その町は、珍しい来客によって活気づいていた。
旅の劇団『ハルユイピア』
彼らが来て一日足らずで、町中にこの話題が溢れていた。
今も町のはずれに建てられた劇団特設テントの周りには、先ほどまで劇の観賞をしていた客達でごった返している。 その喧噪を、一人の少女が嬉しそうな顔で見ていた。 彼女は結われてもいない赤い長い髪をかき上げると、すぐ隣に立ってある、自分よりも倍は大きな看板を見上げた。 看板には一枚のポスターが張ってあった。紙いっぱいに微笑む女の踊り子がポーズをとっている姿が描かれてあり、彼女が纏うスカートの裾が、シルエットを伸ばして文字となっていた。 『小鳥の声』。さっきまでそこのテントで公演していた劇だ。 「よし、そろそろ行こう」 少女は看板から目を離すと、町の中へ入っていった。
「今日の公演見た?」 「私ラストで泣いちゃったぁ〜」 「明日も見に行く?」 「幕間のあの技、信じられるか?」
彼女はハルユイピアの話題を聞くたびに、誇らしげに笑みを浮かべてはワンピースと髪をひるがえして町中を歩く。 この町の人たちが劇団の演出に驚くのも無理はなかった。劇団はこの辺りの土地にしては珍しい魔法を使って人離れした舞台演出や幕間の演技を見せる。 極めつけは自分達の姿を変える変身術で、時には尖った耳を持つ悪魔に、時には白い羽を持つ天使に劇中で姿を変え、大人達は劇を盛り上げるのだ。 少女もまた、そのハルユイピアの一員だった。しかしまだ魔法も使えない、劇団の中では前座の前座の前座ほどしか実力のない少女は、一日のほとんどが雑用だけだ。 そんなわけで常に暇をもてあます彼女は、よくみんなに黙って一座を抜け出し、訪れた町を探検する。もちろん、公演最終日はさすがに大人たちが自分を探しにくる。しかしその包囲網をかいくぐっては屋根を渡り、角に来れば息を殺して様子を伺い、その町の一番素敵な場所を見納めて次の旅に出るのだ。 もはやそれは一座にとっては恒例行事であり、大人たちもそれを楽しんでいるようだった。 今町を歩いているのも、そのゲームの下準備だ。
今回訪れた町は坂が多かった。石畳で舗装された道は緩やかにアップダウンを繰り返し、そこを車輪をつけた珍しい乗り物がガタガタとすれ違っていく。 その道の脇には、控えめに花を咲かせる鉢植えがポツポツと置かれていた。 とてもとても平和な町だが、そののどかな雰囲気がまたいい。
坂の一番上で気に入りそうな場所を見つけられなかった少女は、今はトコトコと坂を下っていた。緩やかな坂なので、小走りになることもない。 朝からこうやって坂を上り下りしているが、長旅で鍛えられているので疲れも知らない。頭上に広がる晴天の空ものんびりと眺めること余裕もある。もちろん、乗り物の往来には十分に気をつける。
どこへ行くのか、小鳥が二羽、少女の目の前を過ぎた時、ふと、少女の足が止まった。 目に止まったそれは、小さな町に似つかわしい小さな人形屋だった。別にそれだけなら大したことはない。 ただ、観光地ですらないこの町に土産物屋の類はないはずだった。 アンティークな看板には、剥げかかった文字で『ドールハウス』と書かれていた。
四角い曇りガラスのはまったその扉は、少し押すだけで簡単に開いた。 同時に、ほこりっぽい空気が中から溢れてきた。
「ごめんくださぁ〜い」
誰もいない店内は、昼の日差しを遠慮しているかのように薄暗かった。 外見は小さくてかわいらしいのに、意外と奥行きのある中は女の子が遊びに使うドールハウスというかわいらしいいものとは遠かった。 店名の由来が、「人形が棚に所狭しと並んでいる家だから」としか思えない。それくらい飾りっ気がなかった。
「……ごめんくださぁ〜い」 そんな店の雰囲気につられて、二回目に出した声も小さくなる。
しかし、出てくる人は誰もいなかった。
「……誰も出てこない方が悪いもんね〜」 半ば言い訳めいた言葉を口にすると、少女は勝手に店の中へ入った。といっても、少女は見かけ相応にお人形で遊ぶ年頃ではなかったりする。
見かけこそ人間の3歳くらいであるものの、少女はゆうにそれの5倍の年月は生きている。 もちろん、厄介ごとを起こさないために表向きは人間ということで通しているが、少女が属するハルユイピアは、そんな長寿種族の集団だ。
少女が店の棚を物色するのも、ほんの暇つぶし程度のものだった。
クマ。ウサギ。ヒツジ。女の子。男の子。兵隊。耳の尖った悪魔。怪獣。ヒーロー。どれも10年ほど前に遊び尽くしていた。
それらをざっと見ていきながら、少女は二つだけのスポットライトを浴びているステージを見つけた。 それは少女の劇団のものとは段違いに小さく、下りている赤い幕には埃がかかっているステージだった。 一応大人5人ほどが劇をできる程度には大きいので、小さい店の中では少し窮屈そうに収まっているようにも見える。
興味の対象をあっさり切り替えた少女は、ステージの真ん前に立ってみた。そこは舞台袖で眺めるよりも新鮮だったし、まだ前座の前座にすらしてもらえていない少女は、スポットライトに少し憧れてもいた。
いつか、大人達に混じってステージに立つことを夢見ていた。 そして自分もこの光をさんさんと浴びるんだ。と、舞台袖から公演を見るたびに何度も誓った。
と、いきなり、幕がひとりでに上がった。
それを見て、少女は身を堅くした。別に幕が上がって驚いたのではない。
少女を驚かせたのは、ステージの中心に立っている『人形』だった。
女の子の『人形』だ。両耳に大きな輪のピアスをつけ、ピエロがよく着る、襟と袖にひらひらが付いた服を着ていた。金色の長い髪は、ツインテール風に結い上げられていた。ツインテール風と言うのも、ただ二つに髪を分けて結わずに頭の上で輪を作ってウサギの耳のようにしていたからだ。 そして、操り人形と呼ばれるものなのだろう。天上から垂れた赤い糸が繋ぎ目が見あたらない体の各部分に繋がっている。目を閉じて直立不動だから人形だと思えるものの……、
背丈も少女と何ら変わらぬその姿は、『人間』そのものだった。
「ようこそ人形のお屋敷へ! 私は歌い手テルカ=ラレルカ! 久方ぶりのお客様、歓迎の限りを尽くしましょう!」 人形、テルカは弾んだ声で歌いながら踊り、糸が張るのもお構いなしに少女の方へ近づいて深々と頭を下げた。それにつられて、少女の方も歌いながら頭を下げる。 「わ、私は旅をしながら劇をしてく、ハルユイピアの見習いです! 名前はぁ……」
最後の方はしぼむように小さくなってしまった。少女の歌は、自分でも聞くに耐えないほど音が外れていた。 類い希なる天才的音痴。 それが、少女が未だ幕間や前座に立たせてもらえない理由の一つだった。
「そんなに堅くならなくてもいいよ」 クスクスと笑う姿は、およそ人形がするはずではないほど自然なものだった。 「う……うん」 そんな『人形』の様子に、少女は頷くことしかできなかった。
テルカはそれに笑顔で頷き返すと、クルクルと舞ってステージの中央に戻った。不思議と、糸が絡むことはない。 「歌の基本はラの音から。私に合わせてみて」
テルカの開けた口から、澄んだラの音が滑り出ててきた。劇団の人に勝るとも劣らない、綺麗なラ。
「……」 少女は、口から何の音も出さなかった。テルカの綺麗な声を、自分の調子はずれな声と混ぜてしまうのが恥ずかしかった。
綺麗なラが途切れる。
「ほら、あなたも歌って? ラだと思う音を言うだけでいいからさ。高さはあとで調節すればいいし、ね?」 そう言って、テルカは少女が歌うのを待った。
しばらくの沈黙。
か細い、劇的に音が外れたラの音が少女の口から押し出された。
テルカはその様子に優しく笑った 「もうちょっと、もうちょっとだけ上げてみて?」 そうして、自分も少女と一緒にラの音を出した。
――もう少し下。
テルカの水平にした手の平が上下に動き、少女がそれに合わせて音を修正していく。
肺の空気が少なくなった少女の声が掠れてきた時、ようやく二つの音が重なった。 「できたっ!」 「やったーっ!」 ラの音を覚えた少女を、テルカは自分のことのように飛び跳ねて喜んだ。
「よし、じゃあ次は歌詞を覚えて。」 テルカはそう言うと、ラの音だけの即席の歌を歌った。少女がそれを真似して歌って覚える。 今度は外れなかった。 「じゃあ、いくよ。」
新しい歌ができました
みんなで祝おう この喜びを
新たな歌い手誕生です ハルユイピアの小さな歌い手!
「ほら、できた!」 無邪気に、テルカはそう言ってくれた。 少女は、この歌詞をラの音だけで歌えば良かった。あとはテルカが、音が綺麗に重なるように自分の声を調節してくれる。 観客も奏者も誰もいない、2人だけで歌う短い歌。 それだけで、それだけのことでも温かい、優しい歌が2人の口から紡ぎ出されていった。
そして、少女は一音だけで歌うのは案外難しいことを覚えた。
次の日、少女は朝早くから坂を駆け下りていた。 昨日の劇団の評判を聞きつけてか、今日は道を行く人が多かった。少女はその人混みの流れとは逆向きに、ほとんど全力疾走で走っていた。
劇団が一つの町に滞在するのは公演をしている間だけ。基本的には三日間だけの公演期間を終えると、彼らは翌朝早くに発ってしまう。 団長が町を気に入ればもう少し長く滞在するが、この町は観光地と呼べる場所もないので明後日の早朝には町を出なくてはいけないだろう。
はやる気持ちと呼吸を整えて、木の扉をそおっと開けて、中へ。 昨日同様薄暗い店の棚には目もくれず、少女は小走りで赤い幕の下りた小さなステージの前に立った。 そして軽く息を吸い、昨日覚えたばかりのラの音で歌う。
「「昨日も歌った
今日も歌うの
明日も歌おう」」
少女とそれに合わせて重ねるもう一つの声が歌うと、埃まみれの幕はスルスルと上がった。 幕の奥にいた小さな歌い手が二つしかないスポットライトを浴びた時、少女はともすれば大きく笑い出しそうになる口を押さえた。 「くふふふふふ」 何だかワクワクして仕方がなかった。気分は、極秘情報を握ったエージェントだ。 「本当に歌うの?」 本当にいいの? 外の方が楽しいよ? そう言いたげなテルカの質問に、少女は即答した。 「もちろん! 私は歌姫ですからね」 マイクを持つ真似をする少女。今度はテルカが笑いをこらえる番だった。
「じゃあ〜、シの音からねぇ〜」 テルカはふざけた調子で歌いながら、未だニヤけているエージェントに次々と指令を下していった。
少女の音痴具合は生半可なものではない。半音外れているのはまだいい方で、ほとんどが異次元に向かって伸びているような、劇的に的外れな音なのだ。 テルカはそんな音を的確に聞き取り、アドバイスを加えて修正していく。 シが歌えたらド。ドが歌えたらレ。レが歌えたらミ。ミの次は…… 少女も真剣だった。 音をひとつ覚えるたびに、今まで味わったことのない達成感も感じていたからだ。
そうやってソの音まで調律し終えた頃には、すっかり日が傾いていた。 「明日は何を 歌うんでしょう?」 「適当 気のまま 感じるまま。すごいね、これで全部だよ」 少女の飲み込みの速さには、目を見張るものがあった。少女の半ばやっきにも見えるほどのやる気のせいもあるだろうが、それ以外の素質なのかもしれない。 「テルカの教え方がうまいんだよ。だって昨日劇団に戻ってからやってみたけど、元の音痴に戻ってたんだよ?」 「そうなの? でももっと歌えばきっと上手くなるよ」 「そうだといいな」 少女は素直に笑った。 そして、昨日から考えていたことを素直に言った。 「テルカも私の劇団においでよ」 しかしそれを聞いたテルカの方はしゅんと顔を伏せてしまった。 「……いけない」 「どうして?」 不満そうに眉をひそめた少女に、テルカはステージから降りて見せた。 「だって、糸があるんだもん」 テルカの言うとおり、糸の長さはステージから3歩ほど離れるのが限界で、外に出られそうになかった。 「じゃあ糸をほどけば」 「ダメ!」 テルカがいきなり怒鳴った。びくっと、少女の体が震えてこわばる。 しばらく、周りが静かになった。 「テルカ……?」 恐る恐る声をかけてみたが、テルカはさっとステージの方を向いてしまった。 「ほら、もうすぐ暗くなるよ? 早く、お帰りよ」 その声はどこか急かしているようで、でも本当に日は落ちていて、
少女は躊躇いがちに店を後にした。 扉と窓の曇りガラスから入ってくる外の光も店にはいるのを躊躇っているようで、店の中には影が広がった。
「私も一緒にいきたいなー」 ステージに下りた幕の向こう。 人形は一人、誰にともなく呟いた。
ハルユイピアが公演に使っているメインテントは、軽いくせに何故かしっかりしている。 昼間も公演で大道具や人をワイヤーで吊っていたのだが、びくともしなかった しかし今夜はそのテントが大いに揺れた。 「なんでぇっ!!!?」 幼い子供特有の甲高い声に、知らせを告げに来た踊り子は思わず耳を塞いだ。 「なんでも! そう決まったのよ」 かなり年上の、少女から見れば大大先輩にあたる踊り子は、それだけ言い返すと鮮やかな赤色の長髪をひるがえしてさっさとどこかへ行ってしまった。 少女の落胆を、恒例のゲームが中断されたことだと思ったのか、近くでやり取りを見ていた少女の母が、やさしく諭すように言った。 「明日の朝一番に、ここを出るよ。お前も荷造りしときなさいね?」 それでも、少女は食い下がった。 「でも、お姉ちゃんだって明日は主役をするのに!」 少女は、先ほどこの知らせを持ってきた姉の姿を思い出した。明日の主役の踊り子の衣装を着て、それ用の化粧までして、きっとこれから練習する気だったに違いなかった姉。 「お前ね、私の劇より団長の判断のほうが大事に決まってるでしょ?!」 更衣室も兼ねたカーテン越しに姉が怒鳴った。
こう言われてしまっては、少女も自分のテントに引き下がらざるを得ない。
ハルユイピアの団長や大人達は決して気まぐれではない。 全員いつもこの劇団のことを考えて判断を下しているし、少女の多少のワガママだって許してくれる寛大さもある。 だからきっと、この町で何かあったのだ。もしくは、この町に何かあるのだ。 それぐらい少女もわかっていた。
「朝一番……」 きっと、テルカにさよならを言う暇すらないだろう。 自分の分の荷物をまとめ始めるが、諦めきれないものが少女の中でくすぶっていた。 それは荷物をまとめ終えても、やはり気持ちは同じだった。 「今回は本当に急ぎなんだ。下手したら夜のうちに発つんだ」 荷物の前に座って自分に釘を刺す。 気を紛らわせるために、少女はもう一度自分の荷物を確認してみた。 外ではまだ騒がしく片づけが進んでいた。
自分の荷物は少ない。広げてみたが、護身用の軽い道具と食料と前の町で買った髪留めしかなかった。 ハルユイピアでは、移動の度に何かを捨てるか、売らなければいけない。
邪魔にならないように、 一番使える物を、 一番大切なものを。
だからおもちゃの類は、どんなにお気に入りでもいつかは捨てざるを得なかった。
「捨てるか、拾うか……」 物の方も、気が気じゃないだろうな。
自分が買われたら他の物が捨てられる。 次の町では自分が捨てられるかも知れない。
他を捨てるかも知れない。自分が捨てられるかも知れない。
捨てるか、捨てられるか。
捨テルカ……、捨テラレルカ……。
「……捨てられない」 広げた物をもう一度ショルダーバックに詰め直し、その中からナイフを取り出して少女は外に出た。 「友達を、捨てられるわけがない!」
夜の町は恐ろしいぐらいに静かだった。
住民が全て消えたかと錯覚してしまうような町を、少女だけが、坂道をひたすらに走っていた。
そして夜のドールハウスは、町に負けず劣らずひっそりとしていた。 誰かがいる気配もなく、明かりも音も漏れず……、まるで延々と続く洞窟が口を開けている気さえした。 入る手前で寒気を感じたが、少女は迷わず扉を開けてステージに駆け寄った。
「テルカ!」 幕を乱暴に開けるとテルカは肩を跳ね上げて驚いた。 「なんで……?」 テルカは最初呆然と少女を見つめ、少女のナイフに気づくと後ずさった。 少女が一歩、テルカに近づく。 「やっぱり一緒に行こう? 私の劇団、明日発つんだ」 テルカは引きつった顔で首を振った。 「じゃあそのまま行って! 私は一緒に行けないの!!」 後ずさりを続けていたテルカの足が止まった。ステージ奥のビロードに当たったためだが、ビロードの向こうは壁らしい。 逃げ場を失ったテルカが叫んだ。 「私はあなたみたいに自由じゃないの!」 少女も負けじと叫び返した。肩の辺りまで持ち上げたナイフが光る。 「だから自由にしにきたんだよ!」 「駄目……!」 少女が、ナイフを振り上げた。 「やめてっ!」 テルカが手で顔を覆う。しかしそれは無意味なことだった。 少女は手早く、テルカに繋がっていた糸を切っていった。 糸を全部切り終えると、少女はテルカの腕を取った。 「さあ!」 だが、テルカは一歩も歩かないうちにその場にくず折れてしまった。 「テルカ?」 少女が聞いてもテルカは答えない。手はしっかり握っているが、顔を上げてくれない。
カタカタカタカタ――
びくっと少女の腕が震えた。 テルカの腕から、音がする。 微かにだが、少女の手を伝ってはっきりと聞こえてくる。
カラカラカラカラカラカラ――
音に合わせて、テルカの体も節々が小刻みに震えだした。
カタカタ、キリキリ――カラカラ――
たくさんの音。 何かを擦るような……、積み木がぶつかるような……、笑っているような……、
と、その音がいきなり止んだ。 テルカの震えもピタリと止まった。
そして、 天井に下がっていた糸が、先ほどまでテルカと天井をつないでいた糸が、テルカに巻きついた。 「ひッ」 「いやぁッ」 少女とテルカの悲鳴が重なる中、糸はてきぱきとテルカを解体しながら持ち上げていく。 がちゃがちゃと木や金属のぶつかり合う音を立てて。 掴んでいたテルカの腕が引き離された。
店の中は外に負けず劣らず暗いはずなのに、何故だか少女には宙吊りのテルカがよく見えた。
テルカは確かに人形だった。 解体され、千切れたピエロの服の間からは木やバネが見て取れる。 体の各パーツは、複雑に絡んだ糸の一本一本が持っていて、絡みながらもテルカを囲むそれは、まるで赤い鳥篭のようだった。
「逃げて……!」
足元から、テルカの声がした。 床を見ると、解体されたときに落ちたテルカの細かな部品が散らばっている。 その中の一つがテルカの声で叫ぶ。
「逃げて、早く!! 私のようになりたくなければ!!」
同時に、ステージの端に人の気配を感じた。 少女はとっさに気配のする方を見るが、はっきりとわからない。 でも、確かに誰かがいる。
気配が歩いてくる。 こっちに向かって……、一歩ずつ。
対して少女は一歩も動けなかった。 足が、縫いつけられたように床から動かない。
天井からはテルカのガラスの目が見下ろしている。 床ではオルゴールがなおもテルカの声で叫んでいる。
人形の手が、すぐそこまで―――――――――
「いやああああああああぁぁぁ!!!!!!」
少女がたまらず叫んだ。
その声に合わせて炎が一番近くまで来ていたクマの人形の手を焼き払った。
少女には、その炎が何なのかわかった。
魔法だ。 自分の魔力で生まれた、火だ。
しかしそれは、少女の歳で操るには大きすぎる炎だった。
「だめ! 違うの! そうじゃないの!」
自分の意に反して勢いを増していく炎に、少女は慌てた。彼女は、まだ魔法を習っていなかった。
勝手に踊り狂う炎は天井へ向けて舞い上がり、そう思ったときには兵隊の人形を床に叩きつける。 ふいに、オルゴールの音が聞こえた。 炎はさらに形を変え、2つにも3つ分かれ、少女の足元にも大きな穴を穿つ。 しかしその中で少女は、確かに聞いた。 オルゴールが、同じ音だけを、同じ間隔で弾いている。
「基本のラの音……!」
少女はとっさに歌いだした。 「新しい歌ができました みんなで祝おう この喜びを」
効果はすぐに現れた。少女の歌に合わせて、炎が勢いを弱めた。 しかし歌につられるかのように、新しい炎が少女の周りに現れる。 少女にできたのは、歌の続きを作ることだった。
「みんなで歌おう 私の友を」
穏やかになった炎が、再び燃え上がる。
「歌は 忘れない」
少女はひたすら歌い続けた。 次から次へと湧き上がる火を見ては、もっと大きな炎をイメージして歌をつなげていく。 炎は次第に、すべてを焼き尽くそうとするかのように店中を駆け巡り始めた。
歌も炎ににつられて激しくなり、炎も歌に押されてさらに勢いを増していく。 少女は遠くで、激しいアップテンポになってしまった歌には似合わない、穏やかなオルゴールの音を聞いた。
――どれくらい経っただろうか。
いや、10分と経っていないはずだ。 最後に長く声を伸ばして、少女の歌が終わった。それと共に、炎も小さい火種を残して消えていく。
ドールハウスの中は、煙と炭でいっぱいになっていた。 窓は割れ、垂れ幕は焼け落ち、ステージも真っ黒になって焦げ臭い煙を上げている。 そのステージの上に、誰かが座り込んでいた。 「――――――ッ!」 座っていたのは、自分だった。 人形はひとつ残らず燃え尽き、焦げ臭い灰の塊りになっていた。
ステージの幕の奥は、一面鏡になっていたらしい。 炎もない店の中は来た時と同じように暗闇が戻っていたが、少女にはその鏡に映る自分がはっきりと見えた。 「ひっ!」 そして、また声にならない悲鳴を上げた。
鏡に映る少女は、深紅の髪をしていた。 乱れた長い髪の間から、金色の鋭い目が見え隠れしている。 耳は、長く尖っていた。 頭を抱えている右手は、鋭い鉤爪となった指が食い込んで血がにじんでいた。 そして右の肩と左の腕からは、髪と同じ深紅の翼が服を突き破って生えていた。
「何…これっ」
少女の種族の正体は、鳥だ。深紅の翼も、鉤爪も、確かに種族特有のものだが、これは…
「ばけものじゃないか……!」
思わず鏡から目をそらすと、手元にあのオルゴールが落ちていた。 少女はとっさにそれを掴むと、店の外へ走った。
テントに戻ると、すでに出発の準備を終えていた大人たちは驚いて少女に駆け寄ってきた。その中には、年老いた団長の姿もあった。 「ティマフ!」 団長は少女を優しく抱きしめると、穏やかな声でたずねた。 「人形屋に行ってしまったんだね?」 少女は黙ったまま、うなずいた。
団長はそれ以上は何も聞かず、すぐに一座を率いて町を離れた。 そしてしばらくして落ち着いてから、少女の母と姉も交えて、彼女をこっぴどく叱った。 少女は、長いまま戻らなくなってしまった耳で、文字通り耳が痛くなるまでそのお叱りをただじっと聴いていた。
それから数年後、少し背の伸びた少女は一座のステージにいた。 「今宵お見せいたしますのは、この町のように魔法を使う者がいない、小さな小さな町のお話でございます!」 木を組んで作られたステージの上、顔にピエロの化粧をし、尖った長い耳に大きなリングのピアスをつけ、レースの付いた派手なタキシードとシルクハットで身を飾った少女が朗々と語りあげる。 その手足には幾重にもロープがくくりつけられ、その先は十字に組まれた木の棒が宙に浮いている。舞台袖で、魔法係の大人が浮遊魔法で細工しているのだ。 「ステージのライトにあこがれた少女と、町の外を夢見た少女! その二人を見やるのは、ピエロ姿の操り人形!」 少女がゆっくりとした動作で両腕を広げ、魔法係が少女の動きに合わせて棒を動かす。その様子は、少女が大きな操り人形になったようだった。 「ま、それって私のことなんですけど」 先ほどまでの怪しげな演技から一転、おどけた声を出して少女は観客の笑いを誘う。 少女はシルクハットを取り、再び怪しげなピエロの声と顔で前口上をしめた。 「それでは、『鏡映しの道化師』始まり始まり」 深々と一礼をする少女の背後で赤い幕が上がり、会場はひときわ大きな拍手に包まれた。
END