「ねぇ、“先輩”?」
「んぁ? 家に来る前にどっか寄ってくか?」
ふと、何の気も無しに呼んでみた。
返ってくるのも気の無い返事で――面白くないな、と。
そう。
……面白くない。
「どうかしたか?」
左にあるその顔を見上げると、相変わらずの気の抜けた顔。
どこにでもあるぼーっとしたというか、のんびりとしたというか、面倒臭そうというか……。
私が声を掛けたのに、私はその声に応える事無く……その顔を見上げるのみ。
「おーい?」
学校からの帰り道。
同じ学校の制服を着ての、帰り道。
いつもの面子での“遊び”でもなければ、私がこの人の妹に呼ばれたわけでもない。
この春から始まった“先輩”と“後輩”という関係。
そして、私の“趣味”と一緒に居てくれる関係。
でも。
「先輩」
「だから、なんだよ?」
この男は、その“関係”にすら、もう慣れてしまっている。
……面白くない。
あの驚いた顔は何処に行った?
……はぁ。
視線を前に戻し、小さくため息。
「いや、何で溜息吐かれてんの俺?」
「気にしないで」
「普通気にするからな? 顔見られながら溜息吐かれたら気にするからな?」
「そう」
今度はどう呼ぼうか?
兄さん、は多分そう驚かないだろう。
前にも呼んだし。
もっとこう、意表を突いたモノが良い。
何と呼べば……。
「なぁ、俺の話聞いてるか?」
「聞いてるわ」
「そーかい。……はぁ」
また、見上げる。
困った顔。でも――――。
「なぁ、黒猫?」
「なにかしら?」
その目が、また私に向く。
眠たそうというか、面倒臭そうというか。
「ガッコか家の方で、何かあったか?」
「そうね――学校の方、かしら?」
――この人はやっぱり、入り込んでくるのね。
どうしてこう、お人好しで、お節介焼きなのかしら?
はぁ。
「どうしたんだ?」
「別に……少し、退屈してるだけよ」
「学校に刺激を求めてどうする……」
あら、そうかしら?
「刺激だけじゃないかもしれないでしょう? それに、学生としてその発言はどうかと思うわ」
「へぇへぇ。学校に楽しみ、ねぇ」
楽しみ楽しみ、と。
その声が小さく呟く。
ちょっと違うのだけれど、でもそう間違いでもない。
退屈、なのだ。
この人がこの――私が一緒に居る――この現状に馴染んでしまっている事が。
先輩と後輩。
しかも2学年も離れているこの“現実”にはありえない関係に馴染んでいる事が。
「部活の方じゃ、ないよな?」
「ええ。私の趣味、の方かしら?」
別に、部活に不満があるわけじゃない。
というか、現状にある意味満足――すらしている。
そう言えば、この人はどんな顔をするのかしら?
「そっか」
私からこうやって相談……とも言えないような事を持ちかけても、当たり前のように悩んでる馬鹿な人。
何でこの人は、こんなに馬鹿なんだろうか?
はぁ。
「兄さん」
「んー?」
この人の家まであと半分。
通い慣れた――と思う帰り道を歩きながら、小さく笑う。
少し、楽しい。
……退屈じゃない、時間。
きっとこの人は私が“何に”退屈しているかなんて、気付いてないんだろう。
そして、きっと気付かないんだろう――と、また笑ってしまう。
声に出さないように気をつけて。
私が楽しんでいる事を、この人に気付かれないように。
「退屈だわ」
「――よく考えたらなぁ」
「どうかしたのかしら?」
「お前が退屈だったとしよう」
「ええ」
そこで一呼吸。
「お前の退屈の解消法なんか俺が思いつくはず無いだろ!?」
「でしょうね」
だって、私とあなたは別人なんだから。
まったく。
「やっと気付いたの? 相変わらず馬鹿ね」
「ひでぇ」
「良い退屈しのぎになったわ」
「……お前、本当に後輩か?」
「あら、私が同い年か年上に見えるのかしら?」
見えねぇよ、と小さな呟きが耳を擽る。
ああ、楽しい。
「ったく、可愛げのねぇ後輩だな」
「まったく、面白味の欠片もない先輩ね」
「そこまで言うか!?」
クス、と小さく……本当に小さくだが、声に出して笑ってしまった。
「先輩を笑うもんじゃねぇぞー」
「う、煩いわね」
まったく。
この人は私の――この“ありえない関係”をどう思っているのだろう?
こんな漫画かアニメ、ゲームの中のような関係を……どう思ってるのかしら?
はぁ。
「お前も目上の人を敬わない奴だな」
「敬われるほど殊勝な人でもないでしょうに」
「さらっと酷い事言ったよな、今? な?」
「そんな事ないわ」
ええ、そんな事無い。
これでも尊敬――とまではいかないけれど、それなりに……ねぇ?
ココロの中で誰かに呟き……顔を落として、苦笑してしまう。
だって、ねぇ?
自分で言っておいて、自分で否定してどうするのか。
だいたい、ココロからそんな事思いもしていないというのに。
尊敬はしていない。
でも、多分……頼りには、している。
「ねぇ、兄さん?」
「んあ?」
ふむ。
「これでも頼りにしてるのよ?」
「へぇへぇ」
あら、全然信じてくれてない。
「疑り深いのね」
「お前らのどこを信じろと?」
「信じてくれればいいじゃない」
それじゃ、痛い目見るのは俺だけなんだよなぁ、と。
そうね。
でも――それでも“私たち”は貴方を頼ってしまうのよ。
何度か頼ってしまったから、癖でもついてしまったかしら?
「困ったものだわ」
「困るのは俺の方だっての」
いいえ、私よ。
私の方なのよ?
本当に判ってないのね、このお馬鹿は。
「はぁ」
「溜息ばかり吐いてると、幸福が逃げるわよ?」
「わーってるよ」
クス、とまた笑ってしまう。
楽しいと、思ってしまう。
面白いと、思ってしまう。
学校には無い、皆で居る時にも無い、この人の家に居る時にも無い。
この人と“二人”の時の――。
「笑うなよ」
「はいはい」
退屈なんてどこにも無い時間。
そう言えば、何で面白くないなんて思ったのか……ああ。
「ねぇ、京介」
「…………はい?」
あら、面白い顔。
「相変わらず変な顔ね、兄さん」
少し、熱い。
うん――少し、だけ。頬が熱い。
「ん? いま」
「どうしたの、兄さん?」
「へ、あ……あれ?」
ふふ。
「どうかしたのかしら、この兄は」
「あー、いや、なんでもない」
そう。
トクン、と少しだけ高鳴るココロが心地良い。
この人の驚いた顔が、
照れた顔が、
悩んだ顔が、
……ココロを揺らす。
「帰ったら何すっかなぁ」
「そうね……」
まぁ、二人でする事と言ったら――ほとんど決まっているのだけれど。
奥手と言うか、人並だというか。
結局私も人の子か――と。
「とりあえず、格ゲーで貴方を凹ますわ」
「とりあえずで凹まされるのか、俺は」
「ええ、良かったわね兄さん」
「良くねぇよっ」
ふふ。
「うは、Sだ。ドSが居る」
失礼な。
「私が虐めるのは、兄さんだけよ?」
「良い事言ってるつもりだろうけど、それ余計に最悪だからな!?」
また、小さく笑う。
笑ってしまう。
ああ――――
――――この人と一緒に居ると、楽しいな。
最終更新:2010年10月09日 17:51