ゆっくりと振り返る〈空の王者〉。
その眼に見つめられただけで心を掴まれた気になる。
紅い甲殻を纏い、蒼い双眼がこちらを睨む。
それでもルインは止まらない。
今恐怖に負け、足を止めればウォーレン達が出てこれない。
そればかりかリオレウスと真っ向勝負を挑む事になる。
そうなれば結果は言うまでもないだろう。
負けられない、負けられない。
リオレウスに、自分の心に、自分の過去に。
足を絡めとろうとする死の恐怖を振り払う様に懸命に足を動かす。
リオレウスの口の周りに炎が煌めく。
(ブレスか!?)
この位置関係はまずい。
リオレウスが火球を吐いたとして横に跳べば後ろのリシェスが反応できない可能性がある。
かといって受け止めれば次に待っているのは“体当たり”だろう。
火球はともかくあの質量の突進をこの小さな盾で捌ききれる自信はない。
(どうする…?リシェスを信じて横に…?)
迷っている時間はない、足も止められない。
時間にすれば僅か数秒の事だろう、この数秒が生死を分ける。
その間にも火竜の口は紅く染まり、今にも火を吹きそうだ。
突如として耳に響く破裂音。
リオレウスの火球が爆ぜたわけではない。
漂ってくる火薬の臭い。
(エレノアのボウガンか!)
次の瞬間リオレウスの尻尾の付け根辺りに小さな爆発が起き、鱗を何枚か弾き飛ばす。
よろめいたリオレウスの陰から飛び出してくるウォーレン、そしてボウガンをたたみ走り出すエレノアが見える。
『ルイン!一気に片を付けるぞ!』
『あぁ!』
ハンマーを持つ手に力を込めながらウォーレンが叫ぶ。
リオレウスはたまらず尻尾を振り回し近付けさせない。
ルインは身を低くかがめ、リオレウスの股下へと潜り込む。
滑り込むようにそのままの勢いで剣を抜き斬りつける。
痛みに尻尾を止めた瞬間ウォーレンのハンマーがリオレウスの顔を襲う。
渾身の力を込めたハンマーがリオレウスの顔を地面へとめり込ます。
顔の甲殻が吹き飛び鮮血が辺りを赤く染める。
『どいて!』
不意に後ろからの声に体が反応する。
ハンマーを抱えたまま横に転がると、彼が居た場所をリオレウスの頭もろともリシェス大剣が叩きつける。
頭を上げかけていたリオレウスは再び地に半分程も埋め、更に大量の血しぶきを上げる。
その間にもルインの剣が執拗に甲殻に覆われていない柔らかな腹などを襲う。
勝てる。
誰もかそう思った。
大量の血を吹き上げながらもがき、振り下ろされるハンマーと大剣に立ち上がる事も許されない。
しかし砂塵が舞い上がったかと思った瞬間、赤い巨躯が消えた。
『あの状態からッ………飛び上がっただとッ!?』
ウォーレンの叫びに一斉に上を向く。
眩しい日差しに目を細めながら重なる影を見る。
代わる代わるに打ち下ろされるリシェスと大剣とウォーレンのハンマー。
その入れ替わる一瞬の間隙をつき、飛び上がったのだ。
信じられなかった。
生物としてもっとも重要な頭部にあれほどのダメージを受け、動けるなど信じたくなかった。
上からはリオレウスに付いていたのだろう、土が落ちてきてた。
このまま体力を回復しに巣に戻るのかと思われたが、羽ばたきながら高度を維持している。
口元からは炎が漏れているので怒っているのかも知れないが、あの高さでは確認しがたい。
『気を抜くな、いつでも追えるようにしておけ』
そういうとリオレウスに視線を向けたままハンマーを腰にかける。
リシェスもボーンブレイド改を背中に背負い空を見上げる。
リオレウスに降りてくる気配は無かった、かといって飛び去るわけでもなさそうだ。
翼を大きく羽ばたかせ器用に旋回している。
あの質量を浮かせているのだ、羽ばたきでさえ受ければ人など簡単に吹き飛ばされるだろう。
『ウォーレン、角笛は?』
視線んリオレウスに向けたままルインが呟く。
『ひょっとしたら降りてくるかもしれない。さっきペイントボールを投げなかったからここで逃げられると……』
彼の言葉に同意したのかウォーレンは頷き、腰に吊り下げてあった、歪んだ円錐形の骨を手に取る。
これこそ角笛と呼ばれるアイテムで、その調律は飛竜や
モンスターにとって不快な音に合わせてあるらしい。
事実、笛に一度息を吹き込めば、その高らかな音が鳴り響くや否やモンスターが集まってくる。
使いどころによっては有効なアイテムだが、それを見極めるのは難しい。
『私なら降ろせるかも知れません』
そう言ったのはやや離れた場所にいるボウガンを背負った少女。
彼女は肩のボウガンを組み立て、薬室に弾を送る。
『いかに飛竜と言えども翼を撃たれれば墜ちるはず…』
そう言って彼女はスコープを覗く。
確かに飛んでいるといっても飛竜は〈魔法の力〉で浮いているわけではない。大きな翼を懸命に羽ばたかせ飛んでいるのだ。
滞空中にその翼を撃たれればどうなるか?それは言うまでもなく落下する事になる。
ただし届けば、の話だが。
怒りに身を任せ羽ばたいたリオレウスはかなりの高度まで上昇した。
いかに
ヘヴィボウガンが威力に優れるといっても届かないかもしれない。
火薬の力を使い爆発させ弾を飛ばす以上、発射時から徐々に速度が落ちる。
ましてや上に向かって撃つのだから速度の減退は著しいと思って間違いない。
そして速度と回転がなければ火竜の甲殻はおろか、鱗でさえ貫けないだろう。
『届きそうか?』
『分かりません…、しかしやってみる価値はあるでしょう』
射角を計算して彼女は3人から離れて行く。
ヘヴィボウガンが重量武器である以上、垂直には発射できない。
ある程度安定する角度でなければ発射時に腕や肩を痛めるかもしれない。
少し離れた距離に腰を下ろしボウガンの照準を上に上げていく。
スコープのレンズに陽の光が反射し、煌めいた。
『エレノア!!』
覗くエレノアは眩しくないのだろうか?
そんな心配をよそに彼女は狙いを定める。
リオレウスの柔らかい場所、例えば腹、胸、尻尾の裏側。
堅い表皮がある場所ではこの距離で撃ったところで弾かれるに決まっている。
しかし脚が邪魔だ、上手く腹に当たらないかもしれない。
それでも撃ってみれば音に反応し、降りてくるかもしれない。
エレノア!!
自分の名を呼ぶ友人の声。
その声を聞いた瞬間、スコープを“赤が覆った”。
何が起こったのか分からない。
ただ体を引き裂くような衝撃を受け、為す術もなく吹き飛ばされる。
目の前で起こった出来事を信じれないというように目を見開く。
砕け散るアルバレスト。
小さな木片を撒き散らしながらゆっくりと落ちていく。
持ち主の少女は激しく回転しながら丘を転がる。
やがて止まっても少女に動く気配はない。
少女の影が少しずつ広がっていく、否影ではない。
“血”だ。
リオレウスの脚にある鉤爪が身を裂いたのだろう。
ランポスらの“それら”とは比べ物にならない程鋭利な爪が防具を裂き、肉に食い込む。
『ルイン!リオレウスの注意を引け!私は彼女を!』
『分かった!』
砂埃を巻き上げながらリオレウスがゆっくりと降りてくる。
『リシェス!リシェス!!』
倒れたエレノアを見つめる彼女、すぐそばまで火竜が来ているというのに動こうともしない。
涙を流しながらただただエレノアを見つめている。
『くそ!』
剣を腰にさし、彼女目掛けて走る。
すでにリオレウスは地に降りている。
ここから間に合うかどうか。
受け身の事も考えず無我夢中で彼女に飛びかかる。
直後に背筋に冷たいものが走った気がした。
今は助走があったから彼女を“押し飛ばせた”、しかしこの状態から動かない彼女を守りながらリオレウスの攻撃をかわし続けるのは不可能に近い。
ウォーレンを見るとエレノアの下に辿り着き、様子を伺っている。
リオレウスの注意をあちらに向けるわけにはいかない。
気を失った人間というのは思いの外重たい、いかにウォーレンが力に自信があるといってもエレノアを抱えてリオレウスから逃げ切れるとは思えない。
突然両頬に走る痛み、乾いた音を聞きながらリシェスは目を瞬かす。
『ごめん!でも、今リシェスがしっかりしないと俺達はやられちゃう、そうするとエレノアも助けられない!』
頬を叩かれきょとんとした表情でルインを見つめる。
『エレノアの事は俺も心配だよ…、みんなに迷惑かけた俺が言うのも、と思うけど。でも今はウォーレンに任せよう?』
『え?ちょっ…ルー…?』
彼の顔が近付いてくる。
自分でも顔が熱くなるのが分かる、端から見れば紅潮しているのは明らかだろう。
『大丈夫、エレノアはきっと大丈夫だよ』
言って彼女を抱く腕に力を込める。
自分が着けているはクック装備だ、イャンクックの甲殻を使ったこの装備は鮮やかなピンクと“棘”が特徴的だ。
そんなものに抱きついて痛くないのだろうか?と心配になる。
『うん…、ごめんなさい、ルー』
『さ、リオレウスが来るよ。走って!』
彼の後ろを見ると先ほど突進して勢いを殺し損ねて転倒したリオレウスが立ち上がろうとしていた。
ルインは身を翻し、リシェスの手を取り走り出す。
『ウォーレンがエレノアを運ぶまでリオレウスの注意をあっちに向かせないようにしないと!』
そう言うと彼はポーチから何か丸い物を取り出した。
それは“ペイントボール”、飛竜に強烈な色と臭いをつける道具だ。
『手を離すけどそのまま走って!』
『う、うん!』
彼はリオレウスへ向き直ると手に持っていた拳程のボールを放り投げる、ゆっくりとした弧を描きながら飛んでいきリオレウスに当たるとボールは小さな音を立て潰れた。
ボールが潰れた瞬間、鼻をつくような臭いが辺りに広がる。
ウォーレンが何だ?と言うようにこちらを向いたが、すぐに何か分かったようでエレノアに向き直る。
リオレウスは飛竜の中でも中型の部類に入る、とはいえその体は小さい訳ではない。
その体に吹き飛ばされればその威力はイャンクックなどの小型の飛竜とは比べ物にならないだろう。
吹き飛ばされた時に頭をぶつけているかもしれない、いくらヘルムを被っているといってもその衝撃が完全になくなるわけではないし、首に衝撃が加わっている場合もある。
だからこそすぐに動かすわけにはいかなった。
それよりも問題は出血だ。リオレウスの足爪に引き裂かれた防具から血があふれてくる。
短時間に大量の血液を失えば“ショック”で命を落とす事もあるという。
エレノアは気を失っているわけではないようだったが、その瞳は虚ろだった。
傷口に何重にも薬草と布を当てて括る。
傷口に触れているというのにエレノアは反応すらしない。
『しっかりしろ!ここでお前が死んでどうする!?』
いくら耳元で叫んでも彼女の反応はない。
ただ虚ろな瞳が揺れているだけだ。
顔色も徐々に悪くなっている気もする。
『ウォーレン!!』
名を呼ばれはっとする。
振り返ればルインとリシェスがリオレウスの猛攻を懸命に避けながら戦っていた。
叫んだのはルインだろう、リシェスにはそんな余裕があるようには見えない。
『リオレウスの爪には毒がある!エレノアは毒にやられてるのかもしれない!』
確かに大量の出血があるといってもこの顔色は悪すぎる気がした。
あの少年に言われるまでそんな事にも気が付かないとは、悔しさが浮かんできたがそんな事を言っている場合でないことは分かっている。
『分かった!私は彼女をキャンプに連れて戻る!解毒薬を調合しに行くから戻るのは時間がかかるかもしれん!!』
言うやいなや彼女を抱えて走り出す。
少しでも速く走るため重たいハンマーは置いていく。
『エレノアを!エレノアをお願いします!』
彼等の姿が小さくなる瞬間、リシェスの声が聞こえた気がした。
『あいつ…、リオレウスの攻撃を避けるのに必死だろうに…』
しかし立ち止まっている隙はない、ここで立ち止まりリオレウスに追われる事になれば彼等の努力が無駄になる。
そればかりかこの状態で追われればエレノアを守りきれる自信はない。
応えを返してやりたかったが、それこそリオレウスの注意を引くだけだ。
彼等には悪いが黙っていくしかない。
『リシェス!大丈夫!?』
鞭のようにしなる尾をかわしながら彼女に声をかける。
激しく動いたせいか顔からは汗が噴き出し、肩で息をしている。
彼女はこちらを見て頷いてみせる。
喋れば呼吸が乱れる、動きが乱れればリオレウスの攻撃を受ける、そうなれば後は死ぬだけだ。
つまり彼女には喋る余裕すらないと言うことだろう。
ルインの
片手剣と違い彼女の大剣は重さが段違いだ。
彼と同じ動きをしてもスタミナの消費は比べ物にならないだろう。
『リシェス、無理しないで!危なくなったら逃げて!』
迫る尾を身を低くしてかわし、股下に潜り込む。
しかしリオレウスの突進を避ける為に決定打を打ち込めない。
もともと彼の片手剣は威力に欠ける。
ウォーレンがいなくなった今、リシェスに頼るしかないのだが、彼女の様子を見ればそれも期待できない。
付かず離れずの距離を維持しながら攻撃を繰り返す。
しかし飛竜と人、体力の差は歴然としている。
このまま持久戦が続けば負けは目に見えている。
何とかしないと、気持ちだけが空回る。
先ほどの打ち合いでリオレウスにはある程度ダメージは与えている。
後一歩、しかし後一歩が詰め寄れない。
手数で勝負、そういってもこちらのスタミナには限りがあるし、いつまでも同じ動きができるわけでもない。
現にリシェスの動きは緩慢になってきている気がする。
緊張と焦り、あとはエレノアの心配だろうか?
それらの思いが彼女を縛り、悪戯に体力を消耗させる。
『リシェス!集中しないと!』
それはきっと口で伝えても無駄な事。
言葉だけで集中できるのなら苦労はしない。
リオレウスの尾をギリギリでかわし大剣を構えるが、構えるだけで精一杯なのか震えている。
『……逃げよう』
剣を腰に差しリシェスに駆け寄る。
彼女はそれでも大剣をしまおうとせず、何故といった表情をする。
『ペイントは付けた、ここで俺達を見失えばリオレウスは傷を癒やしに巣に戻るはず。ならこちらはそこで待ち伏せしよう。行くよ!』
言うが早いかルインは駆け出す、リオレウスの周りを大きく迂回するように。
リオレウスの巣があるのは丘の上の方だ、そうするとリオレウスの後ろにある道から《エリア4》を通りそこから巣を目指すか、大きく迂回し《エリア6》を通るしかない。
しかしエリア6に指定されている場所は険しく切り立った崖であり、登るにはかなりのスタミナを消費する。
どちらにせよ今は目の前の火竜をかわさなければ巣に迎えない。
森を通る道もあるが、それではリオレウスより先に巣に辿り着けない。
『リオレウスの気を引くからその間に先にエリア4へ!』
『でも!?』
ボーンブレイド改を肩にかけ、重さに顔をしかめる。
ルインの方を見ると彼は笑っていた。
『大丈夫!俺の速さなら火竜くらい簡単に抜ける、さぁ早く!』
そう言ってポーチから取り出した何かをリオレウスに向かって投げつける。
臭いからしてペイントボールだろうが、すでにリオレウスには当たっているので効果を重複させる意味はない。
恐らくはリオレウスの注意を自分に向ける為だろう。
狙い通りリオレウスは小さく吠えるとルインに向かって走り出す。
『くッ!?』
火竜は怒っているせいか先ほどよりスピードがあるように感じる。
自然と顔からは余裕が消える。
『ルー!?』
リオレウスもあれだけの勢いを殺しそこねたのか土煙を巻き上げながら滑り込んで行く。
土煙を割り飛び出してくる人影。
『リシェス早く!!』
転がりながら剣を抜き盾を構える。
彼女が自分を心配してくれているのは分かる、しかしその仲間を心配する思いが“彼を苦しめる”。
彼女に浮かんでいるのは、はっきりとした迷い。
このままエリア4に向かうべきか?
それともルインの援護をすりべきか?
先ほどのリオレウスとの戦闘からみれば間違いなく前者を選ぶべきだ。
このままルインの元に戻っても足を引っ張るだけ、エリア4に行くにしても決断は早い方がいい、何故なら彼女がここにいる間彼はリオレウスの注意を引き続けなければならないからだ。
彼女が彼を心配すればするほど囮り役の彼は追い込まれていくという矛盾。
しかし彼女が移動したからといって彼が無事にエリア4にこれるという保証はない。
その思いがリシェスの判断を鈍らせる。
その瞬間にもリオレウスね猛攻が彼を襲い続ける。
『……ルー、ごめん!!』
身を翻し緩やかな坂を駆け上がっていく、エリア4を目指して。
緩やかといっても傾斜がある為、あまり速く走れない。
すぐ後ろから〈死〉が走ってくるのではないかと思うと心臓を掴まれるような思いに囚われる。
次の瞬間に聞くのはルインの断末魔かも知れない、そう思っても胸が詰まり息が上がる。
振り向きたい衝動に駆られる、リオレウスがこちらに向かって来ていないか確かめたい。
彼がまだ生きているか確かめたい。
しかし今は振り返るより、足を止めるよりエリア4を目指す事が彼を救う方法なのだと言い聞かす。
大丈夫、すぐに彼は来てくれる、その為にも自分がまずはこのエリアから出なければ。
『リシェス、そのままっ…!』
両側を小さな崖になった坂道をエリア4を目指して駆けていく。
最後に聞いた彼の声に足を止めてしまいそうになる。
必死に、絞り出すように発したルインの声。
『違う!そんな事ない!!』
自らの不安を声に出して否定する。
やがて開けた場所へと出てくる。
先ほどの張り詰めた空気とは違い、ゆっくりとした時間が流れている。
そして“それ”が彼女に孤独を感じさせる。
『ルー…』
目の前に広い平野があり、そこに独りでいるという不安。
耳を澄ませてみると微かに音が聞こえる。
空気が震えるようなその音はランゴスタといわれる羽虫の羽音だろう。
突然変異で巨大化したこのモンスターは森と丘でもよく見かけられる。
発達した羽は鋭利な刃物の様に鋭く、ハンター達の防具でも斬られる事がある。
何よりも特徴的なのは尾に仕込まれた毒針だ。
防具の隙間をいとも簡単に貫き刺し込まれるその針には弛緩性の毒がある。
もしそれが体に入れば自由を奪われる、ランゴスタ自体ハンターを食する事はないが、エリアにランポスなどがいれば生きながらにして体をついばまれる。
それが飛竜ならば死を宣告されたも同然だろう。
見かけた時は大体一匹ではない、倒してもまたどこからか沸いてくるのでハンター達の手を焼かせる事で有名だった。
『ルー…早く…』
後ろの様子を窺ってみるが彼が来る様子はない。
リオレウスから逃げるのに手こずっているだけだ、きっとそうに違いないと繰り返す。
高台の上にぽつりと開いた小さな穴、あれがリオレウスの巣に繋がる道だ。
イャンクックの討伐に来たときも入ったのだが、それも随分前に思われた。
あの時にも入った洞穴だが、1人で入るには心細い。
まだ昼過ぎだと言うのにここからでは穴の中の様子を探れない、近くに寄ればある程度は見えるのかもしれないがここで彼を待つことにした。
羽虫の音が近くなったり遠くなったりしている、姿は見えないが近くにいるのかもしれない。
普段は何とも思わないのだが、余裕のない今の状態ではその音も疎ましかった。
彼が来るまでに倒しておこうと辺りを見回すが音しか聞こえない。
ふと空が陰る。
太陽を雲が隠したのかと仰ごうとした瞬間、咆哮が空を裂く。
『……っ!?』
背筋を冷たいものが走るのを感じて汗をかく。
空中で大きく羽ばたいたと思うと大きな翼をゆっくりと動かしながら高度を下げる。
彼はどうしたのだろう?
なぜ来てくれないのだろう?
あの状況で彼より先にリオレウスがこの隣接したこのエリアに現れる理由は一つしか思いつかない。
『あ…ああ……』
動かなければ、武器を抜いて応戦しなければ。
しかし考えに反して体は動かない。
やがて〈空の赤王〉は砂埃を巻き上げながら地に降り立つ。
上空にいる時から見つかっていたのだろう、青い眼がこちらを睨む。
『リシェスッ!』
リオレウスの向こう、丘の陰から小さな影が飛び出ししてくる。
かなり疲弊しているようだったが、怪我はしていないようだった、その姿に目の前の恐怖も忘れ安堵する。
竦んでしまった足に活を入れ走り出す、しかし足が震えているのか速く走れない。
リオレウスが後ろから迫って来るのを気配で感じながら、助走をつけ大きく横に跳ぶ、頭を両手で押さえ地面に滑り込んだ。
口の中に苦い錆の味が広がる、着地の衝撃で唇を切ったのかもしれない。
『リシェスごめん!大丈夫?』
『うん、大丈夫…』
差し出された彼の手につかまり立ち上がる。
『この場所は広いけど…』
言って彼は横を見る、幾段かの段差の上にある洞穴、その向こうに飛竜の巣がある。
そこに行くには当然段差を登らないといけないのだが、それは人の身長よりも少し高い。
登れるのは前に来たときに分かっているが、楽に登れないということも分かっている。
『どうする?リシェス』
リオレウスがこのエリアにいる以上、あの段差を登らせてくれるとは思えない。
後ろから火を吐かれればそれこそ一巻の終わりだ。
彼女の顔にも困惑の色が浮かんでいる。
『ここでこのまま、……私頑張るから』
唇を噛み、目を細めリオレウスを見る。
自分が足手まといになっているという事を感じているのかもしれない。
自分がしっかりしていれば〈エリア3〉でリオレウスを倒せたかもしれない、と。
『でも、リシェス……』
無論彼はそんな事は思ってはいない。
彼も彼女もリオレウスと戦うのは実質的には初めてだ。
ルインが立ち回れているのは武器の差、軽い片手剣の機動性がそれを可能にさせている。
しかしその分威力に欠け、リオレウスに致命傷を与える事ができない。
“役に立たない”それは彼と彼女どちらにも言える事だ。
お互いの欠点を補いあってこそのパーティーなのだから。
『大丈夫、ルー…私頑張るから』
『リシェス……』
そう言って微笑む彼女の顔は少し無理をしているような気がした。
実際は少しではないだろうが。
『……分かった、じゃあ行くよ!俺がリオレウスを引きつけるからリシェスは自分のタイミングで攻撃して!』
『うん!』
『でも無理はしないで!大剣のリシェスにリオレウスの注意が向いたら辛いと思うから!』
同時に2人は左右別々の方向に向かって走り出す。
どちらを追うかリオレウスは一瞬躊躇したが、リシェスの持つボーンブレイド改に目がいったのか彼女の方を振り向く。
『お前の相手は俺だよ!』
自分に背を向けたリオレウスに飛びかかる。
背後からの強襲にたまらずリオレウスは転倒した。
ルインの持つ片手剣はリーチが短い、故に狙える場所は決まっている。
顔、腹、足。
火竜にかかわらず生物の弱点として有効なのは顔、つまりは頭と硬い甲殻に覆われていない腹部だろう。
しかし怒り狂った火竜の前に立たなければ頭は狙えない。
腹部にしても足元に潜り込まねばならないが、どちらにしても危険すぎる。
だからこそ彼が狙うのは足。
飛竜は巨大な生物だ、横や後ろから攻撃すれば反撃も受けにくい。
彼女のもリオレウスが倒れたのを見るやいなや身を翻し背負った大剣を渾身の力で振り下ろす。
ウォーレンのハンマー押し潰され、歪に変形した顔の鱗が何枚も弾け飛ぶ。
『リシェス!』
『うん!』
続けて攻撃する事はせず、一撃一撃を慎重に入れていく。
攻撃しては離れ、リオレウスの体力を削っていくという作戦をとる。
リオレウスがリシェスに集中しないよう、手に持った《石ころ》を投げ気を引く。
この石ころは人の力で投げる物の為当たったところでさしたるダメージは与えられない。
むしろダメージなど無いといった方がいいだろう。
石ころは真っ直ぐ飛んでリオレウスの甲殻に当たり、鈍い音を立てて跳ね返る。
それでも衝撃が煩わしかったのか火竜はルインの方を振り向いた。
その瞬間、自分に背を向けたリオレウスの隙を逃すことなくボーンブレイド改の柄に手を伸ばし鋭い気合いと共に振り下ろす。
『リシェス、攻撃の頻度を考えて!焦らなくても勝てるから!でも、焦ると勝てない……ッ!?』
言い終わるのが先か激しい痛みが彼の言葉を遮る。
『ルー!?』
足に力が入らない、いや両手両足、体が崩れ落ちるというのに踏ん張る事さえ出来ない。
『な…に……?』
痛みを感じた背中が熱い。
後ろに聞く羽音で自分に何が起こったのかを理解する。
ランゴスタ。
先ほどリシェスが気にしていた羽音の主だろう。
リオレウスとの戦闘の気配で寄ってきたのかもしれない。
戦いで巣が危ないと思った、というところだろうか?
ランゴスタなどの虫系のモンスターはランポス達の様にハンター達を見かければすぐに襲うという事はない。
しかし一度ハンターが近づきでもすればランゴスタ達は執拗に襲ってくる。
飛竜を待ち伏せするために森に入ったハンター達が大量のランゴスタに襲われ命を落とすという事も決して少なくはなかった。
ランゴスタをただの虫と侮れば、思わぬ窮地に立たされる事になる。
狩場に出れば気を抜いてはいけない、それはハンターなら誰もが一度は聞く言葉だろう。
しかし周囲に気が回らなくなる事は多々ある。
思わぬ素材を手に入れた時。
飛竜の狩猟を成功させた時。
そして、苦戦を強いられた時。
一瞬の油断が命取りになる事は分かっている、しかし感情が高ぶればその事さえ忘れてしまう。
『ルー!!』
『リ…シェス…』
こんなところで、といった感情が溢れ出すがどうする事もできない。
拳に力を入れて立ち上がろとするが拳を握っているのかどうかも分からない。
ただ背中を走る痛みと熱さに顔を歪める。
目の前でリシェスがリオレウスの猛攻を必死にかわしている。
リオレウスに気づかれればおしまいだ。
炎を吐かれるにしろ、体当たりをくらうにしろ、こちらは避ける事さえできない。
リシェスにもそれが分かっているのかリオレウスの前から逃げようとしない。
迫る牙を大剣で受け、突進をギリギリまで引きつけて避ける。
振り下ろしたボーンブレイド改の切っ先が翼を掠め、翼膜が小さく裂けた。
横に転がり尾の一撃をかわしながら足を狙う。
しかし硬かったのか、体勢が悪く振り切れなかったのかボーンブレイド改は鈍い音を立て弾き返される。
『あっ…!』
その瞬間を切り返された尾が襲う。
ガードする事もできず、リオレウスの尾に吹き飛ばされたリシェスは地面を転がり壁にぶつかって止まった。
『り、リシェス…!』
彼女はすぐに起き上がったが、背中を打ちつけたのか噎せている。
リオレウスは彼女の姿を見て勝利を確信したのかゆっくりと近づいていく。
『リシェス…、逃げろ!くそっ…!』
駄目だ、このままでは。
そう思っても体は動かない。
言いようのない苛立ちだけがルインの心に積もっていく。
顔を上げる彼女、その前にはリオレウスが立っている、大剣は…吹き飛ばされた時に落としたのだろう、手には握っていなかった。
『動け…、何で動かないんだ…!彼女を…リシェスを守りたいんだ!!』
瞬間、高い音が響いた。
鈍く響き渡る音、その音に反応しリオレウスは足を止め音のする方へと首を向ける。
『大丈夫か!?お前達!』
『ウォーレン…』
ウォーレンはルインとリシェス、2人の姿を確認すると再び【角笛】に息を吹き込む。
その音色に呼応するかのようにリオレウスは小さく吠え、ウォーレンに向かって走り出した。
角笛には飛竜やモンスターが嫌がる調律がされていると言われているが、ここまで効果があるとは思わなかった、ルインは徐々に感覚が戻ってきた身体を震わせながら立ち上がる。
この間に、リシェスを助けなければ。
ウォーレンがしばらくは引きつけていてくれるだろうが、リオレウスもこちらを忘れているわけではない、いつこちらに向かって来るか分からない。
『リシェス、大丈夫?』
『ルー…』
はっきりとしない表情で見返してくる、よほど強い衝撃だったのだろう。
『辛いだろうけど立って、ほらリオレウスが来るよ!』
向こうを見ればウォーレンがハンマーを振ってはいるが、直撃はさせれない様だった。
ハンマーも大剣と同じ重量武器で手数で勝負するわけではない。
リオレウスの攻撃を避け、渾身の一撃を叩き込むために隙を伺う。
すると自然に手数はさらに減り、リオレウスの注意が逸れる事になる。
『私…大剣……?』
先ほどの転倒で取り落とした自分の武器を探す。
ボーンブレイドはリオレウスが居た辺りに倒れていた、駆け寄って刃の状態を確認する。
頑丈な竜骨で造られたといっても所詮は骨だ。
欠けたりしていれば使い物にならない。
『うん、大丈夫…』
幾分かは刃こぼれしているようだが、これくらいならば【砥石】を使えば切れ味は戻るだろう。
『リシェス!!』
『えっ…?』
名を呼ばれ、振り返ると目の前に“赤い玉”があった。
リオレウスの炎、火球が凄まじい速さで迫ってくる。
とっさの事に動けない。
叫び声を上げる事さえ出来ずに、ただ迫り来る炎を見つめる。
熱いだろうか?
あれを受ければ一発で焼死するのだろうか?
村に運ばれてきた死体、彼もリオレウスの炎にやられたと言っていた。
自分もあんな姿になるのだろうか?
様々な考えが頭の中を廻る。自分の事、ルインの事、エレノアの事。
視界が真っ赤に染まった時死を覚悟した。
凄まじい爆発音と何かが焼ける臭い、耳の奥が痛い。
『リシェス、大丈夫?』
静かな世界、聞こえてくるのは彼の声。
『リシェス!?』
ウォーレンの声も聞こえる。
徐々に聴力も戻り、炎の爆発で巻き上がった土煙も収まっていく。
目の前に居たのは青年。
小さな盾を構えながらこちらを見つめている。
『リシェス、大丈夫?』
あの瞬間、自分と火球の間に入ったというのか。
炎の直撃を受けた盾は変形し、うっすらと煙を立ち上らせている。
それだけではない、彼の腕、足からも煙が上っている。
小さな盾では防ぎきれなかったのだろう、直撃するよりはまし…と言ったところだろうか。
『ルー、私…ごめんなさい』
『立てる?』
顔を上げると彼はこちらに手を差し出している。
『ルー…』
『いつまでもウォーレンを1人にするわけにはいかない、俺達が隙を作らないと…』
頷き、彼の手を取り立ち上がる。
今のは自分のミスだ、立ち止まりさえしなければルインにあんな危険な真似をさせる必要もなかった。
“一瞬の油断が命取り”
その言葉が彼女の脳裏をよぎった。
愛剣を、ボーンブレイド改を手にした瞬間安心してしまった。
リオレウスの炎は直線で飛ぶ、吐く瞬間にも予備動作もある。
気をつけていれば直撃するという事は少ない。
逆に言えば必殺の火竜の炎を受けないように気をつけていなければならない。
炎でありながら質量があるために、当たれば衝撃と爆発で吹き飛ばされる。
その爆発は防具を弾け飛ばし、その火は肉を焼く。
『ルー…手が……』
彼の手が震えているように見える、それだけ凄まじい威力という事なのだろう。
斜に構え、受けるのではなく“受け流す”。
それでもなお受けた者の手を痺れさせる威力、考えただけで背筋に寒いものが走る。
『大丈夫だよ、さぁ早く』
彼は微笑み踵を返すとリオレウスの元へと駆けていく。
その姿を見つめるだけしかできない、戦闘に自分が参加してもまた足を引っ張るだけではないのか?
悔しい、何もできない自分が堪らなく悔しかった。
彼の様に速く動けるわけではなく、ウォーレンの様に経験があるわけでもない。
自分が参戦する事で彼等はフォローまで気を使わないといけないだろう。
先ほどもルインが自分が庇いながら戦っていた事には気付いていた、それに気付かない程初心者というわけでもない。
『私は…』
分かっていた、分かっていたがどうする事もできなかった。
目の前ではルインがリオレウスの攻撃を誘い、その隙にウォーレンが必殺の一撃を叩き込もうと機会を伺っている。
そこに自分が入れるだろうか?
このままここで見ていた方がいいのではないだろうか?
ルインとウォーレン、彼等の連携はとても上手くいっているように見えた。
ならば流れを断ち切るような真似をせず傍観していた方がいい。
自分が加わって悪い方へと流れが向く事は避けねばならない。
ルインにしてもウォーレンにしても顔には疲労感が見て取れる。
あの動きができるのもそう長くないだろう。
それはリオレウスにしても同じだと言えた。
吹き出した血が地面に大量の血痕を残している、動きにしても先ほどの鋭さはなく緩慢になってきているような気がした。
しかしこれはリオレウスの動きに自分の目が慣れてきた、という事かもしれない。
背中に重くのし掛かるボーンブレイド改の柄に手を伸ばす。
『私…何してるんだろう……。戦わないと…でも、私……』
手は剣を握れる。
腕はこの大きな剣を振れる。
後は彼等に続きリオレウスの前に立つだけ。
立つだけだというのに足が動かない。
何故かは分かっている。
“失敗したら、彼等の邪魔をしたら”という思いが彼女の足を重くしていた。
現に先ほどまで足を引っ張っていたのは事実だ。
私のボーンブレイド改では、否私では役に立たない。
その考えが彼女の足を鎖で繋いでいく。
近づけない、柄を握りこの巨大な大剣を振り下ろすだけ。
だが一歩も前に進めない、地についた足を上げる事ができない。
『ウォーレン、ちょっとごめん!』
『何ッ!?』
言うやいなやルインはリオレウスの股下をくぐり抜け、そのまま走る。
『ルー……』
『どうしたの?どこか怪我でもした?』
肩で息をしながら彼は心配そうな顔をする。
ここで先ほどの一撃で足をやられた、と嘘でもつけば彼の事だ戦えなどと言わないだろう。
しかし嘘をつくことによって自分は彼等の仲間を辞めるという事になる。
『私…どうしたらいいのか分からなくて、ルーみたいに立ち回れないし…』
それを聞いた彼は表情を曇らせる。
腕を組み少し何かを考えた後、ルインは笑ってみせる。
『リシェス、俺だって火竜とちゃんと戦えているわけじゃないよ。ウォーレンやリシェスがいたからリオレウスの周りで動けるだけ』
言って腰に差していた剣を抜いてリシェスの前に出す。
『この剣、リシェスのそれより軽いし小さい。でも破壊力という点では比べるまでもなくリシェスの方が上だよ』
差し出された剣を見つめる、全体的な印象としてボーンブレイドなどの“重さ”のある武器より“鋭さ”が目立つ。
鋭く研ぎ澄まされた刃先は良く切れそうな感じがする。
『俺の戦いでの役目は撹乱、俺の武器ではどう頑張ってもリシェスやウォーレンの一撃には届かない。なら俺は一度でも多くリシェス達が攻撃できるように飛竜を誘う』
確かに彼の片手剣は鋭い、しかし
飛竜種の鱗や甲殻には効果が薄いだろう。
武器自体の重さは軽く、重量に任せた一撃を放つ事もできない。
鋭すぎる刃は硬い甲殻に弾かれ切れ味を落とす。
大剣やハンマーなら多少切れ味が落ちたところで武器の重さで振り切れるだろう。
しかし片手剣にとってそれは致命的である。
片手剣が鋭さを失う事、それは武器としての特性を失う事に他ならない。
『だからリシェス…その、上手く言えないけど頑張ろう?』
それを最後に彼は背を向けた。
『俺達ならきっと勝てるよ』
言い終わるが早いか彼はリオレウスに向かって駆け出す。
ひょっとして彼は照れているのだろうか?と思うと少し胸が熱くなった気がした。
このまま自分が見ているだけでも彼等は火竜を狩れるだろう、でもそうなれば自分は?自分の存在理由は何だろう?
仲間が命を賭して強大な飛竜と戦っているというのに自分は見ているだけ。
それが仲間なのだろうか?
リオレウスを狩った時に彼等と喜びを分かち合う事ができるのだろうか?
今の自分は背負ったボーンブレイドの重さに負けているだけではないのだろうか?
ルインの過去を断ち切る為にリオレウスを狩りに来たというのに彼に励まされてどうするのか。
『ルー…、エレノア…』
目を閉じて仲間を思う。
ウォーレンがここに来ているということはエレノアの様態は落ち着いたのだろう。
解毒薬を調合すると言っていたが見つかったのだろうか?
解毒効果のある【解毒草】は森の奥地にまで行かないと生えていない。
エレノアの受けた傷、毒。
体力的に考えて時間に余裕があるわけではないだろう。
それでも草を見つけ、薬を調合し、そしてここにいる。言葉にすればたったそれだけ。“見つけて・作って・飲ませた”だけ。
しかし実行しようと思えば、その言葉は凄まじい労力へと変わる。
見つけると言っても薬草の類はいつも同じ場所に生えているとは限らない。
作ると言っても調合の手順、分量を誤ればそれは薬としての効果はないだろう。
飲ませると言っても気を失った人間にどうやって飲ませるというのか。
薬の素材を見つける目、薬を調合を行える腕。
それらを得るには長い経験が必要になる。
ハンターとしての経験を積んだ者だけが得る事ができる目、腕だ。
未だに駆け出しの領域を出ない自分達に求めても手にできないもの。
知った様な口振りをする者もいるが、それでは仲間を救えない、虚飾の経験では誰も救えない。
エレノア、今ごろベッドの上でうなされているだろうか。
深い傷を受ければ熱を伴う事もある。
尚且つ彼女はリオレウスの足爪の毒も受けている。
いくらウォーレンが解毒薬を飲ませたといっても体に廻った毒が浄化されるまでは苦しむだろう。
彼がここに来たということはある程度エレノアが落ち着いたのだろう。
あの時ボウガンを上へと、空に飛び上がったリオレウスへと向けなければこんな事にはならなかったのかもしれない。
リオレウスが上空にいる時他の3人は止まっていた、ただ一人エレノアは動き舞い上がった〈空の王〉を撃ち落とそうとしていた。
それはボウガンを持った彼女にしかできない事。
しかし如何にリオレウスと言えども空高くから地上の全てを見分けれるわけではないだろう。
その瞬間地上で動く影、そして影が放つ光、弾を撃つ時の発火の光もそうだろうが、そんな単発な物は問題ないだろう。
問題となるのはボウガンを空に向けた事によって生まれる光、陽の光を反射する“スコープ”はさぞかし眩い光を生んでいた事だろう、上空にいたリオレウスからもしっかりと見える程に。
空からの強襲、落下のスピードも相まってそれは恐るべきスピードだった。
エレノア本人も何が起こったのか理解できていないかもしれない。
それほどに速かった。
端で見ていた自分達にもリオレウスが落ちたようにしか見えなかった。
その衝撃は凄まじいものだったのだろう。
持っていたアルバレストは粉々に砕け、原型すら留めていなかった。
とっさに身を庇うためにボウガンを盾にしたのだろうが、防ぎきれるものではないだろう。
例えルインの盾でも防ぐのは無理だと思える。
あの攻撃を防御しようなどと馬鹿な考えを持つのなら
ランス特有の大盾くらいは必要だろう。
ルイン、彼はどう思っているのだろうか?
彼は彼の過去と決着をつけるためにここにいる。彼の村を焼いた飛竜。彼の父と母を奪った脅威。彼を彼の心の中へと閉じ込める忌まわしき記憶。
それらを払拭する為に彼はここにいる。
父と同じ片手剣を手に取り、飛竜を狩るために猟場に立つ。
無論あの時の飛竜ではないことも、そんな事に意味はない事も分かっている。
彼は自分の事を“あの時のまま泣いているだけの子供”だと言った。
しかし目の前の彼は果敢にリオレウスに近づき、攻撃をかわし、手に持つ片手剣で一閃する。
確かにその攻撃は大剣やハンマーに比べれば弱く、か細い一撃だろう、だがダメージが無いわけではない、腹や首などの甲殻に覆われていない柔らかな場所を的確に攻撃している。
その姿に端からは“泣いている子供”の姿は重ねる事ができない。
泣いているだけで何もできないのは自分だ、リシェスはそう思った。
ルインが作った隙に効果的な一撃を見舞う事もできず、彼にフォローをして貰わなければ満足に避ける事さえできない。
如何に大剣が重量武器だといってもこれではお荷物でしかない。
同じ重量武器のハンマーを持つウォーレンは何度かリオレウスとの戦闘経験があると言っていた。
彼も初めてリオレウスと戦った時も自分と同じ気持ちだったのだろうか?
仲間が必死に戦っているのに自分は何もできない、もどかしさばかりが募り気持ちが空回る。
けれど迂闊に飛び込めば待っている結末は目に見えている。
それは“死”という名の終幕。
自分だけが死ぬのならそれでもいいかもしれない、しかしきっとそうはならない。
仲間が倒れれば一瞬でも気を取られるだろう、その一瞬で彼等も倒されるかもしれない。
その一瞬を逃げ切ったとしても志気は下がり、いずれリオレウスに追い込まれる。
『エレノア…私は……』
今ここで自分達が倒れれば、キャンプのエレノアは一人で街に帰る事はできない。
ウォーレンが手当てをしたといっても応急処置くらいなものだろう。
村に戻りちゃんとした手当てをしなければならない。
クエストの期限がくればギルドの使いがキャンプを引き上げに来るだろうが、エレノアの出血量や毒を受けた事を考えれば迎えが来るまでもたないだろう。
『私は……』
ならば、ならばこそ。
『私はリオレウスを!』
下唇を噛み、リオレウスに向かう。
ルインの後ろ、彼がリオレウスを振り回した隙を狙い駆け出す。
口の中に苦いサビの味が広がる、噛んだ時に唇を切ったのかもしれない。
『!?』
『リシェス!』
こちらを向こうとするリオレウスの頭を目掛けボーンブレイド改を振り下ろす。
しかし、踏み込みが足りなかったのかリオレウスの顔の鱗の表面を刃が滑る。
すかさず横に転がり刃を収める。
『そうだリシェス無理をするな!ルインの隙を生かし一撃一撃をしっかり当てる事だけを考えろ!』
ルインを中心に左側にウォーレン、右にリシェスがつく。
リオレウスが前進すればルインは下がり、彼等もまたそれについて下がる。
両翼は決してルインから離れる事をせず、ルインはリオレウスの正面から離れない。
手数のもっとも多いルインをリオレウスが狙い、彼は紙一重でその攻撃をかわす。
『ふんッ!』
そしてその隙を逃す事なくウォーレンがハンマーを打ち下ろし、リシェスもそれに続く。
ルインとていつまでもあの動きを続けれるわけではないだろう、早く決着をつけなければ。
誰一人として口に出すわけではないが、皆に緊張感が伝わっていく。
体力、疲労と共に限界だ、ウォーレンはヘルムを着けているために表情は分からないが、ルインの顔には明らかな“疲れ”が浮かんでいる。
『ルイン!リシェス!気を抜くな、ここが正念場だ!』
不意に響いたウォーレンの声に考えを中断される。
考えは動きを鈍らす、特に一瞬の判断ミスが生死を分ける飛竜との戦いに迷いなどは禁物だ。
集中しなければ。
目の前の火竜の動きを見落としてはいけない、どんな小さな動きも見逃さず次の動きを予測しなければならない。
それでいて仲間の動きにも合わせなければならない、集団での狩りの最も難しいところは“チームとしての連携”だろう。
『リシェス伏せて!』
言葉を理解した瞬間、確認もせずに身を屈める。
すると空を裂く音とが頭上の上を通り過ぎた。
リオレウスの尻尾だろう、顔を上げるとその大きな尻尾を身を捩りウォーレン目掛けて振り回す。
ウォーレンはヘルムを被っているので表情は分からなかったが、今のはかなりギリギリだと思えた。
『落ち着いていけば必ず勝てる!油断はするな!』
しかしウォーレンは仲間に声をかけるのを止めない。
緊張の中では言葉を発するだけでも体力を消費する。
いかにウォーレンが場数を踏んでいるといっても決して楽ではないだろう。
しかし時に言葉、時には合図で仲間との“会話”をしなければ連携は生まれない。
それらを必要とせず連携ができるのが“理想”だろうが、彼等はまだ組んで間もないパーティーだ、会話なくして連携を生む、それは長年連れ添ったパーティーであっても難しいだろう。
『リシェス、ウォーレン!』
尻尾の回転が止まった瞬間を見計らってルインが足へと切りかかる。
飛竜いえども足に疲労が蓄積されてきているはず、そう睨んだのだろう。
飛びかかり斬りつけ、返す刃で続く、素早い斬撃の応酬リオレウスはたまらず小さく吠え転倒した。
倒れ込んだリオレウスの下敷きにならないよう横に転がり、リシェスの後ろを迂回してリオレウスの腹側に回り込む。
背中側は鱗が幾重にも重なり堅い甲殻に発達している為、片手剣といえども弾かれる。
それはリシェスの大剣でも同じだろう、重さを生かした攻撃であっても弾かれ火花を散らす。
必死にもがき立ち上がろうとするリオレウスをウォーレンのハンマーが押さえつける。
頭を見ると無惨にも鱗が剥がれ、《勇壮たる空の王》の面影は微塵も感じられない。
『!!?』
それでも立ち上がり、吠えたリオレウスはルイン達を見向きもせず足を引きずりながら“歩く”。
『逃がすな!ルイン!!』
巣に帰って傷を癒やすつもりなのだろう、ある種の飛竜に見られる行動だ。
リシェスも大剣を背負い、リオレウス目掛けて駆け出す。
ウォーレンも声をかけながら攻撃を仕掛けるが、リオレウスは飛び上がる。
『くそっ!』
『巣に行くつもりだな、お前たち応急薬を飲んでおけ多少なりとも体力が回復するだろう。スタミナが回復したら仕留めにかかるぞ、“手負い”の者ほど狂暴な者はない、何度も言うが気を抜くな!』
2人は頷きポーチから透き通った緑色の液体が入った瓶を取り出し中身を飲み込む。
口の中に苦い味が広がっていくのだけは何度飲んでも慣れない気がした。
『リシェス、刃は研がなくても大丈夫?』
『あ、ありがとう…』
背負ったボーンブレイド改の刃の調子を見ると所々欠けていた、彼が差し出した砥石を受け取り礼を言う。
『準備はいいか?あまり時間を開けるとリオレウスが回復するぞ』
『そうだね…、リシェス?』
彼女の大剣はその名の通り巨大だ、しゃがみ込んで研いでいる彼女にルインが心配そうな顔をする。
『うん、大丈夫。さぁ行こう!』
顔が心配しないように出来るだけ笑ってみせる。
この段差を登ればリオレウスのいる巣に繋がっている。
高さは人より少し高いくらいだろうか?、少しジャンプすれば登れそうだ。
上に登るとランゴスタが1匹いたが洞穴に入れば追ってくる事はないだろう。
今はそんな事よりもリオレウスに集中しなければならない。
『……ランポスがいるかもしれなんな、どうする?』
洞穴に踏み込もうとした足を止め振り返らずに聞いてきた。
『ランポスは俺が、リシェスとリオレウスを』
言ってリシェスを見ると彼女は小さく頷いた。
洞穴からは昼だというのに冷たい風が流れてくる。
リオレウスを倒せるかもしれない…、そう思うと胸が自然と高鳴る。
同時にまたあの火竜の前に立つのかと思うと足が震える気がした。
『よし、行くぞ!』
洞穴の中に入ると息が詰まるような感覚を覚える。
閉鎖的な空間という事もあるだろうがそれだけではない、火竜という存在が威圧感を放っているのかもしれない。
引き返したい衝動を必死に噛み殺し、彼等の後ろをついて行く。
『ランポスがいるな…ルイン、頼めるか?』
彼は静かに頷き腰に差した剣に手をかけ身を屈める。
『リオレウスは寝ているな、リシェスは私が仕掛けてから出てこい』
『どうして…?』
困惑した表情を浮かべウォーレンに問い掛ける。
やはり足手まといと言いたいのだろうか?
ウォーレンは首を横に振り、息を吐くように答える。
『どんな生物でも寝込みを叩き起こされれば激昂する、いきなり暴れた時の事を考えれば動きの遅い大剣より私の方がいいだろう』
その向こうでルインも頷いている。
確かに経験の薄い自分ではいきなりの事態には対応できないかもしれない。
『うん、わかった』
納得したのか彼女は頷いて大剣の柄から手を離す。
『じゃあ行くよ』
ランポスの方を向きその数を目でざっと数える。
『お前がランポスを半分倒したら私も出る、リオレウスは無視してランポスだけを集中してくれ』
彼は頷き駆け出した。
速い、いつ見ても彼は速い。
真っ直ぐ直線な動きだが、彼の速さは際立っているように思える。
もっとも他の片手剣使いと組んだ事はないのであれがルインの能力なのか片手剣の特性なのかは分からなかったが、隣のウォーレンが感嘆の息をついている事を思えばきっとルインの“速さ”は本物なのだろう。
奥にいたランポスとの距離をあっという間に詰め、腰のハンターナイフ改で一閃する。
ランポスが倒れたと思った瞬間にはもうルインは次の標的へと駆け出している。
『リシェス、リオレウスは恐ろしいか?』
『えっ?!』
不意にかけられた声に飛び上がりそうになる。
『リオレウスは恐ろしいかと聞いている』
何を言い出すのかと思ったが、嘘をついても簡単に看破されるだろう。
『はい…』
何を言っても自分が火竜を恐れ手を出せなかったのは事実だ、エレノアがリオレウスに倒された時に胸に言いようのない感情が渦巻いたが、それはリオレウスの咆哮でいとも簡単に霧散した。
同じ“憎しみ”を持つと言ってもルインとは深さが違うのだろう、いやエレノアはまだ生きている。
自分はリオレウスを憎んだわけではない、ただ“怒った”だけだと彼女は思った。
『それでいい、“恐れ”を無くした者は死んでいるのも同然だ。…その気持ちを忘れるな』
そう言ったウォーレンの目はどこか寂しそうな影を落とした。
『それは…』
『行くぞ、いつまでも話している場合ではない。お前はタイミングを見て出てくるんだ』
言葉の意味を聞こうとしたが、少し大きくなった彼の声に遮られた。
頷いて返事を返すとウォーレンも同じように頷きハンマーを握ってリオレウスへと走っていく。
『恐れを無くせば死んでいるのも同じ……』
どういう事なのだろう。
ハンターである父や母には常日頃から恐れを克服した者が狩場で生き残れると聞いていた。
しかしウォーレンは恐れを忘れるなと言う。
だが先ほどの戦闘で彼は果敢に攻撃を仕掛けていた、その姿はとても恐れがある人間とは思えない。
『ふぅ……』
駄目だ、考えれば考えるほどにこんがらがる。
彼女は諦めてリオレウスを見る、先ほどの答えは火竜を狩ってからウォーレンに聞けばいい。
リオレウスは今だゆっくりと寝息を立てている。
これからウォーレンの持つハンマーで叩き起こされるなどとは夢にも思っていないだろう。
頭から吹き出していた血はすでに止まっており、赤い鱗は薄黒く変色している。
あれほど出血していたというのに恐ろしいまでの生命力だ。
リオレウスに近寄り寝ているのを確認するとウォーレンは辺りを見渡す、ルインの位置を確認しているのだろう。
彼はちょうどリオレウスの後ろの辺りでランポスを切り崩しているところだった。
6匹ほどいたランポスはすでに半分もいない、リオレウスが目を覚ますまでには全部を狩ってしまうのではないかという早さだ。
ウォーレンは満足そうに頷くとハンマーを振り上げる。
天窓から降り注ぐ光が彼の持ったハンマーに反射して鈍く光を放つ。
そして振り下ろされるハンマー、その瞬間思わず目を背けてしまう。
【寝耳に水】という諺があるが、リオレウスにとってはそんな生易しいものではないだろう。
何かが潰れるような音が響き、リオレウスの絶叫が洞窟内に反響する。
狂ったように尻尾を振り回し、狙いをつけようともせず火球を吐き出す。
ウォーレンもさすがに慌てながらリオレウスから距離をとり、ハンマーを構え直した。
ルインやランポスもリオレウスが目を覚ましたのに気付きやや距離を置く。
眠りを邪魔されて怒っているのだろう、目の前のウォーレン目掛けてリオレウスは走り出す。
『むっ!?』
予想外のスピードだったのかウォーレンは小さく呻くと横に転がった。
リオレウスもすぐに躯の向きを変え体勢を崩したままのウォーレンに向かって再び走る。
『ウォーレン!?』
その様子を見ていたルインが叫ぶ。
ハンマーは武器自体は大きいが、重すぎるのとその形状から防御するのには向かない。
攻撃はほぼ直撃で受ける形になる、だからこそ飛竜やモンスターの攻撃をかわせる正確な位置取りが要求される。
駄目だ、当たる。
リシェスは思わず両手で顔を覆った。
そうしても目の前で起きている現実を拒めるわけではないのだが。
しかしウォーレンの絶叫が聞こえてくるわけでもなく、リオレウスが走る度に小さな振動が洞窟を揺らしていた。
ランポスを全部狩り終えたルインはリオレウスの前に回り剣を振るう。
その向こうでウォーレンがうつ伏せに突っ伏しているのが見えた。
死んでしまったのだろうかと見ていると、いきなり動き出しリオレウスに向かっていく。
すんでのところで避けるのが間に合ったのだろう、動き出した彼を見て安堵の息をつく。
自分もこうしてばかりはいられない、そろそろ出て行かなければ。
幸い遠くから見ていたせいかリオレウスの動きにもなれてきた。
リシェスは大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせると肩のボーンブレイド改に手をかける。
『集中しないと…!』
呟き、大きく息を吸い込むと一気に陰から飛び出す。
それに気がついたのかルインは一瞬こちらを振り返る。
リオレウスの周りを大きく左に移動するようにウォーレンに合図を送る。
ウォーレンもルインと同じようにリオレウスの左、左へと攻撃しては移動する。
『ルー…』
それを追いリオレウスもまた彼等の方へ、左へと方向を変える。
リシェスがリオレウスに辿り着いた時、彼女の目の前には火竜の背中が見えていた。
リオレウスの注意を自分達に向け、リシェスに無防備な背後からの一撃を入れさせる為に。
『やぁぁぁッ!!』
走りながらの勢いを殺す事なく、ボーンブレイド改を振り下ろす。
鈍い感触が刀身を伝い、手を痺れさせる。
弾かれたと思ったがそうではなく、ボーンブレイド改の骨で出来た刃はリオレウスの足の付け根辺りにめり込んでいる。
リオレウスはたまらず動きを止めた。
その瞬間に頭を目掛けてウォーレンの持つハンマーが叩きつけられる。
衝撃に怯んだのかリオレウスはおぼつかない足取りで後ろに下がり、その瞬間飛び出したルインがリオレウスの胸を目掛けて剣を突き立てた。
火竜の大きな躯が小さく震え、口から炎が漏れたかと思うとリオレウスは翼を大きく広げ崩れ落ちていく。
『……うそ…』
その光景はとてもゆっくりとしたものに思えた。
火竜の瞳にすでに光はなく、地面の細かな骨粉や塵を巻き上げ倒れる。
『やったの……か?』
ルインも信じられないといった表情でリオレウスを見つめている。
『よくやったな、お前達』
後ろからウォーレンの声が聞こえ、振り返るとヘルムを脱いだ彼の姿があった。
天窓から降りてくる光のせいか汗に濡れたウォーレンの笑顔が眩しく感じた。
彼が笑っているのを見るのはこれが初めての気がした。
『私達が…リオレウスを……』『そうだ、お前達が火竜を狩ったんだ。しかし喜ぶのは村に帰ってからだ』
ルインも隣で静かに頷く。
『エレノア!』
『早く剥ぎ取って戻ろう、エレノアを村の医者に見せてやらねばな』
言ってウォーレンは腰から小振りのナイフを取り出した。
ハンターなら誰もが持っているギルドから支給される“剥ぎ取り専用”のナイフだ。
ハンターによって色々な武器や防具を着ているのにこのナイフだけはベテラン、初心者とも同じ物を持っている。
今すぐにでもキャンプに戻りたかったが、剥ぎ取らずに戻ったと言えばエレノアは怒るかもしれない。
地に伏せて動かないリオレウスを見て唾を飲む。
動かない飛竜だというのに何故か緊張して手が震える。
幼い頃に父に連れられて行った街で見かけたハンター。
そのハンターが背負っていた赤く燃える様な武器。
あの時はどんな名前なのかも分からかったが、火竜の素材を使った大剣だということは今では分かっている。
当然一度や二度リオレウスを狩ったくらいでは造れない事は分かっているが、それでも期待に胸を膨らませる。
鱗の間にナイフを滑らせ剥がしていく、剥ぎ取った甲殻はまだ温かい気がした。
温かい命の温もり、これも村に持って帰る頃には冷たくなっているだろうが、素材として武器や防具を造りハンター達に受け継がれる。
『さぁ、戻るぞ』
『そうだね、みんな…お疲れ様』
そう言ってルインは微笑んだ。
『う……私は…?』
目を開けると見知った顔が自分を覗き込んでいる。
『エレノア!よかった!』
1人は女でもう2人は男だ、その女は自分ととても仲の良い人物だ。
『リシェス…』
そうリシェス、幼い頃から共に育った友人だ。
“豊さ”を意味する名の通り彼女の笑顔はとても温かい。
涙を流しながら自分の上に覆い被さっている。
『リシェス、傷に障るからあまり無茶をするな』
彼はウォーレン、最近知り合ったハンターで年の頃は30手前くらいだろうか。
無精ひげを生やしているのでだらしなく見えるが性格は細かくきっちりとしている。
『でも本当に良かったよ、どうなる事かと思った』
もう一人の男が微笑みながら口を開いた。
リシェスに“ルー”という愛称で呼ばれる彼は、どちらかと言えば少年といった感じだ。
彼の言葉でだんだんと思い出してきた。
自分達は火竜リオレウスを狩りにきたのだ、そして狩りの途中に…
『リオレウスは……?』
思い出すと途端に胸の傷が痛む、その痛みは起き上がる気力を無くさせるほどのものだ。
『大丈夫、大丈夫だから…。だからゆっくり休んで?』
『そうですか…』
リシェスが手を握ってくれているのかとても温かい。
ふと横の木でできた残骸の山が目に入った。
聞かなくとも分かる、これは自分の“相棒”だ。
『あ、これ村の鍛冶屋さんなら直せると思って集めておいたの』
視線に気がついたのかリシェスもアルバレストだった物を見つめる。
『ありがとうございます…』
リシェスは本当に直せると思っているのかも知れないが、実際に修理は不可能だろう。
一度溶かして鍛え直す刀剣類と違いボウガンは様々な部品を組み立てるものだ、強化するといっても内部の部品を組み換えるぐらいなもので、素材を手に入れたら新しいボウガンを造って貰うのが一般的だった。
もし仮に修理が可能だったとしても部品のほとんどを取り替える事になるだろう、そうすれば“それ”は新しいボウガンとなんら変わりない。
『リシェス、少し休ませてやれ』
テントの外からウォーレンが呼ぶ、煙の臭いがしたのでルインと火を熾しているのかもしれない。
『ごめんねエレノア』
そう言うとリシェスもテント外へと小走りで駆けていく。
アルバレストを見つめ小さく呟く。
『今までありがとう…』
自分の相棒は“あの時”自分を庇って死んだのだ。
そう思うと涙が浮かんできた。
アルバレストがこうなっていなければ死んでいたのは自分だ。
最初にハンターになると決めた時に自分はこのアルバレストを、リシェスはボーンブレイドを村の武具屋から購入した。
それから共に村のハンターから調整の方法や整備の仕方などを教えてもらい、気がつけば一晩中アルバレストとにらめっこしていた事もあった。
本当に大切にしていたのだ。
自分の相棒はリシェスとこのアルバレストだといつも信じていた、信じていたからこそ最後に守ってくれたのだろうか。
直せなかったとしても、思い出としてスコープくらいはずっと大切にしておこうと手を伸ばすが、身体を上手く動かせない。
目の前がだんだんと霞み、リシェス達の声も聞き取りにくくなってきている。
睡魔、だろうか?
抗いがたい感覚に身を任せ、意識は沈んでいく。
遠くに木の車が回る音を聞きながら。
『エレノア、迎えが……た…』
リシェスがテントに入って来たのだろうが、顔もよく見えない。
完全にリシェス達の声も聞こえなくなり彼女の意識は深い深層へと沈んでいった。