終幕-side Eleanor
『殺眼の魔剣?』
聞きなれない言葉に思わず反応する。
リオレウスを狩った後、迎えに来たギルドの馬車の中、不意にガラフがそんな事を言い出し
たのだった。
きっかけは何だったのだろうか。
重たい空気を紛らわそうと彼が思ったのかもしれなかった。
『それは……クエストが始まる前に言っていた事だな?』
ガラフが返答するよりも先にウォーレンが言う。彼の言葉を聞いて、ガラフがそんな事を言
っていたという事実をエレノアは思い出した。
━━━仲間を不幸に陥れる魔性の剣。
手にした者には絶大な力を与える代わりに、その周囲に不幸を撒き散らす。
幼い頃に村に居た年寄りがそんな昔話をしていたのを思い出す。
実際にそんな武器が存在するのだろうか、と子供ながらに呆れたものであった。最も、隣で
話を聞いていた仲の良い自分より一つ年上の少女は、目を輝かせながら聞いていたものだが。
火竜と戦う前に、ガラフはその名は武器ではなくフィールの能力の名前だと言っていた。
それはどういうことなのだろうか。
彼が振るえば、どんなナマクラだろうと伝説の名刀の様に飛竜の鱗を易々と斬り裂けるとで
も言うのだろうか。
『あいつの魔剣の正体は“眼”だ』
『眼……?視力という事か?』
視力がどうやって竜を狩る武器になるというのだろうか。
『視力か、まぁそんな感じなんだろうな。あいつの能力は』
少し考えるような仕草をしてから、ガラフは1人で納得してしまった。しかし、それではこち
らが面白くない。
彼の仲間であるフィールにはこちらの大事な仲間も預けているのだ。
当然魔剣などという不気味な能力がある、と言われれば心配になる。
『どういう事だ、もう少し説明してくれ』
『そう焦るな、ちゃんと説明してやる。じゃなけりゃこちらから“そんな話題”を振ったはし
ないだろう?』
魔剣、そして眼。
その二つから想像するに、その正体は眼力なのだろうか。
もしそうなのだとしたら、それはどういうことなのだろう。フィールは確かに鋭い眼をして
いた。
しかしそれで人を、ましてや飛竜をどうこうできる筈は無い。
それを魔剣と呼ぶのならば、その他に何かある筈だ。
『視力には二つの意味がある。それは分かるか?』
『遠くを見る視力と、動く物を見る視力ですね』
『そうだな。その視力が優れていると、どうだ?』
どう、と言われて困惑する。優れていればどうなのだと言われれば、優れているという以外
はない。
彼の問いに困惑する。
『……視力が優れいている人間はハンターとしても優れている。そういうことか?』
ガラフの問いに先に答えたのはウォーレン。その答えに対し、ガラフは少し笑ったように見
えた。
『そうだな、視力が良ければ良いハンターになれる素質があると言ってもいいかもしれん。勿
論、それだけではなれはしないだろうがな。
一般に遠くを見る能力が優れていればそれは“千里眼”と呼ばれ、目標である飛竜を発見す
るのに役立つ。ガンナーであればなおさら重宝するはずだ。
そして動く物を見る力、つまりは動体視力だな。これがあればどう役に立つと思う?』
動く物を見る力、それはハンターにとっても必要不可欠なもの。それは剣士だろうとガンナ
ーだろうと関係は無い。
飛竜はおろか、
モンスターの多くは人より速く動くことできる。それは標的であるモンスタ
ーを見失い易いということだ。
一瞬の判断ミスが即、命を失う結果を招くことになりえる狩場では、モンスターの姿を見失
うという事は許されない。
しかし動体視力が優れていれば、モンスターの動きを見落とすことは少なくなるだろう。
それが結果として生き残る道となり、その経験はハンターの強さとなる。
『モンスターに接近して戦っている時に優位に立てる、ということか』
飛竜との戦いは、お互いにじっとしながら行われるものではない。
激しく動きながら行われるのだ。その最中に小さな挙動を見落とす可能性もある。しかし動
体視力が優れている者は、その可能性を減らせるだろう。
『では、相手のどんな素早い動きも、小さな挙動も見逃さないほどの動体視力だとしたら、ど
うなる?』
それほどの動体視力を有するというのは、ハンターとしてこの上ないほどの素質であろう。
それは、どんな素早いモンスターであっても攻撃を当てることができ、またどんな挙動も見
逃さず危険を回避することができる。
『ハンターとして、竜を狩る者の能力としてはピカイチだろうな。もっとも“そんな”程度の
能力では畏れられたりはしないだろうがな』
『そうだな』
ウォーレンの言葉に違和感を覚える。それは彼が言うように“そんな程度の能力”のわけが
ない。
しかし、彼の仲間であるフィールの魔剣は“それ”をもそんな程度と呼ばせるモノなのか。
『実際に私もそれほど動体視力が優れているわけではありません。しかし、優れている者とい
ない者とどれほどの違いが生まれるものでしょうか?“見えていても反応できなければ意味が
無い”思いますし……』
これもまた率直な疑問。いくら素早く動ける敵を視覚的に捉えれるといっても、こちらの体
はそれに対応して動けるというわけではない。
見えていても反応できなければ意味は無い。それは当然思う事であった。
『そうだな』
分かっていも反応できないというのは日常生活でも何度か体験したことがあった。
例えば、誰かが運んできた水の注がれたグラスを躓いて、宙に放り投げた時。
宙を舞うグラスを目で追う事はできる。だが注がれている水を零さずに、そのグラスを掴ま
えるという事は多くの人間にとってできはしない。
『…………』
沈黙の中、車輪が石を弾く音だけが聴こえてくる。
静寂の中、自らの身体を伝ってくるその音は、鼓動と相まっていつもより大きく感じた。
『……あいつの魔剣は殺眼の魔剣。全てを射殺す檻の剣。捕らえた者は決して逃がさない』
静かに話し出したガラフの言葉に、ある考えが浮かぶ。
『相手がどんなに素早くてもあいつには“視えている”。どんなに小さな挙動も逃すことはな
い』
『それはつまり……』
『……以前あいつは言っていた。「俺にはこの世界が“止まって”いるように見えている」と
。あいつの見ている世界がどんなものなのかはわしにも分からん。しかし嘘ではないようだ』
『どうしてだ?』
『おまえはボウガンから撃ち出された弾を避けれるか?』
口を挟んだのはウォーレン、それに対しガラフは淡々と言葉を返す。
火薬の力を使い、細い銃身で加速した弾は人が知覚できる速度を越えている。
ウォーレンの持つ
ハンマーならば、面積が大きい故に万に一つでも弾けるかもしれない。し
かしフィールの獲物は太刀。ならば彼が言っているのは恐らく太刀での話しなのだろう。
『む……』
『この話をすれば当然疑う者もいる。わしはあいつがそういった者の前で、実際にボウガンの
弾を全て叩き落したのを見たことがある』
『ではあの人はそんな世界を見ていると……?』
『それはわしにもわからん、あいつじゃないからな。本当に止まった世界にいるのか、わし達
よりもスローモーションな世界にいるのかはな』
自らに飛んでくるボウガンの弾を叩き落すなど人間業ではない。それは人から敬意を払われ
て当然の能力だ。
多くの人ならば、反応すらできずに弾に射抜かれるだろう。
『その力の代償かどうかはしらんが、あいつは人を憶えない。いや、憶えれないと言ったほう
がいいのかもしれん。記憶力が欠如していると言ってもいいのかもしれない。発達した視力か
ら脳を守ろうとする働きなのやもしれんが』
優れた能力とその代償。人にできないことができる為に、人が当たり前にできることができ
なくなる。それは幸せなことなのだろうか。
凡人であるが故の悩みがあり、非凡である故の苦悩がある。
話はそこでお終い。以降は誰も言葉を紡がなかった。
三人を乗せた馬車は、小さな石を弾きながらドンドルマへと向かっていた。
終幕
『はぁ…!はぁッ……!!』
暗い山道を一人駆けていく。
目指す場所も、ここがどこなのかさえも分からない。
一体どれくらい走ったのだろう、走り始めてから感じていた足の痛みはもうない。それどころか足の感覚さえなかった。
それでも逃げなければならないと、必死に足を動かした。
(ベル姉、ベル姉ぇ……!)
自分を守ってくれた《姉》はいない。何処かに置いてきてしまった。
あの時、逃げなければ良かったのか。大好きな《姉》と一緒にいれば良かったのか。
後悔しても遅い。すでに自分の影すらも視えない闇の中。《姉》のいる場所へ戻る道も分からない。
そして今、自分がどこに向っているのかも分からない。
けれども立ち止まれなかった。立ち止まって振り返るのも恐ろしかったのだ。
夜の静寂を切り裂いて、突如として現れた黒い影。それがなんなのか分からないまま戦闘は始まった。
その瞬間、一瞬であったが《姉》の見せた表情が脳裏に焼き付いて離れなかった。
《姉》はハンターだった。凄腕だったのかどうかは分からない。しかし《姉》は女のみでありながら自分を養えるくらいには稼いでいた。
腕は立つほうだったのだろう。その《姉》が見せた表情。
━━━絶望。
夜の闇から突如として襲ってきたその敵を見た瞬間、《姉》の目には確かな恐怖が映っていた。
それは《姉》が自分に見せた初めての顔だった。
その表情から《弟》は《姉》の気持ちを読み取る。
《姉》の見せた表情。突如襲ってきた敵。今の自分達の置かれている状況。
それが理解出来た時、少年の頭は真っ白になった。それは諦めだったのかもしれない。それは事実を受け入れれないとした拒絶だったのかもしれない。
何も考えれなかった。
つい先ほどまで《姉》と幸せそうに話し合っていたこと。明日になれば街に着けたであろうこと。
それは幻だったのだろうか。
野宿は好きではなかった。固い土の感触はいつまでも慣れなかったし、クッション代わりに敷いていた落ち葉もくすぐったかったからだ。
それでも目を瞑ればまたいつもの朝がやってくる。そう思っていた。思っていたのに━━━
そんな少年とは違い、《姉》は手にした銃器を組み上げる。意表を衝かれたとはいえ、まだ命はある。ここで反応できなければハンターとしては未熟と言わざるを得ない。
ポーチからいくつかの弾を取り出し、ボウガンに装填する。その業は一瞬。幾度となく繰り返されてきたその動作にミスはない。
《姉》のその動作をみた影は、《姉》を敵だと認識したのか翼を広げ威嚇する。
ボウガンのトリガーに指をかけ、影へと照準を合わせながら《姉》がゆっくりとこちらを向いた。そして一言。
『行きなさい』
静かに、やや掠れた《姉》の声。その声が《弟》を真っ白な世界から現実へと引き戻す。
瞬間、火薬が爆ぜる。少年が走り出したのと、ボウガンから火花が放たれるのは同時であった。
どれだけの距離を走ったのだろう。どれだけの時間を走ったのだろう。
足の感覚はなく、それでも必死に足を動かしていたのは、ただ“逃げたい”という衝動からだった。
暗い夜道を懸命に走った。草や枝が皮膚を切り裂いても、何度も転び膝を擦り剥いても、ただ走り続けた。
多い茂る草木の中へと身体を躍らせる。擦れる葉が、折れる枝が恐怖を煽り立てるような気がした。明るい昼間であったならそんなことはしなかっただろう。少年が藪へと入ったのは前が見えなかったからだ。
突如開けた視界。明かりの無い道を随分と長い時間走っていたせいか、目は夜の闇にすっかり慣れていた
そして、少年の前に現れたのは━━━
不意に誰かに呼ばれたような気がして、顔を上げる。目の前には見慣れた友人の顔と、初めて見た少年と少女の顔があった。
尤も、少年とは今回のクエストで会ったのが初めてではなく、前に会っているともう一人の友人が言っていた。しかし人の顔を覚えるのが苦手な自分にとって、初めてだろうがそうでなかろうが、覚えていないのならそれはどうでもいいことであった。
『どうしたや、フィール?まさか狩りで疲れて寝てたんちゃうやろな』
『……そうかもしれんな、今回は色々と手を焼かされたからな』
言ってフィールはルインを見る。彼は何かを言いたそうではあったが、黙ってフィールから視線を外した。
フィールの言う通り、今回は様々な要因が重なり、狩りが上手く運んだとは言い難かった。狩場へと向かう途中のアクシデントもそうであったりするのだが、そもそもの原因としては下位のハンターであるルインとリシェスをこの狩場へと連れてきたことだ。
こうして無事に街へと戻る荷車に乗れるのは幸運であったと言ってもいい。
一つ、何かが違っていれば、この荷車の中は重苦しい空気に包まれていたことだろう。しかしそうはならなかった。
自分も隣で微笑んでいる少女も目の前の男達も、全員が無事に戻ってきた。
それに加え、鎧竜グラビモスを討伐できたのだ。これで満足いかないわけがない。これ以上の注文をつければ、きっと“バチ”が当ってしまう。
鎧竜の討伐に関して、自分ができたことと言えば一人逸れパーティーを掻き回したくらいだろうか。
きっと彼らは自分などいなくとも鎧竜を討伐できたはずだ。何故自分とリシェスを今回のクエストに参加させたのか、それをフィールはついに言わなかった。
参加させることに意味があったのか、それともただの気まぐれなのか。理由を知りたいとは思ったがし、自分からも聞くこともしなかった。
この先、年々かかるかは分からないが、自分達もハンターとして成長し、彼らと同じ上位のハンターとなった時。その時に聞けば或いは答えてくれるかもしれない。
少し、ほんの少しだけ“変わり者”の彼らの事だ。今、その理由を聞いてもきっと答えてはくれないだろう。
ならば上位のハンターとして、彼らと並べるようになるまでは頑張ろう、ルインは胸中で一人決意した。
『ん?どうしたん、一人でにやにやして?』
いつの間にか笑っていたのだろうか、ハイドが不思議そうな顔でこちらを見ていた。
いいえ、何も無いです。と彼の問いに簡単に答え、遥か遠く空を見る。あの景色の向こう、そこにドンドルマの街がある。
ドンドルマまではもう数時間ほどで着くだろう。帰ればウォーレンやエレノアが待っている。会えば、話したい事がある。上級の狩場での出来事。初めて体験した火山の苛烈さや、鎧竜を前にしたときの恐怖と高揚感。
今回の狩りで体験した初めての事、その全てが強烈な印象として残っていた。それを街で待っている仲間達に話したかった。
『あれは……?』
あの空の向こう。ドンドルマへと至る空の下。地から立ち上る黒い影があった。
ルインがそれに気が付くのと、御者をしていたアイルーが不安げな声を上げたのは同時だった。
『今は街に入れないかもしれないニャ……』
空へと飲み込まれていく暗雲を眺めていたその時、突然言葉に出来ないような不安に襲われた。それは心の奥底から湧き出してくるようであった。
知らずと鼓動が早まり、呼吸が荒くなる。この感覚は━━━
『失礼します!』
重厚な木で出来たドアをノックし、返事を待たずに部屋へ入る。それは歩みながらというよりも駆け込んだ、という方が正しかった。
部屋の主は書類に目を通したまま、この無礼な入室者に尋ねる。
『……何事ですか?』
『緊急事態ゆえ、無礼をお許しください。街からの報告で━━━』
『来ましたか……』
街からの報告、というだけでどのような用件なのかは凡その見当はついた。“その為”に連絡員を配置しているのだ。それで気付けない様な愚鈍さでは今の立場にはいられない。
『すぐに出発の準備を。それと彼には今暫く、待機してもらっていてください』
『はッ!!』
ついに来た。この時を待っていた。今回の件で決着をつけれるとは思ってはいないが、それでも計画は大きく前進することだろう。
何せ今まで霞のように姿を掴ませなかったその存在がついに現れたのだから。
備えはすでに出来てある。後は行動するだけだ。男は硝子に映る自分を見て、自然と笑みが零れているのに気がついた。
『ついに、ついに来ましたか。━━━古龍』
伝承の中にのみ語り継がれる真の龍。
飛竜とは比べ物にならないほどの力、天と地を操るとまで言われた伝説の龍。
その伝説が今、手の届く範囲に在った。
あとがき
どうも、更新をサボり続けた私です
しかしながらようやく第三幕の閉幕となりました
あまりにも期間が開きすぎて、自分でもどうにもならないような感じに仕上がってしまいました...
三作目くらいが山って言っていたのはグレイさんだったかな?
そんなような罠に見事嵌ってしまいました
しかしながら、この反省をいかして第四幕、第五幕と続けていきますので、ダメな私を許してください
それではお読みいただいた全ての方へ、ごめんなさい
そしてありがとうございます
最終更新:2013年02月28日 10:49