4巻4章 桐乃視点 桐乃出発前
朝、朝食を終えたあたしは部屋で荷物の再確認をしていた。あと数時間後には空の上、いよいよ渡米といった次第だ。
「よっし、忘れ物無しと。あとは出発するだけね」
ほとんどのものはあっちで暮らすことになる寮へ既に送っているから、小さなキャリーケースの中身はちょっとした着替えと化粧品、あとさっき仕舞ったノーパソくらい。
昨日もお母さんと何度も確認したから大丈夫だよね。
ケースを閉めて、「ふう」と一息つく。
時計を見ると、もういつも学校へ行く時間は過ぎていた。出発までにはまだ時間がある。
「今くらいだったら大丈夫よね」
机に置いていた携帯を掴み、履歴画面から番号を呼び出し発信ボタンをプッシュする。
プルルルッ……プルルッガチャ、とツーコールで相手が出た。
『もしもし?』
「はよーん、あたし」
『あなただっていうのは着信画面を見れば分かるわよ』
陰鬱そうな声で憎まれ口をたたいてくる相手はあたしのオタ友の黒いの。正式なハンドルネームはププッ、千葉(チバ)の堕天使黒猫。
「朝っぱら陰気くさい声出してんね、あんた」
『私はあなたたちと違って闇の眷属なの、太陽の輝きに体を慣らすにはそれ相応の時間という贄が必要なのよ』
「あいっかわらず、意味不明な邪鬼眼発言してるし~」
『フッ、あなたには理解出来ないものが世の中には無数にあるのよ。あなたはなんだか朝っぱらからとても元気があって羨ましいことだけど、正直その無駄に大きな声を抑えたらどうなの? 電話越しでも暑苦しいわ』
「うっさい、このクソ猫」
ったくもぅ、ああ言えばこう言うな~コイツは。
『――ところで、こんな時間から私に何の用なの?』
「ん? たいした用ってほどでもないんだけどサー。あっ、時間だいじょぶだった?」
『既に電話をかけてから言う辺りがあなたらしいわね。ふぅ、まあいいわ。時間なら少しは大丈夫よ、今登校中だから。あなたもそうなのではないの?』
「あ~まぁ、そんな感じ」
『歯切れが悪いわね』
「ど、どーだっていいでしょ!」
感がいいやつ。バレないように気をつけなきゃね。さっさと用件だけ言って切ろう。
あたしは続けて話を切り出す。
「えーっと、電話かけたのはさ、あたしの学校の友達にあやせって子がいるんだけど、その子がプレゼントしてくれた『EXモード』のメルルちゃん、あんたたちが選んでくれたんだって?」
『なんのことかしら?』
「すっとぼけても無駄だよ。あやせと兄貴が証言してんだから、いい加減認めな。犯人はお前だっ!」
『どこぞの小学生探偵みたいな物言いね』
「あたしあのアニメ好きじゃないんだよねぇ~、いい加減話長いし推理も安直だし」
『自分でネタを振っておいてその言い草、アニメのファンだったら間違いなく刺し殺すわよ? タイトルは『マル顔モデル(笑)殺人事件』といったところかしら』
むっか~、こいつまたあたしのことを――
「またマル顔って言ったわねクソ猫ぶっコロすわよ!」
『あらあら、電話越しにどうやるのかしら? あなたにそんな死の呪文を唱えるだけの魔力があるとは思えないのだけれど』
「フンッ、邪鬼眼厨二病の末期患者には言われたくないんですケド~、ベーっだ」
『邪、邪気眼厨二病ですってぇぇ~。フ、フフフ……。アニメのファンがあなたに手を下す前に私が葬ってあげてもいいのよ?』
「うっさい! いいから犯人はお前だっ!」
『……あなたそれを言いたいダケなんじゃないの?』
黒いのは最後にはあきれ声になってた。
はん、あきれるのはこっちだっつうの。ほんとこいつと話すとストレスたまるよねぇ。
前もちょっとのつもりだったのが二時間もしゃべてて疲れちゃったし、遊ぶ約束したときだってあたしがず~っと前から待ってるのに、待ち合わせ時間から三分も遅れてやって来たしさぁ。
そんときにあたしがマスケラのトレカ買ってたらなんかニヤニヤしながら偉そうに解説しだしちゃって、結局家に帰ったの門限ギリで怒られそうになったしィ!
――って、こんなどうでもいい話をしてる場合じゃなかった。会話脱線させないでよね。
「とーにーかーく、あんたが
あやせのプレゼントに一枚噛んでんのは分かってんの」
『ふ、ふん。別に私は何もしてないわ。あなたのお友達がプレゼントしたものなのだし、その子に感謝してあげなさい。それと何をプレゼントすればいいか私たちに泣きついてきたおせっかい焼きのあなたのお兄さんにもね』
「うん、それはもう言ったよ。んで、兄貴にあんたらに『お礼言っといて』って言ったら『自分で言え』って言うから、だから……その」
うぐ、なんであたしがこいつにこんな恥ずかしいこと……っ。でも、ちゃんと言わなきゃ。今じゃないと次話すのはちょっとの間時間置くことになっちゃってまたタイミング逃しちゃうし。
「だから……。い、一応……あんたにも感謝……してる……から」
『…………そ、そう……』
「…………」
『…………』
黒いのはお礼を素直に受け取ったみたいだ。けど、その後お互いにしばし黙って二の句がつげなかった。
な、なんで黙っちゃってんのよ、何かしゃべりなさいよぉぉ、あんた!?
結局出たのは、
「ふん!」『フン!』
鼻息のタイミングまでいっしょ。うっえ! ウザ。
あたしが「あ~その~」と次の言葉を考えてると、黒猫が話を始めた。
『そういえば、お兄さんとはあれからどうなったの? 少しは仲良く出来るようになったのかしら?』
「べ、別にどうもしないっての。兄貴と――ってなんであんた、あいつのこと『兄さん』とか言ってんのよ! 何? 変な弱みでも握られてるワケ?」
『あら、前にも言わなかったかしら。あなたのお兄さんから『大好き』って言われたのよ』
「何が『大好きって言われたから~』よっ! バ――ッカじゃん? うげ、吐きそう。マジきしょいからやめてっ!」
ほんとな~にが『兄さん』よ、兄貴のバカもデレデレと鼻のばしちゃって何も言わないしさー。あたしへのあてつけか何かのつもり? あ――っ、キモキモキモ。
『言われなくてもあと少しすればやめるわ』
「なにそれ、どーゆーこと?」
『ふふっそのうち分かるわ』
クソ猫のやつはなにやら楽しげに笑いそれ以上理由を言おうとしなかった。
チッ。はいはいあたしにはど~~~でもいいことだしぃ。勝手にしてちょうだい。
『私のことより、あなたはどうなの? 秋葉原であなたのお祝いを兼ねて、仲直りの段取りまでした私や沙織の苦労はちゃんと報われたのかしら。まさかまたケンカしたとかは無いわよね?』
「だからどうもしないって、あーだけど今日――」
中略
「――で、買いに行かせたゲームしてた。うひひ、新作ゲームを速攻出来るってやっぱ超良いよねぇ」
『…………』
「なに黙っちゃってんのあんた?」
『えーと……、つまりあなたは今日発売の妹モノ18禁ゲームの深夜販売に、お兄さんを秋葉原までパシらせたと』
「うん、そだよ」
『そして、終電に間に合わなくなったお兄さんは、なんとかして帰って来て?』
「チョ~汗かいてた。ぜぇぜぇ息切らしてんのキモかったーw」
そういやチャリンコ借りてきたって言ってたっけかな。よく深夜に借りれたな、あれは謎だわ。
『その後は徹夜であなたの部屋であなたと並んでそのエロゲーをプレイしていたと』
「あのバカ、エンディングで『何が悲しいんだこいつら?』とか言ってくれちゃってんの。なめてるよね、エロゲーは文学だっつの!」
『…………はぁ』
「ちょ、なんでそこでため息つくのよ!?」
『いえ、少し眩暈がしただけよ、気にしないでちょうだい』
なに? 貧血でも起こした? これだから引きオタは体力ないってんだよね。
『……っふ、でも納得がいったわ。あなたが朝から上機嫌になるわけね。その様子だと、さぞ楽しかったのかしらね?』
黒いのがなにやら嘲弄するような声で聞いてきた。
「む、何が言いたいワケ?」
『何も。仲直りが上手くいったようで安心したのよ。良かったわね、とても楽しい一時を過ごせて』
「な、何意味不明なこと言ってんのさあんた! あたしはただあいつに買いに行かせたゲームが面白かったってだけで――」
『この前見せた私の作品の続編に、良いインスピレーションを与えてくれたわ』
「ちょ、ちょっと! 変なこと考えてんじゃないでしょうーねっ! それにまたあんなの描いたらコロすかんね、マジで!」
『マル顔モデル(笑)殺人事件』
「犯人はお前だっ!」
ほんっと変な想像するのやめてよね、あたしが――な、なんで兄貴なんかにブラコンツンデレしなきゃいけないワケ!? むしろあっちの方がシスコン確定であたしのパンツくんかくんかしそうだってのよ。
『いい加減飽きたわ。そろそろ学校に着くからこの辺にさせてもらおうかしら』
「ふん、あっそ」
『それじゃ失礼するわ』
「あ、ねえ――」
『なあに?』
あたしは電話を切ろうとするこいつについ呼びかけてた。
――――ん~と、えっと……、
「何でもない、じゃあねクソ猫!」
『?』
電話を切って、ため息一つ。
「はぁ~」
元気でいなさいよ、このクソ猫。あたしは少しの間、通話の切れた携帯画面を見続けていた。
「さーってと、次はぐるぐる眼鏡、ぐるぐる眼鏡~っと」
沙織の着信履歴からリダイヤルする。数コールしてすぐにつながった。
『お~きりりん氏、珍しいですな、こんな朝にかけてくるとは』
「ちょっとね~、あっ今大丈夫だった?」
『大丈夫でござるぞ、きりりん氏からの電話なら、拙者はたとえお見合いの最中でも出るでござる』
お見合いって――、あんたほんとどこのお嬢様よ?
それに色々と顔が広いよね、去年のコミケだって色んな人と話してたし、アキバのことだってたくさん知ってるし。
まぁそんなことは今はいいや。あたしは会話を続けた。
「――ってわけで、あんたにも一応お礼言っとかなきゃってこと。あんがとね」
『いえいえ、お礼など不要ですぞ。きりりん氏のご学友の為、ひいては京介氏やきりりん氏の為なら、拙者一肌だろうが二肌だろうが脱ぐ所存』
「プッ、なにそれ。あんた相変わらずだね、そのしゃべり方。マジキモいからそろそろ『拙者』から『麿』にでも直したら? あっ同じか、あはは」
他でもこんなしゃべり方してんのかな。初めて会ったときは『何こいつ』って思ったけど、今は全然平気? むしろこいつの柔らかい雰囲気やしゃべりであたしや黒いのはずいぶん助かってる。
本心から笑ってくれてるのが分かるから、あたしらもつい安心してズケズケ言っちゃうんだよね。
きっと次のセリフもそんな感じで笑ってくれるんだろう。
『ハッハッハー照れるでござるなぁ』
ほらね。
『――ところで、きりりん氏は今日はやけに上機嫌のご様子ですな、何か良いことでもありましたか?』
「べっつに~。あっ、今日発売の『おにぱん』一ルートクリアしたよ」
『ほう、話題になっていた新作ですな。むう、しかし今はまだ朝――ということは秋葉原での深夜販売に行かれたので?』
「あたしじゃなくて兄貴が行ったんだけどね」
『ほうほう、京介氏が。少々雨も降っていたようですし、さぞや大変だったでしょう。それにしてもきりりん氏と京介氏はますます仲良しさんですなぁ』
「何がますますよっ! この牛郵ビン底! てか聞いてよ『おにぱん』のエンディングでさぁ」
――で話が盛り上がっちゃって、さっき黒いのに話したみたいなこと聞かせると、
『ほうほうほう! 京介氏と一緒に――これはこれは。ふっふっふ』
沙織のやつ、なんか不敵な笑いかたして電話の向こうでお決まりのωな口にしてるみたいだけど、またなんかおかしなことを言う気じゃないでしょーね。
「な、なによ?」
『いえいえ別に。ただあれですなぁ~拙者はビビビッと何かしら美しくも妖しい電波をキャッチしましたぞ』
「ちょ、やめてよっ! うえ~っ、吐き気がしてくるっての!」
『またまたテレなくともいいではないですか。京介氏はきりりん氏の為に終電が出た後も諦めず雨の中エロゲーを抱えて三十二キロを走破。
かたやきりりん氏は京介氏が必ず帰ってくると信じて待つ、実に美しい兄妹愛、聞いていて微笑ましくも羨ましくなってくるでござるよ』
「だあぁぁぁ――っ! 違うつってんでしょ、ざっけんなぐるぐる眼鏡! あたしはゲームしたかったから待ってたの! あ、兄貴のこと待ってたとかそんなんあるわけないでしょ! キモいんだよキモキモキモ!」
たくっ、な、ん、でっ黒いのといい沙織といい、こう変なこと言ってくるかな――。兄貴といっしょにただゲームしてただけじゃんか……。
「とにかく、言うこと言ったしもう切るからね!」
『はい、きりりん氏。また近々遊びましょうぞ』
「――それじゃね」
ピッと通話を切る。
最後の沙織の言葉に返事をしなかったことがチクリと胸を刺した。
「近々は無理なんだ、沙織。あたしは今日これからアメリカへ行っちゃうから……」
胸に手を置いてひとつ深呼吸をする。
ごめん、何も言わなくて。でも、どうしてもやりたかったことだから――、あたし行ってくるよ。
沙織や黒いのの他に、あたしが両親以外のほとんどに、留学することを言っていないのにはワケがある。
留学プログラムへ参加するという選択はとても厳しい選択でもある。優秀な選手たちが集まってくるんだもん。その中じゃあたしなんてほとんど通用しないだろうから。
だから、あたしは一つ自分に『縛り』をかけた。
〝あっちで一勝するまでは、誰とも連絡を取らない〟
とてもつらいし、みんなに黙って行っちゃうのは後ろめたいけど、頑張って早く一勝すればまた話せるようになる。それがきっと励みになるから。
だから――それまでは……、黒いの、沙織、あやせ、加奈子やランちんたち、他にもいっぱい……。
それまではみんな……、ゴメンね。あたし絶対頑張ってくるから、待ってて!
「桐乃~、そろそろ出るわよ。支度出来てるー?」
階下からお母さんの声がした。いつの間にかもう空港へ出発する時間になっていたみたいだ。
ちょっとだけ話すつもりが、結局話し込んじゃったな。
「大丈夫、今降りてくからっ」
部屋のドアを開けてお母さんに返事をする。
「ホラホラお父さん、いつまでブツブツ言ってんの? 車出す準備してよね」
一階からは、お母さんがお父さんに催促する声が小さく響いていた。
お父さん。ごめんね、わがまま言って。それと、午前中仕事休んで送ってくれてありがとね。
あたしはキャリーケースを持って部屋を出た。
途中、兄貴の部屋の前で立ち止まる。そっとドアを開けて部屋の中を見渡すが兄貴はいない。
友達の家へ泊まりにいってることにしてるから、最後の人生相談が終わったあと、両親が起きてくる前に朝早く出かけていった。その姿を窓から見送った。眠そうに口に手を当ててたな。
「ゴメンね、徹夜させちゃって。あと……、ありがと」
誰もいない部屋に言葉を投げかけたが、もちろん返事は返ってこない。
……………………。
「桐乃ー」
お母さんがもう一度あたしを呼んだ。
階段の方を向き、「今行くー」と声をかける。もう時間だ、行かなくちゃ。
ドアを掴んで閉める前に、あたしはもう一度部屋に向き直ってそこにいない相手へ声をかけた。
「それじゃ、兄貴。行ってくっから!」
あたしの大切なもの――よろしくねっ!
部屋のドアを静かに閉め、あたしは一階へと降りていった。
おし! いっちょ頑張ってくるかな!
最終更新:2010年08月11日 23:54