七月十七日は連結器の日です。
実は今から90年近く前の今日
我が国の鉄道技術者は世界中をアッと驚かせる事をやってのけました。
それは何なのか?
これからお話させて頂きます。
鉄道が大量輸送を可能とするに至ったのは車両同士の連結が出来るからです。
このために鉄道車両はその前後に連結器と呼ばれている物を装着しています。
これが日本で主流の連結器
自動連結器。とよばれています。
十九世紀の終わり頃アメリカで考案された物のようです。
そしてこれがヨーロッパでは未だに主流の連結器
リンク式連結器とか鎖式連結器と呼ばれています。
真ん中にぶら下がっている鎖が連結器本体。
これをガシャリと機関車や他の客車や貨車に引っかけて連結完了
両脇の丸い輪はバッファと呼ばれ、列車がブレーキを掛けたときに列車同士が衝突しない為の緩衝用のバネです。
機関車が加速をするときは鎖に張力が掛かり後ろの客車や貨車が引っ張られます。
逆に機関車がブレーキを掛けるときは、後続の客車や貨車は惰性で走り続けようとする為に
車両同士が衝突。最悪の場合は脱線することもあり得ます。
この車両同士の運動エネルギーのギャップを埋める為にバッファが存在するのです。
最初期の鉄道はバッファが無かったために、運転士がブレーキを掛ける毎に客車同士が
ドン!ドン!とぶつかり合い非常に乗り心地の悪い物であったそうです。
当時は最後尾の車掌車にはブレーキ手が乗っていて、
機関車がブレーキを掛けるとそれに合わせて車掌車でもブレーキを掛けていましたが、
人間がやることなのでタイミングがなかなか合わず、脱線も多発。と言うことだったらしいです。
この乗り心地の悪さに腹を立てた大工が丸太を切って
車両同士の隙間にクサビの様に打ち込んだ
のがバッファの始まり。と伝えられています。
バッファの考案によって乗り心地と安全性は改善されたのですが
連結手にとっては危険極まりない物でした。
これをご覧下さい。
リンク式連結器の連結作業です。
バッファとバッファの間に連結手が潜り込んで鎖を繋げています。
作業中に、もし列車が軋いだらどうなるでしょうか?
列車と列車。或いはバッファとバッファの間に連結手が挟まれ大変な事になります。
大正5年の鉄道院の統計では連結手の労働災害は527件。
その殆どが連結手の即死。
という大変痛ましい統計が出ています。
加えてリンク式の場合連結に時間が掛かります。
更に鎖の摩耗による強度の低下。
特に日本の場合急勾配区間が多いため鎖の劣化の懸念から
連結車両数の制限や、搭載貨物数の制限と言った運用上の不都合も出ていました。
そこで当時の鉄道院は旧来のリンク式連結器を全廃し
安全で作業の簡単な自動連結器に更新することを決定しました
一旦連結してしまえば、検査の時以外は切り離すことがない電車の運行しか見たことが無い方には想像が難しいと思いますが、当時は貨車や客車を機関車が牽引し目的地によって繋げたり切り離したりを繰り返しています。
特に貨物の場合は、山口県で荷物を積んだ貨車が連結切り離しを繰り返しながら日本を縦断し青函航路を経て
北海道を走る事もあり得る
一気にやり終えてしまわなければ、途中で連結器の形が違うために連結できなくなる事が頻発し鉄道は大混乱します。
そこで鉄道省は大正十四年七月十七日、日本中の列車の運行を全て休止し
連結器の交換作業に取りかかりました。
(九州のみ七月二十日)
連結器を取り替えた車両が約十万両。
うち機関車三千両。客車九千両。貨車に至っては46,382両
午前零時から一斉に作業開始。午後十九時には全ての作業が終了しました。
交換に関わった動員人数は 41,662名。
この中には連結器と縁のない事務員や食堂車の給仕員も居たようです。
斯くして連結手の死亡災害は激減。車両の付け替えに要する時間のロスも減少
鎖の破断による列車分離事故も激減。
運用する人達にとっても、利用する人達にとっても日本の鉄道は安全で信頼性の高い物として生まれ変わりました。
一国内の鉄道連結器を僅か一日で全て交換してしまう
この世紀の一大プロジェクトは他には事例が無く世界中の鉄道関係者が驚嘆したそうです。
因みにヨーロッパでは国際列車を運行している関係上各国の思惑などもあり
未だに旧式のリンク式が主流です。
たかが連結器。されど連結器。こんな物にも
昔の日本は駄目な国なんかではなかった事を伺い知ることが出来ると思います。
余談ですが大正十四年と言えば関東大震災の翌々年。
今の日本の政府は未だに東日本大震災を口実に日本は赤字だから何も出来ない。
増税をする必要がある。
等とのたまわっていますが何なんでしょうね。
参考
講談社ブルーバックス 昭和54年
鉄道の科学 宮本昌幸著
写真はwikipediaより借用
拡散歓迎
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最終更新:2012年07月17日 02:14