壁の中
詰み
場所は外壁地下……
時はリィナが駆け出した直後まで遡る……
フルフルベビーが蠢き、犇めく洞窟に姉妹が残ったのはしっかりと考えが有っての事だった。
まず第一に武器の特徴。
リィナが装備しているのは大剣。
膨大な質量と一撃必殺の破壊力を持ち、熟練者なら1人で竜と渡り合える。
反面、一つ一つの動作は鈍く、隙も大きいため小さな相手を同時に複数相手にする事には向かない。
対するアリー達が装備するのはボウガン。
多種多様な弾丸を使い分ける事で、様々な戦局に対応する事ができる。
更に言えば彼女達は好んで散弾を使う。
散弾は細かな弾を広範囲にばらまく弾丸であり、大量の雑魚を一掃するのに打ってつけな弾丸である。
だから彼女達は先にリィナを脱出させ、自分たちだけで掃討出来ると判断したのだ。
しかし、彼女達のこの判断は甘かった。
無論彼女達の考えは間違ってはいないし、腕の方も水準よりはずっと高い。
ただ、相手と……場所が悪かった。
此処は人が時折足を踏み入れる其処らの狩場ではなく、人外の化け物達に犯し尽くされた魔境なのだ。
彼女らは狙いすら満足に付けられない暗闇の中、引き金を引き続ける。
無数に降り注ぐ醜く、幼い竜達は悉く撃ち抜かれ、引き裂かれ、よりいっそう醜い肉片となって降り注ぐ。
戦況は彼女らに取って有利に見えるが、そうではない。
弾丸は無限ではなく、それを撃っている以上何時かは底をつく。
弾丸は材料さえあれば存外簡単に作る事が出来るが、作る暇が有るとも思えない。
仮に弾を調合する事が出来たとしても、それで奴らを駆逐仕切る事が出来るかと言うと怪しいところだ。
つまり彼女らは現状で既に詰んでいるのだ。
勿論、彼女らもそれは承知のであり、少しずつ移動しながら、別の出口を探していた。
言わばこれは出口が見付かるまでの、またはリィナが助けにくるまでの時間稼ぎだ。
だが、彼女らの予想よりずっと早く、カートリッジに詰めた弾を撃ちきるよりずっと早く、終わりが迫っていた。
『数が、多すぎる』
アリー姉妹は悪態を吐きながらゆっくりと後退する。
彼女らの装備は散弾をばらまく為に調整された装備であり、その掃討能力は圧倒的だ。
だが、ボウガンには共通の欠点がある。
それはリロードだ。
ボウガンを扱う以上、弾を込めている間だけはどうしても無防備になる。
それは彼女らとて例外ではないのだ。
悪手
ディーチがリロードの体勢に入った途端、狙いすましたかのように、数匹のフルフルベビーが降り掛かってくる。
『鬱陶しい』
姉妹は同時に舌打ちをし、ディーチに襲い掛かるベビー達をベルがぐちゃぐちゃに撃ち抜いた。
恐ろしく息の有った彼女らは、当然の様に互いの隙をカバーし合う。
しかし、それでもなお、降ってくる全てを殺しきるのは不可能だった。
「クッ」
弾幕をすり抜けた一匹のベビーがベルの腕に噛み付いた。ベルはボウガンを構えたまま、それを上へ投げ捨て、降ってくるその他と一緒に跡形もなく撃ち殺す。
「大丈夫?」
「大丈夫」
銃声と奇声と断末魔が埋め尽くす暗闇の中での短いやり取り。
確かにベルの傷は浅い。しかし、ベビーの牙は僅かだが確実に彼女の肉を喰い千切り、真っ赤な血を滴らせる。
相変わらず辺りは暗闇、妙に悪い足場とじわじわと肉に食らい付くベビー達、加えてここは人が戦い続けるには寒すぎる。
だから彼女らは僅かでも戦い易くなる様に、通路が狭まる方へとゆっくり移動して……いや、追い詰められて行った。
先にも言ったが彼女らは現状で既に詰んでいる。
彼女らは1人が撃つ散弾だけで、十分に対処出来る広さの場所で助けを待つつもりだった。
その考えは確かに妥当ではあるが、1つ大事な事を失念していた。
これは彼女らの過失だが、何度も言うように場所が悪すぎたのだ。
常に標的の存在と周りの情報をギルドから知らされた上で、見知った狩場に赴くハンターである彼女らがその事を失念していても不思議な事ではない。
しかし、彼女らの出口を探すのではなく籠城すると言う選択は、彼女達の詰みまでの時間を絶望的なまでに短縮させる事になる。
「ッ……邪魔」
既に何度目か解らない牙がディーチの肉を喰らう。
幾度となく襲い掛かる小さな牙の群れは、血の跡で来た道が解る程に彼女らの肉を抉り取っていた。
それでも彼女達の表情に諦めの色は見えない。何故なら彼女達は漸く、人一人が通れる程度の狭い場所に辿り着いたからだ。
あとは此所で、彼女らの最も信頼する狩人が来るまで粘ればいい。
まだ弾丸は残っているし、最も信頼する狩人は必ず助けに来てくれると言う確信が彼女らに有った。
その考えは間違ってはいない。
しかし、悲しいかな、助けが来るよりも早く、詰みがやって来てしまった。
終わり
天井を這い回る白い幼竜の群の中、一際大きなそれは決して気付かれる事なく、2人の頭上に陣取った。
そして、眼下で奮戦する久方ぶりの獲物を見て、だらしなく口を開きダラリと涎を垂らす。
安物の防具なら容易く融かす酸に近いそれは、寸分の狂い無くディーチの頭を捉えていた。
しかし彼女は見えていない筈のそれを容易くかわし、有ろう事かそれを垂らした主に2人同時に銃口を向け、がむしゃらに引き金を引いた。
銃口の向きは完璧、撃ち出された散弾、その殆どが頭上に現れた化け物の体を引き裂いた。
彼女らの頭上に現れた飛竜、フルフルは不意打ちを見破られた上、予想外の攻撃を受け無様な悲鳴をあげる。
フルフルと言う竜は気配を消し、獲物を狩るのが得意な竜であり、それをこの環境下で経験と勘だけで見破った彼女達を見事と言う他ない。
ただ……そんな彼女達の快進撃も此処までだ。
先の攻撃は最後の足掻きであり、詰みと言う結末は決して揺るがない。
散弾を雨霰にその身に受けたフルフルは、躊躇う事無く重力に捕われた。
それは攻撃と言うのも烏滸がましい、ただの落下だ。
普段の彼女らなら何の問題なくかわせる鈍重な一撃だ。
しかし、彼女らは既に詰んでいる。
一メートル先さえ見えない暗闇が
足元に山ほど敷き詰められた幼竜の屍が
彼女らが選んだ細すぎる道が
全ての逃げ場を塞いでいた。
ディーチが迫る風を感じた時、彼女は終わった。
「ギャッ」
悲鳴とも絶叫ともつかない声が叩き潰された瞬間、ベルの隣で蒼白い雷が迸った。
隣に居る筈の人物の代わりにバチバチと弾ける雷と、それに混じる聞き慣れた声が発する悲鳴を、ベルは決して聞き逃さなかった。
「っそぉぉぉぉおお!!!!」
狂ったように早まる鼓動につられる様に、ベルはがむしゃらに引き金を引いた。
しかし、幾らその身を無数の弾丸が抉ろうがフルフルは決してその場から動かない。
火力が足りない。
そう判断したベルが散弾のカートリッジから別の物へと取り換えようとした瞬間、何かが銃に詰まった。
悲鳴染みた奇声をあげるそれは、次々とベルの体に降り注ぎ、鎧の隙間から滑り込み、彼女の歯に牙を立てる。
「くっ!!」
身を縛る痛みに耐えながら、銃身に絡み付いたベビーを千切り捨て、拡散弾のカートリッジを装填した時、ズルリと言う音が響いた。
彼女の目の前では、丁度ディーチが飲み込まれるところだった。
見知らぬ場所
骨の謎
滑る様に残りの道を駆け降り、残っていたフルフルベビーを両手両足の指では足らない程に蹴散らし、漸く外壁の側にたどり着いた。
外壁を見上げると、崖を駆け降りたせいも相まってか遥か彼方に有るように見えた。
……と言うか明らかにおかしい。
こんな景色は全くもって見覚えがない。序でに絶壁が指差す入り口も全く今が初見だ。
なんだ、この場所は?
「ダギィ、行くで」
リケの一言で疑問に対する思考は一時中断される。気付けば既に絶壁とルォヴの姿がない。
道具を持ってない奴が先に行ってどうする気なんだか。
「どけ」
見知らぬ洞窟に入り、分厚そうな穴空きの壁に行く手を阻まれる2人を押し退け、鞄に詰め込んでいた爆弾やらの危険物を惜し気もなくぶちまける。
「さがれよ」
他三名の返事を待たずに弾丸を危険物の山にぶち込むと、穴空きの壁は跡形もなく消え去った。
「助かる」
「流石ですわ」
非常に短い礼を述べ、2人は灯りもつけずに暗闇へと駆けていく。
「お前は走らないのか?」
「んな事したらダギィが一人になるやん。それに姐さんらが行けば俺らは必要ないやん」
「それはごもっとも」
第一調べもせず全員で突っ込みのは愚かであるとしか言えない。何より、さっきからどうにも嫌な臭いがする。
「灯りをつけるぞ」
適当に拾っておいた木の棒に火を着けると、悪臭の原因が何かすぐに解った。
「これは……」
大量のフルフルベビーの死体やら夥しい量の血痕やらを無視して、リケが足下に落ちている"ある物"を拾い上げる。
「ランポスか何かの骨だな。心配しなくても人骨じゃない」
リケは俺の一言で胸を撫で下ろすが、俺には嫌な予感しかしなかった。
根本的にフルフルと言う竜は、縄張りに踏み込んだ獲物を、気配を殺して襲う竜だ。それは時に、手練れのハンターですら仕留める見事な物だが、1つ難点がある。
フルフルは目が退化しており、優れた嗅覚に頼って生活をしている。加えて、動作が極めて愚鈍であり、開けた場所であれば簡単に見切る事が出来る。
それ故にフルフルは洞窟等の狭い場所で待ち伏せをする必要がある。
さっき言った難点と言うのは獲物が縄張りに来ないと使えないと言う事だ。
ここで現状を見て、1つの疑問がある。
なぜこんなに新しい骨があるんだ?
ランポスに肝試しでも流行っているのなら別だが、何か理由がある筈だ。
暗闇の中
何故
私はルォヴを連れて洞窟の奥へと走りながら、1つの違和感を感じていたんだ。
違和感って言うのはあれだけたくさんいた筈のフルフルベビー達が、今じゃ死体しか見付けられない事。
アリー達なら出来なくは無いかもしれないけど、皆殺しにしたにしては数が少ない……。
それにさっきから嫌な胸騒ぎが止まない。
フルフルベビーの死体の山に、点々と続く血痕が彼女達の物な気がして仕方がない。
落ち着いて、私、落ち着け。彼女達がそんな簡単に死ぬ訳がないじゃない。たかだかフルフルベビーを相手に死ぬ訳が……。
あ
「姐さん……」
何かを見付けたルォヴが私を呼ぼうとして、押し黙る。
「どうした、何があった」
私の馬鹿が。何を惚けているのさ。ルォヴより前を走っていたんだから気付かない訳ないじゃない。
「あれ……」
私の言葉に急かされる様に、ルォヴが暗闇の中に蠢く"それ"を指差した。
わかってる
端に転がる見覚えのあるボウガンの事も
解ってる
蠢いているのが何かに群がるフルフルベビーだって言う事も
判ってる
フルフルベビーの山から助けを求める様に手が伸びている事も
だから言わないで、そこにある最悪の事実を私に言わないで。
「其処を……」
だから駆け出した。ルォヴがその事実を言ってしまう前に。
「其処を退け!!」
群がるフルフルベビーの山を掻き分けて、投げ棄てて……結局、それを見付けてしまった。
伸びた手が動いて無い事も
群がる化け物達が血塗れな事も
掴んだ手が硬く冷たかった事も
全部、解ってたさ。
でもこんなのはあんまりじゃない。
人間誰だって何時かは死ぬものだし、私達狩人は普通よりそれが早いって事も覚悟してたけど、こんなのは酷すぎるじゃない。
なんで彼女はこんなに軽いの?
なんで彼女の中身が残ってないの?
なんで彼女と判別出来る物が髪しか残ってないの?
解ってる、判ってる、ワカッテルさ!!
軽いのは死んでるからさ!!
中身が無いのは食われたからさ!!
髪が残ってるのは髪が食えないからさ!!
そんな事はわかってるのさ!!
私が言いたいのは、知りたいのは、聞きたいのは、そんな事じゃなくて……。
なんで、なんで、なんで、我が儘を言った私じゃなくて、それに付き合ってくれたベルがこんな死に方をしなくちゃいけないのさ!?
見知らぬ場所
叫び声
暗闇の向こうから、狂ったような叫び声が響いてきた。
幾重にも洞窟の壁で反響しまくったせいで音源が何か、判断できない。
声の主は何だ?
竜か?
獣か?
「これは……姐さんの声だ!!」
俺が判断するより早く、隣のリケが唐突に駆け出した。
確かに、絶壁の事に関して猟団の奴等が勘違いするとは思えないが、流石に常人離れし過ぎだろう。
何が居るか解らない洞窟だ。下手したら只の風の音かも知れない。
だと言うのに……リケにつられて走って、その声の主に近付くほど、反響する声が聞き覚えのある物になって来やがった。
そして、目の前に現れた声の主はリケの言う通りの奴だった。
「……姐さん?」
ただ、何時もとは違い酷く取り乱していた。
自慢の大剣を型も糞もなく、ただがむしゃらに振り回し、その度にいやに瑞々しい音をたて何かが飛び散る。
暗闇の中じっと目を凝らすと、奴が何をやっているのかが解った。
奴は自分の足元から蜘蛛の子を散らす様に逃げていくフルフルベビーを叩き潰していた。まるで親の仇でも相手にするかの様に……
まぁ、それも当然か……
さっきからルォヴの奴が居ないと思っていたが、すぐ近くに座りこんでやがった。
そして、ルォヴの隣には見覚えのある御下げが、もっと詳しく言えば御下げ"だけ"があった。
つまり、死んじまった訳か……頼んでもないのに勝手について来やがって、勝手に死にやがって。
「馬鹿が」
ポツリと口から溢れた瞬間、絶壁が此方を振り返った。
「今なんつった、ダギィ?」
面倒な……貴様らは全員地獄耳が特技なのか?
「なぁ、今、何て言ったんだよ!?」
そんな涙をダラダラ垂らしながら近寄るんじゃない。
今は俺の失言に構ってる暇はないだろうに。
「今は他にやる事が有るだろう」
「話を逸らすな!!」
「悪かったから落ち着け。だいたい姉妹の片割れは何処に行ったんだ?」
言いながら突き飛ばすと、絶壁はハッとした顔で暗闇に目を凝らした。単純なやつめ……
しかし、先程から目を凝らしているが何処にもらしき影は無いし、フルフルベビーすら残っちゃいない。
…………
そんな時、何か、暗闇の奥から、声が……聞こえて来た。
追い掛ける
『………』
一同が黙って耳を澄ます。
……
……何か、確かに何か聞こえるが、それがなんの音か判別するには至らない。
フルフルベビーの声にしては細すぎる気がするが、人の声かと言われると……微妙だな。
「……ディーチの声だ」
絶壁は一切迷いの無い声色でそう呟き、人の意見も聞かずに奥へ向かって駆け出した。
……やはりコイツラは地獄耳を標準装備しているらしい。
と、問題はそこではない。今の奴の頭からは冷静と言う単語が抜け落ちている。
あの音がディーチと決まった訳ではないし、関係ない音に過剰反応している可能性の方が高い。
それに、何か引っ掛かる物がある。
あぁ……仕方無い、追うか。
「リケ、ルォヴ、奴は俺が追うからお前らはここに居ろ」
今にも駆け出そうとしていた2人を呼び止めると、
「何故ですの!?」
「俺らもいくやん!!」
予想通りの言葉が返ってきた。
状況が解らない以上全員で動くのは得策ではないし、何より絶壁に甘いコイツラはでは何かあった時にブレーキ役にならないなど色々な理由があるが……もっと簡単に言いくるめれる言い訳を用意してある。
「お前らはアリーを葬ってやってくれないか。俺なんかよりお前らにして貰った方がソイツも喜ぶと思うんだが?」
俺の言葉に2人は黙って引き下がってくれた。
「じゃあ頼むぞ」
「ダギィも姐さんを頼むで」
「姐さんたちにまで何かあったら許しませんわよ?」
「あぁ、解ってるさ」
短いやり取りをし、俺も駆け出した。
……少々卑怯な台詞だったが、仕方無い。無駄に死人を増やす訳にはいかないし、さっきの台詞もある程度は本当だ。
あのまま彼処にアリーを放置していれば、死体は跡形もなく食い散らかされる。
それは気持ちの良い事じゃないし、姉妹の見分けが出来ない様な奴に墓穴を掘ってもらっても嬉しくはないだろう。
ましてや姉妹揃って死なれては流石に目覚めが悪すぎる。
それに今、悲しみとかの感情はいらないんだ。
さて、これ以上要らぬ悲しみを増やさない為にもまずは絶壁の馬鹿に追い付かなくては。
鎧の揺れるガシャガシャと言う音が聞こえるあたり、まだそんなに離れてはいないし、まだ奴が無事だと言う事だ。
さて、全力で走って体力を使うのも馬鹿馬鹿しい。つまり追い付くには少々時間が掛かる訳だ。
今の内にさっきの違和感について考えるか……
暗闇の中
声がする
聞こえる。
消えてしまいそうなほど小さく、弱々しい声が、確かに。
私には確かに聞こえる。
暗闇の奥からディーチが私に助けを求めている。
どんなに、か細くても、弱々しくても、私が仲間の声を聞き間違える訳がない。
人は何時かは死んでしまう運命だけど、私の大切な仲間を、私の我儘に付き合ってくれただけの彼女を、こんな所で死なせていい訳がないじゃない!!
だからもっと早く、この声が聞こえなくなってしまう前に、もっと早く速くハヤク・・・
今は時間が無いんだ。それなのにそれなのにそれなのに・・・何かが天井を這いずる・・・なんで、よりにもよってこのタイミングで現れるのさ!!
「畜生・・・チクショォォォオ!!」
私が叫んだ瞬間、天井のそいつはズルリと私の前に墜ちてきた。
真っ黒な暗闇に、不気味にぼんやりと、白いぶくぶくと太った、脂ぎった巨体が浮かび上がった。
こいつは・・・フルフルだ。
『キィャァァァァアァァァアアア!!!!』
目の前に現れた不自然なほど真っ赤な口が、暗闇いっぱいに歪な叫び声を反響させる。
反射的に大剣に隠れた体が馬鹿みたいにビリビリと振動する。
私が今聞きたいのはお前みたいな化け物声じゃないんだよ・・・畜生畜生畜生・・・
「邪魔だ化け物!!」
叫び声が小さくなりだした瞬間、私は衝動に任せ、足を踏み出し、力任せに手に掴んでいた大剣を振り下ろした。
肉を削ぐ音、血が飛び散る音、それに紛れて確かに、
『・・ぇ・・さん・・・』
確かに、ディーチの声が聞こえた。
さっきよりも弱々しくなっていたけど、さっきよりもずっと近くで、ずっとハッキリと!!
「ディーチ!!!」
何処、どこ、ドコ!?
きっと近くにいるはずなのに、暗くて辺りがろくに見えない。
彼女の姿の代わりに、暗闇から赤と白が私に向け飛び出してきた。
「邪魔だって言ってるのに!!!」
噛み付きを躱して、赤い口をもっと真っ赤に切り裂いてやったのに、目の前のフルフルは怯みも、逃げようともせず、目の無い顔で私を睨む。
私には時間が無いんだ。だから邪魔するお前から殺してやる。
二度目の噛み付きを躱し、懐に飛び込んで白い腹を裂こうとした時、僅かに走った青白い光を見て私の足は強く地面を蹴った。
後ろに跳ねた私の目と鼻の先で青白い雷がバチバチとフルフルの体から飛び散る。
その時、聞こえたんだ。
『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙』
ディーチの絶叫が。
見知らぬ場所
腕
暗闇の奥が、仄かに蒼白く光った。バチバチと言う嫌な音と一緒に・・・当たらなくていい予想と言うのは常々当たるもんだな。
「糞ったれが!!」
やはりベビーどもの親がいやがったか。
何時もの絶壁ならフルフル程度に簡単にやられはしないだろうが、今の奴は冷静さが頭から抜け落ちている。
まぁ仲間が死んで冷静さを失わない様な奴は冷血か、俺の様な碌でなしな訳だが・・さっき約束したからな、仕方ない、急ぐか。
体力の配分を考えた上で、可能な限りの速さで暗闇の中を突き進むと存外早く絶壁の姿を捉える事が出来た。
暗くて判りづらいが・・・端から見るかぎり目立った外傷はない様だな。
呼吸が異様に荒い事とすぐ傍にフルフルがいること以外特に問題は無いな。
さて・・・
「どうするか」
見つかった以上、仇討ちも兼ねてブチ殺す事は確定だが・・・狭い道、白ですら霞むほどの暗闇、そして今の絶壁、あまりにも分が悪い。
ここはまだ広い入り口付近まで誘きだすべきだな。
そうなればだ。
「大丈夫かリィナ、一旦入り口付近まで退くぞ」
俺がそう言った瞬間、絶壁は何故かフルフルに向かって駆け出し、た大剣を構える事無く、血のように赤い口に両腕を突っ込んだ。
「何やってんだ!?」
そんな事したら両腕を食い千切られるぞ!!
「アアアァァァアアァァ!!!!!」
そんな警告が口から出るよりも早く、狭い通路に絶壁の怒号が轟いた。
そして、有ろうことか絶壁の両腕は少しずつだが確実にフルフルの口をブチブチと引き裂き出した。
人間の、それも女とは到底思えない力技だが、なんでまたこんな事を・・・
「吐き出せ、化け物が!!」
・・・なるほど、そう言う事か。
違和感の訳
走りながら違和感の訳を考えていたが、今の絶壁の言葉でだいたい理解できた。
俺が違和感を感じていた訳は二つある。
一つはそこかしこに転がる真新しい骨の山。
もう一つはありえない量がいるフルフルベビー。
前者の訳はフルフルがある方法で狩りをしているからだ。
後者の訳はその狩りの効率が良すぎるから腐るほどベビーが増えた訳だ。
そしてその狩りの方法が今の目の前の状況な訳だ。
フルフルの口から漏れる聞き覚えのある声、そしてそれを助けようとフルフルに挑むお仲間・・・こう言うのを友釣りと言うんだったか?
つまりフルフルの親が生きたまま獲物を丸呑みにし、その声に釣られやってきた仲間を纏めて頂くと言う寸法な訳か。
確かに一匹捉えるのがせいぜいなフルフルでもこの方法なら好きなだけ獲物が獲れる訳だ。
過酷な環境がフルフルに知恵を付けたのか、それとも何か別な要因があるのかは知らないが、化け物の癖に面倒な。
そして今の状況は非常に面倒だ。
「離れろ馬鹿が」
口を裂こうと躍起になっている絶壁を引き離した瞬間、フルフルの体から蒼白く稲妻が吹き出し、
『ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙』
暗闇一杯に嫌な悲鳴がこだました。
「離せダギィ!!」
「落ち着け馬鹿が。一緒に奴の胃袋に納まりたいのか、胃袋の中身ごと奴を殺したいなら今すぐ離してやるが」
俺がそう言った瞬間、絶壁の動くのを止め俺を睨んだ。
「でも、ディーチが・・・」
泣き顔で言われなくてもそんな事は解っている。
「俺に策がある」
「本当に?」
「ああ」
上手くいくかどうかは保障出来ないが、それは言わないでおくか。
「奴の電撃が止まったらもう一回奴の口を開かせろ」
「わかった」
絶壁がこくりと頷いた瞬間、青白い雷と嫌な絶叫がぴたりと止まった。
暗闇の中
策
再び視界が黒一色に戻った瞬間、暗闇に目が慣れるのを待たずに私は駆け出した。
風を切る音が微かに響き、目測よりもずっと早く、真っ赤な口を開いたフルフルの顔が暗闇から飛び出してきた。
「んなのが・・・」
怯まず、更に一歩踏み出し、血塗れの口が頬を掠めるのを感じながら、大剣の柄を掴んだ。
「当たるかぁ!!!」
体を一回転させ、勢いを殺す事無くフルフルの顔面に大剣を叩きこむ。
地面と武骨な刄に挟まれた白い頭部が、私の足元で赤くひしゃげる。
逃げる様に引っ込む首をさっきよりもガッチリ掴み、上下に引き裂くつもりで両手に力を込める。
真っ赤な口の真っ暗な奥底に、良く知る顔が見えた気がして、私は狂った様に叫んだ。
「ダギィ、さっさとしてくれ!!!」
自分でも、どうしようもなくなるくらいの情けない声をあげながら振り返ったら、さっきと変わらない場所で
ランスを構える彼の姿がぼんやりと見えた。
え、なんでそんな所で武器を構えてるの?
「上手く避けろよ」
「え?」
え、何? 避けるも何もダギィがディーチを引っ張りだしてくれるんじゃ・・・
私の口がそんな言葉を吐くよりも早く、彼のランスの先から何かが飛び出してきた。
反射的に私が飛び出したそれを避けると、それは寸分の狂い無くフルフルの口へと消え去った。
え、何今の?
「フルフルの口を閉じろ!」
「え?」
私は意味が解らないまま、フルフルの口が開かない様に抱き締めた。
次の瞬間、何故かフルフルが苦しみだした。
「よし、手を離してすぐに離れろ」
なんで助けるのに離れる必要があるの?
私が状況を把握するよりも早く、フルフルが強引に私の腕から抜け出して、大きく口を開いた瞬間。
『ウボァロロロロロ』
大量の液体、厳密に言うと嘔吐が私の頭から降り注いできた。
「えぇっ!!!?」
恥も外聞もかなぐり捨ててありえない量の嘔吐から逃げる為に真横に跳び退いた。
酸を含むフルフルの胃液がさっきまで私が居た場所を、マグマみたいに溶かすのを見て嫌な想像が頭を過る。
そんな時、ダギィが私の方を掴んだ。
「いいか、なにがあっても、まずはあれを始末してからだぞ」
「わかってる」
貴方に言われなくたって、そんな事は解ってるから・・・
見知らぬ場所
糞が
さっき俺が撃ったのはカラの実にコヤシ玉を詰めて即興で造った弾丸だ。
主に嗅覚に頼って生きているフルフルの口の中に撃ち込めば気持ち悪くて吐き出すだろうと思ったが、予想通りだ。
しかし、問題なのはフルフルの涎は狩人の鎧すら溶かす酸の様な性質を持っている事だ。アリーがどのくらい前に飲み込まれたのかは解らないが、元の形を留めているかどうかは怪しい所だ。
声がしていたから、まだ生きているにしても死んだ方がマシな状態で出てくる可能性も否めない。
そうなった時、先程はああ言ったが確実に絶壁は役には立たない。つまり、俺一人でフルフルの独壇場であろうこの場所で戦わなくてはならない。
・・・まぁ問題ないか、元より一人でくるつもりだった訳だし、瀕死の仲間を放置して戦えと言うほど鬼畜でもないしな。
新しい弾丸をリロードした時、一際大きな嘔吐物がフルフルの口から吐き出された。
鎧なんて欠片も見当たらず、赤黒い人形の出来損ないの様な物が弱々しく呻き声をだしている。
一目で解る。あれはもう助からない。
「■■■■■■!!」
絶壁が言葉の体を成していない叫び声を発しながら、恐らくディーチであろう肉片へと駆け寄る。
それを胃の中身を吐き出し終わったフルフルの口が出迎える。
「糞が」
冷静に距離を保ったままでいる自分自身に舌打ちをし、揺れる三つ編みの隙間を縫うようにして、暗闇の中微かに見える赤い口に狙いを定め一気に引き金を引く。
撃鉄が落ち、弾丸と炎が撃ち出される度に、弾丸に抉られるフルフルの肉と、肉塊を抱きかかえ涙を流す女の姿がぼんやりと照らしだされる。
空の薬莢が排出されたのを確認し、俺は駆け出す。
やはり貫通弾数発程度じゃ牽制にしかならない。すでに弾倉は空、新しい弾丸をリロードし発射する前に、フルフルが絶壁に食らい付くのは明らかだ。
だから、ただ走るしかない。
近付く度に鮮明になる白い化け物までの距離が、自身の相棒より短くなったと感じた瞬間、俺は躊躇う事無く右腕のそれを突き出した。
槍を掴む右腕に、虚しく空を切る感触が伝わる。
「くそが」
距離の推測は完璧だった。ただ、フルフルの首が僅かばかり縮んでいた。
既に腕は伸び切った。更に突きを繰り出すにはもう一歩踏み出す必要がある。
しかし、俺がその一歩を踏み出すより早く、白い首が真っすぐ絶壁目がけて飛び出した。
潰
飛び出した白い頭には子供程度なら易々と一飲みに出来るであろう赤く裂けた口が有って、其処には鈍い光沢を持った白い牙がコレでもかと並んでいて、直ぐ傍の獲物を食い殺す為に唸りをあげる。
対する絶壁は迫る牙を見てなお、防ぐどころか避ける素振りすら見せようとしない。
今の絶壁は既に脱け殻か、俺の今の体勢じゃ手の打ちようがない。
……これは所謂詰みだ。
諦めが脳裏を過った瞬間、暗いはずの視界が妙に鮮明に、そして無駄にゆっくりにと動き出す。
当然俺の動きもゆっくり、結果は変えられそうもない。
ただ解りきった悲惨な最後を眺めるだけしか出来ない………これは何の嫌がらせだ。くそったれが。
不気味なまでに存在感を主張する白い牙は絶壁の頭ではなく、力無く揺れる二の腕に食らい付く。
目が退化している分狙いが適当なのか、もしくは絶壁の運が良いのか……しかし、一撃では無かっただけで詰みと言う結果は揺るがない。
白いに絡み付いたフルフルの唾液が、肉を焼くような、炭酸の気泡が弾ける様な音を立てながら絶壁の鎧を瞬く間に溶かしていく。
そして、フルフルの口から垂れる唾液に赤が混じりだした……瞬間だった。
「捕まえた」
ボソリと声が響き、赤く染まる腕がフルフルの頭を掴んだ。
突然の出来事にフルフルは慌てて絶壁の腕から口を離した。
この時、決まっていた筈の勝敗が逆転した。
「逃がすか」
唸る様な声と共に絶壁は空いた手で大剣を掴み、フルフルの爪先を叩き潰す。
赤い飛沫が舞い、白い皮から剥き出しになった白い骨を絶壁は入念に砕き、痛みに耐えきれなくなったフルフルが倒れると同時に、掴んだ頭を限界まで引っ張った。
そして、残った片腕で高々と大剣を振り上げる。
「死ね」
本来安物の刃ならさ容易く弾くブヨブヨとした皮とそのしたの脂肪もこの状態では役に立たないのか、フルフルの首に深く大剣が抉り込む。
それでもたったの一撃で死ぬわけがない。それを解ってか、ただの私怨か、絶壁は何度も何度も大剣を振り下ろし続けた。
「……死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね……」
フルフルが明らかに事切れた後も絶壁は大剣を振り、白い頭が赤い擂り身になるまでそれを続けた。
巻き込んだ側である俺がやりすぎだの言える筈もなく、絶壁の気が済むまで暗闇に気を配り続ける事にした。
暗闇の中
後悔
何度剣を振り下ろしただろう
何度骨を砕いたのだろう
何度肉を切り裂いたのだろう
気付けば目の前は赤深泥、残ったのは首のない竜の体と剣を構える私。そして残った手に抱えた冗談みたいに真っ赤なディーチの体。
仲間1人守れないで私はいったい何をしているのさ……
「……ごめんよ、ディーチ」
馬鹿みたいに涙が零れる。
こんな事したってどうにもならないのにさ。それでも涙が止まらないんだ。
「姐……は、泣、…素て……ね」
彼女の手が私の頬に触れて、赤い跡を遺してずるりと落ちた。
もう目なんて見えない癖に、最後の最後までそんな事しか言わないなんて……
「馬鹿、そんなんじゃ何て言ってるか解らないじゃないか」
投げ掛けた言葉に返事はない。
ずり落ちた手はゆらゆら揺れて、もうそこ以外に彼女の体は動きやしない。
「なぁディーチ、なんで私なんかに付いてきたのさ」
彼女の体をゆさゆさ揺する。
私は私の選んだ道を生きてきた。何時死んだって後悔なんて殆どない。
でも彼女は、彼女達は違うじゃない。ただ私の後を歩いていただけなのに、私より先に死ぬなんて変じゃない。
彼女の体を強く抱き締めても、もう温もりを感じる事すら出来やしない。
「離してやれ、もう死んでる」
私はその言葉に首を振る。動かなくても、温もりを感じられなくても、今私が抱いているのはディーチに違いない。だから離したくなかった。
「なんでベルやディーチだけがこんな目に会うのさ、私に付いてきただけなのに」
そんな言葉を吐き出した瞬間、彼が私の掴み上げ、壁に押し付けた。
「コイツラはお前に強制されたんでなく、自分達の意思で付いてきたんだろう? ならこれはコイツラが選んだ道だ。その結果をお前が嘆いたんじゃあんまりじゃないか」
彼の言うことが正しいのかどうか、今の私には判断出来ない。でも、それでも……
「死ぬなら私が先に死ぬべきなんだ」
彼の顔が一瞬だけ怒りに染まって、すぐに憐れみに代わった。
そして、頭から回復薬をぶちまけられた。
「足音からして、もうすぐリケ達が来る。だからお前はさっさと帰れ。お前が帰るんなら奴等も黙って従う筈だ」
「……ダギィは?」
「まだ用が済んでない。これから好きにやらせてもらう。俺は周りで誰が死のうが用が済むまでは後悔しない。決めた道は最後まで貫かせてもらう」
いやだ、待ってよダギィ
早速だが死ね
白い扉
俺を掴もうとする赤い手をスルリとかわし、暗く狭い道を足早に奥へと進んでいく。
何度か名前を呼ばれた様な気がしたが気のせいと言う事にして更に歩みを速めた。
あぁ……なんて胸糞が悪い。
自分が死ぬべきだ、なんて科白は性根の腐りきった極悪人の口以外からは聞きたくもない。
まぁ他人の事をとやかく言える様な人生を歩んではいない訳だが……
「まだ全部失った訳じゃないだろうに」
口から漏れ出した言葉は他人だからこそ言える科白な訳だが……
絶壁には何時かの誰かと違ってリケ達を筆頭に仲間が腐るほどいる。放っておいても直ぐに立ち直るだろう。
対照的に全部失った何処かの誰かさんは何年も逃げ続けて、結局残ったのは何の解決にも成らない復讐だけだ。
我ながら実に救えない。
いや、全部失ってた訳じゃなかったか。まぁそんな事すらも亡くしてから気付くあたりどうしようもないが……
まぁいい……
いまは最後に残った復讐にだけ集中するとしよう。
俺の足は僅かに下り坂となっている道をひたすら暗い方向へと進んでいく。
何故出口ではなく見ず知らずの穴蔵の奥なんかを目指しているのか、その大きな理由は先程ポカッた冴え渡る第六感によるところ……だけではない。
この奥が怪しいと睨んだ理由は幾つかある。
まず第一に、俺の記憶が正しければこんな場所にこんな洞窟なんてなかった。
次にそんな洞窟に住み着いているフルフル。何年も放置された街だから竜が住み着くのも解るが、洞窟が出来て其処に愚鈍なフルフルが群で住み着くなんて都合が良すぎる。
まるで誰かがこの洞窟に入ってこれない様にフルフルを連れてきたみたいじゃないか。
そして最後に、先程から一歩踏み出す度に全身から嫌な汗が噴き出すのだ。
まるで身体中の血がこれ以上先へ進む事を拒む様に。
……今さら何を恐れ拒むと言うんだ。死に損ないが。
さて、何だかんだで先程冴え渡る第六感で目指した場所の真下辺りまでやって来た訳だ。
数十メートル先には両脇に真新しいランプが備え付けられた真っ白な扉。
「当たりか、別さっきの感も間違ってなかった訳か」
白い扉には妙に達筆な字で『ようこそ』なんてふざけた事が書いてあった。
だから挨拶もノックも無しに妙に新しいドアを蹴破り、装填していた弾丸を手当たり次第にぶちまけた。
「久々……でもないな。まぁ、早速だが死ね」
糞野郎
散弾をばら蒔かれた部屋は分厚い土煙に覆われて何も見えやしない。
一応灯りが点っている様だが、肝心な糞野郎の影を写し出してはいない。
俺は拡散弾を装填すると共に引き金を引いた。
「良くわかったな?」
地下の一室に発砲音と下卑た笑い声が轟く。
土煙の中から現れた手乗りサイズの黒い竜は、俺の放った弾丸をスルリとかわし、此方へと一気に迫る。
「見えなくても臭うんだよ、糞野郎が!!」
反射的にランスで薙ぎ払うが、糞野郎は龍殺しの刃を避け、ランスの腹にぶつかり吹き飛んだ。
「残念外れだ」
蛇の様な舌を出し、黒い竜がニヤリと笑う。
「馬鹿が、残念なのはお前の頭だ」
そう言うが早いか、黒い竜の体がさっき撃った拡散弾の爆発に飲み込まれた。
俺は間髪入れず駆け出し、糞野郎が居るであろう場所にランスを突き立てる。
……右手に走る鈍い衝撃。
「やるじゃないか、ダギィ」
そんな科白と共に、土煙からはランスを掴んだ人間とも竜とも言えない何かが現れた。
ただ一つ解るのはコイツが糞野郎であると言う事だ。
「黙れ」
引き金を引くが、今度の拡散弾は完璧に避けられ、部屋の隅で惨めに爆ぜた。
「つれないなダギィ、この姿を見て何か感想は無いのか?」
糞野郎が黒い体と翼を自慢げに此方へ向ける。
俺は考えるフリをしながら鞄に手を伸ばす。
「汚なくて出来損ないの化け物だな。糞みたいなお前にはお似合いだ」
そう言い切った瞬間、盾の影で炸裂した閃光玉の光が、間違いなく糞野郎の網膜を焼いた。
俺は右手を引きながら大きく踏み込み、糞野郎の顔面に狙いを定め赤黒い刃を突き立てる。
赤い稲妻が迸り黒ずんだ血飛沫が舞う。
龍殺しの刃は間違いなく糞野郎の身を裂いたが、顔面ではなく奴の腕に突き刺さっていた。
顔面は外したが問題ない。赤マントの話なら龍殺しの力はこいつらに取っては致命傷のはずだ。
「惜しいなダギィ、化け物はあってるが"もう"出来損ないじゃないんだよ」
糞野郎が苦痛に顔を歪めながらもニヤリと笑った。
おかしい……一応効いてはいるようだがダメージが少な過ぎる。
「どうしたダギィ? 一撃入れたんだからもう少し喜べよ」
「黙れ」
ランスを強く押し込むが、腕の骨に阻まれているのか深く刺さらない。
「そうだ一撃いれた記念に良いものを見せてやろう」
刹那、全身に凄まじい悪寒が走る。
赤い少女(紅の空)
全てを照らす太陽が大きく傾き、自身の姿を橙色に変えたころ、一番目の空を舞う竜の影が1つ。その背には3人の人間と一匹の猫の姿が有った。
「まさかこんな所で金火竜に出会すなんてね」
「予想外ですね」
竜の背に呑気に腰掛けながら蒼い男と桜色の女が言い合う。
「まぁ私と貴方の手に掛かれば楽勝でしたけどね」
「俺に手は無いけどね」
男と女は二人して楽し気に笑う。
そんな2人を他所に、黒い鎧を纏った少女は、赤い髷を靡かせながらスコープを越しに眼下の街に目を凝らしている。
幾つか動く影があるが、そのどれもが彼女の探している物では無かった。
「探し物はまだ見付からないのかい?」
蒼い男が少女にそう尋ねた時だった。
彼らの真下で、目には見えないが、巨大で不気味な何かがズルリと動く気配がした。
少女の黄色い瞳が黒一色に反転し、その目は見えない筈のそれを確かに捉えた。
「見付けた」
凄く、どうしようもない程に不気味な存在と、それのすぐ側にある彼の存在を見付けた少女は一瞬の躊躇いもなく桜色の竜の背から飛び降りた。
「行ってらっしゃい、気を付けてね」
「うん、行ってきます」
刹那に交わされる短すぎる親子の会話。そこにはこれが最後になるかも知れない、と言う危機感や恐怖は一切なく、遊びに行く子供を送り出す様な優しさだけが有った。
「お嬢様、お待ちくだされ!!」
瞬く間に小さくなる少女を追い掛けて、黄色い猫も竜の背から飛び降りた。
「あの子ったら、相変わらず無茶しますね」
「俺ももう少し若かったら行くんだけどね」
「若くても私には無理ですね」
竜の背に残された2人は再びセラセラ笑う。
そして2人は黙って男の手を見詰めた。
「……もう出てきてもいいよ」
そう言った途端、男の籠手が独りでに跳び跳ね、中から赤い猫が姿を表した。
「心配で着いてきたんなら一目会えばいいのに」
「そうですよ、そんな変装までしちゃって」
「黙れニャ親馬鹿夫婦」
赤い猫はケッと吐き捨てたあと大きく伸びをした。
「さてニャア達は残りをさっさと片付けるとするのニャ」
「そうしないと愛しい姪にあえませんからね」
「次余計な事言ったら晩飯にドキドキノコを仕込んでやるニャ」
「素直じゃないね」
「テメエは飯抜きニャ」
一同の目の前に、ギラギラと夕陽を乱反射する銀色の火竜が現れた。
黒い女(暗い道)
日の光も灯りも無い、暗い通路に1人きり、彼を掴み損ねた手を眺めたままどうしようもなく呆けていたら、いつの間にかリケとルォヴが隣にいた。
2人とも辺りの惨状を見て少しの間押し黙っていたみたいだけど、漸くその口を開いてくれた。
「姐さん怪我は無いやんな?」
私はリケの問に黙って頷く。
「ダギィの奴は何処に行きましたの?」
私は黙って暗闇の奥を指差す。
「あの男は……何を考えてっ!!」
「まぁ落ち着き、今は……ディーチの事を優先せな」
リケは怒るルォヴを宥めながら私の方を見て、ゆっくりとディーチの体に手を伸ばす。
「姐さん、ディーチを離したってくれますか?」
リケが私からディーチを引き剥がそうとする。
「姐さん、もうディーチを楽にさせてあげてください」
私を見てルォヴが唇を噛みながら言う。
そうしなくちゃいけない事は解ってる。
私が抱き抱え続けても彼女は目を覚まさない。
私が拒んでも彼女の死は決して覆らない。
解ってる……解ってるけど私の手は彼女を離さない。だってもう私には、それくらいしか彼女にしてあげられる事が無いんだから。
「姐さん」
「手を離して」
2人が本当に辛そうな声をだす。だけど私の手の力は一向に緩んでくれない。
そんな時、暗闇の奥で何かがズルリと蠢いた気がした。
それに釣られる様に、天井を黒い影が走った様に見えた。
「姐さん!!」
「危ないですわ!!」
2人が私の体を突き飛ばした途端、天井からソイツが降ってきた。
暗闇に不気味に浮かび上がる白い体、白い翼、白い顔、そして真っ赤な口。さっき私が殺したのとは別のフルフル?
「姐さん構えて!!」
リケがそう叫ぶんだけど、何故だか体に力が入らないんだ。代わりに彼女を抱く腕だけに力が入り続けるんだ。
此方を向いたフルフルの口にバチバチと白い光が集まっていって、それに呼応する様にリケとルォヴが何かを叫ぶんだけど、全然聞き取れないんだ。
私、疲れちゃったのかな?
放たれた白い光が地を走り迫ってくるのをただボンヤリと眺めて思ったんだ。
あの光に焼かれれば2人の所へ行けるのかな……なんてそんな事を考えてたんだ。
赤い少女と黒い女(思いの行き先)
迫る死に対して、抗おうともしない私の頭上が突然崩れた。
撒き散らされる大小様々な瓦礫の雨は、迫る稲妻を悉く掻き散らした。
そして暗い通路に光が射し込んだ瞬間、雄叫びが響いた。
「ラァアアアァアアァアァ!!!!」
天井を砕き、朱色の光を浴びながら現れた影は、赤い髪で螺旋を描きながらフルフルの頭に複数のナイフを投げ穿つ。
脳天に強烈な一撃を受けよろめくフルフルに黄色い影が追撃を仕掛ける。
紫刃と血飛沫が乱れ飛ぶの他所に、赤い少女がトコトコと此方に歩いてきた。
「姉御、ダディを助けに行こう」
何に怯む事もなく、ただ真っ直ぐに、少女は私に手を伸ばす。
でも私にその手を掴む事は出来ない。
「私は無理、2人も私のせいで死なせたし、私じゃ何の役にも立てない」
もう、心が折れちゃったんだ。
「何で姉御は此処に来たの?」
「それは……」
それは彼を助けるためだけど、さっきまで生きていた彼女を棄てて行くことなんて私には……
「何でお姉さん達は死んだの?」
「それは……私が守れなかったから……」
私がそう言った瞬間、少女の瞳が私を睨んだ。
「違うよ!! この街に来たのは姉御の意志だけど、死ぬまで戦ったのはお姉さん達の意志だよ!!」
少女は叫ぶ、小さな体を震わせて、その身の丈からは考えられない程の大声で。
「きっと、お姉さん達は姉御の力に成りたくて最期まで戦ったんだよ!! それなのに姉御がこんな所で止まってたら……お姉さん達の戦いは!! 命は!!」
少女の体はふるふる揺れて、大きな瞳からは涙が溢れる。
「お姉さん達の意志は……何処に行ったら良いの?」
ポタリと溢れた涙がディーチの頬に落ちて、まるで彼女が泣いている様に流れ落ちる。
まるで今の私の姿を見て悲しむみたいに……
「そう、だね……」
ディーチの亡骸をそっと寝かせて私は立ち上がった。
あとで幾らでも彼女達の為に泣いてあげよう。悲しんであげよう。
でも今は駄目だ。私は最期まで戦わなくちゃいけない。
彼の為に、私の為に、なにより私の側で戦ってくれた彼女達の為に。
だから……
「リケ、ルォヴ足止めを頼む。私達はケリを付けてくる」
「了解やん」
「お任せですわ」
3人に背を向けて、私は走り出す。
「行くよミーユ、奴の所へ!!」
「うん!! ジュウベェも行くよ」
「御意に」
全ては後回し、私には貫かなくてはいけない意志がある。
彼の理想 彼の絶望
蠢く
部屋の奥で何かが蠢く。
……いや、正確には部屋の奥にある卵の中で、直接見える訳ではないが、何かが、確実に、蠢いている。
「なんだあれは? お前の晩飯か?」
口ではそんな事を言いながら、俺はぐるぐると思考を回す。
身体中の血があれの誕生を求めている。
身体中の血があれの誕生を喜んでいる。
だからこそ
あれは生まれさせるべきではない。
あの卵がひび割れて、中のそれが翼を広げる前にあれを殺さなくてはいけない。
そうしなくては必ずまずい事になる。
「バカな事を言うなよ。ダギィ、お前もあれがどういった物か勘づいているんだろう?」
目の前の糞野郎がニヤリと笑う。
「解らないな」
時間を稼ぐべく、俺は適当な答えを返す。
「仕方無い奴だなダギィ。なら教えてやろう。俺と彼の事を」
だが奴は予想以上にこの言葉に食い付いた。
「俺と彼は古びた塔で出逢った。俺は心底彼に心を奪われたが、その時一緒にいた分らず屋どもがこぞって彼を処分しようとしたからな。だから逆に皆殺ししてやった」
酷く陶酔した様子で糞野郎は語り出す。
そんな事は知ったこっちゃないが、まだ場所が悪い。奴の話を聞くフリをしながらジリジリと場所を移動する。
「彼を古びた塔から連れ出すとな、それを追うように古龍どもが押し寄せて来たんだ。まぁ、それで一番目と古龍どもが相討ちになった時は笑いが止まらなかったがな」
まだだ、まだ遠い。
「次に二番目で私は面白い物を手に入れた。お前もよくご存じの邪龍の呪いさ。これで俺も彼に近付けると思ったんだが……どうにも決定的な何かが足りなかった。それを調べるのと、彼を守る為に二番目の街も滅ぼした」
まだ駄目だ。まだ角度が悪い。
「色々な実験を繰り返したがどうやっても彼にはなれなかった。だがな、ダギィ、この前、遂に全てが揃ったのさ!! その結果が今の彼であり今の俺なんだよ!!」
もう少し、もう少し無駄口を叩いていろ。
「あんな小さい子供が邪龍の血をもって居たのは驚きだったがな」
あと一歩、もう一歩。
「彼は俺の夢だ。理想だ。憧れだ。彼のために、彼に近付く為に俺はなんでもやって来た。その努力がもうすぐ報われるんだよ、ダギィ!!」
「そうか、なら今死ね」
渾身の一撃を奴ではなく奥の卵目掛けて繰り出した。
「全てはお前のおかげさ、ダギィ」
刹那それに大きな亀裂が走る。
決死
突き立てたはずの龍殺しの槍は黒い翼に阻まれ止まり、歯軋りをする俺の目の前で卵の中に居たそれが殻を喰い破ってその姿を現した。
「な……」
白い角、白い鱗、白い翼、純白と言うに相応しい龍の体は見る物全てをその美しさで魅了し、
「■■■■■■■■■■■■!!!!!」
万物を震わせる咆哮染みた産声と、唯一紅に染る瞳は対峙する総てを死と絶望と恐怖で魅了する。
「あぁ……美しい……やはり俺は間違っていなかった」
感嘆の言葉を漏らす糞野郎の隣で、俺の体は凍り付き、身体中の血液が目の前に訪れた絶望に歓喜する。
手持ちは屑札、僅かな切り札も正真正銘の化け物の前では屑札と大差無い。
……所謂詰みと言うやつか。
「どうしたダギィ、もっと喜べよ? お前の人生も、お前の街も、お前の女も、全ては彼の為に犠牲になったんだからな」
目の前で糞野郎の顔がクシャリと歪んだ笑みを浮かべる。
現状は詰みだがまだ終わりではない、終われる訳がない。
今まで何年も死んだように生きて来たんだろう?
終わった準備を永遠とし続けて腐った様に生きて来たんだろう?
そんな死体がルルメとディが死んで漸く生き返ったんだろう?
そんな俺に残ったのは何だ?
腐れた体と八つ当たりの復讐だけだろう?
そんなことすら果たせずに、果たそうともせずにまた死体に戻るのか?
既に終わりは見えている。
なら最後の最後まで走って、走って、戦って、闘って、手も足も腐り落ちてどうしようも無くなってから死ね。
その程度もやらずに死ぬなんて許される訳が無いだろう。
「アドマン、お前に1つだけ言ってやろう」
「何だダギィ? 祝いの言葉か何かか?」
目の前で糞野郎がケタケタ笑う。
それを見て何時か受けた傷口から、ドロドロと腐れた黒い肉片が這い出して来る。
手を、脚を、腸を、黒く黒く食い潰し塗り潰す。
この体はもうすぐ果てる。
糞野郎に引き裂かれるか、白い龍に八裂かれるか、黒い肉片に食い潰されるかして死に絶える。
だがこの数分数秒だけ、数年振りに甦った死体の体は燃え上がる。
過激に
苛烈に
劇的に
死ぬ事は元から確定だ。
ダラダラと生きていた死体がただの死体に戻るだけだ。
何の問題もない。
だが1つだけ……
これだけは成す。
これだけは果たす。
これだけは決死て止めぬ。
「お前は殺す。今ここで」
殺せない
お前が殺す? この俺を?フハハハッ、馬鹿かおま」
「ああ殺すとも」
俺の台詞を聞いた糞野郎の嘲笑を黒い翼と纏めて切り裂いた。
深く食い込んでいた龍殺しの槍は赤い稲妻を散らし容易く黒い翼を肉片に変え、喰らい尽くす。
「無理だ!! 貴様じゃ無理だダギィ!!」
黒い血へど撒き散らしながらも糞野郎はなお笑う。
「良いから殺されろ」
心臓が有ろう場所に槍を突き出すが糞野郎の腕がそれを掴んで止める。
「ほら無理だ」
糞野郎が下卑た笑いを浮かべる。
それを消すべく腕に力を込める。
「いや、殺す」
黒い肉片がドロドロと這い廻り、右腕が瞬く間に侵食されていく。
その代わりに右腕は不気味に膨張し、龍殺しの槍がゾブリと糞野郎の胸を喰い破る。
「そんな出来損ないに身を落としても無理だぞダギィ」
糞野郎が笑うと共に奴の肉片が槍の先端にまとわりついた。
「それでも殺す」
俺は糞野郎が突き刺さったままの槍を振り上げがむしゃらに引き金を引く。
銃声と爆発音が轟く度に黒い肉片が爆ぜとび、ゾブリゾブリと槍の刃が糞野郎の体を喰い進む。
ただ殺す
今殺す
すぐ殺す
「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
弾丸全てを撃ち尽くし、更にランスの尻に膝を叩き込み、赤い刃で貫き続けた。
「それでも無理だ」
「それでも殺す」
黒い肉片に犯され尽くした右腕が弾ける様な勢いで突きを繰り出した瞬間、赤い槍が糞野郎の心臓を捉え、黒い体を貫いた。
その時、奴ではなく俺の口からボタリと赤が溢れた。
「ほら無理だ」
糞野郎が言った途端、俺の右胸から全身を朱に染めあげた白い龍が這い出て来た。
ボタリと、ドボドボと、ダバダバと赤が滴り、溢れ、流れ落ちる。
俺の肉を好き勝手喰らった白い龍は、その翼を優雅に広げ、糞野郎の喉笛を喰い千切った。
『そら見ろダギィ、お前に俺は殺せない』
ゴロリと落ちる奴の首は、そのままゴクリと白い龍に飲み込まれた。
垂れる
首の無くなった体は糸が切れた人形の様に力なく倒れ、白い龍の口に吸い込まれた。
そして薄暗い空間には俺と白い龍だけが残った。
糞野郎は跡形もなく消え去った。
影も形も残さず、白い龍に飲み込まれて……
どういう事だ?
まだ俺は奴の顔をぶん殴っていない。
まだ俺は奴の首をへし折れていない。
まだ俺は奴に止めを刺せていない。
まだ俺は仇を獲れてない。
なのに何だ、この状況は!?
「これは、いったいどういう事だ!?」
奴が死んだのに俺はちっとも喜べない。
それどころか俺は酷く狼狽える。
そんな俺を見て微かに黒が混ざった龍は此方を見て口元を大きく歪める。
まるで酷く滑稽な道化を見て笑うかの様に。
そして、徐に黒く汚れた口が開いた、その時だった。
『ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ』
穢れた龍は突如笑い出す。
人を馬鹿にする様に。
人を嘲笑する様に。
人を侮辱する様に。
そして何より、その笑い声は非常に耳障りで、酷く聞き覚えがあった。
『どうしたダギィ、目の前で仇が殺されでもしたか?』
穢れた龍はそんな言葉を俺に投げ掛ける。その妙にボヤけている声は、間違いなく、糞野郎の声だ。
どういった訳かは解らないが、糞野郎は未だ死なず、穢れた龍と1つになったらしい。
だから、俺は迷わず……
「死ね」
穢れた龍の顔目掛け龍殺しの槍を突き立てる。
赤い槍の切っ先は微塵の肉も切り裂けず、バチバチと激しい火花と共に斑に成った鱗の上を滑り後ろの壁を砕いた。
『感動の再開だってのに、焦るなよダギィ』
穢れた龍は糞野郎の声でゲラゲラ笑う。
「黙れ、死ね」
突き出したランスで薙ぎ払うが斑の鱗に難なく弾かれた。
『それしか言えないのかダギィ? もっと他に、この姿を見て言う事が有るだろう?』
穢れた龍は斑に成った全身を見せびらかす様に翼を広げる。
『私はあの日からずっと彼に成りたかった。邪龍の呪いに侵されれば限り無く龍に近付けるが、それだけでは出来損ないだ。肉と血、この2つが揃って始めて彼により近い存在になれた。そして今、私はとうとう彼と1つに、彼自身に成れた』
悦に入る様にダラダラと糞野郎の声が聞いてもいない演説を垂れる。
黒い染みにまみれた翼を翻し、斑に穢れた尾を振るい、焦点の合わない赤い瞳をギラつかせながら、ダラダラと垂れた涎と一緒に……
『今の俺を見て何か言う事があるだろう?』
醜い
奴がそんな解りきった事を自信満々のニヤケ面で尋ねてきたから、俺はゆっくりとこう言った。
「酷くグロテスクで醜悪だな。色も形も臭いも最悪だ」
『……なんだと?』
俺の言葉を聞いて穢れた龍はその顔を歪ませ、此方を睨む。
この上なく解りやすく、且つオブラートに包んで言ってやったつもりだったが……どうやら頭も残念になったようだな。
「仕方無いから簡単に言ってやろう。どうしようもなく"醜い"と言ったんだ」
まぁ元とあまり変わらないとも言うがな。
『面白い事を言ってくれるな、ダギィ?』
さっきと変わらない口調で、しかし苦虫を噛み潰した様な表情で穢れた龍は言う。
「面白いも何も、見たままを言っているんだが?」
『腐った肉の寄せ集めの分際で!!』
穢れた龍は膨張したかの様に朧気で、巨大になった斑を広げ此方へと襲い掛かる。
「ハッ、怒った怒った」
鼻で笑いながら横っ飛びに地面を転げ翼撃をかわす。
胸の穴を確認すると、はみ出た黒い肉がちょうど穴を塞ぐ所だった。
……よし、だいたい治ったな。
決して広くない空間を器用に旋回し、再び斑の翼が迫る。
狙う場所は既に決まった。
この攻撃を決めるのに動く必要は無いが、動かない必要はある。
淀んだ空気を巻き込み、唸りを上げて奴が迫ってくる。
姿勢を可能な限り低くし、槍を構えたまま立ち尽くす事に集中する。
イメージとしては根を張る大樹か……
『訂正しろ、ダギィ!!!!』
穢れた龍が近寄る程に、俺の足から黒い根が伸びていく。
「訂正しよう。醜い上に酷く間抜けだ」
『ダギィィ!!!!』
首を喰い千切ろうとする穢れた牙を首だけでかわし、体は大樹の様に微動だにさせない。
狙うは1つ、斑な翼に可能な限り赤い刃を突き立て、体を完璧に硬直させる。
ギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリギャリ
破滅の音を鳴り響かせながら、龍殺しの刃は文字通りその身を削り撒き散らす。
そして飛び散る刃の屑達はは集る様に黒と白の隙間に食い込み、鮮血を啜る様に赤い雷を撒き散らす。
白い鱗は僅かに焦げ、黒い肉片はゆっくりと蕩け出す。
やはりか、予想通り。
見た目の通り、2つの体は混ざりはしたが完璧に融け合ってはいないらしい。
「どんな手を尽くそうと、完璧に龍と1つには成れなかったみたいだな。この出来損ないが」
寄生虫
『糞ッ、違うちがうチガウッ!! 俺は彼と1つに成ったんだ!! お前の様な出来損ないとは違うんだよ!!』
糞野郎が声を荒らげる度に黒い肉片が白い鱗にすがり付く様に根を伸ばす。
その様はどう見ても1つになったとは言えない、良くて寄生虫か何かだな。
「お前も俺も変わらないさ。くだらない妄想にすがる事しか出来ないただの腐った肉片だ。だから死ね、俺もお前も」
言いたい事を吐き出した代わりに、深く息を吸い込む。
構えた槍の先は既に半分程度に成っている。代わりに摩耗し、飛び散った破片は黒い斑点でバチバチと火花を飛ばしている。
さて、現状から察するに、上手くやれば糞野郎と白い龍を分離させる程度は出来るかも知れない。
しかし問題が2つ。
1つはその段階で現状の切り札である赤い刃先が摩耗しきるだろう事。
もう1つは白い龍の相手なんざ出来ないと言う事だ。
……
『俺は理想になった!! 私は死なない!! 彼が、私が俺が、ダギィ、お前なんかに!!!』
ヒステリックか、はたまた寄生虫擬きに成り下がった副作用か、糞野郎から知性とか品性とかが剥がれていっている様だ。
考える時間もなく打開策も無し、なら出たとこ勝負で行くしかないだろう。
「俺なんかに殺されて終わりさ、お前は」
前傾姿勢のまま駆け出し、腹辺りの白と黒の境に狙いを定める。
『そんな訳が有るか!!』
一段と大きく穢れた龍が吼えた瞬間、俺の数メートル先が不自然な程に明るくなった。
明るい円の数歩手前で急停止した次の瞬間、何処からともなく現れた禍々しい赤が数歩先の闇を跡形もなく焼き尽くした。
何だ、今のは!?
炎? 稲妻? それ以前にいったい何処から!?
激しい光の残像が残る俺の目は、妙に周りが明るく成っている事に気付くのに僅かばかりの時間を要した。
その僅かが致命的だ。
迸る赤
「しまっ」
輝く足下、眩い赤が迸る頭上、反射的に横に跳ぶが全ては後手後手だ。
赤が雷となり降り注ぐより早く、俺の左足以外は円からの脱出した。つまり左足は間に合わなかった訳だ。
空気を裂く音が暗闇に轟き、反響し終わると共に左足が消えて無くなった。何の感慨も落胆もなく、脛から先が綺麗さっぱりと。
遅れてやって来た痛覚は黒い肉片がペロリと平らげた。左足は瞬く間に黒い肉片にすげ代わる。
つまりはまだ闘えるが、先程までと同様という訳には……行かないよな。
後の事なんて考えず、武器も体も使い捨ててたと言うのに……こんな所でこんなヘマを……
『どうだ!? 見たかダギィ!! やはり彼は素晴らしい!! もっと時間と、あの子供の血さえ有れば直ぐにでも完璧に成れる!! そうに違いない!!』
狂った様に仮説を垂れる糞野郎。黒と白の分離は目に見えて進んでいる。
ここで仮に俺が死んでも糞野郎は龍から剥がれ落ちるだろうな。
『ダギィ、お前を殺したら次はあの餓鬼を殺す。そして俺は今度こそ彼と1つに……1つに!!』
奴が言うように赤髷の血でどうにかなるにしても、奴はこの街に居ない。俺が粘れば糞野郎は赤髷に会う前に時間切れだ。
それに俺にはまだ最後の仕掛けが残っている。
『さぁ、終わりにしようかダギィ!?』
「あぁ、お前も俺も此処で終わりさ」
言い捨てて、駆け出した瞬間、暗闇が昼間の様に明るくなった。
爆ぜるは黒白そして赤
『消し炭すら遺さずに消えろ、ダギィ!!』
夕立か何かの様に、赤い稲妻が視界一杯に降り注ぐ。1つが落ちて次が発生するまでの時間は非常に短いが、決して連続的なものではない。
短いが確実にインターバルが存在し、猛る雷は視界一杯に"隙間なく"降り注いでいる訳ではない。
なに、胴体がすり抜ける程度の隙間くらい有るさ。
「アドマン、醜い姿を晒して死ね」
駆け出し、腐れた足で地を蹴り飛ばし、隙間とも言えない様な小さな穴へ自分の体を捩じ込んで行く。
一歩踏み込む度に体の何処かが消えてなくなり、黒い肉片へとすげ代わり、また消し飛んではすげ変わる。
あと少しで糞野郎が最後の仕掛けの射程に入る。
既に手足は見覚えがない黒塗りになり果てて、僅かに残った胴も最早人の物とは思えない。
それでも槍と盾だけは辛うじて残った。それだけで十分だ。
『ダギィィィィイイィイ!!!!』
穢れた龍が腐れた咆哮と共に黒く染まった腕を振るう。
その一撃を残った盾で受け流すと、冗談みたいな音を立てて腕の骨が砕けた。砕けたが、懐に滑り込む事は出来た。
さぁて……
賭けれる物は全て賭けた。
捨てれる物は全て捨てた。
だから後は最後に一言、勝ち誇った顔で言ってやるだけだ。
「詰みだなアドマン、無様に死ね」
『でき損ないがぁ!!!!』
負け犬の遠吠えを聞きながら、白と黒の分離が最も進んでいる場所に赤い刃を走らせる。
赤い刃はその全身に皹を走らせながら、白から黒を剥ぎとっていく、その黒の内側に糞野郎の面が見えたから最後の仕掛けを引き金を引いた。
弾ける炸薬が撃ち出すのは複数ある弾丸でなく、一発こっきりの赤い刃と言う弾丸。
穿たれた皹まみれの刀身はバラバラに砕け、散弾と成って降り注ぐ。
降り注ぐ破片は龍殺しの稲妻と化し白から黒を削ぎ落とした。
『嘘だうそだウソダ!?』
糞野郎が未練がましく白い鱗に貼り付こうとしては赤い稲妻に焼かれて落ちる。
「本当さ」
そんな軽口を叩く俺は今にも白い龍の雷に射殺されそうだが……まぁ別に良いか、いい加減時間切れだろうし、糞野郎が助かる術ももうない。
『血だ、龍の血さえあればもう一度、もう一度彼と1つに』
だが残念、ここに龍の血なんざありはしないし、俺の次の手も有りはしない。
「俺もお前もお終いさ」
頭上の終わりに向け呟いた瞬間、二色の赤が混ざって爆ぜた。
最終更新:2013年02月28日 12:27