ぱしゃんっと水の跳ねる音がして、一匹の魔物、泰紀が水たまりから飛び出てきた。

「みゃーん」

 出てくるなり、いつものように誰かを呼ぼうと一声鳴いてみる。
 だが、辺りはしんとしていて何の反応もない。

「……みぃ」

 普段ならば、機嫌を損ねるような由々しき事態だが、泰紀は少し寂しそうにもう一度鳴いて、それきりあきらめた。
 ここに誰かが住んでいるはずもないことを、泰紀は知っているのだ。

 染みのある、冷えたコンクリートの壁と天井。作業台に、それを取り巻くように置かれた機械と、機械を繋ぐコード類。
 ここは、ずいぶん前に、とあるロボットが隠れ家としていた廃屋だった。
 久しぶりに訪れたそこは、すっかり朽ち果ててしまっていた。

 壁と天井のヒビはあの時より大きくなり、床のそこかしこに水たまりをつくっていた。
 泰紀が出てきたのは、その水たまりのうちの一つだ。
 部屋に置きっぱなしのままだった機材には、厚く埃や砂が積もり、水にぬれてしまった部分は錆が広がって茶色い水たまりができている。
 極めつけに、泰紀が部屋の中を歩き回ると、彼女の体はたちまち蜘蛛の巣まみれになってしまった。
 壊してしまった巣の家主だろうか。泰紀の足先を、大きな蜘蛛が慌てふためいて這っていく。

「……フンッ」

 その蜘蛛をぺしっと振り払い、泰紀は窓へ、ガラスがはめられていないその枠へ飛び乗る。

 建物の外も、ぼうぼうと雑草が伸び放題に生えていた。
 ひらりと窓から外へ降り立ち、泰紀は散策へと繰り出す。

 しかし、行けども行けども辺りは自分より背の高い雑草しかない。

「みぃっ」

 泰紀は、最初のうちこそその垂れ下がる葉先や花に飛びついてはじゃれていた。
 が、飽きてしまったのか、しばらくするとそれらには目もくれなくなった。

 やがて雑草が開け、泰紀の眼前に、一面にオレンジ色が広がった。
 生い茂る雑草に半ば埋もれるように、マリーゴールドの花畑があった。
 その一画だけ、石や瓦礫で区切られていたために、雑草の侵略を逃れたらしい。
 花畑を囲っていた石の一つに飛び乗り、泰紀はそのマリーゴールドの群れを眺めた。
 ぱたん、ぱたんと泰紀の尻尾が石を叩き、そして、小さな体がしなやかな動作で花畑へと降り立った。

「うにゃん」

 花畑のど真ん中をさも当然のように陣取って、泰紀は毛づくろいを始めた。


最終更新:2012年03月27日 20:13