序章
それは、少し昔の物語。
ようやく多数の人間が《狩人》として《飛竜》と満足に戦えるまでに成長した頃の話。
その頃、一つの噂話が大陸全土を覆っていた。
『東の地より《二つの禍》が来た』
何処から齎された噂なのか。その《二つの禍》が何なのか。何のために大陸に現れたのか。それを知る者は数少ない。
その数少ない者たちは《二つの禍》を、それぞれ、こう呼んでいた。
《鬼神》と《獣神》。
そして、その数少ない者たちは、例外無くこう言い残し、それっきり口を紡いだ。
『どちらも間違いなく《禍》その物だ』と。
鬼と少女
《ジォ・テラード湿地帯》。温暖な森が広がるシュレイド地方と嶮しい山脈の続くゴルドラ地方を繋ぐような位置に存在する湿地帯である。
年間を通しての降雨量が多く、空はほぼ毎日が曇天で、気温も低い日が年中続く。
南側は針葉樹林が密生しているが、日中は霧が濃く、ひどく視界が悪い。
逆に北側は湿原が広がっており、開けた場所が多い。
またいくつか自然の洞穴が点在し、そこには水晶の原石が眠る鉱脈が多い。実質、ここを訪れる者の目的の大半は、その原石の採掘だ。
だが、同時に危険も多い。
湿原一帯には《イーオス》と呼ばれる2m程の陸上に適応した鳥竜種が数多く生息し、それらは数十匹程で縄張りを作り、行動している。主食は昆虫であるのだが腐肉を好んで食べる傾向もある上、敵対心が強く、迂闊に視界へ入ろうものなら、毒液を吐きかけてくる程である。
10m程の大きさを持った鳥竜種《ゲリョス》などは、生来臆病である故に外敵を確認すると動転して、その巨体で周囲を駆け巡り、《イーオス》のものより強力な毒液を撒き散らす。さらに、鶏冠より強力な閃光を発し、これを直視しようものなら、長時間視力を失ってしまう。《ゲリョス》は、光る物に興味を抱く修整があるため、金品を身につけていた場合、盗まれる事例もある。
他にも、強力な空の狩人、飛竜も巣を作っているのが度々確認されている。これらに見つかってしまえば、ほとんど助からない。
《ジォ・テラード湿地帯》。一部の者は、この土地を《沼地》と呼ぶ。
仄暗い、微かな光すら届かない洞穴の奥深く。
壁面からむき出しになった巨大な白水晶の原石を背に、一人の男が座禅を組んでいた。
その肉体は、身に纏った東洋風の衣服の上からでもはっきりと浮かび上がる程、鍛え抜かれている。
ふと、男が瞼を開ける。その目付きは、ひどく鋭い。
何か、音が聞こえたような気がしたのだ。
天井より滴り落ちる雫の音か。
壁を這いずり回る蟲共か。
それとも、我が血肉に狙いを定めた何者か。
「・・・・・・・・・」
否。
これは、人の声だ。
それもまだ幼さの残る、童の声だ。
「・・・・・・・・・」
男は、もう一度瞼を閉じる。
瞑想。
脳裏に、周囲一帯の様子を思い描く。
堅い岩盤。その表と裏で蠢く蟲。
暗い洞穴から、外へ。
地面は湿っており、水草が一面に生えている。そこを飛び回っているのは、羽虫《ランゴスタ》か。
北へと意識を向ける。
湿原を抜けて、乾いた地面から大人の腰の高さ程にまで雑草が伸びきった草原へ。
いた。
矢張り、人間の童だ。女、か。
走っている。追われている。
成る程。これは、《イーオス》か。それが五匹。そして、連中の長である《ドスイーオス》が先陣を切っている。
このままでは、いずれ追いつかれる。
瞼を開く。
それから、躊躇い。
赴く冪か否か。
このままでは、あの童は残忍な赤き狩人共によって毒を吹き掛けられた後、衰弱した所を狙われて飛び掛られ、全身の肉を噛み千切られて死ぬのだろう。
だが、それを助ける義理は無い。
我が身を護れぬ奴が悪い。諸行無常なれど、それが、この世の摂理。
更に言えば、己は人間ではない。同族ですら無い、あのような種族に、わざわざ係わり合いになる事もあるまい。
(・・・同族・・・か・・・)
一瞬、男の目に悲哀の色が浮かんだ。
それは本当に、一瞬であり、次の瞬間には消えていたのだが、その時、男の想いは決まっていた。
無言で、座禅を解いて、ぬっと立ち上がる。
そうして、一歩、前に踏み出した。
草の海を、少女は走る。
息を切らして、少女は走る。
その全身は泥と砂と塵芥で汚れ、美しい金髪には蜘蛛の巣が引っかかっていた。
背後からは、《イーオス》達の甲高い鳴き声と騒々しい足音。
「いい・・・加減・・・ッ、あんたら、諦めなさいよぉ!!」
『ギャォ!!』
『ギャオゥ!!』
少女の願いを拒むように、《イーオス》達は更にスピードを上げる。
生命の危機が早足で近づく今、彼女の心にあるのは途方も無い度し難さだった。
何故、自分がこんな目に合わなければいけないのか。
自分はまだ十三歳。まだまだ育ち盛りの食べ盛り。やりたい事、知りたい事は山ほどある。
こんな所で、こんな連中の、餌になるつもりは毛頭無い。
しかし、一方で、身体の方はそろそろ限界が来ていた。
息が続かなくなり、足がふらついてくる。
まだ死なない。
まだ死ねない。
まだ死にたくない。
と、
『ギェェェィ!!!』
一際甲高い声に、思わず振り向いた少女の瞳に写ったのは、大口を開いて飛び掛ってくる《ドスイーオス》の姿だった。
毒々しい赤が迫る。
瞬間、足がもつれた。
「あっ!?」
少女は、勢いよく地面に倒れこんだ。
その頭上を《ドスイーオス》が跳び越していく。
『ギィィ・・・』
恨みがましいような《ドスイーオス》が鳴きながら振り向く様を、少女は地面に伏したまま見ていた。
後続の《イーオス》達も、連中の荒い息遣いすら聞こえてくる程に近づいてきている。
逃げなくては。
痛みを堪え、涙を堪えて、少女は立ち上がろうとして、
「痛ッ・・・!?」
右脚を挫いてしまった事に気付いた。
前方には改めてこちらに狙いをつけた《ドスイーオス》。後方からはボスのおこぼれを狙ってきた五匹の《イーオス》。
どうにかしなければ。
逃げなくては。
歯を食いしばり、痛みに耐え、何とか立ち上がる。
だが、彼女の目の前では《ドスイーオス》がその牙を剥いていた。
喰われると、思った。
突然、《ドスイーオス》の動きが止まった。
口を閉じ、その目を大きく見開いて、何処か一点を見つめている。
その姿は、震えている様にも見えた。
少女も背後を振り返る。
誰かが、こちらへ向かってきている。
悠々とした態度で。
散歩のような足取りで。
見た事が無い男だ。
黒い東洋風の服装。
肌は浅黒く、2m近い長身にごつごつとした筋肉。
黒い長髪は、長年手入れがされていない様で、ひどく乱れている。
腰には左右に、鞘に収められた剣が一本ずつ吊り下げられていた。
そして、何より、その男を印象付ける物がある。
それは、額から生えた二本の角。
紛れも無い、本物の角。
其の漢、其の姿、其正しく、地獄に棲む悪鬼の有様。
《イーオス》達は、動かない。
動けない。
ただただ震えて、《鬼》を見つめる。
《鬼》はそのまま最も近い位置にいた一匹の《イーオス》に自然な様子で歩み寄る。
その黒い瞳に、感情の揺らぎは一切無い。目の前の《イーオス》すら目に入っていないかのようだ。
そうして、《鬼》は《イーオス》に真正面に近づき、通り過ぎた。
《鬼》は何もしていない。
ただ、通り過ぎただけだ。
(・・・通り過ぎた・・・?)
少女は異変に気付く。
間違いなく《鬼》は《イーオス》を通り過ぎたのだ。
では何故、《鬼》は進路を変えていないのか。
真正面から行ったのだから、《イーオス》とぶつかるはずだ。
そこで、もう一つ気付いた。
《鬼》の右手には、何時の間にか、一本の黒い剣が握られている。
何時抜いたのか、と思った瞬間、《イーオス》の首が、ずるりとずれた。
《イーオス》の生首が、地面に落ちる。
首を失くした《イーオス》の身体は、頭部が叫び忘れた悲鳴の代わりを為そうと、首の切断面からその体色よりもやや黒い血液を、勢い良く撒き散らした。
《ドスイーオス》が、《イーオス》達が、声にならない悲鳴を上げたが、少女は、声を漏らすことすら出来ず、ただぽかんと、口を開けていた。
当の《鬼》はというと、血飛沫に眉一つ動かさず、先ほどと同じく、一直線に歩み寄ってきていた。
こちらへ。
少女の方へ。
《ドスイーオス》の方へ。
『ギ・・・ギャゥ!!?ギャオォ!!ギャオ!!!』
その様に、《ドスイーオス》は慌てて、くるりと振り返って、一目散に住処である森の方へ逃げ出した。
そんな情け無いボスのすぐ後ろを、他の《イーオス》達も続いて、さっさとこの場より退散していった。
この場に残ったのは、《鬼》と少女だけになった。
少女はその場から逃げる事を忘れ、只、《鬼》の動きを見つめていた。
《鬼》の方は、少女の視線を気にすることは無く、右手の黒い剣を一度降るってこびり付いた血を軽く払った後、腰の左側に差した鞘へと戻した。
よく見れば、逆のほうにも対になるようにもう一本の剣が鞘に収められている。
予備だろうか、等と考えていると、《鬼》が、今までと、全く変わらない足取りで、こちらへと歩いてきた。
刃を納めているとはいえ、その長身から放たれる物々しい雰囲気が和らぐことは無く、その顔に表情は無い。
そんな《鬼》の姿を前にしても、少女は、逃げようとはしなかった。
少女の目前に着いた《鬼》は、その長身をぐっと屈め、膝を突くと、同じ目線に合わせた。
間近で見ると益々、鬼らしい嶮しい顔つきである。
両の目は漆黒で、目付きは抜き身の刃を思わせる程に鋭い。
眉間を中心に深い皺が刻まれており、無精髭がやや目立つ。
加えて、汗の臭いが鼻についた。
《鬼》は口を真一文字に結んだまま、少女の姿を頭のてっぺんから足の先までまじまじと見つめた末に、右脚に注目した。
《鬼》が来る前に、捻った所だ。
《鬼》が徐に少女の右脚に触れる。
微かな痛みが走る。
「つっ・・・」
思わず、少女は顔を歪めるが、鬼は構わない様子で小さく呟く。
「・・・骨は無事か・・・」
一人頷くと、今度は自分の衣服の袖に手をかけて、一気に引き千切った。
「え、ちょっ!?」
さすがに、少女もこれには驚かざるを得ない。
だが鬼は、矢張り気にも留めずに袖を更に裂いて、細長くすると、それを包帯のように右脚へ巻いていった。
随分、慣れた手付きだ。
しばらくの後、巻き終えた《鬼》は、ぬっと立ち上がった。
それから初めて、少女へ向けて口を開いた。
「・・・童(わっぱ)」
重々しく、抑揚の無い声。
「な、何でしょう・・・?」
半ば怯えつつ、それでも《鬼》の瞳に目を合わせて少女は答えた。
「・・・何処(いずこ)より来た・・・?」
ひどく古い言い回しだった。
もしかすると、見た目よりも更に歳をとっているのだろうか。
《鬼》は答えるのを待ってか、口を閉じたままだ。
少女は、大きな声で答えた。
「《クレザ村》からです!」
「《クレザ村》・・・?」
いぶかしむ様な口調で、眉間に皺を寄せる《鬼》。
「其(そ)は何処に在る?」
どうやら村の場所が分からないらしい。
それもそうか、と少女は納得しつつ、
「森の奥にあるんです!」
「・・・森の、奥・・・?」
「そうです!」
《鬼》は「ふむ」と顎に手を当てて、しばらく何事かを考えていたが、やがて考えが纏まったのか、顎から手を離すと、徐に少女に背を向けた。
そして、そのまま、腰を落とした。
何事かと、少女がその様子を見ていると、
「負ぶされ」
《鬼》が言った。
「・・・へ・・・?」
「其の足では、歩く事も一苦労であろう?」
《鬼》は顔だけをこちらに向け、
「己(おれ)が主(ぬし)を負ぶってやる。案内しろ」
少女はそれに少し間を置いてから、
「・・・じゃあ、おねがい」
《鬼》の大きな背に身を預けると、岩のような肩に手を乗せた。
少女の身を《鬼》は手を回して支えると、気合の声を発する事無く一気に立ち上がった。
「うわっ!?」
思わず声が出た。
少女を背負った《鬼》が歩き出した。
その歩みは、先ほど現れた時と全く同じ、少女の体重など何処吹く風といった堂々とした様子だった。
思わず嘆声をもらした。
「・・・おじさん・・・、力持ちだね・・・」
「《鬼人》故な」
《鬼》は簡潔に答えたつもりだったが、少女はむしろ、眉を寄せた。
「《きじん》?」
初めて聞く言葉だった。
「然様。己は《鬼人族》だ」
「・・・そういう人がいるんだ・・・」
何処か楽しげに、少女は呟いた。
《鬼》は、ふと歩みを止めると、
「して、童」
「え?」
「道は真っ直ぐで良いのか?」
「あ!違う、逆!」
「承知」
約十分、《鬼》は少女に言われるまま森の中を歩き続けた。
だが、まだ彼女の言う村は見えてこない。
「もうちょっとだよ。ずっと真っ直ぐ」
「承知」
少女の言葉に短く答える《鬼》。
先ほどから何度か会話をしているが、全て、少女が何かを話しかけ、《鬼》がそれに短く答える調子で一括していた。
今回も、またそうだった。
「おじさん?」
少女が話しかけると、《鬼》は顔を向ける事無くそれに答えた。
「何ぞ」
「おじさん、名前は何て言うの?」
「無い」
《鬼》は即答した。
少女が問う。
「無い、って・・・?忘れちゃったの?」
「捨てた」
またも即答。
少女が更に問う。
「何で?」
「呼ぶ者がおらぬ」
三度の即答。
少女もまた問いかけを止めない。
「家族は?」
「―――――――」
今度は、間があった。
「――おらぬ」
それでも《鬼》は、今まで通り、短く答えた。
「・・・ごめん」
少女の声が低くなったのに眉を潜め、今度は《鬼》が問い始めた。
「何故、主が謝る?」
「・・・ヤな事、聞いちゃって・・・」
そう言って、少女は《鬼》から顔をそらした。
《鬼》はそんな彼女を負ぶったまま、しばし黙っていたが、
「・・・童。気に病むでない」
「・・・でも・・・」
「もう、何十年も昔の話ぞ」
その言葉に、少女が反応した。
「・・・ずっと、ひとりなの・・・?」
「然様」
「淋しくないの?」
「想うた事は一度も無い」
「・・・強いんだ・・・おじさん・・・」
「さて・・・な・・・」
《鬼》の声に続いて、小さく息を吐くような音が聞こえた。
笑った、のだろうか。《鬼》の表情は、少女からは見えない。
「己はずっと、強さを求めて、力を求めて、旅をしておるが・・・、まだ納得できるような力を手に入れてはおらぬ」
その声には、どこか自嘲の念が含まれている気がした。
ふと、少女が《鬼》の背にもたれかかってきた。
少女の吐息が、《鬼》の耳元にかかる。
「おじさん・・・、やっぱり淋しいんじゃないの・・・?」
「・・・・・・・・・」
《鬼》は答えなかった。
少女は続けた。
「私の知り合いにね、おじさんそっくりなヤツがいるんだよ」
「・・・ほぅ」
「おじさんみたいにカッコよくはないけどね。私よりまだまだ子供なのに、力が欲しい、強さが欲しい、って、いっつも森に突っ走っちゃうの」
「勇敢な童だ」
「どうだろうね」
少女の声に続いて、小さく息を吐くような音が聞こえた。
笑った、のだろうか。少女の表情は、《鬼》からは見えない。
「結局、さ。アイツも淋しいんだよ。自分は独りだ、って、思い込んでるんだよ。だから・・・、それを紛らわせようとしてる」
「・・・己も、そうだと・・・?」
「本当の所は、わかんないよ。おじさんとは初めて会ったんだし。でも・・・」
一拍置いて、吐き出されたその言葉には、力がこめられていた。
「多分、そう」
「・・・然様、か・・・」
《鬼》は、僅かに俯いた。
少女は、はっとなった。
自分は初対面の男に何を言っているのだろうか。何を、傷つけるような言い方をしているのだろうか。
慌てて言葉を紡ぐ。
「ご、ごめんね!さっき、ヤな事聞いちゃったばっかなのに、こんな、こんな変な事言って!おじさんが弱いとか、そんなんじゃないんだよ!?」
矢継ぎ早に捲くし立てるが、良い言葉が浮かんでこない。
「えっと、んっと・・・」
そうこうしているうちに、少女の眼には涙が滲み――
「・・・そうだ」
《鬼》が、口を開いた。
「《アスラ》だ」
「・・・・・・・・・え?」
唐突な言葉に、少女は思わず聞き返す。
《鬼》は言う。
「己の名だ」
「おじさんの・・・名前・・・?」
「然様。今、考えた」
フッ、と声がした。
《鬼》が笑ったのだと、少女に分かった。
「即興にしては、呼び易かろう、童?」
「・・・うん!」
フフッ、と声がした。
少女が笑ったのだと、《鬼》に分かった。
それから、少女は思い出した様子で言った。
「あ、そだ!私にも名前はあるよ!」
「・・・ぬ、聞き忘れておったか。主は何と云う?」
「イゾルデ。イゾルデ・ゴルハント」
「イゾルデ、か・・・。良き名だ」
感慨にひたるように、《鬼》は、アスラは頷いた。
「私も、良い名前だと想うよ、アスラさん」
そう言って、少女、イゾルデは笑った。
そこでアスラは、ようやく大勢の活気に気付いた。
丁度森も開けているようだ。
「・・・そろそろ、か」
「そう、そこを抜けて」
イゾルデの言われるままに森を抜ける。
そこには、小規模な村が広がっていた。
「ここが、《クレザ村》だよ」
鬼が来たりて
《クレザ村》は小さな村だった。
民家の数は二十足らず、その作りも近代的とはいえない木材建築がほとんどだ。
家の近くには何かしらの野菜が植えられた畑が点在しており、また、草食竜のものと思われる生肉や皮が天日干しになっている。
何より目を引いたのは、一面に広がった麦畑だ。青々と茂ったその実は、もう少しで刈り時を迎えるのだろう。
村の人間は、年配の男女が多いように見受けられる。身なりは決して良いとは言えないが、少なくてもアスラ程に着崩れた姿のものは居なかった。
時代に取り残された場所。あるいは、自ら、時代に置いて行かれる事を望んだ場所。そんな村だった。
だが、アスラは、この村に安らぎを感じていた。
「・・・良き、村だな・・・」
「でしょ?」
イゾルデが笑顔で答える。
「うむ・・・。本当に・・・、美しい村だ・・・」
アスラは屈むと、イゾルデをそっと地面に下ろした。
すっと立ち上がると、彼女の方に向き直り、
「ではな」
そう言って、森のほうへと立ち去ろうとした。
だが、
「ちょっと待って!」
イゾルデに袖を掴まれた。
訝しげに、アスラが振り向く。
「如何した?」
「せっかくだから、ゆっくりしてってよ!」
「断る」
きっぱりとアスラは即答した。
イゾルデはむっとした顔になり、
「ちょっとぐらいいいでしょ?お礼ぐらいさせてよ!」
「己は謝礼を受ける為に、主を送った訳では無い」
「でもさ!」
「何より――」
アスラから、穏やかさが消えた。
「己が長居しては、迷惑になりかねん」
そう言うと、力ずくでイゾルデの手を振り払い、再び森の方へと歩き出した。
それでも、イゾルデは諦めずに、もう一度、アスラの袖を掴んだ。
「誰の迷惑になるのよ!?」
アスラが、歩みを止めた。
イゾルデの方を振り返り、
「黙れ、童」
アスラの眼には、殺気が満ちていた。
「もう一度言おう。己は謝礼を受ける為に主を送った訳では無い。只の気紛れよ」
今までとは変わった冷淡な物言い。
全身から放たれた鋭い殺気は、正しく《鬼》その物。
「早くこの手を離せ。離さぬならば、斬り落とすぞ」
《鬼》は、腰元の刀に手をかけた。
それを見たイゾルデは――
「やれば?」
彼女の顔には、一切の怯えが無かった。
「あなたには、出来っこない」
「愚弄するか・・・?」
《鬼》の眉間に深い皺が刻まれる。
「違うよ」
イゾルデは首を横に降った。
「本当の事。あなたは、嘘を言ってる」
「馬鹿を申すな。本当に斬るぞ・・・?」
《鬼》の語気に力が入る。
イゾルデもまた、その小さな額に皺を寄せて言う。
「だから、やれば?何でか知らないけど、あなたは嘘をついてる」
「貴様ァッ!!」
ついに《鬼》が刀を抜いた。その瞬間は、少女には見えなかった。それほどまでに速かった。
神速の勢いのまま、袖を掴む少女の腕へ黒い刃が迫る。
あの《イーオス》のように、綺麗に斬り落とされるのは、もう刹那の話だ。
しかし、
「ね?」
黒々とした刃は、少女の腕にぴたりと添えられただけだった。
「・・・勘違いするな。これより斬り落とす」
「出来ない」
きっぱりとイゾルデは言った。
「嘘だ、って解る」
「・・・何故に言い切れる?」
刃を添えたまま、《鬼》が言う。
「簡単よ」
少女は、ふと口元に笑みを浮かべた。
「急にアスラさん、おしゃべりになるんだもの」
「・・・何・・・?」
その答えに、《鬼》の顔に、困惑が浮かんだ。
イゾルデは続ける。
「ここまで来る途中、ずっと話しかけてたのに、アスラさんが返事するときはほとんど一言だけ。なのに、帰るって言い出したら、むきになったようにおしゃべりになるんだもの。誰だってわかるよ」
「・・・・・・・・・」
「斬るつもりなら、もう一度私が袖を掴んだ時に、さっさとやってるでしょ?」
「・・・・・・・・・」
黒い刀が、少女の白い腕から離れた。
だが、刃は収められなかった。
アスラは嶮しくも、まだどこか当惑した面持ちで口を開いた。
「主は・・・、何故そこまでに、己に関わろうとする・・・?」
その問いにイゾルデはふっと笑って答えた。
「・・・二つ、あるわ。一つは、あなたがさびしそうだから」
「情けか・・・」
「もう一つは・・・」
イゾルデはそれを答えようとしたが、ふいに口を噤むと、すっと眼をそらした。
その顔には、今まで見たことの無い複雑な表情が浮かんでいた。
「・・・申し辛き事か・・・?」
アスラの言葉に、イゾルデは数秒の間の後、こくりと頷いた。
「・・・ならば、申さずとも良い・・・」
そう言った後、アスラはようやく刀を納めた。
大きく深呼吸を一回した後、
「・・・すまなかった」
小さく、だがはっきりとした声で言った。
「だがな、イゾルデ。己はこの村に居る事は出来ぬ」
「どうして?」
イゾルデがアスラを見る。何処か、潤んでいるような気がするのは、見間違いではないだろう。
「己は《禍》を呼ぶ・・・。否、己が《禍》その物と言って良かろう」
ぐっと、アスラが腰を屈め、目線をイゾルデに合わせた。
それから、ポンと、彼女の頭に、手を載せた。
その手は、とても大きく、柔らかく、暖かかった。
「この村は美しく、お前もまた美しき女子。それを、己は、穢したくない。・・・どうか、解ってくれ」
先ほどまで殺気立っていた黒い瞳には、ひどく優しい輝きが宿っていた。
「・・・・・・・・・」
それでも、イゾルデは首を縦に振ろうとはしなかった。
泣きそうな顔で、じっとこちらを見つめている。
「・・・・・・むぅ」
アスラはほとほと困り果てた顔で、イゾルデの頭を撫でながら、しばらくあれこれと思案していた。
その末に、
「・・・承知、した・・・」
《鬼》は少女に降伏した。
瞬間、先ほどまでの涙は何処へやら、一気にイゾルデには笑顔が戻り、
「よーし!じゃあ行こ!」
アスラの裾をぐいぐいと引っ張りながら村のほうへ向かっていった。
アスラは溜息を一つ吐くと、
「但し、茶の湯を一杯馳走になるだけだ。己はすぐに村を立つぞ」
「分かってる、分かってる♪」
本当に、理解しているのだろうか。
アスラはもう一度溜息を吐いた。
イゾルデに急かされながら、アスラは《クレザ村》へと入った。
実に平穏だと思う。
これ程、穏やかな《気》を感じたのは実に何年ぶりだろうか。
この静かだが、温かい感覚。伝わってくる人々の穏やかな感情。
すっかり忘れていた感覚だ。
良い村だ。
「おぅ、イゾルデ!」
「ん?」
威勢の良い声に、イゾルデがその方を見やる。
見慣れた村の男が、鍬を担いでこちらに歩いてきていた。
「おじさん!」
「何処行ってたんだ?ってまぁ、オメェのこったから、どうせまた“アレ”をとってたんだろうな・・・」
何処か複雑な顔で言う男。
「そうだよー」
イゾルデはにんまりと笑って、腰元からポーチを取り出した。
それを見た男は、やれやれと頭を振り、それから、アスラに眼を移して、
「で、この大男は、何処のどい――」
目が合った。
正確には、気付いた、のだと思う。
アスラの額から生えた二本の角に。
見る見る内に、男の顔が青くなっていく。
「で・・・で・・・」
終いには腰を抜かして、
「でぇたぁあああああああああ!!!」
あまりの大声に、外に出ていた村人達が一斉に此方を向く。
そして一斉に、
「ぎゃああああああ!!!」
「鬼だぁああああああ!!!」
「なんまいだぁー!なんまいだぁー!!」
と、叫び声をあげた。
イゾルデは慌てて、事態の収拾を図ろうとする。
「ちょ、ちょっと待ってよ!!」
そんな声もまた、更なる叫びにかき消されていく。
慌てふためく大人たちの一方、アスラに気付いた子供たちもまた騒ぎ出した。
「なんだ、あのオッサン!!」
「鬼だ!鬼!!」
「つくりもんじゃねーの?」
あっという間に、アスラとイゾルデの周りには人だかりが出来ていた。
「あぁ、もう!!いいから落ち着いてよー!!」
イゾルデは大声を上げるも、当然、全く治まる気配は無い。
そんな様子を見ていたアスラは、少し項垂れて、
「・・・矢張り、己は来るべきでは無かったのかも知れぬ・・・」
「アスラさんもへこまないの!!あぁ、もう!!」
イゾルデが更なる声を張り上げようと、大きく息を吸った、その瞬間だった。
「喧しいぞッ!!!」
場を一喝するその一声に、しんと村人が静まった。
村人の間を掻き分けて、その声の持ち主が現れる。
「折角の昼寝を邪魔しおってからに・・・!!」
「お爺ちゃん!」
イゾルデがそう呼んだ人物は、煙管を手にした、ひどく小柄な《竜人族》の老人だった。
《竜人》の老人は、杖もつかずにはっきりとした足取りで二人の前に立った。
「イゾルデッ!また何かしたのか!?今度は何を拾ってきた!!《ドスファンゴ》か!?《ゲリョス》か!?《バサルモス》か!?」
「・・・・・・・・・」
「ち、違うよ!ほら!」
「んむ?」
《竜人》の老人が、アスラに見やった。
足の先から、頭のてっぺんまで。
それから、「ほぅ!」と声を上げ、
「《鬼人族》か!!ほほぅ!こいつぁ、珍しいもんを拾ってきたな!」
《竜人》の老人を半ば見下ろすようにしていたアスラが、ようやく口を開いた。
「《竜人の翁》、主がイゾルデの・・・?」
「んむ。まぁ、祖父みたいなもんじゃて」
「然様か。森で足を怪我をしていたのを見つけてな」
「ほほぅ。拾われたのは、此奴の方か」
「ちょっと!」
「然様」
「然様じゃない!!」
高らかに笑う《竜人》の老人と、肩をすくめるアスラ。その間でキーキーと喧しいイゾルデ。
そんな様子に、村人達の緊張も段々と和らいでいった。
《竜人》の老人は改めて自己紹介を行った。
「儂は、この村の村長をやっているものじゃ。このじゃじゃ馬が迷惑かけた様じゃ喃」
「否。迷惑をかけたのは、己の方だ」
そう言って、アスラはイゾルデの肩をぽんぽんと二回叩いた。
「加えて、村を騒がせてしまった。すまぬ」
深々と頭を下げるアスラに、村長は「頭を上げてくれ」と声をかけた。
「気にするな、《鬼人》よ。見ての通り、ここはド田舎でな、珍しい物には目が無いだけじゃよ」
それから村長は村人の方に向き直り、
「見ての通りじゃ。心配は要らぬ相手故、仕事に戻ってくれ」
その言葉に、村人達は「村長が言うなら」と、解散し始めた。
村長は一度頷くと、再び、アスラへと視線を戻した。
「ささっ、大事な孫娘のお客人とあっては無下には扱えぬ。我が家へ案内しよう」
「持成しは不要。長居はせぬ」
「そんな事言わないでも良いのにー。ゆっくりしてよー」
イゾルデが不服そうに声を上げると、すかさず村長はぴょんと飛び跳ね、彼女の頭に煙管を叩き込んだ。
若干鈍い音が当たりに響き、イゾルデはその痛い実に耐え切れず、頭を抑えてその場にゆっくりと屈みこんだ。
「・・・っ痛ぁーい!」
「お前は黙っとれい!!」
(・・・見事な一撃だ)
密かに感心していたアスラは、ふと、新たな気配に気付き、森の方を振り向いた。
この《気》は、人間だ。
数は三つ。
怪我をしている、のか。
「・・・どしたの?」
「む?」
アスラの様子に気付いた二人もまた、森へと眼をやる。
その瞬間、森から傷だらけの三人の男達が飛び出してきた。
全員が、皮製の防具を纏っており、何かしらの武器を身に着けていた。
森から現れた三人の男に、イゾルデと村長は見覚えがあった。
村の狩猟団の男達だ。
男達は、ふらふらと村に入ってくると、そのまま前のめりに倒れこんだ。
「おじさんッ!!」
「こりゃ、大丈夫か!?」
すぐ様、駆け寄るイゾルデと村長。
アスラはその後ろで、三人の怪我を静かに観察していた。
全身に鋭利な刃物でつけられた様な切り傷が多数。血まみれで、傷が深い箇所もあるが、まだ応急処置をすれば助かる程だ。
と、一人の男の口元が動いた。
「う、っく・・・」
ぼんやりと瞼が上げる様を見て、アスラは静かに、男達から遠ざかった。この大怪我の中、自分の姿を見て発狂されては困る。
「おじさんッ!しっかりして!!」
イゾルデが声をかける。村長もまた、急いで村の男達を呼ぶ。
「・・・イ、イゾルデか・・・」
イゾルデの姿を確認した男は震える唇を何とか動かして、何事かを伝えようとするが、上手くいかない。
「ガ、《ガミザミ》が・・・《ガミザミ》を・・・」
《ガミザミ》は、身体は小さいながらも非常に攻撃的な《甲殻種》であり、その鎌は鋭く、下手をすれば人間の指すら斬り落としてしまう程の威力を持っている。
その動きは素早く、毒液を吐き出してくる事もあり、小型の《
モンスター》といっても侮れない生物だ。
この男達は、《ガミザミ》の群の討伐に出かけたところ、逆襲にあったのだろうか。
それにしては、何処か様子が変だ。
と、男が思い出したように声を一段と張り上げた。
「そ、そうだ・・・!あいつが・・・、あいつが、まだ・・・ッ!!ガッ!」
興奮して立ち上がろうとする身体をイゾルデが抑える。
「動いちゃ駄目だよ!!じっとしてて!!」
男は頭を振りながら、苦悶の表情で言った。
「あいつが・・・、あいつが、囮になって・・・!!」
言葉の意味を理解した瞬間、イゾルデの顔が、強張った。
その顔から、血の気が引いていく。
「・・・あ・・・あいつ・・・って・・・」
「“レイバー”だ・・・ッ!!」
その瞬間、イゾルデは立ち上がると森へ向かって走り出していた。
脳裏には何も浮かんでいない。
只、行かなくては、という呪い染みた概念が彼女の身体を支配していた。
「イゾルデーッ!!待たんかァーッ!!!」
担架や包帯を持った男達を引き連れた村長が静止の声をあげるが、その前にイゾルデの右足首が悲鳴を上げた。
「っ・・・、くっ!」
それでも彼女は森へと向かう。
足を引きずってでも、最悪、這っても行かなくては。
そんな彼女の前に、黒い影が立ちはだかった。
アスラである。
「待て」
アスラは片手で彼女の肩をがっしりと掴んだ。
「いやッ!!」
「落ち着け」
腰を落とし、アスラはイゾルデと同じ目線に立った。
そこで初めて、彼女が泣いている事に気付いた。
だが、今はそれを確認している場合ではない。
「イゾルデ、己の話を聴いてはくれぬか?」
なるだけ穏やかな口調で、アスラは言った。
イゾルデは息を荒く肩を上下に動かしていたが、段々とそれも収まっていった。
頃合と見ると、アスラは再び口を開いた。これもなるだけ、穏やかに。
「如何したのだ?」
イゾルデは涙を手で拭うと、ようやく喋りだした。
「・・・まだ、戦ってるヤツがいるの・・・」
「ふむ。その男を、救いに赴こうと云うのか?」
イゾルデは頷いた。
「このままじゃ、死んじゃうよ・・・。だって、」
彼女の語気が、荒くなった。
「アイツ、まだ私よりも子供なんだよ!!」
アスラは、表情を変えなかった。
只、一言を彼女へ伝えた。
「承知」
そして、ぐっと立ち上がると、イゾルデの頭を二回撫でた。
それから、はっきりと宣言した。
「己が向かおう」
「・・・え・・・」
イゾルデが呆けた様にアスラを見る。
そんなイゾルデを、見下ろしながら、アスラは言う。
「その者が、主の大事な者である事は重々承知した。ならば、己に任せろ」
「アスラさん・・・」
「憂える事は無し。主は只、待っておれば良い」
そう言って、アスラはイゾルデに背を向け、森へと向かっていった。
その大きな背を、イゾルデはただ見つめていた。
と、今度は村長が声を上げた
「待て、《鬼人》の!お前さん、場所は分かるのか!?距離は遠いぞ!!」
「案ずるな、《竜人の翁》」
アスラは振り向かず、歩みを止めずに答える。
「《気》を探りながら進む故」
と、不意にアスラの足が止まった。
それから、振り向く。
「イゾルデ」
突然名を呼ばれ、イゾルデは慌てて反応した。
「え、は、はい!」
「忘れておった」
アスラは口元に穏やかな笑みを浮かべると、
「茶を用意しておいてくれ」
思わぬ言葉に、イゾルデは咄嗟に返事が出来なかった。
アスラはしかし、それに構わぬ様子で、
「頼んだぞ」
そう言って、もう一度森の方を向いた。
「あ、アスラさん!」
声をかけ様とした時には、最早その姿は消え失せていた。
鬼と少年
雨が降り出した。
ポツポツと振り出した雨は、やがて勢いを増していく。
虫は葉の裏へ、鳥は木々の間へ、《牙獣》は森へ、《草食竜》は洞窟へ、その身を隠す。
残った蛙達は、天へと向けて一斉に合唱を謳う。
それは、この雨への賛美歌なのか。
それとも、この惨劇への鎮魂歌なのか。
雨に打たれる骸の数々。
その全てが、《ガミザミ》のものである。
ある者は背負った貝殻ごとその身を叩き潰され、ある者は青い甲殻を鋭い刃で切り裂かれ、ある者はその小さな身に数本の矢を突き刺され、ある者は身さえ残らぬほど粉々に吹き飛ばされ、絶命していた。
皆、口から泡を吹き出し、その身からは黝い体液を垂れ流し、鋭い瞳は怨めしそうに曇天を睨みつけていた。
雨は、そんな死骸をも優しく包む。
何処までも優しく。彼らの怨念を沈めるかのように。
雨は、ある少年にも平等に降り注いだ。
歳は十歳前後。まだまだ幼さが抜けない顔立ちをしているが、その眼差しには強い意志の光が宿っている。
短く刈り込んだ銀髪を片手で掻き揚げながら、少年は舌打ちをした。
「ちくしょー・・・」
彼のもう片方の手には小さいながらも頑丈な鉄製の盾が握られている。
腰には、鋭い片刃の剣が皮製の鞘に収まっていた。
「見逃しちまったか・・・?」
一人ごちて、もう一度舌打ちをする。
少年の目の前にあったのは、圧し折られた大木の数々。
巨大な図体を持った相手がここで暴れまわった後だ。
少年は、同伴していた他の大人たちを、そいつから逃すために囮を買って出た。
正確に言えば、囮なんてものではない。少年は心の底から、その相手を倒すつもりだった。
自分よりも何倍もの大きさを持ったその相手を倒すことで、証明したかったのだ。
自分の強さを。
自分は、強いのだという事を。
しかし、いざ戦ってみると、暴れだした相手に少年は迂闊に近づくことが出来ず、一先ず身を隠して隙を伺っていると、何時の間にか逃げられてしまった訳だ。
「あんなデケェのが消えるはずねぇんだけどな・・・」
ブツブツと呟きながら、少年は圧し折られた大木の方へと向かう。
何かしら、手がかりが残っていないかと思ったのだ。
不意に立ち止まる。
「・・・ん・・・?」
何かに、見られている感覚があった。
辺りを見回す。
四方は木々に囲まれている。何も姿は見えない。
それでも、少年には何となくだが分かる。
目や耳では確認したのではない。
云わば、勘。
こういう場合の勘は良く当たると、村の大人たちも褒めていた。
少年としては、これは勘ともまた違う、非常に言い難い物だったのだが、今はいい。
何かが、こちらを見ている。
そこで少年は、あえて気付かなかった振りをして、あたりを見回すのを止めた。
「・・・おっかしーなー・・・」
やや大きめにぼやきながら、その気配に背を向けて、もたもたとした調子で歩き出す。
(どうだ?食いつくか・・・?)
気配が、移動するのを感じる。
木々の合間を俊敏に動いている。
微かだが、声も聞こえた。複数の物だ。
気配の正体に、少年はすぐに気付いた。
《イーオス》だ。
正直、面倒だが、相手がやる気満々であるなら、応えてやらなければ可哀想だ。
気配が近づいてくる。
構わない。
来い。やって来い。襲いに来い。俺に、倒されに来い。
そして、とうとう、《イーオス》が少年の無防備な背中目掛けて跳び出してきた。
『ギアァッッ!!』
押し倒し、首を噛み千切る勢いで跳んできた《イーオス》であったが、少年は僅かに右へ動いてそれをかわした。
続いてもう一匹の《イーオス》が真正面より現れる。
矢張り少年の首を狙って噛み付いてきたが、少年はそれに対し、
「ウォラァ!!!」
盾で殴りかかった。
思わぬ反撃を受けた《イーオス》。
牙が圧し折られ、顔が歪み、顎骨に罅が入っていく感触が、少年にも伝わってきた。
錐揉みして吹っ飛んでいく《イーオス》を飛び越えるように、新たな《イーオス》が少年の目に入る。迷う事無く、少年は剣に手を伸ばした。
鞘から抜かれた鉄の剣、《ハンターカリンガ改》の刃が、《イーオス》の喉を切り裂いた。
赤黒い血が、銀髪に飛び散ったが、少年はそれを気にする事無く、最初に現れた《イーオス》を振り返る。
既に《イーオス》は毒液を吐く姿勢になっていた。慌ててローリング。毒が降りかかった短い草が、しおしおと枯れていく。
ローリングの姿勢から立ち上がり、今度は少年が《イーオス》に飛び掛った。
背中に降り立つ。振りほどかんとその場で暴れだす《イーオス》。激しいロデオだ。
そんな中にあって、銀髪の少年は、笑っていた。
口の端を吊り上げ、歯を見せて、笑っていた。
剣を持ち直すと、
「くたばれ!」
白い喉元を切り裂いた。
『ゲッ・・・ィァ・・・ッ・・・ァッ・・・』
喉から血を噴出した《イーオス》は、掠れた悲鳴を上げると、その場に倒れこんだ。
少年は倒れる寸前に《イーオス》の背から降りると、先ほど顔面を潰した方の《イーオス》にも止めを刺した。
小刻みに痙攣を繰り返すその死に様を見て、大きく溜息をつく。
「・・・やっぱ駄目だな、こいつらじゃ・・・。弱すぎだ」
ポーチから布を取り出して、刃についた血を拭う。生臭さが鼻に来て、思わずむせた。
空を見上げる。雨はまだ降り続いている。お陰で、返り血は簡単に拭き取ることが出来たが、このままでは凍えてしまう。
「早く、見つけねぇと」
村に帰る、という選択肢は少年の中に無い。
帰る時は、あいつを倒した時だ。勝利の凱旋。まだ一撃も満足に与えて無いのに、逃げ帰るなんて冗談ではない。
雨音に紛れて、唸り声が聞こえてきた。
「・・・・・・・・・」
無言で、その方を睨みつける。
そこにいたのは、群の同族を殺され、怒りに燃える《ドスイーオス》であった。
《ドスイーオス》が曇天に吼えた。
『ギァォ!!ギアォッ!!ギアアォ!!!!!』
それに応えて、何処からとも無く《イーオス》たちが集まってくる。
その数は、十匹を越えた。
十対一。
そんな中にあって、少年は、その幼い顔立ちには似合わない、凶暴な笑みを浮かべていた。
「・・・来いよ・・・」
柄を握る手に、力が篭る。
「何匹集まろうが、ザコはザコだ」
その挑発が届いたのか、《ドスイーオス》が合甲高い鳴き声を上げた。
『ギアァッ!!ギアァァァッ!!!』
それを合図に、一斉に《イーオス》の群が襲い掛かってきた。
少年は、それに刃で応えようとして、異変に気付いた。
地面が、揺れている。
自然の地震では無いと、すぐに少年が判断し、慌ててその場から飛び退いたのは百点満点の答えだった。
もしも、ほんの数秒でもためらっていたら、地面から飛び出した5mを越す朱い大鎌によって、頭から真っ二つに切り裂かれていただろう。
朱い大鎌が飛び出した地面が大きく盛り上がっていく。
(潜ってやがったのか!?)
《ドスイーオス》達は、その黄色い目を見開いて、地面の中から現れつつある巨体を呆然と眺めていた。
少年の頬を、雨粒と一緒に汗が滴る。
心臓の鼓動が早くなる。
それは、恐怖か。
(違うッ!!)
これは歓喜だと、少年は自分自身に言い聞かせた。
待っていた相手が、ついに現れた。
朱い甲殻を身に纏い、岩のように巨大な黒い竜の骸骨を背負った、巨大な蟹。
朱い《ショウグンギザミ》が、完全に地上へ姿を現した。
森の木々の枝が、揺れる。
雨のせいか。
否、そこを足場にしている者がいるのだ。
木々の枝から枝に飛び移るアスラの姿は、あまりにも軽やかな物であり、そこが地上から何十mと離れた場所である事と、彼の移動速度が肉眼で何とか追える程の早さである事を忘れてしまう程である。
「・・・む」
複数の《気》が一箇所に集まっている。
深い精神集中を行えば、詳しく、その相手の状況を理解する事が出来るのだが、そんな時間は無い。
この雨の中、殺気だった《気》を撒き散らしているのは、ここしか存在しない。
おそらく、これだろう。
それ程かかるまいが、急いだ方が良いだろう。
とうとうアスラの姿は、肉眼でも見切れぬ程になった。
ただ木々の枝が揺れる音が、しんしんとした雨音に混じって微かに響いていた。
《ショウグンギザミ》は、本来蒼い甲殻を持つ。
しかし、少年の目前で二対の鎌状となった鋏を天に掲げているこの個体は、朱かった。
先天的な物か、後天的な物か、それは少年に分からない。
只一つ、分かっている事があるすれば、こいつは、自分の力を示す絶好の獲物であるという事。
大猪《ドスファンゴ》も、未だに阿呆のように口をあけているあの《ドスイーオス》も狩り飽きた。
どれだけ狩っても、誰も認めてくれない。
そんな自分に、神様が与えた好機だと、少年は思っていた。
《ハンターカリンガ改》を構えなおす。
そうだ。こいつを倒したら、こいつの鎌で新しい剣を作ってもらおう。この初心者用の剣はもう卒業だ。
《ショウグンギザミ》が、鋏を下げる。戦闘の態勢に入るつもりだ。
その前に、少年は走っていた。叫びを上げて。
「うぉぉぉぉぉおおおおおおおおおお!!!」
自分を鼓舞する為か。自分の中の恐怖を掻き消す為か。
狙うのは脚の関節だ。流石に甲殻を叩き割れるまでの馬鹿力は少年も持っていない。
間接を斬って怯ませる。そしたらヤツのデカイ身体を駆け上って眼を潰す。そうすれば、もう一人でやれる。
《ショウグンギザミ》は、動かない。絶好のチャンス。逃さない。
少年は、剣を振り上げ、
「でぇりゃあああああああ!!!!」
雄叫びと共に振り下ろした。
刃は、狙い通り甲殻と甲殻の隙間に入り、ギンという鈍い音と共に弾かれた。
「・・・・・・・・・?」
刃が、欠けていた。
少年には、分からなかった。
弾かれた、というのは分かった。
何故、弾かれたのか。
「ッ!」
とっさに少年はその場から大きく飛び退いた。本能だった。
先ほどまで少年がいた場所を、鎌鋏が鋭い音を立てて刈り取っていく。
ゾッとする光景を見ながら、少年はようやく理解した。
この《ショウグンギザミ》の肉質が、硬いのだ。
今まで戦った、どの相手よりも、強い筋肉を持っている。
だからだ。
皮でなく、鱗でなく、甲殻でなく、肉質が硬い。
違う。そんな蟹がいるわけがない。
だとすれば、確かに、あの間接が、コイツの弱点だったとすれば。
「・・・んな、わけが、あるかよ・・・!!」
《ショウグンギザミ》が動いた。
普通の蟹と同じ横歩き。鋏を振り上げて、大きく弧を描くように少年に迫る。
だが、恐ろしいまでに速い。甲殻を纏い髑髏を背負った巨体からは考えれない程の速さで少年に迫る。
「ぅわぁあああああ!!?」
慌てて少年は、背を向けて走り出した。
少年のすぐ背後で、鋏が薙いだのが分かった。
「くそ!くそ!くそっ!!!」
少年はぐるりと《ショウグンギザミ》に回り込む。
背後から、背後からなら、何とかなる。
そうして、回り込んだ少年を待っていたのは、黒い竜の骸骨だった。
物を言わぬ筈の骸骨の口が、開いた。
愚かな獲物を、嘲笑って。
「わああああああああああああああ!!??」
絶叫を上げて、少年は骸骨から逃げた。
瞬間、少年の頭上を、何かが掠めていった。
水流だ。
只、その水流は極限まで圧縮されていて、少年の変わりに直撃された大木は、幹に大穴を開けられると音を立てて崩れ落ちていった。
「あ・・・あ・・・」
後ろから音がする。
追ってきているのだ。あの《ショウグンギザミ》が。
鎌を振り上げ、少年の小さな身体を真っ二つに引き裂かんと。
止まるな。
走れ。
走れ。
走って逃げろ。
逃げろ。
逃げろ。
何処までも追いかけてくる朱い死神。
そして、少年の逃げ道を塞いだのも、また赤い死神だった。
『ギァ!ギアアッ!!』
立ちふさがった《ドスイーオス》が嘶く。それと同時に四方から《イーオス》が襲い掛かってきた。
右後方から飛び掛ってきた一匹が、少年の身体を捕らえた。
「うわぁあああ!?」
転ばされ、踏みつけられ、押さえつけられる。
そこに他の《イーオス》が迫る。
見渡す限り、赤、赤、赤、赤。
その赤の背後からは、巨大な朱が姿を現していた。
「ぃゃだ・・・!」
抵抗するが、《イーオス》達は絶対に離そうとしない。
大粒の涙が、少年の眼から零れ落ちていく。
「死にたく・・・ない・・・ぃ!」
《ショウグンギザミ》が、鎌を振り上げる。
『ギァッ!ギアッ、ギアッ!!』
危険を察した《ドスイーオス》の叫びで、《イーオス》達が一気に散った。
しかし、少年は、動けなかった。
身体が、恐怖で縛られていた。
もう駄目だ。
お終いだ。
殺される。
死ぬ。
ここで、こんな所で、自分は死ぬのか。
「・・・ッ・・・」
少年の手が、動いた。
「オレ・・・は・・・!」
剣を手にする。
「オレはァ・・・!」
身体を起こす。
「オレは・・・、負ける・・・わけには・・・」
泥だらけの身体。
涙に濡れた顔。
欠けた剣。
それでも、少年は、戦う事を止めなかった。
「負けるわけには・・・いかないんだよォッ!!!」
次の瞬間に起きた事を、少年は忘れないだろう。
振り上げられた《ショウグンギザミ》の鎌鋏。
それと、少年の間の空間を、一瞬“何か”が駆けて行った。
本当に一瞬だった為、見間違いかとも思ったが、すぐにそうでは無い事が分かった。
《ショウグンギザミ》の鎌鋏が、根元から斬り落とされていた。
濃厚な色をした体液が、綺麗な切断面から一気に湧き上がってきた。
『ギギギィィィィィィィィィイイイイイイイイイイ!!!』
《ショウグンギザミ》が、初めて声を上げた。
だが、少年の耳に、その叫びは入ってこなかった。
何故なら、少年の意識は、突如として目の前に現れた、この《鬼》に集中していたからだ。
二振りの黒い刃を両手に構え、2mを越す巨躯を持ち、額から二本の角を生やした《鬼》。
《鬼》は少年の姿をしげしげと見つめていた。
「・・・童」
《鬼》が喋った。
「主が・・・“れいばあ”とやらか・・・?」
「な・・・なんで知ってんだよ」
自分の名を知っている事に驚きつつも、少年は返事をした。既に涙は止まっていた。
「・・・そうだよ、レイバー・トリスタンだよ・・・。あ、アンタは・・・?」
「アスラ。そう呼べ」
アスラと名乗る《鬼》は、少年、レイバーにこう告げた。
「イゾルデを知っておるな?彼奴(あやつ)が心配しておった故」
思いもよらぬ事を言われ、レイバーの顔が見る見る赤くなった。
「な・・・!あ・・・、あのクソアマァ!!」
赤面して怒り狂うレイバーの姿を、アスラは冷静に眺めながら、
「そう云うで無い。彼奴は心底心配しておったのだ」
「クソッタレ!!」
罵声を吐き捨てたレイバーは、ふと、思い出した。
まだ、戦いが終わっていない事を。
アスラの背後に片方の鋏を失った《ショウグンギザミ》が迫っていた。
『ギチギチギチギチギチ!!!!』
怒り狂い、口からは泡を吹き出し、残った鋏は展開されて、完全な巨大鎌と姿を変えていた。
「オッサン!後ろ!」
「そうであったな」
慌てるレイバーを尻目にアスラは悠々と振り返った。
それから、背を向けたまま、
「童。ちと離れておれ」
そう言って、地面を蹴ったと思った時には、既にアスラの姿は《ショウグンギザミ》の懐に潜り込んでいた。
瞬間移動。そんな言葉を思い出したが、今の動きがまやかしで無い事をレイバーは何となくだが理解していた。
《ショウグンギザミ》が慌てて巨大鎌を振り下ろす。その時、アスラの姿は《ショウグンギザミ》の遥か上方に存在していた。
空中から落下しながらアスラが剣を構えた。
レイバーは、見た。
アスラが構えた瞬間、あの二振りの黒い剣が、淡く光ったのを。
柄から切っ先にかけて、蛍火に良く似た光が刃の中を放射状に疾っていく。
《鬼》の力が注ぎ込まれて行くかの様に。
アスラが、その剣を振るう。
突き出ていた《ショウグンギザミ》の黒々とした両の瞳が、すっぱと斬り落とされた。
絶叫を上げようとした《ショウグンギザミ》は、その前に不自然な形で尻餅をつく事になる。二本あった右脚全てが斬られていた。
背中に回ったアスラは、黒い竜の骸骨に双刃を翳す。
悪寒を感じた《ショウグンギザミ》が、あの水流を放とうとする。
「オッサンッ!!」
レイバーが叫ぶ。いくらなんでも、あれをマトモに喰らえば一たまりも無い。
しかし、アスラは逃げようとはせず、逆に剣を走らせた。
岩石その物にも見えた黒い竜の骸骨がバターの様に切れ、崩れ落ちたそれが、丁度発射口に突き刺さった。
直後、《ショウグンギザミ》の背中が、黒い竜の骸骨毎、勢いよく破裂した。
無論、破裂する寸前にアスラは跳び上がり、周囲に飛び散った破片を避け切っていた。
『ギガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガガッッッッッッ!!!?』
絶叫して無茶苦茶に身体を動かす《ショウグンギザミ》。
それも長くは続かず、段々と動きは鈍くなり、やがて、完全に沈黙した。
軽やかに地面へ着地したアスラは、次の標的を見定めた。
一部始終を見ていた、《ドスイーオス》達へ。
だが、その前に《ドスイーオス》は、一目散に逃げ出していた。群の《イーオス》も慌てて四方八方へ散り散りに逃げていく。
「・・・ふん」
アスラは何処か不満げに鼻を鳴らすと、二、三度、刃を振るって、《ショウグンギザミ》の体液を落とそうとした。
そこに、
「・・・オッサン」
ばつが悪そうな顔をして、眼は合わせずに、レイバーが布を差し出した。
「・・・忝い」
アスラは左手に握っていた剣を地面に突き刺すと、布を受け取り、右手の刃を拭いた。
突き刺さった剣を、レイバーはまじまじと見つめた。
既に先刻の光は無く、只の黒い刃に戻っている。アスラが拭き取っている片方の剣もそうだ。
その刃の黒い輝きは鉄の物では無かった。だからといって、骨や甲殻を加工した物とも思えない。
夜闇をそのまま刃の形にして切り取ったかの様だ。
拭き終わった右手の刃を鞘に収めたアスラが、地面から剣を抜いた。
黙々と刃から体液を拭うアスラに、レイバーは居ても立ってもいれなくなって、声をかけた。
「・・・なぁ、オッサン?」
「何ぞ?」
「それ、って・・・何なんだ・・・?」
「其とは?」
「その、剣だよ」
アスラは「ふむ」と呟いた後、
「・・・己にも、良く解らぬ」
思わぬ答えに、レイバーは拍子抜けを喰らった。
「・・・んだよ、それ・・・」
不服そうに言うレイバー。
「己の故郷に、代々と祀られてきた物でな」
その言葉に、レイバーは眉を潜めた。
「それ、って大事なモンじゃね?」
「構わぬ。当の昔に故郷は無い」
アスラは淡々と応えた。
レイバーの調子が、変わった。
「・・・オッサンも、か」
ちらりと、アスラはレイバーの顔を盗み見た。
少年は、何処か悲しく、淋しげな顔をしていた。
「・・・なぁ!」
自身の憂鬱な気分を隠す様に、レイバーが明るい声を上げた。
「その剣に、名前とかねーのかよ?《ハンターカリンガ改》みたいな」
「銘ならばある」
ようやく拭き終えた左手の刀を掲げた。
「此は【残月】」
鞘に収まった方を指差し、
「片割れが【落陽】だ」
「・・・【ザンゲツ】と、【ラクヨウ】・・・?なんか、ムズイな」
「・・・“むずい”・・・?」
「・・・むずかしい、ってこったよ」
「成る程」
アスラは、《残月》を鞘にしまうと、布を返した。
「さて。帰るか」
「・・・村に、か?」
不満そうにレイバーは言う。
「然様。イゾルデに約束したのでな」
そう言われると、レイバーは舌打ちを一つして、
「・・・わぁったよ」
そう答えると、さっさと村のほうへ歩き出した。
最終更新:2013年05月08日 23:27