山崎今朝弥 (Kesaya Yamazaki) archive内検索 / 「山崎君は去つた(吉田三市郎)」で検索した結果

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  • 山崎君は去つた(吉田三市郎)
    山崎君は去つた           吉田三市郎  わが山崎今朝彌君は、遂に去つた。  東京法律事務所の名物男山崎君は、私達と別れて事務所を出て仕舞つた。  実に意外な出来事であつた、運命の神様の気まぐれにも程がある。と、神様のいたづらを恨まぬ訳には行かなかつた。  けれども、今にして之を思へば、山崎君が出たのでもなければ、私達が出したのでもない、自然の成行であつた、山崎君は歩く可き道を歩いたのである。  『それではさうしやうじやないか』  かう言つて、皆んなが顔を見合せたのは去年の十二月廿八日の夕方、燈のつく頃であつた。  『その方が山崎君としては本来の面目を発揮し得ていいだらう』  誰かがかう云つた。  それから暮の中に事務引継ぎの打合せや、清算の相談や、事務所引払ひの日取りなどがすらすらと決められた。  大正六年一月八日に山崎君は東京法律事務所を引払つて平民...
  • 2.10・第七編
    ...ら公開しない。> 山崎君は去つた(吉田三市郎) 山崎今朝彌君の死(貝塚渋六)<一部仮名> 奇人変人ソラツンボ並に変死記事取消請求書(山崎今朝彌) 作り話の様な実話(貝塚渋六) 花嫁の侮辱に花婿の訴訟(澤田薫)<一部仮名・仮地名> 実頭月旦(石龍子)<著作権の観点から公開しない。> 写真月旦(西村朴堂)<著作権の観点から公開しない。>
  • 2.00・凡例
    凡例 1.本ページは、山崎今朝彌氏の著書、『辯護士大安賣』(聚英閣刊)をデータ化したものである。 2.底本には、山崎今朝彌著『辯護士大安賣』(聚英閣、1921年)を用いた。 3.原文は縦書きである。仮名遣いは旧仮名遣いのままとした(踊り字のみ修正した。)。旧漢字は適宜新漢字に変更した。Web環境の問題から漢字を片仮名に直した箇所がある。句読点を一部補正した。また明らかな誤植・誤字は訂正した。目次の見出しが本文の見出しと対応していない箇所は本文の見出しに合わせた。判読不能の文字は□とした。 4.上記作業については、山崎今朝弥著、森長英三郎編『地震・憲兵・火事・巡査』(岩波文庫)を参考にさせて頂いた。 5.歴史上著名な人物、政治家、公務員は実名としたが、一部私人については仮名・仮地名とし、[ ]内に記した。治安法制の被告人は、現在では非犯罪であるから名誉を毀損しないと考え原文のままと...
  • 書式文例(二)
    書式文例(二) 上告内規           山崎今朝彌       第一 総規  一本規ハ其適用ノ必要ナキトキハ適用セズ  二何人ト雖モ本規ニ定メナキ理由ヲ以テ臨機応変ノ処置ヲ為サザル責任ヲ免ルルコトヲ得ズ  三本規ハ総テ必ズ直チニ之レヲ為ス可キモノトス       第二 受任  一受任者ハ受任ノ際委任状、弁護士選任届、契約書其他必要書類ト共ニ手数料ヲ受取ル  二委任状、弁護士選任届、契約書ノ書式左ノ如シ ~~~~~~       委任状  大正何年(オ)第何号私対何某間ノ上告事件ニ付左記弁護士ニ民事訴訟法第六十五条第一項第二項ノ訴訟行為代理ヲ委任ス  大正何年何月何日    何某 濱口喜一、上村進、吉田三市郎、田阪貞雄、山崎今朝彌、阿保浅次郎、佐々木藤市郎 ~~~~~~       弁護士選任届  大正何年(れ)第何号私関係ノ上告事件ニ左記承諾捺印ノ弁...
  • 真言空言
    真言空言          山崎今朝彌 ◎『コレデ山崎も中々考へてるから尻尾を出したり怪我をする様な心配も有るまい、どんな広告を出そうがどんな端書を刷らうが構はない事に仕様』動議は佐々木内閣二月二日の初会議に可決確定された早速第本号大正四年二月五日発行其都度新聞毎回一回当日発行第二種郵便物認可定価前金一部無料郵税一枚一銭五厘と云ふ新聞が四方に飛んだ、金の御都合で知人一般に配布出来なんだが実に残念。 ◎時勢の要求か内閣の更迭か兎も角大赦に遇ふて、大森では日本一景色の佳い借家から弁護士では日本一大きな事務所に通い、高い負けろの面倒もなく一定均一の上告専門、コレデ金でも溜つたら小生も嬉しくて溜らず。 ◎手紙にも雑報にも時偶吉田三市郎外四名と来る、外四名が気に喰はぬ、いろは順の表示でもアルハベツトでも一年交代でもあるまい、ハテナ、これかあれか、の相談も有つた、五人寄れば不思議の智慧、トド、...
  • 去るの記
    去るの記  私には元祖狂と云ふ悪い癖がある善悪に関せず、利害を問はず、只元祖であれば遣り度い。困つた物だと自分も思ふ。私が大正二年の正月頃、日本に於ける弁護士組合の元祖を思ひ立ち、矢も盾も堪らず、之を弥生弁護士会に持出した処、旨趣には全部賛成したが、偖て其れではと云ふ者は無かつた。  茲に吉田君は其三月頃、猪俣君に組合の話を持出し、結局反対を受けたらしく、六七月頃、佐々木君と意気投合して組合組織の決心を為し、組合員の物色を初めた。第一に問題になつたは勿論私である。私の一番好いのは佐々木君と吉田君であり私は又発頭人でもある。然るに此処に一つ絶対に相容れぬ点がある。私と社会主義者との交際、及び私の服装に構はぬ事、屁を放る事、裸体になる事、要するに行儀作法に無頓着なる事即ち之れだ。前者は佐々木君が特に嫌ふ処で後者は私が『吉田君の病気』と云ふ位、吉田君の反対する処である。二人は私に社会主義者と...
  • 上告革命案
    上告革命案           主任 山崎今朝彌 月別  破毀 棄却 取下 被上告    受理 五 民 -六 -六 -三 カチ二マケ一 -九   刑 -八 一二 -四 ------ -- 六 民 -七 一二 -五 カチ四マケ一 -三   刑 -四 二〇 -二 ------ -- 七 民 -二 二一 -三 ----勝五 -五   刑 -二 二〇 -六 ------ -- 八 民 -〇 -九 -一 -----〇 -〇   刑 -〇 -六 -一 ------ -- 九 民 -四 一八 -六 ----勝一 -六   刑 -三 一〇 -〇 ------ --  右成績表元来なら前号又は前々号にて発表致すべきの処五月が余り成績良かりし故態と遠慮致し七月を待ち八月を待ちたるに七月八月は海内無双の不成績にて発表が厭に相成り今後は絶対に成績は発表せぬ事と...
  • ホン乃木家とウソ乃木家・牧野所長答弁書
    ホン乃木家とウソ乃木家  近来の癪事蓋し所謂乃木家冒認問題に如くはない、如何に大将を毛嫌し誹毀する者と雖も未だ曽て大将心事の高潔と誠忠と公明と正大とを疑ふた者はない、果して然らば之れに免じても大将の遺思を全ふせしむべきは世の道人の心常の態である、大将の遺思は「根も幹も枝も残らず朽ち果し楠の薫りの高くもあるかな」「いたづらに立ちしげりなば楠の木もいかで香りを世にとどむべき」の二首に尽きて敢て説明を要すべき理由がない、然るに何たる大べら棒ぞや、乃木大将一人が馬鹿に偉くなるを厭ひ又は其真似を為さざるを得ざる羽目に陥るを恐るるの徒二三輩が、寄つて集つて大ソレた悪戯を働くとは。  毛利元智氏は子爵毛利元雄氏の家族なれば今回の授爵に依り明治三十八年法律第六十二号第一条第一項の適用を受け一家を創立し第二項の適用により民法中分家に関する規定準用の結果、本家の毛利姓を冒さざる可からず、然るに新聞の伝ふる...
  • 新年に際して大審院の御大典判決を評す
    新年に際して大審院の御大典判決を評す           山崎今朝彌       第一点  大審院第三民事部は大正三年(オ)第七八五号物品返還請求事件に付  甲第六号証は鑑定書と題し本訴提起後係争獺皮の価格を証明する為め一私人の作成したる書面に過ぎざれば相手方に於て之を否認する以上は何等の証拠力を有するものにあらず、然るに原審が、同証に対し上告人は不知の陳述を為すに拘はらず、之を採用して本件係争の獺皮一枚の代価合計二五九円なることを確定したるは採証の法則に違背したる不法あるものにして破毀を免れず。と判示せり。  雖然当所より提出せる答弁書には  本件甲第六号証は記録第七五丁初行以下に「控訴人(上告人)は甲第一号証乃至第六号証は各其成立を認む」とある如く其成立に就ては原審に於て当事者間に争なかりしものなれば原裁判所が之を採て以て事実を判断したるは不法にあらず。 ...
  • 作り話の様な実話(貝塚渋六)
    作り話の様な実話           貝塚渋六  米国伯爵、平民大学総長、道楽社会主義者、奇人、変人、弁護士、山崎今朝彌君のオトウサンが死んだ。  私は曽て『山崎今朝彌君の死』といふ一文を天下に発表して、粗忽の大罪を犯した。山崎君はそれが為に自分の猶ほ生存して居る事を広告するのに、大変な手数と金銭とを費した。そこで今度は其の粗忽を再びせざらんが為に、十分の調査を遂げて此の一文を発表する。山崎君のオトーサンは確かに死んだ。大正八年十一月廿七日午後三時五十二分を以て正に判然と死んだ。享年九十六歳。嗚呼悲しい哉。  彼は名を山崎勝左衛門と云つた。奇人の親だから自然に子の遺伝を受けて矢張り奇人だつた。私が『今朝彌君の死』を書いたのは、彼が奇人たりし事を適確に論証せんが為であつたが、今ここに『オトーサンの死』を報ずるのも、今朝彌君の奇が如何に其の父の心に遺伝し発展しつつあつたかを適確に論証せ...
  • 週刊社会新聞・東京社会新聞
    「週刊社会新聞」、「東京社会新聞」(いずれも東京社会新聞社)より、山崎についての記事を抜粋してみた。 「人事片々 ▲前の米国伯爵 弁護士山崎今朝彌君は今回法律文学と題する月刊雑誌を目論見来る十月一日に第一号を発刊する由」(「週刊社会新聞」第18号5頁(明治40年9月29日))  注)山崎には「雑誌発行道楽」(森長英三郎)があった。この『法律文学』はおそらく山崎が最初に出した雑誌であろう。 「人事片々 ▲山崎今朝彌君 は今回天下太平会なるものを組織したるが其の目的は濫訴健訟の弊を防ぐに在りと」(「週刊社会新聞」第21号7頁(明治40年10月20日)) 「人事片々 ▲山崎今朝彌君 奇弁護士たる同君は去る八日郷里信州諏訪に帰省せり」(「週刊社会新聞」第25号7頁(明治40年11月17日))  注)山崎は当初、東京で弁護士開業したが、一旦郷里の長野に帰郷し甲府地方裁判所所属に登録換してい...
  • 3.28・訛伝正伝
    訛伝正伝  一犬虚を吠ゆれば萬犬実を伝ふ。併し新聞紙は犬と全然同一でないから、幾分新味新説を附加して虚実を伝へなければならない。で棒大は棒大となり枝葉は枝葉が繁茂し、ウソかホントか自分で自分の事が判らなくなる。之れが寧ろ当然だとは言ひ条、今度といふ今度は僕も自分の正伝訛伝に呆れる程面白かつた。此の新聞雑誌の切抜は中々面白いから集めて一冊の本にもする積りではあるが今其中から本篇及び「弁護士大安売」と重複せず又附篇として茲に掲げても良ささうな正伝に属する分数種を並べて見る。尤も此正伝と雖も今回の懲戒事件に関連して伝へられたるものだから、文体はなるべく多少又は少多訂正する。 巡査に貼札 <新聞記事。著作権の観点から公開しない。>  正伝を正すも可笑しいが、序だから一言する。  神戸へ行つたときは汽車中の送りで間違へたのか、降りてからに間違へたのか、風彩堂々たる弁護士宮澤武七君には...
  • 山崎の関わった雑誌
    山崎今朝弥の関わった雑誌 山崎は、社会主義者ゆえに当局から「特別要視察人」として指定されていた。 内務省警保局の内部文書中から、山崎が関わった雑誌についての当局による記述を抜粋した。 (1)東京法律 題号・・東京法律 発行回数・・月刊 一部代価・・五銭 発行所・・東京市京橋区新肴町一東京法律事務所 内容概評・・甲号特別要視察人山崎今朝弥等カ従来ノ法律事務所ヲ革新シ生活ト法律トヲ調和シ公共的精神ヲ発揮センコトヲ期ストノ目的ヲ以テ組織セル東京法律事務所ノ機関ニシテ時々現制度ヲ非難スルノ記事及要視察人ノ寄稿ヲ掲クルコトアリ 名義人・・発行兼編集人長野国助、印刷人吉田三次 ※「非要視察人ノ発行セル刊行物ニシテ主義的色彩アルモノニアラサルモ屢々主義的臭味アル投稿ヲ掲載シ又ハ労働者ニ同情スル記事ヲ掲載スルコトアルモノ」に分類されている。 (以上、『...
  • 山崎今朝彌君の死(貝塚渋六)
    山崎今朝彌君の死       『立派なユーモリスト』 貝塚渋六       一 千部萬部のお経に優る追善供養  新聞紙と云ふものが兎かく下らん事ばかり書き立てて、当然報導すべき事件は却つて之を閑却し、或は何かの理由で態と知らん顔をしてゐる場合が屢々あるのは、識者の常に痛嘆する所であるが、予はここに又一つ其の最も顕著なる例証を発見した。と云ふのは、当代の奇人変人として有名なる米国伯爵、欧米各国法学博士、弁護士、山崎今朝彌君が、去十六日午後三時三十分、千葉県八幡浜に於いて一子堅吉(六歳)を肩車に乗せたまま変死を遂げた事が、未だにどの新聞にも記載されてゐないではないか。  此に於いて、予は敢て彼れの幽魂を慰めんが為、詳に彼れの死状と死因とを報じ、併せて彼れの奇人変人たる生涯の閲歴を語らうと思ふ。  彼は奇人変人として当然に奇抜好であり、又広告好であつた。然るに彼が折角、注文どほり奇抜な...
  • 塩谷恒太郎氏と新井要太郎氏
    塩谷恒太郎氏と新井要太郎氏と  明治四十年頃私が未だ狂かつた(他人の説に拠る)時分、信州の新聞やロンドンタイムスに大広告を出したと云ふので弁護士会の除名問題が起つた当時、故平出露花が飛んで来て「塩谷君が非常に憤慨してるから何んとか消火運動を講じたらどうだらう」と注意して呉れた、私は初めて東京弁護士会に塩谷と云ふ弁護士がある事を知つた。そして其人は弁護士会の長老で会の実権を握つてる人の様に感じた、私は露花に「問題の起るも承知の上だつたが今に誰か僕の処へ来て見れば問題は消滅するから心配して呉れ給ふな」と答へた、案の条、僕が其当時迄前例のなかつた、米国の華族になつた腕でも、東京を喰詰めて田舎へ逃げた時分には是を問題にする者もなかつた、其後東京法律事務所で東京監獄へ無料相談部の派出所を出した時も、興信所の報告に依れば、所謂差入屋弁護士以外の人で風紀問題で騒いだのは塩谷弁護士位の者だつた、此時も私...
  • デッサン(アウトライン)
    デッサン(アウトライン)           山崎今朝彌  八月は銷夏随筆号で社中惣出と相談はとうにきまつたが、待てば海路の日和見主義に限り、其中には頁数超過で自然消滅が例となつてる。と高を括つて命令一下随筆デツサン何百枚でもと引受けては置いたが元より書く気はなかつた。愈々今日半ペラ九枚の厳命しかも編集後記でゴマカシなしの条件附。  しかし若し之れがセメテ百枚の命令であるなら「壁の耳」とか「山羊の角」とか題して、平民大学以来此処で集つた公私公秘の諸会合、時効がかりの内輪話しをデツサンし、セメテ半ピラ五十枚もあれば、病気見舞、母の死、帰省などデツサンし併せて其際吊電を辱ふした市電自治会、組合総連合、自由法曹団其他の諸君に対して厚く御礼を申上げ、以て義理を塞げるが、生ジツカあと七枚の半ピラでは、母の死に就てデツサンをアウトラインする外はない。  母の死を語る前に先づ父の死を語る、七年前...
  • 面白かった裁判の話
    面白かつた裁判の話           山崎今朝彌       ○はしがき  私は話、談、咄、譚、などの区別も、随筆、漫録、事実物語、等の異同も知らない。で思出し考付くままの、一寸面白かつたと思つた裁判の話を矢鱈に書付けて見る。但し真直ぐばかりは歩かず、回り道もすれば道草も喰ふ。又面白いと云ふことも自分本位でクダらない笑話。  落語、のようなのもあれば、無味無臭屁のような面白くないものもあらふ。其代り面白いと思つたら裁判でなくとも書付ける。尤も御註文が十三枚だから、一つの話の半分しか書けないことがあるかも知れない。これから考へ考へ書くのだから、自分にもまだ見当が付かない。       ○渡邊國武事件と小川平吉事件  私の古い裁判事件簿には、渡邊國武の治安警察法違反事件と小川平吉の選挙法違反上告事件とが載つてる。  前内閣副総理鉄道大臣兼前国士小川平吉は長野県諏訪郡の出身である...
  • 3.18・問題となるまで
    問題となるまで  コレも又少々ウソがある。ウソのない処にはホラがある。さて話しは抑々初めからする。  僕が此事件を大審院閲覧室で調べた日はイツであつたか覚へがないが、調べるとすぐ判決の間違つてる事が解つた。腹の立つ程でもなかつたが、田舎の判事の判らないには呆れた位には思つた。一体判決に本気に憤慨するなどは、滅多にはない事だ。僕だつて、自分で取扱つた事件で、噛んでふくめる様に、云つてきかせたのが、余り無茶な事になつた、と云ふような場合でなければ、本気に腹は立つまいと思ふ。然るに此判決は、ドコの何判事が下したものかさへも今は忘れて了つてる位無関係のもので、又其の内容にしても、此判決に対する大審院の判例があつた前は、東京辺の判事だつて、此位の処で皆有罪にして居る。従て僕にさう腹が立つ理由がない。併し此節無暗に弁護士に対する懲戒問題が起る、之れが真に弁護士の風紀を維持する必要なら異論はないが、...
  • 私かにテーゼを論じ敢へて片山老兄へ寄するの書
    私かにテーゼを論じ敢へて片山老兄へ寄するの書       一  片山老兄。病気の噂と達者の噂とをゴツチヤに聞くが一体ドツチですか、思ふに両方ホントなんでせう。僕等位の老人でもモウ身体が命令を奉かず、少し無理をすればスグ耐へる。歯○○目は○○歯目の順序で痛切に適用され、○○は十数年来、歯は昨今完全に総入歯、目も四五年弱く今年からは老眼鏡が離せなくなつた。昨年までは往復三里の道を毎日事務所へ通つて見たが、電車が開通すると同時にモウ徒歩くが大儀になつた。天丼三杯汁粉廿杯などの芸当はモウ夢にも出来ず漸く其の半分が関の山。年はドウしても争はれないものだ。僕よりも廿才も老兄の老兄、如何に頑健なりと雖も又推して知る可きのみと思つてゐる。       二  日本の事情も大きい所は色々の関係から老兄などの方が僕等よりよく詳しく知つてると思ふ、が細かい事は何んにも知らないでせう。老兄直系の善良なる藤田...
  • 宮地嘉六・奇人山崎今朝彌
    奇人山崎今朝彌-法曹界のアメリカ伯爵-           宮地嘉六       最後の対面  山崎今朝彌氏とは終戦後、久しぶりで偶然に或る追悼会の席で落ち合つた。それがついこのあひだのことのやうだが、もうそれから三四年は経つてゐる。そのとき、丁度、卓を挟んで向ひあふことになつたので私は少しバツがわるかつた。山崎氏の方でも何か同じやうなことを感じただらう。が、氏はそんなことには頓着せぬ風で、例によつてキヨトンとした顔で隣席の荒畑寒村氏と何やら話を交へてゐた。とんだ場所におれは席を選んだものだと思つたが、もうどうにもならなかつた。見渡したところ、みんなの席はきまつてしまつてゐる。  ずつとおしまひのあたりに、空いた席がなくもなかつたが、すぐ私の隣席には小生夢坊氏がゐ、その他、私と山崎今朝彌氏との曽てのイキサツを知つてる人が多数ゐて、その人達の手前、今更席をかへるのも見えすいてゐて、逃...
  • 宮地嘉六君と堺利彦君とに与へた公開状を補足す
    宮地嘉六君と堺利彦君とに与へた公開状を補足す       弁護士 山崎今朝彌       ■  僕は「婦人世界」九月号に「宮地嘉六君と堺利彦君とに与へた公開状」を書きましたが、その後、友人たちから、あれはどうも山崎らしくない、米国伯爵らしいところもない、誤字もなければアテ字もない、文法がないでもなし、仮名づかひがないでもない、あれはまるつきり文士か紳士か平民の書いたものだといはれました。それはまだいいとして、理窟一方、裁判上手、法律の名人といはれてゐる僕の書いたものだのに、理窟がなつてをらんといはれては我慢ができません。そんな弁護士に公事訴訟を頼む人があつたら、ソレコソ馬鹿か気違に相違ないといはれては、僕にとつては生死の問題であります。死活の問題であります。元来これにはいろいろ曰くがあるのですが、今は何も言はず、只ここに「宮地嘉六君と堺利彦君とに与へた公開状」を補足します。  堺夫...
  • 平民法律無料原稿請願書式
    平民法律無料原稿請願書式  前略 愈々御廃業近々御開業の由、就てはにては無之候へ共早速此事件御願申度、御多忙中甚だ恐入候へ共廿五日迄に『平民法律』一頁是非御埋被下度願上候。  抑々当『平民法律』は方弁護士又は不明弁護士を除く全国の弁護士に、洩れなく配布するを条件として、殆んど他人の計算、総て小生の責任に於て、小生の発行する雑誌に候へば、弁護士に対する君の廃業開業の広告には、充分其目的を達する事を得る事と存候。  私かに思ふ、君が此度『今村恭太郎以来の名判官』の評判を抛て弁護士になつた故事来歴有の儘を告白したら、上は天下を裨益し下は萬心を覚醒するに足るものあらん。今日の新聞に拠れば、君業の廃開は生活の安定の為めとある、学生時代からの君を知る僕は、今も尚君がソンナに馬鹿だとは思はない。生活の保証、収入の安定を得る為めに裁判官に成り下がる弁護士は、其手続に於て敢て不適法ではないが、其反対は...
  • 外二名及大杉君の思出
    外二名及大杉君の思出           山崎今朝彌       一  この表題で一度原稿を書き終つたは十月七日の夜であつた。其原稿では先づ大杉家の系図を掲げ、栄と栄の妻伊藤野枝と、栄の末妹あやめの一子宗一(七歳)とが、大正十二年九月十六日夜、麹町区大手町一丁目一番地で死んだこと、栄等兄弟と陸軍中将山田保永とは三親等の姻族、陸軍中将京都師団長前憲兵司令官山田良之輔とは四親等の血族であること、幼児宗一は米国人でもあること、其他色々のことを明かにし、以て其筋があくまでも秘くさんとした処を意地悪くバラさんと試みた。  然るに九月一日の激震は事咄嗟に起り其の震動極めて峻烈にして家屋の潰倒男女の惨死幾萬なるを知らず、剰へ火災四方に起りて災焔天に冲り京浜其の他の市邑一夜にして焦土に化したが、十月八日の解禁は止むなきに出で、其の範囲極めて案外にして、折角の苦心屁の足しにもならず、剰へ公判の結果は...
  • 堺利彦論
    堺利彦論           山崎今朝彌       1  大宅社長?主幹?主筆?の注文は十五六枚で明後日までに枯川堺利彦君の評伝を「評論」に書けといふのであるが、葬式の際荒畑寒村君の読んだ極簡単の略歴でも二三十枚はあり、明かに僕では其任にあらずではあるが、堺君の著書目録を挙げて其の内容を瞥見し、之れと堺君の思想と闘争と仕事と環境と六十年に渡る各時代表裏の社会状勢とを牽連錯綜せしめ、尚上部建築から土台下まで台所から奥庭まで覗いて「国宝」堺利彦を論評伝記するなら、到底一冊や二冊の本には纏められない。ソコを腕と筆とで上手にコンサイスなりコンデンスなりして、物にしろといふ注文であるなら、コレは又職業的文筆家でも以て難しとするところであらう。  で、僕は今尚僕の脳底にコビリ付いてる堺君の複雑なる性格のホンの一端一面を観察描写して、最後に僕でなければ誰も言ひ得ぬ事を一つ二つ書いて、「明後日ま...
  • 3.25・忌避から判決まで・書記課への抗議・控訴状・控訴取下書・日記秘第四五号秘号
    忌避から判決まで  判事も検事も警察も一つ穴の狸と思ふてる素人に。予審裁判をした判事は、公判で其事件に関係する事ができない、一審裁判をした判事は、二審で其事件に関係する事ができない、其訳は先入主となる弊害があつて、公平の裁判ができないからだ。と話せば何を?!べら棒な、チヤンチヤラおかしいと笑ふだらうが、玄人はそんな事は当り前の事としてゐる。然るに弁護士判検事の懲戒となると、予審判事のする予審裁判と同じ事を、懲戒開始決定と名を付けて公判々事がやり、其同じ公判々事が又懲戒の裁判をやつてる。刑事々件なら恰ど予審判事と公判々事と、一審判事と二審判事とを一人でやるようなものだ。此不思議の現象はどこかに間違つた処があるにきまつてる。玄人のチヤキチヤキたる判検事弁護士であるから、此事は誰も気が付く筈であるのに、今迄これを問題にした被告のないのは、蓋し被告上黙つていた方が得た利益だと計算したからであらふ...
  • 3.07・外二名及大杉君の思出
    外二名及大杉君の思出       (一)  この表題で一度原稿を書き終つたは十月七日の夜であつた。其原稿では先づ大杉家の系図を掲げ、栄と栄の妻伊藤野枝と、栄の末妹あやめの一子宗一(七歳)とが、大正十二年九月十六日夜、麹町区大手町一丁目一番地で死んだこと、栄等兄弟と陸軍中将山田保永とは三親等の姻族、陸軍中将現京都師団長前憲兵司令官山田良之輔とは四親等の血族であること、幼児宗一は米国人でもあること、其他色々のことを明かにし、以て其筋があくまでも秘くさんとした処を意地悪くバラさんと試みた。  然るに九月一日の激震は事咄嗟に起り其の震動極めて峻烈にして家屋の潰倒、男女の惨死幾萬なるを知らず、剰へ火災四方に起りて災焔天に冲り京浜其の他の市邑一夜にして焦土と化したが、十月八日の解禁は事止むなきに出で、其の範囲極めて案外にして、折角の苦心屁の足しにもならず、剰へ公判の結果は疑実四方に起りて新聞天下...
  • 3.06・社会葬・高尾君の思出
    社会葬  吾々無産階級の解放運動に一身を捧げてゐた高尾平兵衛君は、遂に其の犠牲となつて斃れた。しかも解放運動とは全然反対の立場にある反対運動者の為めに悲壮な最後を遂げた。吾々は其の思想に於て、其の運動方法に於て必ずしも高尾君と一致する者ではないが、反動運動の敵たる点と、解放運動に志す点とに於て全く同志であり、兄弟である。  吾々は同志高尾平兵衛君の此の尊き犠牲に対し、明後八日午後一時、無産階級社会一般の、最も厳粛なる社会葬を以て酬ゆることに決した。広く同志を誘ひ、諸君の奮つて会葬せられんことを切に希ふ次第であります。  七月六日      故高尾平兵衛君社会葬委員一同       社会葬執行順序 大正十二年七月八日午後正一時青山斎場に於て開式 一、開式ノ挨拶      一、弔歌合唱 一、遺文朗読       一、告別文朗読 一、経歴文朗読      一、弔文電報披露 一、...
  • 不敬罪とはどんなものか
    不敬罪とはどんなものか          弁護士 山崎今朝彌  今し方、法律新聞と同時に十二月十五日の中央法律新報が配達された直に封を切つて、飛び読みして行くと、ガーンと私の頭に響き同時に目の廻りがボツとして、倒れる様な気持になつた一項があつた。一度に読んで了ふは惜しくて二度にも三度にも読んで漸く冷静になつた。  問題は十九頁の『松山の不穏文落書事件』だ。実際僕も、天長節の日に松山市十五ケ所に不穏の落書をした者があつて国中、上を下へで大騒動との松山電報の新聞記事を見て、アー之れも亦例のと思ふてると、二三日過ぎて十九才乃至廿才の青年四五名が捕へられたとの記事が出た。之は困つた、ヒヨツとすると又例の恐懼蒼惶不敬罪にでもするかと案じてると、案ずるより来るが早く、四五日すると、五年二人三年二年の判決電報があつた。マサカと思ふたがドノ新聞にも書いてある、ソレでも今迄僕は之れを信じなかつたが今は...
  • 3.27・チツトにタント、テロリとケロリ・其後の近況と法律萬能主義
    チツトにタント、テロリとケロリ 其後の近況と法律萬能主義  病気は全快した。僕は六月初めから肺炎をやつた。しかし、抑々の初まりは去年頃から続きの風邪の続きらしい。達者の間は工合も随分悪く、熱も可なり高かつたが、愈々たまらなくなつて寝てからは却て頗る楽になつた。  当時僕の懲戒は忌避申請の却下中で、色々の都合上五六日病気にならなくてはならなかつた。ソコでその旨を早速裁判所へ届けると、すると今度は突然ホントの病気になり、自分ながら心外の至りで、到底事実とは思へなかつた。ソレにも拘はらず病気は用捨なく全快せず、全治には到底三四ケ月を要すと医者は鑑定した。総てを計算に加へ、二十九日大審院の懲戒控訴を取下げ、七月十一日に相州茅ケ崎へ転地した。茅ケ崎へきてからも二三週間は薬を呑んでみたが、何時とはなしに忘れた。七月一杯は運動が過ぎたり、勉強が過ぎたりすると、胸の辺が病人らしかつたが、八月何...
  • 私はどうして米国伯爵になったか-「真相鋏厄史」余録-
    私はどうして米国伯爵になったか-「真相鋏厄史」余録-           故 山崎今朝彌       編集部へ先づ一発  あえて当世流行の人格権をふりまわして文句をつけるのでは決してないが、前回の大助虎の門の巻で、私の筆名を削ったのは、今までの日本人や日本政府と同じく人民の諸君も脳底のどこかに旧習旧慣どうけいの気持がコビリついて中々頭のきりかえがつかなく、勿体ないないで却って勿体なくもむだんですて去ったのか。  元来米国伯爵のもつ幽玄妙諦のウイット、ユーモーア、ヒニク、フーシと日本民主々義革命に及ぼすその効能と影響力とはウイット、ユーモアでは本家本元の米国人なら了解するだろう。  半分米国、半分日本で育ち、小学は米国で中学は日本で漸く卒業できた私の知ってる第二世の通訳があるが、この男それをコッチえマワシテ下さいという処を舌の短い口調で、それこちらへ運搬して下さいといい、時々便りを...
  • 弁護士となつた動機
    弁護士となつた動機  (一)小作百姓では食へず、工場奉公では我儘が出来ず、と云ふて師範学校に入学出来る程の学問も無かりし故、苦学しながら弁護士にでもならんと考へ、一番楽な法律を学びたる故なり。  (二)イ、欲と良心との間に立ち、報酬を依頼人より取る事なり、金は欲しいし、気の毒ではあるし。(苦)     ロ、敗ける覚悟で、富豪官憲を相手に訴訟するとき。(楽) <山崎今朝弥著、弁護士大安売に収録>
  • 久板卯之助君を偲ぶ
    久板卯之助君を偲ぶ           山崎今朝彌 久板君の事が何か書いてないかと山崎伯爵疳作集『弁護士大安売』を出して見たら、日比谷警察人権蹂躙訴状の項に告訴人久板卯之助、望月桂、告訴代理人山崎今朝彌、被告人日比谷警察署長警視、増田傳次郎外大勢、傷害罪の告訴として、コンナ一節があつた。 一、大正九年十二月十日は日本社会主義同盟の創立大会当日なりしを以て、頑迷乱暴市内に冠たる日比谷署は猥りに政府の意を忖度迎合し独り其功を専らにせんと欲し云云九日夜十一時頃被告等に取押へられ途中打たれ殴られ蹴られ踏まれて云云此際被告増田は自宅にて大杯を傾け僕婢妻妾を相手に大に天下を論じ形勢を語り独り悦に入りしならんか、告訴人等の新入を聞き直に出署、酒気満面望月の居城に侵入し云云十数名の巡査と共に約七八分間目茶苦茶に打擲殴打し別紙の如く負傷して遂に人事不省に陥りたり。 二、平素温厚柔和羊の如く神の如き告...
  • 手当り次第
    手当り次第  十何年振りかで算盤を持つて見た、何回となく行数計算に間違があつて大に困つた、五行や六行は、どうにでもなる信玄袋の編集法が発明されて居そうなものだと思ふた。此苦労にも不拘『拙者近頃繁忙にて拝読の暇無之候間』『別に必要も無之候へば』の端書が二三通来た。注文なき処に発送するからには料金の請求をするもんではない、厭になれば此方で断はる。但し『愚老八十歳に候へば細字の閲読非常に苦痛是非』は頗る同情に値した。本号に取柄が無かつたら、此一小雑誌が五十四人の合著だと云ふ点を取柄にして貰ひ度い、欧米各国にもコンナ例は未だないとの事だ。独文は売文社技士兼当国御雇教師高畠素之君と云ふ日英独三ケ国語に精通せる人の寄書。英文は無名の学者山田嘉吉君の夫人の書いたもの、青踏へ能く出る山田わかと云ふが此人だ。都路華泥楼主人は読売新聞の「うまのかみ」即ち仏国通の渋谷愛君だ。大杉君と堺君はヌキでもよからう。貝...
  • 川手君の発憤
    川手君の発憤  川手君は武田信玄公様発祥の地たる甲州の産で、明治三十二年頃中央大学へ入つて法律学を修め第二年生になつた三十三年だかの夏帰省した。其時汽車の向側に同年輩の風彩の揚らない書生風の男が居た。暫くはお互に口も利かなんだが遂話し合ふ様になつたら其男は矢張り法律書生であつた。段々話して居る中に其男はツクヅク川手君の顔を見て『君の話では君は法律家にならなければ食ふ事が出来ないと云ふ訳ではなし、見た処君には到底判事にも高等文官にも弁護士にもなれる様子もない、悪い事は勧めぬから今の内に思ひ切つて国へ帰つた儘百姓でもし給へ』と真面目に忠告した。川手君憤るまい事か見ず知らずの初対面の人にソンナ事を云ふ馬鹿が何処にある、撲つて仕舞ふぞと云ふ処を耐へて、よい加減に応対して別れた。が、あの位図々しい無遠慮の男には其前後出会はした事がないとは今でも川手君の一つ話である。而も其男は真面目顔で初から問もせ...
  • 最近最も癪に障つた事・最近最も痛快だった事
    最近最も癪に障つた事  は某事件で某判事が自分の残忍性から被告や縁者の苦悶するのを頻りに喜んで調べた形跡があつた事と、堺君の明白なる殺人未遂事件を何故か官憲が之れを傷害事件と極力弁護した事とである。前者に対しては面白い事を考へ今に目に物見せて呉れんと独り楽しんでる処は、僕も亦残忍性があるかと思はれる。後者に対しては新年イの一番に普通裁判所殺人未遂に基く二十円の損害請求民事訴訟を起し、軍人裁判所から記録の取寄をしたり、打合前上官の心も知らず其晩功名顔に逐一事実を語つた刑事を証人に呼んだり、軍人裁判所が態と調べない証人を残らず調べたりしたいと折角堺君を煽動して居る。其他無政府主義者が、俺は社会主義者なんかとは訳が違ふと云つたやうなことを言ふこと、社会主義者が、国家社会主義者なんかは仲間でないと云つたやうな顔をすること。国家社会主義者が俺達はもう足を洗つた局外者であるといふやうな態度に出ること...
  • 堺君を語る
    堺君を語る           弁護士 山崎今朝彌  私が堺君を知つたのは明治四十年には相違ないが、何時何処で初めて会つたかは覚えがない。堺君は一体奇人変人偉人の類でなく、只の凡人常人才人の型であると思ふ。だが堺君とロシアの片山潜君とを取り変へたら、片山君は今頃或は日本で改宗者となり又は窮死者となつて居たかも知れないが、堺君はロシアでモツト有名になり国賓になりモツト羽振を利かせて居るに相違ない。穏忍自重、臨機応変、堺君の識才は並大抵のものではない。黙つて歯を喰縛つて、堺君の強情は一通りや二通りのものではない。  早く死んだ幸徳秋水が今生きて居たとして、人気人望が元通り何時までも堺君以上で会つたかは疑問だ。仮令文章がヨリ上手で学問がヨリ以上であつたとしても、病弱のために人の面倒どころか人並以上の贅沢と養生とを必要とした故幸徳は『僅か一握りの』コセコセした主義者の間にあつて既に何回も、ダ...
  • 義妹を離縁した宮地嘉六君と媒酌人堺利彦君へ送る公開状
    義妹を離縁した宮地嘉六君と媒酌人堺利彦君へ送る公開状       弁護士 山崎今朝弥       ■  宮地君夫婦の離婚問題で、一番貧乏鬮をひいたのは媒酌人たる堺君である。由来媒酌人は貧乏鬮をひくものと昔から大体極まつてゐるらしいが、堺君は此事件で当事者たる宮地君夫婦からよりも、世間一般から、より多く誤解されてゐるらしい。これが即ち僕が特に堺君が貧乏鬮をひいたといふ所以である。この誤解を解くのは僕の義務であり、また僕の外には誰も出来ぬことであるから、この機会を利用して聊か陳弁してみたいと思ふ。  離婚問題の発表された当時、僕は誤報を怖れて新聞記者や雑誌記者に対しては一切口を緘して語らなかつた。それかあらぬか鉾先は堺君の方へ向いて行つた。そして、同氏が媒酌人としてあまりに冷淡で無責任であるといふことを批難をした。  この批難の一半の責は確かに堺君自身が負ふべきものであると僕は推定す...
  • 月報の原理
    月報の原理           山崎今朝彌  大正三年九月六日は、起つか転ぶか久しく法曹界の疑問であつた我組合の一周年後第一日曜日だと云ふので、事務員は高尾山に祝賀遠遊会を、組合一家一同は大森に記念室遊会を開いた、家族の少ないのと他人の庭が広いのと無料の眺望が多いのとが取柄とあつて我輩の処が会場に指定され、昼は望翠楼の西洋料理晩は松浅の日本料理余興には赤星夫婦の和洋音楽ありて別に不服の有らふ道理はなけれど、家憲とあつて、酒山門に入るを許さざりしは蓋し玉にきず、本誌は則ち即席動議として成立したるものである、法曹三千得意七千を目的とし一萬部発行の段迄は滞りなく進行したが題号となつて中々埒明かず夜を越へ日を過しても遂纏らず、我輩の萬世不易永代無料は真逆金を出して購読する物好きもあるまいからとの平凡の考なりしも山崎式だの一言でテンデ相手にせず、外国種の生命財産古酒新肴御手製の東京法律野声あを石...
  • 禁止公判傍聴許可願
    禁止公判傍聴許可願           資本家の忰 相澤喜市郎           犬医 板橋萬吉           会社員 久間晴治           帝大生 大岡洋吉           教師(琉球人) 比嘉賀秀           著作業 高橋彰三           商家の子息 河上 豪           農学士 宗象良男           警視庁派遣講習生高等係巡査 高頭七五三           同上 星久米治           朝鮮貴族の忰 李  拓  高尾平兵衛に係る出版法違反事件の公判は傍聴禁止中に有之候処右記の者は平民大学夏期講習生中本件弁護人に於て責任を負ふて身元を保証する者に付き何卒右事件本日の公判傍聴の儀特別に御許可相成度此段及御願候也  大正九年八月十二日           右弁護人 山崎今朝彌 東京地方裁判所刑事第一部...
  • 3.08・平澤計七君を憶ひて
    平澤計七君を憶ひて  僕と平澤君との交際は余り長くはない。平澤君が亀戸警察で殺されたは、確か地震九月の三日真夜中で、僕の平澤君を知つたは、その前年十一月の三日真昼間であつた。僅かに一年ソコソコ確かに長くはないが、その間平澤君は、一人で僕の『労働週報』を編輯し、家族と共に僕の家庭に同居し、僕と共に色々の陰謀も企て、僕の看板で『労働者法律相談所』もやつた位だから、短い割合には深い間柄だとも云へる。之れが即ち此序文を書く資格を取つた所以であらう。  本の序文には一体どんな事を書くものであるか、素人の僕には商売の呼吸がサツパリわからない。のみならず、僕は一体誰に頼まれて、どんな本に序文を書くのだかも知らず、ただ平澤君記念の本にチヨツトした序文を書くのだといふ命令を受けただけだ。  チヨツト忘れたが、何とかいふ諺があつた。実際僕は、今平澤君が生きてゐてくれたらばと思ふ事が度々ある。僕の『社会運...
  • 経営後記・編輯後記
    経営後記 前号発売禁止の事 解放社関係人の事 本誌特色決定の事 奥附及御注意の事 ▼本誌本号は七月号として立案編輯し、八月号として印刷発行し又逆戻りの七月号で此の後後記を書く破目となつた。 ▼前号思想版は人気沸騰好評湧々裡に発売禁止となり壱部残らず押収された。朝鮮問題に中国問題、労農提携に水平社大会が、悉く秩序紊乱だといふ口実だが、実は表紙が余りに群を抜き、発行部数が思ひ切つてレコードを破つた事が忌諱に触れたらしい。今になつて壱円が弐円でもとの注文が殺到し、現に市場では馬鹿値の売買が行はれてるさうだが、禁止物の売買は重刑に値するから御注意を乞ふ。 ▼九月号からは当節流行の同人雑誌となる。同人は隠退者を以て任ずる石川三四郎、下中彌三郎、小川未明、新居格、高畠素之、神近市子の諸老。続いては元『解放』の同人諸兄に渉りを付ける予定。編輯は山口房吉、岡陽之助両氏担当。経営は山崎今朝彌之...
  • 片山君の思ひ出
    片山君の思ひ出           山崎今朝彌  平澤君が何か書け書けといふが商売違ひで迚も商売にならないから総て遠慮して居た、処が今度は一二段原稿が不足するから是非にといふ。といふて商売人のように直ぐ書ける訳にも行かぬ。幸ひ者共「進め」の北原君に頼まれて片山君の思ひ出を考へた事があるから其筋書によつて之れを書く事にした。北原君からの抗議乃至差止命令若しくは平澤君からの余り長過ぎるとか又は週報は社会主義新聞でないとかの理屈で「御断り」のあるまでは何回も続くかも知れぬ。僕は人を呼捨てするが嫌いで蔭でも日向でも口でも筆でも、君とか君とかを省いたことは滅多にない。まして況や老人とか先輩とか云ふ段になると矢鱈に「さん」を付けなかつた事はない。で、大杉君などが堺が山川がなどと云つたり書いたりしてるのを見ると、何だか厭な気持がして不愉快になる。片山君はもう六十にも七十にもなり丁度僕は孫位の年輩だか...
  • 年鑑資料袋目次の序
    年鑑資料袋目次の序  死んだ山口孤剣君は新聞の切抜きを竹ゴリに二三十所有して、之れが僕の身代だと云つて喜んで居た。僕も其れで思い付いて明治四十年頃から切り抜を初めた。云ふ迄もなく切り抜は年鑑発行の希望があつたからだ。尤も其希望は今度の年鑑とは多少違つて居た。希望が計画に進歩したは何時頃であつたか覚へもないが、僕は其後何度か発表しては廃め、ヤメテハ発表してタダ一人で宝の持腐れを喜んでゐた。今度も先づプランタイ家とブツクメイ家と云ふ文句を発明したので矢も楯もタマラズ偏に之れを使用したい為に先づ広告したくなり遂には年鑑発行の止むなきに至つた。処がプランダイ家は大家でもよいがブツクメイ家は名家にしてくれても厭だと新居君に断わられ、僕の目的も丁度半は失はれたワケだ。切り抜の話が邪道に入つたが切抜は雑然として僕の呆大なる大ち嚢に殆んど二十乃至三十もある。之れを上手に整理して貰へたら十分申分のないもの...
  • 『弁護士大安売』の新聞広告
    『弁護士大安売』の新聞広告 大杉栄主幹にかかる『労働運動』第6号(大正11年8月1日発行)12頁に山崎の著書である『弁護士大安売』の広告が掲載されているので下記に転載する。 全面広告ページのうちの四分の一面広告であり、同サイズ内に、下記のとおり平民法律所の広告と一緒に掲載されている。同ページには、『弁護士大安売』の広告の他に、凡人社による吉田只次著『貧乏人根絶論』の広告、三越呉服店の広告、星製薬株式会社のホシ胃腸薬の広告がそれぞれ掲載されている。 広告文句は下記のとおり諧謔に富んでおり、山崎の作であるかもしれない。また、平民法律所の下記広告について、山崎は『山崎伯爵創作集』収録の「我輩の懲戒問題」の中で、「入獄で赤化した自分の経験を以て、僕を頻りに赤化しようと企んだ者があつた。同時に殆んど全部の赤色新聞雑誌に左の広告が載つた。(中略)この悪戯者は、これを以て尚飽き足れりとせず、...
  • 3.12・革命の宣言(但来年より)・社会運動通信・革命来る(但本誌に)
    革命の宣言(但来年より)  本誌は来年一月号から保証金を積み新聞紙法により発行し時事評論雑誌とします。蓋し労働運動、労働者、労働新聞、大衆運動、社会主義、自由人等皆枕を並べて発行禁止になつたからです。併し本誌は主として時事を評論せず、専ら同志又は団体の消息を掲載する事にします。但、被告学、犯罪学、裁判学、監獄学、等法律学説も研究する事従前の通りです。就ては同志諸君の寄稿寄附、を切望します。       第一、寄稿  一、自己若しくは他己の事を成るべく簡単で最も詳しく。  二、裁判事件等は其起原沿革結果等を最も詳細に本誌は之れに一々論評批判を加へたく思ふ。  三、個人消息は幾分運動に関するものに限る。  四、地方の情況は個人又は団体の消息と見做す。  五、悪口と宣伝とは常に没書することあるべし。  六、原稿は保存も返還もせず、其代り郵便局にて公開する事あるべし、中途押収を望ま...
  • 知人名簿(1)
    知人名簿           山崎今朝彌  △私の知人には可なり沢山の神様がある。静座の岡田虎二郎君、健全哲学の鈴木清次郎君、催眠術の古屋景晴君、宗教骨相の坂本茂演君等で、真人道の井伏太郎君も勿論神様の部類に属する。何時か好機を見て、私と神様の交通を書いて見度いと思ふ。  △私が明治四十年に『法律文学』を発行した時元祖第一の祝詞を呉れた人は岩井探偵元祖であつた。大正三年の『東京法律』に第一の祝詞を寄せた人も同氏であつた。私の頭に見た事も会ふた事もない岩井三郎と云ふ名が書付られて居るは此故である。海軍事件の時等は其探偵かアーあの人だナと直ぐ思ひ出した。中平文子の書いた中にある某探偵とは誰だろう等と今でも考へて居る。  △私も一時神様になりかけて、三四年間絶対の菜食主義で通した事がある。私が医学博士としての粗食養生論は此間に出来たのだ。食物の六ケ敷のは少しも困らぬ私も、奥山医師の注射に...

  •       序 本書の著者皆川君は、僕のことを川柳の文句ではなく本当に先生々々といつてゐるが、僕の方が皆川君の人格から多くのことを学んで、僕が皆川君を先生といはねばならぬ関係にある。 皆川君は弱いといへば弱過るかも知れぬ。温和しいといへば温和し過るかも知れぬ。が、清濁併せ呑むといふやうな志士風の味とはまた異つた別の味で、其の度量の広い、其の心持の大きい、面と対つても陰へ廻つても、人の悪口とか、辛辣の厭味とかを一つ言はず、どんな人とも朗かに交際し、どんな人の良いところでも気持よく受け容れる、あの優しい、収容力の広大な点は流石、高山君と二人で総連合の本部を背負つて立つてる人だと、僕は常に敬服してゐる。 文は人也といふ文章の憲法があるさうだが、皆川君の文こそ実に皆川君そつくりだ。勿論機械工皆川君の書いたものに、学者や学究やインテリの書いたもののやうに、六ヶ敷しい議論やイデオロギー、未解難解...
  • 廃業萬両の弁解にあらず
    廃業萬両の弁解にあらず  去年東京法律事務所から壱萬円取つたと云ふ評判から或親戚に家政の困難と秘密に属する其内情とを打明けて千円の融通を申込まれマサカ願懸を破る訳にも行かず、断らぬ訳にも参らす、大に閉口した。其外では誤解の為色々面白い思こそしたが格別の損はなかつた。  併し上告廃業の評判には少々面喰つた。事務所で一般に配つた端書に対しても、真実か又は人の喧嘩を見物し度いと云ふ僕等の様な野次馬性からか、之に対する弁解を勧誘して呉れた友人が多かつた、僕としては実際負け惜みではなく、聊かも苦痛を感ぜぬ故、却て友人の親切を用心しただけであつた。処が次には地方の友人から、事務所で要所々々へ出した手紙を甲第一号証として、何故廃めるのかとか是非弁解を為ろとか迫つて来た。併し今更神様を欺くことは出来ぬ、又前の友人の手前もある。考へた末私は三百理屈ではあるが、弁解せずして弁解になる訴訟をオツ初める事に決...
  • 『平民法律』第11年10号
    平民法律           山崎今朝彌独集 前編       僕の・・・・・・でありたい事  (一)(法律家)としては、常に法律界の異端者、弁護士界の反逆者でありたい。  (二)(社会運動者)としては、何事にも黙々と賛成する相談役でありたい、どつちにも味方となれる喧嘩の仲裁役でありたい、如何なる屁理窟にでも感心出来る苦情の聴役でありたい。  若し夫れ(三)(家庭の人)としては、何にも知らない唯々諾々の好々爺でありたい、圧制極まる純粋無垢の専制君主でありたい。  これは僕が、昨年暮某誌の創刊号によせた、貴下の・・・・・・でありたい事、と題する問合せの返答である。其後其雑誌は見た事がないが、僕は実際、反逆を好み喧嘩をすく。平和を愛し抵抗を厭ふ。自由を求め専制を欲す。僕の『偉大なる低能児の化石』も、遠く源をこれに発し、流れ流れて漸くここに問題に入つたのだ。     ...
  • 神様と私
    神様と私  明治三十五年頃私は牛込榎町辺で鈴木清次郎と呼ぶ、強情大胆横着我儘(それで不思議に女に惚れらるる)の青年と共同生活を営んだ、当時私は司法官試補を辞めて英学校へ通ひ、鈴木君は明治大学へ通つた。寝て居て一年間の炭を買負つたり、炊事が厭で数日間断食の競争をしたり、ラブレターで某大家に騒動を起させたりしたは此時代の事である。  私は其年渡米し桑港地震と云ふ不思議の縁でケロツグ博士のバトルクリーキ神医大学を出て明治四十年に帰朝後一時博士を祖述し粗食養生、薬物有害を高唱したが、後感ずる処もなく一躍直ちに天下の平弁護士となつた。  昨年頃余り広告が偉らいので私は遂に、鈴木美山著健全の原理を読んだ、処が所説は恩師ケ博士の論敵クリスチヤンサイエンスの教祖ミセスエデーの日本化であつた。ミセスのサイエンス派は其名に反して非科学的、神秘的、精神治療である、博士の神医学派も其名に反するが故に科学的、...
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