刀光剣影 壱 後編

鬼への宴

 イゾルデは村の入り口にて、二人の帰りをまだかまだかと待っていた。
その背後には、村長が長椅子に腰掛け、刻み煙草の煙で輪っかを作っている。
既に雨雲は去り、太陽は地に沈まんとしている。
このまま夜になってしまうのだろうか。
もしかしたら、帰ってこないのではないだろうか。
そんな事は無い。そんな事は無いと自分に言い聞かせて、二人を待つ。
 そして、彼らは帰って来た。
森の中から、大男と小さな少年が姿を現した瞬間、イゾルデは彼らへ走り出していた。
「む?」
「あ?」
ようやく森の中から出てきたアスラとレイバーは、何事かと共に眉を潜め、
「お帰りなさいっ!」
イゾルデはその勢いのまま、アスラへ抱きついた。
それをアスラは微動だにせず、受け止める。
「・・・安心致せ、童は無事だ」
そう言って、イゾルデを下ろす。
レイバーは不機嫌そうな顔になった。
「オッサン、その“わっぱ”ってのやめろよ」
「む?すまぬ童」
「・・・わざとか?コラ」
レイバーは拳を握るとアスラに殴りかかろうとして、
「こんのバカッ!」
イゾルデから拳骨を喰らった。
「あだッ!?・・・てんめぇ・・・!」
殴られた箇所を抑えながら、イゾルデを睨むレイバー。
イゾルデはその視線を真っ向から受け止め、こちらも鋭く睨みつけた。
「ガキの癖に心配かけんじゃないわよ!」
「誰がガキだ!オレはもう11だぞ!!」
「まだまだガキじゃないの!」
「・・・喃・・・」
「ガキって言う方がガキなんだよ!」
「その発想がガキだって言ってんのよバカ!バカガキ!」
「この《コンガ》女!ガサツ!」
「・・・喧嘩は・・・」
「アホガキ!バカガキ!マヌケガキ!」
「お前の脳みそ《ブルファンゴ》!」
「だったら、アンタのは《ザザミソ》よ!」
「・・・喧嘩は・・・止せ・・・」
「だとコラ、ババア!!」
「ッ!この、」
「いい加減にィ、せんかッ!!」
跳びあがった村長が、二人の頭にそれぞれ煙管による一撃を叩き込んだ。
(・・・矢張り、見事)
「お前もじゃ!」
感心するアスラの頭にも、何故か一撃。
アスラは、さほど痛みを感じなかったが、二人は苦悶の声を上げて、その場にうずくまっている。
 ポカンとするアスラに、村長が声を荒げた。
「喧嘩を止める時は、もっと大声を出すもんじゃ!」
思わぬ言葉だったが、すぐにアスラは向き直り、
「・・・すまぬ」
正直に、頭を下げた。
「よし」
その様に村長は首を縦に振ると、今度はイゾルデとレイバーに眼を向けた。
「お前達もこの男を見習って素直にならぬか!!」
「つぅ・・・、だってお爺ちゃん、レイバーが・・・」
「先に手ぇ出したのはオメェだろ・・・!」
「元はといえば、アンタが、」
「喧嘩は止めろと言っておろうが!!」
「「・・・はい・・・」」
二人は互いを一度だけ睨みつけると、ほぼ同時に立ち上がった。
こうして見ると、まるで姉弟のようだと、アスラは思った。
それから、アスラはイゾルデへ問うた。
「・・・イゾルデ。茶は、どうなった・・・?」
「あ・・・」
イゾルデはパタパタと走って、先ほどまで村長が座っていた長椅子へ向かった。
見るとそこにはポットとカップが置かれていた。
イゾルデは一度ポットの中を確認すると、安堵した表情となり、カップへその中身を注いだ。
帰りは中身を零さぬように慎重な足取りで、アスラのところに戻ってきた。
「はい!」
「忝い」
アスラは取っ手ではなく、カップその物を掴むと、静かに茶を啜った。
それから、不自然な顔になった。
「・・・イゾルデ」
「美味しくなかった・・・?」
不安そうに言うイゾルデに、アスラは頭を振りつつも、その表情は晴れない。
「否。美味いのだが・・・。此は・・・何ぞ・・・?」
「え?お茶だよ。紅茶」
「・・・紅、茶・・・?」
アスラが聞き返すのを見て、村長が納得したように言った。
「そうか、イゾルデは緑茶を知らんか」
「何それ?紅茶とは違うの?」
「東方伝来の茶じゃ。《鬼人》の。お前さんは紅茶を知らんようじゃの」
「然様。初めて馳走になった。不思議な味だ」
そう言って、一気に飲み干すと、繁々と物珍しそうにカップを回した。
そんなアスラを見て、レイバーは首を捻った。
「オッサン・・・、紅茶が珍しいのか・・・?」
「然様。初めて飲んだのでな」
「ここらじゃ珍しくもなんとも無いぜ?」
「ほぅ」
「オッサン、アンタは――」
「おい!レイバーだ!!」
レイバーの声を掻き消したのは、一人の村人の声だった。
「おぉ!本当だ!」
「レイバーが帰ってきたぞー!」
すぐにそれは村中に広がり、あっという間に村人たちが集まってきた。
「レイバー!お前、よく無事だな、えぇ!?」
「心配したんだよ、本当に!」
「他の三人は無事だ!お前が逃がしてやったんだってな!」
「あ、あぁ・・・。まぁ・・・、な・・・」
思わぬ事に、戸惑いながらも、レイバーは微かに笑みを浮かべていた。
村長も、イゾルデもまた、レイバーの様を見て、笑顔になる。
笑顔の輪に囲まれるレイバー。
 その輪の中から、アスラはそっと抜け出した。
(矢張り、ここは良き村だ・・・)
そうだ。
何か安らぎを感じると思っていたが、その正体にようやく気付いた。
ここは、この村は、似ていたのだ。
今は無き、我が故郷に。
(・・・・・・・・・)
故郷を思い出したのは、何十年ぶりか。
村の人々を思い起こしたのは、何十年ぶりか。
家族の顔を思い出せたのは、何十年ぶりか。
心の底が、暖かくなったのは、何十年ぶりか。
(・・・・・・・・・)
 だが、もう不要だ。
思い出も、安らぎも。
総て不要。
己には、剣さえあれば良い。
 そうやって、アスラは村から姿を消そうとしたのだが、
「アスラさん!」
またイゾルデに捕まってしまった。
アスラは溜息を一つ吐いて、振り返った。
「約束通り、あの童は連れて帰った。美味い茶も馳走になった。己がこの村に長居する理由は最早無い」
「まだあるわよ!」
そう言って、イゾルデは村人達の方を振り返った。
「ねー!みんな!?」
そう声をかけると、村人達は一斉に歓声を上げた。
「おうともよ!!」
「宴よ!宴よ!!」
「《鬼》のお客人をお迎えしなきゃなぁ!」
既に、皆の顔に《鬼》への恐怖は無い。
 アスラは困惑した顔で、それでも渋った。
「・・・しかし・・・。己が、此処に居ては・・・」
「良いではないか。《鬼人》の」
村長がとことことこちらに歩きながら言う。
「皆、礼がしたいのじゃよ」
「己は謝礼の為に童を救ったたのではない」
「ハッハッハ!」
村長はアスラの目の前まで来ると、声を小さくして、
「そう言わないでくれ。・・・《鬼神》の・・・?」
瞬間、アスラの顔に焦燥が浮かんだ。
「主は・・・!」
「ハッハッハ!」
村長は再び陽気な調子に戻る。
「一日だけでも、どうじゃ?泊まって行かぬか?」
「それがいい!そうしたらいいよ!」
イゾルデもそれに乗っかる。
ちらりとレイバーに視線を向けると、
「・・・ちっとは、ゆっくりしてけよ、オッサン」
ニヤリと笑って少年は言った。
他の村人も、口々にそれを進める。
アスラは、仕方無しと言った風に溜息を吐くと、
「・・・承知した。厄介になる。只・・・、騒がしいのは、勘弁願いたい・・・」
観念した様子で答えた。

 陽が落ちた。
村長の家に通されたアスラの目の前には、数多くの料理が並べられていた。
「・・・喰い切れぬぞ・・・」
そんなアスラの言葉を無視して、次から次と料理が運ばれてくる。
「平気よー。他の人も食べちゃうからさー♪」
そう言いながらイゾルデも料理を運んできた。
「・・・むぅ・・・」
何だか、身体がむず痒くなってきた気がする。
どうにもこうにも、気持ちが落ち着かない。
椅子に腰掛けた膝ががくがくと笑う。
こういう時こそ、精神統一が必要だ。
自分自身にそう言い聞かせて、瞑想に入ろうとする。
が、
「アスラさん、寝ちゃったの?」
すぐにイゾルデに起こされた。
「布団敷く?」
「い、否・・・。落ち着かぬのだ・・・」
「それで・・・、貧乏ゆすりやってるの?」
「うむ・・・」
アスラは緊張をほぐそうと、震える手で水の入ったコップを手にした。
この時、イゾルデの目に写ったアスラは、あの威厳に満ちた風貌はすっかり消え失せ、まるで見知らぬ所に無理矢理連れてこられた子供の様であった。
「・・・アスラさんって・・・」
「む?」
何とかコップに口をつけるアスラ。
しかし、
「可愛いね」
「ぶっ!?」
思いもよらぬ言葉に吹き出してしまった。
「だ、大丈夫!?」
イゾルデがすぐに布巾を持ってくるも、アスラはむせながら、「大事無い」と答えた。
何だか、臓腑も痛んできた気がする。

 外で一人、煙管を加える村長の背後に立つ者がいた。
レイバーである。
「また、サボりおってからに・・・」
村長は振り返らず、言葉とは裏腹の笑みを浮かべて彼を迎える。
一方、レイバーの顔は、真剣そのものであった。
「ジジイ。聞きたい事がある」
村長は笑みは絶やさず、煙管を口から離すと、
「・・・聞こえたか」
煙管の中の刻みタバコを地面に捨て、レイバーの方を振り返った。
レイバーは頷いた。
「・・・《鬼神》って・・・呼んだよな」
あの時、レイバーは聞いていた。
聞き間違いかとも思ったが、
「応さ」
村長はあっさりと認めた。
「あの男は、特別な《鬼人》、《鬼神》なのじゃよ」
「特別・・・?」
「正確に言うと・・・、《最後の鬼人》か・・・」
村長の顔から、笑みが引いた。
憂いのある顔で、夜空を見上げる。
「・・・哀れな《鬼》よ」
「ジジイ・・・、何処まで知ってるんだよ」
レイバーが詰め寄ると、村長は、
「・・・お前には、話せんな」
ニヤリと笑って言った。
レイバーは一気に、熱くなり、声を荒げた。
「ざけんな!ここまで来たら、全部はけよ!!」
しかし村長は笑みを浮かべたまま、こう返した。
「そうさな。お前が、“自分自身と本当に向き合えるようになれば”、話してやってもいい」
「・・・また、それか・・・ッ!」
レイバーは唾を吐き捨てると、村長に背を向けて何処かへと走っていった。
闇に消え行くその後姿から、村長は自分の煙管に眼を移した。
「あの《鬼神》も・・・、もしかすると、お前と然程変わり無いのかもしれんな」

 宴が始まった。
村人達が次々とアスラの下へやってきては、会釈して酒を注いでいく。
アスラは注がれた酒を片っ端から飲み干した。
酔いは一切無い。《鬼人族》は、酒に強い。
料理もなるだけ食べた。
だが、一つの皿が空になると、すぐに次の皿が運ばれてきた。
見た事も食べた事も無い料理ばかりだったが、どれにも舌鼓を打てる余裕は無かった。
今の己は、己では無い。
憂鬱な溜息を吐いていると、
「美味しくなかった?」
イゾルデがやってきた。
その手には、新たな小皿が。
「・・・苦手なのだ。どうも・・・」
正直に答えると、イゾルデは笑って言った。
「馴れるよ。きっと」
アスラは、呟く。
「・・・馴れたくは・・・無い・・・」
「何か言った?」
「む・・・?・・・否・・・」
アスラは話題を代える事にした。
「主は、何を持ってきてくれたのだ?」
「ん?私の大好物だよ!」
満面の笑みで、イゾルデは答えた。
その瞬間、何ともいえない衝撃が、アスラの身体を走った。
虫の知らせ、という奴だろうか。
ひどく、嫌な予感がする。
「めしあがれー!」
そう言って、イゾルデがアスラの目前に置いた小皿の中身は――
「・・・何・・・と・・・」
そこにあったのは、ドレッシングがかけられた小さな芋虫、あるいは蚯蚓のような物達だった。
是をアスラは知っている。
電撃を放つ盲目にして身体から色を無くした竜、《フルフル》の幼体である。
「美味しそうでしょ?」
そういうイゾルデの眼に、陰りは無い。
心の底から、思っているのだろう。
故に、恐ろしい。
「う・・・うむ・・・」
「さ!食べてみて!」
そう言ってフォークを薦める。
突き刺せ、というのか。
「・・・今か?」
思わずそう問うと、イゾルデは少しガッカリした顔になった。
「・・・後でも・・・いいけど・・・」
何と言う一日だ。
「・・・今、貰おう」
すぐさまイゾルデの顔が明るくなった。
「絶対に美味しいから♪」
「・・・うむ・・・」
「どうぞー♪」
「はぐ」

 数分後、アスラは外にいた。
腹の物を、地面にぶちまける。
――駄目だ。彼(あれ)だけは駄目だ。
今まで味わった事の無い味だ。
最初は、そう、蒟蒻のような歯応えだと思った。
すると、すぐに独特の、口では言い表せない、甘酸っぱさ、のような物が込み上げてきた。
それが、ドレッシングの味と絡んだ瞬間の、あの衝撃。
彼は食べ物などではない。
あって堪るか。
「・・・未熟・・・!」
それが、断りきれなかった自分へ戒めか、はたまた、イゾルデの好物を吐き出してしまった後悔かは、アスラにも分からない。
しかし、これからどうするべきか。
イゾルデには一応、すぐに戻るとは言っていたのだが。
このまま村を出る、というのも、あまりにも情けなさ過ぎる。
 あれこれ考えていると、不意に、天から声が降ってきた。
「オッサン?」
見上げると、屋根の上にレイバーが居た。
変な所を見られてしまった。
何たる失態。
益々持って、未熟。
レイバーは、アスラの様子を見て、理解したのか、
「・・・上がってこいよ、オッサン」
そう言って指差した先には梯子があった。
 梯子を上り、レイバーの隣に胡坐をかく。
見ると、レイバーは酒瓶を手にしていた。
「・・・童が飲む物ではないぞ」
「いいじゃねーかよ」
そう言って、レイバーは一気に酒を煽って、
「ぶはっ!?」
すぐに吹き出した。
アスラは肩を落として、
「・・・慣れぬ真似はせぬ方が良い。・・・お互いに喃」
そう言って、酒瓶をレイバーから取り上げた。
レイバーは少し不平な顔をしたが、文句はつけなかった。
「・・・アレを、食わされたか・・・?」
レイバーがポツリと言った。
アスラは、しばし躊躇った末、
「・・・うむ・・・」
小さく頷いた。
レイバーは大きく溜息を吐くと、
「アイツは、心底、あれが好きなのさ・・・。《フルベビ》が・・・」
「そう、なのか・・・」
「オレは毎回、《フルベビ》を使った料理の実験台にされてる・・・。パスタだの、炒め物だの、スープだの・・・」
再び込み上げてきた吐き気を、ぐっと堪える。
「・・・もしや、イゾルデが村から出ていたのは・・・」
「あぁ。毎回、自分でとってくるのさ・・・。簡単な《調合セット》持ってって、外で《ボロピッケル》作って、掘り起こして来るんだよ」
「・・・何と・・・」
真坂、そんな趣向を持っていようとは、思いもしなかった。
最も、それでイゾルデを嫌うような事は無い。
「・・・喃、童」
「レイバー」
イラついた調子でレイバーが返すも、アスラはそれを聞かずに、
「・・・イゾルデは、良い娘だな」
「・・・は?」
レイバーがアスラの顔をまじまじと見つめた。
「・・・マジで言ってんの?」
「“まじ”・・・とは・・・?」
「本気で、ってこったよ」
「うむ。然様だ」
そう答えると、レイバーは舌打ちをして、
「・・・何処がだよ」
と、そっぽを向いた。
アスラは小さく笑い、
「彼奴は、賢い」
「ずるがしこい、腹黒、っつーんだぜ」
「そして、優しい」
「結構、オレ殴られてんぞ」
「己の妻と娘が・・・そうだった・・・」
「そうかよ・・・。・・・って!?」
レイバーが、ちらっとアスラの顔を覗くと、アスラは微かな笑みを浮かべたままだった。
それでも、何処か哀しげだった。
「・・・そうだ・・・。己には・・・、妻と・・・娘がいた・・・」
忘れていた記憶を取り戻したかのように、アスラは言った。
「彼奴は・・・イゾルデは、それを、思い出させた・・・」
それから、アスラの顔色が、変わりだした。
「・・・いかん」
笑みが、消えた。
「何が・・・?」
「このままでは、いかん」
顔が徐々に強張っていく。
「己は・・・己は・・・」
「おい、オッサン・・・?」
 ハッと意識を取り戻したように、アスラは眼を見開いた。
それから、辺りを見回す。
そこにいるのがレイバーしか居ないと確認すると、ふっと力を抜いた。
「・・・大丈夫かよ」
レイバーがそう声をかけると、アスラは仏頂面のまま、
「大事無い。・・・少々、疲れて、気が立っていただけだ」
「・・・あ」
レイバーがふと、思い出したような調子で声を上げた。
「そういやさ、オッサン」
「む?」
「戦ってる時にさ、《気》がどーたらって言ってたよな?」
「うむ」
「《気》って何だよ」
そう言われて、アスラは眉間に皺を寄せた。
「・・・何だ、と問われると・・・」
「なんか、不思議なモンなのか?超能力みたいな」
「否・・・」
アスラは眉間に皺を寄せたまま、
「そう、さな・・・。“生命の息吹”とでも言おうか・・・」
「・・・益々、わからねーぞ」
頭を捻るレイバーに、アスラも嶮しい顔つきのままに応える。
「説明すると難しい。・・・謂わば、感覚なのだ」
「感覚?」
「然様。《気》は特別な物では無く、生き物には皆、宿っておる物だ。木にも、虫にも、《飛竜》にも、無論、《人間》にも《鬼人》にも」
「・・・何となく分かる」
《イーオス》の気配を察知したあの感覚が、アスラの言う《気》なのだろう。
「《気》は命より生まれる。《気》があるから、皆、生きていけるのだ」
「それを、戦いに使う、ってのは?」
「普通に生きて往くのみならば、使われる《気》は、ほんの三割程」
「その残りを・・・使うのか・・・?」
「然様。五割引き出すだけでも、大きく変わる」
レイバーは、唸り声を上げた。
「うーん・・・。ムズそうだな、それ」
「そうでも無い。気づく事ができれば存外、楽な物よ」
「・・・そういう物か・・・?」
「事実、人間でも使った事がある者を何人か知っておる」
すると、レイバーの顔がぱっと明るくなった。
「じゃ、オレも使えるか!?」
「精神の鍛錬を行えば、必ず」
「そうなったら、アンタみたいに、こう、スッパスッパと戦えるか!?」
「其は難しいだろう。己は《鬼人》。《人間》とは違う」
はっきりと答えると、レイバーはがっくりと肩を落とした。
それを不憫に思ったアスラは、言葉を続けた。
「只、今よりも遥かに戦いは楽になれるだろう」
「・・・強く・・・なれる・・・?」
「然様」
「・・・そっか・・・!」
その時、レイバーが見せた笑顔は、ようやく年頃の少年らしい物であった。
 それと同時に、イゾルデの声が聞こえてきた。
「アスラさーん!?何処ー!?」
イゾルデの呼ぶ声に、アスラはすぐに立ち上がった。
「往かねば」
「ここにいればバレねぇって」
「彼奴が哀しむ事は、したくない」
「そうかよ・・・」
呆れたようにレイバーは頭を振った。
そんなレイバーに、
「レイバー」
「あん?」
アスラは没収していた酒を差し出した。
レイバーはそれを受け取りながらも、戸惑った顔で、
「・・・子供は飲んじゃいけないんじゃねーのかよ」
アスラは、それに頭を振って答えた。
「何事も鍛錬だと思い出してな。それに、決めるのは自分自身だとも。それでも、飲み過ぎはいかんぞ。イゾルデが心配する」
そう言い残すと、アスラはレイバーに背を向け、
「ではな。世話になった」
屋根から飛び降りた。
すぐに下から重たい着地の音とイゾルデの悲鳴が聞こえた。
「ど、何処にいたの!?」
「屋根に。・・・そう、一人で、空を見ていた」
「・・・なんでわざわざ、一人で、ってつけるの?」
「・・・・・・・・・そうだ、イゾルデ。アレを、《盲竜の幼子》を、また、くれんか?」
「え!?いいよ!いいよー!気に入った!?」
「・・・まぁ、な・・・」
二人の声が家の中に消えていく。
それを聞きながら、レイバーは屋根の上で寝転がった。
傍らには酒瓶。
だが、その方を見ようともしなかった。
只、夜空を見つめていた。
今宵は、美しい月夜だった。

月下兇変

 美しき月光の下、《獣》が駆ける。
星々の輝きは暗き森を照らすには程遠い物であったが、《獣》にそんな事は関係なかった。
行く手を阻む物は、粉砕した。
それが木だろうが、それが岩だろうが、それが、生き物だろうが。
構わず《獣》は粉砕し、地を駆けた。
 天に輝く月と同じく、その姿もまた、白く輝いている。
それはひどく美しく、どこかこの世の物では無いような感覚さえ抱かせる。
森を駆ける純白。
だが、一点だけ、紅が混じっている。
眼だ。
その瞳は、紅く輝いていた。
爛々と、紅く輝いていた。
それはまるで、血の様に。
紅い瞳を持った、白き《獣》。
白き《獣》は駆ける。
迷う事無く、駆ける。
その先に居る、最愛の者に向かって。
愛しい愛しい、《鬼》を目指して。

 夜も更けて。
ようやく宴は終わり、村人達は村長の家から、アスラへ口々に礼を言っては去って行った。
 大きく、深く溜息を吐くアスラに、村長が高笑いをあげながら話しかける。
「《鬼人》の。随分、疲れたという顔じゃな?」
アスラは苦々しげに顔を顰めて、
「・・・《竜人の翁》よ。主も人が悪い」
「ハッハ!良いではないか、これぐらい!」
そこにイゾルデがパタパタと走ってきた。
「ベッドの準備が出来たよ!お風呂も沸いてるし」
「んじゃ、入ってくる」
何処から現れたのか、レイバーがそう言ってイゾルデの背後を通り過ぎようとして、彼女に捕まった。
「アスラさんが最初に決まってるでしょ!?」
「いいじゃねーか!オレだって早く入りたいんだよ!」
「己は構わぬ。先に入ってくるといい」
アスラの援護に、レイバーはニヤリと笑ってイゾルデを見る。
イゾルデは、「ふん!」とレイバーを放した。
「お風呂から上がったら、さっさと寝るのよ!?夜も遅いんだし!」
「ガキ扱いすんじゃねーよ!」
レイバーは中指を立てると、部屋から走り去っていった。
イゾルデはキーッと歯軋りをして、
「本当にガキじゃないの!」
そう喚いた。
 すると、
「そう言う物ではないぞ」
アスラからの思わぬ言葉に、イゾルデが彼の方を向く。
「だって、アイツ、まだ11よ?」
「否」
静かに、ゆっくりとアスラは言う。
「・・・イゾルデ。己が見るに、主は彼奴の姉の様だ。其れは良き事。だがな、レイバーもまた、男なのだ」
「・・・男だから・・・?」
「少しは、信じてやるといい。叱咤も大事だが、信頼もまた、彼奴の血肉になるだろう」
「・・・そういう、物・・・?」
「無理に解る道理は無し。主は賢い。近い内に己で気付く事が出来よう」
「・・・・・・・・・」
アスラの物言いに、イゾルデの顔に陰が生まれた。
アスラは長くこの村に居られない。それを改めて悟ったのだろう。
「――」
イゾルデが何かを口にしようとしたのを憚ったのは、村長だった。
「イゾルデや。お前も疲れただろう?部屋で休んでるといい」
「お爺ちゃん・・・」
イゾルデが何か言いたげな視線を村長に送るも、村長はそれを長年生きてきた者独特の強い眼差しで受け止めた。
「レイバーが風呂から上がれば、呼びに行こう」
それでも、イゾルデは暫くその場で、村長とアスラを交互に見つめていたが、やがて、「分かった・・・」と哀しげに言うと、とぼとぼと部屋から去っていった。
 確かにイゾルデが自室に向かっていくのを《気》で感じ取ると、アスラは口を開いた。
「・・・《竜人の翁》よ」
「言いたき事は承知している《鬼神》の」
村長はにこやかな笑みで答えた。
それに引き換え、アスラは真剣な表情となっていた。
「知っておったのだな・・・」
村長は頷いた。
「何故?」
アスラは問う。
「己が何者かを知って、何故、己を村に引き止めた・・・?」
村長は笑みはそのままに、片手に持った煙管に眼を落とした。
「決まっておろう」
村長は答える。
「可愛い孫娘の為じゃ」
「・・・・・・・・・」
「・・・ふむ」
アスラの表情が変わらないのを見て、村長は語りだした。
「・・・お前さんも、もう、分かっているじゃろうが・・・。あの娘の両親は、この世の者では無くなった」
何処までも、村長は穏やかな笑みを浮かべたままだった。
「母親は三年前に病で死に、父親に至っては、まだ赤ん坊の時に、《火竜》に襲われてな・・・」
「・・・然様か」
詰まる所、イゾルデは、村のどの男達よりも、強く、堂々とした《鬼》に、見た事の無かった父親の姿を重ねたという事か。
だから、離れたく無かったのだろう。
異形に父を重ねるとは、そこまで父性を求めていたのか。
「・・・レイバーも、か・・・?」
アスラがそう問うと、村長は頭を振った。
笑みが消え、その眼に哀愁の色が浮かんだ。
「・・・アイツは、捨て子じゃ」
アスラは、それでも表情を変えなかった。
「赤ん坊の時に、儂が森で拾った。何故捨てられたのか、本当の親は何処のどいつなのか、全く分からん」
「彼奴は、それを知っておるのだな」
「うっかり、聞かれてしまった・・・」
周囲の哀憫な眼差しを振り切ろうとしてか、それとも、不確かな自分をこの世界に証明しようと、少年は力を求めているのか。
『アイツも淋しいんだよ。自分は独りだ、って、思い込んでるんだよ』
森で聞いた、イゾルデの言葉を思い出す。
あれは、レイバーの事を言っていたのだろう。
只、本人は気付いていないのだろうが、あの話には、自分自身の事も入っていたのではないだろうか。
彼女もまた、力を求めている。
故にこそ、レイバーを必要以上に子供扱いする。
自分より弱い者を、護ろうと。
大人びて見えても、彼女もまだ少女なのだ。
「《鬼神》の」
村長の口元に、再び笑みが浮かぶ。
静かで、深い、穏やかな笑みだ。
「儂は・・・、お前さんに、心底、感謝しておる」
「・・・己は、何もしておらぬ。出来ておらぬ」
村長は否定した。
「お前さんと出会えた事、其れその物こそが、あの二人の人生に大きな励みとなるのじゃ」
深い感謝を受けるのも、久しぶりだった。
そしてまた、
「・・・己も同じ、かもしれぬ」
自分が他所に、深い感謝の念を感じるのも。
「あの二人と出会えた事で、己は・・・、深い感銘を受けた様に思える・・・」
だが、
「だが・・・、それは・・・、己には・・・ッ」
何時の間にか、《鬼》は拳を握っていた。
「復讐に生きる己には・・・あまりにも・・・ッ!」
村長が、問う。
「・・・復讐以外の生き方は、出来ないのか・・・?」
「出来ぬッ」
《鬼》は言い切った。
「復讐に生き、復讐に走り、復讐に身を堕としッ!既に道という道は無く、新たな道も又不要ッ!そうでなくては!」
握った拳に、涙が、落ちた。
「・・・生きられぬ・・・」
肩を震わせ、顔を俯き、双眸から、涙を止め処なく流す《鬼》。
其れは、あまりにも、哀しく、あまりにも、弱々しく見えた。
 次の瞬間、ひどく見知った《気》を《鬼》は感じた。
勢いよくあげた顔には、既に涙は無かった。
椅子から立ち上がり、その《気》が迫ってくる、一点を睨みつけている。
「ど、どうした・・・!?」
村長の戸惑いの声も聞こえない。
来る。
「・・・・・・・・・」
あれが。
「・・・・・・ゥゥゥ」
彼奴が。
「ゥゥゥゥゥゥゥゥゥ」
憎き。
「ゥゥゥゥウウウウウ」
怨敵が。
「ウウウウウウウゥゥゥォォォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」
「―――これは―――」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 その時、風呂から上がったレイバーは、村長とアスラの所へ向かかって、廊下を歩いていた。
ふと、何かを感じて、足を止めた。
足を止めた瞬間、一気に全身を悪寒が包んだ。
「なっ・・・!?だ、誰だァッ!!!?」
周りを見回すも、何も居ない。廊下に居るのは自分一人。
だが、悪寒は益々強くなっている。
 そこでようやく理解した。
これは、《気》だ。
あまりにも、莫大な《気》が、迫っている。
此処に。
この《クレザ村》に。
この家に。
咄嗟にレイバーは二人の下へ走り出していた。
 そこに、現れた。
天井を突き破り、少年の目の前に、現れた。
“それ”が。
見上げるばかりの巨体は、あの朱い《ショウグンギザミ》よりも小さかったが、少年の眼にはあれの何倍にも何十倍にも巨大に見えていた。
岩そのものにも見えたその巨躯を、白い肌と白い体毛が覆い、頭からは二本の禍々しく捻られ、無数に別れた角が生えている。
眼は、まるで血のように紅い。否、血、その物だといってもいい。
何故なら、白目が存在しなかったからだ。
本来白目であろう部分も、紅く塗り潰されていた。
血によって。
姿形こそ、この《沼地》でもよく眼にする《ババコンガ》の様な、所謂、猿と良く似た物であったが、似ているだけであった。
総てが違う。
言うなれば、生物としての格が違う。
否、これは、もう生物ではないのかもしれない。
言うなれば、《神》。
 その《神》と、少年の目が合った。
紅に濡れた瞳。そこにレイバーは、光を見た。
知性の光を。
同時に、闇を見た。
感情の闇を。
 《神》の口元が、裂けた。
それが、笑っているのだと、少年はその時、気付けなかった。
口の両端が吊り上り、顔が裂けたかの様な、笑顔。
口内に並んだ涎に濡れた鋭い牙が見える。
 《神》が笑顔のまま、片腕を高々と掲げた。
こちらを見つめ、笑みを浮かべたまま、ゆっくりと拳を握っていく。
殺されるのか。
そう思ったが、レイバーは何も出来なかった。
逃げる事も、泣き喚く事も。立ち向かう事でさえ、出来なかった。
自分はここで殺される。
それが、運命なのだ。
そう思った。
《神》が拳骨を握り終えた。
相変わらずの笑みは、この少年が血袋と肉片と化して周囲に飛び散る様子を想像しての事だろうか。
大袈裟に振り被る。
それでも、少年は動けない。
拳骨が、振り下ろされた。
レイバーの意識は、そこで途切れた。




終章

 目が覚めた。
目が覚めた筈なのに、目の前は真っ暗だった。
それに、埃臭い。
ここは、何処だ。
身体を起こそうとして、節々が痛んだ。
それに、やけに、天井が低い。
 眼を凝らして、辺りをよく伺う。
煉瓦の破片らしきものが多数見えた。
低いと思った天井も、よくよく見れば、それ程離れていない場所にあった崩れた二箇所の煉瓦で端と端を支えられている様だった。
天井が、落ちてきたのだろうか。
何故、そんな事に、と思った脳裏を、罅割れた笑みが掠めていく。
 そこで、レイバー・トリスタンの意識は一気に回復した。
「ッ!」
思い出した。
自分は、天井を突き抜けてきた、白い《神》と出会い、そいつに、拳骨を振り下ろされて、それから――
「・・・生きて・・・いる・・・?」
誰かに助けられたのか。
それとも、あの《神》が気紛れを起こしたのか。
少なくても、自分は生きている。それも、どうやら五体満足で。この全身を巡る痛みが、その証拠だ。
とりあえず、ここを出よう。
腕に力を込めて、立ち上がって天井を押し返そうとしたが、さっぱり動かない。
灯りらしきものも、さっぱり見えない。
仕方無しに、レイバーは助けを呼んだ。
「誰か・・・、誰かいねぇのかぁー!?」
 反応は、あった。
こちらに早足で誰かが近づいてくる。
声が聞こえた。
「誰かいる!?」
この声は、良く、知っている。
「イゾルデか!?オレだ!!」
「レイバー?レイバーなの!?無事!?」
イゾルデの声は、何処か鼻声だった。
「あっちこっちいてぇーけど、大丈夫ぽい」
「待ってて!!すぐ戻るから!!!」
彼女の足音が遠退いていく。
 レイバーはほっと胸を撫で下ろしていた。
最悪、生き残ったのは自分一人ではないかと思っていたのだが、どうやらそうでは無いらしい。
自分の他にも、まだまだ生き埋めになっている者達もいるのかもしれない。
早くここを出なければ。
 足音が戻ってきた。イゾルデが誰かを連れてきたらしい。
「今、あげるから!」
イゾルデの声と共に、レイバーを覆っていた天井が動いた。
重たい音を立てて動いていく天井。
レイバーの眼に、微かな陽の光が差し込んだ。
ようやく、自分が動けるまでになると、
「レイバーッ!」
イゾルデの姿が見えた。
昨日と同じ服装だったが、あちこちが啜れて、汚れていた。
顔や手足にも小さな傷がついていたが、大きな怪我は無いようだった。
「イゾルデ・・・」
立ち上がり、彼女の方へ向かうと、そこでもう一人に気付いた。
アスラだった。
「オッサン・・・」
アスラもまた、服があちこち破れていたが、怪我らしい怪我はしていなかった。
だが、その顔は、まるで死者のように暗く、土色だった。
周りには朝靄が立ち込めていた。
 そして、そこで初めて、レイバーは変わり果てた《クレザ村》を眼にした。
家屋という家屋は総て倒壊しており、あちこちに巨大な、何かが爆発したかのような大穴が穿たれ、田畑は全て焼き尽くされていた。
あの、翠の美しかった辺境の村は、最早何処にも存在しなかった。
「・・・何なんだ・・・こいつは・・・!?」
再び、白き《神》の姿がフラッシュバックする。
アイツが、やったのか。
アイツが!!
「ッ・・・、ヤロォッ!!」
その姿を探す。
だが、何処にも見当たらない。
死体すら。
変わりに眼に入ったのは、木で作られた十字架の群だった。
それは、それはまるで、正しく、正しく、それは――
「・・・ッ!」
堪えられず、イゾルデを振り返る。
「皆は何処だッ!!?」
イゾルデは静かに首を横に振り、十字架の方を指差した。
「んなことがあるかッ!!?おい、ジジイ!!出てきやがれッ!!」
「・・・もう、いないよ・・・・」
イゾルデの眼から毀れる涙を、レイバーは否定した。
「なわけがねぇだろ!?あのクソジジイが死ぬわけねぇ!!」
「・・・ほんとう、だよ・・・ッ・・・、だって・・・さっき、埋めたんだから・・・」
「~~~~~~~~~~~~~~ッ!!!」
今度はアスラの方を振り返る。
「おい、オッサンッ!!あの《白い猿》は何処行った!!?」
アスラが微かに反応した。
「奴を・・・見たのか・・・?」
レイバーは確信した。
「やっぱり・・・、あの野郎かァッ!!!」
再び辺りを見回し、レイバーは大声で叫んだ。
「エテ公ッ!!!出てやがれェッ!!!オレと、オレと戦えェッ!!!」
少年の背中に、アスラは静かに言葉をかけた。
「もう、おらぬ・・・。逃げられた・・・」
「んな・・・ッ・・・」
レイバーは怒鳴ろうとした。
だが、出来なかった。
怒鳴るより先に、涙があふれ出した。
「・・・な、わけが・・・ッ・・・あるか・・・ッ・・・」
全身から力が抜け、その場に膝を着いた。
「おい・・・、おい、ジジイ・・・!!おい、皆ァッ!!返事しろよ・・・ッ・・・しろ、っつってんだろ・・・ッ・・・」
「・・・レイバァ・・・」
同じく涙に濡れたイゾルデが、レイバーの肩を抱きしめた。
レイバーは、それを拒まなかった。
「何でだよ・・・ッ・・・。何で、皆が死ななきゃいけないんだ・・・ッ・・・」
「レイ・・・ッ・・・バー・・・」
「オレは・・・オレは、どうすりゃいいんだよ・・・・・・!」
(己はどうすれば良いのだァァァァァ!!!)
「・・・・・・・・・」
アスラが、顔を上げた。
それから、静かに二人に歩み寄ると、
「・・・己が、面倒をみよう」
「・・・え・・・?」
同時に、二人はアスラを見た。
アスラは沈痛な表情で言った。
「総て、己の咎だ・・・。故に、己は主らを護る。そして・・・」
アスラは、レイバーを見つめた。
黒い瞳と、青い瞳が宙で交わる。
「レイバー。主に力を与えよう」
「・・・力を・・・?」
「己の持つ技を、主に総て授ける。主の復讐を果たせるだけの力を、主にやる」
「オレの・・・、復讐・・・」
レイバーの涙が、止まった。
だが、隣のイゾルデが、涙を拭いながら言う。
「アスラさん、それは、」
「無論、主にも。この先を生きて行けるだけの知恵と力を与えよう」
「・・・アスラ・・・さん・・・」
俯くイゾルデ。
そんな彼女を、レイバーは力強く、それでも優しく払い除けると、すっと立ち上がった。
涙は、既に無い。
「・・・本当、だな・・・?」
「無論。偽りなど吐かぬ」
この《鬼》の力は、本物だ。
ならば、迷う必要などあろう筈が無い。
「・・・頼む。オレに、力をくれ・・・!」
「総てをやる。己の総てを・・・」
靄が晴れ始めた。
イゾルデは、二人を見つめていた。
黙って。
ただ、黙って。

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最終更新:2013年05月08日 23:26
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