時間が止まる錯覚を覚えた。 霊刀の動きも得意の獣めいた駆動も止められた状態で、紅煉は確かにそう錯覚していた。 時が動き出したのは次の瞬間の事。 彼の顔面に、頭蓋が弾け飛んだのかと重ねて錯覚するような衝撃が炸裂した刻だ。 「――げばァァアアアアアアッ!?」 何も特別な事などない。 くまは、只殴り飛ばしただけだ。 戦いである以上いつだって起こり得る事象。 昨夜のように肉球で弾き飛ばす搦手を食らった訳でもない。 なのにその一撃は紛れもなく、紅煉の此処までの生涯と比べて尚際立つ重さと痛みを伴っていた。 「ごッ、が、ァッ…!」 地面を転がって、自分が殺した人間の血と粉塵に塗れる。 未だビリビリと残留する衝撃に脳が揺れていた。 そんな状況でも凶相に怒りを浮かべて獣は顔を上げる。 「て、めぇ…! やりやがったなァ、クソ野郎ォ――」 そう言って顔を上げた彼の視界に入った景色。 それは、息を切らしながら懸命に立つ少女と。 あいも変わらずその矮躯を守るように立ち塞がる大男の姿だった。 何の変哲もない光景。 なのにそれが、今は果てしなく忌まわしく感じられる。 何故立っている。 先程までああも情けなく泣いていた餓鬼が、何故今こうして自分を睨み付けているのだ。 「…け、っ。け、けけけけけ! ガキはいいなぁ単純な脳ミソしててよぉ! 単純だからちょっと優しく諭されりゃ、三秒前にあった事は忘れちまえるのかぁ! これだけ大勢死なせといてよぅ、随分虫のいい脳ミソだなぁ! ひぃっひっひっひっひ!」 「――忘れたりなんか、しません」 レイサは紅煉の悪意に、今度は耳を塞ごうとはしなかった。 明確な答えを示して彼を睥睨する。 「するもん、ですか…!」 奪われたのは事実。 守れなかったのも事実。 失われた命はもう二度と帰って来ない。 たとえ世界によって再現された仮想の命だったとしてもだ。 此処で確かに息をして、笑って泣いて生きていた彼らの存在はレイサにとって確かに命だった。 それを喪ってしまった事に心を痛めない程恥知らずにはなれない。 「私は…全部背負って、生きていきます。私は皆さんとは違って弱くてバカなので、これからも沢山泣いて迷惑を掛けるでしょうけど」 だとしても、もう足は止めない。 帰りたい場所があるから。 どれだけ傷付いても貫きたい志があるから。 「私は、私で居ます。誰かを守る為に戦う私のまま、背負い続けます!」 「――ほざけよガキがァァァ!」 嗚呼、面白くない面白くない! こんな物を俺は一片たりとて望んでいない。 「雑魚が一丁前に調子付きやがってぇ、目障りなんだよォ! てめぇみてぇな力のねぇメスはよォ、俺の餌になるくらいしか価値がねぇだろうがァ!!」 [[フレイザード]]が作り、己が完遂する筈の筋書きが滅茶苦茶だ。 極上の餌に手を噛まれるという屈辱を味わった紅煉の怒りはもう止まらない。 癇癪のように喚き散らしながらバケモノは破壊の化身となって突撃する。 神の怒りにでも触れたような、稲妻の槍が数十と同時にくまとレイサを消し去るべく放たれた。 が…。 「その雑魚一人の心も折り切れなかったお前が、何を偉そうに語ってるんだ?」 その悉くが弾き飛ばされる。 打ち落されるのではない、弾かれたのだ。 ニキュニキュの実を食べた"肉球人間"。 彼の肉球は有形無形を問わず触れた全てを弾き飛ばす。 「ッぐゥ――!?」 失意のレイサを守る役目に縛られていたくまはもう居ない。 再起したヒーローの"盾"ではなく"相棒"として立つ彼は、海の豪傑としての強さを十全に発揮する事が出来る。 自分が放った雷槍の炸裂に炙られて悲鳴をあげる紅煉。 鬱陶しげにそれを霊刀で切り払った時、彼の体は再び巨体の影に収まっていた。 「どうした。おれを嬲り殺すんじゃなかったのか」 「ッ…見下ろしてんじゃねぇぞッデカブツがァ!」 まさしく猛獣のように、バケモノは牙を剥く。 彼の牙たる霊刀は宝具と認定された業物だ。 そして紅煉の型に嵌まらない動きで振るわれるそれは、英霊をして容易くは凌げない嵐になる。 だが、嵐は嵐だ。 “ッ、硬ぇ…! 何で出来てやがんだコイツ……!?” 海の男は傷だらけが常だ。 それはこの時でも同じだった。 然し、傷が浅い。 紅煉はこの至近距離(インファイト)であるにも関わらず攻めあぐねていた。 驚異的なまでの頑強さが彼という嵐を跳ね除け続けている。 紅煉の焦燥を見抜いたように、真上から強烈な推進力が彼を地に叩き伏せた。 「"圧力砲"」 「ごぶゥッ…!?」 ふざけた肉球状の力の塊が、紅煉を地にめり込ませていく。 攻防共にA+ランク、バッカニア族の末裔と並ぶ能力値を持つ彼でさえ抗おうとすれば骨の砕ける大圧力。 已む無く雷を全身から横溢させ、範囲攻撃でくまに後退を強いる事に成功するが。 雷の吹き荒ぶ中でその巨体が四股を踏む。 突き出された両手は砲口となり、未だ体勢を立て直し切れていない紅煉へ向く! 「――"つっぱり圧力砲"!」 「ッギ――!?」 一撃、否! 「おおおおおおおおッ!!」 「があああああああッ!?」 圧力砲による連射攻撃! 嵐を司るのはバケモノだけの特権に非ず。 無数の肉球が紅煉の体を頭の先から足の先まで滅多打ちにしながら、壮絶なダンスを踊らせ吹き飛ばした! 「ご…ッ、はぁ、ぁ゛……! 頭に、乗りやがってェ……!」 紅煉の脳裏を満たすのは苛立ちと不可解だった。 紛うことなきバケモノである紅煉の身体性能は先に述べた通り、くまの巨体に比肩している。 なのに何故こうまで攻め切れない。 何故掌を返されたように自分ばかりが打ちのめされる。 その答えはきっと、彼には理解出来ない。 何故なら紅煉は恐るべきバケモノではあっても、ヒトの意地や志を理解出来る存在ではなかったから。 ――神をも殴り飛ばした平和主義者。 それが[[バーソロミュー・くま]]という男である。 彼の力が最大限に発揮された瞬間、それは世界を司る五体の神(バケモノ)の一体へ一矢報いたあの瞬間。 一つの世界に於ける不文律を科学の理屈を無視した意思の力だけで捻じ伏せ、歴史を揺るがした反逆の一撃。 其処に泣いている子供が居るのならば。 その生き様を支配しようとするモノが居るのならば。 [[バーソロミュー・くま]]は必ず立つ。 どれだけ傷だらけになろうとも、孤立無援であろうとも。 海賊として、そして一人の父として――"ヒーロー"として! 「ニヤけ面が曇っているぞ、セイバー」 指摘され、紅煉はハッと自らの姿を自覚した。 正義と悪。 ヒーローとヴィラン。 逆転していた筈の天秤がいつの間にか元に戻っている。 悪が只管に正しい物を凌辱する筈の残酷劇が覆っている。 今這い蹲っているのは紅煉の方だ。 あんなにも弧を描き歪んでいた口元はいつしか逆向きになっている。 自覚した途端に紅煉は己の脳が沸騰し視界が赤く染まるのを感じた。 「舐、め、て、ん、じゃ、ねぇぞ糞がァァァァァ~~~ッ!!!」 殺す! この俺を、紅煉様を見下したこの野郎だけは絶対に殺す! その赫怒がこれまでとは比にならない妖力をその霊基から引き出していく。 瞬間、レイサは此処までの聖杯戦争で見た何よりも恐ろしい光景に息を呑んだ。 怒り狂うバケモノを中心に巻き起こる炎と雷の坩堝。 頑強なキヴォトスの生徒達でさえ、掠めただけで四肢が容易く吹き飛ぶだろう力の波濤。 これがサーヴァント。 そしてこれが聖杯戦争。 恐怖に体が再び震えを帯びる。 だがそんな彼女の耳を優しい言葉が慰めた。 「大丈夫だ。おれを信じてくれ、レイサ」 その時レイサは、目前の背中と誰かの背中が重なったのを感じた。 自分の事など何も顧みず"誰か"の為に奔走する大人が居た。 レイサの何かを変えてくれた、そのきっかけになってくれた人。 恩師と呼べる人の背中と、今目の前に居るくまの背中が重なって見えた。 「…、はいっ!」 空元気で声を張り上げる。 声の大きさくらいしか取り柄のない自分だから、せめてそれを惜しむべきではないと思った。 「ちょっと体がデケぇだけでよぉ…! ちょっと俺の鼻を明かせたくらいでよぉ……! この紅煉が負けると思ってんのかぁ……!? すぐに主従揃って耳障りな口利けねぇ体にしてやらァァ!!」 紅煉の咆哮が都市を揺らす。 同時に放たれた炎雷は間違いなくこれまでで最大規模の物だった。 これぞ血に飢えたバケモノの本気。 醜く肥大化した、されど強さにかけては誰にも遅れを取る事のなかった字伏の最大の殺意。 ――獣(ケダモノ)の厄災が、雷鳴と共に今こそ牙を剥く。 「…ライダーさん……!」 「――――」 自分を信じて立つ少女の声。 それを耳に、くまは厄災を見据える。 両の肉球に力が集約されていく。 何処までも、何処までも。 極限の圧縮率で一つになっていくエネルギーは、見た目にも派手な紅煉の本気に比べて酷く地味だった。 故に紅煉は勝利を確信する。 笑みを取り戻した獣に対し、くまは無言のまま瞑目していた。 災禍が通るその瞬間に、只一つ呟いて男は開眼する。 天下分け目、善悪の彼岸。 その一瞬に轟く――海賊の声! 「――"熊の衝撃(ウルススショック)"――!」 世界が震撼した。 文字通りの意味で震え、爆ぜた。 くまが圧縮していたのは惨劇の跡たるこの街に満ちていた大気だ。 それをニキュニキュの実の能力で極限まで圧縮。 そしてその大気を、紅煉へ向けて解放した。 圧縮された大気が元あった所へ戻る爆発的なエネルギー。 これが引き起こす莫大なる衝撃波こそが、彼の最大の大技。 台風一過とはまさにこの事。 世界を揺るがす風が吹き抜けたその後に―― 「…は、ぁ……?」 紅煉の炎も雷も、一欠片たりとも残ってはいなかった。 全て消し飛ばしたのだ。 一撃の元にあらゆる悪意を正義が粉砕した。 残されたのは呆けた面で立ち尽くす紅煉のみ。 その視界に、二人のヒーローは膝すら突く事なく立ち続けていた。 「――覚えてろよ、テメェら」 地の底から響く声とはまさにこの事か。 負け犬の遠吠えと片付けるには悍ましすぎる声が紅煉の喉から響いた。 「次だ…次こそ二人揃って地獄を見せてやるからなぁ……! 特にお前だ、ガキ! ひ、っははははは……! 次はおめぇのせいで何百人死ぬだろうなぁ。次もまたピーピー泣いて這い蹲ってくれよぉ? てめぇみてぇなムカつくガキの泣き声程唆るもんもねぇからなぁ。けけ、けけけけけけっ……!!」 「セイバー」 紅煉は直情的だが莫迦ではない。 正真正銘の全力を放った上で破られたのだ。 この期に及んで無為な突撃を敢行する程、彼は間抜けではなかった。 二度目の敗北を喫した事実は彼の自尊心を著しく傷付けたが。 それでも次こそ勝つ。 次こそ、この目障りな"正義の味方"共を魂まで凌辱し殺してやるのだと獣は嘲りながら誓った。 その悍ましく狂おしい姿にくまが言う。 「可哀想な奴だな、お前は」 「…あ?」 「知らないようなら教えてやる。お前のやっていることは、"誰にでもできること"だ」 聞く価値のない戯言。 さっさと背を向けて逃げればいいだけの話だったが、紅煉の足を止めさせたのはくまの眼だった。 その眼が、この言葉が只の挑発や恨み言でない事を物語っていた。 それはまるで飢えてゴミを漁る痩せぎすの野良犬を見つめるような。 心底可哀想な物を見る、哀れむ――そんな眼。 「弱い者を虐めて殺す。人の心を否定して嘲笑う。どちらも決して特別なことなんかじゃない。おれが断言してやる。セイバー、お前はとてもありふれている」 「おい…てめぇ、誰をそんな眼で見下してやがる……?」 「お前は何処にでも居るありふれたゴロツキだ。死んで尚それ以上にもそれ以下にもなれない、そんな可哀想なケダモノだよ」 …尽き果てた妖力が。 限度を越えた怒りで再沸騰し始めるのを感じる。 悪罵の声なら笑い飛ばそう。 正義とやらの押し付けならこの惨状を引き合いに出して否定してやろう。 だが混じり気のない"正しさ"による哀れみで放たれる言葉は。 好きに生き、好きに殺して喰らう。 そういう生き方を貫いて来たバケモノの彼にとって最大の侮辱と言って良かった。 「どっちが負け犬だか解んねぇなぁ、おい。俺に言わせりゃてめぇらの方がよっぽど可哀想だぜ、希望だけ見せられて盛大に肩を透かされんだ。 おぉい、クソガキぃ。てめぇの意見も聞かせてくれよぉ。なぁおい。誰も守れなかった"ひーろー"様よぉ!」 「そうですね。…負けたのは、私の方なんだと思います」 守れた人はいる、だなんて言い訳をするつもりはない。 救えなかった誰かが居る時点で、ヒーローの敗北である事に疑いの余地はない。 だからレイサはその現実から逃げる事だけはしなかった。 喪失の痛み、挫折の虚しさ。 いずれも今も心の中に。 その上で――レイサは一度取り零した銃を掲げた。 銃口は紅煉へ。 討つべき悪へと、正しく。 「それでも…っ、負けるのは此処までです! 私は……[[宇沢レイサ]]! トリニティ総合学園の正義の使徒にして、冥界にて英雄を目指す者! どれだけ心が痛くても、どれだけ足が震えても…! 私は何度でも、助けを求める誰かの為に立ち上がります!!」 「…ッ!」 折れろ。 口籠れ。 小便を漏らして命乞いをしろ。 そのいずれも叶わない。 牙を噛み締める紅煉の悪意はもうこの場で用を成す事はない。 「思い上がるなよ、セイバー。お前はこの子よりもずっと凡庸で、ありきたりで、つまらない男だ。 いや…それだけじゃない。お前の言葉、生き様、強さ――そのすべて、お前が奪い嘲って来た命の一人分にも及ばないと断言する」 突き付ける勝利宣言。 敗北の二文字を紅煉の輪郭へ当て嵌めて、男は吠えた。 「自分を知れ。おれのマスターは…お前みたいな情けないケダモノよりも余程気高く、そして強い!!」 ドン!! と。 高らかに響く喝破の声は、この戦場の勝者がどちらであるかをこれ以上ない程如実に物語っていた。 紅煉の手が虚空にわななく。 魂まで焦がすような屈辱と怒りを、然しギリギリの所で理性が堰き止めていた。 ――この場で我を忘れて挑み掛かっても結果は見えている。 ――ならば此処は退いて、確実に殺す次に備える方がいい。 ――押し殺せ、この怒りを。屈辱を。 紅煉の忍耐は既に限界寸前。 己が己たる存在意義を焦がされ侮辱されて、噛み締めた牙すら砕けそうだった。 だがそれでも次さえあれば。 次こそはこれ以上の悪意で蹂躙し、あの忌まわしい顔を二つ並べてグチャグチャに冒涜してやると。 そう思っている矢先に紅煉はふと問われた。 「ところで、セイバー」 何だろうが構わない。 此処は退く。命あっての物種だ。 踵を返そうとした紅煉の耳に、耳障りな声が… 「――お前、なんでまた見逃して貰えるなんて思ってるんだ?」 …この上なく冷たく、骨身まで震えるような重さで響いた。 ◆ ◆ ◆ 前回、紅煉は一蹴されるだけに終わった。 何故か。 助ける命が残っていたからだ。 彼を退け、人命を救助する事をくまは優先した。 だが今は違う。 命は全て紅煉が奪ってしまった。 目に見える範囲内に、生存者が居ない。 つまり。 見逃す理由が、ない。 「ま…待てよ、おい、待てって……」 [[バーソロミュー・くま]]は優しい男だ。 呆れる程優しいお人好しだと、紅煉もそう認識していた。 だからこそその優しさはこの冥界に於いては毒になる。 付け入る隙もあるだろうと思っていた。 だが。 彼は優しくこそあるが、それで天秤を見誤る程愚鈍でもない。 [[バーソロミュー・くま]]は現実を知っている。 きっとこの場の誰よりも、世界の残酷さという物を知っているのだ。 「お、お前ら、"ひーろー"なんだろぉ…!? だ、だったらよぉ。まさか、まさかもう戦えねぇ奴に追い打ちなんてしねぇよなぁ……! み、見ろよ。見たら解んだろぉ、俺はもう戦えねぇ…! 今此処でお前らを殺すなんてもう出来ねぇんだぜ……!?」 くまは無言だった。 無言で只前に足を進める。 紅煉は後ずさりをする。 足が縺れて、尻餅を付いた。 「わ、解った、解った解った! もうこんな事はしねぇよ! もう二度と…っ、無益に命を殺すような真似はしねぇッ!!」 無論、心にもない言葉である。 死の恐怖を前に改心できる程彼が殊勝な男であったなら、紅煉はそもそもこんな場所には居ないのだから。 一方で紅煉の脳裏には蘇る光景があった。 それは記憶だ。 長きに渡り世にのさばり続けた悪鬼の最期の記憶。 紅煉にとってはこの上なく忌まわしい、今更掘り返したくもない痛恨そのもの。 『天地より万物に至るまで…気をまちて以って生せざる者無き也』 声が聞こえる。 この場に居る筈もない男の声。 『天地万物の正義をもちて微塵とせむ』 紅煉は無慙無愧を地で行くバケモノだ。 彼は生き方を変えない。 死ですらその穢れた心は濯げない。 だとしても、彼が一度死した記憶は魂にまで深く刻み込まれている。 「そ…そうだ! な、なぁッ。お前もなんとか言ってくれよぉ!」 駄目だ――と思った。 このままでは死ぬ。 確実に殺される。 またあの屈辱と絶望を味わう! 紅煉は誇りとは無縁の生き物だ。 常に己の快不快だけが物事の指標であり、故に心中する程大それた矜持を持ち合わせていない。 「これからは心を入れ替えるッ! そうだ、おめぇの小間使いになってやっても構わねぇぜ…!? こんな形にはなっちまったけどよぉ、俺が腕の立つサーヴァントだって事は解ったよなぁ……!? 俺が居りゃよぉ、二度とお前の前で犠牲って奴を出させたりはしねぇ。なっ、悪い話じゃねぇだろぉ……!?」 「…なにを――」 「それにだぜ? まさか、まさかとは思うけどよぉ、"ひーろー"が命乞いしてる奴にトドメ刺すなんて残酷な真似はしねぇよなぁ…?」 だからこそ事此処に至っても紅煉は変わらず無慙無愧だった。 ああも嘲り否定したレイサに頭を垂れ、命乞いをする。 必要なら靴だって喜んで舐め回しただろう。 折角冥府の底から蘇れたと言うのにこんな所で犬死にするなど断じて承服出来ない。 触れれば手折れてしまうような童に許しを乞うのは屈辱だったが今だけだ。 この場さえ生き延びられればお礼参りの機会など幾らでもある。 真に迫る紅煉の懇願にレイサは唇を噛み沈黙した。 「…じゃあ、約束して下さい」 「おうッ! 何でも誓うぜ、心からなぁ…!」 「もう二度と残酷な悪事は働かないと。人の心を踏み躙るような事はしないと」 「解った…! 誓うぜッ! へへ、これで俺も悪の道って奴からおさらばってもん――」 「あなたのマスターに、令呪を以っての"誓い"を望みます」 「――ッ!」 その言葉に紅煉の思考が凍る。 莫迦を言え。 あの[[フレイザード]]がそんな馬鹿げた話を受ける訳がない。 それに、誰が本心からそんな誓いに頷く物か。 略奪と殺戮こそが紅煉にとっての生きる愉しみ。 人である時も妖となった以後もあるがままに鬼畜であり続けた獣が、悪行のない生涯など受け入れられる筈がない! 「あなたのやったことは許せません。…でももし、心から改心してこれから誰かを助けるというのなら」 「ぐ、ぎ、ぎぎぎ、ぎィ……!」 「私はあなたを許してあげます、セイバー!」 「この…ッ、クソガキがぁぁッ!」 紅煉が吠えた。 だがその怒りも長くは続かない。 縮地宛らに、一瞬で距離を詰め終えたくまが目前に立っていたからだ。 「セイバー。これが何だか解るか」 彼の前に、巨大な肉球が浮かんでいる。 正体など解る筈もないし問答に付き合ってやる気もない。 被ろうとした化けの皮もすぐさま剥がされてしまった以上、紅煉に出来るのは一か八かの逃走だけだった。 “おいマスター! 今すぐ俺を令呪で――” 念話を飛ばすべく頭を回す。 それを遮ってくまが続ける。 「お前が人々に与えた"痛み"の、ほんの一部だ」 くまの肉球はあらゆる物を弾き出す。 人が負った痛みや苦しみという概念ですらその例外ではない。 昨夜の交戦で紅煉が傷付けた者達。 この文京区で同じく傷付け、後は苦しみの中で死を待つのみだった者達。 命と呼ぶには足らずとも、この冥界で確かに生きていた彼らの苦しみの結晶こそがこの巨大なエネルギー体だ。 「いつまでも痛みを据え置く事は出来ない。誰かに還さなければ、元あった所に戻ってしまう」 「ま…、待ちやがれ、てめえ――!」 「駄目だ。待たない」 冗談ではない。 そんな物を誰が。 妖力の枯渇した体を無理に引き起こして逃げようとする紅煉だったが、疲労もあってかその動きは彼らしくもなく緩慢だった。 「お前のやったことだ」 だからこそバケモノは逃げられない。 自分の振り撒いた悪行の報いから逃げ遂せる事が出来ない。 「お前が受けろ」 痛みの肉球。 それは逃げる紅煉を、容赦なく呑み込んで―― 「――ぎゃああああああああああああああああああ~~~ッ!? い、いでぇえええッ! いでぇああああああ~~~~ッ!!??」 瞬間、紅煉は生きながらにして地獄を見た。 全身の細胞という細胞が激痛で沸騰する。 筋肉という筋肉が疲労で瞬時に摩耗していく。 まるで頭痛持ちのように頭を抑えて七転八倒。 のたうち回りながら、遂に下る処断を待つしかない。 「そして――」 悪あがきのように撒き散らす雷。 それを踏み越えながら迫るくま。 振り被る拳が、嫌に遅く見えた。 「――この冥界から消えろ、セイバー!」 「ご――ばァァァァァァ――――ッ!!??」 着弾、一撃。 完膚なき敗北と勧善懲悪を突き付ける鉄拳が、悶える紅煉の体を砲弾のように殴り飛ばした。 ◆ ◆ ◆ 五つの火球――メラゾーマ。 閃刀術式――アフターバーナー。 炎の極みを定むかの如き熱波が上空にて炸裂する。 「…ほォ!」 果たして勝利を掴んだのはレイだった。 火力に物を言わせた推力増強、その上で繰り出す一縷の流星。 破壊範囲でならば[[フレイザード]]の戦技に劣ろうが、一点を貫く貫通力ならばレイが勝る。 [[フレイザード]]の護衛として侍っていた黒炎二体が突撃に巻き込まれて刹那で爆散した。 その勢いのままレイは元凶である将軍に迫るが、其処は魔軍司令の虎の子。 アフターバーナーの炎熱が到達する前に飛び退き手近なビルの屋上に着地する。 「こりゃ驚いた。やはり侮れねぇな、サーヴァントってのはよ」 だが――。 [[フレイザード]]は冷静にレイの姿を見る。 姿があの炎剣士めいたそれから平時の物に戻っている。 彼をして肝を冷やす程の一撃だったが、おいそれと連発出来る物でもないらしい。 “戦闘自体が出来なくなったようには見えねぇ。魔力の減衰も特に感じねぇ。となると使うと形態変化が解ける、って所か” ニヤニヤと不敵にほくそ笑みながら分析する[[フレイザード]]の脳は単なる戦闘狂のように煮え滾ってはいない。 炎の如き勝利への執念と常に冷たく冴え渡る狡猾な頭脳。 この二律背反を当然に実現している点こそ氷炎将軍の何よりの恐ろしさ。 だからこそレイも彼に思考の暇を与える愚は犯さなかった。 アフターバーナーから逃れた[[フレイザード]]を取り囲むのは蜂を思わす小型のビット。 ホーネットビットと呼ばれる閃刀姫の兵装がその正体だ。 「しゃらくせぇ…!」 [[フレイザード]]の一笑と共に彼が着地したビルの屋上が凍土へ変わる。 そして吹き荒れるのは雹と呼ぶにも巨大過ぎる無数の氷塊だった。 砲弾もかくやの勢いでレイを襲う氷の雨霰。 これをレイは斬り伏せつつ、隙間を縫うようにして距離を詰めていく。 防戦のみに留まらず彼女は見下ろす魔人へ向けて本物の砲撃を鋭く見舞った。 シャークキャノン。 氷塊を粉砕しながら突き進んだ爆撃が、将軍が己の領土と据えたばかりのビルを轟音と共に破壊した。 「――はぁッ!」 「――おぉッ!」 粉塵から飛び出した[[フレイザード]]。 すかさず放ったレイの斬撃を徒手にて捌く。 火花を散らす両者の爪と剣。 [[フレイザード]]が大きく口を開けた。 其処から轟くのは氷の息吹(ブレス)。 人造生命故に型に嵌まらず、[[フレイザード]]は獣の如くに敵の命を狙う。 然しそれしきの不意打ちで斃れるならば、彼女は英霊の座になど至っていない。 激しく壮絶な戦場を絆と剣を寄る辺に駆け抜け。 それでも折れる事も歪む事なく歩み切ったからこそレイは今此処に居る。 その気高き優しさは、如何に恐るべき氷炎将軍なれど容易く手折れる物ではない。 「一つ聞かせて。あなたは本気で、あのセイバーに同調しているの!?」 「同調? ははッ、違ぇな。的外れだぜお嬢ちゃん。オレはオレでアイツはアイツさ。オレも野郎も、今更新しく誰かに平伏するなんてタマじゃねぇ」 だが、と[[フレイザード]]は笑う。 獰猛な笑みを浮かべて言うのだ。 恐ろしい敵にさえ、反目し合う存在にさえ言葉を掛ける事を忘れられない心優しい少女へ、包み隠す事なく己の真(マコト)を吐く。 「好き好んで人を殺せるのかって意味なら――肯定(イエス)だ」 同時に顕現する炎と氷の同時炸裂。 レイは素早く飛び退いて負傷を避けつつ、苦い顔で「そう」と呟いた。 「だったらやっぱり、あなた達の事は許せない――!」 氷を斬り捌き炎を踏破する。 力強くも繊細な舞踏(ダンス)に不似合いな義憤が、レイの強さのギアを明らかに一段と上げていた。 そう来なくては面白くない。 そうでなければわざわざ己が出てやる意味がない。 [[フレイザード]]も応とレイの気合を受けて立つ。 今必要なのは兎にも角にも経験値だ。 見え始めた力の極点。 それを掴む為にも場数を踏まねば話にならない。 今は曖昧に滲むだけのその領域をより鮮明に。 自分にとって理解可能の境地まで解体し向こう側の境地へ至る事。 紅煉のように短期的な目標ではなく、[[フレイザード]]はより高みを目指して翔んでいる。 故にレイの奮戦さえ今の彼には寧ろ好ましかった。 黒炎を用立てた物量作戦の破綻に腹の一つも立たない。 “さぁ、もっと引き立てろ” レイの切っ先が頬を掠める。 人間とは比にならない強度を持つ魔人の躰さえ切り裂く英霊の刃。 意識が、脳が激しく研ぎ澄まされていくのを感じる。 “オレの為にベストを尽くせよ、女剣士…!” ついぞ辿り着き得なかった境地。 其処に登頂して見る勝利の景色は如何なる物か。 高揚と共に英霊と打ち合う、類稀なる葬者の魔力が周囲への被害など考えず次を練り上げようとして―― 「…あ?」 その時[[フレイザード]]の顔が怪訝に歪んだ。 レイもそれを認識したが、刃を止めはしなかった。 結果一瞬だけ[[フレイザード]]の反応が遅れ、胴体に浅いが斬撃が走る。 「チッ」 舌打ちをしながら体勢を立て直す[[フレイザード]]。 だが彼の表情には先程までの高揚が見て取れない。 何か不測の事態が起こり、愉楽に水を差されたような。 レイにしてみればそんな彼の様子の方が余程不可解なのだったが… “おい、セイバー! てめぇ聞こえねえのか、オイ!!” 起こった事はこうだ。 レイとの戦闘の最中、一瞬だけ紅煉からの念話が聞こえた。 恐らく救援を求めているのだろう事はすぐに察せた。 というのも、明らかに通常ではない量の魔力消費を感じていたからだ。 大方油断か、若しくは単純に押し負けたか。 その上で激情のままに妖力を吐き出し、それでも状況を好転させられなかったという所だろう。 それ自体はいい。 [[フレイザード]]の持つ魔力は潤沢だ。 紅煉を思い思いに暴れさせて尚切羽詰まらない程度には彼の手持ちは充実している。 其処まではいい。 不甲斐ない野郎だと悪態は出るが、紅煉の存在は[[フレイザード]]にとっても貴重な相棒で手駒だ。 最悪、令呪の一画くらいは使ってやるのも致し方ない。 そう思っていた。 だが問題はその直後に起きた。 念話が途中で途絶えた十数秒後。 契約のラインはそのままに――紅煉という存在の魔力反応が、突如として知覚出来なくなったのだ。 “トドメを刺された…って訳じゃなさそうだが。チッ、あの野郎――余計な問題起こしやがって” 令呪も残っている。 つまり紅煉は生きている。 なのに反応がない。 念話もどうやら届いていない。 [[フレイザード]]をして、これは全く不明な事態だった。 生きていれば戻って来るだろうと切り捨てたいのは山々だがそうも行かない。 冥界の葬者にとってサーヴァントの存在は人権そのものだ。 如何に[[フレイザード]]が屈強な人造生命体であると言えど、英霊無くして存在を保てる時間はたかが知れている。 踵を返すより他になかった。 それなりの準備をし、臨む所とはいえ衆目に存在を知らすリスクを冒してまで決行した虐殺だったが…こればかりは敗走を認める他ない。 「…! 逃げる気……!?」 「オレも不本意なんだが野暮用が出来てな。なぁに、そうがっつくなよ」 黒炎を足止めに使い撤退する。 損切りに躊躇いはないし、この逃走は屈辱とも感じない。 こんな所で無駄に意地を張り、この先得られるだろう全てを棒に振ってはそれこそ無意味だ。 氷炎の将軍は残忍にして狡猾。 目指す先にあるのは無限の勝利。 彼は勝利に取り憑かれている。 故に逃げるのかと問うレイに対しても、変わらぬ凄絶な笑みを向けた。 「――オレは必ずお前等の…いや、この冥界を生きる全ての命の脅威として立ち塞がる! 今は命を繋いだ幸運を噛み締めながら、甘ぇお仲間達と束の間の安堵に浸ってな……!」 黒炎の背に跨り飛び去る[[フレイザード]]。 一瞬レイは追跡を逡巡したが…やめた。 この黒炎達を掃討しない事には余計な被害が新たに生まれかねない。 小さくなっていく背中を苦渋の思いで見つめつつ、彼らの残していった爪痕への対処に専念すべく思考を切り替えるレイなのだった。 ◆ ◆ ◆ この事態を招いたのは自分の手抜かりだ。 [[バーソロミュー・くま]]はそう認識していた。 あの時、紅煉を逃した事には確かに理由があった。 紅煉は強い。おまけにあの場には彼のマスターである氷炎の魔人も居た。 人命と目先の首を天秤に掛けてくまは前者を選んだ。 だがそれは結果から言えば間違いだった。 更に大きな犠牲を生む事に繋がってしまった。 自分が紅煉の悪辣さを侮っていたのがこの悲劇の原因だ。 そのように理解していたからこそくまは今度は過たない。 殴り飛ばした紅煉が虫の息である事はほぼ確実。 この手で今度こそトドメを刺し、二度とあの獣に悲劇を産ませない。 そう決意してくまは高速で紅煉を追う。 遠くへは逃げられない。それが解っていたからだ。 だというのに、然し。 くまが向かった先には既に紅煉の姿はなかった。 「…何……?」 逃げる余力は残っていなかった筈だ。 武装色の覇気で強化した拳を頭部含め数発。 更に百人以上分にもなる"苦しみ"を叩き付けてやった。 確かに紅煉はバッカニア族のくまと同等の耐久力を持つ。 だが先程見舞ってやったあれは、それこそくま自身が受けたとしても確実に重傷を負う程の容量だった。 では何故紅煉が居ない。 何処へ消えた? “令呪での転移か? いや…そんな気配もしなかった。それともまだ何か能力を隠し持っていたのか……?” 紅煉の気配は解りやすい。 くま程の覇気使いであれば、近くに居るのに見落とすという事は考え難かった。 釈然としない物は残るが、何らかの手段によりこの戦場近辺から離脱したとしか思えない。 ――まるでそれは、そう。 ――"神隠し"にでも遭ったような。 …兎角そんな状況なので追おうにもそれを可能にする物種がない。 前回の比にならないだけの負傷を与えてやりはしたが、またしても取り逃した形になってしまった。 「ライダーさん…?」 「…済まない、どうやら逃げられたようだ。只あの容態ではすぐに戦線復帰して来る事もないだろう。ピーター達の所へ向かおう」 「わ、解りました…!」 今はこれ以上の虐殺を止められたというだけで満足するしかない。 くまの言葉に頷いて、レイサは彼の背中にしがみついた。 絵面だけ見ると父親に甘える娘のようだが、これには合理的な理由がある。 ニキュニキュの能力を用いた高速移動に肖る為だ。 [[バーソロミュー・くま]]は船の宝具を持たない名ばかりのライダークラスであるが、その機動性は下手な同クラスの英霊より余程高い。 「――あの、ライダーさん」 「なんだ?」 「これで…よかったんでしょうか。私は」 「さぁな。おれにはその答えは解らない」 くまが自分自身を弾いた。 刹那にして彼らの姿は掻き消える。 向かう先はもう一つの戦場だ。 紅煉を排除しても尚彼を従える…そして恐らくはこの事態を真に仕組んだ氷炎の魔人の脅威は残っていた。 「だがおれは、きみの姿を誇らしいと思ったよ」 「誇らしい…、ですか」 「ああ。よく立ち向かった、あの恐ろしい怪物に」 偉いぞ、レイサ。 その言葉に引っ込めた筈の涙が再び溢れ出す。 怖かった。 痛かった。 でも死んでいった彼らはもっと怖くて痛かった筈で。 自分はこれからこの喪失を背負い続けて行かなければならない。 荷物はもっと増える。 足取りはもっと重くなる。 ――それでも、この死底の世界で正義を謳うなら。 “せめて、前を向いていたい” 少女は幼くあまりに未熟。 その心に宿る真っ直ぐさだけが彼女の武器。 喪失と痛みを知り、キヴォトスの正義の味方は少しだけ大きくなった。 ◆ ◆ ◆ 「げ、ぼッ…おぇええええ……! 気持ぢ、悪ぃぃ………!!」 まるで路地裏の酔っ払いのような有様だった。 四足を突いて背を丸め、血反吐混じりの吐瀉物を吐き出す。 その中にはこの世界で食らったNPC達の血肉も混じっていた。 「い、でぇ…! 痛みが、引かねぇ……! 妖力が、練れねぇ……! 畜生、畜生がぁ………!! 今程自分の肉体の強靭さを呪った時はない。 痛みが酷すぎて気絶すら出来ずのたうち回るしかないのだ。 妖力も見る影もなく枯渇寸前で、今や自分の宝具である黒炎達にさえ劣るかもしれない有様。 そんな状態だから紅煉は自分の身に起こった事態を把握する事さえ出来ていなかった。 「フレイ、ザードォ…! あの野郎、てんで上手く行かねぇじゃねぇかよぉ……! 痛ぇ、いでぇ……! が、ああああ………!!」 何故、くまが自分にトドメを刺しに来ないのか。 これ程の有様だというのに何故[[フレイザード]]からの念話が届かないのか。 不可解な点は余りにも多い。 然し重ねて言うが今の彼はそれどころではなかった。 瀕死の重体。まさにそう呼ぶしかない有様だったのだから。 地を転がり、嘔吐と嗚咽を繰り返す人殺しのバケモノ。 その姿を見下ろす影が一つあった。 くまの物ではない。 紅煉が嘲笑に失敗した、あのあどけないヒーローの物でさえない。 ピーターやレイとも違う。 そんな"誰か"が、其処に居た。 「――こんにちは。辛そうだね、"悪いオオカミ"さん」 突如、声が語り掛けた。 言葉と共に生まれたように、その娘の存在を紅煉は認識する。 高く、明るく、深い声。 そしてその囀りのような声が凝集したような、朗らかに微笑む魔女の顔貌(かお)。 肩口までの茶がかった髪。 無造作に羽織ったデニムのジャケット。 何の変哲もない少女のカタチ、その口元を三日月に歪めて。 "彼女"はひどく楽しそうに、のたうつ獣を見下ろしながら微笑っていた。 紅煉は人喰いのバケモノだ。 中でも特に女子供の血肉を好む。 肉は糧、血は酒、甲高い悲鳴は最高の肴だ。 ましてや傷付き瀕死の今であればそれは願ってもない餌だ。 運悪い事に声の主である少女はうら若く美しい娘。 今の紅煉が最も求める餌の条件を満たしている。 紅煉の顔が動き、少女を見上げた。 「――、――」 顎が動けば鋭い牙が覗く。 その下から出でた言葉は。 「何、だ…? てめぇは……」 餌への歓喜でも。 見下ろす不遜への怒りでもなかった。 疑念。只、疑念。 数多の人を喰い、数多の妖を屠って来た字伏紅煉。 そんな彼をしてこの少女を何と表現すればいいか解らなかったのだ。 白面程深い闇を背負ってはいない。 だが凡百の妖とも、ましてや人間の娘とも思えない。 視覚の情報は彼女を紛うことなく人間と告げているのにバケモノの本能がそれを否定している。 だから問うしかなかった。 お前は何者なりやと。 それに少女は答える。 微睡むように優しく、そして慰めるように甘く。 「"魔女"、かな」 「魔女、だと…?」 「[[十叶詠子]]。宜しくね、オオカミさん」 よく見ればその細腕には三画揃った令呪が見て取れる。 葬者である事は間違いないらしい。 漸く理解が現状に追い付いた紅煉は血混じりの唾を吐いた。 「け…。その魔女さまが、俺に何の用だってんだよ」 「怖がらなくていいよ。取って食おうって訳じゃないから。私がオオカミを食べたらあべこべでしょ?」 哀れみに対する怒りよりも訝しむ気持ちが勝つ。 粗暴なる紅煉が、彼女の放つ得体の知れない気配に調子を狂わされていた。 誰が信じるだろうか。 残虐非道を地で行く紅煉が丸腰の娘に牙も剥かず、その言葉に耳を傾けているなど。 「今此処に居る魔女(わたし)はメッセンジャー。あなたを探している子が居たから案内してあげたの」 「あ…? 案内、だぁ……?」 「助けてあげたのはちょっとしたサービスかな。今あなたに斃れられたら"この子"も困っちゃうだろうし」 瞬間、少女の傍らに舞い降りる物があった。 鳥だ。だがこの街中を飛ぶには大き過ぎる。 艶やかな着物を思わす独特の模様をした鳥だった。 種類は雉に近いだろう。 只重ね重ね、サイズが異常であった。 更に言うならその全身から放つ独特の気配も。 「…! おい、まさか……」 よく擬態出来ているのは間違いない。 然し元を辿れば同種の存在である紅煉の眼は欺けない。 この気配は。 この水底に渦巻く泥濘のように淀んだ気配、妖力は――! 「そいつは…白面の……ッ!?」 …その存在はかつて光の前に敗れ去った。 敗れたそれは散り散りになり、冥界の湖底に沈んだ。 だが肉体は滅んでも魂は生きている。 少年と妖はそれを斃す事は出来ても、真に滅ぼし切れた訳ではなかったのだ。 とはいえ甚大な損傷を与えられた事実に疑いはない。 だからそれは結局少年達の未来に再び顔を出す事は出来なかった。 異界の因果、生と死の交差点と化したこの冥界で漸く芽を出せた程度。 そうまで見る影もなく衰え切った雫(エゴ)。 欠片の如き悪性情報。 尾の数も存在の規模も未だ足りぬままの――"けもの"。 現在進行形で再蒐集の過程にある尾の一本がこの雉だ。 名をキチキギス。 或る勇ましき物語のカリカチュア、或る里に伝わる伝承に登場する異界の獣。 そして今は――"[[白面の者]]"の尖兵である。 「…泥努さんには怒られちゃうかな。こればかりは私の性分みたいな物って事で解って貰えたらいいんだけどね」 眼を瞠る紅煉を他所に独り言を吐く魔女。 それを気にする余裕も無い程に紅煉の思考は加速していた。 何しろ彼が目先の目標として目指していた事が一つ達成されたのだ。 こうなれば最早あの熊男共への報復に精を出す必要もない。 白面との接触さえ叶えば遅かれ早かれこの地に招かれた全ての英霊と葬者は地獄に堕ちる。 聖杯戦争を勝ち抜き思いの儘にする為の道行きが一挙に短縮されていくのを感じる。 体を苛む激痛も疲労も今や気にならなかった。 「それじゃ行こうか、"悪いオオカミ"さん。この子との契約でね、私もあなたの探してる"けもの"に会わせて貰える事になってるの」 魔女が獣に手を差し伸べる。 豚の兄弟が築いた家を次々と壊し、最後の最後で煉瓦の家に阻まれた悪いオオカミに。 [[白面の者]]を探していた紅煉。 その望みは叶った。 だが紅煉よ、気付いているか。 己が何に魅入られたのかに。 この魔女に魅入られる事が意味する事実に。 …物語の歯車が狂い始める。 魔女は事の善悪を知らない。 彼女の微笑は善なる者、悪なる者、その双方へ平等に降り注ぐ。 この日紅煉は――"神隠し"に遭った。 ◆ ◆ ◆ 【文京区/一日目・正午】 【[[ピーター・パーカー]]@スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム】 [運命力]通常 [状態]疲労(中) [令呪]残り三画 [装備]スパイダーマンのスーツ、ウェブシューター [道具]無し [所持金]生活に困らない程度 [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争での被害を極力減らす。聖杯を悪用させない 1.生き残っている使い魔達(黒炎)を掃討する 2.黒い獣と氷炎の怪人、東京上空で衝突していた竜のサーヴァント、二つの市を吹き飛ばしたサーヴァントを警戒 [備考] なし 【レイ@遊☆戯☆王 OCG STORIES 閃刀姫編】 [状態]疲労(小)、全身にダメージ(小) [装備]なし [道具]なし [所持金]なし [思考・状況] 基本行動方針:聖杯戦争での被害を極力減らす。聖杯を悪用させない 1.…今は追えない。でも、次こそは。 2.黒い獣と氷炎の怪人、東京上空で衝突していた竜のサーヴァント、二つの市を吹き飛ばしたサーヴァントを警戒 [備考] なし 【[[宇沢レイサ]]@ブルーアーカイブ】 [運命力]通常 [状態]疲労(大)、精神的ダメージ(何とか持ち直しつつある) [令呪]残り三画 [装備]ショットガン(DP-12) [道具]無し [所持金]生活に困らない程度 [思考・状況] 基本行動方針:キヴォトスに帰りたい。無用な犠牲は善としない 1.それでも、前を向いていたい。 2.黒い獣と氷炎の怪人、東京上空で衝突していた竜のサーヴァント、二つの市を吹き飛ばしたサーヴァントを警戒 [備考] なし 【[[バーソロミュー・くま]]@ONE PIECE】 [状態]全身にダメージ(中)、全身に裂傷 [装備]なし [道具]なし [所持金]なし [思考・状況] 基本行動方針:レイサを助ける 0.偉いぞ、レイサ。 1.ピーター達と合流する 2.黒い獣と氷炎の怪人、東京上空で衝突していた竜のサーヴァント、二つの市を吹き飛ばしたサーヴァントを警戒 3.黒い獣のセイバー(紅煉)は何処へ消えた…? [備考] なし 【[[フレイザード]]@ドラゴンクエスト ダイの大冒険】 [運命力]通常、黒炎に乗って飛行中 [状態]疲労(小)、苛立ち、紅煉への念話不通 [令呪]残り三画 [装備]無し [道具]無し [所持金]無し [思考・状況] 基本行動方針:皆殺しにして聖杯を得る 0.あの野郎(紅煉)、一体どうなりやがったんだ? 1.己が力の本質を掴む為に経験値を得る 2.紅煉に釣られて出てきたマヌケを狩る、つもりだったが… [備考] ※新型黒炎の殆どはレイ達と戦っていた地点へ放ったままです。 ※紅煉が[[十叶詠子]]と接触しました。その影響で彼への感知と念話が通じていません。どの程度永続するかは不明です 【???/一日目・正午】 【[[十叶詠子]]@missing】 [運命力]通常 [状態]体内に微量の<侵略者>が侵入、キチキギスと一緒 [令呪]残り3画 [装備] [道具] [所持金] [思考・状況] 基本行動方針:??? 0."悪いオオカミ"さんを"白いけもの"の所へ。 1."黄昏の葬者"君は面白いね。応援したいな。 2."煙る鏡"さんには嫌われちゃったかな。 3.迷子に手を差し伸べてあげた訳だけど。…また怒られちゃうかなぁ。 [備考] ※[[結城理]]に協力を頼まれています。 ※アヴェンジャー([[白面の者]])の尾の一本である『キチキギス』と同行しています。 白面及び彼の葬者に対してどれだけの知識を持っているかは不明です。 キチキギスとの遭遇の経緯等も後の書き手にお任せします 【セイバー(紅煉)@うしおととら】 【状態]疲労(大)、全身にダメージ(極大)、妖力枯渇、高揚、[[フレイザード]]との念話不通 [装備]破妖霊刀 [道具]無し [所持金]無し [思考・状況] 基本行動方針:皆殺しにして聖杯を得る 1.[[白面の者]]を捜す、いや会う 2.…この女、一体何者だ? [備考] ※[[十叶詠子]]と接触しました。その影響で[[フレイザード]]への念話が通じていません。どの程度永続するかは不明です