6巻3章 桐乃視点 沙織の家から帰宅後
「ただいま」「ただいまーっと」
沙織のマンションから帰宅するとすっかり夕方になっていた。
ほんとは門限ギリまで遊んでたかったんだけど、
『申し訳ないでござる! 皆が来てくれたこと拙者は無常の喜びではあるのですが、前々から決まっていた用事でして、どうしてもキャンセルするわけにはいかんのでござるよ』
って、沙織がどうしても抜けられない用事があるからと平謝りしてきて、少し早い時間にお開きになったんだよね。
約束も無しにいきなり押しかけたのはあたしたちなんだからそんなの仕方無いのに、必死に謝るところは沙織らしいよね。
まっ今度はきちんと約束して遊びに行けばいっか。
リビングへ移動するがお母さんの姿はなかった。鍵もかけずにどこ行ってんだろ、近所のおばさんとこにでも行って話しこんでんのかな?
「たく、鍵もかけずに井戸端会議でもしてんのか」
冷蔵庫から麦茶を出しつつ兄貴も同じようなことを言っている。
「あ、あたしのも頂戴。氷も入れてね」
「へ~へ~」
ソファの定位置にドっと腰掛けてあたしのも要求する。
「ほらよ」
「ん」
受け取った麦茶を一口あおってようやく一息ついた。
あー生き返る。夏が近くなってさすがに長時間移動すると疲れるわ。沙織んち行く前の坂、すんごい長くてけっこうきつかったしなぁ。
黒いのなんて、はぁはぁ肩で息してたし。体力足り無すぎ。
「ふぅ。さすがに長時間移動すると疲れるな。あの坂ちいと長すぎだろ」
隣に座って麦茶を飲んでいた兄貴が似たような感想を漏らす。
…………同じ感想持ってんじゃないっつの。なんかカユくなってくるじゃん。
「キモ」
「なんでだよっ!? 疲れたって言っただけじゃん」
兄貴のつっ込みは華麗にスルーしてあたしはかまわず会話を続けた。
「つうかさー、ぐるぐる眼鏡の家すごかったね」
「ん? ああそうだな。まさかマンションひとつまるまるとは恐れ入ったぜ」
「そこじゃなくてぇ、そこもだけど――あのフィギュア部屋! はぁ~あたし一生あそこで引き篭もってていいくらいだった」
沙織に見せてもらったフィギュアコレクション。今でも瞼に焼き付いて離れない。
間違いない、あそこはあたしの理想郷だわ! あぁメルルちゃん、あるちゃん。他のみんなも綺麗に飾り立てられててチョーかわいかったよぉ、はぁはぁ。
「おーい、帰ってこーい」
兄貴の呼ぶ声でトリップしてたあたしは我に返った。チッ、邪魔しないでよ。
「おまえほんと好きな。似たようなフィギュア押入れの中にたくさん持ってんのに」
「あんた全ッッ然分かってない! メルルちゃんたちがああやって超かわいい姿で微笑んでくれてるのを見るのが最高なんじゃん。
愛らしいメルルちゃんたちをあたしの押入れで見るのとぐるぐる眼鏡んちで見るのとでも、同じフィギュアでもそれぞれ違った楽しさがあんの。持ってるとか持ってないとか関係ないっつ~~の。」
「ふ~ん、そういうもんかね」
兄貴はなにやら半目になって麦茶を飲みつつ受け答えする。
む、どうやらあんま分かってないようね。あとで部屋に呼びつけてきっちり教えこんでやる。
「そだ、おまえプラモをプレゼントすんのに組み立ててくるとか――あれには驚いたぜ」
「だ、だって作った方が手間かかんないじゃん。はぁ、モデラーの心って分っかんないわ」
沙織のやつ超愕然としてたし。可愛くデコってもあげたのに何がいけなかったんだろ?
「今度は作らずにプレゼントしてやろうぜ。なんなら一緒に作ってみるってのはどうだ?」
「あ、それいいね。なんか面白そうかも」
「多分たっぷりとモデラー講義がついてくると思うがな……」
兄貴はげんなりと口元をヒクヒクさせている。
「うぐ……。やっぱ少し考える」
ぐるぐる眼鏡のやつ三十分以上も兄貴に講釈たれてたしなぁ。そばにるあたしや黒いのも危うく巻き添えくらいそうになったし。
なことを思い返していると、
「俺はやっぱコスプレが楽しかったかなぁ」
コスプレした話を振ってきた。てかなんか鼻息荒くなってて少しキモいんですケド。
「ふっふっふ。俺の漆黒の姿、ぶっちゃけ超似合ってたし。沙織のヤツもめっちゃ褒めてたもんねー。コミケとか参加してたらぜってぇ人だかりが出来ちゃったりするねっ」
歯をニカッと見せながら子供みたいにはしゃいで話してる。まぁ似合ってたのは似合ってたけどね。
黒いのなんかチラチラと兄貴のこと何度も見てたし……。
「はいはい言ってなさい。まったく普段カット千円とかに行ってるモサ男が初めて美容院行ってイメチェンしたみたいな気持ち? よくある典型よね。正直恥ずかしいからさぁ、さっさとテンション戻してくんなーい?」
「………………」
な、なんかショボーン(´・ω・`)としちゃった。ちょ、ちょっと言い過ぎたかな? 分かってきたことなんだけど兄貴ってけっこ泣き虫なんだよね。
涙腺が弱いとか? 別に男のくせに泣くのはダメなんて言わないけどさー、もうちょっとこう……。
あ~~もう、なんかいじけたような顔しちゃてるしぃ!
「で、でも似合ってたのは確かだからそこは認めてあげてもいいよ。あたしもコスプレ楽しかったし、黒いのの写メもたっぷり撮れたし。またやってもいんじゃん」
仕方無いからちょっとだけフォローすると、兄貴は「おっ」と何か思い出したように笑顔を向けてきて、
「そういや撮ってたな。黒猫の写メ俺にも見せてくれよ」
「ウザッ。あんたにはぜぇ~~~ったい見せない」
「そうですか……」
なにいきなり元気になってんのよこのバカは! あーあ気遣って損した。
「しっかし――俺らのコスプレも最後は沙織に全部持ってかれちまったな」
兄貴はさして気にした様子もなく今度は沙織の話に水を向けてくる。
「まぁね、あれには驚いたわ。美人とは分かってたけどあそこまでとは……」
ほんとすんごい美人だった。身長も高いしスタイルもいいからなおさら引き立つ綺麗さっていうの? 正直なところちょっと悔しい。
「いやぁ美人とは俺も思ってたんだけどよ、あそこまで想像の範疇超えてくるとはなぁ」
なんか思い返してニヤけてるし。あたしと話してんのにこの態度、イラッっときたね。
なわけで――、ガスッ!
思いっきり踵で足を踏んづけてやった。
「痛っ! 何すんスか、桐乃さん!?」
「ぐるぐる眼鏡のやつが美人だったからってデレデレすんな! キモッ」
「くぅ~~、いいじゃねえかよ別に」
「よくない! 友達が綺麗だったからって何いきなり態度変えてんのよ。キモキモキモ――ッ!」
「お、俺は別に態度なんて変えてねーよ。ただ綺麗だったから綺麗だと素直に思っただけで」
「フン、どうだか。だいたい、あんたブス専じゃなかったの?」
「てめぇこのヤロ誰のこと言ってんだぁ!」
「べっつにぃ~」
鼻の穴大きくしてまたムキになるし。いいからあたしの方を向いてろってのよ。
そっぽを向いて麦茶をあおる。
―――………ん? あれ? な、なんでそうなんの? べ、別にこいつが誰とどうなろうと……!
「ったく。あ~他にはあれだな、ミニ四駆。あれには燃えたね、時間あったらサーキット走らせてもらってたなぁ。ぜってぇ超楽しいぜ」
少々ケンカ腰になっていた会話を元に戻そうと兄貴は別の話を切り出してくる。
だけどあたしは――、
「……ねぇ」
「アバンテってのはよく知らねえが――、あん? どうした?」
「あんたさー、マンションの入り口でサバゲーしてたぐるぐる眼鏡がモデルガン向けてきたときさ」
「え?」
「あんた、両手広げておもいっきし『やめろっ!』って――」
見ると兄貴は渋いお茶飲んだみたいに眉にしわを寄せて顔を紅潮させてっている。……変な顔。
「あ、あれは、しょうがねえだろ! いきなりだったし」
「あはは。シスコ~ン」
真っ赤になってるのが面白かったから、足を伸ばして兄貴の足をツンツンしてからかう。
「だ、誰だってああするっつの」
「ふ~ん、どうだかね」
知ってる。もし、黒いのに銃口が向けられても、あんたはきっとそうすんだろね。
「地震のときもあたし抱き寄せて何しようとしてたのよ。あぁ~ヤダヤダ」
「ガラスケースが倒れてきたらアブねえって思ったんだよ! フィギュアで誰かさんはトリップしちまってたしな!」
「そのあともあたしの手を引っ張って離そうとしなかったしィ~」
「おまえがいつまでも『メルルちゃんが~』とか言って逃げようとしなかったからだろうが!」
「本当はあたしと手をつなぎたかったんじゃないの~? 正直に言ってみなさいよシースーコン」
また足をツンツンしてからかう。
「だ~からっ。っく、このぉ~」
あたしの挑発に怒ったのか兄貴はソファから立ち上がるとそのままリビングの出口まで向かっていった。
「フンッ。俺はもう部屋戻っかんな」
「フンッ。あっそ」
兄貴が居なくなったリビングで、残った麦茶を飲み干してからソファに仰向けになって寝転ぶ。
数日前に、ここで取った電話でのやりとりが記憶の水底から浮かびあがってくる。
『おまえさ、俺のことどのくらい好き?』
いかにもな軽い口調だったし、忙しかったからさっさと切ったけど――
「あれ……どういうつもりで聞いたのよ? バカ兄貴」
兄貴の上がっていった二階を見上げて、あたしは吐き捨てるように一人呟く。
胸の奥底で、また〝なにか〟がコトリと揺れていた。
最終更新:2010年08月26日 12:49