鬼灯(男) | 宿屋内の魔力環境もだいたい問題なくなったし、普通の料理もできたし、何よりすでにお客がいる。 |
鬼灯(男) | これなら、正式に営業しても問題ないだろう。 |
鬼灯(男) | そうだ。ヤクに入荷リストを渡すのを忘れたな……まあいい、明日にしよう。 |
鬼灯(男) | 疲れた、こんなにがんばるなんて、まったく僕らしくない……。 |
モノローグ | 忙しない一日が終わり、鬼灯は部屋で横になると、天井を眺めてぼんやりしていた。 |
鬼灯(男) | 姉貴はずっと、こんな風に過ごしていたのかな? |
鬼灯(男) | 僕が宿屋を離れたから、姉貴はここに残らざるをえなかったんだよな……。 |
鬼灯(男) | なんでもできるあの姉貴もさすがに疲れたんじゃないかな?姉貴が疲れたなんて弱音を吐く姿はまったく想像できないけど……でも、本当に疲れてたってなにも不思議じゃない。 |
花露珍 | きゃあ――!! |
モノローグ | 絹を裂くような悲鳴が響き、宿ののんびりとした雰囲気を破る。次いで、部屋の外が騒がしくなり始めた。 |
鬼灯(男) | ……また面倒が起こったんじゃないだろうなあ。 |
モノローグ | 鬼灯がドアを開けると、ぼんやりとした妖精の幻影が彼の脇をすり抜けるようにして部屋に入り込み、ベッドに横になった。鬼灯は、驚いた勢いで部屋の外へと飛び出す。 |
モノローグ | 雑然とした音が、がやがやとあたりに響く。更に聞き取れない話し声を伴いながら、多くの妖精と人間の幻影が現れだした。 |
黄梅 | わわ――なんですかこれ!? |
ヤク | あの夜の幻影……なんでまた出て来たんだ? |
鬼灯(男) | 面倒なことが起こる気がする……。 |
黄梅 | あの……ここってもしかして悪い宿屋なんですか!? |
黄梅 | ええと、小説とかによく出て来る、お客さんを殺して人肉まんじゅうや妖精肉まんじゅうを作る悪いお店……夜になると、被害者の魂が現れて、自分たちがどんな目に遭ったか泣いて訴えるんです! |
ヤク | 人肉まんじゅうと妖精肉まんじゅう?鬼灯……お前、そんなことを!? |
鬼灯(男) | そんなわけないだろ!このあほ牛、聞いたことを何でも鵜呑みにするんじゃないよ! |
鬼灯(男) | なんてめちゃくちゃな小説だ、そんなつまらないことを書くなんて……。 |
黄梅 | つまらなくなんてないですよ、とっても面白いんです!花露珍のお屋敷に行った時に、本棚にあって……。 |
宿主(*1) | ああアタシも知ってるわ。たしかに面白かった。特に、主人公が魂たちのために、どの肉まんにされたかを解明する部分が、とっても見ごたえあったねえ。 |
鬼灯(男) | 小さい時からそういう変な物を読んでいたから、そんな風にねじ曲がった性格になったんじゃないか?そんな気がしてきた……ん?姉貴!? |
ヤク | 宿主さん!やっと戻ってこれたのか? |
宿主 | いやいや。幻影が出て来るタイミングを借りて、ちょっと出てこれただけさ。 |
モノローグ | 姉鬼灯は幻影を指さした。前回と違い、今回現れた幻影は意味もなくうろうろしている感じではない。一階で食事をしているのもいれば、広間でしゃべっていたり、あくびをしながら二階の部屋に入っていくものまでいる……。 |
モノローグ | しかし奇妙なことに、彼らの顔にはなんの表情もなく、ただ機械的に決まった動作をしているだけだ。 |
宿主 | やっぱり、この程度じゃ「あれ」を満足させることはできないねえ……。 |
ヤク | 宿主さん、「あれ」っていったい誰のことだ? |
宿主 | 年獣だよ。 |
宿主 | 最初はもしかして、くらいの気持ちだったけど、今はほぼ確信してるよ。年獣は願いを秘めていて、その願いがこの幻影を生み出しているのさ。 |
宿主 | アタシが思うに、その願いを叶えなければ、「あれ」は出て行こうとしない。 |
宿主 | でも、今はまだ満足させられてない。今回も戻れそうにないねえ。 |
ヤク | 年獣を満足させれば、宿主さんは戻ってこられるんだな? |
宿主 | 戻れるかもしれないし、ダメかもしれない……はあ、アタシも、こんなに物分かりの悪い神獣に出合ったのは初めてだよ。まったく、考えもしなかった。頭が痛いねえ。 |
鬼灯(男) | その顔、全然大変そうに見えないけど。姉貴の力ならどんな目に遭っても簡単に解決できるだろ。もう十分楽しんだんじゃないのか?なら早く戻って来てよ。姉貴のためにここでずっと働かされるのはごめんだ。 |
宿主 | クソガキ、アタシにだって解決できない問題くらいあるさ。年獣にさらわれてから、宿はアタシの制御を一切受け付けなくなった。 |
鬼灯(男) | ということは、僕たちが年獣を満足させられなかったら、姉貴は二度と戻れないってこと? |
宿主 | んん……本当にそんなことになったら、どうしようねえ~。 |
宿主 | アタシがいないなら、「代理宿主」のあんたにしっかりがんばってもらうしかないよねえ~。 |
鬼灯(男) | ……。 |
宿主 | 春節はもうすぐだ、宿屋も準備をしなくちゃね。そうすれば年獣も喜ぶはずだよ。 |
モノローグ | 姉鬼灯はまだ何か言いたそうだった。しかし周囲のざわつきが止み始め、それと共に彼女の姿も幻影も薄れ始める。完全に消えてしまう間際、彼女は声を張り上げた―― |
宿主 | もう少しお金を稼いどくれ、急ぎ必要なのさ! |
モノローグ | そして、宿屋は元の静けさを取り戻した。何もおかしな所はなく、さっきまでの情景が短い幻覚に過ぎなかったように思えてくる。 |
鬼灯(男) | ……姉貴は何の冗談を言っているんだろう。年獣に連れていかれるなんて、あり得ない。 |
ヤク | 「年獣」って? |
鬼灯(男) | 大昔の神獣さ。 |
鬼灯(男) | 僕はこの宿屋を継いでないから、ここについて詳しくはないんだ。この宿屋が、旅行者のために建てられた宿じゃない、ってことくらいしか知らない。 |
鬼灯(男) | 真の使命は「守ること」。雪原の庇護の場として、終焉の地の脅威をシャットアウトして、後ろにあるロンユエ城を守っているんだ。 |
鬼灯(男) | 終焉の地とロンユエ城の間には、膨大な魔力を育む地帯――「龍脈」がある。宿屋はその龍脈の上に建っていて、龍脈から来る魔力を集め、その力を安定させているんだ。 |
鬼灯(男) | この宿屋があるから、ロンユエ城を含めた広い地域の魔力が安定する。そうすることで、それらの地域が終焉の地みたいに変わってしまうのを防いでいるんだ。 |
鬼灯(男) | 大量の魔力を集めた宿屋は、魔力に惹かれる「神獣」を含めたものたちを呼び寄せる。僕が小さい頃には、宿屋に紛れ込もうとするそいつらを追い出さなくちゃならなかった。ごたごたを起こしたがる神獣が、騒動を起こさないようにね。 |
鬼灯(男) | でも、僕が見た「神獣」はみんな、力も弱くて小さいやつらだった。年獣だなんて、伝説の中にしかいないと思ってたようなやつが、本当にいるなんて……。 |
鬼灯(男) | ほんとに、姉貴はいったい何の面倒に巻き込まれたっていうんだ! |
花露珍 | 年獣の物語は、私も聞いたことがあります。普段はずっとぐっすり眠っていて、一年が終わりに近づき、新しい一年が始まる新春に目を覚ますと……。 |
花露珍 | 新春とはつまり、春節でしょう。宿主様も先程、春節の準備をするように仰っていました……ということは、年獣の願いと春節は、関係があるのではないでしょうか? |
鬼灯(男) | 知るか。だいたい今時、誰が真剣に春節を過ごすっていうんだ? |
魔法使い | 春節……って、東方の大切なお祝いの日じゃないの? |
ヤク | うん、大陸の西は冬を最初の季節って考えるけれど、東方じゃ、一年の最初の季節は春だからな。 |
ヤク | だからいつも冬が終わりに近づいて、春がやってくる時に、ロンユエ城の妖精たちは「春節」を過ごす。家族と一緒に新しい一年の始まりを祝い、無事で平穏な未来を祈るんだ。 |
鬼灯(男) | それは昔、人間の影響を受けて受け継がれてきた「伝統」だろ。だからお祝いなんてしなくてもどうってことない。今じゃ大げさに春節を祝ってるような妖精もほとんどいないし、諸々の面倒事もなくなるんだから。 |
花露珍 | 私の家でも毎年、春節のお祝いはいたします。ですが確かに、小さかった頃と比べますと、とても簡素なものになりましたわ。 |
黄梅 | わたしとお師匠さんもそうです。家でおいしいもの食べるくらいですね。 |
ヤク | でも、宿主さんは、しっかり春節をお祝いするように言ってたろ。 |
ヤク | お前は心配じゃないかもしれないけど、宿主さんは今とても困ってるんだ。なんとかがんばって助けないと。 |
ヤク | だいたい春節をお祝いするのは、悪いことじゃないだろ。祝日は記念と祝福の意義がある日で、祝日を祝うのは過去を忘れず、未来を展望するためでもあるんだから。 |
ヤク | それに宿主さんが戻ってはじめて、オイラの仕事は終わるんだ。宿主さんが帰ってこれるよう協力するって言ったけど、オイラは必ずやり遂げるよ。 |
鬼灯(男) | 分かった分かった、君の言うことには道理がある。正しい、まったくその通りだ。 |
鬼灯(男) | どちらにせよ、他に方法なんてないんだ。姉貴に言われた通りにやるしかないじゃないか。というわけで、これからは宿屋を経営しつつ、春節を迎える準備をする。それでいいね。 |
ヤク | おう、そうだな! |
鬼灯(男) | まったく。僕に罪があるっていうんなら、毎日毎日ベッドに横になったままでいるって罪を科してもらいたいよ。この頑固な牛に苦しめられるのはごめんだ……。 |
ヤク | でも、春節の準備って、なにをどうすればいいんだ? |
花露珍 | 小さい頃から見聞きしておりますし、多少は心得がございますわ。まず事前に年越しのためのお品を用意し、かまどの神様をお祀りして、塵はらいをいたします。その後に赤いお祝いの飾りを貼っていましたわ。 |
花露珍 | 大みそかには家族が集まって年越しの食事を共に摂ります。食事の前には必ず神様をお祀りするんですの。それから年越しを迎えて爆竹を鳴らし、年が明けましたら新年と神様を拝む……。 |
黄梅 | 待ってください、花露珍のような格式の高いお家の話では、決まりごとが多すぎて参考にしづらいです……。 |
花露珍 | ああ……それでは、いくつか省略してみましょうか……。 |
花露珍 | 春節まではまだ少し時間があります。何をすれば良いのか、皆さんにご教授いたします。 |
魔法使い | 花露珍、どんどんテンションが上がってきてるみたいだね。 |
花露珍 | それは……私、黄梅や――他の方たちと一緒に、宿屋で年を越せるんですもの!こんなことは初めてで……。お屋敷に閉じこもって、いつもと代り映えのしない年越しを迎えるより、黄梅と一緒に外の物事を経験してみたかったのです。 |
鬼灯(男) | 宿屋を経営しながら、春節の準備もしてたって言うんだから、姉貴にはかなわなかなあ……。 |
鬼灯(男) | 春節か……どれだけ祝ってなかったかなぁ? |
鬼灯(男) | しょうがない。僕には合わないけど、もう少しがんばるしかないか……。 |
*1 姉鬼灯