温暖な気候に恵まれ、長年に渡って育まれてきた広大な森と幾重にも重なる山々に囲まれた丘陵にその村は在った。
どちらかと言えば小さい村になるのだろう、人が住んでいるであろう家もまばらで活気がある様には見えない。
村の入口には小さく『フライダムの村へようこそ』などと書かれているが、あまり手入れをしていないのか文字が霞んでしまっている。
それでも村の中心となる場所には大きな建物があり、その煙突からは黒い煙が昇っていた。 建物の入口にはこれまた小さく《ギルド》と書かれた旗があり、中は酒場の様になっていた。
『じゃーん!どう?似合うかしら?』
その酒場の中でも端の方の席に座る男女に自分の着ている物を見せる様に女が手を広げ微笑む。
『似合っていると思いますよ』
『うん…いいんじゃないかな』
それぞれ感想を言うと男が椅子を引いた、彼女に座れと言っているのだろう。
彼女が着ているのは《クックメイル》と言われる胴鎧で《イャンクック》の鱗や甲殻を繋ぎ合わせて造られる、所々にある翼膜の青が鱗のピンク色をより引き立てていた。
『本当に?ありがとう!』
彼女は満足そうに微笑むとカウンターにいる女性に向かって手を挙げた。
カウンターの女性は頷くと厨房から水の入ったグラスを受け取り運んできた。
『あら!リシェス、新しい装備を造ったの?クック装備ね…すごく良く似合ってるわよ』
グラスをテーブルに置くと製作されたばかりで、まだ傷も付いていない《クックメイル》が目に入ったのか珍しげに見つめる。
『ありがとう、この間イャンクックを倒したから造ってもらったの。まだ胴鎧しかないけど頑張って全部揃えたいわ』
完成した《クック装備》を想像してリシェスは瞳を輝かせる。
『そうね、またイャンクックの依頼がきたら教えてあげるわね。注文は?ステーキかしら?』
リシェスが夢を膨らましているのを見て満足そうに微笑むと伝票とペンを取り出しメニューを差し出した。
3人は《アプトノスのステーキ》を注文した。
《アプトノスのステーキ》とは草食竜アプトノスから取れた肉を外はこんがり、中はジューシーに焼き上げる、そのままでも十分に美味だがガーリックやスパイスで味付けをし、さらに旨味を引き出したものでこの酒場の人気のメニューだ。
『あら?そういえばこちらの《ボウヤ》とは初めてよね?』
女性は興味津々といった表情で男の顔を覗き込む。
『ぼ、ボウヤ…?』
3人は声を合わせ、女性に聞き返す。
『私より年下でしょ?だったら《ボウヤ》よ、それとも凄く童顔なだけ?』
女性は唇に指を添え、説明する様に話す、その様子はまるで姉が弟に偉そぶっているような感じだ。
『はじめまして、ルインって言います。……多分、貴女より年下ですよ』
ルインは苦笑いを浮かべながら立ち上がり右手を差し出す。
『はじめまして、クリスよ。これからよろしくお願いするわね、ルインくん』
クリスは笑顔で手を握り返した。
『装備は?この村でギルドの登録は終わっているのかしら?まだだったら食事の後でいいから私の所まで来てくれる?』
通常ハンター達が狩りを行う時は、それぞれの猟場を管理する《ギルド》に登録しなければならない。
それはハンター達のクエストの二重契約を防止する為でもあるし、その登録内容によって斡旋するクエストを選んだりするからだ。
『分かりました、後で伺います』
ルインもクリスに笑顔を返し、再び椅子に腰掛ける。
クリスは笑顔のまま鼻歌を口ずさみながらカウンターに戻って行った。
カウンターの奥に消えていくクリスを見ていると、隣に座っていた女性に肘で突かれる。
『ルイン、鼻の下が伸びてますよ』
言うと目を閉じ静かにグラスに口をつける。
澄ました顔をしているが、幼く見える顔立ちのせいでどこか背伸びをしている子供の様に見える。
『エレノア…からかわないでよ』
ルインは苦笑いをしてグラスの水を口に含み、一気に飲み干す。
『そうですか?クリスに見とれていた様に見えましたけど?』
片目だけ開け、悪戯っぽく笑う。
『……ルーはああいう人が好きなのね』
『え!?』
一人納得して頷いているリシェスに2人は驚いた。
『ふふ、楽しそうね。何のお話?』
声のした方を見ると3人分のステーキを持ったクリスが笑っていた。
『お待ちどうさま。じゃあルインくん、また後でね。』
笑顔で手をひらひらさせ、カウンターに戻って行く。
『さぁ、冷めない内に食べましょう。』
エレノアの言葉で3人は同時にステーキにナイフを入れる。
食べ終わり今後の狩りの予定を話し合っていると、酒場の外で誰かが叫んでいる。
酔っ払いが揉めているのかも知れない。
クリスが困った顔をして首を振ると、ため息をつき外に向かう。
『何かあったのでしょうか?』
クリスが酒場の外に出てから暫く経ったが、ざわめきが収まる気配はなかった。
いつもならクリスが仲裁に入り、ハンター同士の揉め事ならその人柄であっという間に収めてしまう。
『外に出てみよう…』
ルインが一瞬怪訝な表情をしたかと思うと立ち上がり、早足に外に向かう。
残された2人は顔を合わせ、不思議そうに首を傾げながらもルインの後を追った。
後ろでエレノアが『面倒事はごめんだ』と言うようにため息をついた。
外に出ると眩しい陽の光に目を細める。
村で1番大きな家…つまりは村長の家だが、その周りに人が集まっていた。
酒場を出る前から感じていたのは《異臭》だった、何か生臭い、例えるならゴムを完全燃焼させない様にゆっくりと焼いた時に発生する様な臭いだ。
『何かあったんですか?』
ルインはクリスを見つけると近寄り声をかけた。
『あ…ルインくん……ちょっと困った事になったのよ…』
腕を組み、さっきの笑顔からは考えられない様な深刻そうな顔をしてクリスが答える。
『困った事……ですか?』
『これを見て頂戴……』
『ッ!?』
言うのとクリスは半歩体をずらした。
後から追い付いてきたリシェス達が驚きの声をあげる。
目の前に膨らみにかけられた毛布から《黒い何か》が出ていた。
例え鍋の料理を焦がしても、こんな臭いの物体を作り出す事はできないだろう。
《それ》から目を逸らす者…
臭いで吐き気を催し立ち去る者…
涙を流し泣き崩れる者をみて、《黒い何か》が人だと理解した。
『リオレウス……火竜か…』
ルインが重たい息を吐きながら呟く。
《火竜リオレウス》、中型の
飛竜種で他の飛竜とは違い、外見で雌雄を判別できる。
その中でリオレウスは雄火竜と呼ばれ、口から高温の火球を吐き出すのが火竜と呼ばれる所以だ。
生前はハンターだったのだろう、毛布からはみ出している《自慢の装備》だったであろう物は焼け爛れ、変形し、もはや原形さえ留めていなかった。
それほどまでに《リオレウスの火》は強力だった。
『えぇ…最近《森と丘》で見かけたという報告はあったんだけど、確証もなかったからハンターへの依頼は出していなかったのよ…』
クリスは肩を落とし、呟く様に話した。
『あの人は…?』
『彼はね…ちょうどクエストの帰りにリオレウスに襲われたそうよ…』
クリスはさらに肩を落とした、それが重い空気となって辺りを包み込む。
『このままでは村の者達も心配でゆっくりと過ごせんじゃろうて……何とかせねばのう…』
周囲の人達の視線が声のした方に集まる。
『マスター!』
大きな家の、大きな扉を開け老人が頼りなさげな杖をつきながら玄関の小さな階段を降りてくる。
クリスが《マスター》と呼んだ老人……つまりは村の村長でこの村のギルドを統括する人物だ。
『クリスや…リオレウスは森と丘におるのじゃな?』
老人がしきりに口を動かしながらクリスに向かって話し掛ける。
『はい、マスター。報告では森と丘を拠点に行動しているようです、幸い番ではないようですが……』
どこから取り出したのか、クリスが手紙の様な物を取り出し読み上げる。
『ふむ……よし!誰か我こそはと言う者はおらぬか?契約金は500ゼニー、報奨金は3000ゼニー出そう。準備が整った者はここにおるクリスに言うがよい』
しかし集まった者達はざわつくばかりで誰も名乗りを上げようとしない。
無理もない、たださえ飛竜との戦闘経験の無い者ばかりの上に相手がリオレウスとなれば仕方が無い。
『ふむ……リオレウスは強敵じゃからの…良く考えるがよい。決して無謀な挑戦はせんようにの…』
静まり返った群集を見渡すとクリスに視線を送った。
『そろそろこの者も弔ってやらねば……いつまでも晒しておく訳にもいくまいて…』
『はい、マスター』
クリスが村長に一礼し、遺体に毛布をかけ直し酒場の方に向かって行く。
程なくして黒服の男達が現れ、遺体を墓地の方へと運んで行くのを誰も口を開かず静かに見送っていた。
やがて一人、また一人と離れ自分達の生活へと帰っていき、村長の家の前にはルイン達だけが残こされた。
『ねぇ、ルー…酒場に帰ろう?』
遺体が運ばれた方を見つめているルインが心配になったのか、リシェスが声をかける。
『ごめん…ちょっと考えこんじゃって…』
苦笑いを浮かべルインは酒場方にに歩みを向けた。
『そこのお主、見かけぬ顔じゃな、見た所ハンターの様じゃがギルドの登録は終わっておるのか?』
村長が杖の先をルインに向けつつく様な素振りをする。
『いえ、マスター。彼はこの村に来たばかりの様でしたので後でお連れする予定でした』
いつの間に戻って来たのか振り返るとクリスがいつもの笑顔で立っていた。
『ふむ…なら今ここで登録しておくがよい、お主もハンターなら登録しなければ何もできぬと言う事は分かっておるじゃろ?』
問い掛ける村長にルインは頷き、クリスの差し出した用紙に書き込んでいく。
内容はクラス、つまりは何の武器を持って狩りに出掛けるのか?と言う事で、ルインなら《
片手剣使い》となる。
その他には今までどんな獲物を狩ってきたのか等を書き込んだ。
中には見栄を張り倒してもいない飛竜を書き込む者もいるらしいが、それは結局自分の首を絞める事になる。
なぜならギルドはその情報を元にクエストを斡旋する、そこで実力が及ばない相手と戦わねばならなくなるからだ。
それに詐称がばれた時にギルドに制裁を加えられるとの噂もあった。
ギルドに登録しないと何もできない、これには理由がある。
まずは狩場での乱獲を防ぐ目的だ。
力あるハンターが無秩序に狩りを行えば当然、生態系へ悪影響を及ぼす。
ゆえにギルドが管理するのだ、それ以外にも《トラップツール》等のアイテムも危険があるため登録しているハンターにしか売ってもらえないのだ。
つまりハンターとして生きていくならギルドへの登録が不可欠になっている。
『ほぅ…お主は片手剣使いか。その気があるならリオレウスにも挑戦してみるがよい』
用紙に一通り目を通すとクリスに渡し、村長は笑って見せた。
『じゃあルインくん、これを渡しておくわ』
言うとクリスはルインの手にカードの様な物を握らせた。
『これは?』
カードを見ると自分の名前や使う武器などが簡単に書かれていた。
『これは《ギルドカード》と言って君がハンターである事を証明する物よ。買い物や街で部屋を取る時に必要だから失くしちゃダメよ?』
クリスが悪戯っぽく笑った。 失くせばどうなるかは説明を受けなくても分かる、ハンターを続けていけなくなるのだ。
それならまだいいが、誰かの手に渡り悪用されれば《ギルド》に粛正されるかも知れない。
『そこにある数字は君のハンターランクよ、色んなクエストをこなせば上がっていくわ。そしてランクが高くなればカードもグレードアップするから頑張って!』
笑顔でルインの背中を叩くとクリスは満足そうに酒場へと帰って行った。
『これでルインもこの村の正式なハンターですね』
『そうね、とりあえず私達も酒場に帰ろう?』
振り返ると2人の仲間が微笑んでいた。
それを見てルインも微笑んだ。
『リシェス?寝ないのですか?』
窓の外から見える満天の星空を《流れ星》が流れないかと眺めていると後ろから声をかけられた。
あの後、酒場で雑談などを交わし、日も暮れてきたので解散した。
リシェスとエレノアは村にある『ゲストハウス』と呼ばれる2階建ての小さな建物の2階の部屋を2人で借りて暮らしている。
『ゲストハウス』とは村や街のギルドがハンターから料金を貰い貸し出す《宿舎》の事で、ハンターランクに応じて部屋の質が変わる。
しかしまだ2人の稼ぎでは小さな部屋を借りるのがやっとだった。
『うん…ちょっと眠れなくて…』
起こしてしまった事を詫び苦笑いをしながら答える。
『……ルインの事ですか?』
ルインは始終何かを考えている様な風で、『心ここにあらず』と言った感じだった。
それは昼間に《リオレウス》の名前を聞いてからだ。
リシェスは驚いた様な顔をしたが窓の外に視線を向けた。
『うん…ルーはきっとリオレウスと戦いたいんだよ……、ねぇ、エレノア…私達で勝てるかな…?』
エレノアは何も言わなかったがそれは否定と同義だ。
イャンクックにさえ苦戦する様では《空の王》と呼ばれる飛竜になど敵う訳がない。
『やっぱりまだ私達には早すぎるよね…』
言ってリシェスは窓の外を見たまま深いため息を吐く。
(ルー……リオレウスと戦うの……?)
酒場で話しをしている時、ルインは何度か思いつめた様な顔をしていた。
それは自分達に『リオレウスを討伐しに行こう』と言いたかったのかも知れない。
しかし自分達の実力を考えれば言えなかったのだろう。
《リオレウス》
空の王とも呼ばれるこの飛竜はハンター達の間では憧れともなっている。
ハンター達を歯牙にもかけず悠々と空を舞うその姿は王者の風格を漂わせている。
一度戦闘になればその足爪に仕込まれた毒で相手を弱らし、ハンター達の鎧を簡単に変型させる程の炎で留めを刺す。
街や村ではこのリオレウスを倒す事が一人前の証となっている事が多いようだ。
リシェスも幼い頃に両親に連れて行ってもらった街ではリオレウスの素材で造られた武器や防具を持つハンターを見て心を踊らせたものだった。
『自分もいつかは』と思ってはいたが、今挑めば負けるのは火を見るより明らかだ。
そんな事を何度も思い返していると、夜の陰の中を歩いている者が目に入った。
『あれは……』
夜中に開いているような大きな酒場もないこの村では皆、寝静まるのも早い。
この村でも一応夜通し酒場は開いているが、店主であるクリスは寝てしまうらしく、実際は開いていないのと変わらない。
その者は酒場のドアをそっと開けると中に消えていった。
『リシェス?どこに行くんですか?』
パジャマの上に厚めの衣を羽織り、出ていこうとするリシェスに声をかける。
『あ…!うん、ちょっとトイレに……』
少し恥ずかしそうな顔をしながらリシェスが答えた。
『……そうですか、帰りは起こさないで下さいね』
怒った様な顔をしてみせるとリシェスは顔の前で手を合わせ、謝る仕草をした。
リシェスが階段を降りる音が遠退き、静かになると風に寒さを感じ窓が開けっ放しになっていた事に気付いた。
『まったく……いつになったらまともに嘘を付ける様になるんでしょうね…』
呆れて深いため息を吐きながら、窓のガラス越しに小さな明かりが洩れている酒場を見つめる。
『ルイン……何者何でしょうか…?』
夜も更け、冷え込んできたのかエレノアは身震いしてベッドに潜り込んだ。
暗い村を歩くのはずいぶんと久し振りな気がした。
誰に見つかると困る…と言うことはないが、何故かゆっくりと忍び足で歩く。
(あれは…さっきのは間違いなく……)
静かな酒場の中に人の気配がする、何かを話しているようだ。
ハンター達は猟場でのどんなに小さな音でも聞き逃さない耳を持っている。
もし聞き逃せば次の瞬間に命を落とすかもしれない。
猟場とは常に危険が隣り合わせの場所なのだ、それを回避するのがハンターの目であり、耳である。
リシェスは酒場の壁に耳を当てると神経を集中させた。
(…よく聞こえない…もっと近くに……)
中の人物は小さな声で話しているのか、壁に阻まれよく聞き取れなかった。
木の床を踏んで軋む度に『気付かれないように』と祈る。
そして一歩、また一歩を踏み出す。
ようやく中を覗ける様な窓まで辿りつき安堵の息をつき中を覗く。
『!?』
中に居た人物を見て思わず声を上げそうになる。
(やっぱりルーだ…でも何でクリスと……)
2人を見ると真剣な顔をして話し合っている。
時々クリスが困った様な顔をしているのが見て取れた。
『ルインくんが考えている程リオレウスは簡単な相手じゃないのよ?』
クリスは困り果てた様な顔をしながらため息を吐く。
『それでも……俺は…』
拳を固く握りしめ、唇を噛みながらかすれる様な声で呟いた。
それを見てクリスはさらに深いため息をつき、静かに口を開く。
『いい?ルインくん、私達ギルドの人間が普通クエストに出るって言うハンターを止める事はないわ。でもね、どう見ても今のルインくんの力では勝てないのよ』
クリスは静かにルインの手を取り自分の胸元に持って行き握りしめる。
『私は今まで焦りや誇張でクエストに出かけて帰ってこなくなった人を何人も知ってるの、本当に君が心配だから言ってるのよ?』
静かにルインの目を見つめ握った手に力を込める。
永遠とも似た時間の流れの中重く冷たい空気が流れる。
ルインはクリスの目を見つめ返すだけで何も喋れないでいた。
『それにね、君が行くって言ったらリシェスやエレノアもきっと行くって言うわよ?彼女達も危険に巻き込むの?……彼女達の為にも今は我慢して欲しいの』
2人の名前を出されルインの目に驚きと戸惑いの色が浮かぶ。
それは確かに『迷い』だった。
自分一人ならルインは迷う事なくクエストに出掛けただろう。
しかし仲間までに危険に晒すのかと言われれば普通は戸惑い躊躇する。
『お願いよ…ちゃんと考えて…ううん、考えての事なのは分かってる。…でもね、彼女達の事も含めてもう一度考え直して欲しいの』
重たい空気の中ルインはクリスから目を逸らし、俯く。
『………分かりました…』
クリスから手を引き、力無く肩を落としながら歩いていく。
入口の手前で歩みを止め、振り返らず告げる。
『俺は……』
足取りは重く、その後ろ姿は見ているのが痛々しいくらいに淋しそうだ。
ドアを閉め、ルインの気配が無くなると今まで気にならなかった虫の声が大きくなった気がした。
クリスは棚から少し強めの酒をグラスに注ぐと一気に飲み干した。
『何が君をそこまで追い立てるの…?焦ってもいいこと何て無いのよ…?』
ルインの出ていったドアを見つめ一人呟くとグラスの中の氷が揺れて音を立てた。
『きっと…止めれない……』
手を合わせ居もしない神にルインの無事を祈ってみたが、何の役にも立たない事はクリスは知っている。
今まで幾度となくハンター達を送りだし、無事に帰ってくるようにと祈ったが聞き届けられる事は多くなかった。
猟場に出れば信じられるのは神や運といった虚ろな物ではなく、自分と仲間の力だ。
《リオレウス》に挑むルインにはそのどちらも足りないように思える。
『リシェスはきっと行くっていうわね……エレノアはどうするのかしら…』
気付くとボトルを空けてしまった事に驚き、ため息を吐いた。
『ルー……』
酒場の壁にもたれ、夜空を見上げる。
色々な思慮が思い浮かんでは消えていった。
明日ルインは自分達になんて言ってくるのだろう、また苦笑いをしながら言うのだろうか…
そんな事が幾度となく思い浮かんだが、実際ルインは一人で行ってしまうかもしれない。
自分達を巻き込まないようにと、そうしてルインが命を落とせば別れを言う間もない。
しかし自分が着いて行ってもまともにリオレウスと戦えるとは思えなかった。
(私……どうしたら…?)
胸元にあったペンダントを握り目を閉じる。
心に霧がかかったかの様で、このままでは寝付けそうにも無かった。
『ルー……どうするの…?』
『リシェス!いつまで寝ているんですか!』
毛布をめくり取られると眩しい朝日が目をつく。
『う…ん?』
昨日部屋に戻ってからも色々と考えていたのだが知らぬ間に眠っていたらしい。
寝不足のせいか、頭が少し痛かった。
『…ルインに話をするんでしょう?』
ルインの名前を出され、はっとする。
『!?そうだ、ルー!』
毛布を跳ね除け、部屋を出て行こうとするのをエレノアに掴まれベッドに戻される。
『インナーのまま行くつもりですか!?ちゃんと着替えなさい!』
自分の姿を見ると確かにインナー姿だった、昨日はもの思いにふけっていてもちゃんと鎧は脱いで寝たらしい。
怒るエレノア小言を照れ笑いでかわしながら、鎧を着る。
ちなみにインナーとはハンター達が鎧の下に着込む物で、下着とは少し違う。
酒場に着くと1番奥のテーブルにルインが一人座りながら朝食をとっていた。
エレノアが声をかけるとルインはいつも通りの笑顔で挨拶を返した。
(ルー……)
黙って立っているリシェスをルインは不思議そうに見ながらも椅子を引いた。
『……?座らないの?』
言ったルインに何とか笑顔を取り繕いリシェスはルインと隣に腰掛けた。
エレノアが手を振るとクリスがいつも通りの笑顔で歩いてきた。
(クリスはどう思ってるんだろう…)
いつもなら直球で切り出すのだが、今回自分は盗み聞きしていたのだ、そんな事を言える訳もない。
自責の念からか口に出す事が出来なかった。
『……リシェス?食べないのですか?』
メニューを持ったままエレノアが不思議がる。
『あ…うん、え~っと…トーストとエッグで何か作れる?』
メニューを受け取りそれぞれの注文を紙に書くとクリスはにっこりと微笑んだ。
『いいわよ、すぐに持ってくるから待っててちょうだい』
クリスは鼻歌を歌いながら厨房の奥に消えて行った。
シェフの威勢のいい声が聞こえたかと思うと油の焼ける香ばしい匂いが漂ってくる。
『ルイン話があります、いいですか?』
先に料理に手を付けていたルインはナイフとフォークを置き、エレノアを見る。
(エレノア……リオレウスの話をするの…?)
戸惑いを浮かべた瞳でエレノアを見ていると笑った気がした。
『今後の狩りの予定ですが、何かしたい事はありますか?』
エレノアの言葉を聞いた瞬間ルインは俯き、何かを言いたそうに口を開いたが、言葉が出てくる事はなかった。
一瞬かもしれなかったし、10分程かもしれない沈黙を破ったのはクリスの声だった。
『はい、お待たせ。…ところであなたたちはリオレウスに挑まないの?』
『!?』
クリスの言葉を聞いた瞬間3人とも驚きクリスの顔を見る。
(わからない……クリス昨日は止めてたじゃない…何を考えてるの…?)
『そうですね…やはりハンターたるもの一度は《空の王》と呼ばれるリオレウスに挑みたい、そう思います』
最初に答えたのはエレノアだった。
皿に盛り付けられたポテトをフォークでつつきながら答える。
『ですが、今の私達にはどうする事も出来ないですね。経験が足りなさ過ぎます』
それを聞いたクリスは腰に手を当て、右手の人差し指に当てると不思議そうに首を傾げてみる。
『う~ん…なんでそう思うの?わからないじゃない、やってみないと』
驚いたのはルインだった、口に含んだ水が気管に入ったのかむせて咳込む。
『あら?大丈夫?あんまり慌てて食べちゃダメじゃない』
クリスはルインの背中を撫でながら微笑む。
『とりあえず狩りの予定がないなら、考えてみたら?』
そう言うとクリスは違うテーブルの客に呼ばれ席を離れた。
クリスがいなくなると3人の間に再び沈黙が訪れた。
ナイフとフォークが擦れる音だけは絶えなかったが。
『ルインはどう思いますか?』
食べ終わったのかエレノアはナフキンで口元を押さえながらルインを見やる。
『俺は……俺はリオレウスと戦ってみたい』
ルインの持つナイフに力がこもる、強く握っているためか震えていた。
『しかし私達で勝てると思いますか?先日イャンクックさえ苦戦していた私達に…』
リシェスも手を止め2人の様子をうかがっている。
『今の私達の装備を見ても明らかに火力不足だと思いますし…』
言うとエレノアはテーブルの横の壁に立て掛けてある《アルバレスト》と呼ばれる
ヘヴィボウガンを撫でる。
『………』
エレノアの言う事は正論でルインには反論できなかった。
実際彼達の装備は駆け出しハンター達が持っている様な物だ。
『えっ?何?』
ふいにエレノアに見つめられ慌てる。
『せめてもう一人アタッカーがいれば…』
このチームでアタッカーは《大剣使い》であるリシェスだ。 《片手剣使い》のルインはどちらかと言うと遊撃が役目でルインの攻撃は決定打となり得ない。
飛竜という強大な生物を相手にするには小さな片手剣では心許ない。
片手剣が弱い、と言う訳ではないが大剣や
ハンマーによる一撃には遥かに劣る。
しかしその分武器は軽く、飛竜に対して多角から攻める事ができる。
片手剣のもう一つの特徴は《属性攻撃》だ。
飛竜の発火器官を利用した『火属性』
ショックを与える事で放電する虫を利用した『雷属性』
毒のある
モンスターの牙を利用した『毒属性』
モンスターの持つ様々な器官を利用して《火・水・雷・毒・麻痺・睡眠》などの属性を武器に付加させ、その手数で攻めれば時に大剣よりも効果的だ。
あと一つ《龍属性》というものがあるらしいが詳しい原理は解明されていない。
『伝説の《封龍剣》があれば…』
ルインが俯きながら呟く。
この封龍剣こそ龍属性を備えた武器で各地の伝説などにたまに登場する。
しかし存在は伝説などではなく火山などの太古の面影が残る場所で稀に発見される事があるらしい。
しかしそんな武器を手にできるのは一握りのハンターだけだ。
『お前達、少しいいか?』
唐突に声をかけられ、3人は揃ってテーブルの横に立った声の主を見た。
声の主は三十より少し手前か過ぎた様な男だった。
その風貌を見ると彼もまたハンターなのだろう。
狩りの間手入れをしていなかったのか、少し長めの髪を後ろで束ねているがややバサつき、所々に白髪も見られた。
顔も疲れからか痩せており、実際は見かけよりも若いのかも知れない。
彼をハンターと思わせたのは彼が腰から《鉄の塊》の様な物を提げていたからだった。
これは対飛竜用に竜人族が製造した《ハンマー》と言われる種類の武器で扱うには相当の力を要する。
その異質な形状の為ガードする事が出来ないため、扱うにはかなりのセンスと熟練が必要だった。
同じ重量武器の《大剣》と違い、斬るのではなく“潰す”といった攻撃方法で、威力では全武器の中トップクラスである。
『なんですか?』
顔色を変えずにエレノアのが冷たく聞き返す。
『お前達に頼みがあってな、私と一緒にリオレウスと戦ってはくれないだろうか?』
通常仲間で狩りに出掛けるハンター達は新参者を嫌う。
新しい者が入ればこれまでの戦闘方法を変えねばならないし、それによって様々なイレギュラーが発生するからだ。
それにより命を落とすチームもあるらしく、エレノアが無愛想な態度を取るのは当然だった。
男もそれを承知しているのか特に気を悪くした様子もなく話を続ける。
『悪いとは思ったがお前達の話を聞かせてもらった、私の武器はハンマー…アタッカーとしては悪くないと思うが?』
言ってルインの後ろのテーブルを指差した、彼はそこに座っていて今のエレノア達の話を聞いていた、と言う事だろう。
『私もリオレウスに挑もうと思っているのだが、やはりハンマー一人ではな……、お前も3人では不安があるんだろう?どうだ、組まないか?』
彼は3人の顔を見るとエレノアの横の椅子に『失礼…』と小さく詫び座った。
リシェスはどうするのかと、ルインとエレノアの顔を交互に見つめる、エレノアのルインを見つめ頷く。
ルインに任せるという事だろう。
『わかりました、貴方と組んでリオレウスを倒そう』
ルインは静かに告げると手を差し出した。
『お前がこのチームのリーダーか?』
男がルインの手を握り返し問い掛ける。
『はい、彼が私達のリーダーです』
ルインが否定するより早くエレノアが口を挟んだ。
『そうか、私の名はウォーレン。よろしく頼む』
ルインの苦笑いを前にウォーレンは笑顔で手に力を込める。
『俺はルイン、片手剣使いです。よろしく頼みます』
ハンマー使いであるウォーレンに本気で握られると手が壊れるなと思いながらルインも力を込めた。
『私はリシェスです、大剣を使います。お願いします』
いつもの笑顔をしながらリシェスもウォーレンと握手を交わす。
『エレノアと言います、ヘヴィガンナーです、よろしくお願いします』
エレノアの手は小さく、ウォーレンと比べると大人と子供くらいの差で、エレノアの手は完全にウォーレンの手に飲み込まれていた。
ルインは席を立ち、クリスのいるカウンターに向かい歩いていく。
そこで何やら話ながらクリスから一枚の紙を貰ってきた。
昨夜の事もあり何を話たのか気になったがリシェスには聞けなかった。
『場所は《森と丘》、期限は5日後の日が沈むまで。今から出発して明日の朝から始めよう』
クリスに貰ってきた紙をテーブルに置くとルインは重要な場所だけを読み上げた。
『わかった、詳しい作戦などは行く途中に話そう』
ウォーレンの言葉に一同は頷き酒場を後にした。
『あの少年を行かせたのか…』
ルイン達が出ていくのと入れ違いに入ってきた老人がクリスに声をかける。
『マスター…』
老人に見つめられクリスは目をそらした。
『今のあやつらにはリオレウスはちと強敵じゃぞ?』
マスターと呼ばれた老人…つまりはこの村の村長でギルドマスターである。
『分かっています……、でもあの人なら何とか無事に…』
村長は手に持っていた杖で床を叩く。
クリスが椅子を引いたが、村長は首を横に振り背を向けた。
『ふむ…無事に帰ってくればよいがのぅ…』
2人はルイン達が出ていったドアの向こうをじっと見つめた。
優秀なハンターが村に滞在すれば、その村は繁栄する。
その功績を聞き及んで尋ねて来る者もいるし、また知恵を授かりに来る者もいる。
何よりそのハンターがモンスターを狩れば、その素材はギルドを通して村の利潤となる。
故に村は優秀なハンターを育てるのに躍起だ。
またハンターが命を落とす事になれば縁起を担ぐハンター達の間に良くない噂も広まる。
それは何処の村でも同じで大抵は飛竜を狩るのに村長の許可が必要だった。
『怒っておいでですか…?』
クリスが背を向けたままの村長に静かに問い掛ける。
『ふむ…確かにあの様な若者達にリオレウス討伐に行かせたのは許せん…』
微かに怒気を含んだ村長の言葉にクリスの顔が曇る。
『………しかし、戦ってみぬとわからぬ事もあるじゃろうて』
そう言うと村長は杖で大きく床を叩くと酒場を後にした。
指定されたベースキャンプに向かう荷車の上で4人は広げた地図を囲む。
荷車を引いているのは牧畜用としてギルドに飼育されている《アプトノス》だ。
このアプトノスは大陸のあちこちで見かける事のできる草食竜で、主に食用にされる。
性格は穏和でハンター達が近寄ってもこちらから攻撃しないかぎり逃げたりもしない。
しかし怒らすと稀に反撃してくる者もいる。
草食竜と侮る事なかれ、その尻尾の一撃は飛竜には遠く及ばぬものの、人の背骨を楽に砕く事ができる。
しかし、餌を与えている内はこの様に荷車の動力として役に立ってくれる。
『まず何処から探しましょうか?』
エレノアが支給されていた《携帯食料》を口に放り込みながら尋ねる。
『そうだな……』
最初に口を開いたのはウォーレンだった。全員の視線がウォーレンの指差した場所に集まる。
『まずはここだな…』
《エリア10》と書かれたその場所は森の中を少し進むとある少し開けた場所だ。
上流から流れ出た水が小さな池を作っており、飛竜やモンスターが水を飲みに来るらしい。
『この辺りでリオレウスが巣を作っているならここに現れるだろう』
言ってウォーレンも携帯食料を口に含む。
『そこを叩く、という訳ですね?』
エレノアがウォーレンを見ながら言う。
どうやらウォーレンが携帯食料をぽろぽろとこぼしながら食べているのが気に入らないようだった。
この《携帯食料》はギルドから毎回クエストに出発するハンター達に支給される。
あくまで携帯する食料であるため、肉焼きセットを使った『こんがり肉』の様には腹は脹れないが、味の方は悪くない。
こういった支給品はハンターがクエストを受注する際に支払われる《契約金》から支払われる。
当然、多額の契約金を払えば充実した装備で狩りに挑む事ができるが、駆け出しハンター達はそうはいかない。
大抵は応急薬、携帯砥石、携帯食料、後はちょっとしたアイテムが入っている。
『ダメだ…』
エレノアの提案に反対したのはルインだった。
『何故ですか?確かにこの場所は見通しは良くありませんが、戦えない事はないはずです』
ルインは口に含んでいた携帯食料を水で流し込むと地図を指差した。
『確かにリオレウスはここに現れると思う…。だけどリオレウスは別名《空の王》、一つの場所で倒すのは難しいと思う。だからまずはペイントを付けて巣の位置を特定するべきだよ』
ルインが言ったペイントとは《ペイントボール》という物で、磨り潰すと強烈な匂いを発するペイントの実と強い粘着性をもつネンチャク草と呼ばれる野草を調合した物で、飛竜などに当てる事で色による個体の識別と、匂いによる大まかな場所の特定をする事ができる。
『リオレウスは俺達ハンターを歯牙にもかけず、猟場を飛び回るって聞いてる…。ならいきなり仕掛けて見失うよりは巣を特定するべきだと思う』
ルインの言葉を聞き、リシェスが何度も頷く。
(この少年……リオレウスとの戦闘経験があるのか…?)
支給品にあったペイントボールを確認しているルインをウォーレンは横目で見た。
(まだ幼いこの少年が……?)
無論、ハンターに年齢はない。
大人になってからハンターを目指す者もいるし、両親がハンターなら幼い頃から狩りを経験する者もいると聞く。
(ならば、なぜ……)
ウォーレンの思考を停止させたのはエレノアの言葉だった。
『しかしルイン、ペイントといってもいつまでも効果がある訳ではありません。リオレウスが飛び回るというならその間に効果が切れるかも知れませんよ?』
強烈な匂いがつくといってもペイントはいつか風に、あるいは水に流されその効果はなくなる。
時間にするとわずかしかない、その間に巣を見つけられるのか?という心配をしている様だ。
『大丈夫だよ、森と丘に巣を作ったなら多分場所はこの《エリア5》…。覚えてる?イャンクックと戦った所。問題はこのエリアのどこにいるか、って事』 言うとルインはエレノアの方を見て微笑む。
『そうだな、恐らく巣は《エリア5》で間違いないだろう、お前達がイャンクックを狩ったのなら案外そこに巣を作ったのかもしれん。……それよりも…』 ウォーレンが言葉の途中で表情を曇らせ、深いため息をつく。
『何か気になることでも?』
俯いたウォーレンにエレノアが声をかける。
『………村人が話によるとドスランポスが近くにいるかもしれん』
静かに言ったウォーレンの言葉に3人は耳を疑う。
『ドスランポス……この前ルーが倒したのに…』
3人が驚いたのはドスランポスがいる事にではない。
「飛竜と戦う場所にドスランポスが来るかもしれない」と言う事にだ。
いくら彼等が初心者だといってももはやドスランポスは敵ではない。
それよりもリオレウスと戦っている最中にドスランポスと鉢合わせでもしたら情況は悪転する。
飛竜種は戦闘の際周りにどんなモンスターが居ようとハンター達を狙う。
それは自然界に存在する者ではハンター以外に自分達を倒せる者がいないからだとか言われているが、詳しくは分かっていない。
何にせよ、リオレウスと戦う以上ドスランポスは邪魔以外の何者でもなかった。
その場を静寂が包む。
確かにドスランポスは邪魔だが、居るか居ないかわからない相手を探す余裕もない。
実際ギルドの情報にはドスランポスの事は無かった。
『チームを三組に別けよう…』
『……!』
『ルー!?』
ルインの提案にみな驚きの声を上げる。
『ドスランポス…、居るか居ないか分からないけど、放っておくにはあまりに危険な要素だよ…。なら三組に別かれて、それぞれ役割を分担した方がいい』 しかしその提案自体が危険なものだ。
運悪く飛竜に見つかれば4人であっても命を落とすかどうかの瀬戸際だ。
それを一人で猟場をうろつくなどと危険以外の何でもない。
『しかしルイン…!』
反論しようとしたエレノアをウォーレンが押さえる。
『三組に別けると言ったな?どうするつもりだ?』
ルインの作戦に興味を持ったのか、それとも聞いてみるだけなのかウォーレンはルインを見る。
『まずは一組目…これは俺一人でドスランポスを探す。そして二組目、リシェスとエレノアで《エリア10》で待機。三組目はウォーレン、貴方一人で飛竜の巣を探して欲しい』
ウォーレンは暫く考え込むと不意に口を開いた。
『私が逃げたりしたらどうする?さっき会ったばかりの私を信用するのか?』
ルインは目を逸らさずウォーレンを見返す。
『それでも信用しないとリオレウスは倒せない。だから貴方にも俺達を信用して欲しい』
2人が目を合わせ、動かないまま時間がだけが流れる。
『目的地に着いたよ、期限の日にまた迎えにくるから。あんたらも無茶をせんようにな』
重く長い沈黙を破ったのは荷車の御者だった。
彼等はギルドに雇われている者達でハンターではない。
しかし、様々な土地へハンター達を運び、狩りの話等を聞いたりするためある程度の知識を持つ者もいる。
『ありがとう、必ず倒すから』
御者の手をルインが握り返すと御者は笑いながら来た道を戻っていく。
目的地に着いた時にはすでに陽は昇りきり、傾き始めていた。
『まずはテントを張りましょう。話はそれからでもいいでしょう』
エレノアが《支給品ボックス》と言われるギルドの用意した道具が入っている青い大きな箱を開ける。
『あ、エレノア。俺がやるよ』
支給品ボックスにはギルドから支給されるアイテムの他にたき火に使う木材や、テント等が入っている。
テントやベッドがあらかじめ設置してある場所もあるが、それでも自分達で設置しなければならない事の方が多かった。
『私、お肉を焼くね!』
支給品の中から《携帯肉焼きセット》を取り出すとリシェスは大剣を背負い平原の方に歩いていく。
『あまり遠くに行かないでくださいね、もうすぐ夕暮れですから!』
エレノアの注意を聞いているのかいないのか、リシェスは鼻歌交じりに返事をする。
テントを設置するベースキャンプから出ればそこは《エリア1》と表記されている緩やかな平原にでる。
ここは大きな川が流れておりアプトノス達が水を飲みにやってくる。
それを狙いにたまにはランポスなどが現れるが、それは稀な事だった。
『私を入れて4人だから…、でもウォーレンさんたくさん食べそうよね~、うん!いっぱい焼こう!』
リシェスは自分の焼いた肉を美味しそうに頬張る仲間の姿を想像し笑う。
(アプトノスが…1、2、3、4……幼竜が1匹か……。3匹は仕留めたいわね…)
アプトノスは警戒心が強く、群れに危険が迫ると一目散に逃げ出す。
川を渡られてしまえば手出しできなくなってしまう。
リシェスは抜き足で1番近くの段差の下にいるアプトノスに近づく。
もともとはハンター達が近寄っても逃げたりはしないのだが、慎重に行動しないと人数分の肉を剥ぎ取りできないかもしれない、その思いが彼女を慎重にさせているのかも知れない。
彼女はそっと肩の大剣の柄に手をかける。
『やぁッ!!』
気合とともに大剣を一気に振り下ろす。直後手に伝わってくる鈍い感触とアプトノスの叫び声。
痛みに耐えきれなかったのかアプトノスはその体を横倒しながらもがく。
リシェスは大剣を肩のフックに引っ掛けるとそのまま川辺にいたもう1体に斬りかかる。
平原にいたアプトノス達は1体目の叫び声を聞き逃げ出そうと川に向かっている。
(間に合う!?……ううん、間に合わせないと!)
2体目のアプトノスが倒れたのを確認すると急いで川の方に向かう。
追い付いた1体に力の限り振り下ろす。
しかし手に伝わってきた感触は先ほどより軽く、手応えも感じられない。
(川の水で足が……!?)
思ったより川に近づいたせいで足に力を入れれなかったのだ。
水でぬかるんだ地面の上では思ったより踏ん張れない。
踏ん張れなければ彼女の大剣の様な武器は最大限の威力を発揮しない。
『このッ!』
水に沈みいく足を気にしながら大剣を水平に薙ぐ。
その刃はアプトノスの首に食い込み3匹目を絶命させた。
『ふぅ~…』
なんとか予定通りの3匹を倒せた事に安堵し、手の甲で額を拭いため息をつく。
『思ったより手間取っちゃった、早く戻らないとエレノアにまた怒られちゃう』
怒っている訳ではないのだろうが、何かと自分を注意してくる友人の顔が浮かぶ。
年齢的には彼女の方が年下なのだが、のんびりとした性格が災いしてか、リシェスはよくエレノアに怒られる。
しかし互いに嫌い合っている訳ではないので2人はこれで上手くいっているのだろう。
『えっと……上手に剥ぎ取れるかな~』
リシェスは腰に手をまわすとハンターなら誰でも持っている小さなナイフを取り出した。
『こういうのは得意じゃないんだけど……ルーは上手いんだろうな~』
動かなくなったアプトノスに話し掛けても返事をしてくれる訳ではないが、ついこういう場面では独り言を呟いてしまう。
『これだけあれば人数分はあるわね、さぁキャンプに帰って焼こう』
剥ぎ取ったアプトノスの肉を少し大きめの葉で包み、両手に抱えながらキャンプに戻る。
『お帰りなさい、リシェス。ちゃんと剥ぎ取れましたか?』
キャンプに戻るとルイン達はすでにテントを組み上げ、火を起こしていた。
『当たり前じゃない、今から焼くからね』
言ってポーチから先ほどの《携帯肉焼きセット》を取り出した。
これはギルドから支給されるアイテムでクエスト終了時には返却しなければならない。
ある程度のランクのハンターなら道具屋や雑貨屋で売っている《肉焼きセット》を自分で用意するのだが、まだ収入の安定しないハンター達はこの支給品のお世話になる。
と言っても売っている物との違いはないので支給されていれば使うハンターも多い。
『焦がさないで下さいよ?』
エレノアが自分の使うボウガンの弾を調合しながら、今から焼こうとしているリシェスに横やりを入れる。
『わ、分かってるわよ。エレノアこそ調合失敗しないようにしてね』
この《肉焼きセット》。
草食竜などの大きな肉でもすぐに焼ける様にかなりの火力がある。
上手くタイミングを合わせれば外はこんがり、中はジューシーに仕上がるのだが、少し目を話すとすぐに焦げてしまう。
焦げた肉でも食べれない事はないが、腹を壊し逆にスタミナを消費する事もある。
『別に焦げててもいいよ、リシェスが焼いてくれるんだし』
ウォーレンと一緒に釣りをしていたルインがいつの間にか傍で座っている。
『ルー……』
いつもならここで笑えるのだが逆にそう言われると緊張してしまう。
『何か釣れましたか?』
エレノアも近くに寄ってきてルインの持っていたバケツを見る。
ルインは首をそっと振り、小さいのばっかりだよと言った。
リシェスは剥ぎ取った肉に串を刺し、肉焼きセットの上にセットした。
『リシェスはいつも肉焼きの唄を歌いますね』
鼻歌を口ずさみながら肉を回転させるリシェスを見てエレノアが笑う。
肉焼きの唄とは肉焼きセットに乗せて、肉を焼く時に歌われる唄の事で、子供の頃に両親や他のハンターに教えてもらう。
唄と言っても歌詞がある訳ではなく、曲が終わって少しすればちょうど《こんがり肉》が焼けるというただの目安みたいなものだ。
『いいんじゃない?本人は楽しそうだし』
言って本当に楽しそうに歌っているリシェスを見てルインも微笑む。
全員分の肉を焼き終わった時にはすでに陽も沈み、辺りは夜の闇と虫の声が支配していた。
『さて、どうする?今から行動を始めるのか?』
4人はリシェスの焼いた肉を手に、たき火を囲む。
時折乾燥していなかったのか小さく爆ぜる木の音が妙に大きく感じられた。
静かに口を開いたウォーレンに3人の視線が集まる。
『いや……巣の場所がわかってるわけじゃないし、今は睡眠を取って明日の夜明け前に始めよう』
傍らにあった枝木をたき火の中に投げ込みルインは答える。
『では昼間に言っていた3組で行動するのだな?』
昼間のルインの提案は確かに効率的ではある。
しかし、人数を別ける以上危険も多くなる、一人でいる時にリオレウスと遭遇すれば命の保障などありはしない。
『うん……危険だけど、そうしないと勝てないと思うから…』
リオレウス以外のターゲットがいる可能性がある以上、その可能性を無くしておかなければならなかった。
いくらドスランポスといってもリオレウスとの戦闘中に鉢合わせすれば、戦闘経験の少ないこのパーティーでは全滅の可能性もある。
『わかった、では私はもう寝るぞ。心配しなくてもリオレウスの巣は必ず見つける』
それだけ言うとウォーレンはテントの中にある固いベッドの上に寝転がる。
このベッドは野外にあるため激しく消耗する。
そのせいか耐久性をあげる様に固く作られているので、休憩はともかく熟睡などとてもできない。
『ルー……寝ないの…?』
いつまでも火を焼べているルインに静かに声をかける。
『気持ちが…高ぶってるのかな…、まだ寝れそうにないよ』
振り返ったルインの笑顔はどこか影を落としているようにも見えた。
『リオレウスと戦うの…怖い?』
リシェスはルインの横に腰を下ろし、揺れるたき火の炎を見つめながら問う。
ルインもただ炎を見つめるだけで、2人を静寂が包む。
『怖いのかもしれない……。でも戦えるのをずっと待ってたんだ…』
言ったルインの顔はとても寂しそうな顔をしている様に見えた。
親とはぐれ、泣きたいのを我慢して強がっている子供…そんな顔をしている。
『ルー……』
どう言葉をかければいいのかわからず、ただルインを見つめることしかできない。
いつもと違いすぎるルインの表情がリシェスの言葉を詰まらせる。
(リオレウス…どんな相手なんだろう……)
頭の中でまだ見ぬ火竜を想像する。
ルインは見た事があるんだろうか?
そんな考えが浮かんでは消え、結局ルインにかける言葉は出てこない。
『大丈夫だよ、きっと倒せる。リシェスもエレノアも守ってみせる』
自分を見るリシェスの視線に気がついたのか、リシェスの方を見ると微笑む。
先程の影は消えいつもの笑顔で……
『もう遅いし寝よう。寝坊したらエレノアに怒られるよ?』
立ち上がったルインは悪戯っぽく笑うとリシェスに手を出す。
『そうだね、頑張ろうねルー…』
差し出された手を取りリシェスも笑顔を返す。
ベッドに戻るとウォーレンが豪快な格好で、大きな“ 鼾”をかいていた。
ハンマー使いはやっぱり豪快だね、とルインが言うと2人は顔を見合わせて苦笑う。
隣でエレノアが小さくなって寝ていた。
『リシェス!起きなさい!いつまで寝る気ですか!』
友人に激しく体を揺すられながら目を覚ます。
今さっき寝たばっかりなような気がしたが、そうはいってられない。
重たいまぶたを擦り、テントの外を見るとウォーレンが準備体操をしていた。
『緊張して眠れなかったのか?』
寝ぼけた視線をウォーレンに投げ掛けていると気付いたのか朝に似合わない大きな声を上げる。
『お蔭さまで』
横からエレノアが嫌味を言うがウォーレンは何の事か分からず聞こえない振りをする。
『リオレウスとの戦いで居眠りしない様にな』
“鼾”は自分では気付かないというが、そういう事なのだろう。
エレノアが横でため息をつく。
エレノアもあまり眠れなかったのか、顔に疲れが出ている。
朝といっともまだ辺りは薄暗く、朝露が降り、森の方には薄霧がかかっているようだった。
『ルーは……?』
隣で寝ていたはずのルインがいない事に気付く。
自分が一番遅く起きたのだから隣にいないのは当たり前だが、先程から声も聞こえない。
『ルインはもう出発しましたよ。私達もそろそろ行きましょう』
言ってエレノアは立て掛けていた《アルバレスト》を折り畳み、肩から担ぐ。
昨日のルインの表情が脳裏に浮かんだが、頭を振り気持ちを切り替える。
リシェスも《ボーンブレイド改》を手に取ると肩のフックにさげる。
『いいか?リオレウスを見つけたらペイントボールを当てて逃げるんだ。私が行くまで絶対に戦闘を始めるな。ルインが先についてもそう伝えてくれ』
ウォーレンも立て掛けてあったハンマーを腰のフックに吊り、ヘルムを被る。
ヘルムは頭を守る防具で鉱石で出来た物から、モンスターの皮で出来た帽子のような物もある。
視界が縮まるという欠点があるが、裏を返せば目の前の敵に集中できるという事だ。
しかしルインはヘルムを被らない。
ウォーレンと同じ近接武器を使うのだから頭を保護した方がいいのは当然である。
それはルインが片手剣使いだからだ。
飛竜への遊撃、奇襲、囮などをこなす片手剣使いがヘルムを被れば視界が狭まり機動力を失う。
特に飛竜の足元に入る事もあるので、自分から死角を増やしたくないというのがルインの考え方だった。
目標に向かい急所に必殺の一撃を食らわせるハンマー使いであるウォーレンは周りに気を取られる事がないようヘルムを被っているらしい。
大剣使いであるリシェスもヘルムを被った方がいいとウォーレンに言われたが、ルインの考えも一理あると今も悩んでいる。
『では私はいくぞ、決して焦るな。私とルインが着くまでは逃げる事だけを考えていればいい』
“お前達では勝てないから逃げていろ”とも取れるが、実際リオレウスは強大で熟練ハンターでも命を落とす。
ましてやリオレウスとの戦闘経験をもたない彼女達がまともに戦えるとは思えなかった。
苦い表情をしているエレノアに微笑みかけるとエレノアも笑いを返す。
『行きましょうか』
エレノアの言葉にリシェスは力強く頷いた。
まだ薄霧の晴れない森の道を一人で歩く。
丘の方へ出れば霧はないだろう。
霧は目の前をうっすらと多い、不快な湿度となって身にまとわり付いてくる。
(ドスランポスか……、どこにいるだろうか…)
右手を剣の柄に添えたままなるべく音をたてない様に進む。
この視界の悪さではまずこちらが先に潜んでいるモンスターを視覚で捉らえるのは難しい。
いくらハンターといってもその辺りの“感覚勝負”となればモンスターには敵わない。
気を抜いているといきなり襲われ、剣を抜く間もなくあの世行き、という事も有り得る。
歩きながらそっと目を閉じる。
どうせ見えないのなら目を閉じていても同じ、というのがルインの考え方だった。
不完全な視覚に頼るよりも、聴覚だけに集中し音を聞き逃さない様にする。
『このエリアにはいないみたいだな』
今彼がいるのは《エリア9》の細い森の中の通路だ。
森と丘の谷間にあり、繁雑に生えた植物達が谷間をトンネルの様にしていた。
細いといっても飛竜が通れるくらいはあるし、湧き水があるため飛竜が訪れる事もあるらしい。
(このまま丘の方へ行ってみよう…)
谷から丘へ抜ける少し緩やかな坂を朝露で濡れた苔を踏んで滑らないように気をつけて上る。
ふと後ろで何かが落ちたような軽い音がする。
(落ちた…?)
いくら谷間にあるといっても上から石や岩が落ちてくるような場所ではない。
それに石などが落ちた音とするには“軽すぎる”。
背筋に冷たい汗が流れ、鳥肌が立つ。
速くなる鼓動で息が詰まるような感覚に襲われる。
ゆっくりと振り返ると、目に入ってきたのは鮮やかな青色とその上にある不自然なくらいの赤色。
大きさはルインの背丈を越え、手には大きな爪をもち、頭にあるその赤いトサカは群れのリーダーの証だ。
(ドスランポス…!)
どこから現れたのだろうか?
森にはハンター達が通れない道もたくさんある。
そこを通って来たのかもしれない。
しかし今はそんな事を気にしている場合ではない。
ドスランポスは目の前にいる、その事実にどう対処するかだ。
不意打ちなら勝てるかもしれない、だがこの場合では身を隠す所がない。
(仲間を呼ぶ前にやれるか…?)
剣を掴む手に力を込める。
こちらの姿を確認したドスランポスが高い鳴き声を上げる。
それと同時にルインは駆け出した。
『ねぇ、エレノア覚えてる?』
リオレウスを待ち伏せるエリアに向かいながら、前を歩く少女に声をかける。
『何をですか?』
振り返りもせずエレノアは答える。
『《エリア10》でルー助けてもらった時の事』
その言葉を聞いた瞬間エレノアが足を止める。
『覚えていますよ、私がドスランポスにやられそうになった時の事ですから。あの時私は飛び出して来たリシェスを撃ってしまって…』
立ち止まったエレノアの前に回り込んでみるとその表情は悔しさに溢れていた。
『でも当たらなかったし、気にしないで』
笑ってエレノアの手を取り、歩き始める。
『あの時、私の撃った弾で脳震盪を起こしていたんですよね?それさえなければあんな事にはならなかったのに…』
彼女が担いでいるボウガンはその種類の中でもサポートに重点をおく
ライトボウガンとは違い、攻撃に重点をおく。
それから放たれる高速の弾は空気を切り裂き、振動させる。
『でも結局2人とも助かったんだしいいじゃない』
『リシェス…』
後数㎝ずれていれば死んでいたのを分かっているのだろうか?
いや、リシェスも分かっているのだろう。
それでも彼女は微笑んでいるのだ。
(リシェス……ありがとう)
いつも怒鳴ったりしている自分に微笑みかけてくれる友人にどれほど救われた事か。
エレノアは声に出す事はなかったが、いつも心で“ありがとう”を呟いている。
『それにしてもルー強かったよね、ドスランポスをあっという間に倒しちゃったんだもん。今度も一人だけど大丈夫だよね?』
先日の狩り時、2人の窮地を救ったのはルインだった。
もともと流れのハンターが他のハンターを手伝う事はないが、見て見ぬ振りはできなかったのだろう。
『そうですね…、しかも年齢の割に良く識っていますから』
外見的なものは置いておいて、ルインは彼女達よりも年下だ。
ハンターとしての知識は年齢には関係ないが、それでもルインの能力は目を見張るものがあった。
『…なんで旅をしてるのかな?』
出会った時に聞いたがルインは《流れのハンター》だ。
それは特定の街や村に所属せず、様々な地域を渡り歩くハンターの事をいう。
『気になりますが、あまり聞いてほしくないような顔をしますからね……』
過去の話題になるとルインの表情は曇る、言いたくないのだろうと彼女達も深く詮索しないようにしていた。
話をしながら歩いていたためか、心なしか早く着いた気がする。
目の前に広がる開けた場合、森の中にある《エリア10》だ。
『さて、何処に身を隠しましょうか…』
エレノアは辺りを見渡し隠れれそうな場合を探す。
森の中にあるといっても、この場合では小さな木が疎らに生えているだけでとても2人で身を隠せるような場合はなかった。
『ペイントは私が投げるの?』
リシェスがポーチからペイントボールを取り出して問う。
『私でも構いませんが、リシェスの武器ではペイントを投げに行く私を援護できないでしょう?』
リシェスは納得したのか頷くと自分も隠れる場所を探し始める。
(来るのがリオレウスだけならいいのですが……)
もう一つの驚異ドスランポスの事を懸念しながらエレノアはボウガンに弾を込める。
リシェスも小さな茂みの後ろに身を屈めている。
(…?)
何をしているのかと思えば、近くを歩いている《モス》を撫でたりしている。
モスとは豚の様な生物で、ハンターを襲ったりする事はなく、好物の《特産キノコ》を求めて森の中を徘徊している。
(まったく緊張感はないんでしょうか…)
エレノアはため息をついた。
(この数……本当にドスランポスがいるのか)
飛び掛かってくるランポスを力を込めたハンマーで殴りつける。
空中で重い衝撃にぶつかったランポスはなす術なく吹き飛んでいく。
仲間がやられた事も気にせず次のランポスがウォーレン目掛けて飛び掛かる。
(いくらランポスといってもこの数は厄介だ…)
彼の持つハンマーは巨大でその威力はまさに必殺だ。
しかし裏を返せば小回りは利かず、ランポスなどを相手にするのには向かない。
ウォーレンはヘルムのカバー部分を上にスライドさせ、ハンマーを腰のフックにさげる。
(ここは一度退こう、《エリア3》まで逃げれば追っては来ないだろう)
最後に吹き飛ばしたランポスの上をウォーレンは全力で走り抜ける。
ランポス達も追い掛けて来ていたが、距離が離れると諦めた様だった。
3のエリアに入ると右側の木の根本に目がいった。
(カラの実か…エレノアに渡せば役に立つかもしれんな)
ウォーレンはカラの実を幾つか採取するとポーチにしまった。
この実は《ハリの実》などと調合する事でボウガンの弾になる。
特に消費の激しい通常弾などを作るのに使われる。
(ふむ、とりあえずエリア5に向かうか…)
《エリア5》とは丘陵にある洞窟の事で、ここに飛竜が住み着く事が多かった。
もっとも飛竜以外の物も住んでいる可能性もある、《ドスランポス》だ。
(リオレウスより先にドスランポスに鉢合わせると厄介だな…)
彼の持つハンマーは威力はあるが機敏性はない。
ランポスなどの素早いモンスターを相手に立ち回れるかは使い手の《腕》によるが、決して得意な相手とは言えない。
緩やかな丘を上り、《エリア4》に入る。
ここは丘にある数少ない広い場所でリオレウスなどと戦うにも最適な場所だ。
ただ、倒しても倒してもどこからか現れる《ランゴスタ》が邪魔だった。
尻尾の針に神経性の毒を持つランゴスタに刺されると身体の自由を奪われる。
リオレウスとの交戦中に麻痺すれば…、あの世行きである。
エリアに入ると景色に違和感を覚える。
(む…?)
視界の端に映る巨大な影。
数mはあろうかという翼を広げ、空を我が物の様に飛んでいる。
(リオレウス…!やはり巣はこの先にあるのか)
咄嗟に身を岩影に隠したが、上空からではまる見えだろう。
しかしリオレウスは降りてくる事はなく、いずこかへ飛び立って行った。
(くそッ!こいつ…!)
全速力でドスランポスに詰め寄り、気合いと共に剣を振り下ろす。
しかしドスランポスは自慢の跳躍でルインの剣をかわし、嘲笑うかのような鳴き声をあげる。
『この前の奴とは違うって事か……』
ドスランポスが後ろに跳び退き、間に距離が生まれる。
お互いに一息では詰め寄れない距離だ。
ルインは剣を構え直し、目を閉じ息を吸い込む。
(目の前のアイツに集中しろ…、この剣をアイツに突き立てるだけでいい…)
『はッ!』
吸い込んだ息を気合いと共に吐き出し、再びドスランポスに向かって駆け出す。
ルインを見たドスランポスは地を蹴り飛び上がる。
空中から迫るドスランポスの尖爪を前転で回避し、後ろに着地したドスランポス目掛け振り向き様に突く。
顔目掛けて突き出された剣を紙一重でかわし、ドスランポスは口を開く。
『!?』
ルインは重心を前に移動させ、剣を引く一動作でドスランポスに体当たりを仕掛ける。
ドスランポスの鋭い牙が掠めたのか、腕に痛みが走る。
体制を崩したドスランポスは後ろに跳び、ルインもまた後ろに下がりつつ体制を立て直す。
(こいつ強い…!)
牙に当たったのは一瞬だったが、ドスランポスの鋭い牙は皮の小手を破り、ルインの手に深くはないが傷を負わせていた。
小手の中に生温い感触が広がる、多少なりとも出血しているのだろう。
剣を握る手に力を入れる旅に鈍い痛みが走る。
(リオレウスを意識して焦ってるのか…?あのタイミングで外すなんて…!)
痛みを我慢し、剣を構え奥歯を噛み締める。
『なんだ?』
ドスランポスも再び向かってくると思っていたが、辺りをキョロキョロと見渡し始めた。
ルインは怪訝そうな視線を投げ掛け、動向に注意する。
動いた!と思った次の瞬間ドスランポスはルインに背中を向け《エリア3》に向かって走り出した。
『ッ!?逃がすか!』
ドスランポスなどは自分の身に危機が及ぶとどこかに行き、体を休めるらしい。
ルインは剣を腰に差し、逃げるドスランポスを追い掛ける。
エリアの境界ギリギリで追い付き、剣を抜きながら飛び掛かり、ドスランポスの背中を斬りつけた。
背中の痛みで怯み、足を止めたがドスランポスは瞬時にルイン方へ向き直ったと思えば、その鋭い牙で噛み付いた。
『ぐッ!』
盾でガードする間もなく右腕に食いつかれる。
腕が千切れるのではないというほどの力が加わる。
ルインは叫び声を上げそうになるのを必死に堪え、剣をドスランポスの喉元に突き立てる。
ドスランポスは一瞬痙攣を起こすと力無く崩れ落ちた。
(まずったな……)
腕から牙が抜けると同時に血が溢れ出してくる。
致命傷になる怪我ではないが、右腕に力が入らない。
ルインは服を破ると生えていた《薬草》を傷口にあて止血をする。
薬草の使い方は服用だが、こうしておけば多少はマシかもしれない。
『早くリシェス達の所へ行かないと…!』
倒したドスランポスから剥ぎ取る事もせずにルインは歩きだす。
リシェス達のいる《エリア10》へは、森の中から行く道と丘から行く道がある。
距離的にも近い丘からのルートを選びたかったが、それはリオレウスに見つかる可能性があった。
ドスランポスを倒した今は森の中も安全だろう。
使った体力も回復させたいのでルインは森の中から合流することにした。
『森か丘か…?』
リオレウスが飛び立っていった空を見上げながらウォーレンを腕を組む。
リオレウスが丘に飛んでいったのならアプトノス等の《餌》を狩りに出掛けたのだろう。
しかし森に飛んだのなら《水》を飲みにリシェス達のいるエリアに行った可能性が高い。
この《エリア4》はその中間にある場所で、リオレウスは森と丘の両方に行く可能性がある。
(早く合流してやらねばならんな…)
リオレウスが現れたからといってあの少女達が戦いを挑むとは思えなかったが、問題はルインだと彼は思っていた。
(私より先に着けばルインは必ず仕掛けるだろう…)
今までに見てきたあの年頃の少年達はまだ駆け出しにもかかわらず、その若さで飛竜に挑み死んでいった。
そのせいで仲間が危険に晒される事になるのだが、少年達の頭の中は《飛竜を討伐し、有名になる》と言う事でいっぱいなのだろう。
ウォーレンは小さな段差に手をかけ乗り上がる。
目の前に暗い洞窟への入口が口を開けていた。
『私が行くまで死ぬな…!』
誰に言った訳でもないが、ウォーレンは呟くと闇の中へ消えていった。
どれくらい時間が経ったのだろう、欝蒼と覆い茂る森では見上げた空の色も分からない。
(お腹が空いてきたのでお昼近いと思いますけど…)
この場所に着いたのはまだ夜が明けきる前だ。
さすがに何時間も気を張ったままいると疲れてくる。
(分かってはいるんですが…)
しかし初めての《リオレウス》戦だ。
恐怖と高揚感で指や足は震え、何度も装備を確認する。
ふとリシェスを見ると何やら草を毟っては捨てたりしている。
(貴女が羨ましいですよ……まったく)
そんなリシェスを呆れ顔で見つめため息をつく。
実際は戦いを前に疲弊しているエレノアより、リシェスの方がハンター向きの性格だといえる。
もっとも彼女は彼女で緊張感が無さ過ぎるという欠点でもあるが…
ふと遠くで鳥達が羽ばたく羽音が聞こえる。
(……?何かあったので…ッ!?)
木の間を飛んでいく鳥達を目で追っていくと視界の端に大きな影が映る。
影は上空で小さく吠えると大きな翼を羽ばたかせながら器用に森の中に降りてきた。
『これがリオレウス……!』
ボウガンを組み立てる事も忘れ、息を飲みリオレウスの動向を見つめる。
リシェスもまた同じ様で茂みの影から動けずにいる様だった。
全身を染める真紅の鱗は薄暗い森の中で黒光りしている。
その眼は見つめられただけで射すくめられそうになる。
(こんなのと戦うなんて…!)
動けない。
ただ見つからぬ様にと祈る。 それも仕方ない、歴戦のハンター達でも飛竜と戦うのは恐ろしいという。
彼女達はまだ駆け出しで、飛竜と戦うのもこれで2度目だ。
(ダメだ…このままでは逃げられてしまう……何とかペイントを)
震える腕でボウガンを組み立てるが、上手くいかない。
いつもよりボウガンが重たく感じられた。
(!?)
瞬間リシェスが飛び出した。
手に《ペイントボール》を持ち、なるべくリオレウスの後ろを取るように近づいていく。
(ダメッ!リシェス、私まだ!)
リシェスは自分が援護をしてくれると思っているに違いない。
しかしまだ腕の自由は利かず、ボウガンさえ組み立てていない。
リシェスはリオレウスの尻尾が届くギリギリまで行くと手に持っていたペイントボールを投げつけた。
ペイントはリオレウスの足に当たり、ボールは潰れ独特の臭いが辺りに広がる。
ボールが当たった瞬間リオレウスは動きを止める。
自分の周りの空気が重たく感じられた。
重圧感で胸が押し潰されそうになる。
(早く…早くボウガンを…!) リオレウスがゆっくりと振り返る。
ボウガンを組み立てリシェスが逃げるのを援護しなければリシェスは殺されてしまうかもしれない。
分かっている。
分かっているのだが、手の震えは止まらない。
リシェスはリオレウスに背を向けて走り出す、しかし足場の悪い森の中では思うように走れない。
リオレウスがその青い瞳でリシェスの姿を捉らえた瞬間…
『吠えた』…
その怒号は木々を揺らし、森の隅々まで響くかというような声量だった。
余りの大きさにリシェスは両手で耳を押さえしゃがみ込む。
一声…。
たった一声でリシェスの身体の自由を奪い、今彼女の命は風前の灯火だ。
飛竜戦に限らず、狩場での戦闘中に動きを止める事は【死】を意味する。
もうダメだ…、リシェスはきっとそう思ったに違いない。
しかしその時、先ほどの咆哮に劣らぬ程の音が響いた。
その音に反応してかリオレウスは動きを止め音がした方に向き直る。
『何をしている!死にたいのか!?』
さらに怒号が飛んでくる。
(ウォーレンさん……さっきのは角笛…?)
【角笛】とは竜骨から削り出したその名の通り笛である。
しかし内部で反響した音は一部の飛竜の注意を引くことができる。
リオレウスはリシェスの事など忘れたかの様に大きく羽ばたいたかと思うと砂塵を巻き上げ笛の主、ウォーレンに飛び掛かった。
風圧は凄まじくリシェスの身体が後ろに追いやられる程だ。
ウォーレンは角笛を腰に戻すと走りながら叫ぶ。
『このエリアを出るぞ!巣は見つけた、あとはペイントを頼りにルインと合流してから戦えばいい!!』
その言葉に彼女達は頷き、それぞれ出口を目指す。
いかに交戦中といってもある程度逃げれば、卵などを持っていない限りは追っては来ない。
しかし逃げるといってもたやすいものではない。
リオレウスはその巨躯の割にかなりスビードを持つ。
体当たりや空からの強襲を受ければ即死だろう。
即死を免れたとしても動けない程のダメージを受け、次の攻撃は回避できないだろう。
『いいか!私がリオレウスを引き付けている間に《エリア9》に行け!ルインがその辺りにいるはずだ!』
ウォーレンは腰のハンマーを手に取り力を込める。
『すぐに!すぐに戻って来ますから!』
後ろを気にしながらエレノアが叫ぶ。
いくら引き付けてくれているといってもいきなり空襲を受けるかもしれない。
そればかりはどうしようもないだろう。
『私もすぐに後を追う!今は逃げる事だけを考えろ!!』
ウォーレンは振り向いたリオレウスの頭にハンマーを振り下ろす。
頭に凄まじい衝撃が加わり、さすがのリオレウスも怯む。
ウォーレンはその隙にハンマーを腰に下げ、走りだす。
エレノア達はかなりの距離を離したのか声はもう聞こえない。
(私もそろそろ引かねば…)
リオレウスの一挙一動を冷静に視界に捉らえつつ、ウォーレンは距離を離していく。
といっても空を飛べる相手にこのくらい離したところで意味は無い。
後ろからリオレウスが声を上げながら走って来る。
ウォーレンは大きく横に飛びギリギリで避ける。
リオレウスの大きな足が通り過ぎるのだけはいつになっても慣れるものではない。
背中に嫌な汗をかく。
飛び込んだ時に背中のハンマーが重くのしかかった。
ハンマーの重さで鎧が軋む。
幸いリオレウスは突進の勢いを殺し損ね地面に滑り込んでいる。
(今がチャンスだな…!)
ウォーレンは脇目もふらず《エリア9》を目指す。
『ウォーレンさん大丈夫かな…』
何とかリオレウスから逃げ切り2人は息を整える。
『そうですね…しかし彼はリオレウスとの戦闘経験もあるようですし、今は信じましょう』
エレノアは大きく深呼吸をし、自分の手を見つめる。
(さっき私は何も出来なかった…。私がまたリシェスを危険に晒してしまった…)
手の震えは止まっているが、またリオレウスの前に立った時には同じく震えだすのだろう。
(恐かった…、私は…恐怖で何も…)
初めてみる《雄火竜》はエレノアの心臓をわしづかみ、その恐怖は心にささる。
(リシェスは…恐くないのですか…?)
前を歩く友人に視線を戻す。
『あ、エレノア。さっきこれを見つけたの』
リシェスはポーチから何かを取り出してエレノアに手渡す。
『これは…《ネムリ草》?』
先ほどリシェスが草を毟っていたのはこれを集めていたのだ。
『リシェス……』
手渡されたネムリ草を見つめる。
『これがあれば《睡眠弾》を作れるのよね!』
言って彼女は微笑む。
《睡眠弾》と言うのはその名の通り、【飛竜を眠らせる】事のできる弾だ。
ネムリ草に含まれる強力な麻酔作用によって対象を眠らせる。
もっとも体力の多い飛竜を眠らせるのだから1発や2発で眠らせれる訳ではないし、連続で当てないと麻酔が回る前に体内で浄化されてしまうため扱いは難しいが使いこなせば強力な弾となる。
『……エレノア?』
黙ってネムリ草を見つめる友人の名を不安そうに呼ぶ。
また何か気に障る事をしたのだろうか?
リオレウスを目の前にこんな物を集めていたのかと怒られるのだろうか?
そんな思いがリシェスの中で巡っては消える。
『リシェス……』
顔を上げたエレノアの瞳は涙で滲んでいる様に見えた。
『ごめんなさい…、折角なのですが、私のボウガンでは睡眠弾を撃てないのです…』
エレノアが気まずそうな顔をしながら続ける。
それを聞いたリシェスも肩を落とし、ため息をつく。
『ですが、いつか使う日もあると思いますから頂いておきますね』
ネムリ草をポーチにしまい、リシェスの手を取り礼を言う。
ボウガンには様々な特性がある。
大まかに別けて攻撃重視の【ヘヴィボウガン】、サポート重視の【ライトボウガン】。
さらにそこから威力特化型、散弾重視型、弾種重視型などに別れる。
特性が違う以上発射機構も異なり、そうなると自然に“使えない弾”も出てくる。
エレノアの持つ【アルバレスト】では睡眠弾の他に属性弾にも対応していない。
仲間の武器を把握しておく事は大切だが、まだ駆け出しの彼女達には難しいのかもしれない。
『ごめんね…エレノア。役に立つと思ったんだけど…』
エレノアの後を肩を落としながら歩き呟いた。
『気にしすぎですよ、それより今はルインを見つけないと』
リシェスの手を取り微笑みかけると、すぐに向き直り辺りを見渡す。
『ルインはドスランポスを倒せたのでしょうか?』
ふとエレノアは何かを見つけ、道の脇に歩いていく。
『?何か見つけたの?』
リシェスもエレノアの後についてゆきしゃがんで見る。
『《アオキノコ》です、それに特産キノコも生えているようですね』
エレノアが静かに指を差す。
その先には《モス》が集まって地面の匂いを懸命に嗅いでいる。
《特産キノコ》とはこの地方の特産品で高値で売買される。
しかし小さなそのキノコは見つけるのが難しく、なかなか骨が折れる、
そこで頼りになるのが《モス》だ。
モス達は特産キノコが大好物で、自慢の鼻で匂いを嗅ぎ当てる。
気をつけないと採取する前に食べられてしまう事もあるが、それは大目に見るしかないだろう。
『アオキノコと薬草があれば回復薬を作れますから、リシェスも採取しておいて下さい。』
リシェスは頷き、周りを見渡す。
確かに湿気が多いためかキノコがそれなりに生えている。
その中から《アオキノコ》を選びポーチにしまっていく。
『何してるの?』
『!!?』
不意に後ろから声をかけられ2人は飛び上がる。
振り返るとそこには見知った顔があった。
『ルー…驚かさないでよ~…』
エレノアはまだ引きつった顔をしながら胸を押さえている。
『はは、ごめん。アオキノコか…、俺も集めておこう』
ルインは笑いながら謝るとリシェスの横にしゃがみキノコを探す。
『……ドスランポスは倒せたんですか?』
声もでない程に驚いたのが恥ずかしいのだろう、エレノアが顔を紅潮させながらルインに問い掛ける。
『なんとか…ね』
ルインは苦笑いをすると集めたアオキノコをポーチにしまう。
『怪我…してるの?』
ルインの右手に巻かれた服を摩りならがリシェスが問う。
その顔は怪我を気遣ってか暗い。
『うん、ちょっとドジっちゃって…。でも大丈夫だよ、戦うには全然平気だから』
リシェスの心配を無くそうとルインは大袈裟に笑ってみせる。
『それならいいんだけど…』
ルインが怪我をしたのは右手だ、それは盾を持つ方の手。
リシェスにはそれが心配だった。
ただでさえ飛竜の攻撃は強大だ。
その攻撃を防ぐ盾を支える腕をルインは怪我したのだ。
飛竜の攻撃をガードした時にルインは支え切れるだろうか?
もし痛みでバランスを崩せば飛竜の攻撃をまともに受ける事になる。
それを言いたかったが、リシェスは笑って大丈夫というルインに笑顔を返した。
(無理だったら無理って言うよね…、あまり無茶しないでねルー…)
心の中で呟き、ルインの腕を握る手に少し力を込める。
『リシェス?』
『みんな揃ったようだな』
リシェスが口を開こうとした瞬間、後ろから声をかけられる。
声の主はウォーレンだった。
懸命に走ってきたのだろう、肩で息をし、鎧の隙間からは湯気が昇っている。
『無事だったのですね!』
エレノアが喜びの声を上げる。
『何とかな…、それよりもここからが大変だ。次はリオレウスと戦うんだからな』
ウォーレンはヘルムのガードの部分を上げると汗を払った。
『そうですね…』
先程の恐怖が込み上げてきたのかエレノアは再び自分の手を見つめ唇を噛む。
『巣は見つけたんですか?』
ルインの問い掛けにウォーレンは頷き、腕を組む。
『巣は予想通り《エリア5》だ、リオレウスにダメージを与えればそこに帰るだろう』
ある種の飛竜はダメージが蓄積すると巣に戻り、休眠を摂ることによって体力を回復させる。
致命傷でない限りある程度寝れば回復するとの噂もあり、その治癒能力は恐るべきものである。
故に飛竜との戦いでは巣の位置を確認しておくことが大切になる。
ダメージを与えても巣に戻り回復されれば苦労が水の泡だからだ。
『なら、いよいよリオレウスとの戦いか…』
ルインは剣を抜き刃の状態を確認する。
『そうだな、みんな万全の体勢で臨もう』
3人はウォーレンの言葉に頷いた。
木々が茂る細い通路を歩く、足元の草に足を取られないように注意しながら。
(このエリアにもリオレウスが来るのか…?)
今彼達がいるのは《エリア9》だ。
ここにも大きくはないが、湧き水が出ており、飛竜が飲みにくるかも知れなかった。
というのも水辺の脇には鹿に似た《ケルビ》と呼ばれる小型の草食動物の食い散らかされた死体や、骨等が散乱しているためだ。
もっとも対象がケルビならランポス等の肉食モンスターの仕業かも知れないが。
4人全員でエリア10のリオレウスに攻撃するという案もあったのだが、初戦であるリシェス達を考慮し見晴らしの良い丘で待つことになった。
そのため4人はこのエリア9を抜け丘に向かっている最中だ。
(あれは…)
ふと茂みの脇に倒れている物がウォーレンの目に留まる。
(ルインが倒したドスランポスか…、急所を一突きで仕留めている…)
それは先程ルインが倒したドスランポスだった。
通常ランポス種は絶命すると体液が肉を腐らせすぐに骨だけになってしまう。
しかしドスランポスは土に還るまである程度の時間を要する。
首の傷以外見当たらないところを見ると、ルインは剥ぎ取りをしなかった様だった。
(これくらいの若者なら我先にと剥ぎ取るものだがな)
先頭を歩くルインを見て苦笑う。
(リオレウス以外は興味が無い、という事か…)
『そろそろエリア3だ、ペイントの匂いからして恐らくこの先にいるだろう!しかし決して油断するな、焦らなくていい!攻撃する事よりも生き残る事を考えろ!』
殿を歩いていたウォーレンが声を張る。
『武器の特性通り今回は私とリシェスがアタッカー、ルインが遊撃、エレノアが牽制で攻める。いいな!』
リシェス達は頷きそれぞれの武器に手をかけ、緩やかな坂を登る。
坂を登ると木々が煩雑していた森とは景色が一変し、広大な平地が顔を見せる。
そこに先程森の中で見たのとは違う陽の光りに反射して燃える様な《赤》を纏った者が居た。
『いた………』
エレノアが小さく掠れた声で呟く。
リシェスも息を飲み、ただリオレウスを見つめる。
瞬間後ろに重たい空気が流れる。
『?』
同時にくぐもった声の様な異音も耳に入る。
『!!?』
振り返ったリシェス達は自分達の目を疑う。
『ルー……?』
重く、胸を締め付ける様な重圧を発していたのはルインだ。
『どうしたのですか…?』
ルインの気配に飲まれたのか2人の声は掠れる。
目を大きく見開き、視線にリオレウスを捉らえる。
【笑っていない】目とは裏腹に口元からは笑みがこぼれている。
自然なくらい不自然なその表情に恐怖すら感じられる。
『ルイン!』
異変に気付いたウォーレンがルインを掴もうと手を伸ばすがその手をかわし、ルインは駆け出した。
『お前は………、お前だけはッ…!!』
半ば叫び声とも言える声量で息を吐き、剣を抜く。
それにリオレウスが気がつかない訳がない。
『いかん!戻れッ!!』
ルインの声が聞こえたのか、それともウォーレンの声が聞こえたのか。
リオレウスはゆっくりと振り返る。
振り返ったリオレウスの目に映ったのは自らに迫る白刃だったのだろうか?
それとも剣を手に向かってくる脆弱な人だろうか?
リオレウスを身を捻り、ルインに向かって尻尾を振るう。
ルインは身を屈め、尻尾が頭の上を通り過ぎると再び走り出す。
背を向け完全に無防備になったリオレウスの足に向かって一閃する。
(それだけデカい体を支えてるんなら脆いんだろ!?)
心で叫びながら片手剣特有の素早い攻撃でリオレウスの足に何度も斬りかかる。
ルインの方を向こうとする重心を移動させる瞬間を狙われたリオレウスは転倒する。
転倒のタイミングを計った様にルインは頭へ斬りかかり、払い、突く。
リオレウスは痛みに顔を歪めながらも起き上がろうと必死にもがいている。
その間もルインは頭、首、足、翼へと猛攻を続ける。
何とかバランスを取り立ち上がったリオレウスから距離を取る事なく足に、股下にと死角に潜り込んでは斬り続ける。
『ルー…、すごい……』
様子を見守る事しかできない3人はその戦い振りに息を飲む。
『これはルイン1人で倒せるかも知れません…』
リシェス達は僅かな希望を胸にルインの勝利を祈る。
『いや…』
だがウォーレンだけは違った。
険しい表情でルインを見つめている。
『まだだ…まだ倒せない。確かにルインの攻撃は凄まじい…、だが片手剣のダメージだけではリオレウスの命には届かない。それにあんな戦い方をすれば先に……』
そこでウォーレンは言いかけた言葉を飲み込む。
『……ですか』
リシェスが呟く。
『なに?』
声が震えているためか聞き取れない。
『どうなるって言うんですか!』
顔を上げたリシェスはウォーレンに掴みかかる。
『リシェス!?』
エレノアが間に入ろうとするが、普段の彼女とは思えない程の力だ。
『どうなる!?分からんのか!あいつが死ぬぞ!!』
彼も勢いに負けじと言い返す。
言葉を聞いた瞬間リシェスの眼から涙が溢れた。
ウォーレンの言った事は間違いではない。
間違いではないが、その言葉は彼女の心に突き刺さる。
『2人ともやめてください!私達がここで争っても意味はありません!』
リシェスを庇うようにしエレノアが間に入る、
『リシェスも!泣いているだけではルインを止めれませんよ!』
リシェスの肩に手を伸ばした瞬間…
“揺れた”。
地面が、木々が、空が、世界が揺れた。
訳も分からず本能的に耳を押さえるが、押さえてもなお“それ”は彼女達の耳をつく。
『!!?』
そして理解した。
リオレウスが“吠えた”のだ。
咆哮とも言うべきその怒声は聞く者の身体の自由を奪う。
ルインとて例外ではなく、近くに居た分耳へのダメージは彼女達よりも多いはずだ。
うづくまり両手で耳を押さえる。
ルインの顔は苦痛に歪み、頭の中に響くリオレウスの声をかき消す為か、何かを叫んでいる。
早く終わってくれ、鳴きやんでくれと願いながら。
リオレウスが吠え終わると急に辺りが静かに感じられた。
違う、リオレウスの怒声に聴覚が麻痺しているのだ。
『ルー!?』
ふとルインの手から剣がこぼれ落ちる。
目の焦点はあっておらず、虚ろな視線をリオレウスに投げかけながら、ふらつく足を必死に支えている。
それもそうだろう、人は耳にダメージを受けると平行感覚を失い、まともに立つ事をもできなくなる。
耳から血が出てはいない様に見えるので鼓膜に損傷はなさそうだが、それでも危険な状態には変わりはない。
『リシェス!!』
飛び出そうしたリシェスをウォーレンが呼び止めた。
そのあまりに大きな声にシェスは驚き反射的に足を止める。
何故止めるのか、と抗議しようとした瞬間後ろが光った。
大きな爆発音と、何かが燃える嫌な臭い。
自分の後ろを見ていたエレノアの顔が青ざめていく。
鼓動が激しくなるのを感じながら、恐る恐る振り返る。
『ルー……?』
小さく、蚊の鳴くような声で呼びかける。
しかし、そこにルインの姿はなく、ただ焼き払われ剥き出しになった焦げた地面と、微かに燃えている草があるだけだった。
『…リオレウスの火球を食らった…。直撃だったはずだ……』
奥歯を噛み締めながらウォーレンが言う。
ルインは片手剣使いだ、片手剣には対になった盾があるため、ある程度の攻撃なら防御する事ができる。
……防御する事ができればであるが。
リオレウスがブレスを吐く瞬間、ルインは感覚が麻痺し、剣ですら持っていられない状態だった。
そんな状態でリオレウスの攻撃をガードできただろうか?
『そんな………』
脳裏に村で見た亡くなった人が浮かんだ。
あれは誰だっただろうか?
真っ黒に変色した肌と、焼け爛れた防具。
あまりに凄惨な遺体故に直視しない様にと被せられた布をめくると、その顔はルインではなかったか?
胃から込み上げてくるものを押さえる為、口に手を当てリシェスは座り込む。
『しかも爆発の衝撃で恐らくルインは谷に……』
涙が溢れる瞳で見つめてくるリシェスを見つめ返す事ができずにエレノアは視線を逸らす。
《エリア3》は森に隣接した場所にあり、丘の端であるここはある程度の高さがある。
そのため森の反対側は崖になっている。
『落ちたの…?あそこから…?そんなの…助かる訳……ないじゃない…』
涙と嗚咽で声が掠れ、リシェスの言葉が聞き取れない。
『……退くぞ』
その様子を見ていたウォーレンが不意に口を開いた。
『このままだと私達までやられかねん。一旦キャンプに戻り体勢を立て直す』
驚いた表情を見せたのはエレノアだった。
リシェスは何かを呟きながら、リオレウスを見つめている。
『そんな!?ルインは…!』
エレノアは言ってから“はっ”とする。
ルインを見捨てる訳ではないが、このエリアにリオレウスがいる以上探す事もできないし、もしリオレウスに見つかれば自分達も危険に晒される。
『ルインもいなくなり、リシェスまでこの様子だととてもじゃないが、戦いにならん。キャンプに戻り、リオレウスを狩るのかリタイアするのかを話そう』
リオレウスに背を向け、来た道を戻ろうとした瞬間、背筋に悪寒が走る。
体中の毛が逆立ち、汗をかく。
『しまった!?走れ!!』
ウォーレンは振り返りもせずリシェスの腕を掴み走り出す。
背後から大きな地響きが迫ってくるたびに胸の鼓動が大きくなり、汗が吹き出る。
リシェスの手を引いているためか、上手く走れない。
加速する動悸と相まって足音がすぐ後ろにまで迫っているような錯覚に捕らわれる。
(迂闊だった!あの距離で気付かれるとは!!)
ウォーレンは心の中で悪態をつき舌打ちをした。
リオレウスは空から獲物を狙う為、その眼はかなりの距離を見渡す事ができると言われている。
さらに動物故の【本能】からか、気配を感じ取る事にも敏感だ。
『走れ、リシェス!死にたいのか!?』
掴んだ腕に力を込めながら叫ぶ。
しかしリシェスは相変わらず虚ろな表情で何かを呟いているだけだ。
もともと《エリア9》の手前で待機していたため、後少しでエリアの境界だが、出来る事なら自分で走って欲しい。
リオレウスは【飛ぶのだから】。
空からの急襲をかけられれば人の足で逃げられるものではない。
それにウォーレンのスタミナの消費も激しくなる。
今この場を逃げ切れても回復するには時間を要するだろう。
『私達の事は気にするな!先にキャンプに戻るんだ!』
それを聞いたエレノアは一瞬困った様な顔をしたが、大きく頷くと背を向け走り出した。
リシェスの事が気になるのか、たまに振り返っているような素振りを見せたが次第にその姿は小さくなっていった。
(もう少しだ、もう少しで逃げ切れる!)
エリア9への道は一度狭くなるので入ってしまえばリオレウスは地上からは追って来れない。
また木々が繁茂している為、空からもすぐに急襲という訳にもいかないだろう。
呼吸も激しくなり、急に走り出したので脇腹に痛みを感じ出す。
地面もやや傾斜してきたので足を取られないように気をつける。
(くそッ!こんな筈では…!)
リオレウスに気付かれた事か、それともルインの事なのか、自分でもよく分からず苛立ちだけが胸に募る。
何とか狭くなった道まで辿り着き、後ろを振り返ってみると。
(リオレウスが…いない?)
するとさっきまでの地響きは自分の鼓動だったのか?
息を整えながら思考を繰り返してみるが、分からない。
逃げ出した自分達を見て相手にできないと、いずこかへと飛び立ったのかも知れない。
(とりあえずは助かったな…、後は…)
横に座り込んでいるリシェスに視線を移す。
『立ち直れるかどうかだな…』
言ったウォーレンの言葉に反応もせず、リシェスはただ俯き、表情を曇らせている。
『少し休んだらキャンプに戻るぞ、いいな?』
返事は無かったが、聞こえているものと解釈し、ウォーレンも腰を下ろして休む事にした。
『リシェス大丈夫でしょうか…、ルイン…どうして、あんな…』
考えても分かる訳はないのだが、頭にはリシェスとルインの事ばかりが浮かんでくる。
ふとため息をついた瞬間に道脇の植物が目に留まった。
『アオキノコ…、さっきまでここで一緒に居たのに…』
それはリオレウスと戦う前に3人で採取していた場所だった。
取れる物は全部取ったつもりだったが、その時は目につかなかったのか一つだけ残っていた。
『あの時は笑っていたのに…』
一つ残ったアオキノコに手を伸ばし、取ろうと思った瞬間ルインの顔が浮かんだ。
以前彼はイャンクックを討伐した際に“全てを奪うのはダメだ”というような事を言っていた。
このアオキノコはこの場所でまた採取できる様にルインが残したのかもしれない。
『今は信じて待ちましょう…』
誰に言った訳ではないが、1人呟くとベースキャンプに向かって歩き出した。
彼女の後ろでアオキノコが少し揺れたのは風に吹かれたからだろうか。
『そろそろ行くぞ。立てるな?』
手を差し出してみてもリシェスから反応はない。
ウォーレンはリシェスの前にしゃがみ込み、ため息をつく。
『いいか?ルインが心配なのは分かるが、今は自分達の事を考えるんだ。ルインを探すにしてもまずは体勢を立て直さないと話にならんからな』
それでもリシェスの瞳に光が戻る事はなく、ウォーレンは仕方なく手を取り、半ば強引に立たせる。
(このエリアもリオレウスの行動範囲内だったな、急いで通るか…)
陽も傾き、次第に薄暗く夜の顔へと変わりつつある森はいつもより不気味な気がした。
『恋人……だったのか?』
気を紛らわそうとリシェスに話しかける。
返事がなくても黙っているよりはいいということだろう。
『…違うのか?何にしろ親しかったんだろう?』
リシェスの手を引きながら、やや早足で歩く。
横目で見るが聞いていないのか下を向いている。
小さくため息をつき、再び前を向く。
(かなり重症だな……)
仲間との別れは辛い、しかしこうして狩りに出ている以上はその可能性は常につきまとう。
“割り切らねば自分が死ぬ”
ハンターがいる場所はそういうところだ。
仲間がいなくなって、死んで。
それはとても辛い事だ。
仲間であった時間が長ければ長いほどその悲しみは大きく、深い。
それは駆け出しハンターの時に誰もが一度は経験することだろう。
仲間と満足に狩猟人生を終えられる者など数えるほどもいない。
若さ、情熱、欲望に駆られた結果命を落とすのは若年のハンターだけではない。
駆け出しの頃は慎重さや、怯えもあるため勇んで狩りに行く者の方が少ない。
一番危険なのは『自分は強いんだ』と勘違いをする時期だ。
運良く狩りに成功し続けると怯えや不安が自信に変わる。
そして勘違いをする、自分には、自分達にはやれるんだと。
結果命を落とす若いハンターは後を絶たない。
(ルインもそうだったのかもしれなんな…)
ルインも自分の剣にかなりの自信があったのだろう。
しかし強大な飛竜に挑むには仲間が必要だ。
力も体力も劣る人が飛竜にかつ為には“知と仲間”がいる。
仲間と共に知を合わせて初めて飛竜に打ち勝てるのだ。
(私がついていながら何て様だ…!くそッ!)
最後の一瞬、ブレスを食らう瞬間にルインはこちらを見ていた気がした。
それは仲間への謝罪か、それともウォーレンにリシェス達を頼む、と言うことだったのか。
(冗談じゃない、生きているなら戻ってこい!)
森の狭道を抜ける頃にはすっかり夜の闇に辺りは包まれていた。
ランポスなどの肉食獣に合わないよう祈りながら歩みを速める。
『………う、違います…』
ふと、小さな呟きが耳に留まり足を止め振り返る。
『何が違う?』
声の主は後ろを歩いているリシェス、顔は下を向いたままだったが絞りだすような感じで声をだす。
『恋人でも…親しい訳でも……ないです…』
声に嗚咽が混じり始める。
ルインの事を思い出し泣いているのだろう。
下を向いているのは涙を隠す為かもしれない。
『出会ったのはついこの間で……、たまたま助けてもらって…、でも仲間だって…信じて……私は…、ルー…』
何も考えれないのだろう、出てくる言葉は無茶苦茶で、言いたい事を理解し難い。
『あいつにも何かあるんだろう、今はキャンプに戻って休もう』
ウォーレンはリシェスの頭を撫でてやる。
撫でてから手甲をしていたので痛くなかったかと心配したが、リシェスに反応はなかったので大丈夫だと思う事にした。
『歩けるな?この森を抜ければすぐにキャンプだ。大丈夫だと思うが、ランポスどもの気配に気をつけろ』
リシェスは『はい…』と小さな返事をするとウォーレンの後について歩きだした。
森を抜け、丘に出ると夜空に黒いモヤが見えた。
雲、と言うわけではなく、方向からしてベースキャンプでエレノアが火を起こしてくれているのだろう。
小さな洞窟をくぐると柔らかな焚き火の炎が目に入った。
この洞窟はモンスターがベースキャンプに入って来れないようにする為のものらしいが、実際はこの場所までモンスターが入って来る事は稀だ。
だからこそギルドはこの場所をキャンプの設置場所に選んでいるのだろうが。
焚き火には木の枝に刺さったキノコや魚が炙ってあり、焼き色から見てちょうど良さそうな感じだった。
『おかえりなさい!遅かったので心配していました…』
ウォーレン達の気配を感じてかテントからエレノアが出てくる。
手には【カラの実】と調合用の器具を持っている。
(ボウガンの弾を作っているのか…?)
先ほどの戦闘時には彼女はボウガンを使ってはいない。
リオレウスを待ち伏せに合流した時にも火薬の匂いはしなかった。
するとどこで弾を消費したのだろうか?
(!?)
ベースキャンプの一つ手前のエリア、ここは小さな丘になっており草食竜の食事の場所になっている。
しかしその草食竜を狙ってランポスが現れる事がある。
そのエリアを通った時、“何もいなかった”。
何もいなかったというのはあまり有り得ない事だ。
朝だろうが夜だろうが大抵は草食竜アプトノスがいる。
つまりアプトノスを狙ってきたランポスが居たためにエレノアは“掃除”をしておいてくれたのだろう。
リシェスが大丈夫な様にと。
『すまん、それに助かった』
遅くなった事を詫び、礼を言う。
エレノアは何の事か分からないといった顔をしていたが、すぐに笑顔で応えた。
『リシェス…?大丈夫ですか?今日はもう休みましょう』
ウォーレンの後ろで俯いているリシェスに駆け寄り手を取る。
『エレノア…』
一瞬顔を上げたが、すぐにまた俯き、エレノアにベッドの方へと連れていかれる。
ウォーレンは焚き火の前に腰掛けると少し焦げたキノコを口に運んだ。
口の中に香ばしい匂いが広がる。
味付けは何もされていなかったが、その分素材の持ち味を楽しめる。
もっとも狩りの間まともな食事にありつける事はすくないので、こういった物でもありがたい。
今日も食事にありつけた事を自然に感謝しながら、今度は肉が刺さっている串に手を伸ばす。
『ルインは…やっぱり…?』
ふいに後ろから声をかけられ伸ばした手を止める。
『……正直、助かっているとは思えん』
振り返りもせず答える。
串に伸ばした手を戻し、腕を組む。
エレノアの動揺する気配が背中越しに伝わってくる。
『リオレウスの炎は強力だ、それを受けたんだからな。そこへ崖から落ちたとなれば…』
絶望的だと言わんばかりにウォーレンは首を横に振った。
『そうですね……、リシェスにはその話を?』
焚き火の火を囲む様にウォーレンの横に座り、小さなキノコの串を取る。
小さな口を開けて少しだけかじってみるが、熱かったのか口の中で転がす。
『いや、そんな事を言えばどうなるかは分かりきっているからな…』
ウォーレンも先ほど手を伸ばしかけた串を取り、エレノアとは対照的に豪快にかぶりつく。
少し固い肉を歯でしっかりと噛みきると肉汁が溢れ出す。
野生で育ったアプトノスの肉は筋張っており少し固いが、脂はしつこくない。
『…ありがとうございます』
暗い表情で礼を言う。
もし、あの状態のリシェスに今の話をすれば間違いなくパニックを起こすだろう。
単身リオレウスのいるエリアに戻りルインを探し始めるかもしれない。
それならまだいいが、最悪なのはリオレウスに戦いを挑む事だ。
“1人で勝てる訳がない”
冷静に考えれば分かる事だが思い詰めた人間は何をするか分からない。
『やはりこのクエストはリタイアするしかないでしょうか…?そうするとルインは…』
今の状態ではまともに戦えるのはエレノアとウォーレンだけだ。
退くのがベストである。
しかしそうなるとルインの探索はギルドに任す事になる。
ギルドが仲間でさえ絶望を覚えるルインの探索を熱心にするとは思えない。
即ち“クエストをリタイアする事はルインを見捨てる事”となる。
退き際を間違えれば自分達も危うい。
しかし仲間を見捨てれば自責の念に潰される。
誰も責める者はいない、しかし“自分の持つ仲間意識”がそれを許さない。
若い、駆け出しの時は特にそういった感情に囚われやすい。
ウォーレンは一言も返す事なく、ただ揺れる炎を見つめていた。
『ルイン……』
押し黙るウォーレンにそれ以上質問する事は出来なかった。
見上げた空に仲間の名前を呼んでみる。
いつもは綺麗な星達が今夜は冷たく感じられた。
『ルインとは親しくないと言うのは本当なのか?』
会話が再開されたのは夜明けが近くなってきた頃だった。
いつの間にかウトウトとしてしまっていたのだろう、不意にかけられた言葉に過剰に反応してしまった。
『その話をどこで…?』
ウォーレンが火に薪をくべてくれていたので焚き火は燃え続けていたが、やはり朝方になると冷えてくる。
冷えた身体を手でさすりながら聞き返す。
『森の中でリシェスが一度だけ口をきいた。その時にそんな事をいっていたが、本当なのか?』
エレノアは戸惑いからか下唇を噛む。
どう説明しようかと悩んでいる様にも見えた。
『はい…、私とリシェスは幼さい頃からの友人ですが、ルインとはつい先日会ったばかりです。イャンクックの討伐に来ていた私達を流れのハンターだったルインに助けてもらった、それが私達との出会いでした』
焚き火の炎の中に自分達が初めて会った時を見るように目を細める。
『飛竜と戦うのが初めてだった私達はまだ狩りに不慣れで、ランポスにさえ苦戦していました。やっとの事でランポスを倒し油断したところを群れのリーダーであるドスランポスに襲われ、私は深手をおってしまいました…』
言ってエレノアは肩を撫でる。
恐らくそこにその時ドスランポスに付けられた傷があるのだろう。
『その時です、ルインが現れたのは。不意打ちという事もあったのでしょうが、ルインはあっという間にドスランポスを倒しました。そして私達はルインにイャンクックの討伐を助けてもらう事にしたのです』
それについてもまだ話があるらしく、目を閉じため息をつく。
『あ、事後報告でしたがちゃんとギルドにも届けましたから違法ではありませんよ?』
黙って話を聞いているウォーレンに取り繕う様に説明を付け加える。
ウォーレンは大丈夫だというように頷いて見せる。
『それが一週間程前の話です。後は村で話をしたり、簡単な採集のクエストに出かけたりするぐらいでした』
ハンター達の仕事は何も巨大な飛竜と戦うだけではない。
時には薬の材料を集めたり、鉱石を集めたりする事もある。
どのクエストを選ぶかはそれぞれのハンター目指す未来が決める。
強大な飛竜を打ち倒して名声を欲する者。
秘境と呼ばれる場所へと財宝を求める者。
悠久の場所で太古の名残りを探す者。
どれもがハンターで、皆まだ見ぬ“世界”に夢を膨らませている。
もっともどの道も険しく、夢を掴める者は多くはない。
『そして今回が2回目の飛竜討伐でした…』
そこまで言うとエレノアは黙ってしまった。
思い出し、説明すればするほどルインとの距離があった事を痛感する。
思えば彼の事は何も知らない。
それはルインが話したがらないからだったのだが、自分達も進んで知ろうとはしなかった。
彼がここに来るまで何をしていたのかさえ知らなかった。
『そうか、ではあいつがリーダーだと言ったのは何故だ?』
酒場でウォーレンと今回のクエストの契約をした時に、このパーティーのリーダーはルインだと言ったのはエレノアだ。
『それは…、ルインがハンターとして一番長かったからです。私達はまだ新米で、貴方と話をするにもルインの方がいいと思いました』
責められている訳ではないのだが、エレノアはどこか気まずそうに俯く。
何も知らない自分やリシェスがリーダーになれば騙されるかもしれない、そういう事だろう。
確かに悪質なハンターの中には上手い話を持ち出して新人に犯罪まがいの事の片棒を担がせる者もいる。
腕の中にあったアルバレストをぎゅっと抱きしめる。
『そうか…』
一言だけそう言うとウォーレンは炎に視線を戻した。
陽はまだ昇ってはいなかったが、東の空は明るくなりかけていた、反対を向けばまだ夜がそこにいたがそれも後少しの事だろう。
鳥や小さな動物達が目覚めたのかキャンプの近くでも木々の擦れる音が聞こえる。
キャンプは森の中のくぼ地に出来ており、森からは崖、丘からは小さな洞窟になっているためにランポスなどの小型モンスターも入ってはこれない。
『私は依頼は受けてこのクエストに来た』
エレノアが顔を上げウォーレンの方を向く、言っている意味が分からないという様な顔をしている。
ハンターが狩場にいる場合それは【依頼】を受けている。
“流れのハンター”は例外だが、そんな事は誰でも知っている。
ギルドであったり、ギルドの管轄外の場所なら村の村長などから依頼を受ける。
ギルドや王都では観測隊を配置し、飛竜の絶対数を把握しようとしているとの噂がある。
この付近の村や街では見かける事はできないが、観測所を配置してハンター達に情報を提供している街もあるらしかった。
ギルドではその情報を元に各方面からの依頼を受けるかどうかを判断する。
それは辺境の村でも同じ事で飛竜が現れたからといって、すぐに討伐…という訳ではない。
被害が出てから依頼を出すのだ。
ギルドは狩りの功績からランクを設けているが、高ランクのハンターにはリオレウスを単身で狩れる腕をもった者もいる。
そんな者達が自由に狩りをすれば飛竜は絶滅してしまう。
故にギルドがハンター達を管理しているのだ。
『そういう意味ではない、私がこのクエストに参加したのは依頼を受けてのことなのだ』
こちらの意志を読みあぐねているエレノアに言葉を選びながら説明を始める。
『依頼…ですか?ギルドからとは別の…?』
胸に抱き寄せたボウガンに力を込める。
2重契約を罰される事はないが、あまり気持ちの良いものではない。
不振がる視線を隠そうともせずエレノアは前に座る男を見る。
彼の着ているハイメタ装備に焚き火の光が反射し、輝度の小さいランプの様にも見える。
ハイメタ装備とはマカライト鉱石などの金属を大量の鉱石を使って造られるこの装備は金属であるため重いという欠点はあるが、飛竜と戦わなくても鉱石さえあれば生産できるので中堅のハンター達に人気だった。
もっともマカライト鉱石を集めるのに骨を折るので簡単に、とはいかないが。
装備はそのハンターに“生き様”を映す。
こだわり、今までに狩ってきた飛竜、そういった物が装備に表れる。
ウォーレンももうそろそろ中年といった感じで、それなりに荒波に揉まれてきたのだろう。
それはウォーレンの目尻にあるシワや、白髪の混じる髪を見れば分かった。
『そうだ、ある人物からこのクエストに参加するように頼まれてな…』
そこでウォーレンが息を吐くように大きなため息をつく。
表情からは“言おうかどうか”迷っている、といった感じだった。
『何故このクエストなのですか?私達と組むより他の人と組んだ方が成功率も上がるでしょう?』
それは当然だ、彼女達のように駆け出しのハンターと組むよりはある程度の経験を積み、それなりの武具をも