戸惑った様子の
あやせに今朝から先ほどまでの経緯を説明すると、怪訝そうというよりは怪訝そのものな表情で俺を見ることは明白だったのだが
どうにも視線が頭頂部から離れず仕方なし説明すると、やはり想像したとおりに顔の造詣が歪むのであった。それでも愛らしい顔は相変わらず愛らしく、想定の範囲内
ということも手伝って俺はあまり傷つかなかったのだが、彼女は細めた眼でこちらを眺めながら片方の手をまるで臭い物と対峙する時のように鼻の前にかざすと、
これまた想像をほんの少しだけ絶する罵倒とも嘲笑とも付かない言葉を遠慮という文化の存在しない地方で育ったかのように次から次へと放ってきた。
これだけ語録が多ければテレビのトーク番組に出演する際もなんら問題なくこなせるように思えたほど、その饒舌に半ば感心した。
どうやら現物が目の前にあるにもかかわらず、俺の言っている内容の殆ど全てが嘘で、俺が桐乃に好評だった猫耳のカチューシャを調子に乗って半日付けっぱなしでいる
と思い込んでいるようだった。
ごめん、普通に戻す。
つかなに、桐乃のやつ今朝撮った写真を待ち受けにしてんの?
「あの野郎…舐めやがって…」
恥ずかしさで真っ赤になっているとあやせが不思議そうに言ってきた。
「恥ずかしいなら取れば良いじゃないですか?」
「取れないんだって…ほら」
お辞儀をするように頭を突き出した。
一瞬戸惑いながらも、あやせは猫耳手を伸ばした。
「…うわ、あったかい………え?…うそ、本当に取れない」
「ほらな?嘘じゃねぇんだって」
未だ信じられずにいるのか、眼をパチパチさせつつ呆然と触り続けるあやせ。
その…なんだ、こう、すごく素敵な香りがするんだが、玄関先で高校生の男が中学生女子に頭を弄らせる図ってのを想像して
だんだん気恥ずかしくなってきた。
「と、とりあえずここではなんだから、」
「あ、あええ、そうですね…」
あやせ先に家に入れ、俺はさっとビニールを玄関横の塀の陰に置いて戻った。
扉を閉めると、あやせが聞いてきた。
「なんですか?今の赤黒いの」
「ああ、ゴキブリ」
「え?」
「ゴキブリの死骸」
あ、すげー、ゾワゾワゾワーってなるの生で見たのはじめてかも。
うっわ…人間の顔って本当に青ざめると白くなるんだなぁ。
「ぎ、ぎゃああああああああああああああああああああああああ!!!!!」
あまりもの音量に俺は思わず耳を(下の方)押さえた。ちなみに上の方はペタっと自分で伏せて穴を塞いでいる。
バタっと腰が抜けたように尻餅をつき、そのまま四つんばいでリビングに逃げこむあやせ。
「ち、ちち近寄らないでください!き、ききたな…って、臭っ!!」
うん、殺虫剤ばら撒いたばっかりだからね…
てかさ、俺泣いていいよね?
一通りシャワーを(あやせの強い要望により)浴びてリビングに戻ってくると、制汗スプレーの匂いがかすかに残るものの、ほぼ無臭な
リビングになっていた。
あやせがどや顔で食卓に座している。
どうやらスプレーを撒きつつ、窓を全開にしていたらしい。
音で二匹ほど蚊が部屋を舞っているのがわかった。
「あ、戻ってきましたね、…ちゃんと洗ったんですよね?」
「ああ、あらったよほら」
垢すりで赤くなった腕を見せる。
「ふむ、まぁいいでしょう…なにしてるんですか?」
「二匹蚊がいるからノーマットつけるんだ。」
「わかるんですか?」
「ああ、この耳でな」
ぴょこぴょこっ動かしてみせる。
まったく、この耳は便利なのか厄介なのか…今のところ厄介であることに違いないが…。
ノーマットを仕掛け終え、冷蔵庫の麦茶を出し、俺もあやせと向かい合うように椅子に座った。
そこではじめて気づいたんだが、あやせと二人っきりで茶を飲むのは初めてなんだよな…なんか緊張してきた。
「で、おきたらそうなっていたと」
「ああ、前の晩までは全然なにも…兆候もなかった」
「はぁ…正直、未だに信じられません。そもそもどういった理屈でそうなったのか…」
一口麦茶を飲むと、はっと何かに気づいたようにあやせが言った。
「そうなると、お兄さん耳が四つあることになりますよね?」
「…そうなるな」
「うわぁ~…きもちわ」
「それ以上言ったら本当に泣くからな!」
無論、俺がな。
「ていうか、どうしたんだよ今日は。まだ学校あるだろ?」
「三年生は午前授業です。…高校でもそうじゃないんですか?」
「…あ、ああうん、そうね。そうだったそうだった」
俺の通っていた中学にはそんなエレガントな習慣はそれこそ受験シーズン直前ぐらいしかなかったのだが…そうか、中学からあるところはあるんだ…。
「で、用事は?」
「そうそうすっかり忘れてました。猫耳はともかく、あのゴ…ビニール袋ですっかり…」
おほん、と咳払いをするあやせ。
「説得とご相談です。」
「説得?」
相談ならいつものことだが、説得という単語は耳慣れないな。
「はい、実は今日、学校で桐乃に…」
え、この写メ?…プププ、実はさぁ、バカ兄貴が朝っぱらから何をトチ狂ったのか、猫耳なんてつけてたもんだから、
あんまりにも似合わないから撮ったの。このバカ面チョーうけない、これ。…え?痛そうにしてる?あぁ、…ちょっと脛けったから…いや、だって
グダグダ言って撮らしてくんないからさぁ~。大丈夫大丈夫、あいつシスコンだから蹴られて喜んでるって。
何ならふんずけてやっても良かったんだけど、あいつを必要以上に悦ばせるのも癪だからねぇ。
え?本当だって。あいつマジで変態だから。今日なんて今頃家で引きこもってエロゲーしてんじゃないの?プププ…マジオタ覚醒キタコレw
「という分けでお兄さんまで本当にオタク側に行かぬよう説得しにきました。でないと私とオタク側の桐乃を仲介する役が…」
「ちょっとまてぇええええええええええええええ!!!!!」
机に乗り出して叫んだ。一体どこから突っ込んでいいのか。突っ込みの的があったとしたら全て一箇所に集めてRPGで粉砕してやりたい。
よく最後まで突っ込まずに聞けたよ、俺。頑張ったよ俺。
つーかなに、あいついつも学校で俺のことそういう風に言いふらしてるわけ?
てか、あいつはそれでいいの?
自分の兄貴だよ?
血を分けた兄妹だよ?
お前の半分は俺と同じなんだぞ?
俺を馬鹿にするってことはお前も恥をかくってことは思わないの?
「お、お兄さん、涙出てますよ」
分かってるよ!
袖で顔をぬぐって椅子に戻り、残った麦茶を一気にあおった。
ふぅ、とため息を吐いてなんとか落ち着こうとした。
「説得の方は分かった。それは必要ない。で、相談ってのは?」
「はい、ソレなんですが…」
ちらりと腕時計を見るあやせ。
「一旦、外に出ましょう。そろそろ桐乃が帰ってきます」
「え、ああ、うん」
桐乃に聞かれては拙い事なのだろうか。
とりあえずあやせにしたがって玄関へ向かう俺。無論キャップ装備。
「また桐乃にないしょでプレゼントとかか?」
「…違います。内緒でお兄さんと二人きりになったなんて桐乃に知られたら絶交されます」
「?」
それって俺が絶交されるのが妥当じゃないだろうか。
「兎に角、外に出ましょう。お兄さんのシャワー時間が計算外でした」
釈然としない俺をよそに、あやせはさっさと玄関を出てそのまま道路に出ようとした。
俺ははっとして、咄嗟に裸足で駆け出して彼女の襟をつかんで全力で引っ張った。
「っな!」
転びそうになったのでもう片方の手を後ろから腹に回して後ろから抱きしめるような形になった。
受け止めたのとほぼ同じタイミングで自転車が数台目前を通過する。
緊張が解けてため息がもれた。
「あっぶねーなー…大丈夫か?」
「え、あ、はい。」
「そうか…靴はいてくるから、先に行っててくれ。いつもの公園だろ?」
そういって玄関に戻り靴を履いて表に出ると、まだあやせが家の前で待っていた。
こころなしか、すこし顔が赤い。
「あの公園はもう使いづらいので、別の場所にしましょう。」
ああ、あのブザー事件のことか、と思い出したくもない痛ましい記憶がよみがえった。
最終更新:2010年09月03日 12:34