それでも協力や連携を以って戦うと
いうことは難しそうである。
(そもそもハンターとしてのレベルが違うんだもの……合わせろって言われても無理、よね)
熟練ハンターの彼等と駆け出しの自分では戦い方の次元そのものが違う。それは今まで経験
してきたモノの差である。
こればかりはどうしても埋めれない差である。
埋めれるとすれば、同じだけの戦いを、同じだけの死線を潜り抜けるしかない。
だが、今そんな場所も時間もない。
あと数分もすればこの話題も終わり、灼熱の火山へと向かわなければならない。
自分が死ぬ事は全くイメージできなかったが、それでも不安に押しつぶされそうであった。
出来ることならば行きたくない。このまま彼等がグラビモスを狩ってくるのを、ルインが帰
ってくるのをここで待っていたかった。
『では行こうか』
こちらの様子を気にする事も無くフィールが不気味に口を広げる洞穴へと足を運ぶ。
少しはか弱い乙女を案じてはくれないものかと、心の中で悪態をつくが、そんな事ができる
なら“彼女を一人置いていったりはしない”だろう。
本来ならば頼もしいはずのその背中が、洞窟の闇に飲み込まれていくせいか、小さく幼く見
えた。
『嬢ちゃん、くれぐれも無理はせんときや。普通のモンスター程度やったら俺もフィールも嬢
ちゃんを守りながら戦ってやれるけどな、グラビモスとの戦闘が始まったらそうも言ってられ
へん。そん時自分を守ってくれるんは嬢ちゃん自身やで?』
『……はい』
『あの小僧がおったら嬢ちゃんを任しとけるんやけどな』
ハイドが大きな口を開けて笑う。肩を二度叩いたのは自分を後押しする為だろうか。
こんな時ルインがいたらどうしているだろう。
彼は《攻性の星》の戦い方についていけるのだろうか。
それよりも彼は━━━
『ルー……。きっと無事で、また逢えるよね……?』
火山の空はどこまでも煙が覆い、今の自分の胸中を映すかのように曇っていた。
後ろを振り返れば青い空が広がっているが、あの場所に帰るのはルインを見つけてからだ。
自分にそう言い聞かせ、息を飲み洞穴の中へと二人の後を追ってリシェスは足を踏み入れた。
☆☆☆☆☆☆☆-side Eleanor
『……すごい』
思わず口から漏れた言葉。それは隣にいたウォーレンも同じ様で、彼も同じ様に目を見開き
眼前で繰り広げられている光景に圧倒されている。
洞窟を揺さぶるかというほどの火竜の咆哮。
それに対するは火薬の爆ぜる音。
火花が飛び散る度に風切り音が火竜へと襲い掛かる。
『まさかこれ程とは……』
思わず息を飲む。
恐らく今までの彼のハンターとしての人生の中で、これほどのハンターに出会ったことはな
いのだろう。
だからこそ簡単に信じることができなかった。しかし、今目の前で起こっている事は紛れも
ない事実であり、夢などではない。
自身が受け入れれようがなかろうが、それは事実であり現実だ。
火竜に一人で挑み勝てるハンターがいるという現実は、衝撃意外の何者でもなかった。
リロードのスピード、タイミングどれを取っても一切の隙は無く、無駄も無い。
ガンナーで難とされるのはこのリロードである。近接武器とは違い、弾をボウガンに込めな
ければモンスターを攻撃できないのだ。
ボウガンによって装填できる弾の数は決まっているが、多いものでも六発から七発前後であ
る。十数発を一度に装填できるという規格外のボウガンもある事はあるのだが、お目にかかれ
る機会はそう多くない。
つまりガンナーである以上、六発を撃てばほとんどのガンナーは攻撃の手を止めなければな
らないのである。
しかもリロードする際のその一瞬は完全な無防備状態となる為、モンスターの行動をよく確
認してから行わなくてはならない。
火竜とすれ違う瞬間に。
火球を吐き出す瞬間に。
また火竜が雄々しく飛び上がった瞬間に。
その刹那、一瞬で火竜の死角へと飛び込み、リロードを行う。
巨大な火竜は一度走り出せば、その重さとスピード故にすぐには方向転換を行えない。
直線にしか飛ばない火球の軸を外せば、それは自分には当り得ない。
空の王者と言われるリオレウスでも自然の摂理には逆らえない。飛び上がった火竜の真下、
そこは完全な死角となる。
残弾数の把握はガンナーとしては当然、優先すべきは攻撃であるが、リロードを行えるタイ
ミングを逃すわけにはいかない。
『あ、危ない!!』
弾を詰め、装填する為のレバーを引く。レバーは重く、成人男性といえども容易に引くこと
はできない。
しっかりとボウガンを押さえ、踏ん張りながらでないとレバーを引けないのだ。
その動けないガラフに向かって火竜が尾を振るう。
ウォーレンが咄嗟にハンマーに手を伸ばし、岩陰から飛び出した。
「火竜と一人で戦うだと?何を考えているのかは知らんが、私がもう無理だと思ったら私のタ
イミングで出るぞ」
この洞穴に入る前にガラフにウォーレンはそう言った。
しかし今のタイミングでは遅すぎる。今から飛び出してもガラフが攻撃を避けるには間に合
わないだろう。しかし飛び出すことに意味はある。ガラフがリオレウスの攻撃を受け、吹き飛
んだ後。そのフォローに回れるかどうかが肝心なのだ。
「そうか、勝手にしろ。まぁわしの《計算》だとお前の出番はないがな」
危なくなれば手を貸してやると言ったウォーレンにガラフはこう答えた。
彼は優秀なハンターで、高名なチームの一員だ。自信があるのも分かる。
しかし今の状況はどうだ。
リオレウスの位置取りは完璧で、後数秒でその尻尾の一撃は彼を捉えるだろう。
動けないガラフ。タイミングも距離も火竜にとっては申し分なかった。
『わしの《計算》では“お前の出番はない”と言ったぞ』
『何ッ!?』
リオレウスの攻撃のタイミングが完璧ならば、ガラフ計算もまた完璧。
火竜の尾が自らの身体を捉えるその瞬間。ガラフは身を屈め尾の下を潜り抜ける。
身体についた土を払うこともせず、立ち上がりボウガンを構える。彼が次に装填したのは貫
通弾。一度に装填できる弾数は少ないが、その名の通り撃ち出された弾は飛竜の鱗ですら貫通
し、肉を抉る。
デュエルキャスト改から撃ち出された貫通弾は二発。
白煙の尾を引きながら火竜の躯に突き刺さる。
赤く堅い鱗を弾き飛ばしながら、躯に侵入してくる異物に溜まらず火竜は雄たけびを上げる
。
━━━使える弾種を減らし、リロードの速度を重視したのがこのボウガンだ。
ガラフの言葉が頭をよぎる。
火竜が体勢を崩した僅かの隙に、デュエルキャスト改には次の弾が装填されていた。
躯にめり込んだ異物の傷みに堪えながら、眼前の敵に向き直った時にすでに弾は放たれ、目
の前に迫っていた。
初弾は顔、続いて翼、脚の順に激痛が走る。先ほどの先頭で頭部に受けたダメージもある。
とても耐え切れるものではない。
『エリー。お前はわしに“どちらの”ボウガンを使っているか聞いたな?』
『え……?』
必死に記憶を辿る。
あれはドンドルマの街で始めて彼と話をした時だ。
確かにどちらのボウガンを使っているのかと、聞いた覚えがある。
その時は確か、肩にある擦り傷でどちらかが分かると言っていたようであったが。
『わしの様に“前に”立つヘヴィガンナーには擦り傷が出来る。何故だか分かるか?』
『…………』
確かに彼の防具はあちらこちらと擦り傷が多かった。
防具自体がそんなに古いというわけでもないにも関わらずだ。
そもそもガンナーである以上防具にそれほど傷ができるわけがない。
剣士のように自由に動き回ることができないからだ。それを補う為の仲間であるし、それを
考慮した場所から攻撃するべきだ。
それがエレノアのガンナーとしての考えだった。
『前線に立って、敵の攻撃を避けるには
ヘヴィボウガンは重い。折り畳んだり、出したりしな
がらではとても戦えない。どれだけ早く折り畳めたとしてもそれは決定的な隙だからな』
『そうか……!』
『ウォーレン?』
ガラフの言葉にウォーレンが声を上げる。その声に反射的にエレノアはウォーレンの方を見
た。
『ヘヴィボウガンの弱点は移動が容易ではない事と、重量による武器の扱い難さだ。それを補
う為にあの男は常に飛竜の前に立ち、飛竜を狩るまでボウガンを納める事はない。そんな戦い
方をする者がいようとは……!』
移動ができないなら最初から近くに居ればいい。
素早く納める事ができないなら、納めなければいい。
ガラフの戦い方は、安全な位置取りから確実な狙撃をするエレノアとはまったく正反対だ。
これではガンナーとしての戦い方を参考にしても意味は無い。
ハンターのタイプが違うのだ。
余計な戦い方をにわかに混ぜ込めば逆に窮地に陥る可能性がある。
『そんな戦い方、私には……』
無理だ、何もかもが違いすぎる。
飛竜に対する位置取り。リロードのタイミング。使用する弾の選び方。
そのどれもが自分には到達できそうになかった。
「誰だって最初は初心者で、練習すれば誰にでもできる」
“そう”思っていた。努力に勝る天才はいないのだと。
だが世界には存在するのだ。どれほど努力をして追いかけようとも、決して追いつけない天
賦の才を持った人間が。
彼の全てがその才によるものではないのは分かっている。
しかし━━━
『私なんかが努力したって……』
追いつけるわけがない。
飛竜の攻撃を受ければ、薄いガンナーの装備では致命傷だ。彼は恐ろしくないのだろうか。
ヘヴィボウガンを持ったままでは望むように動くこともできない。
かといってボウガンを手放せば飛竜を狩ることはできなくなる。
満足に動けないのに最前線に立つ、彼の戦い方は死にに行っているようなものだ。
そんな戦い方を常人が真似できるはずもない。
『私なんかが……』
握り締めた手に力が篭る。
不意にその手を暖かく、大きな手が包み込んだ。
『ウォーレン?』
視線はガラフに向けたまま、ウォーレンは静かにエレノアの手を握り締める。
『エレノア、今のお前にあいつの様な戦い方はできん。真似をしても命を落とすだけだ』
『…………』
そんな事言われなくても分かっている。
分かってはいたが、ウォーレンにそれを言われて気持ちが更に重たくなった気がした。
自分が考えているだけでは、まだ“逃げ”は許されている。
しかし、他人から言われればそれはその通りなのだ。自分の言葉とは違い、他人の言葉は概
ね事実である。
それが辛かった。
『……しかしな、エレノア』
『……?』
『今のお前には無理でもいつかはできるようになるかもしれん。だからこそ今はしっかりガラ
フの戦い方を見ておくんだ』
いつかとはいつなのだろう。自分がそんな事ができる様になる前に死んでしまうこともある
かもしれない。それ以前にできる様になる保証なんて何も無い。
元気付けようと咄嗟に口からでた言葉なのかもしれない。
『強大な力を持った人間を前にすると誰もが自信を喪失する。それは仕方のないことだ、止め
ろとは言わない。私はまだ違う武器を扱うハンターゆえお前ほどのショックは受けていないが
な。
これほどの差を見せ付けられれば、同じ武器を扱うお前は辛いだろう』
小さな手を握る大きな手に力が篭る。そかしそれは優しさを感じさせるものではなく、痛み
を感じさせるものだった。
『ウォーレン……』
自らの手を包む手が震えているのに気が付く。
悔しさを、劣等感を感じているのは自分だけではないのだ。彼もまた目の前のハンターに敗
北感を感じている。
握られた手から伝わってくる痛みは彼の痛みでもあった。エレノアに向けた言葉はその実、
彼自信に言い聞かせたものであったのかもしれない。
『エレノア、経験は“強さ”だ』
『え……?』
『様々な経験を積めば、さらに多くの出来事に対処できるようになる。あの男の様な戦い方は
できずとも、“そんな戦い方もあるのだということを知っていれば”どこかでそれを活かせる
こともできる。
だから、今はできずともあの男の戦い方をしっかりと見ておくんだ』
そういうとウォーレンは強く握り締めた手を少しだけ緩めた。
『はい……』
何が起こるか分からないのが狩猟であるが、ガラフが火竜を狩るのは時間の問題だと思えた
。火竜リオレウスはすでに満身創痍、息も絶え絶えである。
大きなリオレウスの咆哮よりも、ガラフのデュエルキャスト改から放たれる轟音の方が力強
く聞こえる。
狭い洞窟に邪魔をされてか、リオレウスは自由に空に飛び上がれない。もっともガラフに撃
ち抜かれた翼はすでにボロボロで、飛び上がりたくとも飛び上がれないのかもしれないが。
翼を破られ、鱗を弾き飛ばされ、肉を抉られてもリオレウスの闘争心は揺るがない。
数分後には自らの命はないかもしれない、しかしそれでも最後の一瞬まで諦めない。それは
命をかけた戦いにおいて非常に重要なことだ。
生への執念。それが過酷な生存競争の中で生き残るのに必要なのだと、本能で知っている。
だからこそリオレウスは何度も向かってくるし、こちらも油断してはいけない。
最後まで諦めないということは、“死ぬまではこちらを殺しにくる”ということ。互いに命
を奪い合いたいわけではないが、相手の命を奪うまでは勝利はない。だからこそ相手が地に臥
し、動かなくなるまでは油断するわけにはいかないのだ。
デュエルキャスト改から放たれた通常弾がリオレウスの足を射抜く。その痛みに耐え切れな
かったのかリオレウスは苦しそうな声をあげ転倒した。
そうなることを知っていたかのようにガラフはすでにデュエルキャスト改を折り畳み、火竜
へと向かって走る。
『馬鹿なッ!!』
何をする気だとウォーレンが叫ぶ。リオレウスが転倒したのは攻撃のチャンスである。その
瞬間に攻撃するでもなくガラフは走ったのだ。
彼の武器はヘヴィボウガン、攻撃するまでには重いボウガンを組み立てなければならない為
攻撃に移るまでにどうしてもタイムラグが発生する。
火竜に近づき攻撃をしようとしても、ガラフが攻撃するよりはリオレウスが立ち上がる方が
早い。事実、火竜はすでに身体を半分ほど起き上がらせていた。
対し、ガラフは火竜を傍を通り抜け、リオレウスの背後を取る位置へと移動していた。そこ
彼が取り出したのは背にあった大タル爆弾。
息を荒げながらも彼はリオレウスの後ろへ爆弾を置き、再び駆ける。
背後に居たガラフにリオレウスが気が付くのと、ガラフが走り出したのはほぼ同時。リオレ
ウスは背後に居たハンターへと火球を吐き出す。
瞬間、洞窟に響くのは激しい轟音と振動。或いは火竜も吼えたのかもしれないが、それは爆
音にかき消された。
ウォーレンのハンマー、そして至近距離での大タル爆弾。火竜の頭部へのダメージはすでに
限界を迎えている。
『……これで終わりだな』
すでに意識が無いのか、壊れた機械のように緩慢に動くリオレウスの背後でガラフが言う。
眼前には再び大タル爆弾、そしてガラフの手には火の点いた小さな爆弾があった。
大タル爆弾のように爆発による威力は無いが、その爆発の衝撃は大タル爆弾を爆破するには
十分である。
ガラフは大タル爆弾の横にその小タル爆弾を置くと、火竜に小さく頭を下げた。
それはまるで火竜に礼を言っているようで、どこか違和感を感じた。
ガラフは急ぐわけでもなく、ゆっくりと火竜から遠ざかる。その背の向こう側で大タル爆弾
が爆ぜる。火竜リオレウスの命は小さな爆発の中に飲み込まれ、かき消された。
クエスト☆☆☆☆☆☆☆
どれほどの時間を歩いただろうか。
かなりの時間が経過したようにも思えるし、そうでないようにも思える。
ベースキャンプの支給品ボックスから持ってきた地図と、今自分達のいる場所とを見比べれ
ば後者のほうが正しいのだと分かった。
咽かえるような硫黄の匂いと熱気に、喉は元より息を吸い込んだ肺まで痛い。異常な暑さに
よる発汗。それに伴った喉の渇き。身体は水分を求めていたが、それに従ってばかりはいられ
ない。
水分の取りすぎはバテる原因でもあるし、何より持っている水も無限ではない。少しぐらい
は我慢しなければ、いざという時に困るからだ。
『はぁ……はぁ……』
それにしても辛い。
喉を焼く熱気と、脱水症状による疲労もそうなのだが、洞窟入ってからずっと続いている緊
張状態が辛かった。
溶ける岩が発する赤い熱を帯びた光のお陰で、洞窟の中ではあるがある程度の視界は確保で
きている。だが、はっきりと周囲が見渡せるかといえばそうではない。
薄暗い洞窟の中、どこからモンスターが飛び出してくるか分からないという緊張感が常に付
き纏うのだ。岩壁に映る自分の影の微妙な動きにさえビクリと身体が反応した。
そんな緊張感を抱きながら、灼熱の洞窟を進んでいくのだ。これで集中力が切れない方がお
かしい。
いつ何時モンスターが飛び出してきてもいいように備えなければと思ってはいるのだが、ど
こかでこの状況から逃げ出したい気持ちに駆られる。
安全な街に戻りたい。熱を帯びて身体を焼くこの鎧を脱ぎ捨て、村の泉にある冷水を頭から
被りたい。
集中すればするほど、余計な考えが頭を過ぎるような気がした。
しかしそんな事を考えていられるのも今の内だけだ。もう数十分もすれば鎧竜グラビモスと
の戦いになる。戦いの最中に余計な事を考えている暇はない。
『どないや、フィール?』
不意にハイドが先頭を行く男に声をかけた。
長い緊張の中にいたせいか、自分以外の声に安心感を覚えた。
『…………』
ハイドの問いに対し、男は無言。静かにその歩みを進めるだけであった。
『フィール、おりそうなんか?』
沈黙を肯定と受け取ったのか、再度ハイドが問う。
もう少し歩けば《エリア7》だ。その入り口はすでに見えている。
今自分達の居る《エリア3》を抜ければ、洞窟を出れる。しかしその先は噴煙と灰と熱が支
配する死の世界。その入り口が洞窟の闇の中に不気味に口を広げていた。
『フィール、おま━━━』
『……わからない』
何も言わないフィールに痺れを切らしたのか、ハイドが駆け寄る。
この暑さだ、苛立つのは仕方がなかった。
ハイドはフィールの胸ぐらを掴み、そのまま殴り飛ばしそうな勢いであったが、フィールは
何食わぬ顔でハイドの伸ばした腕を弾くと、再び身を翻して歩き始めた。
『すまんな、嬢ちゃん』
ハイドがこちらに振り向き溜息をついた。
『い、いえ……。それよりも━━━』
それよりも少し休憩しませんか。そう言い出しかけて、慌てて口を塞ぐ。
目的であるエリアはすぐそこだ。ここでそんな事を言い出すわけにはいかない。
『どうしたんや嬢ちゃん?聞きたいことがあるんやったら今の内に言っといたほうがええで?
グラビモスとの戦いが始まったら俺らも余裕なくなるからな』
ハイドが首を傾げながら問う。
彼等から見れば自分は駆け出しの雛鳥も同然だ。戦闘が始まって辺りを喚き散らしながら走
られても困る、そういう事なのだろう。
『そういうわけじゃないんですが……』
そして暫しの沈黙。
赤く溶けだした岩から浮かび出る気泡の爆ぜる音と、地鳴りの振動だけが洞窟に響いている
。
『……小僧のことやったら諦めた方がええかもしれん』
『…………』
心に、身体に圧し掛かる重圧は、薄暗い洞窟や熱気のせいだけではない。
『俺もそんな事言いたいわけちゃうやけどな。……それでも最悪の時の事は考えておいた方が
ええかもしれん』
『……はい』
最悪の時。そんな瞬間の事など考えられない。この洞窟を抜け、歩いていればどこかでひょ
っこりと顔を合わせる。そんな期待ばかりを抱いてしまう。
しかしハイドの言うとおり、“そんな事”も考えて━━━いや、覚悟しておかなければなら
ない。
気持ちを整理する為の時間が欲しかった。それはどれだけあってもいい。もしかしたら無限
に時間があっても整理をつける事などできないのかもしれないが。
彼の死体があれば納得できるだろうか。
もし仮に息絶えた彼が居たとしても納得などできるわけがない。彼が見つからなければ尚更
の事である。
これからもずっと狩りをしていこうと誓ってくれた。 あの日、あの丘での事を忘れること
はない。
(約束を破るの、ルー……?)
不意に洞窟が“揺れた”。
大きな岩を、流れる紅い川を、洞窟を支配する闇すらも震撼させるほどの音。
『何やッ!地震かッ!!!?』
『違う……、これはグラビモスだ!!!』
背にした竜刀の柄に手にかけ駆け出すフィール。それを追いかけようとしたハイドであった
が、動こうとしないリシェスに気が付いたのだろう。
暗い洞窟を這う振動は僅か数秒であったが、リシェスの足を絡め取るには十分であった。
『嬢ちゃん、いけるか?』
先程の振動が自分の足にだけ残っているかのような感覚であった。すっかり竦んでしまった
足はまったく言うことを聞いてくれない。
『無理はせんでええ、後からゆっくり来たらええからな』
ハイドに肩を掴まれ、揺さぶられる。
『嬢ちゃんも心配やけどな、アイツも一人にしておかれへん。今はこのエリアにはモンスター
はおらんみたいやから、嬢ちゃんは暫くじっとしとき』
矢継ぎ早に飛び出すハイドの言葉に、頭を上下にさせるだけでリシェスは応える。
『でもモンスターが“一体でもきたら”、無茶でもなんでもええ、身体を引き摺ってでもすぐ
に俺らのおるエリアにくるんやで!わかったか!!?』
ハイドの最後の確認に一際大きく頷く。
この薄暗い洞窟に一人残されるのは不安で仕方なかったが、動けないのは自分だ。そんな文
句を言っても通るはずがない。
それよりもフィールは鎧竜グラビモスのいるエリアへと向かったのだ。
優先すべきは飛竜との戦いへの参戦である。
もしこの足が自由に動いたとしても、グラビモスとの戦いでは役には立てない。
いっそのことこの場所でじっとしておいた方が彼らの為になるのではないかと考えてしまう
。
『動けるようになったらすぐにこっちに来るんやで!』
そう言いながらハイドが駆け出す。その向こうではフィールが洞窟の出口に差し掛かろうと
していた。
リシェスとのやり取りは僅か数十秒であったが、彼にハイドが追いつくには数分を要するで
あろう。
いくらフィールが腕に自信があろうと、開幕一番何の策もなくグラビモスに斬りかかるとい
うことはしないだろうが、ハイドが追いつくまでの僅かなタイムラグが明暗を分けるという事
も大いに有り得る。
生き残れる者。死に逝く者。その差は僅かでしかない。
飛竜との戦いは命を懸けた綱渡りほどの確率も無い。例えるならば薄氷の上を全力疾走で駆
け抜けるようなものだ。
薄い氷の上に立ち止まっては溺れてしまう。また踏み出す足を間違えても冷たく暗い死とい
う名の水の中。
踏んだ場所が渡れるかどうかは自信の持つ運に左右される。
或いはそれは運命によって、“渡れる者と渡れざる者が決められている”などと言う者もい
るが。
どちらにせよ、走り出したのなら最後まで走り続けなければならない。
━━━それは誰もが同じなのだ。
柄に手をかけ勢い良く飛び出す。幸いここは眩しい日差しが降り注ぐ平原ではない。暗い洞
窟からいきなり飛び出したからといって、視力を奪われることも無い。
チラチラと舞う灰が視界の端に映るが、そんなモノで集中力を乱されることもない。
『…………ッ!?』
大きく眼を見開き、眼の霞みを吹き飛ばす。視界に映る全ての情報を脳に収め、次の行動を
決定する。
そしてその光景に息を呑んだ。
山の様な、見上げなければその全長も把握しきれない様なグラビモスが仰け反っていたのだ
。その腹下では小さな火花が爆ぜる。
間欠泉が吹き出したりしている類のモノではない。間髪いれずに耳を震わす轟音が、“それ
”が爆発物だと教えてくれる。
ハンターであれば、恐らく誰もが一度は使うであろう物。
強固な飛竜の鎧であろうと、道を塞ぐ大岩だろうと吹き飛ばす、飛竜に対するハンターの切
り札的アイテム。
その名を大タル爆弾。ただしのその音と、グラビモスを吹き飛ばした威力から見るにGクラ
スのものであろう。支給品としてギルドから支給される爆弾の中に、時折その様なものが奮発
される時がある。
自分達がベースキャンプの中にあった支給品ボックスを開けたときにはそんなアイテムは入
っていなかった。
となれば今、グラビモスと戦っているのは━━━
『小僧ッ!!!』
フィールの後ろから追いついたハイドが叫ぶ。
それに対しルインはこちらを一瞥しただけで、すぐにグラビモスに向き直った。
このまま戦い続けて勝てるとは思ってはいないだろう。いくら彼が腕に自信があるといって
もここは上位クラスの狩場。自分の腕が通用するとは思ってはいない。
しかし、狩場で突然自分の名を呼ばれたからと言って、動きを止めれば待っているのは死で
ある。
グラビモスを追い込むのか、それとも自身がグラビモスから距離を取るのか。どちらにしろ
合流できるのは一息つける状況になってからだ。
それまではどれだけ辛かろうと自分だけの力で乗り切らねばならないのだ。
『ハイド…………行くぞ、まずはあの小僧からグラビモスを引き離す』
『おうよ!その前に俺はあの小僧をブッ飛ばしたいけどな!』
『…………俺もだ』
ハイドの言葉ににやりと微笑みを重ねると、二人は全くの同時に駆け出した。
様子見の走りではなく、一気に肉迫する為の全力疾走。グラビモスがこちらに気がつく前に
その腹下へと潜り込まねばならない。
距離をとれば取るほどグラビモスと戦うには不利となる理由があるのだ。
それ故の全力疾走である。
グラビモスとの距離はおよそ数十メートル。鎧竜の瞳には依然として目の前のルインしか映
っていない。
これなら気付かれる前に接近できる。ほんの少し幸運が味方してくれれば、不意打ちの一つ
でもできるかもしれなかった。
しかし“そう”ならなかったのは、彼等の思惑から外れる条件が揃っていたからだった。
『ふぅ……』
一人残された洞窟の中は不気味以外の何者でもなかった。
自分以外に頼れる者は誰も居ない。孤独という恐怖感が胸を締め付ける。
足の震えはだいぶと治まってきていたし、今すぐにでも彼らの後を追うことはできた。
だが━━━
(…………)
行きたくない。
心のどこかでそう思ってしまう。
もし彼らの後を追って、グラビモスとの戦いに参加したとしても自分がどれほどの役に立つ
のだろう。
いや、それすらも“驕り”だ。
きっとどれほども役に立てない。
それどころか彼らの足を引っ張るだけというのは目に見えている。
経験も装備も足りない。そんな自分が出来ることなんて何もない。
頭の片隅でそんな事を考える。
この場から動き出せないのは足の震えだけのせいではない。
未知への恐怖は誰にでも、どんなものにでもあるのだが、振り払うのは簡単ではない。それ
は恐らく誰しもが一度は経験したことがあるだろう。
二の足を踏む自分に苛立ちすら感じるが、頭では諦め染みた言い訳ばかりが浮かんでくる。
このままここで待っていれば、きっと彼らはグラビモスを討伐するだろう。
そこに自分がいるよりもいない方が、狩りが円滑に運ぶに違いないと自分に言い聞かす。
それは決して彼らの為を思ってのことではなく、自分が逃げたいが為の言い訳作りだ。
どれだけ言い訳を重ねても惨めな気持ちが溢れてくるのを抑えられない。
━━━いや、言い訳を重ねれば重ねるほどより一層惨めな気持ちになるのだと分かっていた
。
今している言い訳は“逃げ”なのだと、無意識のうちに知っているからである。
それでも逃げ出さないのは、ハンターとして立派であったであろう両親の血なのだろうか。
逃げ出したくて堪らない気持ちとは裏腹に、動こうとしない足。この気持ちに決着をつける
には自らの意思を持って踏み出して行かねばならないこともまた、分かっている。
『私がいても何とかなる……よね?』
心の中で、自らに問いかけても返ってくるのは否定的な答えだけだ。
誰に問うでもなく、言葉が口に出ていた。
『うん、きっと大丈夫。役には立てないかもしれないけど、わたしにできることをしてやるん
だから!』
出来ることなんてきっと何もない。あるとしても彼等の邪魔にならないように逃げ回ること
くらいだろう。
しかし、そんな逃げ腰な考えばかりではいけない。
自分にもきっと何かやることがあるはずだと、前を見る。これが生き残る上で最も重要な事
である。もっとも少女がそれに気が付いているかどうかは別問題だが。
『せっかく上位のハンターの狩りを見れるんだもの。しっかし見ておかないとエレノアに何を
言われるか……ねぇ?』
技量も経験も遠く及ばない自分が今の彼等を見ても、その真価は理解し得ないだろう。
しかし今見ておくことで、後々何かの役に立つかもしれない。
誰も居ない、空に放った言葉に応えたのは、そこに居てはいけない者であった。
灼熱の空気が肺に流れ込む痛みに耐えながら尚、大きく息を吸い込む。鼓動が激しくなるの
はこの温度の中を全力疾走しているだけのせいではない。
纏わりついてくる熱気を振り払うかの様に懸命に脚を動かす。
咽かえるような温度と加速する体温、暑さで頭が朦朧としそうであったが、逆に意識は澄ん
でいた。
グラビモスまで十数メートル。“動く山”はもう目の前だ。
その腹下に辿り着くまでに何秒もかからない。
刹那とも呼べる瞬間に膨大な思考を繰り広げる。
━━━即ち、最高のタイミングで最高の一撃を鎧竜へと見舞うのだ。
その為のイメージを繰り返す。
予想は完璧。まだこちらに気が付いていない無防備な相手に攻撃を仕掛けられるのだ。
そしてそのまま流れを引き込めば、一気に決着をつけれるかもしれない。
一瞬。その僅かな時間で全てが決まるかのような気がした。
━━━されど、“全てをひっくり返す”のもまたその刹那の瞬間なのだ。
山の様な巨体。鈍重な躯。そのグラビモスにとって、目の前の少年はどう映ったのか。
同年代の同性の中でもやや小柄な体躯。煤で汚れたハンターメイルはその色と相まって確認
しにくい。
更にその少年の“速さ”を持ってすれば、鎧竜の死角へと潜り込むのは易かった。
それはまさに一瞬の出来事であった。
地面を蹴った砂塵が巻き上がる一瞬。或いは爆ぜた溶岩の明暗が変わる一瞬。
その刹那を以って少年はグラビモスの眼前より消え失せた。
死せる荒野に舞い込んだ一陣の風。少年の速さにグラビモスはもとよりフィール達も息を飲
んだ。
標的であるルインを見失ったグラビモスは戸惑った。鈍重な自分の躯では素早い標的は狙え
ない。それは視覚ではルインを追えないことを意味している。
ならばどうするのか。
生死を賭けた極限の状態を生き残ってきた者だけが持ち得るモノ。生命というモノが本能で
発揮するモノ。
━━━勘である。
鋭く研ぎ澄まされた生物の勘は、人のそれを遥かに上回る。それに加えて、限界を超えてア
ドレナリンを分泌し、体中に大量の血液を送り込む。 活性化する身体能力は人と比べるまで
もない。
あまり正確ではないが、その勘は外敵の敵意を感じ取る。
━━━それは敵意というよりも闘争心から生まれる殺意と言っても違いはない。鎧竜は“自
分の後ろに突然現れた外敵を確実に感じ取って”いた。
目の前にある“小さな殺意”よりも後ろから近づいてくる“二つの殺意”、そして━━━
正確ではないが故により大きなものに、より強いものに引かれる。
グラビモスはゆっくりと振り返りながら大きく息を吸い込む。
自分の後ろに何がいるかは確認しなくてもいい。目標を“特定する必要もなく”攻撃が可能
ならばそれで十分なのでである。
『ハイドさん助けてッ!!』
少女が叫んだのと、鎧竜が吼えたのは同時であった。
灼熱の咆哮。鎧竜の声は烈火の如く燃え上がり直線状に全ての外敵を薙ぎ払う。
それは体内に取り込んだ溶岩の熱を放熱する為に行う行為であると推測されているが、その
威力は生命が耐えれる限界を遥かに超えている。
『嬢ちゃんッ!!』
ルインが、ハイドが、フィールまでもが足を止め振り返る。
グラビモスが捉えた殺意はフィールのものではない。ましてや駆け出しのハンターである少
女━━━リシェスのものではない。それは彼女の背後から迫り来る者。今まさにリシェスへと
飛び掛ろうとしている者だった。
グラビモスから一直線に伸びた灼熱の吐息はリシェスが出てきた洞窟へと凄まじい速さで飲
み込まれていく。その速度は鈍重な鎧竜からは想像できないものであった。
『リシェ……ッ!?』
予想だにしなかったグラビモスの突然の行動に暫し呆然としていたが、急に体中の血が抜け
落ちたかのように冷静さが襲ってくる。
あの瞬間、暗く口を開けた洞窟から飛び出してきたのは間違いなく自分の仲間である少女だ
。
そしてそこへ間髪入れずに浴びせられた劫火の如き熱線。これで肝を潰さないわけがない。
死の荒野は舞い上がる灰で視界が悪い。遠く離れたこの場所からはリシェスの安否を確かめ
ることはできなかった。
迷う。
今すぐにでも駆け出し、リシェスの無事を確認したい。
しかし、このままグラビモスに背を向けければ、自分の身も危うい。背後からあの熱線を再
び放たれれば、避けきれないかもしれないという思いがルインを躊躇わさせた。
考えていられる時間に余裕は無い。
すぐにでも次の行動を決定していかなければならない。
現に目の前のグラビモスは小さく躯を震わし、次の行動へと移っている。
いくら動きが緩慢なグラビモスと言っても、これ以上先に動くことを許せば致命的な状況に
陥りかねない。
自分の命か、仲間の命かを天秤に掛ける。
あの熱線をまともに受けていれば、間違いなく命は無い。だが、ひょっとしたら生きている
可能性もある。
今すぐに駆けつけ、応急処置を施せば助かる状況にあるかもしれない。
無事に避けきったという可能性もあるが、そんな希望的観測をおけるような状況ではなかっ
た。
『くそッ!!』
悩む時間は少なければ少ないほどいい。
自分の速さなら、グラビモスの攻撃を掻い潜ってリシェスの下に辿り着けると自分に言い聞
かせて信じて走りだす。
ゆっくりと振り返るグラビモス。その大きな躯の影から飛び出してきた男に目を見張る。
次の瞬間ルインの身体は宙を舞っていた。
突然の衝撃に為す術もなく吹き飛ばされる。満足に受身も取れずにルインは灰に塗れた地面
の上を転がった。
『ぐ……ッ』
衝撃に遅れて痛みが伝わり、口の中に鉄錆の味が広がる。
自分に起きた状況を理解するよりも早く、胸ぐらを掴み上げられて初めてルインは目の男に
殴り飛ばされたのだと理解した。
『な、何を……』
『“何を”だと?お前、状況が分かっているのか?』
『…………ッ!?』
男の力は凄まじく、今にも絞め殺されるのではと思うほどであった。
『この状況で飛竜に背を向ける?!死にたいのか、お前は!!』
突き刺すような男の瞳には、烈火にも似た激しい感情が渦巻いていた。それは燃え盛る溶岩
にも勝るとも劣らない“怒り”。
何に対して怒っているのかはルインには分からなかったが、唯一つ判ることはその怒りが自
分に対して向けられているということだった。
狩場で優先すべきは己自身の命。判断を違えたことに対する怒りなのだろうか。
『死にたいわけじゃない、俺はリシェスを……』
ルインの言いかけた言葉をフィールがその力をもって阻む。
『同じことだ。もしもグラビモスの陰から飛び出したのが俺ではなくモンスターならば、お前
は死んでいた』
言われてはっとする。
フィールの不意打ちの一撃。その一撃を自分は避ける事ができなかったのだ。
彼の言う様に、もしもそれがモンスターの一撃だったのならどうなるのか。
その一撃で命を落とすことは無いかもしれない。しかし続け様に攻撃を受ければどうなるか
は分からない。
たった一度のちょっとした出来事が戦いの流れを大きく変えることなどよくある事だ。
彼の一撃を避けれなかった自分には、言い返す事ができなかった。
『…………』
何も言い返せず、ただ締め上げられる力に耐える。
火山の咽かえるような臭いも相まってか、息が詰まりそうだった。
不意に身体が重力を取り戻し、そのまま抗えずに尻餅をついた。
『くるぞ。準備をしろ』
言われるまでもない、尻餅をついたのは不意に自由になった身体が驚いたからだ。
身体が自由になれば、無意識にでも体勢を立て直すのはハンターとしての習慣だろうか。ル
インは腰から剣を、相棒のアサシンカリンガを抜きながらフィールの右後方についた。
刀身が鞘から抜かれ、金属の擦れる音が響く。その音は何度も聴いてきた緊張を感じさせる
音だった。
フィールのやや後ろについたのは彼の出方次第で自分の行動を決める為だった。彼が右に動
けば自分が左へ、その逆ならば自分もその様に。
その為にも彼がどの様な動きをするのかを正確に判断する必要がある。
ハンターとしての経験も実力も彼の方が上。自分が及びもしない事は分かっているが、それ
でもただ黙って見ている訳にはいかない。
彼の動きを判断し、自分は自分の出来ることを全力でやるだけだ。
そう自分に言い聞かせ、ルインは腰を少し落とした。
対するフィールは不動。右手を背中の剣の柄に添え、ただグラビモスを見ている。
彼が背負っている武器━━━太刀と呼ばれる遠いシキの国から伝わったとされる武器。
その太刀を用いた立ち回りがどの様なものか見当もつかない。 ひょっとしたら自分の様な
素早く相手の周りを動き回る片手剣とは相性が悪いかもしれない。
何も知らない、初めて見る武器。しかし今この瞬間において、分かることが一つだけある。
目の前では鎧竜が静かに、ゆっくりと吼える。
『何をしてるんだッ!!』
狩場で足を止める者に命は無い。
それはどんな者でも知っている狩場での真理だ。
駆け出しのハンターでも、生まれたばかりのモンスターでも。命ある者全てが無意識の内に
理解している。
されどこの男は。目の前のフィールは動き出したグラビモスを前にして微動だにしない。
幾ら動きが緩慢なグラビモスと言えど、その巨体から繰り出される攻撃は、緩慢であるが故
に人が楽に避けられるものではない。
『早く逃げ━━━』
ルインの声を打ち消したのは轟音。
赤き灼熱の熱波がルインの眼前を凄まじい勢いで駆け抜けた音だった。
その凄まじい熱波の奔流が近くを通っただけで、鎧を通り越して身を焼かれるようであった
。
高温の空気を吸い込んだせいか、胸が痛む。
“あんなモノ”を直撃で受けた人間が生きているわけがない。例え火竜の鎧に身を包んでい
たとしても中身だけが蒸発してしまうだろう。
しかし眼前でただじっと鎧竜を見据える男に、ルインは驚愕した。
『それはすでに“見切った”……。大した威力だ、だが当らないなら恐れるまでもない』
身体を震わしながら佇むグラビモスに向かってフィールが言う。
グラビモスから発せられる劫火の熱線。確かに威力は恐ろしいが、それほど広範囲に向かっ
って広がるわけでもない。
一本の帯となって収束された熱気は僅か数歩歩いただけでも直撃は避けられる。
しかしそれは直撃を避けれるだけである。もしも僅かにグラビモスが首を横に振れば逃げ場
はない。
一度でも浴びればこちらの命はない。それを紙一重で避けるというのはかなり分の悪い賭け
である。
次の瞬間、フィールは気合一閃、長尺の太刀を一気に抜き放ちグラビモスに向かって駆け出
した。
『くッ……!!』
驚いていたせいもありやや出遅れる。しかし足の速さはルインの方が上。
追いついても前に出ることはしないが、数秒後には彼の後ろについていた。
『どうするつもりですかッ!?』
『━━━無限を掴む』
『え?』
それは彼からの返答ではない。故にルインには言葉の意味が分からなかった。
『檻を成す━━━』
フィールから殺気が溢れ出す。それは強大なモンスターと敵対したかのような錯覚に囚われ
るほどのモノであった。
咽返るような熱気の中にあって、ルインは背中に冷たい汗が流れるの感じた。
それはグラビモスも同じであったのか、彼等を。いや、“彼”を近づけさせないようにと躯
を懸命に捩る。
遅れてやってくる鎧竜の尻尾。硬い甲殻に覆われたそれは、まさに巨大な鈍器の様であった
。
静かに灼熱の空気を押し退けながら迫り来るグラビモスの尻尾にルインは思わず足を止める
。彼もまた同じだと思った。同じく止まるだろうと思ったからルインは足を止めたのだ。
しかし━━━
フィールの身体と、グラビモスの尾が交差する。
その次に眼に飛び込んでくる光景は容易に想像できた。
煤と灰が支配する暗い空。その色に溶け込むこともできずに宙を舞う白い甲殻。
『なッ!?』
吹き飛ばされたのは彼だと思った。
迫り来る鎧竜の尻尾に速度を殺し損ね、なす術も無く吹き飛ばされたのは間違いなくフィールだと思った。
彼が手にした太刀は天を衝き、骨刀が持つ鈍い色の刀身に暗い空の色を映している。
『━━━即ち、全てを射殺す殺眼の魔剣』
フィールが発した言葉の意味は分からない。恐らく自分を鼓舞する為の呪いの様なモノだろう。
現に“眼”を見開いた彼の表情は最早別人。鬼気迫る形相ですらある。
天を衝いた骨刀は鮮やかにその身を翻し、熱気を切り裂きながらグラビモスへと迫る。
鈍重な動きしかできないグラビモスに彼の刃を避ける手段はない。
その長身からは想像できないような速さで、フィールの骨刀がグラビモスを捉える。
しかし、予想に反してフィールの腕に伝わるのは鈍い衝撃。骨の刀身を震わす甲高い音が響いただけであった。
その感触に思わず舌打ちする。
目の前にいる飛竜の名はグラビモス。またの名を鎧竜という。
強固な鎧の如き甲殻で覆われたその躯は、並大抵の攻撃ではビクともしない。
『この馬鹿硬い鎧は、お前の石頭みたいだなッ!!』
『アホ言え!!馬鹿だけ余計やっちゅうねん!!』
フィールが冗談交じりに言う。
一瞬。その一瞬にハイドの渾身の力で振り下ろされたアッパーブレイズがグラビモスの顔を強襲した。
叩きつけられた自らの刃すらも巻き添えにして、グラビモスの甲殻が弾け飛ぶ。
その強烈な一撃にさすがの鎧竜も身を捩った。
『相変わらず硬い鎧を着込んでんな!』
曲がり、或いは欠けた刃のアッパーブレイズを引き戻し、構え直しながらハイドが笑う。
何が可笑しいというのか。自らの自慢の武器を以って、生命の急所である頭部に完璧な一撃を見舞った。
それでも尚グラビモスは大したダメージを受けているようには見えない。
対しこちらは刃は曲がり、欠けている。それが可笑しいのだろうか。
『フィール!こんなんいくら殴っても埒があかんて!』
『……分かっている』
ハイドの言うとおり、後何十回“叩きつけて”もグラビモスの命は奪えない。
それどこか先にこちらの武器が壊れてしまう。
叩きつけてというのは、相手がグラビモス故。その硬い甲殻には鋭利な刃物では文字通り歯が立たない。
だからこそハイドは力任せに大剣で殴りつけたのだろう。
アッパーブレイズの重量、とその切れ味を以ってしてもグラビモスの鎧は切り裂けない。
それはハイドの持つ骨刀【竜牙】や、ルインのアサシンカリンガであっても同じだろう。
どうにかしてあの鎧を何とかしなければ、こちらに勝機はない。
(でもあんな鎧……)
考えを巡らせる。
自分はこんなところでただ呆然と立ち尽くすために彼等に着いてきた訳ではない。
今の自分にできることは無いに等しいが、それでも何かあるはずだと自分に問いかける。
(今の俺にできること……)
それはそう多くはない。自分の持っている武器、道具。その全てを確認する。
一つでは役に立たない物も、場合によっては状況を打破できる可能性も出てくる。
自分にできる事、できない事。
一つ、また一つと実行できそうな事が浮かんでは消えていく。
その理由のどれもが自分の実力と経験不足によるものなのが痛かった。
自分がもう少し火山での狩りに慣れていれば。自分の纏っている武具が上位の物であったなら。
今更後悔したところで何の意味もないことだが、“自分が上位のハンターなら”とそればかりが頭も過ぎる。
しかしそれは彼が後悔しているだけであり、“そうであった”としても状況に変わりはない。
ルインが上位のハンターであるだけで、この鎧竜を何とかできるのなら、彼等がとっくに何とかしている。
ルインの武器が上位のものであるだけで、このグラビモスの鎧を貫けるのなら、彼等の武器が鎧を切り裂いている。
問題はそれなのではない。
ただただ硬いグラビモスの鎧が問題なのだ。それを何とかしなければこの狩りを成し遂げることはできない。
厚く、岩が溶けるほどの熱をも通さず、上位ハンターである彼等の武器を物ともしないグラビモスの鎧。
それを何とかしなければルインはもとよりフィールやハイドにも勝利はない。
(でもあんな鎧━━━)
ふと何かが頭を過ぎった。
あの強固な鎧を何とかできるかもしれないと思ったのは、次の瞬間だった。
急いでポーチの中に詰め込んできた道具を確認する。
アサシンカリンガを砥ぐ砥石、薬草、ペイントボールに角笛。そしてギルドから支給された携帯食料と応急薬。
必要な物は全て持っている。
持っていないのは“あそこに置いてきた”からだ。
忘れていたわけではなかったが、さっきまでは確かに頭には無かった。
それは彼等がやってきたからであったが、その言い訳は今はどうでもいい。
初めてグラビモスと戦った瞬間に、自分の武器ではどうする事もできないことはすぐに分かった。
目の前に現れた山の様に巨大なグラビモスに呆然とし、立ち尽くした。
この世界にはグラビモスも狩れるハンターがいるということは当然知っていたし、自分にも狩れると思っていた。
しかし現実は、溶岩の中から現れたグラビモスがまた溶岩の中へと消えていくのを見送ることしか出来なかった。
その後、どうやってベースキャンプまで帰って来たのかは憶えていない。
どのエリアを通ってきたのか。途中にモンスターはいなかったのか。
ひょっとしたら、途中でイーオスを見かけたのかもしれなかったが、偶然にも襲われることはなかった。
無事に帰ってきてベースキャンプにあるベッドに腰掛ける。
それは対策を考えていた訳ではない。グラビモスをどうする事も出来ずに途方にくれていただけであった。
どれくらいの時間が過ぎただろうか。そんな事を考え出した時に、ベースキャンプに近づく者が居た。
ベースキャンプを訪れた来訪者は、共に出発した仲間達ではなく一台の荷車と二匹アイルーで、ギルドの使いであった。
彼等はギルドがハンターに支給するアイテムを運んでいるのだと言っていた。
その言葉にルインは戻ってきたのが、あの二人だけではなかったので安心したのを憶えている。
数分とかからずに、ギルドから支給されたアイテムをボックスの中に仕舞い込むアイルー達。
話しかければ何か話してくれたかもしれないが、その時にはそんな気分にはならなかった。
それはアイルー達も同じで、一人ベースキャンプにいるルインを見てどう思ったのだろうか。
そんな事を考えながら、アイルー達が運んできたアイテムを見ようと立ち上がったのは、アイルー達が曳いていた荷車が見えなくなってからかなり時間が経ってからだった。
青く塗られた頑丈な木製の鈍重な箱。ギルドの紋章が押されたその箱には人々の好意が詰まっている、
いや、期待と言うべきだろうか。
依頼する理由は様々だが、どれもがハンターにモンスターを狩猟してもらいたいと願ってのことだ。
その為に依頼金の一部から様々なアイテムがハンターに支給される。
重たい木箱の蓋を開く。その中に在り、一番最初に目に留まった物。それならば何とかなるかも知れないと思った。
あのグラビモスの鎧を何とかできるかもしれないと。
そのアイテムは━━━
死の荒野に高々と響く戦慄。降り注ぐ灰を、空気を、灰色に染まった黒い雲さえも揺らすようにその音色は響く。
エリアにいる者には当然、もしかしたらこの火山にいる者全てに聴こえたかもしれない。そんなつもりでルインは思い切り息を吹き込んだ。
『小僧……』
それはフィールやハイドは勿論。グラビモスの注意さえ引き付ける。
角笛。竜骨と呼ばれるモンスターの骨を削り作られたその笛が奏でる旋律はモンスターにストレスを与えるらしく、その笛を一度吹けば、モンスターの狙いは真っ先に笛の演奏者となる。
『……行くぞ、ハイド』
グラビモスはすでに笛を吹くルインへと歩みを始めている。それを追いかけるようにフィールとハイドは走り出した。
歩くと言っても、飛竜の一歩は人のそれを遥かに越える。同じ様に歩いているのでは間に合わないのだ。
笛を吹くルインの横には、彼の身長に迫ろうかという影。それはぴくりとも動かずにルインの横に在った。
これが彼の秘策。ギルドから支給されたアイテムの中に入っていた物。
そのアイテムを見るのは初めてだったが、“よく似た物”は使ったことがあったので、使い方は知っている。
その名を大タル爆弾Gという。
今回支給されたのは支給品専用のアイテム故に使わなければ、狩りが終わった後にギルドに回収されるものではあるが、その威力は大タル爆弾Gと比べて何の遜色もない。
普通の大タル爆弾ならば、一度は使った事があるというハンターは多い。しかしこのGの名を冠する爆弾となれば、名前は知っていても見たことはないというハンターは少なくない。
もともと上位の狩りの一部でしか使用されないアイテムだからだ。
その威力は並みの大タル爆弾のおよそ二倍とも三倍とも言われている。見た目の迫力と合わせて、ずば抜けた存在感を放っている。
このGの名を持つ大タル爆弾なら、あの鎧竜の甲殻も吹き飛ばせるのではないか。ルインはそう考えた。
事実“その為にこの爆弾がギルドから支給されている”のだ。
ギルドから支給された大タル爆弾Gは二つ。その内の一つはフィールとハイドが合流する前にすでに使用している。
一度目の爆破ではその鎧を吹き飛ばすことはできなかった。しかし二度目のそれには耐えられないはずだ。
そう自分に言い聞かせて、ルインはグラビモスを大タル爆弾Gへと誘導する。
これは一種の賭けである。グラビモスの注意を引くことは容易であった。持っているアイテムの中に角笛があったからだ。
角笛を吹けば大抵のモンスターの注意を自分へと向けることができる。問題なのはその後だ。
ルインを意識したグラビモスがこちらへと歩いてきてくれればいい。しかしそうならなかったらと思うと、鼓動が加速する。
大きな翼を広げ、巨体を揺らしながら走ってくるのならまだいい。だがもしも“あの熱光線”を吐かれればお仕舞いだ。
あれほどの熱量なら、間違いなく大タル爆弾Gは起爆する。そうなれば彼等にグラビモスの鎧を吹き飛ばす術は無くなる。
それだけはなんとしてでも避けたかった。
『大丈夫だ……。あの光線は吐いてこない……』
それは自分に言い聞かせているというよりも、一種の願いであった。
グラビモスの熱光線は、グラビモスの体躯の中に溜まった熱を放出する為に行う行動だとされている。
もしそうなら、この戦いが始まってからまだ溶岩の中に潜っていない状態の今ならば熱光線を吐き出すわけはない。ルインはそう考えたのだ。
熱光線の持つ熱量は凄まじい。しかし裏を返せば、その膨大な量の熱を集めるのは容易なことではない。
如何にこの場所が火山で、熱が逃げ難く篭りやすいといった地形であったとしても、あれほどの熱量はそうそう集まらない。
だからこそグラビモスは歩き出した。それはルインの考えが正しかったのだと言う事。
熱線を吐かなかった。それはグラビモスの単純な気分だったのかもしれない。だがそれはルインの勝ちだということ。
狩場において、狩りにおいて勝った負けたは単純にモンスターを狩猟できたかどうかだけではない。
それに至るまでの多くの駆け引きが存在するからだ。この一瞬。グラビモスが歩き出したこの一瞬においてはルインは勝ったと言えるだろう。
そう、この瞬間だけは。
爆弾を置き、グラビモスが爆弾の方へと歩み寄ってくる。そこまではいい。問題なのはその後だ。
硬いグラビモスの甲殻を吹き飛ばすには、グラビモスの腹下で起爆する事が望ましい。それもできる限り近くでだ。
その為にはグラビモスが一度、大タル爆弾を通り過ぎる必要がある。
グラビモスの身体の構造的に、一番最初に大タル爆弾に近づくのは頭、首、そして胴となる。
グラビモスはこの大きさの異物を前にしてみすみす見逃すだろうか。
目の前にある大きなタルが爆弾である事は分からないかもしれない。しかし彼等は培ってきた野生の勘を備えている。
それが自らの命を窮地に追いやるモノであると勘付かれれば、次の瞬間ルイン達は敗者となる。
頭部付近で起爆するということも考えたが、それでグラビモスの命を奪えなければ、結果は同じである。
『くッ……』
ルインの頬を汗が伝う。それは火山の熱気のせいではない。
ゆっくりと歩み寄ってくるグラビモスの重圧。起爆が成功するかどうかという焦燥感。
手は震え、できることなら今すぐにでも拾い上げた石を投げ捨てて逃げ出したかった。
『フィール、タイミングを間違えんなやッ!』
『当たり前だ、誰に言っているッ?!』
聞こえて来るのが火山の鳴動なのか、自らの鼓動なのかも分からない中、聞こえてきたのは聞きなれない声。
見れば揺れるグラビモスの尻尾の陰から二つの影が見える。
ゆっくりと歩くグラビモスを必死の形相で追いかけているフィールとハイドである。
火山の煤で汚れた顔を真っ赤に紅潮させ、その表情はまさに鬼の様である。
タイミングとは恐らくルインが爆弾を起爆させるタイミングのことであろう。その瞬間に彼等は一気に鎧竜を畳み掛けようというのか。
戦いにおいて場の流れは非常に重要なものだ。どれだけ圧倒的な立場にいても、その流れが変わってしまえばなし崩し的に敗北を喫することもある。
ルインの仕掛けた大タル爆弾がその名の通り、状況を一変させるだけの起爆剤となり得るかどうかである。
しかし、爆弾まで後一歩。後一歩のところでグラビモスはその歩みを止める。その双眸は目の前に置かれたGクラスの大タル爆弾に向けられていた。
グラビモスはその巨体通り、幼い竜ではない。ギルドの調査ではバサルモスと幼竜体を経てグラビモスになるのだという。
だとすれば長い年月の間に、このグラビモスはこれと同じ物を見たことがあるのかもしれない。これと同じ匂いを嗅いだことがあるのかもしれない。
ましてや“その時”にこの大タル爆弾で痛手を負ったことがあったとしたら。
『くそ、爆弾に気が付いたのかッ?!』
絶望からか、口からそんな言葉があふれ出した。誰に向けたモノでもなく、独り言のようなものだった。
悔しさからか、意図せず勝手に飛び出した言葉だった。
故に誰も返す者はいないはずだった。
『フィール、今や!!』
ルインの言葉に応える様に、続けられたのはハイドの声。グラビモスが歩みを止めたその僅かの間に彼等は追いついたのだ。
言うが早いか、彼はグラビモスの横に並びアッパーブレイズを構える。渾身の一撃を放つ気だ。
更にそれに続くのはフィール。殺眼と呼ばれる魔剣士の瞳に鈍い光が揺らめく。それは溶岩の放つ光のせいだけはなかった。
彼は止まらなかった。ハイドがグラビモスに追いついて尚走る。
肩にある骨刀【竜牙】の柄に手を添え、彼が向かうのはグラビモスの尾。
その白く大きな鎧竜の尻尾に彼は長い長い助走で付けた勢いを殺す事無く、一瞬で抜刀し骨刀【竜牙】を突き立てた。
先端まで余す事無く硬い甲殻に覆われている筈のグラビモスの尻尾に、彼の太刀は易々と突き刺さる。
それどころか、フィールの手のすぐ先まで突き刺さった骨刀【竜牙】はグラビモスの尾を貫通していた。そしてその切っ先は反対側にいたハイドの目先までに届こうとしていた。
瞬間、振り下ろされるハイドのアッパーブレイズ。
狙うのは自らに向かって突き出している骨刀【竜牙】。その刀身に沿う様にアッパーブレイズは振り下ろされた。
金属同士の擦れ合う高い音。思わず耳を塞ぎたくなるような、嫌悪感を抱くその音が響いたのは一瞬だった。
フィールの骨刀【竜牙】を滑りアッパーブレイズはグラビモスの尻尾に食い込む。
鋭く飛び出したアッパーブレイズの鉤状の刃は硬い甲殻に阻まれながらも、骨刀【竜牙】の刃を道標とし、その勢いを殺す事はない。
次の瞬間、ハイドの手にアッパーブレイズを通して伝わってきたのは鈍い衝撃。それは彼の持つ大剣が地面を抉った衝撃だった。
『━━━…………ッ!!!』
死の荒野を、溶岩の胎動に揺れる地を。その振動を掻き消さんほどの絶叫が駆け巡る。
グラビモスが足を止めたのは一瞬。その一瞬の出来事だった。
その一瞬でグラビモスは彼等に尾を切断されたのだ。その痛みはどれほどのものであろうか。自分が腕や足を切り落とされるところを想像し、思わず身体がが震える。
どれだけ硬い甲殻であったとしても、その繋ぎ目などに弱い箇所が存在する。
それを見切るのがフィールの眼であり、彼の魔剣の正体だ。
しかし、その魔剣と眼を以ってしても、グラビモスの巨大な尾の中心を貫通させることなどはできは無しない。
事実かれが骨刀【竜牙】で“射抜いた”のは尻尾の上部。それもほとんど外側のギリギリのところだ。
大事なのは打ち当てられるアッパーブレイズの衝撃に耐えられるだけグラビモスの肉に刺さっていることであり、またアッパーブレイズの威力をそのまま伝えられる場所に刃があることだった。
グラビモスの巨大な尻尾であれば的は大きく、グラビモスの鈍重な動きならば狙いもつけやすい。
これくらいの芸当は彼でなくとも上位のハンターにならば、出来る者はいるかもしれない。
しれないが、それでもその技は彼等の腕が凄まじい物だと証明している。
切断されたグラビモスの尾が火山の焼けた砂を巻き上げて地に落ちる。
痛みに耐え切れないのか、グラビモスは大きく翼を広げて仰け反った。いくら巨体を誇るグラビモスであっても、尾を切断されれば堪らない。
『小僧!!今やッ!!』
ハイドに名を呼ばれて、我に返る。
その瞬間理解した。彼等はただチャンスがあったからグラビモスの尾を切断したのではない。自分が何をしようとしているのかを瞬時に理解して、そのフォローアップをしてくれたのだ。
迷う時間は無かった。ルインはポーチから取り出したペイントボールを全力で大タル爆弾へと向けて投げつけた。
ゆっくりと放物線を描くように飛んでいくペイントボール。実際にそれはかなりの速度で飛んでいたはずだ。ルインは全力で投げたのだから。
しかし飛んでいくペイントボールがゆっくり見えたのは何故だろう。絶対に失敗できないという緊張からだろうか。
ルインの手から離れたペイントボールは吸い込まれるように大タル爆弾へと向かっていく。
自分の鼓動が一つ、また一つと脈打つ度に、情景が一つ、また一つと進んでいく。ルイン、フィール、ハイド、そしてグラビモス。それぞれはどんな思いだったのだろうか。
ペイントボールは大タル爆弾の側面にぶつかり、小さく弾けた。玉が割れた瞬間にペイントの実の独特な匂いが広がるのをハンターとしての鼻が感じ取っていた。
━━━空白。
僅かな一瞬の間に、嫌な考えが頭を過ぎる。
もしもあの爆弾が爆発しなかったら。そう思っただけで、全身から血を抜き取られたかのような錯覚に陥る。
ひょっとすればギルドの人間とて、調合の手順を誤るかもしれない。どんな人間でも完璧にはいかないものだからだ。
本来大タル爆弾は、ほんの僅かな衝撃を与えただけで起爆する。それは大タル爆弾を蹴ってもいいし、武器の先で少し突くだけもいい。勿論何かを投げつけてぶつければそれで事足りるのだ。
自らの心臓の音だけが無限に聞こえてくるような感覚の中、カチリと小さな音を聞いたような気がした。
刹那、グラビモスの胸元で大タル爆弾が弾けた。その様子はまさにGクラスの名に恥じぬものであった。
灼熱の火山に在りて、尚周囲を吹き飛ばすかの如く爆ぜる炎の花。グラビモスの叫び声さえも掻き消さんばかりであった。
されどその瞬間は一瞬。
グラビモスの瞳に怒りの火が灯るのと、あたりの景色が急速に追いついてくるのは同時だったような気がした。
煤の匂い。焼けた土の匂い。そしてペイントボールから発せられた匂い。その他に今まで感じなかった臭いが鼻を衝く。
グラビモスの胸部は赤く爛れ、そこから滴る血がグラビモスの影を紅く染める。焼けた大地に流れた血が蒸発していく、その臭いだった。
止め処なく流れる赤い血、その量は尋常ではない。大タル爆弾Gがグラビモスに与えたダメージは致命傷に近い。
それを一番痛感しているのは他でもなくグラビモスであろう。
怒りに揺れる瞳が迷っているように見えた。
即ち、このまま戦うか否かである。
戦力という点においてグラビモスがルイン達三人に負けることはない。それは圧倒的な力の差であるが故に埋めることはできない。
如何に竜殺しの武器を携えたハンターと言えども、人が扱う以上限界がある。
圧倒的な状況にありながらも後退を考えるのは、それほどに大タル爆弾Gが与えたダメージが大きいからだろう。
爆発の影響を受けた甲殻は所々に罅が入り、直撃だったであろう胸部は硬い甲殻の面影もない。
間違いなく生命を脅かすほどの傷である。それは強大な生命力を持つ竜にとってしても、看過しがたいものだったのであろう。
足を引き摺るようにして、振り返るグラビモス。その本能は逃げることを優先した。
『そうはいかへんでッ!!』
振り返るグラビモスの顔へと振り下ろされるのは、ハイドのアッパーブレイズ。
完全に不意の一撃だったのだろう、アッパーブレイズの鉤爪はグラビモスの顔の甲殻に微かな引っかき傷を作っただけであったが、グラビモスは堪らずよろめいた。
一歩。グラビモスは大きく後ろへと下がる。そして小さく身体を震わせた。
それが鎧竜グラビモスの最後の動作だった。見ればいつの間に潜り込んだのか、胸部の前にはフィール。その手に持つ骨刀【竜牙】は深々とグラビモスの胸に突き立てられている。
『鎧がなければ貫くのは容易い……。その鎧を失った時点で俺達の勝ちは決まっていた』
突き刺した骨刀【竜牙】が勢い良く引き抜くフィール。倒れこむグラビモスに押しつぶされる前に、ヒラリと身を躍らせる。
倒したと油断していつまでもその場にいれば、グラビモスに圧し掛かられ潰されてしまう。その巨体はそれだけでも十分に脅威だった。
あの瞬間、ハイドの一撃を持ちこたえたのなら結末は違っていたかもしれない。
ハイドの一撃を物ともせず走りぬけ、場を仕切り直せたのなら。
過ぎ去った出来事に“もしも”は存在しないが、フィールの言うとおり彼等の勝ちは決まっていたわけではない。
状況が変わり、流れも変わっていたら、その瞬間に負けていたのはフィール達であってもおかしくはないのだ。
『倒した……のか?』
地に臥し、ピクリとも動かないグラビモスを見る。命を失って尚止まることなく溢れる血が周囲に嫌な臭いを漂わせている。その臭いを嗅ぎ続けていえれば嘔吐感を催しそうであった。
『まぁ爆弾でグラビモスは致命傷。そこへフィールの一撃をもろたら如何にグラビモスと言えども一溜まりもないやろ』
『…………』
あれほど強大だったグラビモスは今やただの動かざる山となっている。
『お前はまだ下位のハンターやけども剥ぎ取ってもええんちゃう?ぼさっとしてる間にやることやらなあかんで』
鎧竜を倒したことを信じられない様子のルインとは違い、ハイドは腰から剥ぎ取り用のナイフを取り出すと、グラビモスの甲殻の隙間に刃を滑りこませた。
その手つきにぎこちなさは感じられず、グラビモスの硬い甲殻でさえも見る間に剥ぎ取られていく。
ハイドの言うとおり自分はまだ下位のハンターだ。本来ならばこのクエストに参加できる資格もない。
それなのにこのグラビモスの素材を持ち帰ってもギルドには何も咎められないのだろうか。そんな考えが頭を過ぎった。
一般に下位よりも上位のモンスターは強く、その素材を用いられて作られた竜殺しの武器は下位のモンスターの素材を使って作られた物よりも強力な武具となる。
より鋭い牙や爪を用いた武器の切れ味は更に鋭く、より硬いな鱗や甲殻を用いた防具は更に強固となる。
彼一人では参加できないクエストではあったが、実際に戦ったのはルインである。命を懸けて戦った彼に素材を取るなとは誰も言わないだろう。
『あ、小僧!何処行くんや!?』
『……放っておいてやれ』
そんな事を考えている間に、大事な事を思い出して走り出す。それをハイドが止めようとするが、フィールがハイドを止める。
大事なことだった。何故今まで忘れていたのかと自分を殴りたくてしかたなかった。
この上位の狩場にやって来て、命を懸けて戦った。それは同じだったはずだ。自分も、彼女も。
『リシェス!!』
グラビモスの吐き出した熱光線によって焼かれた岩が黒く変色している。その影に彼女の姿はあった。
嫌な予感が頭を過ぎる。胃の中から込み上げてくるモノを必死で堪えながら彼女に近づいた。
『リシェス……?』
返事はない。倒れている彼女はもう息をしていないかのように見えた。倒れて動かなくなった人。幼い頃、それと同じモノを彼はたくさん見てきた。
過去の記憶からか、それとも失意からなのか、少年の手は震えていた。
少女に駆け寄って、抱き起こしてやりたいのに、身体を上手く動かせない。
幼い少年の心に残った傷跡が、目の前の事態が最悪なものだと告げている。その事実を確認したくないと、自らの意思とは裏腹に身体は動かないでいた。
『ん…………』
自らの震える手を、足をなんとかしようとしているうちに、どれほどの時間が流れただろうか。
不意に彼女の口から吐息が漏れた気がした。
『……?』
それは“そうあってほしい”と願った心が見せた幻なのか、少年は少女の身体を注視する。
倒れたときに擦り剥いたのか、頬には擦り傷があり、また降り積もった火山の灰で顔は薄黒くなっている。そのせいか顔には生気が感じられない。
洞窟の岩場の陰で倒れている少女、その身体はいつもより小さく見える。
ぴくりとも動かないその身体をみているだけで、絶望感が溢れ出しそうだった。
さきほどのはやはり幻だったのだろうか、そう思って目を瞑る。
少女の身体には大きな外傷はない。恐らくグラビモスの熱線の直撃は避けることが出来たのだろう。しかし、あの熱量だ。直撃を避けたところで、空気を避ける事はできはしない。灼熱の空気を吸い込めば肺を焼かれる。そうなれば息をするのも難しい。
自分達がグラビモスと必死に戦っている傍で、彼女は息が出来ずに苦しんでいたかもしれないと思うと胸が締め付けられた。
深い溜息を吐く。後悔してもしきれないくらいだった。
だが彼女をこのままにしておくわけにもいかない。
こうなってしまったのは自分の責任、その責任を果たすためにも街へと連れて帰らなければならない。
彼女の身体を抱き起こそうと腕を伸ばしたその時、彼女の胸が小さく上下に動いていることに気が付いた。
『リシェ……生きてる……のか?』
それはか弱い動きだった。鎧を着込んでいるせいでもあるのだろうが、近づくまで分からないほどであった。
『良かった……!生きてる!気を失っているだけだッ!!』
手に嵌めているグローブを外し、彼女の口元に手をかざすと確かに呼吸を感じられた。
『リシェス、リシェス!!』
身体を揺すり、彼女の名前を呼ぶ。
どういう状況か分からなかった、倒れたときに頭を打っているかもしれない。無理に起こさないほうがいいのかもしれない。
しかし、今は彼女が生きているということだけで頭がいっぱいだった。
『ん……んん』
やがて彼女が呼び掛けに答えてくれる。それは彼女が日が高く昇る時まで眠っていた時に起こしているかのような感覚であった。
火山の、死の世界とも呼べるようなこんな場所で、そんな日常を思い出すなんて馬鹿らしい。 そう思いながらもルインは必死に彼女の名を呼んだ。
『リシェス!!』
『ん……あれ……?ルー?』
幾度名前を呼んだだろう。ついに彼女は目を開けた。彼女にとってそれはいつもの目覚めの様な感じだったのかもしれない。しかし少年にとっては、死人が生き返ったかの様な奇蹟の瞬間だった。
『リシェス!良かった!!……本当に良かった』
彼女が目を開けた瞬間。ルインは彼女を抱きしめた。力を込めすぎたせいか、彼女の鎧にあしらわれた飛竜の鱗の感触が布越しに伝わってくるが、不思議と痛みは感じなかった。
『え?え?ちょっとルー、どうしたの?』
ルインに抱きしめられたことに驚き、リシェスは戸惑いの声を上げる。
彼女にしてみれば、当然の事だろう。いつの間にルインが合流していたのかも分からないし、その彼が自分を抱きしめている理由も分からない。
ただ、思い出せるのは━━━
『あ!私……』
洞窟に独り残され、不安に駆られながら待っていたこと。溶岩が発する赤い光も、その光が映し出す影も不気味だった。
その陰から飛び出してきたのはドスイーオス。それと対峙することなど思いもしなかった。自分はただ逃げ出して、助けを求めた。
そして洞窟から飛び出した自分を待っていたのは、世界を覆うほどの赤い光。
洞窟から逃げ出したのに、先ほどまで見ていた赤い光の中に舞い戻ったかの様な感覚だった。それから先の事は覚えていない。
『お、嬢ちゃんも無事やったみたいやね』
『ハイドさん……』
剥ぎ取りも終わったので、こちらの様子を見に来たのだろう。笑いながら言うハイドの横にはフィールの姿もあった。
『なんとかグラビモスも倒せたわ。今回は中々大変やったけど、嬢ちゃんも無事、俺らも無事やったし終わりよければ全てよしってな!』
煤に汚れた薄黒い顔とは逆に、白い歯を見せてハイドが笑う。
大変だった。彼は簡単に言う。
何があったのかはリシェスには分からなかったが、ルインの表情からある程度は察することができた。
きっと今回も、ハイドが言うように簡単なことではなく、本当に大変なことがあったのだろう。
自分は今回も大したことは出来なかった。そればかりかお荷物であったといっても過言ではない。
無事だったのは幸運だっただけだ。それは嬉しかったが、手放しでは喜べなかった。
『もうそろそろギルドの迎えもくるやろ。んでな、自分等━━━』
『……いつまでそうしているつもりだ?』
ハイドとフィールの言葉に、二人は顔を見合わせる。
『あ!』
ルインとリシェスが声をあげるのは同時だった。
彼は声を上げた後すぐに立ち上がり、こちらに手を伸ばしてくる。
『リシェス、立てる?』
『う、うん……』
咄嗟の事だったので、立ち上がれなかっただけなのだが、彼はそれを心配してくれているのだろう。
身体の感覚も完全には戻っていなかったので、ここは素直に彼の厚意に甘えておくことにした。
『…………』
『なんやねん、自分。羨ましいねんやったら、帰ってあの娘にしたったらええやん』
ハイドが悪戯な笑みを浮かべながら言う。
『ちがう、そんなじゃない』
『恥ずかしがんなって、俺らにはわかってねんで~。……ってうわ、危なッ!!』
返ってきたのは言葉ではなく、一閃。対飛竜用の武器の一撃ではなく、腰にあった剥ぎ取り用のナイフでの横一文字だった。
『自分それはやりすぎやろ!』
抗議の声を上げるハイドを置き去りにして、フィールは洞窟の闇の中へと消えていった。
最終更新:2013年02月28日 10:45