Vie journaliere d'un chasseur

ある村の風景

酒場での風景

 これはある小さな村がハンターの村としてギルドに認められる様になる少し前のお話。
 辺境に集まった10人に満たないハンター達。
 辺境故に苦労も多く、ギルドに認知されていないが故に大きな依頼もない。
 しかしハンター達は自分達の村を興そうと手を取り合った。
 これはそんな彼らの物語。
 やがて彼らの創った道標を辿って幾人もの人が訪れるだろう。
 笑い、泣き、怒り、悲しみそれでも彼らは狩り場に立つ。
 自らの力と仲間を信じて━━━

『アッシュ、また失敗したんだって?』
 名を呼ばれた男が振り返ると、そこには笑みを浮かべた男が立っていた。
『えぇ……』
 アッシュと呼ばれた男は一言だけ、小さく返事をするとテーブルに視線を戻した。
 黒髪の優男、そんな男である。
 視線は鋭く、見るものを威圧する。
 しかし恐ろしい男、というわけでもない。
『だから俺を連れて行けって言ったろ』
『ヴィック……』
 大柄な男が椅子を引き、腰掛ける。
 テーブルいた視線がヴィックに集まる。
『な、なんだよ?』
 集まった視線に押されたのか、男が一同を見返す。
『確かにお前の力は認める。だがお前は大雑把すぎるんだ、今回の依頼はお前には向かなかった』
 眼鏡━━━モノクルと呼ばれる“片眼鏡”をかけた男が静かに言う。
 落ち着いた感じの雰囲気を漂わせいる男で、モノクルがずれるのか片手で直している。
『じゃあ何で失敗しんだよ!!』
 男の言葉が気に入らなかったのか、ヴィックが麦酒の入ったグラスをテーブルに叩きつける。
『……』
『俺達に失敗して立ち止まっている暇なんてないんだよ!それはあんたにも分かっているだろ!!』
 ヴィックの言葉に一同が沈黙する。
 男は黙った仲間達を見て舌打ちすると、欠けたグラスの麦酒をあおった。
『ですがリベールの判断が間違っていたとは思いません。あのまま狩りを続けていれば……』
『俺はまだやれたッ!!』
 アッシュの言葉を顔に包帯を巻いた男が遮る。
 見れば包帯からは紅が滲み出ており、怪我をして間もない事が分かる。
『落ち着きなさいクロワ、お前もせいだとは誰も言っていません』
 アッシュが包帯の男━━━クロワを宥めるが、効果はないようだ。
 ヴィックと同じく、麦酒の入ったグラスを持つ手に力を込めている。
『じゃあ誰のせいなんだ……?』
 クロワの漏らした一言、その一言で全員の視線が一点に集まる。
『俺のせいだろうな』
『リベール……』
 モノクルをかけた男が眼鏡を直しながら言う。
 どうやら、眼鏡はズレいるわけではなくただの癖のようだ。
『まだやれるといっているクロワの状態を見誤って、クエストをリタイアしたのは俺だ』 
『しかしリベール…』
 何か言いかけたアッシュをリベールは手で止め、立ち上がる。
『ヴィック、次はお前の好きにするがいい』
『ああ、やってやるよ!』
 カウンターに向かって歩いていくリベールにヴィックが言う。
 怒っているのだろう、半ば喧嘩腰になっているヴィックを隣の者が抑える。
 しかし彼の身体は大きい為、力も強く男二人かがりでも引きずられている。
『どうしたん?』
 酒場に入ってきた男が場の空気の悪さに気付いたのか近くにいた男に声をかける。
『ん?いつものことだ』
 それだけ言うと男は立ち上がり、出口の方へと向かった。
『いつもの事…ね』
 取り合えず空いている席に腰掛け、様子を伺う。
 独りでぶつぶつと文句を言っている者。
 肩を落とした友人を励ます者。
 どうみても楽しそうな雰囲気ではない。
 理由は聞かずとも想像できた。
 クエスト━━━つまり狩りに失敗したのだ。
 ハンターである以上彼らは狩りで生計を立てている。
 その狩りに失敗すれば食事にもありつけない。
 だが、彼らにはもう一つ問題があった。
 この村はまだ興したばかりの村で知名度は無いに等しい。
 それでもクエストが回ってくるのは彼らがある程度の実力を持ったハンターだからだった。
 しかし回ってくる依頼といえば、採取やランポスの駆逐などの初心者にいくような依頼ばかり。
 リベールはそういった依頼でも「最初は我慢だ」といって受けている。
 だが仲間のうちにはそれを心良く思わない者もいた。
 つまり「そんな依頼など受けるな」ということだ。
 彼らにはプライドがあり、また実力もある。
 それ故に初心者の依頼など受けたくないのだろう。
 今回の依頼は珍しく雌火竜リオレイアの討伐であった。
 ハンターの華ともいえる飛竜との戦い。
 それを失敗したのだからヴィックが怒るのも無理はなかった。
 自分を抜いたメンバーで出発したのも理由の一つだろうが。
 問題とはその事で、ただでさえ依頼が少ないのに失敗を続ければいずれ依頼はなくなる。
 そうなれば彼らはこの村を棄てて違う街に移るか、ハンターをやめなければならなくなる。
 彼らが怒っているのは“それ”が恐ろしいからかもしれない。
『いいの、リベール?彼怒ってるわよ?』
『そうだな……』
 カウンターに立つ女からグラスを受け取り、口をつける。
 グラスの中身はアルコールではなかったが、気分的に酔った方が楽ではないかとリベールは思った。
『どんだけ依頼を成功させてても、仲間がおらんようなったら意味あれへん』
『ウォルナット……』
 先ほどまで入り口の近くに座っていた男がいつの間にやらリベールの後ろにいる。
『あんたよう言うとったやないか、それを言うたったらええやん』
 どこか独特な言い回しと、イントネーションでウォルナットが言う。
 リベールは一度男の方を振り返っただけで、すぐにグラスの中の液体に視線を戻した。
『すぐに落ち込むのはあんたの悪いとこやで』
『そうだな……』
 男はため息をつくと、おもむろにリベールの背中を叩いた。
 ちょうど口にグラスを運ぶ瞬間だったので、運悪くリベールはグラスに顔をぶつける。
『まぁ、元気だしって!レイリア、何か美味いもんもってきたってや!』
『はいはい』
 痛がるリベールを見てレイリアと呼ばれた女性は苦笑いを浮かべながら厨房へと入っていく。
 すぐに包丁が何かを刻む音が聞こえたかと思うと、すぐに油の焼ける香ばしい匂いが広がってきた。
 レイリアはリベールと同じく、初期の段階からこの村にいたらしいが二人がどんな関係かは誰も知らなかった。
 と、言っても特に知りたいという者はおらず、仲の良い仲間として受け入れられている。
 彼女の料理は定評があり、その腕は魚料理を作った時に真価を発揮する。
 幸い村の中央を流れる川で釣りができ、そこで釣り上げた魚の調理を頼む者もいるくらいだ。
 特に煮付けの味は格別で、一種の「おふくろの味」を思い出させてくれると評判だった。
『で、何で失敗したん?』
『元々期限の短い依頼だった、誰かが逃した雌火竜の後始末だったんだろうな。
手負いの獣ほど獰猛なものはない。俺達も必死に戦ったが……
…不意にクロワが吹き飛ばされた。何に飛ばされたかはすぐには分からなかった。
今思うとブルファンゴでも居たのかも知れない……
怪我を負ったクロワを気遣うとどうしても“無理”が生まれる。
期限が迫っていたし無理をしなければ狩れなかった』
『そして臆病なリベール君はクエストをリタイアしましたって事か?』
 冗談っぽく言うウォルナットをリベールはしばし見つめた後無言で頷いた。
『無理をすれば狩れたかも知れない、だが俺は仲間を失うのではないかと躊躇った。
それが今回の敗因だ』
 言ってグラスの一気に傾ける。
 狩り場での焦り、恐れ、悩みは死に直結する。
 リベールの判断も間違いではなかったと言える。
 ただでさえ猶予が無い状態での狩り、そこに仲間の負傷が加われば自然と焦りが生まれる。
 それを自覚していようといないにかかわらず、各人の能力にも影響を及ぼす。
 例えば「いつもは絶対に外さない距離で的を外す」
 例えば「手が、足が震えて踏み込みを誤る」
 上記の他にも症状はあるだろうが、大体はそんなものだ。
 しかし、これらを甘く見ていると気付けば棺桶の中、という自体も有り得る。
『まぁ、あんたはそういう奴やからな。みんなもそれは知っとる』
『……』
 笑いながらウォルナットはリベールの背中を叩く。
 叩かれる背中は痛かったがどこか心地よい痛みだった。
『まぁ次は俺らに任してあんたはゆっくり休んでたらええんちゃう?』
『……そうだな』
 ウォルナットの笑みにつられ自然と笑いが零れる。
『お待たせ、オンプウオしかなかったから簡単なものだけどいいかしら?』
『何でもいいよ、腹が減って死にそうだったんだ』
 フォークを手に取り、オンプウオの腹を目掛けて刺す━━━が、いない。
 オンプウオが皿から消えたわけではない、“皿ごと”消えたのだ。
 ウォルナットも驚いたのかリベールと顔を見合わせている。
『“何でもいい”って失礼じゃなーい?』
 犯人は目の前の女、レイリア。
 リベールがフォークを刺す一瞬の間に彼の前から皿を奪い取ったのだ。
 恐るべきスピードである。
『違うよ、“君が作る料理なら何でもいい”って意味だったんだ』
『あら、そうなの?』
 微笑みかけるリベールに満面の笑みを浮かべ、皿をカウンターの上に戻す。
 彼の顔を見つめた後、そっと手を差し出し━━━
『眼鏡がずれてるわよ、リベール』
 彼のモノクルをつつくとレイリアは再び厨房へと戻っていった。
『あんた尻に敷かれてんの?』
『……その話はやめてくれ』
 彼女が入っていった厨房の入り口を見つめながら2人が呟く。
『まぁ、とりあえず食べよか。せっかくの料理冷ましたら勿体無いしな』
 リベールの言葉に重たいものが漂っていたのかウォルナットはそれ以上聞かずフォークを手に取る。
 色々言いたい事もあったが、腹が減っていたのも事実。
 狩り場ではアプトノスなどの肉や魚をを塩・胡椒で味付けしたものしか口にできないためこういった食事は有難い。
 美味な食事は心をも潤わすとは、あながち嘘でもないのかも知れない。
 湯気の昇る魚にフォークを入れると香ばしい匂いが漂ってくる。
 その匂いは嗅いだだけで彼らの胃を刺激した。

『クロワー!!』
 突然誰かが酒場のドアを威勢よく開け入ってくる。
 頑丈な扉は蹴ったくらいでは壊れることはないだろうが、それでも中にいた者達からは冷ややかな目で見られる。
『…ご、ごめんなさい』
 自分を見つめる者達にさすがに気圧されたのか少年が呟く様に謝る。
『ちょっとリロイ、何度言ったら分かるの?ドアは蹴る物じゃなくて手で開けるものよ』
『げ…センティア、帰ってたの……?』
 文句を言いながら近づいてきた女に少年が苦笑いを浮かべる。
『「げ…」って何よ「げ…」って!私は帰ってきたらダメなのッ!?』
 女はリロイの腕を掴むと━━━持ち上げた。
 少年を、である。
 少年と言ってもリロイは今年で17、体重にしても50kgはあるだろう。
 ハンターとしての防具を着けているので実際はもっと重いだろうが。
 それをセンティアはいとも簡単に持ち上げたのである。
 当然リロイは平気なわけはなく……
『ちょっ!?センティア!!痛い、痛いって!!』
 喚きながら暴れる。
 しかし女はというと暴れるリロイを睨むだけである。
『今のはリロイが悪いよ、暫く反省したら?』
 横のテーブルから、リロイと同じくらいの少年が言う。
『いや!だって、これ!手が千切れるって!!』
 彼女が握っているのはリロイの手首だ。
 男にしてはやや細い腕をさらに細い彼女の腕が締め上げる。
『反省したの?』
『した!したからっ!』
『本当に?』
『本当!昨日食べたオンプウオに誓ってもいい!!』
 痛みで何を言っているのか分からないのか、それとも痛みから解放してほしいからかリロイは何やらわけの分からない事を叫ぶ。
『そんなモノに誓われても……ねぇ?』
『何だったら今まで食べたオンプウオ達にでもいいから!!』
『さらに意味わからないわよ……』
 左手で眉間のあたりを押さえ、深いため息をつきながら右手の力を緩める。
 床に尻から落ちた少年は慌てて自分の手を見つめる。
 赤くなった自分の腕にセンティアの手形がしっかりと付いていた。
 少年は涙目になりながら彼女の手形が付いた自分の腕に息を吹きかけている。
 余程痛かったのだろう。
『しっかり反省しなさいね』
 女はそれだけ言うと奥のテーブル、食べかけの料理がテーブルにあるので彼女の席だろう。
 小さな笑いの起きる酒場をゆっくりと歩いていく。
『で?何慌ててたの?』
 横のテーブルに座っていた少年がリロイに手を差し出しながら問う。
 リロイは助けて貰えなかったのを根に持っているのか、拗ねた様な表情を浮かべたが素直に少年の腕を取った。
『え?だってクロワ怪我したんだろ?』
『したにはしたけど、そんな重たいモノじゃないよ。次の狩りにも出れるってさ』
 少年は言いながら指で中央のテーブルを指す。
 そこには包帯を巻いた青年が2人の仲間と笑いあう姿があった。
 クロワがこちらの視線に気が付いたのか手を上げる。
 リロイも恥ずかしそうに頭を小さく下げた。
 彼もきっとさっきの騒動を見て笑っていただろう。
 それが彼にとってどこか恥ずかしかった。
『それじゃ俺は何でセンティアに吊り上げられたんだ?』
『さぁ?きっと吊られるのが趣味だったとか』
『どんな趣味だっ!?』
 友人に叫び返しながら乱暴に席につく。
『だいたいセンティアはちょっと乱暴すぎるんだよ、もうちょっと女らしくしても・・・』
 言いかけてやめる。
 ふと顔を奥のテーブルに向けて見ると“彼女”がこちらを見ている。
 正直心臓が止まるかとリロイは思った。
 ここから彼女の席まではおよそ10メートル、多く見積もれば15メートルはある。
 怒りで多少声が大きくなったからといって呟きが聞こえる距離ではない。
 そう、“普通”ならば。
 だが彼らは普通ではない、彼らはハンターなのだ。
 狩り場で小動物が草を掻き分ける音を聞き取る耳を持っている。
 どんなに騒がしい酒場でも集中すれば大体の会話は聞き取れる耳をもっているのだ。
 逆にそういった耳を持っていない者はハンターとして生きていけないのかもしれない。
 何故なら狩り場ではそういった“小さなサイン”を聞き取れるかどうかが命運を別けるのだから。
『女らしくって、リロイお前センティアに気があるのか?』
『やめろってディオン、からかうなよ』
 この2人の少年達、村に来ているメンバーの中では一番若い。
 年齢もそうだが、他のメンバーから見れば新参といっていいほどだ。
 何でも自分達の村では実力を認めてもらえないと言って、半ば家出状態で飛び出してきたというのだ。
 その所為か一部の者達からは子供扱いを受けていた。
 本人達もそれは納得いかないようだが、いずれは認めさせてやろうと必死に頑張っている。
『そう言えば次の狩りはどうするのかな?』
 言ってディオンが真ん中のテーブルを見る。
 そこには優男のアッシュと包帯を巻いたクロワ、大柄なヴィックが座り話をしている。
 次の狩りの話をしているのだろか、その表情はあまり明るくない。
 先も言ったとおりこの村は興されて間もない。
 大きな依頼は滅多にまわってこないのだ。
『クロワの怪我も気になるよね』
 大した怪我では無いと言うことだが、それでも万全というわけではない。
 狩りに出て、小さな怪我が原因で命を落とした例など幾らでもある。
 そしてその事はこの若きハンター達も知っている。
 だからと言って依頼を受けないでいれば、益々減る一方だ。
 何とかして知名度を上げ、村の存在をアピールしなければいずれ滅びてしまう。
 誰も口には出さないが、誰もが胸の内で思っている事だろう。
 この村はフラヒヤ山脈にの麓の山々に連なる山脈に興された。
 当時ドンドルマと呼ばれる都市でハンターをしていた者達が興したとされる。
 どういった経緯でそうなったのかは知る者は少ない。
 ドンドルマの街は時折古龍と呼ばれる天災にも似た飛竜に襲われる事があるという。
 そしてこの村の者達はそれらの脅威から逃げ出した臆病者だという噂もある。
 最初にハンターとしてこの村にやってきたのは片眼鏡をかけたリベール。
 そして優男のアッシュ、包帯を巻いた男クロワ、大柄の男のヴィックの4人である。
 村の住人として狩りには参加しないが、酒場を支えるレイリアも初期のメンバーだそうだ。
 その他にも大工のキーノ、道具屋のウェンアルス姉妹がそうらしい。
 “らしい”とは住人達が昔の事を言いたがらないためだった。
 元々ハンター達は他人の過去を詮索することはしないが、やはり興味が無いわけではない。
 村長もおらず、村の名もまだ無いが、それでも彼らはここに根付こうと汗を流している。
 そしてそんな噂を聞きやって来た者達もいる。
 イントネーションが特徴的なウォルナット、この場にはいないが物静かなサクレ。
 そして豪快な性格をした女ハンターのセンティアがそうだった。
 他にも何人かいたそうだが、今はいない。
 無茶をして命を落とす者、同じようにまた流れていく者、様々だ。
 共に過ごせば普段は見えないような場所まで見えてくる。
 それにこの地方は寒く、劣悪な環境にあると言える。
 「新しく村を興す」と言えば聞こえはいいかもしれないが、実際は厳しいどころの話ではない。
 依頼も少なく、人もいない。
 明日を食べることにも不安を覚え、今日を過ごせるかどうかも確証はない。
 そんな現実を見て幾人かはこの村を去っていったという。
 選んだ場所が悪いといわれればそれまでだが、それでも彼らは耐えた。
 寒さに耐え、飢えに耐え、飛竜との戦いに耐えた。
 そして人が住める環境はようやく整いつつあった。
 この村で二年目の時が始まろうとしたとき、この2人の少年がやってきた。
 彼らの村では成人するまでは狩りにさえ同行させてもらえなかった。
 だが、この村は違った。
 仲間たちからは子ども扱いは受けるにせよ、狩り場ではハンターとしてみてくれる。
 それが少年達には嬉しく、また厳しかった。
 一人前のハンターとして見てくれるという事は、逆に少年達がどんな怪我をしても過度の保護はしない、という事だ。
 しかし、それは少年達も分かっている。
 だからこそ少年達はこの村に来たのだ。
 最初村の人間達はすぐに逃げ帰るだろうと思っていたらしい。
 事実この村では大人ですら逃げ出すような環境だったからだ。
 だが、予想に反して少年達は残っている。
 それは恐らくこれからも変わらないだろう。
『次の狩りの依頼が来たぞ!!』
 酒場に背の高い男が駆け込んでくる、大工のキーノだ。
 彼は元ハンターだったのだが、怪我が原因で引退し、大工になったと以前酒の席で言っていたのを覚えている。
 悲しそうな瞳をしていたが、別段落ち込んでいるわけでもないようだった。
 今では立派に大工の仕事をこなす他、こうしてギルドの使いからの依頼を持ってきたりしている。
『マジか!依頼はなんだよ!?』
 一番に声を上げたのはリロイだ。
 この辺りは若さのなせる業だろう、目を輝かしながらキーノに近づいていく。
 だが、それは他の者達も同じでリロイほどではないにせよ皆一様にキーノの言葉を待っている。
『聞いて驚くな、次の依頼は何と2件だ!』
 キーノも感情が高ぶっているのか声が震えている。
『2件もっ!?』
 採取の依頼ですら2件同時にきたことは無い。
 否応無く酒場に熱がこもって来る。
『内容は!?内容は何だよ、早くの言えよ!!』
 ヴィックが身を乗り出しキーノに問う。
 前の依頼に参加できなかった事もあるのだろう、今にもキーノに掴みかかりそうだ。
『聞いて驚くな、次の依頼は━━━』
『勿体つけてんじゃねぇよ!!』
 わざとゆっくりと話しているのだろう、キーノは中々言おうとしない。
 これでは怒ったヴィックに掴みかかられるのも時間の問題だ。
『雪山の主の討伐!』
 一同に完成が上がる。
 雪山の主といえば、ドドブランゴと呼ばれる牙獣種だ。
 極寒の雪山に適応すべく厚い体毛と高い体力を備えた恐るべき生物だ。
 飛竜種ほどではないにせよ、十分に強敵とされている。
 また群れのリーダーであるドドブランゴは、手下であるブランゴを従えている。
 戦闘時にブランゴの姿が見えずとも、ドドブランゴの咆哮一発で駆けつけてくる。
 雪に足を取られる場所での乱戦は危険極まりない。
 故に仲間を呼ばれたら一度距離を置くのが定石とされている。
 また彼らは雪山一体のボスであり、フラヒヤ山脈一帯を生息地としている。
 この山脈に村を興した以上彼らとの戦いは避けて通れないのだ。
『もう一つは?』
 リベールがいつの間にやらキーノの隣に来ている。
 ヴィックが面白くなさそうな顔をしたが、それも一瞬で消えた。
『それがなぁ……』
『どうした?』
 キーノが頭を掻きながら口ごもる。
 元々このキーノと言う男は隠し事をする男ではない。
 寧ろ思ったことをズバズバ言う男で、彼に落ち込まされる者は多い。
『手ごわい相手なの?』
 リベールの横に立ったレイリアが心配そうに言う。
 キーノが言葉を濁すのだから、余程の依頼だと感じているのだろう。
『いや、そういうわけじゃないんだが……』
『なら、早く教えてくれよ!』
 リロイも焦らされるのは堪らないといった表情でキーノの裾を掴む。
『そうやで、あんま待たされるとやる気なくなるしな』
 ウォルナットだけはカウンターの椅子に腰掛けたままだった。
『やる気がないなら降りてもいいんだぞ』
 ヴィックが睨みながらウォルナットに言う。
 が、彼は相手にせずグラスを傾け、中身を飲み干す。
『好きにしたらええやん』
 それだけ言うとウォルナットは出口へと向かう。
『どこに行く気だ?』
『サクレを呼んできたらんとな、仲間外れは誰だって嫌やろ?』
 ウォルナットの言葉にリベールはこの酒場にいない仲間の顔を思い出した。
 ちょうどウォルナットが酒場に入ってきた時に出て行った者だ。
 軽く手を振りながら出て行く彼が気に入らないのか、ヴィックは軽く舌打ちしキーノに向き直った。
『それで依頼は?』
『依頼は━━━』
 皆固唾を呑んでキーノの言葉を待つ。
 時間にして僅か数分の事だろうが、酷く長く感じられた。
 何もそこまで勿体つけなくてもと誰もが思った、キーノの言葉を聞くまでは。
『依頼は、古塔の探索』
 時間が止まったかと思った。
 誰も一言も発せず、身動き一つ取れない。
 ただ、時計の針が動く音だけが酒場に響く。
『こ、古塔って……?』
 何分が経過しただろう、1分や2分ではない。
 最初に堰をきったのはリロイだった。
 古塔が何なのか分からない、といった表情を浮かべている。
 しかし、それは他の者も同じだった。
 皆、リロイの質問に対する答えを持っていないのだ。
『古塔とは━━━』
『知ってるの、リベール!?』
 男が左目にかけた眼鏡をいらいながら口を開く。
 だが、この男もまたすぐに続きを話そうとしない。
 思い出しながら喋っている、といった感じではない。
 どちらかと言えば、慎重に言葉を選んでいるといった感じだ。
『古い……塔だ』
 リロイの笑顔が硬直する。
 他の者もリロイと同じく引きつった表情をしている。
 ただ、レイリアだけが呆れた顔でため息をついていた。
『あんなぁリベール、いくらなんでもそれは無いやろ……』
『そうだ、そうだ』
 ウォルナットが半眼でリベールを睨みながら言う。
 周りも口々に声を揃えて彼に続いた。
 その塔が古いかどうかは“古塔”と名があるので、聞かずとも分かる。
 大体、リロイはそんな事を聞きたいわけではない。
 その塔がどこにあって、どんな場所なのかを知りたいのだ。
『む…?』
 何故反感を買っているのか分からないといった感じでリベールが唸る。
『古塔は古いんだぞ。それはもう、太古の歴史が滲み出ているくらいに』
 懸命に取り繕ってみるが、誰も笑ったりしない。
 彼が“知ったかぶり”をしていると思われているのだろう。
『で、古塔とはどんな場所なんだ?』
 ヴィックが言葉に怒気を込めながら言う。
 リベールが口を開こうとしたが、それをレイリアが手で止める。
『古塔とはその名の通り古い塔ね』
『つまらない冗談はやめろ』
 レイリアの言葉でヴィックの顔に益々赤みが増す。
 つまりは怒っているのだ。
 人はやはり、自分が知らないというのは面白くないと感じる。
 そこに面白くもない冗談を言われれば怒るのも当然である。
『話は最後まで聞きなさい。いい?古塔は遥か太古に建造されたとされる塔よ。
その目的や、どうやって建設されたのかさえ分かっていないわ』
 レイリアが指を立て、ヴィックを座らせる。
 レイリアはハンターでこそないが、こういった類の知識を豊富に蓄えている。
 その知識は豊富で、狩り場の事からモンスターの事まで多岐にわたる。
 しかしそうでなければ彼女が酒場を任されるわけがない。
 酒場とはギルドの顔でもあるからだ。
 今回はギルドの使いがキーノに声をかけたが故にキーノが説明したが、
本来ハンター達へのクエストの説明は彼女がしている。
 やがて村が栄え、酒場が大きくなれば専用の窓口もできるのだろうが、
小さな町や村では大抵酒場とギルドの受付は兼用されている。
『そんなとこに何をしに行くんだろう?』
 もう一人の少年、ディオンが呟く。
 確かに古の遺跡の調査などハンター達が行なっても何かが得られるわけではない。
 稀に考古学の真似事の様な事をしているハンターもいるが、やはり専門家には敵わない。
 ディオンが疑問に思うのももっともだった。
『遺跡調査をする人達の護衛とかちゃうの?』
『いや、そんな事は書かれていない……』
 ウォルナットがキーノから依頼書を受け取り目を通すが、確かにそんな事は書かれていなかった。
 では何のためにハンターを遺跡に向かわすのか、答えは簡単だ。
 専門家などが調査するのに邪魔なモンスター、あるいは飛竜がいるのだろう。
 ゆえに調査隊が派遣される前にハンターを向かわせ、危険因子を取り除いておくのだ。
 危険なクエストになるのは間違いないが、その分見返りも大きい。
 誰も足を踏み入れない場所だからこそ、未開の場所だからこそ得られる物がある。
 その場にいるモンスターや飛竜にしても通常の狩り場ではお目にかかれない個体に出会えるかもしれない。
 まして古塔などという滅多にお目にかかれない場所ならばなお更だ。
 自然と胸に生まれた期待が大きくなるのが分かる。
 こういった場所でしか手に入らない物は多い。
 子供の頃に御伽噺で聞いた伝説の剣。
 龍を鎮め、魔を払うとされる伝説の封龍剣。
 ハンターならば誰もが一度は夢見るだろう。
 「自分もいつか手にしてみせる」と。
 しかし願いが叶うことは少ない。
 何故なら“そういった”場所にいける機会を手にするハンターは意外に少ないからだ。
 場所そのものの気候が安定せず、行ける機会も限られる。
 また、その場所に行ったとしても“何かがあるとは限らない”のだ。
 龍を討つといわれる伝説の封龍剣。
 それは決して伝説ではない。
 古塔や火山などの太古の面影が残る場所で稀に見かける事ができる。
 多くの物は長い年月を経て、風化してしまっているがそれでもその力は衰えてはいない。
 それは過去の技術がいかに優れていたのかを示すものだが、今となってはその栄華は見る影も無い。
 現在はギルドでそういった技術の解明に取り組んでいるのだが、芳しくはないようだ。
 《太古の遺産》は手に入れるまでも多大な労力を必要とするのは言わずとも分かるだろう。
 だが、意外に知られていないのは“手にいれてからの労力”だ。
 過酷な環境下に長年放置され続ければ、刃は錆びに覆われ力を失っていく。
 大地の結晶と呼ばれる結晶石で研磨し、錆びを落とすという方法が取られるのだがそれも容易な事ではない。
 大量の結晶石が必要になる上に、金額も膨大な額となる。
 さらに研磨し、過去の姿を取り戻したからといってそれが伝説の封龍剣とは限らない。
 太古の武器の代名詞ともされる封龍剣だが、遺産はそれだけではないのだ。
 例え竜殺しの力を持っていなくても、長い年月を超えてきた武器は存在するのだ。
 それも太古の技術力の高さを現しているのだが、手にした者は面白くない。
 貴重な鉱石を大量に使い、多額の金をつぎ込んだものが封龍剣ではないと分かれば面白いはずが無い。
 それでも太古の遺産を求めるハンターは後を絶たない。
 封龍剣を持てば《空の王》と称される火竜リオレウスですら赤子の手をひねるようだと伝えられる。
 されに伝説の古龍種ですらも、その剣を避けて通るなどの信じがたい逸話も存在する。
 御伽噺のようなモノを鵜呑みにしている者は少ないだろうが、それでもハンター達は太古の遺産を求める。
 噂の尾ひれ背ひれがあるとしても、確かにその剣には竜を討つ力があるのだから。
 もしその剣を手に入れる事ができれば、失った金や素材などあっという間に取り戻せるだろう。
 そればかりか更なる富や名声も得ることができるのだ。
 つまりそんな“モノ”が眠っているかもしれない地に行けるというのだ、皆が浮き足立つのも無理は無い。
『依頼は2件か……どうする、リベール?』 
 アッシュが何かを考えこんでいたリベールに声をかける。
 しかし、彼はよほど考え込んでいるのかアッシュの言葉が届いていないようだった。
 腕を組み、時折何かを呟いている。
 それもそのはず、今は迂闊な発言はできない。
 彼がリーダー格ならば尚更の事だ。
 この村に依頼が回ってくる事自体が珍しい。
 その度に誰がクエストに出向くのかといった内容でいつも争いになる。
 ハンターである以上、やはり彼らの生き甲斐は狩りだ。
 それは誰もが分かっている事だ。
 しかし、クエストに出発できる人数は決まっている。
 ハンターの道を切り拓いたある人物への敬意を込め、そうなったと言われている。
 だが、人数が決まっている以上村に残らねばならない者も当然出てくる。
 それは必然だし、誰にも違えることはできない。
 だからこそ争う、「俺を狩りに行かせろ」と。
 この村に集まっているハンター達は皆若い。
 そういった意味でも争う。
 若さが彼らを突き動かす、といったところだろうか。
 通常の村であれば村長といった、ある意味“指針”となるべき者がいる。
 長い年月を生き、経験を積んできた村長がギルドを仕切ることで纏まりを得ている。
 当然そういった決まり事を嫌う若者もいるが、口答えする事はあっても逆らう事はない。
 反抗したところで、そうそう上手くはいかないものだ。
 大概は上手に丸め込まれてしまう事の方が多い。
 しかし、この村のリーダーであるリベールは若い。
 それに加え彼もハンターである。
 それが一種の不平を生む事となっている。
 つまりは“彼が自分ばかりを狩りに行っている”と思う者が出てくるのだ。
 実際そういった事も何度かあった。
 血気盛んなヴィックとはよく揉めていたりもする。
 ヴィックほどではないにしろ、他の者達も思う所があるようだった。
『そうだな……』
『待てよリベール。次は俺に任せるんだろ?』
 ヴィックが怒気を含んだ声で言う。
 一歩前に出た彼に皆の視線が集まった。
 酒が入っているのか彼の表情は赤く染まっている。
 それが怒りによるものなのか、酒によるものなのかは周囲の者には判断できなかった。
 古塔という見ぬ場所への期待からくる高揚なのかもしれないが。
『待ちなさい、ヴィック。貴方の言いたい事は━━━』
『うるさい、黙れよアッシュ。お前はいいのか?
このままリベールに任せてたら俺達は失敗が続くかもしれないんだぞ!!』
『お、落ち着けよヴィック……』
 ヴィックがアッシュの胸ぐらを掴み詰め寄る。
 その勢いでか、近くにあった椅子が激しい音とともに転倒した。
 掴み上げられたアッシュは苦しいのか顔を顰めている。
『そこまでや、ヴィック。お前の言う通り、リベールに任せてたら失敗するかもしれへん。
でもな、お前に任せたら成功するかって言うたらそれも分かれへんやろ?』
『俺が失敗するって言うのか!!』
 アッシュを手放したかと思うと、ヴィックは電光石火の素早さでウォルナットに詰め寄る。
 それでも彼は冷静に、ヴィックが伸ばした腕を掴み返した。
『アホ、落ち着かんかい。そんなモン誰に任せても成否なんて分かれへん。
それでもお前は“確実に成功させれるんか”?』
 ウォルナットの言う通り、狩りの成否など事前に予測する事などできない。
 そんな事が可能なら、誰もが失敗のない確実な勝利を選ぶだろう。
『だったらどうするんだ…!』
 ヴィックが歯を噛み締める音が響く。
 その表情は悔しくて堪らない、といった感じだ。
『そうやな、リベールに任せるのは納得いかんのやろ?』
 ウォルナットの問いに視線で答える。
『だったら……』
 ウォルナットはカウンターにいる人物に視線を投げかけた。
『レイリアさんに決めてもろたらええねん』
『なっ!!?』
 ウォルナットの信じられない提案に一同が一斉に驚きの声を上げる。
 その中、涼しい顔をしているのは提案した本人と、指名された彼女だけだ。
 しかも彼女は驚くどころか、嬉しそうな笑みを浮かべている。
 その表情は新しい玩具を手に入れた子供━━━いや、寧ろ魔女だ。
 国を乗っ取れる算段でも浮かんだかの様な笑みだ。
『ふざけるなッ……!』
『別にふざけてなんかないで?』
 掴みかかろうするヴィックの腕を片手で払いながらウォルナットが言う。
 レイリアは酒場の主として、この村の皆が狩りにでかけるところをずっと見てきた。
 しかし、それは彼らハンターの実力を“全く知らない”のと同意である。
 共に狩りに出たことがなければ、ハンターとしての実力など分かるはずも無い。
 ヴィックが怒るのも当然だった。
『このまま話し合っても決まらんやろ?せやったらスパって決めれる人が決めたらええねん』
 ウォルナットが笑いながら言う。
 しかし、それはヴィックを落ち着かすどころか、火に油を注ぐ仕草に他ならない。
 見る見るうちにヴィックの顔が朱に染まっていく。
 ここまできたら“キレる”寸前だ。
 このままでは酒場にいるレイリアの除いたメンバーで大乱闘になる。
 普段は落ち着いている者も、そうなれば喧嘩に参加するからだ。
 喧嘩を収めるには幾つかの方法がある。
 一つは両者を抑える事。
 そしてもう一つは頭に血が上った者をのしてしまえばいいのだ。
 そうすれば自然と喧嘩は収まる。
 リベールやアッシュ、ディオンが喧嘩に参加するのは“その為だ。
 もっとも相手はハンター。
 体力も有り余る相手を楽に倒すことは容易ではない。
『ちょっと。カウンターとか壊さないでよ』
 当人達をまったく心配していないような言葉を残してレイリアが厨房へと戻っていく。
 彼女はハンターではない、普通の女だ。
 彼らハンターに殴られれば、それこそ命はない。
 喧嘩が始まる前に隠れるのは懸命な判断だ。
『喧嘩するなら、外でしなさいよ』
 センティアが酒の入ったグラスを傾けながら言う。
 煽っているかのような口ぶりだが、そうではない。
 “止めても無駄なのだ”。
 だからこそ、遺恨を残さないように当人達に決着をつけさせるようにする。
 さすがにやり過ぎないように止めたりはするが、基本的には好きにさせるのが一番良いとされる。
『あんな、俺は別にお前と喧嘩したいわけじゃないで?』
『怖気づいたのか?普段偉そうな事いっておきながら、とんだ小心者だな』
『待て、俺が小心者やと……?』
『違うのか?』
 ヴィックの言葉にウォルナットに影が差す。
 彼も普段は温厚な人物だが、頭に血が上ると自身を抑えれなくなるタイプの人間だ。
 故にこの2人は相性があまり良くない。
 意見が合っているときは問題ないのだが、一度対立するとまず喧嘩になる。
『はーいはい、そこまでよ。みんなこっちに集まりなさい』
 一触即発の空気の中、女の声が響く。
 その声は良く通る、美しい声だが、今の雰囲気には酷く場違いな気がした。
『狩りに行くのは8人でいいのよね?センティアはどうするの?』
 声の主はレイリアだ。
 厨房に戻ったのは退避するためではなく、手に持っているものを取りに戻ったのだろう。
 声をかけられたセンティアは、顔をあげると静かに首を振った。
『あたしはいいわ。牙獣種は嫌いだし、ハンマー使いのあたしには封龍剣も興味ないしね』
『そう?』
 簡単に返事を返すと、レイリアは皆の前に手を差し出す。
 その手には、筒があった。
 筒からは銀色の棒が八本飛び出している。
 それはつまり━━━
『くじ引きで決めましょう。フォークを引いたら古塔の依頼、ナイフなら雪山の依頼を受けること。いいわね?』
 そして8人は一斉に彼女の持つ銀色の食器に手を伸ばした━━━

狩りの前日~それぞれの思い

ゲストハウス~1Fにて

『ディオンはいいよな、古塔に行けて』
『そうか?』
 ここはゲストハウスと呼ばれる、ハンター達を宿泊させる施設。
 施設といっても貧しい村なので、大層な造りはしてはいないがそれでも雨風は凌げる。
 一般的にゲストハウスは階を重ねる毎に高ランクのハンターの部屋になる。
 ここは1階━━━
 つまりは“一番低いランクのハンター達の部屋”だ。
 この1階にいるのは彼らリロイとディオンの2人。
 年齢的にも幼い彼らのランクが低いのは当然といえるだろう。
『そうか?━━━ってディオンは古塔に行きたくないのか?』
 リロイが首を傾げながら問う。
 それもそのはず、酒場での“くじの当たり”を引いたとき彼は確かに喜んでいた。
 センティアは興味がない、と断っていたが、実際興味の無い人間は少ないだろう。
 過去の遺産の眠る地、古塔。
 そこに埋もれた財宝でもみつければ一生遊んで暮らしてもお釣りが来るかもしれない。
『ヴィックの事?』
 ふと彼が考えているであろう事が頭をよぎる。
 古塔に出発するメンバーはヴィック、ウォルナット、ディオン、サクレ。
 雪山に向かうのはリベール、アッシュ、クロワ、リロイだった。
 その中でヴィックとウォルナットが気に掛かる。
 先ほどの酒場での言い争い、きっと狩り場でも何かあるだろう。
 そう考えるのは当然だった。
 ともなれば、狩り場で彼らを静めれる者はいない。
 狩り場に出れば自分達も問題は自分達で解決しなければならないのだから。
 ディオンの気が沈むのは当然のように思えた。
『まぁね……サクレだって大人しいほうじゃないし……』
 言ってディオンが小さくため息をつく。
 サクレと呼ばれた男はヴィックと同じく大剣使いで、普段は物静かといえる。
 しかし我慢強いとか気が長いといったわけではない。
 どちらかと言えば“自分に関係ないことには興味が無い”といった感じだ。
 他人がいくら揉めていようが、加わる事も無ければ参加する事も無い。
 しかし、自分に火の粉が降りかかれば態度が一変する。
 怒っているときの彼の気性はヴィックと同じくらい荒いかもしれない。
 爆弾を抱えた二人とサクレ、そして自分。
 ディオンはもう一度肩でため息をついた。
『でもきっと大丈夫だよ』
『……根拠は?』
 苦い笑いを浮かべながら言うリロイにディオンが半眼で問う。
『根拠は━━━女の勘?』
『お前男じゃん……』

酒場にて

『ねぇセンティア、何で断ったの?』
『何のこと?』
 村の酒場、店はもう閉めて皆はゲストハウスと呼ばれる宿舎に戻っていったが、ここにはまだ人影があった。
『塔のクエストの事よ』
『ハンマー使いのあたしには封龍剣なんて興味ないって言わなかった?』
 残っているのは女二人。
 酒場の主レイリアとハンターのセンティアだった。
 この村にいる女性は彼女達と道具屋の双子の四人だけだ。
 村が興った当初はレイリア一人だけだったのを思えば増えたといえるのだが、彼女達はまだ少ないと言う。
 レイリアが言うには「女はか弱いから」だそうだが、実際はそうとは言えない。
 事実、彼女は言葉巧みに男達をかわすし、センティアは男顔負けの膂力を持っている。
 そんな事を言えば「デリカシーがないのね」と言われるのがオチなのだが。
『ふーん……。本当にそう?』
『な、何よ……?』
 後ろめたい事など何もないはずだが、レイリアに見つめられ思わず口ごもってしまう。
 別に彼女に睨まれているわけではない。
 もし睨まれていたとしても、ハンターでない彼女に眼力で負けるわけはない。
 力だって自分の方に分がある。
 ━━━女としての魅力は彼女の方に軍配が上がるかもしれなかったが。
 それでも、いやそれだからこそ彼女に威圧感を感じる必要などなかったし、有り得ないはずだ。
 ハンターである自分がこんな酒場の女主人如きに気圧されるなど。
『……本当は行きたいんじゃないの?』
 レイリアの言葉に一瞬体が震えた気がした。
 確かに自分から進んで行きたいわけではない。
 だが、“行きたくないというのとは別”だった。
 ハンマー使いである自分にとって、封龍剣という存在はただの“凄い剣”程度のモノだ。
 そんな剣があったところで自分のハンター生活に何の影響もない。
 ━━━本当にそうだろうか。
 この封龍剣は地方の逸話や御伽噺、英雄譚に登場する伝説の剣だ。
 荒れ狂う龍を封じるために名工が百数日休まず打ったとされる封龍剣。
 この剣を前に龍は恐れ、震え上がると言う。
 そんな剣を手にして、はたして本当に“今まで通り”に生活できるのだろうか?
 多少の虚飾があったとしても、伝説まで謳いあげられる剣だ。
 その価値は想像を絶するものだろう。
 譲ってくれ、という者が現れるかもしれない。
 奪いに来る者が現れるかもしれない。
 自分の下で働かないか、と持ちかけてくる者が現れるかもしれない。
 ひょっとすれば、ギルドの暗部に殺されるかもしれない。
 たかが剣だが、それほどに価値のあるものだ。
 無論、殺したり、買い取ったりして相手の装備を奪う事はギルドが禁じている。
 しかしそれが伝説の封龍剣ならば、ギルドはどうするだろうか。
 災厄として伝説に詠われ、今も恐れられる黒竜すら倒せるかもしれない。
 そんな“力”をたかがハンターが持つ事が許されるのだろうか。
 恐らくは━━━
『どうしてそう思うの?』
 古塔、封龍剣、他のハンター達の事。
 考えを巡らせているうちに、答えるのに随分間を取ってしまった。
 このタイミングで答えたとしても、彼女の問いに肯定したのと同じだ。
 しかも自分は答えたのではなく、問いかけに対し問いかけで返すというもっとも最悪のパターンだ。
『……そうね。何となく、かしら?』
 レイリアはそう答えたが、センティアはその答えを信じるつもりもなかった。
 彼女は決して思いつきだけで、行動するタイプの人間ではない。
 それは一緒に居て分かっている。
 ふわりふわりと相手の言葉をかわし、自分の望む結末へともっていく。
 自分が言うのではなく、相手に“そう”言わせる様な女なのだと。
 ある意味センティアは村の中で彼女が一番の苦手だった。
 リベールのように黙って言うことを聞いてくれるわけでもない。
 ヴィックのように怒るわけでもない。
 彼女の様なタイプが苦手なのだと、センティアは思っていた。
『何となくでそんな事いうのやめてよ』
『どうして?』
 言ってからしまった、とセンティアは思った。
 そんな風に返せばさらに突っ込まれるのは当然である。
 言ってしまったものは仕方がないが、それでも後悔した。
『本当は何か考えてるんでしょ?』
 こちらの気持ちを知ってか知らずか、レイリアの問いかけは続く。
『━━━何かを待ってたとか?』
『!?』
 何と言うことはない、ただ一瞬考えてしまっただけだ。
 そう、ほんの一瞬の事。
 それは何という事のない一瞬だったはずだ。
『やっぱり……』
 しかし、その一瞬を彼女は見逃さなかった。
 彼女の一瞬の動揺、あるいは躊躇い、そういったものをレイリアは感じ取ったのだ。

『な、なによ!貴女には関係ないでしょ!』
 動揺を隠すためか、センティアが声を荒げる。
 と、言ってもそんな事をすれば図星と言っているようなものである。
 そんな彼女をレイリアはただ見つめているだけである。
 笑うこともなく、口を開くことも無い。
 ただ“無言の圧力”がセンティアを追い込んでいく。
『大体リベールもリベールよ!!』
 やがて沈黙に耐えられなくなったのかセンティが口を開いた。
 肩で息をしながら、それでも落ち着こうとしてか、グラスを取り中に入っている水を一気に飲み干し、乱暴にテーブルに叩きつける。
『もう少し強引に誘ってくれてもいいと思わないっ!?思うでしょ!?
あたし達が仲間になってもうどれくらいたったと思ってるの!
仲間だったらもう少し優しくしてくれてもいいじゃない、貴女だって“そう”思うでしょ!?』
 余程頭に来ていたのか、センティアの押し込めていた思いが溢れ出す。
 その剣幕と言えば、いつも仲間達に怒っているモノとは比べ物にならない。
 半ばヒステリーや癇癪を起こしていると言っても過言ではないくらいだ。
 そんな彼女に誰もが恐怖し、後ずさる……はずだった。
 ━━━そう、彼女以外は。
『リベールが優しくないって言うの?』

 静かに、ただじっと彼女を見つめ返す。
『な…なによ……?』
 レイリアが発した言葉はただ一言、その一言でセンティアは猛りを失った。
 それどころか彼女はレイリアに気圧されている。
 彼女はただの女のはずだ。
 どこの村の酒場にいるただの女、レイリアはそういった女であるはずだ。
 しかし━━━
『……リベールが優しくないって言うの?』
 同じ言葉を再び繰り返す。
 その言葉の中には明らかな怒りが混じっている。
 何が彼女の気に障ったのだろうか、センティアは理解できずに困惑する。
 自分はハンターである。
 強大な飛竜に立ち向かい、命を賭して狩りをするハンターである。
 その自分が“ただの女に臆する事などあってはならない”。
 しかし目の前に居る女は、レイリアは自分が知っているただの女ではない。
 眼に宿る眼光、放たれる威圧感。
 そのどれもが“自分と同じ”種類のモノであると直感が告げる。

『リベールはこの村のリーダーよ?貴女だけじゃなくて、この村の人全員の事を考えているわ。
そんな彼がいつも悩んでいるのを貴女は知ってるの?
狩り場でいつも揉め事を起こすメンバー、言う事を聞かずに暴走するメンバー……。
そんな彼等を纏めなきゃいけない彼の苦労を貴女知っているの?』
『う………』
 ━━━彼女の目は本気だ、本気で怒っている。
 だがその怒りは今目の前に居る彼女“だけ”に怒っているわけではないようだ。
 最もセンティアは彼女の気迫に呑まれてしまっていて、反論する事もできないようだが。
『彼が“自分だけに優しくない”っていうなら好きにすればいいわ。
でもね、忘れないでセンティア。彼は今みんなの事で一杯なの。
自分だけの事を思ってくれないからといって、彼が優しくないなんて言わせないわ。
貴女の事も、私の事も……今の彼には一人だけの事を考える余裕なんてないの。
そんな事が分からないなら、彼を悪く言うのは止めて頂戴』
『………』
 言うだけ言うとレイリアは目の前にあったグラスを一気に飲み干すと、厨房の奥へと消えていった。
 一人残されたセンティアは何も言うこともできず、ただグラスの中の氷が解けるのを見ていた。
『……なんだって言うのよ』
 どれくらい時間が経ったのか分からないが、ようやく彼女が口にした言葉はその一言だけだった。

ゲストハウス~2F右奥の部屋

『いやぁ~レイリアさんには一杯食わされたな~』
 男が陽気な笑い声を上げる。
 その様子を傍らの男が静かに見ていた。
『良く笑ってられるね。明日は塔に行くんだぞ、ウォル?』
 緊張からか、それとも不安からなのか、男の顔はあまり明るくない。
 それに比べてウォルと呼ばれた男の顔は、まだ見ぬ狩場への好奇心なのか輝いている。
『なんでなん?塔やで、塔!!!くぅ~、燃えてきた~!
きっと凄いお宝もあるんちゃうん!!めっさ楽しみやな!』
『はぁ………』
 ウォルナットのテンションについていけないのか、男がため息をついた。
 もしこの場所に他の誰かがいたのなら、二人の温度差に疲れるかもしれない。
 それほどまでに二人の雰囲気が違うのだ。
『まぁまぁサクレも心配したって始まれへんって!ヴィックが気になるのもわかるけど、今は塔に行ける幸運に感謝しようや』
『はぁ………』
 ウォルナットに言われ、サクレは先ほどより大きなため息をつく。
 塔に行くよりも、どちらかと言うと“そっちの方が問題”と言いたいようだ。

『大体サクレは小さいこと気にしすぎやねん、そんなんやったら大きくなられへんで?』
『俺はもう十分大きいよ……』
 ウォルナットの言葉に半眼を向けながら返す。
 大きく、と言われても自分は今年で19だ。
 リベールやアッシュに比べればまだまだ子供だが、それでも村の中では年上の方に入る。
 いくら“落ち着いた振り”をしても年齢が増えるわけでもない。
 それに増えたところで喜ぶのは子供くらいだろう。
 増えたのが女性なら━━━レイリアやセンティアならば悲鳴をあげて卒倒しかねない。
『俺が言いたいのはそういう事ちゃう。年齢なんかほっといたら誰にでも増えるもんやしな。
今更そんな当たり前な事言うつもりはないで?』
『だったらどういう事なんだよ?』
 彼が何を言いたいのか分からない、と表情をしているとウォルナットが満面の笑みを浮かべて指を立てた。
『それはやな、“男気”や』
『男気?』
『そうや。小さい事ばっかり気にしてたら大きな男にはなられへん、大きな器を持った男にはな!
大きな男には大きな局面を“上”から見れるようにならんとあかん、その為には小さい事ばっかり気にしてたらあかんやろ?』
『………』
 ウォルナットの言いたいことは分かる。
 物事を客観的に診る能力だとか、そんな感じの事を言いたいのだろう。
 それに関して何か思い入れでもあるのか、彼はやや興奮気味に語っている。
『それで、お前はいつその大きな男になれるんだよ?』
 ふと疑問に思ったことをぶつけてみた。
 それだけ語るのだから、自分自身もその“大きな男”を目指しているのだろう。
『…………』
 問いに対して彼は無言。
 先ほどの雄弁に語っていた情熱はどこへやら、すっかり消沈したのが見て分かる。
『ウォル?』
 その様子に少し不安を覚えた。
 彼は情熱的な男だが、時折深く考える様な癖がある。
 ひょっとしてまずい事でも言ってしまったのかと考えていると━━━
『俺には無理やな!』
 彼は否定した、それもきっぱりと。

『……何でだよ?』
 首をかしげながらサクレが問う。
 人には「大きな男にはなれない」等と言っておきながら、自分は“それ”になる事は無理だと言う。
 そんなおかしな話は無い。
 自分には実現できない理想を人に押し付けているのだろうか。
 自分はなれないからこそ、“そうなれそうな人間に注意をしている”のだろうか。
 いや、彼はそんな男ではない。
 付き合いが長い、というわけではないが、それでも仲は深いと思っている。
 彼は理想を諦める男でも、ましてや自分の理想を人に押し付ける男でもない。
『ん~。中々難しい質問やね、さすがの俺でも返答に迷ってまうな』
 そう言うと彼は派手に悩んでいる仕草を繰り返す。
 その様子を見ていると、とても悩んでいる様には見えない。
 どちらかと言うと、“言うべき事は決まっているが焦らしている”様に見える。
 実際そうなのだろう。
 人としての理想、ハンターとしての理想は狩場に立った時点ですでに持っている。
 長い狩りの間の中で出会った人、経験した出来事によってはその理想が変わってしまう事もある。
 より強くなりたいと願う者もいるだろう。
 時に理想が霞んでしまう者もいるだろう。
 またあるいは誰かの理想に影響を受ける者もいるだろう。
 しかし大まかなところでは理想の枠は変わらない。
 言い換えるならば、最初に描いた理想が自分の道標なのだ。
 それを違える事はできない。
 故にウォルナットの答えも決まっている。
『俺はそんな男は目指してへんからや!』
『………はぁ』
 分かっていた事とは言え、実際言われるとため息がでる。

『ため息なんかついてどうしたん?』
『いや、ちょっと不思議な事があったからな……』
 こちらの気持ちなど分からないのか、ウォルナットが聞いてくる。
 サクレは眉間を押さえながら再びため息をつき、背もたれに身体を預けた。
『大体なんで自分が目指してない事を人にやらすんだよ?おかしいじゃないか』
 少し━━━数分の間だろうか、静かな時が流れる。
 その沈黙を破ったのはサクレの質問。
 それもまた当然の質問だった。
 思えば、彼とはこういった話をするのは始めてかもしれない。
 狩りについては今までにも幾度と無く話し合ってきたが、自分達の目標や目指すモノを語り合った覚えが無い。
 仲の良い近しい人間だと思っていたのだが、存外にそうでは無かったのかもしれない。
 それが二度目のため息の理由だった。
『うーん……。別にサクレに“そうなれ”って言ってるわけじゃないで?
ただな、“そうなりたかったら普段からそういう心構えが必要”やって言いたかっただけやねん』
『心構え、ねぇ……。何で目指してないかは聞いちゃマズイのか?』
『別にマズクは無いけど、ウマイ話でもないしなぁ……』
 そう言った彼は少し苦笑いを浮かべた。
 その様子を見れば、目指さない理由が“マズイ”モノであるのは馬鹿でも理解できる。
 恐らく何かあったのだろう。
 この村に来る前の話か、それとも来てからの話なのか。
 どちらかは分からなかったが、言いたくない話をさせても面白くは無い。
 そう言った話は自分からするまで聞くべきではない。

『まぁあれや━━━』
『……細かいことは気にするな、か?』
 自分の言いたかった台詞を取られたからか、ウォルナットはつまらなさそうな表情を浮かべる。
 その話はこのまま彼と生活を共にしていれば、いつかは話してくれるだろう。
(別に今すぐ聞かないといけないわけじゃないしな)
 今聞かなければどう、という事は無い。
 聞かなくても彼と狩りはできるし、聞けないからといって彼を疑うことも無い。
 彼が優秀なハンターである事はすでに分かっている。
 時折喧嘩のような事もするが、それはそれでいいと思っていた。
 今まで違う生き方をしてきた者が集まっているのだ、時には意見が対立する事もある。
 しかしそこで重要なのは、対立する意見をねじ伏せることではなく相手の意見を聞くという事。
 自分と同じく相手も、過去の出来事から学んできた上での意見を発している。
 どちらが正しいのかは結果が出るまでは分からないが、裏を返せば結果が出るまでは“どちらも間違っている”可能性があるという事。
 その可能性がある以上、相手の意見を頭ごなしに否定するわけにはいかない。
 そう思ってきたのだが━━━
『中々上手くいかないよな……』
 言ってため息をつく。
 その考え自体が彼の意見であり、またそれに反対する者も居る。
 頭の中に怒りながら叫んでいる男がふとよぎり、彼はため息をついた。
『どうしたん?』
『ん……いや、なんでもないよ』
 不思議そうにこちらの様子を伺ってくるウォルナットに彼は苦笑いで返した。

ゲストハウス~2F左手前の部屋

『くそ!』
 乱暴にグラスをテーブルに叩きつける。
 グラスの中の氷が音を立てて床に落ちた。
 小さなランプの明かりだけがこの部屋を照らしている。
 この部屋の主は一人。
 行き場の無い怒りを何とか抑えようと、酒を煽っている。
 しかし酔いば回れば回るほど、胸の奥から激しい感情が溢れてくるような気がする。
 明日は狩りだ。
 明朝から出発するため、寝坊は許されない。
 だがこのままではとても落ち着いて寝てなどいられなかった。
『証明してやる……!』
 部屋の主である男は搾り出すように言う。
『俺の力を……俺の実力を!!』
 言って空になったグラスに酒を注ぐ。
 どれほど飲んだろうか、床には空になった瓶が三本ほど転がっていた。
 これ以上は止めておいた方がいい。
 二本目を空にした時も男は思った。
 だが止められない。
 気持ちが落ち着くまでは
 この昂る気持ちが抑えられるようになるまでは眠れない。
『見ていろよ、リベール……』

 誰も彼の実力を疑っているわけではなかった。
 彼は優秀なハンターで、この村にいる誰もがそれを分かっていた。
 巨大な大剣を軽々と振り回し、モンスターをそして飛竜を切り伏せる彼の姿に誰もが胸を躍らせた。
 彼の狩場での戦いは素晴らしい物だった。
 誰もが彼を頼りにしていたし、また彼にもそれに応えるだけの力があった。
『俺が必…ず……』
 この村に来てからの彼の戦績は素晴らしかった。
 狩りに出れば、目的のモンスターを狩って帰ってこなかった事など無かった。
 豪気で逞しく、ユニークな一面も見せる。
 彼はハンターとしてかなりの素質を持っていた。
 村のメンバー全員がそれを知っていたし、理解もしていた。
 そう、分かっていなかったのは“彼だけ”なのである。
 誰もが認めているのに、常に誰かに認められようと息巻く。
 実力を示そうと無茶をしでかす事もあった。
 仲間との連携より、単身飛竜に突っ込む事などそれこそ日常茶飯事だった。
 氷の解ける音が部屋に響く。
 いつの間にか男は眠ってしまったのか、静かな寝息だけが部屋に響いていた。
 男は錯覚に囚われていたのかもしれない。
 どんな事をしても誰にも認めてもらえないという錯覚に。
 彼もまたこの村に来る前はどんなハンターだったかのかは明らかにしていない。
 前の村での出来事が彼を錯覚の中に陥らせているのかもしれない。

ゲストハウス2F~左奥の部屋

『正直ヴィックはリベールを意識しすぎだ』
『えぇ、そうそうですね……』
 部屋には男が二人。
 片方は包帯を巻き、もう片方の男は手に酒の入ったグラスを持っている。
 この部屋はアッシュの部屋である。
 彼は一人部屋だったが、この部屋には彼の友人であるクロワがよく訪ねてきていた。
 二人は仲の良い友人である。
 双剣使いのクロワとヘヴィガンナーのアッシュ。
 二人の連携は兄弟の様に正確だった。
 この二人がこの村を訪れたのはリベールやヴィック達と同時期だ。
 彼はこの村がまだ“無かった時”からこの場所にいる。
 リベール達とこの土地にやってきて、そして彼等と力を合わせてこの村を興したのだ。
 それ以前の彼等がどこで何をしていたのか、それはやはり他の者と同じく知る者はいない。
 考えてみれば、この村で過去を知っている者などいないのかもしれない。
『雪山……ですか』
 ふいにアッシュが呟いた。
『……?』
 その意図を読めずにクロワが表情で伺う。
『いえ、この雪山に何があるのかと思いまして…ね』
 窓から見える景色は一面真っ白だった。
 とは言っても今は夜なのでどこまでも暗い闇が広がっているだけだったが。

『塔に行ってみたかった?』
『いえ、そういう意味で言ったわけではありません』
 アッシュの返答にクロワが首をかしげる。
 塔には過去の財宝がある、では雪山には何があるのだろう。
 という言葉なのだろうと、クロワは思ったのだが。
『確かに封龍剣は魅力的ではあります。けれども“それ”を手に入れれるとは限らないでしょう?
そういったものは運や何かで手に入れれるわけではありませんからね』
『そうだな……』
『伝説の封龍剣。そんな大層な剣はきっとどこぞの勇者様しか手に入れれでしょう。
こんな田舎村のハンター、それもガンナーの私にはきっと無理です』
『……違いない』
 言って二人の男は笑い出す。
 その声は廊下に響いたが気にする者はいないだろう。
 各々が明日の狩りについて考えているのだ。
 他人の事を気にしている者は少ない。
 酒場にいれば笑い声に釣られて降りて来る者もいるだろうが、部屋まで押しかけてくる者は少ない。
 ━━━いないわけではないのだが、少なくとも今日はそういった客人が来る気配はなかった。
『傷に障りますよ』
『構うもんか、狩りになれば傷の痛みなんてすぐに吹き飛ぶさ』
 包帯を巻いた方の男が空のグラスを差し出す。
 男はそれに酒を注ぎながら言う。
 口では止めているものの、酒を止めさせる気はない様だった。

ゲストハウス3F~奥の部屋

『どうかしたの?』
 声をかけられ、窓の外の見ていた男は我に返った。
 気配だけで後ろを探るが、女が起きた様子は無い。
 ベッドの中から話しかけているのだろう。
『いや……。なんでもないんだ』
 夜も更け、時間はすでに明け方に近い。
 窓の外はいつの間にか吹雪いていた。
 この分なら日が昇っても山の天気は荒れているかもしれない。
 こんな時間に、そんな景色を黙って見ている者が“何もないわけがない”。
 女はそう思ったが、男の答えがいつも通りだったのでそれ以上は聞かなかった。
『ねぇ、こっちにいらっしゃいな。体が冷えるわよ?』
 ベッドの中の毛布に包まっている自分ですら寒いのだ。
 暖を取っていない部屋に、独り立っている男はもっと寒いはずだ。
 気温はすでに氷点下に近い。
 いくら男がハンターであるといっても、そんな気温に耐えられる人間などいるはずがない。

 しかし男は女に視線を向けただけで、動くつもりはないようだった。
 女は一瞬怪訝そうな表情を浮かべたが、小さなため息をつくといつもの、優しい微笑みを浮
べる。それと同時にわざとらしく毛布を独り占めするように抱きかかえて見せた。
『酒場でのこと、気にしてるの?』
『…………』
 女の質問に男は無言で答える。
 ━━━毛布を取られたから怒っている、というわけではない。この気温の中、暖を取らずに
寝れば、あっという間に凍えて死ぬだろう。だがそれを恐れる必要はない。
 女がどれだけ毛布を独り占めすると言っても、最後には毛布よりも暖かい女の肢体で自分を
包んでくれるのだから。故に毛布を取られた程度で怒る必要など、男にはないのだ。
 そもそも“そんな”やり取りはもう何十回と繰り返している。

『悩みやすいのは昔から変わらないわね』
 女はそう言ってため息をつく。だが困っているというわけではなく、どちらかと言えば呆れ
ているといった方が近い。
 女を包んでいた毛布が落ち、女の艶かしい肢体が露わになる。この気温だと言うのに、女は
肌に何も身に付けてはいなかった。男はそれを気にする様子も無く、ただ窓の外に視線を向け
ている。
 女が直ぐ後ろにいるのだと気付いたのは、その柔らかな指が首をなぞった時だった。
『レイリア……』
『まだ“あの時”事、後悔しているの?』
『後悔はしていないと思う。だが……』
 言いかけた言葉をレイリアの指が阻む。男を自分へと向き直らせ、男の胸に顔を埋めた。
『だが“罪悪感”は感じている……?あなたは“そう”言うの?』
『…………』
『それなら……。それなら私も同じ』
 レイリアが静かに言う。その声には哀しみを感じさせられる。不意にレイリアを抱きしめた
い衝動に駆られたが、男は彼女に手を伸ばすことは無かった。
『それは君が感じるモノではない』
『じゃあ貴方だけか背負うものなの……?』

 女の声が、いつも気丈に振舞っているレイリアの声が上ずっているように聞こえた。
 そんな彼女の声を聴くだけで胸が締め付けれる様に痛くなる。あの日、彼女を泣かさないよ
うに、もう二度と悲しまないようにと思ったのだが、あれからさほど自分は成長していないの
かもしれなかった。
『リベール……』
 自分を掴むレイリアの手に少しだけ力が込められた。抱き返さなかったことを不安に思った
のだろう。
『すまない……』
『……馬鹿』
 目を伏せ、静かに告げた謝罪の言葉に彼女は拗ねたような声で応えた。
『ん……』
 これ以上レイリアを喋らせれば泣き出すかもしれない。そうなる前に口を塞ぐ。
 こちらの意図が分かっているのか、彼女も抗わずに身を任せている。
 月下の接吻と言えばどこかの叙情詩にでも出てきそうな場面ではあったが、不幸かなここは
寒すぎる。
 涙で潤んだレイリアの瞳が、温もりを求めている。
 狩りに絶対はない。
 絶対に狩れるということはないし、絶対に生きて戻れると言う保障もない。
 この口付けが最後になるかもと思うと、少し勿体無かったので男はもう一度だけ静かに彼女
の唇を塞いだ。

『…………』
 明日になれば━━━いや、もうほんの数時間もすれば狩りに出掛けなければならない。
 自分の隣には幸せそうな寝顔をしている彼女がいる。それが彼の幸せであり、得難いもので
あるという事も、意識しなければ気付けないものだと言うことも分かっていた。
 狩りに絶対はない。
 明日の今頃は何をしているだろうか。
 答えは恐らく、狩場にいるということになるだろう。
 問題は、自分がどうなっているかなのである。
 生きているのか、それとも死んでいるのか。五体満足であるならば、それは喜ばしいことで
ある。だが自分以外は無事なのだろうか。
 相手は牙獣種ドドブランゴ。飛竜ほどの危険な敵ではないが、雪山の主たるドドブランゴは
凶暴な獣である。油断すればあっという間に命を奪われるというのは、飛竜と戦っている時と
なんら変わりはない。
 ━━━そんな事を考えるようになったのはいつの日からだろうか。
 来てもいない未来を恐れているとも思う時がある。
 先の事はどうなるか分からない。明日の今頃は生きているのか死んでいるのか、そんな事を
考えてもどうなるわけではないのだが。
 それでも考えを巡らせてしまう。
 次も彼女を抱いて眠ることができるのだろうか。次の次も、そのまた次も。
『臆病風に吹かれているのか……』
 その理由に彼は気が付いている。
 気が付いているからこそ、“彼はここにいるのだ”から。
 窓の硝子を風がカタカタと揺らす。
 明日は早い、少しでも眠っておいた方がいいだろう。
 隣で眠るレイリアの頬を撫でる。起きてはいないだろうが、くすぐったかったのか彼女は幸
せそうな笑顔を浮かべた。

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最終更新:2013年02月28日 13:15
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